世界が見えた世界・9話 C 前


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 学園の中は静寂が満ちていた。それを割るように、俺達の駆ける足音が響いていく。
 時間はまだ昼時だというのに、空を覆う分厚い黒雲と強い風の音、さらには遠雷まで響いているせいで、夜の学校にも負けず劣らずの不気味さを醸し出している。
 昇降口から入った俺達は、校内をぐるりと回りながら上へと続く『無事な』階段を探している。

大翔「あいつら、階段をふさいでルートを潰すとかふざけた真似をしやがって」
エーデル「だがこれで彼らが僕らを利用して何事かを企んでいる可能性はほぼ確実だ。見ろ、無事な階段があったぞ」

 エーデルが示した先には、確かに階段があった。なるほど、誘われている。
 学園内に踏み込んだ俺達が最初に見たのは、瓦礫や氷その他諸々で強引にふさがれた階段や廊下だった。俺達はそこをさけ、こちらを進めとばかりに開かれた道を探してきたのだ。

貴俊「むしろここに罠を仕掛けてる可能性もあるんじゃねーか?」
乃愛「それは否定できないが……かといって躊躇する時間も、そのつもりもない人間が先頭に立っているんだ、進むしかないだろう。なあヒロト君」

 乃愛さんに無言で肯き返し、階段へと踏み込む。が、ざらりとした違和感を覚えた。
 すでに慣れたとはいえ、注意していればそれは確かな違和感として感じることができる。つまり――、

大翔「誰かが通常魔法を使っている! みんな、気をつけろ!」

 俺の言葉に、素早く互いの背中を合わせて円を組む。美羽と美優、陽菜をその中に押し込める形だ。
 五感を研ぎ澄まし、廊下の向こう、階段の上、窓の外、扉の奥、すべてに注意を向ける。何も異常は見当たらない。だが、違和感は消えない。

陽菜「ひ、ヒロ君。誰もいないよ?」
大翔「いや……誰かが魔法を使って、この辺りをその範囲内に捉えていることは間違いない」

 だが、術者の姿はない。俺の勘違い? そうかもしれない。だが、もし本当に誰かが今俺達を狙っているのなら、油断するわけにはいかない。
 もう誰も、目の前で失うつもりはない。

沙良「結城、誰かがうちらを狙っとんのは間違いないんやな?」
大翔「それだけは確かなはずです」

 ふん、と鼻から息を吐く沙良先生。ぶかぶかの白衣の袖をくるくると振り回す。

沙良「よし、せやったらここはうちに任しとき。アンタらは後ろを気にせんで前に進む。うちはここでアンタらの後ろを守る。前にそいつがおったときはまあ、自力で何とかする。それでええやろ」

 沙良先生はそういうと、円陣から離れ、廊下の真ん中に立つ。

沙良「どこから狙ってくるかわからん以上、こっちも全力になる。さっさと走りきらんと、うちがしんどいからな。さっさと行ってもらうで」
大翔「いやでも、それは危険すぎます!」

 相手は一人でコミューンを潰してきたような化け物ぞろいだ。さっきのガーガーと沙良先生がもしぶつかれば、沙良先生はひとたまりもないに違いない。そんな危険があるのに、彼女一人を残してはいけるわけがない。

沙良「はぁぁ。あんなあ結城、人間誰しもやらなあかん事があんねん。あんたが今やらないかん事はなんや? それをでけんかったら、あんたは一生それを引きずって歩くことになるんよ?」

 心底面倒くさそうに、しっしとその手を払う。
 それでもためらう俺の肩を、乃愛さんが押した。見やると、行け、と顎で階段を指していた。迷う。それは正しいのか、俺の目的のためには、それは間違った選択じゃないのか。

沙良「結城、迷うな。その迷いは、うちの覚悟に対する侮辱と受け取るで」

 沙良先生は肩越しにこちらを振り返り、にやりと笑う。

沙良「それに、うちが負けるわけないやろ。たかだかコミューン潰す程度の相手に」

 さらりと爆弾発言をかます沙良先生。は、と息を漏らしてどこか可笑しい気分のなか、覚悟を決める。

大翔「わかりました、沙良先生――その覚悟に乗らせてもらいます」

 迷いを振り切るように、全力でその足を踏み出す。前だけを見て、ただ突き進むために! その後ろから、次々と足音が並んでくる。
 階段を上りきった時、違和感が一瞬強さを増し、ついで衝撃と轟音が足元を揺らした。すぐ下で、何かが起こっている。

美羽「兄貴……」

 足を止めた俺を、美羽が訴えかけるような声で呼ぶ。唇を噛む。皮が裂け、血が滲んだ。
 こういうことか、親父。こういうことなのか?
 誰かの願いと自分の願い。守るべきなのは命か願いか。そういうことなのか?

