ABCまとめ5


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方角上日の当たりにくい校舎裏は、そこだけ早く時間が進んだかのように、薄暗い。
どこか別世界に迷い込んだかのような錯覚も覚えるけれど、遠く響く野球部の掛声や夕日に沁み入る蝉の声が、世界の境目を繋ぎ止めていた。
「……誰もいないか」
いたずらだったのかな。
だったら、それはそれで良かったと思う。早く戻って妹達と買い物を楽しむとしよう。
そう思って踵を返そうとした時、
「ヒロトさん」
聞き慣れた、あのおっとりとした優しい声が耳に届く。

「……ユリア?」
振り向けば、頭に思い浮かべた通りの人物が――制服姿のユリアが――影の中に立っていた。
レンはユリアの三歩後ろについて帯刀し、無言で俯いている。
「ええ、ユリアですよ?」
どこか間の抜けた返事は、確かにユリアらしいものではあった。
だけれどこの薄暗い場所のせいか、二人の表情だけでなく心にも影が差しているように思えてくる。
……どこか、陰鬱な雰囲気を纏っているように感じてしまうのだ。

「……何か用?」
とりあえずの質問に、ユリアは答えない。
仮面のような笑顔を貼り付けたまま、抑揚無く言い放つ。
「私、後悔していることがあるんです」
「後悔していること?」
鸚鵡返しに聞き返すと、こちらを哀れむような視線が言葉の代わりに返され、次いでレンが口を開く。
「ヒロト殿、答えは決まったか?」
「答えって……」
何に対する答えなのかという質問は機能しないな。
こんな人気の無い場所にこの二人に呼び出された時点でどんな話になるかは予想がつくからだ。
「……ごめん、まだだ」
そして、俺はまた逃げる。
二人から目を逸らして、意味の無い思索の為に、残り少ない日常へ帰りたいと願う。
「まだだ、ではないでしょう?」
だけれど、ユリアはそれを許さない。
くっと細めた双眸で俺を捉えて逸らさず、そして俺にもそれを求めた、「こちらを見てください」と冷たく告げて。
言われた通りに見返して、俺とユリアの視線が交錯する。火花が散るようなことはない、これは穏やかな話し合いのはずだ。
まだ五日は余裕がある、五日というのが長いのか短いのかわからない、一年前の俺はまだ一年もあると考えていたかもしれない。
どちらにせよ、今の俺には『まだ』五日、もう少しだけは日常に身を置いていられるはず。

だけれど……そう思っていたのは、この三人の中で俺一人だけだったらしい。

「貴方はまだ思っていますね、まだ五日はあると」
「……………………そうだ」
最近は考えを読み取られてばかりで、俺の周りの人間はみんなエスパーになってしまったのではないかと思わせられる。
けれど実際はそんなことはなく、俺の思考がとんでもなく愚鈍で単純なだけだ。
少しでも誘導すれば、考えることをトレースするのなんて簡単なんだろうな。
……自分の単純さに少しだけ嫌気がさした。
「後悔しているのは、貴方に時間を与えたことです」
「え……?」
ふと顔を上げればもう、ユリアの顔に優しさは存在しなかった。
そこにはただ俺の弱さを責めるだけの厳しさだけがあって、俺に「答えを出せ」と脅迫するような目つきを向けている。
「逃げの時間を与えてしまったことで、貴方はまともに問題と向き合うことが出来なくなってしまった。
……一年近く逃げ続けてきたせいで、考えの指向が逃げることにしか向かわなくなっている。
表面上は悩んでいるように見えて、まるでまともには取り合っていない。軸をずらして考えるふりをしているだけで、大事なことは何一つ決まらない。
……………………この一年間が、貴方を愚図にしてしまった」
「ちょ、ちょっと待て……! ユリア、何を……!」
いつものユリアじゃない。
普段厳しい言葉を使うレンは黙して語らず、その代わりにユリアが饒舌に語っている。
……激流のように厳しい言葉で、責め立てる。

そして次の瞬間、完全に俺の中で時間が止まる。

「期限が早まりました、後二日です」
「…………え?」
「え? ではありません、その耳が飾りでないのならばきちんとお聴きなさい。……後五日だった崩壊までの期間が、二日まで縮まったと言ったのです」
ユリアの挑発するかのような言葉づかいに腹を立てている暇なんて無い。
今はただ衝撃的な事実に身を震わせて、真白になった心をなんとか立て直そうと必死になるだけ。
「ど、どういうことだよ……! なんで、なんで崩壊が早くなるんだ!?」
「……予定は予定です、いくらでも変わる可能性はありました。ヒロトさんは、自分で明日の天気を決められるのですか? 台風の方向を変えられるのですか? 地震を予知できるのですか?」
「う、……嘘だ……!」
震えの挙句に絞り出された言葉は、そんな情けない科白。
ユリアは侮蔑を隠そうとせずに溜息をつき、高圧的な態度で俺を見下してくる。
長い髪を梳く仕草にも人を寄せ付けない高貴さが溢れ、穏やかな親しみ易さはすっかり身を潜めていた。
人を見下すのにも慣れているようだ。……これがユリアの本性なのか、権力を持つ者としての処世術なのかはわからない。
唯一わかるのは、俺が追い詰められているということだけだ。

