世界が見えた世界・6話 A


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 明晰夢、というんだったか。夢だと自覚しながら見る夢。。
 多分、今の俺はそんな状態なんだろうな。だって俺は……こんな景色、知らないから。

 異国というよりも異世界。何故そう思うのかといえば、理由はわからないけど……服装や人の顔、髪の色、瞳の色、いろいろと理由は出るはずなのに。俺が一番『違う』と感じたのは、『空気』だった。これは、俺の知っている世界の空気じゃない。そう、思った。
 でも、夢の中の俺は、そんな事を気にせずに手を引かれていた。大きな手のひら。大きな背中。忘れるわけがない、あの姿。
(親父……)
 夢の中の俺は、珍しい景色に興味津々の様子で辺りをきょときょと見回している。それを、親父が笑って注意する。後ろからそれを見ている俺にはその表情は見えないけど……きっと、あの優しい力強い笑顔を浮かべているんだろう。
 親父が俺を肩車して、人ごみの中を歩いていく。その行く先には、俺の知らない景色。そこにあったのは――巨大で勇壮な、王城だった。




 へんな夢を見た朝、目が覚めるとなんと4時だった。寝てから2時間も経っていない。
 昨日は色々とあって寝るのが遅くなった。そんな日の次の日だからこそ、寝坊するものじゃないのか、普通。まだ気がざわついてるのか。これじゃあユリアさん達が来たときみたいだ。
 状況に流されやすい上に状況の変化に弱い? やだなぁ、そんな神経細いのか俺? ひまわり並みに図太いはずなんだけどな。
「飯を作ってもいいけど……うーん…………」
 足手まとい。
 ポーキァどころかレンさんや乃愛さんからも連呼された言葉が思い浮かぶ。事実ですよええ。事実ですけど。
「……レンさんくらいに動ければ、魔法使いとも戦えるかな」
 そんな、無茶な考えを口にする。あの動きにたどり着くために彼女がどれほどの努力をしたのか、どれほどの歳月を要したのか。それが想像できないほど愚かではないつもりだったし、おそらくその想像以上であることは難くない。
 とはいえ料理をする気がしないのも事実だ。寝不足の癖に目も冴えてしまったし、ちょっと外で鍛練してくるか……。
 音を立てないようにジャージに着替え、抜き足差し足忍び足を使ってそーっと家を出た。玄関を出るときにさすがに音がしたけど、まあ大丈夫だと思う。
 朝の清涼な空気を胸いっぱいに吸い込む。ほんの少しだけ夜空に青が混ざっていた。
「さーて、やっぱりやるとしたらあの公園か……」
 体を大きく伸ばしながらひとりごちる。
「やるって何を?」
「んー? 親父直伝の喧嘩殺法の訓練だよ。今日からまた鍛えなおそうかと……って誰だ今のは!?」
「おっはよーん! 陽菜ちゃんでした!」
「うっそマジで? こんな早朝に何してんだよ、陽菜!?」
 いくらお隣さんとはいえ、こんな早朝から遭遇って普通ないですよ!? そもそも人とのエンカウント率自体が限りなくゼロの時間帯だろ今は。
 しかもすでに制服姿だし。こんな時間から学校に行く準備か。用意がいいとかってレベルじゃねえぞ? そもそも待ち受けていたかのようなその登場の仕方にも疑問を感じる。気配の発生も唐突だったし。コレでも人の気配には敏感なほうなんだけどな。そうでなくても真後ろに立たれて耳元で声をかけられるまで相手の存在に気づかないなんてよほど鈍くなければできる芸当じゃないぞ。
 ……鈍くないよな、俺?
 目の前の陽菜をじっくり観察する。そこには確かな実感と存在感がある。気付かないか、これに? 幽霊じゃない証拠に足もある。胸はないが。
「ヒロ君ヒロ君。今なんだか急にぐーぱんちしたくなったんだけど、心当たりなぁい?」
「ないぜっ!」
 陽菜は納得していない模様。何で俺の周りには野生の勘の所有者ばかりいるんだ。コレじゃ迂闊な考えをもてないじゃないか。いや、そんな怒られるようなことばかり普段から考えてるわけじゃないけども。……本当ですよ?
