ホムンクルス騒動d


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

 教室に向かって階段を駆け上る。
 歓喜の声が響き渡るところを見ると、どうやら俺の知らないところでも何人かの集団がホムンクルスを倒したようだ。一体奴らが何匹いるか知らないが、士気が高まりゃこっちの勝ちだし、すでに誰かは警察に通報しているだろう。サイレン鳴らした戦闘蟻たちがワラワラと集まってくるのは間違いない。その前にすべて終わらせたいというのが心情ではあるが、勢力図が分からない今は換算時間も割り出せない。
 警察どもが臆病というのを差し引いても、長引かせるのは得策じゃない。それに、さらにしばらくすれば、噂を聞きつけたクソッタレのエンターテイナーたちがこの学校で全国に向けて生放送を始めるのは必然だ。
 ホムンクルスの姿を映させるのは、危険か? 何言ってんだ。もうそういう段階じゃない。ホムンクルスをこの学園のほぼ全員が見てるんだ。幻影でした、で流すわけがない。
 クソ。やっぱり、世界は終着に向かってるようだぜ、ユリア姫。これで頭に蛆が湧いている新興宗教家たちが、この学園をどう見るか考えただけでも吐き気がする。すべてが終わっているであろう、遅くとも明後日には狂ったバカどもの行列とマーチが拝めるだろうよ。そりゃ眠気も吹っ飛ぶってもんだ。神に祈れよ。もしかしたら降りてきてくれるかもしれないぜ。頭のイカれたお前らの神だ。その神も大層頭がイカれてるんだろうな。
 そいつ、金ぴかのハリボテ付きだぞ! やったな豪華だぜ! 酷すぎて嘲笑も起きないね!
「兄貴、あそこに三匹も」
 美羽が窓の外の中庭を指差した。俺は一瞥だけする。三匹が寄り固まってるだけだ。
「だからなんだ。ほっとけ」
「おい、君たち! 早くこっちに避難しろ!」
 喚く先生たちには一瞥もせず、走り抜ける。
 教室前では貴俊以下数人が円陣を組んでいた。オーケイ。人数的には悪くない。走ってくる俺と美羽にようやく気づいて顔を向けてくる。
「貴俊、美優は来なかったか?」
 貴俊は首を振った。「いないのか」
「クソ、神隠しにでもあったのかよ」
「大翔、陽菜はどうした?」
 意味が分からず、眉をひそめる。
「あいつ、お前が出てった後、すぐに追いかけていったんだぞ。気づかなかったか?」
 俺は右手で額を軽く叩いた。
「こりゃあ、分が悪いな」
 落ち着け、落ち着け。相手は所詮ホムンクルスだ。慌てる必要はない。なんでいない? 今どこにいる? 可能性は? ホムンクルスが関わってるか、それとも俺の知らない第三の要素か?
 俺たちだけで校内を虱潰しに探すのは限度がある。校舎を二つに分けて、あとは中庭、校庭という感じで大よそ区切れるか。
 とにかく、美優と陽菜だ。俺と貴俊か……。
「大翔。俺らはこれから、放送室に行こうと思う」
 俺は俯き加減の顔を上げた。
「校内放送か。なるほど、いい案だ」
 校内放送なら、今の状況を嘘だろうが本当だろうが何かしらの情報を伝えることが出来る。士気を上げるにはもってこいだ。同時に、美優や陽菜とも連絡が取れるかもしれない。
 だが、内容はどうする? 
 分からないことは、まずホムンクルスの数。ホムンクルスがいる場所。……そう。ホムンクルスを把握することが出来れば、美優も陽菜も危険なことに出会う可能性は低くなる! ここは学校だ。なんとか勇者に目覚めた奴らにハッパをかけて、三人一組、四人一組ほどで動かす。だがまぁ俺の指示で動かせるかどうかは微妙な問題だな。少なくとも半分は動かせないことを考慮しよう。
「兄貴、どうするの?」
「放送は使う。だが、行くのは俺と美羽だ」脳をフル回転させながら喋る。「貴俊たちには、正直中庭辺りでパフォーマンスをして欲しいんだが――」
「なるほど、その手か」
 貴俊が俺と同じように考え込む。
 テンポ良く行きたい。正直、今こうして考えている時間すらも惜しい。エンターテイナーたちが歓喜の声で全国放送する前に絶対に終わらせてみせる。
「いや、やっぱなし。即席勇者(インスタントブレイバー)たちは、意外に動いている。放送でケツを引っ叩くぐらいでいいはずだ」
 何が重要だ? 優先事項は? 俺はどうするべきだ?
