世界が見えた世界・5話 D

「さて、それではボクは帰るとするが……わかっていると思うが、今後ボクらの行動を邪魔するような真似だけは控えておくれよ」
「そっちこそ、余計なこと口走るんじゃねーぞ。今日のガキ、明らかにユリアさん狙いだ。お前が宣言したんだから、全力で防弾ガラスになれ」
「このボクに命令とはいいご身分だね。いずれ君もボクのすばらしさに気づいた時、それまでの行いを心の底から反省するようになるさ」
「もういいから帰れ。……そういえば、お前どこに住んでるんだ? 誰かの家って感じじゃないよな」
 お金は……ああ、ウチの場合は乃愛さんが大量に持ってきてくれたしなぁ。あれ、どこから出てんだ? やっぱ国とか学校からか?
「当面の生活費には困っていないが、家を手に入れることはできない。とはいえ、このボクが! 庶民の家に世話になることなどできるものか! そこでボクは考えた。そう、水も電気もベッドも揃っている施設があるではないか、と」
 なんだそれ。なんか変わった施設か何かか? ……ていうか、ホテルにでも住めばいいだろ。
「そう。ボクは今、学校の保健室で寝泊り」
「お前それは威張って言うことじゃねぇよ!? ていうか滅茶苦茶タチ悪いなおい。沙良先生がよく許したな……」
 ていうかお前んちに出向くも何もないだろうがそれじゃあ。
「ミス・サラか……最初は彼女の世話になる予定だったのだが、あのましゅまろとかいう生物が。あの謎のぬいぐるみだけは、ボクの美的感覚が許さない――!!」
 あー。それで沙良先生と衝突したのか。あの人、大福のこと随分気に入ってたみたいだもんなぁ……。
 ていうか、あれカタチ的にましゅまろじゃないだろ。どう考えても大福の形だろ。なんでみんなましゅまろで納得してんだよ。
「まあ、お前がそれでいいのなら何も言わないが……学校にとまるとか、結構不気味な環境だな」
「馴れてしまえばどうということはない。まあ、夜中に目が覚めたときのあの部屋の不気味さにはいまだに馴れることはないが……」
 ああ……確かに、あの部屋で夜中目を覚ましたら怖いだろうなぁ……。何しろ、床いっぱいのぬいぐるみがひしめいてるんだし。大福に至っては動くんだもんなあ。他のも動かないとは限らないよな。そう考えると、うん、ホラーハウスだわ、あそこ。
「お前も随分気の毒な環境になってるな……」
「庶民のヒロト君に哀れまれるなど、屈辱もいいところだ。やめてくれたまえ」
 ……本気で腹立つんだが。帰れ、お前もう帰れ!!
 うら! 蹴りだ蹴り!!
「あ、くそ、何を! ええい、やめないか! ボクはもう帰るからね! さっき言ったこと、忘れないでくれたまえよ!!」
「こっちこそ同じことを言わせてもらうからな! うら、さっさと帰れ、アホ王子!!」
 エーデルの背中を見送って、家の中に戻――らずに、玄関からも家の外からも死角になっている塀の陰に声をかける。
「もう出てきてもらってかまいませんよ、乃愛さん」
「いやぁ、さすがヒロト君。この私の気配に良くぞ気づいた」
「そりゃああんだけ窓の外からこっちを見ていれば気付きますよ。しかもわざわざ俺にしか見えないように錯覚まで使って?」
 窓の外から中の様子を乃愛さんがうかがっているのには気付いていた。それを放っておいたのは何となくそれを彼女が望んでいそうだったということもあるが、単純に魔法を使っていることに気付いたのもある。
 彼女の魔法『錯覚』は、その名の通り他者に錯覚を起こさせる。たとえば、窓の外に人がいても、それをいないと錯覚させてしまったりとか、ね。
「あそこで君が私の存在をひたすらに訴えてくれればまた病院だのなんだのの騒ぎになってくれたのに」
