世界が見えた世界・9話 E


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 守りたいものというものがある人は幸せで、それを守り続けられたのなら、それはきっとこの上ない幸運だと、沙良は考えている。
「か……はっ、はっ、はっ」
 震える手で壁を支えに立ちながら、荒い息とかすむ意識の向こうでふと昔を思い出す。
 守りたい命があって、守れなかった自分がいたこと。絶望は泥沼のように深く、這い上がることは苦痛を伴った。それでも自分はこうしてここにいる。今度こそ守ると誓ってここにいる。
「やったら……諦めるわけには、いかんよなぁ、ましゅまろ?」
 もう何年も共に過ごしてきた相棒を見つめる。しかしその姿はいつものように柔らかそうな印象はなく、くたりとくたびれていた。
 ましゅまろはただのぬいぐるみだ。他のぬいぐるみと違う点は、沙良の感情に呼応した動作をするようにパターンをひたすらに学習させたという点だった。
 ましゅまろの中には水が詰まっている。正確には、水の通るチューブが筋繊維のように張り巡らされている。その中を流れる水の動きによって、ましゅまろは多彩な動きをするのだ。
 その水の流れを、沙良は常に操ってきた。いまや意識せずともましゅまろは操れる……というより、半ば彼女の意志を離れて動き出す。もしかしたら何かの意志が生まれているのかもしれない。それを確かめる術はないが。
 そんなましゅまろも、結局は彼女の力が尽きれば動かなくなる。もはや沙良に残された力は、微かなものだった。
「ったく、しぶといわね、あんたも。そんなナリの癖して」
「こんなナリで、悪かったなぁ。うちだって好き好んでこんなんちゃうんや。成長なんて、人それぞれや……と」
 ふらつくが、壁から手を離す。両足で立っていないと、いざという時に動きだしが遅れてしまう。
 成長、か。小さくつぶやく。
 本当は、沙良の体格は人の成長の差だとか言うものではない。実際、昔はまだ年相応の体つきをしていた。
「行くで?」
「何度でも、かかってきな」
 ざぁっ!
 沙良が動き、その後を追うように水が割れる。人の目には追えない速度。だが――
「くはっ!?」
 ガザベラの体を囲むように、細い針が無数に発生した。人の目に追えない速さも、人ではないバケモノならば追える。
 闇の針は次々と沙良の体に突き刺さる。そして針はケモノのように、獰猛に沙良の肉体を食み、血を啜る。
「う、ああぁぁぁっ!!」
 その口から悲鳴と共に血が零れた。ついに膝から力が抜け、沙良は崩れ落ちた。
――あかんわ……もう、力が入らん。
 意識は朦朧とし、もはや『流理』を扱う力も残ってはいなかった。
「まあ実際、たいしたものだったけどねぇ。でもここまで、アタシを倒すには、あんたじゃ役不足って事さ。にしてもその疲労の仕方はちょっとおかしいねぇ、ま、大方例の高速移動が体に負担をかけてたって事かしら?」
 沙良は答えない。答える体力も、もはや残ってはいない。
 ガザベラの言葉は正しかった。沙良の高速移動の正体――というより、肉体強化の正体。
 沙良は、全身を流れる血流や電気信号の流れでさえも操っていたのだ。脳に流す情報の取捨選択、心拍数の強制加速、限界を超えた筋肉の出力の指示。それらを彼女は、随意的に行っていた。
 無論そんなことをすれば体には相当の負担がかかる。それに魔法というものが体にどんな作用を及ぼすかも分からなかった。事実彼女の成長が逆行し始めたのも、この方法を使い出してからだった。
 いつかその身を滅ぼす事は知っていた。それでも戦うために使い続けた。全ては、
「守りたいもんが、あったんやけどなぁ……」
「アタシにはそういうのは、わかんないね」
 ガザベラは沙良を右腕で持ち上げる。ナイフを取り出し、その喉元に突きつけた。
「あんたはよくやった方さ。もう死にな」
 沙良はナイフが振りかぶられたのを見て、静かに目を閉じた。
――結局、うちにはなんもできんかった。せっかく泥沼の底から這い上がったと思ったのに、また同じ結果や。ごめんな、みんな。
 心の中で、誰かに向けて謝罪し……
「うわ、ちょっと、なんだいこいつ!?」
 突然振り回された。薄く目を開くと、そこには……
「ああもう、邪魔するんじゃないよっ!!」
「ましゅ、まろ……?」
 ガザベラにまとわりつくましゅまろの姿があった。
――なんでや。うち、あんたを動かす力もないんよ、もうなんもでけんよ? なのに、何であんた、うごいとるん?
 ましゅまろはしつこくガザベラにまとわりつく。どれだけ手ではねのけようとも、一向に引き下がる様子はない。
「ええい――しつこいんだよ!!」
 苛立ったガザベラは沙良を手放し、己の手の平にナイフを突き立てる。そこから血が溢れ、鞭のようにしなり、ましゅまろに襲い掛かった。
「ましゅ――!!」
 ずたずたに引き裂かれ、ごみのように放り棄てられる。
「ああ……」
 もう何年も、共に歩んできた相棒だ。
 元は贈り物だった。彼女が守れなかった子供達が生前、彼女にプレゼントしてくれた、手作りのぬいぐるみだった。それにちょっとした仕掛けを施して動かして見せた時の子供達の驚きと喜びの顔は、今でも忘れていない。
「あああ……」
 共に絶望を這い上がってきた。くじけそうな時、逃げ出しそうな時、それを抱けばそれだけで勇気がわいてきた。かけがえのない、相棒だった。
 ぱしゃん、と。落ちた。
「あああああああああああああ!!!!」
 絶叫した。もはや自分の限界だとか力の限度だとかくだらないことは関係なかった。残った全ての力を右足に集める。血管が切れ神経は焼け筋繊維は弾け飛ぶ。知ったことかそんなこと、この怒りの前には関係ない!
 この女は、許されないことをした。それを黙って見過ごすことなどできるはずがない!!
 これまでのどの一撃よりも早く、重い一撃。
「くあぁっ!?」
 ガザベラの肋骨が砕け、同時に沙良の足の骨にも罅が入った。
「いい加減に――しろぉ!!」
「がっ!!」
 ガザベラの血の鞭が刃となり、沙良の四肢を貫いた。首を掴まれ、壁に押し付けられる。
「ちょっと油断したけどね、あんたはもう終わりさ……」
 ガザベラは注意深く当たりを見回す。近くにましゅまろも、他のぬいぐるみもない。目の前の沙良はもはや水を操る力もないのは明白。首を締め上げる彼女の腕に抗する力はあまりに弱々しい。今度こそ、彼女の勝利はゆるぎないものとなった。
 沙良はぎらついた瞳でガザベラを睨みつける。ガザベラはそれを鼻で笑うと、右手から生えた血のナイフを振り上げる。
 息を荒げながら、首を締め付けられ、それでも懸命に酸素を取り込みながら、その弱々しい左手で右手を受け止めるつもりなのか、真っ赤に濡れた左手をガザベラに向けた。
 それを滑稽だと嗤いながら、彼女は右手を振り下ろした。
 シュッ!
