世界が見えた世界・6話 B


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 結城大翔ですが、居間内の空気が最悪です。
 唐突に現状報告してしまった。今日は文化祭で、普通ならわくわくした状態で学校へ向かう日のはず。そのはずなんだ……。
 それなのに……なぜか美羽はあの夜から一言も口をきいてくれないし、ユリアさんも事あるごとにあのプレッシャーを放ってくる。
 ちょっと怖かったけどちゃんと話したよ? 美羽にもちゃんと謝って、無理をしない事を条件に口を出さず家でみんなの事を待つと伝えた。ユリアさんも怒っていないって何度聞いてもそう答えてた。
 だったら何でこんなに重苦しい空気が漂ってるんですか。
「あのー、みなさん。き、今日は楽しい文化祭なワケですが……」
「知ってるよ。生徒会がどれだけ苦労して準備したと思ってるわけ?」
「学園でも皆さん精力的に活動なさっていましたからね。ええ、本当に楽しみです」
 ゴゴゴゴゴ。二人の背後にそんな文字が見える気がする。どう見ても怒っています。本当にありがとうございました。
 この二人の妙なプレッシャーのせいで美優もレンさんも食卓での会話が妙に少ない。そのくせ、俺が洗い物をしてたり風呂から上がってきたりしたときはみんな和やかに会話している。そこに俺が入ろうとするととたんに空気が悪くなる。というか、この二人が拗ねる。
 いくら理由を問い詰めても『拗ねてなんかいない(ません)!』の一点張り。息も荒く頬を膨らませてそんな事言われても納得できないというか、どう考えても拗ねてるだろお前ら。いくら何でもお兄ちゃん怒るよ?
 ――とはいえ。
 状況に流されやすい俺が何か強いことを言える訳もなく。今日も今日とて、重苦しい朝食の時間が無言のまま過ぎていくのだった。
 ……はぁ。せっかく、みんなで回ろうと思ってたんだけどなあ、文化祭。




 学校の賑わいは凄いものだった。普段は交流のない学外と学内の唯一の交流の場ともいえるのだから当然だろう。学外からやってくる街の人たちの話は、それだけで学生――特に新入生の興味をかきたてる。
 それだけに、妙な騒ぎが起こったりもするわけだが。
「ま、とりあえず君らは祭りを楽しみたまえ。こんな状況では周辺調査もままならないし……なにより、そんな気分でもないだろう」
「ありがとうございます、先生……現状、祭りを楽しめる精神状態でもないですがね」
 理由なく目の敵にされてるとさすがに疲れる。
「彼女ら以外にも何か原因があるようだがね。君の最近の疲れ方は、なんというか、少々異常だ」
 乃愛さんには事情を話してある。ていうか口を割らされたのだ。
「異常……ですか? ていうか、そんなにくたびれて見えますかね、俺?」
「ああ。うーん、口では説明し辛いのだが……サラ、これはどういえばいいのかな?」
 沙良先生はいかにも興味がなさそうにこちらに視線を流す。どうやらぬいぐるみ改造手術に夢中で俺の相手どころではないようだ。
「ただ精神的に疲れとるだけってワケでもないやろ。せやなあ、確か、あの姫さんらが来たときみたいな感じに見えるな。アンタ、ここ最近まともに寝てないやろ」
「そんなことまで見てたらわかるんですか? なんか最近寝付けないんですよね」
 正確には、眠りにはつけるようになったもののたびたび妙な夢で目が覚める。夢の中で身に覚えのない体験をするのはわかる。けど、見たこともない景色を妙にリアルに見たりするのだ、ここ最近。
 それが、妙に気になるというか、なんというか。
「君は本当に不可解なことに巻き込まれる性質があるからね。まあ、今日は気にせず精一杯楽しむことだよ。せめて仲直りくらいはしてみせたまえ。仲直りというのが正しい表現かどうかはさておき、ね」
 乃愛先生の励ますつもりがあるのかないのかよくわからない激励を受けて、保健室を後にする。とりあえずは一度教室に戻って、それからどうするか決めるとするか……。

「よく言えたもんやな、乃愛……まあ、それが結城の為なんやっていうんやろ、アンタはどうせ」
「最近は、それでいいのかもわからないがね。むしろ彼は、全てを知ったほうがいいのかもしれないとも思うよ」
