市民のための自由なラジオLIGHT UP! 第72回、今週はおしどりマコさんケンさんの司会で東京の自由な隅田川スタジオ。おしどりのラジオアクティブです。

「市民のための自由なラジオLIGHT UP! 第72回、今週はおしどりマコさんケンさんの司会で東京の自由な隅田川スタジオ。おしどりのラジオアクティブです。」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

市民のための自由なラジオLIGHT UP! 第72回、今週はおしどりマコさんケンさんの司会で東京の自由な隅田川スタジオ。おしどりのラジオアクティブです。」(2017/08/12 (土) 16:46:52) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

市民のための自由なラジオLIGHT UP! 第72回、今週はおしどりマコさんケンさんの司会で東京の自由な隅田川スタジオから放送されました。おしどりのラジオアクティブです。  おしどりのお二人、寄席と取材で大変、何とかなるでしょうと大変な模様です。  その前に、報道するラジオの案内であったジャーナリストの平野幸夫さんが、長崎の被爆者からASS(abe Shinzo Shusho(c)想田和弘さん)があなたはどこの国の総理かと言われた件、加計学園問題など、有権者がゆでカエルにならない意識を持てば不正は糺されると、ブログで指摘されています。 http://ameblo.jp/hirano-yukio/entry-12300838011.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----hirano-yukio_12300838011  今回のゲストは原爆の図丸木美術館(http://www.aya.or.jp/~marukimsn/index.htm )学芸員の岡村幸宜(ゆきのり)さん、埼玉県東松山市にあるもので、丸木夫妻が32年かけて描いたもの、その意味を岡村さん語られます。岡村さんは以前から自由なラジオに注目されていたのです。  岡村さんを8月にゲストに迎えられてうれしいとマコさん言われて、広島、長崎の月であり、丸木美術館は小学校の絵本にあり、作者を知らなくても一度小学校の課題図書での絵本、すさまじい絵本を書かれた丸木位里、俊の夫妻、埼玉の美術館に作品名が入り、原爆の図が見られるように作者が作り、自由なラジオ同様、丸木美術館も大企業、行政のスポンサーはなく、多くの方の寄付、ボランティアに支えられて守られて続いてきたものであり、美術館に延べ130万、去年13000~14000人、学校、平和ツアーが団体で、広島、長崎、沖縄の前に来ることが多く、沖縄にも美術館があり、マコさん沖縄や水俣のことを取り上げられて、岡村さん、丸木夫妻には弱いものが弾圧されて、そういう弱い人たちの側から社会を見たら世界は変わる、今の時代の私たちにもつながるものがあり、色々な形で学ぶものに子供たちも来てくれるといい、マコさん、学校の来るのが減ったと言われて、岡村さん悲惨なものを子供に見せない、平和教育が偏向しているといわれる!戦争準備法案の時に、小学生が勉強して政治家になると作文に書いたら偏向しているといわれる始末、広島のことを描いたものは偏向と言われるが、悲惨なものを見せないのはおかしく、しかし教育現場ではストップがかかり、広島、長崎に修学旅行に行く学校も減り、80年代の反核運動の盛んな頃よりは減り、しかしここ3年は丸木美術館の入場者は増えて、やはり3・11で関心は増えて、しかしはだしのゲンが問題視されて、戦争はきれい話が今はうける!しかし戦争はきれいなものではなく、丸木夫妻は広島を描くのにキノコ雲や原爆ドームではなく、人間を描いて、等身大の人間の姿を描くことに生涯を費やして、ケンさん、目の前に風景が入ると言われて、岡村さん、横幅7m、時間、距離を超えて、これは必要、丸木夫妻も描きたいものをやりたかったが、悲しいこと、つらいこと、思い出したくないことを描かないと世界の半分しか描かず、今も戦争で苦しんでいる人がいて、現実を知ることは、形を変えて暴力にさらされる人がいて、そういう人たちを救う力になり、若い人は悲しい、つらいことも学んでほしい、誰かの足を踏んでいることもあり、楽しいこと、美しいものだけを見るのではなく、喜怒哀楽があり、マコさん、取材されて嫌なこと腹の立つことも前に行くエネルギーに変えていくと言われて、原爆の図を見たら、人間のやったことであり、人間がこういうことをするのだと言われました。  丸木夫妻、なぜ埼玉県に置いたのか、原爆の図は描かれて、絵は旅をして、1950年に最初描かれて、占領時代、原爆のことを伝えてはならず、写真も米軍に没収されて、しかしプレスコードに絵は引っかからず、原爆の図なら世界に伝えられて、そして世界20か国以上を回り、しかしそういう絵はどこに行ったら見られるのか、丸木夫妻は手元に置いて、誰にも見られるように、広島での設置は困難、広島に似たところ、埼玉が似ており、東京から引っ越して、絵があり、二人の画家のいた記録であり、畑を耕し、お客さんの絶えないところで、見ず知らずの方も来られて、美術館であり場であり、岡村さんも、作家を中心にしたコミュニティと言われて、丸木夫妻のことも知り「戦争への憤りは優しさから生まれる」と言われて、マコさん、他の人が踏みにじられるのを知るのは優しさが必要と言われて、岡村さん、芸術の観点からは見られず、しかし最近では芸術を超えた文化として、原爆の図は会場の責任者が逮捕された例もあり、1950年ごろ、朝鮮戦争の際で、また核が使われるかもしれない時代で、そこに芸術家が闘ってきたのです。  