元助修道士で首になって医者を志した。
(教会の金を勝手に慈善事業に寄付したという罪で破門)

神がいつ金をせびった!

性格は温厚。とってもいい人。
村々で病人助けてお礼に泊めてもらうというパターンで数年流れてきて、
活動拠点を得るために親父の宿に来たがそのまま冒険者になってしまったようだ。

仕事は旅医者。

hadがGMの時の設定では、
リューン名医会(医者の総合ギルド)準会員、リューン薬草委員会(薬のギルド)準会員。
宿の裏の倉庫を借りてお医者をしている。
と言う設定で登場します。

画像はお借りしたHPを見失ったため無断使用、申し訳ありません。

以下クロイツの経歴、hadがGMをやるときのクロイツの設定 の追加

デシデリウス・クロイツ

デシデリウス・クロイツは聖北歴1480年にガルテンラントのザイツブルク都市圏一寒村で生まれた、
と言われている。
彼の生年月日や生まれが正確に伝わっていないのは、彼の誕生が「神に祝福された正当な結合」によってではなく
いわゆる「悪魔の子」私生児の生まれだからであろう。
それも父方は清らかでなければならないはずの聖職者であった。
クロイツは生涯その生まれについて詳しく語ることも書き残すこともなく、
彼が自己紹介する時は、決まって生まれてすぐ預けられたという孤児院から始まるのである。

孤児院を出たクロイツはザイツブルク都市圏にいくつかある修道院の一つ、カッテ修道院に育った。
彼は12才になるまでは素直に、特にこれと言った特徴のない修道院生活を過ごした。
神聖語とガルテンラント語を修め、古代文明の哲学書に育まれた彼の精神はこのまま成長すれば
理想的な聖職者となりうる物だったであろう。
彼はその実力で司教、大司教でも、その上の枢機卿位でも狙えたかも知れない。

12歳、デシデリウス・クロイツ12歳の時、彼の生涯を定める一つの大事件に遭遇する。
ザイツブルグ近辺に重度の疫病が蔓延し、クロイツを含む修道院の若年者も罹患したのである。
隔離された棟で恐ろしい不潔と熱気の中、クロイツとその仲間達は必死に神に祈った。
その声が一人、二人消え、最後にクロイツのみ残り、彼も横たわる仲間達の居る黄泉の国へ
旅立とうとしたとき、救いの手がさしのべられた。
ドクトル・ゼーブルガーと呼ばれる旅医者がクロイツを、彼一人だけ間に合ったのだ、救った。

ドクトル・ゼーブルガーはガルテンラントの大貴族出身で、あらゆる名誉と富を約束された立場だったにもかかわらず
最も辛い旅医者に身を落としてただ人々を怪我と病から救うことだけを願う人生をおくった。
大学で内科学を身につけ、それでもまだ学び足りないと卑しい身分の外科医に弟子入りし、それも我がものにしたが
彼の欲求は満たされない。
この時代、内科は貴族的、上級的な医術として扱われ、外科は卑賤な手作業と見なされていた。
さらに特化した技術を持つ旅医者という医者集団もあったが、これらを全て兼ねる人物は
ドクトル・ゼーブルガーだけであろう。
彼には高弟が四人いて、目の大家カリウス、耳の大家ベッヘン、鼻の大家ケストナー、そして
医学史上全く名を残さなかったクロイツである。

神への祈りによってではなく、人の知識と技術に助けられたと言う経験はクロイツの考え方を一変させる。
病に倒れた仲間達も、自分と変わらず神に祈っていたはずではないか?
なぜ自分だけ救われたのだ?
修道院長などは、ゼーブルガーという医者をお前のために差し向けてくださったのが神の御慈悲だという。
人の運命を決めるのは、善き業を行うことが出来るのは全て神なのか?それとも人がその幾分かを受け持つことが
できるのだろうか?

