とある頭痛薬の半分は優しさでできているそうです。
なので皆さんも、もう少し私めに優しくしてくださったりなどは……あ、はいそうですか、してくれませんか。
では参りましょう。はい、せーの。
「ぎゃぁぁぁっ! く、口の中で死霊の阿波踊りがあぁぁっ!?」
「ちょっと兄貴、病人なんだから静かにしてよ!」
まさに恐怖! まさにクレイジー!
「つうかこれのどこが健康食だ!? 明らかに健康を損なう代物以外の何物にも見えないぞ!」
確かに俺は全身凄まじい勢いで打撲やら骨折やらありますよ。病人というか怪我人です。しかも一刻も早い治療が必要だ。確かにそれはそうだ、認めるところだ。だがしかし、これだけは認めない。断じて認めない!
「おかゆにサプリメントやら栄養ドリンクやらぶち込むとか、アホか、アホの子なのかお前!?」
「な、なによ手っ取り早く栄養が取れそうだからいいじゃない!!」
喧々囂々とはまさにこのこと。ていうか怪我人に怒鳴るな叩くな。お前は俺を治したいのかベッドに縛り付けたいのか、どっちなんだ?
俺はため息をつきながら、昨日のことを思い浮かべた。
あの後、ノアは姿を消した。あの後応援を呼んで俺たちはまとめて病院へ担ぎ込まれたらしいのだが、やる事があるとの沙良先生の言葉により緊急を要する怪我人以外は応急処置を済ませるにとどめたらしい。とはいえ、沙良先生や専門の魔法使いのおかげで傷は一両日中にはあらかた治るという話だ。
ちなみに緊急を要する怪我人とは、貴俊と陽菜の二人。特に陽菜は腹に穴が開いてしまっていたのだという。何とか傷跡は残さないようにしてくれるという話だ。
貴俊は……ガーガーの馬鹿力を立て続けに食らったせいで、生きているほうが不思議という診断を下されたらしい。だが今は陽菜よりも元気になっていて病院内を暴れまわっているんだとか。
そして俺もそれなりに重症だったらしいのだが、沙良先生がなにやら強引な手段を用いたとかで軽症と呼べるレベルまで回復させたらしい。その話になるとみんな目を逸らすんだから気になって仕方ない。
ともあれ、一日を病院で過ごしたみんなは、俺を連れて自宅に戻った。
そこで見たのが、家の中の惨状だ。現在、世界中で地震や嵐などの天変地異が頻発しており、家も地震の被害にあったのだという。幸い、家が潰れるような威力のものではなかったがその中は酷い有様だった。
そんなわけで大掃除が始まったわけだが……なんというか、騒音に『誰だ騒いでるのはあああ!!』と叫びながら俺が目を覚ましたというところから察してもらいたい。
そして今に至る。日付は変わりそろそろ寝ようかと思っていたところに、傷が深いから栄養のあるものを、ということで美羽が用意してくれたらしいのだが。てめえどう考えても嫌がらせだろこれ。なによそれせっかく人が親切心で。その親切心は致死性だ。
などと騒いでいたら、
「やかましい! 深夜なんやからぎゃぁぎゃぁ騒ぐな!!」
「「ご、ごめんなさい」」
俺と同じくらいに傷を負っていたはずの沙良先生は、すでに完全回復していた。本当に傷ひとつないのだ。
『家に帰るなり冷蔵庫の中身を食べつくして、その後お風呂場に入って出てきたら元通りだった』とは美優の談だ。どういう身体構造してんだ、あの人。
「結城姉もおにーちゃんが心配なんはわかるけど今日は寝とき」
「いやでも」
「肌が荒れるで」
「お休み兄貴☆」
ばたん。
どうやら結城家長女は長男の体の具合よりも自分のお肌の健康のほうが優先順位が高いらしいです。しかもあの即決具合からして、不等号ひとつふたつのレベルの差ではないだろう。
……覚えてろよ。
「人気者は辛いなぁ、おにーちゃん?」
「人をからかうのがそんなに楽しいですか……」
それはさておき、と沙良先生は扉に背を預けた。真剣な瞳がまっすぐに俺を射抜く。
「あんた……あんときに乃愛……あー、ノア、か? 音が一緒でややこしいなぁ。そのノアから、何か情報、うけとっとるんか?」
「…………」
おそらく、誰もが尋ねたくて口に出せなかった言葉。
みんな信じたくないんだろう、俺だって信じたくない、信じられない。あの乃愛さんが、こんなことをするなんて。
あの人は言った。乃愛ではなく、ノアだと。言葉通り、雰囲気も考え方もまるで乃愛さんとは違う印象だった。でも、それでも……。
「……一応、ある程度の情報はなぜか頭の中に入っています」
「そ、か。そんならええ。とりあえず話は明日や、明日、みんなの前で話してもらう」
「今聞かないんですか?」
沙良先生と乃愛さんの関係はよくわからないが、単なる同僚以上の関係がある事だけは何となく感じていた。それだけに、沙良先生はこの事を気にしていないはずが、ない。
「時間、あぶないんか?」
肯く。俺に入ってきた知識からして、時間は三日も残されていないだろう。
「なら……焦って、どうにかなるんか?」
その言葉に、俺は。
「いいえ」
首を横に振った。そう。
