IFシナリオ前編

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インパクトファイター ~事象の地平線へ~
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  プロローグ ~ Ten years before ~
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時は西暦二〇二〇年。

新宿副都心に建造された一〇八階建ての高級ホテル。

その最上階会議室で、虎宮博士はシュヴァルツドライヴプロジェクト(SDP)の起動実験プランの説明会を行っていた。

ヘリウムⅢによる核融合システムの開発に成功し、自称二〇歳(実年齢は不明)にして、ノーベル物理学賞を受賞したエンジニアたちのカリスマ。

日本が生んだ希有の才能、虎宮沙良博士。

一四〇センチの低長身に、幼い顔立ちだが一説には三〇代後半とも四〇代かもと囁かれている。
とにかく年齢に関する話だけはダブーとされていた。

また、頭にはなにやら変な生き物が乗っかっている。生物なのか機械なのかわからないが、ぬいぐるみではないことは確かだ。

そのような奇抜な格好と容姿は、おおよそ科学者に抱くあらゆるイメージを根底から覆してくれた。

そうして、その伏目がちな双眸が開眼し、その瞳に射すくめられたならば、大抵の人間は言葉を発する前に屈服してしまうだろう。

もちろん議論やディベートで負けたことは無い。

その二一世紀のアインシュタインと謳われた虎宮博士が提唱した、次世代エネルギーシステム、シュヴァルツドライヴ。

顕微鏡クラスの極小ブラックホールを作り出し、その光をも吸引するエネルギーを利用して発電を行おうというのだ。

論理的には無尽蔵のエネルギーが半永久的に供給される。

そのための実験用プラントは、すでに九割がた完成しており、その内の七割は実際に稼動していた。

プロジェクトの総予算は二四兆六千億円。

国の開発事業としては戦後最大規模であろう。

この、国家の威信を懸けた巨大プロジェクトはいま、最大の山場を迎えようとしていた。


「まだ早すぎるのではないか?」

起動実験に消極的な岩崎教授が異を唱える。

「何をおっしゃるかと思えば……。むしろ遅いくらいですよん。そう、あなたが担当するセクションみたいにねっ!」

壇上に立った虎宮博士は、進捗の遅れている岩崎教授のチームを皮肉りながら反論した。

「だからこうして恥を忍んで進言しているのだ。私のチームが担当した制御プログラムは不完全で、まだテストに耐えうる仕様ではない。無謀な実験は失敗を招くだけだ」

「アハハ心配ないよー。そもそも制御する必要なんてないんだからさぁ。それに制御プログラムの仕様書とソースコードをざっと眺めてみたけど、あれじゃ駄目だよ。研究所の修士だってもう少しマシな仕様を提出できるんじゃないかな? でもね、だからといって気を落す必要はないよ。あんなものが制御できるのなら、今頃人類はタイムマシンだって開発してるはずだからね」

「ど、どういう意味だそれは。何を考えている虎宮博士!」

岩崎教授は席を立って怒鳴った。こめかみの血管が浮かび上がり、ヒクヒクと脈打っていた。

「とにかく! 実験はタイムスケジュールに則り、計画通りに行うよー。いまは一分一秒が惜しいから、早く準備させるよう手配してねー」

虎宮博士は脇に立っている秘書にそう命じた。秘書は無言で頷くと、連絡を行うべくその場を退席した。

「ま、待て! 私は反対する。この起動実験には異議を唱える。実験を強行するようなら、査問委員会の招集を行う」

荒い息を吐く岩崎教授に相反して、虎宮博士は冷静だった。

まるで、餌を求めて山から下りてきた熊を射殺するハンターのように、冷ややかな視線を岩崎教授に送っていた。

「五月蝿いなぁ。好奇心を無くし、権威や権力を手に入れたがる技術者ほど醜悪なものはないねぇ。もういいや。ねえねえ誰かこいつをつまみだしてよ」

岩崎教授の言葉を、あくびをかみ殺しながら聞いていた虎宮博士は、面倒臭そうに指示した。

「なっ、なにをほざくか、このケツの青い小娘が! た、たかがノーベル賞を受賞したくらいで天狗に乗りおって、貴様を学会から、いやこの世界から追放してやる!」

虎宮の暴言に、岩崎教授は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。

「たかが……ね。うん。確かにたかがノーベル賞だよ。なんの価値も無いね。でもまあ研究資金を調達するくらいの役には立ったかな? それはそうと岩崎教授。周りを見てごらんよー」

円卓になった会議室に居る科学者、政治家、投資家たちが岩崎教授に送る視線は、侮蔑以外の何者でもなかった。

この会場の雰囲気、出席者の支持は、すでに虎宮博士が勝ち取っており、虎宮博士はプロジェクトを遅延させる病巣のように唾棄すべきものとして皆の目には映っていた。

「なっ、なんだきさまら……」

「おっほん。岩崎教授は疲れてらっしゃる。寛容なぼくは教授に休暇を差し上げることにしました! そうだなぁ、北海道にでも行ってクールダウンしてくるといいかも。それじゃー行ってらっしゃーい」

虎宮が顎で合図すると、扉の両脇に阿吽像のように立っていた黒服のSPが、岩崎教授の両脇を抱えあげ、会議室から連れ出した。

岩崎教授の言葉にならない恨み言が、退出したドア越しに聞こえてくるが、虎宮の関心はもう他のことに移っていた。

「さてと、それでは本題に入りましょうー」

虎宮博士の双眸が妖しく光った。

「みなさまに、我々人類の更なる繁栄を約束する友人を紹介致しまーす」

虎宮博士の言葉を聞いた要人たちは席を立ち、拍手でもって、虎宮の友人を歓迎した。




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  1章「Bug nest《バグネスト》」

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  0 ~イントロダクション~
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北海道。

かつては大自然に囲まれた未開の地。

北海道開発庁という省庁があったくらい攻略が難しい自然の要塞であった。

だが、北海道の自然も、人の造りし建造物も、人工ブラックホール《シュヴァルツドライヴ》の暴走という人類史上最悪の事故により、跡形もなく消え失せた。


西暦二〇三〇年――。

現在残っているのは、そこに北海道があったという事実と、国立図書館に残された膨大な資料。

そうして忌まわしい記憶のみだった。

死者行方不明者の数、約五〇〇万人。

それは北海道の総人口の八割を越えていた。

いや、全滅しなかっただけマシだったのかもしれない。

そうして僅かに生き残った道民も、飢えと寒さ、舞い上がる粉塵に肺をやられ、次々とその命を失っていた。


政府は事故を隕石の落下と国民に説明した。

また、隕石には未知のウィルスが付着しており、生き残った道民は皆感染の恐れがあるため隔離する必要があるとも付け加えた。

ある意味政府の対応は素早かった。

政府は道民の保護活動法案を議会に提出し、強行採決した。道民の保護活動法。

それは、保護とは名ばかりの隔離政策であった。


保護法の施行により、道民は、自衛隊が配給する僅かな食糧と燃料で、生活することを余儀なくされた。

一枚の毛布を巡って殴り合い、時には殺し合いも起こった。

ウィスルの拡大を防ぐという嘘の名目で、内地へ疎開することも許されない道民は、生きる目的を失い、完全に難民と化していた。

政策開始当初は、同じ日本人として許せないと人権団体が騒ぎ立てたりした。

だが、政府の狡猾な情報操作により、人々は北海道のこと、道民のことを、時が経つにつれ、記憶から忘れ去っていった。

事故から一〇年が経ち、忘れられた民、道民の不満は次第に膨れ上がってゆく。



  1 ~釧路~
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何処までも続く荒れ果てた大地を、一台の特殊大型トレーラーが走っていた。

車幅五メートル、全長二〇メートルの特殊車両は、日本の狭い一般道を走ることはできない。

だが、そんな特別仕様も、この砂漠のような荒野を走破するにはちょうど良いのかもしれない。

そのトレーラーを先頭に、まるで団子のように密集して、数十台のトラックと装甲車がその後に付き従っている。

突き抜ける蒼天、圧巻とも言える白い入道雲。

真夏の北海道はとても清々しく、都会の喧騒を忘れさせてくれる。


だが心地良いのは空の景色だけだ。地上はもう悲惨なものだ。草一本生えてない不毛の荒野が延々と続いている。

「一〇年前とはえらい違いだ」

揺れる車中、大翔は草原を自転車で走っていた昔を思い出していた。

そこにはまだ草木や川があり、姉妹も居た。だがいまは誰もいない。

一〇年前の事故により全てを失ってしまった。

特別学徒自衛官の制服で身を固めた若い男性。まだ少年と言っても過言ではない。

左手でハンドルを掴み、右手には水が入ったペットボトルを片手に、だらしなく運転している。


結城大翔(ゆうき ひろと)。
若干17歳で士官であるニ尉という謎多き自衛官。

いつもニヤニヤと笑っているので、軽薄そうなイメージがつきまとい、泣かせた女性自衛官の数は一個師団にも及ぶという。

そんな悪い噂が絶えない。

それら噂は事実無根も甚だしいのだが、当の大翔は弁解すること無く、あくまで飄々としていた。その態度が更なる誤解を生む。

「結城二尉。そろそろゼロの着装準備にとりかかってください」

融通のきかなそうな女性の声が、隣の助手席から響いた。

技術者にありがちな化粧とは無縁のスッピンの女性。

とはいえ彼女もまた大翔と同じ学徒自衛官のため、化粧をしなくても充分魅力的であった。

少しクセのある茶の髪は短く切り揃えられ、快活な印象を与えているが、実際はそうでもなさそうである。

「陽菜くんさあ。いまは夏だよね。北海道といっても、夏は結構暑いよね」

「北海道じゃありません。いまはバグネストです。何度言えば理解して頂けるのでしょうか。それよりも早くゼロを着装してください。時空歪曲率が上昇して、とっくに警戒レベルに達しているんですよ」

陽菜は神経質そうに、助手席の前にずらりと並んだ計器パネルの内の一つに示される、時空歪曲率を現わすモニタを、くりっとした大きな瞳で追いかけていた。

「開発者って奴はさ、性能ばっかり追っかけてさ、中に入る人間のことなんてまるで考えてないんだよなぁ。つーかゼロの実戦データを取りたいから、おまえら北海道に行ってこい。ときたもんだ。人使い荒いと思わない?」

「牧野主任はちゃんと搭乗者のことも考慮して設計しています。それに、未評価の機体を量産するほど、日本の財政は裕福ではありません」

「知ってるよ。その財政赤字というかヤバイ位の借金をなんとかしようってのがこのプロジェクトなんじゃないの?」

「そうです。分かっているのなら早く着装してください」

「んー。でもあれって一種のサウナスーツなんだよ。一〇分で二キロは痩せちまうんだぜ。そうだ陽菜くん。キミ乗ってみないか。マジで痩せるよ」

「わ、私は、太ってなんかいません!」

「冗談だよ陽菜くん。でもなー、もう少しメリハリってものが必要だと思うんだよ。もう少しウエストがくびれてたら完璧なのにねぇ。ところで陽菜くんは彼氏とか作らないの? 勿体無いよ絶対。意中の士官とかいない……の」

「結城二尉。これが最後の警告です。これ以上ゼロの着装を遅らせた場合、東城一佐に職務放棄と報告を入れさせて頂きます。それでもよろしいのですね?」

「特務四科所属、結城大翔二等陸尉。ゼロの着装準備に入りますっ!」

東城一佐の名を聞いた大翔は、それまでの軟派な態度を一変させ、キビキビとした動作で、ゼロのコンテナへと向かった。

そんな大翔を、陽菜は半ば呆れながら見送った。


バグネスト。

かつて北海道と呼ばれていた土地は、現在ではそう呼称されていた。

もっとも、バグネストと呼称するのは、本土の人間か役人くらいで、道民は皆、北海道と呼び続けていた。

核融合エンジンを実用化し、ノーベル物理学賞を受賞した天才科学者、虎宮沙良博士。

彼はその功績に満足する事はなく、更なる研究に没頭した。

博士の次なる研究は、極小ブラックホールを利用したエネルギープラントの開発だった。

シュヴァルツドライヴプロジェクト(SDP)。

政府は国家規模のプロジェクトとして博士の研究をサポートした。

なにせ完成すれば無限のエネルギーが得られるだけに、その開発は全世界から注目された。

だが、計画は失敗に終わった。

極小とはいえ、圧縮された巨大質量の暴走は、実験施設はおろか、施設のあった北海道そのものを跡形も無く消失させるだけの威力を持って暴れ狂った。

そうして、日本の地図より北海道は失われた。

直径五〇キロに及ぶ巨大クレーターが、実験施設のあった旭川市を中心に広がり、その衝撃の余波は青森県まで及んだ。

悲劇はそれだけで終わらなかった。

暴走震源地では時空の歪みが生じ、施設後を中心とした半径約二〇キロ以内には、立ち入りが禁止された。

その半径こそが、疑似ブラックホールのシュヴァルツシルト半径《事象の地平面》に他ならなかったのである。

実験施設と北海道は崩壊したが、ブラックホールが出現したということは、ある意味、実験は成功したとも言える。無論。そのようなことを政府が公表するわけはなく、ブラックホールの出現は国家機密扱いとなっていた。


トレーラーに連結されたコンテナのハッチを開けると、中に溜まった熱気が大翔の頬を突風のように撫でる。

やれやれとかぶりを振って、大翔はコンテナに一歩足を踏み入れる。

中はサウナ室として利用可能なくらい、こんがりと熱されていた。

大翔の口からため息が漏れる。

「陽菜くんさあ。ひょっとして空調壊れてんの」

大翔はインカムを通じて陽菜に愚痴を吐いた。

「経費節減とゼロの耐熱試験にもなるので、コンテナ部の空調は切ってあります」

「おいおい、ゼロって精密機械だろ? そんな乱暴に扱っていいのかよ」

「ですから耐熱試験も兼ねていると言いました。何か不満でも?」

「だからって俺たちまで一緒に試験することはないんじゃないの?」

清ました陽菜の態度に文句を言っても、のれんに腕押しだと判断した大翔は、それ以上は何も言わず、ゼロの着装準備に取りかかった。

「おまえらも大変だな」

コンテナトレーラーに付き従っていたトラックに搭乗していたゼロの作業員たちが、重たそうな器材を持って、くそ暑いコンテナの中に入ってくる。

「任務でありますから」

体育会系のさわやかな笑顔の作業員数名に囲まれ、大翔はやれやれとかぶりを振った。

「ったく。経費節減もなにも、このトレーラーには核融合エンジンが積んでるんだからエアコンの電力くらいケチってどうするよ」

「結城二尉殿、核融合エンジンはゼロの運用時に使用されます。トレーラーは通常、燃料電池によって運用されているので、沢井三尉はケチっているわけではありません」

上園という名前の技術下士官が生真面目に答える。階級は一等陸曹だった。

「上園くんだっけ? 冗談だよ。冗談。俺も馬鹿じゃない。それくらい知ってるさ」

「し、失礼しました!」

「そんなに恐縮しなくていいよ。それより怖いお姉さんが、着装するのを、首を長くして待ってるんで、手早く済ませちまおうぜ」

「了解しました」

上園一曹は大翔が見守る中、ゼロの収納されたハンガーコンテナの安全装置を解除してゆく。

開かれたハッチの中には、大翔の体型に合わせたインナースーツがぶら下がっていた。そうしてその奥には、金属の塊が静かに鎮座していた。

「結城二尉殿、お願いします」

上園一曹はそのまま奥にある金属の塊の方へ、部下を引き連れて向かった。

大翔はそんな上園のモチベーションというかハイテンションに気後れしながらも、着ている軍服を脱ぎ、ハンガーに吊ってあるインナースーツを取り外してダラダラと着替えた。


「沢井三尉殿、ゼロの安全装置、全て解除しました。起動用パスコードを入力し、核融合エンジンを始動してください」

上園一曹の朗々とした声が、インカム越しに響く。

インナースーツに内蔵されたスピーカーの感度は良好のようだ。

「こちら沢井三尉。ゼロの起動パスコード入力しました。核融合エンジン始動スタンバイお願いします。

「了解しました。燃料ヘリウム注入開始」

「タービン内圧力増加」

「加速率上昇。対消滅機関起動電圧まであと八〇、七〇……」

核融合エンジンを起動させるのにかかる時間は五分から一〇分だった。

「俺はストレッチしてくるから後よろしく」

インナースーツを纏った大翔は、くそ暑いコンテナから飛び降りた。

コンテナから大地に着地すると、大量の砂ぼこりが舞った。

細かく砕けてパウダー状になった砂の粒子は、足元に絡み付き、歩く度にキュッキュッと嫌な音を立てる。

まるで月の大地だった。

月を舞台にした映画を撮影するならこれほど適したロケーションは他にないだろう。

これがあの自然豊かな北海道《バグネスト》の姿なのかと思うと、大翔はやりきれない気持ちになった。

しばらく歩いて、剥き出しのコンクリート片の上に立った。

ここなら埃が舞う事も無い。

大翔はそのコンクリートの上で器用にストレッチを行った。

できるだけ筋肉をほぐしておかないと、ゼロの負荷に耐えられず肉離れを起こす。

最悪は靭帯断裂もありうるのだ。

事実、ゼロの実験中に故障したテストパイロットの数は枚挙に暇ない。

「しっかし、ゼロでこのザマだ。ゼロワンのパイロットなんて人間につとまるのかよ。まっ、俺のしったこっちゃないけどな」

大翔は汗だくになるまでストレッチを続けた。

「結城二尉。ゼロの起動準備が整いました。速やかに帰投してください」

インカム越しの沢井三尉は、まるで怒ったような声に聞こえる。

もう少し愛想が良ければ可愛いんだけどなあと大翔は考えながら、インナースーツのドライモードで汗を乾燥させると、コンテナに戻った。





  2 ~摩周湖~
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摩周湖のほとりで、釣り糸を垂らす少女が一人。