「どんだけその悪戯で俺が痛い目を見たと思ってるんですか……それで、何かはなしがあってきたんですよね? 中、入ります?」
「おいおい、最初から答えがわかっているんだからそんな無意味な質問はやめてくれたまえ」
 乃愛さんが芝居がかったしぐさで嘆きのしぐさをみせる。ノリノリだな、今日は。
「……じゃあ、公園にでも行きますか」




 公園のベンチに座る。
 缶のプルを引く音が2つ、公園の闇に溶けていった。
「さて……私がこんな時間に君の家を訪ねた理由は他でもない。今日学校であった、校舎の大破壊について、だ」
「あれですか。ていうか、あの時は周りには人、いなかったと思うんですけど……なんでばれたんですかね?」
「君はどんな学校に通っていると思っているんだ? あんな非常識にもほどがある場所にいて、なぜも何もないだろうに」
 そりゃそうだ。魔法の種類は多岐にわたっているし、何よりも応用の仕方でいくらでも効果の幅を広げられる。乃愛さんの『錯覚』は応用によって大きく状況を左右できるし、貴俊は『分離』をこちらが予想もしない方法で応用する。
 ……俺? 自分の能力もわからないのに応用なんてできるかよ。
「それでまあ、君と王子くんのその後を気にしてね。その後の少年が何者なのかも気になったし」
「俺とアホ王子はまあ、別に今までと変化なしですよ。たまにいざこざを起こすかも知れませんけど、今後はあんなトイレ丸々だめにするような大喧嘩はしないと思います」
「ふむ、それならまあ、問題はない。王子くんのほうには私から注意しておこう。それで、その後に出てきた少年だが――」
「あの子供が何者なのかはわかりませんが……ユリアさんを狙っているのは間違いないみたいです。アホ王子の事も知ってましたし。……あと、他にも仲間がいるようなことをいっていました」
 俺の言葉に、乃愛さんは露骨に顔をしかめる。いや、これは何かに気づいたのか?
「乃愛さん?」
「ん、ああ。ちょっと嫌な想像をしてね。そしてそれは多分あたっているからタチが悪い」
 乃愛さんはコーヒーを一気に飲み干すと、暗闇の奥に缶を放り投げた。しばらくしてカシャン音が響いた。どうやらゴミ箱にホールインワンしたらしい。この暗闇の中でどうやったらそんな芸当ができるのか謎だけど。
「ヒロト君。今、世界各地のコミューンで襲撃事件が起こっている。いくつかのコミューンでは今後の維持が困難なほどの被害が出ているらしいのだが……どうもそれぞれの事件の実行犯は1人らしい。そして、その連中はどうやら1つのグループに所属しているらしいということがわかっている」
「……じゃあ、まさかあの子供も!?」
「確証も証拠もない。しかし、私はそう決定した。私の中の直感がそうだと告げている」
 直感なんて信じていいのかと思うが、乃愛さんは真剣らしい。
「まあ、単に直感だけで決め付けているわけではないさ。どうにも、その連中中にはは我々のような魔法とは別に、姫と同じ系統の魔法を使う者がいるらしい。彼女らの言うところの、通常魔法を、な。つまり彼らも、姫と同じ異世界からの来訪者というわけだ」
「なるほど……いや、ちょっとタイム。何で俺がそこらへんの事情知ってるって……あー、何でって考えるだけ無駄なのか」
「いやいや、いっておくが私は君らの会話までは知らないよ? その場で起きた少し前の時間の映像を映し出すだけだからね。君がそこまで知っているかどうかは、まあ私なりの推測だな。いや、知っていてくれてよかったよ。知らなかったら記憶をどうにかしないといけないところだった」
 ああよかった。話聞いててほんとによかった! だって目の前で乃愛さんったらシャドウボクシングなんて始めるんですもの! やたらと様になっていますけど経験者か何かですか、先生?
