初日b

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初日b」(2007/08/01 (水) 05:51:05) の最新版変更点

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 買い物が終わり、家についたのが八時過ぎだったのは多分何かの間違いだ。  一時的なド近眼になったとか、時計が壊れたとか、いやいや、もっと素敵な理由かもしれない。たとえば、魔法とか。  貴俊を家の近くまで送らせた後、美羽はその大半をレンに持たせることにして、レンはレンで「これも一つの修行です」と意味の分からないことを言っている。美優もユリアも多少の荷物は持ってるのに完全に空手の美羽はまさしく姫様気取りだっただろう。  リビングのソファ横にどさっと荷物を落とすと、俺はそのままうつ伏せにソファに倒れこんだ。 「だらしないなぁ」  美羽の売り言葉を受け流し、あお向けに姿勢を変える。滲みがところどころにある天井とご対面する。  俺は何をやってるんだろう?  実際、自分でも今日の出来事を反芻する度に思う。急展開ドラマだぜ。朝に異世界からやってきたという女に剣を突きつけられ、倒れた女を休ませ、魔法使いである理由とばかりに部屋をめちゃくちゃにされ、ホームステイしたいと懇願され、それを俺は承諾し、そんな時に貴俊からの誘いに乗り、みんなで買い物にレッツゴー。帰ってくりゃこのザマだ。  アホみたいだな。そんなことしてる暇あるのかって。  まだ何も知らないも同然だ。異世界がどんなところとか、一年で崩壊するとはどういうことかとか、魔法がどんなものとか、俺らに何かして欲しいのかとか、いつ帰るのかとか……。挙げようと思えばいくらでも挙げられそうなモンなのに。全部うっちゃって、買い物ですよ。  理由は自分でも分かってるつもりだった。つまり、怖くなったのだ。びびってるんだ。ここが本当に俺が知っている現実世界なのか、本当に俺が知っている場所なのか、おかしくなっちまったのは俺の方じゃないのか。美羽は? 美優は? 貴俊はどうだ? 俺が知っている奴らか? ユリアは何だ? レンは何だ? 異世界があるという現実を受け止めろと? その現実は本当にリアルなのか?  買い物に出たのは、それを確かめたかったこともある。結果はどうもこうも変わらん。朝の時と一緒。  俺は安心したかっただけなんだ。「あなたが見ているのは夢ですよ。さっさと起きたらどうです?」「あなたは間違いなくまともですよ」と誰かに言われるのを首を長くして待ってた。だが、そんなの絶対来るわけが無い。「うわっ!」と叫ぶ瞬間も、「どういうことだ?」と声に出して大いに驚く瞬間も逃しちまった。  ボーっと焦点が合わないまま天井を見上げている。ガサガサと俺の周りを誰かが近づいたり離れたりしてる。  俺が感じている現実がこれならば、この現実を感じて動くしかない。例え、幻であろうと。そんなことは分かっている。生まれた時からそうだ。俺らは自分の範囲で動くことしか出来ない。しかも、その範囲ですら好きなように事は運ばない。そんな当たり前のことさえ、今はうざったい。  このまま眠って、起きたらすべてが元に戻っていたら、どんなにいいだろう。ちょっと変な夢を見た。美羽に笑われ、美優が「ワタシもあるよー」と言ってくれる。いいね、最高だ。  そろそろ笑うぜ、俺は。 「お兄ちゃん、お腹すいてるよね? ちょっと待ってて。すぐ作っちゃうから」  美優が疲れを見せない笑顔で俺を見下ろしていた。 「無理するなよ。俺はカップメンでもいいぞ」 「駄目だよー。不健康になっちゃう」  手伝おうか? という俺の言葉を手を振って受け流した美優はキッチンに向かう。  美羽も美優も何の疑いも持ってないのだろうか。それはそれで変過ぎる。  チラっとテレビを凝視しているユリアを見てみた。