終わる世界02-2

 食堂内を見渡す。
 いつも俺が座っている場所は既に埋まっていた。
 俺は窓際が好きなんだ。

陽 菜「あ、大翔くん」

 首をひねって声の主を探す。

大 翔「お?」

 沢井がトレイを持って俺の後ろに立っていた。
 トレイの上には既に空になった食器が置かれている。

大 翔「食堂にいるなんて珍しいな。いつも弁当なのに」
陽 菜「あ、う、うん。今日は気分転換に、食堂」

 なぜだか目を泳がせる。
 なにも慌てるようなことでもないだろうに。

陽 菜「大翔くんは?」
大 翔「ああ、あっちの方で食べてた」

 食堂の隅を指差す。
 食堂に来るのが遅れた理由を説明するのがめんどくさかった。
 今日の俺は嘘つきだ。

陽 菜「そっか」
大 翔「うん」
陽 菜「そういえば、今日来た留学生、大翔くんの家にホームステイしてるんだってね」
大 翔「あ、ああ。誰から聞いた?」
陽 菜「黒須川くん」

 あのお喋りめ。

大 翔「それ、クラスのみんなには黙っててくれないかな。教室から連れ出しただけで睨まれた。それがバレたらみんなの反応が怖い」
陽 菜「いいけど……ちょっと遅いかも」

 悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 沢井のこの表情を見たのは久しぶりな気がする。

陽 菜「もう黒須川くん、みんなに喋っちゃったし」
大 翔「……まじですか」

 落胆する俺を見て、沢井が声を出して笑った。
 あの超絶軽口男め。
 しっかり口止めしておけばよかった。

陽 菜「教室いったら、今度は大翔くんがみんなの質問責めにあうかもね」
大 翔「覚悟しとく」

 溜息をついた時、頭の上で鐘の音が響いた。 

陽 菜「あ……じゃあ私、いくね」
大 翔「おう」

 沢井は食器返却場所にトレイを置いて、食堂から出ていった。
 一緒に教室に行こうか。
 そう言えないのが、俺達の限界だ。
 壁にかけられた時計を見上げる。
 次の授業まであと五分。

大 翔「もうこんな時間だったのか」

 結局、俺は昼食にはありつけず、空腹のまま午後の授業とクラスメイトの取り調べを乗り切った。



大 翔「ただいまー」

 帰宅。
 だが返事は無い。
 玄関には靴が四足ある。
 一応、みんな帰ってきてはいるみたいだ。
 靴を脱いでそのまま二階の自分の部屋へ行こうとすると、居間へと続く扉の隙間から美優がこっちを見ていた。

大 翔「ん?」

 美優が手招きをする。
 階段の一段目を踏んでいた足をおろして、居間を覗き込む。

美 羽「……」
レ ン「……」

 美羽とレンがにらみ合っていた。
 いや、一方的に美羽がガンを飛ばしているだけで、レンは腕を組んで涼しい顔をしていた。
 そしてレンの隣ではユリアがいつもの柔和な笑みを浮かべている。
 体調はもう問題ないようだ。
 それにしても、

大 翔「どうしたのこれ?」

 空気が重い。

美 優「えっとね……料理の話になって……」
美 羽「じゃああなたはなんでも作れるわけね」
レ ン「ああ。できる」

 美優の説明を聞く暇もなく、口論(?)が始まった。

レ ン「君はできないのか?」
美 羽「で、できるわよ!」

 嘘はいけない。

大 翔「で? なんだって?」

 美優に続きを促す。

美 優「えと、ユリアさんが料理の話しだして、それでえっと、私は和食よく作るよって言って、美羽ちゃんは何ができるのってなって、いつの間にか喧嘩みたいになってて」
大 翔「なるほど」

 美優がしどろもどろに状況を説明する。
 あまり人を怒らせた経験がない美優はこういう場面に出くわすと、ちょっとしたパニック状態になる。
 そのせいでいまいち要領を得なかったが、なんとなくはわかった。
 何を作れるのか聞かれて美羽が困っているところをレンが何か言ったんだろう。
 それでプライドの高い美羽が怒り出した、と。

レ ン「君はなにを作れるんだ?」
美 羽「な、なんでも」
レ ン「ほう、例えば?」
美 羽「ちゅ……中華、とか」

 あの野菜を切って炒めただけの料理を中華と言い切るか。
 レンの言葉に悪意は感じられない。
 もしかしてレンは、美羽が気分を害していることに気付いていないんじゃないだろうか。
 普通に会話をしているつもりなのかもしれない。