「はん。難儀なのはアンタもアイツも一緒やな。そういうんは、ウチは結構や。……ちょっと寝かしてもらうで」
「ああ。私はもうしばらくここにいるよ。オヤスミ、サラ」




 教室はなかなかの盛況を見せていた。まあ、この狭い教室に店が3つもあるのだ。ジャンルもばらばらだし、ぱっと見て興味をそそられるのは確かだろう。だが、解せない店がひとつだけある。
「貴俊、あいつらは何故水着姿でワッフルの販売なんて狂気的な行動に走ってるんだ?」
「インパクトが大事だとか言ってたぜ? まあ、インパクトはあるな。愛がないけど」
 いや愛はひそもそも必要ないだろう。そういう貴俊はかつおのたたきをきれいに切り分けていく。嫌味なくらいに様になっていた。俺はその隣でたたきをパックにつめてたまねぎとタレをかけるかかり。隣や後ろには梱包係や冷凍されたかつおを解凍する係りなど分担作業が行われている。
 つーか、みんな妙に熟練してるんだが、お前ら普段なにしてるんだ。どう考えても数日の練習の成果の手つきじゃないぞ。
 残るひとつの店は女子中心の店で、パイを販売している。ユリアさんもその店で販売員をしたり、なれない手つきでパイを作っていた。クラスメイトと楽しそうにしている姿がほほえましい。
「――――――――っ!!」
 ……目が合った途端物凄い勢いで逸らされたけどね……。ちょっと泣きたい。
 ああ、ちなみにワッフルを売っている店の店員は全員男子だ。だからなるべく視界には入れないようにしている。誰も買わないだろうとか思っていたら意外と普通に客が入っていて正直納得いかない気分。
「おいおい……大翔お前、まだユリアちゃんとケンカしてんのか? もう1週間以上だろ。いったいなにやらかしたんだよ?」
「何もやってないってば……うわ、このワッフル滅茶苦茶うまいぞおい」
「すっげぇ練習してたからなあいつら。水着姿なのもその辺と関係があるらしいぜ? どうせお前、誰かといちゃついてるところでも見られたんだろ」
 二人でワッフルをほおばる。水着姿とこのおいしさがどういう関連を持つのかがまったく理解できない。店員全員ブーメランパンツでワッフルがうまくなる魔法でもあんのか。
「いちゃつくって……相手がいないだろ、相手が。大体、それを見て俺が怒られるのも納得がいかないじゃないか」
「……はああぁぁぁ。まあお前にそういう機微を期待すんのが間違ってんだろーなぁ」
 これでもかといわんばかりの盛大なため息。なにをそんなに呆れてるんだ、こいつ。
 貴俊は『お前は何もわかっちゃいない』だの『それじゃあ俺の愛を受け止めきれない』だの『むしろ俺を愛せ』だのいつもどおりわけのわからないことを口走りながら、華麗にかつおを捌いていく。
 こいつ、たまに妙な技能とか知識を持っているけど、この見事な包丁捌きもそのひとつだろうか。
「どーでもいい知識と技能ってのは溜め込んどいて損ないぜ? イロイロと役に立つからなぁ。知ってんだろ?」
「お前の役立たせ方が偏ってるのだけはよーく憶えてるよ、寒気がするほどにな」
 あまり思い出したくもない記憶が浮かび上がってきた。
 あー、あの時は痛かったなぁとか、あの時は死ぬかと思ったなぁとか、あの時は本気で殺意芽生えたなぁとか。ろくでもない記憶ばっかりだ。
「おうおう、愛のなせるワザだな! その愛に免じて、今日は手伝いもういいから自由に回ってきていいぞ」
「うん? まあ、別に俺がいなくても店は回るだろうけど。いいのか、俺だけ回ってきて」
「別にみんな割とテキトーにやってるしなー。それに、せっかくの祭りだ。仲直りの機会にはもってこいだろ? こっちは俺たちに任せてさ」
 周りの生徒がうんうんとうなずく。クラス中から喧嘩中と認識されている俺だった。なぜか美羽が機嫌悪いことまで知れ渡っているのだからタチが悪いことこの上ない。
 せっかくだし、貴俊の言葉に甘えることにするか。仲直り……か。ユリアさんは同じ教室内にいるから誘いやすいな。美羽は生徒会で動き回ってるし見つけるのは難しいかも。せっかくだしユリアさんを誘ってみるか。
