今まで書いたものまとめ1


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二○○六年 七月七日。

太平洋のど真ん中に巨大な球体が現れた。

どれくらい巨大なのかと問えば、日本の北海道と同じくらいの大きさだといえばわかってもらえるだろうか。

いや、大きすぎて逆に実感が掴めないだろうな。

その球体はこの地球上に存在しないはずの物で作られていて――。

って、問題はそこじゃない。

問題なのは、そこから『魔族』を名乗る連中が溢れ出して来て、世界中を襲い始めたことだ。

人類は突然の出来事に混乱し、蹂躙され、虐殺された。

抵抗すらもできなかった。

しかし、体制を整えていても無駄だっただろう。

何せ奴らには、刃物や鈍器どころか、銃やミサイルでさえ通用しないのだから。

人類は組織的な抵抗を諦め、各地に作られたシェルターごとに残された人間を集めた。

それが七月二十七日。

既に地球上の人口は三分の二まで減っていた。

だが、何故かそこから魔族の侵攻が遅くなり、人類は多少の時間を得る。

しかし、結局魔族を倒す術など何もないのだから、ただ滅亡を待つだけしかない。

……そう思われた。

だがその時だ。

人類の前に吸血鬼を名乗る存在が現れたのは――。

吸血鬼の王は言った。

「奴らは人類を食糧としか考えていない。人類を全員食い殺したら悠々と別の世界に移動する。
 だが私達にとってそれは非常に都合が悪い! 何故ならば、古来より我々吸血鬼は、闇に隠れながらその存在を知られることなく。
 『人間を殺さないように』血液を頂いて生きてきたからだ! このまま人類が滅ぼされては我々の命すらも危うい!
 だから、私達が人間を守る! その代わりに君達は我々に血液を提供する。どうだ、悪い取引じゃないだろう?」

そして、それから一年。
戦いは続いている。

「……なるほど、そういう経緯があったわけか」
「そうよ。記憶喪失のあんたにも、わかり易い説明だったでしょ?」
俺は今、地下の吸血鬼の前線基地(のような場所の)とある一室で、妹の美羽と向かいあって話し合っていた。
……いや、美羽ではない。
名前は美羽だが、俺の妹の美羽ではなく、吸血鬼の中でもエリート中のエリートであって兄などいないらしい。
「ったく、最初は私が妹だのなんだのわけのわからないこと言ってたけど、やっと大人しくなったわね」
「悪かったよ……」
――俺は学校への登校中にいきなり、『ここ』にいた。
風景は変わらないのに、人の気配が全くしないゴーストタウンになっていた街を歩き回り、ようやく見つけた妹は吸血鬼だという。
最初はわけがわからなかったが、しばらくしてここが別の世界なのではないかと考えられてきた。
対の世界の姫様から、いくつも世界があることは聴いていた。
……何が原因かはわからないが、俺は元いた世界とは並行している世界に移動してしまったのだろう。
それが辿り着いた結論。
というか、それ以外考えられない。
そういうわけで、俺は都合のいい記憶喪失論を展開し、美羽を丸め込み(こちらの世界でも単純な奴だ)この世界の話を聴いていた、というわけだ。
「思った以上に、大変みたいだな……」
俺はどこか他人事のように言う。
……実際、他人事だと感じているのだからそんな風に取られても仕方ないだろうな。
下手に異世界という知識だけはあり、そして戦いに関する経験や知識はない。
それが原因なのか。ここをどこか仮想の世界。漫画やゲームの中の出来事のように俺は捉えてしまっている。

「大変なんてもんじゃないから……。実際、世界中で私達は戦い続けているけれど、どんどんと劣勢になってきてるし……」
「ん? 美羽、吸血鬼ってのはそんなにも数が多いものなのか?」
「気安く呼ぶなって言ったでしょ。……まあ、全員で大体10万ってとこかな」

「結構多いな」
もっと少数精鋭な感じかと思っていた。
俺の中での吸血鬼のイメージなんてのは、古城に住んでいて黒いマント羽織ってシニカルに笑ってる伝説上の存在。そんな感じのもんだったから。
「でも、数ではあっちのが圧倒的に上……それにさ……」
「それに?」
「ううん、何でもない。こんなことあんたにいっても仕方ないし」
ま、個体差で言えば私達のほうが圧倒的に勝ってるんだから、大丈夫よ。などと偉そうに言う美羽だった。
「そうなのか」
そこに、強がって見栄を張る美羽の癖が見えてしまって、素直に同意してやることが出来なかった。
……みんな、どうしてるだろう。
「……何か暗いわね。……まあいっか、もう話はいいでしょ? 今からシェルターに送ってあげるから、そこで身元の照合でもしてもらいなさい」
「あ、いや俺は……」
身元なんて見つかるわけがない。
それより、元の世界に戻る手がかりを見つけないといけないんだ。
「俺は、何?」
「…………いや、何でも……ない」
でも、まずは何をしたらいいのかわからない。
何の意味もなくこの世界に放り出された俺に目的なんてなく、初めは人間が多くいる所に行くのもいいんじゃないかと思えてきた。
「わかった。連れてってくれ」
美羽は俺の表情の変化を訝しみながらも、怪しんでも仕方ないと考えたらしい。
「じゃ、こっちよ」
二人して立ち上がる。
「ん?」
そこで、美羽の手にちょっとした擦り傷があるのに気がついた。
「おい、手に怪我してるぞ?」
「……? ああ、いつ怪我したんだろ。……ま、こんなのつばつけときゃ治るでしょ」
俺の世界の美羽でもそんなことはしなかったぞ……。
「俺が治してやるよ」
魔法の成績はそれほど良くないけれど、この程度の傷ならば余裕だろう。
「治すって、どうやって……あっ?」
美羽の手を取る。
人間と同じように体温もあって、脈も感じる。本当に吸血鬼なのかな。
なんて、そんなことを考えながら手を重ねて精神を集中する。
「…………!」
柔らかい光が手の辺りを包み、手をどかせば傷は綺麗さっぱりなくなっていた。
「ま、こんなもんか」
結構疲れるんだけど、まあちょっとしたお礼という奴だ。
「じゃ、行こう……ぜっ!?」
途端に、胸倉を強い力で掴まれ、勢い良く壁にたたきつけられる。
「あんた、なんでこんな力持ってるわけ!?」
「な……なんでって……げほ」
背中を強くぶつけたせいで呼吸がうまくできない……!
美羽の顔は、さっきまでとうってかわって、今まで見たことがないような恐ろしい形相となっている。
何をそんなに驚いてるんだ……!?
「べ、別に人間なら……誰でも……」
「人間なら!? 誰でも!? 馬鹿かあんたは! こんな力持ってるの、吸血鬼か魔族くらいしかいないっての!」
「……え?」
そうか、ここは別の世界なんだ。
魔法なんて安易に使うべきではなかったのか……!
「あんた、やっぱり怪しすぎる。このまま取り調べするわ」
「え、ちょ、ちょっとま……おわ!?」
さっきの薄暗い部屋に乱暴に投げ込まれる。
「あんたはそこで大人しくしてなさい。上に報告してくるから」
「っつ……おい、ざけんな……!」
俺が起き上がって文句を言おうとしたその時には、既に扉は閉められていて、部屋の中には俺一人だけが残された。
「なんだよ……くそ……」
頭をぶつけたせいで、ずきずきと痛む。
別の世界に来て何をしていいかもわからず、ただでさえ不安だというのに……何故こんなことになってしまったのだろう。
……扉を開けようとしたら、案の定鍵がかけられていた。。
「…………」
結局、俺には何も出来ない――。
「美羽……美優……」


