ABCまとめ7


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「そうなの? ヒロくん」
「…………」
ノア先生は、今の時点で俺や教師である自分だけが知っていて、その内すぐに公表されるだろう事柄を選んだのだろう。
だが冷静に考えれば「国に帰る」というのは不自然ではない、もうすぐこの世界は崩壊するのだから、上辺だけの手続きとは言えノア先生に説明は必要だったのだろう。(そもそも、身元不明の人間を面白がって受け入れたのはノア先生だ)
「ヒロくん?」
「ああ、そうみたいだ」
「……ふーん」
今はそのことで悩んでいるわけじゃないのだけれど、いい具合に深刻そうな表情に見えたのか陽菜はそれ以上突っ込んだことは訊いてこない。
「それではな、私はそろそろお暇するとしよう。実は作業の休憩中だったのだよ。思わぬことに時間を取られはしたが……ね」
煙草を携帯灰皿に突っ込んだノア先生は、少し皮肉っぽく残して踵を返す。
「早く帰れよ、少年少女。吸血鬼にでも襲われたくなければな」
ノア先生の姿が、外灯の光からはずれ闇の中に消えていく。

「先生……」

最後に見たノア先生の目。

――淀みなく一つの結果を見据えているような、迷いの無い目だった。
あれは、何かとんでもないことをやらかそうとしている人間の目に見えたけれど、俺にはそれを知る術は無い。
それに、この滅びゆく世界でノア先生が何をしようとしているのか、到底俺に関係があるようには思えない。

「……ヒロくん」
残された陽菜が、少しだけ遠慮するように口を開いた。
「……何?」
「隣、座っていい?」
別に無下に断ることも無いかと思って俺は首肯する。
「えへへ、ありがと」
無邪気に笑って陽菜がベンチに腰掛ける。
心なしかノア先生よりも距離が近く感じた。
「あー、喉かわいちった。このコーヒーもらっていい?」
「ああ、いいよ」
というか、陽菜は俺が返事する前に既にプルタブを引いていた。
そのまま銭湯で牛乳を飲みほすかのようにごくごくとコーヒーで喉を潤す。
「うえ、微糖はだめだめー。やっぱカフェオレじゃないとねー」
「……甘すぎだろ、あれは糖分の塊だよ」
微糖も実際それほど変わったもんじゃないのかもしれないけれど。
「あはは、まあコーヒー自体あんま飲まないんだけどね……」
足をパタパタさせながら、コーヒーの苦みに感化されたかのように苦笑する陽菜。
そしてすぐに沈黙が俺達の間を支配した。
だが、陽菜とは長い友人だ。沈黙はそれほど気まずい事では無いし、そもそも俺には他に考えるべきことがあった。
……でもそれは俺にとってはという話で、陽菜にはそうではない。必死に間を繕うように話を始めた。
「あ、あのさー」
「ん……?」
「ヒロくんの悩み事って……ユリアちゃん達のことだったんだね、ずっと気になってたんだけど……」
「ああ……まあ、そんなところ」
俺の気の抜けた返事に、陽菜は何故か納得できないような顔をした。……けれど、俺にはまだあのことを話す決断が出来ない。
何を持って間を繋げばいいのかもわからずに黙るしかない。
「……でも、一年前くらいから変なのは、説明つかないよね……」
「ん?」
口先だけで呟いた言葉が聞き取れなくて、「何か言ったか?」とだけ聞き返したのだけれど、陽菜は首を小さく横に振るだけで答えた。

そして突然に勢いをつけて立ち上がり、バレエみたいにくるりと回ってこちらに向き直る。
「ねえ、お散歩しない?」
「え……?」
「いいでしょ? 夜のお散歩」
夜に昇った太陽みたいな笑顔と共に、陽菜の小さな手が差し出される。
少し逡巡する。俺には考えなければいけないことがあるからだ、だけれど一人でいたって何が出来るわけでもないし、陽菜の気持ちを理解するのにいいかもしれない。
「ああ、行こうか」
舞踏会でダンスに誘われた時のように、優しく手を取る。
手の甲にキスなんていうキザな真似は流石に出来ないけれど、スポットライトみたいに俺達を照らしている外灯が、それなりにいい雰囲気を出してくれていた。

「あ、その前に」
「?」
「ちょっと、トイレ……」

ぶち壊しだ!