竿はなく、糸だけが濁った湖面に沈んでいる。

かつてはアイヌ民族から神聖な湖として崇められ、驚くほどの透明度を誇った聖なる湖。

それが摩周湖だった。

そんなアイヌ民族が自然神として親しんでいた摩周湖も、いまでは濁りきった湖でしかなかった。

湖心に浮かぶカムイッシュ《神の島》や、東岸のカムイヌプリ《神の山》も、今はもうその原形を留めていない。

少女の瞳は絶滅した蝦夷狼にも似た鋭さを持ち、真剣そのものだった。

学生らしくブレザーをまとっている。

中学から高校生くらいの年恰好。赤い燃えるような髪の毛をツインテールにした寡黙な少女。


この釣り糸には今日の飯の種がかかっている。

ここ二日余り水と木の根しか食べてない少女にとって、魚釣りは遊びではない。

立派な狩猟行為なのだ。

少女の脇には、身の丈二メートル近くある初老の偉丈夫が、大地に根を生やしたかのように立っていた。

偉丈夫はアイヌの民族衣装《アットゥシ》を纏い、顔や腕に独特の刺青を彫っていた。

糸を垂らすこと一時間。

その間二人は、まるで自然の一部であるかのように振舞い、事実風景に溶け込んでいた。

微かに糸が張る。

少女は焦ること無く、指先を器用に動かし糸に緩急を付ける。

糸には手作りの疑似餌が付いていた。

湖中では、それが生きた昆虫のように蠢いているのだ。

大きなアタリが少女の指へ伝わってくる。食いついたのだ。

頑丈なテグスならば、このまま一気に釣り上げれば良いだろう。

だが、この糸は服の繊維を解き、幾重にも編んで作った手作りの糸だ。

伸縮性はあるが、強度はいまひとつだった。

少女は根気よく時間をかけて獲物を弱らせ、完全に体力を失ったニジマスを釣り上げた。

「よくやったな美羽。美優も喜ぶだろう」

初老の偉丈夫は、少女美羽にそう声をかけると、ニジマスを腰に吊るした麻袋の中に入れた。

「もう一匹釣っていい?」

「駄目だ。今は数を増やさなければならない。三日に一匹だ」

偉丈夫はそういうと、未練がありそうな美羽の腕を掴み、摩周湖を後にした。


「シャクシャインはどうして配給を貰わないの?」

帰路の途中、美羽はシャクシャインと呼ばれる偉丈夫に尋ねた。

「国からの施しは受けない」

ぎろり、とシャクシャインが美羽を睨む。その眼光に美羽は思わず怯んだ。

「わたしはこんな生活でも構わない。だけど美優が可哀相だよ」

美優とは美羽の妹である美優のことだ。

「美優を連中に引き渡したいのか?」

「そうじゃないけど。美優のために配給を貰うのは正当な権利じゃないの? 連中はここをこんなに滅茶苦茶にしたのよ。その責任は負うべきだわ」

「もちろん奴等はそれ相応の報いを受けるべきだ。だが連中からの施しは受けん。これは誇りの問題だ」

シャクシャインはそれきり黙ってしまった。

そうなるともう話しかけてもで返事が返ってくる見込みはないので、美羽も黙るしかなかった。

約数十分。

平坦な荒野を歩いてゆくと、元々は旅館かホテルだったと思われる廃虚のビルがあった。

恐らく数十階建てだったのだろうが、二階より上は吹き飛ばされており、剥き出しになった二階と、かろうじて雨露をしのげる一階部分、それに地下室があった。

ここが美羽とシャクシャイン、そうして二人の会話に出てきた美優の住居であった。


美羽とシャクシャインが廃ビルの手前まで来ると、彼らの気配を感じたのか、ビルの中から真っ白な肌をした蒼い髪の少女が飛び出してきた。

彼女もまた、美羽同様に制服を着ているが、学校に通っているかどうかは定かではない。

「おかえりなさい。おねえちゃん。おとうさん」

美優は美羽に抱きついて抱擁してもらう。

そうして美羽から離れると、今度はシャクシャインのにしがみつく。

シャクシャインは美優を軽々と持ち上げると、そのまま廃ビルへと向かった。

五歳で両親と死別し、美羽と共にシャクシャインに拾われて育った被災孤児の美優。

三人で暮らすようになって一〇年の歳月が流れたが、まだ二人が狩りに出て家を空けると、待っている時間に不安がつのる。


;(回想始)
――五歳だった当時、運良く生き残ったものの、いくら待っても両親は戻ってこない。自分の周りには沢山の人が倒れていた。みんな動かなかった。

美優自身もショック状態に陥っており動けなかった。

このまま死ぬのだろうと、幼いなりに美優は感じ取っていた。

両親の生死も分からず、死体が積雪によって埋もれてゆく様を見ていると、自分もこのまま雪に埋まって死ぬのだと思った。

それでも良かった。生きたいという気持ちはあったが、助かるとはとても思えなかった。

僅か五歳の少女をそこまで悲観的にしてしまうだけの地獄がそこにはあった。

そんな、泣く気力すら失い、壊れた人形のように横たわっていた美優を抱き上げたのは、太い腕の偉丈夫、シャクシャインだった。

彼女の小さな命は、シャクシャインの大きな腕の中に収まることで九死に一生を得た。
;(回想終)


そんな美優の抱擁には、無事に帰って来た二人への感謝と安堵の意味が込められていた。

「今日はニジマスを釣ってきた」

「やったー。じゃあ腕によりをかけて料理するね」

美優はシャクシャインに頼んで地面に降ろしてもらうと、彼の腰に付いた麻袋を解いてビルの中へ急いで戻っていった。

「早く早く」

廃ビルの入り口で、美優が手招きをする。

「さあワシらも帰ろう」

シャクシャインが美羽の肩に手を添える。

その大きな掌は、美羽に絶対の安心感を与えてくれた。

;(回想始)
――爆風で記憶のほとんどを失い、歳も自分の名前すら分からぬまま彷徨っていた幼い自分。

泣いても叫んでも誰も助けてはくれない。

そんな日々が一週間近く続いた。

季節は冬。

飢えと寒さに凍え、雪をかじって生き長らえていた美羽の前に、大きな掌が差し出された。

掌を掴むと、その手は優しく美羽を包み込んだ。

見上げるとそこには大きな男がしゃがんでいた。

気を失う寸前、美羽は男に抱かかえられたことを知った。

それが養父シャクシャインとの出会いだった。

記憶と笑顔を無くした少女に、シャクシャインは美羽と名付けた。
;(回想終)


「うん。戻ろう」

美羽とシャクシャインは美優が待つ我が家へと帰った。

そうして三日ぶりのたんぱく質をゆっくりと味わって食べると、疲れたのかそのまま眠ってしまった。

「もーおねえちゃん起きてよー、こんなところで寝ちゃいけないんだよー。行儀が悪いっておとうさんに怒られるよー」

美優が美羽を起こそうと揺さぶるが、美羽は気持ち良さそうに眠るだけだった。

「そのまま寝かせてやれ。寝床へはワシが連れて行く」

シャクシャインは、眠った美羽を軽々と抱かかえる。

「あーずるい。あたしも連れってってよー」

美優はそういうと、余ったもう一方の腕にぶら下がった。

「今夜は少し暑くなりそうだ。暑いからといって裸で寝るんじゃないぞ」

「はーい」

と、シャクシャインの腕の中で美優は答えるが、朝になって目が覚めると、決まって服を脱ぎ散らかしてしまっており、美羽とシャクシャインを閉口させている。

「本当だな?」

「た、たぶん。というか、がんばる」

「よし」

シャクシャインは二人を両腕に抱え、地下に作った寝床へと向かった。

今はいい。夏の間は生活にも余裕があった。

たとえブラックホールによって大地を飲み込まれたとは言え、季節は必ず巡ってくる。

長い冬をどう乗り越えるか。

それはシャクシャインにとって頭痛のタネであり、課題であった。

この極限の北海道《バグネスト》で、配給にも頼らず、ひたむきに暮らす美羽たち。

彼らはこの地、北海道《バグネスト》が、権力者たちの利権のために、再び利用されようとしていることを、まだ知らない。




  3 ~ツーアイズ・ゼロ~
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ゼロの起動実験は順調だった。

《IIS―0》これがゼロの開発コード名だ。

磁場の乱れの多いバグネストにおいて、電波障害を無効化して作業するパワードスーツ。

高度な計算能力と、分厚い装甲、携帯火器を選択することによって汎用性のある兵装を実現することから、IIS《インテリジェンスインパクトスーツ》と呼ばれた。

屋外や悪天候下での起動は始めてではないが、この粉塵が舞う、ある意味砂漠よりも性格の悪い土地で起動させるのかと思うと、陽菜は少し緊張していた。

階級は大翔より下の三等陸尉であったが、このIISプロジェクトチーム、通称ツーアイズチームの試験担当責任者としての全権限は彼女にあった。

本来ならプロジェクトリーダーであり開発主任の牧野一尉が担当するはずだったのだが、彼女は別の案件で忙しく、
「テストだけなら沢井に任せても問題ないでしょう」

と、うっかり口を滑らしたため、バグネストに現地入りしたくない他の研究者らの賛同を得て、急遽試験担当責任者として大抜擢されたのだ。

要するに貧乏クジを引かされたのだ。

だが、陽菜自身は、尊敬する上司である牧野一尉直々の推薦ということもあり、必要以上に張り切っていた。

沢井陽菜。一七歳になる健康でうら若き女性自衛官。

言い寄る男性は多々あるが、自分よりも頭が良く、クレバーな男性像を理想とする彼女を射止める男性はまだ現れていない。

唯一望みがあった上司の牧野は既婚者だったのでどうしようもない。


「陽菜くんさあ。早く起動してくれない? マジで頼むよ。このままだと蒸し焼けになって死んじまうぜ。ゼロの空調最優先な!」

インカムから伝わる下品な大翔の声で、陽菜は我に返った。

なんでコイツがゼロのパイロットなんだろう。

陽菜はバグネスト方面隊、第一三師団、第一三戦車大隊の司令である東城一佐を怨んだ。

幾人ものテストパイロットが怪我で故障して、設計を見直すしかないと言われて落ち込んでいた時、東城一佐の推薦で結城二尉がパイロット候補として転属してきた。

約一年前の話だ。

そうしていきなり初対面で、

「キミ、可愛いね。彼強いるの? いや、いないよね。いたらもっとこう、柔らかい感じがするはずだよな。どうかな? 俺と付き合ってみない?」

と言ってのけた大翔を、陽菜は思わずグーで殴ってしまい、三日間の謹慎処分を食らってしまった。

屈辱に震えながら始末書を書いた記憶が鮮明に蘇える。

それは、陽菜の輝かしい経歴を汚す、唯一の失態であった。

なにしろ生まれてこのかた表彰はされても、反省文や始末書の類を書いたことが無いというのが陽菜の自慢だったから尚更である。

もちろん大翔もセクハラ行為で陽菜以上に重い処分を受けたが、日報のような感覚で始末書を提出している大翔とでは、その意味合いが根本的に異なる。

とにかく第一印象から最悪だった。

そうして大翔に対する評価は、一年経ったいまでも余り変わっていない。

それでもゼロをマトモに扱える自衛官は、いまのところ大翔くらいしか居なかった。

もちろん、ちゃんと探せば大翔以上に適正のある自衛官は居るのだろうが、ツーアイズプロジェクトにかける予算と人員では、それは過ぎた願いだった。


一五七箇所にも及ぶチェック項目をクリアして、ようやくゼロの機体に動力が伝わる。

特殊合金で組み上げられた芸術作品。

現代技術の結晶である白銀の巨人にいま、命が吹き込まれてゆく。

「結城二尉。空調が入りましたよ。気分はいかがですか?」

嫌味がブレンドされた口調で、陽菜が訊ねる。

「最っ高だね。科学万歳。計器もオールグリーン。なんの問題もないよ」

既にゼロの中に入っている大翔は、目の前に広がる無数の計器を眺め、そう答えた。

剛性チタンフレーム。強化カーボン複合材による特殊装甲など。

その他できうる限りの軽量化を施したゼロの乾燥重量は八五四キログラムと、軽自動車並である。

燃料、内臓武器の弾薬、それからパイロットである大翔を搭乗させると、一トンを僅かに越えるが、それでもその軽さは驚異的であった。

そのゼロは、胎児のように四肢を丸めた状態で、コンテナのハンガーに吊るされて外へと運び出される。

大きく開いたコンテナの上部ハッチに吊るされたゼロの四肢が、窮屈な檻から開放された獣のようにゆっくりと伸びてゆく。

「ジャイロバランサーチェック完了。結城二尉、準備はよろしいですか?」

「問題ない。やってくれ」

「ゼロ、投下します」

陽菜はトレーラーと連動した助手席のコンソールから、ハンガーのフックを解除した。

バシュッ!
という音を立ててハンガーより切り離されるゼロ。

地上から一メートル高い位置に吊るされていたゼロが、ズゥウウンと音を立てて北海道《バグネスト》の大地に着地する。

もの凄い砂塵がぶわっと舞うが、防塵対策を施してあるゼロに影響はなかった。

「脚部および碗部の関節異常無し。結城二尉。室内環境訓練と同じ手順でゼロの運用をお願いします」

「はいよ」

大翔は軽く右足に力を入れる。

するとその筋肉の動きをトレースするように、ゼロの右足が持ち上がる。

インナースーツが筋肉の微細な動きをモニタし、ゼロ本体に伝えているのだ。

「操作手順にのっとり、歩行テストから始める」

ゼロに乗った大翔が実際に歩くことはない。

大翔の筋肉の反応を予測シミュレートしたゼロのコンピュータが、即座に脚を動かす。

上手く歩行させるにはコツがいるのだが、もう何百時間もゼロに乗ってきた大翔にとって、ゼロの操作は女性を口説くより簡単なルーチンワークでしかない。

二〇近くのテスト項目を淡々と消化して行く大翔。

それはまるで空手の形のように、荒々しい動作だったが、洗練され美しくもあった。


限りなく人間に近い動作を見せるゼロ。

装甲の都合上、人間に及ばない動きもあったが、逆に人間ではありえない動作をすることも可能だ。

陽菜は、その光景を見せ付けられる度に、悔しいがゼロのパイロットとしての大翔は一流だと認めざるをえなかった。

「ついでに新兵器の試射もやっておくかい?」

全てのテスト項目を終え、コンテナトレーラーまで戻ってきた結城のゼロが、インカムを通して陽菜に尋ねた。

「ちょ、ちょっと待ってください。新兵器は磁場の影響を受けるので計算してみます」

流れるようなゼロの動きに思わず見とれていた陽菜は、突然の大翔の提案に虚をつかれ、少し慌ててしまった。

「沢井三尉殿、磁場は問題ありません。結城ニ尉殿の提案通り、新型レールガンの試射もやっておきましょう。バケモノが出た後では調整が間に合いませんよ」

上園一曹は暇を持て余していたので、周囲の磁場チェックを怠っていなかった。

それに兵器オタクでもある彼にとって、強力すぎて内地では試射できなかった最新鋭のレールガンの威力テストは、とても興味深い事項なので、いつでも試射できるよう整備を怠ったことはなかった。

「そうですか。それでは付近に難民もいないみたいですし、いつ磁場が不安定になるか分からないので、今のうちにやっておきましょう。結城二尉、聞こえていますか?」

「聞こえてるよ沢井三尉。だがあんたにしちゃ詰めが甘いな。本当に付近に道民が居ないのかどうか、ちゃんと調べてくれ。そのための難民マップだろう」

いつになく真剣な口調で陽菜に注文を付ける大翔。

陽菜も、大翔が自分のことを『陽菜くん』ではなく『沢井三尉』と呼んだので少し驚いていた。

ひょっとしたら初めてそう呼ばれたかもしれない。

「わ、わかりました。確認してみます」

「頼むよ。真っ平らになっちまった北海道で、レールガンなんかを水平掃射したら、流れ弾が道民を巻き込む恐れがあるからな」

「さすが二尉殿、思慮深いですね。敬服します」

インカム越しに上園一曹が呟く。悔しいが陽菜も同じ意見だった。

陽菜は最新の難民マップで難民の分布状況を調べ始めた。


数分に及ぶ検討の末、最適な試射位置が割り出された。

「網走方面に向けて試射願います。硫黄山痕に僅かな隆起部分が認められますので、それを目標としてください」

「そこなら撃っても大丈夫なのか?」

「絶対に大丈夫という保証はできません。ですが、そこが一番安全だと思われます」

「そうかい。しっかし難儀な武器だね。威力強すぎやしねーか?」

「仕方ありませんよ。バケモノ相手にはそれくらいの威力の兵装でないと効果ありませんから」

上園一尉が割って入る。

「えっと、なんていったっけ、そのバケモノの名前」

「バグリーチャーです。上園一曹もバケモノなんて言わないで下さい」

「し、失礼しました!」

「そう、そのバグリーチャーってのシミュレーションで何度も戦ったけど、ホントに居るのかい? 特撮とか映画じゃないの?」

「発生固体数三四体。破壊個数二九体。所在不明個数三体。捕獲個数二体。難民の死傷者数二二八名。自衛官の死傷者数六八名。すべて事実です」

陽菜はバグリーチャーに関するデータをつぶさに報告する。

「それもこれもこのブラックホールのおかげってわけかよ。放射能汚染がないだけ核よりマシかと思ったら、とんだ二次災害を巻き起こしてくれたな。いわゆるバイオハザードってやつか?」

「そうですね。ですが二尉殿、そのバケモノ、いえ、バグリーチャーを殲滅するためにこのゼロは開発されたのです」

熱っぽく上園は語る。

そんな上園を無視して大翔は兵装コンテナからレールガンを取り出すと、ゼロの右腕部に固定し、グリップを掴んだ。

釣竿のように伸縮した折り畳み式のレールガンが伸びる。

その長さは五メートル弱。

電磁誘導によって打ち出される高速の弾丸を加速するには、充分な長さが必要で、これでもまだ短いくらいだ。

最初の試作機は全長二〇メートルほどあり、これでようやくバグリーチャーの分厚い甲羅を粉砕できると検証された。

それから技術者たちの試行錯誤の末。ようやくこの長さまで短縮できたのである。

「レールガン試射するぞ。陽菜くん。方角を指示してくれ」

「北北西、現在の位置より、三〇度左に旋回してください。細かい微調整はゼロのコンピュータが行います。静止物掃射モードにセットしてください。いまデータを送りました。目標をロックオンしてください」

「ロックロン完了。電力供給問題なし。チャージも完了。よーし撃つぞ!」

「どうぞ」

大翔はレールガンを水平に構え、硫黄山に向けてトリガーを引いた。

張り裂けるような電気の咆哮と共に、光の弾道が一直線に走った。

数秒後、ドォォンというレールガンが着弾した音が、網走方面から微かに聞こえてきた。




  4 ~電磁の咆哮~
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ものすごい地響きが聞こえた。

あと少しでオオアカゲラを捕まえることが出来そうだった美羽は舌打ちしながら、地響きのする方向に目をやった。

僅かに根を残した枯れ木のてっぺんへ器用に登ると、そこには土煙を上げる硫黄山の姿が確認できた。

「あれは、なに……」

「恐らく軍の演習だろう。ここには人が住んでないことになっておるからな」

気が付くと木の下にはシャクシャインが立っていた。

その表情は暗く、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。

「未登録であるわたしたちの存在は無視されるわけね。やはり難民登録をした方がいいんじゃない?」

「難民認定され、所在位置を特定する、発信用の刺青を彫られたいのか?」

「まっぴらごめんよ。だけどこの辺で演習なんてやられたら、せっかく戻ってきた魚や獣たちが逃げてしまうじゃない!」

美羽は取り逃がしたオオアカゲラのことを思い出し、もう一度舌打ちした。

「ワシに考えがある。美羽。美優を呼んで来てくれ。出掛けるぞ」

「わかったわよ」

美羽はシャクシャインの言葉に従い、廃ビルへと向かった。

「まったく、好き勝手なことばかりやりおる……」

土煙を上げ続ける硫黄山《アトサヌプリ》を見つめ、シャクシャインは拳を握り締めた。


美優はまだ眠っていた。

余り身体が丈夫ではない美優は、よく熱を出して寝込んでいた。

栄養が足りないというのが最大の原因だった。

それゆえに、美羽はせめて栄養のあるものを美優に与えようと、栄養価の高いものはすべて美優に与え、自分は木の根などをしゃぶって飢えを凌いできた。

いつぞやか、美優が高熱を出した時は、こっそりと難民キャンプへ忍び込み、医薬品を盗んできたこともあった。

シャクシャインに見つかり、足腰が立たなくなるまで折檻を受けたが、それでも薬を美優に与えてくれと懇願し続けた。

その根性に免じてか、シャクシャインも医薬品を捨てることはなく、美優の治療に使用してくれた。

共にシャクシャインに拾われて、姉妹のように育ってきた二人は、血の繋がりこそないが、本物の姉妹以上に固い絆で結ばれていた。

「美優起きてる? 出掛けるわよ」

美羽は美優が包っているシーツを剥いだ。

「あふぅ、おふぁよう。おねえちゃん」

「おはようじゃない。もうすぐお昼よ。それよりシャクシャインが呼んでるわ。出掛けるってさ。早く着替えなさい」

「おでかけするの?」

普段あまり外出を許されない美優は、出掛けると聞いて飛び起きた。

「そうよ。だから早く着替えてね」

「はーい」


美優はシャクシャインの肩に座って、代わり映えのしない景色を眺めていた。

何も無くても外に出るのは気分が良かった。

粉塵が肺を傷めるので、粉塵対策として、ゴーグルとマスクを被っていた。

「ひゃべりふゅらいよ」

喋り辛いと文句を言うが、シャクシャインに外したら家に帰すと脅されているので、外すことは出来なかった。

「どこまで行くの?」

もうかれこれ三時間近く歩いていた。

距離にして二〇キロ弱。

別にこれくらいの距離と時間歩いていたって美羽は平気だったが、狩り以外でこんなに遠くまで歩くのは滅多にないことだった。

それにシャクシャインの装備はキャンプ仕様で、大きなリュックにテントまで持参していた。

今日は家には帰らないつもりなんだなと、美羽は感じ取った。

「昼間に見ただろう」

「何のこと?」

「硫黄山《アトサヌプリ》が燃えていたのを見ただろう」

「見たわ」

「あれは自衛隊の演習だ。連中はこの地を灰にしただけでは気が済まないらしい。ワシらの平穏な生活を再びかき乱すつもりらしい」

「え? まさかシャクシャイン……」

「心配するな。連中と会って、話をするだけだ」

「うん、わかった」

結局その日は野宿する羽目になった。

レールガンの弾道に沿って歩いてきたが、自衛隊のキャンプ地までたどり着くことができなかった。

「明日は早い。もう寝よう」

「わーい。おとまり、おとまり~」

はしゃく美優をあやしているシャクシャインは普段の彼そのものだったが、美優が寝静まった後に見せた表情は、苦悩する男の顔であった。




  5 ~虚栄とプライド~
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ゼロの実験は順調そのもの。

進捗が前倒しになっていたので、沢井三尉はすこぶる機嫌が良かった。

朝の定期報告にて、開発主任の牧野一尉に「よくやったな」と、誉められたことも一役買っていた。

残された試験は特に磁場や電波障害の影響を考えないで済むテストだったので、言うなればいつでも消化できる。

それともう一つ。

これが最大の目的なのだが、バグリーチャーとの実戦テスト。

このデータ取得がこのツーアイズプロジェクト実機評価のメインテーマであった。

とはいえバグリーチャーの出現は完全にランダムなので、偶然の遭遇に頼るしかない。

最後に発見されてから、二ヵ月以上が経過していた。

いつ来るか分からない敵に、陽菜は重いため息を吐いた。

;(回想始)
――最初に報告があったのは一年前。

ブラックホールの特異点から突如として現れた異形のバケモノ。

動くものを完膚なきまで破壊する狂暴な性質をもった殺人鬼。

バグネストより出ずるクリーチャーという理由で、バグリーチャーという安易でセンスの無い呼称が政府の高官によって決定された。

また、このバグリーチャーの存在は内地の人間には極秘とされ、国内はおろか、海外のメディアにも圧力をかける徹底ぶりだった。

バグネスト内では、強力な電波障害のため、誘導兵器が無効化される。

それに大型ミサイルの類は磁場の悪化を招き、現在安定しているブラックホールに悪影響を与える危険を孕んでいるので、使用は硬く禁じられていた。

バグリーチャーに対抗するには機甲部隊と連携をとった重装歩兵が、対戦車ミサイルで仕留めるか、装甲車両に取り付けたレールガンで屠るしか戦略が立てられなかった。

そのため犠牲も多く発生した。

そもそもツーアイズ・ゼロはバグリーチャーを殲滅するために設計されたわけではない。

その基本設計は、軍事機密の特殊案件に基づいて開発されていたのだが、バグリーチャー出現の報を受け、急遽、対バグリーチャー殲滅兵器として再設計されロールアウトした。
;(回想終)


「まっ、本来の目的もロクなものじゃないんだけどね」

陽菜は独り言のように呟いて、無限に広がる荒野を見渡した。

目を凝らすと、遠くに人影が見えた。

難民だろうか?