あれから、何時間経っただろうか。
「…………」
ここには窓も時計も無い、時間を把握する術がないのだ。
ただ、この空腹と喉の渇きから、5時間近く経っているのはわかった。
「何で誰も来ないんだよ…………」
もしかして、このまま放置されて死んでしまうのだろうか。
こんな世界に飛ばされて、何もない部屋で何の意味も無く死亡……。
そんなの嫌過ぎる。
「誰か……助けて……」
祈るようにそうつぶやいた時、誰かがその声を聞きつけたかのようにタイミング良く扉が開いた。
「……すまなかったな。放っておいて」
「あ……」
顔を上げると、そこに立っていたのは……。
「ノア先生!?」
ノア先生も、吸血鬼なのか……!?
「何だ、私を知っているのか?」
まずい、一応俺は記憶喪失ということになっているんだ。
ボロを出すわけにはいかない。
「あ、い、いえ……顔だけは、その……何故か覚えていたんです」
「……………………まあいいだろう。ついてきてくれ」
「は、はい」
踵を返して歩き出す先生の後に、力の入らない足で何とかついていく。
しかし、俺が知ってる人間にこうして連続で出会うだなんて、あまりにも都合が良すぎる気がした。
だけれど……気にしても仕方がない、か。
「……あ、そういえば、美羽はどうしたんですか?」
本来ならあいつが迎えに来るのが筋ってもんじゃないだろうか。
「美羽は死んだ」
「……え?」
先生は、足も止めず、こちらを見もせずに平然と言う。
対して俺は、その言葉を一瞬で理解することが出来ずに呆然と立ち尽くす。
「君を迎えに行くのが遅れた原因は、魔族が久しぶりに急襲をかけてきたせいだ。当然我らは迎撃にでた。
 だが、そこで美羽はへまを踏んで死んだ」
「な、なんで……!」
「なんで? ……戦いなのだから仕方ないだろう」
そういう話をしているんじゃない……!
「き、吸血鬼は不死身なんじゃないんですか!?」
そうだ、美羽は説明を始める前にそんなことを言っていた気が……。
「ああ、『夜の間』は、『ほぼ』不死身だ。だが美羽は敵に捕らわれて、太陽の光に晒されて灰となった。
 吸血鬼の弱点を効率良く突いた敵の作戦だ。……何とか追い払いはしたがね」
「そん、な……」
美羽が、死んだ?
この世界と元いた世界の美羽は、違う。
それは、わかっているけれど……!
「なんであなたはそんなに冷静なんですか! 仲間が死んだんでしょう!?」
「一々悲しんでも仕方の無いことだからな」
「………………」
そうか。
ここは、誰かが殺されたりするのが『当たり前』の世界なんだ。
俺がいた世界とは、倫理観も、ルールも、命の価値も、まるで違う。
やっと、俺は自分が異世界にいることを実感する。

……俺は、こんな世界で生きていくことができるのだろうか?



「……さて、話を聞こうか」
ノア先生に通されて来た部屋は、あまりにも殺風景な場所だった。
今ノア先生が膝を組んで悠々と腰かけている革張りの椅子以外の物は、この広い空間には存在しない。
「話を聞こうかって、言われても……」
「まだ元気がない? そんなに美羽がお気に入りだったのかな?」
その言葉に少し嘲笑うような気配が感じられて、俺は少しむっとしながら答える。
「別に、そんなことはないです。……ただ、どうすればいいのかわからないだけで」
「記憶喪失」
「は?」
「記憶喪失なんだろう?」
「え、あ、ああ、はい」
やばい。虚を突かれて思いっきり顔に出てしまった。
「本来なら人間を保護した場合、シェルターに送り届けるのが我々の義務となっている……が、君は何故か力が使えるらしいね?」
「い、いや……そんなことは」
ありませんよ。と言おうとした所で。
「私は意味の無い話は嫌いなんだよ」
一瞬、一瞬で、目の前に立っていた。
まばたきをしていたわけでもないのに……!
「ん? それとも頬を舐めて『嘘をついてる味だな』とでも言えば満足なのかな、君は?」
「…………つ、使えます」
ゼロ距離から威圧されて、つい屈してしまった。
「……ふうむ。でも、血の匂いは本当に人間だし……」
顎に手を当て考えるような仕草を取るノア先生。
……本当に、見た目は先生なんだよな……美羽の時も驚いたけど。
「少し、君のことを調べさせてもらうことになるが、いいかな?」
え。
「し、調べるって、どうやってですか」
「何、血を少しもらうだけさ。体には何の害も無いよ」
笑顔で肩に手を置かれる。
……怖い、笑顔がかなり怖い。
元いた世界の先生もこちらの世界の先生も、やはりシニカルに笑うのが似合う大人の女性だ。
こんな風に満面の笑みで言われても怖いだけだ。
「とはいっても、今日は君は長時間放置されて疲労が溜まっているだろうしな……」
「……」
「溜まってないか?」
「…………あ、いえ、その、疲れてます」
というか、お腹が減ってます。喉も渇いてます。
だけれど、委縮してしまって疲れてるとだけしか言えなかった。
「そうか、ならば仕方無い。血を吸うのは明日に回そう」
とりあえず吸血は免れたらしい。
「…………ふむ、じゃあ君にはここに泊まってもらおうか」
「え?」
何でそーなるんですか?
「どうせ君は記憶喪失なんだろう? 何もわからないならここにいればいい、ある程度の自由は保障しよう。ただし、血を頂くという条件でね」
「え、あの、その」
ノア先生はぽんぽんと勝手に話を進めている。
俺は口を挟む間もなくうろたえるだけだ。
「不安はわかる。だけれど君には他に選択肢はない。違うかい?」
「…………はい」
悔しいけれど、その通りだった。
元の世界に戻りたいけれど、今はなんの手がかりもない。
安全を保障してくれるというのであれば、ここは従っておこう。
「良く頷いてくれた。私はその賢明な判断に敬意を評するよ。……美優!」
ノア先生が虚空に向かって一喝すると、椅子の後ろから一人の女の子が立ちあがった。
……女の子? って、あれ……。
「み……!?」
ゆ。と続けそうになるところで何とか口を抑える。
記憶喪失という設定なんだ。知っている素振りを見せたらまずい。
「お呼びでしょうか、ノア様」
「彼を客室まで案内してやってくれ、それと簡単でいいからこの場所の説明を。後は……彼から質問があれば出来る限り答えてやってくれ」
「……わかりました」
美優がノア先生に恭しく礼をする。
普段見慣れない光景だけに、生気の無い美優の顔に少し違和感を覚えた。