ユリア「チュウカとはどんな料理なんですか」
美 優「えっと」

 美優が本棚から料理書を取り出して、ユリアにそれを渡す。
 ぱらぱらとめくる。

ユリア「おいしそう」

 興味深そうに料理の写真を眺めている。

ユリア「これ、作れますか? 食べてみたいです」

 ページを正面に向けて、本を掲げる。
 美羽が固まった。
 見出しの大文字がちらりと見える。
 『鶏の甘酢あんかけ』

美 羽「で、できるわ!」

 力強く嘘をついた。
 だ、大丈夫かよ……。
 美優も心配そうな目でそのやり取りをみていた。

美 羽「別に作るのはいいけど、あなたもなにか作ってよね! そんなに自信あるなら腕前みせなさいよ」
レ ン「いいだろう」
美 羽「勝負だからね!」
レ ン「あ、ああ」

 なんでそんな無謀な勝負を挑むんだ。
 ああ、くそ。

美 優「お、お兄ちゃん」

 美優が俺の学生服の裾をぎゅっと掴む。
 俺も不安だよ。
 二人が台所へと消えていく。
 その背中を見つめながらユリアの正面に座って、机の上にだされた煎餅に手を伸ばす。

大 翔「体調、大丈夫なの?」
ユリア「ええ、もうすっかり。ご心配おかけして申し訳ありません」
大 翔「いや、大丈夫ならいいよ」
美 優「なにかあったの?」
大 翔「ああ、ちょっとな」

 ユリアを心配しつつも、俺の意識は台所へと注がれていた。
 なにか手伝ったほうがいいかな。
 煎餅を一口かじって、立ち上がる。
 美優もついてこようとしたが、座ってろと手で合図する。
 台所では美羽が冷蔵庫の中身とにらめっこし、レンは調味料を手にとってそれをじっと見つめていた。

大 翔「なんか手伝おうか?」

 レンに声をかける。

レ ン「大丈夫だ」
大 翔「調味料とか、わからないだろ」
レ ン「なんとかなる」

 レンは醤油を少し指につけて味見をしていた。
 何かを確認するようにうんうん、と頷いている。
 いかにも料理ができます、という空気を醸し出している。
 これは美羽のやつ、惨敗だな。

美 羽「ちょっと、兄貴」

 美羽がドスのきいた声で俺を呼ぶ。

美 羽「敵に塩を送ろうって言うの?」

 よくわからないが、すごく怒っていた。

大 翔「敵ってなんだよ。俺はただ……」
美 羽「裏切り者! カメムシ!」
大 翔「カメムシ!?」
美 羽「出てけ!」

 ひどく罵られながら、俺は台所から追い出された。
 美優を見る。
 不安げな顔で首を振った。
 今の美羽ちゃんに手伝おうかなんて言ったら私でも怒られちゃう。
 目がそう言っていた。
 野菜を切って炒めるくらいしかできない美羽が、
 味付けは塩こしょうかカレー粉をかけることくらいしかしたことない美羽が、
 たった一人で本格中華に挑む。

 ぐぅぅぅー

 俺の腹がなった。
 そういえば今日は昼飯抜きだった。

美 羽「うわぁ!」

 台所から悲鳴と床に何かが落ちる音が聞こえてきた。
 果たして大翔はまともな食事にありつくことができるのであろうか?
 そんなナレーションが聞こえた気がした。



 午後七時三十分。
 いつもより少し遅めの夕飯。
 俺の空腹はもう限界だ。

美 羽「おまたせー」

 台所から美羽と美優が食事を運んでくる。
 俺の前に皿が置かれた。

大 翔「……」

 からっと揚げられた鶏肉の上に黄金色の餡がかかっている。
 人参の赤とピーマンの緑がほどよいアクセントになっていて彩りもいい。
 意外にも見た目は悪くない。
 鼻を近づけて匂いをかぐ。
 特にやばい香りはしない。

レ ン「私もできたぞ」

 台所からレンの声が聞こえた。
 美優が台所に走っていく。
 ほどなくして俺の前に二皿目が並ぶ。
 スープか。
 澄んだ琥珀色のスープの中に大きめに切られた野菜がたっぷり入っている。
 見た目は、うまそう。
 香りもいい。
 目線を前にやると、ユリアが手前に置かれた箸をじっと見ていた。