 ……考えるとちょっと緊張するな。いや、別に同居人に一緒に回ろうって言うだけなんだから、臆する必要なんてないよな、うん。
「というわけで貴俊、どうしたらいい?」
「そういう誘い文句ぐらい自分で考えろよ。つかお前がどうしたいんだよ」
 俺がどうしたいのか、といわれましても。とりあえずはまあ、何故機嫌が悪いのか。いや、それはもういいから、とにかく機嫌を直してもらいたいってところか。このままじゃ家の中の空気も悪いし、俺も精神的にしんどい。あと、正直話しかけて無視されるのがすごく寂しい。あの笑顔が自分に向けられないことがひどく寂しいのだ、なぜか。
「正直、一刻も早く仲直りしたいです。助けてください」
「お前なぁ……。いや、いいからとにかくユリアちゃんを誘って色々まわってこい! いいか、とにかくキーは会話だ。会話をして相手のテンションを盛り上げるんだ。祭りなんだし話題には困らないだろ? あとは勢いだ。なーに、ユリアちゃんだってお前に誘ってもらえば悪い気はしねーよ。それどころか嬉しいんじゃねえ? ほら、わかったら無意味に悩んでないでとにかく行ってこいって!!」
 貴俊に背中を押される。くっ……貴俊の言うとおり、覚悟を決めるしかないようだ。
 俺は戦地に赴く武士のような気持ちで、ゆっくりと足を踏み出した。いざ行かん、我が戦いの場へ――!
「すみません、たたき2パックくださーい」
「「まいどあり~~!!」」
 悲しいほどに商売人根性が染み付いた俺だった。




 喧騒で賑わう学校の中を無言で歩く一組の男女。片や美しさと気品を兼ね備え、その実中身は可愛らしかったり微妙にどじだったり天然入っていたりと狙ってんのかコイツなスーパーお姫様。片や特徴の乏しい顔に品性何それな雰囲気を垂れ流し、その実中身は学園きっての問題児の片棒とまで言われ昔の話をされると恥ずかしさで首を吊りたくなるようなお馬鹿な一般人。
 俺とユリアさんは一定の距離を保って、すたすたと早足で無目的に廊下を歩いていた。祭りを楽しむ側も楽しませる側も、それどころか客引きでさえ俺たちの前ではその道を譲る。ふははは、モーセにでもなったような気分だな!
 ……なんて、気楽な気分じゃいられないワケで。
 なんというか、ユリアさんの発する気配があまりにも――こう、近寄り難い。まるで硬質の壁一枚を挟んでいるかのような感じ。話しかけることを自然とためらってしまうような、そんな空気。この状態のユリアさんに声をかけられるのは、間違いなく空気が読めない奴だろう。
 何しろ、あのレンさんが『ヒロト殿。もはや私にはどうすることもできない! 頼む、姫様のご機嫌をどうか宥めてくれ! 私の力不足が恨めしい限りだが、私ではもはやどうすることもできないのだ』と涙ながらに語るほどなのだから。
 ちなみにその後、レンさんは涙を流しながら切腹に踏み切ろうとしてクラスメイト達に止められていた。確実に時代劇の影響が出てきている。
 ともあれ、このままではクラスメイト達にヘタレ呼ばわりされてしまう! 今動かずしていつ動けというのか。今だ、今この時こそ歴史を動かすときなのだ!! 空気が何だ、そんなもの読めてたまるか!!
「というわけでユリアさん! 何か食べたいものとかない?」
「え……あ……は、はい。その、なにがあるんですか?」
 ごめん知らない。勢いだけで口にしたから。ぐるりと辺りを見回してみる。
 とりあえず目に付いたので、ゴーヤーチャンプルー、ウエディングケーキ、ステーキ、ホイコーロー、枝豆、バナナひと房。ちょっと待てお前ら、どう考えてもこのラインナップはおかしいだろ。何で客側も普通に買ってんだよ。バナナとかスーパーで買えばいいだろなんで文化祭で買うんだよ!?
「あ、バナナがおいしそうですね!」
「そこで出てくるチョイスがそれ!? いや食べたいのなら俺はぜんぜんかまわないけど!!」
 バナナのおいしさを否定するつもりはない。みるとこの店で売っているバナナは超高級品らしい。さらに、バナナを台の上に置くことはせず壁から壁にロープを渡して、そこに吊り下げる形で並べている。細やかな気遣いがうれしい。けど、なんか努力の方向ちがくない? 文化祭でやることじゃないと思わない? そう思うのは俺だけ?