 って、誰に対する弁解をしているんだ、俺は……。
「でもほんとに、なんでこんな時間に……」
「実はヒロ君が出てくるかなーとか思ってたりしたんだよね。大当たりでした。本日も陽菜のヒロ君センサーは絶好調であります!」
 元気がいいなぁ。でも早朝だからもうちょっとボリュームは下げましょうね? ……ていうか、何で俺が出てくるって思ってたんだ。ユリアさんじゃあるまいし、ウチの中に風の魔法を配置でもしてるんじゃないだろうな。
「昨日の夜ヒロ君ちの前を通ったら、ちょっと喧嘩風味だったのを聞いちゃったの。ごめんね。それで、まあヒロ君ってば結構そういうの気にしそうだし、そうなると早く目が覚めちゃうんじゃないかなーとか思ったら案の定だったわけ」
「そうか……俺の行動は陽菜にまで読まれているのか……地味に凹むな。いや、ちょっとタイム。じゃあ俺が出てこなかったらどうなってたんだ? まさかずっとそこで待機しているつもりだったのか!?」
 確かに日中は大分暖かくなってきた頃だが、それでも朝はやっぱり寒いぞ。俺だって今長袖のジャージを着ている。
 そもそも陽菜はいつからここにいたんだ? 俺が出てきてからか、出てくる前か? ――もし出てくる前からなら、俺の事ずっと待ってたの? ……あれ、そういうの、なんていうんだっけ。えーっと、そう。
「ストーk」
「えーい☆」
 可愛らしい声と重苦しい打撃音。理性が反応する前に体が反応を起こす。みぞおちにめり込んだ質量は肺の空気を根こそぎ押し潰し空っぽの胃袋に大打撃を与え腸をねじる。体は震え痛みに悲鳴すら上がらない。
 みぞおちにめり込んだものが離れて初めて空っぽになった肺に酸素が送り込まれる。体はいつの間にか両手を地面についてぜいぜいと荒い息を吐いていた。目の前がちかちか点滅している。
 なんだ……いったい、何が起きたんだ…………!?
 全身から噴き出した脂汗がナイアガラのように流れていく。急所への突然の不意打ちに、俺の体は完全にノックダウンしていた。
「もうだめだよヒロ君。陽菜がヒロ君の事をせっっっかく元気付けようと思ってたのに、そんな酷いこといったら!」
 陽菜さんぷんぷん怒ってらっしゃいます。そうか。元気付けようとしてくれましたか。
 じゃあただいまトドメさしてくれやがったのはどういうことですか、こら。
「げほっ、ごほっ! ああ、喉がヒリヒリする……陽菜、お前今俺に何をしたんだ?」
「ふふふ……ヒロ君、陽菜の魔法を忘れちゃったのかい!?」
 陽菜の魔法?
 ………………………………。あれ?
「俺、陽菜の魔法見たことないぞ」
「おや? えー、そうだっけ? ……あ、そうか……先生にそこまで聞いてないんだった」
 何かに思い至ったらしい陽菜。
「じゃあ、今から陽菜の魔法を披露……披露……うーん」
 ちらちらとこちらを窺う陽菜。なんだろ、何か気がかりでもあるみたいだけど。
「あのー、ヒロ君? 陽菜と昔遊んだときの事とか、遊ばなくなった時期とか、思い出したりした?」
「あー、いや、そのなんだ……すまん」
 唐突な質問の意味はわからなかったが、事実として具体的なことは何も思い出していなかったので正直に答えた。
 不思議なことに、印象だけはしっかり思い出せるんだけどな。学校の帰り道に寄り道して楽しかったとか、泣きじゃくる美優を笑わせるために俺と美羽と陽菜の三人でバカやったとか。
 何をしたのかは、思い出せないのに。やっぱり変だよなぁ、この記憶。陽菜と遊ばなくなった時期に関しては何一つ印象すら思い出せないしな。
 けど陽菜は、俺の言葉にどこか安心したような顔になった。
「よっし! それじゃあ、陽菜の魔法を見せてしんぜよう! てぇいっ!!」
 掛け声の直後、陽菜の姿が消失した。一瞬で、その場から忽然と姿を消したのだ。
 沢井陽菜の消失。
「陽菜ー? どこだ?」
 これが、陽菜の魔法なのか……? それにしても、何の魔法だ? 透明化の魔法ならその気配までは消せないはずだけど、それも消えている。それじゃあ、瞬間移動の類か? それなら、さっき突然俺の後ろに出現したのもわかる。
 しかし次の課題が浮かび上がる。どうにも陽菜の発言からして、さっきの俺に加えられた打撃は魔法によるものらしい。あれほどの重みのある攻撃は瞬間移動では生み出せないだろう。まるでボーリングの球でもぶち込まれたかのような重みだった。ちなみに経験者談。
 うーん、難しいな。……ちょっと引っ掛けてみるか。
「陽菜、見ているなっ!?」
「うわ、ばれた!? ななな、なんでばれちゃったのっ!?」
 うわー。適当に言ってみたのに。素直だなあ陽菜は。
 ちなみに声は真正面から聞こえた。どうやら見えなくなってからずっとそこにいるらしい。
 陽菜の姿は見えなくて。でもそこにいて。そして気配はやっぱり感じない。
「うーん……手を伸ばしてみると……ん? 何か違和感が」
「うひゃっ!? ち、ちょっとヒロ君、なにしてるのさっ!?」
「え、何、どうかしたのか? あれ、これ陽菜か? でもそれにしては触れてる感触が希薄だし……んー、これは……なんだ?」
 陽菜がいるのか、ここに? でも触ってるようで触っていない不思議な感覚だしなあ。それに、
「何で陽菜背中向けてるんだ? ってうおおおっ!?」
 疑問が口をついた瞬間、目の前の空気がうねりを上げ迫ってきたのを感じた。ギリギリのところで避けるが、後に続くようにうねりが奔る。
 なんだなんだなんだ!? これ、陽菜だよな? 何をいきなり凶暴化してるんだ!?
