市民のための自由なラジオ大沼勇治さんと歩く、小出先生の原発事故解説、ピアニスト、ツィメルマンさんのメッセージ&大阪市公募区長の3年8か月、臣永正広さんのお話

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市民のための自由なラジオ大沼勇治さんと歩く、小出先生の原発事故解説、ピアニスト、ツィメルマンさんのメッセージ&大阪市公募区長の3年8か月、臣永正広さんのお話」(2016/11/25 (金) 22:09:32) の最新版変更点

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第34回市民のための自由なラジオLIGHT UP、今週はジャーナリストの今西憲之さんの司会で大阪のスタジオから放送されました。今西憲之の毎度おおきに、今西さん、電通で過労死自殺された方、今西さんの週刊朝日での職場で面識もあり、大学を出たら週刊朝日に、としても、電通の方が先に内定、給料も良く、そして、昨年暮れに自殺、今西さんショックであり、労災も認められて、電通と言う会社のひどさが明らかになり、こんなことが二度とないように、電通の鬼十則、死んでも仕事しろというもので、遺族が削除してくれとしており、このような悲劇が二度とないように、と言われました。 今回はダブルヘッダー、第1部は、LIGHT UP!ジャーナル特別篇、ラジオフォーラムにも出られた、大沼勇治さん、福島原発の、原子力、明るい未来のエネルギーの標語を子供の時に考案されて、今は核に反対しておられる大沼さんと、今西さんが出身地の双葉町を歩かれました。そして、ここに、小出先生がお電話で参加されました。  大沼さんの考案された標語の看板は老朽化を理由に、撤去されて、看板のアーチを震災遺構として残すべきと言われており、5年8か月の福島事故の実情の、小出先生の解説もあります。今も線量が高く、ホットスポット、双葉町、大熊町にあり、モニタリングポストはどう計測されているのか、今西さんのご覧になったのは、空間のガンマ線を計測し、地面に落ちた放射能から出る放射線を計測しており、モニタリングポストは正確なのか、小出先生は「国より設置されたものはインチキ」、汚れた土を剥ぐ、その上にコンクリートであり、何もしないところよりかなり低い線量を示すと言われて、今西さん、1.14マイクロシーベルト/時間を計測されて、これについて小出先生、放射線管理区域で働かれて、0.6マイクロ/時間は放射線管理区域、普通の人は立ち入り禁止、専門職の人も、そこでは飲食禁止、そこまで双葉町は汚れているのです。  大沼さんの質問、双葉町に帰還時に防護服が支給されるが、目は露出しており、ゴーグルはいるか、小出先生、目にもゴーグルはいるが、防護服はガンマ線を遮ることはできず、放射能に汚れないようにするのみ、今は、少し線量は下がっても、目も被曝したら白内障になり、気をつけるべきで、また歩いて、地べたに座ったら被曝しやすいかについて、小出先生、防護服を着て座っても、放射能には被曝せず、しかしガンマ線は防げず、防護服が汚れたまま来ていると被曝するので、これは避けるべきなのです。  大沼さん、この5年8か月で放射能はどうか、空間線量だけで大丈夫かと聞かれて、小出先生、空間線量だけでは不十分、ヨウ素131、子どもの甲状腺がんの原因は8日で半減して、ヨウ素131はもうなく、しかし問題のセシウム137は半減期が30年=5年8か月でほとんど減らず、これが人々を被曝させており、空間ガンマ線は大半セシウム137で、空間線量は汚染の目安、しかしホットスポットがあり、空間線量だけでは不十分で、しかし避難された方も空間線量すら測れず、なのです。  