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「世界が見えた世界・9話 B」(2008/03/04 (火) 11:05:18) の最新版変更点
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親父について世界中――といわないでも、かなりいろんな場所を回った。
時には、命の危険が突いて回るような地域に行った事だってある。無論、安全には気を使っていたけども。
……親父は、特に俺の安全には気を使っていた。やりすぎなんじゃないかと思うくらいに。
大翔『何でそんなに神経質になるの?』
小学五年生の、冬。どこか北の国で、窓の外の吹雪を眺めながら親父に尋ねた。
俺のどこか言葉の足りない疑問も、親父はちゃんと理解して答えてくれた。
大洋『うん。僕は美玖を守れなかったから、どうしてもそれが気になっているんだよ。だから、ヒロが危ないことにならないか、どうしても気にしてしまうんだ』
大翔『じゃあ、なんで俺をいろんなところに連れてってくれるの? それだって、十分危ないと思うよ』
大洋『あはは……そうなんだけどね。でも困ったことに、僕はヒロの気持ちを尊重したい、その願いを可能な限り、叶えたいと思っているんだ。それは僕が、いや、誰もがきっと一度は願うことだからね』
親父はそういって、窓の外をさびしそうに眺めるのだった。
大洋『だから今でも迷う。迷い続けている。果たして僕は、どうするべきなんだろう。守りたい大切な人たちがいる。でもその人たちは、たとえ危険を犯してでも叶えたい願いがあるんだ。僕は、迷う。僕の願いと大切な人たちの願い、果たして、どちらを優先するべきなんだろうね』
俺は母さんがどうして死んだのか、知らない。ただ親父が、葬儀の時に小さく謝ったのだけは知っていた。
迷ったのだろうか。母さんを守るべきなのか、母さんの願いを守るべきなのか。そして、親父はそのどちらかを選んだ。結果を見るのなら、おそらく、後者を守ったのかもしれない。
でもそれは正しいのか。ずっと、きっと、悩んでいる。
――たぶん、親父はその答えを見つけたんだと思う。それがどんなものだったのかはわからないけど、でも少なくとも親父が一人の少女を守り抜いた事だけは、今ここにいる俺は知っている。
『僕は生きた、こうして生きている』と、ユリアさんが伝えてくれた親父の最後の言葉。最後の最後まで、親父は生きていた。
そんな人を、俺は、ずっと、追い続けている。その背中を、思い出している。
拳が朝の清涼な空気を切り裂き、汗が朝陽に輝く。
もう完全に日課となった朝の鍛錬。俺は一人公園で汗を流していた。
結局ファイバー達の襲撃はないまま、夏休みの終了まで残り一週間を切っていた。俺達はどこかほっとした様な、それでも小さく胸の奥でざわつく焦りを抱えながら日常を過ごしていた。
こうして体を動かしていると、親父のことを思い出す。俺の動きはすべて親父に教わったものから出来上がったものだ。多少自分なりにアレンジしたり工夫を凝らしたりしてみたりもしているが、根底の部分は変わらない。
体を動かしていると、昔に帰るような気分になるのかもしれない。だから、あんな昔のことを思い出したのだろうか。
最期の掌底を虚空に打ち込み、体をぴたりと止める。体には気持ちのいい疲労感が広がった。
大翔「そういえば、結局親父ってどれくらい強かったんだろうな」
ふと思う。異世界じゃ何でも最強とまで呼ばれていたらしい。無論今の俺とじゃ比べるまでもない強さなんだろうけど、それほどまでに強いといわれると想像がつきにくい。
……かといって、誰某の何倍強いなんていわれてもそれはそれでわかりにくいけど。
ユリア「はい、ヒロトさん。タオルですよ」
大翔「ああ、ありがとう……ってうおわっ!? ユリアさん、いつからそこにっ!?」
ひとりだったはずなのにいつの間にかユリアさんがタオルを持っていた。ありがたく使わせてもらうけど……。
ユリア「実はヒナさんが空気に擬態して隠れるというのを聞いて、似たようなことができないか試してみたんです。やはり魔法は発想が大事ですね、こんな使い方、私は考えたこともなかったです」
風でも操って気配を消したのかもしれない。しかしなぜ、いきなりそんなことを。
ユリア「タイヨウ様がどれほどの強さだったのか、気になるのですか?」
大翔「うん……俺、親父が戦ってるところってほとんど見たことないんだよな」
見たことがあるものにしたって、戦いと呼べるようなものじゃなかった。街で絡んでくるような連中は、よってくる虫を払うような、親父にとってはそんな程度のものだった。
ユリア「でも、ヒロトさんはそういうことを気にしないでいいと思います」
大翔「気にしないほうがいいってのはわかってるんだけど、な」
ユリア「いえ、そうじゃなくて。なんて言うんでしょう、うーん……」
ユリアさんは少しだけ宙に視線をさまよわせた。
ユリア「なんていうか、ヒロトさんは戦いに勝つ事は望んでないと思うんです。といいますか、勝つ事は二の次といいますか……ヒロトさんが戦っているところは見たことがないので、よくわからないんですけど」
大翔「……いや、いいよ。ありがとう。言いたいことはなんとなくわかったから」
ユリアさんの言うとおりだった。俺が戦うのは勝ちたいからじゃないんだっけ。
それが、今回は相手があんな化け物連中で、しかもこっちを――ユリアさんを狙っている。世界を壊すなんて平然と言い放つ常識はずれの連中だったから。どうやら俺はまた、流されていたらしい。
大翔「うん……そうだな、俺はいつもそんな感じだったんだ。思い出したよ」
気負いすぎるのは、なんつーか俺のキャラじゃない。俺はもっとこういい加減な人間だからな。面倒くさいと思わず朝食を手抜きにしてしまうようなそんな男だ。
大翔「そんなわけで本来の俺を思い出したので、今日の朝食は手抜きにするか」
ユリア「えぇっ!? 毎朝ヒロトさんのご飯が楽しみで起きているのに、そんなのあんまりです!!」
大翔「ユリアさん、その食いしん坊な発言は年頃の女の子としてどうかと思うぞ、さすがに」
さらに言えばお姫様としてはどうなんだそれ。いや、お姫様は別に料理は全部出てくるような生活をしているだろうから正しい……のか? でもなぁ……。
釈然としない気持ちを抱えていると、ユリアさんが手を引いた。
ユリア「ほら、戻りましょう。今日は久しぶりに学校の蓋を点検する日ですよ。力のでる朝食を、期待していますからね」
そう。
夏休みも残り少なくなってきたところで、俺達は長らく放置したままだった蓋の点検をすることにした。
蓋はファイバーの襲撃以来実は一度も点検も再構成もしていない。危険だからだ。
でも、もうそうも言っていられない。蓋の強度からして限界は近いはずだし、もしかしたらやつらの手によって壊されている可能性も否定できないのだから。
そんなわけで、今日。
俺達は学校へ行くことになっている。
朝日が、まぶしい朝だった。
この朝日を、俺はずっと忘れない事になる。
俺の人生が、大きく変わった、この朝と、そして――
ユリア「がんばりましょうね、ヒロトさん」
この手の、確かな温もりを。
いつもと変わらぬ夏の日。
