世界が見えた世界・8話 B


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 それからしばらくは平和、というかいつも通りの日常が続いていた。
 乃愛さんは時折電話で連絡をくれるのだが、その場所が毎回毎回違っているもんだから次はどこからかかってくるかと家族で予想して楽しんでいるくらいだ。
 それに調査は終わったといっても敵の襲撃には備えなくてはいけないので、家には貴俊とエーデル、それに沙良先生が毎日やってくるのだ。にぎやかさに拍車がかかった。
 隣家がこれだけやかましければ気にならないわけが無いので、陽菜も毎日のようにうちに遊びにやってくる。これに関しては少々思うところもあるのだが、追い返して逆に突飛な行動をとられると困るので、これに関しては諦めて楽しむようにしている。まあ楽しいし、実際。
 そんなわけで賑やかに日常を過ごしているわけだが――どうも、妙な空気が拭いきれない。
 うん、まあ、なんていうか。
 人に流されやすい結城大翔。それが、貴俊の言葉に影響を受けないわけが無いのだ。おかげで、なるべくユリアさん傍にいるようにはしてるものの、その言動の節々が妙に気になってしまうのだ。
 そんな俺の態度を感じているのか、ユリアさんもどこか居心地が悪そうだ。
 そしてそんな俺達を見てあきれた顔を浮かべている美羽や沙良先生。暴走した妄想を展開しているらしい美優。たまに本気で剣と犬歯をむき出しに睨みつけているレンさん、等等。
 そんないつも通りを繰り広げながら、変わらない毎日を、ゆっくりと変化する毎日を、過ごしている。




 気がつけば、夏休みも半分を過ぎている。毎日遊んでいるように見えるかもしれないが、蓋の管理などやることは一応やっているのだ。俺と貴俊はいつも見ているだけだが。
 ところで、夏休みといえば思いつくものは山ほどあるはずだ。あるんだが、その中にあるのが楽しいものばかりとは限らない。そう、この目の前にある紙の束のように。
「夏休みの宿題……思えば、この存在ほど罪深いものはこの世界中を探してもなかなか見当たらないだろう」
 俺の言葉に深くうなずく学生連合。それをあきれた視線で見ているのは沙良先生。頭の上のましゅまろもどこかあきれた雰囲気。
 大人になったらこの辛さも忘れてしまうのか。この悪魔に立ち向かう尊い意志を忘れてしまったというのか、先生!
「ウチはそもそもそれ、もらった端から焼いて棄てとったからなぁ」
 ちょ、おま。
 その暴挙、考える人はいても実行する人はいないと思ってたのに。よりによって先生がやってたのかよ。
 みんな俺と同じ心境なのだろう、先生を見ていた。しかし先生は悪びれる事無くニヒルに笑う。
「そのころのウチは先生やのうて生徒やからなんも問題はないやろ」
 そうだけどさ生徒だからこそ問題なのでは? 釈然としないものがあるんですけどねっ!? ともあれ、夏休みの宿題という学生の宿敵との戦いが始まったのだった。