小出先生、双葉町の井戸川さんと会われて、時々会われて、11/1に会われて、世界的なピアニストのクリスティアン・ツィメルマン(1956年ポーランド生まれ、1975年のショパン・コンクールの優勝者)の協奏曲リサイタル(東京オペラシティにて開催)に小出先生も招待されて、井戸川さんもそこに来られて、事故から5年8か月、超人的に活動されて、井戸川さんも被曝し、鼻血も出る、疲れやすいということであり、ピアニストのツィメルマンさん、3・11に東京にいて、毎年チャリティーコンサートをして、このコンサートも無償で出ており、ツィメルマンさん、12月5日に60歳になるところで、白髪で素敵な風貌であり、福島事故を東京で体験して、福島に寄り添うことをして、コンサートを聴いた感想は、小出先生ショパンに感銘を受けて、ベートーヴェンにも感銘を受けて(演奏会では、ノヴァック指揮の東京ニューシティ管弦楽団と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番をツィメルマンさんは弾かれました)、これを聴かれて、満足されて、ツィメルマンさんのメッセージがあり、その一部、朗読は鵜飼さん、3・11の14時46分に東京にいて、震災は自分にとっての震災でもあり、渋谷のオフィスに行き、その直後、津波の恐ろしい映像を見て、人生を変える経験であり、福島事故のことを見て、情報の隠蔽、本日のコンサートは、全てを失った人にささげられて、故郷、家を想起させるものにささげて、問題はまだ解決されていないと思い出させて、誰かが暖房のスイッチを入れても安心なまでに、制御下にはなく、この演奏会は、自己犠牲のもとに活躍した、科学者やジャーナリストにささげて、政府批判が目的ではないが、冷暖房のスイッチを入れるたびに、電力会社に奉仕し、福島事故はツィメルマンさんを変えて、自宅を、必要とする以上の電気を発電し、支援コンサートをするものであり、この日のツィメルマンさんのコンサルで被災者の苦痛を取り除くものではないが、少しでも和らげて、それが世界をどれだけ変えたか、日本が悲惨な状況になるのを阻止して、被災者が元の生活を取り戻せるように尽力して、失った家、故郷に、埋め合わせするものを作っていきたいとツィメルマンさん言われて、小出先生、コンサートの招待状を1週間前にもらい、このメッセージを受けて、松本から駆けつけて、今西さん、原子力マフィアは原発事故を忘れさせようとしており、その中で、忘れないようにとのツィメルマンさんはしており、小出先生、政府、電力会社は原子力マフィア、事故を忘れさせようとしており、その中でツィメルマンさんが忘れないようにとして、世界的に素晴らしいピアニストであり、それ以上に、人間として、ツィメルマンさんは素晴らしいと締めくくられました。  ここで音楽、ショパンのバラード第1番、ツィメルマンさんの演奏です。これは、ライヴ映像がyou tubeにありました(演奏の日付は記載がありませんが、10年以上前のものです)。 https://www.youtube.com/watch?v=RR7eUSFsn28  そして、現地のルポ、大沼さんと、看板が無くなり、まったく別の場所になり、過去まで全て否定された、ここに残したかったと言われて、1年前も大沼さんと今西さん、ここにおられて、人はおらず、警備の人だけ、ここは双葉町のメインストリート、これをご覧になり、1年前から時が止まり、街中の商店街にイノシシがいて、街中に人がいないと、動物たちがいて、道は整備されておらず、全く町は復興していない。  大沼さんの考案された標語の看板は、町の役場にそのまま置かれて、福島の博物館で、一部線量が高く、第2原発で高圧洗浄により処理、しかし看板は劣化しても、何とか展示して、保管して、伝えたいと言われて、双葉町などに、震災遺構のプロジェクトがあり、博物館に行く、東北大にて3D映像のデータがあるものの、現実の看板、アクリル板があり、復興記念公園への展示の予定もあるが、何とか残してほしく、大沼さん、双葉町の未来、中間貯蔵施設のもので、人→ゴミになり、大沼さんも子供たちを連れて故郷と見せたいが、フレコンバックが5段も積まれて、切ないと言われるのです。  