世界が見えた世界・3話 A


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 目が覚めたのは昼過ぎだった。
 昨晩のユリアさんとの会話を思い出し、なんとなく気恥ずかしさから顔を合わせ辛かったんだけど、
「ユリアさんとレンさんなら、今日も学校に行ってるよ」
「何でまた?」
「……わかんない。ナイショだって」
 肩を落とす美優。うなだれる様が子犬みたいっていうのは本人に黙っておこう。
 頭をなでてやると、ちょっとむっとしたような、それでも嬉しそうな顔になる。
「……お兄ちゃん、ワタシ、子供じゃない……」
「んなことわかってるって」
「…………、…………。ん」
 ああもう、かわいいなこやつめ。
 なでなでなでなで。
 なでなでなでなでなでなでなでなで。
 なでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなで。
 なでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなで。
 なでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなでなで。
「お、お兄ちゃん? いつまでこうしてるのかな?」
「ああ、ごめんごめん。なんか楽しくなってきてつい」
「べ、別にワタシはいいんだけどっ。お、お兄ちゃん、ご飯まだでしょっ」
「今起きたばかりだからな。何かあるのか?」
 自分で言うのもなんだけど、おきたのがこんな時間だし正直ちょっと諦めていた。
「うん! 焼き飯、ワタシが作ったのがあるよ!」
「あっはっはー。そうか、美優が作ったのか。がんばったな、美優」
「……えへへ」
 ぐしぐしと頭をなでてやると嬉しそうに頬を染める美優。
 そんな美優を見て、
「じゃあ俺外で食ってくるわ」
「えええぇぇぇぇぇぇっ!?!?」
 美優、愕然。
 せっかく作ってくれた美優には悪いと思うが、俺だって命は惜しい。
「ま、待ってお兄ちゃん! だいじょうぶだから! 今回はだいじょうぶだから!!」
「いやだって、前に弁当作ってくれたときも同じこと言ってただろ!」
 あの時の恐怖は記憶に新しい。なんていうかこう、ね。弁当を開いた瞬間背筋を走り抜けた戦慄は洒落になっていなかった。
 惨劇に挑めといわれた気分だった。
 ひとくち口に含んだと思ったら脳みそが破裂するかと思ったんだぞ、比喩でもなんでもなく。何で口の中で増えるわかめみたいに爆発的に体積を増やすんだよ、ピーマンが。
「うぅー! こ、今回は本当にだいじょうぶだから! レンさんに教えてもらって、味見もしてもらってるから!!」
「あ、そうなのか? じゃあ、食べてみようかな」
 どうやら今回は以前のような惨事にはならないで済むらしい。
 それにしても、今の言い回しだと前のときは味見をしていないみたいに聞こえるんだが……してないんだろうなぁ。
 料理って、やらない人間には当然のことが理解できてないときがあるからなぁ。味見の概念とか、傷みやすい食材とか、火の通りにくいものとか。
「それじゃあ、用意してくるから、ちょっと待っててね」
「わかったから、慌てんなよー」
 とてとてと台所へ向かう美優。こういう姿を見ていると、ほんとに犬っぽい。ちなみに美羽は猫だ。
 それにしても、今日は何をしようか……この時間に学校に行っても入れないだろうしなぁ。
 久しぶりに、ランニングにでも行こうかな。
「……お兄ちゃん、できたよ」
「ああ、サンキュー。へえ、確かにうまそうだな」
 見た目はオーソドックスな焼き飯だった。見た目のインパクトは皆無といってもいいだろう。
 誰も虹色の焼き飯なんて食べたくない。
「えへへ……レンさんもほめてくれたんだよ。食べてみて」
「それじゃあ……いただきまーす」
 スプーンを手に取り、ライスの山へ突き刺す。
「……あ、それと」
 こんもりと乗っかったライスを運び、
「味が落ちてるかもって思って、ちょっと隠し味を入れてみたの」
 美優が告げたときには手遅れだった。
 かちゃーん、と音を立ててスプーンが手からこぼれ落ちる。
 しかしそのときには焼き飯はすでに俺の口の中へダイブを終え、舌の上で狂ったような死霊の盆踊り。飲み込むことはかなわず、吐き出す力すら出ない。
 それどころか、その威力は人体の機能にまで影響し始めた! なんか呼吸ができない。のどが痙攣している!?