 ところで頭を強く打って記憶を無くすって実際にあるらしいね。
「昔戦場にいたことがあってね。説明すると長いんだが、まずあの時は――」
「聞きたくない! そんなことはいいから早く話を進めましょう先生! 明日も学校があるんだから夜更かしはダメだと思います!!」
「む。生徒からそういわれては仕方がないな。さて、確か連中がひとつのグループだというところまで説明したかな。さて……あの子供が本当にグループに所属していたとして、今後どうなると思う?」
 そんな事、考えるまでもなかった。
 あの子供がユリアさんを探していて、そいつがそのグループのメンバーだったとするなら。
「そんな化け物みたいな連中が、ここに来るっていうんですか。ユリアさんを奪いにこの街へ」
 たった一人でコミューンを相手取る化け物が何人も? 冗談にしても悪趣味が過ぎる。それが事実なのだからなおのことだ。
「そうなる可能性が高いと踏んでいる。まあ、あの子供が私の想像通りの場合、だがな」
「無茶苦茶です。大体、1人でコミューンをつぶすなんて、どんな奴らなんですか?」
「まあ、魔法使いとはいえ所詮は一般人だからな。本当に戦い慣れた……いや、殺し合い慣れた連中とまともに張り合えはしないさ。なまじ魔法なんてものを持っているせいで、無駄な抵抗をしてしまいかねない。考えてみたまえ。君、銃を持った歴戦の兵士に、同じく銃を持ったところで太刀打ちできるかい?」
 想像しようとして、無駄だと理解した。勝てるわけがない。所詮俺はただの一般市民だ。多少特別な力を持ったところで同じ一般市民相手には有利なれても、その手のプロを相手にすれば結果は火を見るよりも明らか。 それ以前に――俺に人が、殺せるか?
 自分の手が血に染まる様を想像しようとして――くらり、と景色が傾いだ。何か、嫌なものが脳の奥でずるりと這った気がした。
 乃愛さんは凍りつく俺に構わず話を続ける。
「君の想像通り。連中に立ち向かった者達はことごとく返り討ちだよ。事件の報告も、逃げた者から受け取った物ばかりだ。そのせいで、連中の魔法についてもイマイチ不明な点が多い。これは、実に厄介だよ」
「厄介って、どんな風に厄介なんですか? そりゃ、相手の能力がわかっていないのは厄介でしょうけど、そんなの、初めて戦う相手なら普通なんじゃ?」
 意識を会話に引き戻す。脳内に浮かびあがってきたいやなものを振り払う。
 それを意識するなと心が訴えかける。だが、なぜだろう。それを思い出したい、思い出さなくてはならないという意識も、確かにあった。
「私が厄介だといったのはその部分じゃない。すでにわかっている部分だよ、ヒロト君。彼らは、通常魔法を使うんだ」
 通常魔法を使う? 確かに、ユリアさんやエーデルが使ったような魔法は凄かったけど、それはどんな能力かはわかっているんだから、まだ対処のしようが――。
 いや、違う。そういうことじゃない。わかっている能力とわかっていない能力。この2つが同時に存在することが厄介なんだ。
「気づいたかな? それでこそ私の教え子だ。考えてみたまえ。連中が何か能力を使ったとしよう。さて、それは果たして彼あるいは彼女特有の魔法かそれとも通常魔法か」
「……今日の子供――ポーキァは、自分を雷電の特殊魔法使いだといっていました。けど、確かにそれを証明することはできない」
「そうだ。そのポーキァという子供がもう1度君の前に立ちはだかったとき、君は相手を雷電の魔法使いだと思って戦う。だが、そこでもしまったく違う能力を使い出したら……まあ、さすがに負けるだろうね」
 乃愛さんの言うとおりだ。
 過去の喧嘩で、相手が魔法を使ってきたことは数度あった。それは、事前に相手の魔法を知っていたこともあったし知らなかったこともあるが……とにかく、魔法使いとの戦いで重要なのは、相手の魔法の性質を見極めることにある。
 魔法使いの戦いは、魔法を中心に据えて行われる。戦いのスタイルが魔法によって決定されている。つまり、相手の魔法の性質を見極めることができれば、相手の戦いの隙や弱点もつけるようになってくるのだ。
 今日のポーキァとの戦闘に関しても、いくつか弱点となる要素は見つけている。もしもう1度戦えというのなら、そこをうまく利用して戦うことになるだろう。
 相手の使う魔法が、雷電の能力に限り、という制限がつくが。
 もしポーキァの雷電の魔法が、特殊魔法でなく通常魔法であったのなら。奴はそれこそ、奇想天外な能力を他に有している可能性がある。
「相手の能力をひとつ見極めても、それで終わりじゃない……知っているという余裕、見抜いたという油断、そして、もうひとつあるかもしれないという躊躇い。既知と未知を秤にかけた罠」
「そういうことだ。戦いとは手持ちの札をいかにうまく使うかで勝敗が分かれる。それならば、手持ちの札の数が多ければ多いほど有利になるのは当然だ。彼らは我々よりも多くの手札を持ち、しかも分かっている一枚はその効果が確定していないまさにジョーカーだ。相手はその点、常に我々よりも有利な地点から戦いを始められるわけだ。実に忌々しいな」
 口調とは裏腹に、どこかさっぱりとした表情の乃愛さん。何を考えてるんだろう?
