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5章「father《シャクシャイン》」
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0 ~ナイトメア~
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配給を待つ少女がひとり。
両親を失い、難民キャンプに収容された少女は、薄汚れた毛布にくるまって順番が来るのをじっと待っていた。
配給を待つ列の近くに自衛隊のジープが止まった。
ジープには自衛官が四人乗っており、中から男が二人降りてきた。男達は列を見渡し、少女を見つけた。
男達は少女の手を取るとジープに乗せた。
「美味いものを食わせてやる」
そう言われた少女は黙って男達についていった。
たどり着いたのは、自衛隊の宿舎だった。
プレハブで建設された簡素な住居。
だが、難民達の吹きさらしの小屋よりは遥かにマシだった。
宿舎の中は暖かく、少女はストーブに張り付いて暖をとった。
男達はみな優しかった。
少女に食べ物を与え、いたわりの言葉をかけてくる。
やがて少女の警戒心も薄れ、久しぶりの満腹感にウトウトしかけていたとき、一人の男が背後から少女を抱きすくめる。
少女は男が戯れているのだろうと思った。
ただの冗談だと。
少女は軽く拒絶の意思を見せたとき、男達の様子が一変した。
どす黒い情欲に満ちた瞳を少女は忘れることはできない。
それくらい男達の瞳は濁り、曇っていた。
抵抗するだけ無駄だった。
屈強な男が四人、少女の華奢な身体に群がってきたのだ。
プレハプに悲鳴が響く。
だが、その声は誰にも届かない。
とっさに手にした果物ナイフが自衛官のノドを切り裂き、生暖かい鮮血がノアの全身に降りかかってくる。
再び悲鳴。そこから先はいつも闇の中……。
薄汚いペッドが軋み、女性が飛び起きる。
「また、あの夢か……」
汗で肌に貼り付いた髪をかきあげ、近くに置いてあったペットボトルの水を飲むと、ノアは痛む頭を押さえながら立ち上がった。
一〇年前。
まだ一四歳だったノアの悪夢は、まだ終わらない。
頻繁に同じ夢を見てはうなされている。
ノアは男を、特に自衛官を憎んでいた。
自衛官らの不祥事はいまも絶えることはない。
本土と隔離されたこの土地で、連中はやりたい放題だった。
一人でも多くの女性を理不尽な暴力から救うため、ノアは女であることを捨て、レジスタンスに身を投じた。
だが、この理想を理解するものは黒須川くらいしかおらず、ノアはレジスタンスとしての活動に疑問を抱き始めていた。
ドンドンとドアを叩く音が聞こえる。仲間が起こしにきたのだ。
「いま行くわ」
ノアは拳銃の弾倉を確かめてホルスターに入れると、ドアへと向かった。
1 ~尋問~
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ゼロワンの起動から一夜が明けた。
ツーアイズチームは二班に分かれて、ゼロの修理とゼロワンの解析に奔走していた。
村雨の特科部隊も、中破したバウンザーの修理に人員を総動員させていた。
美羽は、大翔と陽菜、それと上園の三人に尋問を受けていた。
チームの中でゼロワンのことを知らされているのは、この三人だけだったからである。
とはいえ、ゼロワンの存在は、昨日のバグリーチャー戦で、プロジェクトチーム全員の知るところとなった。
アマテラスのように部屋に引篭っていた陽菜だが、ゼロワンが勝手に起動したと聞いて、出てこないわけにはいかなかった。
大翔とは一切口を聞かずに、淡々と美羽に質問を行う。
美羽はユリアの存在を公言しないよう口止めされていたので、乗り込んだら勝手に動いたと言い張った。
そんなはずはないという陽菜に対して、知らぬ存ぜぬを貫き通した。
「通信記録が残ってるんですよ。ゼロワンの中で誰かと喋っていたでしょう」
たしかに通信記録は残っていたが、一方的に美羽が喋るだけで、当然のようにテレバシーで話すユリアの言葉は残っていない。
だが、美羽の口調から会話しているように聞こえるので、そう問い詰めるしかないのだ。
そうして一番の難題は、あれだけ動いていたゼロワンが、いまはまったく沈黙し、陽菜や上園がどう頑張ってもLED一つ点灯しなかったのだ。
まったく分からないことだらけだった。
これでは本部に報告もできない。陽菜はため息をついた。
「とにかく、アレは自衛隊の最高機密ですので、もう二度と触らないように。それからその腕時計は回収させて貰います」
「いやよ。これはわたしが貰ったの」
美羽は腕時計を庇うように手で被い、席を立った。
「いやよ。じゃありません。それは自衛隊の備品なんですよ!」
「そうなの?」
美羽は大翔を見つめた。
「持ってていいぞ美羽。そりゃお前んだ」
「な、結城二尉! なに勝手なこと言ってるんですか!」
「まあまあ、落ち着こうや陽菜くん。とりあえず原因はわからないけど美羽のおかげで我々ツーアイズチームが無事だってことは確かなんだ。これは紛れも無い事実だ」
「結城二尉が不甲斐ないからでしょう!」
「きっついこと言うね。まあ正解だけどさ。それに今度同規模のバグリーチャーが出現したときにゼロとバウンザーだけで仕留められる保証はないぜ」
「ゼロワンが動くとも限らないじゃないですか」
「いや動くね」
「なんの根拠があってそんなっ!」
「そうだろ美羽?」
大翔は美羽に視線を送った。
美羽はしばらく迷った末、ゆっくりと頷いた。ユリアが頷いて良いと許可したのだ。
「ほらな?」
「何が『ほらな?』ですか。まったく根拠がないじゃないですか」
「あーもう、美羽は行っていいぞ。あとは俺たちで話し合うから」
大翔は美羽にウインクして早く出て行くように促した。
「うんわかった」
美羽はそれを聞くと、脱兎のごとく、尋問を受けていたトレーラーの中から飛び出した。
「行かせて良かったんですか?」
いままで静観していた上園一曹が恐る恐る尋ねる。
「いいよ」
「よくないです!」
大翔と陽菜が同時に答えた。
美羽は表に飛び出し、自衛隊のキャンプ地を歩き始めた。
「どうして秘密にするの?」
美羽はユリアに尋ねる。
(ごめんなさい。ちょっと考えがまとまらないの。それに喋らない方があなたたちのためでもあるのよ)
「そうなの?」
(切り札は最後まで取っておくものよ)
「ふーん」
美羽には分からなかった。
もし、ユリアの存在が発覚し、それを彼らが信じたら、恐らくこのプロジェクトは一旦棚上げとなり、彼女の調査が行われるだろう。
それではこの北海道《バグネスト》に現れるバグリーチャーを殲滅することは出来ず、いたずらに犠牲者を出すことになる。
そのことが容易に予想できたユリアは、いまは話す時ではないと判断したのだ。
博愛主義者ルジミオンのユリアは、目の前の犠牲者を放っておける性格を持ちあわせてはいなかった。
(それよりシャクシャインのお見舞いと説得に行かなくてはならないんじゃないの)
「そうだね」
昨日、従軍医師に診察を受けたシャクシャインは不整脈が検出され、レントゲン撮影の結果、肺に影が写っていたため、精密検査を受けるよう医師に言われていた。
だが、なんともないと、シャクシャインは頑なにそれを拒んで、医師と美羽たちを悩ませていたのだ。
美羽はユリアに言われて思い出したように、医療トラックへ向かった。
2 ~観測所~
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旭川市の大雪山跡を中心に広がるシュヴァルツシルト半径。
その外苑に添うように、時計周りに丁度一二個所、特異点の観測所が設けられていた。
そこで観測したデータをツーアイズチームに連絡している。コンテナトレーラーが万能でも、北海道《バグネスト》全域の特異点情報を把握することは出来ない。
トレーラーは観測所で観測された特異点のデータを受け取る受信機でしかなかった。
観測所は確かに重要な施設ではあるが、軍事的に重要な拠点と言う訳でもなく、その警備コストは出来る限り押さえられ、つまり警備が手薄ということだった。
だがそれでも良かった。
道民の殆どが、この施設が何なのかすら分かっていなかったからだ。
だが、その存在と目的を理解した道民が現れた。
北海道解放同盟イヨマンテ。
その幹部である黒須川が難民キャンプに訪れた自衛官を収賄し、その存在を知り得たのだ。
そうしてその報告を聞いたイヨマンテのリーダーマンイーターは、観測所を利用する作戦を考え出した。
網走方面をカバーする第二観測所に、武装したレジスタンス八名が到着した。
イヨマンテのサブリーダーの黒須川は、網走地区を拠点とするレジスタンス「キタキツネ」と手を結び、観測所を強襲した。
警備兵は僅か二人。舐めているとしか思えなかった。
突然の賊の侵入に、完全に不意をつかれた観測所は、SOSを発する前に占拠された。
「あっけないな」
キタキツネのメンバーはどちらかと言えば穏健派だ。
武装したのは今回が始めてである。
その素人集団に占拠されるとは、この国の国防は大丈夫かと、黒須川は他人事ながら心配になった。
「クロスさんよ。これからどうするんだ?」
キタキツネのリーダーが黒須川に声をかける。
「ここに提示した通りに動いてください。タイムスケジュールを守って、連中に報告させてくれればいいです。もしなにかあればここの通信機を使って連絡しても構いません」
黒須川はキタキツネのリーダーにスケジュールを記載した紙を手渡す。
「こいつの通りにやればいいんだな?」
「そうです。お願いします」
黒須川はそう言うと、キタキツネのメンバーを残して観測所を後にした。
「あと一時間後か。間に合うかこのポンコツ」
黒須川は、愛車GTサンパチにエンジンをかけ、襲撃ポイントの難民キャンプに向かってバイクを走らせた。
網走難民キャンプには、マンイーターらレジスタンスがすでに潜伏しており、自衛隊の詰所を占拠していた。
身包みを剥がされて猿ぐつわをされた自衛官が、風呂場に放置してあった。
自衛官の制服を拝借し、それを仲間に着させて待機させる。
マンイーター本人も、奪った制服を着込んでおり、自衛官になりすましているが、その凶悪な人相ではニセモノであることがすぐにバレてしまいそうであった。
「クロスからの連絡はまだかよっ!」
自衛官から奪ったたばこを吸いながらマンイーターが吠える。
「まだです」
「おっせえなぁ、あのヤロウ」
「他のレジスタンスと連携しての襲撃なんだから慎重にいかないとマズイでしょ」
どうしてこの男は黒須川を貶める言い方しか出来ないのだろう。
ノアの胸中にマンイーターへの嫌悪感が募る。
「やけに奴を庇うじゃねえかノアよ。オマエは男が大嫌いじゃなかったのかよ?」
「ああ嫌いだよ。だけどそれとこれとは別さ。それにどうせ決行は夜なんだ。ゆっくりと待てないのかい?」
「分かってるさ。おれぁ一眠りする。後は勝手にやってろ!」
マンイーターは詰所の休憩所に入って、ソファーに横になった。
「姐さん。あんまりリーダーを刺激しないで下さいよ」
「そうですよ。イライラをぶつけられるこっちの身にもなってくださいよ」
レジスタンスの仲間が冗談めかして進言する。確かに彼らの言う通りだとノアは思った。
マンイーターはおだてて持ち上げれやれば機嫌がいい単細胞だ。
扱いには慣れているはずだったが、どうしても嫌悪感が勝って刺のある言葉を選んでしまう。
「そうかい。悪かったね」
作戦前にギクシャクしててもしょうがないので、ノアは素直に謝った。
「まあ、あっしらは別にいいんですがね」
「そうそう大将を立ててやってくださいよ」
こいつらの方がよっぽど分かっている。
ノアは自分が少し意固地になっていたことを恥じた。
「おっ、来ました。クロスからの連絡が入りましたよ姐さん!」
通信機に耳を宛てていたレジスタンスが報告する。
「どうだって?」
「占拠完了したそうです。予定通り作戦を決行してくれとのことでさぁ」
「わかった。あんたはマンイーターを起こしてきな。いや、やっぱりいいや。リーダーには休息が必要だ。作戦決行時間まで寝かせといてやりな。ただし起きたら黒須川から連絡があったことを知らせるんだ」
「わかりやした。姐さん」
「それじゃあアタシも少し休憩するよ」
ノアはそれだけいうと詰所を後にした。
3 ~真夜中の警報~
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深夜一時。損傷したゼロとバウンザーの修理も完了し、当直の兵士以外寝静まった夜。
セミも鳴かない北海道の夜はシンと静まり返っていた。
僅かに待機した車両のエンジンは全て燃料電池によって動作するため、アイドリングの音すらしない。
レンはコンテナトレーラーで一人、観測所から送信される時空歪曲率の波形を眺めていた。
実際のところ、眺めていなくても危険領域に入れば警報が鳴る仕組みだったのだが、前回の戦闘でほどんどなにも出来なかったのが悔しいレンは、波形の見方を勉強し、ゼロへの指示の出し方のイメージトレーニングを行っていた。
中学までは普通の学校に通い、そこから学徒自衛官に編入したレンはこのチームで一番階級が低かった。
どうして自分がチームに抜擢されたのかも良く分からないまま、技術チームの雑務として組み込まれていた。
ふと耳をすますと、サクサクと土を踏みならし、誰かが歩いている気配を感じ取った。
なんだろうと窓の外を見るが、誰も居なかった。
レンはドアのウインドウを空け、もっとよく外を覗き込もうと顔を出すと、いきなり目の前に人の顔が降ってきた。
「うわあああ!」
レンは悲鳴を上げて顔を突き飛ばした。
「きゃっ!」
突き飛ばされた人物は、器用に宙で回転し、ネコのようにしなやかに着地した。
「ご、ごめん。キミは確か美羽……さん?」
レンが突き飛ばした人物は美羽だった。
プロジェクトの極秘であったゼロワンを操縦したという噂の道民の少女美羽が、トレーラーの下からレンを見上げていた。
「驚かしたようね」
「ど、どうしたの。こんな夜中に?」
「トレーラーから明かりが漏れてたから、ヒロトが居るかなって思ったんだけど……」
「ヒロト? ああ、結城二尉なら第二テントに居るよ」
「そうか。ところでオマエは何をやってる?」
「おまえって、ボクはレン・ロバインっていうんだ。こう見えてもキミより年上のはずだよ」
「レン・ロバイン?」
「そうだよ。レンお兄さん呼んでね」
「わかった。レンでいいんだな」
「お兄さんだってばっ! ここではボクが一番下っ端なんだから、せめて美羽さんくらいそう呼んでよ」
「しかしレンは弱そうだし、年上には見えないわ」
「そんなことないよ。ちゃんと訓練も受けてるし女の子には負けないよ」
「そう。なら勝負してみる?」
美羽は手に持った小刀(マキリ)を突きつけて言う。その瞳は真剣そのものだ。
「あ、いや、やめときます」
とても適いそうにないと瞬時に判断したレンは、あっさり負けを認めた。
「大翔が居ないのなら仕方ない。じゃあなレン」
美羽はそれだけ言うと、脱兎のごとく駆け出した。
「お兄さんだって言ってるのに……」
そんな美羽を優しく見守りながら、レンはドアのウインドウを閉めようとしたが、夜風が気持ち良かったのでそのままにしておいた。
深夜三時。ウトウトとしていたレンの耳元に、甲高い警報が鳴った。
レンは飛び起きて、目を擦って波形を見つめた。
「観測値増大……、特異点反応? また?」
レンはじっと波形を観測続ける。
特異点の反応が徐々に大きくなってきている。五分足らずで警戒レベルが一つあがった。
「ほ、報告しなくちゃ」
レンは警報用のインカムスイッチを入れて、特異点反応が増大中であることを主要メンバーに知らせた。
すぐに陽菜が飛んできた。
居住モジュールから出てくれば五秒で指揮車両に来れる。これは最大の利点だった。
次いで上園とその技術スタッフ、最後に眠そうな大翔がやってきた。
「レン二士。ご苦労でした。後は私たちがやるからテントで待機していて」
「了解しました」
レンはトレーラーから降りると、自身のテントに向かった。
陽菜は難しい顔をしてモニタを眺めていた。
余りにも前回のパターンと酷似しているからだ。
「網走難民キャンプのすぐ側で特異点が発生してます」
「なるほどそれで?」
嫌味な奴。
陽菜は大翔に胸の中でアカンベーをすると話しを続けた。
「一番近い駐屯地は釧路です。今から応援を要請しても間に合うかどうか分かりません。難民キャンプには一〇名足らずの自衛官とボランティアの難民、それから約三〇〇名の難民が生活しています」
「それで?」
「いま一番近くて早いのは我々です。一応、釧路司令部には応援の要請はしますが、我々が向かって難民の保護及び、バグリーチャーの殲滅を行います。これで満足ですか?」
「もう大満足!」
死ね! と心の中で悪態を吐きながら、陽菜は各種事務処理をこなしてゆく。
そんな陽菜を大翔と上園は暖かい眼差しで見守っていた。
「それじゃあ俺たちはゼロの準備でもやろうかね上園くん」
「そうですね結城二尉殿。行きましょう」
男二人は陽菜を残して、ゼロのコンテナへと移動した。
4 ~トラップ~
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深夜五時。
もうすぐ夜明けという頃、キャンプを撤収したツーアイズチームが移動を開始した。
目的地は網走難民キャンプ。
ここからなら一時間とかからない距離だ。
指揮車両のコンテナトレーラーを先頭に、その両脇をバウンザー二両が随伴する。
その三両の後に大型トラックが数十台追いかける。
深夜の行軍が始まった。
特異点反応はある一定の値を出した後、安定し、それ以上大きくなる気配はなかった。
それでも油断はできない。
網走難民キャンプの自衛官詰所に特異点のことを連絡し、難民を非難させるよう指示を出す。
「現在のペースで特異点が広がった場合、バグリーチャーが出現するのは早くても夜明けの八時頃です。現地への到着が午前六時を予定していますので、ゼロの展開、難民の非難は余裕をもって行ってください」
陽菜の指示が全車両に伝えられる。
出発時にドタバタしていたので、乗り込むトラックを間違えた美羽は、そこで偶然レンと一緒になった。
トラックのシートに座ってウトウトしているレンの隣に座って、彼の柔らかい頬を指で突ついた。
「す、すいませぇん」
うたた寝していたのを注意されたのだと思ったレンは思わず敬礼して謝ってしまった。
だが、頬を突いたのが美羽だと知ると、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「どこへ向かってるの?」
「あ、えと、網走だよ。網走難民キャンプ」
難民キャンプと聞いて美羽の表情が厳しくなる。
「わたしたちを連れて行く気か?」
美羽の問いの意味がしばらく分からなかったレンはきょとんとしていた。
「あ、ち、ちがうよ。バグリーチャーが現れそうだから向かっているんだ。勘違いしないで」
「そうなの?」
美羽はそういうとレンから離れ、トラックの後部へ行き、目を瞑って精神を集中させた。
「(ユリア聞こえる?)」
(聞こえてるわ。どうしたの?)