 2時間後、敗北を喫した俺達はだらだらとリビングで過ごしていた。
 いやだって、まだ半分あるんだし、ねぇ。あせるのはもっと後でいいんだよ、後で。
「……なんだか、1週間前になっても同じこと言ってそうです」
「うんまあ、事実そうなることは分かってるんだけど、なぜか今年は大丈夫、って無意味な自信が、ね」
 どこからとも無くわいてくるこの自信のせいで夏休み最終日は家に閉じこもりきりになるのが毎年のパターンだった。
 まじめな美羽でさえ同じ道をたどるのだから、夏休みの魔力はまこと恐ろしい。ちなみに美優が美羽に泣きつくのも毎年の話だ。
「でも正直、これは私には荷が重いですよ。特に歴史や地理なんかはさっぱりです」
「その辺は中学からの積み重ねもあるしなぁ……」
 そもそも、この世界のすべてが物珍しい状態だった彼女がこの辺りの科目を理解しろというのが無理な話だろう。俺としては、国語や英語、古文などが普通に分かっているのに感心する。
「言語に関しては、この世界に来るときにこの世界の言葉が自動的に分かるようになっちゃうんです。ヒロトさんも、私の世界にきたらいきなり世界中の言葉が分かっちゃいますよ」
「おお! ってことは、いきなりバイリンガルになるわけか。便利な話だなあ」
 世界中の人と言葉の壁を感じずにしゃべる。バベルの塔でも作れそうだな。
 英語がしゃべれないからアメリカなんか行きたくない。日本に来た外国人は日本語喋れ。頑なにそう主張したい俺としてはそれは夢のような話だ。
「それにしてもエーデル、お前授業聞いてたのか? ぜんぜんできてないじゃないか……」
 エーデルの進捗状況は最悪といっても過言ではなかった。一ページ進むのも一苦労、その上問題は空白だらけ。
 プライドが高いせいで俺達に聞くようなことはしないせいで、ひたすら教科書とにらめっこだ。そんなに意地になること無いだろうに。
「ふん。誇り高いこの僕が、君達庶民から施しを受けるような真似をすると思っているのかい!?」
 などといいながらも目がマジだ。相当必死になって問題を解いている。全身から恐ろしいほどの気迫を漂わせていた。
「もうー、えーちんは頑固だなぁ。もっとソフトになんなきゃ、女の子にはもてないよー?」
 けたけたと笑っている陽菜は実は一番宿題が進んでいた。陽菜には悪いが、意外だ。心の底から納得がいかないんだが、どうしてくれよう。
 ちなみにそれに続いて進んでいるのが貴俊だったりする。腹が立つことにこいつスペックが高いんだよ、色々と。その代わりというかなんというか、性格のほうがほら、あれだけども。
 ……俺の周りの男連中は性格に難があるやつばかりだな。
「私は学習というのは一人でやるものでしたから、こんな風に大勢でやるのはとても新鮮ですけど」
「普段はどういうことを勉強していたの?」
「数学なんかの四則演算やそのほかのある程度の公式は同じですね。他には、各国の物流や土地の質、政治の事なんかを勉強していました」
 やっぱりお姫様となると色々と将来に向けてやらなければいけない勉強があるんだろう。ユリアさんのことだから、きっとそれらをきちんとこなしてきたんだろう事は想像に難くない。
 俺は自分のことでいつも精一杯で、将来のことなんか考えたこと無かったなぁ。
「すごいね、ユリアさんは。ちゃんと自分のやることをやっててさ。それ以外でも、こうやって俺達の世界にやってきてくれたし」
「そそ、そんなこと無いですよ! こちらにやってきたのは私のわがままのようなものですし、そんなにほめられることじゃないですよ」
「それでも自分のやろうとしていることをしっかり貫いているのは、やっぱりすごいよ。うん、偉いと思う」
 俺はしきりに感心した。ユリアさんは顔を真っ赤にして照れている。そういう姿はやっぱり普通の女の子で、可愛らしかった。




 夕方になり、買い物に行くことになった。沙良先生が空港へ乃愛さんを迎えに行くというので、ついでに一緒に商店街まで送ってもらうことにしたのだ。
 総勢8人での買い物。これだけの大人数での買い物は、否が応でも人目を引く。
 なにせ、
「ヒロトさんヒロトさん、あれはどんな味がしますか?」
「お兄ちゃん、ワタシ、果物食べたい……」
「む、この食材は興味深いな」
「兄貴、ちゃんと金額考えてよね。ほら、今日の予算」
 実にかしましい。女三人寄ればに+1だからなあ。
 しかもメンバーはこれだけではないのだ。
「見ろ大翔、りんご10段重ね! すごくね、すごくね!?」
「なんのお! 陽菜ちゃん謹製みかんピラミッドに敵うかぁ!」
「ふ。このボクの美技に酔いしれるがいい。秘儀、バナナブリッジ!」
「店の商品で遊ぶんじゃない、迷惑になるっていうか恥ずかしい!」
 すでに買い物客の注目の的になっている。お子様達の視線を独占だ。
 そして果物屋のおじさんも感心していないで止めてよ! あんたのところの商品で遊んでるんですよ、そいつら!
「大変賑やかですねっ」
「賑やかというか、騒がしいというか。もうちょっと落ち着いてくれてもいいと思うんだけど」
 俺はあきれ果てていたが、ユリアさんはそうでもないようだ。遊びに興じている三人を見守るような顔をしている。
「でも、こんな風にみんなが笑い続けられる、そういう日々はとても、大切ですから」
「それはまあ、そうなんだろうけど」
 この世界中で、果たして誰が想像するだろう。今、世界が危ういバランスの中で存在しているんだと。ここにいる、バカみたいに騒いでいる面々がそれでも必死になって、その原因を探していたことを。
 でも、そういうことはたぶん知らなくてもいいことなんだろうと思う。誰もが当たり前に明日を信じて今日を生きていけるのなら。そういう日々が俺達が守りたかったもので、俺達が望むものだから。
「とはいえ、まだ全部が終わったわけじゃないからな。今日は疲れたし、英気を養う意味でも晩飯は肉にするか」
「あはっ。いいですね、私ヒロトさんの作るお肉のたれ、大好きなんです」
 ふむ、それを活かした焼肉もいいが、せっかくなんだしここはすき焼きを味わってもらうのもいいかもしれないな。
 この面々だと肉の争奪戦になるだろうけど。
 そんな幸せな空想、理想の想像。それに気をとられていたのか、俺は“それ”に気づくのに一瞬遅れてしまった。
「お兄ちゃんユリアさん、上!」
「「え?」」
 唐突に突き刺さった叫びにつられて、上を向くと。
 ――――え。
 もはや視界いっぱいに広がったそれがなんなのか理解をすることができない。思考が停止し、肉体だけがただ反射を行う。
 とんっ。
 何が起きているのか何をしているのか理解せずに、気付けばユリアさんを突き飛ばしていた。彼女の顔が驚愕と恐怖に染まる。何をそんなに恐れているのだろうか、俺には良く分からない。
 だって。
 これで、君だけは助かるのに。
 胸の中に広がった穏やかな安堵を最後に、俺は全身を打ち据えた衝撃とともに意識を手放した。
「いやああああああああああ!!!!」
 耳に届いた叫びが誰のものだったのかは、よく分からない。