大 翔「箸の使い方、わかる?」
ユリア「ええ、さきほど美優さんに教えていただきました」

 箸を持って、器用に動かしてみせる。

美 優「たぶんお兄ちゃんより上手だよ」
大 翔「まさか」

 笑い飛ばす。
 ……こっそりと練習しておこう。

大 翔「さて、冷める前に食うか。いただきます」
美 優「いただきまーす」
ユリア「いただきます」
美 羽「召し上がれー」
レ ン「口に合えばいいが」

 まずは美羽の料理に手をつける。
 鶏肉を箸でつまんで一口で頬張る。

美 羽「ど……どう?」

 美羽が不安と期待が入り混じった目で俺を見る。

大 翔「……味見した?」
美 羽「し、してない」

 俺はゆっくりと箸を置いた。

大 翔「しろよ!」

 間髪いれずに切れた。

大 翔「甘い! 甘すぎるだろ! スイーツの領域だろ! こんなもんをおかずにライスが食えるか!」

 極上の料理を内におさめることを期待していた俺の胃袋が、納得がいかぬと俺に吼えさせる。

美 羽「ちょっと! なによその言い方! 美優は! 美優はどうなの!?」
美 優「……」

 美優は少し迷ったそぶりを見せた後、弱々しく首を縦に振った。
 顔が真っ青だった。

レ ン「確かに……これは甘すぎるな……」

 レンが顔をしかめる。

美 羽「なによ! みんなして!」
大 翔「食ってみろ! いいからお前も食ってみろ!」
美 羽「わ、わかったわよ……」

 おそるおそる自分の作った料理を口に運ぶ。
 もぐもぐと鶏肉を咀嚼。
 ごくんと飲み込む。

美 羽「お……ぉいしぃじゃなぃ」

 声が震えている。

大 翔「じゃあ残さず食えよ」
美 羽「……」
大 翔「……」
美 羽「……ごめんなさい」

 美羽が謝った。
 全員が箸を置いて、見た目だけはいいそれをガッカリした目で見ていた。
 いや、一人だけ休まずに箸を動かしている人間がいた。

ユリア「みなさんどうされたんですか?」

 ユリアだった。

レ ン「ひ、姫様?」
ユリア「レンは食べないの? せっかく作っていただいたのに」
美 羽「あの、私が言うのもなんだけど無理して食べなくてもいいわよ?」

 不思議そうな顔で首を傾げる。

ユリア「おいしいですよ?」

 みんなの目が点になった。

ユリア「美羽さんってお料理お上手ですのね」

 幸せそうな顔でぱくぱくと食べる。
 もしかしたら彼女はパンの代わりにお菓子を食べている人種なのかもしれない。
 ……王族の味覚恐るべし。

大 翔「ま、まぁ、スープだけでも飲むか」

 気を取り直してスプーンを手に取る。
 野菜と共にすくって口の中へ。
 ……。
 野菜のだしがよく出ている。
 味は悪くない。
 たぶんコレが好みの人もいるだろう。
 ただ――

大 翔「しょっっっっっぱぁ!!」

 俺には飲めなかった。
 塩分が唇の水分を吸い取ってかさかさになっていく。
 ポテチうす塩味を食べ過ぎた時のあの唇感覚だ。

レ ン「な、なに?」
大 翔「あじ……味見した?」
レ ン「い、いや」

 ……なんでしないんだよこいつら。
 怒りが再び火をつけ始める。

レ ン「み、美優殿の口にも合わないか?」
美 優「……」

 美優は虚空に目を彷徨わせた後、ふるふると首を振った。
 少し涙目になっていた。

美 羽「しょっぱぁい」

 美羽がベッと舌を出す。
 ちょっとうれしそうだった。

レ ン「な、なんということだ……」
大 翔「飲んでみろ。お前も飲んでみろ」
レ ン「う、うむ」

 おそるおそるスプーンを口へ運ぶ。
 もくもくと野菜を咀嚼。
 こくっと飲み込む。

レ ン「…………ぅわぁ」

 レンの素を見た気がした。

レ ン「こ、これは何かの間違いだ」
大 翔「自信ありげだったのに、いつも料理してるんだろ?」
レ ン「ああ、姫様の食事は私が用意させてもらっている」
大 翔「自分で食べたことは?」
レ ン「ない」
大 翔「それでか……」
レ ン「しかし姫様はいつもおいしいと……」