「(特異点が網走に出たらしいわ)」
(本当? でもわたしは何も感じないわよ。ちょっとまってて)
ユリアは網走方面に向けて意識を集中した。
だが、そこには特異点反応の欠片も検出できなかった。
それもそのはず、その情報は第二観測所が送った偽の情報なのだ。
観測所を占拠したレジスタンスたちの手によって、捏造されたデータが送信され続けていたのだ。
だが、策略とか謀という概念を持たない優しい博愛主義者のルジオミンのユリアにはその陰謀の裏が読めなかった。
(おかしいわね。わたしには特異点の反応は感じないわ?)
「(どういうこと? 機械の故障なの)」
(そうなのかもしれないわね。でも警戒するに超したことはないわ)
「(分かった。ありがとう)」
(どういたしまして)
美羽は再びレンのところへと戻った。
「どうしたの美羽さん?」
「特異点は出てないらしいわ」
「え? 何を言っているんだい? 観測所からの報告に間違いは無いよ」
「さっきから何を言ってやがんだこの小娘はっ!」
レンは男であるが、何故か他の自衛官に気に入られていた。
背徳感の香りがする視線を注がれ、疲労困憊しているレン。
そんなレンに気のある巨漢の自衛官が、美羽の前に立ち塞がり、自動小銃のストック部で肩を突いて突き飛ばした。
「こ、子供相手に何をするんですか。平田士長!」
レンが倒れた美羽に歩み寄る。
だが美羽は何食わぬ顔をして立ち上がり平田を睨んだ。
「生意気なガキだ。やはり野蛮人だな!」
レンに窘められた自衛官はそう吐き捨てると、シートにどっかと座った。
「士長、その言い方はひどいですよ」
だが士長はフンとそっぽを向き、美羽とレンを無視した。
「ごめんね美羽さん」
「レンが謝る必要は無い。気にするな」
美羽はそれだけ言うと、トラックの後部に移動し、開けっ放しの後部から飛び出して天幕に登った。
「見たかよ。猿だなありゃ」
だが、そんな平田の悪態も、当の美羽には届かなかった。
午前六時。
ツーアイズチームは難民キャンプに到着した。
自衛隊の詰所から詳細を知りたいので説明に来て欲しいという要請があったので、代表して陽菜と上園が詰所へと向かった。
そうして三〇分が経過したが、二人とも一向に戻ってくる気配がないので、気になった大翔が詰所に連絡すると、カンに触る女性の声が聞こえた。
「誰だお前は?」
「おれか? おれさまはマンイーター。北海道解放同盟イヨマンテのリーダー、マンイーターさまだよ。お客さんは預かった。無事に返して欲しかったら五分以内に武装解除して投降シナ。じゃないと二人の命は保証しないぜぇ!」
「…………」
「どうした? 喋れないのか? 黙ってないで返事しろよなっ! オイコラッ!」
マンイーターは短気らしいと知った大翔は、交渉は難しいと踏んで、相手の要求を一旦飲むことにした。
「オーケー分かった投降しよう」
「わかりゃいいんだよ。アハハッ、五分後に丸腰で広場に集まれ、後で誰か隠れてたりしたのを見つけたら皆殺しにするからな。てめえらの人数は偵察して把握してっから一人でも足りないときは分かってるだろうな!」
マンイーターからの通信はそこで切れた。
「やられたぜ畜生!」
大翔は強化プラスチック製の窓を拳で殴った。透明の窓に血が滲む。
それから大翔は、全隊に武装解除して広間に集合するよう命じた。
「各武装は安全装置をセットしてコードSを入力して保管庫に格納すること。以上」
コードSとは、自衛隊の本隊であるバグネスト方面隊の師団長クラスにしか解除できない特殊コードであった。
広間に集められたツーアイズチームの面々。
詰所から出てきた陽菜と上園の無事を確認して、大翔はほっとした。
とはいえ、上園は顔面に何発かいいのを貰っており、顔面が腫れ上がっていた。
「これが名簿だ。全員いるはずだ」
大翔はマンイーターにチームの名簿を渡した。
その名簿の中には美羽、美優、シャクシャインの名前は入っていない。
美羽ら三人は関係ないので、広間に来ないようにと大翔は言い含めて、自衛官のみでやってきた。
「オイ、確かガキが居ただろう?」
「よく知ってるな。だが途中で降ろしてきた。軍属じゃない民間人だからな」
「フンそうかよ。まあいい。ガキの一匹や二匹どってことねえや。それよりあの人型兵器を頂くぜ。つーか装備一式丸ごと頂戴するけどよ。ヒャハハ」
「好きにしろ。オマエラに扱えるのならな」
マンイーターの鉄拳が大翔の頬を捕らえる。
「オイ、俺を舐めるなよ。何も知らないと思ってるだろうがそれは大間違いだぜ。あの女が動かし方知ってるってな。悪いが俺たちが運用できるようになるまであの女は借りとくぜ」
大翔の視線が陽菜を捕らえる。
ガタガタと震えており、今にも気絶しそうな雰囲気だった。
衣服も少々乱れているので、乱暴を受けたのかもしれない。
だが、陽菜を支えるように立っているレジスタンスの女性を見たとき、陽菜の貞操は守られていると確信した。
あの目は敵意に満ちているが、陽菜を抱く肩はどこか優しかった。
きっと乱暴しようとしたレジスタンスを彼女が制してくれたのだろう。
そう大翔は思った。
もちろんそれは勘でしかなく、本当のところは定かではない。
「ゼロのレクチャーは陽菜くんじゃなくても出来る。俺が分かりにやる」
「バカかオマエ。むさ苦しい野郎になんて教わってたまるかよ。オマエは死んどけ」
マンイーターの拳が再び大翔に襲いかかる。が、大翔は難なくそれをかわして、マンイーターの手をとって関節を逆手に取る。
「ッテテッテー、は、放しやがれこのヤロウ! 人質殺されてーのかっ!」
その言葉に反応して、大翔はマンイーターの手を放す。
「てめえ、動くなよ。動いたら人質ブッ殺スからな!」
マンイーターはそう因果を含めると、仁王立ちになった大翔を殴り続けた。
「や、やめて!」
そう言ったのは陽菜だった。
陽菜の不注意でこうなってしまったというのに、その失態をすべて引き受け、なおも犠牲になろうとしている大翔に、陽菜は自分の矮小さを思い知り、それ以上の暴行は自分が殴られるより痛く、辛かった。
「いい加減にしなよ。本当に死んじまうよ」
陽菜の言葉の後を継ぎ、マンイーターを止めたのは、レジスタンスのノアだった。
「クロス、止めてきな」
「分かりました姐さん」
執拗に殴り続けるマンイーターを、先ほど合流した黒須川が後ろから羽交い締めにする。
「なにしやがる。放せっ! バカ!」
「グズグスしてたら自衛隊の本隊が来ちまいますよ」
「なんだとっ?」
「連中がこっちに来るまでの通信で、応援を呼んでいたのを聞いたでしょう」
「そ、そうだったか?」
「そうですよ。無駄な体力つかってないで、テキパキと仕事しましょうよリーダー」
「分かったよ。うっせーな! オマエラこいつらを縛っとけ。行くぞノア」
マンイーターはノアと陽菜を連れて詰所に入った。
もう一人の人質、上園は、レジスタンスに銃を向けられたままなので、手が出せないまま、大翔たちツーアイズチームは縛についた。
5 ~沈黙する兵器~
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夜が明け、朝日が地平線より現れる。
マンイーターたちレジスタンスは苛立っていた。
拳銃一丁からトラックまですべてロックがかかっており、ピクリとも動かなかったからだ。
「どういうことだっ!」
ドアすら開かないトレーラーを前に、マンイーターは叫んだ。
その銃口は人質の陽菜に向けられている。
「あ、安全装置が作動して、全ての装備にロックがかかっています」
陽菜はマンイーターにそう答えた。
「解除しろ!」
マンイーターの銃口が、陽菜の胸に食い込む。
「くっ」
陽菜は恥辱で顔を朱に染めた。
「早く解除しろって言ってんだよっ!」
マンイーターの銃を持つ腕が、陽菜の胸を卑らしくこねくり回す。
「か、解除は、できません。コードSでロックされた兵装は、自衛隊本部の幹部にしか解除できません」
「ハ、ハッタリだ!」
「嘘じゃありません。本当ですっ」
「俺が嘘と言ったら嘘なんだよっ!」
マンイーターの蹴りが陽菜の膝関節を捕らえ、拘束された陽菜は無様に横転した。
「嘘じゃ、ありません。嘘じゃ……」
陽菜は悔しくて情けなくて、涙が滲んできた。
「やめなマンイーター」
陽菜に付き添っていたノアが止めに入る。
「納得できるかっ! ここまできて、武器を奪えませんでした。そうですか。……で済むと思ってんのかっ!」
「思っちゃいないよ。ただこの女は知らないってのは本当らしいから他の方法を考えたらどうなんだい?」
「何か方法があるってのか?」
「それを考えるのがアンタの仕事じゃないのかい。リーダー」
「フン、分かってるさそれくらい。作戦練ってくる、オマエはココで見張ってろ!」
マンイーターは陽菜とノアをその場に残し、再び詰所に戻った。
「あんたも馬鹿だね。女のくせになんで自衛官になんかなったんだ……」
ノアは突っ伏して泣いている陽菜も向かって、独り言のように呟いた。
「そうするしか、そうするしか選択肢はなかったから仕方ないじゃない……」
か細く呟く陽菜の声は、喧騒にかき消され、ノアの耳には届かなかった。
詰所内の通信室には大翔とレンが呼び出されていた。
レンは二人がかりで押さえつけられ、その首にはナイフがあてがわれていた。
「聞くところによるとオマエが一番偉いんだってな」
マンイーターは先ほどのダメージが抜けきらず、少し朦朧としている大翔に向かってそう言った。
「状況は分かってるよな? オマエに拒む権利はない。そんときゃあのボクちゃんがズタズタに引き裂かれ、最悪失血死してしまうことになる。わかったら黙って自衛隊の本部とやらに連絡してコードを解除してもらえねえかな?」
大翔は答えない。酩酊しているかのようにフラフラしていた。
「聞こえねえのか! だったら目を覚まさせてやるぜ! オイ、その小僧を三枚に下ろしてやりな!」
「な、結城ニ尉~」
レンが情けない声をあげる。
「待てっ! 分かった。目が覚めた」
「分かればいいんだ。分かればな」
大翔は指令本部に連絡を入れた。
三〇分後。大翔はコードS発動を誤動作と報告した。
そうして厳重注意をうけながらも、なんとか解除コードを入手した。
6 ~交渉~
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第二観測所。
レジスタンスのキタキツネが制圧したその場所で、観測者たちが慌て始めた。
「どうした?」
半分眠っていたキタキツネの見張りが、銃を構えて観測者に近付く。
「た、大変です。特異点、特異点が本当に現れました」
「どういうことだ?」
「バグリーチャーが現れるかもしれないということです。早く連絡を入れないと大変なことになる」
「どこに出現したんだ?」
「偶然にもほどがありますが、網走難民キャンブのすぐ側です」
「なんだと!」
「あなたたちの仲間が居るのでしょう? 連絡を入れさせて下さい」
「…………」
レジスタンスは考えた。
先ほど偽の情報を知らせて、今度また本当の情報を知らせた場合、先の情報に疑問を持たれるかもしれない。
そうなれば当然この観測所は疑われ、自分たちの存在に気付くだろう。
武装した自衛隊がやってきたら素人集団の自分たちに勝ち目は無い。
そう考えたレジスタンスは、首を横に振った。
「駄目だ。連絡することは許さない。知らせたら殺す!」
ターンという銃声が響く。弾丸は観測者の脇にある計器メーターを吹き飛ばした。
「通信装置はどれだ?」
レジスタンスの問いに、腰を抜かした観測者は素直に通信装置を指差す。
タタタタタタッ……、と自動小銃を連射して、通信装置を破壊するレジスタンス。
その音に他のレジスタンスも起き出してくる。
「どうした?」
「なにがあった」
「なんかやべえらしい。おまえらずらかるぞ!」
レジスタンスは適当に発砲しつつ、観測所から逃げ出した。
「な、なんとういうことを……、予備の通信機を早急に立ち上げるんだ。急げ!」
取り残された観測者は、通信装置の復旧を命じた。
「無知で無学なレジスタンスめ……」
観測者はバグリーチャーによる被害のことを考えると、背筋が凍る思いがした。
兵装のロックを解除したマンイーターは、早速指揮車両に乗り込み、ゼロとゼロワンを動かすよう陽菜に命じた。
陽菜は、ゼロ及び、ゼロワンを動かすためのハードキーである腕時計をマンイーターに渡す。
「ゼロワンは、赤いマシンはまだテスト中で起動できません」
「ウソつけっ! 俺はちゃんと動いてるのを見たんだ。痛い目に遭いたくなかったらさっさと動かせ!」
「それは偶然動いただけで……」
陽菜はそこまえ言って、考えを改めた。
どうせ本当のことを言ってもこの男は信じないだろうと悟ったからだ。
「……わかりました。やってみます」
「分かりゃいいんだよ」
陽菜は無駄だと思いつつ、ゼロワンの起動を開始した。
すると、どういう訳か、昨日までピクリとも動かなかったゼロワンの起動がスムーズに進んでいるのである。
というより、陽菜はほとんど何もやっていなかった。
まるでゼロワンに意思があるかのように、次々に起動準備がなされてゆく。
「どういうこと……」
陽菜は突然動き出したゼロワンに動揺を隠せない。
「やりゃあデキルじゃねえかよ。オイ、ハッチを開けとけよ」
マンイーターはそういうと、陽菜の見張りを仲間のレジスタンスに任せ、コンテナ部へと移動した。
美羽と美優、そうしてシャクシャインは、コンテナトレーラーの居住モジュール内に居た。
ここは陽菜の城であるが、大翔にこの中に隠れていろと言われたのだ。
美羽たちは、ユリアによって外の様子を克明に知らされていた。
そうしてシャクシャインにもユリアの声は聞こえた。
ユリアの存在に猜疑的だったシャクシャインだが、こうなると、もはやその存在を認めるしかなかった。
三人は自衛官らがレジスタンスに痛めつけられている間、じっとこの場所で機会を伺っていた。
幸い外の様子はユリアのおかげで筒抜けだった。
コードSが解除され、このモジュールに電源が供給されると、ユリアはトレーラーに同化し、そのシステムを掌握した。
ゼロワンを起動させたのもユリアの仕業だった。
そうしないと陽菜の身が危険に晒されると判断したからだ。
そうしてチャンスは突然やってきた。
(大変よ美羽。特異点が本当に現れたわ。かなりの規模よ。この間と同じくらいの規模と思っていいわ)
「どこに現れたの?」
(信じられない。まるでわたしたちを狙っているかのようだわ)
「どういうこと?」
(難民キャンプのすぐ側よ。ここは危険だわ)
「急いで知らせないと」
(慌てないで、観測所の人が知らせるわ。それを待ちましょう。わたしたちが出ていっても捕まってしまうだけよ)
「わかった」
だが、いくら待てども、観測所からの連絡はなかった。
いつまで経っても連絡がこないので、ユリアはその意識を観測所に飛ばした。
(なんてこと! 観測所の通信システムが破壊されてるわ。これでは連絡なんか来るわけないわ)
「連絡がこないとどうなる」
シャクシャインが口を挟む。
(ベム《バグリーチャー》の奇襲を受けるわ。目標が来ると分かっていても危険な相手なのに、奇襲なんかされたらここは全滅するわ)
「やっぱり知らせなきゃ」
美羽が居住モジュールのドアに手をかける。
だが、シャクシャインの大きな手が、その手を被うように重ねられた。
「ワシが行こう。外の様子はどうなんだ?」
(大丈夫、見張りは居ないわ。こっそり出ても大丈夫よ)
「ワシが飛び出したらすぐに閉めろよ。美羽。美優を頼むぞ」
「任せて」
シャクシャインは二つある出口のうち、外に出るドアノブを捻り、外へと飛び降りた。
シャクシャインはそのまま真っ直ぐに広間へと向かった。愛用の小刀を腰に下げた以外の武器は持たず、堂々と歩いて行った。
当然レジスタンスの見張りに見つかった。だが、それもすべて考えあっての行動だった。
「誰だお前は。止まれ!」
「クロス、と呼ばれている人物に会いたい」
「質問に答えろ! 何者だ!」
「ワシは見ての通り道民じゃよ。クロスに合わせて貰えんか?」
難民たちは皆、合同宿舎に閉じ込めて、外から鍵をかけたので出てこれないはずだった。
それに一人だが見張りもいる。
レジスタンスは余りにもシャクシャインが堂々としているので、他のレジスタンスなのかと勘違いした。
「どこの組織の者だ?」
「ワシは一匹狼だ。どこの組織にも属していない。だがこの土地を想う心は誰にも負けぬ。クロスに合わせて貰えるのか貰えないのか?」
