世界が見えた世界・5話 B

 屋上の扉を開けると、ここでもいくつかのグループが文化祭に向けての作業をしていた。どうやら、看板を作っているところが多いようだ。
 こういう、大きなものは中庭や特別教室や屋上で製作されている。単純にスペースの問題なんだけどな。グラウンドは広いけど、砂がまうから問題外。
 辺りを見回すと、何人かクラスメイトが見えた。
「おー、作業中? これ、何の看ば……いや、なんでもない気にするな。手伝わないぞ、俺は手伝わないからな! 無関係だからな!!」
 今の連中に声をかけたのは間違いだった。なにあのテレビに映したら間違いなく画面全体がモザイクに覆われてしまいそうな卑猥な看板。
 とりあえず、記憶から消しておくとしよう。……後でレンさんにでも看板ぶち抜いておいてもらった方がいいかもしれん。
 えーっと、じゃあ気を取り直して……あ、美優がいた。あいつも看板製作か。ていうか、どうせだしさっき美羽に文化祭の出し物聞いておけばよかったなぁ。もう手遅れだけど。
「おーい、美優。お前何やってんだ……美優? あの、美優さん、反応ナシですか?」
「はれ、お兄ちゃん? 何やってるの、こんなところで」
「どこぞの変態王子から逃げている最中なんだが……そういうお前は何でまっさらな看板の前で頭抱えてんだ? 見た目がすごく滑稽だぞ」
「ひどっ! そういうのは、思っても言わないでよう……。あのね、困ってたのは、看板の中身なの」
 看板の、中身? 看板に何を書くかってことか。そんなの、店の名前とあとはちょっとした煽り文句を入れればいいと思うが。
「クラスのみんなは、ワタシの好きにしていいよ、って言ってくれたの……でも、そういわれても、どうしたらいいのかわからなくて」
 しゅん、と落ち込む美優。なるほど、そういう話ね。
 美優はどうやらこの仕事を自分の手に余るものだと考えているらしい。個人的には美優はこういう仕事は向いていると思うし、おそらく美優のクラスメイトも同じ考えなんだろう。事実美優は非常に絵がうまい。自分では頑なに否定するしあまり見せてもくれないが。
 美優ならできると、きっと素敵な看板を作ってくれると信頼して、期待しているに違いない。
 なーんて、口で説明しても納得しないからな、こいつは。
「別にそんな考え込むようなことじゃないだろ。美優の好きにしていいって言ってくれたんだ。じゃあ、そのとおりにしてみればいい」
「で、でも……それで、みんなに迷惑かけちゃったら、いやだし」
「ここで完成しないほうが迷惑かかるぞ? 大体、全投げしておいて文句だけ言うようなら、そんなやつぶっ飛ばしてやればいいんだよ」
「えぇっ!? そ、そんなの、無理だよ……ワタシの魔法、そういうのに向いてないもん……」
 いや……さすがに俺も魔法でぶっ飛ばせとは言っていないんだけど。人をぶっ飛ばす時には魔法を使うこと確定なのか。あ、案外過激だな、美優。
 自分が割と過激な発言をしたことに気づかず、美優は頭を抱える。『あー』とか『うー』とか『のー』とか『めー』とか、うめき声にしても愉快すぎる声が聞こえてくるのはなんだろうな、これ。美優が描くべき看板はまっさらなまま。
 なんかなー。俺と似てるよなぁ、これ。やらないといけないとは思うんだけど、やろうと思うんだけど。どうにも、踏ん切りがつかない。俺も人の事言えないよなぁ。
「なあ、美優」
「え?」
「お前、文化祭で何したい? クラスのみんなと、どんな風に過ごしたい?」
 俺の言葉に、美優は空を見上げる。その瞳に、どんな自分が映っているんだろう。あの空に、どんな自分を映しているんだろう。
 やがて、美優の視線が空から俺に移る。やわらかくはにかんで。
