ホムンクルス騒動c


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『全世界で起こったこの大規模な地震での各地の人的被害は、ほとんどありません』
 ニュースキャスターは意味不明な原稿を読み上げている途中だった。
『六月三十日、日本時間午後二時五十一分ごろ、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、南極大陸、オーストラリア大陸、その他各島国で大小規模の地震が発生していることが確認されました。現在各地で津波の心配はありません。地球全体で起こったこの地震では、その要因が分からないこと、発生地点が不明確である点など謎が多く、地質学者は――』
 俺はそこでテレビの電源を切った。リビングでは、俺と美優がソファに座っている。
 レスキュー隊員と外に出た俺と陽菜は、あの後、さっさと歩いて帰ってきていた。人がゴミのような駅で電車を待ち続けるのは嫌だったし、何より、精神的にも落ち着けるという考えからだった。陽菜も俺とほぼ同じ考えだったらしく、道中休み休みで線路の横を歩いていた。
 帰ってみると、まず驚いたのが家が出てきた時とまるで変わらなかったことだ。美羽や美優、ユリアやレンは俺が帰ってくると盛大なお出迎えをしてきた。ちなみに美優は半泣きだった。話を聞いていると、何でも貴俊が電話をくれたらしい。全員に怪我はなく、また、家財に壊れたものも皆無だった。
 地震直後は、部屋中ごちゃごちゃしていたが、俺が帰ってくる間に相当片付けたという。確かに、俺の部屋は誰も手をつけていなかったので、色々な物が吹っ飛んでいた。
 ほんの数時間前には、確かに地震はあったのだ。
 帰ってきてからは、俺はテレビやネットから情報を集めまくっていた。
 この地震で頭を抱えさせたのは、地質学者だけでなく、物理学者、数学者も同様に口をそろえて「ありえない」と言っているらしい。地盤や亀裂、建物なんかも地震の前とほぼ同じ姿だという。ズレが見当たらないのだ。地震が起きたという証拠が、そこからは得られないほどに。さらに不思議なことも多発していた。テーブルから落ちた卵が割れなかった。タンスの下敷きになった人間がまるっきり無傷だった。バイクと車の交通事故で、どちらも何の損害もなかった。調べればまだまだある。不思議どころではない、異常だ。
 翌日登校した時にも、学校は普段と変わらなかった。その日は、倒れた机なんかを元に戻す作業のみで後はケツを蹴られる感じで帰らされる。地震の日もホムンクルスを相手にしていたので、助かったのではあったが。
 貴俊は、「いよいよ地球はぶっ壊れるだろうぜ」と笑っていた。乃愛先生には、とうとう会うことが出来なかった。
 学校から帰ると、ユリアが深刻そうな顔で俺に詰め寄ってきた。
「異常です。精霊の力が異常に早く、この世界に……。一年、持たないかもしれません」
 俺はどう答えればいいのか分からず、黙っているしかなかった。乃愛先生なら、何か分かるだろうか。いや、あてには出来ない。だが、どうする? 何が起こっているのか、俺には理解できない。これがプロローグなら、いの一番に叩き潰さなければならないのに。
 この世界でやれることは少ない。やれそうなのは異世界……異世界か。
 魔法は見た、ホムンクルスはいた。その上で、異世界だけはまだ知らない。原因が向こうにあるのなら、俺たちがやっていることは茶番だ。ヘルメスの杖があるからいつでも行ける、といえば行けるのだが。どうにもそういう話は二の足を踏ませる。
 結局、異世界に行くかどうかの話は頃合を見て、乃愛先生の意見を交えて考えることにした。
 しかし、それからさらに三日が経つ。
 地震の日から乃愛先生は、急病で学校に来てはいなかった。何か変なことに巻き込まれてるのか、もしくは事情がとんでもなく悪化しているのか。
 少し、焦り始めている自分がいることに気づき、腹が立つ。地震以外にも乃愛先生に話したいことがあったのだ。ホムンクルスの――著しい成長だった。