「……分かった。合わせよう。だがどうしてクロスなんだ?」
「おまえたちのリーダー、マンイーターとやらに冷静な判断ができるとは思えないのでな」
レジスタンスは苦笑した。
「分かった。ついてこい」
シャクシャインはレジスタンスの後について、詰所の中に入った。
黒須川はシャクシャインの言葉をすぐに信じた。
だが、他のレジスタンスの手前もあったので、疑う演技は怠らなかった。
「キタキツネの連中が裏切ったと?」
「裏切ったというより、怖くなって逃げたようだ。通信システムが壊れて通信できないことは確認済みだろう」
シャクシャインの言う通り、何度観測所に打診しても返事が返ってこなかった。
「確かに通信はできない。しかし、それだけでバケモノが現れるという情報を信じろというのか?」
「信じなければ全員死ぬだけだ。ワシもアンタも」
「食えない爺さんだな。もしここにバケモノが現れた場合、オレたちの戦力じゃ適わないだろう。だからといって自衛隊に武器を返すわけにもいかない」
「まあそうだろうな。とりあえず警告はした。後は自衛隊と心中するか、逃げるか、好きな方を選ぶといい」
シャクシャインはそれだけ言うと立ち上がった。
「どこへ行く気だ?」
「外の自衛官たちにも教えてやろうと思ってな。知っておいた方が覚悟できるだろう」
「勝手なことを!」
「生きてここから、でられると」
「行かせてやれよ」
はやるレジスタンスの言葉を遮り、黒須川はそう命じた。
「だ、だけどよ……」
「もちろん見張りは付ける。自衛隊の縛を解かれちゃ適わないからな」
「アタシが付いてくよ」
いままで黙って話を聞いていたノアが名乗り出る。
「姐さん……」
「クロス、あんたはマンイーターにこの事を伝えてきな。ただし、観測所から連絡が来たことにするんだ。マンイーターは爺さんの与太話を信じるようなタマじゃないからね」
「わかりましたよ」
黒須川はレジスタンスの一人に、バケモノが来たことをマンイーターに伝えるよう命じた。
7 ~バグリーチャー強襲~
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シャクシャインはノアと共に、縛についた自衛官らの前に立って、特異点が現れて、バグリーチャーが襲ってくる可能性が高いことを告げた。
その知らせを受けた自衛官らは、すぐに縛を解くよう迫った。
「静かにおし。まだ来ると決まったわけじゃない。観測所との交信が途絶えただけよ。全部この爺さんの憶測に過ぎないから解くわけにはいかないね」
「一つだけ教えてくれ」
両手両足を拘束され身動きもままならない大翔がノアに尋ねた。
「一つだけだよ」
「どうしてその爺さんの話を、お前たちは信じる気になったんだ?」
「……勘さ。長いことレジスタンスとかやってると危険には敏感になるんでね。本土でぬくぬくと過ごしてきたアンタたちとは違うのさ」
ノアはそういうとシャクシャインを連れてその場を後にした。
「苦労してきたようだな……」
小銃を肩に下げ、隣に歩いているノアを隣に、独り言のようにシャクシャインは呟いた。
「下手な同情は勘弁してよ。アタシはずっと独りで生きてきたんだ」
「ではどうしてレジスタンスになんかと一緒に居る」
「い、いまだけだよ。アタシの戦いはこの北海道から自衛隊を追い出して、道民だけで自立することだから、その仲間を集めて何が悪い」
「悪いとは言っていない。やり方は人それぞれだ。ワシも北海道の復興を望んでいる」
「あんたこそ一人で復興なんてできるのかい?」
「一人ではない。道民の生き残りの中には、難民キャンプを離れ、畑を耕し、自立して生活している連中が居る。ワシはその手助けをしている」
「畑だって? この不毛の荒野に畑?」
「そこまで実を結ぶのに一〇年かかった」
「そ、そうかい」
「いま、あのバケモノたちを野に放てば、その苦労も水泡と化す」
「どうしろってんだい? アタシにあの連中の縄を解けというのかい?」
「それは自分で考えるんだな。ワシには守るべき者たちがいる。自衛隊の武器を借りるぞ」
「武器なんか持ってどうしようってんだい!」
「言ったはずだ。守るべき者たちがいると」
シャクシャインの言葉はとても静かだったが、その奥に潜む揺るぎ無い意思がひしひしとノアに伝わってきた。
「あんたがそこまでして守ろうとするものは一体なんだい?」
「ワシの可愛い子供たち。それと道民の未来だ」
「武器庫のものは勝手に使いな。ただし変な真似をしたら爺さんだろうと容赦はしないよ」
ノアの自動小銃が、シャクシャインの胸に狙いを定める。
「もしもあのバケモノを迎え撃つつもりなら、その程度の武器は豆鉄砲程度の威力にしかならないぞ」
シャクシャインはそういうと、武器弾薬が格納されているトラックへと向かった。
ノアは迷った。
このままマンイーターに従っていて道民の開放が出来るのか。
多分それは無理だろう。
マンイーターの気性と性格を見る限り、その結論を導き出すのは容易かった。
マンイーターの元に、バグリーチャー出現の可能性があるとの連絡が入った。
「嘘が真になっちまったな。ヒャハハ」
「笑い事じゃありませんよ。リーダー」
「そうだったな」
「どうします。逃げますか?」
「アホかテメー。ここまできてなんで逃げる必要がある。コイツさえあればバケモンなんてイチコロだろうが。これで撃退してみろや、イヨマンテの名前が一気に知れ渡るぜ」
ゼロワンに乗ったマンイーターは、その鉄の腕でレジスタンスを掴んで持ち上げる。
「な、なにをっ、助けて!」
「すげえだろ。ぜんぜん力を入れてないんだぜ」
そう言ってゼロワンの手を放すマンイーター。
どすんと尻餅をつくレジスタンスは腰が抜けて立ち上がれない。
「ヒャハハ、軽くヒネッてきてやんぜ。オイこら、ハッチを開けろ!」
マンイーターは陽菜にそう命じた。陽菜は言われた通り、コンテナのハッチを開けた。
「ヒャハハ、行くぜ!」
マンイーターの載るゼロワンが大地に降り立った。
そうして広間に向かってホバリングで前進を始めた。
ユリアのアンテナがバグリーチャーの姿を捕らえた。
(来たわ。距離は二キロ。全部で六体のベム《バグリーチャー》の出現を確認したわ。システムに強制介入するわ)
ユリアはそういうと、トレーラーに積んである時空歪曲率の波形モニタの受信をストップし、自らが創り出した波形の出力を開始した。
同時にアラームランプも点灯させる。
驚いたのは陽菜だった。
急に連絡が途絶えた観測所からの送信が再開されたのだ。
しかもバグリーチャー出現のおまけ付きで。
「なんてこと……」
陽菜は突如現れたバグリーチャーに呆然としていた。
(美羽。あなたはゼロに搭乗して自衛官たちを解放しなさい。わたしがサポートするから)
「わかった」
(ちょっと待って、その前にレジスタンスを排除して頂戴。そこの扉を開けると同時に運転席の扉を開けるわ。運転席にいるレジスタンスを車外に叩き出してくれる?)
「任せて」
(行くわよ)
ユリアの合図と同時に二つのドアが突然開く、見張りのレジスタンスは突然開いたドアを閉めるべく、身を乗り出していた。
その隙をついて、美羽は居住モジュールから指揮車両側に移動する。
「あ、誰だキサマ!」
レジスタンスが気付いて振り返るが、もうその時には美羽の鋭い蹴りがレジスタンスの顔面に炸裂し、情けない声をあげながら、レジスタンスは大地にキスをした。
そこで絶妙のタイミングでドアが閉まる。
外では起き上がったレジスタンスがドアノブを捻るが、びくともしない。
「大丈夫? 怖くなかった? どこも痛くない?」
「し、心配してもらわなくても大丈夫ですっ!」
陽菜の顔が真っ赤に染まる。
「そう。よかった。ちょっとゼロを借りるわ。大翔たちを助けてくるから」
「あっ! ちょっと、待ちなさい」
だが、美羽は陽菜の言葉を無視してコンテナ部へ向かった。
美羽と入れ替わるように、居住モジュールから美優が這い出してきた。
「ねえねえ。おねえちゃんはどこにいったの?」
キョロキョロと指揮車両を見渡して美優は尋ねる。
「私はあなたのお姉さんの保護者じゃなありませんっ!」
「ひぃん」
美優は急に怒鳴った陽菜が恐ろしくて泣き出した。
「うわああああああん。こわいよう」
「あ、あの、泣かないで、ほら、これ、飴あげるから泣き止んでよ」
陽菜はダッシュボートから飴を取り出すと、美優に与えた。
「なにこれ?」
「お菓子よ。知らないの? 美味しいわよ」
陽菜は飴を取り出して包み紙を取って口の中に運ぶ仕草をした。
美優は恐る恐る飴を受け取り、口に含んだ。
「あまーい」
「それ全部あげるから大人しくしててね」
陽菜は飴の入った袋ごと美優に手渡す。
「はーい。ありがとうおねえちゃん」
「おねえちゃんって……もういいわよ」
いつからここは託児所になったのだろうと、陽菜はため息をついた。
コンテナに到着した美羽は、腰を抜かしたレジスタンスを見つけたが、素早い身のこなしで、ほどんど気付かれることなくゼロに乗り込むことができた。
(起動準備は完了してるわ。ハッチ閉めるわよ)
「いいよ」
ゼロの搭乗用ハッチが閉じ、中は真っ暗になる。やがてモニタ類が立ち上がり、外部カメラが外の様子を写し出す。
(広間に向かって頂戴。見張りのレジスタンスが二人いるから、彼らをまず武装解除させて、それから自衛官の縄を解いてあげて。急いでね)
「わかった。こいつはどうするの?」
美羽は腰を抜かしているレジスタンスを指した。
「コンテナからつまみ出しといて下手に計器をいじられても困るし)
「わかった」
美羽はレジスタンスを片手でひょいと持ち上げると、一緒にコンテナの外に出た。
「閉めていいよ」
(頼んだわよ美羽)
美羽はハッチが閉まるのを確認すると、レジスタンスを地面に置いて、広間へと向かった。
先に広間へと着いたマンイーターのゼロワンは、自衛官らの見張りを残して、全員でバグリーチャーを狩りにでかけた。
嫌がるレジスタンスもいたが、ほとんど無理矢理連れて来させた。
レジスタンスの武装は貧弱で、拳銃とサブマシンガン、それに自動小銃と口径の小さな火器ばかりであった。
唯一、レジスタンスに合流したシャクシャインだけが、対戦車ミサイル、バズーカ砲などを携帯していた。
「なんで付いてきたんだい?」
ノアがシャクシャインに尋ねる。
「道民を守る。と言ったはずだ」
「あ、あんた……」
シャクシャインの言葉にノアは心底驚いた。
この老人のいう子供たち、道民という言葉の中には、自分たちも、ならず者のレジスタンスも含まれていたのである。
「あんたバカだよ」
ノアはそう言ったが、そんな馬鹿は嫌いじゃなかった。
美羽が広間に到着したときには、詰所にレジスタンスの姿はなかった。
見張りが二人、銃を構えて立っているだけだった。
美羽の乗るゼロが現れたとき、レジスタンスは仲間が乗っているのだろうと思っていた。
だが、銃を奪い取られ、胴体をわし掴みにされて拘束されて、ようやく敵が乗っているのだと理解した。
そのゼロのハッチが開き、中からツインテールの少女が出てきたので、レジスタンスたちはより一層驚いた。
「美羽!」
「美羽さん」
大翔とレンが声を上げる。
「大翔は早くこれに乗って」
ゼロを降り、自衛官らの縄を小刀(マキリ)で解きながら美羽は言った。
「レンは本当に弱いな。マキリを向けられたくらいで情けない声を出すな」
レンの縄を解きながら美羽は呆れたように呟いた。
「面目ない。ってなんで知ってるの?」
「おいガキ! その……、あ、りがとよ」
美羽を馬鹿にした平田士長が明後日の方角を見ながら礼を述べた。
素直に礼が述べられないが、彼なりに感謝していた。
そうして全員の縄を解くと、自衛官らは各自自分の持ち場に戻った。
「特科部隊は五分以内に出撃準備を完了させろ!」
村雨二尉が感情を露にして叫ぶと、おおー! という気合の入った返事が響く。
ツーアイズチームは復活した。
8 ~鋼の棺桶~
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特異点より現れたバグリーチャーは六体。
その歩みはほぼ同じで、時速二〇キロメートルほどのスピードだった。
ライト級に分類されるのが四体、ミドル級が二体であった。
ツーアイズチームの戦力なら充分撃退できる相手であったが、マンイーター率いるゼロワンと丸腰同然の装備のレジスタンスに勝機は望み薄だった。
そのことはゼロワンに乗っているマンイーターにも分かることであったが、彼は自分が安全なら他の人間が危険に晒されても意に介さないタイプの人間だった。
ゼロワンの中にいる限り安全という保証は、マンイーターに絶対の自信と余裕をもたらした。
「へへへ、ゾロゾロと来やがったな」
ゼロワンのレーダーにバグリーチャーの影が映る。
だがすでに肉眼でも認識できる距離だった。
その異形の姿にレジスタンスたちは驚愕し、戦意を失いつつあった。
「なんだよありゃ」
「やべえよ、やべえよ」
レジスタンスの銃を持つ手が震えていた。
蜘蛛の胴体に蟷螂の上半身を加えたようなバグリーチャーがレジスタンスに迫る。
バグリーチャーは最も近い生命体を襲う習性がある。
このレジスタンスは迂闊にもゼロワンよりも前にでていたのだ。
「う、うわああああ」
手に持ったサブマシンガンをフルオートで連射するが、まるでそよ風にでも当たっているかのようにバグリーチャーは意に介さない。
硬い皮膚が統べて弾き返し、その跳弾が撃ったレジスタンスの太股を抉る。
「いてぇーーっ!」
太股を抱えてうずくまるレジスタンスにバグリーチャーの容赦ない一撃が加えられる。
鋭い鎌のような腕が一閃し、レジスタンスの胴を寸断する。
死体はしばらく痙攣していた。
その様子を楽しむかのように、バグリーチャーは死体を切り刻んだ。
細切れなった死体が、乾いた大地に赤い染みをつくる。
「か、かなうわけがねえー」
その余りの惨劇に、他のレジスタンスの戦意は失われた。
まるで蜘蛛の子を散らすかのように各々好き勝手な方向に逃げ出す。
だが、それこそバグリーチャーの格好の餌食だった。
「テ、テメエラ逃げるんじゃねー」
マンイーターはそう叫んだが、ゼロワンの気密性によってその声は外には届かない。
「一人死んだくらいでオタオタしやがって。クソがっ!」
マンイーターはゼロワンのアクセルペダルを踏み込んだ。
もの凄いGがマンイーターの身体を襲う。
さっきまでとは勝手が違っていた。慌ててペダルを戻すと、急ブレーキがかかり、ゼロワンの荷重がマンイーターの背に覆い被さる。
「ぐあああ」
ミシミシという骨のきしむ音が聞こえた。
「ど、どうなってやがんだ……」
朦朧とした意識の中、目の前にバグリーチャーが迫ってくるのを知った。
猛牛のように、真紅のゼロワンに突進してくる四つ足のバグリーチャー。
その衝突の衝撃はまったく吸収されること無く、中のマンイーターを圧迫した。
「ごばぁ……」
折れた肋骨が肺に突き刺さり、吐血するマンイーター。気絶しそうになりながら、どういうことなんだと、何度も何度も反芻する。
崩れかけていたゼロワンの上体が起き上がり、四つ足のバグリーチャーにリニアパンチを繰り出す。その腕の振りのスピードはすさまじく、マンイーターの右腕の筋肉を断絶し、骨が砕け散る。
「あがががが……」
いまゼロワンの制御を行っているのは、ユリアではなくゼロワンに搭載されたコンピュータであった。
美羽がゼロに乗り込んだとき、ユリアはゼロワンの制御を本来のシステムに移行して切り離していた。
そうして、ゼロワンのコンピュータは、搭乗員が戦闘不能であることを心拍数、血圧などから算出し、ゼロワン本体の回収を優先する自己防衛プログラムが作動を開始していた。
ゼロワンが、ハンドグレネードで四つ足のバグリーチャーを粉砕したとき、中のマンイーターはすでに生き絶えていた。
動かなくなったゼロワン。
ゼロワンから生命活動が消えたことにより、バグリーチャーたちは他の生物を求めて迫ってきた。
今度の標的はノアだった。
「逃げるんだ!」
自動小銃をバグリーチャーに構えようとしていたノアを制し、シャクシャインがノアの手を引く。シャクシャインに握られた手をノアは必要以上に意識した。
男に触られたのは何年ぶりだろうか。
ノアは十年前に自衛官らに暴行を受けてからというもの、男性に触れること、触れられることを極端に嫌っていた。
