僕の世界は壊れない・第四話

四話:朝




暴力はよくない。
暴力は行使した者と行使された者の関係に亀裂をのこしてしまうからだ。
過去の歴史をかんがみてもそれは明白だろう。
しかし人は暴力を振るう。
人の心、特に瞬間的な感情は理屈では押さえられないから?
それとも暴力を使ったほうが楽に事を運べるからか?
まあ。
どちらにせよ、俺の体の痛みは変わらないわけで……。



いつものように目が覚めた。
同時に昨日の出来事を思い出す。



激怒したレンさんと美羽の表情。
あれは阿修羅のそれだった。
怒髪天を突く、というような感じといえばわかりやすいだろう。
リンチが始まって20分程してから物音に気付いて出てきてくれたユリア様と美優。
二人は臨死体験中の俺の姿を見て、それはもう驚いたという。
その後二人が事情を聞いて、俺がわざとやったのではないということを察し、レンさんと美羽をそれぞれ説得してくれた。
おかげで誤解は解けた(俺は気絶していて後で美優に看病された時に聞いたのだが)、と思う……多分。


そんなわけで、目覚めは最悪の気分だ。
心配事が多すぎる……。
無意識に伸びをして、身体をはしる痛みに身をすくめる。
目立つ外傷は美優の能力でふさがれているが、まだ体の節々は痛む。
目覚まし時計を見ると、三本の針は起きるべき時間より30分ほど早い時刻を指していた。
とりあえず、下に降りて顔でも洗うか。



階段を降りる途中、起きぬけと見えるパジャマ姿のユリア様が目に入った。
ぬいぐるみを抱えて、ふらふらと階段を降りている。
危なっかしい足取りだ。
寝ぼけているのかもしれない。
転びでもしたら一大事、慌てて早足に階段を降りる。
追いついた。
横から覗き込むと、ユリア様もこちらを見返してくる。
目は覚めていたようだ。




大翔「おはようございます、ユリア様」
ユリア「…………」





想像していた「おはようございます~」みたいな反応が帰ってこない。
ひょっとして起きたばかりで頭が回っていないのかな?
ユリア様はただ、微妙に潤んだ目で俺を見つめている。
俺は目をそらせない。
別に見惚(みと)れていたわけではない。
なんとなく外国の人から目をそらすのは失礼な気がしたのだ。
建前だが。
本音はもうユリア様のあまりの美しさに見惚(みと)れまくりだ。



だが――目をそらせない理由は、建前でも本音でもない。
それは……なにか、そう、本能のような物だと思う。
『目を離したら危険だ』と肌が感じている。
気がつけばユリア様は目の前まで近寄ってきていた。
元から同じ段に立っていたのだが、比喩ではなく目と鼻の先までお互いの顔が近づいている。
俺の目がユリア様の瞳に映っている。
ユリア様の目も俺の瞳に映っているだろう。
だが、その目は――――俺の存在は、ユリア様に知覚されているかは怪しいところだ。
ユリア様の目には、感情というものが感じられない。



――――空白だ。
いや、それよりは……空白が映っている、と言ったほうがいいだろうか。
              ・・・・・・・・・・・・・・・
……にしても、この目、どこかで見たような……



大翔「あ、あの……」
ユリア「…………」



ユリア様の唇を意識してしまう。
ほんの少しでも動けば、すぐに触れてしまうような位置にあるのだ。
青少年としては当たり前だろう。
本来なら今すぐにも動いてしまいたい気持ちで一杯なのだろうが……。
状況的に無理だ。
もしもこんなところを美羽やレンさんに見られた日には――!



そこで気付いた。
この流れは……!
危ない! これは死亡フラグだ! 回避せねば!



ユリア様の肩を両手で掴み、少し離してからがくがくと揺さぶる。
少々手荒だが、こうするしかユリア様を正気に戻す方法が思いつかなかった。


ユリア「~~~~~~…………う? ええ? 」
大翔「やった! 」


ユリア様の目に光が戻った。
表情はぽえ~っとしている。
とりあえず声をかけようとした、その時。


レン「何をしているーーーっ! 」



なんということだ……。
レンさんが階段を降りてきている!
今まで声を掛けられなかったということは、肩を揺さぶった辺りから前の出来事は見られていないだろう。
不幸中の幸い……いや、幸いと言ってもマイナスにならないだけでプラスにもならないが。
レンさんは顔をしかめて、俺の側からユリア様を離す。