 そこで、貴俊を呼ぶ声が上がった。
「黒須川! お前ら大丈夫か!?」
「先輩」
 廊下の突き当たりから、四人ほどのヤンキーかぶれがホウキやら何やらの武器を持ってこっちに来るのが見えた。
「どうしたんですか?」
「どうしたも、こうしたもねぇよ。変な生き物が学園中を闊歩してるじゃねぇか。今はとにかく動ける奴を集めて手当たり次第に叩こうと思ってな。黒須川ならこんぐらいじゃびびらねぇと踏んだ」
 貴俊は顔が広い。これはこっちに取っていい状況になりうる。そして、この人はその貴俊よりもさらに顔が広い。一人は三年の学級委員だったはずだ。それに他の三人も運動系部活の部長クラスだったような気がする。
「ははぁ。そう思ってもらって良かったです」
 貴俊は俺を見てニヤっと笑った。こいつも俺と同じことを考えているのだろう。
「先輩たちにお願いがあります」貴俊が早口でまくし立てる。「こうやって回るのも効果はあるでしょうが、もっと手っ取り早い方法があります。校内放送です」
「それは俺らも考えたが――」
「お願いします。渋ってる腰抜けどものケツを引っぱたくにはこれしかありません。人数は多ければ多いほどいい。そうでしょう?」
 三秒ほどの沈黙の後、「分かった」と言った。
「ただし、俺らが校内放送してる間、お前らが校内を回るんだぞ」
「任せてください」
 貴俊がいつにもなく真剣な顔で返答する。

 俺、貴俊、美羽以下五人で渡り廊下を走っていた。
 先輩と俺らに大きく分けて、A校舎とB校舎をそれぞれ担当することになった。本来ならば、避難させようと躍起になってる教師にローリングソバットを食らわせて、「お前もやるんだよ!」と言ってやるつもりだったが、さすがに数人はホムンクルス退治を開始しているようだ。全員、俺が考えている以上に動いてくれているようで、こちらとしてもやりやすい。
 おかげで俺は陽菜と美優に集中するのもアリってことだ。
「美優!」
 美羽が叫んだ。三階の渡り廊下の窓から、二階の廊下で美優がホムンクルスに追いかけられてるのが見えた。美優の横に男が一人ホムンクルス二匹に勇敢にも立ち向かっている。
 中々根性のある奴がいるじゃないか。
「貴俊、俺は最短ルートで行く」
「オーケー、相棒。挟み撃ちだな」
 俺の一言で大体理解するのだから、本当に俺を理解していると思う。
 すでに駆け出している美羽を追いかける。同時に、サイレンのようなモノが聞こえて、窓の外をちらっと見る。
 クソ。ちょっかい出しは野暮だろ。自重してろ、軍隊蟻。
 美羽と共に美優とのご対面を果たした時には、ホムンクルスは四匹に増えていた。一体どれだけいるんだ、こいつら。
 美優は廊下の真ん中で「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と一度叫んだ。美優の横にいる男は傷つきながらも戦意は失ってない様子。ホムンクルスは二匹一組で挟み撃ちの形を作っていた。
 そしてその挟み撃ちの形にさらに俺と貴俊の挟み撃ちの形が出来上がる。廊下の向こう側で貴俊がちょうど着いたのが見えた。
「美羽。サポートよろしく」
 言うが早いか、俺はすでに駆け出していた。二匹のうち一匹がこちらを向いている。なめられたものだ。
 ホムンクルスの顔面に球体が出来ているのに気づいた瞬間、俺は僅かに半身になる。胸の辺りを掠める球体。次の瞬間、構えていたホウキにもう一つの球体がぶち当たった。そのせいで間合いは開き、一歩退いてしまう。その出所が、美優を挟んだ向こう側のホムンクルスだとすぐに気づいた。このホムンクルスたちは前にも増して賢くなっているようだ。二段構えの攻撃とは……。
 向こうのホムンクルスは攻撃してこないという思い込みをした俺の失態か。いいぜ、面白いじゃないか。大した害虫に成長してるじゃないか。これなら、美羽が怪我したのも頷けるかもしれない。
「兄貴、大丈夫?」
「美羽……俺の背後を任せる」
「はい?」
「挟み撃ちの挟み撃ちの挟み撃ちなんてごめんだってことだ。それといい加減、俺も腹立ってしょうがないんだ。ストレス発散しないと。この調子じゃキリギリスが生涯嫌いになりそうでね」
「キリギリス?」
 美羽の問いには答えず、今は目の前の二匹にゆっくりと歩み寄っていく。
 一匹はまだ美優の方を向いている。一匹は俺に照準を合わせている。美優と男を挟んだ向こう側の二匹も動かないで同じような状態だった。
 向こう側の貴俊と目が合ったような気がする。貴俊の後ろにはもう一人だけクラスメートがいた。正直、あまり接点がないためフルネームで覚えていない相手だったが。
 こちら側のホムンクルス二匹が完全に俺を見た。同時にヘヘヘヘヘヘヘという不気味な声が響く。それはいつかの夜中にあった名もなき虫たちの鳴き声よりも神経を逆撫でするものだった。
 二匹がほぼ同時に飛び掛ってくる。
 俺は即、右の教室側にいるホムンクルスの懐に潜り込んだ。このままホウキを突き上げてやろうと思ったが、顔面に球体が出来ていたのに気づく。