 レンがユリアを見る。
 ユリアは海のようにしょっぱいスープを幸せそうにすすっていた。
 そこで、気付く。

ユリア「レンの作ったスープはやっぱりおいしいわね」

 ユリアが重度の味覚音痴であることに。

レ ン「ふっ……」

 レンは背もたれに身を預け、だらりとその両手をたれた。
 その顔には失意の色がありありと浮かんでいる。

レ ン「……生き恥を晒した。殺せ」

 なんでそうなる。

レ ン「あのような大見得をきってこのザマとは……申し開きもできん。いっそ殺してくれ……」

 天井を見て自嘲気味に笑う。
 料理ごときで死にたがる人を初めて見た。

美 羽「ちょっと!」

 美羽がバンッと机に手をついて立ち上がる。
 みんなの視線が美羽に集まる。
 すごく興奮していた。

美 羽「殺せってどういうことよ!」
レ ン「私は恥を晒したのだ。騎士としての誇りを私は失ってしまった」
美 羽「バカッ!そんなことで死ぬことなんてない!」
レ ン「し、しかし私は!」
美 羽「だって、だって!」

 レンに近づいて手をとり、両手で優しく握った。
 なんでこの空気は。

美 羽「だって……料理なんかで女の子の価値は決まらないもの!」
レ ン「み、美羽殿っ!」

 美羽にも『殿』がついた。
 二人の瞳がキラキラと輝いている。
 二人の間に奇妙な友情が生まれたらしい。
 レンって結構ノリのいいやつなんだな……。

大 翔「でも、料理できたほうがもてるぞ」

 ぼそりと呟く。

美 羽「なんか言った!?」
大 翔「なにも……」

 俯いて、見るだけでげっそりするスープをかき回す。
 結局、夕飯はカップラーメンのみの味気ないものになった。 

ユリア「おいしい、ふふっ」

 ユリアだけは出された食事を完食した。  

美 優「……」

 そして無理に食べようとしたお人よしが精神に傷を負った。

 いつもより賑やかな夕食。
 料理は残念だったけど久しぶりに、家族の団欒というものを味わった気がする。
 ユリアとレンも楽しんでくれているように思えた。
 でもそんな中、

ユリア「……」

 ただ一度だけ、ユリアが目をふせ小さく溜息をついたのを、俺は見逃さなかった。



 夕飯の喧騒が去って数十分がたつ。
 美優はすぐに自分の部屋へ引っ込んでしまった。
 美羽とレンはソファに座って雑談しながらテレビを見ている。
 もう随分と打ち解けたらしい。
 全員がレッドの戦隊ヒーロー物のコントを見ながら、二人で仲良く笑っている。
 ゆっくり話すなら、今のうちかな。
 洗い物を済ませたあと二階へとあがって、一番手前の部屋の扉をノックする。

ユリア「どうぞ」

 部屋の中から返事が来るのを待って、扉を開ける。
 かつては両親の寝室だった部屋が、すっかり女の子の部屋になっていた。

ユリア「どうされました?」

 ユリアはベッドに座って本を読んでいた。
 『家庭の医学』
 たぶんこの部屋にあったものだろうけど、おもしろいんだろうか。

大 翔「気分どうかな、ってさ」

 なんとなく居心地が悪くて、そわそわする。
 住み慣れた自分の家のはずなのに初めて女の子の家に遊びに行った様な、そんな緊張を感じていた。

ユリア「ええ、大丈夫です。ご心配してくださってありがとうございます」

 ユリアが俺に微笑みかける。

大 翔「それならいいんだけど、ちょっと元気なさそうだ」

 いつも浮かべている笑顔だけど、どことなく無理をしているように見えた。

大 翔「急に環境が変わったわけだし、ストレス感じてるんじゃないかなって思ってさ。実際倒れちゃったわけだし。なにか不自由があったら遠慮せずに言ってよ。出来る限りのことはする」
ユリア「ありがとうございます。でも本当に大丈夫です」
大 翔「そっか……じゃあ」

 まだ会って二日足らず。
 なんでも話せるほど信頼関係も築けていない。
 おせっかいが過ぎたのかもな。
 結局はレンに任せることしか、俺にできることはないのかもしれない。