――ゴッ!!!!

美優「おに――っ!?」
大翔「――しっ、行くぞ! さっさと全部終わらせて、先生を迎えにいかねーとな!!」

 壁におもくそ額をぶつけ、気合を叩き込む。しゃんとしろ、結城大翔! 少なくとも俺が立っていなけりゃ誰も支えられないんだから!
 大丈夫だ。根拠もなく理由もなく、ただそうだと信じる。
 弱い俺にできることは、卑怯にもそれだけだ。だから絶対に信じ切る。そうしなければ、いけないと思う。
 沙良先生は、相手が誰であろうと、負けるはずがない。

大翔「行くぞ、また別の階段を探す!」

 階段はまたふさがれていたから、次の階段を探す必要がある。まったく、こういうときは無駄に広い校舎が恨めしいな。

レン「ヒロト殿、平気か、その、いろいろと」
大翔「大丈夫ですよ、俺はそんなやわにはできてはいません」

 打たれ強さには定評のある結城大翔とは俺の事だ。不安も何もかもを飲み込んで、レンさんに笑顔で答える。それを見たレンさんは、「ふっ」と小さく笑うともう何もたずねてはこなかった。




 大翔たち全員が階段を駆け上がった瞬間だった。唐突に沙良の足元から宙に浮き上がって来た深紅の液体が、鋭い針の形を成して襲い掛かってきたのだ。だが、

沙良「墜ちろ」

 その沙良の言葉に従うかのように、針はことごとく床に叩きつけられ、水滴となってはじけた。

ガザベラ「へぇ、やるじゃないのさぁ!!」
沙良「んなっ!?」

 ごがぁん!

 なんと、壁の中から人間が飛び出してきたのだ。

沙良(ったく、こいつらは埋まるのが趣味かなんかか!?)

 素早く体を捻り、氷の刃を右手に貼り付けたガザベラの魔手を避ける。だがガザベラは慌てた様子もなく左手をかざした。石礫がその意思に従い、沙良に襲い掛かる。弾丸のごとき速度とレンガ並みの質量の大量の瓦礫。狭い廊下に、逃げ場はない!
 が、

沙良「その程度の石ころで、何を貫くつもりや」

 カツン!
 小さく高いその靴音が廊下に響き、呼び覚まされた水龍のごとき濁流が沙良の体を覆い隠し、礫の悉くを砕き散らす。

ガザベラ「ちょ、ちょっとちょっと、何よそれ!?」
沙良「何も何もないやろ、うちの魔法や」

 学園内には無数に水を通すパイプが通っている。その流れを強引に掌握し、壁の配水管から強引に引っ張り出してきたのだ。
 沙良の魔法は『流理』。万物中の『流れ』を理解し自在に操る魔法。彼女にとっては、学園は己の武器がそこらじゅうを這い回っているのと同義だ。

ガザベラ「魔法、ね……最初からそんな大技出して、体力もつんだろうね? 途中でへばってもあたしゃ容赦しないよ?」
沙良「なんやあんた、愉快な冗談吐くなぁ。この程度が大技? そう思うんなら、あんたの実力も底が知れるわ。せいぜいうちが疲れるまでは無様に逃げ惑って見せてみ」

 二人の間の空気がぎしりと硬質化する。水流は沙良の周りでうねりを上げ、ガザベラは巨大な氷をその身の周りに生み出す。

沙良・ガザベラ「「死ね」」

 同時に解き放たれたチカラは、二人の中間点で衝突、炸裂し、暴風と衝撃を撒き散らした。
 だが、終わらない。終わるわけがない。
 たかだか単体でコミューンを相手取るような存在が。たかだか六人ごときで世界を敵に回すような存在が。
 その程度で終わる存在であるはずがない。あってはならない。
 そうでなくては。
 この、虎宮沙良が彼らの盾になる意味がないのだから。