 軽く舌打ちすると球体ごとホウキの先で突き上げた。破裂音がするだけで手ごたえはない。視界の隅からホムンクルスの手が伸びていた。俺は当たる前に避けたが、避けた先でもう一匹のホムンクルスの腕が右わき腹にぶち当たった。軽く咳き込む。俺の方が学習能力ねぇや、と妙に冷静な思考を回していた。
 ホウキをぶん回すと二匹は一斉に後ろに退いた。
 次の瞬間、二匹の顔周りに球体がいくつも張り付いているのが見えた。
 ――まだ成長してるのか。
 来る、と思った時にはすでに二、三発が腕と足に当たっていた。じんじんと痛む。ヘルメスの杖を使いたくなったが、辛うじて止めた。
 バリンと窓の割れる音がする。貴俊が、さっきと同じ手を使ったのだと分かった。この辺りのホムンクルスの動きはあまり変わってないようで、やはり一瞬止まる。昔に比べればその反応速度も状況確認精度もどんどん速くなっているが、関係ない。
 射程範囲に入った瞬間、右のホムンクルスの胸を突き刺す。浅い。ホムンクルスも反応していて後ろに下がろうとしたせいで吹っ飛ばすだけになってしまった。しかし、その吹っ飛ばしたホムンクルスを美優の横にいた男が持っていた消火器で頭を潰すのが見えた。
 もう一匹の窓側にいるホムンクルスはホウキを振り回す美羽に一歩退いていた。こちらには気を回す余裕がないようだ。俺が急速に近づくと反応したが、破裂する球体をひとつだけ発射するだけに留まる。余裕を持って避けると渾身の力で頭を突き刺した。ホムンクルスが窓にぶち当たる。勢い余って窓が割れ、ホムンクルスが窓ガラスと一緒に落ちる。
 ドン、という軽い響きを聞きながら俺は貴俊の方を見た。すでに終わらせているようだった。
 視線を落とすと、美羽は美優を抱きしめていた。
「このバカ!」
「お姉ちゃんごめんね……」
 美羽はそれから何も言う様子はなかった。ぎゅっと抱きしめたまま、離れようとする様子もなかった。
 俺も正直、美優に何か言おうと思っていたのだが、吹っ飛んでしまった。見てたら怒る気もなくなっちゃったし。
「後は陽菜だな……」
「陽菜さん?」
 美優が反応して顔を上げた。
「ああ、あいつがどこにいるか分からない」
「陽菜さんは乃愛先生と一緒だよ。お兄ちゃん探してる時に見たから間違いないよ」
「……今どこに?」
「多分だけど、五階の実験室じゃないかな。そう聞こえた。ワタシは声かけたけど、二人とも気づかないで行っちゃった」
 俺は自分の口元がゆっくり笑いの形になっていることに気づいていた。でも、それを正そうとは思わない。
「貴俊、悪いが美羽と美優を頼むよ。あと、誰も実験室に来るな」
「大翔?」
 俺は踵を返しながら言った。
「ヤボ用さ。頭がイカれちまったらしいキリギリスに話があるんだ」


『みなさん。現在、この学園は可笑しな生物によって襲撃されています』
 放送を聴きながら、俺は走ることもなく、ただ淡々と五階にある実験室に向かって足を運んでいた。
『しかし、倒せない相手ではありません。勇気のある者はホウキでもイスでも周りにある武器を持って、俺たちと戦いましょう』
 クスっと笑った。政治演説じゃねぇんだから。
 実験室のドアの前まで行くと、躊躇いもなくガラっと開けた。中では乃愛先生が俺を一瞥もせずに窓の外を見ていた。どうやら放送を聴いているらしい。
『ただの害虫退治です。俺たちは勝つんです。三人一組で行動し――』
 それから二言三言で何か言ってから放送は切れた。
 乃愛先生は何も言う様子がなかったので、俺は口を開いていた。静かな実験室で俺の声だけが響く。
「たそがれるのが趣味なんですか」
 乃愛先生は何も反応しない。人形でも相手にしているかのようだった。もちろん、それは人間だ。沈黙の天使は少し長くこの場に留まっていただけだ。
「いや」一旦切り、ようやく視線を俺の方に向ける。「勇者観察の方かな。いい趣味でしょう?」
 俺はよっぽど床に唾を吐きつけたかった。
「陽菜はどこだ」
「何の話だ?」
 乃愛先生が心底驚いたような表情をした。
「くだらないギャグをまだ続けるつもりなのか。笑いどころは教えてくれるんだろうな、乃愛先生? それとも、ノア・アメスタシアと言うべきか」
「冗談だよ、ただの冗談さ」
 ノア・アメスタシアがふふっと笑う。
「それと、これは一体何のマネなのかな? 教えてくれるんでしょうね?」
 ノアは十五秒以上たっぷりかけてから、口を開いた。俺を見てはいない。どこか虚空を浮遊する視線は、間違っても俺には当たらない。
「アレイスター・クロウリーは言った。『僕たちの知っている世界がいつどこで壊れようが、それはよくある一つの出来事である』」
「だから、しょうがないなんて言うんじゃないだろうな」
 再び俺に視線を向ける。
「冷たいな。そんなに怖い顔をするな。泣いちゃうぞ」
 それで俺は思いっきり作り笑いの笑顔を向けてやった。同じようにノアも楽しそうに笑った。今まで見た事がない種類の笑顔だった。すべてに対して、哀れんでいるような、見下しているような。いやいや。とにかく、どす黒い感情しか感じない。狂気という言葉が最も似合う。