 空を裂く音が走り、沙良の背後の壁に血が散った。荒々しかった呼吸音はなくなり、廊下が静寂に包まれる。
 ずる、と。ガザベラの手から力が抜け、沙良の体が水の中へとうつぶせに落ちた。ゆっくりと、血が水に流され広がっていく。
 ちろちろと、どこからか水の流れる音だけが、響いていた。
 どれくらいの間そうしていただろうか。
 やがて、ずる……と、沙良がその身を起こした。
「う、う……ああぁぁぁっ!」
 今度は仰向けに倒れる。
「間にあったん、か?」
 沙良は大きく深呼吸した後、体を起こしてガザベラを見る。ガザベラは――ナイフを振りぬいた姿勢で事切れていた。額には小さな穴が開いている。見れば、自分を切り裂くはずだったナイフの刃が綺麗に消滅している。
 今度はため息が漏れた。左手を持ち上げ、ガザベラに付けられた傷跡を見る。まさかこれが逆転の一手になるとは思わなかった。
 ウォータジェットというものがある。ダイヤモンドさえも切断可能なこの技術を、沙良は己の肉体と血液で再現した。血流と筋肉の圧縮を利用して、爆発的な速度で血液を発射するのだが……その負担は、相当なものとなった。
「あかんわ、もうねむってしまいたい」
 正直、まぶたが重い。むしろ今ここで眠ったらもう一度目を覚ましそうにないというのが彼女の本音だった。
 それでももう、疲れたのだ。よくやったと思う。世界を滅ぼそうとするような連中相手に、よくもまあ限界を超えてやったもんだと。だからもう休んでも、いいんじゃないか。そう思う。
 のだが。それを邪魔する存在があった。
「……うん? って、なんやましゅまろ。あんたほんとに、なんなんや?」
 ましゅまろが、沙良に擦り寄ってきていた。もはや彼女にはましゅまろが動くだけの力を維持する余裕がない。だというのに、なぜましゅまろは動いているのか……正直、さっぱりだった。
「こういうんも、奇跡っていうんやろうか? ああもう、そんなに押したら……はいはい、起きろっていうんやろ?」
 しつこくましゅまろに促され、沙良は立ち上がる。血も体力も足りていない。気力は今にも尽き果てそうだ。
 それでも。
「守るもんがあるうちは、幸せや。幸せなら、どうせなら生きてみらんと、な……とと」
 歩き出したその先に、奇妙な穴が開いていた。それは床だけを綺麗に切り取っており、地面は少しも削れていない。
 上を見上げれば、どうやらそれは、屋上まで続いているらしい。どうやら、ナイフの刃を消したのはこれらしかった。もっとも沙良は、この穴が大翔の魔法によるものであることなど知る由もない。
 ただ、その穴の向こう――屋上では、どうやら戦いが続いているらしいことだけは見て取れた。
「……生徒ががんばっとるんやし、な」
 相棒と共に、歩き出す。
 これまでと、同じように。

 


 突然の事態に対しての美羽の判断は早かった。糸を水につなぎ、その熱エネルギーを瞬時に奪い去ったのだ。
 水は瞬く間に凍りつき、ガーガーを氷壁の中に封じ込めた。
 貴俊はすぐさま槍を構えると、次々に氷柱の標的に向かって槍を放つ、放つ、放つ!! 一度に三発の槍がガーガーを貫いた。
「ギィ、ア、ガアアアアア!!!!」
「うわ先輩なんか余計元気になってませんか、あれ!?」
「っ、美羽ちゃん下がれ!!」
 大気をびりびりと震わせるガーガーの咆哮に美羽は気圧され、一瞬その思考が鈍った。その隙を狙ったかのように、ガーガーは氷を粉砕し、美羽に一瞬で迫った。
 豪腕が、空を切る。悲鳴を上げる暇もない。
 ドン!!
 だが駆けつけた貴俊がやりで豪腕を受け止める――が、それさえもものともせず、二人はまとめて吹き飛ばされた。
 たったの一撃で全身の骨が軋む。それでも、貴俊は黒爪を床につきたて迎え撃とうと立ち上がり、
 ゴッ!!
「かっ」
 ガーガーの拳が、今度は腹にめり込む。いやな音が響き、先の倍以上の速度で床に叩きつけられた。床板は砕け、貴俊の体が沈む。
「せんぱ……きゃああっ!!」
 さらに美羽に襲い掛かるガーガー。美羽は水の壁をうむが、太い腕はあっさりと壁を貫通し、美羽を掴む。ギリギリと肺と骨が締め上げられ、美羽は痛みに目を見開いた。
 その悲鳴に、意識が飛びかけていた貴俊の瞳が焦点を結ぶ。全身を苛む痛みを歯を食いしばって押さえ込み、ふらふらと立ち上がる。
「ったく……ケダモノめ。それ以上その娘に傷をつけてみろよ、本気で消し飛ばすぞオラァ!!」
 獣の表情を浮かべて槍を構えて突進する。一歩一歩床を踏み砕かんばかりの勢いで突き進む。ガーガーは貴俊に気付き、美羽を叩きつけるように床に放る。美羽は力なく叩きつけられるままだった。
 ぶちり、と、貴俊の脳内で何かのリミッターが消し飛んだ。
「グルァッ!!」
 ガーガーの腕が叩きつけられる。貴俊は黒爪を力の限り、その拳に向けて突き立てた。衝突の衝撃に、貴俊の肩が弾け飛びそうになる。だが、全身の骨を軋ませ、意識を揺さぶられ、それでも貴俊はその場に踏みとどまる。
「あのなぁ……俺はてめぇごときに負けてらんねぇんだよ……」
 ちらりと、過去の光景が脳裏をよぎった。ああ、あの頃は楽だったなぁなどと思い出す。楽であり……世界の全てが苦痛であった。自分の存在が苦痛であった。そこに現れた――自分の対極。
 それからは楽ではなかった。まさに苦難困難の連続だ。ただ、苦痛ではなかった。それらを乗り越える充実があった。
「そぉだよ、俺ぁこういう苦難困難ごときにゃ負けらんねぇんだよ。そうじゃなきゃ、俺をこんなところに引きずりだしてくれやがった野郎に申し訳がたたねぇんだよ愛が途切れちまうんだよ!!」
 ドンッ! 重苦しい音が響く。貴俊の蹴りが、なんとガーガーをよろめかせたのだ。ガーガーはその瞳に戸惑いを浮かべながら、大きく跳び退る。
 それをみて獰猛に牙を剥いた貴俊は、
「俺を倒していいのは一人だけだ、俺が負けるのは一人だけだ、俺が、負けらんねぇ戦いをするのは一人だけだ。だから――」
 体を弓なりにしならせ、
「てめぇは予定調和のごとく俺に倒されてろ!!」
 黒が走る。黒爪を射出するのではなく、投げた。まるで陸上競技のそれのように。
 空を裂きガーガーへ向かうそれは、速くはあるが射出時の速度とは比べるまでも無く遅い。ガーガーは首をかしげ、目の前跳んできたそれを払おうと手を伸ばした。
 瞬間。
――バチィンッ!!
「ギャアアッ!?」
 黒爪が、弾ける。眼前で射出された黒爪に反応できず、ガーガーの顔面に短い槍が突き立った。黒爪の後から駆けていた貴俊は、はじけて床をバウンドした、更に短くなった黒爪を掴み、ぶん回す。
 重い手ごたえと共に、ガーガーが吹き飛んだ。貴俊は軽く舌打ちする。手元に残った黒爪は、あと二度しか射出できない。
「う、く……先、輩…………」
「おっと、あんまり無理しないほうがいいぜ。後は俺が――」
「意地でどうにかできることばかりじゃ、無いですよ」
 貴俊は言葉を飲み込む。確かに、意地ではどうしようもない。先の射出にしてもそうだ。
 射出は本来、一番下の槍についているボタンのオンオフで電流の切り替えて行う。それを自分で投擲し、中の回路の適当な部分を分離させて電流をカットするという荒業を、ほとんど意地になって行ったのだ。確かに相手の不意はつける。だが威力は半減するし狙いも付けにくいというかむしろあたったのが奇跡だったり、デメリットのほうが大きい。
「――どうやら、目に当たったようですね。相当苦しんでます」
「ん、あ、ああ。そうだな」
 ガーガーは暴れていた。目に突き刺さった槍に苦しんでいる。さすがにあの痛みは無視できなかったということか。
 それを見て思案顔をしていた美羽は、言った。
「先輩、突っ込んでください」
「……ぁ?」
「だから、突っ込んでください。全力で、あいつに」
 美羽は暴れまわるガーガーを指差す。痛みに苦しむガーガーの暴れっぷりに、床や壁は紙細工のように破壊されていく。
 美羽は言うのだ。あの破壊の渦の中にどうぞ飛び込んでこい、と。
「いや、あの……突っ込んで、どうしろと」
「いいから行って下さい。先輩なら分かりますから。――たぶん」
「……ああもう、分かった、分かったよ畜生! やっぱり君は大翔の妹だな!!」
 最後に視線をそらしてなにやら不穏な事をつぶやいたような気がするが、とりあえずそれを振り切って走り出す。
 美羽は大きく息を吸い――
「ったく、アタシはこういうの嫌いなんだけどな……兄貴の悪いところがうつったかな」
 全力で、生み出せるだけの大量の炎を生み出した。真っ赤な炎は天井に届かんばかりに燃え盛り、それが波のように、ガーガーへと向けてなだれ込む!
 貴俊は背後から迫ってくる熱量に振り返り、
「は?」
 という表情を浮かべて、飲み込まれた。
 炎に気付いたガーガーは大きく口を開いて天を仰ぐ。
「グルゥァァァァァッ!!!!」
 その口に、炎が飲み込まれていく。まるでガーガーを包み込むかの様に炎が殺到するが、逆にその全てがその口へと飲み込まれ……
「ガァッ!?」
 その喉に黒い棒が突き立った。飲み込まれかけていた炎が自由を取り戻し、舞い散る。炎が雪のように荒れ狂う世界の中心で、炎の中から現れた貴俊はところどころに火傷を負いながら、ガーガーの肩に足をかけ、その口に黒爪をつきたてていた。
「ったく、あの兄にしてこの妹ありたぁよく言ったもんだ。思わず愛を振りまきたくなるが……その前に、手前ェは極刑だ!!」
 ズダン! 黒爪が射出され、びくりとガーガーが体を震わせた。もう一度。ズダン!
