ホムンクルス騒動a


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 夜十一時過ぎの公園には、見た限り人の気配はなかった。しかし、それもいつまで続くか分からない。深夜を徘徊する人間は世の中にはごまんといるのだから。
「ふーん。ここでねぇ」
 美羽が呟いた。
 薄明かりのぼんやりとした空間にユリアとレンを含む、我が愛すべき家の住人たちが俺を囲むように立っている。美羽はキョロキョロと辺りを見回し、美優は俺のそばを離れようとしない。ユリアは何故か俺をじっと見ていて、レンは美羽ほどじゃないが、辺りを十分に警戒しているようだ。
 ホムンクルス退治を言い渡されて、初日。美羽と美優には告げずに三人でしようとは考えたが、無言で夜中に三人が消えるなんてことは美羽も美優も許さないに違いない。そういうわけで、乃愛先生との出来事をかなり要約して話して聞かせたのだ。事前にユリアとレンから話を聞いていたようで、飲み込みは早かった。そのせいで、美羽は「面白そう」という一言を、美優は「お兄ちゃんが行くなら」という理由でついてくることになった。俺はというと、かなり迷った挙句に一緒に行動させることにした。何せホムンクルスがどういう性質のものか乃愛先生に聞かされてもイマイチ理解できなかったし、美羽と美優の勢いに負け、説得の材料がとうとう口から出てこなかった。それに乃愛先生に担がれたのではないかという可能性もまだ捨ててはいない。
「で、どうするわけ?」
 美羽はバットを肩にかけて、にっと笑ってみせた。本当に遊び半分だこいつは。
「正直俺らはそのホムンクルスを見ていない。どういう風に出てくるのか不明だし、どういう行動に出るのかもわからん。だから、今日はとにかく全員で行動しようと思ってる。効率は悪いが、この中の誰かがホムンクルスの姿を見ていないという状況だけは避けたい」それは同時に厄介ごとに巻き込むことになる。しかし、すでに十分厄介な状況だ。それなら警戒の意味で知る必要は出てくる。「今日、もしホムンクルスが出てくるなら明日もやることになるだろうな。その時は別行動もあるさ」
「もし、なんて言葉で兄貴が夜中をうろつきまわるはずないでしょ?」
「もし、だ」
 俺は強調して言った。
「ねぇ、ホムンクルスって、どういうものなの?」
 美優がキョロキョロした後で俺を上目遣いで見た。そんなに怖いのなら来なきゃいいのに、と思ったが即座にその考えは打ち消した。我ながら酷い考えだ。
「さぁな。人外ということしか知らされてない。大丈夫。二時間何もなかったら、一旦帰ろう。そのあと、俺とレンはもう少し外を見回ってから帰る。大したことはないさ。不審者に思われなければ」
 そこで美羽がふふっと笑った。
「ヒロトさん、私とレンは別行動ではダメなのですか」
 ユリアが恐る恐るといった感じで質問する。
 巻き込みたくないのか、自分たちにしか分からない何かを探そうとしたいのか分からないが、そういう提案があるのは想定済み。だが、俺にとって今この場合の理由なんてあってなきがごとく。利点はただ一つ、効率という点のみだ。
「ダメだね。君らの行動の速さは知ってる。効率がいいこともね。だが、今日だけは俺に従ってもらう。今日のホムンクルス探索は効率も、破壊することも重視していない。とにかく、そのお姿を拝見することしか目的はない」その行動パターンを見るためもある。「勝手に見つけて、叩いて、はい終わりという単純な行動は止めてくれ。ユリアもレンもホムンクルスがどういうものか知っているかもしれないが、俺には分からないんだ」
 俺の言葉にユリアが「分かりました」と小さく言った。
 まぁどういう返答を聞いたところで相手が何を考えているか何てのは分からない。仮にユリアとレンが個人的行動に走ったとしてもそれも予想のうちに入っている。
「ヒロト殿。これからどういう行動を取っていくんだ? 私は一応昼間のうちに周辺を見て回った」