今西さん、双葉町は人もなくゴーストタウン、原発事故の過酷さと、国と東電の無責任さを痛感されたと、今西さん第1部のLIGHT UPジャーナルを締めくくられました。  第2部のゲストは、3月まで大阪の西成区長であった臣永(とみなが)正広さん、週刊朝日の今西さんの先輩で、橋下前市長肝いりの公募区長の実態をお話されます。スタジオに臣永さん、区長を辞めて徳島の故郷に帰られており、週刊朝日の編集部の大先輩、ジャーナリスト、なぜ臣永さん、西成区長になろうとしたか、地元の大学病院の広報をされて、大阪で区長公募、ダメモトで臣永さん、どの区に行きたいか、論文の選考が第1段階、第2段階は面接、副市長他、最後は橋下市長や、鈴木亘氏の面接でやり、そして西成区は、大阪の北区や中央区と異なり、下町、日雇い仕事の、あいりん地区があるところになぜ来たか、2つ理由があり、他の区のことを知らず、滞在したのは西成のみ、週刊誌記者時に、西成の暴動、山野の暴動もあり、山一抗争、西成に暴力団の事務所が20ほどあり、山一に所属しない組もあり、それを取材されており、また橋下市長が西成区長を兼務したいと言い、行政法で出来ないが、橋下氏のやりたかったものを、やってみて、西成は住んでみたら、普通の下町、朝から晩まで救急車とパトカーのサイレンが飛び交い、徳島だとめったにないものが、西成でひっきりなし。  区長の仕事、権限は、従来の大阪市、一般の行政だと、政令市の区長は選挙ではなく、市長が任命する中間管理職、会社の営業所長、雇われ店長であり、生活保護の数も多く、仕事は難しいものもあり、生活保護を減らすと言うものの、軽率なものの言い方であり、辞める間際に、職員から、背筋が凍った、わけのわからないものが来たというものもあり、橋下氏が区長であったらエライことであったかもしれないが、予算、権限も、少し小遣いの増えたようなもの、財政は大阪市が握り、その壁は強い。  生活保護は、全国で過去最高のものを更新しても、西成区は微減、支援団体がひどいことをしているのではなく、適正にやっているだけ、適正にやるのは厳しく、職員も危害を加えられたこともあり、戦闘状態のそぶりを見せては逆効果。  臣永さん、西成で独自の施策、全ては子供たちのために、をキャッチフレーズに、大阪市で初の、子どもの自由なプレイパーク、公園でボール遊びはできず、それで何をして遊んでもいいところを作り、管理、監視ではなく、子どもと一緒に、昔の横丁で、お兄さんお姉さんとやっていたようなものを、大阪で初、統合で閉校になった学校を使ってやった。  徳島で、合併しなかった村に今臣永さん住まれて、子供食堂の子供たちに来てもらい、農作業もしてもらい、子供食堂も臣永さんの時代に充実させて、フードバンクの支援は歓迎できても、もらってばかりは問題で、それで、徳島に場所を用意して、棚田をした。  臣永さん、公募区長、市民から無駄と言われて、前の区長を退けて公募と言うものの、橋下氏は、大きな改革には、外の人材がいるとして、今までの職員の区長より民間も多く、しかし不祥事で辞めた区長も少なくなく、何が問題か、大阪市は3万数千の職員機構、そこに外から入ったのは、よそ者であり、個性を発揮するのは、組織とうまく付き合わないと、みにくいアヒルの子状態ではあり、西成区長を振り返り、3年8か月はあっという間であり、振り返っても、今、本を書いており、そこに今の真田丸ではないが、呼びかけられて、橋下氏が大将であり、応えて行っており、労働運動の方の話も聞いて、みなしごハッチになった人もあり、大阪市の大組織で、ある時はけんか腰でやらないと、変わらないと臣永さん、締めくくられました。  今週の放送、毎度ですが、自由なラジオにスポンサー企業はなく、市民により支えられており、これからも、自由な言論の場のために、寄付をお願いしています。これからも、市民目線を大事に、お送りします、以上、今週の自由なラジオでした。

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