『お兄ちゃん? うん。今、レンさんがホムンクルス倒したところ』
 夜も更けた午前一時頃。名前も知らない虫の音がBGMとして闇夜に広がっている。このBGMは今の俺にはクソったれた安っぽいポップミュージックよりも神経を逆なでする要因だった。その原因は、自分ではよく分からない。夏の夜の鈴虫の音色は子守唄代わりなのに。手に持っている木刀をぶん回したい気分にさせられる。
 俺は携帯を耳に当て、美優の現状報告を聞いていた。電話の向こう側からも虫の音が聞こえる。
「そうか……ビデオは回してたんだよな。何かあったか?」
『うん』一旦言葉を切って沈黙する。頭の中で情報を整理しているのだろう。『あのね、遠いところから攻撃できるようになったみたい』
 遠距離攻撃かよ。
『結構速いよ。レンさんも血が出ちゃったし……あ、でも擦り傷だよ』
 レンは腕はいいが、相手の力量を決め付けることと、画一的なものの見方しか出来ないのが欠点だな。十分に注意していれば、レンの腕なら避けられたはずだ。まぁ、その現場を見ていないのであんまり大したことは言えないが。
『ゴムボールくらいの大きさで、びゅんってくる。前に三人で一緒にバッティングセンターに行ったことあるでしょ? あの時ぐらいの速さ』
 俺も美羽も八十キロほどの球を打っていた。美優は目が慣れていないから……そこから十五キロ前後の計算でいいはずだ。
『出てくる瞬間も、結構唐突で……うーん、上手く説明出来ないなぁ。でもね、その球、破裂するんだよ。風船が割れるみたいに。でも音しないの。威力は分からない。ごめんね、上手く説明出来なくて』
「いや、いいさ。こういうのは、自分の目で見ないと理解できないもんだしな。それに、どうやら俺は運がいいのさ。お客が二人も来てやがる」
『え? 大丈夫なの? 今、あの長い坂だよね? すぐ行く』
 そう言うと一方的に切ってしまった。
 苦笑しつつも、顔を上げた。ご丁寧にも挟み撃ちの形になっている。のっぺりとした顔、穴のような口から時折ヒューヒューと音が鳴っている。呼吸をしているのかもしれなかった。異様に発達した腕で身体を支え、まるでカエルのような姿。ホムンクルスだ。ゴキブリみたいにワラワラ湧きやがって。
 ホムンクルスは、地震前にもチョコチョコと力が強くなったりしていたが、地震後は猛スピードで進化しているようだった。力の強化、素早さ、頑丈さは言うまでもなく、それ以上に厄介なのは学習能力がついていることだった。そのうち言葉も話すかもしれない。何せ、こちらの言葉に反応するのだから。
「来ないのか? レンに傷を負わせた破裂する球とやらを見せてくれよ」
 口を出してみるものの、理解しているかは甚だ疑問だ。
 ヘルメスの杖はまだ使わない。
 木刀を構えた瞬間、二匹が同時に襲い掛かってくる。テンポは? 右のが早い!
 左のホムンクルスには背を向け、右のホムンクルスを正面に据える。右足で地面を思いっきり蹴り、突進する。後ろの対応にこれで二秒ほどの時間稼ぎになったはずだ。
 しかし、前のホムンクルスが急に方向転換をした。それを目で追うよりも、後ろの方が気になり振り向く。
 ホムンクルスの顔に丸いものが張り付いている。いや、実際には球が顔の前にあるのだった。直感で、これだなと思った。
 パシュンという空気が噴出すような音がしたかと思うと、それは俺目掛けて飛び出してきた。が、俺は木刀ではじくことなく、ギリギリでかわす。視界の端でもう一体のホムンクルスが同じように球を撃ち込んできた。こっちは木刀で叩き落す。
 野球はそれなりに得意だ。
 この二匹がどこまでコンビネーションを使って追い詰めてくるか興味があったので、ヘルメスの杖は使わないつもりだった。しかし、横槍が入ってしまう。
「何してる! また、お前か!」
 怒声が聞こえた。俺は舌打ちした。格好を見る限り、まず間違いなく巡回中の警察官だ。この前はホムンクルスがいない時での接触だったのだが……。
 案の定、ホムンクルスの一匹が対象を警察官に移した。即座に左腕でヘルメスの杖を握る。ホムンクルスが猛烈な勢いで警察に向かう。警察が何か声を上げる。襲い掛かる瞬間、俺はホムンクルスの横に並んだ。