「……それで、これからどうするつもりですか? まさか、ユリアさんをそいつらに渡すとかは言い出しませんよね? 今のところ、この世界存続の鍵をにぎっているのはユリアさんなんでしょう?」
「それはな。それに、連中の目的もはっきりとはわかっていないんだ。迂闊なことはできない。とはいえ、手をこまねいているわけにもいかない。このままでは被害がひたすら増え続けるからね」
「調査は続行、それに加え敵となるかもしれない存在の警戒と情報収集。それに、襲撃に対する備えですか……先生も大変ですね」
「……ふむ。この話の流れだと君が協力を申し出てくると思ったのだが……ナイト君に釘でも刺されたかい?」
 ……だから。
 何で俺やそのの周囲の言動全部わかってるんですか……名探偵か何かですか、あなたは。真実はいつもひとつですか?
「ええ、そうですよ役立たず認定されましたよ! ああせっかく人がせっかく忘れようとしてたのに!」
 落ち込む。落ち込むというか、苛立つ。苛立つというか……ああ、もう。感情に頭の中身をかき混ぜられる。何がなんだかわからなくなってくる。
 しかし、乃愛さんはそんな俺を見て小さく吹き出した。
「なんなんですか。人が珍しく本気で凹んでいるのに」
「別に君がへこむのは珍しいことでもないだろう。ま、それはともかく、だ。君はどうにも状況に流されやすいなぁ」
「や、それ、美羽にも散々言われたんで。ていうかニヤニヤしないで下さいよ。大体、それ、今関係ないじゃないですか」
 俺の言葉に、乃愛さんは目を大きく開いて大げさに驚いてみせた。
「関係? 大有りだとも。君はこのたびの世界崩壊に関する調査に加えてもらえなかった。理由はまあ、魔法の能力についてとかそのあたりだろうな。だが、調査に参加するのが君の目的じゃないだろうに。調査に足手纏い? 大いに結構だろう君の場合は。そのほうがある意味、目的を達しやすいのだから」
 先生の言葉は、相変わらず遠まわしで、ヒントをいくつもちりばめるに止まるものだった。
 答えは自分で探しましょう。そういうことだ。先生の言葉に耳を傾ける。
「君は状況に流されやすい。周囲に惑わされやすい。もっとクリアになることだ。そうだな、君が言うとしたら……もっと、我が侭になるべきなのだよ、君は。」
「我が侭って……十分、我が侭にやってるつもりですけど」
 ていうか、ここでも俺の言葉を引っ張ってくるんですか。微妙に恥ずかしいのでやめてください。
「自分の事というのは、案外わからないものだよ。その点、実は1番良くわかっているのはミユかもしれないね」
「美優が、ですか? あいつはあいつで、自己評価が妙に低いところがありますけど」
「それはそうだが、少なくとも彼女は自分の――欲望? 本心? まあ、なんと言い換えてもいいが、君ら兄妹の中ではそれに対して素直に、一番我が侭にできているよ、健全な意味でね」
 健全な我が侭、か。どういう意味だろう。
 俺が何のために、今回の調査に加わろうと思ったのか……か。よく考えてみたら、理由、あまり深く考えてなかったかもしれないな……。
 美羽がやってるから。美羽の身に危険があるかもしれないから。いや、それなら美羽に無理やりにでも調査に加わるのをやめさせるか、ユリアさんに美羽を入れないように頼むだけだ。俺が加えられなかったことを嘆く理由としては、少しずれている気がする。
「今回は、私はヒロト君の意志を尊重しよう。君がポーキァという少年のことを彼女達に秘密にするのなら、私もそのことは隠し通す。無論、警備は配置させてもらうがね。だが、よく考えるんだ。何故君が、ポーキァの事を彼女達に秘密にしようと考えたのか。なぜ、多少の危険を覚悟の上で彼女達に知らせず、その外側で解決しようと考えるのか。私とよく似た君は――どんな結末の為に、動くのか」
 俺の望む、結末? 俺はそのために動いていると、そう、乃愛さんは考えているのか?