陽菜はノートパソコンのカバーを開いて、難民マップを調べたが、前方に見える人影からは何の反応も無い。

「幽霊? まさか、いえそんなありえない……」

政府が道民の保護政策を行うようになって一〇年余。

このバグネストの難民はすべて登録済であると報告を受けていた。

難民には発信タトゥーが耳の裏に刷ってあり、それによって難民の位置状況が把握できる。

人権蹂躙だという道民の反発を受けながらも、配給を均等に分配するためという理由の元、強制的にタトゥーを刷られた道民たち。

タトゥーを刷ってない道民イコール、配給を貰っていないということになる。

「じゃあ一〇年間配給無しで、この地で過ごしてきたって言うの!」

目の前の影が大きくなるにつれ、陽菜の動揺は増した。

友軍かも。

同じ自衛官なら発信タトゥーは付けてない。

そう思いたかったが、友軍なら識別コードもしくは事前に連絡があるはずだった。

「まさかバグリーチャー!」

陽菜は特異点の観測という手順を忘れ、慌ててスクランブル用のスイッチを押した。


サイレンの音で叩き起こされた大翔は、怒鳴り込むようにトレーラーに乗り込んで来た。

「なんだってんだよ、いったい!」

「識別コードを持たない移動物が前方に……。バ、バグリーチャーかも……」

陽菜は明らかにうろたえていた。

気が強そうな女だと思っていたが、意外と可愛いじゃないかと結城は思い直してニヤついた。

「笑い事じゃないでしょう。早くゼロの着装準備に取りかかってください」

ヒステリックに陽菜は叫ぶ。

「まあまあ落ち着こうよ。陽菜くん。とりあえずモニタで確認してみよう。な?」

大翔はトレーラーに積んである監視用モニタを人影に合わせると、最大望遠まで倍率をあげた。

ぼやけた人影にピントがあってくる。

「あのさ、陽菜くん。あの人影はどう見ても人間だよ」

「えっ?」

陽菜は慌ててモニタに視線を送る。

確かにそこに写し出されていたのは、奇妙な衣装を纏った人間でだった。

大男が一人に、その肩に子供が一人、更にその脇にも子供が一人付いて、こちらのキャンプに向かって歩いてくるのが分かった。

「人間、それも子供が二人も……」

「子供はお互い様だろ。とりあえずスクランブルは解除しといたから。陽菜くんはお客さんを迎える準備でもしといてよ。そうだな。とりあえず冷たい麦茶でも入れといて」

大翔はそれだけ言うと、トレーラーを後にした。

「ちょ、ちょっと、迎え入れるって、このプロジェクトは極秘で……」

だがもうそこには大翔の姿は無かった。

「だ、誰がこのプロジェクトのリーダーだと思ってるのよ!」

大翔が出ていったドアに向かって陽菜は悪態を吐いたが、このスクランブルの件からしても、非は自分にあり、大翔のフォローが無かったら、ゼロを民間人に見せてしまうという大失態を演じてしまうところだった。

また、陽菜にとって残念なことに、大翔は人当たりが良く、ツーアイズチームから信頼を勝ち得ていた。

逆にカタブツの陽菜の方がチームの中では浮いた存在になっていた。

悔しいが、チームメイトも事実上のリーダーは大翔だと認めているフシがある。

陽菜本人ですら、半ばそのことを認めていた。




  6 ~偏見と謝罪~
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ツーアイズチームのキャンプ地へ向かうシャクシャインたちの眼前に、二人の士官と、三名の武装した自衛官が立ち塞がった。

「私はバグネスト方面隊、第一三師団、第一三特務四科に所属する沢井三尉です。ここは我々の演習地となっており、民間人及び難民の立ち入りは禁止されています」

中央に立った若い女性が無表情でそう述べる。沢井三尉だった。

シャクシャインは不快感を押し殺しながら、自衛官らを伺っていた。

その瞳は陽菜ではなく、隣に立つ男、大翔に向けられていた。

シャクシャインは本能的にリーダーを見抜いていた。

銃を構えて自分たちを牽制する三人の自衛官は下士官なのだろう。

一言も言葉を発せず、黙って銃口を向けていた。

「ここは、北海道は、誰のモノでもない。貴様らはどうしてそんなに傲慢なのだ」

ゆっくりと、落ち着いた口調でシャクシャインが答える。その視線は、ずっと大翔に向けられていた。

「あなたたちは難民登録されてないようですが、この近くに難民キャンプがありますので、そこで登録をお願いします」

無視されていると分かり腹を立てた陽菜。それでも平静を装い、話を続けた。

「その必要はない」

きっぱりとシャクシャインは断った。

「こ、国民の義務なんですよ!」

「義務だと? ではおまえたちは責任を果たしたのか?」

「ちゃ、ちゃんと配給を支給しています」

「そんなものは必要ない。よって登録も不要だ。この話はこれでおしまいだ。それよりもここへ何しに来た」

「それを説明する義務はありません。軍事機密です」

シャクシャインの問いかけは陽菜ではなく、大翔に向けられていた。

そもそも始めからシャクシャインは陽菜と話し合う気はなかった。

「OK分かった。俺から説明しよう。陽菜くん。悪いけど席外してくんない?」

「なっ!」

「なんていうかさ、そんな頭ごなしじゃこのひとたち納得してくれないよ」

確かに大翔の言う通りだった。そのことは陽菜自身が良く分かっていた。

住人との交渉なんて面倒なだけだった。だったら結城二尉に任せればいい。

陽菜はそう結論を下した。

「分かりました。好きにしてください。そのかわり責任はとってもらいますからね」

陽菜は肩を震わしながらキャンプ地へと戻っていった。

「おまえたちも戻っていいぞ」

大翔は銃を構えた自衛官らにも、そう告げた。

「しかし二尉殿」

「いいから、心配すんな。そんなもの構えて話し合いなんて出来ないだろ。それより陽菜くんのお守り頼むよ」

「はっ、了解しました」

三人の自衛官は苦笑しながら陽菜の後を追った。


「さてと……」

大翔は改めてシャクシャインたちを見やった。

長身で筋骨逞しい初老の男と、その彼の肩に乗った穏やかな表情の少女美優に、獣のように鋭敏な気配を放つ赤毛の少女美羽。

実に奇妙な取り合わせだった。

「同僚の無礼は詫びます。すいませんでした」

大翔はシャクシャインに頭を下げた。

「おまえ、道産子だな」

シャクシャインの問いに、大翔の眉が微かに動いた。

「……よく、分かりましたね」

「匂いで分かる。おまえは他の連中とは違う」

「そんなに匂いますか。確かに水不足で風呂には入ってませんけどね」

大翔は袖をめくって腕の匂いを嗅ぐ真似をした。

「このお兄ちゃんおもしろいね」

シャクシャインの肩に乗った美優が大翔の仕種を見て微笑む。

「そちらのお嬢さんは?」

「ワシの娘、美優だ。そっちの小娘は美羽だ」

「美優に、美羽か……。いい名ですね。で、アナタは?」

「お前は何者だ?」

「失礼しました。私はしがない自衛官の結城大翔と申します」

「ワシはシャクシャインだ」

シャクシャインの硬い表情が少しだけ柔らかくなった。

「改めて問う。ここへ何しに来た」

「政府の広報とか知らないでしょうから、かいつまんで話しますね。一年ほど前から、ここにバケモノが現れたんですよ。お偉いさんはバグリーチャーとか言ってますがね」

「バケモノの噂は聞いたことがある」

「それなら話しが早い。我々はそのバケモノを殲滅する兵器の運用試験に来たんですよ」

「あの光の槍か?」

「レールガンっていうんですよ。あれで退治する予定で試射したんですが、まさか硫黄山付近に人が住んでるとは思ってなかったもので……、本当にすいませんでした」

大翔は深々と頭を下げた。

「どうしてワシらがその辺に住んでると思った?」

「苦情を言いに来たんでしょう。だったら地域住民だと思うのが当然でしょう」

「そうか、まあいい。それよりも忠告だ。いま一〇年の歳月を費やして、ようやく北海道の自然が再生しようとしている。その邪魔だけはするなよ」

「分かってます。俺も道民です。内地の人間の好きにはさせませんよ」

「ワシらは平穏な生活を望んでいるだけだ」

「もう試射は完了しました。ご面倒をかけることはないと思います」

大翔がシャクシャインに敬礼する。そこへ……。

「あんたたちのせいでオオアカゲラ取り逃がしたのよ。どうしてくれるの?」

いままで黙って会話を聞いていた美羽が飛び出してきて吠えた。

「へえ、オオアカゲラか。絶滅してなかったんだな……」

大翔は虚空を見つめ、嬉しそうに語った。

「あ、いや、悪かったな。……そうだ、お詫びにこれをやるよ」

大翔はそう言うと、腕にはめた時計を外し、美羽に向けて投げた。

美羽はそれを片手でキャッチすると、もの珍しそうに時計を眺めた。

「施しは受けん。返すんだ美羽」

シャクシャインにそう言われた美羽は、がっかりした顔をして結城の前に歩み寄り、渋々時計を差し出した。

「施しじゃない。お詫びです。俺たちの実験でオオアカゲラを取り逃がしたんだ。配給を受けてないあなたたちにとってそれがどれほどの損失なのか、俺には分かります。だから受け取ってください」

「むう……」

美羽はドキドキしながら二人のやりとりを見守った。

「こんなことを言ってはなんですが、俺には妹が居ました。生きてりゃ丁度彼女くらいの歳です。別に同情心からって訳じゃないんです。このサバイバルウォッチは絶対役に立ちまず。どうか受け取ってください」

「おまえの家族は?」

「全員死にました。俺はそのとき東京に居たんで助かりました。七歳の時です」

「そうか。美羽よ。その時計は貰っておきなさい」

「いいの?」

「ああ」

シャクシャインはゆっくりと頷いた。

「ありがとう!」

「美羽だっけ? 使い方教えてやるからちょっと来いよ」

大翔は美羽の腕に時計を巻いて、機能についてレクチャーを始めた。

「いいなあ、おねえちゃん。あたしもなにかほしいなー」

美優が不満を漏らず。

「美優には今度木彫りの人形を作ってやる」

「ほんとう!」

「ああ、約束だ」


大翔と別れ、美羽たちは帰路についた。

「あれでよかったの?」

大翔に貰った時計をいじりながら、美羽が尋ねる。

「なにがだ」

「文句を言いに行ったんじゃないの?」

「そうだな。あの若者が居れば大丈夫だろう」

「そうだね」

美羽は大翔のことを気に入っていた。

時計で懐柔されたと思われるのが癪なので、シャクシャインには内緒だったが、それ抜きにしても好感が持てる人物だった。

「美羽よ。今日はたまたま運が良かったが、内地の人間を信用するな。あの男は希有な存在だと思え」

「わ、分かってるわよ」

シャクシャインと美羽は、真っ直ぐに家路に向かった。

美優はシャクシャインの背の上で、静かに寝息を立てていた。




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  2章「Ludimion《ルジミオン》」

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  0 ~銀河の中心~
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それは一瞬にして、永遠の出来事だった。

銀河の中心にて、種としての究極の進化を遂げ、繁栄を極めた精神生命体ルジミオン。

永遠に続くと思われた彼らの栄華は、彼ら自身が創り出した技術によって失われようとしていた。

肉体を必要としないルジミオンであったが、その生命活動を維持するには微量の電荷、すなわち電力を必要とした。

その身を機械に寄生させ、巨大な発電機に寄り添って生活する、平温で退屈な日々。思考実験や哲学の探求、闘争本能を持たない彼らは、そのまま平和の中で、悠久の時を過ごすはずだった。

少なくとも、彼と彼女が現れるまでは……。


そのルジミオンは、好奇心が強くて思慮が浅い、若者特有の性急さを持っていた。

まだまだ教育が必要な年頃のルジミオン、彼の名はサフィール。

永遠の時を生きる彼らにとって時間は無限であり、熟成を急ぐ必要はなかった。

ゆっくりと、長い時間をかけて大人になれば良かった。だが、その若きルジミオンのサフィールは、ルジミオンとしては異例な程の探求心と行動力を持っていた。

先人達の頭脳を結集して完成した完璧なシステム。ブラックホールを制御し、電力を安定供給するシステムに、サフィールは興味を示した。

その理論は完璧で、システムのセキュリティも万全だった。

そこに油断があった。成熟した、大人のルジミオンたちは、先人達の遺産に絶対的な信頼を置き、そのシステムを過信していた。

誰も、一人として、サフィールの行動を諌めようとする者はいなかった。

なぜなら、それはすでに自分たちが歩んできた道であり、若い頃特有の熱病みたいなものだったからだ。

サフィールは、果敢にシステムをアタックした。何万回、何億回と、星が生まれ、超新星となって爆発するまで、その執拗な解析作業は繰り返された。

そうして……。

ついにシステムの防壁は破られた。

サフィールは達成感に酔いしれた。その瞬間、彼の好奇心は満たされ、サフィールは再び瞑想を行う日々へと戻った。長い年月が、サフィールを成熟した大人のルジミオンに成長させていたのだ。

だが、基本的な性格だけは変わらなかった。

しばらくして、単調な思考実験に飽きたサフィールは、今度は自らが創り出した相転移エンジンを搭載した船に乗り、宇宙の大海原へと旅立った。

だれもサフィールを止めるものは居なかった。ルジオミンは、たとえ百万光年離れていても、意思の疎通が可能だった。離れていても、近くに居ても、生きている限り、存在する場所はどこでも構わないのだ。

安定した電力が供給されるという理由で、一箇所に留まっているに過ぎない。


それからしばらく。どれくらいの時間が経っただろうか。

再び、システムに挑もうとするルジミオンが現れた。

今回もまた、大人のルジミオンは放っておいた。だが、サフィールの時とは少し条件が異なっていた。

確かにサフィールは悠久の時をかけて、システムのセキュリティを突破した。そうして達成感に満ち足りてそれ以上は何もやらなかった。時が彼を大人にしたからである。

だが、今回は違った。

すでにシステムの防壁は破られているのだ。

サフィールはカギを空けたままにしておいたのだ。

当然の事ながら、その若いルジミオンは、難なくシステムの核にたどり着いた。

そうして、若きルジミオンの姫、ユリア・ジルヴァナの好奇心は微塵も満たされていなかった。

彼女の好奇心の矛先は、そのシステム本体に向けられた。

ユリアはシステムの内容を解析し、その若さゆえの傲慢さによって、自分ならもっとスマートなやり方ができると考えた。

そうしてシステムを書き換えた制御装置は、より洗練されたものとして生まれ変わる筈だった。

だが、ユリアが冗長なコードとして削除した一万箇所に及ぶ項目の一つは、絶対に省いてはならない重要なセキュリティコードだった。

数十億年という長い時間、ルジオミンたちにエネルギーを与え続けていたブラックホールの制御システムは、一瞬にして崩壊した。




  1 ~ユリア・ジルヴァナ~
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ユリアを乗せたカプセルは、無事に特異点ジャンプを果たしたようだ。

だが、余りにも突然のことだったので、機能に支障が生じており、修理しないと二度と使い物にならないという有り様だった。

(ここはどこだろう……)

ユリアは意識を広げようと周囲にアンテナを伸ばしたが、電波妨害が多くて正確な位置は分からなかった。

それでも、銀河系の隅にある原始惑星に到達したことだけは分かった。

(どうして惑星なんかに特異点が発生するのかしら?)

ユリアは思考した。そうしてこの惑星が貯えている情報を得るべく、働きかけた。

星々が持つ記憶。――プラネットメモリ――

ユリアたちルジミオンは有機生命の思考はおろか、無機物の記憶まで読み取ることが出来た。

むしろ複雑な感情を持たない珪素たちの方が、簡単に情報を読み取ることができる。

そうして、この惑星のメモリを読むことによって、この星には原始的だが生命が発生していることが分かった。

更にメモリを解析すると、この星が文明を持った惑星であることが判明した。

(文明レベルは二から三ってところかしら……)

そうしてひとつの情報を入手した。

(ここの原住民もブラックホールを作ったのね)

それは、ルジミオンのユリアたちに比べたら、稚拙で子供のオモチャのようなものであった。

(制御すらされてないし、野放し状態じゃないの!)

ユリアは少々呆れてしまった。

(失敗したかな。もう少しレベルの高い星に到着できるかと思ってたんだけど……)

ユリアは自分の使命を思い出し、少し憂鬱な気分になった。

その時である。ユリアを乗せたカプセルが、何者かの手によって、回収されたのだ。

思考に没頭していたため、原住民の接近に気付かなかった。ユリアは慌てて外界にアンテンアを伸ばした。

原住民は、脊椎を持つ内骨格形をしており、二本足タイプだった。軟らかな外皮はとても脆く、真空中ではとても生存できそうに無かった。

ただ、その姿は、ユリアたちルジオミンの遠い祖先と共通点があり、好感が持てた。

原住民はユリアのカプセルを宝石か何かだと勘違いしているようだった。

ユリアは原住民の思考にアクセスした。


原住民の名は美優というようだ。そうして彼らは雌雄別になっており、彼女は雌、すなわち女性であるようだ。

思考アクセスによって分かったことだが、どうやら原住民には異星人とのコンタクト経験がないらしい。

ユリアは更に原住民の思考を読み、彼女の記憶にある、母親像を模倣するのが最良であると判断した。

実体ホログラフィを作動させ、カプセルをコアとして、美優の母像に少しアレンジを加えた姿にユリアは変身した。

突然現れたユリアに、原住民の美優は慌てた。

(怖がらないで。わたしはあなたのお母さんの遠い親戚のユリアよ)

ユリアは美優の記憶から学んだ日本語を駆使して、美優の脳裏に直接問いかけた。

「ユリア……さん」

(そうよ、ユリアよ。お母さんから聞いてない?)