ノアの与えた情報に……この、最後の事態を打開するための手段は入っていなかった。当たり前だ、わざわざ敵に、そんな情報を送りつける人間なんかいるわけがない。
「せやろ? ならとりあえず今日は寝る。まずは体を少しでもよくして、それから考える。それにな……あんたは忘れとるかも知れんけどウチは教師や、生徒に無理をさせるようなことは、せんよ」
そういって沙良先生は部屋を後にした。
その背中を見送って、思わず、大きなため息がこぼれる。
「乃愛さん……ノア……。一体、何だってんだよ」
どうしてこうも世界ってのは嫌味たらしいのか。
親父が死んでから初めて、親父が生きていてくれたら、と。そんな恨み言をこぼした。
「料理? ……ユリアが?」
「だめ、でしょうか?」
いや、だめってことはないけども。
朝、前日からずっと寝続けていたこともあって早くに目を覚ました俺は、英気を養う意味でも気合の入った朝食を作ろうとしていたのだ。といっても朝食だからそんなに重たいものは作れない。
「でも、何でいきなり?」
「やっぱり、何もしていないのは不安ですから……それに私にも少しくらい、あなたを手伝わせてくれてもいいでしょう?」
確かに、何もしていないとどうしても考えてしまう。世界の終末を。外の景色はこんなにも晴れやかだというのに、どこかぴりぴりとした緊張感が漂っている。誰もが本能で感じているのだ、終わりを。
なんて暗い考えに浸っていても仕方ないし意味がないし趣味じゃない上にキャラじゃねえ。
「よし、それじゃあ今日の朝食はオープンサンドにするか」
「おーぷん?」
疑問符を浮かべるユリア。そんな彼女に簡単な説明をしながら作業を進めていく。
たどたどしい手つきに危険を感じる時もあるが、元々手先が器用なのだろう。何とか仕事をこなしていくユリア。ふむ、初心者には危ないと思っていたが包丁を持たせても平気かもしれない。
師匠は弟子の成長につい期待してしまうのだ。
「そういえば……」
ユリアがゆで卵を慎重に真っ二つにしたところで、何かを思い出したらしい。
「ヒロト、通常魔法なんていつ覚えたんです? ていうか、私の世界の感覚なんてどこで?」
「ああ、それは……それは……」
親父が死んだ時に恐怖と共にしっかりと刻み込まれていました、とか言えるわけないだろ常識的に考えて。
「あー、うんまあ、なんかほら……本能?」
「本能で魔法が使えたら誰も苦労なんてしませんよ……」
呆れられてしまった。
ちなみに俺の通常魔法の才能は美羽や美優と比べたら非常にお寒いものである。何しろ親父がそういっていたんだから間違いない。ちくしょうめ。
その代わり親父から叩き込まれた格闘術は、通常魔法と組み合わせることでその威力を何倍にも引き上げることができるようになっている。もっとも、何年も修行していないのだから今使えといわれても無理だろうけど。
更に、ちょっと変わった魔法の使い方も教えてもらった。親父曰く魔法以前の技術、との話だが。
「そりゃそうだろうけどさ……てかまて、ちょっと待て」
「はい?」
「ユリアさ、何で俺のこと呼び捨て?」
ユリアが俺のことを呼び捨てにしていた。ついでに言えば距離感も今までより大分近い気がする。無論悪い気はしないのだが、いきなりのことで戸惑ってしまう。
「え……と、それを言うなら、ヒロトも、ですけど……」
「え、俺?」
ふと昨日からの言動を思い返し、愕然とした。
本当だ、俺いつの間にかユリアを呼び捨てにしてるっ!?
「い、今まで気付いてなかったんですかっ!?」
「いや切っ先をこっちに向けなあああっぶねええええっ!!!!」
思い切り振り向いた勢いで包丁の切っ先が俺の腕を掠めていった。心臓がバクバク言っている。
つい先日危うく死ぬところまで追い詰められても怖いものは怖いままらしい。
「うーん、でもいつの間に呼び方が……戻したほうがいいか?」
「そ、そんなことはないですよ。今のままで……今のほうがいいです」
どこか幸せそうにユリアは言った。
ユリアがそれを許してくれるというのなら、俺も積極的に前の呼び方に戻そうとは思わない。悪くない――どころか何となく嬉しいのだ、この距離感が。
朝食はユリア作オープンサンドと俺作のスープ、ついでに余った野菜と果物でジュースも作った。お手軽だがバランスのよいメニューだ。
「ど、どうでしょう?」
「うん、うまいよ。初めてでこれだけできれば上出来だろ」
実際うまかった。初めてということもあって手つきはたどたどしいものだったが、これならすぐに上達するだろう。
……少なくとも超絶化学変化や味見無用のビックリおかゆなんて作る連中よりは。
「な、兄貴その目は何!?」
「うぅ……わ、ワタシだって、練習すれば……」
お前らは練習する前にまず常識を身につけろ。
「兄貴だって、最初はすごいの作ってたくせに」
「そ、そんなの最初だけだろ! ちゃんと練習してこうやってだな」
「お兄ちゃんはその練習の機会をワタシたちから奪ってるー、おーぼー」
お、おのれ……こんなところで結託しおって!