「兄貴、兄貴!? ねえ、大丈夫でしょ、ねえ、起きてよ兄貴!!」
 ――うあ? 薄ぼんやりと意識が覚醒する。自分の状況が、いまいち飲み込めない。
 酸欠か? 息を大きく吸って、頭を振る。視界がだんだんとはっきりとしてきた。
 どうやら俺は寝かされているようだ。体に力を入れてみると、うん、調子は悪くないようだ。体を起こし、辺りを見回す。どうやら商店街の真ん中で倒れているようだ。
「――あ、ああ、そういうことか。大丈夫だよ。い、つつ」
 頭に鈍い痛みがある。たんこぶができているかもしれないな。
 俺は少しはなれたところに落ちていた店の看板を見る。まあ、あれにぶつかってこの程度で済んだことは幸運だ――なんて、そんな単純なことはさすがに考えない。
「助けられた、みたいだな。誰に?」
「――陽菜が擬態したんだよ、風に。ねえヒロ君、本当に大丈夫?」
 陽菜の顔は青い。
 俺は落ちてくる看板からユリアさんを逃がした後、風に擬態した陽菜に突き飛ばされたらしい。突然のことで手加減ができなかったのと、完全に回避できなかったとの事で少々気絶したようだ。
 ともあれ、大事無いことは不幸中の幸い、てところか。
「ありがとな、陽菜。さすがにあれの下敷きになるのは、まずかった」
「ヒロト殿、礼はまた後で。ここは人目を集めすぎました」
 俺を助けるためとはいえ、こんな大勢の前で陽菜が魔法を使ったのは確かにまずいだろう。問い詰められる前に、この場を移動する必要がある。
 勢いをつけて立ち上がる。が、くらりと視界が揺れて少し足がふらつく。そっと背中に触れる暖かな感触に支えられた。振り返るとユリアさんが労るような手つきで背中を支えてくれていた。
「ユリアさん、ありがとう」
「いいえ、いいえ……そんなこと。それこそ、私こそ、あなたをあんな目に合わせてしまって」
 ユリアさんは瞳を赤く染めて頬には涙の跡が残っている。
 気にしないで。そういいたかったけど、その場を急いで離れなくてはいけなかった。
 移動している間、彼女の涙が頭から離れなかった。