「よくわからない。でもお母さんに似てるような気がする。でもいままでどこにいってたの? おとうさんは事故でぜんいん死んじゃったって言ってたけど、ユリアさんはどうやって生き残ってたの?」

(この不思議なカプセルが守ってくれたのよ)

「そうなんだ。なんかすごーい! そうだ! みんなにしらせてあげなくちゃ」

美優はユリアをにぎりしめ、廃ビルに向かって駆け出した。

(ちょ、ちょっと待って、わたしのことは秘密にしておいて!)

美優の脚が止まる。

「えー、どうして?」

(大人は怖いの。子供だったらいいわ)

「じゃあ美羽おねえちゃんは子供だから見せていい?」

(構わないわよ。普段はこのカプセルの中に入ってるから、用事があるときに呼んでね。出てこいって念じれば出てくるわ)

美優の母親像を模っていたユリアのホログラフィが消滅し、最初のカプセル、深緑に光る丸い珠に戻った。

「あたしがこのタマ持ってていいの?」

(いいわよ。なくさないでね)

「うん!」

とりあえず原住民との接触は果たした。ユリアはこれからのことを考えるため、しばらく思考に耽った。




  2 ~深夜の告白~
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深夜。すでに皆が寝静まった寝床にて、美優はむっくりと起き上がり、美羽を揺さぶった。

「おねえちゃん。おねえちゃん起きて。おねえちゃんったら」

なかなか起きない美羽に腹を立てた美優は、美羽の小ぶりな胸をわし掴んだ。

「きゃっ!」

いきなりの急所攻撃で、飛び起きる美羽。もちろん目は覚めた。

「な、なにを!」

「しぃー」

人差し指を口に付け、美優は黙って付いてくるよう美羽に言った。

美羽はブツブツと文句を言いながら、美優の後について外に出た。

外は少し肌寒く、長居したら風邪を引いてしまいそうな気候だった。

「こんな夜中にどうしたの。一人でトイレに行けない歳じゃないでしょう」

「トイレじゃないよおねえちゃん。これを見てよ」

美優は服の中から深緑に光る珠を取り出した。

「毬藻?」

「違うよおねえちゃん。ユリアさんだよ。お母さんの親戚だよ」

「はあ?」

少し頭の弱い子だと思ってはいたが、ここまで酷いとは……。

美羽は美優を不憫に思った。

「あのね……」

美優に親戚なんて居ないと、諭そうとした瞬間。突然、深緑の珠がまばゆく発光した。

(はじめまして)

眩しさに目が眩み、瞬きした直後。そこには確かに、等身大の人間。金髪の女性が立っていた。

「う、嘘……。本当に美羽の親戚なの?」

(もちろん嘘よ。わたしはユリア。ユリア・ジルヴァナ。異星人よ)

「異星人?」

(待って! わたしに話を合わせて。美優はわたしのことを親戚のユリアだと思ってるの。というよりそう思わせた方が良いと判断したの。でもあなたには通用しないみたい。だから本当のことを話すわ。だから黙って聞いて頂戴。お願い)

「わかったわ」

(ありがとう。この会話は美優には聞こえてないわ。あなたとわたしだけ。それから始めに断っておくけど、わたしはあなたたちの思考が読めるの。だからあなたには本当のことを話すの)

「わたしが嘘を信じないと思ったから?」

(正解。飲み込みが早いわね。賢い子は好きよ。じゃあついでに美優に寝るように伝えて頂戴。二人きりで話したいわ)

「わかった。……美優。あなたはもう寝なさい。夜風に当たりすぎると風邪を引くから」

「えー」

「えーじゃない。美優が倒れたら、わたしがシャクシャインに叱られるのよ」

「あ、うん。わかった。おねえちゃんがおこられるのいやだもん。でもユリアさんは?」

(わたしはもう少し美羽とお話するわ。ちゃんと話しが終わったら美優のところに戻るから。ねっ)

「うんわかった。おやすみなさい」

「おやすみ美優」

(おやすみなさい)

美優は不承不承寝床に戻っていった。


ユリアは美羽に自分のことを話した。

精神生命体であること。

銀河の中心からやってきたこと。

何故やってきたのか、その理由をすべて話した。

最低限の教育しか受けてない美羽には、ユリアがいう話の半分も理解できなかったが、嘘を言っているわけではないことは分かった。

それは直接脳裏に響いてくるユリアのテレパシーには、疑いようが無い真実しか見えなかったからだ。

逆に美羽が考えていることも筒抜けで、この脳内で行う会話では嘘をつくことは不可能だった。

「そのユリアがいうベムっていうのは、バグリーチャーって奴のこと?」

美羽は先日会った自衛官の大翔が言っていたことを思い出していた。

(あなたとその自衛官の会話から推察すると、恐らく間違いないと思うわ。奴等はブラックホールの特異点から出現する悪鬼よ)

ルジミオンであるユリアには、悪鬼という概念などない。

美羽に理解しやすいよう、ユリアは意訳しているに過ぎない。

「見たことはない。だけど、そのバグリーチャーに会った人はみんな殺されたって聞くわ」

(彼らの目的は生物が持つ魂よ。生命元素と言っても良いわ。生物の生命活動を捕食すために殺すの、彼らにとって肉体は入れ物でしかない)

ユリアはまるで唇をかみ締めるかのように思念を発していた。

「気休めしか言えないけど。多分ユリアの仲間は無事よ。みんな賢いんでしょう?」

(でも、目の前で、何億もの意識が消えてゆくのを共感したわ。肉体を捨て、武器も捨てたわたしたちに抗う術はなかった。みんな逃げるのが精一杯で……)

「ここも。この北海道も実験の事故で沢山の人が死んだわ。わたしの本当の両親も死んだと思う。わたしはショックで事故以前の記憶は忘れちゃったけど、知らない方が幸せだってシャクシャインも言ってたし、わたしも知りたいとは思わない。問題はこれから。今後どう生きるかで、人生の価値は決まるって。シャクシャインがそう言ってた」

(ありがとう。優しいのね。そうね。くよくよしても仕方ないわね。わたしは、わたしにできることをやるわ)

「わたしに出来ることがあるなら協力するわ」

(ありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ。それよりもあなたは寝た方がいいわ。生命活動が維持できなくなるわよ)

「そうする。ユリアはどうするの?」

(わたしに睡眠は必要ないわ。電力の続く限りずっと……)

「すごいわね」

(それじゃあ行きましょう)

ユリアは、美羽の後について寝床へと歩いて行った。


自分の慢心によって、同胞を危機に晒してしまったユリア。

不要だと思い、制御システムから削除したコードのひとつが引き金となり、ブラックホールが不安定になってしまった。

特異点が急激に増加し、やがてその特異点たちは互いに干渉し合い、特異点の間に安定したゲートを作り出した。

そうしてそのゲートから突如として現れたベム《バグリーチャー》によって、多くの同胞を失った。

まるで長い間封印されてきた魔物が喚起するかのように襲いかかかるベム《バグリーチャ》たち。

その光景はとても筆舌に難しく、思い出すだけで魂が震え、消滅しそうになる。


自責の念に苛まれているユリアを見て、美羽はこの北海道を灰にした人物も、同様に後悔しているのだろうかと考えてみた。

だが、たとえ後悔し、反省していたとしても、とても許せるものではなかった。

そうしてユリアもまた、同胞に怨まれいるのだろう。だが何故か、そんなユリアを可哀相だと美羽は思った。

この矛盾した感情に美羽は戸惑い、なかなか寝付けなかった。

ユリアの目的は、バグリーチャーを殲滅できる兵器を接収することだと言っていた。

肉体を捨て、精神生命体へと進化したルジミオンに武器は必要なかったため、その知識は封印されていた。

争うことを放棄した種族ルジミオン。

美羽にはとても信じられなかった。

その、武装などしなくとも、絶対安全と思っていた彼らに天敵が出現したのだ。

自ら武装することができない彼らの取る道は逃げるか狩られるかの二つに一つだった。

ユリアらにできることは、武器を持つ文明に接触し、その助けを借りることだけ。

そうしてその報奨として、ルジミオンが持つ莫大な知識を分け与える。

そのためにユリアらルジミオンの生き残りは、自分らを救ってくれる文明を探す旅に出たのだという。

ベム《バグリーチャー》を殲滅する兵器。

美羽にはひとつだけ心当たりがあった。

自衛官の大翔が言っていた兵器。それさえあればユリアの願いは叶う。

明日になったらそのことを教えてやろう。

そう思いを馳せながら、美羽は深い眠りについた。


――ユリアは、そんな美羽の幼いが純真でくもりの無い思考を愛でながら走査し、美羽が眠ったと知るや、その想いを、遥か遠い銀河へ向けて放った。




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  3章「Iyomante《イヨマンテ》」

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  0 ~クロス~
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反政府ゲリラと言えば聞こえが良いが、やっていることはただの窃盗、強盗、追剥ぎという盗賊まがい。ならず者の集団がいた。

道民にも自衛隊にも嫌われている厄介者たち。

それが北海道を拠点とするレジスタンスの風評だった。


学生服を着た若い男が、高台になった丘から双眼鏡を覗き込んでいた。

ほぼ平坦な更地になってしまった北海道《バグネスト》だが、さすがに多少の高低差はある。

北海道解放同盟イヨマンテ。

その幹部である黒須川は、斥候に出た先で、ツーアイズチームを補足した。

クロスカワだからクロス。

進んで危険な任務に赴き、常に成果をあげていた黒須川は、いつの間にはそう呼ばれるようになっていた。

黒須川の右耳には異常な数のピアス穴があけられていた。

難民の証として耳たぶに刷り込まれた発信タトゥーを、ピアス穴をあけることで無効にしたのだ。

それにより、自衛隊が管理する難民マップ上には、黒須川の姿は映らない。

そのような理由もあり、彼は斥候として抜擢され、重宝されていた。

他のレジスタンスにも、彼と同じようにタトゥーを削いだ者は存在した。

だが、最初にそれを実行したのは、他でもない、黒須川その人だった。

「……一六、一七、一八台か。大漁だな。しかしあの数を制圧できるのか? まあ決めるのはオレじゃないしな。とりあえず連絡を入れるとしますか」

脇に伏せてあったバイクを起こし、キックでエンジンを付ける。

常にエンジンの調子が悪いボロボロのバイクであったが、この北海道では貴重な足だった。

黒須川は愛車のGTサンパチに跨ると、アジトに向かってスロットルを回した。

大型トレーラーを筆頭に、延々と連なるトラックの群れ。久々の大物を前に、黒須川は少し興奮していた。



  1 ~マンイーター~
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配給品の不味い国産たばこを燻らしながら、マンイーターは黒須川の帰りを待っていた。

最後にボランティア団体を襲ったのは一ヶ月前のことで、その時奪った配給品も、そろそろ尽きかけてきていた。

筋骨逞しい体躯に、手入れがまったく行き届いてない長髪は、見る者に不快感を抱かせる。

レジスタンスでもっとも年長で、キレると恐ろしいという理由だけでリーダーになったマンイーター。

その短気で粗暴な黒衣の男は、人望よりも、恐怖でレジスタンスを仕切っていた。

「オッセエなぁ。クロスのヤロウ……」

マンイーターは、たばこをフィルター近くまで吸い尽すと、ヤニ色の唾液と共に床に吐き捨てた。

そんなイライラしているマンイーターを、他のメンバーはオドオドしながらが見守っていた。

だだ一人、アメジストの双眸に、長いストレートの髪を持つ若い女性だけが、冷静にマンイーターの動向を伺っていた。

最後のたばこを吸い尽くして、パッケージを壁に叩き付けたマンイーターのイライラは頂点に達していた。

「バックレやがったのかアノやろう!」

手に持った拳銃のグリップで、コンクリートの壁を叩く。

もろくなったコンクリートの破片が剥離し、パラパラとこぼれ落ちる。

狭く、暑苦しい廃虚ビル内の緊張が高鳴る。

その時である。不規則なサイクルで回転するエンジン音が遠くから聞こえてきた。

黒須川のサンパチのエンジン音だった。

「ちっ。ようやく帰ってきやがったか」

黒須川の帰還により、アジトを被っていた緊張感が溶けてゆく。

「ただいま戻りました」

一七歳とまだ若いが、その明晰な頭脳と行動力は、レジスタンスのサブリーダーとして相応しく、皆がそれを認めていた。

なにより黒須川には人望があった。

だが、それこそがマンイーターを不機嫌にしイライラを募らせる原因でもあった。

「オッセエぞクロス! どこで油売ってたんだ!」

「そう怒鳴らんで下さいよリーダー。それよりも大物を見つけましたよ。大型トレーラー一両に、大型トラック一八両。それと装甲車が二両。摩周湖方面に向かって移動してましたよ。ただし相手は自衛隊です。装甲車が護衛していることから武装してると見るのが妥当でしょう。どうしますか?」

黒須川の報告に、マンイーターの目の色が変わった。

ニヤニヤと顔が緩んでいる。すでに略奪後のことを考えているのだ。

前にも一度自衛隊を襲ったが、被害ゼロで略奪できた。

運が良かっただけなのかもしれないが、ロクな武器も持たずにそれをやり遂げた自信がマンイーターにはあった。

そうしてそのときの戦利品が、拳銃や自動小銃がいまは手元にある。

内地で平和に浸った自衛隊になど負ける気がしなかった。

「武装してない自衛隊なんて居るか? モチロンやるさ。急いで仕度しな!」

マンイーターの掛け声で、レジスタンスたちは一斉に立ち上がった。


夕暮れ。もうすぐ日が沈む頃、レジスタンスは移動を開始した。

闇に紛れて奇襲する作戦だった。

これまでもこうやってきたし、これからもそうするだろう。

失敗しない限りずっと繰り返す単調な作業だ。

「どうしたノア、いかねえのか?」

自衛隊から奪ったトラックの運転席から、マンイーターが長髪の女性に声をかける。

「行くわよ。だけどそんな暑苦しいトラックに乗るのはいやよ。今日はクロスのバイクに乗ってゆくから先に行ってていいわ」

防塵用に、ゴーグルとマスクを付けて、ノアは黒須川が跨るバイクに腰掛けた。

「そんなボロバイクの乗るなんて物好きだな。どうでもいいけど遅れんなよ」

レジスタンスたち一二人を乗せたトラックが、黒煙を吐きながらアジトを出発した。

「さてと、アタシたちも行くわよ」

「姐さん、しっかりつかまってて下さいよ」

「はん。このポンコツに、そんなスピードが出るのかい?」

「ひでえな」

黒須川は脅かしてやろうと、スロットルを思いっきり回したが、エンジンはプスンプスンと情けない音を立てて止まってしまった。

「やべっ!」

「やべえじゃないよ。どうすんのさアンタ?」

「……どうしましょう?」

黒須川は慌ててバイクを降り、プラグを掃除したり、交換してみたりと、色々試してみた。

「だめだなこりゃ」

結局バイクは治らなかったので、ふたりは仕方なく虎の子のジープで追いかけることにした。

「急がないとマンイーターにどやされるよ」

「分かってますって、しっかり捕まっててくださいよ」

今度こそ。

黒須川は、慎重にアクセルを踏み込んで、ジープをを走らせた。





  2 ~報告書~
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陽菜はかなり苛立っていた。

先日の難民の一件といい、大翔の自分を小馬鹿にしたような態度といい、何もかも気に入らなかった。

思い出す度に、報告書をタイプする指が震える。

なによりも頭にくるのが、命の次に大事にしなければならないはずのゼロのキーアイテムを、あろうことか難民の子供に渡してしまった大翔が、全く反省してないことだった。

思い出すだけでも腹が立った。

「ぐ、軍法会議ものですよっ!」

「予備がいくつかあっただろう? それを出してくれよ」

「あのリストウォッチにはゼロの機密が色々入ってたんですよ? 情報が漏洩したらどうするつもりなんですかっ!」

「情報が漏洩? どうやってするんだ? あの娘たちにそんな技術力はないさ」

「あの子供になくても、あれがレジスタンスの手にでも渡ったらどうするんですか」

「プロテクトキーを解除しなきゃ中のコードは見えないんだろ? そんなにセキュリティに自信がないのかい?」

「セキュリティは完璧ですっ。世界中の演算機を使用しても解読には百年以上かかります」

「ベリーグット! じゃ、なんの問題も無いじゃないか。ほんじゃおやすみ」

そういってキャンプに戻っていった大翔を、陽菜は憤怒の表情で睨み付けていたが、大翔は気にするそぶりも見せない。

陽菜はいま、その大翔の自衛官としてあるまじき行為を告発すべく、報告書をまとめている最中だった。

「みてなさいよ。絶対にチームから追い出してやるんだからっ」

大翔の素行に対する報告書は、原稿用紙に換算すると、既に五〇頁を越えていた。


哨戒任務は陽菜の仕事ではないが、特異点発生時の時空歪曲率の波形などは、素人である自衛官が見ても判断に困り、少しでもおかしな数値を検出したら、その都度陽菜に報告があがってくる。

陽菜も、始めは真面目に波形を分析していたが、こうも頻繁に分析依頼が来ると、その目も多少曇ってくる。

慣れというのもあって、多少の波形では問題視することはなくなった。

そうして今日も、哨戒任務にあたっている自衛官から、定期的に報告があがってくる。

「観測所から波形が送られてきましたので転送します。あと、難民マップを確認したところ、数十名単位の難民がこちらに向かっています」

「了解しました。引き続き警戒を怠らないでください」

陽菜はそれだけいうと、報告書の続きを書き始めた。

それから三〇分くらい経過した時、再び報告があった。

「観測所から警告。時空歪曲率に変動発生。チェックお願いします」

「……わかりました。データを送ってください」

報告書作成がノってきたころだっただけに、陽菜の感心は薄かった。

そうして送られてきたデータをざっと眺めただけで、問題なしと断定した。

そう返答した直後、今度は難民がキャンプ地のすぐ側まで来ていると連絡が入った。

「どうしてここまで放っておいたんですか?」

「さ、三尉殿の言う通り警戒は怠っておりませんでした」

難民マップを見る限り、もう目と鼻の先まで来ており、肉眼でも目視できる距離まで近付いていた。

「ここまで近付かれては意味が無いでしょう? 武装した兵士を連れて追い返してください。移動に従わないようなら難民キャンプまで強制送還してください」

「了解しました」

陽菜は通信機を置くと、ため息をついた。

「今日は厄日だわ」

書きかけの報告書を保存し、パソコンを閉じると、陽菜はトレーラーのモニタ画面に難民マップを表示させた。

「一二名。どこへ向かうつもりだったのかしら? この辺のキャンプは阿寒湖くらいしかなかったはずだけど……。釧路キャンプに行くにしてはルートがおかしいわね」

ひとりぶつぶつと呟いていると、突然トレーラーのドアが開いた。

「えっ?」

「なにをボサッとしてんだ。早く各員を戦闘配備につかせろ。連中は難民なんかじゃねえぞ。十中八九レジスタンスだ!」

大翔は、指揮車両であるトレーラーに乗り込むと、自衛官らを叩き起こすサイレンを鳴らし、戦闘配置の命令を下した。

大翔の行動をポカンと見つめていた陽菜は、言われてみれば確かにその通りだと思った。

そうしてその考えに至らなかった自分の迂闊さが恥ずかしくなり頭を垂れた。

「気にするなよ陽菜くん。キミは技術職なんだから、それに見合う仕事をすればいいんだ。引き続き警戒頼む。俺は護衛チームとレジスタンス鎮圧に向かう」

大翔はそれだけ言うと、トレーラーから飛び降りた。

「追い返しに行った連中にレジスタンスかもしれないって連絡入れといてくれよ!」

大翔の怒鳴り声がキャンプ地に響く。

「私にできること……か」

そう呟いた陽菜の視線の先に、警戒を促す俺ンジ色のLEDが点灯していた。慌ててモニタの画面を切り替えると、そこには警戒レベルを遥かに越えた時空歪曲率の波形が写し出されていた。