「楽しく……できればいいなって思ってるよ。クラスのみんなと、お姉ちゃんと……具体的には、よく思いつかないけど、でも、みんなで仲良く、楽しく、できたらいいなって思うよ」
「そか。俺もだ。お揃いだな。じゃあ、楽しく過ごすためには、まず目先の問題を終わらせないとな」
 うっ、と美優の笑顔にひびが入る。そう思うのも仕方ない。誰も面倒なことを進んでしたいとは思わない。面倒ごとは避けようとする。誰だってそーする。俺もそーする。
 でも、どんなに避けようとしたって避けられない事だってある。逃げ道がなかったり、あるいはあっても逃げるわけにはいかなかったり。
 逃げていて、それだけじゃダメなんだと気づいたり。
「無責任なこと言うけどさ、美優ならできると思うよ。みんなもたぶんそう思ってる」
 もしかしたら、美優じゃないとだめだ、というほどに思っている人だっているかもしれない。
「いきなり自信を持てとは言わないけどさ、せめて信じてもいいと思う。美優自身や、美優を信じて仕事を任せてくれた友達を」
「みんなを……信じる?」
「まずは、な。いずれ自分を信じられないといけないとは思うけど、まずは、友達を信じよう」
「……やってみる。じ、自信はやっぱりないけど……がんばる」
 決意を秘めた顔で看板に向かい合う美優。絵筆を手に取り、まず赤い絵の具をたっぷりとつけた。ゆっくりと、まるでさびの切れたロボットみたいにガクガクの動きで、慎重に看板に最初の一筆を……
「おーい、美優ー! 調子はどぉー!」
「ひにゃぁっ!!」
 突然名前を呼ばれてこけた。全力で。
「ちょ、美優だいじょぶ? なんかすごい勢いでこけたけど」
「うう……へ、平気だけど、びっくりしたよ……サキちゃん、いきなり声、かけないで」
 サキと呼ばれた少女は苦笑を浮かべながら小さく謝ると看板に視線を向け、今度はただの笑顔を浮かべた。
「ごめんごめん! それで、看板は? あー……まだまっさらかぁ」
「い、今から描こうと思ってたんだよう……そしたら、サキちゃんが、急に……」
「あはははっ、ごめんごめん。あたし、手伝いに来たんだ。一緒にやろうよ」
「え、あ、うん。……ありがと」
 小さな、それでも確かな喜びが表情に覗く。さて、こうなると俺はただのお邪魔虫だな。とっとと退散するか。……長居すると変態王子に見つかりかねないし。
「じゃあ、俺はそろそろいくわ。邪魔したな、美優」
「はれ? えーっと……ああ! 結城姉妹のハーレム兄貴!!」
「なあ美優。俺の知らないところでどんな不名誉な噂が飛び交ってるのか真剣に聞いてみていいか」
「だ、大丈夫だよお兄ちゃん。信じてるのは、一部だけだから。それに半分事実みたいなものだし!」
 こら待て妹、半分事実みたいなもんってどういうことだ。
 大体一部でも信じているやつらがいる事だってことが問題なんだけどな。そいつらが魔法でほら、どこからともなく狙撃してきたりするから。
「まったく……とにかく、俺はもう行くぞ。仕事、しっかりやれよ。やってない俺が言うと説得力も何もないけど」
「そんなことないよ。ありがとう、お兄ちゃん……あ、そうだ、忘れてた。あのね、サフィールさんから、預かり物があるの」
「じゃあな、美優、仕事しっかりやれよ。やってない俺が言うと説得力も何もないけど」
 とりあえず聞かなかったことにする。情けなさ過ぎて自分に涙が出てくるよまったく。
「あう……お兄ちゃん、手紙……」
「……冗談、冗談だからそんな涙ぐむんじゃない」
 仕方なく美優から封筒を受け取る。意外と達筆だな、あいつ……。外国人のくせに、楷書で名前が書いてあった。俺でもかけないのに……なんか悔しいんですけど。
 とりあえずここで開くことはせず、ポケットにしまいこむ。わざわざ美優に手紙を渡してまでの用事か。思い至るやつと俺との共通の話題といったら彼女に関すること。それなら、こちらから聞きにいく手間が省けたことになる。