 ……まあ、ウチのクラスも似たようなもんか。学校自体が変なところあるしな。
「ヒロトさん、おいしいバナナの選び方とかはあるんですか?」
「ああ、あるよ。まず、青いのよりは表面に黒い斑点ができているほうがいいな。それから、表面が角ばっているのはバランスよく熟していないからこれも除外。あとはヘタに傷がないものを選ぶといい。とりあえずこの辺を考慮した上でさらに俺の審美眼を掛け合わせると……これがこの中でもっともうまいバナナだと俺は睨む!!」
 数あるバナナの中からひと房を手に取り、天に掲げる。見よ、感じよ、この芳醇なる果実の香りを!!
 いつの間にか集まっていたギャラリーどよめき、拍手を浴びる。うん、凄く恥ずかしい。なにしてんだ俺。
「……これください」
 まいどありーという店員の声を後に、急いでユリアさんの手を引いてその場から離れる。さらに湧き上がる歓声と規模を増す拍手。なにやら言っているようだがそんなことを気にしている余裕なんかとうの昔に吹っ飛んでいた。
「ヒ、ヒロトさん、どこまで行くんですか?」
「え、ああごめん。ちょっと焦ってた……ああ、丁度いいか。せっかくだし、屋上でのんびり食べようか」
 立ち止まった場所は屋上に続く階段の前だった。どのくらい逃げてきたのか。
 俺の提案にユリアさんがうなずき、俺たちは屋上への扉を開いた。吹き込む熱気が顔にかかり、思わず顔をしかめる。
「うわ。さすがに、もう今の時期は大分暑いな。ユリアさん、大丈夫?」
「平気ですよ、太陽くらいなんてことないです」
 うん、ならOKだ。
 屋上に出て日陰にはいる。はぁ。なんだか何もやっていないのに妙に疲れたな。それを考えると、バナナを買ったという選択は意外とナイスチョイスだったのかも。栄養価高いし。疲れたのは自業自得なんだけどさ。
「あの……ヒロトさん…………」
 そんなことを考えていると、ユリアさんがうつむきがちに声をかけてきた。なんだろう。
「……その……手を…………」
 て? てって……ああ、手か。
 ――手。手って。手っ手。てっていう。
 なんか、妙に右手があったかくて柔らかくて、ちょっぴり汗ばんでいて。ずっとその感覚を、握りっぱなしで。
 視線がゆっくりと右手におりていく。見るまでもない。俺の右手は、しっかりとユリアさんの左手をにぎっていた。
「「…………」」
 慎重な動きでそっと右手を離す。ユリアさんはうつむいたまま、解放された左手を胸によせ、右手で包みこんだ。その優しい、いとおしげな仕草になぜか胸が揺さぶられた。
 沈黙が場に降りる。けれどそれはさっきまでとは違う。背筋がムズかゆくなりそうな、この場から大声を上げながら走り去ってしまいたいような、妙な衝動がくすぶった沈黙だ。さらに言うと……なぜか、さっきの沈黙とは違い、居心地が悪いのに居心地がいい。よくわからない空気。
「バ、バナナ食べましょう、バナナ! せっかくヒロトさんが選んでくれたおいしいバナナですから!!」
「そ、そうだな! なんか高級っぽいし食べないと損だよな!!」
 あは、あははははははははっ!!!!