沙良「うちが全力で盾になるいうたんや。ならこの世界を砕いてでも、あいつらは守ってやらなあかん。それが、大人ってもんや」

 颯爽と白衣を翻し、白煙渦巻く中へと駆け込む。
 その身に水を従えて、最強の盾となるために。




 ドン、ドン。遠くから響いてくる振動が、戦いが続いている事を教えていた。一撃一撃がよほど重いのだろう、重低音は、走っていてもわかるくらいに学園を揺らしていた。

大翔「やれやれ、もうすぐ新学期なのに。学校明日まで残ってんだろうな?」
美羽「なに兄貴ってばそんなに学校好きだったの? じゃあ、新学期から生徒会の仕事手伝ってみる?」
大翔「じゃあその代わり、家事は美優に放り投げることになるが?」
美羽「……ごめん兄貴、アタシが悪かったわ」
美優「ちょ、ちょっと、それ酷い……」

 まあ実際のところは美優は料理以外の家事ならそれなりにできるんだけどな。ただ、一つ一つの動きが丁寧というか効率が悪いというかとにかく徹底しているので、仕事が片付かないのが欠点だ。
 魔法を使う時はあんなにきびきび動けるんだけどな。不思議なものだ。

乃愛「うん? ちょっと待ってくれ、何かおかしな衝撃を感じる」
大翔「え?」

 廊下の真ん中で足を止める。すると、確かに遠くから時折響いてくる音とは別に、直下から突き上げてくる衝撃が感じられた。
 ……いやな感じだ。一階は通路をふさがれたりしていたせいで、どんな様子なのかほとんど把握できていない。連中が下から不意打ちをかけようと待ち伏せしているかもしれない。
 警戒しながら慎重に進むか、無視して一気に突破するか。

大翔「迷ってる場合じゃ、ないからな……行くぞ、足元に気をつけろよ!」

――ドォン!!

美羽「ひやぁぁぁぁっ!?」
大翔「ってうぉぉい、美羽!?」

 いきなり美羽の足元の床が崩壊し、それに巻き込まれて美羽が落下した。慌てて駆け寄り下を覗き込むと、腰を打ちつけたらしいが他に目立った外傷は見受けられなかった。
 まったく、油断できないな。

大翔「待ってろ美羽、今そっちに――」
美羽「だめっ! そんな暇ないでしょ、兄貴は早くユリアさんを迎えに行ってあげて!」

 んなっ! なにを言い出すんだこいつは!

大翔「お前ふざけるなよ、どう考えてもそっちには誰かいるに決まってるだろうが! そんなところにお前一人残して……」
美羽「アタシだってお父さんの子供なんだよ、やんなきゃいけないこととか、やりたいこととか――守りたいもの、あるんだよ! だから行ってよ兄貴、アタシの守りたいものは、兄貴が行ってくれないと守れないんだから!!」

 ……………………ッ! ああもう、どいつもこいつも!!
 迷う悩む躊躇う、どれだけ覚悟を決めてもやることだけを見据えても、誘惑はいつだってどこからだって現れやがる。両立しないものが山ほどあってそのどれもが大切な事だってある。
 だから決断しないといけない。ああそうだ、そういう覚悟をすると、腹を括ったんだから!
 こんなところでまで、人に流されてるわけにはいかない。俺が全部を引っ張る、そのくらいの決意を持たなきゃならない!

大翔「美羽、苦労をかけるぞ」
美羽「まかしてよ、これでもこの馬鹿みたいに騒がしい学校の生徒会役員なんだからね。苦労なんて慣れっこよ!」

 ああ、そうだな。お前ほど頼りになる妹なんて滅多にいねーよ。

大翔「いくぞ、美優」
美優「うん、お兄ちゃん……お姉ちゃん、負けないでね……!!」
美羽「まかせなさいよ、美優も、兄貴達のことよろしくね」

 俺達は駆け出す。大丈夫だ、また会えると。信じて、確信して。
 だが……そうだな、あと俺にできることといえば……。




 美羽は天井にあいた穴から聞こえてくる足音が遠ざかるのを聞きながら、深く息をついた。
 ゆっくりと瓦礫の上に立ち上がる。体のほうは、特に大きな怪我はない。少し腰を強く打ったくらいだが、動くことに支障が出るほどではない。