レン「ヒロト殿……昨日の事といい、あなたには少々警戒が必要なようだ」
大翔「いや、これには訳が……」


なんか俺とレンさんってこのパターンが多いな……。
このまま続けているとお約束みたいになりかねないぞ。
最初は問答無用で斬りかかってきていたレンさんも、俺の話を聞くくらいの裁量を持ち始めているし。
ユリア様は状況が掴めないらしく、レンさんがかもしだす険悪なムードにあたふたしている。
今回は助けも期待できないようだ。
俺は溜息をつくと、事の次第を話しはじめた。


レン「…………その話は、本当か? 」
大翔「はい、まあ……多分に俺の主観が入ってはいますが」
ユリア「? 」


話を聞いた(もちろん姫様にドキドキしていた、なんてことは言わなかった)レンさんの反応は、思っていたより深刻な感じだった。
二人の国にはそんな感じの病気でもあるのだろうか?
夢遊病、みたいな。
あれは病気ではないらしいが。
レンさんはしばらく考え込んだ後、俺に「すまない、こちらの勘違いだ。忘れてくれ」と言ってユリア様を連れて階段を降りていった。
……ふむ。
何かありそうだな。


美羽「階段のど真ん中で突っ立ってんじゃあないっ! 」
大翔「ワオッ! 」


階段から蹴り落とされた。
下手人は誰だ、と階段を見上げると、既に学園の制服に着替えた美羽が腕を組んで立っていた。
低い位置だから良かったものの……というか流石に低くなかったらやらなかっただろうが、危ない真似をする。
昨日の夕食の時に言ったことはやはり逆効果だったか……。


美羽「兄貴……まーた、レンさんに怒られてたわね。恥ずかしいからもうちょっと自重してよ」


痛烈な一言。
だから、こっちに非は(あんまり)ないんだって……。


美羽「生徒会役員として、ホームステイしてもらってる立場って物が……」


なにやらくどくどと説教をし始める美羽。
……ウザいな~。
妹ってのはもっとキュンキュンキャンキャンキュピルンルンしてるのが通説だろう……何か的に考えて……。
何か反撃の手立ては……お。


美羽「生徒会長と乃愛さんに頼まれたんだから、しっかり健康と心証の管理を……」
大翔「まあ、俺としても妹にそんな黒パンをしっかり見せ付けられて恥ずかしいがな」
美羽「! ……み、見えたの? 」
大翔「それはもう」


美羽は真っ赤になってスカートを押さえ、こちらを睨みつける。
おどけた口調で返すと、少し涙目になった。
うむ、せっかくだから追撃しよう。

大翔「まったく、そんな柄のパンツはお前にはまだ早すぎ……」
美羽「死ィィィィィねぇぇぇっっっ! ! 」

激情させることに成功。
美羽は三段跳びで階段を降りてくる。
俺はその場を一気に走って抜け出した。
やった! 俺の勝ちだ。
ちなみにこのあと美羽に捕まってビンタを五発ほど食らいました。







朝食を終え、美優、美羽にユリア様とレンさんは学校に行く準備を整えた。
ユリア様は普通の制服だが……レンさんは何故か、学ランにズボン姿だ。
美優がなにやら顔を赤らめて見ている。
……頼むから危ない方向に走るなよ、美優。
それはともかく、確かこの服装は……。


大翔「風紀委員の……服だよな? 」
美羽「レンさん、生徒会長に凛々しさに惚れこまれちゃって……風紀委員をやることになったのよ」
レン「……まあ、そのひらひらした服よりは、こちらの方が動きやすい」
美優「レンさん、素敵ですよ……(どきどき)」


しかし、そう言うレンさん、微妙に残念そうにも見える。
背中に木刀を隠しているし、学ランのほうが便利は便利だろうが……まあ、女の人だしな。
かわいい服も着たいのだろうか。
……そういえばなんとなく敬語を使っているが、レンさん、歳はどのくらいなんだろう?
身長や顔立ちからして、俺と同じか少し上……物腰とか威圧感とかで更に年は上に見えるが。
風紀委員というのも、確かに合ってる感じはある。……今後は素行に注意しようか。


ホームステイの一環として、やはり二人を学校まで連れて行く必要があるようだ。
俺もせっかくだから一緒に行こうかと思ったが、美羽と美優の友達(女)が4人ほど現れたので同行を断念した。
友達はユリア様やレンさんを見て少し驚いたようだが、すぐに打ち解けたようだ。
まあ、美優はともかく、美羽と仲良く出来る子たちだし、対外的キャパシティは広いのだろう。