真剣そうな顔は無邪気な子供にしか見えない。これが異世界の、しかも姫だって言うんだから世の中間違ってる。レンは庭で何かしているようだ。  さて、どうするかな。  (選択肢は仮で置いてみる。いらねって事になったら、美羽とレンのエピソードは削って、美優とユリアのを無理矢理繋げるつもり)  (選択肢)  1、美羽の部屋に行ってみるか。  2、疲れてるだろうから、美優の手伝いをするか。  3、ユリア本当にこの世界を知らないのかな……。  4、レンは何をしてるんだろう。  (1、美羽の部屋に行ってみるか)  美羽の部屋に行ってみるか。  あいつは買いすぎだ。ちょっと料金徴収しなきゃ。  ソファからゆっくり起きた俺は真剣なユリアを横目に二階に上がる。鼻歌が聞こえてくる美羽の部屋の前まで来て、ドアをノックした。 「兄貴? どうぞー」  ドアを開けると、美羽がベッドの上で洋服を広げているところだった。相変わらず自分の部屋は綺麗に整頓されていて、どうも片付ける気が起きない俺の部屋とは対照的だ。窓際とベッドにはクマとネコのヌイグルミが飾ってあり、部屋の隅には光合成しない植物がまるで本物のように堂々としている。木の模様が入っている机の上には化学の教科書とノートが開いていて、その横に銀のアクセサリーがミスマッチに置いてある。  まさに典型的な女の子の部屋だ。 「妹とは言え、女の子の部屋に入るとはね。こっちの趣味に目覚めた?」  美羽がからかってくる。 「まるで俺がホモみたいな言い方するな」 「浮いた噂ひとつ聞かないもん。黒先輩含めて、てっきりそっち方面かと」  俺は「それより」と強調して言った。 「お前、今日は買いすぎだ。ちょっと金出せ」  美羽が舌を出した後、笑った。 「なーに言ってんの。勝手にユリアさんとレンさんを居候させた代金でしょ。服で妥協してあげてるんだから、感謝してもらわなきゃ」  ああ、やっぱりそういうことか。 「テスト期間でも、アベリアでバイトするんでしょ? ちょっと多く入ればいいじゃん」  アベリアは駅近くにある喫茶店だ。日払いで週に一、二回だが働かせてもらってる。親のいない俺らの事情を知っている店長が小さい店ながらも特別に優遇して雇ってくれているのだ。店内は落ち着いた音楽と自然調のインテリアが居心地よく、客としてもよく利用させてもらっている。カウンター席にテーブル席が五つしかないが、地元の人間にはそこそこ有名な店でもある。 「まぁな」  どうせ居候の分を稼ぐために働くことになるだろうさ。  踵を返して出ようと思ったが、その前にソファの上での疑問が頭に思い浮かび、口に出していた。 「なぁ、あの二人の言ってること、信じるか?」  美羽がしばらく呆けた後、軽く吹き出した。 「今更? あーまぁねぇ。信じがたいことではあるね。客間吹っ飛ばされそうになったのにはびびったよ」  美羽がベッドから降り、イスに座った。ぎしっとイスが悲鳴を上げる。 「信じると何かいい事あるなら、信じるよ。でも、今はそんなこと言ってもしょうがないじゃん」  受け入れちまったのは俺だ。猛烈な批難を浴びたって文句言えない立場なんだが、何故何も言わない? 「曖昧な理由なのによく居候を許したな」 「例え、アタシがダメって言っても、何だかんだで居候することになる気がしたし。アタシも甘いのかな。それに、あの二人が外で魔法使って騒がれたらかわいそうな気がするし。『魔法使いはいた!?』なんて特集組まれてさらし者にされるかと思うとアタシも良心が咎めるってモンよ。まぁ、向こうがそれが好みだって言うなら何も言わないけどね」 「美羽……」 「兄貴、それより途中で放り出したりしないでよ? そん時はアタシもさすがに兄を真珠湾に沈める算段を練らなくちゃならないからね」 「分かってるよ」  美羽がニヤっと笑った。 「ま、とりあえずアタシは当分傍観者気取るわ。