世界が見えた世界・9話 D 後

 それがどれほどの悪夢だったのか、美優には想像できなかった。
 ただ、そこほでのことがあれば、世界を滅ぼして自らの望む世界を作るなんて事を考えてしまうのかもしれないな、とは思った。

レン「つまり貴様は、我々の世界でも、この世界でもない別の世界の人間だというのか?」
エラーズ「ええ。この世界のように魔法なんてまったくない世界。それが私の出身です」

 エラーズが生まれたのは、魔法や神秘などとは程遠い世界だった。高層ビルが立ち並び、ネットワークが世界を包み、それでも諍いはなくならない世界だった。
 魔法や超能力など、存在しない。はずだった。
 だが何事にも例外はあったのだろうか、彼の世界にただ一人だけ、魔法のような力を持つ人間が現れた。その人物は自分の能力を研究し、それを子供達に植え付けることで広げ、世界を改革できないかと考えた。エラーズは、その子供の中の一人だった。
 無論前例のない実験と言うこともあり、数多くの失敗があり、失敗の数だけ子供達は死んだ。エラーズはたまたま生き残ったうちの一人だ。
 それでも、ある程度実験が進めばそういう事故も失敗も減った。子供達の間にも友情や連帯感というものが生まれ、研究施設での生活はそう悪いものではなかった。
 ある日……子供達のうちの一人の能力が暴走するその日までは。
 暴走した力により施設は壊滅したものの、幸運にもその事故による死者はでなかった。ただ一人、力を暴走させた子供が行方不明になった。
 それから彼らは最初の能力者――彼らは『母』と呼んでいた――と共に、各地を転々としながら研究を続けていった。しかしその生活が数年も続いた頃、次々に研究員や仲間達が襲われることになる。犯人は、暴走させた子供だった。
 それから色々あって……エラーズは一度だけ、その子供――『彼』と会話をした。
 『彼』の目的はただひとつ。その世界から『母』の力を駆逐することだった。『彼』は自分の力を憎み、『母』を憎み――かつての仲間達を、ただ普通の生活に返したかったのだった。そして、ただ一人助けたい人が居た。
 それからエラーズは、『彼』と会うことはなかった。その前に、事故で異世界に吹き飛ばされていたのだ。そうして、数年かけてようやく自分の世界に戻った時、そこは何も変わらず、そしてエラーズの知る世界ではなかった。
 その世界には実験によって死んだはずの子供達が存在し、『母』はおらず『彼』が救いたかった人も存在した。
 なかったのは、『彼』とエラーズの姿だけだった。
 その世界を見たエラーズは悟った。『彼』は目的を達成し仲間達に普通の人生を送り消えていったのだと。不幸にもエラーズはその際に異世界に飛ばされていたせいで、元の生活には戻れなかったが……エラーズがそれを後悔することは、なかった。

 己の全てを犠牲にして、多くの幸福を取り戻した人が居た。それをせめて自分だけが覚えていられるのならそれは幸運だったと思うのだ。

エラーズ「けど、思うんですよどうしても。私と『彼』は別段親しい間柄ではなかったですが……『彼』は果たして、幸福だったのでしょうか?」

 それは永遠に答えの返ってこない問いかけ。自分の目的を達し願いを叶えた男は……果たしてそれで満足したのだろうか。ただひたすらに自分に絶望し続けた人間は、果たして最期には自分を許せたのだろうか。
 自分が死ぬために生き続けた果てに何を見たのか。エラーズはそれが知りたかった。
 願いを叶えることで本当に人が幸せになれるのか、ただそれだけが知りたかった。

美優「それで……それを知って、あなたはどうするんですか?」
エラーズ「そうですね。可能であれば『彼』が生きて幸せになる世界を見てみたいですね。彼には恩も義理もありませんが、誰かの不幸の上に世界が成り立ち、そのことを本当に誰も知らないなんて、納得できないでしょう?」
レン「その為にその『彼』が守った人々が犠牲になる可能性があるとしても、か?」

 エラーズはすっと、その面を外した。
 その下から現れた顔に、美優とレンは息を呑んだ。

エラーズ「その全てを背負う覚悟はある。この左目は、その世界に埋めてきた」

 顔の大きな傷をそっと指でなぞるエラーズ。そこにどれほどの想いを込めたのか。

レン「なぜそこまで知ろうとする? そこまでして知るべきことなのか、それは!?」

 『単剣二刃』レンが床に剣を突き立てると、剣から二筋の光の斬撃が突き進む。エラーズは体を大きくそらすと、両腕を鞭のようにしならせ、迫る斬撃に正面から叩きつける。衝突した力と力は渦を為し、破裂する。
 戦技と呼ばれる、エラーズ含む子供たちが習得した戦う術だ。『母』から受け継いだ力は特殊魔法のように一人一種類の力しか発揮されないが、その力を体の中にめぐらせることにより体に鋼以上の硬度を与えることができる。

