ABCまとめ8


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

(そういや……陽菜の家ってあんまり来たことが無いな。……最後に来たのはいつだったか……)
「……わからん」
記憶のパズルは半分程完成しているんだと思う、だけれど何故か重要な部分ばかりが抜け落ちてしまっている。
後1ピースでも正しい記憶を当てはめれば、残りは芋づる式に引っ張り出せる、そんな気もするのだけれど……。
「ぐーてんもるもるー、おまたせヒロ君!」
「……おう」
ドイツなのか化学なのかも良くわからない挨拶と共に戻ってきた陽菜が右手に持っていたのは、今ではあまり見ない程大きい家庭用のビデオカメラだった。
ずんぐりとしていて随分と重そうではあるのだが、陽菜が言うには「見た目ほど重くはない」そうだ。
「それ、持って歩くのか?」
「んー、夜景とかも撮っておきたいじゃん? まあ物が物だしあんまり奇麗には映らないんだけどね……」
新しいものに買い替えればいいのにと進言したのだが、陽菜にそれは無粋だよと駄目だしされた。
「新しければそれでいいってわけでもないよ? ……ま、そんなこと言ってもしょうがないって! 早く行こう?」

陽菜が俺の手を取って歩き出す。
夏の夜とは思えない程に涼しい風が吹く闇の中を、純真な子供のような好奇心を抱えて進んだ。


元は、陽菜のおかしな様子が気になって付き合っていた散歩だった。
だけれど、今俺は全てを笑い飛ばせるくらいに楽しんでいる。
陽菜との取り止めの無い会話だったり、俺が制服姿だったせいで警察に追いかけられたり、ゲーセンの格ゲーで陽菜に惨敗したり。
いつの間にか、陽菜を心配する立場から一転して共に笑ってしまっていた。

……これほど笑ったのは久しぶりだ。
陽菜と遊ぶことがこれほどまでに楽しいなんてな……。(まあ、崩壊を目前にして精神のタガが外れていたと言うのもかなりの要因を占めると思うが)
でも、このまま崩壊を迎えても、笑って死ねるかもしれないと少し思える程には、心が至福に満たされたんだ。


「はぁ~……つっかれたー……」
そしてまたあの公園に戻ってきている。
互いに息が上がっていて、二人してベンチに座って天を仰いでいた。
「いやぁー、でも、いい絵が撮れたさー」
「……そうかぁ? ずっとぎゃーぎゃー騒いでただけで、夜景やらなんかは全然撮ってなかっただろ?」
「ぎゃーぎゃー騒ぐからいいんじゃない!」
撮影のポリシーについて自分に酔いながら熱弁を振るう陽菜に生暖かい視線を送っておく。
「というわけでかの伊丹十三がねぇ~……ヒロ君聞いてる?」
聞いてはいる。だけれど俺の興味というか指向は別の所に向いているのであまり意味はなく。
俺は撮影に関するポリシーとは全く関係ない話を陽菜に振った。
「こうやって二人っきりで遊ぶのって、いつ以来だっけ?」
「…………」
別に自分の話を中断されたことに不快を覚えてはいないようだったけれど、変わりに答えにくいと言う表情を浮かべて黙ってしまった。
「……陽菜?」
「初めて、かな」
「え……?」
「だから、初めてだよ、多分……」
…………確かに、記憶がしっかりと残っている中学からは、陽菜と二人で遊んだ記憶なんてまるでない。
だけれど俺がまるで覚えていない幼少の頃でさえも、無かったというのか? 幼馴染なのに?
「昔っから、ヒロ君は美羽ちゃんとずーーーっと一緒だったでしょ? 私がヒロ君を誘えば、オプションみたいにいつもついてきてた」
「……ああ」
確かに、そうだったかもしれない。
「それに、途中から美優ちゃんもやってきたじゃない。すっかりお兄ちゃんだったからさ、ヒロ君は……。私と二人っきりで遊ぶなんて、無かったんだよ」
古傷を自分で抉るかのように苦い顔で、陽菜は語る。
その言葉にはどこか自嘲が感じられ、鬱めいた空気が陽菜の周りに漂っていた。
「……陽菜」
突然の豹変にどう反応していいか分からずに言い淀んでいると、陽菜はポケットからビデオテープを取り出した。
「…………これ、見る?」



『兄貴待ってよーーっ!』
『うるせーっ! 追いつける奴だけついてこーーい!』
『ヒロ兄ちゃん、早すぎーっ!』
子供が四人いた。
どこかの高原にピクニックに来た時の映像らしく、俺(らしき少年)は他の少女達を置いて風の如く走り回っている。
その後から、俺を兄貴と呼んでついてくるツインテールと呼ぶには短いちょこんとはねた髪型の女の子と。
俺をヒロ兄ちゃんと呼ぶ活発そうな女の子が必死についてきている。

