まとめ2


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 美優ルート

「ちょっとついて来てもらっても、いいか?」
「………………」
美優は明らかに嫌そうな表情をしたが、ノア先生の「行ってやれ」という鶴の一声で渋々頷いた。
「……こっち」
俺は美優に後ろについてくるように促し、ある所に向かった。
そこは、俺にとって一番大事な場所、かけがえのない場所。
――皆が住んでいた、家。
「……表札が、違うな」
家のデザインは同じなのに……。
やはり、こういうズレは出てくるもんなんだな。
「ここに、姉さんもいたんですか」
「…………え?」
美優から話しかけてきてくれたことに少し驚きながら振り向くと、美優は「はあ」と溜息をついて塀にもたれかけていた。
「ノア様から話は聴きました。……あなたと私と姉さんが兄妹だったことや、あなたが別の世界から来たこと全てを」
「あなたはいい。もし元の世界に戻れたら自分にはまだ家族がいるんですから。……でも、私にはもういない」
唇を噛みしめて毒づく美優に、俺はあの時の言葉を問い質すべく言った。
「俺のせいって、どういうことなんだ……?」
「…………あの戦闘の時、透視能力を持つ敵にあなたの存在がばれてしまい、普段は放置される地下への入り口に敵が殺到した。姉さんは必死に地下への入り口を守ろうとしましたが、そのまま数に押されて……それまでです」
「…………………」
「会って間もない人間を、自分の命を犠牲にしてまで救う価値がどこにあるのでしょうか。
 人間なんてまだ腐るほどいるのに、自分が死んだら守れるものも守れなくなるのに」
――人間なんかの為に。
「…………ごめん」
俺には、そんな気の利かない台詞しか、言うことができない。
そんな自分を吐き気がするほど嫌悪した。
「謝ってもらう必要なんてありません……これはただの愚痴なんですから。本当は理解しています、姉さんが死んだのは姉さん自身のの責任です」
……だけれど、美羽が死んだ時の怒りと悲しみを、どこにぶつければいいのかわからなかったのだろう。
「戦いの中で死んだのだから、仕方のないこと……なんですよ……」
美優の目からは、言葉と裏腹にぼろぼろと涙が零れていく。
「……なあ、美優は覚悟を決めているのか? ノア先生が言っていた通り、戦力差は絶望的なのに。それでも戦うことに恐れはないのか?」
「私は、ノア様の命に従って戦い、死ぬだけです。……とでも言えば、いいんですか?」
「え?」
……違うのか?
俺は、この世界の美優は忠義に厚い存在なのだなと考えていたのだけれど。
「私だって、出来るのならば戦いたくなんてない……傷ついたりなんかしたくない……!
 何回も死にそうになって、無様に生き残ってきた。そんな辛い生き方でも、それでも姉さんがいれば……私は良かったのに……!」
段々と建前は本音に移り変わっていく。
「美優……」
泣き叫ぶ姿が元いた世界の美優と重なり、俺はそんな姿を見ていられずに細い体を抱き寄せた。
「……あ……」
「俺には、戦う力はない……。だから美羽だって死んでしまったし、美優も守れないかもしれない。
 ……だけれど、美優が傷ついたら俺が治してやる。力を限界まで使って、死にそうになっても絶対に治してやるから。だから――」
「…………わたしは」

「――――――!!」

……ん?
今、何か聞こえたか?
「ノア様!?」
美優が俺の体を突き飛ばして、一目散にノア先生のいた方向に駆けだしていく。
「お、おい! どうしたんだよ!?」
つかあいつ足速っ!
やっぱり吸血鬼と人間では身体的能力に差があるということを身を持って思い知らされる。

「……はあっ……はあ……!」
息を切らしながら追い付けば、美優は目を限界まで見開いて立ち尽くしている。
「どうした……!?」
息を整えて顔をあげ、美優の視線を追って。


――そこで、ノア先生が殺されていた。


殺されていた。とすぐに言えたのは、ノア先生の体を、見たこともない少女の腕が貫通していたからだ。
「貴様ああああああぁぁぁぁっ!」
美優が、右手に赤い光を灯しながら少女に襲いかかる。
だが美優の攻撃は、片手で流れるようにいなされ、そしてその勢いのまま反対側に投げ飛ばされる。
……いや、投げ飛ばすというには生温い。美優の体は住宅街の道を100m程ぶっ飛んでようやく止まった。
「……っぐ……!」
腕を貫かれたノア先生が、呻き声を漏らしながら身をよじる。
「っ……の、ノア先生っ!!」
そこで、ようやく呆然としていた状況から目を覚ますことができた。
そうだ、吸血鬼は夜の間は死なないって言ってたじゃないか! 俺がすぐに傷を治せば……!
「……哀れなる吸血鬼の王よ」
そうやって動き出そうとしたところで、少女が初めて口を開いた。
「その甘美なる魂の絶望を我に差し出すが良い」
「っぐ……! が……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
少女はただ呟いただけで、ノア先生をめがけて光の柱が天から降り注ぐ!
「ノアせんせええええええええええええええっ!!」
そして、全てが光に包まれて――。

――光の中から現れたのは、少女一人。

「ノア、せんせ、い……?」
……なんで、いないんだ?
なんで、なんでなんでなんでなんでなんで……!
俺はまだ、ここにきて二日しか経ってないのに、なんで二人も俺の周りから消えてしまうんだっ!!

「泣くでない」
「っ!!」
少女が、目の前にいた。
「……!?」
いや、少女ではない。
俺は、こいつを、知っている。
……こいつは、姫だ。
「ユリア、姫……!?」
「ほう、やはり我を知っていたか。やはりただの人間ではないようだな」
顔を隠していた髪をかきあげて顔を晒せば、その姿はある日俺の家に突然やってきた異世界の姫そのままだった。
「……っ!」
何だ……!?
何故だか姫の顔を見ていると、後頭部に頭痛が走る。
心の底に閉じ込めたどす黒い物がせり上がってくるような気持ち悪さを感じる……!
「だが、我は姫ではない」
姫……いや、ユリアは、俺のいた世界とはまるで違う口調で話し出す。
「我は王、魔族を統べる魔王ユリアだ」
「魔王……!?」
何で、魔族の親玉がこんな前線に……!
「ん? 我がここにいるのがそれ程までに不思議か。……我は戦場の空気が好きでな、こうして普段から最前線で指揮をとっておるのだ」
「……っ」
ノア先生が言いかけたのは、このことだったのか……!
「だが、ここまで前に来るのは初めてだ」
「……ノア先生を殺す為に来たってのか?」
「そんなつまらぬことの為だけにこんな所までは来ぬよ」
ユリアは笑いながらそう言って、右腕を俺の方に差し出してくる。
「私は、お前を連れにきたのだ」
「……え?」
何故、俺を連れて行こうとする?
「我はお前に興味がある」
「興味って……」
「話を聴くなっ! 魔王に惑わされる!」
俺とユリアの会話を中断し、再び美優が――今度は背後から――襲いかかる。
が、ユリアは後ろの美優を見ないままに首を掴み、その動きを容易く止めてしまった。
「ぐぅ……!」
「うるさい蠅だな」
ユリアが、首をねじ切らんがごとく力をこめていく!
「美、美優を離せ!」
必死にそう叫ぶと、ユリアはいいことを思いついたといいたげに口の端を歪め、何もない空間から無骨なナイフを取り出した。
「人間、お前がこの哀れな吸血鬼を刺せ」
「…………え?」
「さすれば、我らは貴様を仲間と認めてやる」
「ぐ……ひろ……と……」
ずしりと重いナイフを手渡され、俺はどうすればいいのかわからなくなる。
なんだ……なんだこの状況は。
魔王の仲間になる?
魔王は世界を渡り歩いていて、協力すれば自分の世界に戻ることが出来るかもしれない。
だけれど、その為に、美優を殺す?
……ユリア姫も、美優も、元いた世界とは、違う。
別の存在。
姫じゃない、姫じゃない、姫じゃない、姫じゃない。
お前は、姫じゃないっ!!