「乃愛先生がいたのはこの辺だ。だから、ここを中心に色々歩いてみようと思う。この公園を一通り回ったら、西側出口を出る。大通りまできたら、それに添って大きく回って東側から公園に入り、また公園を回って、東側から出て、今度は逆を……とそんな感じかな」
 正直な話、出現範囲がこれより広かったらどうしようもないことではあった。乃愛先生は今日、暇があったら来てくれると言っていたが、それをあてに待っているわけにはいかない。
 今日、補習でホムンクルスのことを乃愛先生に聞いた時、すばしっこいということを何度も聞かされた。
 それによると、ホムンクルスは足腰と腕が異様発達した人間と考えるべきだという。四脚で動き回る人間なんて気持ち悪いにもほどがある。そいつは普段はゆっくりと徘徊しているが、何かを敵だと判断すると攻撃か逃走のどちらかを選択し、行動に移すという。一度選択した行動は途中変更はせず、逃げる時は相手の姿が見えなくなっても当分は走り続け、攻撃を選択した時は自分が動かなくなるまで攻撃し続ける。だが、その攻撃も大きな犬がじゃれついてくるよりもショボイらしい。大人であれば簡単に振り払えるぐらい弱いと。これで姫を殺そうとするのだから、おかしな話だ。
 俺はホムンクルスを探索する時、発見した時、その後の対応などを一通り確認すると「じゃあ行くか」と促した。
 照明の薄暗い公園内を五人が歩く。少し肌寒い空気とどこからかジーという虫か電気関係の音が耳にまとわりついてくる。俺の左手には懐中電灯が、右手にはビデオカメラが握られていた。ビデオカメラは、もし警察に職務質問された時は「自主制作映画の撮影」という名目を使う考えの上でもあったが、何よりホムンクルスを撮影してみたいという考えの方が強かった。暗い夜中というのが本当に悔やまれる。
 公園を一回りしても、特に大した異常はなかったので、西側の出入り口から住宅街に足を伸ばすことになった。家々はほぼ明かりをつけていない。歩いている間も二、三人とすれ違ったぐらいでやはり何もない。すれ違った人たちもこちらを特に気にしてもいないようだった。ガキが友達連れて深夜徘徊しているぐらいにしか思われてないだろう。
 昼間は大量なのに、夜の交通量はほぼないと言えるような大通りに出た。たまーに一台、二台と通り過ぎることはあるが、ここは都内でも田舎の住宅街だ。頻繁にはこない。早漏め、となじられてもここまできて何もないのは「やはりガセか?」と思わずにはいられない。
 後ろの四人はなにやら色々と喋っているようだったが、俺は会話には参加しなかった。面倒だったし、それに注意がそれるようなことはしたくなかったのもある。
 本当に何も無く公園の東側出入り口に来たときには俺は軽くがっかりした。公園内も見たところお変わりないご様子。
 来た時にミーティングしたところで一度集まろうとしたが、近くのベンチに誰かいて断念した。しかし、その誰かはおもむろに立ち上がると、こちらに来る。
 乃愛先生だった。
「やぁ、みんなでぞろぞろと……まるでピクニックだね。お弁当は用意した?」
「もちろん、世界一美味しいお弁当がありますよ。ただし、お腹は膨れませんが。それにしても、夜中の散歩ですか」
 俺は来るはずないと半ば確信していただけに少し驚いていた。
「教え子のピンチだ。それに、引継ぎは確認はしっかりしないとね」
 乃愛先生はそういうと俺の後ろにいる美羽と美優に視線を移した。
「ふむ。確か結城美羽と結城美優だったかな」美羽も美優も少し驚いたようだった。「一緒にいるとは驚いた」
 乃愛先生は全然驚いた顔をせずに言った。
 ユリアとレンはやっぱり来たか、という顔をしている。美羽と美優はどう反応していいのか分からず黙っているようだった。
「それで成果はあったかい?」
 俺は軽く首を振ってみせた。
「何にもなくて拍子抜けですよ」
「実はね。今日、学校の近くでホムンクルスを一匹破壊した。夜遅くまでいたのが幸運だったな。奴らの行動範囲は思ったより広いぞ」
 学校? 家を中心に考えて、公園と学校はまるっきり正反対だ。あんまり広いと対処が面倒になってくるな。
