世界が見えた世界・9話 C


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 学園の中は静寂が満ちていた。それを割るように、俺達の駆ける足音が響いていく。
 時間はまだ昼時だというのに、空を覆う分厚い黒雲と強い風の音、さらには遠雷まで響いているせいで、夜の学校にも負けず劣らずの不気味さを醸し出している。
 昇降口から入った俺達は、校内をぐるりと回りながら上へと続く『無事な』階段を探している。
「あいつら、階段をふさいでルートを潰すとかふざけた真似をしやがって」
「だがこれで彼らが僕らを利用して何事かを企んでいる可能性はほぼ確実だ。見ろ、無事な階段があったぞ」
 エーデルが示した先には、確かに階段があった。なるほど、誘われている。
 学園内に踏み込んだ俺達が最初に見たのは、瓦礫や氷その他諸々で強引にふさがれた階段や廊下だった。俺達はそこをさけ、こちらを進めとばかりに開かれた道を探してきたのだ。
「むしろここに罠を仕掛けてる可能性もあるんじゃねーか?」
「それは否定できないが……かといって躊躇する時間も、そのつもりもない人間が先頭に立っているんだ、進むしかないだろう。なあヒロト君」
 乃愛さんに無言で肯き返し、階段へと踏み込む。が、ざらりとした違和感を覚えた。
 すでに慣れたとはいえ、注意していればそれは確かな違和感として感じることができる。つまり――、
「誰かが魔法を使っている! みんな、気をつけろ!」
 俺の言葉に、素早く互いの背中を合わせて円を組む。美羽と美優、陽菜をその中に押し込める形だ。
 五感を研ぎ澄まし、廊下の向こう、階段の上、窓の外、扉の奥、すべてに注意を向ける。何も異常は見当たらない。だが、違和感は消えない。
「ひ、ヒロ君。誰もいないよ?」
「いや……誰かが魔法を使って、この辺りをその範囲内に捉えていることは間違いない」
 だが、術者の姿はない。俺の勘違い? そうかもしれない。だが、もし本当に誰かが今俺達を狙っているのなら、油断するわけにはいかない。
 もう誰も、目の前で失うつもりはない。
「結城、誰かがうちらを狙っとんのは間違いないんやな?」
「それだけは確かです」
 ふん、と鼻から息を吐く沙良先生。ぶかぶかの白衣の袖をくるくると振り回す。その頭の上で、ぽんとましゅまろがひとはねした。
「よし、せやったらここはうちに任しとき。アンタらは後ろを気にせんで前に進む。うちはここでアンタらの後ろを守る。前にそいつがおったときはまあ、自力で何とかする。それでええやろ」
 沙良先生はそういうと、円陣から離れ、廊下の真ん中に立つ。
「どこから狙ってくるかわからん以上、こっちも全力になる。はよう進むんやで、せやないと、全力で巻き込むからな」
「いやでも、それは危険すぎます!」
 相手は一人でコミューンを潰してきたような化け物ぞろいだ。さっきのガーガーと沙良先生がもしぶつかれば、沙良先生はひとたまりもないに違いない。そんな危険があるのに、彼女一人を残してはいけるわけがない。
「はぁぁ……。なあ結城、人間誰しもやらなあかん事があんねん。あんたが今やらないかん事はなんや? それをでけへんかったら、あんたは一生それを引きずって歩くことになるんよ? そんなん、うちにおしつけんどいて欲しいわ」
 心底面倒くさそうに、しっしとその手を払う。
 それでもためらう俺の肩を、乃愛さんが押した。見やると、行け、と顎で階段を指していた。迷う。それは正しいのか、俺の目的のためには、それは間違った選択じゃないのか。
「結城、迷うな。その迷いは、うちの覚悟に対する侮辱と受け取るで」
 沙良先生は肩越しにこちらを振り返り、にやりと笑う。
「それに、うちが負けるわけないやろ。たかだかコミューン潰す程度の相手に」
 さらりと爆弾発言をかます沙良先生。なんという自信。その小さな背中から溢れる大きなパワー……はいごめんなさい睨まないで。
「わかりました、沙良先生――その覚悟に乗らせてもらいます」
 迷いを振り切るように、全力でその足を踏み出す。前だけを見て、ただ突き進むために! その後ろから、次々と足音が並んでくる。
 階段を上りきった時、違和感が一瞬強さを増し、ついで衝撃と轟音が足元を揺らした。すぐ下で、何かが起こっている。
「兄貴……」
 足を止めた俺を、美羽が訴えかけるような声で呼ぶ。唇を噛む。皮が裂け、血が滲んだ。
 こういうことか、親父。こういうことなのか?
 誰かの願いと自分の願い。守るべきなのは命か願いか。そういうことなのか?
――ゴッ!!!!
「おに――っ!?」
「――しっ、行くぞ! さっさと全部終わらせて、先生を迎えにいかねーとな!!」
 壁におもくそ額をぶつけ、気合を叩き込む。しゃんとしろ、結城大翔! 俺が進まなければ、あの人の意志が死ぬことになる。
 大丈夫だ。根拠もなく理由もなく、ただそうだと信じる。
 弱い俺にできることは、卑怯にもそれだけだ。だから絶対に信じ切る。そうしなければ、いけないと思う。
 沙良先生は、相手が誰であろうと、負けるはずがない。
「行くぞ、また別の階段を探す!」
 階段はまたふさがれていたから、次の階段を探す必要がある。まったく、こういうときは無駄に広い校舎が恨めしいな。
「ヒロト殿、平気か、その、いろいろと」
「大丈夫ですよ、俺はそんなやわにはできてはいません」
 打たれ強さには定評のある結城大翔とは俺の事だ。不安も何もかもを飲み込んで、レンさんに笑顔で答える。それを見たレンさんは、「ふっ」と小さく笑うともう何もたずねてはこなかった。

 


 大翔たち全員が階段を駆け上がった瞬間だった。唐突に沙良の足元から宙に浮き上がって来た深紅の液体が、鋭い針の形を成して襲い掛かる。だが、
「墜ちろ」
 その沙良の言葉に従うかのように、針はことごとく床に叩きつけられ、水滴となってはじけた。
「へぇ、やるじゃないのさぁ!!」
「んなっ!?」
 ごがぁん!
 なんと、壁の中から人間が飛び出してきたのだ。
(ったく、こいつらは埋まるのが趣味かなんかか!?)
 素早く体を捻る。ガザベラが手に纏う氷の刃が目の前を通り過ぎる。だがガザベラは慌てた様子もなく左手をかざした。石礫がその意思に従い沙良に襲い掛かる。弾丸のごとき速度とレンガ並みの質量の大量の瓦礫。狭い廊下に、逃げ場はない!
 が、
「その程度の石ころで、何を貫くつもりや」
 カツン!
 小さく高いその靴音が廊下に響き、呼び覚まされた水龍のごとき濁流が沙良の体を覆い隠し、礫の悉くを弾き落とす。
「ちょ、ちょっとちょっと、何よそれ!?」
「何も何もないやろ、うちの魔法や」
 学園内には無数に水を通すパイプが通っている。その流れを強引に掌握し、壁の配水管から引っ張り出してきたのだ。
 沙良の魔法は『流理』。万物中の『流れ』を理解し自在に操る魔法。彼女にとっては、学園は己の武器がそこらじゅうを這い回っているのと同義だ。
「魔法、ね……最初からそんな大技出して、体力もつんだろうね? 途中でへばってもあたしゃ容赦しないよ?」
「くく……あんた、愉快な冗談吐くなぁ。この程度が大技? そう思うんならあんたの実力も底が知れるわ。せいぜいうちが疲れるまでは無様に逃げ惑って見せてほしいわ」
 二人の間の空気がぎしりと硬質化する。水流は沙良の周りでうねりを上げ、ガザベラは巨大な氷をその身の周りに生み出す。互いの生み出す魔力が際限なしに高まり、空間をぎりぎりと締め上げる。
「「死ね」」
 同時に解き放たれた力は、二人の中間点で衝突、炸裂し、暴風と衝撃を撒き散らした。衝撃は学園を揺るがし、周囲の窓ガラスを次々に破壊する。一瞬のうちに築かれた破壊の山が、一瞬の激しさをいやというほどに表していた。
 だが、終わらない。終わるわけがない。
 たかだか単体でコミューンを相手取るような存在が。たかだか六人ごときで世界を敵に回すような存在が。
 その程度で終わる存在であるはずがない。あってはならない。
 そうでなくては。
 この、虎宮沙良が彼らの盾になる意味がないのだから。
「うちが全力で盾になるいうたんや。ならこの世界を砕いてでも、あいつらは守ってやらなあかん。それが、大人ってもんや。そうやろ、ましゅまろ」
 その言葉に二十年来の相棒が当然だといわんばかりに尻尾を振り回す。
 颯爽と白衣を翻し、白煙渦巻く中へと駆け込む。
 その身に水を従えて、最強の盾となるために。