「うああああああああああああああっ!」

俺は、そのナイフを、『魔王』の体に突き立てた。

「え……?」
けれど、まるで感触がない。
魔王は、そこにいるのに『そこにいないかった』。
「……!」
ナイフどころか、俺の腕さえすり抜けている。
触ることすらできないのか……!?
「愚かな……。ここの吸血鬼から聴いてはいなかったのか? 我々には、貴様らの攻撃など通用しないということを」
「っ!」
「……ああ、人間というのは愚かな生き物だったな」
魔王は溜息をひとつつくと、腕から力を抜いて美優を解放した。
「げほっ! げはっ……!」
美優が苦しむ姿に、俺が恐れる姿を見下しながら魔王は言い放った。
「3日やる、3日で我らについてくるかどうかを決めろ。その時まで、そこの薄汚い吸血鬼は生かしておいてやる」
考えるべくもないことだろう? 自分のことを思うのならばな。魔王はそう嘯いて、何のモーションもなくその場から消えた。
「………………」
ノア先生の死を悲しむ間もなく、状況だけが進んでいく。
俺は、この世界に来て何をした?

――何もしていない。

この世界にとって、何の価値もない筈の俺に、何を選択させようと言うんだ!?

「ああああああああああああぁぁぁああぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああっ!」

……美優の悲痛な叫びが、ゴーストタウンに響いて消えた。



「ご飯だよー」
「……ありがとうございます」
あれから半日、俺は結局人間として睡眠欲には勝てずに部屋で眠ることにした。
魔王が去ってから美優は放心状態になってしまい、俺の言葉など右から左にスルーされてしまう。
恐らく自分の部屋に戻ったのだろうけれど……大丈夫かな……。
「陽菜……は……平気そうですね」
俺は、前と同じようにパンと水を運んでくれた陽菜にそう質問する。。
「んー?」
陽菜は輸血用の血液パックにストローを挿してちゅーちゅー吸っていたところを中断し、笑顔で言う。
「……悩んでも、仕方ないよ」
「自分が死ぬかもしれないのに、ですか?」
「まあ、皆いなくなったわけだしね……。今更自分が死ぬのが怖いとか、そんなことは全くないんだ」
この状況でも笑顔を崩さずにそう言っていられる陽菜に、一種の尊敬のようなものを覚える。
だけど、それは……。
「嘘だよ」
「え?」
「死ぬのが怖くないだなんて、思うわけないでしょ? 生きているんだから」
「…………」
「死ぬんだよ? 何にも感じないんだよ? 良くさ、思い出は残る、胸の中で生き続ける、忘れ去られた時が本当の死だなんて奇麗事を言う人がいるけどね。
 あまりにも意味がなさすぎて笑うよ、自分が生きてないと意味がないんだよ。生きてなきゃ、自分がしたいことは何も出来ないんだから」
「陽菜……」
「だから私は生きる。絶対に生きる。生き続けて……死なない」
陽菜の異様なまでの生への執着に、気圧されて何も言えない。
……いや、今まで戦いの中に生きる存在ならば、死と隣り合いの世界に生きていたのならば。こう考えるのが当たり前なのかもしれない。
「だから、君がどんな選択をしようとも、私は魔族と闘う。それだけ」
ヂュロロロロと、最後の一滴まで残すものかという勢いで輸血パックを空にした陽菜は、「バイビ」と腕を振って部屋を出ていこうとする。
「……あ……」
俺は呼び止めようとしたのだけれど、陽菜はそうするまでもなく勝手に振り向いた。
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」
「は?」
「ちょっとした助言、チャンドラーだよ。……強くなれとまでは言わないけど、せめて優しさの方はカバーできるよね。美優のとこにいってやりなよ。三日は猶予があるんだから、さ」
今度こそ、陽菜は部屋を出て行く。
……そうだ、考えてばかりいても仕方ない。
魔王は三日は猶予をくれるといった、きっとその間は攻めてこないでいてくれるのだろう。

俺がこの世界での価値を見出す為に、美優とこの世界を救う為に何をすればいいのかなんて、わからない。
だったらせめて、最後の選択の時までは美優と一緒にいてやりたい。
――そう、思った。


ここには一度来たけれど、相変わらずでかい扉という事実は変わらなかった。
ここだけは何だかお金持ちの家のような荘厳さがあるんだよな。
「ま、そんなことどうでもいいか」
そう呟いて、扉を何度かノックする。

「……誰? 陽菜?」
すると、蚊の鳴くような声が部屋の中から届いた。
「俺だけど、オレオレ」
「……詐欺師?」
「今は振り込め詐欺っていうんだよ。しかもそういうこと言いたいんじゃないし。……大翔だよ、入っていいか?」
「帰ってください」
即答か……。
「話がしたいんだ……!」
「私は、あなたと話たくありません」
美優の心には、きっと深い傷が出来てしまっている。
それは俺にも同じことだ。
だけれど俺は、兄として美優を支えてやらなければいけないんだ。
「……美優、頼む。直接顔を見て話をしたいんだ」
「………………」
それから、しばらくの沈黙が続く。
俺も無言で立って、その場を動かない。動くつもりはない。
こうなったら、根気の勝負だな……。
そう覚悟を決めようとした時。