さて、みんなが出発してから10分ほど立った。
俺も準備を済ませ、ドアに鍵をかけてから家の門をくぐる。
バス停に向かおうとしたとき、前方に一人の少女を見つけた。
あの娘は、確かこの間『能力制御学』で見かけた……こちらが気付いた途端、そろそろと歩み寄ってきた。
……声をかけてみるか。


大翔「おはよう」















大翔「おはよう」


声をかけられて、陽菜はビクッと身を震わせた。
待ちに待った瞬間。
しかもあちらから声をかけてきてくれたのだ。
ひょっとしたら向こうも幼馴染だった自分の事を覚えているのかも知れない……そう思うと心が躍った。
勇気を出して返事をしぼり出す。


陽菜「お、おはようっ! 」
大翔「えっと……確か、小学校が一緒だったよね」
陽菜「う、うん……」

やはり、自分の事を覚えていてくれた。
その事実に勇気付けられた陽菜は、さらに言葉を続ける。

陽菜「中学校は別だったから、久しぶりだね、ヒ……大翔くん」
大翔「そうだな。あの頃はまさかあんな学園に招待されるとは思ってなかったよ」
陽菜「私も驚いたよ……えっと、妹さんが二人いたよね? 」
大翔「ん、ああ……二人とも友達と一緒に先に出かけたけどね」

もちろん、陽菜は妹やユリア達が家を出たのを見ていた。
しかし、偶然を装って再開するには、そんなことを言うわけにはいかない。


陽菜(できればあの侍の人と金髪の子の情報も詳しく知りたいけど……そんなこと探ったら変な子だと思われちゃうし)


そもそも大翔の家にいたあの二人が気になったから、今回陽菜は思い切って声をかけられたのだ。
二人が恋のライバルだとしたら、かなり先を行かれているぞ、と考えて。
色々と策謀する陽菜。
大翔は何も気付かない。


陽菜「えと……せっかくだから一緒に学園いかない? 」
大翔「いいよ、えっと……ごめん、名前なんだっけ」
陽菜「うっ……忘れちゃってる? 沢井陽菜だよ」
大翔「……思い出した。じゃあ、行こうか? えー……」
陽菜(昔みたいにヒナって呼んで、ヒロ君! お願いっ! )
大翔「沢井」
陽菜(うぬぁーーー! ! ! )


陽菜は軽くズッコケながらも、意気揚々と大翔に付いていった。
遂に、ずっと超えられなかった最初の一線を越えた喜びをかみ締めながら。



バス停のドブの中に消えていく二人の後姿を、黒服の女が見つめている。
その女はサングラスをかけ、木の太い枝にあぐらをかいて座っていた。
葉が茂っているところを選んでいるので、視覚的に誰かに見つかる可能性は極めて低い。


黒服女「ふぅん……青春してるわね、あいつが言ってた通りだわ」


小声で呟き、携帯を取り出す。
11桁の番号を入力し、繋がるのをガムを膨らませながら待つ。
回線が通じると同時に、膨らませたガムを吐き捨てた。


乃愛「もしもし? 」
黒服女「定時連絡。全結城家の生徒及び異界人、学園への移動を確認」
乃愛「そうかい。それは良かった。学園にいる間はみんな安全だから、指示していた通り下校時刻になるまでは自由にしていていいよ」
黒服女「了解」




女は必要最低限の会話だけして、通話を切った。



黒服女「やれやれ……休日はフル稼働で、平日は夜通し見張り、これじゃ満足に愛も語れやしない」



そう呟くと、女は誰も見ていないことを確認して木から飛び降り、歩いていった。











第四話:昼、学園




学園に到着した。
場所は北校舎の一階の『停留所』だ。
やたらと元気な沢井と別れ、一限目の授業の教室に向かう。
しかし、まさかあの沢井(昔はヒナちゃんと呼んでいた気がする)を忘れているとは、自分の貧相な記憶力に驚かされた。
なんとなく面影は覚えていたのだが、名前を聞いてみると何故忘れていたのか不思議なほど仲が良い友達だったという気もする。
まあ、この学園には入学前から知り合いだった同級生がいないから、その反動でそう感じるだけかもしれないが。
それに、朝学校に一緒に行ける、同じ地区の知り合いだというのもいい。
しかも女の子。
これからは少しは学園生活に華がでるかな、と思いながら最初の授業の教室に入った。



この学園の授業は、かなり自由度が高い。
国に介入されることがないため、学園独自のカリキュラムで授業が行われる。
よって、クラスも大して意味は持たない。
毎日最初の授業は必修をクラス単位で受けるのと、行事イベントの時くらいしかクラスで行動することはない。
沢井は俺のクラスの隣、C組だと言っていた。
俺はB級だ。
ちなみに悪友の貴俊も同じB級。
二人の妹は一年のD級だったはずだ。