コツコツ、コツコツ、コツコツ。
薄暗い廊下に、二人分の足音が響く、
「ここは貴方が見つかった街の地下に広がっている前線基地です。貴方が入ってきた場所の他にも幾つか入口はありますが、ここではその説明は省きます。
 このフロアは地下3階です。最下層は地下10階です。貴方はある程度の自由を許可されているようですが、明日の朝には検査がありますのでその時には部屋にいてください。
 尚、貴方が入れるのは地下5階までです。6階から下に侵入した場合警告無しで即刻末梢となりますので注意してください」
美優は、歩き始めに早口でそれだけ言って。後はずっと無言だった。
やっぱり、こっちの世界でも人見知りだったりするのだろうか。
「…………」
というか、何で俺の知り合いは皆吸血鬼なのだろう。
この調子じゃあ俺の周りの人は全員そうなっているのかもしれないな。
「おゎっ!」
前を歩く美優が突然止まるので、ついぶつかってしまった。
いや、俺がぼーっとしていたのがいけなかったんだ。
「わ、悪い」
俺が謝りながら立ち上がると。美優は右手で簡素なドアを指さした。
「ここが客室です」
どうやら着いたらしい。
「これを渡しておきます」
美優は懐から紙を取り出して、ぽいと俺に投げ渡す。
「これは?」
「地下五階までの見取り図です。ここは広い上にわかりにくい構造になっているので、絶対にそれをなくさないでください」
それでは。と美優は踵を返そうとしたので。俺は「ちょっと待った!」と呼びとめる。
「なんですか」
随分と無愛想だな……。
「……あ、あのさ。えーと……」
いろいろと質問したいことがあるのだけれど、まずは当たり障りのなさそうなところから訊いて行こう。
「あ、あの。ノアさんは、君の上司か何かなの?」
「ノア様は吸血鬼の王です」
「王!?」
あのノア先生が!?
「ほ、本当に!?」
「本当です」
「…………ふはぁ……」
まじかよ……あのノア先生が王様ね……。まあ、SMの女王みたいな雰囲気のある人ではあったけど……。
「…………」
「…………」
「…………」
「……あ、あの。もっと説明は?」
「そこまでは求められていません」
本当に言われたこと以外はやらない主義なんだな。
まだ俺に心を開いてないだけか……。
「あー、えっと、じゃあ、今何年の何月何日何時かわかる?」
「2007年7月23日22時31分36秒です」
「……ありがと」
俺が元いた世界と、同じ……か。
「もういいですか? それでは私はもう……」
「ちょ、ちょっと、最後に!」
ぴくりと眉が動く。
やっと美優の中に感情の動きが見えた。「鬱陶しい」って感じだけど。
「…………あのさ、美羽と君は、姉妹な――」
俺の言葉は、最後まで吐くことなく中断された。
「ぐ、ぐぅ……!」
美優に胸倉を掴まれて、締め上げられてる……!?
あ、あしが、浮いて……! 息が……!
「お前が姉さんのことを口にするな! 殺すぞ!」
「な……なん……」
鬱陶しいなんてものじゃない、はっきりとした憎悪と殺意が、俺にぶつけられている。
「お前のようなクズ人間のせいで……!」
美優はそこまで言って、何かに気づいたかのように力を緩めた。
「……けほっ」
俺は壁にもたれかかって、何とか息を整える。
「失礼。早くお休みください」
美優は、俺の顔を見ないようにして、今度はさっさと走り去っていく。
声をかけようとしても、先ほどまで締め上げられていたせいですぐには声が出なかった。
(…………なんなんだよ…………)
俺のせいって、どういうことだ……!?




「……腹減った」
真夜中に目が覚める。

そういえば、何も食べてなかったんだよな……。
喉も乾いてるし、このままじゃ眠れるわけがない。
眠れたところで起きるまでに餓死してしまうかもしれない。

まあ、考えることが多すぎたうえに、不安ばかりが頭の中に渦巻いてとても眠れるとは思えなかったのだが。

裸電球のスイッチを入れて、明かりをつける。
「……この建物の部屋は、みんな殺風景なつくりなのかな」
客室には、ベッドが一つ、タオルケットが一つ……後家具が少々。
「つか、電気はどこから通ってるんだろ……」
そんなどうでもいいことをぼやきながら見取り図を開く。
えーと、食い物にありつけそうな所は……。
「お、地下二階に食糧庫が……」
吸血鬼の本拠地だし、人間の食料があるかどうかは疑問だけれど、行ってみるしかない。

勝手に行くと怒られそうだが、これは緊急事態というやつだ。

俺は静かに廊下に出て、見取り図を見ながらエレベーターに向かう……が。
「!」
廊下の途中でノア先生の後姿を発見してしまった。
カツカツと心地よい音を立てながら廊下を歩くノア先生の姿は、やはりいつ見てもかっこいいモノがある。
女性が憧れる女性というのは、やはりああいう人なんだろうな。
「……って、そんなこと考えてる場合じゃないな……」
別に見つかってもまずいところはないのだが、なんとなく足音を潜めてしまった。
……ノア先生はエレベーターに乗って地上に向かったらしい。

「…………どうしよ」
今は夜。
吸血鬼も外で活動できる時間帯なのだろう。
「ノア先生に訊いてみるか……」
人間様の食料が置いてあるのか、質問してみることにしよう。
なにせ王なのだから、知らないことなどないはずである。


夜の住宅街は、音一つない世界。
当たり前だ、人間は全員シェルターというところに行っているのだから。
「…………」
何となく、今この地上に俺一人しかいないということを考えると、いつもなら出来ないようなことをやってみたくなってくるな……。

「慎みたまえ諸君! 私は今楽太郎になろうとしているのだよ!」

夜空に向かってそんなことを叫んでみた。
「…………?」
しかし、何で俺はこんな意味のわからないことを叫んだんだ?
何か得体のしれない強制力が働いたとしか思えない。
「ま、考えても仕方ないか……」
一つ溜息をついて、改めて周りを見渡す。
ここの住宅街を歩くのは二度目だ。
一度目の時は曇天で、いきなり美羽に詰問されたっけな。

一瞬、美羽の笑顔が脳裏をよぎったが、すぐに頭を横に振って忘れようと努める。
……悲しんでも、俺には何も出来ないんだ。

しかし戦場になっているという割には、全然街は破壊されていないんだな。
何故だろう?
いくらミサイルなどの兵器を使う戦いではないとはいえ、ここまで奇麗だと逆に不気味だ。
「そこらも、ノア先生に訊けばわかるか……」

「少年、君は何をしている?」
「うおああああっ!!」
某蛇のスパイもびっくりな後ろの取り方のせいで、つい腰を抜かしてしまう。
あまりにも情けなかったが、誰だろうと後ろからには弱いのだ。いろんな意味で。
「……そんなに驚くことはないだろう」
「驚きますよ……。足音一つしないんですから……」
「吸血鬼は闇に紛れるからな、まず人間にはわからないだろう。……それより、あまり関心しない。
 ある程度の自由を許可するとは言ったが、外に出ていいとは言った覚えはないぞ」
ノア先生は咎めるような口調で言う。
先生はあまり怒っているようにはみえないが、真面目に考えなければならない『忠告』だと俺は受け取った。
たぶん、二度目を破ったらこの人は物凄く怒るだろう。
「……すいません、あの……お腹が減って、喉が渇いたもので、ノアさんに何か食糧はないか訊きにきたんです」」
素直に頭を下げる。
するとノア先生はふっと笑って。「まあいいか」と言った後。
ぽいと、俺に向かって何かを投げ渡す。
「あ……」
それは乾パンの缶詰と、500mlのペットボトルに詰められた水だった。
「少しシェルターに行ってわけてきてもらっていたんだ。……我々の住処には、人間用の食糧などないからな」
「……ありがとうございます。でも、何でノアさんがそんなこと……王様なんじゃないんですか?」
「何だ。美優から聞いたのか? 確かに私は王だが、それとこれとは関係がないな。ただやるべきことがあった時に、ついでの用事を思い出した。それだけさ」
「……はあ」
吸血鬼社会は上下関係があまり厳しくないらしい。
「まあ、今はその缶詰と水しかないが我慢してくれ。明日になればシェルターに要求してもう少しましな食事をとれるようにしよう」
「あ、ありがとうございます」
何だか、元の世界のノア先生よりいい人っぽいな……。
俺は久々に優しさというものに触れて感激する。
「私はまだここに残るが、君はもう戻るか?」
「……あ、本来の用事って、なんだったんですか?」
そうだ、ノア先生はついでだと言っていた。
だとしたらついでではないメインの用事があるってことだ。
ノア先生は「……まあ、言ってもいいか」と頷いて。
「夜を貯め込んでいるんだよ」
と、短く続けた。
「夜を……貯め込む?」
何かの比喩だろうか。
言葉通りに受け取る、ということが出来ない。
そもそも夜を貯め込むなんて、日本語としておかしいのだから当たり前だ。
「まあ、そこらはおいおい説明して行こう……おいおいな」
ノア先生はそう言って、んー! と勢いよく背伸びをする。
「……?」
その時、ノア先生の手の甲から血が少しだけ流れているのが見えてしまった。
「ノアさん、その怪我どうしたんですか?」
俺が指摘すると、ノア先生ははっとして手の甲を覆い隠す。
「い……いや。これは、ちょっとぶつけてしまってな」
「そうですか……?」
……何をそんなにうろたえることがあるのだろう?
まあ、しかし。それはそれでいいにしても、そのくらいの傷なら、前と同じように治してあげられると思う。
「ノアさん、その傷俺が治してあげますよ」
「ん……。ああそうか、君は美羽の傷も治したことがあったのだったな」
「こんな軽い傷しか、治せませんけどね。死ぬほど力を込めればわかりませんけど」
俺は、ノア先生の手の甲に自分の手のひらを重ね、意識を集中。
……そして、光が溢れ出す。
「おお……」
ノア先生が感嘆の声を漏らし、俺はそろそろかなというところで手をどける。
すると、血はしっかりと止まり、傷は奇麗に消え失せていた。
「素晴らしいな」
「そうですか? 大したことないですよ」」
「……君は、今自分がどれだけの偉業を成し遂げているのかわかっていない」
少し呆れるかのような口調に、俺はどう反応を返したものか迷ってしまう。
「しかし、記憶を失っても能力の使い方はわかるのだな」
「あ、い、いやそれは。この。本能みたいなもので……」
「……まあ、我々も似たようなものだ。追及はすまい」
…………何か、この人には全部見透かされてるような気がする。
どこの世界でも、不思議な魅力を持つ人だ。
「ほら、今日はもうそれを食べてゆっくり眠れ。明日は血液を頂くんだからな」
最後の一言で台無しになった気がした。