この「病の体験」と呼ばれる苦悩の後、クロイツはドクトル・ゼーブルガーに弟子入りする。
病の苦しみから解放されると言うことはクロイツを幸福にした。
故に、他人にもこの幸福を分け与えたい。
聖書を読み、聖歌を歌い、ミサを催し、説教することが人々の心の苦しみを取り除くならば、
医術は体、神に与えられた霊を拘束する肉の器、を苦しみから救うことが出来る。

なるほど、病は神に与えられた試練という聖北教会の一つの考え方があるかも知れない。
(公共事業として神の与えたもうた試練者(病人)を救う活動もある。)
だが、肉の苦しみが霊を堕落させることがあるのではないか?

自暴自棄、不信、自殺。

健康な肉体を取り戻させる事は、善き魂を育むことにつながる。

クロイツは平然と修道士としての修業を抜け出し、新しい師であるゼーブルガーの元へ駆けてゆく。
修道士達に叱られても、私は聖書を読むことは欠かしていません、とだけ答えて気にとめもしない。

聖書を読むことは欠かさない
この言葉は当時の教会教育を知るものからすれば皮肉に感じるだろう。
聖職者が読まねばならない聖書の注釈書や解釈書があまりに多く、
聖書そのものを読む暇がない、と言うことである。

ドクトル・ゼーブルガーはこの若き弟子の育成に心血を注いだ。


「病の体験」が医者としてのクロイツを形作るための「光あれ」だとすれば、聖北歴1497年
クロイツ17才の時の経験は神学者としてのクロイツを生み出すための「光あれ」と言えよう。

その日、クロイツはカッテ修道院長マクシミリアンの命でザイツブルク市の商家へ届け物をした。
商家の主はクロイツに「個人的な」小遣いを与えようとしたが、始め彼は受け取ろうとせず、
少々しつこくすすめられたところようやく受け取った。
仕事を終えたクロイツは小遣いを自分の育った孤児院に寄付して修道院へ戻り、全ての報告をした。

クロイツに降りそそいだのは修道院長マクシミリアンの罵声である。
上昇志向の強いマクシミリアンは片田舎の修道院長で一生を終えるつもりはさらさら無く、
例えば都市の教会司教、大司教、教会領主、と高みに登ることを夢見ていた。

その為に必要な物はただ一つ、ほかほかのげんなま! 金!

彼はクロイツが受け取った「個人的な」小遣いを、修道院への寄付(つまりマクシミリアンへの寄付)と
断定し、懲罰したのである。

修道院の規則の上では、上長の許可無く私財を築き、それを私用するのは違反である。
だが怒髪天のクロイツは逆告発を始める。

彼は、この一件並みに厳密に規則を適用すれば、
修道院の人間は誰しも違反人となるだろう事を知っている。
その修道院財産の不法使用の筆頭たる修道院長が自らの行いに頬被りし、偉そうに罰を与えようとする事に
我慢がならないのだ。
僧侶としての教育と、修道院図書館の古典教養が加わったクロイツの弁舌は鋭く、
修道院中の人間を切り裂いた。
「大罪人」がどうして「罪人」を咎める事が出来ようか?

クロイツに小遣いを与えた商家の正直な証言にもかかわらず、ザイツブルク市教会はクロイツのみを断罪し、
逆告発された修道院長らは証拠不十分として不問に付された。
結果、クロイツは破門された。

この事件の不幸は、ドクトル・ゼーブルガーが往診旅行に出かけていた事も影響しているだろう。
もし彼がクロイツの側にいれば、クロイツがこのような愚挙に出ることを戒めたはずである。
しかし、若きクロイツは正しくさえいれば最後には必ず勝利できると盲信していた。

破門されたクロイツは、即座に事実、弁明、ザイツブルグ市教会すらも告発するパンフレットを作製し
主要な教会、市議会門等に貼り付けた。
パンフレットの弾劾の口調は、初めは穏やかな事実確認から始まり、すぐに突撃ラッパの見事な調子に変わる。
見て見ぬふりをされていた修道院の恥部を白日の下に晒し、売春婦すらこれを嘲笑うようになる。