「勝手にどうぞ」

意外とあっさりと許しが出た。
「……入るぞ?」
俺は、消極的肯定に少し躊躇いながらも扉を開く。
「……うわ」
美優の部屋を見渡しての第一印象は「少女の部屋」。
まず広さからいって俺の客室の約四倍。
天蓋ベッド付きで、壁紙も床も天井もピンクで統一されていて、少し目がいたい。
部屋の隅には大小様々なぬいぐるみが積まれていて、美優も今べっどで小さなクマのぬいぐるみを抱いて寝ていた。
……こっちの美優は、また随分なぬいぐるみ好きなんだな……。
「広い部屋だな」
「……別に、空いていたスペースを利用しただけ」
赤ちゃんみたいに丸まった姿勢を取る美優は、まるで子どもに戻ったかのような受け答えしかしない。
「ベッドの端、座っていいか?」
「駄目、私の聖域だから」
「……聖域って」
「座るなら床にでも」
「じゃあ、立ってるからいいけどさ……」
「…………」
「……あのさ、俺はこういう時に何を言ったらいいのかわからない。
 今までこんな事態に陥ることなんてなかったんだから、当たり前といえば当たり前なんだけど……」
一人語り始める俺の言葉を、美優が聞いているのか聞いていないのかわからないけれど、そのまま話し続ける。
「ノア先生に、新しい仲間だって言われた時。俺は少し浮かれてた。このちょっとした力で、誰かの手助けになるのならって……」
……でも、俺は何もする間もなく、ノア先生は死んだ。
「でも、結局何も出来なくて、凄く悔しかった。……今でも、泣きたいくらいだ」
ぴくりと、美優の体が震える。
「でも、泣いてる暇なんてないんだ。……俺は、もう三日しか時が残されていないから」
「…………だから、何ですか?」
「え?」
「そんな演説を私に延々と聞かせて、楽しいですか!? 弱っている私を見て面白いですか!?
 三日しかない? 知りませんよそんなこと! 私には、もう何もないんですから……!」
「陽菜がいるじゃないか」
「……姉や、親の代わりなんていません」
「俺がいる」
「あなたのことなんて知ったことじゃありません」
「だから、俺は……!」
「もう、黙れっ!!」
ベッドからぬっと伸びてきた腕に首を掴まれ、引力に引き込まれるかのようにベッドに倒される。
「ぐっ……!」
気付けば、俺はあっという間に美優に押し倒され、首を両手で締め付けられそうになる。
「死ねっ……! 死ね! 死んでしまえ! お前さえいなければ、お前さえいなければーーーーーっ!!」
「美優……」
美優の目から零れた涙が、俺の顔に落ちる。
悲しみが、美優の悲痛な叫びが、全て伝わってくる。
「……ぐ……」
「お前さえ……お前が……ぅぅ……何で……お前みたいな人間が……いるんだぁ……!」
首にかけられた両手に、力が籠ることはなかった。
「……ぐ……ひっく……っぅ……ぁぁぁぁぁああああ!」
ただ、悲しみの滴だけがとめどなく流れる。
美優は俺の胸に顔を埋めてひたすら泣いて、俺はそんな美優の細い体を抱きしめた。

それから、どれだけの時がたっただろう。
美優の涙も大分おさまってきて、今はただ俺の抱擁を受け入れている。
「……私は……もう……ひっく……戦い、ません……」
「え……?」
嗚咽混じりの声で、美優は言った。
「あんな奴に勝てるわけない……。もう……ここから逃げたい……こんな何もない所に、いたくない!」
「…………」
「ねえ、あなたも……陽菜も一緒に、逃げよう……? 私、誰かが……一緒にいてくれないと……!

――あなたのこと、許してあげますから……一緒にいてください……。

「……美優」

美優は、弱い。
仲間を失って、姉を失って、それでもまだ気丈に振るまえていたことさえ奇跡に近かったんだ。
そして自分の進むべき道を示してくれる存在さえ失ってしまえば、脆い心はもう崩れるしかない。

「なんとか……いってくださいよ……!」
「美優が、本当にそうしたいのなら……そうしよう」
「…………ほんと、ですか?」
「ああ」
「あ……ぁぅ……ぁ……りが……と……」
「だけど、陽菜は逃げないだろうな」
「え……?」
……すがりつく美優を突き放すかのように、俺は言った。
「陽菜は言ったんだ。……自分が死ぬのが怖いだとか、そういうのはもうないって……」
「私は……陽菜ほど強くない……!」
美優は、俺の腕を強く掴んで覆いかぶさるようにして、言った。
「仲間が死んでいって……私も、いつか死んでしまうのかと恐れ続けてきた。弱い自分を隠す為に……強い姉さんに、ノア様に憧れた……!」
――でも。
「でも、もう二人ともいないんですよ! 憧れてただけで……私は弱いまま……弱いままなんです!」 
「変わろうと思わなきゃ、何も出来ないよ」
「私が何か変えられるとでも、思っているんですか?」
「……変えられないのなら、俺が変えてあげるから」
「…………?」
俺は、精一杯の笑顔で美優の顔を見上げながら、言った。
「なあ、美優」
「はい……」

「俺の、妹にならないか?」

「い、もう……と?」
「そうだよ。俺は美羽みたいに強くない、美優の憧れにはなれないかもしれない。
 ……だけど、美優を支えてあげたいんだ。少しでも、美優の苦しみを軽くしてやりたいんだ!」
「なんで、ですか?」
「ただ、美優と一緒にいたいから。……美優に、俺のせいで後悔してほしく、ないから」
「…………っ」
「どうかな?」
「…………」
「……美優?」
少し不安になる。
美優には鬱陶しいだけの提案だっただろうか?
後数日で皆死んでしまうのかもしれないのに、とでも考えているのかもしれない。
「……さん」
「え?」
だけれど、それは違った。
「……兄さんって、呼んでもいい?」
「ああ」

――美優は、俺を受け入れてくれたんだ。


数時間後。
「ふははははは、ずっと俺のターン!」
「ううううううぅぅ、兄さん卑怯です! イカサマしてるに決まってます!」
何故か、俺と美優はオセロ対決で白熱していた。
「いーや、俺はいかさまなんかしてないぞ? 美優が弱すぎるんだよ」
「ぬぅ……! 兄さんの癖に……!」
「兄より優れた妹などいないっ! ンッンー、至言だなこれは」
「殴りますよ。本気で殴ったら兄さんの首が吹っ飛びますよ、それでバスケットボールでもしたら楽しそう……」
「ぼ、暴力はダメだぞ暴力はっ!」
俺は額に青筋を浮かべる美優を何とか宥める。
吸血鬼だけに発想がグロテスクなんだよ。

つーか、何でオセロをしているのかと言えば……。

………
……

「兄妹になったところで、一体何をしたらいいんでしょう」
美優が根本的な問いをぶつけてきた。
俺は「何もしなくていいんじゃない?」と言ったのだがそれでは納得がいかないらしい。
兄妹ってのは意識してどうにかするものではないと思ったのだけれど、美優が納得しないのなら仕方ない。
「じゃあ、一緒に遊ぼうか」
そう提案したのだ。