……でも、一日の終わりにゆっくりと話ができたおかげで、異世界での最初の夜は落ち着いて眠ることが出来そうだ。


「…………ふぁ…………」
トイレからでて欠伸を一つ。
吸血鬼にもトイレは必要なんだな……まあ、俺としてもありがたいんだけど。
「部屋に戻って待機、か」
美優の言葉を思い出す。
確か朝から俺の血を調査するんだったよな。。
正直血を調べて何がわかるのだろうかとも考えたけれど、俺はここに保護してもらっている以上従わないわけにはいかない。
「…………んー」
しかし、何で誰とも会わないんだろう。
ここが吸血鬼の前線基地だというのなら、美優やノア先生以外の吸血鬼にも出会ってもいいはずなのに。
ただこのフロアにはいないだけなのか、それとも夜行性なのか。
いや、美羽やらは昼でも平気で活動してたし、そんなことはないのか……。
「まあ、俺が考えてもわかることじゃないか……」
部屋に戻ってベッドに腰掛ける。
朝飯はまだ食べてないけれど、別に食べなくても俺は平気だ。
昨日の残りの水を飲み干して、空のペットボトルを床に置き、何の娯楽も無い部屋で迎えをじっと待つ。
部屋のオブジェの一つになるかのように意識を集中してみたけれど、結局その集中は10分も持たなかった。
「……寝ててもいいか……」
誰か来たら起こしてくれるだろう。
俺の心に緊迫感なんてそれほどなくて、それでもいいのかなとも考えたけれど、まあいいかなんて一人で合点をつけてしまった。


………
……


「ん……」

一時間くらい寝ただろうか。
やはり時計もなくて外の見えない地下では時間の感覚が狂ってしまう。
このままずっとここにいたら、発狂とかしそうだな……。
中々ぞっとしない想像だった。
「…………まだ、誰も来ないのか」
朝といってたのに、意外と時間にルーズなんだなあ。
「俺から会いにいってみるか」
昨日ノア先生がいた部屋まで早足で向かってみるが、そこには誰もいない。
「あれ?」
ここはノア先生の部屋というわけではないのか。
見取り図を確かめてみる。

『空き部屋』

「空き部屋なのかよっ」
どうやらノア先生の部屋は地下10階、つまり最下層にあるらしい。
だが俺が立ち入りを許可されているのは5階までであり、その約束を破ると警告なしで即抹消という恐ろしいお達しを受けている。
全く、美優も怖くなっちゃったよなあ……。

「ん?」
しかし、美優の部屋は地下5階にあることに気付く。
こちらならば俺でも行ける範囲だ。
「ちょっと行ってみるか」
思い立ったと同時に歩き始め、エレベーターまで辿り着く。
すると、丁度上からエレベーターが降りて来る所だった。

B1 B2 B3 ……B4とは行かず、この地下3階で止まる。

「ん……? ああ、君か」
「…………」

上から降りてきたのは、ノア先生と美優の二人だった。
「お、おはようございます」
出会い頭で少し驚いた俺が、適当にそんな挨拶をすると。
「……ふふ、吸血鬼に『おはよう』ほど似合わない挨拶はないな」
なんて軽く笑われてしまった。
美優は相変わらず無表情のままだ。
「まあいい。少し君に伝えなければいけないことがあってね」
「……? なんですか?」
「君の血を調査するのは、また後日に回してもいいかな?」
ノア先生は、眉間に指を当て、疲労を吐き出すかのようにため息をつく。
「悪いが、今日はもう疲れたんだ」
「……いいですけど」
俺としてはまだ少し怖いので、遅れてくれた方が安心できるというものだ。
「良かったと安心しているな。……すぐにわかるぞそういう顔は」
「え」
「ふふ……まあいい、まあいいさ。君の今日の分の食事は後で美優に運ばせよう。……今日も適当に過ごしてくれればいい」
「あ……はい。わかりました」
ノア先生はかっこよくピッっと指を振ってエレベーターの中に戻っていき、美優もその後に続く。
エレベーターのランプが地下10階まで移動するのを見届けた後、俺は部屋に戻った。

「……ふう」
朝から疲れるようなことって、一体何をしていたんだろうか。
俺が考えた所で結局わかるはずもなく、ベッドに座ってぼーっとしていると。

「…………」

ノックもなく、それどころかドアを開ける音すらたてずに美優が入ってくる。
「お……よ、よう」
美優からの返事はなく。
淡々と、あくまでこれは言われたからやるのだと言う空気を全身から醸し出しながら、右手に持ったビニール袋を俺に手渡す。
中に入っていたのは、パンと水のペットボトルが3つずつ。
健康な男子としては、流石にこれだけだと辛いものがあるんだけどな……。
「なあ。もう少しだけ、多くもらえないかな……?」
さっさと出て行こうとする美優の背中に声をかける。
「……あなたは私達に血を与えられるのですか?」
「は……血……って言われても」
調査の話か?
「吸血鬼の食事は血液。あなたは我々に定期的に血液を分け与えてくれるのですか?」
……どうやら違うらしい。
美優が突然饒舌に語りだすものだから、たぶん無視されるだろうなとか考えていた俺としては少し戸惑ってしまう。
「あなたはそのパンと水にどれだけの価値があるのかわかっていない」
「価値って……」
……そうか。
今は人間だって大変な時で、その中でこれだけの食料を確保することさえ大変なのかもしれない。
「……ごめん。そだよな、シェルターにいる人たちも」
「違います」
「え?」
何が違うんだ?
「あなたは今誰の庇護を受けているのか、良く考えることです」
「え、ちょ、おい……!」
バタン。
ドアが閉められて、俺は一人取り残された。

「……美優」

俺は呆然として、ただ美優の言葉を頭の中で繰り返しながら思考する。
「…………わかんねえ」
この閉塞された空間と同じように、俺の思考も滞ってうまく頭が回転しない。
「俺って、一体なんなんだろうな……」
こんな薄暗い部屋で、一体何をうじうじと考えているのだろう。
そんなネガティブな方向にばかり、考えが向いてしまう。
「誰の庇護を受けているのか……か」