青天の霹靂だ!
すでに終わった事とされていたクロイツから、突然の平手打ちをくらわされた教会、修道院は
名誉を傷つけられた怒りを爆発させる。

結果、クロイツは 最後の審判でも救済の余地がない 二重破門 に処された。

事を聞き急いで往診旅行から帰ってきたゼーブルガーは、二重破門された弟子を優しく叱る。
彼は言う、正しい事を訴える事は大切だが、どのように訴えるかがさらに大切なのだ。
この教えをクロイツは生涯忘れることは無かった。

後年のクロイツの言葉、
私の発言の十分の一ほどを言っただけで火刑に処された聖職者がどれほど多い事か。

一方でゼーブルガーはクロイツの暴走に希望を見いだしていた。
彼の高弟は皆、大成するととたんに金と名誉を追いかけ始め、患者のことを省みなくなった。
相手が教会という世界最大の組織であっても臆せず牙をむく、クロイツの蛮勇ならば、
金にも名誉にも惑わされぬ、ゼーブルガーの真の跡継ぎとなれるのではないだろうか?



そして師匠は弟子に別れを告げる。
二重破門された弟子を厄介者扱いしてではない、
弟子は自らの足で歩く時に来たからであり、すでに自らの足で歩き出していたからである。


ガルテンラント内に留まるのは危険だと判断したクロイツは、人口が多く紛れ込みやすいであろう、
南のタリアン半島へと向かう。

教会がどのような害意を抱いているやもしれぬと、山の中や裏道を抜ける長い旅路であり、
数度山賊に襲撃されるも、奪う物がないことと幸運により命は助かる。

これらの初体験に加えて、クロイツ単独での初めての患者に遭遇する。
人通りの少ない小道に珍しく、数人の従者を連れた「少々偉そうな」男がうずくまっている。
クロイツの診断では飲み慣れない水に当たったもので、胃腸薬を飲めば一日二日で良くなるだろうという。

クロイツが笑顔で治療費10000spを請求したこの人物こそ、後のローグ朝ガルテンラント宰相
ニッコロ・デステ卿である。

デステはクロイツと数日間過ごしただけで、この青年が将来並々ならぬ実力を持つであろう事を察知する。
クロイツは教会権力に正面衝突をしない手段で、教会を改善することを願っている。
彼の経験した「不当な仕打ち」への怒りが、彼を駆り立てているのだ。

デステはガルテンラントが教会によって自由気ままに搾取されていることが、国家としてこの上ない不利益に
繋がっていると判断する。

結果論的にクロイツの教会改善と、デステのガルテンラントを教会のくびきからの解放、は合致した。
デステはクロイツを暗に支援すること、つまりパトロンとなり、クロイツはデステに
教会改善を訴えるパンフレットを送信する、そう言う密約が結ばれる。

デステは非公然に、だが全面的にクロイツを援助する。
二重破門僧クロイツが無事にタリアン半島の都市、リューンにたどり着き、無事に冒険者となり、さらに医者となり、
後年ガルテンラントに大手を振って帰ってこれたのが、まさかクロイツ一人の能力による物だろうか?

デステの命令で在リューン駐在の大使シュトレーゼマンはクロイツの生活を補助する。
リューン大司教に願い出て、クロイツをいくつかのギルドに加入させる。
破門解除を願い出るための苦行として、貧民の治療を行いたい、またその資金を調達するために
冒険者として生計をたてたい。
リューン大司教はこの願いを承諾し、クロイツを医者と薬剤師と冒険者のギルドに特別登録する。
クロイツが社会的名声を得れば、それを後押しした大司教の名声も高まると当て込んでのことと、
シュトレーゼマンが手渡した8000spのげんなまの効果は抜群であった。

冒険者としてのクロイツは極めて凡庸であった、そもそも宗教家と医者に適正のある人間が
冒険者という職業に適正があるとも思えないのだが。

精神的、肉体的な機敏さ、理屈ではない本能的に危険を避ける感、財宝への情熱など
冒険者に必要なあらゆる才能が欠如している。

クロイツが医者志望の宗教家である以上、冒険者は仮の姿であり、人生の全てを注ぎ込むほど
熱狂的になれなかったことは確かだが、冒険者生活がクロイツの考え方や能力に様々な影響を
与えたことも事実である。