「んー、今は昼だからな、何か屋内で出来ることないか?」
「……オセロなら」
美優は枕の下から緑の盤面のそれを取り出した。
「おお、久しぶりにやるのもいいな。……でも、ぬいぐるみといいオセロといい、そんなもんどこから持ってきたんだ?」
「デパートの中に残っていたのを持ってきたんです」
「泥棒かよ!」
「食糧と生活に必要な道具以外は放置されていましたから、いいんです」
まあ、今の人間に必要な物ではないのかもしれないけど。
「ぬいぐるみ、好きなのか?」
俺は盤の中心に黒と白を配置しながら言った。
「………………べ、別に」
美優が顔を赤くしながら俯くので、俺としてはその珍しい反応にどうしてもいじめたくなってくる。
「いや、あっちの世界の美優もぬいぐるみが好きで……」
「そ、そうなんですか? やっぱりぬいぐるみは……」
「……なんていうのは嘘なんだけど」
「…………!!」
「いたたたっ! いたっ! ごめんっ!お前のの力で駒投げられるとマジでいたいって!」

そんな感じで、今に到る。

「…………」

しかし、初めて会った時と違って、今では兄妹となって仲良くオセロをする仲だ。
随分とわからないもんだよな……。

「むぅ……」
次に打つ場所を考えている美優の真剣な顔を見つめる。

……このオセロは一種の現実逃避だ。
本当はもっとやらなくちゃいけないことがあるのに、俺は美優と遊ぶことでそれを忘れようとして、美優も俺の用意した逃げ口に駆け込もうとしている。
いつかは……いや、三日後にはちゃんと事実と向き合わなければいけないのに。
だけれど、俺は美優の味方しか出来ない、美優のしたいようにさせてあげられる兄になりたい。
――やっぱり、甘やかしちゃうんだろうな。


「なあ、美優」
俺は白を黒に返しながら口を開く。
「なんですか」
「……今日のパンツの色は?」
「何故そんな話になるんですかっ!!」
「いたたたたたたたたたっ! ほわたたたたたたたぁぁぁぁぁっ!」
アイアンクロー痛すぎてなんか中国人みたいになっちゃうって!
や、やばいやばいマジやばい吸血鬼の握力やばい!

ミシッ……!

「みぎゃあああああああ!」
今頭蓋骨が軋んだ音しましたよおおおおっ!
「自業自得です」
「ううっ……」
「兄さんはもう少しムードを大切にすべきです。前々から思ってたんですが、空気を読めない発言が多すぎます」
「つつ……ムード、ねえ」
「そうです。ムードを大切にすべきなんです! それなのに、兄さんってばオセロは手加減しないし、えっちな質問してくるしっ!」
関係あるのか?
「なんですか、新米の妹が生意気な口利きやがってとか考えてるんですか!」
「いや、新米の妹ってなんだよ。……というか、何かテンションおかしいぞ?」
俺が不意にそう言うと、美優は沈んだ表情を見せて。
「……今くらい、はしゃがせてくれてもいいじゃないですか」
と呟く。
「…………ごめん」
空元気。
たぶん、陽菜も美優も明るくしてられるのもそれのおかげ。
だったら俺は、その空元気が本当になるようにしてやるだけだ。

「なあ、美優」
「はい?」
「散歩に行かないか?」
美優は少しだけきょとんとしたけれど、すぐにふっと笑顔になって。
「いいですよ」
と言った。
「……あ、でも……」
「ん?」
「少しにおいます。体を拭いてきてください」
……そういえば、ずっと風呂に入ってなかったな。


吸血鬼に風呂は必要ないらしく、濡れタオルで体を丹念に拭き終わった頃には既に夜になっていた。
美優は先に外に出ているというので、俺も後を追うべくエレベーターに乗り込む。
「美優、どこだ?」
「ここです」
上から声がして空を見上げれば、民家の屋根の上に美優は立っていた。
「危ないぞ」
「……人間と一緒にしないでください」
ぴょんととび上がり、重力に逆らうかのようにふわりと回って俺の目の前に着地する。
「じゃあ、行きましょうか」
「どこか行きたいところとか、あるか?」
「……そうですね……」
美優は腕を組んで考えるような仕草を取って。
「あなたの家に、また行きたいです」
花のような笑顔を、俺に向けた。


「……やっぱり、なんとなく懐かしいな」
まだここに来て数日しか経っていない。
だけれど、俺にとっては一年経ったかのように目まぐるしい日々だった。
「ここに、私も暮していたんですよね」
「ん? あ、ああ……」
「でも、私は義理の妹で、内気でおどおどしていたと」
「そうだなー。まあ誰かの後ろに隠れたりすることが多かったかも」
「……いいですね、そういうの」
「そうか?」
あんまり弱気すぎるのもどうかと思ってたのだけど。
「だって、守ってくれる人が傍にいてくれるってことなんですから」
「…………なるほどね」
「私は、あなたの世界の私とは違う。自分の身は自分で守るしかない……」
本当は、今でも泣きたいほど辛いのだろう。
それはわかっている。
だからこそ、俺はこうして『ここ』にいる。
「美優」
「……はい」
「この戦いが終わったら、俺の世界に一緒に行こう」
「え?」
「辛い思い出はここに置いて……俺のいた世界で、ひっそりと暮らすんだ……」
「……」
「だからこそ、今は戦うしかない。……俺も、美優を支える。どんな傷を負っても、絶対に治してみせる」
「…………」
「絶対に、俺は一緒にいるから! だから……!」
「………………」
美優は胸のあたりで手を組み、こちらから顔が見えないように俯いてしまう。
「……美優?」
少し不安になる。
美優には鬱陶しいだけの提案だったのだろうか?
あんな魔王との戦いが無事に終わるわけがない、とでも考えているのかもしれない。
「……ごめん、やっぱり――!?」
沈黙に耐えかねて謝ろうとした時。
何か柔らかいものが頬に触れた。
「え?」
それが美優の唇の感触だと理解したのは、美優の真赤になった顔が目の前にあるのに気付いてから。
「……ありがと、兄さん」
夜の闇にあまりなれない目でも、照れているのが良くわかった。
美優はしばらく俺と向かい合っていたけれど、耐えられなくなったのか踵を返して走り去ってしまう。
「美優……」
「先に戻ってるから!」
遠くから手を振る美優に手を振り返して、俺は頬に残る温もりの余韻に浸っていた。

――いたのだけれど。

「いや、なんとも生温いものだな」
「!?」

この声は、まさか……!?