 エラの張った警察官の目が思いっきり開かれているのを横目に、木刀の先をホムンクルスの頭に突き刺した。間髪をいれずに振り向き、後ろに迫っていたホムンクルスの肩を踏み抜き、アスファルトの地面に叩きつける。その後、余裕を持って頭の部分に木刀を突き刺す。数十秒かけてゆっくりと消えていくのを見ながら、頭の中で言い訳を考えていた。
 しかし、警察官は気絶もせずに目を開けたまま、ボーっとしている。
「お兄ちゃん! 大丈夫!?」
 警察官の向こう側、坂の上から美優が手を振りながら走ってくるのが見えると同時に電話がかかってくる。取ると、美羽の声が聞こえてきた。
『兄貴? こっちも一匹始末したよ。そっちはどー?』
「ああ、まったく問題なしだよ」
 美優が肩で息をしている後方で、レンも来るが警察官の制服を見つけてぎょっとしたように足が止まる。レンは、ちょっと前にホムンクルス退治中にあった、俺と警察の激論を目の当たりにしているから苦手なのだろう。警察のしつこさは蛇並みだ。
「害虫二匹を瞬殺した。一旦家に戻ろう」
 そういうと、通話を切った。
 美羽が始末した分を入れて、今夜だけで八体倒した。最初は二、三匹だったのに関わらず。これはやはり、精霊の力がこの世界に入ってきていることと関係があるのだろう。
「美優、レン、行くぞ」
「この人は?」
 まだ呆然と座り込んでいる警察官を見て、美優が言った。俺は吐息交じりに「ほっとけ」と言った。正気に戻って色々質問されたら厄介だ。ほっといても、死にゃしないだろ。

「精霊の力がこちらの世界を浸食し始めてるな。あの地震はやはり、プロローグと言っていい」
 午前二時。家に戻った俺たちは、まだ眠い目をこすりながらミーティングを始めていた。
 四人はソファに座り、俺だけ床にあぐらをかいたまま説明した。
「ユリアやレンの魔法も使用範囲が広くなってきているらしいしな」
「兄貴……前に精霊の力は法則だって言ってたよね? それなのに、法則がこちらに流れるってどういうこと? それとそんなに簡単に動かせるもんなの?」
 もっともな意見を美羽がコーヒーを啜りながら言った。
 それに関しては俺も疑問に思っていて、すでに乃愛先生から答えを聞いていた。だが、理解できるかは微妙な問題だ。俺たちは精霊の力を感じることが出来ないから。魔法を使うことが出来ないから。
 それでも、答えてやることにした。
「乃愛先生の話だと、法則は一定の采配なんだ。それは確かに減ったり増えたりするものじゃない。でも、属性は変わる」
 美羽や美優は分からないとしても、ユリアやレンも首を傾げているのは、向こうにそれほど浸透していないからだろうか。それとも、単に嘘なのか。とにかく構わずに続ける。
「つまり、向こうの世界に影響を及ぼす属性だったのが、こっちの世界に影響を及ぼす属性に変わった、或いは変えた、ということらしい。魔法を使うのとほぼ同じらしい。魔法を使うということは、精霊の力を借りるということ。精霊の力を借りる、ということは、法則を借りるということ。法則を借りるということは、その法則の属性を一時的に自分に都合のいいように変える、ということ。複雑に絡み合った法則たちすべてをこの世界に合わせた属性に変えることは出来ない。だが、大多数をこちらに変えることが出来れば、向こうの世界、ミマエ・ソキウは維持できない。そこで、最も近いこの世界、ルイレ・ソキウから代替しようとする。そのため、両世界がリンクし、世界が一つになるのだという」
「やっぱ、わかんないわ」
 だろうな。俺もそんな理論ぶつけられても、「そうなんですか」という相槌を打つのが精一杯だ。しかし、それが本当なら受け入れる必要がある。
「世界が一つになるとどうなるの?」
「実は、乃愛先生も良く分かってない風なんだよなぁ」
「何ソレ?」
「一つになると、なんか大きなぶつかり合いが生じるんだろうけど……」
