戦後の日本を形成し推進した、相互に矛盾する3つの原則

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<p><span style="font-size:larger;">原発輸出やメーカー責任を発信するNoNukesAsiaActionが主催した、ピープルズプランの武藤一羊さんの講演会が行われました。その講演概要がアップされた英語サイトの抄訳を頂きました。シェアします。(主催団体のチェさんのブログには資料があります。<a href="http://www.oklos-che.com/2013/02/blog-post_9.html">http://www.oklos-che.com/2013/02/blog-post_9.html</a>)<br /><br /> 戦後の日本を形成し推進した、相互に矛盾する3つの原則<br /> 1)「米国のヘゲモニー(支配権)」原則<br /><br /> 大日本帝国は勝利の見込みが全くない戦争を米国と始め、それにより1945年に米国に占領された。<br /> 疑いもなく、米国が日本列島を「平和にし、民主化した」のであり、それは日本国憲法からも明らかである。<br /> それ以来、米国は日本の政治決定においてたえず、しばしば支配的なまでに口出ししてきた。これは2030年までには<br /> 原発をなくすと、2012年に当時の政権が宣言しようとしたときに、米国が原発廃棄を取り消すよう介入したケースからも<br /> 明白である。<br /><br /> 2)「大日本帝国の正当性」原則<br /><br /> これには「国家のアイデンティティ」が働いている。アイデンティティーー「自分はどういうものか」ーーとは常に、<br /> その裏にある「自分はこういうものではない」ということを意味する。それゆえ、「国家のアイデンティティ」は、<br /> 他国民からの隔絶や、その排除の形へと、たやすく成り下がる。むろんそれへ健全なタイプのアイデンティティではない。<br /> それは、その性質そのものにおいて、不健全で、質の落ちた、破壊的なものである。 <br /> しかし、残念ながら、現実には、国家のアイデンティティは、非常に醜悪な顔で昔も今も、それを露わにすることが<br /> あまりにも多い。(東京の通りに見られる、安倍と石原への傾倒者たち!)<br /><br /> この「帝国主義原則」は、明らかに「米国のヘゲモニー」原則と矛盾する。<br /> それゆえ、この原則は、米国に見えないところでのみ作用する。<br /> この原則を抱く人間が自分のアイデンティティへの忠誠から率直でありたいと望むならば、<br /> その人物は「真珠湾攻撃」は「正当」であると米国に向かって宣言しなければならないだろう。<br /><br /> 日本人の中には、日本がトリックに引っかかってその襲撃を行うよう誘い込まれたと主張するものがいることを私はしっている。<br /> しかし、たとえその主張が本当であろうと、勝つ見込みもなく開戦した天皇はまったく愚かであった! <br /> 「正気」の統治体制であれば、勝見込みのない闘いを行ったりはしないだろう。<br /> (それゆえ、もしそのような主張が本当だと証明されても、私は大日本帝国を「頭のバカな帝国」と呼ばざるを得ないだろう。)<br /><br /> 私はこの「帝国主義原則」を、弱いものいじめの兄にたとえうる。彼は、例えば、その厳しい母親に面とむかって声を上げられない。<br /> 母親から叱られたときは、彼女に口答えする代わりに、母親の背後で、小さな弟や妹をいじめるのだ。<br /><br /> 3)「平和主義憲法」原則<br /><br /> これはある意味、戦後日本のあらたな国家的アイデンティティとして登場した。望みのない、自殺に等しい戦争(をしたこと)への懺悔、そして平和主義。 そこまでは大変うまくいった。<br /> しかし、現実には、この原則はしばしば、自己満足に成り下がる。<br /> 「世界の他の地域で何が起ころうとも、ここ日本が平和でありさえすれば、我々は気にしない」との。<br /><br /> このあらたなアイデンティティは、これまで、私の見方では、それを発展させていない。ーーそしてそれは1946年頃に止まった。<br /> たとえば、「この冷戦後の世界で、平和国家が何をなし得るか」は、特に1990年代に戻れば、<br /> よい議論とリサーチに十分値する質問だったが、そのような動きは決して耳にしなかった。<br /><br /> これが実際に重要な点だーーこの「さらなる発展」の無いこと(あるいはその否定?)が。<br /><br /> これらの原則の衝突:<br /> これら3つの原則が互いにどのように矛盾するかは簡単にわかる。<br /><br /> 原則1vs 原則2 ―上記したとおり。<br /> 「大日本帝国アイデンティティ」は、もし自らに正直でありたいならば。米国に対して声をあげ、「真珠湾攻撃は正しかった」との<br /> その信念を告白しなければならない。 現実には、原則2はずいぶん昔に敗北し、それゆえ今は不正直な形で、母親の見えないところでのいじめの中に存在しうるのみである。<br /><br /> 原則2vs原則3―まったくあきらか! これについて説明する必要があるのか!?<br /><br /> 原則3vs原則1―この矛盾は、冷戦、もっと早くには朝鮮戦争という枠組みの中で、<br /> 1950年頃にすでに出現した。米国は、朝鮮半島での戦争を闘うための前線に近い基地としての<br /> 日本を欲しがり、自衛隊を、当初は違う名前ながら、設立した。<br /><br /> 3つの原則の相性:<br /><br /> ―そして原則2は、おそらく冷笑的ながらも、原則1が主導する、日本のその再軍備をよろこんだ。<br /><br /> わかりますか?現実の奇妙な展開と滑稽さにおいて、しばしば、これら3つの矛盾する原則が一体化したのが!<br /><br /> それでも、戦後から今までほぼ70年の間、これらの矛盾を保ったものは何だったのか?<br /><br /> 要するに、むとうさんは、これら違いに矛盾する3つの原則が存続できるようにしたのは、<br /> 多くの日本人に政治や社会的アイデンティティなどを忘れさせ、「カネのための仕事」に集中させた、<br /> 「経済的発展への関心」であったと言う。<br /><br /> 言い換えれば、戦後日本はこれまで、まやかしに基づく国家であってきた。<br /> このまやかしの力は、日本の経済力がその活力を失った1990年代に衰退し始めた。(それ以来いままで、その力は戻っていない)。1990年代以来、「アイデンティティ2」を持つ日本人が多く出現しているのは何の不思議でもない。  (以上)訳;anatakara<br /></span></p>

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