考えたくもない可能性が脳裏を過る。

全身を締め付けるかのようなプレッシャーが俺を襲い、指一本動かせなくなってしまう。
蛇に睨まれた蛙、ライオンに狙われたガゼル。……狩猟者に搾取されるだけの圧倒的弱者に、俺は成り下がる。

上空から、闇を縦に切り裂く光の柱と共にふわりふわりと降りてくる最悪の存在。

「――魔王!?」
「そう身構えるものではない、今日は別に戦いに来たわけではないのだから」

相変わらず、温厚な顔をしながら底の見えない恐怖を見せ付けてくる。

「なあ、そうだろう? 結城大翔よ」
「なんで、俺の名前を知ってるんだ!」
「お前のことならなんでも知っているよ」
ふっと全てを見透かすかのような笑みを俺に見せつけてくる。
「っ……!」
怖気がする。
こいつが言うと、本当に全てを知られているのではないかという恐れが体を震えさせてしまう。
「我々はな、吸血鬼とは違い魂を食事とする。我等自身は自らの魂を高次の次元まで高めた存在なのだよ、理解できるか?」
「魂、だけ……?」
「まあ、大翔には少々難しい話だったかもな」
「……」
どこまでも人を見下した奴だ。
「だから睨むな。私はお前を助けたも同然なのだぞ?」
「助けた? ふ、ふざけるなっ!」
「……まあ、わからんよな。……ククク」
魔王は喉を鳴らすようにして不気味に笑った後、こちらを見据える。
「しかし、能力を行使できる人間は初めて見たよ。さぞかしその魂も甘美なのであろうな……」
「知るか」
吐き捨てるように毒を吐けば、魔王はくつくつと笑いながら答えた。
「そんな態度をとっていいのか? 我らは既に、大翔が元いた世界も突き止めているのだぞ?」
「…………え?」
「人間が当たり前のように能力を使える世界など、そう多くはないからな……。探すのは簡単だった」
「ほ、本当なのか!?」
「ああ、本当だ。……こんな世界など捨て置いて、あちらに行くほうがいいのかもしれない」
……何?
俺のいた世界に、こんな恐ろしくおぞましい奴らが、やってくる?
「や……やめろ! やめてくれ!」
それだけは、絶対に!
「必死だな? 安心しろ、我等がその世界に行くことは絶対にない」
「そんなこと、信用できるか!」
「大翔のいた世界は、後一年で滅び去るからな」


…………?

魔王の言った言葉が、まるで異国の言語のように聞こえて、すぐに理解出来ない。

「おれのいた世界が、滅びる……!?」
「ああそうだ。今日はそのことを伝えに来たのだよ」

魔王の顔には、先ほどまでのいやらしい笑みは浮かんでいない。
……嘘をついているようには、感じない。
「な、なんでだよ! なんでそうなっちまうんだ!?」
「原因はわからない、今はな」
今はということは、いずれわかる可能性があるということか……?
「だが、我々にそこまで調査する理由は無い」
「あ……」
確かに、そうだ。
魔王達は、ただ崩壊に巻き込まれないようにすればいい。
世界の一つや二つ滅びようが、こいつらにとってはどうでもいいのだ。
「しかし、お前が我らと来るというのならば話は別だ。……原因の調査どころか、解決すらしてやってもいいぞ?」
「……!」
「今、お前の心の揺れをしかと感じたぞ。……フフ……ハハ……そうだよなあ、吸血鬼などに異世界まで救う力などないのだから!
 我らが捨てるのは愚かさだけと決めている、大翔もくだらん仲間意識や恋愛感情のような愚かなものは全て捨て去れ!
 一緒に来い! 共に魔族としての道を歩もうじゃないか! 人間の頃から優秀な能力を持つお前なら、素晴らしい力を持つ魔族に生まれ変われる!」
「………………」
魔王の演説に、俺は膝をついて顔をあげることすらできない。
頭の中では、ぐるぐると同じ言葉ばかりが回って、思考がうまく働かない。

滅びる。
だけど、救われる?
でもそれは、この世界の美優や陽菜を見捨てること。

俺は、俺は、オレは……!

「俺は……!」
「何だその目は、つまらない。……少し、いじめてやろうか?」
「な、や、やめ……!」
魔王の掌が、俺の額にかざされる。
「お前の知らない事実を、見せてやろう」
「っ……ぐぁっ……ぎゃ……あ……ああああぁぁぁっ!!」
俺の意識に、心に、脳髄に……何かドス黒い力が、流れ込んでくる……!
オレガ、ヌリツブサレテイク。

オレハ……。


「大翔くん!」
「!?」

聞き覚えのある声に顔を上げれば、月に重なるように飛び上った陽菜が今にも魔王に攻撃を仕掛けようとしていた。
「……ふん、邪魔がはいったか。だが、決断の材料は十分に与えたぞ?」
魔王は俺に囁くようにそう言って、以前のようにノーモーションで消え去る。
「って、消えた……?」
攻撃を空ぶった陽菜は、力を持て余したように腕をぷらぷらとさせた後、その腕を俺の方に向けた。
「ほら、立てる?」
「ぅ……ぁぁ……」
「大翔くん!?」
「美、美羽が、死んでた」
「え?」
「美羽が、太陽の光に焼かれて……!」

聴くに堪えない悲鳴と、焼けただれた肌。
崩れていく体――吸血鬼の死。
美羽が最後に見た人物は……あの人は……。

――ノア先生?

「大翔くん、ごめん」
「――え?」
パンッ!
絶望に堕ちそうになる俺の頬を、陽菜の平手が強く打ち付ける。
「あ……」
強いショックと共に、現実に引き戻される。

「目が覚めた? ほら、立てる?」
陽菜に支えてもらって、よろよろしながらも何とか立ち上がる。
「あれ、魔王でしょ。三日は待つっていったのに、せっかちな奴なんだねえ」
「危害は加えられてないよ……」
「……そう」
「………………いや、それよりどうしてここに?」
「ああ、今日の晩御飯を届けようとしたら部屋にいないからさ。美優に居場所聞いたら、顔真っ赤にして『外にいるんじゃない?』なんて言うもんだから、ね……」
そこで偶然にも、というわけか。
「もう、本当に大丈夫? 何かされてたんじゃ……」
「……大丈夫。部屋に戻るよ」
本当は、全然大丈夫じゃなかったけれど。
「あ、食事は部屋に置いといたから……」」
「………………ありがと」
何も言えなかった。

美優も、あんな風に死ぬのか?
俺の世界は、滅びるのか?
戻る所さえ、なくなってしまうのか?

ネガティブな考えが、浮かんでは消えてぐるぐる回る。

……俺は、美優を裏切るかもしれない。



「どうすればいいんだよ……!」
俺が魔族になれば、元いた世界は救われるかもしれない。
だけれど、それはこちらの世界の美優を裏切ることになる。
俺が、殺してしまうことに、なる。


しかし、美優ととも魔王と戦えば、元の世界に戻れる可能性も、崩壊を止められる可能性も限りなく低くなる。
……そもそも、俺達は魔王に勝てるのか?


俺は、最初から戦力外。
美優は、昨夜を見る限りまるで相手にされていない。
陽菜の実力はまだわからないけれど……。

「っ……!」

情けない。
一緒にいると美優に言った時の俺はどこに言った!?

自分の言葉にさえ責任を持てない自分が、泣きたくなるほど、情けない……!

俺は、一体どうすればいい!

俺は……!