公園の隅にあるトイレは、相応に小さく、そして……お世辞にも奇麗とは言い難い。
男子トイレの方を覗いて見たが、床や壁はカビだか何だかで所々黒ずんでいて、便器は黄ばんでいる。
更に明かりが無いのでかなり不気味だ。幽霊の一匹や二匹でそうな雰囲気は十分兼ね備えている。
だが俺がついて行くわけにもいかずに「早く行けよ」と促しても陽菜は動こうとせずにもじもじしている。
「う……うー……」
「どうした?」
「こ、怖いよ! 暗いし! ひ、ヒロ君近くで待っててよ……!」
「……っ」
袖の端を弱々しく掴まれ、上目づかいで懇願される。
やばい、かなり可愛く感じてしまった……。あまりそんな目で見たことが無かっただけに不覚だ。
「わ、わかった。前で待っててやるから早く行ってこい!」

女子トイレの入り口の前で待つ。それが俺の出来る最大限の妥協だった。
こんな時間にこのトイレにやってくる人なんて他にいないだろうとは思ったけれど、中に入るのは流石に気が咎める。
「ヒロくん、いるー?」
陽菜の震えた声が個室の中からとどいて、俺はなるべくやさしい声音で「いるよ」と答えた。
「ほんとにほんとー?」
「ほんとにほんと」
返事してる時点でいるのはわかってるだろうに。
……まあ、確認しないと不安だっていう気持ちは、わからないでもないけれどな。
「ほんとにほんとにほん……わきゃあああああああああああああっ!!」
耳をつんざく程の悲鳴が狭いトイレの中に響いて、心臓が口から飛び出しそうな程に驚いてしまった。
頭の中が一瞬真白になったもののすぐに陽菜のことを思い出し、中に駆け込……む前に声をかけて確かめる。
「何があった!?」
「で……でたぁ……」
「何が!?」
もしかして、霊とか物の怪の類か!?
俺の頭の中にかつて祖母の家かで聞いた般若心経が駆け巡る。ぎゃーてーぎゃーてー……!
「ひああぁぁー!」
って、お経唱えてる場合じゃないな。
「ひ、陽菜! 今行く!」
「だ、だめ!! 今パンツおろしてるからだめえええええっ!」
「うっ……!」
だ、だめだ。想像するな……!
体の一部に終結しようとしそうになる血を分散させるんだ。……全裸の細木数子を妄想しろ!
「……ふぅー」
何とか収まった。
「陽菜! 何が出たんだ?」
「く、蜘蛛ー!!」
「……は?」
く、蜘蛛って、あの糸を吐いたりするあれか?
「なあ、陽菜。その蜘蛛ってのは節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目(真性クモ目)に属する動物の総称の蜘蛛のことか?」
「そんな辞書から引っ張ってきたみたいな説明いらないー! ……うー……やっと行ってくれたよぉ……」
どうやら陽菜に迫る危機は俺が何もせずとも去って行ったようだ。
陽菜の声からはまだ恐怖が抜けないようだったが、俺としては早く用を済ませてほしい。

しかしそんな俺の期待は真っ向から裏切られることになる。
「……緊張しちゃって、出ないかも……」
「あのな」
「ごめーん、後ちょっと待ってー……」
正直、ここに立っているだけでも染みついたアンモニア臭がして気持ちのいいものでは無い、中にいる陽菜はもっと辛い筈なんだがな。
「あはは、でも、こんなこと昔もあったよねー」
「昔……?」
俺の疑問を持つような反応から、少しの間が生まれた。
しばらくして陽菜は、「五歳くらいの時だったかな」と前置きをして、お婆さんが孫に話を聞かせるように穏やかな口調で話しだす。
「……んー、うちの両親が旅行にいってて、ヒロくんちにお泊りした時のことかなぁ……。確か、学校の七不思議~みたいな怖いテレビがやっててさ……。
私が夜に一人でトイレ行けなくなっちゃった時、ヒロくんがついてきてくれたんだよ? あはは、あの時のヒロくん、照れてたなあ……『早くしろよ』なーんて……」
「…………」
陽菜が言うことを、俺は正直覚えていなかった。
……そんなことがあった記憶は無いでもないが、それが陽菜だったかどうかは何故か思い出せないのだ。

陽菜は俺の沈黙から、何を考えているか悟ってしまったのだろう。
「そっか、覚えてないよね……」
さびしげに、そう呟いた。
「…………ごめん」
俺は誰にも聞こえない程小さく言って、後は沈黙に身を任せる。
何故覚えていないのか、そんなこと俺にはわからない。ただ単純に記憶力の問題という可能性もあるだろう。
……わからないものは、仕方ない。陽菜に悪いとは思うけれど。


しばらくするとトイレの中から水が流れる音がして、陽菜が「待たせてごめんね」と愛想笑いを浮かべながら出てきた。
「陽菜……あのさ……」
俺が改めて謝罪の言葉を口にしようとした時、陽菜の人差し指がぴっと唇に押し当てられた。
……前もこんなこと、あったような。
「今のことは忘れてねっ、水に流そう? トイレだけにっ!」
つまらないギャグを言って、陽菜がお茶を濁す。
無理をさせているみたいで、男として情けなかった。
「あ、手洗ってなかった」
「うえええええええっ!!」
一々雰囲気を壊すのがうまいやつだなあ!



まず散歩と言って向かった先は陽菜の家だった。何やら持っていきたい物があるらしく、俺は門の前で待たされている。
俺は手持無沙汰に明かりの点いた陽菜の家を眺める。最近は全然来たことが無いな。……最後に来たのはいつだっただろうか。
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