つーか数日前に目玉焼きの練習で凄まじい化学変化を引き起こしたことを忘れたとは言わせんぞ、美優。
「あー、楽しそうなのは結構やけど話をきかせてもらってもええかー?」
沙良先生が呆れた視線で俺たちを見ていた。む、確かにいつまでもふざけているわけにもいかない。
俺は肯くと、ノアによって詰め込まれた知識を口にした。
数十分後。
みんな黙り込んでいた。食器は綺麗に片付けられて、それぞれの前に醒めた紅茶が置かれている。
俺が伝えた情報は結局のところみんなの絶望をより深く、確かなものにするだけだったのだ。それでも言わないわけにはいかなかった。
「しかし、本格的に手の打ちようがない……か」
レンさんは深いため息をついた。
ノアは……乃愛さんが現在どういう状況にあるのか、俺に伝えられたのはその情報だけだった。
乃愛さんは現在、ノアにその肉体の主導権を握られた状態で眠っているのだという。また、ノアはこれまでの乃愛さんの中で過ごしてきた人生の知識、経験を全て引き継いでいるとのことだ。あの時、俺を投げ飛ばしたのはノアの強さであると同時、乃愛さんの強さでもあったわけだ。
そしてノアは今、この世界を壊そうとしている。
理由? ……ノアは、そういう物だから、だそうだ。細かいごちゃごちゃとした理由はあるらしいが、そんなこと知ったところで何が変わるわけでもない。
そして彼女の言う根源を操るという力は、世界のエネルギーを少し操作する程度の力らしい。だが今は礎を手に入れたことでその力も『錯覚』も比較にならないほど強化されている。
そして何故ノアが入ったものが死なないかといえば……。
「神を殺すことは不可能だから……結論ありきの話なんて反則にも程があるね」
やはりわけのわからない理論だが、もはや理解は放棄している。そういうものだ、と思っていたほうがいいだろう。
「とにかく……ノアの目的は世界を壊すただそれだけ。そのために生まれて、それを終えたら死ぬ、そういう存在らしい。だからこそそのチャンスは絶対に逃すことはないんだそうだ」
更に言えば……なぜ、ファイバーが世界の礎を生む方法を手に入れられたのか。それも、ノアの手の平の上ということだ。
礎生成の舞台となった世界はそのまま壊れるらしい。さらには礎を手に入れた存在が渡り歩いた世界も次々に壊れていくそうだ。
今はノアの体がそうなっているが、今のノアの存在は世界と同義らしい。ひとつの世界の中にもうひとつ世界が存在する、そういうありえない現象の重みで世界は塵となる。
さて、果たしてそんな物騒なものを過去に生み出し、あまつさえ記録を残せるような奴がいたんだろうか。いないとは言い切れないが……。
「乃愛さんはユリアの世界に行ったこともある筈だ。そのときにノアが何かしらの細工を施していたんだろうな」
どこまでがノアの思惑なのかはわからない。
計画といえるほどのものがあったわけでもないだろう。ただ、少しでもノアの軌跡に触れたものは、どこまでも吸い寄せられていく。ノアのただひとつの目的のために。
偶然を手繰り寄せ自分にとっての都合のよい必然を生み出す、魔法でもなんでもない、そういう存在。
「そう考えれば、確かにファイバーが見たという資料を当てにするのは危険ですね」
「でも……それじゃあ本格的に手がかりが何もないわよ!?」
美羽の言葉に、ついに誰もが口を閉ざす。
俺はただ己の無力にくちびるを噛み、拳を握り締めることしかできなかった。
陽菜が病院から戻ってきたということなので見舞いに行く事になった。
「あ、ヒロ君。なんかここ最近ずっとあってたから一日ぶりにあうとなんだか久しぶりだね」
「思ったより、元気そうだな……」
ほっとした。さすがにベッドの上で横になってはいるが。腹を貫通したという話を聞いたときには血の気が引いたし。
「今回は、悪かったな。でも助かった、ありがとう」
本当なら陽菜はこんなことに巻き込まれなくてもよかったはずだ。たまたまあの場所にいてしまっただけで、しかも俺たちが連れてこなければあんなところに来ることさえなかったはずなんだから。
「いいんだよ、ヒロ君。それにようやく、ヒロ君に借りてたでっかい借りが返せたんだしね」
「借り?」
陽菜に貸しなんてあっただろうか。むしろ俺が陽菜に山ほど借りを作っている気がするけど。
俺の疑問に、陽菜はどこか寂しげで、暖かな微笑を浮かべた。
「犬の、こと」
「…………」
「陽菜、ずっとあのことが気になってたから。ヒロ君があの後、どうなったか……ちゃんと、思い出したんでしょ?」
俺は無言で肯く。
あの頃――親父が死んですぐのころ、俺は妹達や陽菜を守ることに執着していた。それこそ、どんなことをしてでも、だ。親父の死に際に何もできなかった自分を否定するかのように。