 空々しい笑いが青空に吸い込まれていく。ユリアさんの顔が妙に赤いのはたぶんいきなり屋上に出て熱いせいだろう。だから俺の顔が妙に火照っているのもそのせいだ。うん、その通りだ。よし食べよう。バナナ食べよう。
 二人並んでフェンスに背を預ける。かしゃんと小さく金属がこすれる音が響く。
 空は青く、空気は澄んでいる。ところどころに浮かんだ真っ白な雲がゆったりと流れていき、その間を切り裂くように一筋の飛行機雲が横切っていった。下から聞こえてくるのは祭りの喧騒。笑い声や叫び声、たまに泣き声なんかもまざった、浮かれた陽気な祭りの喧騒だった。
 空は遥か、祭りも遠く。狭間の奇妙な空間で、バナナの皮をむいて一口ほおばる。程よい甘みと酸味が口に広がり、喉を伝っていく。
 せみの鳴き声や階下の喧騒は確かに聞こえるのに、ここにいるだけでまるで別世界のように遠い出来事のように感じた。空でも、祭りでもないここにいる俺たちは、まるで二人だけの世界にいるようだった。
「風が……気持ちいいですね。この世界の風は、すごく、活気があって、にぎやかで……元気がでてきます」
「ユリアさんの世界の風は、こっちとは違うの?」
 俺の質問に、ユリアさんは空を見上げた。フェンスが、小さく軋んだ。
「私の世界には、この学校みたいな巨大な施設はそんなにたくさんはありません。人々の住む家ももっと雑然と並んでいますし、道路の整備も王都を出れば荒地が続いているような有様です。でも……あの世界の風は、とても穏やかで、優しくて……ほっとするんです。どちらの世界の風も、私は大好きですよ。その世界の人たちがそこにいると、感じることができますから」
 静かに語る横顔からは、紛れもない深い愛情を感じた。彼女がいかに自分の世界を愛しているのか、それだけで理解できた。
 少し、羨ましいな。俺はそんな風にこの世界を愛することはできない。正直な話、この世界が崩壊すると聞いてもいまだに納得できないし、もしそれが本当だったとしても……俺はきっと自分が何もしないだろうと、そう気づいていた。
 あのとき、ユリアさんに自分が何かできないかと聞いたのは――たぶん、意地とか、そういうのだ。この世界がなくちゃ生きていけない。それはわかってる。でもあのとき、俺が何よりも納得ができなかったのは、この世界がなくなることよりも、ユリアさんの役に立てないこと。
 ただ、それが悔しかっただけなんだ。
 つくづく、自分の器の小ささにはあきれ返るばかりだ。これじゃあ、美羽や美優の兄貴として役不足だと言わざるをえんな。最近の2人は俺よりもしっかりしているくらいなのだ。今この瞬間にでも、俺は必要とされなくなるのかもしれないのだ。
「俺の親父はさ、どんな仕事やってるのか知らなかったんだけど、世界中のいろんなところを飛び回ってたんだ。俺もたまについていっていろんな街を見たりした。あの頃はただ、そうやっていろんな物が見れるのが楽しかった」
 親父も母さんも生きていた頃の事だ。母さんが死んでからは親父は長い期間家を留守にすることはほとんどなくなったし、兄妹3人はずっと一緒だった。だからもう、最後に親父とどこかに行ったのは……十年近く前になる。
 いや、そうだ。親父が死んでしまう少し前、ちょっとだけ、親父と一緒に見知らぬ街に行ったっけ。毎度の事ながら、どこへ行ったのかは憶えていないけど。ただ、そう。俺はそこで。
「最後の旅のときに親父が『ヒロはこれから沢山苦労するだろうから、そんなときは今まで行った街の事を思い出すといい。行った事だけでも思い出すといい。その街の事は憶えていなくてもいい。ただ、そこへ行った事、世界中に、自分が行ったところがある事、それを覚えているといい。そして一番大切なものがある場所を、よく考えてみるといい』って、言った。今、なんとなく思い出したよ、そんな事を」
 親父がなにを言いたかったのかよくわからなかった。そもそも今まで深く思い出すことのなかった言葉だ。でも、なんとなく……ユリアさんの言葉を聞いて、親父の言いたいことがわかったような気がした。
 世界を愛するということ。俺にはやっぱりそれはよくはわからないけど……でも、想う。想い描く。この世界にはありふれた幸せが、不幸があって。そこに人がいる。そんな全てを愛するということ、俺がここにいるということ、だれかがどこかにいるということ。自分と同じように立っている人がいるということ。
 一人でも、独りじゃないこと。
「今でもやっぱりよくわからないけど……それでも、ユリアさんのおかげでなんとなく、親父がそう言った気持ちがわかった気がする。ありがとう、ユリアさん」
「な、ななな、なんですかいきなり。そ、そんなほめたって何もでませんよ!」
 頬を赤く染めたユリアさんの手のひらがぺちぺちと俺の腕を叩く。あははは、ぜんぜん痛くないぜ。むしろくすぐったいくらいだ。
 心地よい、ふれあい。
「ところでユリアさん、調査のほう、はかどってる?」
「あ、はい。学園の周囲のどの辺りが異常が濃いかを調べて、特に濃い部分を特定しています。えーっと、つまり、異常の中心点を探っているんです。一応、当初の予定通りに進んでいます」
 そっか、順調か。一応乃愛さんにもちまちま聞いてはいたんだけど、あの人は別件で忙しいから調査の詳しい段階までは知らないっていってたからな。ユリアさんの口から聞けて安心した。
 ――それに、どこかのガキが来た様子もないみたいだし。来たら来たで乃愛さんの言うガードの人やアホ王子が何かしらの動きをみせてると思うけど。
「そっか。よかった。こうやって空を見てると、世界が1年で崩壊してしまうなんて信じられないよな」
「はい……私も、たまに思います。世界が崩壊なんて事しなくて、何事もなく、ずっとみんなでこうやって過ごしていけたらいいな……って」
 確かに、それが一番だろう。何もない日常がずっと続いていく。そんな当たり前をどうしても望んでしまう。
 ……当たり……前?