一人だけ、その様子を距離を置いて見守るように立っていた。
『…………』
石象のように動かないその女の子は、ただ距離的なことだけでなく精神的にも間を置いているように見える。

「この兄貴って呼んでるのが美羽ちゃん、一歩離れて見てるのが美優ちゃん、ヒロ兄ちゃんって追いかけてるのが、私」
陽菜がスクリーンを指差しながら解説を入れる。
「……ヒロ兄ちゃん……って呼んでた……っけ」
「うん。私この頃は背が小さかったし、ヒロ君は頼りになる兄貴分って感じだったもん」
その時、記憶のピースが一つ、指先にかすった気がした。
後少し、何かきっかけがあればそれを取り戻すことも可能だったかもしれない。だが陽菜はビデオカメラの再生を止めてしまう。


「本当のこと言うと……美羽ちゃんに嫉妬してた」
「嫉妬?」
「私はヒロ君と二人っきりで遊びたかったのに、いっつもヒロ君の隣には美羽ちゃんがいたから」
「…………」
そして陽菜は。
「ねえ、ヒロ君」
「ん?」
呼吸するように自然と、朝におはようと挨拶するくらい平然と、
「好きだよ」
告白をした。


「…………」
瞬時にその言葉を理解できずに、まるで脳が全ての言語を忘れ去ったかのごとく何も言えなくなる。
陽菜は俺が呆気にとられている間に続けた。
「でもね、返事はいいの」
「……え」
ようやく絞り出せたまともな返事とは言えないその反応に、陽菜は笑った。
「私、明日引っ越すから」
「……!」
衝撃的な発言が二つ重なって、俺は更に絶句させられる。

また自嘲するような笑みを浮かべて陽菜が呟く。
「本当はね、言うつもりなんて無かった。……ヒロ君はずっと悩んでるみたいだったし、私なんかが更に悩み事を増やしちゃったらって思ったら、言えなかったの。
ほんっとーに真剣で大事なことだって、ヒロ君を見てわかったから……黙って引っ越して、後でお手紙だけ出すつもりだったのに……」

「卑怯で、中途半端だよね……私って」

力無く項垂れて、懺悔するかのように陽菜は話す。

「だから、返事は貰わなくてもいいの。これはただの自己満足だから、ヒロ君が今悩んでる問題が解決して、私がもっといい女になれたら……また、告白するから」
――そんな時間なんて、もう無い。
でも、陽菜は陽菜で真剣に悩んでいるんだ。

引っ越しなんて世界の崩壊に比べたら大した問題じゃない? そういうことじゃないだろう。
問題の大きい小さいじゃない。
俺は、自分だけがとんでもなく苦しんでいると思いこんで傲慢になっていた。

ノア先生やレンのおかげで少しは目が覚めたけれど、だけれど、陽菜は……。

「何で、そんなこと……?」
「だって、好きな人を困らせたくないもん。私なんかがヒロ君の悩みにすらなるかもわからなかったけど……ね」
「…………」
「いつだって、私はヒロ君の為に何かしてあげたくって……でも、逆に迷惑かけちゃったり……失敗してきて……それに、今も……」
――本当に、ごめんね。
謝る顔としては不釣り合いな笑顔。
ああ……俺は以前にも、こんなことがあった。
それは、無くしていた記憶の欠片だ。

一度キーになるピースが当て嵌められてしまえば、後は子供用のパズルよりも簡単だった。
ビデオが上映されるかのように、記憶が再生されていく。

ピクニックに出かけたことがあった。
美優がどうしても懐いてくれなくて落ち込んでいた時、陽菜が一緒に苦心してくれた。

陽菜が家に泊まりに来たことがあった。
怖がる陽菜の為に、一緒にトイレについていった。

兄妹喧嘩をしたことがあった。
陽菜が二人の仲裁をしてくれた。

親に怒られて、陽菜に八つ当たりをしたことがあった。
陽菜は
怒るどころか、笑って諭してくれた。

何故俺は、陽菜に関する記憶ばかり忘れていたんだろう?