美羽「風の魔法で空を飛べたらいいんだけどね……」

 ユリアがよくやっていたように、風の魔法で空を飛ぶことは不可能ではない。だが、それには高度な技術と魔法の相性が必要になる。ちなみに、美羽の風の魔法との相性は悪くはない、という程度のものだった。
 慎重に、周囲の様子をうかがう。何か怪しい気配は感じられないが……戦いに関してはずぶの素人の自分には、よくわからないというのが正直なところだった。

美羽「ていうか、何で兄貴はあんなに戦い慣れしてるわけ? 帰ったら絶対問い詰めてやる……」

 確かに、中学時代はたまに喧嘩をしているような話は聞いていたし、噂話程度なら何度も耳にした。だが、そういうレベルの話ではないと、美羽の直感は告げていた。
 こと兄に関しては直感が働く美羽である。

美羽「……ここで立ち止まってても仕方ないか。とにかく、どこか上に上る階段を探してみないとね」

 瓦礫から下り、ひとまず廊下を進む。今の自分の位置がどの辺りかを確認しながら、暗い廊下の先を睨みつける。
 ガラ。
 小さな音にびくり、と体が跳ねて振り返る。鼓動が早まり、血流がドクドクと音を立てて流れる。

美羽「なに……誰かいるの!?」

 精一杯の虚勢を張って声を出すも、震えることを抑えることはできない。ごくり、と唾を飲み込む。
 ガラガラガラッ!!
 美羽が立っていた瓦礫の山が音を立てて崩れだす。決して勢いのあるものではない、だが、確実にその下には、何かがいる。
 動かなければ。その必死の思いで、美羽は右手に通常魔法で炎を生み出す。しかし炎はうまくまとまらず、勢いも万全のときよりはるかに弱い。それを見て、自分がどれだけ緊張しているのかを思い知った。
 ――勝てるの、こんなので?
 怖い。足先からゆっくりと、冷たい恐怖が這い上がってくる。目の前の光景すら、恐怖で視界が狭まる。

美羽「――っ、しゃんとしなさい結城美羽! ここがアタシの、正念場よ!!」

 自らに活を入れ、奥歯を強くかみ締め目の前の瓦礫の山を睨みつける。恐怖はなくならない、だが恐怖になんか呑まれてやらない。そんなものに負けてやれるほど、自分は弱くできてはいないはずだ!
 そして――

ガーガー「グルアアァァッ!!」
美羽「っ、ガーガー!!」

 青い獣人が瓦礫の山を跳ね除けてその姿を現した。瓦礫が飛び散る。美羽はその姿を睨みつけ、焼いて貫けとばかりに炎を放つ。
 音を立てて燃え盛る赤い炎は、その熱で空気を歪めながらガーガーへと突き進み、

ガーガー「ルァゥッ!」

 その口の中へと入っていった。

美羽「……………………へ?」

 もはや言葉も出ない。
 高速で飛来する炎を……魔法を……食った? 想定外もいいところだった。わけがわからずに立ち尽くす美羽。ガーガーは炎を咀嚼し、飲み下す。開いた口からチロリと赤い炎が覗いて、消えた。
 反則だ! そう叫びたい気持ちだった。

ガーガー「グルゥ」
美羽「ひっ!」

 いきなり自分の対抗手段を奪われた美羽は、獣の瞳に怯え後ずさる。ゆっくりと、ガーガーがその足を踏み出す。

美羽「あ……」

 突然、足から力が抜けた。だがもはや、慌てることすらできない。呆然と、ゆっくりと近づいてくるガーガーを見ることしか。
 絶望的な状況。心が砕けそうになる。泣き叫んで、誰かに助けを求めたくなる。

美羽(助けって……誰に?)