 人目につかないところまで来たところで、俺達はいったん休むことにした。ちなみに、エーデルと貴俊はあの場に残って工作してくれている。何をするのかは分からないが、まあうまくごまかしてくれることを期待しよう。
 陽菜は魔法を使ってから調子が悪いようで、青い顔をして座り込んでしまっている。
「陽菜、大丈夫なのか? 随分と調子が悪いみたいだけど……」
「う……ん。平気、大丈夫、心配しないで。……少し、本当に少しだけ、気分が悪いだけだから」
 そう言って笑う陽菜は明らかに無理をしていた。
 それにしてもなぜこんなに調子が悪そうなんだろう。突然魔法を使ったから、体に負荷がかかるんだろうか? けど、なんだかそういうのとは様子が違うように見えた。
 陽菜の様子は、肉体的なものというより、精神的なものからくる不調に見える。とはいえ俺は専門じゃないから良く分からない。沙良先生がいればよかったな。
 顔が暗いのは陽菜だけではない。美羽と美優もうっすらと涙を浮かべているし、レンさんも俺の体を気遣ってくれている。
 そして何より、
「ユリアさん、俺はもう大丈夫だから。ほら、しっかりして」
「――――」
 ユリアさんが重症だった。俺の腕をしっかりとつかんで離そうとしない。体全体で抱えるように、まるで俺を離さないように。
 小さく聞こえてくる嗚咽と、小刻みに揺れるその肩が、彼女が泣いていることを如実に表していた。
「ユリアさん、ほら」
 別に彼女が涙を流す必要なんか無いんだ。俺がやりたいようにやっただけ。そのことで彼女が涙を流すのは、忍びない。
 けどユリアさんは小さく頭を振るだけ。腕を熱い雫がたどっていく。これでは彼女の涙を拭うこともできない。俺は途方にくれた。
 みんなが俺のことを心配してくれてるのはわかる。俺のことで心を痛めてくれているのはわかる。けど、俺はそれに対してどんな顔をすればいいんだろう。どうやってみんなを慰めたらいいんだろう。
 わからない事だらけだった。レンさんに視線でたずねてみたが、帰ってきたのは力無く頭を振る姿。彼女にも、これほどユリアさんが悲しむのを見るのは初めてなのだろうか。
「私が……私が、あなたを守らないといけなかったのに……あなたを、守りたいのに」
「ユリアさん?」
 悲しそうな、悔しそうな独白。その決意はどこから生まれてきたものなんだろう。なぜいきなり、そんなことを思うのだろう?
 俺は戸惑った。目の前の少女が、あまりにも弱々しく見えてしまった。
 そんなことは無い。彼女は強い。強い決意を持って、強い意思を持って異世界にまでやってくるような人だ。それが、弱いなんてそんなこと。
 ……ある、んだろう、か。
「ねえ、ヒロ君。ちょっと、聞いてもいいかな」
 陽菜はうつむいている。視線は地面に張り付いたまま。その様子がただ事ではないことは、硬い声から察せられた。
 不吉な、予感がする。夏の暑い夕方なのに、なぜか全身が粟立つような寒気を感じた。
「ヒロ君……さっき看板が落ちてきた時、ユリアちゃんを逃がした後、何を考えてた?」
「あの時に、何を? いや……正直、一瞬の間だったからなにも考えられなかったと思うけど」
 俺には陽菜の質問の意図が読めなかった。
 いったいなんだ、陽菜は何を聞こうとしているんだ?
「そう……じゃあヒロ君。その時、少しでも、怖かった?」
 その質問に肩を震わせたのは、美羽と美優だった。レンさんは俺と同じく質問の意図が読めないのか、怪訝な顔をしている。ユリアさんは相変わらず、俺にしがみついたまま。
 だから、俺は疑問に素直に答えた。
「怖いって……なんで?」