 喉から入った二撃目は体を突き破り、背中から突き抜けた。どぉん、と重い音を立てて倒れるガーガー。一足先に飛びのいた貴俊は、苦笑しながら美羽を振り向いた。
「まさかいきなりあんな目に合わされるとは思わなかったよ……大翔といい君といい、なんつーか君んちの家系はとんでもないやり方が好きなのか?」
「さあ、そんなことは無いと思います……け、ど……」
 ぽかん、と。だらしなく口を開いた美羽は、
「んー? どうした、美羽ちゃ、がっ!?」
 ぐしゃり、と嫌な音を立てて、貴俊が横殴りに吹き飛び血を撒き散らしながら床に叩きつけられるのを、ただ見ていることしかできなかった。
 ずりゅ、と血を滴らせ衝撃波でぐちゃぐちゃになった顔に虚ろな眼球でこちらを見ながら、ガーガーが歩み寄ってくる。
「な……なんで、生きて…………!?」
 まるでホラー映画のような、それでも現実の光景に美羽は怯えた。まさか喉から背中までを貫かれて生きているような生き物がいるなどと誰が想像できようか。しかも二度もその衝撃を食らっているのだ。内臓にどれほどのダメージがあるのか。
 それでも、その獣は立っている。そのぎらついた瞳が美羽の血に飢えていることは明白だった。
「い、い……いやぁぁぁ!!!!」
 悲鳴を上げた瞬間、ガーガーが飛び掛ってきた。牙をむき出しにしてくらいついてきたその顔を、両手で押しとどめる。それでも、じりじりと血の滴る牙がじりじりと迫ってくる。
「ふあ、うあぁぁ……」
 今にも泣き出しそうになるのを堪えて、何かできないかと辺りを見回して……。
「……………………」
 ぐっと、覚悟を決める。ガーガーを押しとどめている両手の力を、不意に抜いた。
「ルァッ!?」
 落ちてくる巨大な顔をかわして、その顔面に突き立った黒爪を掴む。ありったけの魔力で電気を生み出す。
「ウルウウァァァッ!?」
 バチバチと青い火花が散り、ガーガーが顔を振り暴れるが、美羽はその手を離さない。しがみ付く。意地でもこの手は、離さない!!
 顔ごと床に叩きつけても引きずっても離れないことを悟ったか、ガーガーは拳を作り、美羽へと向け――
「先輩!!」
 美羽は叫び『弦衰』で雷を帯びた黒爪から一切の『磁力』を吸収した。
 生まれたのは、音ではなく衝撃。大気は撓み、歪んだ。
 光の尾を引いて射出された黒爪は、ガーガーの上半身を粉々に吹き飛ばし、天井の一部を吹き飛ばしてどこかへと一瞬で飛んで行った。反動で美羽は壁まで吹き飛ばされる。
 美羽は半分の長さになった、いまだぱちぱちと電気を帯びる黒爪を力なく放り投げる。呆然とぼろぼろになった体育館を見回して――
「先輩、ありがとうございました」
 仰向けに、顔だけこちらを向けた貴俊に、感謝の言葉を述べた。
「いぃえぇ、こっちこそ、生きていてくれてサンクスー。これで、大翔に殺されないで済むわ」
 冗談めかした言葉だったが、貴俊は口の端から血をたらし、全身冗談どころではすまない感じに痛めつけられていた。特に叩きつけられたときのダメージは深刻だった。おそらく、骨の一本や二本は折れている。
「ギリギリでしたねー……」
「ああ……にしても、悪かったなぁ。後味悪い役目任せちまって。本当は、俺がやるつもりだったんだけど……」
「いいですよ。少し、兄貴の気持ちが、分かりましたから……」
 守るためとはいえ。命を奪うことが、どういうことなのか。
 かぶりを振り、ふらつきながらも立ち上がる。まだ射出の反動が全身に残っていた。
 最後の射出。ガーガーの頭に突き立っていた、二本繋がったままの黒爪に美羽が電気を流し磁力を発生させ、貴俊が『分離』をかけることで射出の条件を整えたのだ。まさかあれほどの威力が出るとは美羽も思っていなかったが。黒爪、どこまで行ったのかと心配に思う。まさか人に命中などしなければいいのだが。
 そんなことを心配しながら、まずはもっと心配しなければならないことを思い出す。
「さ、先輩、行きましょう。兄貴がちゃんとできてるか、採点してやらないといけません」
「……俺としちゃあ、もうここで待っときたいくらいの感じなんだけどなぁ」
 などといいつつ立ち上がる貴俊。二人は体を引きずりながら、それでも前をむいて歩き出した。

 


 二人して投げ飛ばされた先は、理科室だった。
 陽菜はとにかくありとあらゆるものに擬態してどうにかダメージを回避しているが、エーデルはそうはいかない。加えて、いくらこの数ヶ月で多少鍛えたとはいえ元々が貧弱だったのだからその打たれ弱さも推して量れるというものだ。
「ぐっ……やれやれ、この僕がこんな肉弾戦を行う羽目になるとはね。まったく、美しくない話だ……!」
 机に手をついて立ち上がる。周囲を見回すが陽菜の姿は無い。机の影に倒れているのかもしれないと考え、ドアの外に視線を向ける。今敵から注意を離すわけには行かない。ただでさえ追い込まれているのだ。これ以上、隙を作って付け入られては、本当に勝ち目は無い。
 その巨体は、臆する必要などありはしないといわんばかりに、堂々と扉を開けて入ってきた。
「せぇいっ!!」
 蛇口が撥ね飛び水が噴き出す。その流れを操り、加速し、研ぎ澄まし雨のように矢のようにバードックに叩きつける。だが、いくら傷つけてもその傷は次々に修復されていく。異常なまでの回復速度。
 ぎり、と奥歯をかみ締めるエーデルの横を、机の上を飛び移りながら走り抜けていく影。
「ヒナ嬢、何を!?」
「えーちん、水止めて!!」
 エーデルは言われたとおりに、魔法を解除する。突如現れた陽菜に驚きの表情を見せるバードック。その顔面に、陽菜は黒いビンを放り投げた。ガラスの割れる音がして、中の透明な液体がバードックに降りかかる。
「ぎゃあぁぁぁぁっ!?!?」
 顔面を押さえもがき苦しむバードック。割れたビンのラベルにはこうかかれていた。H2SO4。それを見たエーデルは顔を引きつらせた。彼も一応生徒として授業を受けていたおかげで、多少の知識は身についていた。それがどんな危険な代物かも。
 そして、更に陽菜がもうひとつのビンを取り出して見せた時、彼はくらりとよろめいた。
 それを――陽菜は、躊躇いなくバードックの体に叩きつけ、全力で避難した。陽菜の背後から眩い白い炎が立ち上る。あまりの輝きに目が焼けそうになり、エーデルは思わずその場に身を伏せた。陽菜もその隣に滑り込んでくる。
「ぐあぁぁぁぁ!!!!」
 その叫びを聞きながら、エーデルは呆れた口調で陽菜に言った。
「まったく、過激な事をするな。硫酸に加えて金属ナトリウム粉末。どちらも危険な代物だ」
「これでも、化学の成績は悪くないんだよ?」
 的外れな受け答えに苦笑するエーデル。その顔を引き締める。
「しかし、それでは決定打にはならないな」
「うん、まあね。あくまで時間稼ぎだから」
 硫酸は洗い流さなければ取れないし、ひたすらに再生し続けるバードックの体にそれなりの効果はあるだろう。そして、あの眩い光は目くらましになる。しばらく、まともには動けないはずだ。その間に、何か策を練らなくてはならない。
「問題なのは、肉体の強化よりも再生だよね」
「ああ。どれだけダメージを与えたところで回復されたのでは意味がないからな」
「うーん……それにしても、あの再生を打ち止めにできればいいんだけど……エネルギーの元を断つとか? でも、魔法のエネルギーの元なんてわかんないわけだし……」
 と、そこでふとエーデルは思いついた。エネルギーの元を断つことはできないが、エネルギーそのものを……魔力を枯渇させることができれば?
 無論、それは簡単な話ではない。見たところ、バードックはエーデルたちの世界の平均の数倍の魔力を抱えている。一般人でも、魔力を枯渇させるなんてこと滅多に起こらないのにそれを行うとなれば並大抵ではない。
 だが……もしかしたら。そう思ってポケットを探る。取り出したのは、一族に伝わる宝石。ただし空っぽ。しかしこの場合はそれでいい。
「この中に彼の魔力の全てを封印できれば――問題は、二つで足りるのかということだな」
 分の悪い賭けだ。軽く目算するが、正直足りそうにない。その場合はバードックの残りの魔力が枯渇するまで戦う羽目になる。だが、やるしかない。覚悟を決める。
「……んー、ちょっとまってえーちん、それを使えば、あの人を倒せるの?」
「可能性は低いが、賭けてみるしかないだろうね」
「それじゃあ、陽菜にいいアイデアがあるんだけど」
 陽菜のアイデア。それを聞いたエーデルは目をむいた。本当にそんなことが可能なのか、いや、可能だとしてもそんなことをしたら陽菜の身の安全が保障できない。
「えーちん、迷っちゃだめ。それじゃあ陽菜が困るよ。せっかく、ヒロ君の助けになりに来たのに」
「む……。しかし君は、それでいいのかい? 君はその、ヒロト君のことを……」
「いいんだよ、それで。ヒロ君ね、陽菜のことを心配してくれてるんだけど、それってやっぱり、友達としてなんだよね。ユリアちゃんのそれとは違う。それはちょっとっていうかすっごい悲しいけど、でもやっぱり、嬉しいんだよね」
 そういって、陽菜は笑う。綺麗な笑顔だった。エーデルは何も言わずに、彼女に肯いた。
「くっ! さすがに、僕も我慢の限界です! もはや容赦はない!!」
 バードックが怒りの声を上げる。その声に立ち上がった二人は、目の前の光景に愕然とした。バードックの上半身が更に盛り上がり、両手を床に突き刺している。ばき、と床全体が嫌な音を立てた。じり、と後ずさる。
「おぉぉ!!」
 バリバリバリィ!!