「見つける方法は視認しかないと思っていたが、どうもそうではなくなってきた。奴ら微量ながらも精霊の力を使っているようで、姫とレンなら大よその位置は分かるはずだ。もちろん、集中しないと気づけないが」
 乃愛先生は言いながらユリアとレンに視線を向けた。二人は少し戸惑ったあと、目を閉じる。何かに精神を集中しているようだ。数秒後、あっという声が聞こえた。
「気づいたか。そうだ。あそこを見てみろ」
 乃愛先生が鬱蒼とした木々を指差す。小さな池のちょっと右。雑木林の中で何かの影がうごめいていた。
「あれが我らが敵である、ホムンクルスだ。向こうはこちらを観察しているだけだな。敵とも味方とも判断はしていないようだ。近づこう。レン、剣を抜け」
 言われるとほぼ同時にレンは剣を抜いた。
 乃愛先生と含めた六人はゆっくりと雑木林に隠れるホムンクルスに近づいていく。俺はビデオカメラをもう回していた。ホムンクルス、人工生命体……人工生命体だ。
「ちょっと失礼」
 乃愛先生が歩きながら俺の胸元にあるヘルメスの杖を掴んだ。三歩進んだところでぱっと手を離した。何も言ってこないので、俺もヘルメスの杖を掴んでみた。同時にイメージが流れ込んでくる。一度体験してもう理解している。このイメージが現実に現れるのだ。一部の間違いもなく。
「まだだよ」
「分かってますよ」
 俺はぶっきらぼうに答えた。
 木々の隙間のホムンクルスが段々と見えてきた。俺は懐中電灯で照らしたい衝動に駆られたが、なんとか我慢した。しかし、ビデオカメラは回しっぱなしだ。
 薄暗いが、少しずつ実体が見えてくる。五メートルぐらいのところで乃愛先生が俺たちの足を止めさせた。
 よく見えるわけじゃなかったが、それは間違いなくこの世の動物ではなく、また人間でもありえなかった。
 人間が持つ頭の形。髪はなく、ハゲてる。目は細く、横に少し長い。鼻はあるようだが突起程度で、機能しているかは甚だ疑問だ。口も同じようなもの。唇がなく、ただ穴が開いているような印象しかない。そんな顔のホムンクルスは、異様に発達した腕で身体を支えている。手も足もかなり長い。格好はカエルに似てなくもなかった。
「気持ち悪い」
 美羽が小さく言った。俺も同感だよ。レンが剣を構えたまま、にじり寄る。
 俺は懐中電灯の光をホムンクルスに向けた。同時に、ホムンクルスが逃げる。
「ヒロト殿、何を!」
 木々を出る。ホムンクルスはその全体を現した。それは一瞬だったが、誰の目にも強烈な印象を与えたに違いない。ツルツルしてるらしい皮膚は光を反射している。
 姿が見えるうちに俺はヘルメスの杖を発動した。
 ひゅうっという風の音と共に木々の隙間からかろうじて見えるホムンクルスが猛烈な勢いでこちらに突っ込んでくる。一度地面を跳ねてから、ひきづられるように俺の目の前であお向けになって止まった。大人が赤ちゃんプレイをしたらこんな感じかもしれないと場違いな思いが頭を掠める。
「ホムンクルス……」
 次の瞬間、レンは剣をホムンクルスの心臓に、美羽はバットで頭を叩き潰した。俺はそれをただ見ていた。もちろん、一部始終をビデオに収めて。録画ボタンを押して解除する。
 ホムンクルスは、その身体全体がふわっとぼやけると一分も経たないうちに薄くなって消えた。
 レンは無表情で剣を鞘に収める、美羽は興奮しているようで肩で息をしていた。ユリアは厳しい表情でそれを見ていて、美優は俺の腕に抱きついたまましばらく離れようとしなかった。そんな中で乃愛先生だけが笑いながら、「お見事」と場違いな……いや、判断がつかない。とにかく、五人の雰囲気とは別の空気をまとっていた。
「こんなものだ。ホムンクルスは。何も怖がることはない。宇宙から来たエイリアンでも、摩訶不思議な薬で凶暴化した獣でも、ゾンビ化した人間でもない。そんなものより数十段劣る。だが、無視できない存在なのだ。物にあらず人にあらず。ただの害虫駆除だ」
 乃愛先生は薄笑いを浮かべながら、メガネを人差し指でついっと上げた。
 その日、俺はまた、大騒ぎして挙動不審になるタイミングを失った。


「大翔くーん。授業終わりましたよー?」
 う……あ?