「沢井陽菜なら準備室で寝てるよ。何も心配することはない。ちょっとオヤスミしているだけだ」
 ノアの言っていることは多分本当だ。これから先はともかく、今の時点では何かする必要は特にないと見た。
「もう秒読み段階で何も隠す必要はないってとこかな。この世界は崩壊するのか」
 コツコツと音を響かせながら教壇の方に向かう。悠然と、堂々と、余裕を持って。黒板に向かうと何か書き始めた。
「ある意味では正解だが、ある意味では違う。ルイレ・ソキウもミマエ・ソキウも生まれ変わるのだ。一つとなり、その時何が起ころうが、私には知ったことではない」
 黒板には名前が書かれていた。結城大翔。そして、ユリア・ジルヴァナ。ノアが俺に視線を送る。
「世界は生まれ変わる。この世界の法則と、私たちの法則は一つになる。多分、この世界に吸収される形になるだろう。法則の薄くなった世界は濃い世界に吸収されるだけだ。だが、この世界も無事じゃすまないさ。何、大丈夫。痛くないよ。精神的には狂うかもしれないがな」
「そんなことしてどうなる」
 答えを期待したわけじゃなかったが、ノアは笑顔を保ったまま喋り続ける。
「したいことがあるんだ。一つの世界じゃないと出来ないことだ。人類が一度は夢見たことだ。なぁ、ヒロトくん。何故この世界に物質というものが存在するのか考えたことはあるか? 何故、始まりがあり、終わりがあるという考え方が出来る、或いはその考え方しか出来ないのか、想像したことはあるか? 人は世界の始まりを考えたがる。しかし、人はその始まりの始まりを考える。次に始まりの始まりの始まりを考える。後は同じことを繰り返すだけだ。人は始まりを知ることで自分の位置を明確に定義しようと躍起になっているのさ。時間的に、空間的に、存在的に。
 そこでだ。この世界は法則によって作られた世界だと言っただろう? 法則がなければ、物質のどれも存在することすらできない。では、その法則の中で物質というのは一体どういう役割をしていると思う? 始まりがあり、終わりがあるというのは――物質があり、人間があり、世界があるというのは法則が"自身のため"に作り上げた一つの幻想だったとしたら? 法則"自体"が始まりがあり、終わりがあるというもの『そのもの』だったとしたら? 私たちがしている世界の解体は無意味だ。でもね、ヒロトくん。私はそれでも、追ってみたい夢があるんだ。この考えをひっくり返してみたいんだ。それが、この世界でも私たちの世界でも無理だった。ただ、それだけの話なんだ」
「眠たいねぇ。ご大層な演説はいつ終わる? 長くなるようならポップコーンとコーラを買ってきたいんだが」
 一度、ノアは無表情になった。しかし、すぐに笑顔に戻る。それはちょっとさっきとは違った。
「売り言葉にはご注意」
「買い言葉にも気をつけるべきさ」
 俺はヘルメスの杖を掴んだ。ヘルメスの杖による効果は約十分。
 向こうも十分、やる気があるようだ。いいね。いい加減、俺だって傍観者のままでいるなんて無理だ。聖人君子は明後日の方向にいるんだよ。
「今までと違って話が早いじゃないか。ハネッ返りどものお祭りを終わらせよう。クソくだらない祭りにはクソくだらない終わりが待っているのさ。フィナーレは線香花火でも打ち上げ花火でもない。爆竹やかんしゃく玉が関の山だ。感慨もありゃしない。そんな祭りはさっさと終わらせるに限る。さっさと終わらせて帰ったら、後は寝るだけだ。夢の中の方がまだ楽しいってことに気づくぜ。ホムンクルスも誰も彼も。……さて、オヤスミの時間だろ。布団の準備はいいか? 寝かせてやるよ」
「今までと違って良く喋るね。元来のお調子者ならもっと上手い言い回しが出来るだろうな。寝るだけなら一人で十分だ。でも、してくれるというなら断る理由はないよ。添い寝はオーケー? オヤスミのキスは? ついにで頭も撫でてくれる? それからもちろん、子守唄の前に絵本は読んでくれるんだろうね」
「あったかいレモンティーもつけてやるよ」
「それは楽しみだ」
 言い終わるとほぼ同時にヘルメスの杖を発動させた。
 右足で床を思いっきり蹴り、五メートル近くあった間合いは一瞬にして詰まる。世界がスローモーションに入った。
 ノアは動かない。
 持っていたホウキを構える。教壇の上に足をかける。
 ノアは動かない。
 ギリギリまで近づく。恋人同士がキスできる位置まで近づいたところで、俺はホウキをぶん回した。
 ノアが笑った。
 みぞおちの辺りに衝撃が入ったと感じた時には、後ろに吹っ飛ばされ、実験台の上を滑っていた。すぐに落ちて二、三個イスを打ち倒すと、すぐに跳ね起きた。
 背中と左腕の辺りが微かに傷む。何度か咳きをしながらノアを見る。
「消灯時間はまだのようだね」
 教壇から離れ、ノアは歩きながら両腕を軽く開いた。かかって来いって言いたいのか。
 ノアとの間には実験台が一つ。飛び越さないといけないが、隙が大きいか……いや。
 覚悟を決めた俺は、再び右足で床を蹴り、ジャンプした。ほぼ同時にノアも同じように跳んだのが見えた。
 空中で交差する? 吹っ飛ばす?