 俺の答えに、陽菜と美優の表情が悲しみで歪む。陽菜は、諦め? 嘆き? よくわからない。
 レンさんも目を見開き、ユリアさんははっと顔を上げた。
 俺はそれらの反応に戸惑い、どう反応したらいいのかわからない。場が奇妙な沈黙に包まれる。
 最初に口を開いたのは、やはり陽菜だった。
「うん、そっか。ヒロ君は、やっぱりヒロ君のまんまだったんだよね……うん、なんとなく、わかってた」
「いや、陽菜待ってくれ。お前がわかっても俺がよくわかっていない。いったいどうしたんだ、さっきから?」
「ううん、なんでもないの。ただの確認。ヒロ君は――」
 その瞬間だった。何の前触れも無く、その男が姿を現した。
「話の途中で悪いが、少々邪魔をするぞ」
 全身を鎧に包んだ偉丈夫が、陽菜の後ろにいつの間にか立っていたのだ。
 なんなんださっきから、次から次へと!?
 俺はその男の持つ威圧感に、完全に気圧されていた。レンさんは剣を抜き、みんなを守るように俺達の前に立つ。
 男は腕で陽菜の首を絞め、その身を抑えた。
「陽菜っ!? おいアンタ、いきなり現れて何してやがる!!」
 男は俺達全員をゆっくりと見回す。特にユリアさんと俺を、鋭く睨んでいる気がする。いったい何者なんだ、この男は?
 人質をとられたといっていい状況。簡単には動けない。だが、このまま陽菜をほうっておくわけにもいかない。どうにかしないと。焦りが心を焼く中、男が口を開いた。
「今日は挨拶に来ただけだ。今後いやでも、顔を合わせることになる」
「いきなり現れて、何をわけのわからないことを……」
「今すぐにその人を放しなさい。あなたの態度を見て友好的な態度と感じる人がいるとは、まさか思っていないでしょう?」
 ユリアさんは俺から離れて、その両手に炎を従えている。涙で赤く腫れている瞳は、それでも力強い光を湛えていた。
 男は薄く笑うと、
「っ!? 待て!!」
 その場から大きく跳び退った。人のものとは思えない跳躍力。だが、俺はその瞬間に感じた悪寒でそれが魔法によるものだと確信した。
 つまり、通常魔法の使い手。それが突然ここに現れた。
 それは、つまり、だからええと?
 迷走する思考。苛立ちは行動に直結する。
「――――っ!!!!」
 ガッ!
 いってェ! 自分で自分を全力で殴ったのは初めてだ。でもそのおかげでようやくまともに思考が走り出す。
 そうだ、いちいち悩むまでもない。俺たちを知っていて、通常魔法を扱う連中で明らかな敵対姿勢をとる存在なんざ決まってるだろうが!
「連中かっ!?」
 後を追って駆ける。見失うわけにはいかない。やつらが陽菜をどんな風に扱うのかわからないが、楽しい事態にはならなくて当然だ。
「ヒロト殿、罠かもしれないぞ、危険だ!」
「そのくらいわかってます! だからなんだって言うんですか!!」
 レンさんの制止を振り切り、鎧男の姿を追う。屋根の上を次々に渡っていくため、俺との距離はただ開いていく。それでも見失わないのはやつの魔法の気配を感じていられるおかげだった。
 どこまでいくのかは知らないが、逃がすつもりは無い!
「ヒロトさん! 手を!」
 ユリアさんが“飛んで”来た。風を操っているらしい。全身が新しい悪寒に襲われる。あの男の感覚がわかりにくくなったが、走るよりは断然追いつける確率はあがるだろう。
 ユリアさんの手を強く握る。全身が風に包まれ、体が家々の屋根を軽く飛び越える。下に視線を向けると、レンさんも屋根の上を駆けていた。
 遠くに、鎧男の姿を捉える。
「ユリアさん、あそこだ!」
「はい! 一気に飛びましょう、ヒロトさん!」
 力強く、真っ直ぐに。
 風を切り裂き、俺達はその姿に追いすがった。