A 魔王に従う
B 美優と共に戦う



翌日の朝、俺は二人に黙って勝手に外に出ていた。
太陽はしっかりと顔を出していて、今なら美優にも陽菜にも見つかる心配はない。

……俺は、これから彼女達を裏切る。

美優の兄になるなどとのたまいながら、結局は実の家族が大切だと逃げるんだ。

……虫がいいけれど、そんな姿を二人に見られたくはない。

「魔王ーーーーーーっ!」

虚空に向かって全力で叫ぶと、魔王はいつも通り光の柱と共に目の前に現れる。
「……決心がついたようだな」
魔王は晴れやかな表情で、俺を祝福しているようだった。
「俺は、お前らの仲間になる。……だけれど、条件を三つ呑んでもらう」
「ほう、言ってみろ」
「ひとつめは、俺のいた世界の崩壊を止めること」
「造作もないことだ。我らが全力を尽くせばな」
「ふたつめは、崩壊を止めた後も俺達の世界には手を出さないこと」
「良かろう、能力を持つ人間の魂は惜しいが」
「みっつめは……この世界から手を引くことだ」
魔王は、そこできょとんとした顔をして。
途端、大きな声で腹を抱えて笑いだす。
「はははははははははははははははははっ! いいなそれは! 最高じゃないか、腹がよじれる、へそが茶をわかすぞ! ははははははははははっ!」
「…………」
わかっている。
結局、魔族にとって人間の魂が食糧となる以上、結局はほかの世界の人間を犠牲にすることになる。
こんなのはただの偽善で、自己満足でしかない。
「はーぁ、良く笑った。こんなに笑ったのは何年ぶりだろうな……。まあいいだろう、その条件も呑もうじゃないか。それに、後一か月も抵抗が続くようなら諦めようかとも思っていたしな」
「…………一応、礼を言う」
「礼などいらん。そもそも、我らが手を引こうが引くまいが、人間にも吸血鬼にみ未来は無い」

そして、魔王の手が俺の胸に伸びて――

――結城大翔という、『人間』は消えた。




あれから一年が経った。
俺に原因は知らされなかったけれど、無事に世界の崩壊は止まったようだった。
……あちらの世界の美羽達は、俺が行方不明のままでどう思っているのかな。
そんなことをふと思ったのだけれど、今更考えても詮無いこと。

吸血鬼の美優はどうしているだろう。
俺を恨んでいるだろうな。
……今でも、闇に隠れて生きているのだろうか。
生きていてほしいけれど、俺に彼女を心配する権利などない。

俺は今、ただ人間を殺すだけの獣に過ぎないのだから。

「はは、やはり素晴らしいな大翔。今日だけで1万人もの人間を狩るとは……。
 これで、我が消えようとも安心というものだ」
魔王が俺の活躍を褒めたたえる。
人を殺すことへの抵抗など、魔族になった時には消え去っていた。

今では、人を殺し魂を集めることが快楽にさえなりつつある。

「……ん?」

今日殺した人間を積み上げた山が、ふとした調子に崩れた。

「…………!」

そして、そこから現れたもの、それは――。

――最愛の、妹の死体。

「うああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁっ!」

俺は結局。

どんな世界に行っても、妹を裏切るのだ……。




「裏切るだなんて、出来るわけないだろ……!」

頬を赤らめる美優の顔が、ぬいぐるみを抱く美優の姿が、温もりが、俺を踏み留める。

「兄さん?」
暗い部屋でうずくまる俺に、救いの声が降り注いだ。
「美優……」
「何か、悩んでるの?」
「え……なんで……」
「陽菜から聴いたの。兄さんの様子が変だったって」
すたすたと部屋に入ってきた美優は、俺の前で屈んで視線を合わせてくれる。
「魔王に、あいつに何を言われたの?」
「…………ごめん……言えない……」
「……そう、私はやっと家族になれたって思ったのに。それでも認めてくれないんだ……?」
「ちが……」
「ごめん、冗談だよ。いじめてごめんなさい、兄さん。……だけど、私は兄さんを支えてあげたい」
――そして、兄さんにも私を支えてほしい。

美優は優しく、愛しむように、俺を抱きしめた。
子どもを抱く母親のように、背中をぽんぽんと叩きながら。
「……っ」
涙が自然と流れ出して、止まらない。
「っぐ……ひっく……。俺は、美優と一緒に戦うって、決めた……決めたんだよ……決めたのに……!」
それでもずっと心は揺れて、体の震えが止まらない。

「兄さん。私は兄さんがどんな選択をしてもいいと思ってる」
子どもを諭すように、穏やかの口調で美優は続ける。
「だって兄さんは、ただ巻き込まれただけの存在なんだもの。兄さんには、何の罪もないんだから……」
「美優……」
「でも、絶対に自分が後悔する選択だけはしてほしくない。……ただそれだけだよ」
「美優……!」
俺も、美優を抱き締め返す。
互いの体と体温がひとつになって心まで溶け合うような感触に、俺は安堵を覚えた。

――ぐぅ~

「…………」
「…………」
腹の虫が、鳴った……?
俺はさっきパンを食べたし、としたらあとはもう一人しかいない。
「み、美優、お前……はは……くくく……」
雰囲気を一気に崩されて。ついつい笑い声が漏れてしまう。
「わ、笑わないでください! もう2日は血を吸ってなかったんですから……!」
「ああ、そういや輸血用の血液を飲んでるんだよな」
「……ええ、本当は人から直接吸ったほうが新鮮で美味しいんですけど」
吸血鬼にも食の嗜好というものはあるらしい。
「ちなみに私はB型の酸味のRH-は好きです。酸味が効いて美味しいんです」
「いや……聞いてないけど」
「教えてほしそうな顔をしてたじゃないですか!」
「誰がだよ」
「兄さんがです」
「いやいやいやいや」
「…………」
「…………」
「…………」
「それで?」
「……輸血パックを取りに行くの、面倒なんですよ……」
「面倒でも取りにいかないと……」
「…………鈍い人ですね」
さっきまで優しく抱きしめてくれた美優が、今度はじりじりと距離を詰めてくる。
「な、なんだ? 美優」
「兄さんの血液型が、B型のRH-ということはわかっているんですよ?」
「お、おいまさか……」
あの時の痛みをもう一度味わえっていうのか?
「そのまさかです」
「やめ――」
ろ。と最後まで言う前に、美優がかぷりと俺の首筋に噛みついた。
「ぅ……ぁぁ……」
また痛みにのたうちまわるのかと思えば、今度はむしろふわふわと宙に浮くような快感が俺の体を包む。
「……ん……にいはん……おいひいれす……」
「お、おいしいのはいいけど……くらくらしてきた……」
気持ちイイんだけど、貧血で倒れるなんてもうしたくない……。
「ぷは……ごちそうさまでした、兄さん」
「…………ごちそうされました」
流石に吸う量には節度を持ってくれているらしい。
ノア先生の時のように気を失わずには済んだ。
「やっぱり、新鮮な血はおいしいです……」
「……前みたいに、痛くないから良かったよ。ノア先生の時はのたうちまわるくらい痛かったし」
「吸血鬼によって、対象に与える吸血時の感覚は違うんです」
「へえ」
そんな逸話は聞いたことがないな。
やはり伝説上の吸血鬼と実物の吸血鬼には多少の差があるということか、大分かぶってる所も多いけど。
「ノア先生は、血を吸われる者に痛みと苦しみを与え。姉さんも、私と同じように軽い快楽を与える特性を持っていました」
「陽菜は?」
「くすぐったくなります」
……一回吸われてみたいかも。
「……兄さん、今吸われてみたいとか考えたでしょう」
「い、いや別にそんなことはないぞ?」
美優は両手でがっちりと俺の顔を掴んで、そのまま自分の顔を近づけてくる。
「もう、他の吸血鬼に兄さんの血を吸わせたりはしませんから。兄さんは、私だけのものです」
「……お前、三日でキャラ変わりすぎだよ……」
こんなに独占欲が強い奴だとは思わなかった。
「兄さんが私の心の隙につけこんだんじゃないですか」
「ええ?」
「……姉さんがいなくなって傷心の私。そこにタイミング良く現れた兄を名乗る男。
 ガードが甘くなっていた私は、ついその男を兄と呼んで慕い始めてしまう」
「そんなストーリーだったっけ?」
……でも、考えたら否定しきれないのも痛いところだ。
「冗談です。今、私は幸せだから、それでいいんですよ」
「…………」
優しく微笑む美優を、もう一度力強く抱きしめた。
そうだ、美羽のように殺させはしない。
俺が守る。
――絶対に、離さない。