彼女に気安く触った輩は、小銃のストックでぶん殴られるか、股間を蹴り上げられるか、どちらかの制裁を受けていた。
だが、いまノアの手を握って走っている老人の触れる手は優しく、一片の嫌悪感も抱くことはなかった。
自分でも不思議な感覚だった。
相手が老人だからだ。ノアはそう思うことで納得した。
「姐さん大丈夫ですか?」
所々に裂傷を負った黒須川が走ってきた。
「クロス、生きてたのかい」
「オレ以外はみんなバケモノにやられちまった。生き残りはオレらだけのようですよ」
「なんてこったい!」
「二人とも、死にたくなければ走れ!」
シャクシャインはノアを黒須川に向けて突き飛ばす。
「な、なにすんだ。このジジイ!」
「おまえたちは逃げろ」
「おまえたちって爺さん……」
黒須川はシャクシャインが言わんとしていることを瞬時に理解した。
「二人とも死ぬなよ」
「なに言ってんだい。あんたも逃げればいいだろ。ほら早く」
ノアはシャクシャインの手を引いた。
自らの意思で男性の手に触れるのは十年ぶりだった。
だが触れても何とも無かった。吐き気も、頭痛も無い。
「ノア……といったかな? 優しいな。レジスタンスなど止めるがいい」
「い、いまはそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
シャクシャインを引っ張るノア。だがその巨体はぐらつき、片膝を付いて咳き込み始めた。
地面に鮮血が飛散する。
「じ、爺さん。あんたまさか……」
「そうだ。ワシは肺を病んでいる。もう長くはない」
「なんだって!」
粉塵による道民の肺ガン、肺気腫の罹患率は内地の三〇倍近くあった。
肺の病は、この北海道《バグネスト》では一種の風土病のようなものであった。
「ワシがここで足止めをする。おまえたちは逃げろ!」
シャクシャインはノアの手を振り解き、突き飛ばした。
「クロスとやら、ノアを連れて逃げろ」
黒須川はシャクシャインを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「は、放せ! バカ!」
ノアの罵声を無視し、黒須川はノアを連れて逃げ始めた。
「それでいい」
シャクシャインは対戦車ミサイルを両肩に担ぐと、バグリーチャーに向けて構えた。
大翔のゼロがバグリーチャーに向かって疾走する。
レジスタンスとはいえ人間だ。見殺しにするわけにはいかない。
レーダーは五体のバグリーチャーが一点を目指して進行している。
標的に向かっている証拠だった。
「間に合うのか?」
ゼロのサーモセンサーが二人組の人間を検出する。
センサーが検出した方向をモニタに映すと、ノアと黒須川が走っているのを確認した。
「レジスタンス二人がそっちに向かった。武装を解除させて保護を頼む」
大翔はそう連絡を入ながら、バグリーチャーに向かってゼロを走らせ続けた。
シャクシャインの視界には五体のバグリーチャーが映っていた。
無理をしすぎたせいか、肺が焼けるように痛んだ。
呼吸は荒く、逃げようにも、この場から動けそうになかった。
「いよいよここまでか。世津子、裕樹、もうすぐワシも逝くぞ」
妻と息子の名前を呼び、シャクシャインは対戦車ミサイルの照準をバグリーチャーに向けて引き金を引く。
狙い違わずバグリーチャーに命中するミサイル。
とても素人が放った弾とは思えない。
事実シャクシャインは素人では無かった。
シュヴァルツドライヴの事故に遭う前まで、彼は、シャクシャインは自衛官をやっていた。
特科部隊の砲兵として、その技術を磨いてきた。
二等陸士で入隊して、事故当時には陸曹長にまで昇格した砲撃のプロフェッショナルだ。
事故直前、米軍との演習と称して、北部方面隊の全軍が、海自と連携してオホーツク海に集結させられた。
それはまるで事故が起こるのを知っていたかのような対応だった。
そのとき、僅かに残された自衛官のうちの一人がシャクシャインであった。
残された自衛官の大半はウタリと、反骨心を持った自衛官たちで構成されていた。
そうして起こるべくして事故は起こった。少なくともシャクシャインはそう考えていた。
制服を脱ぎ捨て、民族衣装《アットゥシ》を身にまとい、名を捨てた。
すぐにでも妻と息子のところへ逝くはずだった。
だが、死に場所を求めて彷徨っている最中に、美羽と美優を拾い、彼女らを育てるという責任が生まれた。
そのことがシャクシャインを生に繋ぎ止める唯一の絆だった。
だがそれも、一人前に成長した美羽と、大翔、ノアらに希望を託すことにより、シャクシャインを縛っていた義務は、その役割を終えようとしていた。
硝煙が舞う大地を、バグリーチャーは平然と歩いてくる。
その数は四体。
シャクシャインはもう一丁の対戦車ミサイル砲を担いで狙いを定めた。
風向き、バグリーチャーの動きを読んでいるとしか思えないほど奇麗な放物線を描いてミサイルはバグリーチャーに命中し、爆散する。残りは三体。
バラバラに砕けたバグリーチャーの破片が、他のバグリーチャーに降り注ぐ。
シャクシャインは背中に背負ったミサイルを、バズーカ砲に装填し、再び放った。
命中し、爆散するバグリーチャー。
残るは二体。そうしてミサイルの残弾もあと二発だった。
砲身が冷めないまま、ミサイルを装填して撃つ。バグリーチャーには命中するが、その砲身は焼け、先端に歪みが生じている。
バグリーチャーもついに最後の一体となった。
焼けた砲身にミサイルを装填する。掌はすでに焼け爛れている。
最後に残ったバグリーチャーは他の四体より大きかった。ミドル級に分類されるバグリーチャーだ。これを破壊するには、ギリギリまで引き付けて撃つ必要があった。
早く撃つように誘っているかのように、ゆっくりとバグリーチャーが迫ってくる。
「ここから先へは一歩も通さん」
目の前には人型の巨人。身長四メートルはあるかという巨人が立っていた。それはまるで神話にでてくるギガンデスを彷彿とさせた。
そのギガンデスの豪腕が振り上げられる。
「この距離ならっ」
ほぼゼロ距離でシャクシャインは引き金を引いた。
だが、ミサイルは発射されなかった。連射による金属疲労でジャムってしまったのだ。
何度引き金を引いてもミサイルは出ない。
「ここまでか……」
シャクシャインは覚悟を決めた。
巨人の、ギガンデスの振り上げた腕が爆発する。
シャクシャインは自身のバズーカ砲を見るが、発射された形跡はない。
後ろを振り返ると、そこにはハンドグレネードで狙いを定めるゼロの姿があった。
「なんて爺さんだ。たった一人で四体ものバグリーチャーを倒しやがった」
大翔はここまで来る数分の間に、バグリーチャーの数が一体づつ減っているのを目の当たりにしていた。
「いったい何者なんだ?」
あそこまで正確にロケット砲を扱えるということは素人ではない。
恐らく軍属経験者。
その考えに到達するのに、そう時間はかからなかった。
「あ、あぶない!」
感心している場合じゃなかった。
その勇猛な老人はいま、目の前でバグリーチャーの攻撃を受けようとしてる。
大翔は誤爆の危険があるのは承知で、ハンドグレネードをバグリーチャーに見舞った。
その弾道は寸分違わずバグリーチャーの腕を吹き飛ばした。
「命中精度が上がっている?」
ゼロの火器管制プログラムはユリアによって書き換えられ、格段に性能が向上していた。
「これならいける!」
大翔はハンドグレネードの集中砲火を浴びせ、バグリーチャーを撃滅した。
そうしてゼロを走らせて、燃え盛るバグリーチャーの残骸の中からシャクシャインを引きずり出し、老人の体を抱き上げた。
シャクシャインはゼロを見上げ、微笑んだ。
初対面、あれだけ頼もしかったシャクシャインは見る影も無く、疲労し、弱々しく横たわる老人の姿がそこにあった。
何か喋っているようだが小さくて聞き取れない。
大翔は集音装置の感度を上げた。
「じ、……衛隊を信用するな……、美羽と美優を頼む……、そして……」
言葉の途中、シャクシャインは大量に吐血した。
「おっ、おいちょっと。しっかりしてくださいよ!」
だが、大翔の呼びかけも虚しく、シャクシャインは絶命した。
9 ~氷解する心~
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ユリアはシャクシャインの声を聞いた。
心を閉ざした寡黙な老人の思考が、積を切ったかのように溢れ出してくる。
後悔と絶望を繰り返しながらも、子供たちに未来を託すため尽力してきたシャクシャイン。
その人生の記録が、ユリアの中に流れ込んでゆく。
そうして最後に、子供たちを頼むと結んで、彼の思考は消えてしまった。
(そ、そんな……)
そのシャクシャインの思考を、ユリアはできるだけ詳しく美羽と美優に伝えた。
「お、おとうさん……、うわああああああん」
再び泣き出した美優に陽菜は慌てて宥めたが、今度ばかりはそう簡単に泣き止むことはなかった。
そうして美羽は……。
「嘘でしょうユリア」
(真実よ。シャクシャインの生命活動は停止したわ。だけど安心して、その魂はベム《バグリーチャー》に侵されることはなかったわ)
「死んだことに変わりないわ」
ユリアの慰めも美羽には無意味だった。
美羽と美優の悲しみは、誰よりもユリア自身が良く理解できた。
一瞬にして何千億という同胞をベム《バグリーチャー》によって失ったのだ。
しかもその原因は自分にあるのだ。
やりきれない思いがユリアの胸中に飛来する。
生き残った同胞はシュヴァルツシルトの裏側に逃げ込んで、止まった時の中で過ごしている。
ユリアが地球に何億年留まろうと、事象の地平線に入った同胞たちには一瞬の出来事でしかない。
人間には想像もつかない時間軸の中で、ユリアは生きていた。
この宇宙で彼女の仲間は一人も居ない。
そんな孤独なユリアを癒してくれたのは、美羽であり、美優であった。
(二人とも聞いて。これはシャクシャインの遺言よ……)
ユリアに宿ったシャクシャインの想いが美羽と美優に流れ込む。
朝日を浴び、ゼロの白銀のボティが黄金色に染まる。
太陽を背に、ゼロは難民キャンプの広間に戻ってきた。
その両腕には、生き絶えて横たわるシャクシャインの亡骸を抱いていた。
大翔の指示によって、ゼロの前に自衛官たちが集められる。
「被害が最小限で済んだのは、彼のおかげだ。彼は俺たちの先輩でもある」
大翔の言葉に自衛官らのどよめきの声が聞こえる。
「戦士シャクシャインは自衛官だ。一〇年前の事故で死んだと記録されている神野重蔵陸曹長と同一人物であることを、先ほど確認した」
「そんな、嘘でしょう!」
投降し、手錠をかけられたノアがシャクシャインの亡骸を見やってそう呟いた。
薄汚い自衛官。
自分を汚し、弄んだあの自衛官とシャクシャインが同じであるという事実に、ノアの心はかき乱された。
ほんの僅かしか交流しなかったが、ノアはシャクシャインに父親像を投影していた。
あの掌の温もりはいまもしっかりとノアに残っている。
「そんなのって、そんなことが……」
ノアはがっくりと膝をついて号泣した。
悔しさと悲しみがないまぜになった感情が流出し、それが涙となり、止め処なく溢れてくる。
「みんな。神野曹長、いや、シャクシャインに黙祷を捧げてくれ」
自衛官らは全員が直立不動の姿勢でシャクシャインに敬礼した。
縛につき、鳴咽を漏らすノアの傍らに一人の少女が姿を見せる。
美優だ。
美優はノアの肩にそっと手を添える。
ノアは泣き腫らした瞳で美優を見上げた。
「泣いちゃダメだって。おとうさんがいってたよ。お姉ちゃんにがんばって生きろって」
美優自身、頬に涙の跡が残り、さっきまで泣いていたのが一目瞭然だった。
「あんたあの爺さんの……娘かい?」
色素の薄い少女美優。
ロシア人とのハーフであることが一目瞭然で、シャクシャインの実子でないことはすぐに分かった。
「そうだよ。あたし美優。おとうさんはしんじゃったけど、あたしもう泣かないの。お姉ちゃんもこれあげるから泣かないで」
美優は掌いっぱいの飴玉を広げて差し出した。
陽菜に貰った飴玉。
なんの変哲も無い官給品の飴玉を大事そうに差し出す美優に、ノアの涙腺がまた緩んだ。
「ありがとう、美優……ちゃん」
涙を見せないよう立ち上がり、美優から飴玉を受け取る。
飴は嫌いだった。
自衛官に乱暴されたときに連中がくれた唾棄すべき菓子のひとつで、見るのも嫌なはずだった。
だがノアはその飴玉を剥いて口に入れた。
飴はとても甘かった。
「おいしいでしょう?」
「ええそうね」
ノアの自衛官に対するわだかまりは、飴のように簡単に溶けはしないが、それでも、ゆっくりとだが、癒される日がくるだろう。
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;(効果:センタリング)
5章「father《シャクシャイン》」
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;(効果:センタリング)
0 ~ナイトメア~
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;(BGM:)
;(背景:)
配給を待つ少女がひとり。
両親を失い、難民キャンプに収容された少女は、薄汚れた毛布にくるまって順番が来るのをじっと待っていた。
配給を待つ列の近くに自衛隊のジープが止まった。
ジープには自衛官が四人乗っており、中から男が二人降りてきた。男達は列を見渡し、少女を見つけた。
男達は少女の手を取るとジープに乗せた。
「美味いものを食わせてやる」
そう言われた少女は黙って男達についていった。
たどり着いたのは、自衛隊の宿舎だった。
プレハブで建設された簡素な住居。
だが、難民達の吹きさらしの小屋よりは遥かにマシだった。
宿舎の中は暖かく、少女はストーブに張り付いて暖をとった。
男達はみな優しかった。
少女に食べ物を与え、いたわりの言葉をかけてくる。
やがて少女の警戒心も薄れ、久しぶりの満腹感にウトウトしかけていたとき、一人の男が背後から少女を抱きすくめる。
少女は男が戯れているのだろうと思った。
ただの冗談だと。
少女は軽く拒絶の意思を見せたとき、男達の様子が一変した。
どす黒い情欲に満ちた瞳を少女は忘れることはできない。
それくらい男達の瞳は濁り、曇っていた。
抵抗するだけ無駄だった。
屈強な男が四人、少女の華奢な身体に群がってきたのだ。
プレハプに悲鳴が響く。
だが、その声は誰にも届かない。
とっさに手にした果物ナイフが学徒自衛官のノドを切り裂き、生暖かい鮮血がノアの全身に降りかかってくる。
再び悲鳴。そこから先はいつも闇の中……。
薄汚いペッドが軋み、女性が飛び起きる。
「また、あの夢か……」
汗で肌に貼り付いた髪をかきあげ、近くに置いてあったペットボトルの水を飲むと、ノアは痛む頭を押さえながら立ち上がった。
一〇年前。
まだ一四歳だったノアの悪夢は、まだ終わらない。
頻繁に同じ夢を見てはうなされている。
ノアは男を、特に自衛官を憎んでいた。
自衛官らの不祥事はいまも絶えることはない。
本土と隔離されたこの土地で、連中はやりたい放題だった。
一人でも多くの女性を理不尽な暴力から救うため、ノアは女であることを捨て、レジスタンスに身を投じた。
だが、この理想を理解するものは黒須川くらいしかおらず、ノアはレジスタンスとしての活動に疑問を抱き始めていた。
ドンドンとドアを叩く音が聞こえる。仲間が起こしにきたのだ。
「いま行くわ」
ノアは拳銃の弾倉を確かめてホルスターに入れると、ドアへと向かった。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
1 ~尋問~
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;(BGM:)
;(背景:)
ゼロワンの起動から一夜が明けた。
ツーアイズチームは二班に分かれて、ゼロの修理とゼロワンの解析に奔走していた。
村雨の特科部隊も、中破したバウンザーの修理に人員を総動員させていた。
美羽は、大翔とレン、それと陽菜の三人に尋問を受けていた。
チームの中でゼロワンのことを知らされているのは、この三人だけだったからである。
とはいえ、ゼロワンの存在は、昨日のバグリーチャー戦で、プロジェクトチーム全員の知るところとなった。