やっぱり、ノア先生かな?
でも、俺は当然食糧を分けてもらっていることに対して感謝している。
そりゃあ、もっとくれなんて言ったのは図々しかったのかもしれないけれど。
それでも、美優があそこまで言う理由は無いように思えるのだが……。

「ああもう……俺は寝る……!」

一度に考えすぎてもだめだ。一度ガス抜きしなければいけない。
俺は適当にそう見切りをつけ、ベッドに寝転がった。


「お兄ちゃん……起きて……」
ゆさゆさと、誰かが俺の体を揺すっている。
「誰……だ……」
お兄ちゃんなんて呼ぶ人が、この世界にいるわけが……。
「お兄ちゃん、遅刻するよ?」
「!?」
え!?
なんで、俺は俺の部屋にいるんだ!?
「お、お兄ちゃん……?」
ベッドの脇には美優が立っていて、跳ねるように起き上がった俺にびっくりしている。
俺が俺の部屋にいる。
それはその文だけ見れば当たり前のことでなんらおかしくない。
だけど俺はさっきまであの異世界にいたわけで……。
「美優」
「え、な、何……?」
美優の両肩に手を置いて、まっすぐに目を見据える。
「恥ずかしいよ……」
「あのな……美優」
「う、うん」
「お前……吸血鬼とかじゃ……ないよな?」
「え、何、言ってるの?」
きょとんとした無垢な瞳で見つめ返され、俺は安堵する。
「そうか……」
良かった。
俺は、戻ってこられたんだ。
理由はわからないけれど、戻ってこられたんだ……!
「私は当然、吸血鬼だよ?」
「――え?」

そこで、目が覚める。

目が覚めたら、いきなりノア先生の顔が目の前にあった。

「………………………」
「起きたか、少年」」
「…………? …………っ!!」
「何を驚いている?」
い、いや。そんなこと疑問に思われてもこちらが困る。
起き抜けにこんな美人の顔が目の前にあったんじゃ、そりゃ驚きたくもなる。
「な……何をしてるんですかっ!」
「膝枕というやつだよ」
あ、そういえばなんか頭にやけに柔らかいものが当たると……って膝枕!?
ばばっと素早い動きで起き上がりむき直れば、ノア先生はベッドに腰掛けていて、確かに俺が膝枕をされていたらしいことがわかる。
「何でそんなことを……」
「いや何、美優の様子がおかしいので何かあったのかなと訪ねてみれば、君は人間なのに昼間っからぐうぐうと寝ているではないか。
 しかし枕は用意してやれなかったせいか少し寝付きが悪そうだ。仕方ない、ここは私が膝枕をしてやろう……というわけなのだよ」
説明口調なのが気になったが、話せば話す程この世界のノア先生の善人さが際立ってくるな。
シニカルに笑ったり、皮肉っぽいことを言う部分で被るところはないでもない。
だけれど、あちらの世界にいたノア先生の心の奥底からは少しダークな感じを受けるが、こちらのノア先生からは感じないのだ。
それが何に起因するのかまでは、わからないけれど。
「それで少年、君が昼間っから不貞寝をしていた理由はなんだい?」
「あ……それが……」
俺は、寝る前に美優と交わした会話のことをノア先生に話した。
ノア先生は、最初こそふんふんと物わかりの良いお姉さんのように頷いていたが、途中から何だか真面目な顔になって黙ってしまう。
「……ということんなんですけど」
「なるほどな。……美優め、余計なことを言う」
非難するのではなく、ただ呟くかのようにノア先生は言った。
「少年、君はそう言われてどう思った?」
「え……」
突然の質問に少し動揺したが、俺は少し委縮しながらも、自分の考えを述べていく。
「当然、ここに置いてもらってることとか食事をもらっていることについては、感謝しています。
 ……でも、美優の言ってることはなんだかそういうのとは違う気がして……」
「いや、それでいいのさ少年。その感謝の気持ちさえ忘れなければそれでいい」
諭すように肯定して、ノア先生は俺の頭をぽんぽんと撫でるようにした。
「ノアさん、でも……」
「実はな、今朝魔族の襲撃があった」
「え?」
「とはいっても、何故か敵は積極的な攻撃をせずに距離を取るばかりだったのだがな。
 ……まあそれでも戦闘は戦闘だ。体力は使う」
「あ、だから今朝……」

『悪いが、今日はもう疲れたんだ』

あれはそういうことだったんだ。
そう、ここは戦いがいつ起きてもおかしくない世界だということを愚かにも失念していた。
まだ、美羽が死んだばっかりだって言うのに……俺は忘れていたっていうのか……?
気を抜いていてどうする、馬鹿なのか俺は!

「君が悩む必要など何もないといっただろう。人間を守るのは我々の義務だ」
「……義務」
「いや、義務というのも違うな……。もっと簡単なことだ、我々には人間を守るしかないのさ」
「守るしか、ない?」
「そう。そうだな……うまく例えが出ないけれど、公務員に似たようなものだ。
 民から払われる税金で給料を賄われるのだから、民の為に尽くすのが当たり前。
 吸血鬼も人間から血をわけてもらっているのだから、人間を守らなければいけない。
 君は少し事情が違うけれど、人間は人間さ。その対象から外れてはいない」
「……なるほど」
「それに、人間は君が考える程食糧には困っていないようだよ。クローン技術とやらが随分と発達しているらしいからね」
「クローン技術ですか?」
俺のいた世界では、それほど注目されていなかったような気がするな。
まあ、こちらの人は魔法が使えない分、科学などに力を入れているのかもしれない。
「しかし、ここで君が美優にぶつけた質問に答えるが。……食事を増やしてくれと言われて増やせるのかと言えば、
 それはNOだ。悪いけれど、我慢してくれないか?」
本当に申し訳なさそうに謝るノア先生に、俺は慌てて取り繕う。
「あ、い、いえ! いいんですよ! ノア先生が謝る必要なんてこれっぽっちもありませんって!」
「……ありがとう。それじゃあ、私は戻る。何か会った時は大声で叫べば誰かが気づくだろう」
「あれ? あの、血は調べなくていいんですか?」
「今日はもう血液の摂取は終わらせてしまったのだよ。どんな形であれ、私は血を吸うのは一日一回と決めている」
「そうなんですか……」
「わかったならいいさ、ただし明日の朝までに覚悟をしておいてくれればね」
ノア先生はかっこよく身を翻し、朝と同じようにピッと指を振る。
覚悟をしとけというのが気になったが、今度は俺も同じようなモーションを取って返す。
「息災を」
短い言葉を残し、ノア先生は出ていった。
やっぱり凄い人だ。話していると不思議と心が落ち着いていく。
人間には計り知れないような大きな器、大きな胸の内に抱かれているような感じがする。
「やっぱり、王様というだけあって違うのかな」
まあ、実際胸も大きいけど。

そんな風に考えて、少しだけ自分が嫌になった。

 
翌朝。

「さあ、君の血を頂こうか」
「……あの」
「なんだい、少年」
何で俺はノア先生に押し倒されているのでしょうか?