だが俺の力では犬を追い払うことすらできなかったのだ。同年代の男子との喧嘩に負けることはなくても、犬相手ではまともに立ち向かうこともできなかった。それでも陽菜を守ることに――守る自分に執着するために、俺はあっさりと、使わないと決めたはずの魔法を使った。
結果、犬はあっけなく死んだ。本当に、あっけなかった。
俺にはそれだけの力があった。俺の力には、それだけの事ができてしまった。
命を、あっさりと奪ってしまうだけの。
その事実に、現実に、俺の心は恐怖した。
そして俺は――
「あの後のヒロ君、酷かった。自分の魔法も、自分自身も、全部嫌ってた。それでも陽菜たちの事だけは大切にしてくれた……ううん、陽菜たちの事だけを、大切にしてくれちゃってた。自分で自分を、傷つけるくらいに」
陽菜はうつむいた。あれを、思い出したのだろう。
俺の弱い心は己に対するやり場のない憤りだけを溜め込み、そしてある日、爆発させた。
自分の腕を、掻っ捌いた。あの頃の自分が何を望んでそんな行動を起こしたのかは、もう覚えていない。いや、当時の自分もわかっていなかったと思う。ただ、衝動的に。親父の部屋にあった大きなナイフで。
おそらくその後、病院で乃愛さんと陽菜が魔法で俺の記憶を封じたのだろう。
ただ、恐怖とやるせない怒りだけは残り、風化し、俺の中の曖昧な違和感として残った。
刃物に対する恐怖。
魔法に対する不信。
「けどありゃあ、俺の自業自得だ。別に陽菜が気にする必要はないんだぞ?」
「えへへ、ヒロ君ならそういうと思ってた。だから陽菜も言うけど、この怪我も陽菜の自業自得だよ、だから気にしないでヒロ君。その代わりに、陽菜はこんなに今、気分が晴れてるんだもん」
そういって顔を上げた陽菜の笑顔は、まるで太陽みたいで。
見ているこちらの心が、じんわりと暖められてしまうようだった。
「でも……やっぱり、そんな怪我させてしまったし」
「しつこいなぁヒロ君。あのねぇ、ヒロ君はそうして何でも守るつもりだけどそれってよろしくないよ、陽菜的には」
「う……そ、そうか?」
うんうんと肯く。うー、でもなぁ、ほら。
「犬の事もそう、今回の事もそう。陽菜はヒロ君に感謝して、みんなもヒロ君を許して。それでもヒロ君が悩んでたらどうしようもないじゃない。ねえ、一体どうすればヒロ君は自分を許してあげられるの? どうなったらヒロ君は自分を許してあげられたの? ヒロ君の望む結末は、どんなものならヒロ君自信が満足できるの?」
その、問いかけに。どこまでもまっすぐで、必死な問いかけに。
俺は――答えを見つけ出す事ができなかった。
「俺、は……」
ぱくぱくと、口を開閉する。今の俺のはさぞかし間抜け面をさらしている事だろう。
そんな俺をみて、陽菜は笑い出した。
「あはははは! ひ、ヒロ君、変な顔ー!!」
「うううううるせー! 悪かったなこんちくしょう!!」
それにつられて、俺も笑う。
二人でひときしり笑いあって――それがようやく収まって、陽菜は言った。
「ヒロ君」
「ん?」
「どうせなら……陽菜は、みんなが笑っていられる、そんな結末がいいよ」
「……」
ああ、そうだな。
そうなれたらきっと――素晴らしい。
大翔が去った扉を見ていた陽菜は、くるりと窓の外に視線を向ける。
「ユリアちゃん?」
「うえぇっ!?」
なぜか窓の外からユリアの声が聞こえた。陽菜はそれにくすりと笑い、窓を開けた。すると、ぴょこりとユリアが顔を出した。
「な……なぜわかったのでしょう……?」
「んー、勘?」
勘は勘だったが陽菜の場合、自分もするだろうなーと思っただけの話だった。別に外れなら外れで構わなかったが、当たってしまったらしい。
似通った思考と行動の意味するところを思い、陽菜の心に痛みと温かみが同時に生まれた。
「ほらほら、いらっしゃーい」
陽菜はユリアを招き入れた。ユリアは戸惑いながら靴を脱ぎ、部屋に入る。
ふと、空が視界に入った。外はいい天気だ。世界が終わりに向かって大きく動いていることなど思わせないような。
「それで、ユリアちゃんは何をしてたの~?」
「え、ええと、それはその……」
意地悪な陽菜の問いかけに、ユリアは焦った様子で言い訳を探している。が、うまい言葉が見つからなかったのかそのまま口を閉じてしまった。
(自覚、ないんだろうなぁ)
心の中で呟く。
「ねえ、ユリアちゃん」
「な、なんです?」
「ヒロ君、これからどうすると思う?」
陽菜の質問にユリアの表情に陰りが生まれる。
(ああ――気付いてるんだ)
だからこそ、こうして話を聞きに来てしまったのだろう。そう結論付けた。
「ヒロトは――最後まで、乃愛さんを救う方法を探し続けると思います」
大翔の性格を考えればそうするであろうことは容易に想像できた。そして……
「私やレン、エーデルさんには……」
ユリアは口を閉ざす。その先の言葉を拒絶するように。小さな手が、膝の上で握り締められた。