 教室の床が、その上のもの全てと一緒にめくれ返った。コンクリート片や木片や螺子やよくわからない金属など、あらゆるものをばら撒きながら砕けた床が二人に襲い掛かる。狭い教室の中に逃げ道はない。
 陽菜はくちびるを噛み、エーデルの前に出る。
「待ちたまえ!!」
 エーデルの言葉を無視して、その身を鉄塊に擬態させエーデルの身を守らんと瓦礫の嵐に立ち向かう。エーデルは苦し紛れに水を呼び寄せて何とか身を守ろうと足掻きながら、二人は瓦礫に飲み込まれた。
 荒い息をつきながら、バードックはその光景を見ていた。瓦礫が落ちる寸前、隙間から見えたのは陽菜がエーデルをかばって前に出る姿だった。
 いくら鉄塊に擬態したとはいえ、瓦礫の中には同じ素材でできた鋭い破片も混じっていたし、何よりこれだけの質量が落ちてくれば鉄塊とはいえ無事ではすまない。おそらく二人は無事ではないだろうと、そう判断した。
 しかし。
「貴様……ただでは、済まさんぞ……!」
「……何?」
 瓦礫の中から声が聞こえたと思った瞬間。青い輝きが全てを吹き飛ばした。
「これは!?」
 水を纏ったエーデル。その腕に抱かれていたのは、腹に鉄の棒を生やして、ぐったりと力のない陽菜。その体を一度強く抱きしめ、床にそっと寝かせた。死んでいる。呼吸をしていない。明らかに、死んでいた。
「我が友を奪ったその罪――この名において、断罪する! 家名解放、我が名はエーデル! 我が背負うは、高貴なる青!!」
 青い輝きが、世界を覆う。それは光であり、同時に水であった。バードックは困惑する。触れていないのに、まるで触れているような感触の光。正体不明の現象に、どういう対応をしたらいいのか分からないのだ。
 エーデルはそれを睥睨し、静かに告げる。愚かなる罪人に、死の宣告を。
「貫け、青き死神」
 光が渦を巻く。今まで光だったそれはバードックの周りで水へと変じ、刃と槌と矛と槍と斧と昆と死となりて、バードックに無限に襲い掛かる。一瞬で無数の武器に囲まれたバードックは、その身を削られ、しかしそれでも傷はすぐにふさがる。
 だがしかしエーデルも負けてはいない。台風の如き死の嵐は更に勢いを増す。
「負け……ぬ、ぐ……負けられないのですよ、僕は!!」
 重い水を振り切って、渦から抜け出す。受ける傷など気にかからない。どうせ再生されてしまうのだから。だから、大丈夫。
 そう考え、渦の中から水を滴らせながら上半身だけをどうにか抜け出す。ここまで抜け出せば、後は腕力で下半身を引きずり出せば……
「だめ、それ、無理だから」
「え?」
 死んだはずの人間の声が聞こえた。それに気をとられたのがまずかった。思わず、バードックの腕から力が抜ける。
 ザバッ!
 渦の一部が人の形を成し、バードックにしがみ付く。渦には一本の鉄の棒が突き刺さっていた。エーデルとバードックは息を呑む。
 水が、陽菜を形作った。バードックが信じられない、という表情をうかべる。二人が時を止めた瞬間、陽菜はその手を――宝石を握り締めたその手を、いまだ再生途中の傷へと突き入れた。
「ぐああああっ!!!!」
「えーちん! やって!!」
「あ、ああ、分かった!!」
 エーデルが手をかざした瞬間、宝石が光り輝き、バードックの体から凄まじい勢いで魔力が抜け出していく。エーデルの宝石に吸収されているのだ。
「ぐ、うあぁぁぁっ!? く、ぼ、僕の魔力を吸収するつもり、ですか……!? いい、考えですね、でも、この勢いじゃ、残念ですが少々容量ぶそく……うっ!?」
 突然、魔力を吸い出す速度が加速した。いまだ渦巻く死の渦はバードックに致命傷を無数に刻み込む。今まではすぐにふさがっていた傷の治癒速度が低下し、傷の数は加速度的に増加する。
「い、一体、なにが……!?」
 理解できないバードックは、視線を己の背中に向けて驚愕した。陽菜の体が、薄く、赤く輝いている。
 陽菜の魔法は『擬態』。その通り、その存在そのものへとなりきる魔法。つまり、陽菜は己の体を宝石へと擬態させていた。
「は、はは、は……まさ、か、こんなこと、が…………」
 エーデルの魔法によって付けられた傷はどれもが致命傷。それをふさぐ力がなくなっている今、魔力を吸い尽くされればバードックの命は終わる。
 ここまでか。くやしいとは思わなかった。ただ、諦めが体を支配する。
 刹那、死の一撃が、その心臓を貫き。
 ついにその傷を防ぐ力を紡ぎだせず、バードックの体が力を失った。
 それを見届けたエーデルは、渦から死を紡ぎだすのをやめた。水は光なってゆっくりと宙へ溶け、バードックと上に載った陽菜を静かに床の上に下ろした。
 血の気の引いた顔の陽菜は、ゆっくりと立ち上がる。ふらり、とその体がよろめき、エラーズは駆け寄って陽菜を支えた。
「お、っとっと。うぅ……気持ち悪い。あたた、えーちん、ちょっとこの棒、抜いてくれない?」
「あ、ああ。それは構わないが……失礼だがヒナ嬢、君は、確かに死んでいたと思うのだが……」
 ずりゅ、と嫌な音を立てて陽菜の腹から鉄の棒が抜き出された。あとが残るかなぁ、残ったらやだなぁ、などと考える。
 エーデルは傷口を手でふさぎ、ガーゼを当てる。実験室であることが幸いした。
「ああ、うん。あれね、ちょっと陽菜の死体に『擬態』してみたの。うまくいったけど、とりあえず二度とやりたくないや。あれは」
 それを聞いたエーデルはぞっとした。その行いがどれほど危険なものかを理解したからだ。
 死体への擬態。それは可能ではあるが非常に危険な行いだった。何しろ『擬態』の魔法はそのものになりきるのだ。つまり、少し間違えればそのまま本当に死んでしまいかねない。もっとも、陽菜はそんなことに気付いてはいなかった。ただ、危険だということを本能が察知したのだ。
「あうう……でも本当に気分が悪いよ、なに、これ?」
「君は我々の世界の魔力に適応していないからね。拒絶反応のようなものだろう。おそらく、明日まではまともに動けないはずだ。とりあえず、このままここで休んで――」
「ちょっとちょっと、本気でいってるの? やだなぁ面白くない冗談だなぁ」
 などと冗談っぽい口調だったが、目が本気だった。置いていったら後で酷い目にあわせるぞ、という目つきだった。エーデルはため息ひとつ、陽菜に肩を貸して歩き出す。
 倒れたバードックを見下ろして、陽菜は少し考えるようなしぐさをしたあと、
「ごめんね、やっぱり陽菜たちも、負けられないんだ」
 そう、つぶやいた。

 


 美優の問いかけに答えようとしたエラーズが、ふと、宙にその視線を漂わせるような仕草をした。
「どうした、何かを感じたようだが?」
「ああ、いえ。しかし、俄かには信じ難いが……やはり、そうか」
 一人で納得した様子のエラーズに、怪訝な顔をするレン。
「どうやら、貴女たちの仲間の勝ちのようですね。こちらの仲間はどうやら、ファイバーを残して全員敗北したようです」
 その言葉に美優の表情が明るくなる。だがレンはやはり腑に落ちない。仲間達がやられたというのに、この目の前の男の余裕は何だというのか。
「貴様……何を企んでいる?」
「今更新しく何かを企んだりはしませんよ。ただ、そう。試合に負けて勝負に勝った、というところですか」
「どういう、意味ですか?」
 とたん、不安げな顔をする美優。
「我々の目的が達成されるためには、勝敗は関係ないのですよ。この戦いそのものが、今回の計画の最後に必要だったので」
「なんだと……どういうことだ!?」
 だがエラーズは深く語るつもりはないらしい。
「本当は、姫君の協力があればもっと事は簡単に進んでいたのですが……まあ、上での戦いの様子からして説得は失敗、ですね。当然ですけど。まあそれでもよかった。これで条件は揃った。これだけ世界のエネルギーが渦を巻いていれば、後は時間の問題でしょう」
 窓の外を眺めながら、しみじみと語るエラーズ。強大な感知の力を持つ彼には、異世界のエネルギーが荒れ狂う様子が見えているのかもしれない
 レンは答えをはぐらかすエラーズに苛立ちを覚えた。だが美優は何かを探るような目つきでじっとエラーズを見ている。
 その視線に気付いたのか、エラーズが首を傾げた。
「何か……ああ、あなたの質問の答えですか? それなら」
「いえ、わかったからいいです。レンさん、早くお兄ちゃんのところに行きましょう」
 エラーズの言葉を遮り、美優は言い切った。美優はどこか、呆れた様子だ。
「……ミユ殿?」
「あの人、本当に酷い人です。あの人にとっては、今日の戦いの結果なんてどうでもいいんです。この世界が滅びようが続こうが、今日あの人たちの手段が手に入ろうが入るまいが、本当に、どうでもいいんですよ……」
「どうでも……?」
 その言葉にエラーズは。
 盛大なため息をつくしかなかった。
 本当に……そんなところまであっさりと見破られるなんて、思ってもみなかったのだ。
「ええ、まったくその通り。私が見たいものは、どのような結果にしろもう見られることは確定しているようなものなのです」
「見たいもの? 貴様、一体何を見ようというのだ?」
「……全てを失った人が、それでも、ただひとつの何かのために生きて、何を掴むのか。そしてその果てに、その人は何を想い、死ぬのか」
 レンも美優も首を傾げる。美優もエラーズが結果に頓着しないということを理解していただけで、その根底にあるものまで見破ったわけではない。
 二人は困惑を顔に浮かべ、互いに顔を見合わせる。
「そうですね……ぶっちゃけて言えば、馬鹿はどういう生き方をしてどういう死に方をして今際の際に何を言うのかが知りたいんですよ」
「ず、随分とぶっちゃけましたね」
 美優が多少引いていた。美優も大概歯に衣着せぬところがあるが、エラーズも相当のものらしい。
「それで? それを知って貴様はどうするというのだ?」
「どうも。ただ知りたいだけなのですよ、それを。ただの自己満足です」
「それが……そんなことが、この世界を滅ぼしてまで知りたいことか貴様!!」
「何に命を賭けるかなど人それぞれ。私はそれにこそ、命を賭ける意味を見出した、それだけのことです」
 だっ!!