 一瞬の判断で実験台の上にある天井からぶら下がってる蛍光灯を左腕で掴む。熱さは感じなかった。ノアもまったく同じように蛍光灯を掴んでいた。両方天井にぶら下がる形になる。
 間髪をいれずにホウキでノアの掴んでいる方の腕を叩き落そうとした。しかし、脚で――右か左かは判断がつかない――俺の腕もろとも弾いてきた。
 手が痺れてホウキを落とす。構ってられない。右足をぶん回してノアのわき腹に当てようとしたが、ノアも合わせるように蹴りでガードしてくる。脚と脚がぶち当たるが、弾かせない。押し切ってやる。
 しかし、動かないまま一秒、二秒、三秒。
 その間、俺もノアも互いを睨み付けていた。無理か。
 蛍光灯を掴んでいる手を離し、床に落ちる。ノアも落ちる。
 ふっと息を吐いて、落ちてくるノアに照準し、両手で思いっきり吹っ飛ばした。同時に頭に衝撃が走ったが、何とか我慢する。吹っ飛ばされたノアは黒板にぶち当たると思ったが、ポンっと跳ね返るくらいの反応しかなかった。冗談じゃねぇよ。俺はまだ頭がグラグラするのに……割に合わないぜ。
 ノアの姿がふっと消えた。いや、消えたように見えただけだ。右側に移動したのが辛うじて確認できた。ワンテンポ遅くそちらを見る。
「ほう?」という感じの顔をこちらに向けている。世界はまたスローモーションに入った。
 右腕で脇辺りをガードし、した瞬間に集中した衝撃が入った。踏ん張っていられない。受けきれないのと、間合いを作るために自分から後ろに飛ぶ。右腕が上手く動かない。
「は――」
 何か言葉を出そうとし、出なかった。一瞬、上下左右が分からなくなり、気づいた時には床に頬をつけていた。ひんやりとした床の感触と足に微かな痛みを感じる。
 うつぶせ状態の俺の背中にノアが乗っているのが分かった。
 カチっという音がする。次の息の吐き方から見て、タバコを吹かしているのだろう。余裕だってか? ホント笑えるね。
「これだから戦闘素人は困る」
「俺もそう思うよ」
 後何分だ? 今は一分ちょい過ぎか?
「ヒロ君!」
 準備室から陽菜が叫びながら出てきた。少なくとも拘束はされてると考えていたのだが、何もないところを見ると、どうやら目的は違う方にあったらしい。
 笑えないよ、畜生。
「ギャグは笑えるからギャグって言うんだぞ」
「私は笑えるから、その条件は満たしているな?」
「そいつは笑えないね」
 近くにあったイスに手を伸ばし、うつぶせ状態のまま全力でノアに向かって投げる。ノアはひょいっと避けると窓の近くまで跳んだ。イスは天井にぶつかりバラバラになる。ただいくつかは刺さったまま、落ちてこない。
 陽菜が片ひざ立てている俺のところまで駆け寄ってくる。
「大丈夫? ねぇ、どういうことなの? これ」
 俺は陽菜の顔を見れず、ノアの方をずっと見ていた。戦っている最中だ、というのもあるがそれは言い訳だと自分で気づいている。
「お話は後で、だ。今すぐ実験室を出ろ。時間がない」
「沢井はホムンクルスを三匹も倒せる力があるのか。ぜひ戦いっぷりを見てみたいね」
 ノアがふぅと紫煙を燻らせて、高いところから俺を見下ろしていた。
 振り返らなくても分かる。舌打ちする。
 陽菜が俺の腕にしがみ付いてきた。
「アレイスター・クロウリーは言った。世界は僕を中心に回っていた、と。素晴らしい言葉じゃないか。この世界も少なくとも私を中心に回っていたようなものじゃないか? 前はくだらないと思っていたが、中々どうして気分がいい」
 何かを言い返す気にもならなかった。
 ホムンクルスは三匹。ノアが目の前にいる。ヘルメスの杖を発動している今なら、十秒あれば間違いなく三匹を瞬殺出来る自信はある。しかし、その間にノアがどういう行動を取る気かまったく分からない。傍観し続けてるか? 本当に?