こんなにも一緒にいたのに、一緒にいてくれたのに。

……俺は……。

「陽菜のことが、好きだった……」
「え……!?」

「ずっと一緒にいてくれたんだ。……思い出してみたら、陽菜はいつも俺の為に行動してくれていた……」
一晩かけても、恩は語りきれないだろう。
二人きりで遊んだことはなかったけれど、それでも一緒にいてつまらないことなんてなかった。

……いつも明るい陽菜を、俺は好きになっていた。
美羽や美優のことももちろん好きではあるけれど、陽菜は特別だった。
それだけの魅力と、思い出が、陽菜にはある。

「こんな大事なこと、何で忘れてたのか、俺にもわからない……。疑うかもしれないけれど、この気持ちは本当だ」
「ほんとに、ほんと?」
「ああ、本当だ」
俺は、世界の崩壊の前に、ようやく大事なものを取り戻すことが出来た。

陽菜の手を取って、じっと目を見つめる。
段々と、トマトが熟していくみたいに陽菜の顔が赤くなっていく。
「ヒ、ヒロ君……」
二人の距離が縮まって……。

「兄貴ーーーーーーーーっ!!!!」
「!?」

美羽の叫びが聞こえて、慌てて距離を取る。
暗くてもわかる、声だけじゃない。あの炯々とくりぬかれて光る目は美羽だ。

殺意の塊が闇にまぎれて近づいてくる……身構えなければ!

「こんの馬鹿兄貴Take4! WANABEEEEEEEE!」
「ぎゃひいいいいいいっ!!」
事前の身構えなど、B29に立ち向かう竹やりを持った兵士より簡単に蹴散らされた。

結城美羽○―×結城大翔
 決め技 七年殺し


「う……うう……美羽……なんでここに……」
「私だけじゃないわよ、美優もいる」
地面に倒れ伏しながら顔だけあげてみれば、ふんぞり返る美羽の後ろに、俯いたままの美優が立っていた。
……外灯の範囲から外れているので表情までは見えないけれど。
「ごめんね、ヒロ君……。私がトイレに入ってた時メールしたんだ。この時間に公園に来てって」
いや、ごめんねとジェスチャーされましてもこの痛みはどうしようもありません。
「……何で、呼んだんだ……?」
美羽は厭味ったらしくかぶりを振って、俺を怒鳴りつける。
「あのさあ! 貴俊さんの家に泊まりに行くとか言っといて、電話したら来てないって言われるし、しかも携帯切ってて行先がわからないともなれば気になりもするに決まってんでしょ!?」
「ば……ばれてたの?」
「ばれてたもクソも無いっての、陽菜さんはずっと兄貴のこと探してくれてたんだよ!?」
「え……」
陽菜の方を向くと、「連絡受けてさ……。そういうことだったんだ」と恥ずかしそうに言った。
だから、ノア先生と一緒に会った時にあんなに息切れしてたんだな。
俺のせいで、走り回っていたから……。
「美優なんて、警察呼ばなきゃなんてうろたえて……本当に何やってたわけ!?」
「……ごめん。ただ、ぶらぶらしてただけなんだけど」
服についた砂を払って立ち上がり、頭を下げる。
それでも美羽は攻勢を緩めない。
「たく、もし危ない人とかに絡まれたりしてたらどうすんのよ? お守りの意味、無いじゃない!」
「……あ……」
お守りの言葉を聞いた途端に俯いた俺に、何か後ろ暗いところがあると判断したのだろう。
美羽が顔を寄せて問い詰めてくる。
「何かあったの? 言って」
「お守り……壊しちゃってさ」
「………………どうして?」
火山の噴火のごとく激怒すると予想したのだけれど、美羽の対応は思ったより相当に冷静だった。
「その、転んだ拍子に、ぐちゃっと」
「…………怪我は」
「……してない」
「じゃあ、いいでしょ! お守りなんだから、持ち主を怪我から立派に守ったんじゃない!」
本当はレンに壊されたのだけど、このことは言わないほうがいいだろう。
「じゃなくて、兄貴は周りの人にどれだけ心配かけてるかわかってないって言いたいの! それでなくても、ずっと前から様子が変だったのに……!」
「…………」
「嫌な予感がしたの。ふらって消えて、そのままどこかに行っちゃいそうで……」
「…………」
「とにかく馬鹿! 世界一の馬鹿! アンドロメダ級の銀河馬鹿!」
「…………ごめん」
もう一度、深い反省をこめて頭を下げた。

「ま、まあまあ、美羽ちゃん。そのくらいにしてあげよう? ヒロ君だって悪気があったわけじゃないんだからさ」
陽菜が慌ててフォローを入れてくれる、いつもならそれは美優の役目だったのだけれど、今はただ輪から外れてじっとしていた。
「でもね、美羽ちゃんがいっちばんヒロ君のこと心配してたんだよ?」
「ちょっ、陽菜さん……!」
途端慌てだす美羽をからかうように陽菜が続ける。
「私に連絡してきた時もねぇ、ほんっとーに慌ててさ、『あ、兄貴そっちに行ってませんか!?』なんていきなり大きな声で言われたもんだから耳にキンキン響いて……」
「陽菜さんっ! いくらなんでも怒りますよっ!」
美羽が怒声を張り上げて陽菜を追いかけ、陽菜は踊るようにそれを避けて逃げ回る。
昔に戻ったかのような追いかけっこに少し和みながらも、俺は先ほどから無言の美優に歩み寄った。