 


 ドン、ドン。遠くから響いてくる振動が、戦いが続いている事を教えていた。一撃一撃がよほど重いのだろう、重低音は、走りながらでも感じられるほどに学園を激しく揺さぶる。
「やれやれ、もうすぐ新学期なのに。学校明日まで残ってんだろうな?」
「なに兄貴ってばそんなに学校好きだったの? じゃあ、新学期から生徒会の仕事手伝ってみる?」
「その代わり家事は全部美優に放り投げることになるが?」
「……ごめん兄貴、アタシが悪かったわ」
「ちょ、ちょっと、それ酷い……」
 まあ実際のところは美優は料理以外の家事ならそれなりにできるんだけどな。ただ、一つ一つの動きが丁寧というか効率が悪いというかとにかく徹底しているので、仕事が片付かないのが欠点だ。
 魔法を使う時はあんなにきびきび動けるんだけどな。不思議なものだ。
「ん? ちょっと待ってくれ、何かおかしな衝撃を感じる」
「え?」
 廊下の真ん中で足を止める。すると、乃愛さんの言葉通り確かに遠くから時折響いてくる音とは別に、直下から突き上げてくる衝撃が感じられた。
 ……いやな感じだ。一階は通路をふさがれたりしていたせいで、どんな様子なのかほとんど把握できていない。連中が下から不意打ちをかけようと待ち伏せしているかもしれない。
 警戒しながら慎重に進むか、無視して一気に突破するか。
「迷ってる場合じゃ、ないからな……行くぞ、足元に気をつけろよ!」
――ドォン!!
「ひやぁぁぁぁんっ!?」
「ってうぉぉい、美羽!?」
 言ったそばからいきなり美羽の足元の床が崩壊し、それに巻き込まれて美羽が落下した。慌てて駆け寄り下を覗き込む。どうやら腰を打ちつけたらしいが他に目立った外傷は見受けられなかった。
 まったく、油断できないな。
「待ってろ美羽、今そっちに――」
「だめっ! そんな暇ないでしょ、兄貴は早くユリアさんを迎えに行ってあげて!」
 んなっ! なにを言い出すんだこいつは!
「お前ふざけるなよ、どう考えてもそっちには誰かいるに決まってるだろうが! そんなところにお前一人残して……」
「アタシだってお父さんの子供なんだよ、やんなきゃいけないこととか、やりたいこととか――守りたいもの、あるんだよ! だから行ってよ兄貴、アタシの守りたいものは、兄貴が行ってくれないと守れないんだから!!」
 ……………………ッ! ああもう、どいつもこいつも!!
 迷う悩む躊躇う、どれだけ覚悟を決めてもやることだけを見据えても、誘惑はいつだってどこからだって現れやがる。両立しないものが山ほどあってそのどれもが大切な事だってある。
 だから決断しないといけない。ああそうだ、そういう覚悟をすると、腹を括ったんだから!
 こんなところでまで、人に流されてるわけにはいかない。俺が全部を引っ張る、そのくらいの決意を持たなきゃならない!
「美羽、苦労をかけるぞ」
「まかしてよ、これでもこの馬鹿みたいに騒がしい学校の生徒会役員なんだからね。苦労なんて慣れっこよ!」
 ああ、そうだな。お前ほど頼りになる妹なんて滅多にいねーよ。
「いくぞ、美優」
「うん、お兄ちゃん……お姉ちゃん、後でね!!」
「まかせなさい。美優も、兄貴達のことよろしくね」
 俺達は駆け出す。大丈夫だ、また会えると。信じて、確信して。
 だが……そうだな、あと俺にできることといえば……。

 


 美羽は天井にあいた穴から聞こえてくる足音が遠ざかるのを聞きながら、深く息をついた。
 ゆっくりと瓦礫の上に立ち上がる。体のほうは、特に大きな怪我はない。少し腰を強く打ったくらいだが、動くことに支障が出るほどではない。
「風の魔法で空を飛べたらいいんだけどね……」
 ユリアがよくやっていたように、風の魔法で空を飛ぶことは不可能ではない。だが、それには高度な技術と魔法の相性が必要になる。ちなみに、美羽の風の魔法との相性は悪くはない、という程度のものだった。
 慎重に、周囲の様子をうかがう。何か怪しい気配は感じられないが……戦いに関してはずぶの素人の自分には、よくわからないというのが正直なところだった。
「ていうか、何で兄貴はあんなに戦い慣れしてるわけ? 帰ったら絶対問い詰めてやる……」
 確かに、中学時代はたまに喧嘩をしているような話は聞いていたし、噂話程度なら何度も耳にした。だが、大翔のそれはどう考えてもそういうレベルの話ではないと美羽の直感は告げていた。
 こと兄に関しては直感が働く美羽である。
「……ここで立ち止まってても仕方ないか。とにかく、どこか上に上るルートを探してみないとね」
 瓦礫から下り、ひとまず廊下を進む。今の自分の位置がどの辺りかを確認しながら、暗い廊下の先を睨みつける。
 ガラ。
 小さな音にびくり、と体が跳ねて振り返る。鼓動が早まり、血流がドクドクと音を立てて流れる。
「なに……誰かいるの!?」
 精一杯の虚勢を張って声を出すも、震えることを抑えることはできない。ごくり、と唾を飲み込む。
 ガラガラガラッ!!
 美羽が立っていた瓦礫の山が音を立てて崩れだす。決して勢いのあるものではない、だが、確実にその下には、何かがいる。
 動かなければ。その必死の思いで、美羽は右手に通常魔法で炎を生み出す。しかし炎はうまくまとまらず、勢いも万全のときよりはるかに弱い。それを見て、自分がどれだけ緊張しているのかを思い知った。
 ――勝てるの、こんなので?
 怖い。足先からゆっくりと、冷たい恐怖が這い上がってくる。目の前の光景すら、恐怖で視界が狭まる。
「――っ、しゃんとしなさい結城美羽! ここがアタシの、正念場よ!!」
 自らに活を入れ、奥歯を強くかみ締め目の前の瓦礫の山を睨みつける。恐怖はなくならない、だが恐怖になんか呑まれてやらない。そんなものに負けてやれるほど、自分は弱くできてはいないはずだ!
 そして――
「グルアアァァッ!!」
「っ、ガーガー!!」
 青い獣人が瓦礫の山を跳ね除けてその姿を現した。瓦礫が飛び散る。美羽はその姿を睨みつけ、焼いて貫けとばかりに炎を放つ。
 音を立てて燃え盛る赤い炎は、その熱で空気を歪めながらガーガーへと突き進み、
「ルァゥッ!」
 その口の中へ飲み込まれた。
「……………………へ?」
 もはや言葉も出ない。
 高速で飛来する炎を……魔法を……食った? 想定外もいいところだった。わけがわからずに立ち尽くす美羽。ガーガーは炎を咀嚼し、飲み下す。開いた口からチロリと赤い炎が覗いて、消えた。
 反則だ! そう叫びたい気持ちだった。
「グルゥ」
「ひっ!」
 いきなり自分の対抗手段を奪われた美羽は、獣の瞳に怯え後ずさる。ゆっくりと、ガーガーがその足を踏み出す。
「あ……」
 突然、足から力が抜けた。だがもはや、慌てることすらできない。呆然と、ゆっくりと近づいてくるガーガーを見ることしか。
 絶望的な状況。心が砕けそうになる。泣き叫んで、誰かに助けを求めたくなる。
(助けって……誰に?)
 真っ先に脳裏に思い浮かんだ顔をかき消した。それはダメだと。もし今ここで自分が彼に助けを求めれば、彼はおそらくどこからでも駆けつけてくれる、駆けつけてしまう。
 だけど、だからこそ、それだけはだめだった。
 今の彼が何のために走っているのかをおそらく彼以上に理解しているから。だから、今の彼に頼ることはできないのだ。
 それが、結城美羽の守りたいもの。命を懸けてでも、絶対に貫かなければならないもの。
 これまで自分たちが奪い続けた、兄の『自由に生きる』という、その選択肢。
 だから今ここで、泣き叫ぶわけにはいかないのだ。
「……兄貴……がんばって」
 絶望と希望。自分の中に渦巻くものがそのどちらなのか、あるいは両方なのか、よくわからないまま。
 美羽は、静かな諦念とともに、瞳を閉じる。