 ま、美優がきっちり仕事を始めたんだ。兄貴の俺が自分の役目を投げっぱなしてるわけにも、いかないよな。
「じゃあな、美優。今度こそ」
 手紙の感触を確かめながら、すでに頭の中ではエーデルが何を話すのか、何をたずねるべきかを考えている。自分の役目を果たすためにはどうするべきか。
 自分の役目――家族を、護る為には。
「お兄ちゃん――ワタシ、がんばるね」
 おう。
 俺も、がんばるよ。




 待ち合わせ場所は職員トイレだった。この辺の選択に奴の狂気を感じざるを得ない。なんで内密の話をするからってトイレに連れ込むんだよ。しかも遅刻。何様だ。
 だめだ、どうしてもエーデルのことを考えるといらいらする。第一印象が最悪だったからかな……貴俊だったら笑って窓から突き落として許すんだけど。
「はーっはははははは! どうだい、このボクの登場を待ちわびたかな、庶民のヒロト君!?」
「うおっ、まぶしっ!? 後光を背負ってドアを開けるな! ていうか、その光は一体どこから持ってきやがった!?」
 何の前触れもなくドアを開けて入ってきたエーデルは、まばゆい後光を背負っていた。これがしたいがためにわざわざ遅れてきたのか、こいつは。
 エーデルは俺の疑問に答えることなく、指をはじく。すると、光は音もなく消え去った。……魔法の無駄遣いかよ。
「さて、逃げも隠れもせずにやってきてくれたようだね、庶民のヒロト君。その勇気だけは認めてあげてもいいだろう。しかし! ボクと姫との間に横たわる愛情を邪魔することだけは、誰にも許されない!!」
 横たわるって。横たわる愛情って。すでに死んでるか瀕死だろそれ。すっごい嫌な表現をあてはめやがった気がするんだけど。
「つうか、手紙はもっと相手に意思が伝わるように書いてくれよ。これ、はっきり言ってわけが解らないぞ」
 文面は、こうだ。
 ――ごきげんよう、庶民のヒロト君。君は今日も相変わらずこのボクの溢れんばかりの高貴なオーラに恐れをなしているようだが、いつまでも逃げ切れるとは思わないことだ。そう、今日の放課後、君は3階の職員トイレでボクの崇高な魂の素晴らしさを知り、感激に打ち震え跪くことになるだろう。
 そもそもが由緒あるわがサフィール家の人間がこのような庶民の集まる場所にいること自体が君たちにとって一生分の奇跡とも言えるものであり、その事実を今一度よくよく考えるべきなのだ。それを君はどれだけないがしろにしていたのか、君はよくよく考え――
 なんかもう思い出すのも面倒くさいからいいや。後半部分はひたすらいつものお家自慢が続いてるし。
 そんなわけで、最初にちょろっと書いてあった場所が集合場所だろうと勝手に推測したわけだ。何で相手からの呼び出しの手紙でこっちが悩まないといけないんだろう。おかしくない?
 ま、今日は喧嘩をしに来たわけじゃないのでいちいち怒ったりはしないけど。
「それで、今日呼び出したのはどんな用件なんだ? まさか、いつもの口上を聞かせるためにこんな場所まで呼んだわけじゃないんだろ」
「フ……。さすがだ、ユウキヒロト。庶民にしてはこのボクの意思がわかっているじゃないか。それに関してはほめてあげる事もやぶさかではない」
 何でコイツはやぶさかではないとか、へんに日本語には詳しいくせに会話がまともに成立しないんだろう……。まだ幼稚園児のほうが話し相手としては話しやすいよ。
「いや、もういいから用事を教えてくれ。俺の精神が耐えている間に」
「ボクの高貴なオーラに触れてもう心が折れそうになったのかい! はははっ、庶民にはそれが限界かもしれないがね!!」
 折れそうになってるのは俺の心じゃなくて耐久力だよ!