「美優」
「っ……!」
ただ一言声をかけただけなのに、美優は暴力に怯える小動物のように身を竦める。
その仕草に驚いて、少し腫れものに触るような対応にならざるをえなかった。
「……えっと、悪かったな」
「ううん……お兄ちゃんが、大丈夫なら、よかった……」
美優は何故か俺の顔を見ようとせず、その眼尻には涙が溜まっているように見える。
「何か、あったのか?」
「私……私が……今まで……お兄ちゃんの、き……おくを……ぅ……うぅ……」
「な。なんだ? なんで泣いてるんだ? ほ、ほんとにごめんな! 心配かけて……!」
「ち、違う……お兄ちゃんは、悪くないの……。私が……全部わるいの……」
「美優……?」
しゃくり上げながら涙をぼろぼろ零し、もはや言葉にならないままに喋り続ける。
「わだじ……おにいちゃんを、どられたくないからって……ひっぐ……」
そんな姿を見ていられなくて、俺はいつの間にか美優を抱きしめていた。
「……お、お兄ちゃん!?」
「美優、辛いなら言わなくていいんだ。……美優も、何か大事なことで悩んでたんだよな? そこで、何かを間違ったのかもしれない。
だけれど、それは俺も同じなんだ。誰だって間違ってしまうことがある、でもそこで、ちゃんと後悔して反省できるのなら……まだ大丈夫。
それに……わかってるから、美優はいつも俺や美羽、皆のことを考えてくれてるって。
ありがとう、美優。本当に感謝してるんだ、だから……泣かないでほしい」
「お兄ちゃん……」


「い、いだいいだいいだい! 美羽ちゃん痛いぃ!」
「お仕置きですから痛いんですっ……って兄貴っ、美優に何してんの!?」
うるさい二人に見つかったが関係無いね……とか思っていたのだが、美優の方は恥ずかしかったらしく俺からゆっくりと離れる。
「ひ、ヒロ君さっそく浮気かー!?」
「は? 浮気って何のこと?」
陽菜が自ら地雷原に突っ込んでいた。
俺が下手にフォロ―すると余計にまずいことになりかねないので、口を出すことはできない。
「あ、あー……? ぐ、ぐわしだよ、ぐわし! ヒロ君がいきなり美優ちゃんをぐわしと……!」
「…………いいですけど」
微妙に怪しむような目をしながらも美羽は身を引く。
勘のいいやつだ何か気付いてるかもしれないが、確信が無い限りは言えないんだろう。
「まあ、とにかく兄貴は離れて! いい? 今は何となく吹っ切れてるみたいだからいいけどね、いつ死んでもおかしくないような顔してふらふらするのはもう絶対にやめてよね!」
「あ、ああ、わかった」
そこまでひどかったんだな、俺の顔。

「わかったなら良し! それじゃ、帰るわよ」
美羽が美優をつれて歩き出し、その後ろから陽菜と後についていく。

『自分の周りにどれだけ素晴らしい人間がいるのか、思い返してみることだ』

……本当ですね、ノア先生。
俺は幸せ者だ。こんなにも他人に思ってもらえて、心配してもらえて……優しさに包まれてる。

俺だけが悩んでいるわけじゃない、皆が悩みを抱えている。
それでも、自分が悩みを抱えていても、家族や友人が悩んでいるのを放っておけないんだ。

こんな俺のことを本気で気にかけてくれるんだ。

……なのに、俺は自分の頭の中でばかりぐるぐると思考して、他人のことをわかったつもりになってた。
本当に向けられた優しさに気付こうともせずに、何でこんなにも辛いんだろうだなんて戯けたことを考えてた。

「……ああ」

そして唐突に気付いた。
何で俺はあの時、レンを責めてばかりいたんだろう。

元々の原因は俺だった。
考える振りをしてごまかして、結局周りに心配ばかりをかけて、逃げ続けて答えを避ける。
そんなことばかりをしてきた罰が与えられたんじゃないか。

自分だけが辛いみたいな自己満足に浸って、ユリアの気持ちなんてほとんど考えたことが無かった。

レンも、ユリアのことばかりを考えているわけじゃない、その割合が大きいのは確かだろうけれど。
今朝のレンはとても優しい目をしていた、……あの告白について、真剣に考えていたじゃないか。
ユリアのことになると見境がつかないだけで、とても優しい人間だってことはわかっていたはずだ。