ユリア「いえ……ごめんなさい。やっぱり聞いてもらえますか?」

 扉のノブに手をかけたとき、呼び止められた。
 笑顔が消え、不安げな表情で俺を見ている。

ユリア「どうぞおかけになってください」

 ユリアに椅子をすすめられて、腰かける。
 察するに、あまり良い話ではないようだ。

ユリア「あまり理解のできる話ではないかもしれませんが」

 一呼吸置いて、続ける。

ユリア「私は未来を予知することができます。といっても自分の意思で見ることはできず、急に見えるんです。その内容も明日の天気だったり顔も知らないどこかの誰かから生まれてくる赤ん坊が男の子か女の子か、そんな些細なものがほとんどです。稀に嫌なものを見てしまって、気分が悪くなることはありました。でも今日見たあれは……あれは……」

 黙り込む。
 別に驚きはしなかった。
 魔法の不思議を散々見せられたから、未来を予知できようが空を飛ぼうが、全て納得できる。
 沈黙が耐えられなくて、俺は続きを促した。

大 翔「何が見えたの?」

 ユリアは決心したように俺の目をまっすぐ見て、ゆっくりと口を開いた。

ユリア「……建物が崩れ、大地が割れ、人々はたった一人もいませんでした。そんな映像がいっぺんに押し寄せてきて私は恐ろしくなってしまって……」

 ユリアはぎゅっと目を閉じて、両手で自分の体を包み込んだ。
 肩が小刻みに、震えていた。

ユリア「おそらく、そう遠くない未来、理由はわかりませんが……この世界は私がみた映像にいきつくのだと思います」
大 翔「それはつまり?」

 ユリアの喉がこくりと動いた。

ユリア「この世界は……滅びます」

 深刻な面持ちで、震える声で。

大 翔「そっか」

 それに対して俺の返答はあまりに間が抜けていたと思う。

ユリア「言うべきか迷ったのですが……大翔さんの世界ですから……」

 嘘はついていない。
 つく理由もない。
 たぶん、ユリアがそういうなら滅びるんだろう。

ユリア「いえ、ごめんなさい。私は一人で抱え込むことが怖かっただけなのかもしれない」
大 翔「いや、言ってくれてよかったよ。体調が悪かったわけじゃなくて安心した」

 自分を責めるユリアに笑ってみせる。
 別に無理はしていない。

大 翔「じゃあ俺は失礼しようかな。念のため今日はゆっくり休んで」
ユリア「はい……」

 やせ我慢もしていない。

ユリア「あの」
大 翔「ん?」
ユリア「……ごめんなさい」
大 翔「ユリアが謝ることなんて、何もない」

 部屋から出て扉にもたれる。
 俺達が生きるこの世界が、遠くない将来、滅びる。
 ただ、実感がわかなかった。

大 翔「風呂でも入るかぁ」



 浴槽につかって考えをめぐらせる。
 世界が滅亡します。
 そう言われた人間はどういった行動を起こすだろうか。
 世界を救おうとする。
 理不尽な未来に憤る。
 逃げ出す。
 どれもよくわからない。
 世界を救おうにも滅びる原因がわからない。
 魔王だとかそんなものがいたらわかりやすいが、現実世界にそんなものはいやしない。
 それにいたとしても、俺はゲームや漫画の主人公じゃないからとても立ち向かえないだろう。
 別に憤りもない。
 あまりに突拍子がなさ過ぎて、怒りを感じることもできない。
 逃げ出そうにも、世界がまるごと滅びるのならどこにいたって同じだ。
 アヒルの玩具のゼンマイをまわして、水面に浮かべる。
 ばしゃばしゃと音を立てながらアヒルがよちよちと泳ぎ始めた。
 そういえば、俺が今朝みた夢もそんな感じだった。
 建物は全部廃墟になってて、地面もとてもまっすぐ歩けないような状態で、俺以外誰もいなくて。
 ……あんな世界がくるのは、嫌だな。
 泳ぎ続けるアヒルを掴んで、立ち上がる。
 アヒルは俺の手の中で悶えていたが、しばらくしてその動きを止めた。
 すこし、のぼせた。