 俺は机の上で突っ伏した顔をわずかに上げてみた。目の前では貴俊がこちらをため息ついでに見つめていた。授業終了のベルが教室中に響いている。
 昨晩のホムンクルス討伐は、その後、もう一匹をあの世に送ったあと、終わった。もちろん、ビデオカメラに撮っている。夜中の三時ごろに終わり、帰っても眠れず、ビデオをぼんやり眺めて朝を迎えたのだ。
 おかげで寝不足で死にそうだった。
 二時限目以降の記憶がないところを見ると昼まで完全に寝入っていたらしい。こんなことなら、具合悪いとか言って保健室で寝てればよかった。
「お前、昨日も死にかけだったな。もしかして、アレか」
 貴俊が真面目な顔をする。ユリアやレン関係か? と聞いているのだろう。俺は自嘲気味に吐息をはいた。
「当たらずとも遠からずだな。展開が早過ぎてついていけないってところさ」
「大丈夫なんだな?」
「大丈夫さ」
 俺は余裕があるように笑ってみせた。だが、貴俊は露骨に怪訝そうな顔をすると、俺の机の上にどかっと座った。
「これ以上、何かあるなら俺は見守るってことから外れるぜ。例え、お前が拒否してもな」
「厄介ごとが好きなんだな」
 貴俊は首を竦めてみせた。
「寝言は寝て言え。ま、とにかく飯食おうぜ。腹減ったよ」
 貴俊が前の席を占領して、コンビニ辺りで買ってきたパンを広げてきた。俺はいつも美優嬢の愛情がこもった愛妻弁当を――
 しまった。忘れた。ボーっとしてて、弁当受け取るの忘れてた。
 まだ若干眠気がある俺は仕方なく、購買部に行こうかと考えていた。が、小太り気味の大久保くんの呼び声に振り返った。
「美優」
 視線の先、教室の外では、美優が居づらそうにキョロキョロしていたが、俺の顔を見るとすぐにパッと笑った。
「お兄ちゃん、駄目だよ。お弁当忘れちゃ」
「いやーマジ助かった。まさか持ってきてくれるとは思わなかったよ」
 教室の片方のドアを占領する感じで俺は美優の弁当を受け取った。美優の弁当は一級品だ。そこらのコンビニ弁当が束になっても敵わない美味さがある。いや、妹補正とかじゃないから。
「ちょっと、迷ったんだけどね。今日はお弁当いらないのかな? って思ってたから」
「何言ってんだ。俺は美優の弁当に難色を示したことはないぞ。バリエーションが広くて一度として飽きない」
 美優がにっこり笑った。
「よかった。これからも飽きないように頑張るね」
 口笛を吹きたい気分で俺は美優の弁当を持って、席についた。それを見た貴俊が「恋人同士みたいだねぇ」と冷やかした。
 確かに俺と美優の関係を知らない者から見れば、そう見えるかもしれない。
「褒め言葉として受け取っておくよ」俺は弁当を開けた。「今の俺はご機嫌だからな」
 美優が俺の教室に来ることはこれが初めてだった。いつだったか、忘れ物を俺が美優の教室に届けたことはあるが、その逆はなかった。大抵来るのはそういうことに特に何も感じない美羽だけだ。美羽だけはこの教室の人間も周知のことではある。
「そりゃあよかったね。あ、ところでその玉子焼き俺に一つくれよ」
「何言ってやがる。こりゃ俺の胃袋に納めるために作られた嗜好品だぜ? お前の舌には合わないさ」
「合う合う。一昨日食った時はマジ美味かったから」
 待て待て。俺は知らないぞ、そんなこと。俺が余所見をしている間に神の速さで取ったとか?
 昼休みの教室は全員思い思いの場所で飯を食うため、残っている人は結構少ない。俺みたいな、普段テンションが高くない奴は大抵教室で食う。場違いなのは貴俊ぐらいなものだ。
「そういえばさ、最近テレビが大騒ぎしてるの知ってるか?」
「いや、最近テレビは見てないな……」
 他のことで頭いっぱいだしな。
「何でも、生態系の異変とか、重力定数の変化とか、電磁作用のエネルギー量増減とか、色々変なことが世界中で起こってるらしいぜ」
「へぇ」
 あんまり興味が湧かない。乃愛先生なら興味津々だろうけど。
「学会は大騒ぎさ。世間じゃ天変地異の前触れとか騒いでるみたいだがな、遅刻したアンゴルモアの大王でも来んのかね」
 天変地異という言葉でドキっとした。
 ――あと一年でこの世界は崩壊してしまいます――
 ユリアの声が脳内で反芻される。まさかな。いや……ないだろう。多分。
 美優の素晴らしき弁当も終わりに近づくころ、陽菜が俺の肩を叩いてきた。振り向く。
「ヒロ君、乃愛先生が呼んでるよー? 今日は実験室での授業だから、手伝って欲しいんだって」
 俺を? 何で俺を……確かそんなことを手伝う委員会みたいなのがなかったか?