昨日の夜、パンと水で何とか空腹を満たし、今元の世界ではどうしているだろうな……なんてちょっとしたホームシックになったりした。
しかし、今はただ眠るしかなかった。
戦時中なんだし甘ったれたことを言っても仕方ないからだ。
郷愁とか哀愁だとか、良くわからない感情が胸から湧き上がってくるのを抑えながら、ただ眠るだけ。

そして夢を見た。
俺はそこでは自分の部屋に寝ていて、美羽が起こしに来てくれていた。
最初は優しく俺の体を揺すり、俺はそれを拒否しながら「あと五分」なんて呟く。
そうしたら段々と揺する力は強くなっていって、次第にはベッドから引きずりおろされる。
天地がひっくり返ったような感覚に驚きながら起きると、美羽は憎悪に歪んだ顔でのしかかってきて、首を絞めてくる。
「お前のせいだ」とつぶやきながら……。

そんな悪夢で目が覚めて体を起こそうとすれば、妙に重い物が俺の上に乗っていて体が動かない。
視線を動かしてみれば、何故かノア先生が俺の上に乗っていて、「おはよう」などと嘯いていた。
「さあ、君の血を頂こうか」
「……あの」
「なんだい、少年」
「何で俺の部屋にいて何で俺の上に乗っていらっしゃるのでしょうか」
もしかして悪夢を見たのはこの人が上に乗っていたせいではないのだろうか。
「実を言うとな」
「実を言うと?」
「もう我慢が出来なくて、昨日からこうして馬乗りして待機していた」
少しだけ子どもっぽい笑みを漏らす先生。
ああ、やっぱりこんなところはあちらと同じだ……。
「だったら、昨日遠慮なんかせずに吸えばいいじゃないですか……」
「それはダメなんだよ、それは私が私にかけた戒めだからね」
「……じゃあ、寝ている間に吸うとか」
「それでは面白くないじゃないか」
「面白いとか面白くないとかそういう問題ですか?」
俺としては、起きたらもう終わってましたよ。ってなことになってたら良かったのだが。
「ああ、なんというか……こういうと私の嗜好が明らかになってしまうのであまり言いたくはないのだが、
 私としては何らかの反応があったほうが意欲が増すのでね」
ああ、やっぱりSなんだこの人。
諦観みたいな気持ちで胸が一杯になる。
「……でも、血をもらうってどうやって……」
「ん? 当然、直に吸うのだが」
「直って言うと、俺に牙を突き立てて吸うってことですか?」
「その通りだ」
「い、痛いですか?」
というか、吸われた人も吸血鬼になるってのは良く漫画や映画である話だけれど実際はどうなんだろう。
「痛くはないよ。それに吸われたからといって君の体に何か変調があるわけではない、安心したまえ」
あまり安心できないけれど、どうせ俺には拒否権はないのだろう。
無駄だとは思いつつ訊いてみる。
「これ、やっぱり嫌だっていっても」
「駄目だな」
間髪入れずに返事が返ってきた。
……まあ、痛くないって言うのなら、いいか……。
「わ、わかりました。早くしてください」
「英断だ」
ノア先生は俺に覆いかぶさるように倒れてきて、両腕を動かないように強い力で抑えつけられる。
「ちょ、ちょっと……?」
万力で締め付けられてるみたいに、痛いんですけど……?
「ごめん、実はものすごく痛いから、暴れないようにな」
「な――!」
俺が非難の言葉を吐こうとした時にはもう遅い。
ノア先生の口の中に鋭い牙が見えて、それが俺の首筋に突き立てられる。
「―――――――――!!」
い、痛い! 痛いイタイいたい痛イいたイ遺体!
全身の肉が首に惹きつけられるかのようにびくびくと震えて、どくどくと血液が流れ出しているのがはっきりとわかる。
「あ、ああ――!」
脳は痛覚だけに支配され、やがて体の感覚さえなくなっていく。
そしてそのまま意識さえ、何か真っ黒な物に侵食されていき――。
「……む、間違えたかな……?」
そんな無責任そうなノア先生の言葉を最後に、俺の意識は闇に堕ちた。



ああ、なんだここ。
外、か?
俺はなんでこんな所を歩いてるんだ……?

(……!?)

体が、動かせない。
いや、体の感覚がないんだ。
だけれど歩いているってのは、どういうことなんだ?

「……はぁ」
(!?)
今発せられた声は、明らかに俺のものじゃない。
(ノア先生の声だ……)
じゃあ、俺はノア先生の体に……乗り移っているのか?

「…………」

なんでこんなことになっているのだろうか。
血を吸われたことに何か関係しているのかもしれない……。
(もしかしたら、ただの夢かもしれないしな……)
だったら、この場は文字通り身を任せるしかないか。

俺……いや、ノア先生は無言で夜の街を歩いて行き、一つのビルに辿り着く。
そのビルの前には、銃を持った軍人らしき人間が二人立っている。

見張り……ってことは、ここがシェルターの入口なのだろうか?

「!!」

そして、その二人がこちらの存在に気付き。

――銃口を向けて、「近付くな!」と叫ぶ。

(……え?)

だけどノア先生は歩みを止めず。

銃声が一つ、轟いた。


「……ろ……」
……え?
「……きろ」
なんだ?
「おきろーーーー!」
「ぁぁぁぁああああっ!」
耳元で爆音が轟いて、俺は文字通り飛び起きた。っつーか飛んだ。
ついでに覚醒しかけた意識すらまた飛ばされそうになった……。

「もう、やっと起きた」
「え……」
大声出させないでよね、とベッドの横でぶーたれていたのは――。
――陽菜だ。
幼馴染まで吸血鬼だってのか……。
俺は新たな事実にまた少し眩暈を覚える。

いや、眩暈がするのはそれだけが原因ではない、血をあれだけ吸われたからだ。
今では痛みは全然残ってないけど、恨むよノア先生……。……?

――あれ?
俺、何か忘れてないか?
さっきまで、俺は何かしていたと思うのだけれど……それが何なのか、全く思い出せない。
残っているのは少しの頭痛だけだ。

「あのね、ご飯持ってきてあげたから」
陽菜は袋詰めされたコッペパン一つに、やはり昨日と同じ水をベッドの上に投げた。
……ま、覚えてないのなら考えても仕方ない。今は朝食をとることに集中しよう。
「それじゃ、それ食べ終わったら会議室まで来てね? 大翔くん」
「え、あ、ああ……」
……?
今、何か変なこと言わなかったか?
…………しばらく思考して、パンを食べ終わることにようやく気がついた。
「そうだ、名前だ」
そういえば、俺はここに来てから一度も名乗ったことがなかった。
ノア先生は少年って呼ぶし、美優はお前とかあなたとか呼ぶ。
完璧に名乗るのを忘れていたのだけれど……。

なのに何故、陽菜は俺の名を知っていたんだ?