大翔は三人に『帰れ』というだろう。
ユリアもエーデルも、国にとってはなくてはならない存在なのだ。こんなところで死んでしまっていいわけがない。
つまり、この世界の命運はそれほどまでに追い詰められているということだ。
だが……
(離れたくないよね……)
それがよいとわかっていたとしても辛いことである事実に変わりはない。
陽菜が決断した大翔との別れ。だがそれも、いずれはという希望があったからこそ決断できたことだった。二度と会う事ができないとなれば、陽菜も大翔の記憶の封印に協力できた自信はない。
だが今回の別れに次がある可能性は限りなく低い。
「ねえ、ユリアちゃん……陽菜にはユリアちゃんが背負っているものはわからない。陽菜はただの女の子だから王女様がどれだけ大変な仕事と役目を担っているかなんて、本当に想像できないんだ。だから陽菜から言えるのは、ただの女の子から女の子への、本当の秘密だけ」
陽菜は、初めてその秘密を他人に告げた。
「陽菜ね……ヒロ君のことが、大好きだよ」
何よりも大切な宝物を教えるような口調で、何よりも大切な秘密を打ち明けた。おそらくはまだ己の本当の気持ちに気付いていない、可愛らしい『女の子』に。
陽菜の言葉にユリアは目を見開いて……だが、納得の表情を浮かべた。だがその中に小さな戸惑いと焦りが浮かんだのを陽菜は見逃さない。
「そ、そうだったんですね……。でも、どうして、わ、私にそれを?」
ユリアの思考がなぜか真っ白に染まり、目の前の景色が遠いものであるかのように感じられた。
陽菜から見ても明らかなほどユリアは動揺を隠しきれていなかった。そしてその事実に……いや、自分が動揺している事にも気付いていなかった。
「ユリアちゃん。陽菜はここに居る。たとえ明日世界が終わるって知って、ユリアちゃんの世界に行けば助かるってわかっても、陽菜はここに居るよ。だってここにはヒロ君がいるから。陽菜にとって一番大切なものが、ここにあるから。陽菜にとって一番大切な人と、最後の瞬間まで同じ時を感じたいから。だから陽菜はここに居る、それだけのために、ここに居るよ」
陽菜はユリアの手をとり、優しく、暖かく包み込むような笑みを浮かべる。
「ユリアちゃん……ユリアちゃんにとってはヒロ君も国もどちらも大切なんだよね。自分がいて欲しい人と、自分にいて欲しいと思ってくれている人たちがいる場所、どちらも大事だもん。でも……だから……ユリアちゃん。どっちを選んでも後悔するなら、自分の大切な人がその選択を祝福してくれたら、きっとそれは力になるよ」
それが陽菜の精一杯だった。自分の中のあやふやな、それでもまっすぐな気持ちを、言葉を、飾らず正直に伝えること。陽菜にできる、ユリアへの精一杯のエール。
そうして、沢井陽菜は恋敵の背中を押した。その結果がユリア・ジルヴァナにどのような選択を決断させるのか、彼女にもわからない。だが自身の大切なものはさらけ出した。陽菜の大切なものを受け止めるに足ると、そう信じることができたからこそ。
それが彼女のスタンスであるが故に。
夜、食事も風呂も終えて練る準備を済ませた俺はベッドの上で思索にふけっていた。
どうにも、納得の行かないことがある。
何故ノアはあんな情報を俺に伝えてきたのだろうか。そもそも、なぜ世界崩壊にリミットを設けたのか。
単純に準備にそれだけの時間が必要だと考えることもできる……というよりは、そう考えるのが妥当だろう。だがそれを俺たちに伝えるメリットはなんらないはずだ。
それに、自分の力の大まかな説明まで。俺たちが意地でも妨害しようとすることはわかっているはずなのに。単に自信の表れ? 可能性はゼロではないだろう。だがしかし、それもないように思えた。
アイツの言動は、余りに乃愛さんを思わせるもの過ぎた。もしもあれが、意図的なものでないとしたら?
ノアは生まれてすぐに乃愛さんと同化した。そして乃愛さんの感じるありとあらゆるを感じ、時に運命に悪戯を仕掛けてその命を致命的な危機から守ってきた。ずっと一緒だったのだ。
その乃愛さんの影響を受けていないとは、言い切れないのではないか。もしそうなら、乃愛さんが絶対にやらない事をあえてノアがしていったことに何か意味を感じてしまう。
そう、例えば……ヒント、とか?
「……この知識の中にこの状況を打開するヒントがあるとでも?」
それはさすがに都合のよすぎる想像だ。
だがもしそうだとするのなら……考えなくてはならない。
こんこん
ドアが軽くノックされた。体を起こしベッドに腰掛けるように座り、音の主を招き入れる。
「どうぞ、ユリア」
「入ります」
ユリアが入ってきた。その表情はやはりどこか暗いものがあったが……昼に話をしたときとはまた違う雰囲気だ。どうしたんだろう?