 そこで、俺はユリアとレンを見た。二人は、微妙に俺から視線を外している。やはり、最初の一年での崩壊の話はでっち上げか。乃愛先生でさえ、「そうなのか?」とおかしそうに笑っていたぐらいだ。この調子だと、今の現象の本質を理解している人間はかなり少ないように思える。
 今更それについて言及するつもりはない。世界がおかしな方向に向かっていることは間違いなかったし、二人を責めたところで何が変わることもない。
「とにかく、魔法の使用範囲が広がったせいか、ホムンクルスの動きが異様に活発だ。今日はついに遠距離攻撃法も編み出したようだしな」
 ちらっとレンの腕見る。血はもう出てないようだ。
「回りくどいことは止めよう。単刀直入に言う。次に乃愛先生に会ってから決めることだが……俺は異世界に行こうと思う」
 四人全員が少しの間、間抜けな顔を見せた。一番最初に口を開いたのはユリアだ。
「異世界って、ミマエ・ソキウ?」
「そう。ユリアたちの世界に行く。正直、今のままだとジリ貧だ」
「ホムンクルスは?」
 美優が首をかしげた。
「それは何とかできる。あんまり使いたくはない手だったんだがな。美羽も美優も、もうやらなくていい」
「学校は?」
「不登校ってことで」
 それで俺は笑ってみせたが、誰もつられて笑うことはなかった。
「アタシたちは……」
「家で待っててくれ。一週間だ。一週間ですべて終わらせて戻ってくる。出来なくても、一週間後には一度必ず戻るか――」
 そこで美羽がテーブルをバンと叩いた。
 俺を含めた全員がびくっと動いた。美羽の目からは、怒りの色が見えている。
 そのまま、すっと立つと俺を一瞥して、「最低。心底呆れるわ。美優、おいで」
 美優はオロオロと俺と美羽を交互に見ていたが、すぐに手を取られて二階に上がっていった。
「ヒロト殿……」
「変更はないぞ。仕方ないんだ。いい加減ケリをつけなきゃ」
 自分に言い聞かせるように言うと、それからしばらく俺は口を開こうとしなかった。


 天変地異の話が信憑性を増してくると、同時に新興宗教が次々に立ち上がっていることもニュースで流れ始めていた。
 信じる者は救われる。神の怒りを買ったのだ。私は神の声を聞いた。キリスト教が悪い、イスラム教が悪い、ユダヤ教が悪い。いや、仏教だ。間違いを正そう。異端審問と異教弾圧。私の言っていることが正しい。なぜなら、私は神から教えを貰った――
 貴俊からその話を聞きいた後、俺は率直な感想を言った。
「頭がイカれてるとしか思えないなぁ……」
「そりゃ世界は頭がイカれてる連中を中心に回ってるからな」
 貴俊が小ばかにするように笑った。
 ホームルーム前の教室はまだ人がちらほらといるぐらいで、活気の欠片もない。しかし、俺はこういう雰囲気が好きだ。急ぐとか、騒ぐとか、本当に合わない。お前ら落ち着け、もっとダラダラしようぜ。と言いたくなる。
「今更宗教に逃げてどうすんだっつーの。いくら怖くてもそんなもん、今更必要ねぇだろうに」
「答えが欲しいのさ。怖いのはそれがどういうものか分からないからだよ。怖がるのは自分がどういう態度を取ればいいか分からないからだよ」
「恐怖は闇と一緒だってか。前が見えなくても精々、躓いて転ばないように気をつけようぜって話だろ?」
 そう言いながら、俺はちらっと時計を見た。ホームルームにまだ十分もありやがる。
「イエス・ボス。ところが残念なことに、それっぽい明かりが所々にあるのが厄介なんだよな。その光を信じて、足元がおろそかになる。信じる人間は、救われるどころか、墓穴にまっさかさまだ。あー神様よ。せめて何かを感じる前に一瞬で殺してくれ。老衰なんてクソくらえ」
「何の話だよ」そう言いながらも、心の中では同意していた。
「君たち本当に高校生かね」
 後ろから声が聞こえる。振り向くと陽菜がいつもの満面の笑みで手を振っていた。
「高校生以外の何に見える?」と、貴俊が質問する。
「達観した中学生ってところだね!」
「いいね。当たらずとも遠からずだ。陽菜っちもそろそろ、「眠くなったら寝るべきだ!」って主張する人たちと上手いこと折り合いをつける言い訳を考えようぜ」
「分かりにくい皮肉は止めようぜ」