美優「『鏡界回廊』!!」

 ずらりと廊下一杯に鏡がそこかしこから現れる。美優の魔法『鏡界』は、鏡を生み出す魔法だ。生み出した鏡には様々な効果を付与することができるが、その条件が高度になるほど鏡の耐久度は低下する。
 その中の一枚を狙って、美優は雷を走らせる。『反射した魔法の威力を増幅する』鏡に反射した雷は、威力を増してエラーズへ向かうが、落ちる木の葉のような動きでかわされる。そこに、鏡の陰からレンが現れ鋭い一撃を放つ。エラーズはそれを、手近にあった鏡を引き寄せて弾く。

エラーズ「知るべきかどうかは分かりません。ただ、知る義務がある、『彼』をあらゆる世界の中でただ一人覚えている人間として」
美優「けれどそれは、悲劇を繰り返すだけになるんじゃないですか? そんなの、悲しすぎます!」

 鏡が一斉に砕け、光と散る。

レン「ミユ殿の言うとおりだ、一度過ぎた悲しみをなぜ繰り返さなくてはいけない。それも、同じ人間でありながらそれらはまったくの別人なんだぞ!」

 レンとエラーズの蹴りがぶつかり合い、光が刃となって降り注ぐ。

エラーズ「己の間違いは百も承知しています。ですがそれを知らなくては、ファイバーの結末も私は知ることができないのです」
レン「何っ!?」

 刃を数本肩に受け、傷を負いながらも二人から距離を離すエラーズ。

エラーズ「ファイバーも『彼』と同じ結末を歩むつもりです。彼は世界の礎をその体に受け入れ、世界そのものとなって彼の意識は消滅します。ただその目的を達して。それが果たして幸福なのか、私はそれが知りたい。ただ一人の友人として」

 エラーズは握った拳を前に突き出す。そこに込められたのは、ひとつの覚悟。

エラーズ「かつて世界から放逐された存在として、今度こそ全てを見届けたいのです!」

 そこにどれほどの力が込められたのか。もはや光として視覚できるほどに集められた力を、拳ごと床へと叩きつける。
 不可視の渦となった力が、暴力的な荒々しさで廊下を埋め尽くしながら突き進む。

レン「く……止められるか!?」

 剣に魔力を込めるレン。その前に立ちはだかる影。

レン「ミユ殿!?」
美優「レンさん、下がっていてください!」

 二人を包むように鏡を三枚、錐を成すように配置する。ただひたすらに強度を高め、迫りくる暴威を迎え撃つ。
 ドン! 全身が痺れる程の衝撃が二人を飲み込んだ。

美優「あなたが……あなたが、どんな決意でそれだけのことをするのか、私には想像することしかできません。たぶん、一生理解できません」

 ピシ、と鏡にひびが入る。鏡がたわみ、しなる。

美優「ワタシもそういう人を知っています。ずっと、自分のことが分からなくて苦しんでいる人を。その人は、他人のためにしか一生懸命になれなくて、自分自身のことなんか、あんまり気にしてくれない人です。知りたいことが知れなくて、そんな自分がもどかしかったのかもしれません。それを埋め合わせるために、他人の力になろうとしていたのかもしれません」
レン「ミユ殿、それはまさか……」

 鏡全体に大きく亀裂が入る。ぱらぱらと二人の頭に鏡の破片が降り注ぐ。

美優「でも……その人はちゃんと守るべきものを持っていた! 知るために他の全部を棄てるようなことだけはしないでくれた! お兄ちゃんは、ずっとワタシ達を守ってくれてたんです!」

 鏡が、砕け散る。破片へと散った鏡は暴威の渦に飲み込まれ、力はかろうじて鏡に守られていた二人を飲み込まんとうねりをあげ――弾け飛ぶ。
 美優の鏡に与えられた属性は『力の拡散』粉々に砕かれ暴威全体へばら撒かれた鏡は、その力を一気に拡散させてしまった。

美優「そのお兄ちゃんが、やっと自分のために戦おうとしているんです。あなたにはあなたの戦う理由があるように、ワタシにもとても小さいけれど、戦う理由があります」
エラーズ「……それは?」

 美優は、小さく息を吸い。
 胸を張って、答えた。

美優「やっとワタシたち家族がみんな前を向いて歩き出せそうなんです。その未来を、こんなところで終わらせたくなんて、ありません。こんなところで終わっちゃったら困るんです」