焼き殺すつもりかと文句を言いたくなるような日差しの中、俺達は学校にいた。さすがにばらばらで行動するわけにも行かないので固まって動くことになる。そうなると、全体の確認には時間がかかってしまうがその辺りは乃愛さんが助っ人を呼んでくれたので、数でカバーだ。本当に顔が広い。
乃愛「とはいえ、一番手馴れているのはなんだかんだで私達だからな。とりあえず、学校の敷地内のほとんどは私達の担当だ」
他の人たちはその他のポイントを回っているらしい。こんな時でも、学校は部外者立ち入り禁止のようだ。
しかし何度考えてもおかしいと思う。
異世界の穴は学校内含め、こちら側の世界――コミューンの至る所にある。確かに、学校の外の街中にまでぼっこんぼっこん穴が開いている。
けれども。
貴俊「その地図が気になるのか、大翔? まあ確かに何かあると思うよなァ、何しろ、学校を中心にして螺旋を描くようにして穴が開けられてるんじゃなぁ」
弓を入れるような長い袋を肩に担いだ貴俊が、ひょいと俺の手元を覗き込んできた。
大翔「ああ……それも、同じ世界から開いた穴が近くにないように、ある程度の距離が開けられている。そして学校の中の穴はといえば、こちらは無秩序に穴を開けられるだけ開けた感じだ」
それはつまり、この学校こそがエネルギーの集中点とされているようには見えないだろうか。
何か、いやな予感がする。それも、途轍もないいやな予感だ。
陽菜「みんな早く戻ってこないかなぁ、さすがに不安だよね、こんなの」
陽菜はびくびくと周りを見回している。視線をあちこちに飛ばしながら、それでも不安でずっと俺の服の裾を掴んでいた。
……一度狙われたからつれてきたんだけど、さすがにこれなら残してきたほうがよかったかもしれないな。
貴俊「沢井は擬態の魔法使いだし、周囲の空気に敏感なんだろうな。何か不穏な空気を感じてるんじゃないのか?」
そう貴俊が言った時、林の向こうからぞろぞろと人が出てきた。美羽、美優、ユリアさん、レンさん、乃愛さん、沙良先生、エーデル。特に問題はなかったようで、その表情には若干の余裕が伺える。これじゃあびくびくしていた俺達が間抜けだ。
俺は地図をたたむと、ポケットに捻じ込んだ。皆を出迎える言葉を口にしようとしたとき――その横を猛烈な勢いで駆け抜けた影がひとつ。
陽菜「せえええええぇぇぇぇんせええぇぇぇぇぇえいっ!!!!」
自慢の脚力を存分に生かし、乃愛先生に特攻をかます陽菜。ちゅうに飛び上がった体はまっすぐに乃愛先生へと飛んで――ひょいとその場を退いた乃愛さんに受け止められずに、背後の林へと突っ込んだ。
陽菜「うきゃぁああぁぁぁっ!? あ、あだだ、いだーっ!?」
バキバキバキィッ!!
うわぁ……すごい音。低めの樹が茂っている部分にダイブしてる。枝が刺さったりしてないよな?
大翔「乃愛さん……何してるんすか、仮にも先生でしょうに」
乃愛「いや、ついだな。彼女のタックルには手加減とかそういった要素が絶無なのでな」
どんな時でも全力全開、ツッコミに使うのは鋼の拳という、猪突さえも轢殺する性格が災いしたらしい。
陽菜「ひ、酷いよ先生! 愛すべき生徒が不安でどうしようもなくて助けを求めて抱きついたって言うのに、無残にもそれをさらりと回避するなんて!」
頭から木の枝を生やしたお前の顔も相当に無残なものだぞ。だがしかしそれでもなぜか傷ひとつ負っていない辺り頑丈とかそういうのを超越している気がする。あれか、ギャグ漫画体質とかいうやつか。
とか思ったが、よくよく見てみると陽菜の頭の一部がささくれ立っていた。剣山……らしい。よりにもよって身を守るためのチョイスがそれかよ。
陽菜「まったくもう、みんなよく平気だよね。こんなに空気が歪んでるのに。正直陽菜は呼吸するのだってしんどいんだよ?」
美優「陽菜ちゃん、そんなに辛いの……?」
陽菜「しんどいよー。もうまるで山の上にいるみたい。それに何かよくわからないけど、不気味な感じがするもん」
美羽「うーん、アタシはよくわかんないなぁ……」
確かに、今日の空気はどこか違う様な気がする。何がと聞かれても答えられないし、明確な形を持った違和感じゃないんだが。強いて言うのなら、勘や本能の部分が鳴らす警鐘とでもいうのか。
この場所を早く離れたくて仕方がない。
ユリア「一応、蓋の確認はほとんど終わっていますし、一度この場所を離れませんか?」
ユリアさんの提案に一同は肯いた。とりあえず、特別に学校の外へ出してもらい、そこで一度他のグループと合流することにする。
大翔「ユリアさんは、特に何も感じない?」
ユリア「そうですね……確かに、何か違和感を覚えるのですが、それがなんなのかまでは。何かこう、引っかかるんですけど……」
ユリアさんも釈然としない表情のままだ。こういう、形のない不安は単純な性格の俺にとっては鬱陶しいことこの上ない。
なんだろうなぁ、本当。
気にしすぎたせいか、なんだか背中がむずむずしてきた。
ユリア「ヒロトさん、どうかしたんですか?」
大翔「いや、なんか背中がかゆいんだけど……ほら、なんていうか肌の裏がかゆいっていうか、かいてもぜんぜん収まらなくて」
そもそも背中は手が届きにくいからうまくかけないわけで。
そんな俺をくすりとわらって、「それじゃあ私がしてあげましょう」なんて得意げな表情のユリアさんの手が背中を撫でた。
……逆におもくそかゆくなった気がする。
ううう、気持ちいいのになんだかそわそわする、この違和感は一体……違和……感?
そういえば。
俺は今まで連中――というか、ポーキァと戦う時に利用してきたのが例の正体不明の違和感だ。アレでなぜかユリアさん達の世界の魔法を彼女達以上の感度で感知していた。
だというのに、ここしばらくずっと美羽や美優が通常魔法の訓練をしても……ユリアさんが魔法を使っても、俺はそこまで大きな違和感に苛まれなかった。いや、それは正確じゃない。
違和感に、だんだん慣れてきている。
確かに違和感自体も感じなくなってきているが、それ以上にその違和感を気にしなくなってきている。
ぐらり、と足元が揺らいだ気がした。
ユリア「ヒロトさん、どうしたんですか?」
もしも、この違和感がそれと同種のものだとしたらどうだろう。慣れによる感覚の麻痺でかすかな違和感として感じているだけで、実はこの学園全体で魔法が使われている……あるいは、その下準備が行われているのだとしたら。
陽菜がそれに気づくことがあるのかどうかだが、陽菜は『擬態』の魔法使いだから自分の魔法の対象である周囲の空気に対しての感覚が鋭敏になっている。何かしら違和感を覚えても不思議じゃあない。
そしてユリアさんは、ずば抜けた魔法の才能を持っていると言う。そんな彼女なら、魔法を感知する能力もずば抜けているんじゃないだろうか。
もしこの考えが正しいのなら。俺たち三人以外の人間が、この違和感を感じていないことの理由だと言うのなら。
大翔「考えすぎ……なのか?」
俺はゆっくりと校門を振り返った。
青空を背景にシンと静まり返った学校は、どこか不気味に見える。
大翔「ユリアさん、ちょっと――」
聞きたいことがある。そう続けようとした瞬間、
――ドォォォォンッ!!!!!!
「うわっ!?」
「きゃぁぁっ!!」
突然の爆音に遮られて言葉を続けることができなかった。なんだ一体、敵の襲撃か!?
大翔「ユリアさん!」
とにかく、ユリアさんを抱き寄せる。何が起こるかわからない状況だ。油断はできない。
そしてそれに続いて、
ドォン! ドォン! ドォン!!