貴俊が俺を見つけ、妙に軽いフットワークでこちらに来た。




貴俊「よお! 元気かー? 」
大翔「ああ……あんまり元気じゃないな」
貴俊「ん? なんかあったのか」




疑問の声を上げる貴俊に、昨夜の出来事を話した。




大翔「昨日の夜、風呂に入ろうと思ったら電気は消えてたのにレンさんがいて、逃げた先が美羽の部屋でボコボコにされたんだ」
貴俊「それなんてエロゲ? 」
大翔「いや……信じられないかもしれないが本当の事なんだよ」
貴俊「ふーん。レンさんって人、意外とおっかねーな。昨日ティーオンで会った人だろ? 」
大翔「そうだな。風紀委員になるらしいから、お前も気をつけろよ」
貴俊「会長さんも余計な事するよな……」




この学園には、委員会を全て内包する生徒会が存在する。
その権力は強大で、有能な人間がトップに座れば学園を支配することすら可能と目されているのだ。
現在の会長は実力主義の人で、園内で見つけた有能な人材を片っ端からスカウトして適材適所に配置している。
美羽もその一人で、生徒会の書記を担っている。
幸か不幸か俺は箸にも棒にもひっかからなかったが、妹が生徒会の、割と上位にいるということで会長とは何度か会ったことがある。
彼は変人だ。
留学生のレンさんをいきなり風紀委員にぶち込むなんて、なるほどあの人しかやらないだろう。




貴俊「まあ、とりあえず……宿題を写させてくれ」
大翔「……はいよ」




必死で宿題を模写する貴俊。
コイツは最近余り学校に来ていなかったから、テスト前に少しでも点数を稼いでおこうという魂胆だろう。
一年の時も言ったが……普段サボっているから、後々出席日数の計算なんて面倒なことをしなくちゃならなくなるんだぞ、悪友よ。



ガラッ、と教室前方のドアが開き、担任の白髪交じりの初老の男性教師が入ってきた。




担任「あー、みなさんこんにちわーーー」
生徒「先生! 朝は『お早うございます』です! 」
担任「あー……そうだね、オロナミンだね」



生徒の野次にのほほんと返す先生。
ちなみに白髪だけではなくボケもちょっと交じっている。



担任「きょうはなんと留学生がうちのクラスにきました~。二人もね」
大翔「……ん、このクラスなのか」



予想したとおり、レンさんとユリア様が教室に入ってくる。
クラスの男子勢はユリア様を見てざわつき、女子勢はレンさんを見てざわついた。
ガヤガヤと私語が飛ぶ中、担任は二人に自己紹介を促した。



ユリア「ユリア・ジルヴァナと申します。みなさん、どうかよろしくお願いいたします」
レン「レン・ロバインです。準位風紀委員を任せられています。よろしく」




二人が自己紹介を済ませると、クラスの連中はこぞって質問を始めた。
しばらくは二人も答えていたが、授業の進行に関わる、ということで担任の一喝を受け、騒ぎは収まった。




担任「では、適当に開いてる席に座りなさい」
ユリア「はい~……あっ、ヒロト様~~~」
レン「む、ヒロト殿もこのクラス生だったか」



二人は俺を見つけると、ユリア様が俺の隣、レンさんがその後ろの席に座った。
クラス中の視線がこちらに向く。
……敵意が混じっている気がするぞ!?
むしろ殺意?
俺の席の後ろにいる貴俊は、隣にレンさんが座って居心地悪いことこの上ないという様子だ。




授業が終わり、生徒達はユリア様とレンさんの周り、必然的に俺と貴俊の周りに集まり、転校生にはありがちの質問攻めを始めた。
出来れば隠して置きたかった半ば俺と同居している、という情報はユリア様によって二分ほどで漏洩した。
これによって、質問攻めを受ける対象に俺も加えられた。
休み時間が終わるころになると、みんなはそれぞれ自分が受ける授業の教室に向かった。
残ったのは俺とユリア様、レンさんに貴俊だけ。



レン「……ふう。詮索好きな連中だ」

レンさんが溜息をつき、貴俊がフォローする。

貴俊「ま、コーコーセーなんてみんなそんなもんだよ」
ユリア「皆さん優しそうな方でよかったですわ」
大翔「下心はありそうでしたけどね……」
レン「ノア殿に聞いたのだが、どうやら姫様と私の受ける講義はヒロト殿と同じものの様だ」