「ああ……なんだよ、ちくしょうめ」
 はは、はははっ。そうだ、当たり前なんだよな。俺たちが、俺とユリアさんがこんな風にしていることが。こんな風に、していられることが。だから落ち着かなかった。だから寂しかったんだ。そんな当たり前からはじき出されて。
 それほどまでに、俺は新しい家族たちをもうどうしようもないくらいに、家族だと、思っていたんだと思い知る。
「さーて。いつまでもこうして座ってるのもなんだし、祭を楽しみに行こうか。まだ色々、見たいものあるだろ?」
 立ち上がり、体を天に向かって大きく伸ばす。
「はい、そうですね。私、こちらの世界の祭がどういうものか、とっても興味があります」
 ユリアさんも立ち上がり、スカートをはたく。さて、今日の学校はお祭り騒ぎそのものだ。いくらでも楽しむすべはある。
 頭の中でどこでなにをやっているのかを思い出しながら、前を行くユリアさんの後を追って足を踏み出して――
「……あん?」
 グラウンドを見下ろすと、アホ王子が女の子2人組みをナンパしているようだった。
 ……おかしいな。一瞬、アイツがこっちを見ていたような気がしたんだけどな。気のせい、か?
「ヒロトさーん、どうかしたんですか?」
「あ、いや、なんでもない。今行くよ」
 もう一度、グラウンドを見下ろしたときには、アホ王子の姿はどこにもなくなっていた。
 ……また面倒なことになりそうだな。根拠もなく、そう思った。




 それから、ユリアさんと2人で文化祭を回った。射的や輪投げ、金魚すくいなどの基本の遊びに始まり、鬼ごっこや腕相撲大会などにも参加した。格闘大会なんかも行われていたが、魔法の使用が許されているため格闘じゃなくなっていた。そこでは、メイド服のままの姿のレンさんと貴俊がタッグを組んで次々に対戦相手を倒していた。
「おらおらどうしたぁ! せめてマイダーリン位とはいわねえが、その十分の一でも俺を追い詰められるやつはいねーかあ!?」
「いや……お前、店はどうしたんだよ?」
「はっはっは。なんかお前がいないとイマイチ暇だったから抜けてきた」
 ……こっちは俺たちに任せろとかなんとか言ってたくせに、結局それかよ。大丈夫なのか、ウチの店。
 意味もなく威張り散らす貴俊に頭を抱えた。
「大翔もどーだ一戦? いやー、もうさっきから連戦連勝で面白みがねーんだ。レンさんが滅茶苦茶強いしな」
 そりゃー強いでしょうともよ。レンさんを見るとなにやら複雑そうな表情。
「レンがこういったのに出るのは珍しいわね。ちょっと驚いたわ」
「いや……私は遠慮したのですが、なぜかいつの間にか出ることになっていて」
 無理やり引き込んだらしい。少しは自重しろ貴俊。
「別に適当に負けてしまえばいいんですよ。アイツも飽きっぽいからしばらく遊ばせてりゃ勝手にやめるだろうし」
「戦うからには負けるわけにはいかないだろう」
 大真面目なレンさん。几帳面な性格の人は大変だな……。そして貴俊、期待に満ちた目で俺を見るんじゃない。俺は金輪際お前とはやりあわないって昔言っただろうが。
 その後もしばらく二人の独壇場だったが、貴俊が突然飽きてどっかに行ってしまうとレンさんもさっさと自分の仕事に戻っていってしまった。マイペースな二人組に散々もてあそばれた挑戦者達が屍の山を積み上げた伝説は、しばらく残りそうだ。


 美優のクラスに行くと、カフェをやっていた。軽食とドリンクを出していた。ところで、俺に出されたこの皿の上の黒い物体とコップに入ったコールタールのようなものは何だオイ。
「あの……わ、私が、作ってみたんだけど」
 ユリアさんの前には普通のケーキがおかれている。ユリアさんは固まった笑顔でこちらを見ているが、微妙に視線を逸らして俺と目をあわせようとしない。どうやら関わりたくないらしい。
 周囲から好奇の視線が集まる。その視線の一つ一つがおれに訴えかけてきている。食え……それを食してリアクションをみせてみろ……と!