 もう限界でいいかな。もう殴ってもいいかな。この右拳を思いっきりあいつの顔面にたたきつけていいかな。
「さて、それでは本題に入るとしようか」
「ああ……そうしてくれ。その方がお互いのためになるから。もういい加減に限界だったから」
 会話を始めて数分で色々と持っていかれてしまった。だから嫌なんだ、こいつと会話をするのは……。
 エーデルはといえばまじめな顔で――いやさっきからずっとまじめな顔ではあったのだが、語り始める。
「…………ユウキヒロト。君は、姫の事情について一体どれほど知っているのかな? いや、この質問は意味がないな。こう聞くべきだろう。……君は、彼女が何者か、正しく理解しているのか?」
「ユリアさんが、何者なのか? それはつまり、お姫様――以外の、何か重要な要素があるっていうこと、か?」
 俺の言葉に、エーデルは露骨な侮蔑を示した。
「やはり、何も知らないか……だろうな。でなければ、そのようにぬけぬけと何の緊張もなく日常を過ごしているはずがない。当たり前の日常を、当たり前に送る努力もせずに当たり前に送れるはずが、ない」
 ……その言葉は。
 余りにも、不吉に過ぎた。心臓をゆっくりと氷の手で握り締められるような感覚に襲われる。これは、多分。
 ――恐怖。
「さて。先に告げておこうか。君が何も知らない。その事実を知った今、ボクは君に対して怒りを感じている。何も知らない者が彼女の傍でのうのうと生きていることに対して、純粋に憤る。なぜ、君のような存在をあえて選んだのかと。君は『彼』とは違うというのに」
「おい、ちょっとまて。なにを言ってる? いきなり何の話だ?」
「黙れ」
 エーデルらしからぬ冷たい言葉。あるいは、これこそがエーデル・サフィールの本質か。常に自信に溢れている顔が、今は能面のように表情のない貌になっている。エーデル。こいつが何かを――あるいは、何もかもを知っている。
 それでいい。それでこそ、俺が胸糞悪い気分になってまでここへ来た意味がある。互いに互いを忌み嫌う理由が十分にある。それでいい。
 お前が、俺の前の、壁か。
「黙れといわれて黙るわけにはいかないんだよ。こっちも、美羽が……妹がそっちの事情に踏み込んでる。妹をわけのわからん事で危険にさらすわけにはいかねーんだ。お前が何を知っているのか、洗いざらいしゃべってもらうぜ」
「ボクに要求をするか。つくづく、ふてぶてしい輩だな君は。だが、ボクがその要求に従う理由はないぞ」
「だったら、這いつくばらせて無理にでも口を割るさ」
「面白い――あの日、何もできなかった君に何ができるのか多少は興味がある。あのふたりが何故君の家にいるのか、その理由になるかもしれないからな」
 彼女たちがうちにいる理由? 乃愛さんの推薦意外に、何か理由があるのか?
 ……まあいい。今は、目の前の壁をぶちぬくのが先だ。この男を、いけ好かない存在としてじゃなく、敵として。
 倒す。
「手加減はしてやる」
「情けはかけてあげよう」
 宣言と同時、鼓膜を震わせる大音響に体の反応が一瞬遅れる。全身を撫でる不自然な悪寒。自分の感覚を信じるまま、もっとも悪寒の少ない背後へステップ。何かが背中を叩いて息が詰まる。が、たいしたダメージはない。
 床を天井を壁を突き破って荒れ狂うのは大量の水。冷たい雫が降りかかり、塊となったそれは拳のように全身を叩く。夕日を浴びて光り輝く水の中央に立つエーデル。その指先が、まっすぐにこちらを示した。
 鋭く迫る水。息を吸い――鋭く吐く。呼吸を止めてすべるように移動。短距離での移動なら単純に走るよりも早いこの足捌きに、エーデルが目を見張る。が、立ち直りが思ったよりも早い。間合いに入る二歩手前で頭上に違和感を覚え、とっさに右に身をよじる。
「っぶねぇな、チックショウ!!」
 マシンガンの要に連射される水の弾丸。とっさに壁にへばりつくようにしてかわした。鼻先を次々に掠めていく高速物体に肝を冷やし――背後にまで違和感を覚える。奥から伝わってくるかすかな振動。とっさにその場にしゃがむ。頭のすぐ上でコンクリートが砕ける音と水流の音。
――追い詰められる!