「ううううう、うるちゃいいぃぃ!! なんだよ、大きけりゃいいっての!? 大は小をかねるなんて嘘っぱちなんだから! ちっちゃいのにはちっちゃいのなりのレーゾンテートルがあるんだから!!」
「落ち着け陽菜! 何を言ってるのかよくわかんないが、なぜか知らんがウチにいる連中にもダメージが行く気がする! だから落ち着け!!」
 それでも陽菜はとまらない。いや、猛攻は収まってたけど。魔法の集中力が切れてきたのか、だんだんとその姿があらわになる。先ほどと寸分変わらぬ、陽菜の姿だ。
 ちょっと涙目の。
「胸なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんとですっ!」
 ぶつぶつと地面を睨んで何事か呟いている。うまく聞き取れないが聞いたら終わってしまう気がする。俺の人生が。
「ひ、陽菜? 大丈夫か? 酷く情緒不安定に見えるが」
 陽菜の目がギラリと光る。誰のせいだとその視線が訴えかけてくる。
 え……その、悪いの、俺なんですか? あれ……俺何か悪いことしたっけ? いや、俺は何も悪いことはしていないはず……ここはいつもどおりにしていればいいんだ。俺は正しい。
「その、陽菜お嬢様。あなた様の魔法は一体なんなのか愚かな私めに教えて下さい」
 ダメでした。雰囲気に呑まれて敬語になってしまいました。陽菜さんの発する空気が今にも形をえて襲い掛かってきそうです。どうにか話を逸らそうとしたが、自分でもわかるくらいにへたくそな逸らし方だった。
「陽菜の魔法? えへへへへ、知りたい? なんなのか、知りたいかな!?」
 陽菜の瞳がきらきらと輝きだす。心なしか自信もこもっている模様。
 ……いや、あんな話の逸らし方しかできなかった俺が言うのもなんだけど……単純だな、コイツ。
「陽菜の魔法は……なんと『擬態』の能力なのですっ!!」
「『擬態』……ああ、なるほど」
 『擬態』は同系統の少ない魔法の一種だ。その名の通りある存在をあるものに『擬態』させることができる魔法で、その発現の仕方は幾通りにも分けられる。陽菜の場合は自分とそれに属するものを擬態させる能力のようだ。
 さっき突然目の前から消えたのは、目の前の景色に擬態をしたから……か? いや、それだとちょっとおかしいな。
「『擬態』って確か、元の物体の姿かたちは代わらないでその性質を変化させるんだろ? じゃあ、さっき気配が消えたり妙な手応えはなんだったんだ?」
「んー、いや、陽菜も他の『擬態』の能力は見たことがないからわかんないんだけどね? 陽菜の『擬態』はなんか他の人たちのとはちょっと違うんだって。なんだっけな……あ! そうそう『同化』にかなり近いって昔聞いたよ」
 『同化』に近い『擬態』? いや正直もう良くわかりません。
「いやー、実は陽菜も良くわかってないし、もうテキトーでいいんじゃないかなーとか思ってるけど。まあとにかく、さっきのは空気に擬態してそこに立ってたんだよ。空気なら、気配も何もないでしょ? でも、そこに陽菜がいるのは違いなくて、違和感っていうか、存在? そんなのだけは残っちゃったんだね。それで……その……ごにょごにょ」
 ああ、だから陽菜に触れてるようで触れていない、あの奇妙な感覚が出てくるのか。それにしても空気にまで擬態できるって、完全なステルス機能じゃないか。どんなところにでも潜入できるぞ。ダンボールなんか必要ない。
「ところでヒロ君。結局鍛練には行かないの?」
「え? いや、行く。行くぞ」
 今のやり取りで結構時間が過ぎていた。それでも時間が有り余っていることに違いはないんだからたいした問題ではないか。陽菜も当然のごとくついてくることになった。待ち受けていたって言うか、予想してわざわざ待っていてくれたのだから。
 ……ええそう。厚意ですから素直に受け取りますとも。曲解してそんな恐ろしい単語を呟いたりなんてしませんよ?