 お前らふざけんなどう考えてもこんなの食べて人体が耐え切れるわけないだろ! ブラックホールを思わせるほどの黒さの上にたまにぴくぴくと震えるんだぞ? ためしにフォークを突き刺してみたら紫色の液体がぴゅーって飛び出すんだぞ!? ていうかフォークの表面が泡立ってるのは酸化してるんだよなこれ、溶けてるんだよなこれ!?
 これを食えと。俺に食えと!?
「………………………………。あ、あの、やっぱりいいよ、お兄ちゃん」
 そういって皿に手を伸ばした美優の目じりには、小さく涙が浮かんでいた。
「うわーいおいしそうだなこんちくしょうっ! 食うよ食えばいいんだろうがああ!!」
 ――――ええい、材料はまともなはず! 死にはすまいよ!!
  ぱくっ
「た――――食べたっ!?」
『おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!』
 歓声が。俺を称える声が聞こえる。
 ああ……この歓声があれば、俺はこの口の中に広がるカオスさえも許容できるかもしれない。そう、舌の上でどろりという食感を残し、喉を通るときはするりと滑り込み、胃の中に入れば暴れまわるこの物体も。
 口の中に辛さと甘さを撒き散らし、たとえようのない匂いで嗅覚を抹殺してしまうような、この物体を認め――
「られるかぁぁぁぁぁっ!! ごぶふぁっ!?」
 脳が危険を感じたのか、全神経をシャットアウト。唐突に意識が途切れ、ふっと体の力が抜けた。
「お、おおおおお、お兄ちゃあああぁぁっ!?」
「ヒロ、ヒ、ヒロトさあああん!?」


 途中、文化祭の運営に駆けずり回る美羽とも遭遇した。
「おう、忙しそうだな美羽」
「当然。方々で騒ぎが起こってるわよ。いっとくけど、変なことしたら承知しないからね兄貴」
 だから俺はそんなことしないから。
「お前祭楽しめてるのか?」
「楽しんでるわよ。アタシなりに楽しいと思ってやってるんだから」
 なるほど。世話好きの美羽らしいといえばらしいのかもしれないな。祭をこうやって影から支えて、みんなの楽しみを支えて。
 そういうことに喜びを見出すのも、まあいいだろう。……もっと自分のことに精一杯になってもいいとも思うけど。
「兄貴は――ま、楽しんでるみたいね。感謝してよね、この祭の運営、大変なんだから」
「おー、感謝してるって。終わったら飲み物でも奢ってやるよ」
 駆けていく美羽の後姿に声をかける。返事はないが、聞こえてはいるだろう。なんか、久しぶりにまともな会話をした気がするな。
「ふう……忙しさで頭が一杯で怒ってる余裕もなくなったか。それにしても、結局なんで美羽の機嫌が悪いのかわからなかったな」
「そういえば、美羽さん最近あまりヒロトさんとお話していませんでしたね」
 そうですね。でもそれ、自分にも言えるって気付いていってますかお姫様。




 やがて、祭りも終わりを向かえ、グラウンドの真ん中でキャンプファイヤーが炊かれた。その周りを生徒や教師、その他もろもろのが自由に踊っている。
 無論全員がそんなことできるわけもないので、交代になるし、そもそもその輪に入らない人たちもいる。
 俺とユリアさんは、その輪に入らずに外から眺めていた。
「今日は楽しかったです。一緒にヒロトさんとお祭を見て回ることができて、とても楽しかったです。ありがとうございました」
「俺も楽しかったよ。それにいろいろ思うところもあったし……こちらこそ、ありがとう」
 並んで壁にもたれかかって缶ジュースを飲みながら、燃え盛る炎を眺めている。祭りの終わりを予感させるせいか、炎は、どこか寂しさを感じさせた。
 もうすぐ祭りが終わる。いってしまえばそれだけなのに、それだけじゃないような、もっと大切なものが過ぎ去って行くような、そんな錯覚。