 腰の高さに剣を抱えて駆け出そうとする、が、そのレンを美優の腕が止めた。美優はしっかりとエラーズを見据えている。
「ミユ殿!?」
「……待って下さい、少しだけ」
 美優はじっとエラーズから目を離さない。その足元を、腰を、指先を囲むように、小さな刃のように研ぎ澄まされた鏡たちが舞っている。それはかすかな光を反射して、光の粒のように輝いていた。
 深く息を吸って呼吸を整え、エラーズにたずねた。
「それじゃあ、もう私たちが戦う理由は、ないんじゃないですか?」
「それはそうですが、だからといってハイどうぞ、と言って通すわけにはいきません。これでも、エラーズには恩義がありますから」
「……どうしても、通してくれない、んですか?」
 エラーズは無言で構えた。それ以上は言葉は不要とでも言うように。美優は小さくかぶりを振ると、小声でレンにたずねた。
「レンさん……あの、剣から光る斬撃を放つ魔法。あれ、その剣以外にもかけられますか?」
「ああ、それは可能だが……それがどうした?」
 それに答えず、美優は行動を開始した。両手の指先に光を生み出し、閃光を放つ。じゃっ、と鋭い音を立て空が焼ける。が、文字通り光の速度のそれをエラーズは難なく避ける。さらにその背後から襲い掛かる氷の槍さえも視線を送ることさえせずに前に転がって避けた。
 同時、美優を取り囲む無数の鏡片が空を切り破片どうし集まり、剣の形を成す。
 金属がこすれあう音が廊下を埋め尽くし、鏡の剣が廊下の床に、壁に、天井に、無数に突き立った。
「むっ!?」
 廊下は一瞬で剣で――鏡で埋め尽くされた。背後の出口にまで、鏡が壁のように張り付いていた。まるでミラーハウスのような光景に、レンはめまいを覚える。
 もはやこの中のどこにも、誰にも逃げ場はない。その全てがレンの武器となり、美優の武器となる。レンはその鏡の剣を一振り手に取ると、
「なるほどな、借りるぞミユ殿。さあゆくぞエラーズ――『二剣六刃』!」
 二本の剣が輝き、叩きつけられた剣からそれぞれ三本の光の刃が迸る!! 鏡の剣は折れたが、それでもまだ大量に武器はそこにある。
「数で押し切るつもりですか!?」
「ええ、そんなところです」
 美優に肯き返したレンは、新しい鏡の剣を抜き、エラーズへと駆け出した。エラーズも床を蹴り駆け出す。二人の距離は瞬く間に縮まり、
 がしゃあああんっ!!!!
 エラーズの足が床を踏み抜いた。否、床のように見えていたのは鏡であった。床にあいた穴を鏡で覆って隠していたのだと気付いた時には、エラーズの体は中ばまで落ちていた。
 突然の事態に、レンでさえも目を剥く。が、その隙を逃さずに両手の剣で床を切り裂いた。
「『二剣四刃』!!」
 迸る光刃は廊下を一直線に突き進み、突き立つ鏡剣を砕きながらエラーズへと突き進む。エラーズ腕一本で割れた床の端を掴むと、ブランコのように大きく体を揺らして跳躍して光刃をかわす。レンは両手の剣で着地したエラーズの眉間に切りかかる。
 金属同士がぶつかり合う音に鏡の破砕音が混ざった。更に美優は、割れた鏡たちを操りその鋭い切っ先をエラーズに向ける。
「チッ!!」
 蹴りを放ちレンを引き離し、風を起こす勢いで回転し鏡たちを次々に蹴り落としていく。レンは更に新たな鏡剣を振るい、八本の光刃を放つ。刃は嵐のように床、壁、天井と駆け回り、その牙をエラーズに向ける。
 エラーズは最小限の動きでそれをかわし、転がっていた瓦礫を凄まじい速度でレンに投げつけた。
 美優の魔法が闇を裂き、瓦礫を粉々に砕く。
「さすがに、やる……しかし、この程度では私は倒せませんよ!?」
 そう、確かに鏡の先端は鋭くエラーズの体に襲い掛かるが、それでも小さな傷にしかならない。とてもではないが、ダメージと呼べるようなものではない。
 さらには、あれだけあった大量の鏡剣も、すでにそのほとんどが攻撃の巻き添えとなって砕けていた。きらきらと空気中をダイヤモンドダストのように鏡の破片が舞う。
 だが、それでいい。これで攻撃の『準備』は整った――
「レンさん、これを、あなたの剣にしてください」
 美優の言葉に呼応し、廊下を風が駆け巡り、砕かれて廊下にばら撒かれたまま維持されていた鏡の欠片が集められる。レンは剣を掲げ、その集められたかけら達に全力の魔力を注ぐ。
「ゆくぞエラーズ、私の全身全霊を懸けた一撃だ、受けてみろ!!」
「これは、まさか!?」
 鏡の一つ一つが眩く輝く。レンの魔力が――切断した対象に斬撃を走らせる『斬像』が込められる。あまりにも大量の『剣』の群体。
 エラーズはごくりと唾をのむ。確かに彼は魔法を感知することができる。『戦技』の防御能力とその力は、対魔法使い戦では絶大な力を発揮する。だがしかし、それもあくまで回避あるいは防御が可能である場合。もし彼の防御を突破するほどの威力を目の前の魔法が秘めていれば。
 レンの剣が、振り下ろされた。
 猛然と殺到する鏡の群に、エラーズは全身に力をみなぎらせ、体を硬化させる。果たしてこれで、どれほどレンの『斬像』に耐え切れるかは彼にもわからなかった。
 次々に床に壁に鏡が突き立ち、それが一斉に光を放った。輝く刃が一斉に生まれ――一瞬で、消滅した。
「…………え? がはっ!?」
 レンの一撃。背後からの、必殺の一撃。光を帯びた刃は、エラーズの右胸を貫いていた。
 胸から零れ落ちる赤い雫に手をやる。そこから生える冷たい刃に視線を滑らせ、最後にレンを見る。深く鋭い、肉体の痛み。それを感じた瞬間、エラーズの口から苦痛がもれ、仮面の下から血が流れ出た。
「かふっ! これは、一体……?」
「私の『斬像』は確かに、斬ったものの表面に斬撃を走らせることができる。しかし斬撃の量と、威力・距離が反比例するのだ、残念な事に」
 エラーズは美優に視線をやった。
「……数で押し切る、そう、言いました」
「確かに、その通りでしたね……はは、まったく、魔法使いには、勝つ自信は、あったのですが。相手が、戦士と策士では、この結果も致し方ない、ですね」
 つまり、あれだけの大量の鏡に斬像を込めたところで、刃を発生させることは本来は不可能だったわけだ。しかし美優の膨大な魔力と一緒くたになったせいで、エラーズの鋭敏な感覚は麻痺を起こしてしまったのだ。
 まるで、それが巨人の鉄槌のような強大な一撃であるかのように。
「つまり……あなたの狙いの攻撃は……この、一撃、というわけですか」
「ああ、私の全身全霊のフェイントだ。私の全てを費やさせてもらった」
 事実、レンの息は荒い。およそ込められる全力がこもった業だったのだろう。エラーズは苦笑すると、
「くあっ!?」
「レンさん!?」
 レンを蹴飛ばし、その剣を引き抜いた。よろめき、壁に背を預け、ずるずると座り込む。壁についた不気味な黒い跡が出血の激しさを物語っていた。仮面の奥から力のない苦笑が漏れる。だがそこには悲嘆の色はない。
 そんなエラーズを油断なく見据えながら、レンは脇腹を押さえて立ち上がる。最後の最後で手痛い反撃を受けた。
「ふん……まったく、随分と、丈夫な事だな」
「まあ、そうでないと、生きていけない生き方でしたからね。私の負けです、行くといいでしょう。この世界でどういう結末を迎えるのか、あなた達のやりたいように、やってみるといい」