 逃げてばかりではいずれ逃げ道を無くす。壁を蹴り、水浸しになり滑りやすくなった床の上をスライディング。
「何ッ!?」
 迫り来る水流をかわし、エーデルの股下を抜けて廊下に飛び出す。
「ここなら、まだ……っ!!」
 素早く立ち上がる。そのころにはなぜこいつがこんなところに呼び出したのか大体の想像がついていた。
 エーデルはユリアさんと同じ出身だといっていたから、おそらく使う魔法はあの自然を自在に操る魔法なんだろう。だが、ユリアさんが風と相性がいいといっていたようにそこには得手不得手が存在するに違いない。そして、エーデル・サフィールの相性のいい魔法が、
「水……てわけか」
 三分にも満たない攻防。それだけで、トイレは廃墟の様相を呈していた。
 ……くそ、押され気味だな。こいつ、戦い慣れてやがる。
 これは俺には予想外の出来事だった。貴族の息子だとか言っていたから、どうせ魔法に任せてろくに戦えないだろうと思っていたんだが……魔法を有効に使ってきている。
 まあ、
「ぐ……はっ……!」
「お前、身体能力やたらと低いな、オイ」
 そういうことらしいが。
 股下を抜き際に腕の力だけで足を払ったに関わらず、エーデルは仰向けにひっくり返っていた。足の甲の側から引っ張ったのだから普通に考えればこいつはうつぶせに倒れていなければおかしいのだが、なぜか仰向けに倒れていた。ということは――
「お前、あんなに軽く引っ掛けられただけで一回転したのか? それ逆に難しいだろ……変に抵抗しようとしたのか?」
 軽く一回転近く回ったことになる。中国雑技団か。
「ふん……僕自身に力がなくとも、魔法でいくらでもサポートできるだけの話だ。現に、君を圧倒していただろう」
「ひっくり返されておいてよくもまあそんなことがいえるな、おい……呆れるぞ、さすがに」
「ならばなぜ追撃に来ない? ボクはこれほどまでに無様な姿をさらしているというのに。それこそ、ボクは呆れてしまうがね。そこまで恐れているのか、僕の魔法を」
 エーデルの言葉には無言を返した。何も言い返せなかったのかもしれない。
 魔法を有効に活用すること。それも、これだけの大量の水を同時に、精密に扱うほどの強大さと繊細さ。確かに、脅威だった。エーデルがただ力任せに向かってくれば、今頃結果は出ていただろう。
 いまだ、エーデルを守るように宙に渦を巻く水を睨みつける。
 これは、結構、しんどいな……。
 でも、だからといって諦めてやるつもりはない。再び集中を高める。感覚を鋭敏化する。思考を単純化する。エーデルから感じる悪寒が、よりはっきりとしたものに感じられる。先ほどまでは、羽で肌の裏側を撫で回されるような感覚だったが、今は血管を蛆虫が這い回るような悪寒に変わっている。
 この悪寒が何なのかはわからないが、エーデルの魔法を感知できる以上、有効に使う。
「……ふん。まあいいだろう。ボクの質問に答えろ、ユウキヒロト。それで、姫やレン嬢、ミウ嬢が何に関わっているのか、教えてあげよう」
 ……はぁ? 何でいきなりそんな破格の条件になってるんだ? 罠か?
「言っておくが罠ではない。その証拠に、魔法は全て収めよう」
 エーデルの言葉が終わらないうちに、宙に渦を巻いていた水は力をなくして床にはぜた。トイレも、異常は……異常は…………異常だらけだよこんちくしょう! 水道管が破裂して水がぴゅーぴゅー飛び出てるわ壁に穴があいてるわ水浸しだわ、異常もここに極まれりだ! どうすんだよこれ!
「さて、それじゃあ質問させてもらおうか」
「いや、ちょっと待て。お前その惨状はどうすんだよ。後ろ、トイレだよトイレ」
 俺の言葉にエーデルは眉をひそめ振り返り――、
「さて、質問だ」
「はいそうですかスルーですか! 俺と同じような手段使ってんじゃねぇぞこんちくしょう!」
 ええい、もういい! どうせ破壊活動は全部このアホ王子がやったんだ! 俺の知ったこっちゃねぇ!!
 とにかく今は情報だ!
「ユウキヒロト。ボクは君について多少情報を集めた。これは知っているね? 君のクラスメイトから主に得た情報だ。それによると、君の魔法は対象を打ち抜く性質のものらしいが……なぜ、今の戦いで使わなかった?」
「…………それを聞いて、どうするつもりだよ」
「質問に質問で返すのはやめてもらう。さあ、なぜなんだい、答えてもらおうか!」
「質問するのにいちいちポーズをとるのもやめろっつーの……。魔法、か。アホみたいな答えになるけどな、俺は自分の魔法が何なのかよく知らないんだよ。だから、あんな状況で使えない。使おうとして使えなかったら、自爆の要因になるからな」
 俺の言葉に、エーデルは露骨に不満な表情をして「なるほど……」だの「なぜこいつが……」だの納得したり不満を呟いたりしている。
「おい、結局何なんだよ、今の質問は」
「……君という人間に多少理解が深まっただけの話だよ。君が、なぜか魔法を嫌っているという、それだけの理解がね」
 な、にを……こいつ……。
「自分の魔法を理解していないというのは、要するにそういうことさ。理解するつもりがないんだ。まあ、さすがに生まれたときからそうだったとは思えないから、どこかで何かきっかけとなる事があったんだろうだけどね。やれやれ……まさか、そんな人間のところに姫がいるとは。これはますます、事態は看過できなくなってきたようだね」
「お、おい! ちょっと待て! 何で俺が魔法を嫌ってるとか、そういう話になるんだ!? それが何の関係があるんだ!!」
「やれやれ……わざわざ全部説明されないと気がすまないのかい、ユウキヒロト。魔法というのは本人と切っても切れないものだ。それを最初から認識できないなんてことはない。この辺りの事情はわからないが、ともあれ、君は一度自分の魔法が何たるかを忘れ……その後、自分の魔法を忌み嫌うようになった。嫌っているものを理解しようとはしないだろう。それこそ必要でもない限り。だが、幸か不幸か、君はその必要となる事態に恵まれなかった。その、強さのせいでね」
 なんだよ。お前。何、人の事を自分の事みたいに語ってやがるんだよ……! わけのわからないことを……!!