 真っ先に脳裏に思い浮かんだ顔をかき消した。それはダメだと。もし今ここで自分が彼に助けを求めれば、彼はおそらくどこからでも駆けつけてくれると、そう思える。
 だけど、だから、それだけはだめだった。
 今の彼が何のために走っているのかをおそらく彼以上に理解しているから。だから、今の彼に頼ることはできないのだ。
 それが、結城美羽の守りたいもの。命を懸けてでも、絶対に貫かなければならないもの。
 だから今ここで、泣き叫ぶわけにはいかないのだ。

美羽「……兄貴……がんばって」

 絶望と希望。自分の中に渦巻くものがそのどちらなのか、あるいは両方なのか、よくわからないまま。
 美羽は、静かな諦念とともに、瞳を閉じる。


――だから。


貴俊「わりーけど、その娘を殺させたりはできねーんだわ、ケダモノ」


 その声が自分のすぐ後ろで聞こえてきたときは、心底驚いた。

ガーガー「グルァッ!?」

 ドンッ!
 砂袋を叩きつけるような音が響き、ガーガーがその巨体を砲弾のごとく吹き飛ばされ、瓦礫の山に頭を突っ込んだ。
 美羽の横に現れた男――貴俊は、いつものように気の抜けた、だが、瞳だけは鋭い笑みを浮かべていた。

貴俊「いよう美羽ちゃん、手伝いに来たぜ?」
美羽「く、黒須川先輩? なんで!?」
貴俊「なぁに、大翔に頼まれただけだぜ、心配だからあいつのこと頼むってね」

 貴俊はガーガーを吹き飛ばした長い袋から、中身を取り出した。その中から現れたのは、一本の槍。槍投げに使うような、まっすぐで先だけが鋭く尖った、一本の槍だった。
 それを器用に振り回し、最期にぴたりと脇に添えて構えを取る。

貴俊「いやはや、羨ましい話だ。俺が落ちてたら、あいつぜってー誰も助けによこさないに決まってるもんな。ま、それがあいつのいいところでもあるんだけどな~」

 などと惚気(?)る貴俊。それを半眼で見ながら、美羽は壁を支えに立ち上がる。

美羽「まあ、その、ありがとうございます。けど、黒須川先輩はいいんですか、それで?」

 美羽の疑問に、貴俊は笑って答える。

貴俊「なぁに、確かにあいつにずっとついてったほうが俺としては楽しいが、何しろあいつに直接お願いされたんじゃぁしょーがねえ。俺は愛に糸目はつけないタイプでな」
美羽「……はぁ」

 よくわからないが、とりあえず肯いておいた。一応、大翔から注意されていたことではある。貴俊は無理に理解しようとするな。
 とりあえずその兄の言葉に従うことにしながら、まずはガーガーに集中する。

貴俊「ところで美羽ちゃん、誰かを殺す覚悟を決めたり、あるいは誰かを殺した経験は?」
美羽「あるわけないじゃないですか、そんなの」
貴俊「オッケー、いい答えだ。それじゃあ、ちょっくら愛のためにひと働きといきますかね!」

 言い終わるが早いか、ガーガーに飛び掛っていく貴俊。その素早さに美羽は目をむいた。速すぎる。
 両手に炎を生み出し、急いでその背中を追う。ガーガーも立ち上がり、その巨大な腕を大きく振りかぶった。

美羽「先輩、作戦とかないんですか!?」

 相手は魔法を食らう。しかも人知を超えた暴虐無人の腕力を持っている。近づけばひとたまりもない。相手はまさしく、獣なのだ。
 だが。

貴俊「そんなもん、後からかんがえりゃあいいってもんだ!」

 黒い獣のように、貴俊は恐れることなくその暴風の中に踏み込んでいく。ガーガーの両腕が振り下ろされる。その一撃は床を砕き、穴を開ける。だがすでにそれよりも深くガーガーの懐に入っていた貴俊は、

貴俊「でりゃあぁぁっ!!」

 槍の石突でガーガーの顎をかち上げる。その一撃が果たしてどれほどの威力だったのか、あのガーガーの体が、一瞬、地から離れる。そこへ、さらに胸への容赦のない突き。
 その一撃で、再びガーガーは大きく吹き飛ばされた。
 なにこれ。意味わかんない。
 ガーガーは理解できなかったが、貴俊のあの動きといい腕力といい、こっちのほうがよっぽど理解できなかった。人間かどうかすら疑わしい。