「…………いいね、兄妹って」
「!?」
二人して部屋の入口の方に目を向けると、そこには陽菜が戸にもたれかかりながらこちらを見つめていた。
「ひ、陽菜! あなたいつから見ていたの!?」
「別に、私はほとんど何も見てないって」
「……ほっ」
美優が安堵の溜息をつく。
美優にとって、二人で抱き合ってる姿なんて見られたらそれは憤死物の出来事なのかもしれない。
「美優のお腹の虫はいい声で鳴くね~」
「しっかりほとんど見てるじゃないっ!!」

「いたっ、いたい、痛いって! 叩かないでよ美優!」
「ばかばかばかばかばか……!」
「…………ぷっ」
「あ、兄さんも今笑ったでしょ!?」
……やぶへびだ。
「あ、あのさ、お二人さん。別に私は馬鹿になんてしてないんだよ? ただ羨ましいなってだけで」
「羨ましい?」
「……兄妹仲睦まじいのは、いいことだと私は思うよ」
陽菜の眼に映るのは、羨望ではなく寂寥のように思えたけれど、俺はそれを口には出そうとしなかった。
「陽菜……」
美優が、一転気を遣うかのように陽菜に声をかける。
だけれど陽菜は「いやいや、別に大丈夫だから」と軽く反応を返し、表情をきっと真面目に切り替えて続けた。

「あのさ、私が話に来たのはそういうことじゃないの。ちゃんと本題があるのよ」
「……本題?」
「二人とも、魔王を倒す方法って……考えてる?」

「…………」
「…………」
耳が痛くなる質問に、俺達二人は揃って閉口してしまう。
「……ごめんね、いい雰囲気だったのにこんな話しして。でも、時間がないから仕方ないの」
「いや、陽菜、続けてくれ」
俺達も表情を切り替えて、陽菜と向き合い話し合いの体制に移行する。
「ありがと。……あのさ、美優は魔王と一回直接戦ったらしいけど、実際力の差はどのくらい感じた?」
美優は、自分の力のなさを嘆くかのように唇を噛みしめる。
「……具体的には言えないけど、猫とライオンくらい……差はあると思う」
ライオンもネコ科ではあるけれど、当然実力でいえば計り知れない格差がある。
「そっか。美優が猫なら、私は犬くらいはあるかな?」
強さで考えれば――種類にもよるが――犬の方が強そうな感じがする。
「陽菜は、美優より強いのか?」
俺がそう質問すると。
「単純な戦闘能力だったら私が上だね、でも吸血鬼の価値は強さだけじゃないから」
美優も同意するかのようにうんうんと頷く。
「でも、犬と猫じゃ勝てないよな……」
不意でもついて一瞬で急所をつけば、違ってくるのかもしれないが。
「うん……。やっぱり不意を突くしかないと私も思う。だからね、作戦を考えてきたんだ」

「作戦?」
「……たとえば、美優が影に潜んで背後から一撃とか?」
ノア先生の影からぬるぬると出てきた美優を思い出してそう提案するが、
「確実にばれると思う」
と美優に一刀両断された。

……まあ、魔王は背後からの攻撃も完璧に受け止めていたしな。

「この作戦の鍵はね、美優でも私でもない、大翔君だよ」

「……え?」
「俺?」
美優の視線が俺に向けられる。
俺も美優の方ときょとんとしながら見つめて、また陽菜の方に向き直り。
「どういうことだ?」
と尋ねる。

陽菜は、「本当に大翔君には、辛い選択なんだけど……」と前置きをしてから。

「――――――」

最後の作戦を、語り始めた。




――約束の夜。

魔王は相変わらず、揺るがない自信を持ってそこに存在していた。

「さあ、返事を聞こうじゃないか」

向い合う俺と魔王。
俺の後ろには、美優と陽菜が控えて立っている。

「…………俺は」

……俺がこの世界に来てから、俺は何度選択を迫られて来ただろう。
力もなく、強い意志もなく、どうしようもなく下らない俺に、世界は何を選ばせようとしているのだろう。
そんな風に考えていた時期もあった。

そして、俺はその都度明確な答えを出さないまま先に進んだ。
……いや、俺が選択する前に物語だけが進んでいって、俺はただ流されていただけだ。

元の世界に戻りたい。
最初はそれだけ。

でも今は、俺の周りのもの全てを守りたいと考えている。
とんでもない傲慢だ。
何も知らぬ餓鬼の欺瞞だ。
そうやって、俺は馬鹿にされるだろう。
だけれど、俺は決めたんだ。
――どれだけ馬鹿にされようと、出来ることを、ただやるだけだと。

「俺は、魔族に――」

ゆっくりと、魔王に向けて右手を差し出そうとする。
魔王は口の端を歪め、その手を取ろうとして――。

「魔族には、『なれない』」
「――なっ!?」

魔王の手をパンと一払いし、左足を一歩前に出して懐まで飛び込み。

「俺はもう、吸血鬼だからだ!」

力を込めた一撃を、魔王の魂に叩き込んだ!