大 翔「あ、しまった」

 新しい下着を持ってくるのを忘れてしまった。
 洗濯カゴに突っ込んだ使用済みトランクスを見つめる。
 風呂から出た後にもう一回はくのは、なんか嫌だな。

大 翔「おーい! 美羽!」

 脱衣所から救援を頼むも返答は無し。
 居間からテレビの音だけが聞こえてくる。
 気付かないか、仕方ない。
 タオルを腰に巻いて、脱衣所を出る。
 普段ならそう気を使う必要もないが、今は女性のお客様が二名もいらっしゃる。
 スニーキングミッションの開始だ。
 音を立てないように廊下を進んでいく。
 居間を覗くと美羽とレンは相変わらずテレビに集中していた。
 なんかわくわくしてきたぞ?
 居間を通り過ぎて階段に足をかける。
 ここをのぼりきれば俺の部屋まで数メートルだ。
 しかし、最後の段を踏みしめたとき一番手前の扉が開いた。

ユリア「あら、大翔さ……ふぅー」

 顔を出したユリアが、バタンと音を立てて速攻で気絶した。
 うぉ!
 足を上げてたせいで息子が丸見えになっておるではないか!

 ? 「なんかすごい音したけどぉ?」

 誰か来る!
 や、やばい!
 とりあえず逃げよう!
 が、走り出した瞬間タオルがするりとほどけ、ありえないほど器用に階段の手すりに引っかかり、絶妙なバランスで一階まで滑り落ちていく。
 うぉ、うぉぉぉぉぉぉ!

美 羽「タオルおちてる」

 美羽と目があった。

美 羽「……」

 軽蔑のまなざし。

美 羽「なにやってんの?」

 とりあえずレンじゃなくてよかった。

大 翔「タオル! タオル返して!」

 前かがみになって大事な部分をおさえながら必死に訴える。
 美羽は溜息をついて階段をのぼってきた。
 あれ?
 これはやばくないか?

大 翔「こ、こなくていい! 投げてくれればいい!」
美 羽「はぁ?」

 遅かった。
 美羽の目の前には、裸の兄と卒倒したお姫様。

美 羽「……」

 軽蔑のまなざしII。
 美羽は黙って階段を下りていった。
 タオルを持ったまま。

美 羽「レンー。ちょっと二階いってみてー」

 なにぃ!

美 優「どうし……お兄ちゃん!?」

 運悪く美優も自分の部屋から出てきた。

大 翔「ちょ、ちょっと退いてくれ! あとで説明するから!」
美 優「えっ? えっ?」
大 翔「頼むから!」
レ ン「いったいなん……ひ、ひめさっ!?」
大 翔「おぉ!?」
レ ン「きさっ! きさま! なんと、なんという!」
大 翔「待って誤解! 誤解なんだ!」
レ ン「斬り捨てる! あっくそ! 待っていろ! そこで待っていろ!」

 腰に刀がないことに気付き、レンが風のような速さで一階へと降りていく。
 階下を見ると美羽がこちらをみてほくそ笑んでいた。
 あ、あの女……!

大 翔「頼むから美優どいてくれ! もしくはなにか布を持ってきてくれ!」
美 優「えっ? えっえっ?」
大 翔「はやく!」
美 優「ひぃっ!」

 俺の剣幕におされて美優が素っ頓狂な声をあげた。
 しかも俺の部屋への道をふさぐようにオロオロと左右に動き回っている。
 だめだ。
 万事休すか……!

美 羽「兄貴ッ!」

 諦めかけたとき、美羽の手から白い布が投げられた。
 右手でそれをキャッチする。
 まさかお前から助け舟が出されるとは。
 今までの狼藉、大目に見てやる。

レ ン「大翔ォッ!」

 鬼の怒声が聞こえて慌ててそいつに足を通す。 
 よし!
 かなり窮屈だが、これですこしは落ち着いて話ができる。

美 優「おにっ……おにいちゃぁぁぁん!」
レ ン「な……貴様……正気かっ!」
美 羽「うわっ! ほんとにはいた!」

 ゆっくりと目線を下げていく。
 ヒラヒラとした装飾が目に入った。

大 翔「美優の下着じゃねぇか!!」
美 優「おにっおにいちゃ……ふぅー」
レ ン「貴様見損なったぞッ! そこになおれぇ!」
美 羽「あははっ! バカだ! あはっあはははは! ひぃひぃー苦しっあははははは!」

 ユリアの上に重なるように倒れる美優。
 鬼の形相で刀を抜き放つレン。
 笑い転げる美羽。

大 翔「もう……どうでもいいや……」

 この日は間違いなく、俺にとって最低最悪の一日だった。
最終更新:2007年08月08日 11:56
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