 俺の知らない俺の意志。それを、乃愛さんはある程度予想しているのか。あるいは、乃愛さんの意志があって、俺の意志もそれと同じだと確信しているのか……。
 どちらにせよ、俺は乃愛さんほど脳味噌の活動はよろしくない。じっくりのんびり考えるとするか。
「さて、少し話し込んでしまったな……私はもう帰るとしよう。それではな、ヒロト君。家族で仲良くするんだぞ」
「あっはっはー! 最後の最後で本日最大の難問を思い出させてくれやがりましてありがとうございますっ!!」
 あんまりな心遣いに涙が駄々漏れですよ。
「なぁに、頼りがいのある姉役兼担任教師だ、君の家庭環境には常に気を配っているよ。というわけで――明日、ギクシャクしたままだったら大変なことになるよ?」
「無茶言わんで下さい。ていうか、さすがに最大の難関の美羽はもう寝てるでしょう」
「最大の難関……? ぷっ、くはははは! 相変わらずだな、君は。相変わらず女心に疎いようだ。あーおかしい。おかしいって言うか……悪い、滑稽だ君」
「いきなり表情が素に戻ったりなんかするとすっごく冷たくあしらわれてる感じがするんですが?」
 しかし乃愛さんは答えない。どうやら自分がしゃべるだけしゃべって満足しちゃったようだ。
 アンタって人はー!!
「おやすみ、ヒロト君。……ぷくくっ」
「小声で笑ってもばれてますから!! おやすみなさい」
 結局終始乃愛さんのペースだった。
 いや、俺なんかがあの人に敵うとは思ってないけどさ……はぁ。帰ろ。時間が経ってるのは事実だしな。
 俺は乃愛さんの言葉を思い返し、思考に耽りながら帰路に着いた。




 夜中、ひとりでテレビを見てる俺。超寂しい。
 ……だって眠れないんだもん。仕方ないじゃあないですか。
「ようやく最近生活リズム戻ってきてたのに、また頭の痛い問題が生まれたせいで……」
「お兄ちゃん……起きてたの?」
 いつの間にか、居間の入り口に美優が立っていた。眠そうな目をこすっている。起こしてしまったかな?