 たどり着いた先は、丘の上。日は沈み、世界はその色を深く静かに染めていく。
 誰彼時。
 男は俺達を待ち受けるように、そこに立っていた。
「ふん、しっかりと追ってきたか。まあ、そうでなくてはな」
 遠雷の様に腹の底に響く太い声。威圧感にすくみそうになる体を叱咤する。気力で負けるわけにはいかない。
 男に向かって立っているのは俺とユリアさんとレンさん。美羽と美優はさすがに追いつけるわけがなかったんだろうが、そちらのほうがいいだろう。この男は、どう考えてもまともじゃない。
 突然の凶行に巻き込まれた陽菜は涙を流していた。その顔が恐怖に染まっている。
 怒りが芽生える。目の前に男に対する、明確な敵対心。
「お前は……ポーキァの仲間か」
「仲間という表現は正しくないが、まあそういうことだ。俺の名はファイバー。一応、俺がリーダーとして仕切っている」
 ファイバー……こいつが、この世界を壊そうとしている連中の、リーダー。
 あのポーキァや変態仮面をまとめている男か。ということは、やはりこいつも、それだけの力を備えているということか。
 緊張が生まれる。もしかしたら仲間がどこかに隠れているかもしれない。
「安心しろ。さっきも言ったように、今日は挨拶に来ただけだ」
「いきなり人を誘拐しておいて、そんなこと信じられると思ってるのか?」
「いずれは滅びるこの世界。お前達を釣る餌となって死んだとして、そんなことは些細な問題だろう」
 ――あ? 今なんつったお前。
 ふざけたことをぬかしやがって……!
 今にも飛び掛りそうになる俺の腕を、ユリアさんが小さく引いた。それだけがギリギリのところで理性を繋ぎとめていた。
「挨拶と言ったな。それはつまり、我々に対しての何かしら話をしに来たと言うことか?」
「話が早くて助かるな、騎士よ。すでにポーキァから話は聞いているだろうが、俺達はこの世界を結果的に破壊することになる」
 ポーキァが言っていた目的を達成するための手段。そのために、この世界を破壊すると言う話。
 何度聞いても、納得できないし腹の立つ話だ。
「その際、ぜひともその姫君の力を利用させてもらおうと考えている」
「お断りします! この世界を滅ぼすことに手を貸せなどと、そんなふざけた事!!」
 怒りを露にするユリアさんに、男は苦笑を浮かべた。
「あなたは変わらないな。だがその心根の強さが、また誰かを巻き込むことになるぞ。それがその男であるのなら、それもまた奇縁というものだが」
 苦笑交じりのファイバーの意味深な言葉に眉をひそめる。
 なんだ、何を言っている?
 ファイバーの言葉が理解できず、俺もレンさんも困惑した。が、ユリアさんは何かに気づいたのかはっと息を呑んだ。
「あなた……あなたは、まさか、あの時の!?」
「思い出したか、姫君! 直接顔を合わせるのは、二度目になるか。そしてそこの男! 姫君が貴様を頼ったのは偶然かはたまた必然か。その目、その髪、その魔力! 計画の最後であの男の息子と出会えたこの奇跡は、果たしてどのような結果をもたらすのか」
「な、に? あの男の、息子? 俺が息子って、じゃあお前……親父のことを知ってるのか!?」
 ファイバーの言葉は、俺には信じられないものだった。
 親父がこいつを知っている? なんだそれは、どういうことだっ!?
「何も知らないか、小僧。それもまた仕方の無いことなのかもしれんな。貴様の父親――タイヨウには以前、我々の計画を徹底的に邪魔されたのだ。それだけでなく、幾度も幾度も、俺とは刃を交えた」
 親父が、この男と? いったいなんでそんなことを。親父はいったい、何をしていたんだ?
 親父の背中を思い出す。力強くもやさしく撫でてくれた掌を思い出す。親父、あんたはその手で何をしていたんだ?
「もう何年も前になるか――タイヨウを斬ったのは」
 ――――。
 ――――――――――、は?
 今、こいつ、何を言ったんだ?
 斬った? 誰を、誰が、斬ったって? タイヨウ? だって、おい、待てよ。タイヨウって、大洋って。
 ……親父?
「黙りなさい、ファイバー!!」
 叩きつけるようなユリアさんの言葉にはっと息を呑む。しかし肉体はまるで意思を無視してしまっているようで、指先さえも動かない。
 呆然と立ち尽くすその間もファイバーの言葉は続く。
「姫君を攫おうとする我々を、命を懸けて退けたのだったな」