「思えば……こちらの世界に来てから色んなことがありました。いろんな人に出会いました。大切な、思い出がたくさん、できました。今まで知らなかった世界が、空が、大地が、風が、こんなに素晴らしいのだと、そう思いました。そこに住む人々がこんなに暖かいのだと、そう知りました」
 それは誰に聞かせるための言葉でもなくて、ただ、自然と思いが言葉という形を持って吐き出された、ただそれだけのことだったんだと思う。
「世界は炎のように力強く揺らめいて、私たちは火の粉のように頼りなくて。それでも、明るくて、暖かくて。この世界を好きになれて、よかったと思います。それだけで、私は、この世界に来れた意味があると、思います」
「うん……なんとなく、わかるよ」
 親父が言っていた事。まだどんな理由があったのかよくわからないけど。でも、確かに知らない世界を知るということは、それだけで俺の中に何かを残してくれていると思う。自分の知らない人たちが、それでも、世界のどこかで俺と同じように生きていること。あるいは俺よりも、ずっと必死に生きていること。
 そして、思い出す。自分にとって大切なものがある場所を。自分にとっての大切なものを。目の前にある、大切なものを抱える人々を見て、思い出す。
「ならさ……もっと、いろんなものを見ようか。いろんな思い出を、みんなで残そう。君がいなくなる、その日まで」
「………………は…………い」
 その小さな返事が妙に気になって、彼女を振り返ってみたけれど。
「どうしたんですか、ヒロトさん?」
 いつもどおりの笑顔があった。
 気のせい、か?
 そうとは思えなかった。でも、理由は聞けなかった。なんとなく、陰のある笑顔を浮かべる彼女に、その悲しげな笑顔の理由を聞くことは、俺にはできなかった。
 理由は、よくわからない。




 祭が、終わっていく。




「そういえば何で今まで怒ってたの?」
「……怒ってなんかいませんっ」
 いやほらそうやってまた拗ねる。その姿はまるで子供だ。
「ただ、そう。ちょっとだけ、わかったことがあるという、それだけのことです」
「わかったこと?」
「ヒロトさんが、ずるい人だと、悪い人だということです。いいですか、全部ヒロトさんが悪いんですからね?」
 それは何か、無茶苦茶を言われていると思った。なのに、ああそうなんだ、なんて思ってしまったのもまた事実で。
 こんな無茶苦茶を無理矢理納得させてしまう、そんな彼女に思わず、
「あー! 何を笑っているんですか、もう! ちゃんとわかってるんでしょうね」
「わかった、わかったよ。うん、俺が悪い、ね。なんかよくわかんないけど、今後気をつけるよ」
 顔を引き締めて答えた。とはいえ、何をどう気をつければいいのやら。
 彼女の言う俺の悪い部分がわからないのだから手のうちようが無い。せめて具体的に教えてくれたらもう少しどうにかしようがあるのだが、彼女はつーんとそっぽを向いてしまってとても教えてくれるようには見えない。
 それでもその様子は今朝までのそれとは違うものだった。どこがどう違うのかと聞かれれば、うまく説明できないけれど。
 うまく説明できないといえば、今の俺の状況もそれに該当すると思う。実に中途半端だ。
 何をするべきかもよくわからず、何ができるのかも判然としない。ただ守りたいものがあって、守ることだけは決めている。それが現実としてできるかどうかはわからずとも。
 それを決めるきっかけになったのは、果たしてなんだったんだろうか。
「ヒロトさん、また笑っていますよ?」
「あれ、俺笑ってた?」
 口元に手をやると、確かにそこには笑みが浮かんでいた。自然な、柔らかい。目の前の少女が浮かべるものと、きっと同じ。
 そのことが少し――いや、正直に言うとかなり、嬉しかった。
ツールボックス

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