「う、うそ! よりによってこんなときに……」

陽菜は急いで上園一曹を呼び出した。




  3 ~浅知恵~
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カモが歩いてきやがる。

マンイーターたちレジスタンスは難民を装って、近付いてくる自衛官を待っていた。

至近距離に達したとき、隠し持った武器で間抜けを取り囲んで身包みを剥ぐ手筈だった。

そうして間抜けから奪った通信機を使って少しずつ応援を呼ばせ、先と同じ手順で無力化してゆく。

マンイーターたちの前に歩いてくる自衛官は三人。

こちらは黒須川とノアがまだ到着していないが、それでも一二人居る。

全員武装しているので確実に勝てる。

「これだけの大部隊なら女もいるかもな。よかったなお前ら」

マンイーターの下卑た言葉が意味するものを汲み取ったレジスタンスたちは、マンイーター同様含み笑いを漏らした。

殺さない。犯さない。

そういう理念を掲げていたが、それは口うるさいノアを牽制したものであった。

彼女が見ていない裏で、マンイーターたちは暴虐の限りをつくしていた。

幸いなことに、いまノアは居なかった。

制圧さえしてしまえばやりたい放題だった。


あと数十メートルで間合いに入るというところで、自衛官の足が止まった。

暗くてよく見えないが、なにやら通信しているようだ。

「チッ!」

マンイーターが舌打ちする。

「どうしたんですかね」

「どうしますボス」

「ウッセーな。いま考えてる」

マンイーターは迷った。

ひょっとしたらバレたかもしれないという疑念がマンイーターの脳裏に浮かんだ。

だが、仮にバレたとしても、目の前の自衛官を捕らえ、人質にして交渉すればいい。

だとすれば答えはひとつだった。

「バレるまえにやるか!」

マンイーターはダブダブの黒衣をを翻して、自動小銃を剥き出しにした。

「イクぞ!」

マンイーターの号令によって、レジスタンスたちは一斉に自衛官に向かって走った。

レジスタンスが襲ってくるのを確認した自衛官らは、多勢に無勢なので逃げ始めた。

「逃がすなよ! 殺しても構わねえが、一人は生きたまま捕らえるんだ!」

暗闇の中。銃声と火花が舞う。

めくら撃ちなので、そうそう当たるものではなかったが、偶然の一発が、自衛官の足を捕らえた。

「ぐわっ」

大腿部を射抜かれた自衛官が地面に突っ伏して倒れ込む。

「斎藤三曹大丈夫か?」

「自分に構うな、逃げろ」

「俺の肩に捕まれ……」

二人の自衛官が斎藤三曹の肩を担いで持ち上げる。

そうしてキャンプ地に向かって逃げようとした時、自衛官の足元に銃痕が走った。

それはマグレや偶然ではなく、正確な射撃によるものだった。

「アハハッ! チェックメイトだ間抜けども」

自衛官を取り囲むように、マンイーターたちレジスタンスが包囲していた。


「イヤイヤ、投了するのはオマエさん方だよ。早く『ありません』とか『まいりました』とか言えよ」

突然、マンイーターの背後から車載スピーカーの音が聞こえた。

驚いて振り返ると、まるで振り向くのを待っていたかのように、強烈なライトが灯った。

「うわっ」

眩しくて目が眩んだレジスタンスの隙をついて、ライトを灯すトラックの両脇から、装甲車が二台突っ込んできた。

慌てて装甲車を避けるマンイーターたち。

その混乱に乗じで、トラックは囲まれた自衛官を回収していた。

「あー、あー、レジスタンスの諸君。武器を捨てて速やかに投降したまえ」

今度はレジスタンスを照らし出すかのように、照明が四方から灯る。前後左右をトラックによって包囲されていた。

そうしてそのトラックからワラワラと武装した自衛官たちが降りてきて、マンイーターたちレジスタンスに銃口を向ける。

「死にたくなかったら五秒以内に武器を捨てるように。はい! いーち、にーい、さーん……」

スピーカーから聞こえる声に、気の弱そうなレジスタンスの一人が武器を捨てた。

それを見たレジスタンスたちは、連鎖反応のように次々と武器を捨てていった。

最後にマンイーターだけが、状況を飲み込めないまま武器を握り締めていた。

「そこの人、死にたいの? よーん、ごー……」

レジスタンスの一人が、マンイーターから武器を奪って、投げ捨てた。

「よろしい。えーと、杉本一曹。あとはまかせたから」

「了解しました」

大翔は隣に座った杉本一曹に事後処理を任せ、トラックから降りた。


  4 ~初陣~
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拘束され、連行されるレジスタンス。
自動小銃を構えてその様子を見送る大翔の元に、伝令が駆け付けてきた。

「結城二尉殿、伝令です。沢井三尉殿より至急連絡してほしいと連絡がありました」

「ん、分かった。通信機借りていい?」

「はい、どうぞ!」

自衛官は大翔に通信機を差し出した。

「もしもし、どうしたの陽菜くん?」

「た、大変です。時空歪曲率が増大しています。過去のパターンと照合したところ、九割の確率で出現します」

「なにが出るの?」

「なにって、バグリーチャーです。ゼロの着装準備は整ってます。急いでコンテナまで来てください」

「ふう、なんだか今日は色んなことが起こるね」

「感慨に耽ってないで早く来てください」

「はいよ」

大翔は通信機を伝令に放り投げると、駆け足でトレーラーに向かった。


トレーラーコンテナに乗り込むと、既に上園一曹とその部下達が、大翔の到着を待っていた。

「お待ちしておりました。結城二尉殿。ゼロの方はいつでも出せます」

「五分くれ。着替えて身体を作る」

大翔はインナースーツを掴み、大急ぎで着替えた。

インナースーツを着込んで、インカムのスイッチを入れた矢先、

「キャアアアア!」

と耳をつんさく悲鳴が聞こえた。

「どうしました沢井三尉殿」

「し、陽菜くん。もう少し静かに悲鳴をあげてよ。鼓膜が破れるかと思ったよ」

「静かに悲鳴なんて、そんな器用なことできません。それより、でました。バグリーチャーの固体と思われる質量を、特異点ゲートから現れるのを観測しました!」

もともと高い陽菜の声は、緊張で裏返り、カナキリ声になっていた。

「バグリーチャーは一匹だけなの?」

ゼロに乗り込みながら大翔は確認する。

「現在は一体のみです。ですが、まだ特異点ゲートが存在するんため、新たに現れる可能性が、ああっ、来ました。二体目です。続いて三体目も来ました」

陽菜の声は悲鳴に近かった。

「落ち着こうよ陽菜くん。とりあえずこのゼロは、最大五体までのバグリーチャーと同時に渡りあえる性能を持ってるんだろう?」

「は、はい、ミドル級なら五体まで対応可能です。ただ、ライト級なら二体、ヘビー級なら一体までという理論値が算出されています」

「出現したバグリーチャーのサイズは?」

「ライト級一体、ミドル級二体です」

「続報ある?」

「はい?」

「特異点からまた出てくる気配はあるの?」

「あ、特異点反応減少してゆきます。これまでの観測値から推定すると、これ以上のバグリーチャーの出現確率は極めて低く、このまま特異点は消滅すると思われます」

「上等! なら敵は三体だけだな。上園くん。武器は何がいいかな?」

「はい。ライト級ならスタンワイヤで動きを止め、ハンドグレネードでとどめを刺す戦法が有功かと思われます。また、ミドル級にはスタングレネードで動きを止め、リニアカノンでトドメを刺してください」

「レールガンは?」

「アレはヘビー級用です。それに、ライト級やミドル級だと動きが素早くて、その、恐らく当たりません」

「俺の技量じゃ当たらないってか」

「そ、そういう意味ではありませんよ。二尉殿」

「冗談だよ。それじゃあ装備の換装を頼む」

「いま述べたのが標準装備になっているので、もうできてます」

「そうかい。じゃあ出撃する」

ゼロのハッチがゆっくりと閉じて行く。

中世の甲冑を現代風にスタイリッシュにアレンジし、ボリュームアップしたよう形をしたゼロの姿態、その頭部センサーが作動し、バイザーがグリーンに染まる。

インテリジェンスインパクトスーツ、通称ツーアイズ・ゼロ。

その白銀の騎士が、ハンガーから射出され、大地に解き放たれた。


軽口を叩いてきた大翔だが、バグリーチャーとの戦闘経験は皆無だった。

シミュレーションによる模擬戦なら、百時間以上行っており、八割以上の勝率を収めている。

だが、バグリーチャーに同一固体は存在しない。

類似する個体は居るものの、殆どが一体ごと形状が異なり、その性格や特性も異なる。

生物と考えれば当たり前のことだった。爬虫類や哺乳類が異なるように、人間でも大翔や陽菜が異なるように、バグリーチャーにも個性がある。

確認された三七体のバグリーチャー全てと模擬戦を行ってきた結城だが、最初に特性を見誤ると、かなりの苦戦を強いられることは、シミュレーションによって実証されていた。

「結城二尉。ライト級の一体がこちらに向かってきています。時速約九〇キロメートルのスピードです。三〇秒後には到達します。キャンプ内に進入させないよう牽制してください」

「了解。他の二体は?」

「こちらに向かってはいますが、ミドル級アルファは四〇キロメートル、ミドル級ブラボーは二〇キロメートルです」

「時速九〇キロか……。ちょっと厄介だな」

「気を付けてください」

「優しいんだね陽菜くん」

「ゆ、結城二尉が頑張らないと皆が困るんですっ!」

「そうだった。装甲車両の連中と重装歩兵をバグリーチャーの進行方向に展開よろしく」

「展開まで一分を要します。それまで最初のライト級を足止め願います」

「足止めなんて面倒臭い。撃破してみせるさ」

大翔はフットペダルを踏み込み、ゼロの踵部に仕込まれた無限軌道ホイールを展開させ、砂ぼこりを舞わせながら、バグリーチャーに向かって一直線にゼロを走らせた。

二足歩行だと、走ってもせいぜい時速二〇キロメートルがやっとであるが、この無限軌道ホイールで加速することにより、直線なら最高八〇キロメートルで走破できる。

「相手は時速九〇キロか……。一〇キロ負けてるな」

エネミーハザードが点灯する。バイザースコープにバグリーチャーの姿がロックオンされ、補足した画像が拡大される。

それはまるでカンガルーを凶悪化したような、なんとも言えないデザインをしていた。

太い二本の脚と対照的に痩せた上半身と二の腕。

首から上はなく、胸部に瞳らしきものが確認された。

全身を被う体毛は針ねずみのように太く鋭く、指先もアイスピックのように鋭く尖っていた。

「さてと、どう料理するかな」

大翔はゼロが持つユニークライフルに、散弾を装填した。

「これでも食らえ!」

バグリーチャーに向けて発砲した散弾は、射線上を三五度の角度で拡散する。射線上に居たバグリーチャーはその鉛の玉を避けようとせず突っ込んできた。

散弾とは言え、バグリーチャー用に開発された物で、その一つ一つの威力はライフル銃に匹敵する。

だが、その威力をもってしても、バグリーチャーの進行を止めることは叶わなかった。

僅か一瞬、グラついただけである。

「マジかよ」

バグリーチャーとの距離はもう一〇〇メートルも無かった。次の弾丸を装填している暇はない。

「しゃあねえな」

大翔は上園が言った通り、ゼロの手の甲に仕込まれたスタンワイヤを射出するべく構えた。

もの凄いスピードで、バグリーチャーがゼロに迫る。

それぞれの固体により性格が異なるバグリーチャーだが、唯一共通する特性があった。

それは、一番近くに居る生命体を狙うというものだった。

つまり、ここでゼロに乗った大翔が絶命しない限り、バグリーチャーはゼロに攻撃を加え続ける。

逆にパイロットが死亡した場合、たとえゼロが無傷でも、バグクリーチャは素通りするだろう。

ゼロとバグリーチャーの距離が無くなり、重なり合う。

ゼロに覆い被さるように襲ってきたバグリーチャーがのけぞるように弾き飛ばされる。

ゼロの手の甲より射出されたスタンワイヤが、バグリーチャーの胴体を貫いて一直線に伸びていた。

「電撃浴びてくたばりやがれっ!」

スタンワイヤに高圧電流が流れる。象を一瞬で即死させる電流だ。

「そしてとどめだ」

左手の上腕部に内蔵されたハンドグレネードを射出する。

一発、二発、三発と、立て続けに爆発が起こる。

「どうだ?」

埃が舞い視界が悪くなる。

「ライト級バグリーチャー、仮称ナンバーライトアルファの沈黙を確認しました。後続のバグリーチャー来ます。油断しないで下さい」

視界が晴れないうちに、陽菜がバグリーチャーの撃破と、再接近の胸を告げる。

「二体同時か……。大丈夫かな?」

「装甲車両と重装歩兵の展開完了しました。結城二尉は後退しつつ、素早い方のミドルアルファにターゲットを絞ってください」

「そうかい。そりゃ助かる」

大翔は、次に現れるバグリーチャーに備え、ユニークライフルにナパーム弾を装填し、後退を始めた。


通常、戦いにおいては、小型の方が組し易く、大型の方は退治が困難と思われがちだ。しかしバグリーチャーに限っては、そうとは言いきれなかった。

バグリーチャーの最大の脅威は、そのスピードにあった。

時空の歪みにより、バグネスト内では誘導兵器が使用できないという弊害が生じていた。

そのため、速度は強力な武器と成り得た。

高速で移動するバグリーチャーに対する有効な兵器を見出せなかった自衛隊にとって、先ほど見せたゼロの活躍は、大いに喜ばしい戦果であった。

足ののろいバグリーチャーはそれほど脅威ではなかった。

そうして、大型バグリーチャーの殲滅は、マンモスの狩猟に似通っており、距離をおいて地道にダメージを与え続けていれば、なんとか撃退できた。

つまり、最初の高速バグリーチャーを撃退した時点で、ツーアイズチームの勝利は確定したのだ。

「いいか、無理に倒そうと思うなよ。牽制すればいい。早い方を倒したら俺がでかい方もやるから無理だけはするなよ。この状況で万が一にも負けるとは思わないが、無駄な犠牲だけは出したくない」

装甲車両と重装歩兵が並ぶ防衛ラインまで戻ってきた大翔は、インカムでそう指示を出すと、再び迫り来るバグリーチャーに向かって歩き始めた。



  5 ~勝利と敗走~
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ことの成り行きを一部始終を見守っていたノアと黒須川は、二人そろって大きなため息を吐いた。

「なによあれ?」

「最近噂になってるバケモノじゃないっすか? あんなの相手によく戦えるな」

「つまりアタシたちは自衛隊の中でもとびっきりの戦闘集団に喧嘩売ってたってワケ?」

「そうみたいっすね。オレたち素人じゃとても太刀打ちできそうにないわ」

「それよりどうするの。助けるならこの混乱に乗じた方がいいんじゃない?」

「そうだけど、このジープは五人乗りだから全員は助けられないないっすよ。どうしましょうか?」

「とりあえずはリーダーを優先して、あとは車を運転できる奴と武器を扱える奴、まあ適当に拾える奴を回収すればいいんじゃない?」

「ですね」

二人はジープに乗り込み、エンジンを始動させた。

かなり混乱していたので、闇夜の中二人が乗ったジープは、自衛隊のキャンプに違和感なく溶け込んだ。



「撃てーっ!」

護衛チームのリーダー、村雨二尉が号令をかける。

その号令に呼応するように、もの凄い量の弾丸が、雨のようにバグリーチャーに降り注ぐ。

「派手にやってるなぁ。実戦経験が有ると無いとじゃまるで違うね」

大翔は感心したように呟く。

ツーアイズチームの護衛として、バグネスト方面隊、第一三師団、第一三特科大隊より、バグリーチャーとの交戦経験のある村雨二尉を隊長とする、二四名の第二中隊が派遣されていた。

ツーアイズチームと呼ばれる特務四科は五四名の人員で構成されていた。

先の護衛部隊が二四名、技術チームが二〇名。ゼロのパイロットが一名。医師が一名に看護師が二名。運転手、通信などの雑務が六名という内訳になっていた。

大翔と村雨が戦闘している間、技術チームは、その戦闘データを漏らさずモニタしていた。陽菜もゼロのオペレータとして、結城に指示を出すので精一杯だった。

誰も、彼も、バグリーチャー撃退に忙しく、暇を持て余している人員など居なかった。

そこに、レジスタンスのつけいる隙があった。


マンイーターたちレジスタンスは、自衛隊のキャンプの隅に後ろ手に手錠をかけられ、その手錠にワイヤを張られ、ひとまとめにされていた。

そうして二人の見張りがマンイーターたちを監視していたが、その感心はその場になく、バケモンの退治がどうなっているのか気になって仕方がないといった感じを受けた。

「とりあえずわたしが注意を引き付けるからヒロはマンイーターたちを救助して」

「引き付けるってノア。一体どうするつもりなんだ?」

「まあみてて」

ノアは黒須川にウインクすると、見張りの自衛官に向かって駆け出した。

「きゃああああぁぁ……」

と、悲鳴を上げながら、ノアは自衛官に向かって走った。

「だ、誰だ!」

「止まれっ!」

自衛官は、悲鳴を上げるノアに対して銃を構えるが、ノアは銃など眼中にないという慌て様で、そのまま走り続けた。

「助けてっ! バ、バケモノがこっちに……」

必死の形相でノアが叫びながら駆けてくる。

その迫力に、見張りの自衛官は一瞬戸惑いを見せた。

「ほらあそこっ!」

ノアは黒須川の方を指差した。

それに気付いた黒須川は、「なんてこった」と悪態を吐いて、慌ててその場を離れようとした。

「早く、早く退治してっ!」

ノアの迫力に気圧された自衛官は、黒須川を確認すると、自動小銃を構えて発砲した。

だが、ノアが自衛官に体当たりしたおかげで、その狙いは逸れ、弾丸は明後日の方向に飛んでいった。

「こら、放せ!」

「いやっ助けてっ!」

ノアは思い切り自衛官の腕を握り、その銃口を黒須川からそらした。

「分かった。分かったから落ち着け、おい、お前は村雨二尉に報告してこい」

「しかし……」

「いいから行け」

「はいっ」

もう一人の自衛官は、ノアとレジスタンスを残して、その場を後にした。

「もういいぞ。安心し……」

自衛官がノアにそう声をかけた瞬間、彼の後頭部に衝撃が走った。

ノアの持ったスタン警棒が脊椎に命中したのだ。

「ぐはっ!」

「ごめんなさいね」

ノアは自衛官の腰から手錠の鍵を奪い取ると、マンイーターらの戒めを解いてやった。

全員の拘束を解いた頃、黒須川が運転するジープがやってきた。

「いいタイミングだよクロス」

「クソッタレがっ!」

後ろで拳銃の発砲音が鳴り響く。マンイーターが自衛官に向けて発砲したのだ。

「バカッ、殺しは御法度って……」

「コロシちゃいねーよ」

見ると、太股を射抜かれてのた打ち回ってる自衛官の姿があった。

「仲間を呼びに行かれちゃ困るだろ?」

「気絶してたじゃないか! それに、手錠をかけりゃ済むことだろ。それよりもグズグスしてたらまたみんな捕まるよ」

ノアはマンイーターを睨んだまま、ジープの助手席に乗り込む。次いでマンイーターと、その側近二名が、後部座席に乗り込んだ。

「お、おれたちは?」

「置いてかないでくれよー」

残されたレジスタンスが情けない声をあげる。

「オマエラは走ってついてこい。出せよクロス!」

砂塵を巻き上げ、黒須川が運転するジープが発車する。

「ま、待ってくれよ!」

「おーい!」

その後を追いかけるように、レジスタンスたちが走ってついて行く。

しばらくすると、自衛隊キャンプから歓声がが聞こえてきた。バグリーチャーを殲滅した歓喜の声だった。

「クソッタレ! このままじゃ済まさねえぞ。絶対に……」

ジープの車上。マンイーターの呪詛のような呟きが、闇夜に溶けるように響く。




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  4章「01《ゼロワン》」

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  0 ~ピクニック~
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今日は天気も良く、風も無風に近かったので、美優はシャクシャインの許しを得て、外に遊びに出た。

「おねえちゃんはどこに行ったの?」

「今日は屈斜路湖で釣りをしているはずだが、美優の足ではそこまでは行くのは無理だぞ」

「じゃあつれてってー」

「ワシは別の用事がある。よいか、ここから一キロ以上離れるんじゃないぞ」

「はぁい」

美優は不承不承返事をすると、シャクシャインは美優の頭を撫でて外出した。

「ねえねえユリアいる?」

シャクシャインが完全に見えなくなったのを見計らい、美優は服のポケットに入れた深緑の珠を取り出した。

それは精神生命体であるユリアの乗った生命維持カプセルだった。

もちろん、そんなことを美優が知る由も無かった。

(いるわよ。どうしたの?)