――だから。

「わりーけど、その娘を殺させたりはできねーんだわ、ケダモノ」

 その声が自分のすぐ後ろで聞こえてきたときは、心底驚いた。
「グルァッ!?」
 ドンッ!
 砂袋を叩きくような音が響き、ガーガーはその巨体を砲弾のごとく吹き飛ばされ、瓦礫の山に頭を突っ込んだ。
 美羽の横に現れた男――貴俊は、いつものように気の抜けた、だが、瞳だけは鋭い笑みを浮かべていた。
「いよう美羽ちゃん、手伝いに来たぜ?」
「く、黒須川先輩? なんで!?」
「なぁに、大翔に頼まれただけだぜ、心配だからあいつのこと頼むってね」
 貴俊はガーガーを吹き飛ばした長い袋から、中身を取り出した。その中から現れたのは、漆黒の一本の槍。槍投げに使うような、まっすぐで先だけが鋭く尖った、そんな一本の槍だった。
 それを器用に振り回し、最期にぴたりと脇に添えて構えを取る。
「いやはや、羨ましい話だ。俺が落ちてたら、あいつぜってー誰も助けによこさないに決まってるもんな。ま、それがあいつのいいところでもあるんだけどな~」
 などと惚気(?)る貴俊。それを半眼で見ながら、美羽は壁を支えに立ち上がる。
「まあ、その、ありがとうございます。けど、黒須川先輩はいいんですか、それで?」
 美羽の疑問に、貴俊は笑って答える。
「なぁに、確かにあいつにずっとついてったほうが俺としては楽しいがお願いされたんじゃぁしょーがねえ。俺は愛に糸目はつけないタイプでね」
「……はぁ」
 よくわからないが、とりあえず肯いておいた。一応、大翔から注意されていたことではある。貴俊は無理に理解しようとするな。
 とりあえずその兄の言葉に従うことにしながら、まずはガーガーに集中する。
「ところで美羽ちゃん、誰かを殺す覚悟を決めたり、あるいは誰かを殺した経験は?」
「あるわけないじゃないですか、そんなの」
「オッケーいい答えだ。それじゃあ、ちょっくら愛のためにひと働きといきますかね!」
 言い終わるが早いか、ガーガーに飛び掛っていく貴俊。その素早さに美羽は目をむいた。速すぎる。何だこの生き物は、本当に人間か。
 両手に炎を生み出し、急いでその背中を追う。ガーガーも立ち上がり、その巨大な腕を大きく振りかぶった。
「先輩、作戦とかないんですか!?」
 相手は魔法を食らう。しかも人知を超えた暴虐無人とでも言うべき腕力を持っている。近づけばひとたまりもない。相手はまさしく、獣なのだ。
 だが。
「そんなもん、後からかんがえりゃあいいってもんだ!」
 黒い獣のように、貴俊は恐れることなくその暴風の中に踏み込んでいく。ガーガーの両腕が振り下ろされる。その一撃は床を砕き、穴を開ける。だがすでにそれよりも深くガーガーの懐に入っていた貴俊は、
「でりゃあぁぁっ!!」
 槍の石突でガーガーの顎をかち上げる。その一撃が果たしてどれほどの威力だったのか、あのガーガーの巨体が、一瞬、地から離れる。そこへ、さらに胸への容赦のない突き。
 再び響き渡る重く苦しい衝突音。その一撃で、再びガーガーは大きく吹き飛ばされた。
 なにこれ。意味わかんない。
 ガーガーも理解できなかったが、貴俊のあの動きといい腕力といい、こっちのほうがよっぽど理解できなかった。人間かどうかすら疑わしい。
 ガーガーがケダモノならば貴俊はバケモノだ。
「ほら、美羽ちゃん、まだまだ終わってないぜ? さすがに大翔ほどじゃあないだろうが、あいつもそれなりには俺を楽しませてくれそうだ」
「え?」
 なんとなく引っかかりを覚え、横に並んだ貴俊の顔を見上げる。だが、その瞳は獰猛にガーガーを睨みつけているだけだ。
「ま、気にしても仕方ないか。それじゃあ先輩、あいつを、倒しますよ?」
「ああ、全力でぶっ飛ばしてやるよ!」
 二人は同時に、獣へと駆け出す。
 迎える獣は無傷の体で、雄叫びを上げた。

 


 どこからか聞こえてくる獣の雄叫びは、ガーガーのものだろう。
「さっきのは、ガーガーの仕業だったのか?」
「君が魔力を感知しなかったところから見ても、その可能性は高いと思うよ。アレは見た目からして、腕力で戦うタイプだ。ま、何か魔法を隠し持っていなければの話だがね」
 確かに、あいつの体つきは異常に逞しい。いくら貴俊でもあのガーガーが相手では正面勝負は難しそうだな。とはいえ、あいつに頼るしかなかった状況だったのも確かだ。
 ……むしろあいつが今現在美羽の傍にいるってことのほうが嫌な予感を掻き立てる。
「余計なことをぺらぺら話さなきゃいいんだけどな……」
「それって、やっぱり中学時代にくろすんとフルボッコやったこと?」
「だーかーらー! 陽菜もそうやってぺらぺらと喋らない!」
 美優が『え、なに? ねえなに何か隠し事?』って視線で猛烈に訴えかけてきている。勘弁してください。
「それほど隠すようなことでもないと思うがね。話してあげたらどうなんだい?」
「単純に起きた事柄だけ説明してもわけわからない話しだし、そもそも俺があんまり鮮明に思い出したくないので」
 まあ、どうしてもというのなら話すのは構わないんだけども。
 そんな俺達に呆れた様子のエーデル。
「……どうにも君達は緊張感が足りていないようだがね、そう余裕ぶっていられるのもここまでのようだよ」
「あれは……」
 廊下の真ん中にずんぐりと岩のように立っていたのは……確か、バードックといったか。この男もガーガーほどではないにしろ、常軌を逸した体格の持ち主だ。その割にやたらと気弱そうな顔をしているのがやたらとバランス悪い。
 なんか、何もしてないのにこっちが悪いことしてる気分になってくるな。やりにくいことこの上ないぞこいつ。
「えーっと、ほう……かなりの人数が残っていますね。ガザベラさんとガーガーを相手にたったの三人だけを残してきたんですか? 僕が言うのもなんですけど、それは無謀ですよ?」
 敵に本気で心配されたよ、おい。全身からいい人オーラが出てるよ、この人。美優も戸惑っている。
「敵に心配される筋合いはないってーの。心配するくらいなら最初から何もしなけりゃいいだろうが」
「まあそれはそうなんですけども、僕としても叶えたい願いがありまして」
 心底すまなそうな顔をしているくせに、願いと口にした瞬間、バードックの瞳からは迷いの色は消えていた。
 なるほど、そういうタイプか。
「ふ。結局最期は自分の願いが全て、か。それなら最初から他人に気を遣っていい人の顔をするのはどうかと思うがね、僕は」
「誰にだって、譲れないものがあるでしょう。そのためならなにを犠牲にしてもいいというような」
「程度によるのさ。幾多の世界を巻き込む価値が、君の願いにはあるというのかな?」
「さぁ、それはどうでしょうねぇ……」
 バードックは空を見上げて考え込む。普通に隙だらけだった。
 ……えーっと、これは、今のうちに通っていいのか、これ? 今まで敵対したことのないタイプだから、対応に困る。
 どうしたものかと悩む俺に、エーデルは小声でぼそりと言った。
「そら、なにをしているヒロト君。ここは僕に任せてさっさと姫を助けに行かないか」
 その提案は、正直、意外と言うか想定外というか、とにかく予想外のものだった。
「……いいのか? お前のことだから、ユリアを助けるのは僕だとか言い出すと思ってたんだけど」
「やれやれ、君は王道・セオリーというものを理解していないようだね」
 エーデルは綺麗にピッと人差し指を立てると、得意満面の表情になる。
「悪の魔法使いに囚われた姫君。それを助け出すのは騎士の役目だ。貴族の役目ではない。貴族の役目は姫を迎える事。だからヒロト君、僕は彼女を迎える準備をしなくてはならない。この目の前の邪魔者を片付けて、この世界の安寧を手に入れてね」
 そういうエーデルの瞳には、バードックに対する明らかな敵対心が燃えていた。どうやら、先ほどのやり取りの中でバードックに対して何か特別怒りを覚える部分があったらしい。
 こいつも、色々と変わったということだろうか。
「さあ、行きたまえ。そしてしっかりと理解したまえ、姫の騎士役が君だということを。僕がその宝石を君に預けたのは、伊達でもなんでもないのだからね」
 俺の胸元……その下にある、エーデルの一族の宝石のひとつ。それをこつんと、服越しに拳で叩かれた。
 その笑顔は、もしかしたら信頼とかそういったものなのかもしれない。俺はそれに肯くと、バードックに向けて全速力で駆け出した。
 それに気づいたバードックは、その巨大な腕を振り上げる。が、
「甘いなバードック、君の相手はこの僕がしてあげよう。サフィール家次期当主、エーデル・サフィールが!」
「ぬぅ、これは……!」
 エーデルの生み出した水流が、獲物を狙う獣のようにうねり、バードックの腕を絡め取り、締め上げる。その巨体の横をすり抜けるように駆け抜けた。一瞬、エーデルを振り返る。
「…………」
「…………」
 頼む。
 エーデルを残し、俺達は一気にその先にあった階段を駆け上がり、三階へ向かう。
 この背に、期待と信頼と、責任を背負いながら。

