市民のための自由なラジオLIGHT UP!第54回、今週は女優の木内みどりさんの司会で放送されました。木内みどりの指差し確認、です。

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、市民のための自由なラジオLIGHT UP!第54回、今週は女優の木内みどりさんの司会で放送されました。木内みどりの指差し確認、です。今週より一番早いFMたるみずの時間変更で、今後は土曜日のFMうらやすを聴きます。  MBSラジオの、しあわせの五・七・五(2017/4/8)の、川柳な人々、ゲスト、満月ぽんぽんこと時代小説家の高田郁さんが出られて、高田さんしあわせの五・七・五のリスナーで、ボツ酒場の常連、この前やっと詠んでもらい、時代小説家、あきないのシリーズが人気の方で、みおつくし料理帳が大ヒット、お芝居も松竹座で行われて、みおつくし料理帳はNHKのテレビドラマでやるもので、多くの方が高田さんの作品を待っておられて、2月と8月はものが売れないという時期に、本屋に来てほしいと、あきない世伝のシリーズは2月と8月に出て、近藤さん、心がけが違う、近藤さんは売れない2月と8月は避けて出版されて、しかし高田さん、江戸時代でもバブル後のものの売れない時代、知恵を絞っての時期に、夢もあり、商売人の方のことを知ってほしいと言われて、近藤さん、身にしみてわかる、本の力は強いと言われて、高田さん、徹底して調べて、体を動かしてやるもので、今回は呉服商の話、調べて、高田さん家で綿を育てて、綿を育てると、名前をつけてやって、全国で綿が広がり、種を植えて綿の種になり、商売で、布地を扱う人の気持ちが分かり、値下げして競争するのではなく、自分も体験して、それが読者に受けると言われて、主人公は女性、当時女性は店主になれず、明治までは女性は店主になれず、影の大黒柱であり、徹底した取材で、あきない世傳・金と銀、本の帯にイラストがあり、高田さん、時代小説を書いて9年、しあわせの五・七・五と同じ年月で、番組も 私も来年 満十歳と高田さん詠まれて、来年はイベントを、と言われました。  木内さん、自由な隅田川スタジオからの放送で、今回のゲストは作家で武蔵野大の永田浩三さん(元NHKプロデューサー)です。木内さん3年前から永田さんを追いかけられて、著書、ベン・シャーンを追いかけて、四國五郎と原爆の表現者たち、そして、四國五郎さんの息子さんの光さんも収録当日に東京におられて、参加されました。  永田さんのお話、クローズアップ現代他を制作されたジャーナリスト、木内さん永田さんに出てほしいと打診して、今回スケジュールが合っての実現で、永田さん、NHKに32年おられて、クローズアップ現代、NHKスペシャル、四国のお遍路もされて、昭和天皇の急変時にされて、昭和天皇の妃になるはずの人がお忍びでお遍路、それをNHKに取材してほしいと言われて、永田さんは他の仕事を置いて、秘密のロケ、宿の予約までされて、しかし上品な方で、NHKのカメラについているNHKのマークを隠しての仕事で、サツマイモは薩摩でしかできないのか聞かれて、李王朝最後の皇太子に嫁いで、ソウルに行かれて、槍ヶ岳などにも登られて、ところがこれのオンエアは、ソウルのロケで体を壊されて亡くなられて、山小屋は雑魚寝で、それを知らず、しかし敬虔な遍路の旅で、88ヶ所を4日で回り、番組に仕上げる前に亡くなり、ストップがかかったのではなく、お遍路だけではできず、また永田さんは岸信介氏にインタビュー、日本の戦争の軍事物資の確保と、空襲の対策、東条英機内閣ではやっていけないとして、倒閣で、岸氏はA級戦犯でも、これで首の皮一枚助かり、記憶力抜群で怖いものであり、岸氏は取材を受けず、東条氏を倒したと言う勲章で、昔のNHKのオフィスでやり、木内さん岸氏は悪辣かと聞かれて、永田さん、政治の闇の部分を担ってきた本人で、すごいと直感、しかし岸氏の本質は日本を大切にせず、孫のASSはそれを真似てもスケールは違い、永田さんは東京に住まわれて、ASSと面識はないが、ASSの同級生が近所にいて、民主党政権時に永田さんと対談の話があり、しかしお流れで、木内さんその時に会わずに良かった、安倍晋三のNHKにしてはいけないと言った永田さんなのだから、と言われました。  