 レンは言葉を失った。
 そういえばと、いつだったか大翔が稽古の合間に言っていた言葉を思い出す。美優は一番我が侭だと。道を間違えない我が侭が、そのまっすぐさが羨ましいと。
 なるほど、とレンは納得した。
 戦う理由は千差万別。レンも、世界のためというよりはユリアのためにここで剣を振るっている。
 小さなものだと思う。世界という大きな舞台の中で、あくまで小さな理由で戦う自分達ほどちっぽけな存在はないだろうと。だがそれを悪いとは思わない。敵も味方も、ただ自分の意地を通したいだけなのだ。それがたまたま、世界を滅ぼすか守るかという違いとして現れただけ。

美優「だからこの世界は終わらせません。だからごめんなさい、あなたの願いは、潰します」

 その我が侭を押し通す。それが美優の戦う理由だった。




 別に俺はファイバーがどんな願いを持っていようと、それを達成しようがしまいが本来は関係ないんだ。ただこの世界を滅ぼすとか言い出すから止めなくちゃならないだけで。どっちにしろ我が侭を押し通すことに変わりはない。
 だから、そこにどんな理由があっても――俺はこの拳を下ろすことはない。

大翔「他の連中は、生かすために、お前は、殺すために。その為に新しい世界――正確には、その礎が必要だってのか」
ファイバー「その通りだ。もはや姉は通常の手段では殺すこと適わぬ。世界の一部として組み込まれ、それでも世界とは別の存在である以上、その世界を砕いたところで彼女の存在だけは混沌の海に残ってしまうのだ。殺すためには、こちらも世界となり、あちらの世界のシステムに干渉せねばならぬ」

 ファイバーが殺したい人物――殺さなくてはいけない人物というのは、ヤツの姉のことだった。
 その人は今、ユリアさんの世界の辺境の奥地で、生きず死なず、ただ存在し知覚し記憶をため続け、しかし何の反応もできないまま磔になっているのだそうだ。

 事の起こりはファイバーが子供の頃。
 彼の村が日照りにさらされ、雨が降らなくては村が全滅というところまで追い込まれたことに始まる。そこで彼の村は、生贄を差し出すことになったのだという。
 ちなみに生贄だが、ユリアさん達の世界では実際に効果があるらしい。通常魔法と世界を流れるエネルギーにうまく干渉することで一時的な天候操作が可能なのだとか。ともあれ、話の流れからも分かるとおり、それに選ばれたのがファイバーだった。
 だがその時の二人はまだ幼かった。その為、姉にだけそのことが告げられ、ファイバーには何も告げられなかった。せめて全てが終わるまでは、という村人の情けだったのだろう。それが裏目に働くことになるとは誰も思わなかっただろう。
 間は省く。結論だけ言おう。
 ファイバーは不運にもその儀式を目撃し、魔力を暴走させて儀式を妨害した。意識が朦朧としたまま村人を悉く殺害、村は壊滅。そして生贄にされていた姉はといえば、儀式の最も深い部分で中断された上にファイバーの魔力の煽りで異変を起こした。
 先も言ったように通常魔法で世界を流れるエネルギーに干渉するのが生贄の儀式なわけだが、それが更に深い部分まで干渉してしまった。ファイバーの姉の存在そのものが世界と繋がってしまった。姉は人間でありながら、世界そのものともいえる存在へとなってしまったのだ。
 世界は喋らない動かないただそこにあるのみ。年をとらなければ傷つくこともない。そういう存在になったのだという。
 それはもはや生きてるとはいえない存在である。まるで植物状態のように、しかし目の前のものを知覚し記憶も記録される、のだそうだ。そういう人間としての機能は残っているらしい。
 それがどれほどの苦痛なのかは想像してみるといい。例えば、ベッドに括りつけられて目の前の光景をただひたすらに見せられ続ける。まあ苦痛を認識しても苦痛と感じる感情が存在しないのだが。
 それがどれほどの地獄かは分からない。だが大切な人をそうさせてしまった責任にファイバーが狂おしいほどの怒りを己に覚えたことだけは事実だろう。
 もはや姉を人に戻すことも殺すことも適わない。世界の一部となった存在をどのように引き剥がせばいいのかなんて想像もつかなかっただろうし、彼女は世界であり世界を一人の人間が壊すことなどできない。たとえ肉体をばらばらにしたところで彼女という存在は消滅しない。ばらばらのまま生き続ける。

 けれどどうにか……どうにかしなくてはという焦りだけがあったんだと思う。
 その気持ちはたぶん俺にもよくわかる。だけど、でも……なんかな、すっげぇムカつく。

大翔「ふっざけんなよ、お前!」

 身を低くしてファイバーの前まで一気に踏み込む。床を強く踏みしめ、足から伝わるエネルギーをそのまま拳へと伝える。腕を捻りながら、渦巻くように体を捻り手刀で喉を狙う!
 ヂャッ! 指先が頬を削り、血が舞う。それを横目で見送って――