「うん?」
「えれ? ヒロ君、どーしたの?」
「ああいや、なんでもないよ」
 2階の廊下の窓から視線を感じたような気がしたんだけど……まさかなぁ。こんな時間に誰かが起きてくるとも思えないし。まあ、気のせいだろう。そう思って、俺は陽菜と一緒に公園へと向かった。




 俺が鍛練している間中陽菜は野良猫と戯れたり遊具で適当に戯れたりするらしい。どうやら本当に見ているだけのようだ。
 まあ見られることはたいした問題じゃない。それなりに慣れがある。

 ――いや、慣れってなんだ。今まで美羽にも美優にも鍛練の様子はみせたことないだろ俺。

 いや、考え事は後回しだ。今日は鍛練に来たんだからそれに集中するべきだ。考え事は、後でもいい。
 親父に習った構えから、基本の動きまでをまずはゆっくり繰り返す。小さく息を吸い、長く吐く。じっとりと全身に汗がにじむのを感じながら、繰り返しの速度を段々と上げていく。重要なのは呼吸を乱さないことと足を止めないこと。常に実戦を想定し、体を流れに乗せること。拳の振り方ひとつをとっても、状況に合わせて幾通りもの打ち出しを想定する。
 続いて、仮想敵を思い浮かべながらの体の動きの確認をする。昔無茶をやっていた頃にやりあった相手を思い出して、その動きを想像する。戦いの場所は。相手と自分の位置関係は。動きにどんな制限がつくか。利用できるものはあるか。逃げ道はあるか。戦いに必要な情報を整理し、向かい来る仮想敵を迎撃する。
 あらかたの鍛練を終えたところで、最後にポーキァを敵と仮定する。
 奴の能力は雷電の能力だといっていた。それが通常魔法なのかほんとに特殊魔法なのか判断がつかないのが怖いところだが、どちらにせよあの電撃をかわして奴の懐に飛び込めなければ俺に勝ち目は無い。あの攻撃のもっとも厄介なところは、目に見えないということ。そしておそらくまともに食らえば一撃でKOしてしまうだろうということか。人体は電気を通しやすい。たとえばスタンガンを使えば人体は一時的に自由を奪われる。ポーキァの雷撃がその比でないことは明白だ。
 一撃を許せば、二撃三撃と連続で食らう。それに、あの巨大な雷撃。あんなものを食らえば全身の血液が沸騰してもおかしくない。
 あいつに正面から立ち向かえば確実に――死ぬ。現実にその寸前だったことを思い浮かべ、体が恐怖に震えた。それを、意志で押さえ込む。
 奴の魔法が雷電であるとして、何故その魔法だけを前回は使ったのか。単純に気まぐれかもしれない。しかしそこに理由があるのなら勝機はあるはずだ。勝負とはつまり手札の数なのだ。
 まず、相手が雷電主体の戦い方を考える必要があるな。そして、それ以外――火、水、地、風の魔法と、雷電が通常魔法でなかった場合、それ以外にも持っているのかもしれない魔法への対策も。
 自分がいかに無謀な戦いを想定しているのかを自覚しながら、それでも、迷いなく拳は空を切った。




 鍛練が終わる頃には、体中を汗が流れていた。大きく息を吸う。早朝の澄んだ冷たい空気が、肺の中を満たしていく。気がつけば、朝日も随分高くなってきていた。家々からは小さく音が聞こえてくることもあり、人々の活動が始まったことを実感させる。
 陽菜を見ると、猫はすでにどこかへ去っていた。べんちにくたりと体を預け、すうすうと寝息を立てている。どうやら、俺を心配してくれたものの寝たりなかったらしい。そう思うと、素直に感謝する気持ちが芽生えた。
 ……そういえば、あの妙に重い一撃がなんだったのか聞いてなかったな。それも『擬態』の能力だとすると……体を鉄にでも変えたか? 一部分だけの『擬態』が可能なのかはわからないけど。
 まあ、後で聞けばいいよな、時間はあるんだから。陽菜のすぐ隣に腰を下ろす。
 隣の陽菜の頭を撫でてみた。
「んう~……えへへへ。ヒロ君……」
 しまりのない顔をして寝言で人の名前を呼ぶんじゃない。照れるから。
 と、陽菜のからだがだんだんと傾いてきて、そのままぽてりと横になった。俺の膝の上に頭を横向きに乗せてしまう。俗に言う膝枕というやつだ。
 朝日がまぶしいのか、顔をしかめている。少し笑いながら陽射しを手で遮ってあげた。