「乃愛先生、これはどういうことなんですか」
 微かに震える声で陽菜が言った。
「沢井。どうだ? 自分の世界が壊れた気分は? 悪くはないだろう。自分が作り上げた常識を根本から覆す"何か"がこんな身近に転がっているんだぞ? 感謝はされど、そんな顔で睨まれるのはお門違いだな」
「答えてください。もう止めてください……」
 最後の辺りは俺にしか聞こえないほど声は小さくなっていた。
「陽菜。こういうタイプに説得は無理だ。そんなことが可能なら、俺はもっと明るく育ってたかもしれないからな。だけど、それを恨むつもりはないぜ。おかげでバカどもの論理思考に一応の理解が出来るからな。ついでにもう一つ言うと、説得どころかこっちの話も聞かないような連中なんだ。だから、困ってる顔してわざわざ相手を楽しませる必要はどこにもない。あるのは俺がむかついているって事と、ノアに床の味がどんな物なのか教えてやりたいって事だけだ。それで十分。十分過ぎる話だ。だろう?」
 最後の問いかけはノアに向かって言った。ノアは面白そうに「まったく」と返事した。
「こういう奴らとは"前提"から違うために折り合えないのさ。同じ土俵に立たない限り、交わることはない。どんなに誠心誠意話したところで時間の無駄だ。俺らに出来ることは二つ。一つはそういう奴らと関わらないようにすること。もう一つは折衷案を出すこと。これだけだ。平和的に、解決するならば」
 あと約五分。実際はもうちょっとあるかもしれないが、ギリギリを見積もる意味はない。話をしながら思考は出来る限り回した。やるしかないんだ。
「ヒロトくん、君は最高だ。本当に君と話をするのは楽しい。もっと早くに出会いたかったと、神を恨むよ」
「その神、ハリボテだぞ」
 後ろで物音がし、同時に陽菜が「ひっ」と声を出した。
 陽菜を実験台の影になるところに少し乱暴に押し込める。すぐに振り向き、一番近いホムンクルスの上空を舞った。片手で天井を押し、重力と共にホムンクルスの頭を足で床に叩きつける。もう二匹を視界に入れる。視界の隅でノアがタバコを加えているのが見えた。二匹のホムンクルスの顔辺りには何十個もの球が浮かんでいた。さっきよりも数は増えている。
 角度から考えて陽菜には当たらない。ノア・アメスタシアも動く様子はない。
 ここから見える時計の秒針が一つ進んだ。
 二、三個の球を弾き、五、六個の球を避け、右側のホムンクルス殴りつける。
 視界の隅から見える時計の秒針が一つ進んだ。
 ホムンクルスが壁に激突しているのを見て、もう一匹のホムンクルスを見て、その奥にいるノアを見た。
 時計の秒針が、一つ進んだ。
 回し蹴りの要領でホムンクルスの胸の辺りに蹴りを入れ、吹っ飛ばす。ノアに向かってホムンクルスが吹っ飛ぶ。
 一つ、進んだ。
 ノアはホムンクルスを避け、避けたと思ったら目の前まで近づいていた。
 来ると分かっていたし、完璧に目も追えた。だが、反応は出来なかった。
 ちょっと前に出していた右手を掴まれ、巻き込んでくる。弾こうと右に右に動いたのが運の尽きだった。身体がふわっと浮くと、一気に実験室の後ろまで投げられた。
 だが途中で実験台の端に掴まり、壁に激突するのは避ける。
 実験室の上で、ノアを睨んだ。
 俺と戦う気がないとしか思えない。
「ヒロトくん。君の言う通りだ。クソくだらない祭りにはクソくだらない終わりが待っている。まったくもってその通りだった」
 俺は意味が分からず僅かに首を傾げた。
「君にも聞こえるだろう? 終わりの足音が」
 同時に、サイレンや人が大勢走ったりする音が聞こえた。
 警官隊だ。
「それともまだまだやるかね?」
 この戦いを見られたら警察に拘束されるのは間違いない。俺の言い訳なんぞはゴミ以下だ。向こうは間違いなく俺とホムンクルスが関わりがあるのだと決め付けてくる。それが外に漏れるのは時間の問題。漏れたら最後。たとえ釈放されても探偵気取りのバカどもが、俺だけならまだしも美羽や美優の日常もぶっ壊しにやってくる。
 戦いを外に変えるのは駄目だ。もう時間がないし、広いところなら、まず間違いなく俺は敵わない。今でさえ、四苦八苦してるのに。
 だが、このまま今日はさよならして、後日またやりましょうなんてことは起こるはずがない。ノアは絶対姿を見せては来ないだろう。
 今しかない、今日しかない。でも、無理だ。無理なんだ。
 唇にちょっと痛みが走り、口の中に鉄の味が広がるのを感じた。でも、それが何なのかは確認する気も出なかった。