 


 エーデルは自分の今の心境に驚いていた。しかしそれは、どこかすがすがしい気分でもあった。
 結城大翔。自分にとってはその存在は疎ましいものであり、それ以上に危険なものであった。そしてどこまでも相容れない間柄であることはであった頃から今でも変わっていない。
 彼にとってはこの世界の存亡よりも、自分の世界の王国のほうが優先度が高いのは当然であり、ユリアの身の安全やその心理状態の健康についても真剣に考えるべきことだった。彼女こそ、国の宝であるのだから。
 そんなエーデルの考えを完全に無視し蹴り飛ばす結城大翔という人間を彼が嫌悪するのは、ある意味当然と言えた。
 無論、その感情は今でも変わることはない。エーデル・サフィールにとって、結城大翔は気に入らない人間であり、おそらく一生仲良くはなれない人間だ。すぐにでも関わり合いを断ちたいくらいだった。
(……だが、それでも信じることはできる。託すことはできる。ふ、矛盾しているな)
 エーデルは国の最有力貴族の一員だ。彼が考えるべきは国のことであり、国の未来である。それだけだった。それだけしか考えていなかった。
(財も、権力も、人も、衣も、食も、住も。全てはその構成であり、ただの数であると思っていた。実に愚かな事だ)
 考えるまでもない当然のことだ。国を構成するのはその地に有る全てであり、貴族はただ運営するのみ。確かに上に立つものがなくては国は国としての形を保てなくなるだろう。そのために必要な権力が、財力が、その他全てが与えられるのは当然のことだ。
 だが同時に、下々の者達がいなければ、自分達は運営する国そのものをなくしてしまうのだ。
 それを、この世界に来て知った。思い知らされた。自分も、所詮は国の中のひとつなのだと。
「バードック。君は先ほど言ったな、譲れないものがあると。何を犠牲にしてもいいと思えるほどのものがあると」
「ええ、確かに言いました。それは間違いではないでしょう?」
「ああそうだとも。僕も確かにそう思う。それが正しい、それが人間だ。だがお前は間違っている。君は――貴様は……」

 


 陽菜がそういったとき、一瞬意味が理解できなかった。
「陽菜、もう一度言ってくれ。なんだって?」
「だからねヒロ君、えーちんが心配だから、陽菜もあの人と戦ってくる」
 なんで、そうなるんだよ……。
「あのな陽菜、エーデルなら大丈夫だって。なんだかんだであいつは強いし、本来は異世界に戻るためのものだけど魔力を溜め込んだ宝石だってまだいくつか持っている。攻撃力だけなら、俺達の中でも最大なんだぞ、あいつ」
「でもあのバードックっていう人だって、コミューンを一人で潰して回ってるような人なんだよ。だったら大丈夫なんていえないよ!」
「そんなの、陽菜が行っても変わるもんじゃないだろうが!」
 思わず、声を荒げていた。頼むから、そんなこと言わないでくれよ、陽菜。なんでそんな、自分から危険に飛び込むようなことを言うんだ? 回避できる危険は回避したほうがいいに決まっている。それができなくても、少なくとも俺の傍にいてくれれば、俺が守れるかもしれない。
 けど、エーデルがいるとはいえ、戦いなんて危険のど真ん中。そんなの。
「……ヒロ君。そんなにヒロ君ばっかりがんばんなくてもいいから。陽菜だって、自分の身くらい自分で守れるんだよ。そういうのにむいてる魔法なんだしね」
 陽菜の決意は固いようだった。けどこればっかりは認めるわけにはいかない。
「大体、なんでいきなりそんなことを」
「いきなりなんかじゃない。ずっとだよ、ヒロ君。ずっと陽菜は、ヒロ君にこうしなくちゃいけなかったんだから」
 え? 何だそれ、どういう意味だ?
「ヒロ君の心に、いつまでも陽菜がつっかかってるわけにはいかないの。ヒロ君も、いい加減陽菜離れしなくちゃいけないよ」
 冗談めかして、それでも、なぜだか必死に訴えかけてきている。
 ……なんでそんな風に俺を見るんだよ。陽菜、お前は一体……。
「…………ふぅ、仕方がない。沢井、私が許す。精一杯、やってくるといい」
「乃愛さん!?」
「はい、乃愛先生!」
 陽菜はその言葉で、階段を駆け下りる。
「陽菜!」
 俺の呼びかけに、陽菜は足を止めて、振り返らずに、
「ヒロ君! ありがとう、あと、ごめんね!!」
 そういって、階段を一気に飛び降りていった。その後を追おうとする俺の手が、ぐいと引っ張られる。
「レンさん!」
「ヒロト殿、行くぞ。時間がない。それに……今ヒロト殿が行けば、間違いなく足手まといだ。信じてやれ。せめて迷いなく」
「信じるっていっても、なにを……」
 レンさんの手を振りほどく。レンさんは俺達の前に立ち、歩き出す。
「彼女の、信念をだ」

 


 沢井陽菜は走る。零れる涙を拭いながら、走る。切ない胸の痛みを押し殺しながら、ただ走る。走って走って走って、前を向く。
 昔、彼女の初恋の男の子が、そうしていたように。
「そう、ヒロ君が陽菜に生き方を教えてくれたんだよ。陽菜にはヒロ君を助けられなかった、救えなかった、取り戻してあげられなかった。だからヒロ君、せめてそのお手伝いだけはしてあげたい」
 大翔がその魔法を失う最後の一押しを作ったのは、間違いなく陽菜だった。陽菜を襲う犬を不用意な魔法攻撃で殺してしまったことが、大翔の魔法への不信と拒絶を最大限にまで高めた。それは確かだ。それも、大翔が勝手にやったことだといえばその通りだ。
「でも陽菜はあの時、ヒロ君が助けてくれるのを当たり前だって思った。自分で何とかできなくてヒロ君が苦しんでても、ヒロ君が陽菜を助けてくれるのが普通なんだって思った。そんな事なかったのにね、ヒロ君だって本当は、誰かに助けて欲しかったのに決まっていたのに。だからあれは、陽菜の失敗」
 ずっと探していた。自分が大翔を助けられるその瞬間を。
 これで終わる。大翔に守られるだけの自分。一度大翔に守られることを当然と思った陽菜は、ずっとその役目を負い続けた。大翔が不用意に魔法のことを思い出さないように、自分に失敗を続けることを課し続けた。
「だけど、それももう終わり。ヒロ君が陽菜たちを頼ってくれるから。自分を縛り続けていたヒロ君が、その枠を打ち壊すから」
 まっすぐな廊下に出る。その先では、すでにエーデルとバードックの激戦が始まっていた。水が逆巻き、豪腕がそれを引きちぎる。離れたここまでもそのぶつかり合う轟音が耳を打つ。
 だが、沢井陽菜は躊躇いなく走る。魔法で空気に擬態して、ただまっすぐに目標に向かって。
「ありがとう素敵な初恋! ごめんね傷つけて! でも陽菜は、さいっこうに、幸せなんだよ!!」
 姿も気配もない、何もない空間から突然響いた声に、バードックが驚愕の表情で振り向いたのを見ながら、
「沢井陽菜、恋する乙女! 全力全開で、ヒロ君の恋とヒロ君への友情のために、がんばりまああああす!!」
 その右腕を存分に敵の顔面に叩き付けた。