「陽菜も手伝ってあげるから、さ、いこ」
 まるで気にしていない陽菜は俺の手を取ると引っ張った。落としそうになった弁当をかろうじて拾い上げると、俺は貴俊に「悪い、外すわ」と言い、陽菜の後をついていった。
 実験室に向かう道中、いつでもご機嫌な陽菜は、俺の横で鼻歌を唄っていた。
「あ、ねぇねぇヒロ君。買い物だけど、今週の日曜日行こうよ! ついでに映画も見に行く?」
「まるでデートだな」
「デートじゃないと思った?」
 意地悪っぽく陽菜が笑った。まぁデートと言えるか。
「買い物って具体的に何買うか決まってんの?」
「ヒロ君知ってる? この世は思うように事は運ばないんだよ。それがたとえ、戦争だって、企業の戦略だって、個人的なことだって同じ。計画は作るものかもしれないけど、実行するものじゃないってことだよ!」
 つまりノープランってことだな。こいつ、言い回しが貴俊に似てきやがった。
「でもな、孫子曰く、『ノープラン愛好者は死ね』だってさ。古人の言葉は大切にするもんだぞ?」
「なんという思想!」
 本当にこいつが分からなくなってきた。
 ふと、何かに気づいたのか、陽菜が俺の左腕を見つめた。軽い擦り傷が広範囲に見える。
「これ、大丈夫?」
「全然問題ないね。ちょっと今朝転んじまっただけだし」
「気をつけてよ? 陽菜のためにも!」
「はいはい」
 それから、実験室についた俺たちは乃愛先生の指示であれこれと器材を運んだりしていた。乃愛先生はたまに俺の方を見てニヤっと笑う。その意味が良く分からず何故か俺もぎこちない笑顔を返していたと思う。
 いつも通りの日常。ホムンクルスを見たって、この日常が壊されるとは野道の小石ほども気にかけていなかった。実際には考えているが、実感はまるで湧かない。世界の崩壊も半ば冗談のように感じていた。この時までは。
 しかし、それは……すぐにそれは大きな間違いなのだと、知ることになる。


「違うな。もう一回やってみよう」
「はい」
 ユリアが俺のネックレス――ヘルメスの杖を握り締めて言った。
 俺とユリアはリビングのソファの上で、仲良く並んで座っていた。レンは相変わらず庭に出て、剣を振っている。美羽と美優は多分部屋だろう。
 家に帰った俺は、ユリアとヘルメスの杖に込める魔法を色々と考えていた。今日の補習で乃愛先生に言われたことを試しているのだ。戦闘中に行き当たりばったりに行動を起こすことはどんな場合でも歓迎されない。
 ホムンクルスは思ったよりも守りがやわい。ならば、懸念すべきは逃げられることだけだ。昨日の夜にあった乃愛先生が込めた魔法が最適かと思われたが、ユリアは中々そのイメージを作ることが出来なかった。対象がいないからだろうか。他にも拘束するための魔法を色々想像してみたりしている。
 俺のイメージとユリアのイメージのズレを何度も修正しながら、理想的な魔法を創造する。
「ヒロト殿。少し長い。姫様は休憩させて、私がやろう」
「いいえ、レン。今はやらせて」
「ですがもう――」
「レン」
 ユリアがじっとレンを見つめた。しばらく互いは見つめあったままだったが、レンがため息を吐くと同時に「わかりました」と言った。ユリアは中々頑固なところがあるな。
 俺はまたユリアに駄目出しすると、持ってきていたこの辺り一帯の地図をテーブルの上に広げた。広げてすぐに、現在位置と公園のある場所に印をつける。
「レン。今日乃愛先生から聞いたことから見ても、この範囲以外からホムンクルスが出ることはないと思う。だから、ここから戦略を練る」
「ほう。中々しっかりやるんだな」
「俺を誰だと思ってる。至高の天才軍師家だぞ?」
 レンがふふっと笑ってみせた。
「戦争のないこの世界でその発言は酔狂だな」
 ユリアが魔法を込め終わったのか、ヘルメスの杖をまた俺に寄越した。受け取って、握ってみる。イメージが流れてくる。
 どうしても多少はズレるが、先ほどよりもかなり理想的な魔法を込めることが出来たようだ。