ここは全体的に打ち捨てられて廃墟のような作りかとおもえば、それは違った。
会議室はどこぞの会社で使うかのような奇麗な場所で、そこにノア先生しかいないということ以外、変なところはなかった。
「……遅いよ」
「すいません」
とりあえず頭を下げておく、が。
ノア先生はそれ以降黙って俺を睨み、何を言おうともしない。
「……あの?」
「血識」
「え?」
「吸血鬼は血を吸うことによって、その人間の記憶、細かい身体的特徴、能力まで何でも知ることが出来る」
「…………それで?」
「君は、この世界の人間ではないのだな」
……!
少なからず、動揺が顔に出てしまう。
しかし、ノア先生の言うことが本当なら隠しても意味はない、素直に答えることにしよう。
「はい、嘘をついてすいませんでした。ただ、この世界の事情が知りたくて……」
「美羽がいた。美優がいた。陽菜も、私も君の記憶の中にいた」
「全員、俺の家族と知り合いです」
「…………そして、魔法をあたりまえのように使える」
「はい……」
「君は、何だ? 何が目的でこの世界に来た?」
「俺にはわかりません。何が何だかわからない内にこの世界にいたんです! それは血を吸ったらわかることでしょう?」
「君がこの世界に来る直前のことは、読めなかったからな」
「覚えていないことは、読めないというわけですか」
「……まあ、君に害はなさそうだし問題ないか。ただ、シェルターにはこの世界の君がいるのかもしれないし、帰すわけにもいかないな」
確かに、そうだ。
美優がいて、美羽がいて、陽菜がいて、ノア先生がいて、俺がこの世界のどこかにいない保障なんてない。
「というわけで、君には精々我々の役に立ってもらうとしよう」
「……はあ?」
「君は、傷を治す力が使えるのだろう? それは我々には無い力だ。とても貴重なのだよ」
わかるだろう? なんて甘い声で言われても、俺にはさっぱりだ。
「あの、傷を治すっていっても、ちょっとした物で……。それに、吸血鬼って、勝手に治ったりするんじゃ……」
「確かに、夜はほぼ死なない。だが傷を負えば、死なないだけで痛みはある……すぐに治ったりはしない」
「それは……」
ある意味、死ぬよりも辛いかもしれない。
痛みはあるけれど、死ねないだなんて……。
「だから、少しでも傷を治す手助けがあれば非常に助かる。引き受けてくれるかな?」
この問いに対する答えは、もうわかっている。
ノア先生の瞳は、相手を魅惑しながらも委縮させる。
「断れるわけがない」という確信が、視線に籠っている。
「……あの、一つだけ、条件があります」
「なんだい?」
「俺を元の世界に戻す手がかりを探してください。……その条件をのんでくれるのなら、俺はノアさんに協力します」
「………………いいだろう」
かなり長い溜めがあったが、何とか頷いてくれたことにほっとする。
「しかし君は、落ち着いているのだな」
「そうですか?」
「ああ、普通こんないつもの日常とは何もかも違う異常な空間に放り出されれば、もっと喚いて暴れたって不思議じゃない」
「……それは……」
俺としても、うまく説明できないかもしれない。
「ただ、異世界があるって知識はあったんです。……そして、異世界から来た人達にも会ったことがある。
 だからいつか戻れるかもしれないとも思って……何より」
いつも一番近くにいて、いつも一緒に暮らしている家族が。
「ここには美優が……妹がいて、ノアさんみたいな知り合いがいたから……」
見た目が同じだけで、それ以外の全てが違うってことはわかっている。
だけれど、姿形が同じというだけでも他人に対する抵抗は薄れていくものだ。
「なるほど、な。確かに家族が身近にいる安心感は重要だ」
重要だな……とノア先生は繰り返し。
「重要ついでに、こいつを美優の所に届けてやってくれないか?」
ノア先生は懐から血の入った袋を取り出し、机の上に置いた。
何がついでなのかわからないんだけど……。
「これ、輸血パックですか?」
「ああそうだ。ここ最近、美優は血液の補給を怠りがちだからな……」
「最近……」
……俺が来てから、とか?
「ああ、君の責任ではない。君が来る前からそうだったんだ」
「なぜですか? 吸血鬼は、血を摂取しないと大変なことになるんじゃ……」
「理由はわからない。……私はそこまで干渉する主義ではないからな。訊きたいのならばついでに自分で訊いてみるといい」
――それじゃあ頼んだよ。
ノア先生は、それだけ言うとくるりと椅子を回転させて俺に背を向ける。
「……あの」
「美優の部屋は地下5階だよ」
訊いてもないのに的外れな答えが返ってきた。
「知ってます。……俺が言いたいのは、何で俺に頼むのかってことです。美優が俺を嫌っているって、わかってますよね?」
「だけど、君は美優を嫌ってはいない」
「それは、そうですけど」
どんなことを言われても、俺に妹を嫌うことなんて出来ない。
「だったら大丈夫さ。それに美優は君を嫌ってはいないからな」
「……いや……嫌ってるでしょう」
「………………」
ノア先生は、もう返事をするつもりはないらしい。
こちらを見ないまま黙ってしまった。
「……わかりました。とりあえず、これは美優の所に持っていきます」
「英断だ」
先生は手だけを振って、俺を送り出した。

久しぶりに見取り図を開いて美優の部屋の位置を確認する、そこは地下5階の一番奥の部屋であり。
ついでに言えば何故か扉が超でかかった。

幅は両手を横に広げた俺二人分、高さは単純に俺二人分。
「何でここだけ特別な作りなんだろうな……」
そんなどうでもいいことを呟きながら扉をノックすると。

「何の用ですか」

後ろに、いた。
「…………」
俺は一瞬の出来事に言葉を失って固まり、ぎぎぎと首が軋む音がしそうなくらいゆっくりと振り向いた。
「よ、よう」
「何の用なんですか?」
美優は相変わらず無表情で、同じ言葉を繰り返した。
「の、ノアさんからこれを渡してくれって頼まれてたんだよ」
俺は手に持っていた輸血パックを美優に差し出す。
「…………っ」
美優は少し逡巡したようだが、結局はゆっくりとした動作でそれを受け取った。
「ありがとうございます。それでは」
美優が俺の横を通り抜けて部屋に戻ろうとしたところで。
「あのさ、中に入れてもらってもいい?」
なんて提案してみる。
「――絶対にダメです」
うあ、なんかいつもより威圧かかってる。
「絶対に絶対に絶対に駄目です」
なんか、顔赤くないか?
「な、なんで?」
「あなたこそなんでですか。なんで私の部屋に入ろうとするんです」
「いや……親交を深めたいから……かな」
その言葉にショックを受けたようで、美優は絶句している。
「………………」
「お、おい。どうした?」
「あなたは……どうしてそんな……!」
「何を……うわっ!?」
美優は何かを呟いたかと思えば、今度は急に俺を強く押し飛ばして部屋の中へ入っていってしまう。
俺はなんとかバランスを取って倒れずに済んだが、心の中には消化不良な点がいくつも残った。


「よっすよっすよっすっす!」
「……は?」
美優の部屋からエレベーターに向かう途中、いきなり能天気な挨拶をかまされて思わず面喰ってしまった。
その挨拶の発信源は廊下の向こうからやってきた陽菜だ。
「久しぶりだねー、大翔くん!」
「ちょっと前に会ったばかりでしょう……その、陽菜さん」
「陽菜でいいよ。ノア様に聴いたけど、私と君って幼馴染だったんだよね! うっわ、いいねそういうの。朝に部屋まで起こしに行っちゃったりしたわけ?」
「いや、そういうイベントはなかったです」
「なんだなかったのかー、つまんないね。そっちの世界の私に喝いれてやらないと!」
「はは……」
陽菜はなんというか、元いた世界と微妙にノリが似てるし、明るいから……何と言うか、いいな。
ノア先生はなんとなく対等に話が出来るタイプじゃないし、美優はあんな調子だし。
「陽菜さんは、何でここに?」
「いや、それはこっちが訊きたいんだけどねえ。ここって私の部屋もあるわけだし」
「……え」
見取り図を広げてみる、が。膨大な部屋の数からすぐには見つけられない。
美優の場合はその部屋のでかさから簡単に発見できたのだ。
「ほら、ここ」
「あ……なるほど」
確かに
地下5階の一室に陽菜の部屋と書いてある。
「でも、ほとんどが空き部屋なんですね」
それに、出会った吸血鬼は陽菜でやっと三人目だ。
「前線基地っていうなら、もっと他の人とも出会ってもおかしくないのに……」
「あー、そのなんつーか……」
陽菜は少し困ったかのように頬をぽりぽりと掻いて、「ご、ごめん! もう行くね!」とあからさまなごまかしをしてから去っていってしまう。
「…………何隠してるんだろ」
気になりはしたが、部屋まで追って訊くってのも何か嫌だしな……。
今日はもう、部屋に戻って寝てしまおう。