世話は任せたかんね」  まったく、頭が上がらないよ、ホント。  貴俊は俺が妹二人に甘いとか言っていたが、甘いわけじゃないと思う。どうも俺が不甲斐ないようで、いつも迷惑かけてる気がするから、その穴埋めみたいなものなんだ。  いい加減、逃げてられない。  どっかから借りてきたような夢物語を今は信じて行動してみようと思う。今は傍観者みたいなものだけど、いつか当事者になった時に「しまった!」なんて慌てることがないように。異世界があり、魔法があり、この世界があと一年で崩壊する運命にある。そういう前提はちょっと想像できないモンだが、やるしかない。 「美優のことだから、夕食作ってるよね。しっかし、こんな時間になるとは驚きだわ。やっぱ外で食べればよかったよ」  それはユリアやレンにはちょっと酷だ。あんまり推奨できない。 「こんな時間になったのはお前のせいだ。美優任せにしてないで、美羽も手伝ったらどうだ?」 「へぇ? 真性の料理下手を捕まえていい度胸ね。作ってもいいけど、アタシは食べない」 「お前、やれば出来る子なんだから頑張れよ」  俺はドアの縁に少しもたれかかった。美羽がイスにもたれかかってから呆れ顔でため息を吐いてみせる。 「勘弁してくださいよ、旦那。餅は餅屋って言うでしょ。自分の分は分かってるつもりですよ」  俺も同じようにため息を吐いてみせる。 「……食事が終わったら、あの二人からきちんと話しを聞くことにする。さっさと部屋に引っ込むなよ」 「はーい。じゃそろそろ下に降りようかね、兄貴」  (2、疲れてるだろうから、美優の手伝いをするか)  疲れてるだろうから、美優の手伝いをするか。  そもそも、家事は分担だった気がするのに、いつの間にか美優の独壇場になっている節がある。いい加減、頼りきりってのはまずいだろう。  俺はソファからゆっくり起きて、真剣にテレビを見るユリアを横目に美優についていった。 「美優、俺も手伝うよ」 「え? いいよー」 「雑用は任せてくれ。何を作るんだ?」  強制的に通した。美優はちょっと嬉しそうな顔をすると「オムライス」と言った。 「じゃあ、野菜切ってもらおうかな」 「了解」  やたらと嬉しそうな美優は冷凍していたご飯を取り出していた。  俺はというと、普段あまりやらない弊害でにんじんの皮を剥くのにも四苦八苦している。こりゃ一歩間違うと邪魔にしかならないなぁ、と思いつつも黙々と、次々に野菜どもに戦いを挑んでいた。  たまねぎの野郎は俺の目を潰す作戦に出たようで、涙が止まらない。剥いだはずのにんじんに皮が残っていた時はさすがの俺も絶望しかけた。細かく刻んでいるとまな板から逃げやがる野菜たちを引き戻す作業に約三割は費やしただろう。ホント駄目だなぁ。  美優は俺がリアクションをするたびに「大丈夫?」と言ってニコニコしている。  野菜どもをご飯にぶちまけ、ごま油と塩で味付けしている時、俺はほとんど無意識に口を開いていた。 「なぁ、よくあの二人を居候させることに反対しなかったな」  美優はちょっと驚いた顔をすると、フライパンを温める作業に戻った。 「そう、だね。最初はちょっと考えちゃったな。いきなり知らない人が居候するなんて考えられないもん」  だよねぇ……。 「でも、お兄ちゃんがいいって言うなら、いいよ。お父さんももし生きてたら同じことをしたと思うし」 「美優もそう思うか?」  えへへ、というように笑うと、油を垂らしたフライパンに野菜がミックスされたご飯を入れて炒め始めた。焼ける音が一気に響く。 「美羽も了承するとは思わなかったな」 「お姉ちゃんも最初は困ってたよ。でもレンさんに土下座されてから、しどろもどろになってた。お兄ちゃんはお父さんに似てる。お姉ちゃんもお父さんに似てる」  どこか悲しげな言い方だった。 「お姉ちゃんがね、二人居候する条件として剣はお姉ちゃんが管理する、家の中で剣は扱わない、魔法禁止、お兄ちゃんの言うことには絶対聞くこと。