柔軟な思考をより柔軟にし、数人単位での集団行動を学び、生まれも育ちも違う人々と付き合うことは
視野の拡大をもたらした。

聖職者と医者に冒険者の新たなる力を加えて、クロイツは鋭意、
教会改善のためのパンフレット作製に乗り出す。

所属する冒険者の宿の物置を診療所という名の秘密の武器庫として、
聖北教会の乱脈を徹底的にこずきまわすための兵器が、シュトレーゼマンを通じて
ガルテンラントへ輸出される。
無論、匿名で。

クロイツは二重破門される原因となったような、見事だが激烈な調子のパンフレットを作製せず、
教会の愚行笑い飛ばすたぐいに仕上げる。
彼は古典的教養から、権力者を攻撃するには正面から殴りつけるより、くすくすと笑いものにする方が
はるかに効果がある。
また、そういった滑稽話は、当局が大真面目に取り締まろうとすれば、それ自身がもっと滑稽に見えるのである。

クロイツの代表作は酒乱と道化が対話篇を繰り広げる「酒乱と道化」で、祖国へ送るパンフレットは、
その最初から終わりまでこのシリーズで通されている。

酒乱
「わしは昔修道院に居たことがあった・・・」
道化
「それじゃあその頭の上には至尊の学問が輝いているんだな」
酒乱
「いんや、禿にシラミが噛みついた」

冒険者時代のクロイツは執筆活動と貧民救済による治療活動に専念する一方、
特記すべき歴史的事件は聖北暦1499年のリューン攻防戦だけしかない。

聖北歴1499年、聖北十字軍は東方異教徒を攻撃した。
タリアン半島は十字軍の後方基地として機能していたが、やがて聖北諸国の大半の軍が
聖地へ出立し、いくらかの予備部隊が残るだけとなった。

リューン市に結集した十字軍予備部隊を殲滅すれば、タリアン半島に組織的な大兵力は存在しない。
まさにそのタイミングを狙って、魔物の大軍がリューンを攻撃したのである。

リューン防衛には騎士団と傭兵、加えて冒険者を編成した大軍であたり、兵力では魔物軍が勝るが
よもや負けるはずがない、そう思われていた。

しかしカウニッツの大会戦にて、リューン防衛軍は大敗する。
あとわずかというところで全軍が包囲殲滅される寸前までいった、大敗北である。

騎士の多くは戦死し、傭兵はその大半が逃亡した。
防衛軍はかろうじてリューン市へ退却し、援軍頼みの籠城戦を繰り広げることとなる。

クロイツは依頼で出かけており、カウニッツの大会戦とほぼ同時にリューンへ戻っている。
帰還したクロイツを出迎えたのは彼のパトロン、デステとその主、グスタフ・ローグであった。

グスタフ・ローグ
ガルテンラントの地方領主の私生児に生まれにもかかわらず、分裂状態のガルテンラントを統一、
中央集権化を成し遂げた名君。
リューン防衛戦時にはすでに勢力を拡大しており、この後数年でガルテンラント王となる。

先の大会戦で防衛軍が完全敗北を免れたのは、ローグが命令違反を犯しながらも、魔物軍の攻撃を
遮ったからである。
十字軍の中でローグの立場はかなり微妙な物である、彼は騎士団に所属していない事と私生児の生まれである事が、
彼の実力に不相応な低い地位に彼を留めていたのである。
その男に全滅から救われたとなれば、騎士団は面白いはずがない、
さらには、ローグの率いた軍の主力は冒険者達であった。

デステの紹介でクロイツとローグは握手する。
リューン防衛の秘策を実行するためには、現実感覚を欠いた騎士団から自由行動権を奪わなければならない。
(党派争いと戦争をこよなく嫌うクロイツだが、危急存亡の秋としてローグ側に荷担している)