貴俊「ほら、美羽ちゃん、まだまだ終わってないぜ? さすがに大翔ほどじゃあないだろうが、あいつもそれなりには俺を楽しませてくれそうだ」
美羽「え?」

 なんとなく引っかかりを覚え、横に並んだ貴俊の顔を見上げる。だが、その瞳は獰猛にガーガーを睨みつけているだけだ。

美羽「ま、気にしても仕方ないか。それじゃあ先輩、あいつを、倒しますよ?」
貴俊「ああ、全力でぶっ飛ばしてやるよ!」

 二人は同時に、獣へと駆け出す。
 迎える獣は無傷の体で、雄叫びを上げた。




 どこからか聞こえてくる獣の雄叫びは、ガーガーのものだろうか?

大翔「さっきのは、ガーガーの仕業だったのか?」
乃愛「君が魔力を感知しなかったところから見ても、その可能性は高いと思うよ。アレは見た目からして、腕力で戦うタイプだ。ま、何か魔法を隠し持っていなければの話だがね」

 確かに、あいつの体つきは異常に逞しい。いくら貴俊でもあのガーガーが相手では正面勝負は難しそうだな。とはいえ、あいつに頼るしかなかった状況だったのも確かだ。
 ……むしろあいつが今現在美羽の傍にいるってことのほうが嫌な予感を掻き立てる。

大翔「余計なことをぺらぺら話さなきゃいいんだけどな……」
陽菜「それって、やっぱり中学時代にくろすんとフルボッコやったこと?」
大翔「だーかーらー! 陽菜もそうやってぺらぺらと喋らない!」

 美優が『え、なに? ねえなに何か隠し事?』って視線で猛烈に訴えかけてきている。勘弁してください。

乃愛「それほど隠すようなことでもないと思うがね。話してあげたらどうなんだい?」
大翔「単純に起きた事柄だけ説明してもわけわからない話しだし、そもそも俺があんまり鮮明に思い出したくないので」

 まあ、どうしてもというのなら話すのは構わないんだけども。
 そんな俺達に呆れた様子のエーデル。

エーデル「……どうにも君達は緊張感が足りていないようだがね、そう余裕ぶっていられるのもここまでのようだよ」
大翔「あれは……」

 廊下の真ん中にずんぐりと岩のように立っていたのは……確か、バードックといったか。この男もガーガーほどではないにしろ、常軌を逸した体格の持ち主だ。その割にやたらと気弱そうな顔をしているのがやたらとバランス悪い。
 なんか、何もしてないのにこっちが悪いことしてる気分になってくるな。やりにくいことこの上ないぞこいつ。

バードック「えーっと、ほう……かなりの人数が残っていますね。ガザベラさんとガーガーを相手にたったの三人だけを残してきたんですか? 僕が言うのもなんですけど、それは無謀ですよ?」

 敵に本気で心配されたよ、おい。全身からいい人オーラが出てるよ、この人。美優も戸惑っている。

大翔「敵に心配される筋合いはないってーの。心配するくらいなら最初から何もしなけりゃいいだろうが」
バードック「まあそれはそうなんですけども、僕としても叶えたい願いがありまして」

 心底すまなそうな顔をしているくせに、願いと口にした瞬間、バードックの瞳には迷いはなかった。
 なるほど、そういうタイプか。

エーデル「ふ。結局最期は自分の願いが全て、か。それなら最初から他人に気を遣っていい人の顔をするのはどうかと思うがね、僕は」
バードック「誰にだって、譲れないものがあるでしょう。そのためならなにを犠牲にしてもいいというような」
エーデル「程度によるというものだよ、それは。幾多の世界を巻き込む価値が、君の願いにはあるというのかな?」
バードック「さぁ、それはどうでしょうねぇ……」

 バードックは空を見上げて考え込む。普通に隙だらけだった。
 ……えーっと、これは、今のうちに通っていいのか、これ? 今まで敵対したことのないタイプだから、対応に困る。
 どうしたものかと悩む俺に、エーデルは小声でぼそりと言った。