ファイバー「ぬぅん!」

 丸太のように太い脚が振り下ろされる。それを前に飛び込んでファイバーの股下を潜り後ろに抜け、両手をついて体を縮め、全身をばねのように跳ね上げて両足でその背中を蹴り上げる。響く鋼鉄の音。それにあわせて全身を包む悪寒。その場を転がる俺を追うように、風の槌がドン、ドン、ドンと振り下ろされた。跳ね起き、跳んでかわす。

大翔「世界に直接干渉できるのは世界だけ――だからお前は世界になって、ユリアの世界の法則に干渉する。それが世界を滅ぼすことになると知っていてもそうする。あとはその体を核に新しい世界を作って仲間の連中の望む世界を創造する。それはいい、それは理解した、それはたぶん俺にも分かる。けど、けどさ……」

 理解できないこと。したくないこと。
 ファイバーのやろうとしていることは納得ができない。この世界を滅ぼして、異世界を滅ぼして、自分の願いだけかなえて。そんなの納得がいかない。それはたぶん、俺の世界が巻き込まれているから、だと思う。俺は聖人君子じゃないから、きっと自分の世界が巻き込まれていなければファイバーが何しようが気にしなかったと思う。ユリアが直接頼みに来たのだとしても、たぶん。そういうのは、どちらかといえば親父のやっていたことだ。俺は親父のようには、きっとなれない。俺はもっとちっぽけな人間だ。
 だから、ファイバーのやろうとしていることで俺が許せないのも、すごく、ちっぽけで、頭の悪い理由で。
 だけどそれでも、認めたくないことなんだ、俺にとっては。

大翔「お前結局、その姉さんを独りぼっちにしてるじゃねえか! お前は生きるべきなんじゃないのか、そこは!?」
ファイバー「なにを、わけの分からないことを!!」

 炎が逆巻く。吹き付ける熱風から両手で顔をかばう。
 炎とその先にいるやつを睨みつける。ああ、そうだろうさ、分けわかんないだろうよ。俺にだって、きっちり説明できない。

大翔「お前……お前らの夢は何で全部そこで途切れちまってんだよ、何でそんな願いばっかり抱えてんだよ! お前らがそれで満足したって結局誰も幸せになってないじゃねえか!」

 どいつもこいつも過去に苦しみを抱えて苛まれて、そして見た夢が『自分の代わり』だった。自分が幸せになる方法を、その道を見つけられなかったから、自分じゃない誰かにその先を委ねた。放り投げた。逃げ出した。

大翔「そんなに幸せになるのが怖いか! 過去の連中の負い目抱えて罪に塗れて罪悪感を背負い込んで、幸せになるのがそんなに怖いのか!?」
ファイバー「知った口を叩くな小僧! 貴様に分かるのか、大切な人の想いを抱えさせられ、罪を背負い、それを更なる罪でしか拭えぬ気持ちが!」

 炎の中から現れたファイバーが拳を振り上げる。風を纏った一撃は轟と空を裂く。腕で払い上げ懐に隙を作り、

大翔「わかんねえよ! けど俺は、誰も幸せになれないのにその為に戦うなんて、認めたくないだけだ!!」

 密着するほど接近し、両掌を揃えて突き出す。腕が震え背中に突き抜ける衝撃の全てを叩きつけ、その巨体を押し返した!
 ドンッ! 大砲のような音が響き、ファイバーが大きく吹き飛ぶ。

大翔「はぁっ、はぁっ、はぁ……は、初めてまともに決まった……あ、今のうちに、ユリアを……!」

 緊張の糸が切れて力が抜けそうになる膝を叱咤し、ユリアに駆け寄る。まさか今のでファイバーを倒せたとも思えないが、ノーダメージなんて事はない……と、思いたい。

大翔「よう、ユリア。久しぶり」
ユリア「ヒロトさん……その、私、その、あの!」

 何か口にしようと必死になっているユリアを軽く撫でて落ち着かせる。大丈夫。無理をしなくてもいい。
 俺は急いでユリアの縄を解く。解放されたユリアは、両手をついてうなだれるようにして言った。

ユリア「私……今まで自分勝手な気持ちを隠していたのかもしれません。それに、あなた達を巻き込んでしまって……」
大翔「そんなこと、気にしなくていいって。たとえユリアがどんな気持ちでも、俺達と一緒にいた日々は嘘じゃない。そうだろ? ならそれでいいと俺は思うよ。それに最初に俺が言っただろ、好きなようにしろって」

 ユリアは小さく、けどしっかりと肯いた。やれやれ、助かった。

ユリア「と、ところでヒロトさん……その、呼び方……」
大翔「うん、呼び方がどうかした?」
ユリア「いえその、だからですね、なんといいますかその……」

 しどろもどろになりながら俺を見上げた――瞬間、その顔色がさっと青ざめた。

ユリア「ヒロトさん、後ろ!!」
大翔「っ!?」

 その叫びに振り向く俺の肩が硬いごつごつとした感触に掴まれる。更にもう一組の腕が、俺を組み伏せた。

ユリア「ヒロトッ!! あうっ!?」

 叫ぶユリアの腕を捻り上げる影。それは……なんだ、こいつは!?