 俺は笑顔で「いい感じだ」と言った。ユリアも満足そうに笑い返してきた。

「ホムンクルスの出現場所はほぼランダムだ。だが、この地図上から出るとは思えない。そして、ランダムと言っても一定の決まりごとがあることを乃愛先生は突き止めてくれた」
 ユリア、レン、美羽、美優そして俺はテーブルに広げた地図を囲み説明を続ける。本来、美羽や美優は除外するべきなのだが、二人とも頑として譲らなかった。
「半径五メートル以内にモノや大きなエネルギーが存在しない場所。地上から十メートル以下の場所。その後の行動も基本的には勝手に動くそうだが、ユリアやレンと同じように精霊の力の動きにはかなり敏感らしい。それを使っておびき出すのが理想的な手段と言っていいだろう。出現場所の決まりから、住宅及び住宅間の著しく狭い場所は除外していい」
 そういいながら、俺は約四十世帯ある場所に次々にバッテンをつけていった。住宅街が集中している場所のため、約五つの大きな出現場所が決められる。
「こうなると、小さい場所は、まぁ無視していい。それよりも、学校、橋屋の大通り、公園、住宅間の広い道、学校へ向かう時の長ったらしい坂の五つを重点的に考えた方がいいだろう」
「ちょうど五人だし、ちょうどいいじゃん」
 美羽がちょっと笑いながら言った。冗談だろうから俺は無視した。
「ちょっと、ちょっと。まさか、アタシらハブじゃないだろうね?」
 俺のシカトを別方向に勘違いした美羽が少し声を荒げた。
「ホムンクルス討伐をやるっていいたいのか? 俺としては美羽も美優も参加して欲しくない」
「冗談じゃないわよ。ここまで来たらやるしかないでしょうが。面白そうだしね」
 本当にゲーム気分だな、おい。
「お兄ちゃん、ワタシも手伝いたい」
 正直、俺はどんなことがあっても、それは拒否するつもりだった。
 しかし、乃愛先生の助言もあって、それを受け入れつつある。
 こんな感じの話だった。美羽や美優がやりたいと言った時に一方的にはねつけることは得策ではないと。俺の見ていないところで美羽や美優が動くと予想できない事態を生む可能性がある。だから、勝手に動かれるよりはこちらでコントロールした方がいい。もちろん、美羽も美優も大人しくしているという可能性もあるのだが……。
 問題はホムンクルスだな。乃愛先生も楽観視しているようだが、慎重に見極めないと。
「ヒロト殿。ミウは中々筋はいいと思うぞ。昨日の夜でホムンクルスを叩き潰した動きは良かったと言っていい」
 レンはじっと俺を見続ける。確かに、それは言えるかもしれない。
 俺はしばらく腕を組んで思案していたが、美羽の真剣そうな目を見て、ついに折れる。
「分かった。いいだろう。ただし、美羽と美優はもちろんだが、レンもユリアも俺の指示には従ってもらう。それが出来ないというなら、俺は降りるぜ」
 降りるというのは言い過ぎだと思ったが、ここは譲れそうになかった。
「素人のヒロト殿がもし間違いを犯したら?」
「俺は確かに戦闘においては素人だ。間違いという抽象的な言い方は気に食わないが答えてやろう。間違いなど起こさせないさ。それにレンやユリアが作戦指揮するよりも、自分でやった方が何倍もいい。理由は、ここは俺らの世界であることと、レンもユリアも指揮には向いていないと俺が思うからだ。全部納得できるまで説明してやってもいいが、俺が説明しなきゃいけないという時点でやはり任せるわけにはいかない。その理由が分からないならなおさら。そして駄目ならどうする? という考え方が悪いんだ。そうじゃない、やらなきゃいけない。そうだろ?」
 軽はずみな発言だったのか、レンは少しばつが悪そうにした。
「今は大したことは言えないが、多分三つに分けると思う。内訳はレンと美優、ユリアと美羽、そして俺。俺はヘルメスの杖を持ってるからな。一人でも十分対応できる。探索ルートは後で説明するとして、まずはホムンクルスを発見した時の対応を話しておこうか。これを見てくれ」