皆様、自由なラジオを支えるために、企業スポンサーを持たないものに寄付をお願い致します。正しいことを伝えて、間違っていることは間違っているというためであり、支援をよろしくお願いいたします。  ここで音楽、自由なラジオのゲストに来てもらった大島花子さんの、イマジン、です。これはYou Tubeにありました。 https://www.youtube.com/watch?v=3AmIaj1lQTw  後半のお話、原爆の図のこと、岡村さんとおしどりは去年12月に平和共同ジャーナリズム基金、日本版ピューリッツアー賞を取り、原爆の図が50年代に全国を回った記録がなく、メディアは報じず、主催した人も後でなにをされるかで記録せず、それで、どこで何をやったか記録がなく、しかし丸木夫妻の没後、ガリ版刷りの記録が出てきて、そして50年代の巡回のことが分かるかと8年かけて調べて、新聞社も協力してもらい、しかし皆さんあまり語られず、それでも大事なことであり、存命のうちに話を聞けたこともあり、インターネットが普及して、地方の図書館のアーカイブが分かるようになり、インターネットのおかげで全国を調べて、情報をつなぐことができるようになり、ぎりぎり間に合った人たちとネットの普及、2011年4月に発表の予定が3・11で中止になり、しかし発表の機会を失ったら、協力してくれた人たちの努力が無になり、丸木夫妻と支えてくれた人たちのために、原爆の図が、二度と戦争してはいけないという思いになり、2015年の被爆70年に本を出されて、ベストセラーになったわけでもないが、大変な仕事であった。  丸木美術館の学芸員は岡村さんおひとり、丸木夫妻のみでやっていて、最初に来た際には学生で、バブルの余韻もあった時代、バブルから程遠い原爆の図を選んで、授業で学んだことは役に立たないことは知り、最初にタケノコ掘りをして、美術館のようで美術館ではなく、初めて行ったのは1996年、岡村さんはヨーロッパにも行きたかったが、芸術と平和は一緒、エライ人が作るのではなく、民衆の作るものであり、大きな美術館は小さいものの上澄みを集めただけと知り、丸木美術館を見る目が変わり、世界に、他にないものを発信する場であり、ここでしか発信できないものを発信するのが歴史と言われて、マコさん、美術より命と言われて、岡村さんも芸術は命であり、みんなで守っているものを残さず、何を残すのか?原爆の図が伝えるのは今であり、いつの時代にも大事なものを描き、コンサートもできる、他の公立美術館にできないことも出来て、若い作家が育ち、丸木夫妻の遺産の継承だけでなく、若い人たちを育てて、過去から現在に、であり、ドイツにマコさんケンさん行かれて、なぜそんなに原発事故について詳しいかと聞かれて、戦争とともに学び、ドイツの方は質問をして、ドイツはナチスを生み出したことの反省で、最後の一人になっても自分の意見をいうと言われて、ドイツの放射線防護について、あなたは民主主義を知っているか、ドイツは民主主義の選挙でナチスを生み出し、愚かな市民が独裁者を出して、政治家たちの言うことをうのみにするのではなく、核も市民が全員で考えて行くべき、どういう策があるのかと聞くのはおかしく、岡村さんにドイツと同じものを言われて、岡村さん、丸木夫妻は原発に反対で電気を止められたこともあり、3・11以降、全館の電気を太陽光発電でやるようになり、絵の保存を学芸員一人でやるのは大変、夏は暑く、冬は寒い中で見るべきで、しかし絵の修復は100%元通りにはならず、100年後の人たちのためにも絵を残したく、生きている我々が自分の頭で考えて、原爆の図を展示する新しい建物を建てることを決意して、原爆の図の保存基金、できるだけ多くの方から無理のない範囲で寄付を欲しく、目標は5億円、00260-6-138290、丸木美術館のHPにも載っています。  マコさん、今の状態だと絵にも触れるほどと言われて、暑い時も絵が一緒にあり、美術館でガラスケースの中ではなかったのにビックリされて、しかし絵の保存には問題もあり、今の丸木美術館の絵を見て、新しい建物にも協力してほしいと言われました。岡村さん、みんなで作る美術館になりたいと言われました。  丸木美術館は駅から遠く、バスは1日2本、駅から徒歩30分、最初はタクシーで来て、帰りはバスの時間を見たらいいと、一つの体験、原爆は二度と体験できない、体験したら死であり、絵を通して近づくことは可能であり、マコさん、暑い時期に丸木美術館に行く必要を語られました。  今回の内容、岡村さんに来てほしく、家の丸木夫妻の本を持ってこられて、小学校の際にマコさん読まれて、水俣海の声、沖縄島の声、おしどりの取材していることのずっと先のことに丸木夫妻が取り組んで、福島の子供たちの保養プロジェクト、アーサー・ビナードさんに丸木美術館に連れて行ってもらい、久米島大虐殺のことを知り、アーサーさん、絵の中に手榴弾とザクロがあり、アーサーさんのみ意味を理解したものであり、丸木美術館のことは今後も関わりたいと、おしどりさん締めくくられました。以上、今週の自由なラジオでした。来週は大阪から西谷文和さんの司会で放送されます。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示:
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。