 どこからかカチカチという音が聞こえてくる。ああ、そういえばスプーンをくわえっぱなしだった……、どうやら、あごが痙攣してスプーンをカチカチ噛んでいるらしい。
 ちょ、これ、ヤバ……。
「お、お兄ちゃん、だいじょうぶ!?」
 美優が心配してくれているが、それに答える余裕がない。ていうか、何入れたお前――!?
 あ、なんかもうだめ。
 目の前に白い粒が浮いてきてどんどん視界が白に染まっていく。
 あー、これは……。もうだめだ、そう思ったとき。

   ごくん、と。

 自分でも知らないうちにのどが動いて、舌の上で荒れ狂う死霊たちを踊り食いしていた。
 瞬間。
「――――美優」
「う、うん……」
「お前、しばらく料理禁止」
「お、おにいちゃああああん!?」
 意識が限界を向かえ、俺は三途のほとりへと旅立った。




 ほんきでしんだとおもった。
 いまだにおもいだすだけでぜんしんにいやなあせがながれる。
「まだ舌がぴりぴりしてるぞ……」
 あのあと、1時間ばかり気絶した俺は、目が覚めると泣きじゃくる美優にこれでもかというくらいに謝られた。
 なんか昨日から謝られたり気絶してばかりだ俺。
 とにかく、何か口直しがしたかった俺は適当にバーガーを買ってきたのだが、これが自分のダメージの確認にしかなっていないのだから悲しいことこの上ない。
 わざわざ河川敷までやってきたのだが、心は寒々しい。
「なんであいつは向上心と努力が結果に結びつかないんだ……」
 コーラを飲み下す。味がわからない。
 ため息が漏れる。舌に感覚を取り戻すために買ったっていうのに、まったく効果がないか……。
「あ、あの~……」
「え?」
 さてこれからどうするか、と途方にくれていたところに声がかかった。
 聞いたことのないような……聞き覚えのある――懐かしいような、声。
「いやぁ、そのなんていうか、遠くから見てたらみょーに落ち込んでるように見えたんだけどね? いやいや、別に『あ、これひょっとして話しかけるチャンス!?』とかそういう不純な動機じゃなくてね、ほんとに心配したんだってば!!」
「ええと……」
 すごいテンションだった。少し離れたところに立っているのに、目の前に立っているみたいな迫力がある。
 その姿は学校で見覚えがあった。外にはねたセミロングの髪に、口から覗く八重歯。なによりも、全身からあふれる元気エネルギー。
 クラスは違うけれど、確かに記憶の中に――うん?
 記憶にはあるけど……なんか、違和感が。なんだろう。見たことがある、とかじゃなくて、もっとこの娘のことをよく知っているような……。
「えっと、その、だいじょうぶ?」
「あ、ああ。だいじょうぶ。べつにそんな深刻に悩んでいたわけじゃないから」
「そうなんだ。あの……横、座っていい?」
 彼女はおずおずと俺の座るベンチを指し示す。
「ああ。ぜんぜん問題ないよ。ほら、どうぞ」
 おいてあった紙くずやら何やらをまとめる。彼女はぎこちない様子で……というか、ガチガチの動作で横に腰を下ろした。まだASIMOとかの方が滑らかな動きができそうだった。
「……………………」
「……………………」
 会話が。
 会話が始まらない! 続かない以前の問題だ!