ユリアは美優の意識に直接返事をする。

「おねえちゃんのところへ行きたんだけど場所とかわかる?」

(場所って、それはすぐに分かるけど、いまシャクシャインが行っちゃ駄目って言ってたでしょう)

「うーん。そうなんだけど。でもおねえちゃんが狩りしてるところ、あたし一度も見たことないんだもん」

(しょうがないわね。でも結構遠いわよ。大丈夫?)

「だいじょうぶ。かえりはおねえちゃんにおんぶしてもらうから」

(あっ、そう……)

ユリアは屈斜路湖で釣りをする美羽の意識を探して、テレパシーを飛ばし、今から美優と二人で行くことを告げた。



  1 ~弟子屈町~
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ツーアイズチーム指揮車両。

その巨大コンテナトレーラーには、居住モジュールが搭載されていた。

シャワー室、トイレ、簡易ベッドと小さなデスクが、六畳間くらいのスペースに、コンパクトにまとめられている。

ここはプロジェクトリーダーの陽菜に与えられた部屋であり、指揮車両から片時も離れずに済むように考案されたものだった。

陽菜がこのバグネストに上陸してから、彼女がバグネストの土を踏んだのは、僅か数時間足らずである。

汗と埃を洗い流すため、熱いシャワーを浴びる陽菜の肢体は、まだ少女と言っても過言ではない。

このツーアイズチームの構成メンバーの殆どは一〇代の学徒自衛官である。

そうして大翔がそうであるように、陽菜もまた被災孤児であった。

陽菜だけではない。この場に存在する学徒自衛官の殆どは、一〇年前の事故によって両親を無くした孤児たちで構成されている。

訓練は厳しく、一〇代とはいえ、内地でぬくぬくと育った同世代とは比べ物にならないくらい、彼女らは鍛えられた。

身体的能力が乏しかった陽菜は、いつしか情報分析、開発部門へとその才能を開花させてゆく。

その結果が、いまの現状である。

普段は軍服に身をつつみ、女としての弱みを見せまいと、気を張っているが、裸になってシャワーを浴びている時だけは、無防備で気弱な女に戻れた。

根が真面目で小心者の陽菜には、プロジェクトリーダーとしての責務は重たかった。

だが、初めての実戦で、ゼロは開発者が予想していた以上の戦果を上げた。

開発チームの一員として、陽菜は素直に喜んだ。

大翔のパイロットとしての腕は確かなものだった。

いや、すでに大翔以上にゼロを扱える自衛官は居ないだろうと陽菜は思った。

シャワーを浴びながら、色々と考えていると、天井に取り付けられた防水スピーカーから陽菜を呼び出すアナウンスが流れた。

「沢井三尉殿、特異点反応が検出されました。データの解析をお願いします」

「わかりました。すぐに解析します」

陽菜はシャワーの栓を締め、バズタオルを巻いて浴室を後にした。


軍服に着替え、濡れた髪をタオルで押さえながら、指令本部にあたるトレーラーの助手席に座ると、隣の運転席にはすでに大翔が座っていた。

「風呂上がりかい? いつもの倍は艶っぽいね。その濡れた髪がとっても……」

陽菜はタオルを大翔に投げ付け、一言も発せずに、インカムを取り付けた。

「状況を報告願います」

「旧弟子屈町付近で特異点らしき時空歪曲率を検出しました。前日のバグリーチャー発生時と酷似しています」

「そのようね」

陽菜はモニタに写し出される時空歪曲率を眺めながら、そう呟いた。

「観測をおこたらないよう。データはバグネスト方面隊、第一三師団、第一三特科大隊の浜岡一佐に報告し、引き継いて貰ってください」

これ以上のバグリーチャー殲滅は、自衛隊の本隊に任せた方が良い。

ゼロの実戦データを取得したいま、これ以上危険な橋を渡る必要はないと陽菜は判断したのだ。

「いたっ!」

不意に陽菜の横顔に、濡れたタオルが投げ付けられた。

振り向くと、話を聞いていた大翔が、真剣な表情で陽菜を睨んでいた。

陽菜はタオルの文句をいうことも忘れ、その大翔の発する無言の抗議に当惑していた。

「な、何をするんですか!」

ようやく気を取り直した陽菜が、大翔に食ってかかる。

「何をするんですかだって? それはこっちの台詞だよ」

「なんのことです?」

冗談ではなく、本気で大翔の言うことが陽菜には分からなかった。

「正気か? いま弟子屈町に一番近いのは俺たちだ。釧路の第一三特科大隊が急いでも特異点まで到達するのに五、六時間はかかるだろう。だが俺たちなら一時間だ」

「それくらい分かります」

馬鹿にされてると思った陽菜の声には、少し刺があった。

「オーケー。そうしてあそこには美羽と美優、それにシャクシャインって家族が三人で仲良く暮らしている。沢井三尉も二日前に会ったから覚えているよな?」

大翔にそう言われ、陽菜はようやく難民の少女たちのことを思い出した。

だが、思い出したのは大きな初老の難民に馬鹿にされたという屈辱でしかなかった。

「な、難民登録もしていない道民を保護する義務はありません」

「義務はないって……。おい三尉! おまえそれ本気で言ってるのか?」

大翔の怒りと失望がないまぜになった瞳が、陽菜の目の前に迫ってくる。

いつものにやけた顔ではなく、真剣な表情。

その瞳は陽菜を怒っているというより、むしろ哀れんでいた。

陽菜は自分の発言を振り返っていた。

確かに言い過ぎた個所が有ることは認めざるを得ない。

自衛隊は国民を守るために存在する。

難民登録をしていなくても、美羽たちはこの荒廃した北海道《バグネスト》を必死で生きる、立派な国民だった。

だが、ここで自分の非を認めるのは、プライドの高い陽菜には耐え難い屈辱だった。

「も、もちろん本気です!」

心にも無いことを返答する陽菜。大翔の顔がみるみる曇って行く。

「沢井三尉。キミには失望した……」

大翔はそれ以上語らず、トレーラーのエンジンを始動させた。

「な、何をするんですか!」

だが、大翔はそれには答えず、通信機を掴むと、特異点の調査に向かうので全隊準備に取りかかるよう指示を出した。

「か、勝手にチームを動かさないで下さい!」

「降りろっ!」

「え?」

「おまえは降りろ」

大翔は陽菜を見ず、冷酷にそう言い放った。

「な、なんでそんなことをいう資格が……、あなたにそんな権限なんて無いでしょう!」

「美羽たちを見殺しにする権限があんたにはあるのか?」

「なんでそんな言い方をするんですか?」

「事実だろ?」

「そんなにあの女の子が気になるの?」

「当たり前だろ? 人命がかかってるんだぞ?」

「このプロジェクトの重要性は……」

「人間を三人見殺しにするほど重要なのかよ!」

それ以上言葉を発せないように、陽菜の言葉を大翔が遮る。

「と、東城一佐に報告しますよ?」

「したけりゃすればいいさ。それよか、いい加減鬱陶しいから降りてくんない?」

「あ、あなたの方が鬱陶しいじゃない。階級が上だからって威張らないでよ。プロジェクトリーダーはわたしなのよ」

「階級なんか関係ねえよ。なに勘違いしてんだこのバカ女は。そんなんだから彼氏もできないんだよ」

「彼氏が居ないとか、そんなの全然関係ないでしょ!」

陽菜は泣きながらドアを開け、自分の城である居住モジュールの中に逃げ込んだ。

「まったく、あたまでっかちの技術屋の女ってのは扱い辛いったらねえや」

大翔は頭を掻き毟り、トレーラーのクラクションを鳴らした。

ほどなくして、全隊の発進準備が整った。

「いつでも行けます」

インカムから上園一曹の声が聞こえる。

「それじゃあ出発する。目標は弟子屈町に発生した特異点だ」

燃料電池の電力が、大型のモーター音を唸らせ、大翔を乗せたトレーラーが動き出す。

そのトレーラーに付き従うよう、数十台のトラック、装甲車両が後を追った。



  2 ~沼地での異変~
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僅か一〇年前は、山々があり、原始林が茂っていたこの屈斜路湖周辺も、いまでは吹き飛ばされ、なぎ倒された木々が横倒しになって腐食しており、屈斜路湖の水が染みて足場の悪い沼地となっていた。

そんな足場の悪い沼地を、美優は何度も転び、泥だらけになりながら美羽の元へと進んでいた。

もはや何色だったのかも分からなくなった泥だらけの格好で突き進む美優だが、ぬかるんだ足場は、彼女の体力をいたずらに消耗させた。

立ち上がったそばから苔に足をとられ、ベシャっという音と共に倒れ込む。

何度目なのか、数えるのも面倒なくらい、美優は転んでいた。

(どうしたの? 起きなさい)

「もうやだっ!」

(やだじゃないでしょう。こんなところで寝てたら病気になるわよ)

「もうつかれた。もう一歩も歩けないよ」

美優は手足をばたつかせて泣き出した。

(困った子ねぇ……)

ユリアは仕方なく、美羽の思念を探ろうと、その思考を拡散させた。

だが、ユリアの思考は美羽の思念を掴む前に、この地帯の異常な空気を感じとった。

(なっ! こ、これは!)

思考を拡散するとき、ユリアは異常なほどの時空の歪みを感知した。

(特異点に相転移反応! それも近い)

ユリアは慌てた。

この嫌な感じは紛れも無く特異点より何者かが現れようとしている兆候だった。

そうして、あのベム《バグリーチャー》がやってくる可能性も否定できなかった。

ユリアの一族を襲った貪欲なベム。

この地ではバグリーチャーと呼ばれるバケモノが、この近くに出現するかもしれないのだ。

先日もバグリーチャーの出現を感知した。

しかしここから離れていることと、美羽が言う自衛隊が殲滅したのか、その存在そのものが消失したので、美羽や美優にその事実を話してはいない。

いたずらに不安を煽るのは良くないと判断したからだ。

だが今回は違う。

バグリーチャーは最も近くの生命体を襲うという特性を持つ。

そうしてその嗅覚は鋭敏である。

もしもバグリーチャーが出現したら、まず真っ先に美優や美羽が狙われるだろう。

もちろんユリア自身も。

(美羽! 聞こえるなら返事して! 美羽ッ!)

ユリアは全方位に向けて思考を走らせた。


一方その頃。

美羽は先ほどから妙な胸騒ぎがしていた。

虫の知らせというのか、第六感というのか、とにかく、嫌な予感がした。

釣りの手を休め、辺りを伺っていると、誰かが自分を呼ぶような声が聞こえた。

耳を澄まし、神経を集中させる。

(美羽……、美羽……)

確かに聞こえた。ユリアが呼んでいるのが美羽には分かった。

「どうしたの?」

美羽は思考と言葉を同時に発した。

(危険が迫ってるわ。わたしの居場所を美羽に伝えるから合流して。ここには美優も来ているの。お願い早く来て)

「わかったわ」

美羽は釣りの道具を片付けると、ユリアが示した方向に駆け出した。

ぬかるんだ沼地も、美羽にとっては何の障害でもなかった。

腐食した木々を踏みしめ、獣のように素早く移動する美羽。

その並外れたバランス感覚と運動神経は賞賛に値した。

僅か三分足らずで美羽はユリアたちの元へと到着した。

「おねえちゃーん」

泥だらけの美優が美羽にしがみつく。

「ひどい格好ね美優。ほら、わたしの背中につかまって」

美羽はしゃがみ、美優をおんぶする。

燃料用に、水を吸った大木を引いて帰る体力がある美羽にとって、美優の体重はまったく問題にならなかった。

それ以前に、美優自身がとても軽かった。

「どうすればいいのユリア?」

(とにかくここから離れて。家まで全力で戻って頂戴)

「分かったわ」

再び美羽は駆け出した。

美優を背負っているのが嘘みたいに、跳ねるようにその身体は家路を目指した。

結局美羽は、美優が一時間近くかけて歩いてきた道を、一〇分足らずで引き返してきた。

その背に美優を背負ったままで。


「これからどうするの?」

美羽には時空の歪みのことなど分からなかったが、先ほどからねっとりと絡み付くような不快感を感じていた。

何かおかしい。美羽は直感でそれに気付いていた。

(――凄い感性だわ――)

ユリアは美羽の持つ発達した感性に感心した。

魂を肉体に固定した生物は、どうしても感覚が鈍くなるものである。

ユリアたち精神生命体のテレバシーを受信できない種族は珍しくない。

その中で、この美羽と美優の精神は、自分達に近かった。

きっとこの過酷な環境がそうさせてしまったのだろう。

荒廃した大地を前に、ユリアはそう思いを巡らした。

「いやなかんじがするね……」

美羽に続いて、美優も身体中に感じる悪寒で震えていた。

(――ここで死ぬわけにはいかない――)

(――この娘たちをここで死なすわけにはいかない――)

ユリアは思考のアンテナを更に広げた。

指向性を強めるため、円を描くように、狭い範囲を調べる。

それはさながらレーダーのようであった。

思考のアンテナを伸ばすこと数分。

そうしてようやくユリアはとびっきりの情報をキャッチする。

(この国の軍隊みたいなものが、こちらにむかってるわ)

ユリアはツーアイズチームのトレーラーをキャッチした。

(南南東に向かって進めば彼らが保護してくれるわ。急ぎましょう)

「待ってユリア!」

(急がないと間に合わないわ。美羽に見せたあのイメージ。わたしの同胞を滅ぼしたベム《バグリーチャー》が現れるかもしれないのよ!)

「わかってる。だけどまだシャクシャインが戻っていない。ここに置いては行けないわ」

(でも……)

ユリアは意識を飛ばしてシャクシャインを探した。

だが、シャクシャインの思念は寡黙で、微量にしか思考が漏れないので探すのには一苦労しそうだった。

「聞いて美優。これからユリアの言う通りに走るのよ。わたしはシャクシャインを探してから行くから。いいわね?」

「おねえちゃん……」

美優は不安そうな視線を美羽に送り、その服の裾をぎゅっと握った。

「お姉ちゃんが嘘ついたことある?」

「ない……」

美優はゆっくりと首を振る。

「必ず行くから先に行ってて。ユリア。美優の誘導をお願い」

(任せて。それからシャクシャインは東の方に居るわ。これくらいしか分からなかったの。ごめんね)

「充分よ」

それだけ言うと美羽は東に向かって駆け出した。

(わたしたちも行くわよ)

「う、うん」

美優は立ち上がり、ユリアが示す方角に向かって、よたよたと走り始めた。



  3 ~家族の墓標~
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家族の墓参り。

シャクシャインは住処の廃ビルから東へ三キロほど歩いた場所で、コンクリートの柱で作った墓標に祈りを捧げていた。

そこには、彼の本当の家族、妻と息子が眠っていた。このことは美羽や美優には話してはいなかった。

僅か七歳で死んだ息子は、生きていれば結城大翔という自衛官と同じ歳になっていただろう。


;(回想)
妻と息子を同時に失い、生きる目標を無くした大男は、死を覚悟した。

そうして、自暴自棄になって彷徨っていたとき、人形のように佇んでいた美優を見つけた。

泣きもせず、笑いもしない。

表情一つ変えない金髪の幼女を目の前にして、シャクシャインは災厄の罪深さに怒りを覚えた。

家族を失った失意よりも、奪われた怒りが勝ったのだ。

シャクシャインはまだ死ねないと思った。

抱きかかえられても無表情のままの美優を連れ、再び荒野を歩き始めた。

そうして数日後、飢えと寒さに震える美羽と出会った。

美羽の冷たい手を握ったとき、この娘はもう助からないと思った。

だが次の瞬間、シャクシャインの胸に希望の炎が灯った。

今にも生き絶えそうなそのか細い腕は、生き延びるために、精一杯シャクシャインの腕を掴んできたのだ。

何処にそんな力が残っていたのか。

そう驚嘆した後、美羽は力尽きて気絶してしまった。

美優と美羽を背負いながら、シャクシャインは二人を育てる決意を固めた。

事故から一週間後、ようやく政府が重い腰を上げて、被災者の救済に乗り出したが、シャクシャインはそれを拒み、妻子の眠るこの摩周で、二人を育て始めた。
;(回想終)


「一〇年か。早いものだな。知床では畑を耕している連中もいるらしい」

墓前に向かって、北海道《バグネスト》の移り変わりを報告するシャクシャイン。

復興に向けて地道に努力する道民達の相談役として、シャクシャインは道内を行脚していた。

始めは美羽と美優も連れて回ったが、美羽たちが大きくなり、食料も備蓄も増えてきたここ二、三年は、一人で行くことの方が多い。

「さてと……」

墓標への報告が終わったシャクシャインは、引き返すべく踵を返して歩き始めた。


シャクシャインは東北東に居る。

そうユリアに言われ、大翔に貰った腕時計に内蔵された磁石を使ったが、磁場が乱れているのか正確な表示はされなかった。

そのため美羽は勘を頼りにひた走っていた。

事故によって荒野になった北海道《バグネスト》は、たいへん見晴らしが良くなっていた。

とはいえ、ちょっとした凹凸はあり、丘を登ってみるまでその先がどうなっているのか分からない個所はいくらでもあった。

美羽は立ち止まり、目を瞑って神経を集中させた。

シャクシャインの気配を辿るように一心に念じた。

ユリアと思念でやりとりをするようになり、そのやりとりのコツを教わったのだ。

美羽はそれを応用しようとしていた。

雑念を振り払ってシャクシャインのことだけを考える。

初めて出会った頃から、厳しく仕込まれた日々が脳裏に巡る。

そうして美羽は、シャクシャインの気配を、初めて出会ったときの温もりを感じ取った。

「見つけた!」

開眼し、シャクシャインの気配がする方へ、一遍の迷いも無くひた走った。

一キロ近く走ったところで、美羽は大男の影を見つけた。


シャクシャインと合流した美羽は、早口でここが危険であることを告げた。

始めは当惑していたシャクシャインだが、美羽の真剣な口調と、大翔の言うバケモノの話を思い出し、危険が迫っていることを納得した。

「美優はどうした?」

「自衛隊に保護してもらうため、先に逃がしたわよ」

「どういうことだ美羽?」

シャクシャインはユリアのことを知らない。もとより話したところで信じないだろう。

アイヌの神々は信じても、宇宙人やオカルトの存在を信じるシャクシャインでは無いというのは、美羽自身が身をもって知っていた。

それでも美羽は事情を説明した。

ユリアのこと、特異点のこと、バグリーチャーのことを……。

「馬鹿者! 来るかどうかも分からない自衛隊を信じて美優を逃がしたというのか!」

「自衛隊は絶対に来るの。わたしを信じて!」

「……もういい。ここで口論していても仕方が無い。とにかく美優が心配だ。後を追うぞ」

それは美羽の言動を信じたわけではなく、これ以上無駄な議論に時間を割けないという大人の判断だった。

「わかったわよ」

美羽もシャクシャインが信じていないことに気付いていたが、ここで言い争っても時間の無駄だというのは分かったので、それ以上は言葉を発せずに、美優が向かった方角目指して走り始めた。