「これが皮肉に聞こえたのか? アホか。達観した中学生からやり直せ!」
 それで俺と陽菜が笑った。

 ホームルームでは、俺はかなり挙動不審になっていたような気がする。
 乃愛先生が、久しぶりに出勤していたからだ。
 いつものポニーテールのような髪、真っ白なシャツ、黒いガーター、ダルそうな顔。ただ妙な事に、俺と目線を合わせることはなかった。
 乃愛先生との雑談の場が出来なかったため、込み入った話をするのに昼休みまで待たなければならなくなった。
「ねぇ、ヒロ君」
 三時限目の始まりの鐘が鳴る前に、陽菜が俺の席まで来た。いつもと違い、笑顔が張り付いてない。
「さっきね、実験室……ううん。何でもない」
 そう言うと、さっさと戻ってしまった。
 俺は追いかけて聞き出そうかとも考えたが、英語の南川先生が来たことでそのチャンスを失った。
 昼休みになるやいなや、俺はいの一番で教室を出て行き、職員室に向かう。俺を一瞥する先生を無視して、おざなりの挨拶で入っていくと、すぐに乃愛先生を見つけることが出来た。
 何か書類に目を通していた乃愛先生は、俺が隣に来ると「どうしました?」と眠そうな声を出す。
「ちょっと、来てもらえますか」
 パサっと書類を置く。俺を見る。そして、微かに笑う。
「とにかく、場所を変えたいので」
「情熱的だなぁ、君は」
 乃愛先生の案で保健室で話をすることになった。正直、沙良先生がいるので俺はあまり乗り気になれなかったが、乃愛先生は譲ろうとしなかった。
 保健室では、案の定沙良先生がお弁当のタコさんウィンナーを口に運んでいるところだった。
「なんやいやいもー」
 もぐもぐと食べながら俺と乃愛先生に手招きをする。手は見えないから袖がプラプラと揺れていた。というか、手を出さないで袖の上から箸で食べてる。今は、あのヌイグルミが頭の上に乗っていないが、沙良先生はもしかしたら物凄い器用なのかもしれない。
 すっと立ち上がるとすぐに紅茶を入れ始めた。そういう所は意外にちゃんとしているのだろうか。
「じゃあ、愛の告白を聞こうかね」
 ソファにどかっと座ると、横をバンバンと叩いた。そこに座れってか。
 俺は沙良先生から紅茶の入ったカップを二つもらい礼を言うと、少し硬いソファに座った。カップを乃愛先生に渡す。まずは一口飲み、話の糸口を探した。
「俺が知りたいのは二つだけです。一つ目は、あの不可思議な大地震です」
 近くに沙良先生がいるにも関わらず、俺は単刀直入に切り出した。乃愛先生は少しびっくりした顔をすると、頬を人差し指でカリカリ掻いた。
「前兆だろうね。準備はそろそろ整いますってところだろう」
 同じように沙良先生を気にせず返事をする。沙良先生はというと、あんまり興味がないのかお弁当から玉子焼きを口に運んでいた。時折、チラっとこちらを見てくる。
「ヒロトくん。私たちが別世界であるにも関わらずに普通に喋れることに疑問を感じたことはあるだろう」
「え……そりゃあ」
 いきなりの話に俺は戸惑った。話題を変えようとしているわけではなさそうだが。
「私の自論が合っている、という前提で話を聞いてくれ。あの大規模な大地震と、私たちが喋れるということは、広い意味では同じ現象だ。ただ条件が違うだけ」
 意味が分からず、閉口してしまう。
 広い意味では? 一体どこをどうしたら同じ現象だと言えるのだろうか。
「それじゃあ二つ目は?」
 急ぐように乃愛先生が促す。俺は何を質問すればいいのか分からなかったので、今の話に対して口に出すことが出来なかった。
 仕方なく、二つ目を話す。
「ホムンクルスの話ですよ」
「ホムンクルスがどうかした?」
 冗談で言っているわけではなさそうだった。それで俺は眉をひそめる。
 俺は乃愛先生はそれなりに頭が回る人だと思っている。同時に、重要だと思う事柄には常にアンテナを張っていると。だが、これほどまでにホムンクルスに興味を持たないなんてことがありうるか? カスでも害虫でも、ホムンクルスはそれなりに警戒は必要だと言ったのは誰だ? まったく関知しないなんてことが、この人に限ってありうるか? そんなに忙しいと?