本当に、自己満足の為だけに助けたいと言うのならば問答無用で連れていけばいい。
レンならそれも可能だろう、だけれどそれはしなかった。姫を悲しませるなとだけ言い残した。

結局判断を俺に任せたということは、自分が後悔しないような道を選べというのが本音なのだと思う。

自分が後悔しない道は、皆と共に歩いた先にしかない。

こんな素晴らしい世界で、素晴らしい人々に囲まれて生きているんだ。

みんなの気持ちがやっと少しだけ理解できて、俺はその上でどんな道を選ぶのか……。

もう、一人で考える必要はないだろう。


「……陽菜」
前を歩く二人には聞こえないように、陽菜の名を呼ぶ。
「ん? ん――っ!」
そして、陽菜が何か言葉を発する前に、唇を重ねた。
ふとした拍子に二人が振り向かないとも限らなかったけれど、何となく今がいいタイミングだと思えたから。
舌を入れたりはしない、初々しく短いキスだ。
それでも陽菜は脳内に麻薬でも垂れ流されたかのように呆然とし、ぱくぱくと口を開いたり閉じたりするだけになった。
「ごめんな、でもお互い様だ」
多分陽菜にしかわからないだろうことを囁いた後、
「なあ、美羽、美優」

帰り道の途中、前を歩く二人を呼びとめる。

「明日のことなんだけど……さ」

SFの短編にあった気がするな、『たった一つの冴えたやり方』って。
本当に、冴えたやり方は一つだけしかないのだろうか?


家に帰る際に俺の精神は戦々恐々で、ユリアやレンとどんな顔をして会うかと考えていたのだが、二人はおらずに拍子ぬけさせられた。
美羽が言うには、二人とも出かけるべき場所があるらしい。
兄貴と違ってユリアさんとレンさんならしっかりしてるから大丈夫だろうと判断したようだ。
失墜した兄の威厳に縋ってむせび泣いていると、最初から威厳なんて無いだろうと美優の言。

いつもなら喧嘩になるだろうが(そして俺が負けるだろうが)、その時は抑えた。
『贈り物』の用意をしなければいけなかったからだ。

この世界を別れ行く異邦人への、贈り物。


翌日、俺は一人で学校に来ていた。
美羽や美優、陽菜は家にいて準備を進めているはずだ、俺は姫とメイドをエスコートする役を仰せつかっている。
「来てるよな……?」
来るだろう。来てほしい。
もうすぐ滅びる世界で、虚飾にまみれた別れの言葉を贈る意味など無いとユリア達が判断する可能性も0では無い。
だけれど、それでも、この世界に少しでも愛着があるのならば……二人は来る。

そう思っていたのだが、朝の教室に二人の姿はなかった。
いや、まだ来ていないだけかもしれないと考えて席につく。教室はいつも通り騒がしくて、街には人が溢れていて、地球は変わらず回っている。
後数時間か――十数時間、どのくらいかはわからないが、世界はもうすぐ滅びる。
だけど皆、明日があるのが当たり前だって思っている。未来に希望を抱いて進む人も、この世の中に絶望している人も、夜布団に入れば誰でも明日を手に入れられると思い込んでいる。

そのことを思うと少しだけ悲しくなった。
それでも、少しだけだ。
今の俺はは自分でも驚く程に落ち着いている。それは、今の行動の根幹には俺の確固たる意志があるからだろう。

――ガラッ

しばらく経ってゆっくりと開いた扉から入って来たのは、学校のスクールカラーには合わない格好をした人物。
先生が入って来たのだと思い皆が雑談をやめたクラスメイトは、すぐに別の意味で絶句させられていた。

メイド服を着たレンが、凛とした雰囲気を纏って教壇に立ったのだ。

俺は見慣れてはいるが、学校での学ランしかみていない人にとっては女性的な服装のレンは新鮮というより衝撃的だったのだろう。
目を丸くしてレンを見ている。

レンはそんな好奇の視線にも気後れすることなく――不意に一瞬だけこちらを見て――教室全体に響き渡る声で言った。


「教諭はまだ来ていないようだが、先に話をさせて頂く。突然なことではあるが、私とユリア様は今日この時を持ってこの学校を去り、国に帰ることとなった」
教室内がざわめき始める。
何人かの視線が俺の方にも向けられ、俺はそれにかぶりを振って知らないと嘘をついて答えた。(皆は俺の家にユリア達が泊まっていたことを知っている)
「ユリア様は多忙の為この場に来ることは出来ないが、感謝の言葉を承っている。
『皆様と共に過ごした一年間は、私の中で大切な、代え難い宝となりました。皆様のことは絶対に忘れません』とのことだ。
無論、私も姫様と同じく貴殿らには感謝している、この場で過ごした日々は一生忘れられることなく、精神の糧として私の中に生き続けるだろう」