 俺はすっと立ち上がるとセットしたビデオを流し始めた。この前撮ったホムンクルスの映像だ。
 まず、一匹目のホムンクルス。俺が懐中電灯で光をかけた瞬間逃げ、一度外に出てきてその全体を見せる。そこで一旦止めた。
「今見た通り、結構足は速い。が、対応できないほどじゃない。俺たちがすることは捕まえることでもなければ、説得することでもないからな。ただ壊すだけだ。光を見せた瞬間逃げたことから見ても突然の出来事にはとにかく逃走するだろうと考えられる。それは二度目のホムンクルスで確認済みだが、まぁ、まだ決め付けるのは早計だな。多分、音とかにも反応するだろう。それじゃ次」
 再生し、ホムンクルスが遠ざかる映像が見える。次の瞬間、物凄い勢いで引っ張られるようにホムンクルスが近づいてくる。俺の目の前で無様に倒れ、間髪をいれずにレンと美羽が叩き潰す。そのシーンで美羽が自嘲気味に笑った。
 一度切れて、二度目のホムンクルスが映し出される。場所は変わって学校へ向かう時の急で長い坂。そこでは、頂上付近にホムンクルスがキョロキョロと周囲を見回している。美優の静止する声が聞こえながらも俺は少し小走りにホムンクルスに寄った。今度は懐中電灯を使わない。カメラを回しながら寄っていくとホムンクルスがこちらに気づく。カメラである俺が一度立ち止まり、それから今度は走った。
 次の瞬間、ホムンクルスがカメラに急接近し始める。俺は立ち止まり、ギリギリまでホムンクルスを撮影していた。のっぺりとした表情のない顔が……いや、もう装飾と言っていいだろう。品の悪い装飾。
 俺はこの時のことを思い出した。どんな攻撃を仕掛けてくるのか、それはどんな威力があるのかを検証するために少しだけワクワクしていた。だが、何のことはない。爪とも言えぬ稚拙な腕で俺を殴るぐらいことだった。その威力は俺の左腕が示している。とんだお笑い種だ。かすり傷程度で、これなら自分で派手に転んだ方がよっぽどダメージがあると思えた。
 テレビでは、その時の様子がまぁカメラが揺れまくってる状態で映っていた。
「俺はこの時、乃愛先生にもレンにもユリアにも魔法は使わないように指示していた。ただの普通の人間でも襲うということだろう。実際に対面した者から言わせてもらえれば、俺たちに生き死にの問題はない。こちらが圧倒的有利な上での戦いってことだな。いや、戦いとはいえないか……害虫駆除にしかならない」
 ここまできて、何故か自分が意味不明なことをしているような気分になった。戦略やこの情報確認の話じゃない。もっと根本的な部分で――いや、大丈夫だろう。大きく間違っていることはないはずだ。
「その害虫駆除にここまでやるかね」
「害虫駆除だからこそ、この段階で出来るんだぞ? 相手が人間なら、まだまだ情報が足りない段階だ」
 俺は美羽を一瞥すると、テレビを一旦切った。
「とりあえず、大よその情報は入ったな? それじゃ、詳しい説明は後にして、とりあえず把握しておきたいことがあるから。まずはそっちをやろう。とりあえず、レンからだな」
 俺はおもむろに窓を開け、庭に出た。そして、レンを手招きする。レンが訳が分からないという顔で歩いてくる。
「剣を抜いて、俺に切りかかってきてくれ」
 美優が驚いた表情で首を振っていた。危ないよ、とでも言いたそうだった。
「とりあえず、誰がどれくらいの力量を持っているのか把握しておきたい。こっちはヘルメスの杖にさっきユリアに込めてもらった魔法があるから大丈夫だ」
「いいのだな?」
 レンが物置から剣を取り出し、抜いた。俺は頷いてみせる。
 剣が目の前に突きつけられる。これで二度目だな、と俺は場違いなことを思っていた。違うのはシチュエーションだけだ。
「魔法は使わないでくれよ。俺はほとんど把握してないからな。身一つで、そして全力で」
 剣が赤く染まる。日没が過ぎてそろそろ夜になるのだろう。赤く染まった剣は、血の色と見ても違和感はなさそうだった。