「えへへ……ちょっと、眠れなくて……今日は、色々びっくりしたから」
「俺もだよ。ほら、ここ座れよ。ホットミルクでも作ってやるから」
 ソファの隣を叩いて、俺はキッチンでホットミルクをつくる。戻ってくると、美優はぽけーっと通販番組を見ていた。そんな真剣に見ても、家庭用ICBMなんて買わないからな。ていうか一万九千八百円っておかしいだろ、どう考えても。
「そういえば、お前は途中までしか話聞いてなかったよな? 今全部聞いとくか?」
「ん~。いいよ、そのうちお姉ちゃんに聞くから。ワタシは、お兄ちゃんとお姉ちゃんが……ううん、みんなが楽しくできればいいから。だから、あんまり、世界とかよくわからないんだ。世界の崩壊、なんて、ちょっと怖いし。お姉ちゃんが危ないことするのも、怖いけど」
「大丈夫だよ。ユリアさん達がついてるし、美羽も、いつもどおりにやってればヘマなんかしないって。俺よりよっぽどしっかりしてるんだから」
 頭を撫でてやると、力なく頭をこちらに倒してきた。
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、喧嘩しないでとはいわないよ。でも、ちゃんと、わかり合って欲しいよ」
「………………。ああ、そうだな」
 美優の言葉は、静かに体に――心に染み込んでいくようだった。
 その通りだと思う。美羽のやることを否定するのではなく、あいつの意志を、希望をちゃんと聞いて、理解する努力はすべきだった。努力を怠ったのは俺だ。少なくとも美羽は自分の意志を伝えようとしていたのだから。
「美優……俺な、お前が上にあがった後、俺に何ができるかって聞いたんだ。まあ、足手まといになるから何もするなって言われたんだけどさ。でも、それが凄く悔しかった。俺は、みんなの為に何もできないんだって、すごく」
「そんな事ないよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、いつも私達を守ってくれてる。昔からずっと、守ってくれてたよ。ワタシもお姉ちゃんも、そのこと、ちゃんと知ってる」
「守れてたのかなぁ、俺。昔の事思い返すと、どうにも自信がなかったりするんだけど」
 そもそも、子供にできることなんかたかが知れているわけで。それで誰かを守るとか、よく口にできていたなと思う。
 それだけ必死だったといえるかもしれない。でも、周りが見えていなかっただけともいえるだろう。多分、その両方だった。妹達を守ると、あの雨の日、父の葬儀の日、そう誓ったから。
 けど、俺の浅はかな思い込みのせいで、逆に妹達を追い詰めていたこともあったと思う。俺はあの頃から、成長していないんじゃないか。今でもそう思う事がある。
「お兄ちゃんは結果だけを見て言ってるのかも知れないけど、私達はね、お兄ちゃんが私達を守ろうって、そう思ってくれたのが凄く嬉しかったんだよ。それだけで……すごく、救われたの……嬉しかったの。お姉ちゃんも、そう、言ってたよ」
 美優の言葉になんて返したらいいのかわからない。嬉しいような、恥ずかしいような、そんな気持ちが湧き上がってくる。
「ん……ありがと。そういってもらえると、まあ、なんだ。とにかく、ありがとな、美優……美羽にも、感謝してる」
「お姉ちゃんが聞いたら、きっと大喜びだよ」
「どーだろうなぁ……今日の事だって、すっごい怒ってるだろうしなぁ」
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんが、ユリアさんのお手伝いをするのは、嫌なの?」
 美優は純粋な疑問を浮かべている。どうやらこいつは美羽がユリアさんの手伝いをすることに対しては問題視していないらしい。
 それは美優の願いがはっきりとしているから。
「嫌っていうか……まあ、危ない目に遭うのは嫌だけど。嫌って言うよりは、怖い、かな。あいつが、いつの間にかいなくなってしまいそうで、ちょっと怖かった。今言いながら気づいたんだけどな、コレ」
 苦笑する。乃愛さんに言われてずっと考えていたが、どうにも思いつかなかった答え。その答えに繋がりそうな感情が、ぽろりと、零れ落ちるように出てきた。
 ほんとに、ひとりじゃ何もできないな、俺は。考え事ですら人の手を借りないとだめか。美優、ありがとな。情けないお兄ちゃんだな、俺は。
「お兄ちゃんは、お姉ちゃんのこと嫌いになる?」