 は。はは、は? え、いや。何?
 もう、何が、なんだか、わからない。
 ファイバーが浮かべている嘲笑も、ユリアさんが今にも泣き出しそうな顔で俺を見ているのも。もう、何も理解できない。
 なんなんだよ……今日は、いったい、なんなんだよ!?
 混乱する思考に飲み込まれる。自分がいったいどこに立っているのかさえも、わからなくなりそうな。
「ふん。この程度の心か。あの男の息子とはいえ、所詮は子供と言うことだな」
「貴様、貴様がヒロト殿の父君を斬ったのか。貴様があの騎士を斬った男か!」
 激情と共にレンさんは刃をファイバーに向ける。迷いの無い、曇りの無い刃が白い月の光と沈む紅の夕日の光を弾き輝く。
「そうだとも、そして我々はこの地で我々の悲願を叶える力を得る。旅を始めて幾星霜、我々の最大の敵の安住の地を、我々の夢を得る地とする」
 くそ、くそ、くそくそくそ!
 いきなり現れて陽菜を攫ったと思えば、今度はわけのわからない事をごちゃごちゃと! 悲願? 夢?
「お前はわけのわからないことをごちゃごちゃ言ってねえでさっさと陽菜を放せばいいんだよ、このメルヘンオヤジ!!」
 気付けば、逆上した喉からひとりでに怒りが迸っていた。
 あれ? 俺今なんていった? レンさんとユリアさんが地味に気まずい表情をしている。何かまずいことを言ってしまったんだろうか?
 さっきまではあんなに達者な口を利いていたファイバーも黙ってしまっている。気のせいか怒っているように見える。何故。
「あっはっはっは! こりゃあいいや、ファイバーをメルヘンオヤジなんて、面白い子供じゃないの!」
 暗闇の奥から現れたのは、女だった。腹を抱えて笑っている。
 メルヘンオヤジ……そうか、俺、メルヘンオヤジって言ったのか。自分で言うのもなんだが言いえて妙だな、おい。
「やれやれ、私は変態仮面でファイバーはメルヘンオヤジ。命が惜しくないのですか、君は」
「怖いもの知らずってのもここまで来ると見物だよなぁ」
 さらに現れた、仮面の男エラーズと雷小僧ポーキァ。
「はぁ。僕としては穏便に済ませたいのですけども」
「ぐルルルル……」
 筋肉質ながらどこか頼りない風貌の男が、異形の獣を引き連れて現れた。
 総勢六人の、歳も性別も肌の色も、それどころか人間ですらないものすら混じった集団。その誰もが、異様な雰囲気を纏っている。
 目的のためならば他者の命を顧みない、ただ願いへの純粋さを突き詰めて突き詰めて突き詰めた、剥き出しの刃のような空気。それをおそらく、人は狂気と呼ぶんだろう。
「ガザベラ、エラーズ、ポーキァ、バードック、ガーガー、そして俺、ファイバー。我々六人が、この世界を砕きそれに連なる世界を砕き、己の願望のためにすべてを巻き込む罪人であり勇者だ」
 ファイバーは鋭い視線に焼き殺すと言わんばかりの灼熱の意志を込めて、陽菜をするのとは逆の腕を掲げる。
「この世界で我々に立ち向かう事を許すのは、貴様らだけだ! それは貴様らが我々の計画の一部に組み込まれており、貴様らは我々を止めるために立ち向かわなくてはならないからだ! 貴様らは罠とわかっていながら、我々に立ち向かわなくてはならないのだ!!」
 そうしなくては、世界が滅びる。
 この世界が、なくなってしまう。
 美羽が、美優が、陽菜が、乃愛さんが、貴俊が、沙良先生が生きるこの世界が。ユリアさんが、レンさんが、エーデルがやってきて、ともに日常を刻んだこの世界が。
 こいつらの身勝手な夢とやらに巻き込まれて、消えてしまう。だから俺は絶対に、こいつらを止めないといけない。
「それにしても、この女の子も面倒に巻き込まれちゃったわね~。ごめんなさいね、怖い思いをさせちゃって」
「やっ……!」
 ガザベラは陽菜の頬をつ、指でなぞる。陽菜の顔が恐怖に歪む。それを見たガザベラの瞳が、嗜虐に歪んだ。
「大丈夫よぉ、もう怖い思いはさせないから」
「え、ほ、本当に?」
 陽菜の瞳に小さな希望が宿る。
 だが、俺はそのガザベラの顔を見て背筋が凍りついた。
「ええ。だってあなた――このまま死んじゃうんだもの」
 ガザベラの言葉に、陽菜の顔から血の気がなくなる。その首に、氷の刃が突きつけられる。
「動くんじゃないよ! 動いたらどうなるか、わかってるだろ?」
 前に出ようとする俺を鋭くけん制するガザベラ。くっ、動けない! けど、動かなければこのままじゃ陽菜が!