「いえ、何でもないです」
「順調じゃなくなった?」
「順調ですよ。ただの害虫退治なんですから」
 乃愛先生は大げさに肩をすくめるとカップに口をつけた。
 釈然としないまま、この話は終わる。

 乃愛先生の反応が予想以上に悪かったので、俺の気分も最低に近かった。結局、異世界に行くなどの話はしなかった。
 まともに昼飯も食わずに乃愛先生を引っ張ったというのに、ほとんど意味がなかったような気がしてならない。おかげで、今やっている世界史の内容なんてまったく頭に入らない。ただ機械的に黒板に書かれた文字をノートに写すだけだ。
 私語もほとんどなく、ハゲ頭の先生の声しかしない教室。モノを考えるのには絶好だろう。
 分からないのは世界で起こっていること、異世界、そして乃愛先生の思惑だ。あの人が何を考えているのか読めない。頭は悪くないはずだ。そこで、三つのうち俺が知るべき優先事項はどれだ? どれも重要な気がする。このままじゃ本当にジリ貧だ。出来ればラストに異世界を持っていきたい。異世界に行かずに終わらせたい。
 そこでふと思う。ユリアとレンが来る前は、こんなことに頭を痛めなかったなぁ。世界の滅亡云々だぞ? そんなことに必死になる高校生なんて……。こういうのはどっかの大学の研究所にでもまかせりゃいいんだ。地球はもう終わりですよ、と言ってくれりゃそれでお仕舞いだ。
 でも、ここで退けない自分もいる。それが何なのか、分かることはない。
 授業終了十分前。下の階で悲鳴のような声が聞こえる。ゴキブリでも出たのだろうか、とのん気に考えていた。しかし、それは次第に連鎖されるように上の階にまで波紋を広げていた。
「うるさいなぁ」
 ハゲ頭の先生がチョークの動きを止め、ドアに視線をやる。俺は、一つ欠伸をして眠る準備をし始めた。
 その時だった。
「バ、バケモノだ!」
 脳裏にホムンクルスの姿が浮かぶ。眠気は一瞬で吹き飛び、すぐに席を立ち上がっていた。俺のような行動を取る人間も三人ほどいたが、そこに貴俊がいるかどうか確認はしなかった。
 掃除用具入れからホウキを取り出すと、いの一番で教室を出る。ほぼ同時に隣の教室から、ホムンクルスが出てくる。俺に照準を合わせる。
 ――やぁ、奇遇じゃないか。
 間髪をいれずに俺に飛び掛ってきた。俺の後ろの男が悲鳴を上げる。俺はホムンクルスの頭を狙って、ホウキで思いっきり突いた。しかし、ワンテンポ早く避けると、ホムンクルスは俺の頭上を跳び越す。
 悲鳴が爆発する。
 全員が窓側に退避していた。ホムンクルスは教壇に陣取ると、ヘヘヘヘヘヘヘとおかしな声を漏らしていた。もしかしたら、こいつらの独特の笑い声なのかもしれない。不快だ。
 一瞬の判断で、俺はヘルメスの杖を使うことを止める。こういうこともあろうかと、ヘルメスの杖には常時魔法が込められていた。
 一発勝負だ。こんなクソ雑魚に使う必要はない。
 俺が教壇に駆け出すと同時に、触発された数人もイスを武器に立ち上がってきた。しかし、射程範囲内に入る前にまた俺の頭上を飛ぶ。
 あざ笑うかのように、ヘヘヘヘヘヘと鳴き声を発していた。俺は一瞬早くブレーキをかけ、振り返り、着地地点を割り出す。
「貴俊! 窓を割れ!」
 迷うことなく瞬時に行動した貴俊は、イスで窓ガラスを思いっきり割った。
 俺は近くにあった机の上に乗り、思いっきり飛ぶ。ホムンクルスは着地すると一瞬動きを止めた。動き出す瞬間に、俺は重力と腕の力をフルに使って頭を突き割った。
 てめぇらの行動パターンは全部読めてんだよ。
 ぶふっと空気が漏れるような音がする。俺は段々薄くなって消えていくホムンクルスに一瞥もせずに考えをめぐらせた。
 今の時点でそこかしこからの悲鳴や怒号は治まっていない。二匹以上……いやいや、もう何十匹もいるという想定で動くしかない。