まず、リューンを包囲する数万の魔物軍を支えるには、兵力が足りない。
デステは祖国で民を徴兵して市民軍を編成している経験から、リューン市民の徴兵を試みる。

しかし、リューンのような交易の活発な都市は、市民を徴兵するよりも戦争を傭兵に任せて、市民は商業活動に
専念した方が効率がよいと言う考え方が支配的であるから、デステの徴兵ははかどらない。

デステの徴兵を助けるために書かれたのが不朽の名作、「市民よ、武器を取れ!」のパンフレットである。
リューン市民として同胞に訴える形で、騎士団の敗北とリューン陥落がこのままでは確実である事を告げ、
手をこまねいて後が無くなる前に市民が武装して戦列に加わろうと続き、最後に

勇気が、さらに勇気が、常に勇気が必要である!

と言う言葉でしめられている。

パンフレットの効果は抜群であった。
独身男性で市民軍に志願しない者はなく、妻は夫や成人の子を送り出さない者はいないともいわれた。
武器屋は武器を、防具屋は防具をタダで供出し、武装が整った市民軍数千人が編成された。


結果から述べると、リューンは陥落を免れる。
ローグ率いる市民、冒険者混合軍は二度にわたって魔物軍を敗走させ、大いにその名声を高めた。
なお、騎士団はしつこく敗北していた。

このように、クロイツの得意な戦法は私語することにある。
公式に発言したり、発表したり、論陣を張るのではなくて、パンフレットや潜伏活動を通じて
世論を動かすやり方である。
そんな彼の生涯でただの二度だけ、公衆を前にして論戦を交わしたことがある。

リューン防衛戦終了後、敗北によってその威信を激しく傷つけられた騎士団は、最大の功労者である
ローグを反逆罪に問うことで、手にする権利を持たない名誉を取り戻そうとする。

カウニッツ大会戦における命令違反、食料物資を隠匿し、故意に民衆を苦しめ、
騎士団と敵対させる事による騒乱罪、総じて騎士団長への不服従等の罪状で、
リューン市民集会の場においてローグを起訴する。

リューン市民は恐るべき忘恩を見せる、騎士団長の言に従い、ローグを反逆者として断罪せんとする。
だがこの忘恩は、あまりにも成功しすぎたローグが、その勢力を持ってリューン市の主権を
請求するのではないかという、恐怖に煽られた部分を理解しなければならない。

ローグとその臣下は、君主制の人間であると言うことと、単に性格の不向きから、
大衆を演説で説得するという行為を苦手とする。

彼らに代わって騎士団長への答弁を担当したのがクロイツである。
先に述べたクロイツの人生で、二度だけ公衆の前で論戦を交わした一回目が、この時なのである。

クロイツの演説

皆さんこんにちは、クロイツと申します。
(市民からヤジが飛ぶ)
これからローグ氏の弁明を述べます、が、その前に騎士団万歳をしましょう。
リューン市は騎士団の力によって守られたからです。

騎士団万歳! リューンを護りし騎士団万歳!
(しばらく市民も騎士団万歳を叫ぶ)

リューンを護りし騎士団長殿は言います、ローグ氏は罪を犯したと
多くの食料を確保して、全て市民に与えた彼を

それが裏切りか? それが裏切りか?
それを裏切りと言うのか?
(市民達は沈黙してしまう)

さあ、市民諸君! 勝利をたたえましょう
騎士団万歳! リューンを護りし騎士団万歳!
(再び市民も騎士団万歳を叫ぶ)

リューンを護りし騎士団長殿は言います、ローグ氏は罪を犯したと
我らと共に飢えに耐え、絶望するものを励ました彼を

それが裏切りか? それが裏切りか?
それを裏切りと言うのか?