アマテラスのように部屋に引篭っていたレンだが、ゼロワンが勝手に起動したと聞いて、出てこないわけにはいかなかった。
大翔とは一切口を聞かずに、淡々と美羽に質問を行う。
美羽はユリアの存在を公言しないよう口止めされていたので、乗り込んだら勝手に動いたと言い張った。
そんなはずはないというレンに対して、知らぬ存ぜぬを貫き通した。
「通信記録が残ってるんですよ。ゼロワンの中で誰かと喋っていたでしょう」
たしかに通信記録は残っていたが、一方的に美羽が喋るだけで、当然のようにテレバシーで話すユリアの言葉は残っていない。
だが、美羽の口調から会話しているように聞こえるので、そう問い詰めるしかないのだ。
そうして一番の難題は、あれだけ動いていたゼロワンが、いまはまったく沈黙し、レンや沢井がどう頑張ってもLED一つ点灯しなかったのだ。
まったく分からないことだらけだった。
これでは本部に報告もできない。レンはため息をついた。
「とにかく、アレは自衛隊の最高機密ですので、もう二度と触らないように。それからその腕時計は回収させて貰います」
「いやよ。これはわたしが貰ったの」
美羽は腕時計を庇うように手で被い、席を立った。
「いやよ。じゃありません。それは自衛隊の備品なんですよ!」
「そうなのヒロ?」
美羽は大翔を見つめた。
「持ってていいぞ美羽。そりゃお前んだ」
「ゆ、結城二尉! なに勝手なこと言ってるんですか!」
「まあまあ、落ち着こうやレンくん。とりあえず原因はわからないけど美羽のおかげで我々ツーアイズチームが無事だってことは確かなんだ。これは紛れも無い事実だ」
「結城二尉が不甲斐ないからでしょう!」
「きっついこと言うね。まあ正解だけどさ。それに今度同規模のバグリーチャーが出現したときにゼロとバウンザーだけで仕留められる保証はないぜ」
「ゼロワンが動くとも限らないじゃないですか」
「いや動くね」
「なんの根拠があってそんなっ!」
「そうだろ美羽?」
大翔は美羽に視線を送った。
「う……ん」
美羽はしばらく迷った末、ゆっくりと頷いた。ユリアが頷いて良いと許可したのだ。
「ほらな?」
「何が『ほらな?』ですか。まったく根拠がないじゃないですか」
「あーもう、美羽は行っていいぞ。あとは俺たちで話し合うから」
大翔は美羽にウインクして早く出て行くように促した。
「うんわかった。ありがとうヒロ」
美羽はそれを聞くと、脱兎のごとく、尋問を受けていたトレーラーの中から飛び出した。
「行かせて良かったんですか?」
いままで静観していた沢井一曹が恐る恐る尋ねる。
「いいよ」
「よくないです!」
大翔とレンが同時に答えた。
美羽は表に飛び出し、自衛隊のキャンプ地を歩き始めた。
「どうして秘密にするの?」
美羽はユリアに尋ねる。
(ごめんなさい。ちょっと考えがまとまらないの。それに喋らない方があなたたちのためでもあるのよ)
「そうなの?」
(切り札は最後まで取っておくものよ)
「ふーん」
美羽には分からなかった。
もし、ユリアの存在が発覚し、それを彼らが信じたら、恐らくこのプロジェクトは一旦棚上げとなり、彼女の調査が行われるだろう。
それではこの北海道《バグネスト》に現れるバグリーチャーを殲滅することは出来ず、いたずらに犠牲者を出すことになる。
そのことが容易に予想できたユリアは、いまは話す時ではないと判断したのだ。
博愛主義者ルジミオンのユリアは、目の前の犠牲者を放っておける性格を持ちあわせてはいなかった。
(それよりシャクシャインのお見舞いと説得に行かなくてはならないんじゃないの)
「そうだね」
昨日、従軍医師に診察を受けたシャクシャインは不整脈が検出され、レントゲン撮影の結果、肺に影が写っていたため、精密検査を受けるよう医師に言い渡されていた。
だが、なんともないと、シャクシャインは頑なにそれを拒んで、医師と美羽たちを悩ませていたのだ。
美羽はユリアに言われて思い出したように、医療トラックへ向かった。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
2 ~観測所~
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;(BGM:)
;(背景:)
旭川市の大雪山跡を中心に広がるシュヴァルツシルト半径。
その外苑に添うように、時計周りに丁度一二個所、特異点の観測所が設けられていた。
そこで観測したデータをツーアイズチームに連絡している。コンテナトレーラーが万能でも、北海道《バグネスト》全域の特異点情報を把握することは出来ない。
トレーラーは観測所で観測された特異点のデータを受け取る受信機でしかなかった。
観測所は確かに重要な施設ではあるが、軍事的に重要な拠点と言う訳でもなく、その警備コストは出来る限り押さえられ、つまり警備が手薄ということだった。
だがそれでも良かった。
道民の殆どが、この施設が何なのかすら分かっていなかったからだ。
だが、その存在と目的を理解した道民が現れた。
北海道解放同盟イヨマンテ。
その幹部である黒須川が難民キャンプに訪れた自衛官を収賄し、その存在を知り得たのだ。
そうしてその報告を聞いたイヨマンテのリーダーマンイーターは、観測所を利用する作戦を考え出した。
網走方面をカバーする第二観測所に、武装したレジスタンス八名が到着した。
イヨマンテのサブリーダーの黒須川は、網走地区を拠点とするレジスタンス「キタキツネ」と手を結び、観測所を強襲した。
警備兵は僅か二人。舐めているとしか思えなかった。
突然の賊の侵入に、完全に不意をつかれた観測所は、SOSを発する前に占拠された。
「あっけないな」
キタキツネのメンバーはどちらかと言えば穏健派だ。
武装したのは今回が始めてである。
その素人集団に占拠されるとは、この国の国防は大丈夫かと、黒須川は他人事ながら心配になった。
「クロスさんよ。これからどうするんだ?」
キタキツネのリーダーが黒須川に声をかける。
「ここに提示した通りに動いてください。タイムスケジュールを守って、連中に報告させてくれればいいです。もしなにかあればここの通信機を使って連絡しても構いません」
黒須川はキタキツネのリーダーにスケジュールを記載した紙を手渡す。
「こいつの通りにやればいいんだな?」
「そうです。お願いします」
黒須川はそう言うと、キタキツネのメンバーを残して観測所を後にした。
「あと一時間後か。間に合うかこのポンコツ」
黒須川は、愛車GTサンパチにエンジンをかけ、襲撃ポイントの難民キャンプに向かってバイクを走らせた。
網走難民キャンプには、マンイーターらレジスタンスがすでに潜伏しており、自衛隊の詰所を占拠していた。
身包みを剥がされて猿ぐつわをされた自衛官が、風呂場に放置してあった。
自衛官の制服を拝借し、それを仲間に着させて待機させる。
マンイーター本人も、奪った制服を着込んでおり、自衛官になりすましているが、その凶悪な人相ではニセモノであることがすぐにバレてしまいそうであった。
「クロスからの連絡はまだかよっ!」
自衛官から奪ったたばこを吸いながらマンイーターが吠える。
「まだです」
「おっせえなぁ、あのヤロウ」
「他のレジスタンスと連携しての襲撃なんだから慎重にいかないとマズイでしょ」
どうしてこの男は黒須川を貶める言い方しか出来ないのだろう。
ノアの胸中にマンイーターへの嫌悪感が募る。
「やけに奴を庇うじゃねえかノアよ。オマエは男が大嫌いじゃなかったのかよ?」
「ああ嫌いだよ。だけどそれとこれとは別さ。それにどうせ決行は夜なんだ。ゆっくりと待てないのかい?」
「分かってるさ。おれぁ一眠りする。後は勝手にやってろ!」
マンイーターは詰所の休憩所に入って、ソファーに横になった。
「姐さん。あんまりリーダーを刺激しないで下さいよ」
「そうですよ。イライラをぶつけられるこっちの身にもなってくださいよ」
レジスタンスの仲間が冗談めかして進言する。確かに彼らの言う通りだとノアは思った。
マンイーターはおだてて持ち上げれやれば機嫌がいい単細胞だ。
扱いには慣れているはずだったが、どうしても嫌悪感が勝って刺のある言葉を選んでしまう。
「そうかい。悪かったね」
作戦前にギクシャクしてても仕方ないので、ノアは素直に謝った。
「まあ、あっしらは別にいいんですがね」
「そうそう大将を立ててやってくださいよ」
こいつらの方がよっぽど分かっている。
ノアは自分が少し意固地になっていたことを恥じた。
「おっ、来ました。クロスからの連絡が入りましたよ姐さん!」
通信機に耳を宛てていたレジスタンスが報告する。
「どうだって?」
「占拠完了したそうです。予定通り作戦を決行してくれとのことでさぁ」
「わかった。あんたはマンイーターを起こしてきな。いや、やっぱりいいや。リーダーには休息が必要だ。作戦決行時間まで寝かせといてやりな。ただし起きたら黒須川から連絡があったことを知らせるんだ」
「わかりやした。姐さん」
「それじゃあアタシも少し休憩するよ」
ノアはそれだけいうと詰所を後にした。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
3 ~真夜中の警報~
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;(BGM:)
;(背景:)
深夜一時。損傷したゼロとバウンザーの修理も完了し、当直の兵士以外寝静まった夜。
セミも鳴かない北海道の夜はシンと静まり返っていた。
僅かに待機した車両のエンジンは全て燃料電池によって動作するため、アイドリングの音すらしない。
大翔はコンテナトレーラーで一人、観測所から送信される時空歪曲率の波形を眺めていた。
実際のところ、眺めていなくても危険領域に入れば警報が鳴る仕組みだったのだが、ゼロの修理を手伝おうにも陽菜たちが休んでいてくださいと締め出したので、仕方なくナビシートで暇つぶしをしていた。
どのみちメカに疎い大翔が修理を手伝っても足手まといになりそうな気がしたので、陽菜の判断は正しかったのだろう。
それにしても暇だと、欠伸をかみ殺した時のことだった。
ふと耳をすますと、サクサクと土を踏みならし、誰かが歩いている気配を感じ取った。
なんだろうと窓の外を見るが、誰も居なかった。
大翔はドアのウインドウを空け、もっとよく外を覗き込もうと顔を出すと、いきなり目の前に人の顔が降ってきた。
「うおっ!」
大翔は驚くとともに、思わず降ってきた顔の首を掴んでしまった。
「きゃっ!」
首を捕まれた人物は、大翔の両手を思わず引っかく。
「いてててっ」
大翔の手が首から外れると、その人物は器用に宙で回転し、ネコのようにしなやかに着地した。
「脅かすなよ美羽」
大翔が突き飛ばした人物は美羽だった。
プロジェクトの極秘であったゼロワンを操縦したという噂の道民の少女美羽が、トレーラーの下から美羽を見上げていた。
「驚いた?」
「ああ。わざわざ驚かしにやってきたのか? こんな夜中に?」
「トレーラーから明かりが漏れてたから、ヒロが居るかなって思ったんだけど……」
「なるほど。それで夜這いにきたってわけか」
「ヨバイ?」
「いや、知らなきゃいいよ。それでなんの用だ?」
「用がないときちゃいけないの?」
「いや別に。大歓迎だよ」
大翔はトレーラーのドアを開けて美羽を中に引っ張り上げた。
「ヒロはどうしてわたしがゼロワンに乗れるのか聞かないけどどうして?」
「聞いて欲しいのか?」
「そうじゃないけど、レンとかヒナは根掘り葉掘り聞いてくるのにヒロは聞いてこないから」
「難しいことは考えないことにしてるからな。美羽がどうしてゼロワンを操縦できるのか。レンくんやヒナくんに分からなけりゃ俺にはお手上げさ」
大翔は両手を広げてお手上げのポーズを作る。
「あのね」
「なんだ?」
「ヒロにだけだったら、特別に教えてあげてもいいよ」
「本当か? でも遠慮しとくよ」
「どうして? 知りたくないの?」
「知りたいさ。でもそんなことよりも他に聞きたい事が沢山あるんだけど」
「聞きたいことって?」
「美羽自身のことさ。いままでどうやって生きてきたのか。そっちの方が興味あるね」
「あまり楽しい話じゃないわよ」
「構わないさ。俺だって似たようなもんだ」
大翔と美羽はお互いの生い立ちと、これまでどうやって生きてきたのか、話して聞かせあった。
深夜三時。ウトウトとしていた大翔と美羽の耳元に、甲高い警報が鳴った。
二人は飛び起きて、目を擦って波形を見つめた。
「観測値増大……、特異点反応? またかよ!」
大翔はじっと波形を観測続ける。
特異点の反応が徐々に大きくなってきている。五分足らずで警戒レベルが一つあがった。
「報告すっかな。美羽はキャンプに戻ってろ」
「うんわかった」
美羽はドアも開けずに窓から飛び降りると、そのまま闇の中に消えていった。
それを見届けた大翔は警報用のインカムスイッチを入れて、特異点反応が増大中であることを主要メンバーに知らせた。
すぐにレンが飛んできた。
居住モジュールから出てくれば五秒で指揮車両に来れる。これは最大の利点だった。
次いで陽菜と技術スタッフやってきた。
「結城二尉。これはいったい」
「ああ、見ての通りだ」
大翔はモニタ席をレンに譲ると、自分は運転席に座った。
レンは難しい顔をしてモニタを眺めていた。
余りにも前回の出現パターンと酷似しているからだ。
「網走難民キャンプのすぐ側で特異点が発生してます」
「なるほどそれで?」
嫌味な奴。
レンは大翔に胸の中でアカンベーをすると話しを続けた。
「一番近い駐屯地は釧路です。今から応援を要請しても間に合うかどうか分かりません。難民キャンプには一〇名足らずの自衛官とボランティアの難民、それから約三〇〇名の難民が生活しています」
「それで?」
「いま一番近くて早いのは我々です。一応、釧路司令部には応援の要請はしますが、我々が向かって難民の保護及び、バグリーチャーの殲滅を行います。これで満足ですか?」
「もう大満足!」
死ね! と心の中で悪態を吐きながら、レンは各種事務処理をこなしてゆく。
そんなレンを大翔と陽菜は暖かい眼差しで見守っていた。
「それじゃあ俺たちはゼロの準備でもやろうかね陽菜くん」
「そうですね結城ニ尉。行きましょう」
大翔と陽菜の二人はレンを残し、ゼロのコンテナへと移動した。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
4 ~イージートラップ~
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;(BGM:)
;(背景:)
深夜五時。
もうすぐ夜明けという頃、キャンプを撤収したツーアイズチームが移動を開始した。
目的地は網走難民キャンプ。
ここからなら一時間とかからない距離だ。
指揮車両のコンテナトレーラーを先頭に、その両脇をバウンザー二両が随伴する。
その三両の後に大型トラックが数十台追いかける。
深夜の行軍が始まった。
特異点反応はある一定の値を出した後、安定し、それ以上大きくなる気配はなかった。
それでも油断はできない。
網走難民キャンプの自衛官詰所に特異点のことを連絡し、難民を非難させるよう指示を出す。
「現在のペースで特異点が広がった場合、バグリーチャーが出現するのは早くても夜明けの八時頃です。現地への到着が午前六時を予定していますので、ゼロの展開、難民の非難は余裕をもって行ってください」
レンの指示が全車両に伝えられる。
出発時にドタバタしていたので、乗り込むトラックを間違えた美羽は、むさ苦しい歩兵たちと一緒になった。
美羽がゼロワンを動かしてチームを救ったという情報は自衛官たちの末端にまで広まっていた。
そのため、美羽は兵士たちに好意的に迎え入れられた。
「どこへ向かってるの?」
美羽は傍らに座っていた兵士に問い掛けた。
「ん? 網走だよ。網走難民キャンプ」
難民キャンプと聞いて美羽の表情が厳しくなる。
「わたしたちを連れて行く気か?」
美羽の問いの意味がしばらく分からなかった兵士たちはきょとんとしていた。
「なんか勘違いしてるようだな。バグリーチャーが現れそうだから向かっているんだ。俺たちはそれほど暇じゃねえよ」
「そうなの?」
美羽はそういうとトラックの後部へ行き、目を瞑って精神を集中させた。
「(ユリア聞こえる?)」
(聞こえてるわ。どうしたの?)