ファイバー「岩人形……俺の特殊魔法『魂吊』は、無生物に命を吹き込むことや、その逆が可能だ」

 たま……つり? それがファイバーの特殊魔法、切り札か。油断した。
 ということは学園の入り口で俺達を襲ってきた人たちを操っていたのも。いやまて、そうなると、つまり何か。あの人たちは全員……死人?

ファイバー「少々油断したが、貴様の負けだ。さて姫君、この小僧の命が惜しければ我々に協力してもらう」
ユリア「な……んですって!?」
大翔「てめえ……最初からそれが目的か!」
ファイバー「その通りだ。姫君が己の命と引き換えの取引を要求したところで答えないことは分かっていた。それならば、取引の価値のある相手を用意するだけだ」

 つまり……俺は最初からユリアの人質としておびき寄せられたってことか。
 くそ、完全に人のこと舐め腐りやがって!

ファイバー「魔法は使うな。そのそぶりを見せれば、即座に小僧の命はない。小僧貴様もだ、動けば、姫君の命はないぞ……?」
大翔「は、なんだそりゃ。お前ら、ユリアの協力が必要なんじゃないんか? だったらそんなことできるわけがないだろうが」
ファイバー「だがそういっておけばお前は動けない。俺が姫君を殺さない保障はどこにもないからな。姫君がいなくてもこの計画に支障がないと、貴様にはその保証がない」

 ああ畜生その通りだよクソッたれ! ユリアの協力がなくてはこの計画が完成しないのなら、俺は無理にでも動ける。ユリアを殺すことがヤツにはできないからだ。だがそんな計画、本当に立てるか? この世界で行った計画に必要なファクターとして異世界人のユリアを加えるなんて、普通はしない。だからユリアの存在は必要なのではなく有用、そう考えるのが妥当だ。となれば、ファイバーは躊躇いなくユリアを殺すだろう。

大翔「ユリア、聞くな……! 俺と世界のどっちが重要かなんて分かりきってることだ!」
ファイバー「その通りだユウキヒロト! だが思い出せ、姫君はこの世界に何をしに来たのか。タイヨウの死に報いるためだ、そのために来たというのに果たして姫君にお前を見捨てることができると思うか!?」
大翔「それでも守らなきゃいけないもんがあるだろ、ユリア!?」

 その言葉に、ユリアはなぜか顔を青ざめさせ、瞳を大きく見開いた。まるで何か重大な事に気付いてしまった、そんな表情だった。
 なんだ……どうしたんだ? 怪訝に思っている俺の目の前で、ぽろりと、一粒だけユリアの瞳から涙が零れた。
 そして、きっとファイバーを睨みつけたユリアは、

ユリア「私を殺しなさい、ファイバー。そしてヒロトを解放しなさい」

 静かに、とんでもないことを言い出した。

大翔「おい、ちょっとま――ぐっ!!」

 岩人形達に頭を押さえつけられ、口をつぐまざるを得なくなった。くそ、邪魔だよお前ら、どけ!
 起き上がろうと足掻くが、その体の重さには敵わない。

ファイバー「変わったことを言うな姫君。それでは俺は骨折り損ではないか、君の協力は得られず、敵一人をのうのうと生かすなど。君を殺すのならば小僧も殺す。小僧を生かしたくば我々に協力するほかないぞ」
ユリア「………………………………、ヒロト、ごめん」

 その謝罪の言葉に、血の気が引いた。たったその一言で彼女がどういうつもりなのかを理解してしまった。
 嘘だろやめてくれ。そんなの間違いだって分かってるだろ? そんな辛そうな顔をするならなんでそんな……!
 ユリアはゆっくりと俺から離れていく。その背中を、視線だけを動かして追う事しかできない。ああ自分が不甲斐ない、俺が弱いなんて事今更だ、でもそれでも今はこうして這い蹲ってるのはだめだそんなの認めない、今この瞬間は、俺が弱いなんてそんな事実で現実を受け入れられない。
 それじゃあ何も守れない。守りたいものが守れない。

大翔「ぐぅ……うぐ、ああああああっ!!」
ファイバー「無駄だ、人の力で岩人形を押しのけることはできん」

 魔法を使うな、力は足りない。じゃあ今俺にできることは何だ、どうしたらユリアを止められる!?