 レンは立ち上がり、剣を回収して鞘に収める。
「当然だ」
 言い捨てると、エラーズを振り向くことなく、歩き出す。美優の傍まで来ると、ひとつ礼をした。
「助かった、ミユ殿。あの作戦は見事だった」
「あ、はい。こちらこそレンさんがいたから……それで、レンさん、あの人……」
 美優はエラーズが気にかかるようで、仕切りにそちらを気にしていたが、レンはぽんと頭を叩く。
「あのまま放っておけば死ぬだろうし、彼に死ぬつもりがなければ自力でどうにかするだろう。我々にできることは何もない」
「あの人は……それで、いいんでしょうか?」
「わからんさ。わからんが……それでも、我々に何かされるよりは、ずっといいだろう」
 美優はもう一度エラーズを振り返った。廊下は暗く、ここからでは生きているのか死んでいるのかもよくわからない。
 彼は、この世界に決定的な滅びをもちこんだ存在で、彼女にとっては紛う事なき敵だった。それは理解していてそうとしか彼女自身思えない。ただそれでも、美優は。
「生きていてほしいです。そうすればきっと、ここかここじゃないどこかで、自分の幸せのために何かを知ることができるから」
 せめて悲しいことは少ないほうがいいな、と思った。

 


 ごつり、耳の奥で重苦しい音が響いた瞬間視界がぐるりと回転し、更にみ胸の中央に衝撃。息がつまり、一瞬気が遠のく。
 足が止まったところで両腕を拘束され、地面に仰向けに叩きつけられた。その上みぞおちを容赦なく踏みつける太い足。
「かっ……!?」
 つんと鼻の奥に鉄の臭いが漂った。意識を保っていられるのが奇跡にさえ思える。いや、あるいは悪夢か。
 ファイバーはゆっくりと圧力をかけてくる。そうして俺を痛めつけて、心を折るつもりなのだろう。俺は精一杯の虚勢でファイバーを睨みつけた。
 そうすることしかできない俺を見下し、ファイバーは横へと視線を投げた。そこには確か、ユリアが倒れているはずだ。
 一国の最終兵器と全てを貫く力をもってしても、この男に致命傷を与えることはできなかった。
「……こんなものか、つまらんな」
 何がつまらないだこのやろう、こっちは最初から少しも面白くないんだよ。顔に唾を吐いて悪態をつきたい気分だったが、今の俺ではどうすることもできない。
「まあいい、お前達の役目も終わりだ。もはや俺達の計画は為される」
「……やっぱり、ユリアは計画には必要じゃなかったんだな?」
「そうだ。まあ戦いを起こす餌にはなったのだからどちらにせよ必要であったわけだが」
「一体何を言って……ぐ、あああぁぁっ!!!!」
 腹にかかる圧力が更に増す。骨がぎしぎしと軋みを上げ、内臓が逃げ場のない体内から飛び出すほどに押し込められる。痛みに体が勝手に跳ね上がるが、四肢を押さえつける岩人形どもはピクリとも動かない。
「……気が狂ったか? この絶望の中何を笑う、小僧?」
 その言葉で始めて気付く。そうか、俺は、笑ってるのか。
 確かに意識を遣れば口は弓を描いているような気もする。瞳は三日月のように歪んでいる気がする。世界は白と黒を行き来して真っ赤な血の臭いに満ちている。ああなるほど、狂っているといえば狂っているんだろう。
 お前にだけは言われたくないけどな。
「何が、気が狂った、だ……」
 くらくらする。視界は白だか赤だか黒だかが混濁したように、あるいは切り替わっているのか、とにかくぐちゃぐちゃだ。死ぬのか? ああ俺死ぬのかもなぁ? ――嫌だなあそれは。だってほら、親父が。俺が。……ユリアが。
「俺も、お前も……違いなんかない。自分の、目的のため、に、他の全部を……それも、大切な、ものを……へいきでぎせいにして……っ!!」
 やっている事の最低具合で言えば俺もファイバーもどっこいどっこいだ。ファイバーは姉のためにその他全てを犠牲にするといい、俺はユリアを助けるためにみんなを戦いに引きずり込んだ。いや、俺はそれでもみんなを守りたいだのなんだの言っている分更にたちが悪い。
 大切なものを失うために、他全てを無意味と見なす観念。
 大切なものを守るために、大切なものを危険に晒す矛盾。
 そんなものを抱いて生きているような人間に今更狂ってるだのなんだの、お前はあれか、常識人か? ふざけろフルアーマーメルヘンオヤジめ。常識人ってのはあれだ、ほら、えーっと……。
「くそっ、今更だが俺の周りには一人も常識人がいねえ!!」
「どうやら本格的に終わったらしいな」
 めりめりめりぃっ!!
 圧力が一気に倍増した。骨が軋む音の中に明らかに折れたかひびが入ったかの音が混ざって聞こえ出す。喉の奥にいやな感触を感じたかと思えば咳が漏れ、口から溢れた血が泡を立てて口から零れていった。
 まったくもって、本当に。俺たちはなんなんだろうか。
 こいつは俺の親父を殺して、俺はこいつの悲願を止めようとしている。
 なら俺が戦う理由はなんだろうか。ユリアは取り戻した、さっさと逃げてしまえばいい。まあその場合この世界が終わってしまうが……俺たちはただの学生なんだから、そんなことに首を突っ込むこと事態、間違っている。
 ただいえることは――この戦いは必然だったという事。俺がどの世界にいて、ファイバーがどの世界でこんなことをしでかそうとしていても、俺はこいつを止めに来たに違いない。
 理由は、簡単だ。
 親父が笑っていたから。親父が最後に言い残してくれたから。
 生きてほしい、と。
「生きて――やるさ」
 そうだ、それだけだ。
 俺がここにいる理由、俺が戦う理由、俺が、ユリアを、みんなを守る理由。
 生きているからだ、生きていたいからだ。
 俺はみんなと馬鹿みたいな普通の毎日を送っていたい。そのためにはこの世界にはなんとしても残っていてもらわないといけない。そのためには、みんなに生きていてもらわないといけない。
 そのためには、みんなが、みんなの思うように生きていないといけない。
 だから俺は、命を懸けてここまで来た。みんなもそうだ。
 常識なんてクソ食らえ。そんなものは普通に生きるために必要な程度摂取できていればいいのだ。
 適度な塩梅で狂っているからこそ、俺たちはこんなにも楽しく生きている。
 そんな今を、貴様なんぞにくれてやるものかよ。
「う、ぐ、あああああああああああああっ!!」
 ぐっと全身に力を込め、圧し掛かる力に必死に抗う。そんな俺をあざ笑う。今のお前に何ができる。腕は封じられて特殊魔法は放てず、通常魔法を編む集中力さえも奪われたこの状態でなにができる、と。
 できるに決まってんだろうが、あほう。
 俺は可能な限り嫌味な笑みを浮かべてやった。
「俺の魔法が手から出るなんて、いつそんな事言った?」
「ぬおっ!?」
 両手を押さえつけていた岩人形を同時に貫き、ファイバーにも放つがそれはかわされ鎧の一部を抉り取るに終わった。だがこれで解放された。
「そうか、魔法を暴走させた時は、動作など必要とはしていなかったな!」
「望めば尻からでも出せるけどな!!」
 追い討ちをかける。もはや隠す必要はない。モーションを経ずに畳み掛けるように次々に魔法を放つ。ファイバーは素早く動きながらも、その鎧は次々に削られていく。だがやはり、早撃ちでは直撃は狙えない。
 だん!