「(特異点が網走に出たらしいわ)」
(本当? でもわたしは何も感じないわよ。ちょっとまってて)
ユリアは網走方面に向けて意識を集中した。
だが、そこには特異点反応の欠片も検出できなかった。
それもそのはず、その情報は第二観測所が送った偽の情報なのだ。
観測所を占拠したレジスタンスたちの手によって、捏造されたデータが送信され続けていたのだ。
だが、策略とか謀という概念を持たない優しい博愛主義者のルジオミンのユリアにはその陰謀の裏が読めなかった。
(おかしいわね。わたしには特異点の反応は感じないわ?)
「(どういうこと? 機械の故障なの)」
(そうなのかもしれないわね。でも警戒するに超したことはないわ)
「(分かった。ありがとう)」
(どういたしまして)
美羽は再び兵士のところへと戻った。
「どうした?」
「特異点は出てないらしいわ」
「何を言っているんだ? 観測所からの報告に間違いは無い」
「さっきから何を言ってやがんだこの小娘はっ!」
同じトラックに乗り合わせていた巨漢の学徒自衛官が、美羽の前に立ち塞がり、自動小銃のストック部で肩を突いて突き飛ばした。
「おい、平田士長! 女の子に乱暴をするなよ」
兵士が倒れた美羽に歩み寄る。
だが美羽は何食わぬ顔をして立ち上がり平田を睨んだ。
「生意気なガキだ。やはり野蛮人だな!」
平田と呼ばれる学徒自衛官はそう吐き捨てると、シートにどっかと座った。
「士長、その言い方はひどいですよ」
他の兵士からも美羽を庇う声が聞こえる。
だが士長はフンとそっぽを向き、美羽と兵士たちを無視した。
「すまない。平田士長に変わって謝罪する」
「あなたが謝る必要は無いわ。気にしないで」
美羽はそれだけ言うと、トラックの後部に移動し、開けっ放しの後部から飛び出して天幕に登った。
「見たかよ。猿だなありゃ」
だが、そんな平田の悪態も、当の美羽には届かなかった。
午前六時。
ツーアイズチームは難民キャンプに到着した。
自衛隊の詰所から詳細を知りたいので説明に来て欲しいという要請があったので、代表してレンと護衛の士官が詰所へと向かった。
そうして三〇分が経過したが、二人とも一向に戻ってくる気配がないので、気になった大翔が詰所に連絡すると、カンに触る男のダミ声が聞こえた。
「誰だお前は?」
「おれか? おれさまはマンイーター。北海道解放同盟イヨマンテのリーダー、マンイーターさまだよ。お客さんは預かった。無事に返して欲しかったら五分以内に武装解除して投降シナ。じゃないと二人の命は保証しないぜぇ!」
「…………」
「どうした? 喋れないのか? 黙ってないで返事しろよなっ! オイコラッ!」
マンイーターは短気らしいと知った大翔は、交渉は難しいと踏んで、相手の要求を一旦飲むことにした。
「オーケー分かった投降しよう」
「わかりゃいいんだよ。アハハッ、五分後に丸腰で広場に集まれ、後で誰か隠れてたりしたのを見つけたら皆殺しにするからな。てめえらの人数は偵察して把握してっから一人でも足りないときは分かってるだろうな!」
マンイーターからの通信はそこで切れた。
「やられたぜ畜生!」
大翔は強化プラスチック製の窓を拳で殴った。透明の窓に血が滲む。
それから大翔は、全隊に武装解除して広間に集合するよう命じた。
「各武装は安全装置をセットしてコードSを入力して保管庫に格納すること。以上」
コードSとは、自衛隊の本隊であるバグネスト方面隊の師団長クラスにしか解除できない特殊コードであった。
広間に集められたツーアイズチームの面々。
詰所から出てきたレンと護衛の兵士の無事を確認して、大翔はほっとした。
とはいえ、護衛の兵士は顔面に何発かいいのを貰っており、顔面が腫れ上がっていた。
「これが名簿だ。全員いるはずだ」
大翔はマンイーターにチームの名簿を渡した。
その名簿の中には美羽、美優、シャクシャインの名前は入っていない。
美羽ら三人は関係ないので、広間に来ないようにと大翔は言い含めて、学徒自衛官のみでやってきた。
「オイ、クソガキ! 確か難民のガキが居ただろう?」
「よく知ってるな。だが途中で降ろしてきた。軍属じゃない民間人だからな」
「フンそうかよ。まあいい。ガキの一匹や二匹どってことねえや。それよりあの人型兵器を頂くぜ。つーか装備一式丸ごと頂戴するけどよ。ヒャハハ」
「好きにしろ。あんたに扱えるのならな」
マンイーターの鉄拳が大翔の頬を捕らえる。
「オイ坊主、俺を舐めるなよ。何も知らないと思ってるだろうがそれは大間違いだぜ。あの女が動かし方知ってるってな。悪いが俺たちが運用できるようになるまであの女は借りとくぜ」
大翔の視線がレンを捕らえる。
ガタガタと震えており、今にも気絶しそうな雰囲気だった。
衣服も少々乱れているので、乱暴を受けたのかもしれない。
だが、レンを支えるように立っているレジスタンスの女性を見たとき、レンの貞操は守られていると確信した。
あの目は敵意に満ちているが、レンを抱く肩はどこか優しかった。
きっと乱暴しようとしたレジスタンスを彼女が制してくれたのだろう。
そう大翔は思った。
もちろんそれは勘でしかなく、本当のところは定かではない。
「ゼロのレクチャーはレンくんじゃなくても出来る。俺が変わりにやる」
「バカかオマエ。むさ苦しい野郎になんて教わってたまるかよ。オマエは死んどけ」
マンイーターの拳が再び大翔に襲いかかる。が、大翔は難なくそれをかわして、マンイーターの手をとって関節を逆手に取る。
「ッテテッテー、は、放しやがれこのヤロウ! 人質殺されてーのかっ!」
その言葉に反応して、大翔はマンイーターの手を放す。
「てめえ、動くなよ。動いたら人質ブッ殺スからな!」
マンイーターはそう因果を含めると、仁王立ちになった大翔を殴り続けた。
「や、やめて!」
そう言ったのはレンだった。
レンの不注意でこうなってしまったというのに、その失態をすべて引き受け、なおも犠牲になろうとしている大翔に、レンは自分の矮小さを思い知り、それ以上の暴行は自分が殴られるより痛く、辛かった。
「いい加減にしなよ。本当に死んじまうよ」
レンの言葉の後を継ぎ、マンイーターを止めたのは、レジスタンスのノアだった。
「クロス、止めてきな」
「分かりました姐さん」
執拗に殴り続けるマンイーターを、先ほど合流した黒須川が後ろから羽交い締めにする。
「なにしやがる。放せっ! バカ!」
「グズグスしてたら自衛隊の本隊が来ちまいますよ」
「なんだとっ?」
「連中がこっちに来るまでの通信で、応援を呼んでいたのを聞いたでしょう」
「そ、そうだったか?」
「そうですよ。無駄な体力つかってないで、テキパキと仕事しましょうよリーダー」
「分かったよ。うっせーな! オマエラこいつらを縛っとけ。行くぞノア」
マンイーターはノアとレンを連れて詰所に入った。
もう一人の人質、沢井は、レジスタンスに銃を向けられたままなので、手が出せないまま、大翔たちツーアイズチームは縛についた。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
5 ~沈黙する兵器~
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;(BGM:)
;(背景:)
夜が明け、朝日が地平線より現れる。
マンイーターたちレジスタンスは苛立っていた。
拳銃一丁からトラックまですべてロックがかかっており、ピクリとも動かなかったからだ。
「どういうことだっ!」
ドアすら開かないトレーラーを前に、マンイーターは叫んだ。
その銃口は人質のレンに向けられている。
「あ、安全装置が作動して、全ての装備にロックがかかっています」
レンはマンイーターにそう答えた。
「解除しろ!」
マンイーターの銃口が、レンのわき腹に食い込む。
「くっ」
レンは恥辱で顔を朱に染めた。
「早く解除しろって言ってんだよっ!」
マンイーターの銃を持つ腕が、レンの腰をなぞるように卑らしく上下に移動する。
「か、解除は、できません。コードSでロックされた兵装は、自衛隊本部の幹部にしか解除できません」
「ハ、ハッタリだ!」
「嘘じゃありません。本当ですっ」
「俺が嘘と言ったら嘘なんだよっ!」
マンイーターの蹴りがレンの膝関節を捕らえ、拘束されたレンは無様に横転した。
「嘘じゃ、ありません。嘘じゃ……」
レンは悔しくて情けなくて、涙が滲んできた。
「やめなマンイーター」
レンに付き添っていたノアが止めに入る。
「納得できるかっ! ここまできて、武器を奪えませんでした。そうですか。……で済むと思ってんのかっ!」
「思っちゃいないよ。ただこの女は知らないってのは本当らしいから他の方法を考えたらどうなんだい?」
「何か方法があるってのか?」
「それを考えるのがアンタの仕事じゃないのかい。リーダー」
「フン、分かってるさそれくらい。作戦練ってくる、オマエはココで見張ってろ!」
マンイーターはレンとノアをその場に残し、再び詰所に戻った。
「あんたも馬鹿だね。女のくせになんで学徒自衛官になんかなったんだ……」
ノアは突っ伏して泣いているレンも向かって、独り言のように呟いた。
「そうするしか、そうするしか選択肢はなかったから仕方ないじゃない……」
か細く呟くレンの声は、喧騒にかき消され、ノアの耳には届かなかった。
詰所内の通信室には大翔と陽菜が呼び出されていた。
陽菜は二人がかりで押さえつけられ、その首にはナイフがあてがわれていた。
「聞くところによるとオマエが一番偉いんだってな」
マンイーターは先ほどのダメージが抜けきらず、少し朦朧としている大翔に向かってそう言った。
「状況は分かってるよな? オマエに拒む権利はない。そんときゃあのネエちゃんがズタズタに引き裂かれ、最悪失血死してしまうことになる。わかったら黙って自衛隊の本部とやらに連絡してコードを解除してもらえねえかな?」
大翔は答えない。酩酊しているかのようにフラフラしていた。
「聞こえねえのか! だったら目を覚まさせてやるぜ! オイ、その小娘を三枚に下ろしてやりな!」
「ゆ、結城ニ尉……」
陽菜が涙を流して大翔の名を呼ぶ。
「待てっ! 分かった。目が覚めた」
「分かればいいんだ。分かればな」
大翔は指令本部に連絡を入れた。
三〇分後。大翔はコードS発動を誤動作と報告した。
そうして厳重注意をうけながらも、なんとか解除コードを入手した。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
6 ~交渉~
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;(BGM:)
;(背景:)
第二観測所。
レジスタンスのキタキツネが制圧したその場所で、観測者たちが慌て始めた。
「どうした?」
半分眠っていたキタキツネの見張りが、銃を構えて観測者に近付く。
「た、大変です。特異点、特異点が本当に現れました」
「どういうことだ?」
「バグリーチャーが現れるかもしれないということです。早く連絡を入れないと大変なことになる」
「どこに出現したんだ?」
「偶然にもほどがありますが、網走難民キャンブのすぐ側です」
「なんだと!」
「あなたたちの仲間が居るのでしょう? 連絡を入れさせて下さい」
「…………」
レジスタンスは考えた。
先ほど偽の情報を知らせて、今度また本当の情報を知らせた場合、先の情報に疑問を持たれるかもしれない。
そうなれば当然この観測所は疑われ、自分たちの存在に気付くだろう。
武装した自衛隊がやってきたら素人集団の自分たちに勝ち目は無い。
そう考えたレジスタンスは、首を横に振った。
「駄目だ。連絡することは許さない。知らせたら殺す!」
ターンという銃声が響く。弾丸は観測者の脇にある計器メーターを吹き飛ばした。
「通信装置はどれだ?」
レジスタンスの問いに、腰を抜かした観測者は素直に通信装置を指差す。
タタタタタタッ……、と自動小銃を連射して、通信装置を破壊するレジスタンス。
その音に他のレジスタンスも起き出してくる。
「どうした?」
「なにがあった」
「なんかやべえらしい。おまえらずらかるぞ!」
レジスタンスは適当に発砲しつつ、観測所から逃げ出した。
「な、なんとういうことを……、予備の通信機を早急に立ち上げるんだ。急げ!」
取り残された観測者は、通信装置の復旧を命じた。
「無知で無学なレジスタンスめ……」
観測者はバグリーチャーによる被害のことを考えると、背筋が凍る思いがした。
兵装のロックを解除したマンイーターは、早速指揮車両に乗り込み、ゼロとゼロワンを動かすようレンに命じた。
レンは、ゼロ及び、ゼロワンを動かすためのハードキーである腕時計をマンイーターに渡す。
「ゼロワンは、赤いマシンはまだテスト中で起動できません」
「ウソつけっ! 俺はちゃんと動いてるのを見たんだ。痛い目に遭いたくなかったらさっさと動かせ!」
「それは偶然動いただけで……」
レンはそこまえ言って、考えを改めた。
どうせ本当のことを言ってもこの男は信じないだろうと悟ったからだ。
「……わかりました。やってみます」
「分かりゃいいんだよ」
レンは無駄だと思いつつ、ゼロワンの起動を開始した。
すると、どういう訳か、昨日までピクリとも動かなかったゼロワンの起動がスムーズに進んでいるのである。
というより、レンはほとんど何もやっていなかった。
まるでゼロワンに意思があるかのように、次々に起動準備がなされてゆく。
「どういうこと……」
レンは突然動き出したゼロワンに動揺を隠せない。
「やりゃあデキルじゃねえかよ。オイ、ハッチを開けとけよ」
マンイーターはそういうと、レンの見張りを仲間のレジスタンスに任せ、コンテナ部へと移動した。
美羽と美優、そうしてシャクシャインは、コンテナトレーラーの居住モジュール内に居た。
ここはレンの城であるが、大翔にこの中に隠れていろと言われたのだ。
美羽たちは、ユリアによって外の様子を克明に知らされていた。
そうしてシャクシャインにもユリアの声は聞こえた。
ユリアの存在に猜疑的だったシャクシャインだが、こうなると、もはやその存在を認めるしかなかった。
三人は学徒自衛官らがレジスタンスに痛めつけられている間、じっとこの場所で機会を伺っていた。
幸い外の様子はユリアのおかげで筒抜けだった。
コードSが解除され、このモジュールに電源が供給されると、ユリアはトレーラーに同化し、そのシステムを掌握した。
ゼロワンを起動させたのもユリアの仕業だった。
そうしないとレンの身が危険に晒されると判断したからだ。
そうしてチャンスは突然やってきた。
(大変よ美羽。特異点が本当に現れたわ。かなりの規模よ。この間と同じくらいの規模と思っていいわ)
「どこに現れたの?」
(信じられない。まるでわたしたちを狙っているかのようだわ)
「どういうこと?」
(難民キャンプのすぐ側よ。ここは危険だわ)
「急いで知らせないと」
(慌てないで、観測所の人が知らせるわ。それを待ちましょう。わたしたちが出ていっても捕まってしまうだけよ)
「わかった」
だが、いくら待てども、観測所からの連絡はなかった。
いつまで経っても連絡がこないので、ユリアはその意識を観測所に飛ばした。
(なんてこと! 観測所の通信システムが破壊されてるわ。これでは連絡なんか来るわけないわ)
「連絡がこないとどうなる」
シャクシャインが口を挟む。
