自然物と魔法物

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 やぁ、もう来ていたかい。では早速講義を始めるよ。  まず、魔法の種類についてはこの前勉強したね。すなわち、自然魔法、有機魔法、幽幻魔法、四海魔法の四つだ。  内容は大体覚えているかい?  ――よろしい。  では、この前話した魔法。これらを実際にどう使うかに焦点を当てよう。  魔法は、「想像」「法則の創造」「法則の構築」「創造」を経てようやく使える。  創造まで来て初めて効果が現れる。では、それまでは外野からは何も分からないか。答えはNOだ。法則の創造から法則の構築にかけては「魔導力場」というものが現れる。効果が現れる準備段階みたいなものだね。  これは起きる魔法によって早さもその力の流れも違う。内容が単純なものなら容易に相手がすることが読めたりする。だが、たまに単純な魔法を面倒な法則の構築によって気づかれないようにすることもあるから、どんな魔法も一概には言えなかったりするんだけどね。まぁそんなこんなで、魔法は使われるわけだ。  君は魔法というものをどう見るだろうか。私は法則によって作る、想像の具現だと思っている。何故なら、私たちが扱う魔法はどれ一つとして同じものはないから。  たった一つの魔法でも、弱いものもあるし、強いものもあるし、効果が長いのもあるし、短いのもある。簡単に四海魔法で弾かれるものもある。  ここで君は疑問に思ったかもしれない。  "自然にあるものを作れるなんて、まるで神じゃないか"と。  だが、違うんだ。やっぱり私たちはどこまでも人間なのだ。魔法によって世界に干渉している私たちでも、作るものはやはり偽者なんだ。  これから、自然に存在するもの――これを自然物。  私たちが私たちの意思で作り上げたもの――これを魔法物という風に分けよう。  私たちが作るモノが自然物となることは出来ない。どうやら、作る時にどこかを省略してしまうらしい。  多くの時間をかけ、多大なエネルギーを持ってして作られた自然のモノたち。逆に魔法物は長い時間をかけるときもあるものの、自然のモノに比べると基本的に弱い物質、弱いエネルギーとなる。  もちろん、質量によっては自然物に影響を与えたりすることは可能だが、基本的な位置関係は覆らない。  このせいで、魔法物を作り上げることが出来ても、弱すぎて使い物にならないことが多々ある。ゆえに私たちは実生活ではそれほど自然魔法を行使したりしない。  同時に自然魔法は危険も大きいから使わないというのもある。だが、まぁそれは別の講義で話そう。  ヒロトくんの話を聞いていると、どっちの世界も何だか実生活の原始レベルではそれほど大きな違いはないように思う。たとえば、この世界でも摩擦によって火をおこすことは出来る。こういうことを全部ひっくるめて「自然エネルギーの発散現象」と私たちは呼んでいるんだが、まぁそれはともかく。摩擦によっておこす火にも法則が混じっている。これを理解すれば、指先の上でも同じように火をおこすことは出来るんだ。  ただし、普通に火をおこすよりも遥かに面倒だし、その火はさっきも言ったように自然のものではなく、魔法のものだ。ゆえにその運動量はエフェクトに比例しない。  これは火に限ったことではなく、モノを押す力とか、相手を吹っ飛ばすだとか、そういう大げさなものであっても、それが魔法物によって行われるならば運動量は作られた魔法によって変わり、必ずしもそれ以上の結果が起こるとは限らない。極端な話、手を抜けば、おこした火の運動量がゼロに近いものだって作れる。持続しないがね。意味が分からないかい? 法則が分からない君には、理解しろという方が酷か。  そういうわけで、自然物と魔法物の関係は、自然魔法どころかすべての魔法に通じるんだ。  ここまでの話で、自然物は基本的に魔法物には勝てないということが分かってもらえたかと思う。魔法物はどこまでも即席現象でしかないのだ。何度も言うが、中身によって自然物に影響を与えることは出来る。  足りない部分を補おうと、昔から「構造物構造理解」という考え方がある。これは、この世に存在するあらゆる物質、現象、エネルギーは情報によって構成されているという一つの予測の元に存在するんだ。自然界におけるすべての情報構造を理解した時、人は神になれるってね。実際にはそれは不可能でアレイスター・クロウリーの提唱した「采配の支配条項」と「構造と法則の非合理論」の二つの論文で否定されている。  簡単に言わせてもらば、これは時の連続した流れを人は認識することができないことと、構造における法則の揺らぎが必ずしも一致しないことを上げている。自然物は作れないって話さ。  構造物構造理解の考え方は、私たちが自らの作り出す魔法物を自然物とほぼ同等にしようとしたものだ。だが、さっきも言った通り無理だし、成功した事例は存在しない。もっとも、その考えのおかげで今の魔法の発展があったんだろうけどね。  私たちが、精霊の力を"借りる"と言っているのは、魔法物が持続しないからだ。自然物と魔法物の間は淘汰される関係にあるのでな。何日もかけて水や土を生み出しても、風化の速度は泣けるほど速い。  もっとも、逆の現象も存在することはする。もの凄く危険だが。  魔法というのは何でも出来る代わりに酷く不安定なんだ。ま、この世界がそういうモノだから仕方ないのだけどね。  今日はこれくらいにしておこうか。次回からは法則の話に入ってみよう。