今度は、遠くから何かの爆発するような音。見れば、街のほうでもくもくと黒煙が上がっている。
エーデル「姫、お怪我はありませんか!?」
ユリア「だ、大丈夫です……それよりも、これはいったい……」
爆発は今も続いている。北から南から、近くから遠くから。街のあちこちで、次々に爆発が起きている。
いったい、何が起きてるっていうんだ!?
沙良「なんや、よくない流れを感じるな……感知の得意な魔法使いは、周りの空気に気をむけてみ。なんや空気がざわつきだしたで」
沙良先生が油断無く周囲を見回す。今も爆発は続いていて、街は騒然としている。何が起こっているのか、誰にもわかっていないようだ。
誰かがどこかで泣いている。悲鳴が空引き裂いていく。
くそ、なんだよこれ……なんだってんだよ!!
乃愛「ヒロト君、地図を貸してくれ。まさかとは思うが――」
俺から地図を受け取った乃愛さんの顔が、苦いものへ変わる。ちっと舌打ちをして、遠くを睨みつけた。その視線の先で――
ドォォンッ!!
大翔「なっ!?」
炎が上がり、黒煙が昇る。
何で乃愛さん、今の爆発がわかってるみたいに……。
ま、さ、か?
俺は乃愛さんの手にある地図を覗き込む。そこには街中の穴の位置が記録されている。その方位や距離を見れば、ここからの大体の位置も推測できる。そして、記された穴の位置は……。
大翔「異世界の穴が、爆発してるのか? それとも、その地点で爆発を起こしているのか!?」
ユリア「なんですって!? そんな事をしたら蓋がはじけ飛ぶどころか、集まったエネルギーによって穴がさらに広げられてしまいます!」
連中の目的は、最初からこれだったのか? それじゃあ、あいつらの次の目的は、いったいなんだ。やつらは何を企んでいる? 異世界の穴をこじ開けて、いったい何を。
――ドクン。
あ……。
心臓を、氷の手で鷲掴みにされたのかと思った。それほどの、冷たい恐怖が、襲い掛かってきた。
後ろ。後ろを振り返る。学園がある。そこには、異世界への入り口が無作為に無造作に、あまりにも大量に密集して存在する、学園。何一つとして爆発していない穴を大量に抱えた。
誰かが、笑った気がした。
大翔「伏せろ――――ッ!!!!」
衝動に衝き動かされるまま、がむしゃらで周りの人たちを掴み、地面に押し付けた。俺の言葉に真っ先に反応した貴俊も、俺と同じように周りの人間を地面に押し付け、その上に覆いかぶさった。
そして。
ッッッッパアァァァン!!!!
大翔「ぐああぁぁぁっ!?」
大気が破裂し、暴風が世界を薙ぎ払う。地面に伏せている体が、無理矢理大地から引っぺがされそうになる。荒れ狂い逆巻く風が大気を切り裂き、悲鳴のような音を立ててびゅうびゅうごうごうと暴れまわっている。
果たしてどれくらいの時間そうしていたのか。目をつぶって全身に力を込めて、ひたすらに耐える時間は、長いようにも短いようにも感じた。
いつの間にか、体が軽くなっている。周りの音も、もう静かだ。
恐る恐る、顔を上げて――絶句した。
なんだ……これ……むちゃくちゃにも、程があるだろうがっ!
学園を中心に渦巻く黒い雲。それはどこまでも広がり、世界を黒く闇に隠してしまっている。暴風のせいか、辺りの建物はいくらか倒壊してしまっている。近くの地面に鉄パイプが突き立っている。あんなものがぶつかっていたら、ただじゃ済まなかっただろうな。
先ほどまでではないにしろ、やや強めの風がずっと吹きつけている。街は停電してしまっているのか、炎以外の明かりは見えない。
ほんの、数分だぞ? たったそれだけの時間で、世界がまるっきり、別物になってしまった。
大翔「これも……ファイバーたちの狙いだって言うのか?」
美優「そんな、ひ、酷いよ……」
美羽「むちゃくちゃだわ! こんなの、許されるわけ無い!」
陽菜「とこっとん悪者だよ、あの人たちは!」
俺達は学園を見上げる。やはり、あいつらはこの中にいるんだろうか。俺達が日常を謳歌する、この場所で。だったら、無性に腹が立つ。
貴俊「へっ、ここまでやってくれてんだから、こっちから手ェ出したって問題ねーよなぁ?」
エーデル「まったく、彼らは実に美しくないな。何から何まで、破壊的だ」
貴俊は荒々しい笑みを浮かべ、エーデルは乱れた髪を直しながら、キザったらしい笑みを浮かべる。
どーでもいいが、お前あの暴風の中一人風に向かって立ってたけどよく平気だよな。アホか。
乃愛「ふむ……どうやら協力してくれていた人たちには連絡がつかないか。学園長もどこにいるかわからないし、ここは私達教師の出番かな?」
沙良「ま、ガッコと生徒を守るのがうちらの仕事で、役目で、義務で、趣味やしな」
乃愛さんと沙良先生は、不敵な様子で静かに立つ。
レン「姫様。彼等の行い、もはやこの手で討たねば私の信念が許しませぬ」
ユリア「私もよ、レン。王国の英雄の仇というだけではない。彼等の行いは、幸福の敵です!」
まっすぐな瞳に決意を込め、凛として空を見上げて立つレンさんとユリアさん。
俺達は互いに肯きあい、その足を学園へと戻るために踏み出して……いきなり止まった。
大翔「先生方、質問が」
乃愛「はい、ヒロト君どうぞ」
大翔「あの、地面から生えている腕は、なんですか」
校門の向こうのグラウンド。その地面から巨大な腕が突き出していた。いつ生えた、あんなの。
腕は子供の胴体ほどの太さはあるだろうか。正直腕と言われても信じがたい太さを持っている。そして、青い。あんなの人間の腕じゃない。化け物の腕だ。
って、化け物?
乃愛「まあ、おそらくはガーガーとかいうヤツだろうな。何故あんなところに生えているのかなんて知らないが」
それにしても近寄りづらい。なんだあれ、罠か。罠にしては随分とあからさまだろ。
対処に困っていると、背後で足音が聞こえた。
大翔「誰かいるのかっ!?」
慌てて振り返るが、そこにいたのはただの男性だった。敵意などは感じない。学園に避難しにきた……わけじゃないよな? 基本立ち入り禁止だし。じゃあ、何をしにこんなところへ?
貴俊「おい、アンタ。ここはあぶねーからさっさとどっか行っちまった方が――あ?」
ぞろぞろ。
ぞろぞろぞろ。
ぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろっ!!!!
その男性の後を追うように、次々と人が押し寄せてきた。
美羽「な、何よこの人たち、気味悪い」
よくみれば、その顔は一様に感情というものが感じられず、視線は虚ろをさまよっている。まるでゾンビのようだ。
人々は不気味な足取りで、俺達を囲んでいく。
なんだこいつら、敵なのか? でもそれにしては敵意はさっぱり感じられないし、何をするつもりなのかもわからない。かといって、このまま黙って囲まれたら、何をされるのかわかったもんじゃない。
沙良「ちっ。こいつら、操られとんのか? 厄介やな」
人々は次から次へと押し寄せ、俺達から一定の距離をとってその密度を高めていく。まるで人の壁だ。
大翔「ああもう、何から何までわけのわからないことをしやがって! もっとわかりやすく動けっての!!」
エラーズ「ふむ。ならそうさせてもらおうか。みな、行け」
え?
なんて疑問を持つ暇もなかった。今まで一定の距離を保っていた人の群れが、どっと押し寄せてきたからだ!
大翔「ぬあああっ!? く、そ! なんだよ、放しやがれ!!」
美優「お、おにーちゃんが余計なこと言うからぁ!!」
何だと、俺のせいか!?