って感じでしぶしぶ認めたんだよ。きっと自分の中で言い訳を作ったんだろうね。お姉ちゃん本当は優しいから」  魔法禁止。この単語がいやに頭に響く。 「魔法……か」  びっくりするような夢物語が今現実になろうとしている。これが俺の中で常識化することになるのだろうか。 「ワタシね、異世界や魔法とかに憧れてたんだ。まったく別の世界が存在してて、そこでは変な動物や植物、小人や妖精なんかもいたりしてね。魔法だったら、何にもないところから、火や水を出したり、雷を呼んだり、空を飛んだり……。それが本当にあるかもしれないと思うと嬉しいよ」 「後悔ってわけじゃないけど、あの二人を受け入れたのは俺の失敗だったと思ってる」 「そう?」  美優はチャーハンとなったソレを皿に盛り付け始めた。お次は乗っける卵の部分だ。俺は口を動かしながら、食器を洗っていた。 「もし、このせいで今の生活が半端なく壊れることになるんだったら、俺は美羽にも美優にも合わせる顔がなくなるな」 「そんなこと言わないで。どうしてもダメだったら、すんなり受け入れないって。お兄ちゃんは間違ってないよ」  そんなわけないだろう。こいつは本当に優しいな……だからこそ、俺は絶対に妥協できないんだ。いつまでも温かいお湯に浸かってるわけにはいかないから。  おんぶに抱っこじゃ、ガキも同然だ。俺が決めちゃったことなんだから、お前たちの負担は死ぬ気で減らしてやる。 「いつか間違った時が怖い」  美優がフライパンに卵を割り、素晴らしい手際の良さで盛り付けていく。半熟は最高だ。 「お兄ちゃんは好きに行動するべきだよ。大丈夫。お兄ちゃんが間違った選択をしようとしたら、ワタシがちゃんと止めてあげるよ」  美優が俺の顔を見てにっこり笑った。 「だから、堂々としてて」  敵わないなぁ……。  益々、いい加減に行動することが出来なくなってきた。今日、逃げるように買い物に行った自分が恥ずかしい気がしてくる。もうそれじゃ駄目だ。  ユリアとレンの言っていることを鵜呑みにするのではなく、自分で考えて、自分で行動する。美羽も美優もこれ以上厄介なことに巻き込ませない。それはこれからも必要なことだろう。  異世界、魔法、一年で崩壊するというこの世界。見極めるしかないんだ。俺がどういう選択をするべきか。 「飯終わったらさ、あの二人から逃げずに事情を聞く。きちんとな。美優も居てくれるか?」 「もちろんだよ」  盛り付けを終わらせた美優が朝も見た満面の笑みを再度俺に見せてくれる。  これを壊すわけには絶対にいかない。  (3、ユリア本当にこの世界を知らないのかな……)  ユリア、本当にこの世界を知らないのかな……。  今更ながら、異世界の存在を疑問に思ったりもする。魔法はどうやらあるようだ。でも、異世界があるかは分からない。日本語はどうやら喋れるようだ。でも、日本人の顔立ちじゃない。  卓越した日本語能力を持つ外人が、魔法っぽい超能力に目覚めて、自分が異世界から来たと勘違いする。そして、照明と音を出し、俺の部屋の前で倒れる。  もし、それが本当だったとしても小数点以下であろう確率に俺らが当たるってか? ドッキリなら話は簡単だ。いや、実際には簡単じゃないが。そして、あの客間をめちゃくちゃにした魔法は説明がつかない。  じゃあ、こういうのは? 卓越した日本語能力を持つ外人が、魔法っぽい超能力に目覚めて、それを知った誰かが、俺の家にドッキリを仕掛ける。  アホくさ。もっと確率が低くなった。  こんな調子で今度は異世界に飛ばされたりするのか? いつかベッドで寝ていたはずなのに、起きたらスカイダイビングをさせられている途中だったなんて事になりかねないぞ。せめてバンジージャンプで勘弁してくれ。  俺はソファで寝転がったまま、首だけユリアに向けた。 「ユリア……外はどうだった?」  