「ボクとしては、君が何をそんなに憤るのかがわからないがね。自分が魔法を嫌っていると、何か都合が悪いのかい? いや、確かに魔法が使えないのは少々勝手が悪いだろうが……君が憤っているのは、君が魔法を嫌っていると指摘されたことに対してに見えるけどね」
「他人に、俺の事を勝手に評価されるのがムカついただけだ……俺が、魔法を嫌っているだの何だの、お前に言われたくない」
「否定はしない、か」
 くそっ。こいつ、半ば予想してやがったな、この展開……。あの質問は、ただの確認だったわけだ。
 ――俺が、魔法に対して嫌悪に近い感情を持っていることの。
 魔法を嫌っているわけじゃない。苦手なわけでもない。避けているわけでもない。ただ、俺の中で、魔法というものが。
 どうしても、意味をもてない。
 だけど、その自分の感情に納得できないのも、また事実だった。魔法の価値をもてなくて、それでも、価値が欲しくて。意味が、欲しくて。
 見つからない苦しさに、ずっと、喘いで。まるで、酸欠の魚のように、俺は、溺れてしまって。
 そんな事。ずっと、忘れていられたのに。
「さて、約束を果たそうか。君に対して、真実を教えよう。先に言っておくが、ボクは君が嫌いだよ。だから、こうして追い討ちをかけることに対してなんら罪悪感は持たない。さあ……覚悟はいいかい? 部外者のヒロト君?」
 聞けばきっと後悔するだろう。それでも、俺は。俺に、できることは――
 首を静かに、縦に振ることだけだ。




 衝撃を受けた。頭をハンマーで殴られたどころじゃない。ショットガンで吹き飛ばされたような衝撃だった。
 エーデルの話の内容は、それほどまでに俺にとっては衝撃的で、信じられないものだった。
「は、はは……なんだよ、それ……お前、なにそれ、冗談か?」
 真面目な顔で、なんつー、冗談、を……いってやがるんだてめえはいいからさっさとその真面目な顔を崩して冗談だって言えよ…………!!
 なんで、そんな、済ました顔で……まるで、事実を告げるだけのような、顔で…………無茶苦茶な、荒唐無稽な。
「だが、これはただの事実だよ。現実を受け入れたまえ」
「無茶苦茶だ……それを信じろ? 無理に決まってんだろうが……」
 足元が、視界が揺れる。歪んでいく。冗談だ、冗談に決まってる。
 そう思っているのに、そうに決まっているのに、何で体の震えが、乱れる呼吸が、収まらないんだ!
「君の認識がどうなのか、ボクは興味がないね。だが、姫の事について、僕の要求を述べさせてもらうのなら――」
「っ!? 待てアホ王子! 何かいる!!」
「何っ!?」
 エーデルの言葉の半ば、全身を不意に例の悪寒が撫で回した。それも、これまでに感じたことのないほどのざわめき。一瞬の事だったが、まるで心臓にムカデがいっせいに群がったかのような不快感を――いや、不快感なんてものじゃない。アレは、絶望感にも近いものだった。
 なんだ……次から次に、何が起こってる!?