また、音楽で、キルギス共和国のウメトバエワ・カリマンさん(女性)の、コムズという珍しい楽器によるライヴもありました(http://www.minken1975.com/kouza_trial/komuz.html )。木内さんこの音楽にしびれて、生演奏、キルギスの音大→日本の芸大に学ばれて、木内さん朗読の際にカリマンさんの演奏に感銘を受けて、楽器のコムズ、ギターより小さい3弦、杏の木から作られたもので、生演奏がありました。男の子と馬、ライヴに木内さん拍手喝采、右手の指で弾くのが大変な動き、こんなものを初めて見て、キルギスは日本の半分の国土、大半が山であり、そこを少年が走るのが見えたと言われて、カリマンさんはコムズを8,9歳の頃からされて、カリマンさんの演奏のCDはあり、このライヴはアーカイヴに残り、後日聴けます。  再び、永田さんお話、永田さんの本、ベン・シャーンを追いかけて、8/15になるとNHKで特集しても、なぜ日本が敗戦したか、アメリカが何を隠したか、第五福竜丸のことをベン・シャーンが書いて、展示をご覧になり、ビキニ環礁での1954年、水爆実験で160km、ブラボーという水爆の東側に第五福竜丸、閃光→死の灰、サンゴ礁のものと放射性物質を乗組員が被曝してしまい、ラルフ・ラップという物理学者が取材して、ベン・シャーンが絵を描いて、当時は核兵器をアメリカのみ持ち、核兵器反対というと排除されて、今の日本の反日のような、反米という烙印を議会に押されて、恐ろしい思いをしながら表現を止めず、核兵器は人類に幸福をもたらさないと言ったアメリカ人は実は少なく、ベン・シャーンはリトアニア、イタリアなどをまたいで取材、しかし母が胃がんで倒れて、メキシコに行けず日本に帰り、旅の中で、ベン・シャーンの絵を今の人がどう受け止めるか、ベン・シャーンが現代にどう生きているかを知りたく、木内さんも繊細な線の絵と言われて、永田さん、不思議な線であり、木内さん、原爆投下直後の病院をベン・シャーンが描いて、グニャグニャの鉄骨のものを描いて、ベン・シャーン晩年のモチーフで、福島県立美術館の方が、広島の建物と調べて、広島の八丁堀の交差点の呉服店、当時珍しい鉄骨の建物で、永田さんの母の実家とお隣さんで、原爆投下は45/8/6、夏に恵比須神社のお祭りがあり、それを仲間で支えて、原爆投下から3か月後のお祭りもやることになり、バラックの中でお祭りをして、その建物がベン・シャーンの絵に残っていたのは驚きで、ベン・シャーンと永田さんのつながり、母が倒れて広島に帰りこの発見で、晩年の母に、どうやって逃げたかとして、母の足跡を追って、そんなこんなで、原爆資料館の展示を見たらこれだと分かり、ベン・シャーンの絵と合致して、一連のことで、空いたピースが埋まった。  四國五郎と原爆の表現者たちもやり、四國五郎さんのことも追って、米軍占領下の奄美の皆さんのことを追って、五郎さんの息子さんの光さんに接触、その光さんもスタジオで参加して、光さんは電通を退職して、父の絵を整理して、イベント、写真集を作るなどして、光さんと永田さん、五郎さんの晩年に光が当たり、読んでこの人はすごいと思い、永田さん五郎さんの本を書くことになり、四國さんが70年代、市民の描く原爆の絵のキャンペーン、NHK広島放送局に絵を持ってこられた小林さんの企画があり、それを五郎さんが支えて、四國さんの人生を知りたいと、調べたく、四國五郎さんは広島では有名で、母子手帳、怒り地蔵、峠三吉の詩の絵も四國五郎さんが描いて、四國さんと峠さんがいたから、原爆詩集も世に出た。  