どうやら二人の時間割は俺と同じ、よって貴俊とも同じ(コイツは宿題と俺が目的だ)らしい。
早く学園に慣れる様にという、先生の計らいだろうか。
気配りが上手い人だ。
とりあえず、四人揃って次の授業に向かった。
もしや、次の教室でも別の奴等に質問攻めされるのだろうか……。
鬱だ。




四日目:夜


学園から帰り、夜。


大翔「……というわけでな、ユリア様もレンさんも大人気だったよ。両極端の人種に」
美羽「レンさん、女の子にモテそうだからね……」
美優「…………」


呆れたように言う美羽と赤面する美優。
食間で、五人揃って食後のオヤツ(ポテチ)をつまみながら、会話中。
五人とは言っても、ユリア様はソファに横になってテレビを見ながらうつらうつらしている。
レンさんはポテチを知らなかったらしく、「噛みごたえがない」という凄い感想を述べていた。
話を聞き取り、ポテチを飲み込んで、レンさんが物思いに耽るように言う。



レン「……私の故郷にも、何と言えばいいか……女なのに女好き、という者はいたな」
大翔「そこまで極端な人は珍しいとは思いますけどね……レンさんは、同姓に頼られやすい感じなんですよ」
レン「私に頼るのは姫様だけで十分だ」




とは言いつつも、レンさんは学校では結構他人の面倒を見ていた。
……俺の周りにはいなかったタイプの人だよなぁ、と思う。
先生が一番近いが、表面上ものぐさな上に、美人さん過ぎて近寄りがたい印象を持っている為、頼れる人、という感じは一般にはない。
学園ではウチの家族くらいだろうか、その一面を知っているのは。
教師陣には何人か知っている人もいるだろうが。




美優「そういえば……お兄ちゃん、今日、女の人と一緒に帰ってきてたね」
美羽「えっ! ちょ、本当! ? 」




何故かやたらと慌てて驚く美羽。
……俺が女の子と一緒に帰ってくるのはそんなに不思議なことなのか。
ちょっとショックだ。




大翔「ああ……お前ら覚えてないか? 小学校一緒だった沢井さんだよ」
美優「……ヒナちゃん? 」
美羽「誰だっけ? 」




二人の他人に対する気の配り方の違いがよく現れている回答だ。
美羽は美優に話をしばらく聞いてようやく思い出したらしい。
レンさんは特に興味はないようで、夜のニュース番組を見ている。




美羽「ああ、あの面白い子ね……」
大翔「一応先輩だから『子』ってのはどうかと思うぞ」
美優「あの人も魔法使えたんだね……」




そんな他愛のない話。
日常の風景。
平和の群像。
だから。
だから俺はこの時、変化の兆しに気付けなかった。





TV「――本日の夕方頃、未確認生物が目撃されたことで有名な湖が干上がってしまうという現象が発生しました。原因は現在……」



四話:夕方~深夜、???




時間は多少さかのぼり、太陽が、あらかた沈んだ時刻。
首の長い未確認水棲生物で有名な、とある湖にて。
ここN湖には、人も、魚も、そして勿論くだんの未確認生物、UMAもいなかった。
本来なら命が息づくはずの湖の中には、ただ水が満ちているだけで。
湖面には申し訳程度に藻が浮かんでいる。
水はキラキラと光っている。何か、超常的な力が介在しているのかと思うような美しさだ。
静かで、あるいは神聖性さえ感じさせるその光景は、しかし乱された。
湖の中から、泡一つ立てずに、人間が『せりあがって』きた。
その人間は、一見普通の中年男性のように見えた。
だが、その身に纏っている服には水滴すらもにじんでいない。
『普通』に見えながら絶対に『普通ではない』男。



「……さて、さっさと酒買ってくるかね」



しかし、その口を突いて出たのはいかにも『普通』な台詞だった。




この男は魔法使いである。
正規の教育を受け、正常に成長し、比較的清廉に暮らしている。
酒は飲めども飲まれるな、が持論の、どこにでもいる男だ。
魔法使いである、ということを除けば。
彼の魔法は『泡(あぶく)』。
空気の膜を展開させ、液体を完全にシャットしたり、固体でも通常の銃弾くらいなら弾くことが出来る。
男は泡の膜を解くと、近くの町で酒を買うため、森の中に入ろうとした。