エーデル「そら、なにをしているヒロト君。ここは僕に任せてさっさと姫を助けに行かないか」

 その提案は、正直、意外と言うか想定外というか、とにかく予想外のものだった。

大翔「……いいのか? お前のことだから、ユリアを助けるのは僕だとか言い出すと思ってたんだけど」
エーデル「やれやれ、君は王道・セオリーというものを理解していないようだね」

 エーデルは綺麗にピッと人差し指を立てると、得意満面の表情になる。

エーデル「悪の魔法使いに囚われた姫君。それを助け出すのは、騎士の役目だ。それは貴族の役目ではないのだよ。貴族の役目は姫を迎える事だ。だからヒロト君、僕は彼女を迎える準備をしなくてはならない。この目の前の、邪魔者を片付けてね」

 そういうエーデルの瞳には、バードックに対する明らかな敵対心が燃えていた。どうやら、先ほどのやり取りの中でバードックに対して何か特別怒りを覚える部分があったらしい。
 ……なんとなく、予想はつくが。こいつも、こちらの世界に来て変わったということだろうか。

エーデル「さあ、行きたまえ。そしてしっかりと理解したまえ、姫の騎士役が君だということを。僕がその宝石を君に預けたのは、伊達でもなんでもないのだからね」

 俺の胸元……その下にある、エーデルの一族の宝石のひとつ。それをこつんと、服越しに拳で叩かれた。
 その笑顔は、もしかしたら信頼とかそういたものなのかもしれない。俺はそれに肯くと、バードックに向けて全速力で駆け出した。
 それに気づいたバードックは、慌ててその巨大な腕を振り上げる。が、

エーデル「甘いなバードック、君の相手はこの僕がしてあげよう。サフィール家が後継、エーデル・サフィールが!」
バードック「ぬぅ、これは……!」

 エーデルの生み出した水流が、獲物を狙う獣のようにうねり、バードックの腕を絡め取り、締め上げる。その巨体の横をすり抜けるように駆け抜けた。一瞬、エーデルを振り返る。

エーデル「…………」
大翔「…………」

 頼む。
 エーデルを残し、俺達は一気にその先にあった階段を駆け上がり、三階へ向かう。
 この背に、期待と信頼と、責任を背負いながら。




 エーデルは自分の今の心境に驚いていた。しかしそれは、どこかすがすがしい気分でもあった。
 結城大翔。自分にとってはその存在は疎ましいものであり、それ以上に危険なものであった。
 彼にとってはこの世界の存亡よりも、自分の世界の王国のほうが優先度が高いのは当然であり、ユリアの身の安全やその心理状態の健康についても真剣に考えるべきことだった。彼女こそ、国の宝であるのだから。
 そんなエーデルの考えを完全に無視し、蹴り飛ばす結城大翔という人間を彼が嫌悪するのは、ある意味当然と言えた。
 無論、その感情は今でも変わることはない。エーデル・サフィールにとって、結城大翔は気に入らない人間であり、おそらく一生仲良くはなれない人間だ。すぐにでも関わり合いを立ちたいくらいだった。

エーデル(……だが、それでも信じることはできる。託すことはできる。ふ、矛盾しているな)

 エーデルは国の最有力貴族の一員だ。彼が考えるべきは国のことであり、国の未来である。それだけだった。それだけしか考えていなかった。

エーデル(財も、権力も、人も、食も、衣も、住も。全てはその構成であり、ただの数であると思っていた。実に愚かな事だ)

 考えるまでもなく当然だ。国を構成するのはその地に住む全てであり、貴族はただ運営するのみなのだ。確かに上に立つものがなくては国は国としての形を保てなくなるだろう。
 だが同時に、下々の者達がいなければ、自分達は運営する国そのものをなくしてしまうのだ。
 それを、この世界に来て知った。思い知らされた。自分も、所詮は国の中のひとつなのだと。

エーデル「バードック。君は先ほど言ったな、譲れないものがあると。何を犠牲にしてもいいと思えるほどのものがあると」
バードック「ええ、確かに言いました。それは間違いではないでしょう?」
エーデル「ああそうだとも。僕も確かにそう思う。それが正しい、それが人間だ。だがお前は間違っている。君は――貴様は……」