「……誰もいないようだが、君の気のせいではないのかい?」
「はぁっ……くそ……。いや、いる……廊下の、向こう側だ…………」
 指が、震えだす。何か、嫌なものが、そこにいる。
 10メートルほど先の、廊下の曲がり角。差し込む夕日が生んだ影がのっぺりと、不吉に伸びていた。その本体をつれてゆっくりと廊下から這い出してくる。現れたのは。
「なんだ、奴は……妙な気配を感じるが……」
 子供? なんで、学園に子供が……いや違う、それ以前の問題だ!
「気をつけろ、あいつはお前と同じだ!!」
「何? 待ちたまえ、このボクがあのような子供と同列に扱われるのは甚だ納得が――」
「馬鹿、そういうことじゃない。あいつもお前と同じように強制的にこの学園に入ってきてるってことだ! この学園に、あんな生徒はいない!!」
 俺の言葉に、鋭くエーデルが相手を睨む。学園への強制侵入。それは、エーデルと同程度の力をあの子供が持っている証だ。そんな人間が、なぜこんなところにいるのか。
 タイミングが、あまりにもできすぎている。まさか……さっきのエーデルの話絡み、か?
「そこの少年。君は、何者かな?」
「んー? 教えてやってもいいけど、嫌だなァ……ていうか、さっきこの辺ですっごいでかい通常魔法を感じたんだよね。それ、アンタたちのどっちかがやったの?」
「だとしたら、どうする?」
「ハッハァ! そりゃあ最高だ! ってことは、アンタらのどっちかはオヒメサマの居場所を知ってやがるんだな?」
 お姫さま――こいつらの狙いは、ユリアさんか!?
「ワケのわからねーことを言うガキだな……ここは学校だ。お城じゃねーんだよ」
「おいおい、さっきまで本当の事を聞いてフラフラだった奴とは思えねーじゃん。無理せずに寝てろよ――死にたくねぇだろ?」
 っ! ガキが厭な笑顔を浮かべると同時、悪寒が体を這いずり回る。見ればニット帽がぱちぱちと放電していた。……あれは、電気?
「あいにくだが、ボクは君のような人間の指示は受けない。ボクこそ、サフィール家の次期当主、エーデル・サフィールなのだから!」
 だから、いちいちそうやって威張らないと自己紹介もできないのか、お前……。
 俺は呆れていたが、少年はその目を見開き、口を大きく開いて嗤い出した。――狂気、そのものの貌で。
「アッハッハッハッハ!! なんだアンタ、サフィール家の人間かよ!? 傑作、マジ傑作だよアンタ!! そうかいそれじゃあヒメサマがこの世界にいるのは確実なんだな! アッハッハッハッハッ!!!!! ハァ…………じゃあ死ね」
 無造作に伸ばされた左手。視界が歪むほどの寒気が全身を飲み込む。
 っ!? っのアホ王子! んなとこに突っ立ってんじゃ――ねぇっ!!
 エーデルを蹴飛ばし、閃光に目を灼かれながら自分もその場を飛びのく。
「ぐっ!? ユウキヒロト、いったい何の真似――!?」
「文句を言われる筋合いは……ないらしいな…………」
 俺とエーデルが立っていた場所は、黒く焼け焦げていた。あの一瞬での攻撃、閃光、そして、ニット帽からの放電……こいつ、まさか。
「雷の、魔法使い……?」
「はい大正解! 俺は雷電の特殊魔法使い、ポーキァってんだ。それにしてもスゲェなアンタ。俺の初撃、どうやってかわしたんだ?」
「敵にほいほい情報を渡すと思うのか、クソガキ」
「正しい、正しいねその考え方は。けどね、そういうのは――ザコの考え方なんだぜ?」
 ばちんっ! 空間が揺れるほどの響きと共に閃光が駆け巡る。
「ざ……けんなぁっ!!」
 がむしゃらに、本能のままに。生き延びるためだけに無様に前に飛び出す。背を焼く熱とかすかな痺れ。
「ひゃはっ! またかわしやがった!!」
 何が面白いんだかまったく理解できねえよ、クソガキ!!
「おい、動きを止めるな! あいつがなんなのかはわからないが、とにかく逃げるか追い返すかしないと!!」
「無論だとも! このボクに手を出したこと、全身全霊で後悔してもらう……!!」
 エーデルが右手を突き出すと同時、悪寒が全身を這いずり回る。それに勘付いたのか、ポーキァはエーデルに右手を掲げる。
 ちっ、何か投げるものは――あった!