真に迫る何かを感じ取ったのだろう。
演説にも似たその話に、皆が聞き入っていた。
心の底からの言葉で無ければ、ここまで人を惹きつけることはできないだろう。

――ああ、レンは、やはり優しい人間だ。

レンは一度壁にかけてある時計に目をやり、続ける。

「もう時間が無い。名残惜しくはあるが、私達はもう行かねばならなくなった。再び見えることがあれば、その時はまた懇意にして欲しい。……さらばだ」

微量に憂いを孕んだ瞳で最後の一言を終え、レンが迷いなく教室を出て行こうとする。
皆が無言でそれを見送った、まるで強制されているかのように。
別れの挨拶はいらない、レンの背中がそう語っていたから。

そして教室の扉が閉じられる。
しばらくは皆が静謐に沈んでいた。
だけれどその内俺にも質問などが向けられるだろうということを予想し、俺は皆に気付かれないように教室を出た。


「レン!」
心地よい足音を立てて廊下を歩くレンの背中に呼びかける。
レンは最初から呼び止められることをわかっていたかのようにゆっくりと振り向いた。
「……よっ」
「ああ」
すまなさそうに目を伏せる。あの時のことを少しは後悔しているのだろうか。
だが俺はレンを責めるつもりなど毛頭無い。不自然にならないよう笑顔を浮かべて言った。
「ユリアは、どこにいるんだ?」
レンは自分が憎まれていると思い、必要ならばまた冷徹を装う仮面をつけて俺と向かい合うつもりだったのだろう。
あまりにも拍子ぬけな態度に少し毒気を抜かれたようだった。
「……ユリア様はある場所に陣を張っていた」
「陣?」
「転移魔法には莫大な消費量の魔力と念入りな準備が必要だ。姫様は昨日からの準備をようやく終え、今は休んでおられる」
俺には魔法のことは良くわからない。とりあえず俺は自分の役割を果たさなければいけないんだ。
「あのさ、レン。これからユリアを連れて家に来てくれないか?」
レンは少し驚くように目を丸くして、平静を装って言った。
「何故だ。何か用があるのか? 私達には時間が――」
「正確には、後何時間くらいだ?」
三秒ほど考える間を置いて、「五時間と言ったところか」とレンは答えた。

――五時間、それがこの世界の残りの寿命か。

五時間あれば何ができるだろう? 
世界を救うには足りないだろう、何よりも俺には力が無い、魔法が無い。
だから、無力なりに出来ることだけをしよう。

「五時間あれば十分さ、ユリアを連れて家に来てくれよ。出来れば、今すぐがいい」
多少不躾な物言いだったからか、レンは眉を顰めて短く言った。
「何の意味がある? それよりもヒロト殿には考えるべきことがあるだろう」
冷たい視線を受け止め、俺は肩を揺らして答えた。
「答えは、もう出てる」
「本当か」
「ああ、本当だ。……レン達が家に来てくれるなら、伝えるよ」
レンはしばらく俺の目をじっと見つめ続けた。
俺も物怖じせずに見つめ返す。やがて俺の目から何かを感じ取ったのか、レンはすいと離れて言った。
「どうやら本当のようだ。今すぐ聞こう」
「だ、だから後で――」
「今だ」
有無を言わさぬその視線、今言えば家でのイベントを素直に楽しんではくれないだろう。
「何を躊躇うことがある?」
「……この答えを聞いても、ユリアや美羽達にはいつも通り接して欲しい」
「場合によるな」
都合の良い返答に少し困りながらも、俺は端的に答えを述べた。

「俺は、この世界に残る。……誰もそちらの世界には行かない」

「――そうか」
レンは、最初からその可能性もあると考慮していたのだろう。
多少驚きはしたものの、あまり表には出さずにそのまま言った。
「認めるわけにはいかない」
地獄の底から響くような声。
背筋が震えて足が動かない、目の前には姫に仕える従者のレンではなく、人を容赦なく斬り伏せることができる剣士のレンがいる。
「ついてくるといい、決着をつけよう」

レンにつれてこられた場所は、武道場だった。
今の時間、授業で使われてはいないようで誰もいない。
俺も一年生の時に少しだけ柔道をやりはしたが、その授業以外で立ち入ったことはない。
気合の入った掛声だとか、飛び散る汗のにおいだとか……いろいろ耐えられないし、興味が無かったからだ。
だがレンが良く剣道部に寄っているのは知っていた、剣士としていろいろ見ておきたいものがあったのだろう。
レンはすたすたと用具が置いてあるだろう倉庫に近づいて行く。
扉に手をかけて――鍵がかかっていることに気が付いていた。