「ヒロト……無駄とわかっていながら、ひとつ提案します」
なんだろう、奇妙な言い方だ。
「あなたたちだけでも……私の世界へ移り住むつもりはありませんか?」
その提案に、
「いいや。少なくとも俺にそのつもりはない」
なるほど、ユリアの言ったとおり俺は首を横に振った。
「けど他のみんながどうするかまでは――」
「聞かずともわかります」
……そ、そうか。
なんだかユリアの雰囲気に気圧される。なんだろう、少し怖い。
っと。俺も言っておかないといけないことがあるんだった。正直気が重いのだが、言わないわけにはいかないだろう。
「俺も言わないといけないことがあった。……ユリア、今まで本当にありがとう。こんなに尽くしてもらった結果がこんなことになって不甲斐ないけど、それでもユリアたちと過ごせたことは、俺にとっては」
「ま……待って下さい!!」
「え? うわっ!?」
どさ。
ユリアに押されてベッドに仰向けに倒れこんでしまった。
ふわりと、シャンプーの香りが顔を撫でる。胸にのしかかる柔らかな重みに、胸の鼓動が否応なしに高まる。
しんと静まり返った部屋。だが、聞こえてきた音に体の熱が一気に醒めた。
「ユリア?」
最初は聞き間違いだと思った。だが聞けば聞くほど疑いようはなかった。
ユリアが、泣いていた。顔を胸にうずめて、小さな声ですすり泣いていた。
何がなんだかわからない。どうして、ユリアが泣き出したのか。一体何があったのか。俺のせいなのか。何一つ、わからなかった。
「ヒロト……私、私は……一国の王女です。私という存在が国にどれだけの影響を持っているのか、十分、理解、しています……して、いるんです」
涙ながらの声に、俺はただ肯いて。
金の髪を優しく撫でることしかできなかった。
「教えてくださいヒロト……あなたは今でも、私の味方でいてくれていますか?」
一瞬、戸惑った。その言葉はいつかどこかで彼女に言った記憶がある。俺はユリアの味方でいると。
あの時は、確か……え?
その意味をおそらく正確に理解できた瞬間、今度こそ俺の全身から血の気が引いた。頭のてっぺんから足の指先までの血液が一瞬で凍りついたかのように、心臓の鼓動が止まるほど衝撃を受けた。
そう、俺は確かに彼女の味方になると言ったのだ。
エーデルに、元の世界へ戻れといわれた時、戻らないと言った彼女の選択を尊重すると。
あの時俺は我が侭になれと言った。じゃあ、この場合。この世界に残ることと一刻も早く自分の世界に帰ること、どちらが我が侭だろうか。考えるまでもない。
「ユリア……そんな、まさか、そんな事……!!」
「準備は……準備はしておきます! すぐにでも戻れるよう、その手はずは整えておきますから!!」
「そういう問題じゃないだろ!? 崩壊が進めばまともに世界を超えられるかどうかもわからないんだ。今こうしている間にも、この世界はどんどん不安定になっていっている……それこそ、明日中には戻らないと!!」
「お願いです! …………お願い、だから……」
悟った。
ユリアはどれだけ言っても俺の意見は聞かないだろう。彼女が時に見せる頑固な部分を、この数ヶ月で俺は何度も見てきたのだから。
ああ、なんてこった……。
気が遠くなりそうだった。そんな自分を繋ぎとめるためか、俺の腕は無意識に、彼女の背中に回っていた。
ぎゅっと華奢な体を抱きしめる。何度、このぬくもりに俺は守られるんだろう。
考えないといけない。希望でも絶望でも事実でも妄想でも何でも構わない。俺は、考えなくてはならない。見つけ出さなくてはならない。
今度こそ。
今度こそ、俺が君を守る。
翌日。
川を眺めながらぼーっとしていた。
昨晩の話をレンさんとエーデルに話したところ、二人ともあっさりとそれを受け入れたのだ。特にエーデルなんかは意地でも引っ張って帰るとか言うと思っていた――いや、それを期待していたのに。
ユリアは――
「何をそんなに、必死になってるんだ? 何を焦って……」
この世界や、親父や……俺たちに対しての責任感? 愛着? けど下手をすれば死んでしまうんだぞ?