大翔「――ユリアッ! やめろ、そんなの……お前、それでいいのか!?」
ユリア「……でも私には他に、どうしたらいいのか、分かりません……どうしたら、あなたを救えるのか……」
大翔「俺の、事なんか気にしてる場合かよ……っ、このままじゃ、この世界も、お前の、世界も……!」
ユリア「それは分かっています! でも、でも……気付いてしまったから……私がこの世界で一番守りたかったのは、私がこの世界に来た、本当の理由は――!!」

 ユリアが悲壮な顔で言葉を続ける前に、突然、ごばぁっ! と何かが砕ける重い音がして、唐突に背中が軽くなった。ユリアとファイバーの顔が、同時に驚きに染まる。怪訝に思う俺の前に、ごとり、と落ちてきたのは岩人形の頭部。その頭には、槍投げの槍を短くしたようなものが突き刺さっていた。どうやら、これが岩人形の頭を貫いたらしい。
 よし、今なら!
 俺は衝撃に揺らめく岩人形の拘束から抜け出し、もう一体の岩人形の頭部を蹴り飛ばす。人の形を失ったらもう操れないのか、それきり岩人形は動かなくなった。

ファイバー「ちぃ、貴様っ!!」

 悪寒を感じて振り返ると、ファイバーはその手に巨大な雷球を生み出していた。人一人なんか簡単に焼き殺せるのは間違いない。俺はといえば、すぐに動ける体勢ではない。
 終わる――!?
 俺は死を覚悟し、ファイバーが雷を放った瞬間。

ユリア「だめぇっ!!」

 ユリアの風が彼女を拘束していた岩人形を吹き飛ばし、その風に乗って彼女は俺の前へと飛び込む! っておいこらちょっと待て、そのタイミングで割り込んだら……!

ユリア「ヒロトは……ヒロトは私が守りますッ!!」

 両手を広げて、俺の前に立ちふさがるユリア。その体にもはや風はなく、守るものは何もない。その体で守るのは自身の命ではなく俺の命。
 ああ――なんで、こんな――俺はいつも、守られてばかりで。


 世界が、ざあっと色を失った。目の前の光景が異常にゆっくりと流れていく。
 このままではユリアは為すすべなくその身を焼かれてしまうだろう。俺はその背中を見ることしか、できない。
 ……本当に?
 なあ、本当にそう思っているのか、結城大翔。思い出せよ、お前の願いと、お前の親父の願いを。お前の親父がお前に託した願いを。
 言ってただろ、親父は『僕は生きた』と最期に言っていたと。なあ、何でそんなことを親父はいったんだと思う? それはな、親父が最期まで自分らしく生きたからなんじゃないかって、俺は思う。親父はたぶん、問いかけの答えを見つけたんだ。親父は自分の命をかけて、夢あるものの夢を守ろうとしたんだ。
 夢。願い。希望。
 お前も――俺も、その一人だろう? 親父に守られた、その、一人だろう?

 記憶が。俺の中の記憶が、湧き出す。
 俺は親父の最期を……ああ、そうだったんだ。だから俺は、自分の魔法を信じられなくなった。そういうことだったんだな。




 俺は――一度だけ、ユリアの世界を訪れたことがあった。
 最後のたび。最後の、時間。それは、親父が死ぬことになった、最後の日のこと。
 俺は親父をずっと待っていた。あれは、町外れの丘の上だったか。高い樹が一本立っていて、街を眺めることができる高さにあった。その場所からは、王城もよく見えたものだ。
 その日親父はやることがあるといって、朝から俺をそこにおいて一人で街へ行っていた。俺は昼過ぎても戻らない親父に少しの不安を覚え、街へ行くかどうか悩んでいた。そんな時だった。親父が女の子一人を抱えてやってきたのは。
 親父は気絶したままの女の子を俺へ預けて隠れるように言うと、後から追ってきた男と戦いだした。それは今までに見たことのない親父だった。力強く、荒々しく、雄雄しく戦う親父は、いつもの優しい雰囲気とは違ったが……それでも、だからこそ、俺はその姿に見入った。
 だが親父の形勢はだんだんと悪くなっていた。原因は分かっている。俺達が隠れている場所へ間違っても敵の攻撃を飛ばさないためだ。俺は恐怖にさらされながら、ただ女の子を強く抱きしめた。その温もりがなくては、俺は泣き叫んでいたかもしれない。俺は守っているはずの女の子に、目の前で戦う親父に、守られていた。
 そして、男が勝負をかけた巨大な一撃。親父はそれから俺達を守るために正面から立ちはだかり……倒れた。
 男も俺の存在……というか、そこに何かが隠されているのをうすうす察知していたのだろう。こちらへとゆっくり歩み寄ってきた。俺はただ声もなく震えていることしかできなかった。
 だがしかし、そこで街の方から大勢の鎧を着た人たちが駆け寄ってきた。男はそちらを睨み舌打ちすると、親父を一瞥してその場から消えた。
 俺はただ何もできずに、その鎧の人たちに保護された。ぼんやりとした頭で事情を話すと、鎧の人たちは涙を流しながら、口々に俺と親父に礼をいい、俺を手厚く保護してくれた。
 親父が死んだという報告を受けたのは……それから、しばらくしてのことだった。俺はその間中ずっと、ただうつむいていた。
 それからしばらくして……俺は、迎えに来た乃愛さんに抱きついて、その世界を後にしたのだ。