 


 すでに学園を包む衝撃は絶え間ないものとなっていた。各所で行われている戦いが、それだけ激戦となっているのだろう。
 それはつまり、まだみんな生きていることの証拠。誰も俺達は欠けていない。そして最後まで誰一人としてかける事無く家に帰るのだ。
「それにしてもここまでお膳立てされていると、次は誰が出てくるのかつい考えてしまわないかい?」
「ええまあそりゃあ考えますけど……後残ってるのって言うと」
「ファイバー、エラーズ、それからポーキァ……ですね」
 ポーキァか。また嫌なやつが残ったもんだ。また絡まれたりするんだろうか。前回存分に罠にはめてぼこぼこにしてやったし、ガキっぽいあいつは相当怒ってるんじゃないだろうか。
 ……むしろガキっぽいから逆に忘れてたりな。そっちのほうがありそうだ。
「なぁーんかすっげぇ馬鹿にされてる気がするんだけどぉー?」
「うぉ、ポーキァ!? よう、そんなところで黄昏てどうした」
 窓に腰掛けていたポーキァにまったく気づかずに通り過ぎるところだった。思わず普通の知り合いにするように話しかけてしまったではないか。
「どうもこうもねーよ。もう少し早く来るかと思ったんだけどなぁ。待ってるこっちの身にもなれっつーの」
 どうやらここで待っている間にやる気がなくなってきたらしい。
「別に無理してやるこたないだろ。んじゃ、俺達は先に行くぜ――っと!」
 軽く退いた鼻先を小さな雷撃が走った。ちり、と鼻先が少し焦げた。
 ポーキァは窓枠から立ち上がる。ぱりぱりと、青白い電気が弾けた。じり、と何かが焼ける音と嫌な臭いが漂いだす。
「悪ぃけどそーゆーわけにもいかねえんだ。ようやく俺達の目的のブツが手に入るんだからな、アンタ等に余計なことをされちゃあ困る」
「さっきと言ってる事が逆じゃねーか。それなら、俺達を待つのはおかしいだろ」
 全員でかかってくるか、あるいは俺達の手の届かないところにさっさと行ってしまえばいいのだ。後者に関しては、この学校に何か仕掛けがしてあるのだろうと大体推測が立つ。だが、前者は? なぜ明らかな邪魔になる俺達をさっさと潰さない?
「俺達にも色々都合があってね。まあとりあえず、あんたらはここで俺と遊んでてよ」
「お断りだクソガキ」
「絶対、や!」
「断固拒否する」
「頼み方に誠意が足りないな誠意が。土下座でもしたまえ少年」
 俺達の一斉の拒絶に、ポーキァがこめかみに血管を浮かべ目を吊り上げる。それにしても乃愛さん、何気に一番酷いこと言ってませんでしたか。
「というかだな、ポーキァ。お前は重大なことを忘れている」
 ポーキァの背後――俺達が今しがた通ってきた道を指し、その後、俺の背後――これから進むべき方向を指す。
 立ち位置が、徹底的に悪すぎる。ていうかアホだろお前。
「そんなわけで、俺達はせっかくだからお前を無視して進ませてもらうぜ!」
「うお、おいこらちょっと待て!!」
 ポーキァに背を向けて走り出す――なんて事を、当然黙って見逃すようなやつではない。
 逃げる俺達に対して、次々に雷撃を放ちながら追いかけてきた。炎や水、氷やら風ならともかく雷となると基本的に回避は不可能だ。美優の鏡でどうにか防いでいるが、さすがにいつまでも逃げられるとは思えない。何より美優への負担が大きすぎる。
「やっぱり、誰かが足止めしないと無理か……?」
 けど、誰にだ? 相手がポーキァで雷電の特殊魔法では、この中でまともに相手ができるのは俺しかいないだろう。何しろこの至近距離、相手の魔法がどこに来るのか感知できる俺でなければかわすことはできないからだ。
 ……けど、なぁ。俺がここでポーキァを引き止めて残りの三人だけを進ませるのも気が引ける。エーデルに頼まれた手前もある。
 いや、俺は別に物語の主人公でもなんでもないんだ。できる人間がやることをやるべきだろう。
「よし、ここは俺が残って、ポーキァを引き止めます。だからみんなは――」
「だめ、絶対にだめ!!」
 美優に全力で否決された。なぜだか怒っている。
「ユリアさんは、お兄ちゃんが助けに行かないとだめなの! お兄ちゃんが行かないとだめなの!」
「いやそんなこと言ってる場合じゃ……大体なんでいきなりそんなルールができてるんだよ」
「だめなものはだめ! じゃないとお兄ちゃんが……」
「あーはいはい、二人とも落ち着いて。ここは私が引き受ける、それで全て解決だろう?」
 俺達の間に割って入った乃愛さんは、足を止める。悠然と立つその姿に隙はない。
「いいんですか、乃愛さん? いくらあなたでも、あの雷撃は」
「これでも君よりも長い間タイヨウさんの師事を受けていたんだ。それに絶体絶命の状況など慣れたものだよ。あんな風に、やんちゃな子供の躾もね」
 そういって笑った乃愛さんの顔は、なんというかその、ぞっとしないものだった。
 ああそういえば、昔乃愛さんが叱る時はあんな顔してたっけ。うん、ひたすらに怖かった。何しろガキ相手に容赦しねぇ。
「わかりました、お願いします。けど、絶対に死んだりしないでくださいよ」
「悪いが、あの程度の相手に死ぬ方法が思いつかないね。さあ行きたまえ少年少女、君達の望むその先へ」
 芝居がかった言葉とともに、乃愛さんはポーキァへ一気に距離をつめた。すべるような動作でポーキァに一撃を加えたのを見送り、俺達は逆の方向へと走り出した。
 階段は、図ったかのようにすぐそこにあった。
 ……やはり、この戦いもやつらの目論見どおりなのだろう。だがその結果まで思い通りにさせはしない。
「ヒロト君」
「え?」
 唐突に呼ばれて振り返る。乃愛さんはポーキァを前にしながら、それでも声には余裕が含まれていた。
「世界の終わりって、何だと思う?」
「世界の……終わり?」
 放たれたのは意図不明の質問。何故このタイミングで、そんなことをたずねてくるのか、その意味が俺にはわからない。
 わからない……が、教師に質問されたのなら答えるのは生徒の役目だろう。ただし俺は出来がそれほどよろしくないので、常に彼女の望む答えを返すことができる保障はどこにもない。
「わかりません。けど、乃愛さんが死んだら、たぶん俺は世界が終わったような気にはなると思います」
「……にくいことを言ってくれるじゃないか」
 その答えに果たして満足したのか、顔だけを振り返って彼女は笑顔を見せた。行け、という視線に答えて、前を行く二人を追うように走る。
 酷く透き通った、笑顔だった。

 