 音を立てて床を蹴り、ファイバーへ向かう。鎧の多くはすでになく、これならば俺の攻撃も直接打ち込むことができる!
「おおお!!」
「はああ!!」
 交差する拳と拳。俺はもぐりこむように、やつは覆いかぶさるように、互いに拳を打ち込む。速さでは俺が、一撃ではファイバーがそれぞれ勝る。ファイバーの拳がこめかみを揺らす。俺は胸の中央に、螺旋に捻った掌底を突き入れる。がつんと音がして、視界がぶれる。次いで右の耳が熱を持つ。右の側頭部を強打されたのだと気付いた時には、反撃に敵の顎を突き上げていた。がちん、と手ごたえが返ってくる。ぎょろりとした視線と目が合い、その視界を埋め尽くすように拳が顔面めがけて降って来る。それを受け流し、受け流しきれずに膝が折れた。その体を襲った横からの衝撃。左の膝が脇腹に突き刺さっていた。その膝を脇で締め体を引き、相手の体が前に出たところに肘を叩き込む。
 意識は朦朧としながら、ひたすらに勝つためだけに動く。体が動く。意志がひたすらに、体を動かす。
 それでも、どれだけ意志を保っても限界はやってくる。体力の、肉体の限界が。
 ふらりと足から力が抜け、後ろによろけてしまう。その隙にファイバーの太い腕に俺の首が締め上げられ、背後のフェンスに押し付けられた。そのまま壊れそうなほどに歪むフェンス。
「はぁ……はぁ……」
「どうやら、お前の力も、ここまでのようだな」
 ファイバーが指を鉤爪のように曲げる。その太い指先がどれほどの力を持っているのか、それを味わった俺は、それがもはやナイフに匹敵する凶器であると理解する。
 命の危機にありながらも、どこか気持ちは晴れやかだった。今まで頭の中を覆っていた色々な面倒なものが綺麗さっぱり、うせているようだ。
「やはり、あの男の息子か、久々に全力を出した。だか所詮、あの男が倒せなかったのにお前に俺が倒せるはずがなかったのだ」
 へ。そうかい。
 ふざけろ、クソヤロウ。
「「死ね」」
 同時につぶやいた、瞬間。
「かぁぁぁっ!?」
 ファイバーの四肢を四本の光が貫いた。首を締め上げる指先の力の緩みを感じ、俺はすぐさまファイバーの拘束を解く。倒れようとするその胸に肩を当て、地面を強く踏みしめ――ドンッ! 放たれた肘打ちは、ファイバーを吹き飛ばす。
 その瞬間、限界を迎えた俺の体は倒れ――優しく、受け止められた。
「あぁ……さんきゅ、ユリア。危なかった」
「私こそ、あなたには助けられてばかりだから」
 暖かで、柔らかくて……いい香り。すぐにでも眠ってしまいたい、ところだけど。あとちょっと、ひとふん張り。
 俺はユリアに肩をあずけて、倒れるファイバーまで歩み寄った。ファイバーは意識はあったが、俺と同じような状態だった。俺は少しどうするか迷った後、魔法を放つ。
「ぐっ!!」
「ヒロトっ!?」
 大丈夫、ちょっと四肢の神経の伝達を遮っただけだから。こいつくらいの根性があれば、貫かれたくらいでおとなしくしてるなんて楽観はできなかった。まったく、意志が強すぎるのも問題だ。
「俺達の、勝ちだな」
「……だが、もはや世界の礎の発生は止められんぞ。この世界はいずれにせよ、終わる」
 それが、最後の問題だった。果たしてこの世界の崩壊を止めるにはどうすればいいのか……そも、世界の礎の詳細が分からなければどうしようもないのだ。なぜ世界の礎が生まれることで世界が終わるのか。それがわからない限りは。
「ファイバー、その、世界の礎って一体なんなんだ?」
「知らん」
 あ、ちょっとぶち切れていいですか?
「なんといわれようと知らんものは知らんのだ。ただ、それが手に入れば新たな世界を創造できることは確かだ。ただ、それがどのようなものなのかまでは資料にはなかったのでな」
「なんだよ、資料なんてあるのか? ていうか、他の資料を探せばいいじゃねえか、どこだよ、その資料」
「姫君の王城の秘密書庫だが」
「えぇっ!? あ、あそこに忍び込んだんですか? いつの間に!?」
 また随分と意外っつーかありえそうっつーか。ユリアも真剣にセキュリティについて考えてる場合じゃないって。
「どちらにせよもはや資料を探している時間などないぞ。具合から見て、もはや生まれるのは――」
 その言葉の途中、ぐらり、と足元が揺れた。
 その奇妙な……しかし不穏な揺れに、俺とユリアは顔を見合わせた、その時。
 ドンッ!!!!
 突き上げるような揺れが起こり、学園を、いや、街全体を揺らしだした。あまりの揺れに立つこともできず、俺達は寄り添うようにその場に座り込んだ。戦いによってガタが来ていた部分は崩壊し、フェンスもメリメリと音を立てて落ちていった。
 一体、どれほど揺れていたのか。長かったような短かったような時間だった。
 顔を上げた俺達は、街の光景を見て愕然とした。どれほどの揺れだったというのか、いくつかの家はつぶれ、あちこちで先よりも酷い火事が起きていた。
 今の揺れは、地震、だったのか。けどそれはおかしい。この世界は表の世界とは隔絶されているから、地震なんて起こるはずがないのに。
 しかも揺れはまだ小さく続いている。それだけじゃない、どこか遠くからも、同じような音が聞こえてくる。
 一体どうなってるんだ、この世界は!?
「……! くるぞ、世界の礎が!」
 ファイバーの興奮したような言葉と共に、周りの空気が密度を増したような圧迫感が生まれる。その圧迫感の中心は、自然と感じられた。
 三人の視線が、ゆっくりと一箇所に集まる。そこに、何かが集まっているのを感じる。そして――
 ――リィインッ!!
 耳をつんざく音と共に、エメラルドグリーンの光の塊が姿を現した。世界の礎というにはあまりにも小さく、その大きさの割には途方もない存在感を持って、そこに現れた。
 これが――世界の、礎。世界を、生み出す元。
 呆然と見やる俺達。それがまずかった。
「おおおおおお!!」
「んなっ!?」
 ファイバーが、己の四肢に岩人形を突き刺して動かしていた。馬っ……鹿か、こいつ!? そこまでしてでも……叶えたい、願いなんだろう。
 だが、それを黙って見過ごすわけには――
 ざりっ。
 砂を踏む音。
 なぜかその音は、やたらと、耳に響いて聞こえた。
「おや、ファイバー『君の魔法は、もう打ち止めだろう』」
 ざわり、と空気が変わる。違和感だとかそういった生易しいものじゃない、これはもっと単純なもの。単純すぎて、すぐには理解が及ばないもの。
 ファイバーがその言葉の通り、唐突に岩人形の動きを制御できなくなって、倒れた。

 その人は。その、人は。呆然とする俺達の前に、ふらりといつもの調子で現れた。
 乃愛、さん? え、いやちょっと、え?
 なんだ、これ。理解できない。理解が及ばない。理解が追いつかない。何かが明確に違うわけじゃない。何か明白な差があるわけじゃない。でも直感が、経験が、本能が、理性が、告げている。
 この女は、乃愛さんじゃない。もっと何か俺の理解の及ばない、別の存在だ。
「ノア……アメスタシア…………!!」
 驚いたことに、ファイバーの声には間違いなく恐怖が宿っていた。
 いや、何を驚くことがある? そんなの当然だ。だって俺が――慣れ親しんでいるはずの俺でさえこの目の前の人に恐怖を感じているのに。
 ああそうだ、乃愛さんが現れる直前のあの空気。あれは、恐怖だ。世界が彼女に恐れ戦いたのだ。
「ふぅん……これが、世界の礎か。もっと大仰なものかと思っていたのだが、まあこんなものか」
 興味深そうに、あるいは興味なさそうに。彼女はじろじろと世界の礎を観察している。
 そして、その手を世界の礎へと伸ばす。
「乃愛さん!」
 俺の呼びかけに、ぴくり、とその肩が動いた。ゆっくりと彼女が振り向く。それは見慣れた顔、見慣れた表情。
 ああ……やっぱりだ。何度でも言うぞ。
 あんた、誰だ。
「ノアさん……? あなた、本当に、ノアさん、ですか?」
 たずねる声は震えていた。俺はユリアの手をしっかりと握り締める。俺が震えるわけにはいかない。
 何がなんだか良く分からないが、とにかく、今の乃愛さんはやばい。たぶんファイバーたち全員をまとめたのなんかより、ずっと危険だ。
「やあやあ、なんだか随分と怯えているな。だがその恐怖、その忌避は生命体として当然の反応だろう」
「どういう、事ですか?」
「ははっ、言って信じるとも思えないが、はてさて、黙っていては話が進まない。困ったものだ」
 その仕草も喋り方も乃愛さんそのものだというのに。なんだ、この違和感は!?