……大地を揺るがすほどの音が轟き、俺の腕は確かに魔王の体を貫いていた。
魂だけの存在だからか、返り血などはつかなかった。
だけれども、魔王の表情から、確実に致命傷を与えたということは読み取れる。

「……ひ、大翔……。貴様……元いた世界を救えずとも、良いというのか?」
魔王が、息も絶え絶えにそう呟く。
「……お前に心配してもらう必要なんて、無い」
「ふふ……そうであったな……。だが、しかし……吸血鬼に……なるとは、思わなんだわ……。
 愚かで、未来への道が閉ざされた吸血鬼に……」
「…………お前に、要求がある」
「……ははは、要求ときたか。……まあ、敗者は勝者の要求を聞かねば……ならんな……」
「世界と世界を移動する術を、俺に教えてくれ」
「…………いいだろう」
魔王がふっと笑い、それを期に、体がどんどんと透けて薄くなっていく。
「お……おい!」
「安心しろ。……我が消えたら、移動の術は大翔の中に刻み込まれる」
「…………」
俺は、魔王のこの悟りきったかのような態度に、少し違和感を覚える。
不意打ちを受けた後、抵抗を続けるものかと思い、美優と陽菜には続きの策があったのだけれど、それは必要ないようだった。
「なんで、そこまで落ち着いていられるんだ?」
最後にそう問いかけると、
「」

――お前たちの、勝利だよ。

そう残して、魔王はこの世から消え去った。

虚空には、ただ光の粒子が踊るように舞っているだけ。
それ以外には、何もない。

「……兄さん」
「大翔君」

後ろで備えていた二人が、俺の傍に寄ってくる。

「…………勝ったな」

俺は二人の方を振り返り、満面の笑みでそう言った。

「……でも、兄さんはもう……」

人間には、戻れない。

それは当り前だ。
俺はそれを理解したうえで、陽菜の作戦を受け入れたんだ。

俺が吸血鬼になり、正面から一撃を加えるしかないという作戦を。

当然、美優は反対した。
兄さんには人間でいてほしい。
必死に叫んで、俺にすがり付いた。

……だけれど、俺は吸血鬼になることを選んだ。

確実に、この三人が死なずに勝つには、それしかないと思ったから。

吸血鬼になる為の手順には丸一日かかり、この世のものとは思えない苦痛に俺は耐えた。

そして、俺は今美優や陽菜と同じ存在として、ここに立っている。

「気にするな。……この世界も救われた、異世界に移動する方法も、ちゃんと手に入れた」

……魔王は、約束を破りはしなかった。

「美優が生きてる。陽菜も生きてる。……俺も生きてる。これ以上いい未来なんて、ないだろう?」

「そう、ですね。私も……兄さんが生きていてくれて、良かったと思います……」
――私は、兄さんを愛していますから。

美優が、ゆっくりと俺を抱きしめる。
「……美優」
……俺も、美優を力強く抱きしめる。

そして俺達は、自然に互いの唇を重ね合わせた――。




「これからが、本当の戦い……か」

そんな陽菜のつぶやきを、聞くこともなく。




エピローグ


――夏。

蝉の鳴き声は五月蠅く、照りつける太陽は暑く、青すぎる空は恨めしい。

結城美羽は、まるで夏全体を恨むかのような表情で通学路を歩いていた。
「……お姉ちゃん、そんな顔してたら、余計に暑くなっちゃうよ?」
その隣を歩く、義理の妹である結城美優は、そんな姉の様子におどおどしながら言った。
「あーもうっ! 何でこんなに暑いのよ! 最近嫌なことばっかり続くじゃない! 年金問題だとか、年金問題だとか、年金問題だとか!」
「…………そんなに国の未来を憂いてるんだ……」
「兄貴は、帰ってこないしっ!」
「…………」
そう、二人の兄である結城大翔は行方不明となっている。
ある日、通学中にふと眼を離した隙に消えていて、それっきりだ。

当然警察には届けを出したが、見つかる気配はまるでない。
 
「……もうすぐ、一週間だもんね。お兄ちゃん、どうしてるんだろ……」
不安げな美優の問いかけに、いらだったままの姉は、何かの気配を感じ取ったかのごとく急に立ち止まる。
「ど、どうしたの? お姉ちゃん」
「……今、そこの高架下に誰かいた」
「え、だ、誰かって」
「兄貴だ」
「えっ?」
「兄貴がそこにいるっ……!」
「お、おねえちゃん……!」
突然全力疾走する美羽の後を、美優は転びそうになりながらも何とか追いかける。

そして二人は出会った。

……行方不明となっていた、兄――結城大翔――に出会った。

「……っ、この馬鹿兄貴っ!」
美羽は、ようやく出会えた兄に駆け寄ろうとしたけれど。
「来るな! 美羽!」
その兄自身に一喝され、踏みとどまってしまう。
「…………美羽、美優。この高架の、影からこちらが俺の領域。そちら側がお前たちの領域だ。その領域を超えてはいけない」
「お兄ちゃん、何言ってるの……?」
「そうだよ! 全然意味不明だっての!」
「……俺はもう、お前たちと一緒にいられないんだ」

大翔は表情を二人に見せないように伏せて、そう言い放つ。

「はあ? 私たち家族じゃない! どんな理由があったって、一緒にいられないなんてことあるわけがないでしょ!?」
「…………そうだよ。お兄ちゃん」

妹達の必死の問いかけも、だけど兄には意味がなく。

「……最後に伝えなきゃいけないことがある」
「さ、最後って……!」
「この世界は、後一年で滅びてしまうかもしれない。……このことを姫様やノア先生に話して、この世界を守る手段を模索してほしい」

力を合わせたみんなに、出来ないことなんてないからな。

……大翔は言ったけれど、美羽も美優も、妹二人はまるで理解が追いついていないようだった。
「兄貴……! もう、いい加減に悪ふざけはやめてよ! 私たちにめちゃくちゃ心配させておいて、今度はなに!」

「……本当のことなんだ。絶対に、皆に伝えてくれ」

――元気でな。

呟くように小さい声でそう残し、結城大翔は影に溶け込むようにしてその場か消え去る。

「兄貴!?」
「お兄ちゃんっ!!」

二人ははっとして走り寄ったが、そこには兄はいなかった。
それどころか、人がそこにいたという痕跡すら、何も残っていない。

「……兄貴……。わけわかんないよ……兄貴ぃ……!」
「………………お兄ちゃん」

二人の妹は、わけもわからいままに涙を流す。

ただ、兄とは二度と会えない。
そんな気がして、ひたすらに二人は泣き続けた。


「…………あれでいいの? 兄さん」
「あれ以外に、どうしろって言うんだ?」
「別に、家に戻って平和に暮らすのも、いいんじゃない?」
「馬鹿言うなよ。この世界を救ったら、また陽菜の所に戻らなくちゃいけないんだから」
「……うん、約束だもんね」

陽菜は、あちらの世界に残った。
ノア様の遺志を継ぐ吸血鬼としてここで生き、貴女達を待つ。
――だから、そちらの世界を救ったら絶対に戻って来て。

俺達は、しっかりと頷いて約束を交わしたんだ。

……そして、今から俺達は行動を開始する。
世界を救う為に。

悲観的な考えはない、胸にあるのは小さな希望。
希望が、あった。


『それ』と出会うまでは。
「……っ!?」
「兄さん……!?」

もう一人の俺と出会うまでは。

全てうまくいくと思っていたのに――。

おわり
ツールボックス

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