「……………………」
「……………………。あ、あのっ!!」
「は、はい!?」
「ひ、大翔君は今日はなんでここにいたのかなっ!」
 彼女は顔を真っ赤にして、必死な様子で訊ねてきた。
「それは、ちょっと家が居心地が悪くて…………え? 『大翔君』?」
「う……うん。あ、その……だめ。かな……」
 一気に元気オーラがしぼんでいく。
 げっ! ヤバイ泣きそうだ。
「いやいや、だめって事はないから、全然おっけーだか……ら?」
 ん? 何となく違和感を感じた。
 俺はこの娘と話したことはない……と、思う。思うのだけれど、何故か他人行儀な態度に疑問を覚えたのだ。
 こうじゃない、こんなんじゃないって、頭の中で何かが騒ぎ立てている。
「んー……ちょっと待ってくれ。だめじゃないんだが、なんかこう、記憶が」
「陽菜のこと思い出したの!?」
 女の子が顔を輝かせて身を乗り出してくる。近い、近いって。
「いや、ちょっと待って! 思い出す。思い出すから」
「あう……」
 しゅーんとしぼんでまた涙を浮かべる女の子。あ、ちょっとだからそれまずいってば。
 日曜の河川敷には人が多い。遊歩道やちょっとした公園、コートなどがので人の流れが絶えないのだ。そんなわけで周りでは『ママー、あのお兄ちゃん、お姉ちゃんを泣かせてるー』だの『あらやだ、痴話げんかかしら』だの『きっと男のほうが責任を放り投げてるのよ』など、俺の悪評が物凄い勢いで生成されていく。
 悪意なき好奇心って時に人を深く傷つけると思うんだっ!
 とにかく、今はこの娘のことを思い出すことだけを考えよう。
 もう一度彼女のことをよく見てみる。やはり、学校で何度か見たことがある以上の記憶が無い。けど、なぜか彼女を知っているような気がする。
 なぜだろう。可能性は……今の学園より、以前の記憶?
「あのう……もう自己紹介しちゃおうか……アハハハ」
「ちょっと待って! なんか思い出せそうだから!!」
 ていうか、そんなうつろな瞳で乾いた笑顔とか浮かべられたら自力で思い出さないと申し訳なさ爆発だ。
 そういえば、さっき『ヒナ』って言ったよな……なんだろう、妙に耳になれた響きというか……。
「うう……ヒロ君……」
 かちり。
 『ヒロ君』という言葉が、記憶の歯車と噛みあった。
 頭の中のの霧があっという間に吹き払われ、水が湧き出すように次々と記憶が浮かんできた。
「沢井! 沢井陽菜!!」
「あっ……! うん! そうだよ! 陽菜だよ!!」
 そうだ、思い出した。
 沢井陽菜。中学校が別になったせいで疎遠になっていたが、俺の幼馴染だ!
 ――うちの隣に住んでいる。
 中学別だからって忘れていいレベルじゃねぇだろ俺……っ!!
「はあああぁぁぁぁぁ……」
「ひ、大翔くーん? どうしちゃったのかな!? 陽菜の名前を思い出したとたんため息なんかついちゃって」
「いや、なんつーか、自分の記憶力とかその他もろもろに呆れてた……」
「だいじょうぶだよっ! 陽菜は思い出してもらえたからぜんぜんおっけー!」
「そういうわけにもいかんだろ……よりにもよって隣の家の幼馴染を忘れるとか……」
 これはかなりショックだ……。
 人の名前を覚えるのが苦手だとか言う人はいるだろうが、よりにもよって隣に住んでいる幼馴染を完全忘却できる人間は明らかに少数派だろう。しかも当時一番の友人だったんだぞ、沢井は。
「いいんだって! それに忘れてたのは仕方ないから……」
「え?」
 沢井が何か言ったような気がしたけど、声が小さくてよく聞こえなかった。
「それで、大翔君! 今日はなんでこんなところで黄昏てたの?」
「ああ、それなんだけど、実は……」
 沢井にあらかたの事情を説明する。
「ふーん、美優ちゃん相変わらず料理苦手なんだ。あはは、昔からその辺のことは変わんないんだね」
「努力はしてるのになぁ。一瞬で食物を劇物に変えるのはある意味才能だろ」
「そんなこと言ったら美優ちゃんがかわいそうだってば」
 俺の口の中が大分落ち着いてからは、河川敷沿いの遊歩道を二人でぶらぶら歩きながら中学校時代のことから最近のことまで、お互いに思いつく話を語っていた。
 沢井が隣なのに中学が別々になったのは、彼女が私立の中学に行ったせいだった。お隣で幼馴染なんだからそのくらい聞いていてもよさそうなんだけど、やっぱり俺の脳内には記憶が無かった。ほとほと自分の記憶力の悪さには呆れてしまう。