 陽菜がそういったとき、一瞬意味が理解できなかった。

大翔「陽菜、もう一度言ってくれ。なんだって?」
陽菜「だからねヒロ君、えーちんが心配だから、陽菜もあの人と戦ってくる」

 なんで、そうなるんだよ……。

大翔「あのな陽菜、エーデルなら大丈夫だって。なんだかんだであいつは強いし、本来は異世界に戻るためのものだけど魔力を溜め込んだ宝石だってまだいくつか持っている。攻撃力だけなら、俺達の中でも最大なんだぞ、あいつ」
陽菜「でもあのバードックっていう人だって、コミューンを一人で潰して回ってるような人なんだよ。だったら大丈夫なんていえないよ!」
大翔「そんなの、陽菜が行っても変わるもんじゃないだろうが!」

 思わず、声を荒げていた。頼むから、そんなこと言わないでくれよ、陽菜。なんでそんな、自分から危険に飛び込むようなことを言うんだ? 回避できる危険は回避したほうがいいに決まっている。それができなくても、少なくとも俺の傍にいてくれれば、俺が守れるかもしれない。
 けど、エーデルがいるとはいえ、戦いなんて危険のど真ん中。そんなの。

陽菜「……ヒロ君。そんなにヒロ君ばっかりがんばんなくてもいいから。陽菜だって、自分の身くらい自分で守れるんだよ。そういうのにむいてる魔法なんだしね」

 陽菜の決意は固いようだった。けどこればっかりは認めるわけにはいかない。

大翔「大体、なんでいきなりそんなことを」
陽菜「いきなりなんかじゃない。ずっとだよ、ヒロ君。ずっと陽菜は、ヒロ君にこうしなくちゃいけなかったんだから」

 え? 何だそれ、どういう意味だ?

陽菜「ヒロ君の心に、いつまでも陽菜がつっかかってるわけにはいかないの。ヒロ君も、いい加減陽菜離れしなくちゃいけないよ」

 冗談めかして、それでも、なぜだか必死に訴えかけてきている。
 ……なんでそんな風に俺を見るんだよ。陽菜、お前は一体……。

乃愛「…………ふぅ、仕方がない。沢井、私が許す。精一杯、やってくるといい」
大翔「乃愛さん!?」
陽菜「はい、乃愛先生!」

 陽菜はその言葉で、階段を駆け下りる。

大翔「陽菜!」

 俺の呼びかけに、陽菜は足を止めて、振り返らずに、

陽菜「ヒロ君! ありがとう、あと、ごめんね!!」

 そういって、階段を一気に飛び降りていった。その後を追おうとする俺の手が、ぐいと引っ張られる。

大翔「レンさん!」
レン「ヒロト殿、行くぞ。時間がない。それに……今ヒロト殿が行けば、間違いなく足手まといだ。信じてやれ。せめて迷いなく」
大翔「信じるっていっても、なにを……」

 レンさんの手を振りほどく。レンさんは俺達の前に立ち、歩き出す。

レン「彼女の、信念をだ」




 沢井陽菜は走る。零れる涙を拭いながら、走る。切ない胸の痛みを押し殺しながら、ただ走る。走って走って走って、前を向く。
 昔、彼女の初恋の男の子が、そうしていたように。

陽菜「そう、ヒロ君が陽菜に生き方を教えてくれたんだよ。陽菜にはヒロ君を助けられなかった、救えなかった、取り戻してあげられなかった。だからヒロ君、せめてそのお手伝いだけはしてあげたい」

 まっすぐな廊下に出る。その先では、すでにエーデルとバードックの激戦が始まっていた。水が逆巻き、豪腕がそれを引きちぎる。離れたここまでもそのぶつかり合う轟音が耳を打つ。
 だが、沢井陽菜は走り出す。魔法で空気に擬態をしながら、ただまっすぐに目標に向かって。

陽菜「ありがとう素敵な初恋! ごめんね傷つけて! でも陽菜は、さいっこうに、幸せでした!!」

 姿も気配もない、何もない空間から突然響いた声に、バードックが驚愕の表情で振り向いたのを見ながら、

陽菜「沢井陽菜、恋する乙女改め恋夢見る乙女! 全力全開で、ヒロ君の恋とヒロ君への友情のために、がんばりまああああす!!」

 その右腕を存分に敵の顔面に叩き付けた。
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