最初は気づかなかったが、俺がもう一度同じセリフを吐くとようやく自分を指差してこっちを見た。 「異世界とは違っただろう?」 「ええ、まぁ。正直、よく分からないんですけどね。ずっと城の中で暮らしてたので。違いと言えば、ここらへんは植物が少ないですね。地面も硬いし……それも面白いんですけど。あと、『でぱーと』っていう建物が大きい! 私が住んでいた城ほどってわけじゃないですけど、凄く数が多いですよね。あんなに作ってどうするんでしょう?」  さあね。という感じで手をひらひらさせた。 「住んでた城はどうだったの?」 「広くて私自身も知らない部屋はいっぱいあります。日常的に利用するのは十数個もあれば十分ですから。前に聞いたことあるんですけど、百以上の部屋があるとか……増築を繰り返してるようで、私は把握してません」  そいつは広いな。というつまらない感想しか出ない。 「優雅っぽい生活しそうだなぁ」  ユリアは急に暗くなって首を振った。 「いつも、何かさせられていたような気がします。歴史の勉強、政治の勉強、戦争の勉強、魔法の勉強……暇を貰うこともありますけど、いつも誰かが干渉してくる。寂しくないように、とか言われて」  俺はどう反応していいか分からず、黙って聞いていた。 「今日は楽しかったです。それにしても、ここは凄いですね。夜なのにこんなに光があるなんて! あと重力がずっと一定なので疲れました。何ででしょう……」 「照明がないのか……重力も一定じゃないの?」 「違いますよ。精霊が制御しているので、一定というのは無理ですよ。精霊のコンディションによっては……まぁ場所にもよるんですけど、軽くなったり重くなったり」  そっちの方が疲れそうだ。 「じゃあ、あれか? 『今日はところにより斥力が発生するでしょう』って感じか?」 「斥力は本当にたまにですけどね」  冗談だったのに……。 「今日乗った、『ばす』って言うんですか? あれは凄いです! あれを作った金属細工師は凄い人です! 私が普段急いで移動する時と同じくらいの速さですもん! それをあんな人数で……」  バスレベルの速度で移動できる方が驚きだよ。 「普段、そんなこと出来るんだ」 「でも、ここじゃ出来ないですよ。精霊の力が弱すぎるので。あれ? じゃあ、なんであの『ばす』はあんなに速く動けたんだろう?」  ユリアが首を傾げてこちらを見た。俺が分かると思っているのだろうか。  話を聞くだけじゃ、やはりよく分からない。俺たちは関係ないのだから、分からないのを分からないままにしても、問題はなさそうに見えるもんだがな。  異世界の話が本当だったとして、お次はこの世界があと一年で崩壊するか? ユリアの……この子の世迷言ならいいのだが。  異世界の話を聞いたって、どんなに聞いたって、初めから理解するなんて出来っこないのはすでに分かってることじゃないか。目で見てようやく理解できるもんだろう。ただ、客間で起きたあの魔法が……あれだけだ。俺を掴んで話さないのは、本当にあれだけなんだ。異世界があるなら弱いながらもその証拠になるかもしれない。そういう種類の……。 「なぁ、なんでこの世界は精霊が少ないながらもいると思う?」  ユリアの顔が急に険しくなった。 「精霊がまったくいないのなら理解できる。精霊がそれなりにいるのも理解できる。だが、少ないってのは何だろう?」 「それは……」 「まさかそれがこの世界があと一年で崩壊するってことに繋がってるのか?」  ユリアは少し黙ったあと、ゆっくり頷いた。  クソッ……本当に適当に言ってみただけなのに、ヒットするとは。 「そういえば、ちゃんとお話していませんでしたね。すいません」 「俺のせいだから気にすんな」  俺のせいさ。びびって買い物に逃げちまうような俺のな。きちんと聞かないのは美羽にも美優にも悪い。  ここで居候させるんだ。馬鹿げた夢物語でもいいから、理由はちゃんと聞くべきだ。