「ん? 」




森に一歩入った男は、自分の方に歩いてくる人影を見つけた。
マントを付けている。
人影はそれほどの速度ではないが、早歩き、といった感じで移動している。
男はここで少々焦る。
彼が暮らしているのはN湖の底に隠された空間にある魔法使いのコミューン。
そこには、コミューンの近くで一般人と接触してはいけないという掟があるからだ。
ちなみにこの男は、生まれ持った能力を遣い、外界との橋渡し役のような仕事をしている。
これはその仕事を終え、贔屓の酒店に行こうとしていた矢先の、出来事である。

「やっと定時が来たってのに……」

男は舌打ちを打つと、草陰に隠れてマントをやり過ごすことにした。
通り過ぎる瞬間、香水のような匂いとチラリと見えた顔で、女だということが分かった。
相当の美人だ。
女は湖の前で立ち止まると、手で水を汲んで飲み干した。
どうやら喉を潤おしにきただけらしい。
男はホッとして、女が立ち去るのを待った。




ガザベラ「ふぅん……成る程。森の木といい、この水といい……元素は十分に含んでいる。不思議ねぇー」




女が何か男には良く分からないことを言う。
自然学者かなにかだろうか?
男はどうでもいいから早く行ってくれ、と思いながら、茂みの中に座り込んでいたが――――次の瞬間、そこから飛び出すことになる。
女が、湖の上を『歩いた』のだ。
特に異常なことをしているという感じもなく、出来て当然であるかのように。




「おい――あんた、魔法使いか? 」




茂みから姿を現した男は、安心して女に声をかける。女は男に気付き、笑顔を向けた。
一般人ではないなら、接触しても大丈夫だろう。
旅をしている魔法使いというのは、数は少ないがいる。
旅人が訪れれば、コミューン総出で歓迎するのが魔法界の常識だ。
しかし。



女は、旅人ではなかった。
笑顔を浮かべながら、男の想定を外れた話をする。




ガザベラ「あらぁ……誰か隠れてるのは知ってたけど、勝手に出てきてくれるなんて、手間が省けて嬉しいわ」




男が言葉の意味を察する前に、女の足元の水が、数条のとぐろを巻いて男に襲い掛かる。




「なっ……」



高速で迫る水柱。男は考えるより瞬発的に、『泡』の膜をはって水柱を防いだ。
大量の水が地面に落ちる。
防いで、考える。
何故だ? 何故攻撃を仕掛けてくる?
個人的な恨みがあるならともかく、この世に生まれ出でてすぐ、例外なく魔法局の管理下に置かれる魔法使いが。
無差別に、他の魔法使いを攻撃するはずがない。
狂人でもない限り。
狂人ならば、とっくに当局に消されているはず……ならばこの女は! ? ――――と、考える。



女は、男の出した『泡』の膜を見て、高らかに口笛を鳴らした。




ガザベラ「やっぱりねぇ……この世界の魔法使いは、全員特殊魔法が使えるようだわ」



『特殊魔法』――。
聞き慣れない単語に、男が耳を疑う。
やはり狂人なのだろうか。
だとしたら――助けを求めなければ。
この女の能力は自分の『泡』を破れないことは今ので実証された。
だが、『泡』には攻撃能力はない。
一気に湖に飛び込み、コミューンまで逃げれば、仲間の応援を呼べる。




ガザベラ「どうしたの? 固まっちゃって……」




言葉が終わるか終わらないかというところで、駆け出した。
女は笑って突っ立っている。




(精々イカれてやがれ、すぐに仲間を――――? )




男の足が止まる。
がくり、と崩れ落ち、息を乱す。
目が泳ぐ。数秒後、手足のけいれんも始まった。




ガザベラ「あんた達に言っても酷なんだけどね……基本はしっかり覚えないと」




男が自分の置かれた状況に気付く。
『泡』の内部に……霧が充満していた。




ガザベラ「元素の形状変化……っと、もう聞こえてないかしら。しかし、この殺し方はスマートさに欠けるわね」




先程地面にぶちまけられた水が、液体から気体に変わって、空気と混じって『泡』の内部に侵入していた。
狭い空間に蒸気が充満し、外部からの新しい酸素の供給を防ぐ。
既に男に意識はない。女がおもむろに手をかかげ、上側に掌を見せて広げた。




ガザベラ「――――こちらも、固まっちゃったわねぇぇぇ? 」




気体はつららのような固体に変化していた。
質量の法則を根元から無視したかのような劇的な変質。
つららはドリルのように回転し、四方八方に散って配置される。
そして。
女が、広げた指をくいっ、と握り締めた。




ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ。
ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ。
ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ、ざくっ。