美羽の後に従い、シャクシャインも走り始めた。

シャクシャインは、その巨漢と齢でありながらも、驚くべき速度で走っていた。

美羽の走りにも負けてはいない。



  4 ~特異点出現~
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大翔が運転するトレーラーの隣には、ツーアイズチームの技術スタッフの一人、と言っても主な仕事内容は雑用という、レン・ロバイン二等陸士が座っていた。

若干一六歳の少年兵で、彼自身、何故このチームに配属されたのか分かっていなかった。

線が細く、女の子かと見間違う容姿で、ごつい自衛官の中で異彩を放っていた。

「レンちゃんはスジがいいね」

「あのう、ちゃん付けはやめてくださいよ結城二尉殿」

「いいじゃないか。レンちゃんにオペレータやって貰えたら俺もう張り切っちゃうよ」

「あの、冗談でもそういうこと言うのはやめてください」

嫌がるレン二等陸士を、半ば無理矢理トレーラーに乗せた大翔は、ゼロのオペレータとしてのレクチャーを施していた。

陽菜が居住モジュールですねているので、急遽オペレータの変わりを用意しようというのだ。

大翔たちと同じく被災孤児のレンは、ロシア系のハーフだと言う。

絹のようなサラサラのストレートヘアは、女性のように美しい光沢をかもしだしている。

透き通るような白い肌。

押せば折れてしまいそうな可憐な雰囲気があり、男だというのに若い自衛官のアイドル的存在だった。ある意味陽菜より人気がある。

「特異点の様子はどうだい?」

「えっと、屈斜路湖周辺にて反応が増大中です」

「歪曲率臨海点までどれくらいだと予想されそう?」

「ええっと、よく分かりませんけど、過去のデータと照合すると……、あと一〇分程度で歪曲率臨海点に達すると想います」

「上出来だ。偉いぞ」

「あ、ありがとうございます」

「それじゃあ俺はゼロの着装準備に入るから、上園くんと連携とって指示頼むよ」

「あっ、はい、あの、でも、沢井三尉殿は……」

レンは後部に見える居住モジュールをチラッと伺いながら、消え入りそうな声で尋ねた。

「ほっとけ!」

大翔はそう返事すると、トレーラーをオートランに設定し、コンテナ部に向かった。

その大翔と入れ替わるように、ゼロの整備スタッフの一人が、緊張した面持ちでトレーラーの運転席に座り、オートランを解除して運転を再開した。

「よ、よろしくでありますっ!」

「こちらこそ、よろしくご指導おねがいします」

ペコリとレンは頭を下げ、微笑んだ。

大翔と運転を交代したスタッフは、その笑顔にハートを直撃された。

男でも構わない。そんなジェンダーフリーな魅力がレンにはあった。

本人にとっては迷惑以外の何者でもなかったが。

「ま、任せるでありますっ!」

必要以上に張り切るスタッフが思い切りアクセルを踏み込んだものだから、着装準備に取りかかっている大翔たちから思い切り罵声を浴びた。


屈斜路湖の湖畔上では異変が起こっていた。

時空の歪みによって、周りの風景が歪んで見えるのだ。歪みは湖面に不規則な波紋を作り、歪みの中心では振動するかのように泡立っていた。

波紋は徐々に大きさを増し、湖面はまるで、大漁の魚が跳ねているかのようにざわめいていた。

振動がピークに達したとき、湖面に何かが落ち、水柱を立てる。

湖面にこぼれ落ちた物体は、水を掻き分けながら、ゆっくりと湖面を進み、陸へと上陸を果たした。

屈斜路湖に現れた異物。

それは、身の丈三メートル程度のバグリーチャーであった。

ずんぐりとした体躯は、この北海道《バグネスト》では絶滅した羆を連想させた。

三本の足が大地に延び、左右非対称の腕を持っていた。

右手は野太く棍棒のように粗野で、左手は鋭く鋭敏な刃物を連想させた。

バグリーチャーの頭部に付いた触覚のようなものがピンと立つ。

それがゆっくりと旋回し、まるで何かを探しているかのような動作だった。

そうしてその触覚がある方向に達したとき、獲物を見つけたとばかりにビクンと震えた。

バグリーチャーはその三本の足を巧みに動かし、触覚が指し示す方角へ向かって進み始めた。

バグリーチャーが出現した特異点。

その産道とも言える時空の穴は、まだ開いたままで、塞がる気配はなかった……。


ついに現れた。

ユリアはその邪悪な思念を素早く察知した。

特異点から現れたベム《バグリーチャー》が、狙いを定めて真っ直ぐこちらに向かっているのが分かった。

(美優、辛いでしょうけど急いで走って。ベム《バグリーチャー》が現れたわ)

「お、おねえちゃんと、おとうさんは?」

半分泣きながら走る美優。

その走りは大人が歩いているのと同じくらい遅かった。

美優の不安を取り除くべく、ユリアは美羽の思念を探した。

(大丈夫よ。こっちに向かってきてるわ)

だが、若干ながらベム《バグリーチャー》の方が早い。

先にここへ到達するのは美羽たちではなくベム《バグリーチャー》の方が先になるだろう。

その前に、ユリアは美優を誘導して自衛隊に接触しなければならない。

自衛隊と美優たちの距離も微妙だった。

現状のスピードのままだと、ベム《バグリーチャー》の方が先にたどり着いてしまう。

だが、美優の歩調はこれ以上早くはならないだろう。

万事窮すかと思った。

ユリアの脳裏に美優を見捨ててカプセルで脱出しようかという考えが浮かぶ。

自分だけなら助かる。

美優が持つユリアの生命維持カプセルは、故障しているとはいえ、移動能力はまだ生きていた。

この程度の重力下であれば、時速約二〇〇キロメートルのスピードで飛行することが可能だ。

見捨てるか、このまま心中するか。

ユリアは迷った。

自分の使命を、旅の目的を考えれば、原住民に付き合ってベム《バグリーチャー》に襲われるリスクを負うべきではないのは分かっていた。

だが、そこまで冷徹にはなりきれない。

それがユリアであり、精神生命体ルジミオンの最大の特性でもあった。

そのときであった。こちらへ向かってくる自衛隊の車両のスピードが上がったのだ。

(――こ、これなら間に合うかも――)

ユリアは思わず自衛隊の方向に向けて思念を送った。助けて……と。


インナースーツを着て、ゼロに乗り込もうとしていた大翔を呼ぶ声が聞こえた。

「誰か呼んだか?」

大翔は尋ねるが、誰も心当たりはなかった。インカムの通信記録も無かった。

空耳だったのだろうか? 大翔は首を傾げた。

「な、結城二尉、バ、バグリーチャーと思わしき物体を補足しました!」

レンがうわずった声で報告する。

「運転手! スピードを上げろ!」

「は、はいっ!」

「結城二尉殿、これ以上スピードを上げるとゼロの発進準備に支障が出ます」

揺れる車内、機材にしがみついた上園が、大翔に進言する。

「作業は続けろ。できませんじゃない。やるんだ」

「わ、分かりました」

「嫌な予感がする。多少手順を省いても構わないからゼロの起動を急げ」

「結城二尉殿、ゼロの起動パスコードは沢井三尉殿しか……」

「"IIS-0-aif235klas0aezo"でいいはずだ。起動頼む」

「な、なんで結城二尉がパスコードを知ってるんですか?」

上園は唖然としていた。

ゼロの起動コードは陽菜以外誰も知らないはずだった。

万が一、怪我や事故で陽菜本人がコード入力出来ない場合は、本土の司令部に問い合わせる必要があり、その管理は厳重だった。

「備えあれば憂い無しってね。いいからコード入力頼む」

「まったく、どうなっても知りませんよ」

上園は苦笑しながらゼロの起動コードを入力した。ちなみにどうなってもとは、懲戒処分、始末書提出などのことである。

「バグリーチャー接近中です。目標は、あの、微妙に我々ではないみたいです……」

オペレータのレンがモニタを観察してそう結論を下した。

確かにこちらに向かってはいるのだが、コースをトレースすると微妙に座標が異なるのだ。

「どういうことだ?」

「あのっ、そのっ、バグリーチャーは恐らく、多分、別の誰かを追っていると推測されますです。はい」

「クソッ、嫌な予感が当たっちまったぜ!」

大翔は瞬時に悟った。

バグリーチャーが追跡しているのは自分達ではなく、美羽たちだという解を導き出した。

「どういうことですか?」

「いますぐゼロを発進させる。各種調整は遠隔操作により、後追いでやる」

「無茶です。今の状態でゼロを出しても、従来の半分の性能しか引き出せません」

「道民の人命がかかってるんだ。村雨隊にも出動を要請しろ」

「分かりました。ですが、気をつけてください」

「了解した。結城二尉。ゼロ、発進する」

移動するトレーラーの後部ハッチが開き、ハンガーに吊るされたゼロがせり出してくる。

「移動中の射出は初めてですから、接地時のバランスに気を付けてください」

「分かってる」

「ゼロ、射出します」

上園一曹の掛け声と共に、ゼロが大地に向かって投げ出される。

接地時に、一瞬バランスを失い、横転しそうになるが、無限軌道ホイールを巧みに利用し、なんとかバランスを保った。

そうして、トレーラーと並走するようにゼロを移動させると、結城はアクセルペダルを踏み込んでフル加速でゼロを走らせた。

「頑張って下さい。結城二尉……」

砂塵を巻き上げながらトレーラーをブッちぎって進むゼロを、上園とレンはモニタ越しに見守っていた。

また陽菜も、居住モジュールに引篭ったまま、一連のやり取りに聞き耳を立てていた。

「あんな奴、死んじゃえばいいのよ……」

陽菜は膝を抱えた格好でベッドに座り、シーツをにぎりしめながらそう呟いた。



  5 ~白銀の騎士~
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美羽とシャクシャインは、ひとつの丘を越えたところで、美優の姿を発見した。

目測で五〇〇メートルくらい離れていた。

そうしてその脇から美優に迫る黒い物体も視界に入っていた。

美優と黒い物体の距離は二〇〇メートルくらい。

美羽が全力で走っても間に合いそうになかった。

「美優! 美優ぅ!」

それでも美羽は走った。

下り坂を転がるように走った。

シャクシャインも負けてはいなかった。

美羽に続いて、その老体に鞭打って走るが、その体力は限界に近かった。

ここまでの数キロを休み無しで、全力で走ってきたのだ。

若く、体力のある美羽には苦も無かったが、巨漢で年老いたシャクシャインには地獄の荒行にも似ていた。

それでも、シャクシャインは走るのをやめなかった。

美優の足はもうほどんど止まっていた。

上り坂になっており、四つんばいになって、這うように移動する美優。

それを狙う黒い影、バグリーチャー。

目と鼻の先だというのに、あとほんの僅かだというのに、間に合わない。

「くそぅ……」

美羽の喉からバグリーチャーを罵る悪態が漏れる。

下り坂が終わり、今度は上り坂になった。

美優が四つんばいでしか歩けないくらい、急な傾斜を持つ坂だった。

すでにバグリーチャーは坂の半分を登っている。

「美優、逃げて!」

美羽の声に美優が振り返る。

二人の距離は僅か一〇〇メートルくらいであった。

視線の先にバグリーチャーと美羽が見える。

「おねえちゃん……」

バグリーチャーの恐怖と、姉美羽の姿を見た安堵で、緊張の糸が切れた美優は、力尽き、その場に座り込んだ。

「座るな。立って逃げるのよ!」

バグリーチャーはもう美優の目と鼻の先であった。間に合わない。

誰もがそう思った時、その時――。

砂塵を巻き上げながら、坂の頂上から白銀に輝く鉄の巨人が舞い下りた。


大翔の視界にバクリーチャが飛び込む。

眼下にはいまにも襲われそうな美優がしゃがみ込んでいた。

ゼロはいま、空中に滞空している。

陸戦兵器として開発されたゼロに飛行能力はない。

ラリーカーのジャンプと同じ原理で、無限軌道ホイールによって坂を駆け登ったゼロは、放物線を描いて宙に舞っていたのだ。

美羽はその姿に神《カムイ》を見た。

美優は天使を見た。

そうしてユリアは、ルジミオンに失われた技術である兵器というものを目の当たりにして興奮していた。

「このやろうーーーっ!」

ゼロの体勢を空中で立て直し、まるで飛び蹴りのように無限軌道ホイールの鋭いエッジが、美優に迫るバグリーチャーの胸部を切り裂く。

重さ約一トン。

それに加速が加わったことにより、実質二〇トン近くの威力が、バグリーチャーに叩き込まれた。

三本足のバグリーチャーは、倒れこそしないものの、上体を仰け反った。

大翔はそのままゼロのアクセルペタルを底まで踏みつける。

ガリガリガリッ!
とバグリーチャーの固い皮膚を削る音が響き、そのままゼロはバグリーチャーの胸を横断して地面に着地した。

地面に着地するや、一八〇度のアクセルターンによって、バグリーチャーの背後をとったゼロは、その腕に仕込まれたスタンワイヤをバグリーチャーに叩き込む。

「その子から離れやがれっ!」

無限軌道ホイールをバックギアにセットし、絡めとったバグリーチャーを引きずろうとした。

だが、三本足のバグリーチャーは、まるで大地に根を下ろしているかのようにビクともしない。

無限軌道ホイールが虚しく空転を続ける。

「このままじゃ攻撃できないな……」

大翔はスタンワイヤに電流を流しながら舌打ちする。

ここで実弾兵器を使うと、美優にまで被害が及ぶ。

当の美優は腰が抜けたのか、座ったまま動かない。

だが、その心配は杞憂だった。

ゼロはまだ調整不足で、火器管制プログラムが正常に作動しておらず、火器の使用はできなかったからだ。

バグリーチャーはゼロを無視し、美優に襲いかかろうとゼロを引きずる。

力ではバグリーチャーの方が勝っている。

「嘘だろ? これだけの電流を浴びて動けるのかっ!」

大翔はバグリーチャーの生命力に呆れ返った。

そのとき、ゼロの赤外線モニタが移動する人型を捕らえた。

通常モニタに目をやると、ゼロの脇を通りぬけるように、美羽が走り込んできた。

「ばかっ、何しにきた!」

だが大翔の声が美羽に聞こえるはずもなく、美羽は美優の元へと向かった。

美優の元へ向かう美羽をバグリーチャーは見逃さなかった。

美羽の距離が美優より近くなったとき、バグリーチャーはその標的を美羽に向けた。

棍棒のような大きな右腕が振り上げられる。

だが、その動きはスタンワイヤの電流によって緩慢な動きになっており、野生児美羽にとって、その振り下ろされた腕を避けることは造作も無いことだった。

腕をすり抜けて、美羽は美優の元へとたどり着く。

「捕まって美優!」

美羽が差し出す腕に、美優は手を伸ばす。

美優の腕をがっちりと掴んだ美羽は、柔道の背負い投げよろしく、思い切り引っ張って美優を宙に浮かすと、落ちてきた美優を両手でチャッチする。

美優の体重が重かったら脱臼していたところだった。

そうして、脱臼こそしなかったものの、美優は肩に激痛を覚え、涙が滲んできた。

だが、それ以上にいまは姉の腕に抱かれていることの嬉しさが美優の胸をいっぱいにして他のことなど考える余裕を与えなかった。

「おねえちゃん。おねえちゃん。おねえちゃん……」

美優は必死になって美羽にしがみついた。

美羽はそんな美優を壊れそうなくらいぎゅうっと抱きしめ、シャクシャインが待つ坂の下まで走り抜けた。


「そっちへ行くんじゃないっ!」

ゼロの横を通りぬける美羽たちに叫んだところで、密閉されたゼロから声が漏れることはない。

大翔は、ゼロに外部スピーカー機能がついていないことを呪った。

美羽が美優を救出してくれたのはありがたかったが、逃げる方向が逆だった。

特異点側へ逃げるのは、極めて危険な行動だった。

そうしてその危険な予感は的中する。

「た、大変です! バグリーチャーが次々に特異点から出現してきます。その数……八体、いえ九体ですっ」

インカムからレンの悲鳴に近い声が上がる。

「村雨二尉の特科部隊はどうした?」

「向かってます。ですが歩兵に合わせた行軍だと、そちらに到着するのに五分はかかります」

「装甲車両だけでも先に向かわせろ。民間人がいるんだ。救助させるんだ」

「わ、わかりました」

大翔は後手に回るレンの対応にイラついたが、所詮にわか仕込みである。むしろよくやっていると言えたが、この状況ではジリ貧だった。

「上園くん。ゼロの調整はまだかい?」

「いま、七〇%です」

「もっと急げないかな?」

「無理です。機能毎に転送しないとゼロのOSがハングアップする恐れがあります。そうなったらアウトです」

「そうか……できるだけ早く頼む。こいつ一匹に構ってられないからな」

「全力を尽します」

上園は通信を終わると、部下達に急ぐように指示を出す。

「沢井三尉がいてくれたら……」

上園は、陽菜が篭城する居住モジュールをチラリと眺めた後、ため息をついて作業を再開した。



  6 ~見えない敵~
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(美羽。そっちへ行っては駄目よ)

ユリアは既に、新たに現れたバグリーチャーの気配を察知していた。

その固体数も把握しており、絶望的な気分に陥っていた。

「シャクシャインを放ってはおけない。それに三人で固まって行動した方がいい」

(……わかったわ。でもシャクシャインと合流したら、すぐに自衛隊に向かって逃げるのよ)

だが、その自衛隊も頼りになるか分からなかった。

ユリアはその思考を発信すること無く、自分の胸の中に飲み込んだ。

「分かってる」

美優を抱いたまま、美羽はシャクシャインの元へと向かった。

シャクシャインは、美羽が美優を救出したのを見て、安堵と疲労のため、その場で立ち止まり、荒い息を整えていた。

住処からここまでずっと走ってきたのだ。その蓄積された疲労は限界に近かった。

美羽が美優を連れてシャクシャインの元へとたどり着く。

「ここは危険だよ。あっちに行けば自衛隊がいる。さあ行こう」

「連中の、世話になど……」

「馬鹿なことを言わないで。あんなバケモノに素手で適うわけないじゃないか。あの鉄の巨人だって、苦戦してるのよ! 頼むからたまにはわたしの言うことも聞いてよ!」

美羽は振り返ってゼロを指差した。

三本足のバグリーチャー相手に、苦戦を強いられているゼロの姿がそこにはあった。

シャクシャインの目にもその様子は容易に伺えた。

確かに人間の力ではどうしようもない圧倒的な暴力を、バグリーチャーから感じとった。

「……仕方ない。だが今回だけだぞ」

「ありがとうシャクシャイン」

美羽は美優を抱いたまま、シャクシャインに背を向けると、自衛隊の部隊に向かって再び走り始めた。

シャクシャインも、ゆっくりとだが、歩いてその後を追った。


大翔は切羽詰まっていた。火器管制プログラムが未調整だったため、バグリーチャー相手に素手で渡り合う羽目に陥っていた。

「ハンドグレネードさえ使えればこんな奴……」

棍棒のような右手の一振りをかわしながら、大翔はプログラムがセットアップされるのをひたすら待った。

「苦戦してるようだな?」

インカムから落ち着いた男の声が聞こえた。特科部隊の村雨二尉からの通信だった。

「おっせえよ。この給料泥棒!」

村雨二尉率いる特科部隊の対バグリーチャー用装甲車両が、坂を登ってようやく現れた。

弾丸さえ弾き飛ばす巨大な八輪のホイールは全て独立したモーターで駆動する。

六〇ミリの厚さを誇る最新の複合装甲に、簡易型電磁レールガンと三五ミリ機関砲二門を装備した自衛隊の虎の子兵器。

二九式戦闘装甲車両、通称バウンザーが、黄土色の砂塵を撒き散らし、悠々と現れた。

バウンザーに装備された三五ミリ機関砲が唸り声をあげる。

バグリーチャーの背中に、毎秒約五〇発×二の機関砲弾が炸裂する。

人間ならば一発でミンチなのだが、バグリーチャーに対してそれは、牽制くらいにしか効果がなかった。

だが、機関砲で足止めをしている隙に、簡易型電磁レールガンの照準がセットされ、号砲を打ち鳴らす。

その威力は簡易型と言えすさまじく、轟音と共に、バグリーチャーの上半身は根こそぎえぐり取られて消し飛んだ。

ピクリとも動かない三本足の下半身だけが、地上に取り残された。

「楽勝だな。陸自の研究所もそんな役に立たない人形なんか作ってないで、こいつを量産すれば済むことなのにな。そう思わないか?」

村雨はバウンザーの中から皮肉めいた口調で大翔に尋ねた。

「うっせぇよ。俺が足止めしといたか仕留められたんだろうが。それより民間人の救助に行ってこいよ」

「もう行ってるよ」

その言葉通り、すでにもう一台のバウンザーが、美羽たちの前で停車していた。

「素早いね。ところでバケモノはあと九体いるらしんだが……」

「問題ない。オレ達はその倍以上のバグリーチャーを殲滅してきた」

虚勢ではなく、絶対の自信を持ったひとことだった。

だが、次の瞬間。前方で美羽たちを保護しているはずのバウンザーから煙が上がった。

次いで、そのバウンザーはまるでオモチャのように横転した。


美羽の目の前に、自衛隊の装甲車両《バウンザー》が現れたとき、ようやく助かったと思った。

シャクシャインが追いつくのを待って、装甲車両《バウンザー》に乗り込もうとしたときである。

(危ない、避けて!)