「まったく……変わらないなぁ、陽菜は……っ!?」
 ぞくり、と背中を悪寒が走る。顔だけ振り向くが、気配を感じた方向には誰もいない。……おかしいな、今殺意というか……いや、もっとこう邪悪な、そう、邪気とでも言うべき恐ろしい気配を感じたような気がしたんだが。あまりのおぞましさに鳥肌が立ってしまったぞ?
 くわばらくわばら……昨日の夜といい今といい、もしかして俺は幽霊に憑かれているんじゃないだろうか? それとも、誰かに呪われているとか。ああ、ユリアさんと暮らしてることを嫉んでいる連中からならありそうだな。案外、この視線もそいつらの誰かだったりするんじゃないか?
 うむむ。ユリアさん人気はやはりすごいな。うう……気のせいかまだ見られている気がする。こっそり後ろを見てみたりするけど、やっぱり誰もいない。真剣に身の危険を感じるのですがいかがいたしましょう。
「まさかとはおもうが、この綺麗な顔を吹っ飛ばしてくれようとか考えてる人間はいまいな」
 スイス銀行とかそんな単語は関係ない。きっと。俺の人生には。うん。てか自分で自分を綺麗な顔って、何よ。
 そんなことを考えて一人で脂汗をだらだら流していると、陽菜がゆっくりと目を覚ました。
「おろ~……? あれー、ヒロ君だぁ。あははー、なんかヒロ君近いよぉ?」
「まあ近いだろうな。何しろ膝枕してるわけだし」
「うえ? 膝枕? あははは、なんか夢みたい。そっかー、陽菜夢見てるんだぁ……んー、でもね、ヒロ君。どう考えても、この状況、夢じゃないよねぇ……?」
「まあ、夢じゃないなぁ。思い切り現実なんだよなぁ」
 そうかそうかと寝ぼけ眼でうなずいた陽菜は、いきなり顔を真っ赤にして跳ね起きた。
「うっきゃああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!!」
「うおわああああああああああああ!?!?!?!?!?」
「にょおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!!!!!」
「どおおおおおおおおおおおおおお!?!?!?!?!?」
「のへえええ――たぁっ!?」
「どやかましい! 朝っぱらからご近所迷惑なスーパーヴォイスで悲鳴を上げるんじゃありません!!」
 わんわんと響く悲鳴は住宅街を見事なまでに蹂躙していた。パジャマ姿のおじさんだとかおばさんがベランダに飛び出してくるほどなのだ、尋常じゃあない。ていうか物凄い疑いの視線がぐさぐさ突き刺さって来るんだが。いやあの、なんか明らかに疑われていませんか俺。通報されていませんか俺。
「あうう……だって驚いたんだもん。大体ヒロ君、いくらなんでも精一杯叩きすぎだよ、今の痛かったよ? ヒロ君は陽菜ちゃんに対して優しさが足りません、もっと愛のある対応を要求します!」
 愛のある対応ってどんなんだよ。というか叩かれるようなことをすることが悪いという自覚はないのか、このお嬢さんには。
 無茶を言われているのに思わず笑ってしまった自分にあきれ返ってしまう。このやり取りを懐かしいと感じていたから。記憶はやっぱりはっきりしないのに、こんな心地よいことだけは思い返してしまう自分に、あきれるしかなかったから。
 だから、それも良いと思った。
 多少の無茶くらい、飲んでやるのが友人というものだ。
「はいはい、それじゃあ愛情をたっぷり込めて、痛いの痛いのふっとベー」
「にへへへ」
 顔をだらしなく緩ませる陽菜に、自然と自分の表情も緩んだ。ところで周囲からの視線の種類が突き刺すものから生暖かいものに変わったんだけど、なんだろうねこれ。ちょっと奥さん、何にやにや見てるんですか。いや、親指立てなくていいから。
 こてん、と陽菜の頭が再び膝の上に乗る。さっきは大騒ぎしたくせに、ただでさえ緩んだ顔をさらにしまりないものにして。俺は呆れながらも、その頭を軽く撫でた。
「……ねぇ、ヒロ君。ヒロ君は陽菜との思い出を忘れちゃったこと、たくさん気にしてるよね」
「そりゃあまあ、な。忘れていいもんだとも思えないし」
「思い出さないでいいよ。ていうか、忘れてて」