それに向こうがあまり積極的に協力を仰がないところを見ると、俺らは何もしなくていいのかもしれない……いや、遠慮してるだけか? 「今からきちんと、お話します」  キッチンの方から、「そろそろご飯出来るよー」という美優の声が聞こえた。 「話してもらうのは、美羽と美優がいる時にしよう」  ユリアが深刻な表情でこちらを見て頷いた。俺はソファに寝転がったまま、ちょっと笑った。 「腹も減ったしな、飯のあとでも間に合うだろうって話だ」  (4、レンは何をしてるんだろう)  レンは何をしてるんだろう。  俺はソファで寝転がったまま、頭だけ動かして窓の外にある庭を見た。ギリギリ、レンが見える。見たところじゃ空を見上げているようだ。  気になった俺はゆっくり体を起こすと窓の近くまで寄った。レンは空を見上げながら、右手に抜き身の剣を下げている。  俺が窓を開けると一瞬びくっとして、こちらを見た。剣は突きつけてこない。 「ヒロト殿か」 「よっ。何してるんだ?」 「精神統一だ。剣を振るう時はいつもそうしている」 「ほー。そういえば、買い物に行く時持っていなかったな」まぁ、持っていくと言っても全力で拒否していただろうが。「どこに置いてたんだ?」  レンが少し戸惑ってから、「その物置に」と指差す。 「ミウからそこに入れて置けと言われてたから」  あいつ、中々粋なことするじゃないか。確かに、常時持たれても困る。家の中でも鞘から抜かれたら危ないし、多分、邪魔だ。  しかし、それをすぐに了承するとは……。 「それでこうやって、夜な夜な剣を振るう……か」 「迷惑ならば――止める」  皮肉を込めて言ったのではないが……レンはどうもおかしい気がする。いや、今日会ったばかりで気がするも何もないが。 「別にいいさ。塀はそれなりにあるし、見えないだろ。もし、見られても剣道の練習とか言っておけば多分問題ない」 「感謝する」  レンが右手に持った剣を軽く持ち上げた。部屋の光を軽く反射し、ぴかぴかと光っている。 「両刃剣なんだな」 「この世界にも剣はあるのか?」 「あるさ。特にこの国じゃ世界一と謳われる切れ味の剣がある」 「なら、何故誰も帯刀してない? みな、無防備だった」  持ち上げた剣を下ろし、こちらを見てくる。 「必要ないからかな。剣が必要になる事態にはそうそうお目にかかれない。それに、一応帯刀は禁止されてるんでね」  座って窓の縁に寄りかかった俺は、さっきのレンのように空を見上げる。三日月が雲に隠れたり現れたりしてお空を照らしている。 「戦争もないのか」 「昔はあったし、今も多分どっかではあるだろうけど、この国じゃあ、夢みたいなものさ。そっちの世界はどうなんだ?」 「そうだな……一年に一度以上は戦争をやってる。おかげで姫様は休む暇もない」  異世界か……。一体どんなところなんだろうか。戦争をやるというのだろうから、魔法を使ってドンパチするのだろうか。それは、どんな戦争なんだろう。その戦争も、人はやはり死ぬだろう。  戦争が頻繁に起こってる世界から、姫であるユリアとその騎士レンは、一体どういう理由で来たのだろう。この世界が一年で崩壊する? その影響が自分たちの世界に悪影響を受けるから? それでも戦争を続ける世界なのか? それがすべての理由なのか? 「それにしても、そっちの世界じゃメイド服で剣を振り回すのか?」  俺がからかうように言ってみた。レンは苦笑いして首を振る。 「本当は姫様一人で来るはずだったんだが、強引に私も入れてもらった。急いでたからな、服を着替える暇も防具を持っていく暇もなかった。偶々置いてあった剣をひったくって持って来た。メイド服とか女らしい服は苦手だ」 「でも、似合ってたよ」  言いながら、今日のデパートで行われた小規模のファッション・ショーを思い出した。フリフリのスカートに白いブラウスを着るレン。 「あれが最初で最後にしたくはないね」  結局、美羽曰く、ボーイッシュな服装しか買わなかったらしい。  