 もう何も言えない。せめて陽菜。陽菜だけは……。
「相当ショックなようだね。私としてはもうちょっと話がしたかった。が、まぁいい。もう終わりだ。せっかくだし、最後くらいは劇的に終わろうか?」
 ノアは手に持っているタバコを不意に捨ててみせる。
 ほぼ同時にドアから陽菜に近づく一匹のホムンクルスを見つけた。
 だが、また、身体が動かなかった。分かっているのに、とっさに反応してくれなかった。
 陽菜を掴んだホムンクルスはそのまま窓の外に向かってダイブする。何故か陽菜の悲鳴は聞こえなかった。ホムンクルスに追いついた時には、すでに空中で、ホムンクルスを蹴っ飛ばして陽菜を抱きかかえる。
 実験室にはもう戻れない。伸ばした腕が辛うじて近くの木の枝を掴んだ。
 重力が襲い掛かり枝がしなる。すぐに折れるが、多少の減速は出来たはずだった。ヘルメスの杖の効果も相まって、問題なく地面に落ちる。陽菜への衝撃も多少は軽減されたと思う。
 地面に腰を落とし、抱えている陽菜を見た。
 気絶しているらしい。目を閉じたまま、動かない。俺の服にしがみついている陽菜の手は、堅く握られたままだった。
 俺は陽菜の頬を軽く撫でてから、空を仰いだ。実験室の窓ガラスが割れているのが見える。
 完全に遊ばれた……ざまぁねぇな……。
 それから警官隊が見つけてくるまで、俺は陽菜を抱きしめたまま、動くことはなかった。


 ホムンクルス学園襲撃騒動は結果的に言うと、全国のお茶の間を賑わすことはなかった。
 警官隊が来た段階で相当数のホムンクルスが亡き者となっていたようで、警官隊ですら一部の人間が二、三匹見た程度で済んだ。報道系も地方の新聞紙やローカル局がちょこっと流すくらいだ。
 この点においては、不幸中の幸いと言えるだろう。警察の方でもあまり大っぴらにしたくはないらしい。
 警察はこの件で、何百人という捜索隊でホムンクルス及びそれに関する物の手がかりを掴もうと躍起になっているようだった。ここまで大事にしておいて、「何でもありませんでした」ということにはあまりしたくないのだろうと思う。だが多分そんなものは出やしない。
 ホムンクルスの話がこの町を中心に驚異的な速さで流れているのにはいささか驚いた。予想できたことではあったが。英雄気取りのバカどもが自身の活躍を脚色交じりに話しているせいで、川の向こうの町じゃ話の原型で合っているのは「襲撃された」という点ぐらいだった。
 ホムンクルス騒動が終わってから、夜中のホムンクルスの徘徊もピタっと止んでしまった。同時に、ノア・アメスタシアの行方もまったく分からないのだが。
 そして、学校も色々対策に追われているようで、当分の間は休みになるらしい。
 あの日から三日は学校全体が警察の事情聴取にかかりっきりだった。その日学校にいた全員一人ひとりから取ろうというのだから、まったく無駄なことをすると思った。いなくなった苅野乃愛の行方を捜しているようではあるが、あの調子じゃあ見つからないだろう。ホムンクルスと同じように地面と睨めっこしてるだけで見つかるわけがない。しばらくすれば、そいつがとんでもない間違いだってことに気づくだろうが、その時には後の祭りだ。
 警察による事情聴取が終わると、学校の生徒諸君は、ホムンクルス退治の話に花を咲かせていた。貴俊の話じゃ、退治に参加した者はみな口を開けば「あの時は大変だった」と言いながら話を始める。挙句に何も出来なかった連中をまとめて「腰抜けが多くて困る」とまで言うらしい。
 俺も学校の連中のように何も知らずに喜んでいたかった。英雄気取りのバカになりたかった。
 そいつがどんだけ幸福なことか、今の俺にはよく分かる。


 (ここに後で選択肢を入れて、シーンを二つほど作る)

 (↓選択肢の範囲が終わったあと)

 リビングには、俺以外誰もいなかった。
 ソファの上でダラーっと横になりながら、時計の針の音と、どこからか耳鳴りに近いジーっというような音が俺にまとわりついてくるのを感じていた。
 いつも付けているネックレス――ヘルメスの杖は今はない。
「ヒロト殿」
 レンが呟く程度の声で言ったが、この静かな空間じゃ何よりも大きく聞こえる。俺はレンを見ずに軽く手を振ってみせた。
「そろそろ用意は出来そうだ。何も持っては?」
「いかないよ」
 異世界に行く準備にリュックサックを背負って行こうっていうのか? 中身は? 食料? 武器? それとも思いでの品? 何を持っていってもしょうがないことくらい分かる。