 切なげに、寂しげに。なのに切実に、真剣に。ささやかな幸せに包まれながら、陽菜はそんなことを言った。
 いや、陽菜はいつだって真剣だ。それがちょっと暴走したりするけど、昔からずっとそうだったはずだ。俺はそんな陽菜を好ましいと思っているし、そんな陽菜との思い出だからこそ、思い出せない事に軽くないショックを受けたのだ。それが大切な記憶だとちゃんと理解していたから。大切だから無くしたくなかったのに。
「なんでそんな事言うんだよ。俺は思い出したいと思うぞ、陽菜との記憶も、大切な俺の思い出なんだから」
「うん、ありがと。ヒロ君ならきっとそういってくれるって思ってたんだ。そうやって、陽菜との思い出を大切にしてくれてるって。でもね、ヒロ君。思い出ってきっと、楽しいことばっかりじゃないよ。だったら、今までの分を取り戻すみたいにこれからを一緒にすごしてくれたら、陽菜は満足だから」
 これまでを振り返るだけじゃなく、これからを作っていく。それはユリアさんがいつか言っていたこと。それだけでいいと陽菜は言う。それだけで満足ができるのだと。
 けどな、陽菜。
 そうじゃない人間だって、世の中にはいるんだぞ。俺は、お前みたいに強くないから。
「俺が満足できないんだよ。ただそれだけだ」
「……ん、そっか。じゃあ仕方ないね」
「ああ、仕方ないな」
 憂いの混ざった笑顔は、それでもどこか喜びを感じさせた。だからこそ、より一層思うのだ。きっと、思い出してみせる。心の奥でそう誓わずにはいられない、そんな笑顔だった。
「そういえば俺の腹に強烈なインパクトをねじ込んでくれやがったあれ、どうやったんだ?」
「あれは衝突の瞬間だけ体を金属に擬態させてあるんだよ。生身のまま勢いをつけて一瞬だけ体の質量を増やせば、簡単にダメージが稼げるから」
 ああ、うん。質量×速度=エネルギーだもんね。そりゃあ痛いだろう。……なんつー危険な技を習得してるんだ、陽菜。俺の周りの女達の戦闘能力の高さに戦慄を覚える。彼女達が本気で喧嘩なんかしたら、大変なことになるんじゃないだろうか。
 ウチの茶の間から世紀末戦争が勃発してもおかしくない。世界平和の基本は茶の間にあり、か……。
「けどその魔法の使い方、昔ヒロ君が考えてくれたんだよ?」
「え、嘘。その鋼鉄パンチ?」
「そう。ヒロ君とおじさんが鍛練してるの見てて、陽菜もやりたいって言ったんだけどやらせてくれなかったの。その代わり、ヒロ君が陽菜でも簡単に強くなれるよって教えてくれたんだよ!」
 何やってんだよ昔の俺……そこは『陽菜は俺が守るから~』とか子供特有のあどけなさで思い出すのも赤面するようなクサイせりふを吐く場面だろうが。なに実用性満点な技なんて教えてんだよ。
 とか思いつつも、ああそうか、さっき懐かしく感じたのはやっぱり嘘じゃなかったんだと思えて、ちょっぴり嬉しかった。
「あれ? ヒロ君なんか嬉しそうだよ?」
「ん? ああ、ちょっとな。陽菜のおかげでいいことがあってな。……そうだ、ちょっと陽菜に相談したいんだけど、いいか?」
「お、おう! じゃんじゃん頼っちゃってください!!」
 俺は陽菜に昨日の話をぼかして話した。さすがに世界崩壊だの異世界だのの話はできないので、結局説明できたことといえばみんながやろうとしていることに俺は加われないことや、自分がどうすればいいのかわからないことなどだ。
 やるべきことは決めている。ただ、それで本当にいいのかわからない。もしかしたら俺はとんでもなく間違った選択をしているのかもしれない。みんなをとんでもない危険にさらすんじゃないか。そんな風にも考える。
「んー。陽菜には良くわからないけど、ヒロ君がその調査に加わりたいっておもったのは、ヒロ君が大切なものを守るための手段なんだよね。だから別に、調査に加わる必要はないんだって乃愛先生はいったんだとおもうよ。だってヒロ君、いつだってどこだって、守ることはできるんだよ。守り方だって一つじゃないんだよ。陽菜はそれをヒロ君に教わったんだから」
 陽菜は優しく微笑んで、そういった。その瞳には包み込むような優しさと、深い慈しみが見て取れた。そこに、何か懐かしさを感じたのは気のせいだろうか?