                            ドシュッ。





鈍い音がこだまする。
それは肉を貫き、死を運ぶ音。
数十本の氷の杭が男を貫き、その度に大きく男の体が傾き、そして破損する。
やがて、つららと原型すら留めていない人間の死体が組み合わさり、不細工なオブジェを製造した。
女はそれを見て、軽く溜息をつく。



ガザベラ「うーん、やっぱアタシ、芸術のセンスないのかしらねぇ……あのガキの言うことを認めるのは腹立つけど……」




一瞥だけして女は振り向き、湖の真ん中まで歩いた。
下を覗き込み、悪趣味な笑顔を浮かべる。


ガザベラ「チョロイわねぇ……いくら上辺の数値が高くても、基本も出来てない雑魚ばっかり。いい餌場だわ、この世界」


しゃがみこみ、顔を湖に近づける女。
歪んだ顔が、更に歪んで水面に映る。


ガザベラ「リーダーはあまり暴れるなってうるさかったけど……ちょっとくらいは遊んでもいいわよねぇ? 」


女の口が湖につけられた。
喉を鳴らして、湖の水を飲む。
ごくごくごくごく。
止まらない。
ごくごくごくごく。
人一人分の水を飲みこんでも、女は止まらない。
ごくごくごくごく。
やがて湖の水が半分になり……そして、完全に枯渇した。
泥に汚れた、ぬめった地面の上。
普通の人間には見えない……空間の歪みが、ガザベラの目に入る。




ガザベラ「うえっ……キッツゥ……まあ、ここじゃあこうしないと仕方ないしねぇ。十分に『武器』は充填、と」




女は足をふらふらさせながらも、空間の歪みに足を踏み入れ、虐殺の為に消えていった。







深夜。
N湖の地下深くに位置する空間にて。
『上』が騒がしくなってきた、とガザベラは感じた。
数百人かそれ以上の人間がいるようだ、と。
彼女は知る由もないが、現在N湖『跡』には、多数の警察やテレビ局、物好きな野次馬、そしてUMAフリークが集まっている。

ガザベラは大き目の岩に腰かけ、膝元には20前と見える顔立ちの整った青年を寝かせていた。
彼はこのコミューンの最後の生き残り。
ガザベラは名前を聞いていない。
その必要がないから。
他の者は、水に流されてどことも知れないところに流されたり、体の内部から水を噴出させたりして死んでいた。
死体はそこらじゅうに転がっている。
家屋のような建築物も、殆ど根こそぎに破壊されていた。
青年は、恐怖を通り越し、感情を失ってしまったように見える。
白い髪も、きっと数時間前までは黒かったのだろう。




ガザベラ「いくらなんでも上の魔法使い以外の連中まで全部殺していくのはしんどいし……」




気だるそうに言うガザベラ。
そろそろ弄り飽きた青年の体を、優しい手つきで撫で回す。
もう一発抱いてから考えるかね、と呟いた直後。
その緩んだ表情が一瞬で引き締まる。


――――人間の気配を、感じたのだ。


ガザベラ「……誰だ? 」


既に数十メートルまで近づいた気配に、様子見に声をかける。
倒れた建物の向こう側に、その気配……息遣いはあった。
ガザベラは困惑する。
このぬるい世界の連中にも、ここまで自分に接近を気付かせない猛者がいるのか、と――――。
だが、その困惑はすぐに消えた。


ガザベラ「リーダー! ? 」
ファイバー「……ガザベラか? 」


建物の影から出てきたのは、銀髪の男。
ガザベラと一緒にこの世界に来た六人の中でもリーダー格の男、ファイバーだった。
周囲の惨状を見回し、そしてガザベラの膝の青年を見て、舌打ちする。
ガザベラの向かいにあった背もたれのない椅子を立てて座り、ガザベラをにらみつけた。
そして、冷たい声で、そして有無を言わせない調子で言う。




ファイバー「――――お前は俺が言ったことを聞いていなかったのか? 無駄に目立つ行動はとるな、と命令したはずだ」
ガザベラ「こ、今後は気を付けるわ……ところでなんでリーダーがここに! ? アタシは南、リーダーは東に向かったはずだけど」
ガザベラ「話をそらすな……一人旅をした事がないから知らなかったが、俺は方向音痴らしい。ところで、ひとつ聞きたいことがある」
ガザベラ「? 」




ガザベラは冷や汗をかきながらも、質問に対応しようと身構えた。
ファイバーは髪を弄りながら続ける。




ファイバー「お前はこの世界に何か……違和感を覚えないか? 」
ガザベラ「……そりゃ、来た時から感じてるわよぉ。この世界、限られたところにしか元素がないじゃない」
ファイバー「……」
ガザベラ「あと、そこら中で人間同士で火花散らしてるわね……おっかないおっかない。向こうの数少ない火種のアタシ等が言うのもなんだけど」
ファイバー「……そう、だな。それだ。まあ、その通りだ」