レンはちょっと戸惑った表情をすると、無理矢理話題を変えてきた。 「と、とにかく姫様は、人知れず頑張る人なんだ。この世界に来るときも、何かお役に立つことがあるだろうと、そういう理由で私は来た」  俺は何も言わずにレンに喋らせた。一足速い、鈴虫の鳴き声がする。 「来たからにはやり遂げてみせる。姫様を守ってみせる。そして、姫様と世界を救ってみせる」  随分とスケールのでかい話だ。  レンはこちらに向き直ると頭を下げた。俺はそれを淡々と見る。 「居候の件、本当に感謝する。もし、ヒロト殿に拾われなかったらと思うとぞっとする」  その時は――信じさせるために魔法を同じように使えばだが――きっとどこかの研究所行きか、テレビでさらし者にされるか、それとものたれ死ぬか、犯罪者になるか。いやいや、もっと酷い結果にならないとも限らない。もちろん、その逆もまったくあり得るのだが、今の時点ではこの状況は一番かもしれないって話だろう。俺らじゃなかったら、上手く動ける状態でいられるか、保障がないから。  この世界の常識や法律を理解しているとは思えないが……。 「いいよ。けど、この世界に来た理由だっけ? ちゃんと聞いてないな。あれで終わりじゃないだろう?」まぁ俺が買い物という現実逃避をしたせいなのだけれど。「ちゃんと説明してくれるよな?」 「もちろんだ。今ここで――」 「ちょっと待った」俺は手を挙げて制した。「美羽と美優がいる時にしよう」  俺一人だけが事情を知っているなんて……特に美羽が怒り出す。それに居候させる理由に必要なことだろう。それを今までしなかった俺も俺だが。 「分かった。姫様の方が上手く説明できるから、姫様に話してもらおう」  美優の「そろそろご飯だよー」という声が聞こえてきた。俺はゆっくり立ち上がると手招きした。レンが首を傾げてくる。 「剣を振るう前に腹ごしらえだ。その後事情を聞こう。それまで剣はおあずけだ」  (選択肢の範囲終わり)  プロ並みの絶妙さが際立っている半熟オムライスは、どうやらユリアとレンにも好評なようだった。  料理に関しては美優の右に出る者はいないと自負できる。「あれはある種の天才なのだよ」と昔、貴俊に語ったことがあった。 「悪かったな。作らせちゃって。有り合わせでよかったのに」 「手を抜くと腕が落ちちゃうからいいの」 「美優は律儀だねぇ。美優の料理食べてるとインスタントや冷凍食品が不味く感じるわ」  美羽はそう言った後、水を飲み干した。 「腕は天下一品だからな」  俺が補足する。 「本当においしいですよ、ミユさん。私たちの世界でも似たようなものはありますが、ここまで味付けが絶妙なのはそうそうありませんよ。ね、レン?」  急に振られたので、焦ったレンがモグモグと食べながら頷いた。  異世界もこの世界と同様の食べ物、食べ方なのだろうか。そこらへんも全部含めて、異世界に行ってみたいという興味も沸く。  食事が終わると、リビングのソファに全員を座らせた。テーブルを真ん中に右側にユリアとレン。左側に美羽と美優。ソファに座れなかった俺はテーブルの端であぐらをかいている。  美優がどうも落ち着かないようだ。そわそわしている。 「それじゃあ、話をしてもらおうか」 「えっと……どこから話せばいいか……」 「異変が起きてこっちに来たのだろう? その異変からだね」  ユリアが深刻な表情で頷いた。 「異変に気づいたのは、城の精霊観測班でした。彼らは精霊の力が段々と弱くなっていることに気づいたのです。しかも、どうやらその力はどこかに向かっているようだと。辛抱強く観測を続けていると、どうやら別の違う世界に向かっているようだ、というのが分かりました。この時点で私たちは私たちの世界をミマエ・ソキウ。今いるこの世界をルイレ・ソキウと名づけました」  この世界がルイレ・ソキウ。異世界がミマエ・ソキウ。  