 大翔の質問に満足したのかどうか、それは乃愛自身にさえもわかっていなかった。
 ただ、大翔と別れる瞬間になぜかその言葉が思い浮かんだのだ。思い浮かんだ時には口に出していた。乃愛自身にさえわからぬ衝動に衝き動かされて。
 それでも大翔がああやってひとつの見解を示したことは、彼女にとっては喜ぶべきことであった。
「……思考に不純物が多い。さて、どういうことだろうな、これは」
「なにをひとりでボヤボヤしてんだよっ!!」
 荒れ狂う雷光が乃愛のすぐ横を通り過ぎる。空気さえも焼き尽くすほどの熱量が乃愛の髪を揺らした。だがそれにも乃愛はさしたる反応を示さずに、視線はポーキァに向けたもののやはり思考に沈んでいた。
「違和感、そう、違和感だ。いかな私とてこの事態を想定することは不可能だ。そもそも相手の最終目的さえも謎で推理の材料すらないとなればそれも無理からぬ話ではある、というよりは当然のことだろう。だが、それならば何故私はこの事態をまるで当然だという心境で迎えているのか。まるで私の知らぬ知識でもこの脳内に封じられているようではないか、それこそ、あらかじめ」
 静かに、乃愛自身にさえ聞き取れぬほどの小さな声で思考を整理する。
 乃愛にとって何よりも不可解であったのは、この状況の都合のよさであった。まるで状況がすべてはじめから用意されているような、そんな得体の知れなさを感じていた。
 事の、始まりの最初から。それこそ、ユリアたちがこの世界へ来たときから。
 異世界とこの世界の危機。立ち上がった姫君。断ち切れぬ縁。奇妙な因果。世界中に開いた穴。その中心であるここ、学校。そしてたまたま今日という日に調査を行い、それとあわせて始まった敵のしでかした何事か。まるでパズルのピースのように綺麗に形がはまっていく現実。
 まるで踊らされているような不快感があるのだ。得体の知れない、底の知れない、果てしない何者かに。
「おい、いい加減にしろよ、あんた! そんなに死にたいのか!?」
「……まったく、考えることさえもろくに許さないとはね。少しは他人の都合も考え――いや、そんな事考えていないからこそのこの事態か」
 できの悪い生徒を前にしたときのような乃愛の態度はポーキァの神経を逆撫でした。ここに大翔がいれば気付いただろう、乃愛が思考を邪魔されたし返しにわざとそうしていることに。
「そもそも私を殺すといっても、どうやってそれをなすのかな?」
「そんなもん見りゃわかるだろうが。俺のこの、雷でだよ!!」
 言うが早いかポーキァの腕が白く輝き雷がまっすぐに、何もない空間を薙いだ。
「――あ?」
「ふむ、狙いは正確だな。ま、私としてはその方がありがたいがね」
 乃愛の立つ位置は先ほどから変わっていない。大翔と別れてから一歩もその場を動いていないのだ。そしてポーキァは正確に、狂う事無くまっすぐに乃愛を狙い……その雷はまるで見当違いの空間を焼くに終わった。
 ポーキァは困惑を隠せない様子で自分に手を見ていた。乃愛はその隙を狙うこともせず、ただ困惑するポーキァを放置していた。
「な、なんだってんだよ、おい!!」
 再度の攻撃。だがやはりそれは乃愛を捉えることはない。苛立つポーキァは更に雷撃を放つが、その全てが乃愛の立つ空間を避けて通る。まるで雷が乃愛に触れることを恐れているかのように。
「ああもう、いったいなんだってんだよ、これは!!」
 苛立ちが頂点に達したポーキァが怒りのこもった視線を乃愛に向ける。対する乃愛の視線はいたって静かで、冷ややかなものである。
「ふぅ、やれやれ。やはりヒロト君が特殊なのか。彼は私の魔法を受けた時点で研究し、実験し、体感し、推測したのだが」
「さっきから何をぶつぶつ言ってやがんだよあんたは! 何だこりゃ、俺に何かしやがったんだろうが!?」
「何かしたかといえばしたがね、素直に教えてあげる義理はないさ……ま、教えたところで私が君に負けることはないのだが」
 その言葉でポーキァがキレた。雷を放つのではなく両手両足に纏ったのだ。
 当たらない攻撃を諦めたらしい。
「あんた……ただで済むと思うなよ」
「せいぜい努力したまえよ、少年」
 乃愛は実に興味の薄い反応を返した。それがポーキァを爆発させる。
 迫り来るポーキァを視界に納めながら、乃愛が考えることはやはり現状を操っているかもしれない何者かの存在。自分たちはすでに決定した形へと収束するためだけの舞台劇の登場人物を演じているとでもいうのか。
 もし、そうだというのならば。乃愛は自分が何をすべきかを考える。自分の、最も優先するべきものを。
 苅野乃愛にとって、何よりも優先すべきもの。ノア・アメスタシアにとって、何よりも率先すべき行い。
 それを考えた時――
「――――――――世界の、終わり」
 ああ。
 そうか、と。
 誰にもわからぬため息が、くちびるの隙間から小さく漏れて。
 そして。
 世界が終わるのだと、何も理解せずに、ただそれだけが、自分の、結末が。
「……すまない」
 ヒロト君、と名を呼び。
 乃愛は。

 


 あと一階。あとひとつ階段を上れば、屋上だ。そして屋上は棟ごとに独立しているため、ファイバーがいる屋上へ通じる階段は必然ひとつに絞られる。
「中央棟の階段!」
 中央棟へ向けて駆ける俺達。もはや遮るものはなく、目的地へと向けて突き進むだけだ。
 その前に悠然と現れたのは――
「変態仮面!!」
「ああもう、なんだか訂正するのも面倒になりますね、これは」
 狐の面の向こうでため息をついた。確かそう、エラーズといったか。別に変態仮面でいいじゃんか。わかりやすいし。
「んじゃあそのお面を真っ赤に塗りつぶせよ。そしたらなんか別の名前考えるから」
 まるちゃんとか。
 だがエラーズは俺の親切な提案をさらりと無視した。
「さて少年、ファイバーが御指名だ。ひとりでこの先へ行ってくださ」
 そう言って、階段の前から退くエラーズ。随分と親切なことだが……ひとり、だと?
「お前に言われなくても行くのは行くさ。でもわざわざ譲ってもらわなくても、俺達三人でお前を叩き込んで通るって選択肢もあるぜ?」
「また随分と悠長な話を。三人なら私を一瞬で倒せると思うのですか? 舐めないでもらいたいですね」
 エラーズが不快そうに声を沈めた。その気配も不気味なものに変わる。
「言っておきますが、そんなことは不可能ですよ」
「随分な自信だな。それでは、試してみるか?」
 キン、と静かに剣に手をかけるレンさん。二人の間に静かな緊張が生まれる。
「ふふ……私を甘く見すぎですよ皆さん。私はね……逃げ足にはこの上ない自信があるのですよ!」
「偉ぶって情けない事を大声で宣言してんじゃねえ!」
 しかも微妙に共感してしまいそうになった。こいつら本当に世界を滅ぼす気あるんだろうな。
 なんか壮大なドッキリにでもはめられているんじゃないかと疑いたくなってきた。
「まあ冗談はともかく、私もそうやすやすとやられはしないということです。そうそう、それから、私達の計画は時間がたてば成就されますとも言っておきましょう」
 つまりのんびりしている暇はないということか。でもそれならわざわざ俺を通すのはなぜだ? やはりそれも計画に関係があるのか。もしそうならば、むしろ俺がひとりでのこのこ行くのは逆に危険だともいえる。それでやつらの計画が達成されては元も子もない。
 だが、このまま放置していてそれで本当に連中の計画が達成されればそれで終わりだ。さて、どうする――?
「お兄ちゃん、悩んでも仕方ないよ。先に行って」
「そうだな、このままここで悩んでいるわけにもいかないのなら、あとは賭けるしかないだろう」
「美優、レンさん……わかった。それじゃあ、先に行ってまってる」
 俺は二人から離れ、階段に向かう。エラーズは面のおかげで、その表情は見えない。なにを仕掛けてくるかもわからない。油断なく注意しながら、その横を通り抜け――
「まあ、やるだけやってみなさい」
「え?」
 ようとしたところで、何か呟きが聞こえた……と、思う、んだが。
 エラーズを振り返っても、その顔はただまっすぐと美優とレンさんに向けられていた。励まされた? いや、まさかな。俺は階段を駆け上がり、屋上への扉に手をかけた。
――ギィン!
 背後で金属のぶつかる音。振り返ると、レンさんがエラーズに斬りかかっていた。美優も今にも魔法を放とうとしていた。
 美優が、小さく笑った。いつもの、気の弱いものじゃない。しっかりとした笑顔。
 行ってらっしゃい。
 たぶん、そういわれた。だから俺も、親指と笑顔でそれに返事をする。
 行ってきます。
 剣戟と爆音を背に、俺は扉を一気に開いた。

 