わらわらと集まり、体に掴みかかってくる人人人! くそ、操られているからと思って加減してやってれば調子に乗りやがって!
大翔「ええい放せ、は・な・せ!!」
ガスガスガスガス! ドスドスドスドス!!
次から次へと急所に拳を蹴りを叩き込む。いくら操られているとはいえ、気を失ってしまってはどうしようもあるまい!
美羽「ちょっと兄貴、なんか兄貴のほうが悪者っぽいよ!?」
大翔「うるせえ、一撃で眠らせてんだからいいだろうが! 鉄腕パンチ振り回してる陽菜より百倍マシだ!」
すでに陽菜の周りはちょっとした惨劇の様相を呈している。全力でないのが救いだった。
ユリア「でも、これじゃあ何がなんだか――きゃぁっ!?」
大翔「ユリアさん!?」
突然、ユリアさんの体がふっとその場から消えた。
今度は何だよ!?
ユリア「ヒロトさん、助け――うっ!?」
大翔「ユリアさん!」
声の聞こえたほうへ視線を向けると、そこには。
エーデル「貴様、今すぐにその手を姫から離したまえ!」
木の上に立ち、ぐったりと気を失ったユリアさんを抱えた変態仮面――エラーズがいた。
今の人ごみにまぎれて、さらって行ったのか。俺の、目の前で。
大翔「お前……!」
くそ、早くあそこへ行かないといけないのに、人が邪魔で進めない!
エラーズ「今彼女を放せば大変なことになりますが? さて、それでは彼女は頂きました」
大翔「ふざけんじゃねぇ!!」
轟!
空を切り裂く音。エラーズの髪が、ざわりと揺れる。
エラーズ「……ふん、魔法ですか。だが、その距離で魔法を使えば姫君が巻き添えを食うかもしれませんが?」
それに、と、その視線を学園のグラウンドへと向ける。
エラーズ「操られているだけのこの人々を、無視してしまうのですか?」
何?
その言葉に、つられてそちらを見て――開いた口がふさがらないってのはまさしくこのことだ。
ガーガー「グルウゥァァァッ」
ガーガーが、巨大な岩盤を持ち上げて立っていた。
自分の体重の何倍あるとモンを持ち上げてるんだよ、あの怪獣は!
ぎょろり。目が合った。あ、なんかヤベえ。
ガーガー「グルウウゥゥゥゥッ!!」
大翔「エーデル、美優、周りの連中を全部後ろに吹き飛ばせ! 生きてりゃ問題ない、手加減すんな! 美羽とレンさんは――」
ブォン!
一体何トンあるのか想像もできない巨大な岩盤を、ガーガーはよりにもよって放り投げてきた。
ガーガー「ゴアァァァッ!!」
大翔「あれの処理だ!!」
咆哮をあげるガーガーの姿と、その横に立つエラーズの姿を一瞬だけ睨みつけてから、手にと目の前の岩盤に意識を集中させる。
周囲で風と水が渦巻き、邪魔だった人々が勢いよく引き剥がれ、流されていった。だが、そんなものを気にしない。目の前にまで迫った、黒い巨大な死神を――打ち抜く!
大翔「今だ!!」
魔法を解き放つ。確かな実感とともに打ち出された力は、岩盤を抉り削る。そこに、美羽の放った炎とレンさんの刃が襲い掛かり岩盤を砕いた。
ガラガラと轟音を立てて砕け散る岩盤。だが、そんなものには目もくれない!
乃愛「待てヒロト君、危険だぞ!」
制止する声も聞かずに、崩れ落ちた岩盤の破片を乗り越えたが、そこにはやはり、誰もいなかった。
間に合わなかった。わかっていた。わざわざ待っている理由なんかないんだから。
まただ。いつもそうだ。俺は間に合わない。手遅れだ。
――ふざけるな。
「兄貴」「お兄ちゃん」「ヒロ君」「大翔」「ヒロト殿」「ヒロト君」「結城」
みんなが心配してくれている。
けど。
足りない声がある。
それをみすみす手放したのは、俺が弱いから。
ああ、くそ。
目の前だって言うのに。俺はまた何もできなかった。
ふざけるな。ふざけるなよ。ふざけんじゃねえよ。
大翔「ふざっけんなあああああああっ!!!」
腹の奥底から、叫ぶ。怒りが脳を焼き尽くす。
自分への怒りが、止まらなかった。
抑えきれない激情に、空を見上げ――、
大翔「……………………」
ファイバー「……………………」
上がって来い。
そう瞳で告げ、ファイバーはその体を翻した。
それも、お前の計画とやらの一環か? 何か意図があるのか?
まあいい、乗ってやろう。いずれにせよ俺達はお前を止めなくちゃならないし、ユリアは絶対に取り戻す。お前が何を考えていようと、それは変わらないんだから。
大翔「ファイバーが、屋上にいる……」
レン「何、本当か!?」
レンさんが屋上を見やるが、すでにその姿を見ることはできない。
美優「空を飛んでいっても、すぐに落とされちゃうかな……」
エーデル「ここから魔法で狙っても、もしあそこに姫がいたら巻き添えにしてしまうしな」
つまり、俺達は地道に階段を使って上るしかない。まあ、いつも学校を使っているんだ、普段どおりというわけだ。
こんな時に。
貴俊「何企んでるんだかしらねーが、まあやることはかわんねーんだ」
貴俊は肩の袋を担ぎなおす。
乃愛「最初からそう簡単に事が運ぶわけはないと思っていたんだ。目的がひとつ増えたとて、なぁに、かえってやる気がわくというものだ」
沙良「うちらのホームが敵陣いうわけやな。あいつら、うちらをバカにしすぎとるな、ちっとお仕置きしてやらないかんな、結城」
な、と乃愛さんが頭をくしゃくしゃと撫でる。それで少し、冷静さを取り戻す。
陽菜「悪者に捕まったお姫様は、みんなで助けなくちゃ。ね、ヒロ君」
陽菜の明るい、真剣な笑顔。友達を思いやる、暖かな。
美羽「兄貴、今度はへましないでよね」
バカにするように信頼を向けてくる妹。
情けない俺がいる。弱い俺がいる。でもだからといって、諦めていいわけじゃない。諦めきれるわけじゃない。
だから動く、歩く、足掻く。自分の足で、自分の意思で。
もう一度その手を掴むために。そしてその手を放さないために。
大翔「よっしゃお前ら。気合は入れたか、覚悟は決めたか? バカを殴り飛ばしてお姫様を取り戻す、ついでに世界まで救えるぞ。敵が何を考えてるのかはわからないし、どこで待ち伏せされてるかもわからない。俺達はそんな中に正面から突っ込む間抜けなやつらだ」
本当は、陽菜や美羽や美優には引き返してもらいたいところだ。わざわざ、危険なことに首を突っ込んでほしくはない。
けど、絶対に退いたりはしないだろう。何が何でもついてくるだろう。それなら、俺も最初から腹を括って覚悟を決めるしかない。
大翔「あいつらに俺達の意地を見せてやる。あいつらが夢を叶えるついでに世界を壊すのなら、俺達はユリアを取り戻して世界を救うついでにあいつらの夢を粉微塵に砕いてやるだけだ。俺達は俺達のやりたいようにやる。俺達の我が侭で、あいつらの我が侭をぶち抜き壊す!」
ごちゃごちゃ考えるのはもうやめた。
そうだ、やることなんかいつだって変わりはしないのなら、後は覚悟を決めるだけだ。
他人の迷惑顧みず、自分の意志を貫く覚悟を。
俺は踏み出す。
戦いへの一歩を。
今、ここは。
世界の、中心だ。
親父について世界中――といわないでも、かなりいろんな場所を回った。
時には、命の危険が突いて回るような地域に行った事だってある。無論、安全には気を使っていたけども。
……親父は、特に俺の安全には気を使っていた。やりすぎなんじゃないかと思うくらいに。