(ベム《バグリーチャー》の奇襲を受けるわ。目標が来ると分かっていても危険な相手なのに、奇襲なんかされたらここは全滅するわ)
「やっぱり知らせなきゃ」
美羽が居住モジュールのドアに手をかける。
だが、シャクシャインの大きな手が、その手を被うように重ねられた。
「ワシが行こう。外の様子はどうなんだ?」
(大丈夫、見張りは居ないわ。こっそり出ても大丈夫よ)
「ワシが飛び出したらすぐに閉めろよ。美羽。美優を頼むぞ」
「任せて」
シャクシャインは二つある出口のうち、外に出るドアノブを捻り、外へと飛び降りた。
シャクシャインはそのまま真っ直ぐに広間へと向かった。愛用の小刀を腰に下げた以外の武器は持たず、堂々と歩いて行った。
当然レジスタンスの見張りに見つかった。だが、それもすべて考えあっての行動だった。
「誰だお前は。止まれ!」
「クロス、と呼ばれている人物に会いたい」
「質問に答えろ! 何者だ!」
「ワシは見ての通り道民じゃよ。クロスに合わせて貰えんか?」
難民たちは皆、合同宿舎に閉じ込めて、外から鍵をかけたので出てこれないはずだった。
それに一人だが見張りもいる。
レジスタンスは余りにもシャクシャインが堂々としているので、他のレジスタンスなのかと勘違いした。
「どこの組織の者だ?」
「ワシは一匹狼だ。どこの組織にも属していない。だがこの土地を想う心は誰にも負けぬ。クロスに合わせて貰えるのか貰えないのか?」
「……分かった。合わせよう。だがどうしてクロスなんだ?」
「おまえたちのリーダー、マンイーターとやらに冷静な判断ができるとは思えないのでな」
レジスタンスは苦笑した。
「分かった。ついてこい」
シャクシャインはレジスタンスの後について、詰所の中に入った。
黒須川はシャクシャインの言葉をすぐに信じた。
だが、他のレジスタンスの手前もあったので、疑う演技は怠らなかった。
「キタキツネの連中が裏切ったと?」
「裏切ったというより、怖くなって逃げたようだ。通信システムが壊れて通信できないことは確認済みだろう」
シャクシャインの言う通り、何度観測所に打診しても返事が返ってこなかった。
「確かに通信はできない。しかし、それだけでバケモノが現れるという情報を信じろというのか?」
「信じなければ全員死ぬだけだ。ワシもアンタも」
「食えない爺さんだな。もしここにバケモノが現れた場合、オレたちの戦力じゃ適わないだろう。だからといって自衛隊に武器を返すわけにもいかない」
「まあそうだろうな。とりあえず警告はした。後は自衛隊と心中するか、逃げるか、好きな方を選ぶといい」
シャクシャインはそれだけ言うと立ち上がった。
「どこへ行く気だ?」
「外の幼い自衛官たちにも教えてやろうと思ってな。知っておいた方が覚悟できるだろう」
「勝手なことを!」
「生きてここから、でられると」
「行かせてやれよ」
はやるレジスタンスの言葉を遮り、黒須川はそう命じた。
「だ、だけどよ……」
「もちろん見張りは付ける。自衛隊の縛を解かれちゃ適わないからな」
「アタシが付いてくよ」
いままで黙って話を聞いていたノアが名乗り出る。
「姐さん……」
「クロス、あんたはマンイーターにこの事を伝えてきな。ただし、観測所から連絡が来たことにするんだ。マンイーターは爺さんの与太話を信じるようなタマじゃないからね」
「わかりましたよ」
黒須川はレジスタンスの一人に、バケモノが来たことをマンイーターに伝えるよう命じた。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
7 ~バグリーチャー強襲~
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;(BGM:)
;(背景:)
シャクシャインはノアと共に、縛についた学徒自衛官らの前に立って、特異点が現れて、バグリーチャーが襲ってくる可能性が高いことを告げた。
その知らせを受けた学徒自衛官らは、すぐに縛を解くよう迫った。
「静かにおし。まだ来ると決まったわけじゃない。観測所との交信が途絶えただけよ。全部この爺さんの憶測に過ぎないから解くわけにはいかないね」
「一つだけ教えてくれ」
両手両足を拘束され身動きもままならない大翔がノアに尋ねた。
「一つだけだよ」
「どうしてその爺さんの話を、お前たちは信じる気になったんだ?」
「……勘さ。長いことレジスタンスとかやってると危険には敏感になるんでね。本土でぬくぬくと過ごしてきたアンタたちとは違うのさ」
ノアはそういうとシャクシャインを連れてその場を後にした。
「苦労してきたようだな……」
小銃を肩に下げ、隣に歩いているノアを隣に、独り言のようにシャクシャインは呟いた。
「下手な同情は勘弁してよ。アタシはずっと独りで生きてきたんだ」
「ではどうしてレジスタンスになんかと一緒に居る」
「い、いまだけだよ。アタシの戦いはこの北海道から自衛隊を追い出して、道民だけで自立することだから、その仲間を集めて何が悪い」
「悪いとは言っていない。やり方は人それぞれだ。ワシも北海道の復興を望んでいる」
「あんたこそ一人で復興なんてできるのかい?」
「一人ではない。道民の生き残りの中には、難民キャンプを離れ、畑を耕し、自立して生活している連中が居る。ワシはその手助けをしている」
「畑だって? この不毛の荒野に畑?」
「そこまで実を結ぶのに一〇年かかった」
「そ、そうかい」
「いま、あのバケモノたちを野に放てば、その苦労も水泡と化す」
「どうしろってんだい? アタシにあの連中の縄を解けというのかい?」
「それは自分で考えるんだな。ワシには守るべき者たちがいる。自衛隊の武器を借りるぞ」
「武器なんか持ってどうしようってんだい!」
「言ったはずだ。守るべき者たちがいると」
シャクシャインの言葉はとても静かだったが、その奥に潜む揺るぎ無い意思がひしひしとノアに伝わってきた。
「あんたがそこまでして守ろうとするものは一体なんだい?」
「ワシの可愛い子供たち。それと道民の未来だ」
「武器庫のものは勝手に使いな。ただし変な真似をしたら爺さんだろうと容赦はしないよ」
ノアの自動小銃が、シャクシャインの胸に狙いを定める。
「もしもあのバケモノを迎え撃つつもりなら、その程度の武器は豆鉄砲程度の威力にしかならないぞ」
シャクシャインはそういうと、武器弾薬が格納されているトラックへと向かった。
ノアは迷った。
このままマンイーターに従っていて道民の開放が出来るのか。
多分それは無理だろう。
マンイーターの気性と性格を見る限り、その結論を導き出すのは容易かった。
マンイーターの元に、バグリーチャー出現の可能性があるとの連絡が入った。
「嘘が真になっちまったな。ヒャハハ」
「笑い事じゃありませんよ。リーダー」
「そうだったな」
「どうします。逃げますか?」
「アホかテメー。ここまできてなんで逃げる必要がある。コイツさえあればバケモンなんてイチコロだろうが。これで撃退してみろや、イヨマンテの名前が一気に知れ渡るぜ」
ゼロワンに乗ったマンイーターは、その鉄の腕でレジスタンスを掴んで持ち上げる。
「な、なにをっ、助けて!」
「すげえだろ。ぜんぜん力を入れてないんだぜ」
そう言ってゼロワンの手を放すマンイーター。
どすんと尻餅をつくレジスタンスは腰が抜けて立ち上がれない。
「ヒャハハ、軽くヒネッてきてやんぜ。オイこら、ハッチを開けろ!」
マンイーターはレンにそう命じた。レンは言われた通り、コンテナのハッチを開けた。
「ヒャハハ、行くぜ!」
マンイーターの載るゼロワンが大地に降り立った。
そうして広間に向かってホバリングで前進を始めた。
ユリアのアンテナがバグリーチャーの姿を捕らえた。
(来たわ。距離は二キロ。全部で六体のベム《バグリーチャー》の出現を確認したわ。システムに強制介入するわ)
ユリアはそういうと、トレーラーに積んである時空歪曲率の波形モニタの受信をストップし、自らが創り出した波形の出力を開始した。
同時にアラームランプも点灯させる。
驚いたのはレンだった。
急に連絡が途絶えた観測所からの送信が再開されたのだ。
しかもバグリーチャー出現のおまけ付きで。
「なんてこと……」
レンは突如現れたバグリーチャーに呆然としていた。
(美羽。あなたはゼロに搭乗して自衛官たちを解放しなさい。わたしがサポートするから)
「わかった」
(ちょっと待って、その前にレジスタンスを排除して頂戴。そこの扉を開けると同時に運転席の扉を開けるわ。運転席にいるレジスタンスを車外に叩き出してくれる?)
「任せて」
(行くわよ)
ユリアの合図と同時に二つのドアが突然開く、見張りのレジスタンスは突然開いたドアを閉めるべく、身を乗り出していた。
その隙をついて、美羽は居住モジュールから指揮車両側に移動する。
「あ、誰だキサマ!」
レジスタンスが気付いて振り返るが、もうその時には美羽の鋭い蹴りがレジスタンスの顔面に炸裂し、情けない声をあげながら、レジスタンスは大地にキスをした。
そこで絶妙のタイミングでドアが閉まる。
外では起き上がったレジスタンスがドアノブを捻るが、びくともしない。
「大丈夫? 怖くなかった? どこも痛くない?」
「し、心配してもらわなくても大丈夫ですっ!」
レンの顔が真っ赤に染まる。
「そう。よかった。ちょっとゼロを借りるわ。ヒロたちを助けてくるから」
「あっ! ちょっと、待ちなさい」
だが、美羽はレンの言葉を無視してコンテナ部へ向かった。
美羽と入れ替わるように、居住モジュールから美優が這い出してきた。
「ねえねえ。おねえちゃんはどこにいったの?」
キョロキョロと指揮車両を見渡して美優は尋ねる。
「私はあなたのお姉さんの保護者じゃなありませんっ!」
「ひぃん」
美優は急に怒鳴ったレンが恐ろしくて泣き出した。
「うわああああああん。こわいよう」
「あ、あの、泣かないで、ほら、これ、飴あげるから泣き止んでよ」
レンはダッシュボートから飴を取り出すと、美優に与えた。
「なにこれ?」
「お菓子よ。知らないの? 美味しいわよ」
レンは飴を取り出して包み紙を取って口の中に運ぶ仕草をした。
美優は恐る恐る飴を受け取り、口に含んだ。
「あまーい」
「それ全部あげるから大人しくしててね」
レンは飴の入った袋ごと美優に手渡す。
「はーい。ありがとうおにいちゃん」
「おにいちゃんって……もういいわよ」
いつからここは託児所になったのだろうと、レンはため息をついた。
コンテナに到着した美羽は、腰を抜かしたレジスタンスを見つけたが、素早い身のこなしで、ほどんど気付かれることなくゼロに乗り込むことができた。
(起動準備は完了してるわ。ハッチ閉めるわよ)
「いいよ」
ゼロの搭乗用ハッチが閉じ、中は真っ暗になる。やがてモニタ類が立ち上がり、外部カメラが外の様子を写し出す。
(広間に向かって頂戴。見張りのレジスタンスが二人いるから、彼らをまず武装解除させて、それから自衛官の縄を解いてあげて。急いでね)
「わかった。こいつはどうするの?」
美羽は腰を抜かしているレジスタンスを指した。
「コンテナからつまみ出しといて下手に計器をいじられても困るし)
「わかった」
美羽はレジスタンスを片手でひょいと持ち上げると、一緒にコンテナの外に出た。
「閉めていいよ」
(頼んだわよ美羽)
美羽はハッチが閉まるのを確認すると、レジスタンスを地面に置いて、広間へと向かった。
先に広間へと着いたマンイーターのゼロワンは、自衛官らの見張りを残して、全員でバグリーチャーを狩りにでかけた。
嫌がるレジスタンスもいたが、ほとんど無理矢理連れて来させた。
レジスタンスの武装は貧弱で、拳銃とサブマシンガン、それに自動小銃と口径の小さな火器ばかりであった。
唯一、レジスタンスに合流したシャクシャインだけが、対戦車ミサイル、バズーカ砲などを携帯していた。
「なんで付いてきたんだい?」
ノアがシャクシャインに尋ねる。
「道民を守る。と言ったはずだ」
「あ、あんた……」
シャクシャインの言葉にノアは心底驚いた。
この老人のいう子供たち、道民という言葉の中には、自分たちも、ならず者のレジスタンスも含まれていたのである。
「あんたバカだよ」
ノアはそう言ったが、そんな馬鹿は嫌いじゃなかった。
美羽が広間に到着したときには、詰所にレジスタンスの姿はなかった。
見張りが二人、銃を構えて立っているだけだった。
美羽の乗るゼロが現れたとき、レジスタンスは仲間が乗っているのだろうと思っていた。
だが、銃を奪い取られ、胴体をわし掴みにされて拘束されて、ようやく敵が乗っているのだと理解した。
そのゼロのハッチが開き、中からツインテールの少女が出てきたので、レジスタンスたちはより一層驚いた。
「美羽!」
「美羽さん」
大翔と陽菜が声を上げる。
「ヒロは早くこれに乗って」
ゼロを降り、学徒自衛官らの縄を小刀(マキリ)で解きながら美羽は言った。
「おいガキ! その……、あ、りがとよ」
美羽を馬鹿にした平田士長が明後日の方角を見ながら礼を述べた。
素直に礼が述べられないが、彼なりに感謝していた。
そうして全員の縄を解くと、学徒自衛官らは各自自分の持ち場に戻った。
「特科部隊は五分以内に出撃準備を完了させろ!」
村雨二尉が感情を露にして叫ぶと、おおー! という気合の入った返事が響く。
ツーアイズチームは復活した。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
8 ~鋼の棺桶~
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;(BGM:)
;(背景:)
特異点より現れたバグリーチャーは六体。
その歩みはほぼ同じで、時速二〇キロメートルほどのスピードだった。
ライト級に分類されるのが四体、ミドル級が二体であった。
ツーアイズチームの戦力なら充分撃退できる相手であったが、マンイーター率いるゼロワンと丸腰同然の装備のレジスタンスに勝機は望み薄だった。
そのことはゼロワンに乗っているマンイーターにも分かることであったが、彼は自分が安全なら他の人間が危険に晒されても意に介さないタイプの人間だった。
ゼロワンの中にいる限り安全という保証は、マンイーターに絶対の自信と余裕をもたらした。
「へへへ、ゾロゾロと来やがったな」
ゼロワンのレーダーにバグリーチャーの影が映る。
だがすでに肉眼でも認識できる距離だった。
その異形の姿にレジスタンスたちは驚愕し、戦意を失いつつあった。
「なんだよありゃ」
「やべえよ、やべえよ」
レジスタンスの銃を持つ手が震えていた。
蜘蛛の胴体に蟷螂の上半身を加えたようなバグリーチャーがレジスタンスに迫る。
バグリーチャーは最も近い生命体を襲う習性がある。
このレジスタンスは迂闊にもゼロワンよりも前にでていたのだ。
「う、うわああああ」
手に持ったサブマシンガンをフルオートで連射するが、まるでそよ風にでも当たっているかのようにバグリーチャーは意に介さない。
硬い皮膚が統べて弾き返し、その跳弾が撃ったレジスタンスの太股を抉る。
「いてぇーーっ!」
太股を抱えてうずくまるレジスタンスにバグリーチャーの容赦ない一撃が加えられる。
鋭い鎌のような腕が一閃し、レジスタンスの胴を寸断する。
死体はしばらく痙攣していた。
その様子を楽しむかのように、バグリーチャーは死体を切り刻んだ。
細切れなった死体が、乾いた大地に赤い染みをつくる。
「か、かなうわけがねえー」