「ノアさん……い、一体、どうなさったのですか!?」
「どうした、どうした……というと、こう答えるしかないだろうな。私は、君らの知る乃愛の中に存在するものだ」
「……どういう、ことですか?」
 乃愛さんは……うん、とひとつ肯いたあと、こんな風に言った。
「簡単に言えば神のようなものだよ。それもとびきりたちの悪い、ね」
 何を仰いましたか、この方は。
 唖然とした。ユリアも同じだ。ファイバーは……顔は見えないがたぶん同じだろう。何か、とんでもないことを言いやがったぞこの人。
「え、ちょ、ちょっと待って下さい。それはなんですか、ギャグとかじゃなくて?」
「うん」
 即答しやがったよ、この人。
「な、何を言ってるんですかあなたは!? 今がどういう状況かわかって」
「それを理解しているからそれほど焦っているのだろう、ヒロト君」
 …………っ!!
 ああ、そうだ、その通りだ。今のこの状況の悪さはこの上なく理解してしまっている。それは俺にとっても誰にとっても、最低最悪の現実。つまりは――
「私が君らの敵に回ったと、それが理解できれば十分じゃないか」
 その言葉に、俺もユリアも……ファイバーでさえ、何も言うことができなくなった。
 一体乃愛さんに何が起こったのかはわからない。だが、この三人ともが理解していたのだ。この人は今、この場における唯一の勝者であると。
「ええと……念のために聞きますけど。今、それを手に入れようとしてましたよね、それでどうするんですか?」
「私のなすべきを成すだけさ。乃愛には悪いが、私の存在はただそのためだけにあるようなものなのでね」
 こういう語りは、乃愛さんのままなのに。
 いまだに地面を揺らす小さな揺れは収まらない。ぐらぐらと足元は揺れている。それにあわせて、俺の思考も揺れいてる。
「ひとつ、教えてください……あなたは、この世界を、どうするつもりですか?」
「……ほう、感じ取ったか。君の想像通りだよ、この世界を、破壊する」
 ぎり、と奥歯をかみ締めて、残りのありったけの力を振り絞り地を蹴った。一動作で乃愛さんへと詰め寄り、握った拳をそのみぞおちに――
「よろしい、合格点だ」
 ぐるんと視界が回転し、背中をしたたかに打ちつけた。気付けば元の位置へと飛ばされていた。何がどうなった?
「悪くない動きだ。いや、むしろ大洋さんを髣髴とさせたよ。これから先が楽しみだ……その『先』がなくなってしまうわけだが」
「あなたは……この世界を守るために、戦っていたのではないのですか!?」
 ユリアの叫びに、乃愛さんは横を向いてばつの悪い顔をした。
「乃愛はそうさ。だが私は違う。私がでてきたのは今しがたなのだから」
「じゃあ乃愛さんでないなら、あんたは一体誰なんだ!!」
 乃愛さんは……乃愛さんの姿をしたそれは少し考え、
「……乃愛は苅野乃愛という名前のほうを気に入っていたね。それじゃ、私のことはノア・アメスタシアと呼ぶといい。わかりにくいから。ノアなりアメスタシアなり、自由に呼んでくれて構わない」
 そういうついでのごく自然な動作で、彼女の指が礎に触れた。余りにも自然すぎて止める暇もなかった。礎は触れたその手に吸い込まれ、同時に世界を揺らしていた振動も止まった。
 ノアはうんうんとなにやら一人で納得した様子だ。俺達はもはや言葉もなかったが、それでは終われない男がいた。
「貴様あぁぁぁっ!!!!」
「ああ、ファイバーか。まだ生きていたんだっけ、そういえば」
 つと、その瞳が細まる。ぞっとした。その目は命を見るものじゃない、物を見る目だ。敵意なんてさらさらない、ただ殺意のみの目。
「なあ、ファイバー。君は――」
「やめろ……」
 何が起ころうとしているのか、漠然と理解した。彼女の魔法は知っている。俺は何度も経験している、何度もそれを使うところを見ている。
 そしてそれを言っていたことも覚えている。最悪の『錯覚』の使い方。無数の条件が必要で、まず使うことはないといわれた、その力。
 ――相手に、自分の死を『錯覚』させる。
「『今日この日この場所で、死ぬんだったな』」
「やめろおぉぉぉ!!!!」
 目の前で、ファイバーがびくん、と痙攣した。同時に、ざり、と頭の中に何かが割り込んできたような音。耳の奥から耳の外へと逆流してきたような、生理的嫌悪感を伴う音。
 ぞっとした。今のがなんなのか、乃愛さんの『錯覚』を受けた事のある俺はわかってしまった。今のは『錯覚』の対象となったときの感覚だ。だが先ほどのノアの魔法は俺達を対象にしていなかった。それでも、傍にいるというだけで影響を受けてしまった。
 魔法の規模が、増大している。巨大に、強力になっている!
「待ちや、ノア。あんた、なにしとるん。なんであんたが、それ持っていきよるん」
 満身創痍。まさしくその通りの姿で、沙良先生がましゅまろと共にそこに立っていた。いや、沙良先生だけじゃない。
 美羽、美優、陽菜、レン、貴俊、エーデル。全員、そこにいる。誰もが信じられないといった顔で、ノアを見ている。話を、聞いていたのか……。
「なあノア。あんたなにもんや?」
「――まあ隠しても仕方のない話だ。君たちには話しておこうか。私という存在がどういうものなのか、なぜ、乃愛の中にいたのか、をね」
 ノアはまるで講義でもするかのように、静かに語りだす。
「事の始まりは……何年前だっけ? まあどうでもいい、昔の話だ。あるとき、私が生まれた。私が生まれたのは世界ではない、その元となる空間だった。そして生まれた私は――その瞬間に、乃愛の中に入り込んだ」
「寄生虫みたいやな」
 その言葉に、ノアは苦笑を浮かべる。
「なら私は益虫という事になるかな。なぜなら――生まれた世界を乃愛が生きていられた理由は、私という存在があってこそ、だからだ」
「どういう、意味、ですか?」
「乃愛を産んだモノは本当は追放なんて甘いことを考えてなんかいなかったのさ。奴らの当初の目的は、殺害だ。乃愛には無限の可能性があったからね、それを恐れたんだ。だが、殺さなかった……殺せなかった。私がいたからだ。私を内包した存在は死なない、何があろうとも絶対に、だ」
 絶対、とは大きく出たものだ。いつもの乃愛さんならそんな言い方はしない。それこそ、絶対に。
 世界の不条理や気まぐれをひとやまいくらといわんばかりに見て来た乃愛先生だからこそ、絶対などという言葉がどれだけあやふやなものかを知っていたんだろう。
 人にとって唯一の絶対である死さえ、ファイバーの姉のようになってしまえば絶対でなくなる。
「絶対、とは大きく出ましたね……じゃあなんですか、溶鉱炉の中に沈んでも死なないとでも?」
「ははは、愉快な事を言うねヒロト君。そんなことになればいくら私でも死んでしまうによ。私はね、非常に悪運が強いのさ、それこそ自ら死を望まない限り、事故や戦いにおいて死ぬなんてしないし、宿主である乃愛にもさせない。私が操るのは魔法よりももっと深い、根源にあるものだ。その力をもってすれば世界ごと殺そうとしない限りは、私を殺すことは不可能だろうね」
 世界ごと、という言葉に思わずこと切れたファイバーに視線を向けた。たった一人を殺すために必要な犠牲。世界ってのは意外と皮肉屋さんらしい。
「……で? その自称たちの悪い神様は、何だってこの世界をぶっ壊すんですかい?」
「それは……ふむ。言語化するのは少々面倒だな。加えて――」
 ノアは自分の体をどこか不満げに見下ろした。はて、一体あの体のどこに不満があるというのだろうか。少なくともこちらの女性陣と比べたら立派に――
「……おにいちゃん?」
 急いで美優から視線を逸らす。
「ふーむ、ヒロト君、ちょっと頭を貸したまえ」
「えぇ?」
 伸びてくる手に思わず体を引いてしまった。普段の彼女ならともかく、今の彼女に触れるのは本能の部分が拒絶を示す。その調子がいつものように見えるだけに、余計に違和感を感じてしまうのだ。
「何故逃げる?」
「本気で言ってますか、あなた」
「別に何も怖いことはしないさ」
「その言葉を聞いて安心できる人間がこの世にいるか!? てか、普段の乃愛さんはそういうことを言った時が一番危ないんだよ!!」
「やれやれ……乃愛にも困ったものだ。『ほら、足が動かないんだから無理しない』」
 え? うおっ!?
 引こうとした足がアロンアルファで接着されたかのように一瞬で床に固定された。思わず足元に視線がいって、その隙に――
「ほら、これでいい」
 そういって、ノアの手が優しく俺の頭の上に乗せられ……
 ばちんっ!!!!

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