「……どうするんだ」
「言っただろう。不可能を可能にするのが魔法だと」
一年前に聞いた台詞と共に鍵穴に手をかざす。数秒集中するように目をすっと閉じ、すぐにかちりと鍵が落ちる音がした。
まるで最初からそうだったように、扉はからりと開く。
「ここで待っているといい」レンはそう残して用具室の中に入り、すぐに竹刀を二本持って出てきた。内一本をこちらにぞんざいに投げ渡す。
「……これでどうしようって?」
「勝負だ」
レンは決然と言い放った。
「ただの勝負では無い。私が勝てば貴様の答えを変えてもらう。ヒロト殿が勝てば……先ほどの答えを甘んじて受け入れよう」
「……そう言われてもな。レンは俺に答えを任せてくれたんじゃないのか?」
「だが私はユリア様を悲しませることは出来ない。これが私にできる最大限の譲歩だ。――言っておくが、手加減はしない」
すっと、武道場内の空気が変わった。
レンは竹刀を足の横に添えるようにして両手で握る。
「私は、このシナイと言う剣を今までに何本も折ってしまった。私の力には合わない」
「…………」
「防具も無く受ければ間違いなく怪我は免れない。降参するならば認めよう」
「でも、降参したら俺は答えを変えなくちゃいけないんだろ?」
「無論だ」
「じゃあ、駄目だな」
のらりくらりと答える俺に、レンは少し苛立ちながら言った。
「何故だ。わざわざ死ぬ為に怪我を負うと言うのか? 助かる為に負う怪我ならばまだわかる、だがその逆など……理解できない」
「俺には、俺の考えがあるよ」
俺は、いつかテレビや漫画での見よう見まねで竹刀を握り、構える。
……勝てないだろう、だがやるしかない。
「ルールは、俺が一撃を入れれば勝ち、レンは俺を再起不能にするか参ったと言わせれば勝ち。……それでいいか?」
俺の問いに、レンは仏像のごとく穏やかに目を閉じ頷いた。
「そのくらいのハンデはくれてやる」




空気が張り詰めていた。
誰かが少しでも音を立てれば、破裂してしまいそうな雰囲気の中、結城大翔とレン・ロバインは向かい合う。
間刃の間、二人の間には一度の打ち込みでは詰らない隔たりがあった。
「…………」
大翔は思考する。
まともに戦って勝ち目はない、自分が相手に勝つには策を考える他に無い。
だから、ある程度の距離を保ち、剣先でレンを牽制するようにしながら考える時間を作ろうと試みていた。

だが、しかし。

「っ!」
レンの身体能力の前には、大翔の甘い算用など取るに足らないものとなる。
一瞬というにもまだ遅い、刹那の足捌きでレンは大翔に肉迫する。
「はっ!!」

バシッ

「ぐぅ……!」
大翔はそれを目で追うのが精一杯であり、肩へ打ち込まれた竹刀を防ぐなど夢のまた夢といった様相だ。
思わず竹刀を取り落とし、右肩に走る焼けるような痛みに膝をつく。

「私の勝ちだ」
レンが構えを解いて膝をつく俺を見下ろした。
その眼は憐みに満ちていて――この勝負を早く終わらせてしまいたい――そんな気持ちが感じ取れた。
「まだ、だ」
苦痛に顔を歪めながら、左手で竹刀を取る。
「……ふーっ」
深呼吸と共に立ち上がる、肩に籠るような痛みを必死に抑え込んでいるのだろう。
その額には脂汗が浮かんでいる。
「痛かっただろう? 進んでそんな痛みを味わう必要など無いのだ。……降参し、考えを改めろ」
レンは少し距離を置いてそう言った。
「嫌だ……」
だが、大翔はそれを受け入れない。
レンの心をひたすらに困惑が支配した。
勝負を始める前に放った言葉とは裏腹に、レンは迷っている。

「……っ」
頭を振って纏わりつく迷いを払う。
再び竹刀を構えなおし、痛みをこらえながらも尚笑いを浮かべる大翔と向かい合った。

――理解出来ない。

理解しようとも、思えない。
レンは再び距離を詰め、大翔の体に竹刀を打ちつけた。


そこから先は、酷いものだ。
レンは努めて表情を消し、痛みを持って大翔を屈服させようと体の到る所に竹刀を打ちつける。
大翔は嵐のように襲いかかるレンの攻撃を満足に防ぐことも出来ずに、全身に打撲や切り傷を負っていた。
制服の各所に血が滲み、足は震え、立っているのがやっと。
満身創痍、それが大翔の現状だ。

だが、目は死んでいない。
自ら死に向かおうとしているのに、これ程までに生きた目をしているのは何故だ?