俺は脳内で何度か反芻した。 「私たちの世界、ミマエ・ソキウは精霊の力で出来ています。精霊がいなければ、待っているのは崩壊だけです。止めなければならない。しかし、一度行ってしまった精霊の力を戻す方法はありませんでした。何か別の世界がある、という認識しか出来なかったので、当然と言えば当然です。そこで、向こうの世界に誰かが行けば戻せるのではないか、と為政者たちは考えました」  精霊の力で出来ている世界というのがよく理解できない。精霊の力で魔法が起こせるのだろうから、異世界は魔法で出来てる?  その魔法もよく分かってないのだが。 「行ける可能性がある者――それが私です。私は空間移動魔法が使えるほぼ唯一の人間だったからです」 「魔法ってのは何?」 「精霊の力を借りて起こすものです。術者はその能力に応じて精霊から借りられる力の大きさが変わります。精霊から力を借りて、自分のイメージをそのまま吐き出すのです。空間移動の原理は私では口で説明出来ません。最も、魔法発動概念自体が説明の難しいものではあるのですが」  もうそのまま受け入れてみるしかないか……。 「魔法は自分のイメージによって、引き出す力が変わり、その調整が一番難しいと言われています。たとえば、私が客間でやったあの風は、イメージを作り、それに必要な分精霊の力を持ってこなくてはならない。少なすぎれば、イメージ通りに行くはずもなく、多すぎれば酷い時には何も起こらないこともあります」  ダメだ。やっぱり分からない。  俺はユリアをじっと見たまま動かなかった。ユリアはあまりこっちを見ようとしない。 「私は風の属性を貰っているのですが、その中でも特別に異種なのが空間移動なんです。口では……やはり説明が難しいのですが、とにかくこっちの世界を認識して、飛ぶことが出来ました。それが今日の朝の話に繋がっています」 「俺らの家を狙ったわけじゃ――」  ユリアが軽く頷く。「はい。狙ったわけじゃありません」  さてと、この異世界でのお話をどう認識すればいいのだろうか。本当に軽く流したい気分だ。 「この世界が一年で崩壊するとは?」  ちょっと歯切れが悪くなったユリアは声を搾り出すように口を開く。 「え……っと、精霊の力はそれ自体が大きな力を持っています。どうやら、この世界は精霊が必要なく存在している。それで……精霊がこの世界に向かい続けるとこの世界の生物やモノに過干渉を起こし――崩壊してしまうだろうと。そのリミットが――」 「一年」  美羽が代弁してみせた。 「中々面白い話じゃない。ね、美優。それで、私たちは何かしなきゃだめ?」  ユリアが首を振る。 「いいえ。あなた方は何もしなくて大丈夫です。こっちの世界に来たおかげで向こうとこちらの空間の把握は出来ました。精霊は少しずつながらミマエ・ソキウに返すことが出来そうです」  そりゃよかった、という感じで美羽が笑った。  ま、ここまでやる事がわかってるんだから、世界の崩壊はなさそうだ。精霊を返して――ちょっと待て。魔法は精霊の力を借りて起こすものだろう? どうやって帰るつもりだ?  ここまでの話じゃ、ルイレ・ソキウは精霊が少ないと、そのせいで魔法がほとんど使えないと、ユリアもレンも言っている。ミマエ・ソキウにいる精霊の力を借りることが出来ないということだ。 「それで、いつ帰れそう?」  美羽が直球を放った。ユリアは少し目を閉じた後、辛そうに言った。 「現時点では、帰れる見込みはありません」  ユリアはそれ以上話そうとしなかった。レンは厳しい顔をしてうつむいていた。  俺はどう反応していいのか、しばらく悩んでいたが、結局何も口には出せなかった。美羽や美優も同じようだ。  沈黙が起きてからこの空間は、時計の針の音と電球の光だけが随分長く支配していた。

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