「ねえ、ヒロ君。いつも一緒にいて守ってあげるだけじゃなくて、美羽ちゃんやユリアちゃんたちの居場所を守ってあげられるとおもうの、ヒロ君なら。ううん、それってたぶん、ヒロ君にしかできないんだよね。だって、みんなの真ん中にいるのはヒロ君だから」
「真ん中って……それはかいかぶりすぎだろ」
「そんなことないよ。陽菜が保障する。だからヒロ君、精一杯守って上げてね。帰ってこられる、みんなの『家』を」
 そんな全幅の信頼を、何で俺なんかに寄せることができるんだろう。
 俺は、お前の事、たくさん忘れてしまっているのに。
 でも。
 そうやって、そのことを罪におもうのなら。
 いや。陽菜の信頼に今度こそ応えたいと思うのなら。
 柔らかな髪を梳く。指先をさらりと流れていく柔らかな感触を、確かに胸に刻み付ける。
「おう――任せとけ!」
 全力で、守ろう。
 みんなの帰ることのできる居場所を――この『家』を。




 いつの間にか眠りについてしまった陽菜を背負い、家路を歩く。陽菜は結局、公園のベンチで俺の膝に頭を預けたまま寝てしまった。無理をして早朝から俺のことを待っていたのだろう。
 俺が忘れていた、取り戻した重みと思えば、人ひとりの重さなんて苦にもならない。
「――ユリアさん?」
 家の前が見えてきた頃、その前に人影が見えた。陽光にきらめく長い美しい髪。あれほど見事な髪の持ち主は一人しか知らない。
 足が止まった。彼女はじっと俺を――いや、俺が背負う陽菜を見ている。やさしい、見守るような微笑み。
 そして、
「――――へ」
 睨まれました。なんかよくわかんないけど、すごい睨まれました。
「あ、あの、ユリアさん?」
「――なんですか?」
 その顔に、笑顔が戻る。しかしなんだこの異様な程のプレッシャーは。まるで正面から強風が吹いているようだ。足が、足が前に進むことを拒絶している。く、くそ、所詮飾りの癖して持ち主の意思に反するとはいい度胸だ!
 ……さて、現実逃避はやめようか。
「な、何か怒ってる?」
「あらあらあらあら、どうしたんですかヒロトさん突然そんなことを言うなんて何か私があなたに対して怒りを覚えるようなことをあなたはしたのですか」
 いや、してないですよ。そう思うよ。でもほら。
「え、と。お、怒ってる、よね?」
「いやですねヒロトさんなんで私が怒らないといけないんですかほらお二人ともとても仲がよさそうでこんなにほほえましいのに私が起こるわけないじゃないですか何言ってるんですかもう」
 え、なにこの理不尽な状況。彼女の言葉に嘘はない。俺は特に彼女の逆鱗に触れるようなことをした記憶はないしもしそんなことがあるならそう正直にそう教えてくれるだろう。それなら今のこの状況は一体どう説明をつければいいのだろうか。明らかに彼女は怒っていて、それなのに怒っていないと言っていて。原因は不明で解決策は見当たらない。
 理不尽とは今このときのために生まれた言葉に違いない。
「ところでヒロトさん、いつまでヒナさんを背負っているつもりですか? いくら気候も暖かくなってきたといっても、まだ寒いのですからそのままにしては風邪を引いてしまいますよ?」
「ん、ああそうだな。とはいえこんな早朝からおじさんたちを起こすわけにもいかないし……とりあえず、うちで寝かせるか」
 もう日は昇りきったとはいえまだ朝の六時を過ぎたあたりだ。こんな時間にチャイムを鳴らすような非常識は持ち合わせていない。
「そんなわけでユリアさん、俺のベッドにこいつ寝かせるんでちょっと手伝い――ひぃっ!?」
「はい?」
 ぶわっと噴き出した不機嫌オーラにのどが勝手に悲鳴を上げた。え、ちょ、何事!?