「……っ」
大翔の体を傷つけていく度に、レンは自分の心を削り取られていた。

これは、最初から大翔が勝てる筈の無い勝負、レンはそれを理解したうえで大翔に竹刀を握らせた。
(私は、卑怯者だ。だが……)
実のところ、ここまで傷つける予定なんてなかった。
ただ大翔は血迷っているだけで、数度打ちつければ正気を取り戻し考えを改めるだろうと考えていたのだ。
だが、時間の経過と共にそうでは無いことを否応なく理解させられる。


理解できない大翔の心。良心の呵責。
二つの要因に押し出されるように、レンは震える声で言った。

「いい加減にしろ! ヒロト殿が私に勝てないことなどわかっているだろう!」
「ああ、わかってるよ」
「だったら、何故降参しない! 何故生き残る権利を放棄する!?」
「……不可能なことを可能にするくらいの気概を見せないと……レン達にわかってもらえることはできない……そう、思ったから……」
「…………!」
その言葉を聞いてレンは沈黙する。
前髪で目が隠れる程に俯いて、構えをといて腕をだらりと垂らした。
「レン?」
大翔がその様子を訝しんで声をかける。
「ヒロト殿は、私達の気持ちなど、どうでもいいのだな……」
「え?」
武道場の板の間に、ぽたりと水滴が落ちた。
それがレンの目から流された涙なのか、ただ激しい運動からくる汗なのか、前髪で隠れている今では知ることはできない。
「――来い、次で勝負を決める」
レンが竹刀を握り直すと同時に、総毛立つ程の殺気を全身に浴びせられる。
……いや、これは怒りだ。悲しくて仕方ないのだけれど、泣くのは悔しいから怒る。
ただの勘だけれど、先ほどレンが流したのはやはり涙だったのだろう。

「勝負を決める、って?」
「これ以上無駄に怪我を負わせる必要は無い。ならば、気絶させて無理やりに連れて行くまでということだ」
「…………そうか。だったら、俺も次で決めるよ」
「ほざけ」
レンの口元がわずかに歪み、つり上がる。竹刀は高々と掲げられ、大上段の構えを取った。
大翔はその構えから頭を狙ってくるのではないかと身構える――が、すぐに考え直す。
(守れば、負ける)
今までに大翔は一度もレンの攻撃を防げてはいない。
レンの剣は変幻自在、竹刀にいつかみた鍛練のように重い実剣のような重量は無いのだ。
ただでさえ速い剣は上から来ると思えば右から、右からくると思えば左から襲いかかってくる。
(……だったら、あれしかない)
もう一度深呼吸をして、大翔は覚悟を決めた。

「行くぞ……!」
震える足を板張りに叩きつけ、傷だらけの体に鞭を打ちレンに突進する!
竹刀は両手の親指と人差し指の間に構え、頭への打ち込みだけはだけはとにかく防ごうとしている。
つまり、その他の部位はどう打ちつけられようとも構わない。
――どんな手段を使ってでも、勝つ。痛みさえ我慢して前に進めば、勝てる!

だが、レンは少しも焦った様子を見せず。
「はああああっ!!」
切迫した気合と共に、雷の如く竹刀を振りおろす!

メキッ

大翔の竹刀が真ん中から折れる。

大翔の防御や覚悟など、刃物を前にした紙のように脆い。
レンは目でそう訴え、大翔の竹刀を折った勢いを殺さずに竹刀を頭部に打ち付ける。

「……終わりだ」
これで脳震盪でも起こし、大翔は気絶するだろう。
傷は、後で魔法で治せばいい。空間転移に使う魔力さえ残しておけばいいのだ。

レンはそう考え目を閉じた。

――最後の最後に起こした慢心。
自分の剣の威力の前に、膝をつかない者などいないと思い込んでいた。

「……まだだっ」
「!?」
そして、それが間違いであることに気付いた時には、もう遅い。
はっと瞼を開けば、額から幾筋もの血を流した大翔が目の前にまで迫っていた。
竹刀は折れても、大翔の心までは折ることはできなかったのだ。
「うああああああああっ!」
大翔は、ラグビーを彷彿とさせる体当たりでレンを押し倒す。
「がっ……!」
枯れ葉のように軽く吹っ飛んだレンの体は、大翔と床の板挟みとなり、強烈な衝撃からしばらく身動きがとれなくなってしまう。
大翔はそんなレンに馬乗りになるようにして、右手で折れた竹刀を振り上げ……。
「俺の勝ちだ」
こつんと、その額を柄で小突いた。
「……え?」
呆気にとられるレンの顔を見て、大翔は満足そうな笑みを浮かべる。
「一本、だな――」
そして、大翔の意識は途切れた。
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。