ローグ氏が裏切り?
どれほど苦しんでも逃げ出しはしなかった
(ローグのサクラ ローグ氏は裏切らなかった と叫ぶ)

ローグ氏が裏切り?
あれほど苦しんでも見捨てはしなかった
(ローグのサクラ ローグ氏は見捨てなかった と叫ぶ)

共に戦い、共に苦しんだ、どうして忘れられるか?
ローグ氏よ、そのあなたを裏切るか?
(市民 裏切らないぞ と叫ぶ)


ここに諸君に向かってローグ氏が書いた手紙がある
いやぁ、騎士団の言葉を信じた諸君だ、読み上げるのは差し控えよう。
(市民 聞かせてくれ と叫ぶ)

ローグ氏がどれほど諸君を、大切にしたか、それは知らない方が良いでしょう。
知ればその負債の大きさに恐れをなすでしょうから。
(市民 ローグ氏がどれほどのことをしてくれたのか教えて欲しい と叫ぶ)

では読もう!ローグ氏よ!あなたがどれほど我々のために力を尽くしたか!
(市民 おしえてくれ! と叫ぶ)

2万人の人間を10日以上養えるだけの食料
リューン市を防衛するために必要と判断した建築物の買い取り
市民軍の武装費

金額にして150万sp以上!
(市民 返済を考えて絶望の叫びを上げる)

しかしローグ氏はリューン市民に全てを贈ると!
(市民 返済を求められないと知り喝采する)

全てのリューン市民に、ローグ氏は食料を与た
全てのリューン市民を、ローグ氏は友人と思った

ローグ氏は、リューンの友だ
我々は、ローグ氏の友だ

友をおとしめたのは?
(市民 騎士団だ! と叫ぶ)



クロイツはこの演説で、ローグをリューンの友と呼んでいる。
もしもこの部分が、デステが密かに望んだように「父」であったならば、
リューン市の主権はローグに譲り渡されていたかも知れないのである。

クロイツはローグの危機を救うと共に、リューンの自由をも守ったのである。


このように、破門された冒険者から急速に歴史の登場人物としての上昇を見せたクロイツだが、
当人はどのような思いを抱いて生活していたのだろうか?

その一つの資料として、クロイツがパトロンのデステに宛てた手紙を読む限り、歴史の登場人物としての
自覚は「いまだに」見られないと言って良い。
デステを通じて故国や聖北教会上層部の動きをそれなりにつかんでいたにもかかわらず、聖北歴1510年、
30歳近くまでのんきな作文を書き散らしていたからである。

聖北歴1510年、神学博士マルティーンは「100ヶ条の質問状」を出版し、世に言う宗教革命が
始まる年であり、クロイツももはやのんきな冒険者ごっこなどしていられなくなるのだ。

ドクトル・マルティーンは聖北教会の腐敗を徹底的に攻撃し、特に免罪符を多用した不正蓄財、
聖職とそれに付属する収入の売買をやり玉に挙げていた。

これはクロイツが10年も前からパンフレットを用いて、こってりと馬鹿にしてきた教会の愚行である。

本来ならばクロイツとこの神学博士は共同戦線を張れる関係にある、はずであった。
二人が後に歴史的対立関係と呼ばれるほどに険悪な関係になるのは、性格の不一致という
極めて個人的な、それゆえに根深い敵意を抱きあっていたからである。

ここでクロイツの思想を整理しておこう。
まず教会との確執から、教会の腐敗、拝金主義を改善しなければならないと思い立つ。
冒険者業を隠れ蓑にしつつ、教会の腐敗を子細に観察すると、教会が金を求める理由は
世俗権力の拡大(防衛目的にせよ、攻撃目的にせよ)がある事を看破する。
法王領と各地にある教会領主、さらに修道院領地などを護り、あるいは広げるために世俗権力が必要で、
その世俗権力を得るためには金がたんまりといる、その金を手に入れるためには世俗権力が・・・
こうして教会の強欲は無限に積み重なる。
権力と金を効率よく世俗君主から吐き出させる簡単な方法は、戦争を煽ることである。
ある王の元で大司教が「我々には聖北の主がついている」と叫べば、別の王の腹心たる枢機卿が
「法王猊下はこの戦を聖戦と見なしております」と豪語する。