 それに長居はするつもりはない。さっさと終わらせて、帰るのだから。
「ミウやミユは? やはり置いていくのか」
 俺が答える前に金属バット片手の美羽と、リュックサック背負った美優が二階から降りてきて、「行くに決まってんじゃん」と言った。
 レンが少し驚いた表情をした後、俺の方を見た。
「どうせ、ユリアは美羽と美優込みを予想して入れてるんだろ。それに、俺にはもう何も言う権利はないさ」
 先ほど、美羽と美優の壮絶な訴えに完全に言い返せなかった事と、その訴えが痛いほど俺にも分かっていることから、結局二人も連れて行くことにしてしまった。
 俺は――でも、何が間違っているんだろう。悪いのは何だ? 言うまでもない、クソッタレだ。
「美羽と美優の安全は私たちが保証する」
「慰めありがとう」
 言い捨てると、レンと美羽と美優を見ながら思案に戻った。
 美羽はさっきの半べそかきながらの訴えをなかったことのようにツンツンしていた。美優は時々ボーっとすることと我に返って首を振ることを何度か繰り返していた。レンは鞘に入った剣を見つめながら何やら感慨に耽っている様子。ユリアの姿はまだない。
「でー、ミマエ・ソキウってそんなヤバイん?」
 美羽が軽い調子で質問する。
「城にこもってる限り、大した危険はない。城下町に出るとしても、数人の護衛をつければ問題ないはずだ。そんなに心配することはないよ」
「問題なしなしじゃん」
 美羽の楽観視は本当に見事としかいいようがない気がする。
「あのー、ミマエ・ソキウって魔法が使える人たちが大勢いるんですよね? みんな炎とか雷とか出せるんですか?」
 美優があまり見ないキラキラした目で言う。楽しみなのか。悲しまれるより何倍もいいのだけど。
「出せると言えば出せる。自然魔法はそのまま私たちの称号になるしな。しかし、街中でその魔法は無闇に出すことは出来ない。精霊観測班が常に見張っているし、何かを生み出そうとした瞬間に警備班が火消しに回るからな。もう一つ言えば、免許及び申請がなければ、私たちの世界で自然魔法は勝手に使えない。使えば、即座に牢屋行きだ」
「結構厳しいんですね」
「そりゃあ、一歩間違えば大惨事を引き起こすからな。悪いことを考える奴は多い」
「レン」俺は若干会話に割り込む形で聞いた。「ノアの言ったように魔法は大まかに分けておよそ四つ。自然魔法、有機魔法、幽幻魔法、四海魔法でいいんだな」
「ああ、間違いない。種類分けするなら、それは確実だ」
 俺は腕を組んで目を閉じた。
 正直、俺も少し楽しみではあった。自分の知らない世界の一つを垣間見るのだ。しかも、そいつは魔法という道具で支配されている世界だ。
 本当にあるんだな? 上等だ。行ってやるよ。すべて終わらせて戻ってきてやる。前の日常に戻してやる。そして、くだらない乱痴気騒ぎは終わりにしようじゃないか。
「ヒロトさん」客間から帰ってきたユリアがドアの前で立っていた。「準備は終わりました。行きましょう」
 それで俺はようやくソファから身体を起こし、立った。
「俺たちは何かするか?」
「いいえ、そのままじっとしていれくだされば問題ないです。準備はいいですか?」
 俺は無言で答え、レンは「はい」とはっきり言い、美羽は仰向けにした手を泳がせ、美優は深刻そうに頷いた。
「では」一旦切るとユリアは目と閉じた。そして、何かをゆっくり呟き始める。それは最初は小さく、まったく聞こえなかったのだが、段々と不思議な音として俺に聞こえてくる。
 これはユリアが精神を集中させるための言葉なのだと言う。言葉に聞こえない。これはなんだ?
 対面にいるレンの姿が薄くなった。俺の右側にいる美羽が薄くなった。俺の左側にいる美優が薄くなった。いや、周りすべてが薄く見えた。ユリアだけがまだはっきりとレンの横で呟き続ける。
 光が……いや、限りない白が辺りを包み始める。まず、視界がなくなり、続いて聴覚がなくなり始める。
 ユリアの呟きがこだまし、揺れ、二重に聞こえ、収束する。もはや音なのかどうかも分からなかった。
 美優が俺の腕を掴んでいたが、その感覚も段々なくなってきた。
 世界が白くなる。何も感じない。それがとても恐ろしく感じた。
 世界が揺れる。
 世界がなくなる。
 世界が、終わる。
 そして、思考の感覚すらもなくなるのを感じた瞬間、俺は意識を失った。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。