 やぁ、もう来ていたかい。では早速講義を始めるよ。  まず、魔法の種類についてはこの前勉強したね。すなわち、自然魔法、有機魔法、幽幻魔法、四海魔法の四つだ。  内容は大体覚えているかい?  ――よろしい。  では、この前話した魔法。これらを実際にどう使うかに焦点を当てよう。  魔法は、「想像」「法則の創造」「法則の構築」「創造」を経てようやく使える。  創造まで来て初めて効果が現れる。では、それまでは外野からは何も分からないか。答えはNOだ。法則の創造から法則の構築にかけては「魔導力場」というものが現れる。効果が現れる準備段階みたいなものだね。  これは起きる魔法によって早さもその力の流れも違う。内容が単純なものなら容易に相手がすることが読めたりする。だが、たまに単純な魔法を面倒な法則の構築によって気づかれないようにすることもあるから、どんな魔法も一概には言えなかったりするんだけどね。まぁそんなこんなで、魔法は使われるわけだ。  君は魔法というものをどう見るだろうか。私は法則によって作る、想像の具現だと思っている。何故なら、私たちが扱う魔法はどれ一つとして同じものはないから。  たった一つの魔法でも、弱いものもあるし、強いものもあるし、効果が長いのもあるし、短いのもある。簡単に四海魔法で弾かれるものもある。  ここで君は疑問に思ったかもしれない。  "自然にあるものを作れるなんて、まるで神じゃないか"と。  だが、違うんだ。やっぱり私たちはどこまでも人間なのだ。魔法によって世界に干渉している私たちでも、作るものはやはり偽者なんだ。  これから、自然に存在するもの――これを自然物。  私たちが私たちの意思で作り上げたもの――これを魔法物という風に分けよう。  私たちが作るモノが自然物となることは出来ない。どうやら、作る時にどこかを省略してしまうらしい。  多くの時間をかけ、多大なエネルギーを持ってして作られた自然のモノたち。逆に魔法物は長い時間をかけるときもあるものの、自然のモノに比べると基本的に弱い物質、弱いエネルギーとなる。  もちろん、質量によっては自然物に影響を与えたりすることは可能だが、基本的な位置関係は覆らない。  このせいで、魔法物を作り上げることが出来ても、弱すぎて使い物にならないことが多々ある。ゆえに私たちは実生活ではそれほど自然魔法を行使したりしない。  同時に自然魔法は危険も大きいから使わないというのもある。だが、まぁそれは別の講義で話そう。  ヒロトくんの話を聞いていると、どっちの世界も何だか実生活の原始レベルではそれほど大きな違いはないように思う。たとえば、この世界でも摩擦によって火をおこすことは出来る。こういうことを全部ひっくるめて「自然エネルギーの発散現象」と私たちは呼んでいるんだが、まぁそれはともかく。摩擦によっておこす火にも法則が混じっている。これを理解すれば、指先の上でも同じように火をおこすことは出来るんだ。  ただし、普通に火をおこすよりも遥かに面倒だし、その火はさっきも言ったように自然のものではなく、魔法のものだ。ゆえにその運動量はエフェクトに比例しない。  これは火に限ったことではなく、モノを押す力とか、相手を吹っ飛ばすだとか、そういう大げさなものであっても、それが魔法物によって行われるならば運動量は作られた魔法によって変わり、必ずしもそれ以上の結果が起こるとは限らない。極端な話、手を抜けば、おこした火の運動量がゼロに近いものだって作れる。持続しないがね。意味が分からないかい? 法則が分からない君には、理解しろという方が酷か。  そういうわけで、自然物と魔法物の関係は、自然魔法どころかすべての魔法に通じるんだ。  ここまでの話で、魔法物は基本的に自然物には勝てないということが分かってもらえたかと思う。魔法物はどこまでも即席現象でしかないのだ。何度も言うが、中身によって自然物に影響を与えることは出来る。  足りない部分を補おうと、昔から「構造物構造理解」という考え方がある。これは、この世に存在するあらゆる物質、現象、エネルギーは情報によって構成されているという一つの予測の元に存在するんだ。自然界におけるすべての情報構造を理解した時、人は神になれるってね。実際にはそれは不可能でアレイスター・クロウリーの提唱した「采配の支配条項」と「構造と法則の非合理論」の二つの論文で否定されている。  簡単に言わせてもらば、これは時の連続した流れを人は認識することができないことと、構造における法則の揺らぎが必ずしも一致しないことを上げている。自然物は作れないって話さ。  構造物構造理解の考え方は、私たちが自らの作り出す魔法物を自然物とほぼ同等にしようとしたものだ。だが、さっきも言った通り無理だし、成功した事例は存在しない。もっとも、その考えのおかげで今の魔法の発展があったんだろうけどね。  私たちが、精霊の力を"借りる"と言っているのは、魔法物が持続しないからだ。自然物と魔法物の間は淘汰される関係にあるのでな。何日もかけて水や土を生み出しても、風化の速度は泣けるほど速い。  もっとも、逆の現象も存在することはする。もの凄く危険だが。  魔法というのは何でも出来る代わりに酷く不安定なんだ。ま、この世界がそういうモノだから仕方ないのだけどね。  今日はこれくらいにしておこうか。次回からは法則の話に入ってみよう。

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