 エラーズの動きは洗練されていた。なんとなく察してはいたが、実際に戦ってその強さを実感する。
 美優が放つ炎に合わせて、突撃。勢いと共に放たれた突きはしかし、エラーズを捉えずに壁を粉砕するのみ。
「先ほどの言葉はある意味冗談ではなかった、ということか。ならば……」
 魔法との連携の一撃を事もなくかわすあの動き。只者ではない。だがしかし、レンの攻撃手段は剣だけではない。
「これはどうだ! 『単剣一刃』!」
 レンの剣に魔力が宿り、床へと振り下ろした。
 瞬間、レンの剣筋をなぞるように白い光が現れ、光は床を砕きながらエラーズへと迫る。だが、まるでそれを知っていたかのように最小限の動きで光の刃をかわし、反撃に打ち込まれる一撃をレンは剣の腹で受け止めた。
 重い衝撃が両腕を伝い体を震わす。
「レンさん、下がって!」
 剣を弾き、エラーズから距離を離すと同時に美優が魔法を放つ。
 氷の刃がエラーズの周囲を覆うように取り囲む。死角から雨のように放たれるそれを一瞥もせずにエラーズはかわす。
「なんなんだあの動きは! あれではまるで――」
「お兄ちゃんみたい」
 レンが言葉の途中ではっと息を呑み、その言葉を美優が受け取った。
 まるで魔法の発生とその効果を先読みしたような動き。それはまさしく、大翔が違和感を感じるといっていたその動きそのものだった。
「くっ、あの体術に加えてこちらの魔法を感知するとなれば、かなり厄介だぞ」
 美優の隣まで下がり、エラーズとの距離を離す。エラーズは積極的に仕掛ける気はないのか、追撃をかけてくる様子はなかった。
「すまないな、ミユ殿。私一人で押さえ込めたのならよかったのだが、それも無理そうだ」
「だいじょうぶです。これでも、お兄ちゃんの妹なんですよ」
 美優はまっすぐな瞳でレンを見やる。
「君は本当に、ヒロト殿が好きなのだな。ヒロト殿が羨ましい」
「それを言うなら、レンさんもユリアさんが大好きじゃないですか」
 確かに、と笑う。
 レンにとっては、ユリアは姫という以上の存在だった。身分など関係ない、ただその存在に自分は仕えると、そう誓えるほどの。
 なぜなら、能無しでありそれでも努力し続けた彼女を当然のように迎えてくれた、かけがえのない人だから。
 だからこそ、彼女にとって結城大翔という存在は扱い辛い。ユリアが彼に対して、単純な親愛以上の感情を抱いていると察してしまってからそう感じるようになった。しかもレン個人の感情としては親しく思っている分、なお複雑だった。
「ごめんなさい、レンさん。うちのお兄ちゃんがあんなので……」
「ん? ああしまった、顔に出ていたかな」
「いえ、なんとなく。でも、ワタシはああいうお兄ちゃんは、見ていて嬉しいです。正直、うまくいってほしいと思っています」
「私もそう思っているのだが、なかなか感情というものは厄介なものでな」
 割り切れないこともある。
 いや、レンにとって世界は割り切れないことで溢れている。だがそれでも、その中でも、ただひとつ信じると決めたものがある。
「さて、悩むのは後だ。今は務めを果たさねばな」
「はい、そうですね」
 その決意を抱いてからすでに何年も経った。その間その決意が揺らいだことはただの一度も刹那の欠片もなかった。そして今、この瞬間も。それはおそらくこれからも。
「いくぞエラーズ、世界の敵! 我が名はレン・ロバイン。ここより彼方の異世界の王国に属する、ユリア・ジルヴァナただひとりの剣だ!」
「あ、あう……! い、いきます! 私は結城美優。絆だけで繋がった、お兄ちゃんとお姉ちゃんの妹です!」
 その二人の名乗りに、仮面の奥でエラーズは小さく笑った。決して馬鹿にしたわけではない。むしろ、どこかうらやむような。
「さあ、かかってきなさい。私はエラーズ。醜く小さな願いを棄てきれずしがみ付く、世界の誤謬!」
 割れんばかりに地を蹴り、壁を使って飛び上がるレンとそれに追従する雷を迎え撃つエラーズ。
 魔法は悉くかわされ、剣は受け流される。それでも、ひたすらに剣は翻る。剣が魔法が拳が嵐のようにぶつかり合う。

 


 黒い雲に覆われた空。びゅうびゅうと吹き付ける風。
 手を離すと、支えを失った扉は重い音を立てて閉じる。視線はまっすぐに前を向いている。その先には両手両足を紐で縛られたユリアと、その横に立つファイバー。二人の視線は向かい合っており、ユリアの瞳には……
「ファイバアァァァ!」
 怒りの声がほとばしる。意識した時にはすでに体は駆け出していた。
「てめえなにユリアを泣かせていやがる!!」
 涙に濡れた瞳。やつがなにをしたのかは分からないがそんなこと分かる必要はない。ユリアを泣かせた時点でぶっ飛ばすことは決定事項だ!
 右の拳に力を集める。いける! その確信と共に、力を解き放つ!
 魔法は空を貫き、ファイバーの鎧の一部を削り取った。くそ、かわされた!? だが距離は開いた。今のうちにユリアを――
「その程度の腕で、我らの夢を阻めると思うな!」
 ドンッ!
 脇腹に鋭い一撃。視界が揺れ体が横に折れ曲がり、フェンスに激突する。
「ゲホッ、ぐ……そ……がっ!」
 痛みに顔をしかめながら、立ち上がる。衝撃は逃したので、ダメージはそれほど酷くない。
 ファイバーを睨みつける。俺とやつの立ち位置はユリアを挟んで対極に位置している。今の状況だとユリアを解放するのはちと無理か。一度動きを封じなくては、ユリアを解放するのは不可能だな。
 思考の終了は行動の開始に同期する。再び地を蹴り一息にファイバーとの距離をつめる。ざわりと魔法の気配。ヤツの周囲で風が渦巻いている。収斂されたそれらが、大気をゆがめ次々に撃ちだされる!
 ドドドドドッ!!
 投げ出した体の横を通り過ぎる気配。それらは屋上の床をマシンガンのような勢いで抉り、削っていった。
「おおお!」
 ドンッ!
 放った拳は太い腕に防がれる。ファイバーは咆哮とともにその腕を大きく振り回した。豪腕は大気を屠り、屈んだ俺の前髪数本を攫う。確かな寒気を感じながらも体は自然に動く。全身のばねをつかい、飛び上がる勢いでファイバーの顔面を蹴り上げた。
「……その、程度、かぁぁ!!」
「ぐあぁっ!?」
 俺の蹴りを意に介さず放たれた肘の衝撃は背中まで突き抜けた。さらに放たれる左のこぶしを受け流しながら、一端距離をとる。
 一撃一撃が、いちいち重い! それに動きも、本当に鎧を着けているのか疑いたくなるような滑らかさだ。こんなデタラメ千万なヤツをどうにかできるのか? いや、どうにかするんだ。ユリアを、助けるために!
 両足で力強く地を踏みしめ、腹に力を込める。倒すべき相手を睨みつけ、俺は躊躇うことなく踏み込んだ――。

 


 呆然と……まるで意識が肉体から遊離したような気分で、私は目の前の戦いを見ていた。
 両手両足は魔力を封じる縄で縛られているおかげで、魔法を使うこともできない。いいえ、たとえ魔法を使えたとして、今の私が使うのかどうか。
 この瞳から涙が零れていることにさえ、ヒロトさんの言葉でようやく気づいた位に呆けているのに。
「――――ヒロトさん」
 かすれた声で、無意識のうちに口をついてでた、彼の名前。それを呼ぶだけでこんなに心が苦しいのは、やはりファイバーが先ほどいった通りなのだろうか。
『貴様は所詮、タイヨウの死の責任の重さを軽くしようとしているだけなのだろう。だからこそ、あの小僧の傍にいるのだろう。そうやってこの世界を守ってあの小僧さえ守りさえすれば、その責任から解放されると思っているのだ!』
 違う。そんなの違う。
 だって、ヒロトさんは言ってくれた、もう怯えなくていいって。あの瞳で伝えてくれた、もうひとりで背負わなくていいって。
 だから……だから私は!!
『冷静に考えて、貴様はもう元の世界へ帰っているべきだった。まあ我々としてはいてもらって助かるが……貴様がそうしなかった理由は何だ。いつまでも縛られているからだ。実に、自分本位な理由にな』
 ……そうなのだろうか。そうなのかもしれない。
 私も、考えてはいた。なぜ私は帰ろうとしないのか。そう私が決めたから? うん、確かにそう。でもここまで事態が進行した以上、ファイバーたちが現れたあの時点で、一国の王女として私は国へ引き返すべきだった。明確な敵が現れ、それが私を狙っているのだから。
 けれど私はどこまでも、自分の力でこの世界を……彼を守ることにこだわった。それは、なぜ?
 答えは私自身にも、わからない。けれど、本当にファイバーの言うとおりなら。それなら私はなんて愚かしいのだろう。
 この苦しみも悲しみも切なさも全て、私の身勝手なもの。
 ヒロトさんのように、純粋な意志のみに根ざしたものではない、卑しいもの。そうだというのなら、私は……彼の前に、いるべきではないのかもしれない。
 それはなぜか、胸を締め付けるほどに悲しいこと。ねえヒロトさん、私はあなたの傍にいてもいいのですか?
 私は、どうしたら……
「ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃ! てめえは質問してばっかだなクソッたれ!!」
 はっと顔を上げた。服はところどころ破け傷も負っていたけれど……それでも、ヒロトさんはあの力強い瞳の輝きは決して失っては、いない。
「ならば貴様は答えが出せるのか、自分が今、何のためにここにいるのかという答えを!?」
 拳を、体をぶつけ合いながら、ファイバーは問いかけていたのだ。なにをかは分からない。けれど、その言葉は私に全身を強く打ち据えるかのような衝撃を与えた。
「答え? 答えって何だよ。答えがあれば全部納得できるのか、答えさえあれば全部諦められるのか? 大体俺がここにいんのはてめえがユリアを攫ったからだろうが、いちいち答えるまでもない!」
「なぜ彼女を助けようと思う。それは世界を救うためか、それとも個人的な感情によるものか?」
 炎や氷、風や雷が次々と放たれ、ヒロトさんはそれをかわす。けれど全てをかわすことはできずに、少しずつ、全身の至る所に傷を増やしていく。シャツは血でにじみ、血は点々と足跡のように続いている。
 それでもまっすぐにファイバーを睨みつけ、ヒロトさんは走る。
「理由なんかどうでもいい――」
 その心の、赴くままに。