『何でそんなに神経質になるの?』
小学五年生の、冬。どこか北の国で、窓の外の吹雪を眺めながら親父に尋ねた。
俺のどこか言葉の足りない疑問も、親父はちゃんと理解して答えてくれた。
『うん。僕は美玖を守れなかったから、どうしてもそれが気になっているんだよ。だから、ヒロが危ないことにならないか、どうしても気にしてしまうんだ』
『じゃあ、なんで俺をいろんなところに連れてってくれるの? それだって、十分危ないと思うよ』
『あはは……そうなんだけどね。でも困ったことに、僕はヒロの気持ちを尊重したい、その願いを可能な限り、叶えたいと思っているんだ。それは僕が、いや、誰もがきっと一度は願うことだからね』
親父はそういって、窓の外をさびしそうに眺めるのだった。
『だから今でも迷う。迷い続けている。果たして僕は、どうするべきなんだろう。守りたい大切な人たちがいる。でもその人たちは、たとえ危険を犯してでも叶えたい願いがあるんだ。僕は、迷う。僕の願いと大切な人たちの願い、果たして、どちらを優先するべきなんだろうね』
俺は母さんがどうして死んだのか、知らない。ただ親父が、葬儀の時に小さく謝ったのだけは知っていた。
迷ったのだろうか。母さんを守るべきなのか、母さんの願いを守るべきなのか。そして、親父はそのどちらかを選んだ。結果を見るのなら、おそらく、後者を守ったのかもしれない。
でもそれは正しいのか。きっと、ずっと、悩んでいる。
――たぶん、親父はその答えを見つけたんだと思う。それがどんなものだったのかはわからないけど、でも少なくとも親父が一人の少女を守り抜いた事だけは、今ここにいる俺は知っている。
『僕は生きた、こうして生きている』と、ユリアさんが伝えてくれた親父の最後の言葉。最後の最後まで、親父は生きていた。
そんな人を、俺は、ずっと、追い続けている。その背中を、思い出している。
拳が朝の清涼な空気を切り裂き、汗が朝陽に輝く。
もう完全に日課となった朝の鍛錬。俺は一人河川敷で汗を流していた。
結局ファイバー達の襲撃はないまま、夏休みの終了まで残り一週間を切っていた。俺達はどこかほっとした様な、それでも小さく胸の奥でざわつく不安を抱えながら日常を過ごしていた。
こうして体を動かしていると、親父のことを思い出す。俺の動きはすべて親父に教わったものから出来上がったものだ。多少自分なりにアレンジしたり工夫を凝らしたりしてみたりもしているが、根底の部分は変わらない。
体を動かしていると、昔に還るような気分になるのかもしれない。だから、あんな昔のことを思い出したのだろうか。
最期の掌底を虚空に打ち込み、体をぴたりと止める。ぴんと張り詰めた空気が最後に残った。
「そういえば、結局親父ってどれくらい強かったんだろうな」
ふと思う。異世界じゃ何でも最強とまで呼ばれていたらしい。無論今の俺とじゃ比べるまでもない強さなんだろうけど、それほどまでに強いといわれると想像がつきにくい。
……かといって、誰某の何倍強いなんていわれてもそれはそれでわかりにくいけど。
「はい、ヒロトさん。タオルですよ」
「ああ、ありがとう……ってうおわっ!? ユリアさん、いつからそこにっ!?」
ひとりだったはずなのにいつの間にかユリアさんがタオルを持っていた。ありがたく使わせてもらうけど……。
「実はヒナさんが空気に擬態して隠れるというのを聞いて、似たようなことができないか試してみたんです。やはり魔法は発想が大事ですね、こんな使い方、私は考えたこともなかったです」
風でも操って気配を消したのかもしれない。しかしなぜ、いきなりそんなことを。
「タイヨウ様がどれほどの強さだったのか、気になるのですか?」
「うん……俺、親父が戦ってるところってほとんど見たことないんだよな」
見たことがあるものにしたって、戦いと呼べるようなものじゃなかった。街で絡んでくるような連中は、よってくる虫を払うような、親父にとってはそんな程度のものだった。そして、そんな突発的なトラブルでも起きない限りは親父の戦う姿なんて見る機会はなかった。
それ以上に危険極まりない場所へは、いつだって親父一人で行っていたからだ。
「でも、ヒロトさんはそういうことを気にしないでいいと思います」
「気にしてもしょうがないってのはわかってるんだけど、な」
「いえ、そうじゃなくて。なんて言うんでしょう、うーん……」
ユリアさんは少しだけ宙に視線をさまよわせた。
「なんていうか、ヒロトさんは戦いに勝つ事は望んでないと思うんです。といいますか、勝つ事は二の次といいますか……ヒロトさんが戦っているところは見たことがないので、よくわからないんですけど」
「……いや、いいよ。ありがとう。言いたいことはなんとなくわかったから」
ユリアさんの言うとおりだった。俺が戦うのは勝ちたいからじゃないんだっけ。
それが、今回は相手があんな化け物連中で、しかもこっちを――ユリアさんを狙っている。世界を壊すなんて平然と言い放つ常識はずれの連中だったから。どうやら俺はまた、流されていたらしい。
「うん……そうだな、俺はいつもそんな感じだったんだ。思い出したよ」
気負いすぎるのは、なんつーか俺のキャラじゃない。俺はもっとこういい加減な人間だからな。面倒くさいと思わず朝食を手抜きにしてしまうようなそんな男だ。
「そんなわけで本来の俺を思い出したので、今日の朝食は手抜きにするか」
「えぇっ!? 毎朝ヒロトさんのご飯が楽しみで起きているのに、そんなのあんまりです!!」
「ユリアさん、その食いしん坊な発言は年頃の女の子としてどうかと思うぞ、さすがに」
さらに言えばお姫様としてはどうなんだそれ。いや、お姫様だって別においしいものを食べるためにおきたって問題ない……のか? でもなぁ……。
釈然としない気持ちを抱えていると、ユリアさんが手を引いた。
「ほら、戻りましょう。今日は久しぶりに学校の蓋を点検する日ですよ。力のでる朝食を、期待していますからね」
そう。
夏休みも残り少なくなってきたところで、俺達は長らく放置したままだった蓋の点検をすることにした。
蓋はファイバーの襲撃以来実は一度も点検も再構成もしていない。危険だからだ。
でも、もうそうも言っていられない。蓋の強度からして限界はあるはずだし、もしかしたらやつらの手によって壊されている可能性も否定できないのだから。
そんなわけで、今日。
俺達は学校へ行くことになっている。
朝日が、まぶしい朝だった。
この朝日を、俺はずっと忘れない事になる。
俺の人生が、大きく変わった、この朝と、そして――
「がんばりましょうね、ヒロトさん」
輝く、たった一つの笑顔を。
いつもと変わらぬ夏の日。
焼き殺すつもりかと文句を言いたくなるような日差しの中、俺達は学校にいた。さすがにばらばらで行動するわけにも行かないので固まって動くことになる。そうなると、全体の確認には時間がかかってしまうがその辺りは乃愛さんが助っ人を呼んでくれたので、数でカバーだ。本当に顔が広い。
「とはいえ、一番手馴れているのはなんだかんだで私達だからな。とりあえず、学校の敷地内は私達の担当だ」
他の人たちは学校の外のポイントを回っているらしい。こんな時でも、学校は部外者立ち入り禁止のようだ。