こんな時にまで一人の女の子としてうんぬんかんぬん言っている場合じゃない。王女として、彼女が選ぶべきは決まっているはずだ。なのに……
「なんで……ほっとしてんだよ、俺は……っ!!」
そう。
あろう事か俺は、ユリアが帰らないと聞いて喜んでしまったのだ。無論、帰って欲しいと……生き残って欲しいという気持ちには嘘はない。そのくせユリアとまだ一緒にいられることを喜んでいる俺も確かにいるのだ。
……節操がないにも程がある。
そんな自己嫌悪と後ろ暗さから家にいづらくて、こんなところでボーっとしている。
風はやや強め。集中すれば微震が繰り返していることにも気付く。
変わらないのは日の光ばかり。
「世界の終わりって……なんだろうな……」
そんな呟きが漏れて、そういえば乃愛さんにも同じことを聞かれたなと思い至る。
その彼女に俺は『乃愛さんが死んだら、たぶん俺は世界が終わったような気にはなると思います』と言った。
世界の終わり……この星が、この宇宙が終わる。だが俺にとっての終わりとは即ち、周りの人たちの死だ。たとえばこの世界の崩壊を回避できたところで、俺の家族全員が死んでしまえば俺にとってはそんな未来、世界の終わりと変わりない。自分勝手でちっぽけな考え方だが、俺はその程度の人間なのだ。
だから怖い。世界が終わることではなく、それに巻き込まれて、みんなが死んでしまうことが。
だから昨日のユリアの提案は実に魅力的なものだった。自分たちが助かるためにその他の多くを見捨てることになるのは理解しているが、それでも確実にみんなを守れるという事実に魅力を感じないわけがない。
けど俺は行くわけにはいかない。乃愛さんをこのまま放っておけるはずがないから。
ユリアが言うには他のみんなも同様だという話だったが……実際にそれとなく聞いてみたところその通りだった。美優にいたってはちょっと命の危険を感じるほどだった。普段の沸点が高い分、逆鱗に触れた場合の恐ろしさは美羽よりも遥かに上なのだ。
「せめてみんなだけでも逃げてくれれば安心できるんだけどな……」
はぁ。
ため息とぶおん! という空を薙いで何かが頭上を通り過ぎていったのは同時だった。何事かと頭を上げると……何事?
「おおおおおおおあああああああああぁぁぁぁ…………」
みょーに聞き覚えのある声が地面に着地――に失敗。ぐきりといやな音を立てて足がくにゃりと曲がり目の前の地面を凄まじい勢いで転がって……あ、川に投げだされて……おお、飛び石のように一回二回、ああさすがに散会は無理だった。
沈んでいく。
「ば、バカが出たぞおおおおおっ!!!!」
近所の子供たちが悲鳴のような声を上げて囃し立てる。すっげぇ楽しそうだ。犬の散歩をしていたおじいさんも何か壮絶なものを見たような顔をしていた。
「か、カバが出たぞおおおおおっ!?!?」
「何いィッ!?」
驚愕に目を見開くと、マジでカバがいた。カバが川をこちら側へと泳いでくる。ウォーキング中のおばあさんも何か微笑ましい光景を見るような目をしていた。
やがてそのカバが陸へと上がって来る。
「ワニだああああ!!!!」
……もうどうにでもなれ。こどもに囲まれるカバのキグルミ中から出てきたワニのキグルミを遠目にため息をついた。なんだかさっきまでの真剣に考えていた自分が酷く滑稽に思えてくる。
やがてそのワニのキグルミの背中を割って飛び出してきた貴俊とこども達の追いかけっこが始まり、追いかけっこが鬼ごっこになり――リアルファイトに遷移してボコボコにされた貴俊がこちらへと歩いてきた。
つーか怪我人、何してやがる。貴俊は普段どおりの格好だったが歩き方や仕草などから傷が治っていないことは明白だった。病院の外で怪我を増やしてどうするんだこいつ。
「あーっはっはっは! いやいや、最近のガキは凶暴だな!!」
「最近のガキもお前にだけは言われたくないだろうよ……」
「何だとこのやろう! 俺を誰だと思ってげふっ!?」
唐突に血を吹いて倒れた。叫んで傷口が開いたんだろう。しばらく倒れてしおれた貴俊を見ていたが、いつまでたってもおきない。
「……まあ、肥料にはなるか?」
「ちくしょう! お前の愛には涙が出るぜ!!」
元気に立ち上がる貴俊。さすがゴキブリ並みの生命力は伊達じゃない。スリッパ如きでは倒せないタフさまで兼ね備えているんだからゴキブリなんて目じゃないといったほうが正しいだろうか。うむ。
軽く殺意がわいてくるぞ。おのれ高機動節足黒体生命体が。
「大翔の目つきが凶悪なものに……あ、いかん。ゾクゾクしてきた」
「お前って本当に楽しそうだよなちくしょうめ!!!!」
今度は俺が泣き寝入りする番だった。
「というかだな、お前病院は?」
「逃げたよあんなとこ。大体先端技術のオンパレードじゃねーか、親父もきやがるしあんなところいられるわけがねーっつの」
「あ、やっぱり来たんだ」
思わず口元に笑みが浮かぶ。貴俊は横を向いて不機嫌に鼻を鳴らした。
「親父のことはいいんだよ。んなことより……お前がこんなところで一人寂しく考え事ってことは、状況は最悪って感じか?」
相変わらず勘だけはいい男だった。ただ俺の行動をその根拠にあげるのはやめてくれないかね、まったく。