「ヒロトさん、ちょっと私の耳がおかしかったのでしょうか。どこに寝かせるっておっしゃいました? いくらヒロトさんでも、女性を自分のベッドに寝かせるなんて非常識なまね、なさいませんよね?」
「はい、しません! ユリアさんすみませんけどベッド貸していただけませんでしょうかっ!?」
「ええ、もちろん」
 俺の提案にプレッシャーが霧散した。どうやら今ので正解だったらしい。何この結城家横断ウルトラクイズ。敗者はプロレス体験させられたりひたすら北北西に向かって歩かされたりたりするんだろうか。あの罰ゲーム地味に嫌なんだけど。
 目の前の少女の様子からしたらもっと直接的な罰ゲームになりそうだけど。なんていうか異世界のかたがたは感情を表現する時にストレートな方法をとる気がするんだ、レンさんとか、アホ王子とか。
 陽菜をユリアさんのベッドに寝かせて、俺たちはリビングのソファに腰掛けた。
 無言の時間がただひたすらに過ぎていく。聞こえてくるのは遠くで鳴いている鳥の声とカチカチと時を刻む時計の針の音だけ。そのどちらもが、静けさを逆に引き立たせていた。
「ところで……なんで不機嫌だったの?」
「誰も不機嫌になんてなっていませんよ?」
 だからにこやかにプレッシャーをかけないで。でもくじけない。男の子だもん。
「いや、明らかに不機嫌だよね。いつものユリアさんならさっきみたいな対応しないもん」
「…………」
 そっぽ向かれた。ああ、一応自覚はしてるのね。
「ヒロトさんは……誰にでも優しいですよね」
「……はぁ」
 そうだろうか。というかいきなり何を言い出すんだろう、この人は。思わず首を傾げてしまったが、口は挟まない。黙って続きを促す。
「それが悪いことだとは思いません。というよりいい事です、とても。ですが、それを素直に認められる人ばかりじゃ、ないんです」
 感情と理性の折り合い。では、ここで折り合いを拒絶しようとする感情は、一体どのような種類のものなんだろう。
 好意、と解釈するのは都合がよすぎる気がする。何となく。
 推測するに、彼女にとって俺たちのような人間というのはほとんど存在していなかったはずだ。こんな風に家族として暮らしているが、そういえば彼女は元々お姫様なのだ。ごく普通の友人みたいに笑いあって触れ合える間柄の人なんてこんなにありふれていたとも思えない。レンさんはといえばあの人はいわゆる『カタイ』性格なので、立場というものを崩すことはないだろうし。
 つまるところ、俺が陽菜を甘やかしすぎたのが原因――ってちょっとまて。なんか今もしかしたらって考えが浮かんだんだけど。
「あのユリアさん、つかぬ事をお伺いしますが」
「……なんですか?」
 やっぱりどこか怒った――いや、拗ねた様子のユリアさん。
「もしかして、公園まで、ついてきてた?」
「――――っ! なっ!!!!」
「は?」
 ざわりと全身が恐怖と悪寒に飲み込まれる。
 反応することさえできない、まさに一瞬のうちに、それは目の前に現れる。
 形無い暴威。風の塊。全身の感覚が例の悪寒に支配され、それ以外の感覚全てが封じられた。もはや全身に突き刺さるそれが暴風の拳なのか這い回る悪寒なのかすらも判断がつかず、当然の帰結として防御さえも、
「何言ってるんですかああああ!!!!!!」
「ぎゃあああああっ!?!?」
 どこからどう攻撃を受けたのかすらわからぬまま、意識がかすんでいくのを感じた。
 最後に見えた、顔を赤くしたユリアさんの表情はなぜか妙に可愛らしくて。
 ああもう、なんだろう。こんな目にあってるのに、妙に心は穏やか――
「ぶげはぁっ!?」
 顔面から床に着地した。




 後日。
 美羽との関係を修復できなかった上にユリアさんとの間にごたごたを残したということで乃愛さんにはこっぴどい処罰を受けることになった。
 踏んだり蹴ったりとは今このときのために以下略。
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