教会の拝金主義は、原始聖北時代の清貧をある程度取り戻し、外見の信仰から内心の信仰を
重要視させねば解決できないであろう。
世俗君主がその欲を刺激されて戦争に突き進むのであれば、そのようなことは恥ずべき事だと
「教育」しなければならないだろう。
国家、党派はそれ自身のためだけに行動するのではなく、聖北教界全体のために行動する事を名誉とするべきである、
すなわち兄弟達の間で殺し合いをする、戦争を止めるべきだ。
クロイツの思想はこの時代の宗教思想家で流行した、その行為が主なる神となんの関係があるのか?
と言う問いかけをより具体的に、生き生きとさせたものである。

聖職者はより聖職者らしくすること、クロイツと同時代のある学者の言葉である。

ドクトル・マルティーンは青年の頃、雷に打たれそうになり、死への恐怖から助かるのならば僧職の道を進むと
神に誓いを立てた。
誓いの通り聖職者になった彼は、人はどうすれば救われるのかという神学的疑問に突き当たり、
これを解決できず非情な苦しみに包まれる。
ある日突然、疑問は氷解した、彼自身は救世主の与えたもうた天啓と語る。
人は生まれつき罪を背をっている、人はいかにあがいても「善く」生きることは出来ない、
ただ主なる神にすがることによって人は救われる。

彼はその良心にそって行動する。
クロイツと同じく聖北教会の腐敗を解決したいと望むが、クロイツのように「意図的に遠回りな」
やりかたを選べるほど器用ではなく、その性格は素直で性急であった。

若き日のクロイツをそのまま成長させたような爆発的攻撃、天啓を信じることから自らへの絶対的自信、
反対者を異端者と断じる底知れぬ憎悪、これらのカクテルがすなわちドクトル・マルティーンなのである。

クロイツは改革を望みマルティーンは革命を起こす、クロイツは融和を願いマルティーンは全てを拒絶する、
クロイツは穏やかに語りマルティーンは怒号せずにいられない、クロイツの視野は浅く広くマルティーンの
それは深く狭く、クロイツは私語で語りマルティーンは公然とがなり立てる。

二人が真っ当な決闘をした場合、最終的勝者はマルティーンであろう、民衆は、とくに若者はクロイツ的な
生ぬるい妥協主義よりも、マルティーンの火を噴く演説に引き寄せられるからである。
誰が、国家や民族や徒党やクラスメートの勝利を煽り立てるよりも、世界平和を心から望むだろうか?
対立!闘争!気炎!殉教!聖戦! 勇ましいこれらの言葉に比べたら、平和、寛容、信仰、節制、友愛
等の口当たりだけがよい言葉がなんと虚しく感じるか。

だが、純粋に演説の技術と言う視点で二人を比べると、実は互角の力を持っていると言えよう。
マルティーンの演説において、下品な下層民の言葉と罵声の奔流は、非インテリの民衆の心に
直に語りかけるし、同じ事を繰り返し吹き込むのも演説の成功に重要な点である。
真の信仰者としての自信が彼を輝かせ、実際以上に神々しく見せる事も忘れてはいけない。

クロイツは静に語るのを好むが、ただ一言、一フレーズで全てを現す事が演説でもパンフレットでも
梃子の支点になることを知っている。
いささかクロイツらしくないパンフレットだが、先に挙げた

市民よ、武器を取れ!

勇気が、さらに勇気が、常に勇気が必要である!

この二つの言葉が彼の才を証明している。
また、彼のパンフレットがそうであるように、論戦を行う相手が荒れ狂えば荒れ狂うほど
彼は冷静になり、不思議な存在感を示す。
面罵の嵐を浴びても、クロイツは激昂することはないし、声を荒らげる事もない。
聴衆はクロイツの相手に滑稽さと哀れさを感じ、結局笑いものになるのである。



全力で妄想した結果、逃亡してきた二重破門者、熱血医者、後の国王の友人という
大変香ばしい人物に仕上がったクロイツ。
これからも加筆修正の予定。
最終更新:2010年10月15日 17:53