---反原発運動に相渉って胸に刻みつけておきたい日のしるべです。1959年6月30日。反原発運動に相渉って心に刻みつけておきたいウチナンチューの言葉です。「ヤマトゥでは現在、福島第一原発の事故によって自分たちの生活が脅かされるにいたり反原発運動が盛り上がっている。しかし、米軍基地問題に関しては、大方は相も変わらず他人事のようだ。」(目取真俊 2011年6月30日)■ 宮森小学校への米軍機墜落から52年(目取真俊 海鳴りの島から 2011年6月30日)http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/84eb2cd636afebfdf76779b5174a0327「1959年6月30日、旧石川市(現うるま市)の住宅街に米軍のジェット戦闘機が墜落し、宮森小学校に突っ込んだ。小学生11人、一般住民6人の死者を出すという大惨事となった。その日から52年目を迎えた。」「沖縄にとってこの事故はけっして過去のものではない。肉親を失った家族や当時の教師、同窓生、地域住民にとって生々しい記憶としてあるだけでなく、米軍機の墜落によって新たな犠牲者が生まれることへの不安に、沖縄県民は今もさらされ続けているのである。」「1959年はヤマトゥでは砂川事件で伊達判決が下された年である。翌年には日米安保条約の改定に対する大規模な闘争が起こった。その後、日米両政府は米軍基地の沖縄への集中化を進め、ヤマトゥでの反基地闘争を沈静化していった。ヤマトゥでは現在、福島第一原発の事故によって自分たちの生活が脅かされるにいたり反原発運動が盛り上がっている。しかし、米軍基地問題に関しては、大方は相も変わらず他人事のようだ。」参考1:■ 1959年沖縄 「宮森小」事件 1965年沖縄 「少女轢殺」事件 そして消された争点「沖縄」(弊ブログ 2010年7月2日)http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-157.html参考2:「崖」 石垣りん戦争の終り、サイパン島の崖の上から次々に身を投げた女たち。美徳やら義理やら体裁やら何やら。火だの男だのに追いつめられて。とばなければならないからとびこんだ。ゆき場のないゆき場所。(崖はいつも女をまっさかさまにする)それがねえまだ一人も海にとどかないのだ。十五年もたつというのにどうしたんだろう。あの、女。
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