 俺は、隠れている間ひたすらに怯えていた。怯えるだけで何もできなかった。魔法という力なんか何の意味もなかった。そんなもの関係なくただ俺は弱かった。
 なら……どうせ弱いのなら、役に立たないのなら、俺の存在は、魔法は、意味なんかないと、そう思った。
 だから、親父の葬儀の時に涙を流す妹達を見ながら、俺は誓った。魔法なんかなくたって俺が妹達を守ってみせる。家の事だって全部やるし親父達の代わりだって努めてみせる。役に立たないものには、最初からすがりつかない。
 そう、雨の公園で震えながら誓う俺に声をかけてきたのは――あの時の、女の子だった。
 女の子は言った。雨の中で空を見上げる俺を見て『泣いているみたい』と。何を馬鹿な事を、と思った。俺は泣かない。泣くわけがない。
 だって俺は何もできなかったんだから。見ていただけだったんだから。今泣くくらいなら、あの時動くべきだったんだ、俺は。そう思った。


 でも、それはたぶん、違った。
 親父が守ったのは俺の命と女の子の、ユリアの命だった。でもそれ以上に守り通したものがあった。
 『他人の夢を守りたい』という、親父の願い。悩んで悩んで悩み続けて、それでも親父はきっとそれを守り通した。そうして『生きた』んだ。
 たぶん、そういうこと。親父が最後、こちらを振り向いて笑ったのはきっと、そういうこと。
 だから、あの言葉も。
『だから君も生きてほしい』
 俺は俺の夢を精一杯生きてほしいと、たぶん、そういうこと。俺の夢、俺の願い。そして今も『生きている』
 親父が守った夢は、今もこうして生きている。俺達はこうして夢を見て、願って生きている。




 さあ立て、結城大翔。お前がここでやらけりゃ、親父が守った夢が消えちまうぞ。それよりも何よりも、俺の夢が消えちまう。
 俺の願いは何だ? 家族を守る、家族がいられる場所を守る。
『幸せを守りたい』
 ただそれだけだ。単純でそれだけに難しい願いだ。幸せって何だ、どうやって守ればいい? そんなことは分からない。でもひとつ分かっていることがある。
 目の前のこの女性を失うことは、絶対に不幸だ。
 だから、いつまでも意地張るのはやめよう。そうだ、俺の魔法を思い出そう。
 そうしなけっりゃ――今度こそ、両親が俺に伝えてくれた全部、意味のないものになっちまうから。
 だから、さあ。
 俺の魔法よ。全てを貫く『貫抜』よ――この目の前の彼女の危機を――




 覚醒は、一瞬。発動は、刹那。

大翔「貫けええぇぇぇぇっ!!!!」

 右拳を突き出す。その先から溢れた力が、ユリアの目の前の雷球を貫き吹き飛ばす!

ファイバー「何っ、馬鹿な!?」

 俺はユリアを後ろから抱きかかえ、ファイバーから大きく距離をとった。にやりと不敵な笑みを浮かべてみせる。

ユリア「え、な、ヒロト!?」

 突然の自体にユリアも混乱している。俺は肩をぽんぽんと叩くと、その前に立った。

大翔「思い出したぜ、俺の魔法、俺の過去。全部全部、ようやく取り戻した――これが本当の、俺の全力だ」
ファイバー「……今までは、全力ではなかったと?」
大翔「いんや、全力だったさ。ただ、制限がかかった全力だったって事だ。こっから先は制限抜き、今までとは一味違う俺が楽しめるぜ」

 ファイバーはふん、とはなで息をすると、そこらに転がった瓦礫から岩人形を作り出した。これでお互いに全力、ていうことか。
 いけるだろうか、今の俺に。たとい魔法を万全に使えても、やつの実力が俺より高いのに違いはないのだ。