しかし何度考えてもおかしいと思う。
異世界の穴は学校内含め、こちら側の世界――コミューンの至る所にある。確かに、学校の外の街中にまでぼっこんぼっこん穴が開いている。
けれども。
「その地図が気になるのか、大翔? まあ確かに何かあると思うよな。何しろ、学校を中心にして螺旋を描くようにして穴が開けられてるんじゃな」
弓を入れるような長い袋を肩に担いだ貴俊が、ひょいと俺の手元を覗き込んできた。
袋の中身は、ついに完成した貴俊専用の危険極まりないオモチャだ。実際にこの目で見てはいないのでその形まではわからないが、長さだけを見ればかなりのものだ。
……高校に入りたての頃に俺が言ったアイデアが採用されているらしい。非常に複雑な心境だ。
さておき。
「ああ……それも、同じ世界から開いた穴が近くにないように、ある程度の距離が開けられている。そして学校の中の穴はといえば、こちらは無秩序に穴を開けられるだけ開けた感じだ」
それはつまり、この学校こそがエネルギーの集中点とされているようには見えないだろうか。
何か、いやな予感がする。それも、途轍もないいやな予感だ。
「みんな早く戻ってこないかなぁ、さすがに不安だよね、こんなの」
陽菜はびくびくと周りを見回している。視線をあちこちに飛ばしながら、それでも不安でずっと俺の服の裾を掴んでいた。
……一度狙われたからこっちのほうが安全かと思ってつれてきたんだけど、さすがにこれなら残してきたほうがよかったかもしれないな。
「沢井は擬態の魔法使いだし、周囲の空気に敏感なんだろうな。何か不穏な空気を感じてるんじゃないのか?」
そう貴俊が言った時、林の向こうからぞろぞろと人が出てきた。美羽、美優、ユリアさん、レンさん、乃愛さん、沙良先生、エーデル。特に問題はなかったようで、その表情には若干の余裕が伺える。これじゃあびくびくしていた俺達が間抜けだ。
俺は地図をたたむと、ポケットに捻じ込んだ。皆を出迎える言葉を口にしようとしたとき――その横を猛烈な勢いで駆け抜けた影がひとつ。
「せえええええぇぇぇぇんせええぇぇぇぇぇえいっ!!!!」
自慢の脚力を存分に生かし、乃愛さんに特攻をかます陽菜。ぽーんと勢いよく宙に飛び上がった体はまっすぐに乃愛さんへと飛んで――ひょいとその場を退いた乃愛さんに受け止められずに、背後の林へと突っ込んだ。
「うきゃぁああぁぁぁっ!? あ、あだだ、いだーっ!?」
バキバキバキィッ!!
うわぁ……すごい音。低めの樹が茂っている部分にダイブしてる。枝が刺さったりしてないよな?
「乃愛さん……何してるんすか、仮にも先生でしょうに」
「いや、彼女のタックルには手加減とかそういった要素が絶無なのでつい、ね」
どんな時でも全力全開、ツッコミに使うのは鋼の拳という、猛進する猪突さえも轢殺するような性格が災いしたらしい。
「ひ、酷いよ先生! 愛すべき生徒が不安でどうしようもなくて助けを求めて抱きついたって言うのに、無残にもそれをさらりと回避するなんて!」
頭から木の枝を生やしたお前の顔も相当に無残なものだぞ。だがしかしそれでもなぜか傷ひとつ負っていない辺り頑丈とかそういうのを超越している気がする。あれか、ギャグ漫画体質とかいうやつか。
とか思ったが、よくよく見てみると陽菜の頭の一部がささくれ立っていた。剣山……らしい。よりにもよって身を守るためのチョイスがそれかよ。
「まったくもう、みんなよく平気だよね。こんなに空気が歪んでるのに。正直陽菜は呼吸するのだってしんどいんだよ?」
「陽菜ちゃん、そんなに辛いの……?」
「しんどいよー。富士山の頂上にいるくらいしんどいよ、いったことないけど。それに何かよくわからないけど、不気味な感じがするもん」
「うーん、アタシはよくわかんないなぁ……」
確かに、今日の空気はどこか違う様な気がする。何がと聞かれても答えられないし、明確な形を持った違和感じゃないんだが。強いて言うのなら、勘や本能の部分が鳴らす警鐘とでもいうのか。
この場所を早く離れたくて仕方がない。
「一応、蓋の確認はほとんど終わっていますし、一度この場所を離れませんか?」
ユリアさんの提案に一同は肯いた。とりあえず、特別に学校の外へ出してもらい、そこで一度他のグループと合流することにする。
「ユリアさんは、特に何も感じない?」
「そうですね……確かに、何か違和感を覚えるのですが、それがなんなのかまでは。何かこう、引っかかるんですけど……」
ユリアさんも釈然としない表情のままだ。こういう、形のない不安は単純な性格の俺にとっては鬱陶しいことこの上ない。
なんだろうなぁ、本当。
気にしすぎたせいか、なんだか背中がむずむずしてきた。
「ヒロトさん、どうかしたんですか?」
「いや、なんか背中がかゆいんだけど……ほら、なんていうか肌の裏がかゆいっていうか、かいてもぜんぜん収まらなくて」
そもそも背中は手が届きにくいからうまくかけないわけで。
そんな俺をくすりとわらって、「それじゃあ私がしてあげましょう」なんて得意げな表情のユリアさんの手が背中を撫でた。
……逆におもくそかゆくなった気がする。
ううう、気持ちいいのになんだかそわそわする、この違和感は一体……違和……感?
そういえば。
俺は今まで連中――というか、ポーキァと戦う時に利用してきたのが例の正体不明の違和感だ。アレでなぜかユリアさん達の世界の魔法を彼女達以上の感度で感知していた。
だというのに、ここしばらくの美羽、美優の通常魔法の訓練中にユリアさんが魔法を使っても、俺はそこまで大きな違和感に苛まれなかった。いや、それは正確じゃない。
違和感に、だんだん慣れてきている。
確かに違和感自体も感じなくなってきているが、それ以上にその違和感を気にしなくなってきている。
ぐらり、と足元が揺らいだ気がした。
「ヒロトさん、どうしたんですか?」
もしも、今感じているこの違和感がそれと同種のものだとしたらどうだろう。慣れによる感覚の麻痺で小さな違和感として感じているだけで、実はこの学園全体で魔法が使われている……あるいは、その下準備が行われているのだとしたら。
陽菜がそれに気づくことがあるのかどうかだが、陽菜は『擬態』の魔法使いだから自分の魔法の対象である周囲の空気に対しての感覚が鋭敏になっている。何かしら違和感を覚えても不思議じゃあない。
そしてユリアさんは、ずば抜けた魔法の才能を持っていると言う。そんな彼女なら、魔法を感知する能力もずば抜けているんじゃないだろうか。
もしこの考えが正しいのなら。俺たち三人以外の人間が、この違和感を感じていないことの理由だと言うのなら。
「考えすぎ……なのか?」
俺はゆっくりと校門を振り返った。
青空を背景にシンと静まり返った学校は、どこか不気味に見える。
「ユリアさん、ちょっと――」
聞きたいことがある。そう続けようとした瞬間、
――ドォォォォンッ!!!!!!
「うわっ!?」
「きゃぁぁっ!!」
突然の爆音に遮られて言葉を続けることができなかった。なんだ、襲撃か!?
「ユリアさん!」
とにかく、ユリアさんを抱き寄せる。何が起こるかわからない状況だ。油断はできない。
そしてそれに続いて、
ドォン! ドォン! ドォン!!