「貴俊、夢物語の話だ! 害虫退治だぜ。バリケード作ったら、腰の抜けてない連中を連れて頭と胸を中心にフルボッコにしてやれ」
「オーライ、相棒。詳しい話は後で聞こう。こいつはゲームだな。アクションは得意だ。時のオカリナもそっこークリアしたしな」
「そいつぁ頼もしいね。遠距離攻撃も出来るから気をつけろよ。死ぬことはないが、痣くらいは出来るぞ」
 言いながら、俺はケータイを開いた。美羽と美優は大丈夫だろうか。しかし、腹立つことにケータイの電源は落ちていた。充電し忘れたのだ、クソったれ。
「お前はどうするんだ?」
「ヤボ用さ。眠りこけたキリギリスをたたき起こしに行く」
 多分、意味は分からなかっただろうが気にしない。
「ヒロ君!」
「後にしてくれ。説教も、俺の心配も、愛の言葉もな」
 茶化すように笑い返すと、俺はもう一本ホウキを持って教室を出て行った。全速力で廊下を駆け、階段を下りる。
 まずは美羽と美優だな――多分、美羽がいれば何とかなるとは思うし、勇者に目覚めた何人かがそれなり健闘するだろう。今、ここで重要なのは、ホムンクルスの対処と同じくらいにホムンクルスが出現した本質を見つけなければならないことだ。俺の考えが間違っていないのならば、ユリアやレンがいないこの学校でホムンクルスが出現したことに、一応の答えを出すことは出来る。だが、今更乃愛先生がそのことについて何かコメントする確率は低い。やはり、異世界だ。俺はもう行くしかないんだ。
 出会い頭にぶち当たったホムンクルスを一匹瞬殺するだけで美羽と美優の教室についた。階段を下りる途中、廊下を走る途中、何度かホムンクルスの姿を見たが、構ってる暇はない。
 閉まっている教室のドアをガンガンと叩く。
「美羽! 美優! いるか? ドアを開けろ!」
「兄貴?」
 ガチャガチャとドアの向こうで音がして、しばらくするとドアが開かれた。中に入ると、どうやらバリケードを組んでいたらしい。
 美羽が目の前にいるが、美優の姿がない。
「おい、美優はどこいった?」
「兄貴、ケータイの電源入れてる」
「いや、落ちてる。充電のし忘れで」
 周囲を見回す限り、ほぼ全員が教室内に残っているようだ。何人か怪我している人もいるらしく、血が流れている。まぁ、一刻を争うってほどではないようだ。
「兄貴からの応答がないから、美優が飛び出していっちゃったのよ。「お兄ちゃんに知らせなきゃ」って」
 すれ違いか、クソ。
「なんで、お前――」
 言いかけて、止めた。美羽の腕から一本赤い筋が流れている。
「二匹のホムンクルスが襲撃に来たよ。あのバカ、そのゴタゴタの中で飛び出していっちゃった。電話にも出ないし――」
 美優が俺の教室に向かっているなら、貴俊がいるはずだ。あいつなら、美優を好き勝手に動かすことはさせないはず。
「ホントバカ。ユリアさんがいないだけで弱気になるアタシはそれ以上の救いようのないバカだけど……」
 泣きそうな顔を浮かべている美羽。
 落ち着け、俺。今優先すべきことは美優の安否だ。もう一度戻るべきだな。
「あいつは、ある意味肝が据わってるだろう? バリケードはほどほどにしておけ。窓の近くに寄るな、物は置くな。余裕があるなら、ガムテープで窓ガラスにバッテンをつけろ。適当な武器は全員持ってろよ」
 言うとおりにするかどうかは分からないが、一通りの指示を全員に出すと、俺は踵を返した。
「兄貴」呼ばれて、足が止まる。「アタシも行く」
 迷ってる余裕はなかった。右手に持っていたホウキを一本美羽に投げる。
「ついてこい」


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