 それでも、話しているうちに昔のことをちらほらと思い出してきた。例えば……
「あ、そういえば大翔君は――」
 この呼び方。昔はもっと違う呼び方だった。
 俺がさっき沢井を思い出すきっかけになった、『ヒロ君』。
 ……一度使ったきり使わないのは、やっぱり今の歳になってその呼び方は恥ずかしいって事なんだろうか。自分勝手な感想を言えば、少し寂しかったり。
「……なあ、沢井?」
「おう! なんだい大翔君!」
「なんかさっきは『ヒロ君』って言って、今は『大翔君』になってるけど、なんか理由あるのか?」
 ぴきーん。
 あ、人間ってこんなに綺麗に固まれるもんなんだ。すごいな。オブジェって言われても納得するわこれ。
「う、ううううあああああああ」
「え、俺なんか悪いこと言ったか?」
 油の切れたブリキ人形みたいにカクカク動き出す沢井。どうしよう。何か触れたらまずいことだったのかもしれない。
 昨日から迂闊な行動が多すぎるぞ俺。
「えっと、なんか悪いこと聞いちまったかな」
「え、あ、いやいや! ぜんっぜんそんなことないよ! 覚えててくれたんだ、その呼び方……」
「覚えてたって言うか、思い出すきっかけになったって言った方が正しいかも知れないけど」
「え? きっかけ?」
「って、気付いてなかったのか。いや、さっき沢井のこと思い出そうとしてたとき俺のこと呼んだんだよ。『ヒロ君』って」
「えぇ~っ! 嘘だあ! 陽菜そんなこと言ってないってば!!」
「言ったから思い出せたんだって」
「そうなんだ……」
 沢井は喜びをかみ締めるような顔をする。
「それじゃあ、陽菜は大翔君のことを『ヒロ君』って呼ぶから、ヒロ君は陽菜のことも昔の呼び方で呼んで」
「…………え」
「って、やっぱり覚えてないかぁ……さっきまで話てて気付くけどさぁ」
「いやほんと、なんか俺の俺に対する株も急暴落中なんだ……」
 自分が心底情けなくなってきたぞ……。
 俺が沢井のことを昔どう呼んでいたかといえば……なんでこう、昔の記憶はいちいち霞みがかってるんだ。みんなよく昔のことなんて覚えてられるな。
 みんながすごいのか俺がダメダメなのか。いや、わかってる。間違いなく後者だよね。
「えーっと、ちょっとまってくれ」
「はいはい、待ちますよー。ここまで随分待ったっていうか追いかけたって言うか、そんな感じだからねっ」
 何か不穏当な言葉が聞こえた気もしないが、これはもう意地でも思い出さないと俺の気がすまない。
 沢井、陽菜。家が隣ということで仲良くなって、昔は美羽と3人でよく遊んでいた。美優が来た頃も、一緒だった。それは確かだ。でも、思い出せるのはそういうイメージだけで具体的な内容がぼやけている。
 美羽と美優は沢井のことを陽菜さんと呼んでいた。そして俺は、あの頃は――。
「陽菜……そうだ、普通に陽菜って呼んでた」
「せいっかーいっ! でゃー! そうだよ、ヒロ君は陽菜を陽菜って呼んでくれてたんだよっ」
 沢井は……陽菜は俺が思い出せたことを喜んでくれた。俺もうれしいことはうれしいのだが。
「なんつーか……一度病院に行ったほうがいいかも知れんな……」
 記憶障害でもあるのかと自分でも疑ってしまう。何しろ、俺が思い出したのは結局それだけだったから。
 あの頃、みんなで何をしたとか、どこで遊んだとか、そういう具体的な記憶がこれっぽっちも思い出せない。陽菜に関する記憶に穴が開いているというか、フィルタがかかっているような。
「いやー! 今日はいい日だよ!」
「大げさだな、陽菜は」
 その喜びように苦笑する。
 まあ、今はこんなふうに笑ってくれているからよしとするか。
「ううん、大げさなんかじゃない! だって、ようやくヒロ君が大丈夫になったんだもんね!!」
「は?」
 陽菜が何を言っているのか、よくわからない。
「いやいや、気にしないでよろしいのですよっ! とにかく、今日はいい日だってこと!!」
「まあ、いい日だってのには意見はしないけどな」
 昔の友人のことを思い出したんだから、悪い日であるわけがない。
 そうして、本当に久しぶりに、幼馴染と肩を並べて家路に着いた。
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