「はあ? 馬鹿言うなって。俺が美羽のことを嫌いになったりするわけないだろ。お前も美羽も、大切な家族なんだからいつだって大好きだよ……ってなに言わせるんだお前はっ!? めちゃくちゃ恥ずかしいですよお兄ちゃんは!!」
 がたっ。
 ん? 何か物音が聞こえた気がして、振りかえる。誰もいない。
「気のせいか。まあ、こんな時間にいちいち起きてくる人間がそんなにたくさんいるわけないか」
「私たちは起きてるけどね……あの、そう言えばお兄ちゃん。昔も、こんな風に一緒に夜中にホットミルク飲んだよね……」
 何のことかと思ったが、すぐに思い至った。
 美優がまだうちに来て間もないころ、俺もいきなり家族が増えて緊張していたんだろう。夜に眠れなくなっていた時期があった。そう、ユリアさん達が来たころみたいな感じだな。
 それで、美優もやっぱりうちに慣れていなかったのか、それとも俺が起こしてしまっていたのか……とにかく、俺が起きているとよく目を覚ましてくることがあった。
 そんなとき、今みたいに2人並んで、ホットミルクを飲んでいたんだ。
「そんなこともあったな。……美優がきたのが母さんが死んでしばらくしてからだから、もう結構経つな」
「うん……その後すぐに、お父さんが死んじゃったけど……でも、みんなで一生懸命、がんばってきたもんね」
 親父がある日突然つれてきた女の子を『お前たちの妹だ』と言い放った時の衝撃は一生忘れないだろう。
「……あのね、お兄ちゃん。お兄ちゃんたちは、お父さんに私の昔の話は聞くなって……言われてたんでしょう?」
「ん、知ってたのか。『辛い事があったから聞かないでやってくれ。ただし、美優が聞いて欲しいと言ったら全部聞いてやれ』そういわれてる」
 美優は俺の肩に額を押し付けているおかげで表情が見えない。でも、その体が小刻みに震えている。
「美優、大丈夫か?」
「……ん」
 けど、体の震えは消えない。
 俺は左腕を美優の肩に手を回し、右腕で背中をやさしくなでる。
 美優は俺の胸の当たりのパジャマをぎゅっと掴んで、小さく嗚咽を漏らした。
「ちょっ、兄貴、近っ……!?」
「え?」
 振り返る。しかし誰もいない。……え、あのまさか、うちにゴースト様がご在宅とか、そんな状況じゃないですよね?
 は、はははは……。ま、まさかねぇ。
「お兄ちゃん?」
「あーいや、平気平気。それで、お前の昔がどうかしたのか?」
「あ……うん。あのねお兄ちゃん……私がもし、うちに来る前にすごく……すごく、悪いことをしていたら……取り返しのつかないことをしていたら。お兄ちゃんは、どうする?」
 また難しい問題を……。
「どうしようもないだろ、そんなの。もう過ぎたことなんだし。気にするなとは言わないし言えないけど、それでもお前はもう俺の家族なんだ。それに、親父が連れてきたんだぞ? その悪いことにしたって、たぶん親父は受け入れようって思ってお前を連れてきたんだろうし……ああ、よくわからんな。まあ、結論を言えば――」
 結論を言うのなら。
 そう。俺がたどり着く結論は、いつも変わらない。俺にはそれができるなんて自惚れてるわけじゃない。俺には、それしか目指すものがないから。それしか貫くものがないから。
 優先だとか何とか、そういう次元の問題じゃないものが、きっとある。
「俺が美優の兄貴でいるために、美優が俺たちの家族でいられるための最善を尽くすよ」
「うん……ありがと」
 小さな呟きの後、低い嗚咽が俺の胸にぶつかる。
 俺はその背中を優しくさすりながら、乃愛さんの言葉を思い返していた。
 ――一番我が侭にできているよ、健全な意味でね。
 美優は、家族みんなで仲良く、幸せになりたいと思っている。そうしてほしいと、俺に訴えかけてきている。そして、自分をその中に入れていてほしいと望んでいる。それこそが、美優の願う結末。
 素直に。正直に。

 俺もこんな風になれたら、俺も自分の目的を見失うこともないのだろうか。
 自分の行く道に惑い、行き場のない苛立ちに体を震わせることもないのだろうか。月を見上げたところで答えは出ない。その答えのあるはずの心は、いまだに虚空をさまよい惑い続けている。
 家族を守る、それが俺の出した結論。ただ、それはあくまで結論であり、結末ではないのだ。俺の望む結末は、果たしてどんなものなんだろうか。
 美優が泣きつかれて寝てしまうまで、ずっとそんなことを考えていた。
最終更新:2007年12月08日 23:39
ツールボックス

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