 俺はすぐそばに落ちていたコンクリート片に飛びつき、ポーキアとエーデルの射線に重なるように投げつける。風船の割れるような音と共に、閃光が走り、コンクリート片がばらばらに砕け散った。
「ちっ、邪魔すんな!」
 ポーキァが両腕を天に掲げる。両腕が青白い光に包まれ、激しい炸裂音を奏でる。パンッパンッパンッ、と頭上からガラスの割れるような音が連続して響き連鎖していく。ぱらぱらと落ちてくるガラス片を片手で防ぎながら、俺は戦慄に体を震わせていた。
 ヤバイ。これは、ヤバイ。何かを投げて防ぎきれるような規模じゃない――!!
「エーデル、あいつ、でかいのをぶちかます気だ!」
「黙りたまえ! 魔法使い同士の戦いは魔法で決する――魔法も使えない者が、魔法使いの戦いに割り入ろうとするんじゃない!!」
 んなっ――!? こいつ、さっきかばってやったのにその言い草か!?
 何か言い返したいところだったが、ポーキァから目を離せない。言葉を飲み込む。それに――悔しいし認めたくないが、エーデルのいうことが正しいこともまた、理解した。
 この戦いに、魔法の使えない俺の居場所は、ない。
「さあ、このボクの一撃に畏怖したまえ!!」
「まとめて吹っ飛べってんだよ!!」
 魔法の発動は、同時。
 ポーキァを中心に閃光が広がり、破砕音がガリガリと廊下を削る。エーデルは床から天上から壁から空中から、無数の水の帯を打ち出し、練り上げ、濁流を生み出す。
 衝突は瞬間のうちに終わり、響く轟音に全身が打ちのめされる。
 ぐ……っ! なんつー、爆音だ。耳の奥にまで響く大音響。爆発は床を揺らし、平衡感覚まで奪い去る。思わずひざをついた。
 それにしても――雷撃を瀑布で防ぎきるなんて、無茶苦茶だ、コイツ。なるほど、俺相手には確かに情けをかけていたらしい。くそったれ。
 蒸発した水の霧が、ゆっくりと晴れていく。その向こうに、うっすらとニット帽をかぶった少年の影が見えてきた。
 ――ぜんぜん、堪えた風じゃないな。あのガキも、化け物か。
「ふぅん……さすが、音に聞こえたサフィール家の次期当主なだけはあるか。このままやりあうのも面白そうだけど、あんまり遊びすぎたら怒られるしなァ……足手まといつきじゃあ、やる気もでねぇ」
 足手まとい。
 その言葉に、奥歯を噛み締める。ギリギリと、頭蓋に音が響き、骨が軋む。
「とりあえず、今日のトコロはここで帰るわ。……また、遊びに来るぜ? ヒハ! ハハハハハハハ!!!!」
 けたたましい哄笑と閃光を後に残して、ポーキァは唐突にその姿を消した。
 ……結局、なんだったのかもよくわからなかったな。はぁ。
 エーデルと目が合った。……その瞳の奥に、確かな侮蔑の色を感じる。けど、納得はできないけど、理解はできる。役立たず……か。ちくしょう。無力感と脱力感に心が折れそうになる。でも、それでも、俺は。
「……おい、お前、ちょっとうちに来い」
 俺は立たないといけない。立っていないと。そうでなければ、俺の生きている意味が無い。
「なぜボクが君の家に? 何か頼みがあるのなら、ボクの家に出向くのが道理だと思うがね?」
「ユリアさんやレンさん……美羽に、お前の話を確かめる。あのガキの事も話さないといけないだろうしな。手伝え」
「フ……まあいいだろう。君がどうしてもボクの助力が欲しいのならば仕方がない! このボクが、あえて庶民のために手を差し伸べてあげようではないか!」
 命の恩人ってことになるんだろうけど、ムカつくなマジで。
 なおも一人でわめき続けるエーデルを引き連れて、廊下を歩き出す。

 夕日が、ゆっくりと山の向こうへと沈んでいく。不気味なほどに真っ赤な夕焼けの赤が、不吉なほどに暗く澱んだ宵闇に飲み込まれていく。
 焦燥が、胸を焼く。
 エーデルの言葉が、頭の中でぐるぐると回っていた。
 ――この世界は、やがて崩壊する。
最終更新:2007年12月08日 22:21
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