「んでー? 何を悩んでたんだ? 大翔マニアの俺に相談してみろよ」
「一気に相談する気が消滅したんだが……まあいいか。けど俺も、何を考えればいいのかいまいちわかんないんだよな」
ノアをどうやって止めればいいのか、結局はそういうことになる。手探り状態でこの世界の危機を回避するための手段を模索している。次に打つ手があるのかないのかさえも見えない状態で。
「ふむ。俺は乃愛さんのことはよくわからんが、あの人は基本的に解けない問題を生徒に提示するような人じゃないだろ」
「……つっても、今の乃愛さんはノアの中で眠ってる状態だろ? 乃愛さんと同じような考え方をするかなんてわかんない――いや、そうじゃない可能性のほうが遥かに高いと思うぞ?」
なにしろ神を名乗るような存在だ。一応行動原理などは俺の知識として渡されたが、どうにも人間離れしていて理解しがたい。
だが貴俊はなにがおかしいのか、くっくと喉を鳴らして笑っていた。
「なあ大翔、お前いつから俺と会ったときみたいな性格だったんだ? まさか生まれたときじゃないだろ。俺だってそうだぜ? 最初は結構まともだったんだよ、途中で壊れてそれもまたぶっ壊されて、そんで今だ。なあ大翔、人間の性格、性質ってな案外コロって変わっちまうもんじゃねえのか?」
それは、つまり……。
「俺は少なくとも四年目だったぜ、お前と出会った時はな。つまりそれ以前の俺は実に聞き分けのいいガキだったわけだ。それが破綻してお前と出会うまで四年。四年間ってなぁ、結構長いぜ? それをお前とであってほんのひと月少々でぶっ壊された。変わっちまう理由さえあればあっさり変われるもんだろ。人間と同じように物を感じることができればな」
仮にも獣とあだ名されていた以前の貴俊の倫理観は相当ぶっ壊れていた。それはさておき、そんな貴俊でも今は割とこう……ふ、普通? 普通に罪悪感を覚える表現だがまあ普通に生活している。
それはノアにもいえるのだろうか。乃愛さんの中でその生き方を見て、感じて、そうして影響を受けていたりするのだろうか。
もしそうならば。
「近くにいる人間の影響ってのはどうしたって受けちまうだろ? お前だってこの数ヶ月で結構変わったじゃねえか。以前のお前なら誰かを助けるために自分の家族を危険に巻き込むなんて死んでもやんなかったくせに」
言われて気付く。そう、俺も確かに変わっているんだ。ほかならぬユリアのおかげで。
「第一相手が神様だかなんだかしらねーが乃愛さんに会って影響を受けない奴がいるほうが信じらんねーよ、俺は」
その言葉になんとなく感心して笑ってしまった。
確証はなく保障もできないことなんだが、それでも光明が見えた気がして少しだけ心が軽くなった。
「よし、じゃあ貴俊、ちょっと頼みごとがあるんだが。お前としてはすっげぇいやだろうけど、お前んちの力を借りたい」
そういう俺に案の定いやな顔を――さっぱり消し去り、逆に気持ち悪いくらいの笑顔になりやがった。
「はっはっはっは! なぁにお前の愛と比べりゃあんな家いくらでも使ってやるぜ!! あ、でもひとつ貸しひとつな」
「お前、もっと親父さんと仲良くしろよ……。ま、まあいいや……」
俺は貴俊に用件を伝える。貴俊はそれを聞いてすぐさまその場から走り去った。ちなみにその後をわらわらと追いかける黒服の一団があったりなかったりしたが本編には関係ないので省略しよう。
もし乃愛さんなら、という仮定の上での考察を立てる。
これが非常に危険だということは自覚している。推論に推論を重ねる場合、最初の推論が外れていたらその上の全てが瓦解するからだ。だが他に道はないと考え、この可能性に賭ける事にする。
もし俺の考えの通りだとするならばそれは同時にこの世界の未来が俺の双肩にかかっていることを意味する。今にも胃がキリキリと泣き出してしまいそうだが逃げてもいられない。家族を守るためには俺がしなくてはならないのだから。
乃愛さん――ノアを破る方法はおそらくひとつだけ。しかしそれが可能であるという確証はやはりない。ない……が、可能であると信じている。俺の魔法、親父が遺してくれたこと、母さんが教えてくれたこと。全てはこのためにあったようにさえ思える。
もしそうなら、俺は本当の意味でようやく自分の魔法を取り戻したのだろう。
だがしかしノアが乃愛さんの影響を受けて、その思考、思想に沿った行動をとっているとしてもやはり疑問は残る。ノアにとって、世界を滅ぼすとい運は己の生きる意味であり、存在価値そのものであるのだ。いくら影響を受けているとしても、俺にヒントを――選び取る道を残すような真似をするだろうか。
考えてもわからない、答えは出ない。
故にただひとつわかっていることを頼りに俺は行動をおこす。
即ち、俺の根源であり、強くなった理由。俺の生きる意味で、存在価値そのもの。
現状を放置しては世界は崩壊し、結果として俺の大切な人たちの命が失われる。その結末だけは認めるわけにはいかない。
故に俺は別の結果を掴みに行く。家族を守るという、そのためだけに。
だが、まだ、わからない。
俺の望む結末とは結局、これでいいのだろうか。
最終更新:2008年03月04日 11:09