 ――わんわん。

 どうする? 考えるんだ。何か裏をかくことはできないか? 真っ向からぶつかっても勝ち目は無い。それじゃあ陽菜を守れない。何か裏をかくような、場面をひっくり返す手段を!

 ――わんわん。

 どうにかしなければ、陽菜が襲われてしまう、傷ついてしまう。どうにかして、あれをどうにかして。

 ――わんわん。

 視界が赤く黒く暗く染まっていく。いつかの世界がゆっくりと重なっていく。いや、入れ替わっていく。知らない景色に、封印された記憶に、すべてが入れ替わっていく。
 助けなきゃ。守らなきゃ。俺が、俺の、この力で。

 ――わんわん。

 犬を、どう、したんだ、俺は?
 陽菜と目が合う。恐怖に歪み涙を浮かべるその視線が訴えてきている。
 怖い、誰か。誰か。そう声にならない悲鳴を叫び続けている。
「ヒロ君――」
 あの時と、
「ひろくん、たすけて」
 同じように。
「あああああああああああああああああ!!!!」
 がらりと世界が入れ替わる、すり替わる、裏返る。
 否。これで、全てが、元通り。否、それこそ否。
 この程度、全てと呼ぶには程遠い。しかし今この現状をこの痛みを苦しみを絶望をまとめて駆逐するのには必要十分を軽く満たす。ばかばかしい、実にばかばかしい。裏をかく? あほか俺は。目の前の壁は、ぶち抜くもんだろうが。
「何っ!?」
 瞬間、ガザベラの氷の刃が粉々に砕かれ――いや、貫かれる。それだけじゃない、そこかしこの地面、草木、大気が分別なしに次々に貫かれる。
 これは、この現象は、まさか――ぁぐっ!?
 鋭い頭痛に阻まれて思考が阻まれる。次いで脳裏に浮かんだイメージによって心臓が締め上げられた。
 貫かれたことで剥き出しになった、犬の脳髄。削られた胴体と零れる血肉。臓腑があふれ血が流れる。加速する思考の中で湧き上がる妄想はしかし疑いようのない現実を突きつける。眩暈と吐き気に体が曲がる。
 それでも瞳は逸らさない。前を見る目は逸らせない。
「ヒロトさん、ヒロトさん! しっかりしてください!!」
「ヒロ君、やめて、だめだよヒロ君! 思い出しちゃだめええ!!」
 平衡感覚が失われ、どうにか立っているのはユリアさんの支えがあるからだった。その間も、世界のそこらじゅうが次々と貫かれ、削られ、抉られる。
 間違いない。これは制御を失った、俺の魔法だ。なんで、こんなことになっている!?
 どうにか魔法を抑えないと!
「……、はあ、は。つっ、くそ!」
 力が抑えられない。完全に暴走してしまっている。
「くそ……レンさん、すみません! 陽菜をお願いします!!」
 無差別に放たれる魔法は連中にも混乱を与えていた。レンさんはうなずくと、剣を大きく振りかぶって地を裂かんばかりに叩きつけた!
「走れえええ!!」
 剣から生まれたのは地を割き進む光の斬撃。突然の攻撃にバランスを崩したファイバーの腕から、陽菜が解放される。
 そこに素早く割り込んできた青い影。どこからとも無く現れたエーデルが陽菜を受け止めると、風を纏って大きく跳ぶ。その腕の中の陽菜を急いで覗き込むと気を失っていた。
 と、エーデルと視線がぶつかった。
「レディを守ることもできないのかい、ヒロト君? それに何だその無様な姿は。まったく、情けないね」
「一応、礼は言っておく。それよりも、早くこっから離れろ! 魔法が抑えられない!」
 いつみんなを巻き込んでしまうのかわからない、その前にみんなだけでも。だが、そんな俺の背後から三条の光が伸び、ファイバーたちに襲いかかる。三条の光――炎、雷、水――は暴威を撒き散らす。
 振り返ると、その光を操っていたのは――美優!?
 美優は珍しく険しい表情を浮かべていた。どういうことだ、美優が何故あんな通常魔法じみたものを扱っている!?
「兄貴、大丈夫……じゃないみたいね。今から力を吸い取るから、覚悟してよ!」
 駆け寄ってきた美羽の手の感触が背中に触れると、俺の中からどっと力が抜けていくのがわかった。同時に、暴発していた魔法が鎮まっていく。代わりに全身を覆うような疲労が生まれるが、これは仕方が無い。
「ヒロトさん、大丈夫ですか?」
「平気、でもないかもしれないけど、へばってもらんないでしょ、この状況は」
 ユリアさんの気遣う視線に笑顔で返す。
「なるほど、気概はあるようだな。それでこそだ。あの男の血を継いでいるだけの事はある」
「親父のことは今は関係ないだろうが。結局、お前らは何をしようって言うんだ」
 だが、ファイバーは余裕の表情のまま口を閉じる。答えるつもりは、無いようだ。
 が、その表情が唐突に崩れる。
「これはこれは、二度と見たくも無い顔をこんなところで見ることになるなんてね。まったく世の中、うまくいかないものだな」
「ノア・アメスタシア? く、はははは! そうか、確かにお前がここにいてもおかしくはないか!」
 乃愛さんとファイバーは面識があるのか? それに今、乃愛さんを何と呼んだ? ノア・アメスタシア?
「事情は後で話そう、ヒロト君。すべてを君に、打ち明けなくてはならないだろうからな」
 その後ろから、貴俊と沙良先生も姿を現す。これで、いつもの面々が全員揃ったことになるのか。
「いいだろう。そちらにお前がいると言うのならあえてすべてを告げる意味はないな。今日はこれでいったん引き上げさせてもらうが……いずれまた、会おう」
 その言葉を残し、ファイバーたちはその場から消え去る。
 多くの謎を残したまま、取り残された俺達はただそこにたたずむことしかできなかった。ただ、その中の誰にもわかっていることがある。
 これから、かつてないほどの嵐がやってくる。
 自分の無力さを感じながら、拳を強く、ただ強く握る。不甲斐ないと、これほどまでに感じたことは無い。
 その手を、ユリアさんがそっと握ってくれた。
 愛しみと優しさと、苦しみの混ざった瞳で。
 たくさんの謎が生まれた。そして、それらに答えを出さなくてはいけない。
 それだけは、はっきりとしているんだと思う。
 たとえそれが、苦しみを伴うことだとしても。
 だけど、今は。
「ユリアさん」
「はい?」
「…………ありがとう」
「……はい」
 この優しい温もりを、ただ感じていたかった。
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