ファイバーのお茶を濁したような言葉にガザベラは一瞬まゆをひそめたが、すぐに気を取り直した。
うっとりとした顔になり、自分達の標敵の事を話し始める。




ガザベラ「ああ……楽しみねぇ、王家の血。『飲み干し』たらどんなにイイ気分になれるのかしら……」
ファイバー「あくまで目的は誘拐と身代金の要求だ……飲ませるわけにはいかんぞ」
ガザベラ「いけずねぇぇ……ちょこっとたしなんじゃうくらいならいいじゃない? 」
ファイバー「お前が自制が利いて、かつそれを他人に信用される人間だったらな」
ガザベラ「やんやん! リーダーったら、まるでアタシが信用できないみたいじゃない! 」




ファイバーは露骨にもちろんだ、というような表情を見せたが、ガザベラは気付かなかったようで、騒ぎ続けている。



ガザベラ「でもさ……あのお姫様も、アタシ達と同じ方法でこっちにきたのよねぇぇ? じゃあ案外、アタシ達みたいな人だったりして」
ファイバー「ありえなくもないが……アレを使える位だ、少なくとも相当に神経は太いだろうな」
ガザベラ「ますます会いたくなったわ……ふふふぅぅ……女の子に趣旨変えもたまにはいいのよねぇ……」




ファイバーの呆れ顔に気付かず、呟き続けるガザベラ。
数分してからようやく、興奮を抑えた。




ガザベラ「さーて……そろそろアタシは行くわね、リーダー」
ファイバー「それは捨てていくのか? 」



ファイバーが青年を指差して言う。
ガザベラは「うっかり! 」というような表情を作り、青年の首を掴んで自分の顔まで近づけた。




ガザベラ「う~ん。本当に好みよ、あなた。『今のアタシの』ね……さぁて、と。お楽しみの時間よぉぉ」




感情を見せなかった青年の顔に、わずかに何かが浮かんだ。
それが何かを見極めるより早く――――ガザベラが青年の喉に喰らいつく。
砥がれたように鋭い歯に食いつかれ、青年の喉が裂ける。
そこからふきだす筈の赤い液体は、何故か無色透明だった。
カッと見開かれる青年の瞳。
そこには、恐怖か――あるいは快楽かが浮かんでいる。
一滴もこぼすまい、とガザベラは青年の喉から滴る液体に舌を這わせ、情熱的に舐めとる。
ファイバーは見るともなしにその様子を無感慨に眺めていた。

――――――――。 

――――――。 

――――。 

数分ほど立っただろうか、青年は干からび、ミイラのようになって地面に打ち捨てられていた。
青年のミイラを放り投げたガザベラの口元には、一滴の血すらついていない。
青年の血は、すべて水に置換されたのだ。




ファイバー「『血環(ちかん)』……いつ見ても悪趣味な特殊魔法だ」
ガザベラ「大したものよぉ……この、オグワード君の命の一部と記憶の全てを引き継げたんだから。好みのタイプにしか使えないけど」




ガザベラは聞かなかったはずの青年の名を言い、ファイバーに背を向けて歩き始めた。
そしてコミューンの住人しか知らないはずの隠し扉を見つけて、開ける。



ガザベラ「じゃ、お姫様を見つけたら連絡してね……っても、伝えるのはレーダーの人だけど」
ファイバー「……お前も、相手を舐めすぎるなよ」




消えたガザベラを見送り、ファイバーは足元のミイラを足で弄ぶ。
彼は考えていた。
この世界に感じる違和感。
ガザベラに聞いて、帰ってきたのが正しい答えなのだろう。
だが――――何かが、妙だ。
奇妙だ。
珍妙怪奇極まる。
実在する問題ではない……、死に対する恐怖そのもののような、壮大で理解不能な感覚。
この世界には――――自分が『いた』ような気がするのだ。
今『いる』自分が、本当は空ろな亡霊で、本物の自分は既に消えているかのような錯覚。
幻視を見せられている――――否、見せられていた?
誰にだ?
何にだ?
途切れ途切れに何かが脳裏をよぎる。自分が切り取られていく。



あえて既存の言葉にはめるなら、この感覚は――――?


ファイバー「空白――――? 」


足元のミイラが、踏み潰された。
最終更新:2007年07月14日 10:18
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