今度は、遠くから何かの爆発するような音。見れば、街のほうでもくもくと黒煙が上がっている。
「姫、お怪我はありませんか!?」
「だ、大丈夫です……それよりも、これはいったい……」
爆発は今も続いている。北から南から、近くから遠くから。街のあちこちで、次々に爆発が起きている。
いったい、何が起きてるっていうんだ!?
「なんや、よくない流れを感じるな……感知の得意な魔法使いは、周りの空気に気をむけてみ。なんや空気がざわつきだしたで」
沙良先生が油断無く周囲を見回す。今も爆発は続いていて、街は騒然としている。何が起こっているのか、誰にもわかっていないようだ。
誰かがどこかで泣いている。悲鳴が空引き裂いていく。
くそ、なんだよこれ……なんだってんだよ!!
「ヒロト君、地図を貸してくれ。まさかとは思うが――」
俺から地図を受け取った乃愛さんの顔が、苦いものへ変わる。ちっと舌打ちをして、遠くを睨みつけた。その視線の先で――
ドォォンッ!!
「なっ!?」
炎が上がり、黒煙が昇る。
何で乃愛さん、今の爆発がわかってるみたいに……。
ま、さ、か?
俺は乃愛さんの手にある地図を覗き込む。そこには街中の穴の位置が記録されている。その方位や距離を見れば、ここからの大体の位置も推測できる。そして、記された穴の位置は……。
「異世界の穴が、爆発してるのか? それとも、その地点で爆発を起こしているのか!?」
「なんですって!? そんな事をしたら蓋がはじけ飛ぶどころか、集まったエネルギーによって穴がさらに広げられてしまいます!」
連中の目的は、最初からこれだったのか? それじゃあ、あいつらの次の目的は、いったいなんだ。やつらは何を企んでいる? 異世界の穴をこじ開けて、いったい何を。
――ドクン。
あ……。
心臓を、氷の手で鷲掴みにされたのかと思った。それほどの、冷たい恐怖が、襲い掛かってきた。
後ろ。後ろを振り返る。学園がある。そこには、異世界への入り口が無作為に無造作に、あまりにも大量に密集して存在する、学園。何一つとして爆発していない穴を大量に抱えた。
巨大な、力の群。
「伏せろ――――ッ!!!!」
衝動に衝き動かされるまま、がむしゃらで周りの人たちを掴み、地面に押し付けた。俺の言葉に真っ先に反応した貴俊も、俺と同じように周りの人間を地面に押し付け、その上に覆いかぶさった。
そして。
ッッッッパアァァァン!!!!
「ぐああぁぁぁっ!?」
大気が破裂し、暴風が世界を薙ぎ払う。伏せている体が無理矢理大地から引っぺがされそうになる。荒れ狂い逆巻く風が大気を切り裂き、悲鳴のような音を立ててびゅうびゅうごうごうと暴れまわった。
果たしてどれくらいの時間そうしていたのか。目をつぶって全身に力を込めて、ひたすらに耐える時間は、長いようにも短いようにも感じた。
いつの間にか、体が軽くなっている。すでに世界は静けさを取り戻していた。寒気がするような静けさを。
恐る恐る、顔を上げて――絶句した。
なんだ……これ……むちゃくちゃにも、程があるだろうがっ!
学園を中心に渦巻く黒い雲。それはどこまでも広がり、世界を黒く闇に隠してしまっている。暴風のせいか、辺りの建物はいくらか倒壊してしまっている。近くの地面に鉄パイプが突き立っている。あんなものがぶつかっていたら、ただじゃ済まなかっただろう。
先ほどまでではないにしろ、やや強めの風がずっと吹きつけている。街は停電してしまっているのか、炎以外の明かりは見えない。
ほんの、数分だぞ? たったそれだけの時間で、世界がまるっきり、別物になってしまった。
「これも……ファイバーたちの狙いだって言うのか?」
「そんな、ひ、酷いよ……」
「むちゃくちゃだわ! こんなの、許されるわけ無い!」
「とこっとん悪者だよ、あの人たちは!」
俺達は学園を見上げる。やはり、あいつらはこの中にいるんだろうか。俺達が日常を謳歌する、この場所で。だったら、無性に腹が立つ。
「へっ、ここまでやってくれてんだから、こっちから手ェ出したって問題ねーよなぁ?」
「まったく、彼らは実に美しくないな。何から何まで、破壊的だ」
貴俊は荒々しい笑みを浮かべ、エーデルは乱れた髪を直しながら、キザったらしい笑みを浮かべる。
どーでもいいが、お前あの暴風の中一人風に向かって立ってたけどよく平気だよな。アホか。
「ふむ……どうやら協力してくれていた人たちには連絡がつかないか。学園長もどこにいるかわからないし、ここは私達教師の出番かな?」
「ま、ガッコと生徒を守るのがうちらの仕事で、役目で、義務で、趣味やしな」
乃愛さんと沙良先生は、不敵な様子で静かに立つ。
「姫様。彼等の行い、もはやこの手で討たねば私の信念が許しませぬ」
「私もよ、レン。王国の英雄の仇というだけではない。彼等の行いは、幸福の敵です!」
まっすぐな瞳に決意を込め、凛として空を見上げて立つレンさんとユリアさん。
俺達は互いに肯きあい、その足を学園へと戻るために踏み出して……いきなり止まった。
「先生方、質問が」
「はい、ヒロト君どうぞ」
「あの……地面から生えている腕は、なんですか」
校門の向こうのグラウンド。その地面から巨大な腕が突き出していた。いつ生えた、あんなの。
腕は子供の胴体ほどの太さはあるだろうか。正直腕と言われても信じがたい太さを持っている。巨大な木の根といわれたほうが信じられる。
「巨こ」
「それ以上喋ったら上下一本残らず歯を抜きつくすぞ」
あれを見てまだふざけたことをいえる貴俊の神経にはある意味感服する。あんな青い腕。あんなの人間の腕じゃない。化け物の腕だ。
って、化け物?
「まあ、おそらくはガーガーとかいうヤツだろうな。何故あんなところに生えているのかなんて知らないが」
それにしても近寄りづらい。なんだあれ、罠か。罠にしては随分とあからさまだろ。
対処に困っていると、背後で足音が聞こえた。
「誰かいるのかっ!?」
慌てて振り返るが、そこにいたのはただの男性だった。敵意などは感じない。学園に避難しにきた……わけじゃないよな? 基本立ち入り禁止だし。じゃあ、何をしにこんなところへ?
「おい、アンタ。ここはあぶねーからさっさとどっか行っちまった方が――あ?」
ぞろ。
ぞろぞろ。
ぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろぞろっ!!!!
その男性の後を追うように、次々と人が押し寄せてきた。
「な、何よこの人たち、気味悪い」
よくみれば、その顔は一様に感情というものが感じられず、視線は虚ろをさまよっている。まるでゾンビのようだ。
人々は不気味な足取りで俺達を囲んでいく。その動きは奇妙に機械的で生気が感じられず、異常なまでに統制が取れている。
なんだこいつら、敵なのか? でもそれにしては敵意はさっぱり感じられないし、何をするつもりなのかもわからない。かといって、このまま黙って囲まれたら、何をされるのかわかったもんじゃない。
「ちっ。こいつら、操られとんのか? 厄介やな」
人々は次から次へと押し寄せ、俺達から一定の距離をとってその密度を高めていく。まるで人の壁だ。
「ああもう、何から何までわけのわからないことをしやがって! もっとわかりやすく動けっての!!」
「ふむ。ならそうさせてもらいましょう。みな、行け」
え?
なんて疑問を持つ暇もなかった。今まで一定の距離を保っていた人の群れが、どっと押し寄せてきたからだ!