翌朝。

目が覚めると、ダッシュボードの上にはいつものパンと水が2つずつに一枚のメモが置いてあった。
内容は『今日の夜7時、会議室にGO! GO! GO! マッハ豪!』とのこと。
「陽菜か……」
こんなフランクな文を書くのは陽菜しかいないだろう。
心を開いてくれるのは嬉しいけれど、どうせなら幼馴染っぽく起こしてくれてもいい気がする。
昨日自分でそんなこと言ってたじゃあないですか。
「しかし、7時っても時計がない……」
これじゃ片手落ちじゃないか。
陽菜はやはりこの世界でもどこか抜けている……と思いきや。
「あ」
パンなどの入っていたビニール袋の底に、薄型の置時計があった。
「…………わかりにくいって」
俺はその時計をダッシュボードの上に配置してから、パンを千切って咀嚼した。

今日は一日誰とも出会うことがなかった。
……もしかしたら外では戦闘が行われているのかもしれなかったけれど、俺には確かめる術がない。
ただ自分の部屋で、誰かが死なないことを祈るだけしか俺にはできないんだ。

そして、何の娯楽の無い部屋での時間潰しも慣れてきたもので、既に午後7時。

「失礼します」
多少の身だしなみを整えて会議室に入ると、そこにはやはりノア先生が一人だけがいた。
「おはよう」
「……おはようございます」
自分で吸血鬼におはようは似合わないとか言ってた癖に……。
「ん? なんだいその目は?」
「いえ、何でも。それで、今日の要件は?」
ノア先生にそんなことで一々つっかかっても仕方がない。
「いや、昨日話し忘れたことがあってね」
「話し忘れたこと?」
「そうだ。仲間となるうえで知っておかなければいけないことだ」
「……仲間」
あまりあちらの世界では聞かなかった響きに、少し感銘を覚える。
「外で話そう。丁度夜を貯め込む時間だからな……美優!」
パンパンとノア先生が手を叩くと、先生の影の中から美優がずぶずぶと出てくる。
……いつかの時もああやって影に隠れてたのか。
「外に行く。大翔の護衛としてついてきてくれ」
「はい」
すたすたと歩き出す二人の背中を目で追っていると。
「何をしている? ついて来るんだ」
なんて言われてしまった。
俺はただ、名前を呼んでもらったのが少し嬉しかっただけだ。


夜の住宅街、昨日と同じ場所でノア先生が話し出すのを待つ。
ただし、横には美優がいて何故かプレッシャーをかけてくるので、あまり力を抜くことはできないが。
「……君は、我々と魔族、どちらがこの戦いに勝つと思う?」
「え」
いきなりそう言われても……。
ただ、美羽は魔族にどんどん押されていると言っていた。
だけれど心情的に魔族が勝つとは言いにくい。
「ノアさん達、勝って欲しい……です」
「勝って欲しい、希望だなそれは。……だが、我々が勝つ可能性は限りなく低いというのが実際の答えだ」
「……そんな」
「夜を貯め込むというのはな」
「?」
「こうしてこの身に闇を取りこんで、昼間にも戦えるようにしていることなのだよ」
「……昼間は、太陽が出ていて外に出られないんじゃ……」
「だが、敵は昼間だろうとなんだろうと関係なく襲ってくる。ならば外に出られない我々は押しつぶされるのを待つだけか?
 それではあまりにも愚かだ。美羽と君が出会った時のように曇天ならば問題はないが、敵もそれほど馬鹿ではない。
 大抵快晴の日を狙ってくる」
「それじゃあ……どうやって」
「私が、この身に取りこんだ闇を開放し、一定の空間だけを夜にするのさ」
「…………」
言っていることは何となくわかるが、そういったことは実際に見てみないとなんとも言えない。
「だが、夜を取りこむという行為はこうしてリラックスしているときでないと出来ない。だが昼にも夜にも敵が襲撃してきたらどうなるか?」
「夜を貯め込む暇もなく、ジリ貧ですね」
「頭の回転が早いな。その通りだ。……一か月前、敵が一週間連続で休みなく攻めてきたことがあってな、何とか防ぎはしたものの、我々は多くの仲間とこの身に取りこんだ闇を消費した」
「数では、圧倒的に負けているんでしたよね」
「そうだ。……そこで大幅な戦力を消費したのか、魔族も最近は襲撃を控えている……が。今この基地に残っている吸血鬼は、私 美優 陽菜の、3人だけだ」
「……!?」
「少し前の襲撃で、美羽が死んだからな」
「っ……」
美優が舌打ちをして俯いた。
「じゃ、じゃあ、どこかに援軍を頼めばいいじゃないですか! この世界に10万はいるんでしょう!?」
3人だなんて、どうやっても勝てるわけがないじゃないか!
「それは無理だな」
「なんで!」
「吸血鬼は、海を越えられないからだよ」
「あ……」 
そういえば、それも吸血鬼の逸話には良くある話だ。
でも、それだといろいろおかしいことにならないか?
「でも、ノアさんは吸血鬼の王なんでしょう? 他の吸血鬼を統制する王が、何でこんな隔離された島国に……」
「王というのはな、各地の吸血鬼を統べる者という意味なのだよ。何も私が10万の吸血鬼を束ねているわけじゃない」

私が束ねていた日本の吸血鬼は、この間までの戦いでほぼ死んだ。……ノア先生は遠くを見ながら悟ったように言うけれど、俺の中には混乱しか生まれない。

「そして、闇を取りこむことが出来るのは各地の王だけにしか出来ない」
「それじゃあ、世界中で同じような戦況になっているってことですか!?」
「欧米の方は、まだそれほど被害が出ていないがな」
そういえば、敵の本拠地は太平洋にあるんだったな。
……だとしたら、最初に狙われるのは太平洋に面している大陸ということだ。
「だが、我々がここで倒れれば魔族はあっという間にアジア圏になだれ込むだろう。そうすれば、もう我々の負けが確定してしまう。我々3人、いや君を加えた4人で「何とか」するしかないのだよ」
「何とかって……!」
俺は、大した力もないただの人間なのに……。
「そこで、君が元の世界に戻れるかどうかの話にもかかわってくる」
「え?」
「魔族は、異世界から攻めて来た者どもだ。ここに来るまでに七つの世界を滅ぼしていることがわかっている」
「七つも……!?」
「殺された人間の数は、500億にも達するだろうな」
「ごひゃく……」
俺がいた世界でも、人口は60億ちょっと。
それだけでも圧倒的すぎて想像できないのに、その8倍以上だなんて……!
「だが魔族とて馬鹿ではない。我々の抵抗によって数を削られれば、別の世界を狙うために移動していくだろう。我々はそれまで持ちこたえればいいのだ」
「それが、どう繋がるんですか?」
「魔族は、世界を渡り歩いている。つまり、その力を調べることができれば、君が元いた世界に戻る希望も出てくるだろう?」
「……なるほど」
でも、それは簡単なことではないと思う。
「その為に、我々は魔王を捕らえる」
「ま、おう?」
その単語からは、何だかゲームに出てくるようなチープな想像しか生まれなかった。
「雑魚は何度もとらえたことがあるが、何も知らないようだったからな。……だが魔王ならば知っているだろう」
「でも、魔王っていうからには、本拠地にいるんじゃ……」
つまり、海のど真ん中。
海を越えられない吸血鬼には無理な話で、陽炎稲妻水の月だ。
「いや……けほっ。ん……少し疲れたな。一時休憩にしよう」
ノア先生は懐からまたパンと水を取り出して、俺に放った。
「大翔もこれを食べるといい」
「あ、ありがとうございます」
正直、これだけじゃ全然足りないんだけどな……。
「30分後にまた話を始めよう。それまで、私か美優のどちらかの傍にいるならば、自由に行動してもらって構わないぞ」
「……それじゃあ、俺は……」


最初は美優ルートしかない 
二週目から選択肢追加「ノアルート」
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