大翔「ユリア。さっきなんかしようとしてた事は後で怒るとして」
ユリア「あうっ、や、やっぱり怒ってますか?」

 何を当然のことを。正直言っちゃってさっきの行動はかなーりトサカに来てますよ。
 まあそれだけ大事に思われるのは男の子としては悪い気分はしないものの、やっぱり総合的に見ると納得はいきませんですはい。
 とはいえ、そのおかげで記憶が全部帰ってきたといえないこともないんだけどな。

大翔「ま、かるーくね。んでまあそれよりもまず。今はここをどうにかしないといけない。ユリア、いけるか?」
ユリア「――はい、当然です」
大翔「いい返事だ。んじゃまあ、さっさと片付けて家に帰るか!」
ユリア「ハイ!」

 岩人形の兵隊がずらりと並ぶ。従えるのは屈強の戦士。立ち向かうのはお姫様と頼りない騎士。
 実にファンタジーだ。それでもどれだけ現実味がなかろうと、ここにあるのは現実。

大翔「行くぜ、親父……あんたの夢、ひとつ潰すけど許してくれよ!」
ユリア「え……えぇっ!?」

 ユリアの疑問後驚愕の叫びを後ろに聞きながら、俺は風に乗って一瞬で岩人形の群れの真ん中に飛び込んだ。
 何も驚くことじゃない。通常魔法に必要なのは血と知覚。ユリアが美羽に通常魔法の基礎を教える場面を見ていたから知識はもう入っている。そして幼い頃にユリアの世界に行って、しかもあれだけ強烈な体験をしたのだ。あの空気を忘れないわけがない。
 だから、本当は使えて当然だった。

大翔「まとめて……ぶち抜け!」

 ぎゅるぁっ!
 突き出された拳の先から力が溢れ、その先の岩人形の胴体が一斉に貫かれる。
 特殊魔法『貫抜』の効果は、その名の通り対象を問答無用に貫く。一切の壁も合切の障害も許さない最強の矛。それが俺の魔法だ!
 岩人形達を片付けるのには数秒で事足りた。ユリアが呆然と見ているのを感じながら、ファイバーと炎の中向かい合う。

ファイバー「なるほど……それが貴様の、全力か」
大翔「そうなるな。数年ぶりに使うけど……確かにこれが、俺の全力だ」

 ちらちらと赤い火の粉が舞う。

ファイバー「その力、我々の障害になることは間違いないだろう。今ここで、貴様を潰す」
大翔「やってみろよ、俺はそもそもお前をここで潰す気満々なんだからな」

 ドン! 床を蹴る音が同時に響き、俺達は激突した。
 互いに風を操り、ありえない速度で正面からぶつかり合う。だが腕力では敵わない。俺はずるずると押され始める。が、

ユリア「炎、氷、雷、風、刃となりて我が敵を切り裂け!!」

 ユリアの魔法が襲い掛かる。ファイバーは俺から飛びのき、光を放ちそれらを蹴散らした。そこへ『貫抜』を放つ。

ファイバー「ぬるい!」

 俺の拳の動きを見切ったファイバーは身を屈め、床を砕きながら突進してくる。砕けた破片が雨のように降り注ぎ、視界の邪魔をする。その向こうから、太い腕が現れた。受け止めようとするが速さの乗った拳は受け止めきれずに額を強打され吹き飛ばされた。
 駆け寄ろうとするユリアの足を狙って雷が放たれる。それをかわし、巨大な炎を生み出して放つユリア。炎はせり出した石柱に阻まれ、屋上全体に散った。

大翔「いってえ……くそ、次はこうはいかねぇ」
ユリア「ヒロト、大丈夫ですか? でも、どうして通常魔法を……」
大翔「その話は後だ。とにかく、今は……」

 立ち上がり、拳に力を込める。いつの間にか貯水タンクの上にファイバーが立っていた。

ファイバー「我らの悲願――ここで潰えさせるわけにはいかん!!」

 光が集まる。そのヤバさが桁外れだと直感が告げる。

大翔「やること、やんないとな」
ユリア「……はい」

 ユリアの手を借りて立ち上がる。

大翔「お前の願いも分かるよ、けど何度も言うように、俺はそれを潰さなきゃならない」
ユリア「私の世界、この世界、そして……私の守りたいもののため、私の我が侭のため、あなたの願い、打ち砕きます!」

 ぎゅっと手を握る。
 何年も前にも感じた、この暖かさ。俺を守ってくれたこの温もり。

大翔「行くぞファイバー、これが、俺達の選択だ」

 今度は、俺が守る。
最終更新:2007年09月07日 18:13
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