「ぬあああっ!? く、そ! なんだよ、放しやがれ!!」
「お、おにーちゃんが余計なこと言うからぁ!!」
何だと、俺のせいか!?
わらわらと集まり、体に掴みかかってくる人人人! くそ、操られているからと思って加減してやってれば調子に乗りやがって!
「ええい放せ、は・な・せ!!」
ガスガスガスガス! ドスドスドスドス!!
次から次へと急所に拳を蹴りを叩き込む。いくら操られているとはいえ、気を失ってしまってはどうしようもあるまい!
「ちょっと兄貴、なんか兄貴のほうが悪者っぽいよ!?」
「うるせえ、一撃で眠らせてんだからいいだろうが! 鉄腕パンチ振り回してる陽菜より百倍マシだ!」
すでに陽菜の周りはちょっとした惨劇の様相を呈している。全力でないのが救いだ。
「でも、これでは何がなんだか――きゃぁっ!?」
「ユリアさん!?」
突然、ユリアさんの体がふっとその場から消えた。
今度は何だよ!?
「ヒロトさん、助け――うっ!?」
「ユリアさん!」
声の聞こえたほうへ視線を向けると、そこには。
「貴様、今すぐにその手を姫から離したまえ!」
木の上に立ち、ぐったりと気を失ったユリアさんを抱えた変態仮面――エラーズがいた。
今の人ごみにまぎれて、さらって行ったのか。俺の、目の前で。
「お前……!」
くそ、人が邪魔で進めない!
「今彼女を放せば大変なことになりますがそれでもよろしいので? さて、それでは彼女は頂きました」
「ふざけんじゃねぇ!!」
轟!
空を切り裂く音。エラーズの髪が、ざわりと揺れる。
「……ふん、魔法ですか。だが、その距離で魔法を使えば姫君が巻き添えを食うかもしれませんよ?」
それに、と、その視線を学園のグラウンドへと向ける。
「操られているだけのこの人々を、無視してしまうのですか?」
何?
その言葉に、つられてそちらを見て――開いた口がふさがらないってのはまさしくこのことだ。
「グルウゥァァァッ」
ガーガーが、巨大な岩盤を持ち上げて立っていた。
自分の体重の何倍あるモンを持ち上げてるんだよ、あの怪獣は!
ぎょろり。目が合った。あ、なんかヤベえ。
「グルウウゥゥゥゥッ!!」
「エーデル、美優、周りの連中を全部後ろに吹き飛ばせ! 生きてりゃ問題ない下手に傍にいれば逆に危険だ、手加減すんな! 美羽とレンさんは――」
ブォン!
一体何トンあるのか想像もできない巨大な岩盤を、ガーガーはよりにもよって放り投げてきた。なんという驚異的な膂力。岩盤はほぼ地面と平行に飛来する。
「ゴアァァァッ!!」
「あれの処理だ!!」
咆哮をあげるガーガーの姿と、その横に立つエラーズの姿を一瞬だけ睨みつけてから、手と目の前の岩盤に意識を集中させる。
周囲で風と水が渦巻き、邪魔な人々が勢いよく引き剥がれ、流されていった。だが、そんなものを気にしない。目の前にまで迫った、黒い巨大な死を――打ち抜く!
「今だ!!」
魔法を解き放つ。確かな実感とともに打ち出された力は、岩盤の中心をを確かな手ごたえと共に抉り削る。そこに、美羽の放った炎とレンさんの刃が襲い掛かり岩盤を砕いた。
ガラガラと轟音を立てて砕け散る岩盤。だが、そんなものには目もくれない!
「待てヒロト君、危険だぞ!」
制止する声も聞かずに、崩れ落ちた岩盤の破片を乗り越えたが、そこにはやはり、誰もいなかった。
間に合わなかった。わかっていた。わざわざ待っている理由なんかないんだから。
まただ。いつもそうだ。俺は間に合わない。手遅れだ。
――ふざけるな。
「兄貴」「お兄ちゃん」「ヒロ君」「大翔」「ヒロト殿」「ヒロト君」「結城」
みんなが心配してくれている。
けど。
足りない声がある。
それをみすみす手放したのは、俺が弱いから。
ああ、くそ。
目の前だって言うのに。俺はまた何もできなかった。
ふざけるな。ふざけるなよ。ふざけんじゃねえよ。
「ふざっけんなあああああああっ!!!」
腹の奥底から、叫ぶ。怒りが脳を焼き尽くす。
自分への怒りが、止まらなかった。
抑えきれない激情に、空を見上げ――、
「……………………」
「……………………」
上がって来い。
そう瞳で告げ、ファイバーはその体を翻した。
それも、お前の計画とやらの一環か? 俺たちをこの中へ呼び入れることに何かの意図があるのか?
まあいい、乗ってやろう。いずれにせよ俺達はお前を止めなくてはならない。何よりもユリアは絶対に取り戻す。お前が何を考えていようと、それは変わらない。やることはすでに確定された。
「ファイバーが、屋上にいる……」
「何、本当か!?」
レンさんが屋上を見やるが、すでにその姿を見ることはできない。
「空を飛んでいっても、すぐに落とされちゃうかな……」
「ここから魔法で狙っても、もし姫がいれば巻き添えにしてしまうな」
つまり、俺達は地道に階段を使って上るしかない。まあ、いつも学校を使っているんだ、普段どおりというわけだ。
こんな時に。
「何企んでるんだかしらねーが、まあやることはかわんねーんだ」
貴俊は肩の袋を担ぎなおす。
「最初からそう簡単に事が運ぶわけはないと思っていたんだ。目的がひとつ増えたとて、なぁに、かえってやる気がわくというものだ」
「うちらのホームが敵陣いうわけやな。あいつら、うちらをバカにしすぎとるな、ちとお仕置きしてやらないかんな、結城」
な、と乃愛さんが頭をくしゃくしゃと撫でる。それで少し、冷静さを取り戻す。
「悪者に捕まったお姫様は、みんなで助けなくちゃ。ね、ヒロ君」
陽菜の明るい、真剣な笑顔。友達を思いやる、暖かな。
「兄貴、今度はへましないでよね」
バカにするように信頼を向けてくる妹。
情けない俺がいる。弱い俺がいる。でもだからといって、諦めていいわけじゃない。諦めきれるわけじゃない。
だから動く、歩く、足掻く。自分の足で、自分の意思で。
もう一度その手を掴むために。そしてその手を放さないために。
「よっしゃお前ら。気合は入れたか、覚悟は決めたか? バカを殴り飛ばしてお姫様を取り戻す、ついでに世界まで救えるぞ。敵が何を考えてるのかはわからないし、どこで待ち伏せされてるかもわからない。俺達はそんな中に正面から突っ込む特攻やろうYチームだ」
本当は、陽菜や美羽や美優には引き返してもらいたい。わざわざ、危険なことに首を突っ込んでほしくはない。
けど、絶対に退いたりはしないだろう。何が何でもついてくるだろう。それなら、俺も最初から腹を括って覚悟を決めるしかない。
「あいつらに俺達の意地を見せてやる。あいつらが夢を叶えるついでに世界を壊すのなら、俺達はユリアを取り戻して世界を救うついでにあいつらの夢を粉微塵に砕いてやるだけだ。俺達は俺達のやりたいようにやる。俺達の我が侭で、あいつらの我が侭をぶち抜き壊す!」
ごちゃごちゃ考えるのはもうやめた。
そうだ、やることなんかいつだって変わりはしないのなら、後は覚悟を決めるだけだ。
他人の迷惑顧みず、自分の意志を貫く覚悟を。
俺は踏み出す。
戦いへの一歩を。
今、ここは。
世界の、中心だ。