その余りの惨劇に、他のレジスタンスの戦意は失われた。
まるで蜘蛛の子を散らすかのように各々好き勝手な方向に逃げ出す。
だが、それこそバグリーチャーの格好の餌食だった。
「テ、テメエラ逃げるんじゃねー」
マンイーターはそう叫んだが、ゼロワンの気密性によってその声は外には届かない。
「一人死んだくらいでオタオタしやがって。クソがっ!」
マンイーターはゼロワンのアクセルペダルを踏み込んだ。
もの凄いGがマンイーターの身体を襲う。
さっきまでとは勝手が違っていた。慌ててペダルを戻すと、急ブレーキがかかり、ゼロワンの荷重がマンイーターの背に覆い被さる。
「ぐあああ」
ミシミシという骨のきしむ音が聞こえた。
「ど、どうなってやがんだ……」
朦朧とした意識の中、目の前にバグリーチャーが迫ってくるのを知った。
猛牛のように、真紅のゼロワンに突進してくる四つ足のバグリーチャー。
その衝突の衝撃はまったく吸収されること無く、中のマンイーターを圧迫した。
「ごばぁ……」
折れた肋骨が肺に突き刺さり、吐血するマンイーター。気絶しそうになりながら、どういうことなんだと、何度も何度も反芻する。
崩れかけていたゼロワンの上体が起き上がり、四つ足のバグリーチャーにリニアパンチを繰り出す。その腕の振りのスピードはすさまじく、マンイーターの右腕の筋肉を断絶し、骨が砕け散る。
「あがががが……」
いまゼロワンの制御を行っているのは、ユリアではなくゼロワンに搭載された基本OSに他ならなかった。
美羽がゼロに乗り込んだとき、ユリアはゼロワンの制御を本来のシステムに移行して切り離していた。
そうして、ゼロワンの基本OSは、搭乗員が戦闘不能であることを心拍数、血圧などから算出し、ゼロワン本体の回収を優先する自己防衛プログラムが作動を開始していた。
ゼロワンが、ハンドグレネードで四つ足のバグリーチャーを粉砕したとき、中のマンイーターはすでに生き絶えていた。
動かなくなったゼロワン。
ゼロワンから生命活動が消えたことにより、バグリーチャーたちは他の生物を求めて迫ってきた。
今度の標的はノアだった。
「逃げるんだ!」
自動小銃をバグリーチャーに構えようとしていたノアを制し、シャクシャインがノアの手を引く。シャクシャインに握られた手をノアは必要以上に意識した。
男に触られたのは何年ぶりだろうか。
ノアは十年前に自衛官らに暴行を受けてからというもの、男性に触れること、触れられることを極端に嫌っていた。
彼女に気安く触った輩は、小銃のストックでぶん殴られるか、股間を蹴り上げられるか、どちらかの制裁を受けていた。
だが、いまノアの手を握って走っている老人の触れる手は優しく、一片の嫌悪感も抱くことはなかった。
自分でも不思議な感覚だった。
相手が老人だからだ。ノアはそう思うことで納得した。
「姐さん大丈夫ですか?」
所々に裂傷を負った黒須川が走ってきた。
「クロス、生きてたのかい」
「オレ以外はみんなバケモノにやられちまった。生き残りはオレらだけのようですよ」
「なんてこったい!」
「二人とも、死にたくなければ走れ!」
シャクシャインはノアを黒須川に向けて突き飛ばす。
「な、なにすんだ。このジジイ!」
「おまえたちは逃げろ」
「おまえたちって爺さん……」
黒須川はシャクシャインが言わんとしていることを瞬時に理解した。
「二人とも死ぬなよ」
「なに言ってんだい。あんたも逃げればいいだろ。ほら早く」
ノアはシャクシャインの手を引いた。
自らの意思で男性の手に触れるのは十年ぶりだった。
だが触れても何とも無かった。吐き気も、頭痛も無い。
「ノア……といったかな? 優しいな。レジスタンスなど止めるがいい」
「い、いまはそんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
シャクシャインを引っ張るノア。だがその巨体はぐらつき、片膝を付いて咳き込み始めた。
地面に鮮血が飛散する。
「じ、爺さん。あんたまさか……」
「そうだ。ワシは肺を病んでいる。もう長くはない」
「なんだって!」
粉塵による道民の肺ガン、肺気腫の罹患率は内地の三〇倍近くあった。
肺の病は、この北海道《バグネスト》では一種の風土病のようなものであった。
「ワシがここで足止めをする。おまえたちは逃げろ!」
シャクシャインはノアの手を振り解き、突き飛ばした。
「クロスとやら、ノアを連れて逃げろ」
黒須川はシャクシャインを見つめ、ゆっくりと頷いた。
「は、放せ! バカ!」
ノアの罵声を無視し、黒須川はノアを連れて逃げ始めた。
「それでいい」
シャクシャインは対戦車ミサイルを両肩に担ぐと、バグリーチャーに向けて構えた。
大翔のゼロがバグリーチャーに向かって疾走する。
レジスタンスとはいえ人間だ。見殺しにするわけにはいかない。
レーダーは五体のバグリーチャーが一点を目指して進行している。
標的に向かっている証拠だった。
「間に合うのか?」
ゼロのサーモセンサーが二人組の人間を検出する。
センサーが検出した方向をモニタに映すと、ノアと黒須川が走っているのを確認した。
「レジスタンス二人がそっちに向かった。武装を解除させて保護を頼む」
大翔はそう連絡を入ながら、バグリーチャーに向かってゼロを走らせ続けた。
シャクシャインの視界には五体のバグリーチャーが映っていた。
無理をしすぎたせいか、肺が焼けるように痛んだ。
呼吸は荒く、逃げようにも、この場から動けそうになかった。
「いよいよここまでか。世津子、裕樹、もうすぐワシも逝くぞ」
妻と息子の名前を呼び、シャクシャインは対戦車ミサイルの照準をバグリーチャーに向けて引き金を引く。
狙い違わずバグリーチャーに命中するミサイル。
とても素人が放った弾とは思えない。
事実シャクシャインは素人では無かった。
シュヴァルツドライヴの事故に遭う前まで、彼は、シャクシャインは自衛官をやっていた。
特科部隊の砲兵として、その技術を磨いてきた。
二等陸士で入隊して、事故当時には陸曹長にまで昇格した砲撃のプロフェッショナルだ。
事故直前、米軍との演習と称して、北部方面隊の全軍が、海自と連携してオホーツク海に集結させられた。
それはまるで事故が起こるのを知っていたかのような対応だった。
そのとき、僅かに残された自衛官のうちの一人がシャクシャインであった。
残された自衛官の大半はウタリと、反骨心を持った自衛官たちで構成されていた。
そうして起こるべくして事故は起こった。少なくともシャクシャインはそう考えていた。
制服を脱ぎ捨て、民族衣装《アットゥシ》を身にまとい、名を捨てた。
すぐにでも妻と息子のところへ逝くはずだった。
だが、死に場所を求めて彷徨っている最中に、美羽と美優を拾い、彼女らを育てるという責任が生まれた。
そのことがシャクシャインを生に繋ぎ止める唯一の絆だった。
だがそれも、一人前に成長した美羽と、大翔、ノアらに希望を託すことにより、シャクシャインを縛っていた義務は、その役割を終えようとしていた。
硝煙が舞う大地を、バグリーチャーは平然と歩いてくる。
その数は四体。
シャクシャインはもう一丁の対戦車ミサイル砲を担いで狙いを定めた。
風向き、バグリーチャーの動きを読んでいるとしか思えないほど奇麗な放物線を描いてミサイルはバグリーチャーに命中し、爆散する。残りは三体。
バラバラに砕けたバグリーチャーの破片が、他のバグリーチャーに降り注ぐ。
シャクシャインは背中に背負ったミサイルを、バズーカ砲に装填し、再び放った。
命中し、爆散するバグリーチャー。
残るは二体。そうしてミサイルの残弾もあと二発だった。
砲身が冷めないまま、ミサイルを装填して撃つ。バグリーチャーには命中するが、その砲身は焼け、先端に歪みが生じている。
バグリーチャーもついに最後の一体となった。
焼けた砲身にミサイルを装填する。掌はすでに焼け爛れている。
最後に残ったバグリーチャーは他の四体より大きかった。ミドル級に分類されるバグリーチャーだ。これを破壊するには、ギリギリまで引き付けて撃つ必要があった。
早く撃つように誘っているかのように、ゆっくりとバグリーチャーが迫ってくる。
「ここから先へは一歩も通さん」
目の前には人型の巨人。身長四メートルはあるかという巨人が立っていた。それはまるで神話にでてくるギガンデスを彷彿とさせた。
そのギガンデスの豪腕が振り上げられる。
「この距離ならっ」
ほぼゼロ距離でシャクシャインは引き金を引いた。
だが、ミサイルは発射されなかった。連射による金属疲労でジャムってしまったのだ。
何度引き金を引いてもミサイルは出ない。
「ここまでか……」
シャクシャインは覚悟を決めた。
巨人の、ギガンデスの振り上げた腕が爆発する。
シャクシャインは自身のバズーカ砲を見るが、発射された形跡はない。
後ろを振り返ると、そこにはハンドグレネードで狙いを定めるゼロの姿があった。
「なんて爺さんだ。たった一人で四体ものバグリーチャーを倒しやがった」
大翔はここまで来る数分の間に、バグリーチャーの数が一体づつ減っているのを目の当たりにしていた。
「いったい何者なんだ?」
あそこまで正確にロケット砲を扱えるということは素人ではない。
恐らく軍属経験者。
その考えに到達するのに、そう時間はかからなかった。
「あ、あぶない!」
感心している場合じゃなかった。
その勇猛な老人はいま、目の前でバグリーチャーの攻撃を受けようとしてる。
大翔は誤爆の危険があるのは承知で、ハンドグレネードをバグリーチャーに見舞った。
その弾道は寸分違わずバグリーチャーの腕を吹き飛ばした。
「命中精度が上がっている?」
ゼロの火器管制プログラムはユリアによって書き換えられ、格段に性能が向上していた。
「これならいける!」
大翔はハンドグレネードの集中砲火を浴びせ、バグリーチャーを撃滅した。
そうしてゼロを走らせて、燃え盛るバグリーチャーの残骸の中からシャクシャインを引きずり出し、老人の体を抱き上げた。
シャクシャインはゼロを見上げ、微笑んだ。
初対面、あれだけ頼もしかったシャクシャインは見る影も無く、疲労し、弱々しく横たわる老人の姿がそこにあった。
何か喋っているようだが小さくて聞き取れない。
大翔は集音装置の感度を上げた。
「じ、……衛隊を信用するな……、美羽と美優を頼む……、そして……」
言葉の途中、シャクシャインは大量に吐血した。
「おっ、おいちょっと。しっかりしてくださいよ!」
だが、大翔の呼びかけも虚しく、シャクシャインは絶命した。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)
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;(効果:センタリング)
9 ~氷解する心~
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;(BGM:)
;(背景:)
ユリアはシャクシャインの本心を、心の声を聞いた。
心を閉ざした寡黙な老人の思考が、積を切ったかのように溢れ出してくる。
後悔と絶望を繰り返しながらも、子供たちに未来を託すため尽力してきたシャクシャイン。
その人生の記録が、ユリアの中に流れ込んでゆく。
そうして最後に、子供たちを頼むと結んで、彼の思考は消えてしまった。
(そ、そんな……)
そのシャクシャインの思考を、ユリアはできるだけ詳しく美羽と美優に伝えた。
「お、おとうさん……、うわああああああん」
再び泣き出した美優にレンは慌てて宥めたが、今度ばかりはそう簡単に泣き止むことはなかった。
そうして美羽は……。
「嘘でしょうユリア」
(真実よ。シャクシャインの生命活動は停止したわ。だけど安心して、その魂はベム《バグリーチャー》に侵されることはなかったわ)
「死んだことに変わりないわよ」
ユリアの慰めも美羽には無意味だった。
美羽と美優の悲しみは、誰よりもユリア自身が良く理解できた。
一瞬にして何千億という同胞をベム《バグリーチャー》によって失ったのだ。
しかもその原因は自分にあるのだ。
やりきれない思いがユリアの胸中に飛来する。
生き残った同胞はシュヴァルツシルトの内側に逃げ込んで、止まった時の中で過ごしている。
ユリアが地球に何億年留まろうと、事象の地平線に入った同胞たちには一瞬の出来事でしかない。
人間には想像もつかない時間軸の中で、ユリアは生きていた。
この宇宙で彼女の仲間は一人も居ない。
そんな孤独なユリアを癒してくれたのは、美羽であり、美優であった。
(二人とも聞いて。これはシャクシャインの遺言よ……)
ユリアに宿ったシャクシャインの想いが美羽と美優に流れ込む。
朝日を浴び、ゼロの白銀のボティが黄金色に染まる。
太陽を背に、ゼロは難民キャンプの広間に戻ってきた。
その両腕には、生き絶えて横たわるシャクシャインの亡骸を抱いていた。
大翔の指示によって、ゼロの前に自衛官たちが集められる。
「被害が最小限で済んだのは、彼のおかげだ。彼は俺たちの大先輩でもある」
大翔の言葉に学徒自衛官らのどよめきの声が聞こえる。
「戦士シャクシャインは自衛官だ。一〇年前の事故で死んだと記録されている神野重蔵陸曹長と同一人物であることを、先ほど確認した」
「そんな、嘘でしょう!」
投降し、手錠をかけられたノアがシャクシャインの亡骸を見やってそう呟いた。
薄汚い自衛官。
自分を汚し、弄んだあの自衛官とシャクシャインが同じであるという事実に、ノアの心はかき乱された。
ほんの僅かしか交流しなかったが、ノアはシャクシャインに父親像を投影していた。
あの掌の温もりはいまもしっかりとノアに残っている。
「そんなのって、そんなことが……」
ノアはがっくりと膝をついて号泣した。
悔しさと悲しみがないまぜになった感情が流出し、それが涙となり、止め処なく溢れてくる。
「みんな。神野曹長、いや、シャクシャインに黙祷を捧げてくれ」
学徒自衛官らは全員が直立不動の姿勢でシャクシャインに敬礼した。
縛につき、鳴咽を漏らすノアの傍らに一人の少女が姿を見せる。
美優だ。
美優はノアの肩にそっと手を添える。
ノアは泣き腫らした瞳で美優を見上げた。
「泣いちゃダメだって。おとうさんがいってたよ。お姉ちゃんにがんばって生きろって」
美優自身、頬に涙の跡が残り、さっきまで泣いていたのが一目瞭然だった。
「あんたあの爺さんの……娘かい?」
色素の薄い少女美優。
ロシア人とのハーフであることが一目瞭然で、シャクシャインの実子でないことはすぐに分かった。
「そうだよ。あたし美優。おとうさんはしんじゃったけど、あたしもう泣かないの。お姉ちゃんもこれあげるから泣かないで」
美優は掌いっぱいの飴玉を広げて差し出した。
レンに貰った飴玉。
なんの変哲も無い官給品の飴玉を大事そうに差し出す美優に、ノアの涙腺がまた緩んだ。
「ありがとう、美優……ちゃん」
涙を見せないよう立ち上がり、美優から飴玉を受け取る。
飴は嫌いだった。
自衛官に乱暴されたときに連中がくれた唾棄すべき菓子のひとつで、見るのも嫌なはずだった。
だがノアはその飴玉を剥いて口に入れた。
飴はとても甘かった。
「おいしいでしょう?」
「ええそうね」
ノアの自衛官に対するわだかまりは、飴のように簡単に溶けはしないが、それでも、ゆっくりとだが、癒される日がくるだろう。
;(BGM:OFF)
;(背景:フェードアウト)