「どうかしましたか? ヒロトさんが今まで真面目に考えてきたのならば、別に問題は無いでしょう? ……ただ、候補から絞ればいいんです。貴方が本当に助けたい人間を」
「そんな……すぐには……!!」
「すぐに? 一年もあったじゃないですか」
「っ……!」
そうだ。
一年、普通に過ごさせて欲しい。俺はそう言った。だけれど世界の崩壊という大きな問題から完全に逃げられるわけがないのだ。
毎日を明るく振舞っても、崩壊のことが頭から消えない日なんてなかった。
それは、ノア先生が今朝にした話に通じるところがある。
どれだけ後回しにしても、苦難は必ずやってくる。……真綿で首を絞めるように、じわじわと迫ってくる。
先生は、逃げるという選択肢もあると言った。だけれど俺にはそれは許されない。
絶対に許されない、それはわかっている。だけれど俺の中の弱さが「逃げてしまえ」と訴えている。
どうしようも無い気持ちのせめぎ合いに、体は冷や水を浴びたかのように冷たくなってしまう。
その癖汗は吹き出てきて、拳はじっとりと濡れていた。

「どうしても決められないというのならば、助言をさしあげましょうか?」
「助言……?」
二重人格なんじゃないかとも思えるほどのいやらしい笑みで。
「ヒロトさんは、ミウさんを選びます」
助言ではなく、予言を残したのだ。
「……!」
「要因は、三つです」
ピンと三本指を立て、
「一つ目は、家族であること」
一本ずつ、指をたたんでいく。
「二つ目は、血が繋がっている方を選ぶだろうということ」
最後に残った人差し指が、俺を突き刺すかのようにピンと伸びたまま向けられた。
「三つ目は、ミユさんが卑怯者であること」
「…………何?」
美優が、何だって?
「聞かせて差し上げましょうか? 彼女の秘密を」
「美優の、秘密……」
正直に言わせてもらうと、秘密については気になる。
……だけれど、今のユリアの態度は気に入らない。自分の為に他人の秘密をばらすだなんて、そんな魂胆に乗るわけにはいかないだろう?
「……もう、いいよ」
「もういいとは? 決まったのですか?」
「もう、その話はいいって言ったんだ!!!」
追い詰められ、積もりに積もった焦りや恐怖は怒りに転換される。
堪忍袋の緒が切れるという言葉が、今の俺にはぴったりと合うだろう。

「なんなんだよさっきから! 確かに俺は逃げてたよ! だけれどそんなの仕方ないだろう?
俺はゲームの中の主人公じゃない、普通の高校生だ!! 世界の崩壊なんて、無理やり理解させられても困るだけなんだって、最初に言っただろ!?
知らない方が良かったって、確かに言ったはずだ! 一年考えたって選べるわけがないんだよ! 植物を間引きするのとは全然違うんだから!」
自分が何を怒鳴っているのかすらわからない。
ただ頭に思い浮かんだことを整理するよりも前に吐き出した。
ユリアはそれを涼しい顔で聞き流していて、それが余計に俺のボルテージを上げた。
「ユリアはいいよなあ! 自分の自己満足を押しつけて、事情を説明して後は任せるだけだ!
結局俺がどんな選択をしたところで、自分自身には何の被害もないんだ。そうやって無理やりに人に選択を迫れるのも頷けるよ!
何で俺がこんな目に合わなくちゃいけないんだよ!? 知らなければ、こんなに悩むことなかったのに。一瞬で死ねたのに!!
知っているから、助かってしまう可能性があるから、こんな罪悪感が募るんだ! 六十億の中で、二人だけだなんて……なんで……なんでなんだよっ!!」
俺は一年間、心の奥底ではいつもこんなことを考えていた。
だけれど、ユリア達が悪いわけではないから、誰にもどうすることもできないから、ずっと我慢をしてきたというのに……!

「……はぁっ……はぁ……」
言いたいことを言いきって。荒くなった息を整える。
口の中はカラカラに乾いて、汗で体は徐々に冷えていく。
それに呼応するかのように、俺の心からもだんだんと熱が引いていった。
「…………」
ユリアはつまらなさそうに俺の叫びを聞き終えて、もう満足したかとで言いたげな目で俺を睨みながらつぶやいた。
「でしたら、記憶を消してあげましょうか?
「え?」
「……知りたくなかったというのなら、記憶を消してあげます。……数ある選択肢の中で、最も後悔する道だと思われますけど」
ここまで来て、ようやく目の前に「逃げる」という選択肢が追加された。
今のユリアの提案は、真に逃げと言えるだろう。
全てを捨てて滅びを選ぶということは。助けてもらえる筈だったもう一人の命についての罪悪感さえも、感じないで済むということだ。

……少しだけ、揺らいだ。
目の前がくらくらして片膝をつき、手をその膝の上に置いて支える。
「俺は……」
「…………」
いいのか?

本当に、逃げてしまっても……!




1 逃げる
2 逃げない

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