 


 実力差は明らかだった。身体能力にはそこまで目立った差はない。
 だがしかし、俺の腕力と技術じゃその鎧の防御を崩せない。魔法を使うにしても完全に扱えない俺じゃ魔法を放つまでにどうしても一瞬の隙を生んでしまう。目の前の男相手にその隙は致命的過ぎた。
 そしてその実力差のせいか、ファイバーはやたらと余裕綽々に俺に対してあれこれ質問してきやがるのだ。
 何のために戦うのかに始まり、この世界を守る意志があるのか、父の弔いのつもりか、仲間を見捨てることに躊躇いはなかったのか、なぜここまで来たのか。
 どれもこれもふざけた質問ばかりだ。
「理由なんかどうでもいい、俺は俺がこうすると決めたようにやっているだけだ!!」
 だから足を止めない、下を向かない。前へ進む。それしかできないのなら、できることを貫き通すだけだ! それが今の俺にできること、それが今の俺の為すべきこと。それが、みんなに背中を叩いてもらった俺の役目だ!
 ガゥンッ!
 鎧の板金を強く打ち据える。ただの鋼の感触では感じられない、奇妙な感触。おそらく、魔法か何かの効果でもあるんだろう。
「理由もなく理想もなく願いもなく目的もない、と?」
「そうだよ、なんだ不満そうだな。人のやり方にけちつけんなよ。お前らなんか散々人様に迷惑かけてんだから」
「だが我らには理由があり願いがある。それがある限り貴様に負けはしない」
 そうですかそれはえらいですねハナマルくれてやるよ。だから帰って糞して寝てろ。
「お前らのその願いやらなにやらに巻き込まれる人の身にもなって見やがれってんだよ!」
 ガゥンッ! ガゥンッ!
 体重と遠心力を乗せた回し蹴り。繋いでかかと落し。どれもが正確に防がれてしまう。技術の差というよりは、経験の差か。どうにも動きのある程度の流れを読まれている。厄介だな。
「そうは言うがな、それなら貴様を巻き込んだ姫君を貴様はどうする?」
「あぁ? なんだそれ、どういう意味だ?」
 いつの間にかこちらを凝視していたユリアの瞳が揺れた。なぜかそこには迷いの光が見てとれた。
「彼女はタイヨウの死に責任を感じていた。お前も不自然に思っただろう、一国の姫が貴様のような人間の家に来たことを。いつまでもそこに留まり続けたことを」
 それは、確かにその通りだ。とはいえ、自分の好きにすればいいといったのが俺だったので特に聞くこともしなかった。
 というか正直どうでもいいと思っていたような気がする。結局俺にとって、ユリアはお姫様という認識はあったものの、実感は乏しかった。
 ただの、ちょっと変わった女の子がそこにいただけだ。
「彼女はその償いにお前を利用したに過ぎん。貴様は彼女により巻き込まれ今こうして理不尽な戦いに身を投じ、己の大切な人々を危険に晒しているのだぞ!」
 親父の死。確かに、ユリアはそれに責任を感じていただろう。それはたぶん、俺が少し何かを言ったくらいでどうにかなるもんじゃない。
 今の俺なら、きっと少しはそれがわかる。自分が背負うものの重さの大切さと、その辛さが。それらを背負って、俺も今ここにいるんだから。
 けどな、
「それは許す!」
「は……?」
 若干呆れた声が聞こえたがとりあえず無視。
「ていうか許すも何もないんだよそんなもん。それでユリアが少しでも心の重荷を減らすことができるんならそれでいいだろ、いくらでも利用してくれて結構だっつーの。それが、俺がこうするって決めたことなんだから」
「わけが分からんな。貴様は他人に迷惑をかけられるのが嫌いなのではないのか」
 その言葉に思わず苦笑が浮かんだ。きちんと理解してるくせに理解できていないなんて、やれやれ、ハナマルは取り消しだ。
「分かってんじゃねーか。他人に迷惑かけられるのなんか絶対御免だ、俺はそんなの受け入れられるほど人間できてねーんだよ。だーかーらー、ユリアに迷惑かけられるのは問題ないんだろうが」
「ヒロト、さん? それって、どういう……」
 ユリアも困惑している。
 ああそういえば、ユリアには言った事はないのか。まあいちいち言うようなことでもないしな。面と向かって言うには少々恥ずかしすぎる言葉だ。
「家族だろ、俺達」
 それはいつのまにか俺の中では当然になっていたこと、この数ヶ月の生活でそうなっていたことだ。
「俺はな、決めたんだよ。ずっと忘れてたことだ。そのために俺は親父に鍛えてもらった。俺は家族を守る。家族がいられる場所を守る。そのために、ここに来たんだ。だからファイバーはぶっ飛ばす、ユリアはつれて帰る。そんで世界もついでに守って、あとは新学期に備えるだけだ」
「それが、貴様の戦う理由か」
「戦う理由なんかじゃない。俺が俺でいるために必要なだけだ」
 世界も他人も関係ない。一番自分勝手なのは、たぶん俺だ。
 家族を守りたいから、家族が家族でいられる場所を守りたいから。そんな理由で、家族を危険に晒している。矛盾している、自分勝手だ。我が侭にもほどがある。
 それはひとえに、俺が馬鹿で子供で弱いからだ。そしてそれを理由にして、諦めてしまえるからだ。
「俺はガキだ、ただのガキだ。我が侭で自分勝手な。だからユリア、なーんにも、気にすんな。自分のやりたいようにやればいい、迷うかもしれないし躊躇うかもしれないけど、なにもしないよりきっとマシだ」
 何かをすることは常に失敗の恐怖が付きまとう。自分の心が分からないまま動かなくちゃならない事だってある。世界は常に一秒先の結果を求めてくる。一秒前の負債を要求してくる。それらはわずらわしくて面倒で、俺には邪魔臭いことこの上ない。
 けど、動けばきっと何かが変わる。動かなければ、たぶん何も変わらない。だから動く、歩く、進む。いい未来か悪い未来かはわからないが、それでもその世界は今よりきっと、新しい何かを見せてくれるのだ。
「理由なんか小さいことだ。ユリアがどんな理由で俺の傍にいてくれたにしろ……俺は君に、目一杯救われてる。だからユリア、ありがとう」
「ヒロトさん……私は、あなたの傍にいても、いいの?」
 おいおい、なんつーことで悩んでるんだか。今更も今更、そんな質問、答えるまでもなく答えは決まっている。
「君が望むのなら、俺が望む限り。俺に新しいものを見せて欲しい」
「……うんっ!」
 ユリアの涙に濡れた笑顔を見て、ほっとした。ああ、そうだ、俺はこれを取り戻しに来たんだ。
 だから、そのためには――
「さあ――倒すぜ、世界の敵」
「いいだろう――かかって来い。俺の、敵」

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