ユリアの叫びが美羽と美優の脳裏に響く。

その叫びはシャクシャインにも、バウンザーに乗っていた自衛官にも聞こえるくらい、強力な思念だった。

美羽は咄嗟に美優とシャクシャインの手を引いて、バウンザーから離れた。

二人を押し戻すように、飛び掛かったため、美羽ら三人は地面に転げ落ちた。

「どうした?」

ハッチの上から自衛官が声をかけたその瞬間、バウンザーに衝撃が走った。

見ると、機関砲の砲身が、への字に曲がっていた。

何かが高速でバウンザーにぶつかったようだ。

(立って、立ち上がって走るのよ!)

「この声は?」

シャクシャインにもユリアの声が聞こえたようだ。

「みんな走って!」

美羽は美優を抱えると、シャクシャインに向かってそう叫んだ。

「う、うむ」

シャクシャインは美羽に言われるがまま立ち上がり、黙々と走った。

(迷彩能力を持ったベム《バグリーチャー》よ。こんな近くに来てるなんて……、まったく気付かなかったわ)

振り返ると、ぼんやりとゼリー状に空間が歪んでいる場所が見えた。

その物体は、バウンザーの車輪に取りつき、その豪腕でバウンザーをひっくり返した。


「どうなってるんだ一体?」

大翔はオペレータのレンに尋ねる。

「わ、わかりません」

「わからないじゃないだろう。モニタではどうなってる!」

「すいません。えと、モニタには何も……、あ、バグリーチャーの反応がありました。あ、でもまた消えました。ど、どういうことでしょうか?」

「こっちが聞きたいよ……」

「余り考えたくは無いが、ステルス機能を持ったバグリーチャーなのかもな」

村雨が口を挟む。その口調は冗談で言ってるわけではない。本気だった。

「そんなのありかよ!」

「泣き言を言うな。バグリーチャーは理不尽な存在なんだよ」

幾多のバグリーチャーと激戦を繰り広げてきた村雨の一言は、とても重たくシビアだった。

「くそっ」

大翔は舌打ちする。

丁度その時、大翔たちの前に、逃げてきた美羽たちが到着した。

「バケモノは迷彩能力をもってるらしいよ。気を付けて!」

大声で美羽は叫ぶ。

ゼロとバウンザーの中に入っている人に伝えるため、ありったけの声量で叫んだ。

そこまでしなくても、ゼロやバウンザーには集音装置が付いているので、美羽の声ははっきりと聞こえているのだが、その声は、大翔と村雨の迷いを打ち消す効果をもたらした。

「迷彩能力だとよ。どうする?」

「弾幕を張っていぶり出す」

「それいいね。採用」

「歩兵隊も追いついた。行くぞ」

ゼロとバウンザーの背後に、重火器で武装した重装歩兵隊が到着する。

大翔と村雨は、重装歩兵隊を引き連れて、横転したバウンザー目指して移動を開始した。

大翔はゼロのマニピュレーターでVサインを美羽に送った。



  7 ~ゼロワン起動~
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ゼロとバウンザーから三〇〇メートルほど離れたところに、ツーアイズチームのトレーラーやトラックが待機していた。

そうしてそれらをガードするかのように、小銃を持った歩兵が四名、護衛についていた。

護衛に連絡が届いていたのか、美羽たちが到着すると、検査なしで陣内に招き入れた。

「よく頑張ったな」

「お嬢ちゃんたち。もう安心だよ」

護衛の歩兵たちが美羽たちに声をかける。

「喉が渇いた……」

ずうっと走り続けてきた美羽の喉がカラカラだった。

「奥に赤い十字が描いてあるトラックがある。そこに医療チームが待機してるからそこへ行けば水が貰える」

「とりあえず三人ともそこへ避難するんだ」

「ありがとう」

「ありがとうお兄ちゃん」

「……世話になる」

三人はほっと胸をなで下ろして、赤十字のトラックへと向かった。


「おいしい」

美羽は一リットルのスポーツドリンクを一気に飲み干した。

普通の水と違ってすごく飲みやすく、すんなりと身体に吸収されてゆくのが肌で感じ取れた。

「どうした? まさかスポーツドリンク飲むのは初めてか?」

従軍医師は美羽の飲みっぷりに呆れていた。

美羽が無言で頷くと、医師はもう一本ペットボトルを取り出して美羽に差し出した。

美羽はそれを受け取ろるべく、手をだそうとしたが、シャクシャインの視線に気付いて手を引っ込めた。

だが、シャクシャインは首を横に振って「頂きなさい」と言うや、美羽は奪うようにペットボトルを受け取り、再び一気に飲み干した。

「ありがとう」

「どうってことないさ。それよりも、そっちのあなた、ちょっと脈を計らせてくれないだろうか?」

医師はシャクシャインに向き直ってそう言った。

「……ワシはいい」

「顔色が悪い。見たところ、そう若くも無さそうだし、一度診察を受けて貰えんかね?」

「おとうさん。みてもらって!」

美優がシャクシャインの服を掴んで懇願する。

病気がちな美優は自分以上に他人の健康に敏感だった。

いまにも泣き出しそうなつぶらな瞳で見つめられると、シャクシャインも観念するしかなかった。

医師の前に座ると、大人しく手を出した。

「手短に頼む」

「あんた、いい娘さんを持ったな」

医師は血圧計と、聴診器を取り出した。


ユリアはいま、全神経を集中させ、自衛隊とバグリーチャーの戦力比を計算し、勝率を割り出していた。

これまで見て感じてきた自衛隊の戦力と平均的なバグリーチャーの戦力を冷静に比較すればするほど、その勝機の少なさに愕然としていた。

(――このままでは全滅する――)

ユリアの種族は武器を持たなかった。

争うという概念が失われていたのだ。

数十億年に渡る平穏な日々が彼女らの種族をそうさせた。

だが、武装するという概念がなくとも、この地球に着いて、自衛隊を観察することにより、兵器というものの概念は分かった。

ユリアたちの技術からすれば石器で出来たナイフのようなシロモノではあったが、それは紛れも無くバグリーチャーに対抗できる武力だった。

そうして、戦力分析の最中、コンテナトレーラー内に、まだ未使用の兵器があるのを発見した。

それはゼロと同じ人型兵器だった。早速ユリアはその性能を分析した。

(――これはっ――)

その兵器は、ゼロとは比較にならないくらい精巧な技術で作成されていた。

そもそも根本的な基本原理から異なっていた、外観こそ似通っているものの、中身が全然違っているのだ。

それはもう、全く別の兵器といっても過言ではなかった。

(――これを運用させれば、もしかしたら――)

だが、この兵器の構造を分析すればするほど、運用者に尋常じゃない負荷がかかることが判明した。

(――それでも、やるしかない――)

ユリアは生き残るため、バグリーチャーを殲滅するために兵器の運用を決意した。

(美羽、話があるの……)

ユリアの思念が美羽にだけ向けられる。

「どうしたの?」

(みんなを、美優やシャクシャインを守りたい?)

「当たり前じゃない」

(あなた、そのために死ぬ覚悟はある?)

「どういう意味?」

(恐らくこのままだと全滅するわ。それを回避できる方法が一つだけあるの)

「わたしが死ねばみんなは助かるの?」

(そうじゃない。死ぬ危険があるってことよ。あなたに戦う意思はある?)

「もちろんあるわ」

(じゃあついてきて、こっちよ)

ユリアは、美優の持つ生命維持カプセルから抜け出すと、その半透明なホログラフィのような姿を美羽が持つ時計(大翔から貰ったもの)に宿らせる。

そうしてその時計に内蔵されたレーザーポインタを光らせながら美羽を導いた。

「何処へ行く美羽!」

診察を受けるシャクシャインが怒鳴る。

「おねえちゃん!」

美優も叫ぶ。

「大丈夫よ。みんな守るから。絶対に……」

美羽はそういうと、トラックから飛び降りた。


時計に乗り移ったユリアに導かれて、美羽は大きなトレーラーの前にやってきた。

(いまからこのトレーラーのシステムに介入するから少し待ってて)

ユリアはそういうと、その半透明な身体をトレーラーに重ね、同化した。

ほどなくしてコンテナのハッチが自動的に開く。

(乗って美羽)

美羽はいわれるがままコンテナに飛び乗った。

「うわ、なんだキミは」

「ロックがかかっていたのに、一体どうやってはいったんだ」

コンテナの中には、ゼロの火器管制プログラムをチェックしていた上園たちが居た。

ハッチのセキュリティは万全なのに突然開いたことと、そこに美羽が飛び乗ってきたことで驚いている。

「わたしは美羽。みんなを守るためにやって来た」

美羽は真顔でそう答えた。

(システムはだいたい把握したわ。運がいいわ美羽。あなたが貰ったというこの腕時計、それって唯一のネックだった兵器のハードキーだわ)

「どういうこと?」

(この兵器を動かすカギみたいなものよ)

コンテナトレーラーに格納された、真紅のコンテナが音を立てて開いて行く。

「ど、どういうことだ!」

「ゼロワンがどうして!」

動揺し、パニック状態になる上園たち。

そんな自衛官を尻目に、美羽は真紅のコンテナの元へと向かった。

(乗って美羽。あなたはこれで戦うの)

「これってさっきの巨人よね」

(ツーアイズ・ゼロワン。それがこの機体の名前よ)

「ゼロワン……」

(扱い方のレクチャーは動かしながらやるわ。起動するから乗って)

「わかった」

美羽はゼロワンに搭乗した。

上園ら技術チームは、まるで夢を見ているような気分だった。

恐ろしいスピードでゼロワンの起動設定がなされており、上園はもとより、陽菜でさえ知らされてない起動コードを僅か数秒で解読されたのだ。

「な、何が起こっているんだ?」

「おれたちは夢をみているのか……」

起動テストを行っていないゼロワン。それを一から起動させるには丸一日を要す。

起動マニュアルだけでキングサイズのファイル六冊あるのだ。

その起動におけるチェック項目が、ものすごい勢いでグリーンになってゆく。

ジグソーパズルのマス目を埋めるかのように、ゼロワンの制御システムが構築されて行く。

そうして更に驚くべきことに、ゼロワンの基本OSすらも書き換えられてしまった。

それらは全て、精神生命体ユリアが行ったことである。


(起動プログラム改修完了。実働シーケンスオン。美羽、その黒いコンテナを取ってみて)

「どうやって動かすの?」

(イメージして、あなたの考えをわたしが実行するわ)

「わかった」

美羽はモニタに写し出される黒いコンテナを取ろうと思った。

すると、ゼロワンは膝を付いてしゃがみ込むと、黒いコンテナを手に掴んだ。

「取れたわ」

(今度はコンテナの中身を取り出して)

「わかった。やってみる」

美羽が思考すると、ゼロワンはコンテナのロックを解除し、中から折り畳まれた銃、レールガンを取り出した。

(この世界での最強兵器よ。それを持って行きましょう)

「うんわかった」

まるで人間のように、スムーズな動作でゼロワンはコンテナトレーラーを飛び降りた。

「私たちは夢を見ているのか……」

「う、上園一曹、ゼロの火器管制プログラムが完成してます」

「なんだって?」

それは完璧なソースコードだった。文句のつけようもない美しい仕上がりに、上園は嘆息を漏らした。

それは、ゼロワン起動のおまけにユリアが片手間に修正したものだった。

「何が起こったのか分からないが調査は後回しとする。この神のプログラムをゼロに転送するぞ」

「了解しました」



  8 ~殲滅~
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大翔と村雨は、見えない敵を相手に苦戦していた。

幸い破壊力はそれほどでもなかったので、バウンザーはその装甲に守られて被害は軽微だったが、闇雲に機関砲を連射したので、もう残弾がなくなってしまった。

反対にゼロはかなり深刻なダメージを受けていた。

強化カーボン複合材の装甲は、所々亀裂が走っており、関節部の気密性が失われたため、機動性も鈍くなっていた。

なにより、中に入っている大翔の体力は限界に近かった。

ゼロの運用限界は二時間だが、それは通常に運用した場合で、戦闘時においてはその時間は格段に縮まる。

最大三〇分。これが大翔の体力が持つ限界のであった。

そうして戦闘はすでに二〇分以上経過している。

この見えない敵の後に、まだ九体近くのバグリーチャーがこちらに向かっているのだ。

幸い足はそんなに速くはなかったが、あと数分もすれば、第二派がやってくる。

「戦闘レンジ内に、三、いえ、四体進入しました」

レンのつたない報告がインカムに響く。

「ちょっとやばくないか?」

「喋ってる暇があるなら奴を足止めしろ」

めくら撃ちの簡易型電磁レールガンが虚しい号砲を上げる。

「お前こそ無駄弾打つなよ、バッテーリが干上がっちまうぞ」

そう大翔が悪態を吐いたときである。

ゼロとバウンザーの間をすり抜け、迷彩能力によって身を隠したバグリーチャーにレールガンの弾道が貫通し爆散する。

まるで正確な位置を掴んでいたかのような、完璧な狙撃だった。

「な、なんだ!」

「いまのは……」

慌てて後部モニタを表示する二人。

そこには、真紅の人型兵器、ツーアイズ・ゼロワンが、スナイパーのようにレールガンを構えて立っていた。

「ゼロワン……だと……?」

大翔は信じられないという口調で呟く。

「あれはゼロか?」

村雨の問いに大翔は答えない。それほど混乱していたのだ。

「結城二尉殿、火器管制プログラムお待たせしました。転送します」

上園一曹の声がインカムから流れる。

「オ、オイ、それよりなんでゼロワンが、誰が動かしているんだ!」

大翔はプログラムの転送どころではなかった。

ツーアイズチームのトップシークレットとして極秘に搬入されたゼロワンが起動していることに驚きを隠せなかった。

「我々にも分かりません。ただ、先ほど保護したツインテールの少女が乗っていることだけは確認しています」

「……ツインテールの少女って、美羽のことか?」

「はい、恐らくその少女です」

「確かにゼロやゼロワンの起動キーとなる腕時計はあいつにやったけど……、それだけで動く代物じゃないだろ」

「ですが現実です」

「み、みなさん。お取り込み中すいません。あの、もうすぐそこまでバグリーチャーが着てます。危ないです。注意してください」

レンの言葉で我に返った大翔は、ダウンロードした火器管制プログラムを実行した。

ゼロの内臓火器のアラームが解除され、グリーンになる。

「ようやく反撃だ」

とにかくいまは目の前の敵を倒そう。

大翔は気持ちを切り替えて、バグリーチャーに対峙した。


美羽は自分が行ったことが信じられなかった。

あれだけ必死になって逃げ回ってきた相手を一撃で屠ったのだ。

照準その他、すべてユリアのサポートがあったからこそ命中したのだが、トリガーを引いたのは美羽自身である。

戦うことを禁忌とされているユリアにとって、トリガーを引く美羽は不可欠な存在だった。

ユリアはいま、ゼロワンと一体化し、頭から爪先まで全てを制御下に置いていた。

美羽の身体になるべく負荷をかけないよう、細心の注意を払いながらゼロワンを操る。

それはこの地球のコンピュータではとても制御できない複雑な処理だった。

ユリアと美羽。

この二人が揃ったからこそ、この兵器、ゼロワンは稼動することが出来たのだ。

「す、すごい……」

(感動するのは後よ。目の前にもう四体のベム《バグリーチャー》が迫ってるわ。その後にもう五体控えてるわ)

「そんなに沢山のバケモノ相手に勝てるの?」

(このゼロワンの性能なら勝てるわ。わたしと美羽。あなたとのコンビならきっと勝てる)

ユリアの思考は自信に漲っていた。

「わかった。ユリアの仲間を苦しめた奴等を、美優を泣かせた連中をやっつけてやるわ」

(行きましょう)

「ええ!」

ゼロワンは脚部スラスターによって、ホバリングしながら移動を始めた。

その最高速度は時速二〇〇キロメートル。

ゼロの無限軌道ホイールでの走行の倍以上だった。

ゼロワンは前方を移動するゼロとバウンザーを余裕で追い越すと、移動しながら最初に目に付いたバグリーチャーにハンドグレネードをお見舞いした。

爆散し、肉片が飛び散るバグリーチャー。

その青い体液をゼロワンは浴びるが、時速約一八〇キロメートルで滑空するゼロワンは、その体液を風圧で洗い流した。

真紅の塗装が黄土色の大地に映える。その赤はまるで、血の赤だった。

赤い血をもった人間の証であるかのように、赤々と輝いていた。

ゼロとバウンザーも負けてはいなかった。

火器が使用できるようになったゼロは、水を得た魚のごとく、ハンドグレネードを連射する。出し惜しみしないその攻撃によって、一体のバグリーチャーが破壊される。

バウンザーに取りついたバグリーチャーを、村雨はフルブレーキで引き剥がし、その倒れたバグリーチャーが立ち上がったところに簡易型電磁レールガンを叩き込む。電荷が足りなかったため、一発では完全に破壊できなかったので、もう一発叩き込む。

そうしている間にも、ゼロワンは残ったバグリーチャーをレーザーメスで三枚に下ろす。

僅か三〇秒足らずで四体のバグリーチャーを殲滅した。

「ノってきたな」

「これが実力だ」

「おーい美羽、聞こえるか」

大翔はゼロワンに向かって通信した。

「ど、どうすればいいの?」

(いま回線を開いたわ。話せるわよ)

ユリアが美羽に告げる。

「え、えっと。なに?」

美羽は緊張した口調でそう呟く。

「うひょう! 本当に美羽かよ」

「誰だ美羽とは?」

村雨が怪訝そうに尋ねる。

「民間人の少女さ。なんでお前が乗ってるんだ?」

「そ、それは……」

美羽は言いよどんだ。

(お喋りはそこまで、第二弾来たわよ)

「また敵が来たから後で話すわ」

美羽はそれだけ言って回線を切ると、ゼロワンを走らせた。

「お、おい待てよ!」

「やれやれ……」

――三分後。

特異点より出現したバグリーチャーは、すべて殲滅された。


戦場から一キロほど離れた丘の上で、三人の男女がゼロワンたちの活躍を見つめていた。

「圧巻でしたね」

双眼鏡から目を離した黒須川が嘆息を漏らす。

「あの赤い奴はおれが頂くゼ!」

マンイーターはゼロワンのすさまじい戦闘能力に惚れ込んでいた。

「今度はドジ踏まないでよね」

ノアは、はやるマンイーターを窘める。

「ッセーなノア。ダマッてろ!」

「それじゃあ計画通り、クロス頼んだよ」

「分かりました姐さん」

黒須川は愛車のGTサンパチに跨ると、スロットルを回してバイクを走らせた。

「上手くいくのかしら?」

「イかせるんだよ。是が非でもな」

マンイーターとノアはジープに乗り込むと、アジトへ向かってアクセルを踏んだ。
最終更新:2007年09月16日 11:18
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