四國五郎さんは、絵として1枚も売らず、反戦のためだけに使いたいためで、四國さんのお弟子さんに、ガタロさんという画家が広島におられて、永田さんガタロさんの展示会を武蔵野大でされて、四國先生と言われて、元町アパートの清掃員をされて、それも絵に描いて、清掃と、政争をひっかけて世の中を見られて、メッセージ性の強い絵であり、ガタロさんは四國さんから、原爆ドームを描くなら毎日描けと言われて、ガタロさんのこともNHKの番組で描かれて、四國五郎さんとガタロさんの共同作業があった。  息子の光さんに、自由なラジオの第28回で出てもらい、父は子供にも丁寧語、動物にも丁寧語であり、若いころに町に猫がいて、家で飼うことになり、穏やかな人物で、平和について命懸けで闘った印象は一見なく、しかし戦争と、戦争を起こす人間への怒りは消えず、ある人が五郎さんの手紙のコピーを持って来られて、平和のためには死んでもいいと、腹の座った人物であったのです。  内なる炎と、穏やかな表情は永田さんも同じ、しかし永田さん、アベのNHKにしてはならないと、2015/8/14の戦後70年の安倍談話、NHKは安倍ヨイショ、NHKニュースが死んだ日と言われて、永田さん、2001年のETV2001、戦争暴力の回、日本軍慰安婦の被害について、日本政府、軍、昭和天皇の戦争責任をとう番組で、ところが放映直前にNHKの幹部がASSに呼びつけられて、NHKの幹部が帰ってきて、永田さんに出来上がっていた番組を改変させられて、NHKで作った番組が、政治介入、忖度で変えさせられて、しかし政治家に言われたから変えたは許されず、永田さんはNHKがASSにすり寄る番組を作っているのは許せず、当時右翼の街宣車が永田さんを殺すなどと街宣して、赤穂浪士の討ち入り時の吉良上野介の気分で、どうして隠れるか、であり、その日の夜は2階の灯りを消して、子どもを避難させるなどしており、奥様も大変であり、永田さん、妻と息子二人に感謝というもので、広島を伝える、という本に、永田さん、四國の口癖、今残す、次の世代に引き継ぐものとして、3・11の原発事故、2012年の脱原発集会から、社会は悪化して、絶望的な状況なものの、今いるものがやって、次の世代に引き継ぐためであり、3/20の講演で、脱原発集会、澤地久枝さんのメッセージを木内さん代読、安倍政治を許さないと言い、落合恵子さんも震えるほど怒ってのもので、永田さん、3・11から6年目、ASSは津波には言及しても、原発事故には言及しなかったのは異常で、木内さん、広島の子を福島の子に置き換えて、日本は72年変わっておらず、会場にいた福島の罹災者、原発作業員で白血病の方もこれに感銘されて、永田さん、福島と広島をどう伝えるか、当事者は広島も福島も、仕事なし、健康の不安もあり、その中で声に出されたものをもっと、世の中を良くするために、自分に何ができるかを考えるべきで、四國さんも峠さんも、言葉は繋ぐ道具、ところがASSの言葉はブチ切れで言葉を大事にせず、言葉を大事にしない政治家をもっと批判して追放させるべきであると、永田さん締めくくられました。    今週の内容、木内さん、永田浩三さんと、四國光さんのことも後日HPに載りますとのことで、自由なラジオは企業スポンサーに頼らず、皆様寄付をお願いします、間違っていることは間違っていると言える番組を続けたい、と今週の自由なラジオ、締めくくられました。以上、今週の自由なラジオでした。

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