 次の瞬間、小さな吐息が聞こえたかと思うと目の前までレンが近づいていた。俺は多少びっくりしたが、大きく後ろにも横にも動くことはなかった。
 隙のない小さな振りの上段斬り。
 俺は右手で合わせるように剣を横から叩いた。そのせいで方向がずれた剣は俺の左側を掠め、地面を斬る。間髪をいれずにそこからレンは斜め上に斬り上げた。ボーっとしていたら、わき腹から肩口にかけて綺麗に斬られていただろうが、俺はすでに後ろに飛びのいていたので剣は虚空を斬る。
 パンパンと手を叩いてみせた。
「オーケイ。魔法なしでそれは凄いな。居合いでも通用するだろうよ」
 それと同時にヘルメスの杖に込められた魔法にも驚いていた。これはもう魔法というよりも……超能力とも違うな。とにかく、半端ない力がある。向こうの世界じゃこんなもんが溢れかえっているのか? イメージをユリアに伝えたのは俺だが、ここまでとは……。何でもありか? と言いたくなってくる。
「身体強化系の魔法か。あれは中々イメージが難しかったはずだが」
「込めたのはユリアさ。さすが姫様だな」
「今のが魔法なの? 炎を出したり、水を操ったりとかじゃなくて?」
 美優が首を傾げながら聞いてきた。
「それは自然魔法というらしい。他にも幻覚見せたりする魔法もあるって。その辺は今度話そう」
 レンはそれで終わりにして、ユリア、美羽の順で力量を見てみる。美優は……無理だろう。それに美優にはどっちかというと体力仕事よりもして欲しいことがある。
 力量の計算からも、最初の内訳は変わりそうになかった。魔法なしではユリアよりも美羽の方がいい動きしていた。そして、手合わせのおかげで、ヘルメスの杖の使い方も大分わかってきた。魔法と言っても、自然物を操るだけじゃないようだ。多くを知ってるわけじゃないが、根本にあるのは人の想像力になるんだろうな。しかし、それもどうやら絶対じゃない。
 ――魔法はこの世界の住人にとっちゃ何でもアリに見える。だが、もちろん法則は存在するし、その法則から外れたことは絶対に出来ない。逆に言うと法則の範囲内なら何でも出来るということだ。その法則なんだが、正直基本的なことしか言語化できそうにない。まず、出来るだけ詳細な魔法の動きをイメージすること。最初から最後まで。どこかで無理があるとその魔法は成功しない。そして、一方通行的な魔法は他のイレギュラー要素に極めて弱くなる。だから、出来る限りの詳細なイメージを作り出さなくてはならない。これが一つ目だ。本当に、感覚の作業だから。この作業を効率よく行える者が上にいけるし、出来ない者はいつまでも最下層をうろついていることになる――
 ――そうなると、たった一人の天才が世界を牛耳る事もできそうですね――
 ――その辺に関しては別の日に話すこととしよう。だが、確かに、一つの大きな力は他を圧倒することが出来る。それでも、魔法は基本的に不特定多数の人間に効果を得られるものは少ない。イメージするのが酷く難しく、綱渡りみたいなことをしなければならないからな。特に時間もかかるのがネックだな。どちらにしても、やはり戦争は多人数でやることになるのさ――
 そんなようなやり取りを今日した。魔法に関しては本当に謎が多い。
 日が落ち、夜が来る。一通りの指示を与え終わると、ホムンクルスが出る時間帯になるまで暇つぶしをすることになった。レンは剣を振ってるし、ユリアは瞑想を始めていた。美羽はテレビをダラけて見ていた反面、美優は食事を作っている。
 美優の極上の食事を終えた俺たちは、時間を見計らって外に出た。
 まだまだ肌寒い。後についてくる四人の少女を見て、俺は苦笑いしか出来なかった。女だらけの害虫駆除隊ってか……。
 ドアを出て、飛び石の上で踵を返し、四人を見る。
「さて、始めるぞ」


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