終わる世界02

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 不思議な夢を見た。  崩れ落ちたビル。  ヒビが入り、ところどころ隆起したアスファルト。  世紀末な風景。  そんな場所に俺がぽつんと立っている。  他に誰もいない。  それだけの夢。  誰かがそこに来るわけでもなく、景色が変わることもなく。  俺が立ち尽くしている。  話のネタにもならないようなつまらない夢。  ただ夢の中の俺は、何かをひどく後悔していた。  ジリリリリリリリリリッッ!!  目覚まし時計の音。  目覚めは、最悪。 ---- 美 優「おはようお兄ちゃん」 ユリア「おはようございます」 美 羽「おはよ」 レ ン「……」  着替えを済ませて一階へおりると、すでに食卓では団欒が出来上がっていた。  ニコニコと笑っている美優とユリアさん。  仏頂面の美羽とレン。  まぁ……じきに馴染むだろう。 大 翔「おはよう」  いつもの席に座る。  正面にはユリアさんとレンがいる。  どうにも不思議な気分だ。 美 優「ユリアさんに、レンさん。紅茶飲みますか?」 ユリア「いただきます」 レ ン「美優殿、私も手伝おう」 美 優「ううん、座っていてください。私やりますから」  美優がパタパタと足音をたてて台所へと消えていく。  レンはなぜか美優にだけ『殿』をつける。  奇妙な信頼関係が既に出来上がっているらしい。  ちなみに俺は呼び捨て。  美羽にいたっては名前を呼ばれたところを俺はまだ見てない。 美 羽「はい、朝ご飯」 大 翔「ありがとう」  美羽が俺の分の朝食を持ってきてくれた。  今日のメニューはトーストとインスタントのコーンポタージュスープ。  全二品。  美優が食事当番のときはこれに目玉焼きとカリッカリにローストされたベーコンがつく。 美 羽「なに? なんか文句あるの?」 大 翔「……ありません」  後が怖いから文句なんて言えない。  多くは望むまい。  美優が飲み物を運んできた。  俺の前には牛乳が。  朝はやっぱりコレだろう。  みんなが席についたことを確認する。 大 翔「じゃあ……いただきます」 美 羽「いただきまーす」 美 優「いただきます」  手を合わせて食事開始の挨拶。  スープに口をつけた所で視線に気付く。  ユリアさんが不思議そうにこっちを見ていた。  手を合わせたまま小首をかしげている。  ああ、なるほど。 大 翔「日本ではさっきやったみたいに、手を合わせていただきますって言ってから食事を始めるんだ」  教えてあげる。 ユリア「そうなんですか……いただきます。うふふっ」  なにやらうれしそうだ。 ユリア「ほら、レンもいただきますって」 レ ン「……いただきます」  素直に手を合わせるレン。  その姿がなんだか微笑ましい。  ユリアさんは俺達の様子を見ながら、トーストにバターを塗って上品にそれを口へ運んだ。  美羽が食い入るようにその様子を見ている。 美 優「美羽ちゃんね」  美優がそっと耳打ちをしてきた。 美 優「お姫様ってトーストなんて食べるの? こんなもの出して大丈夫かな? って心配してたんだよ」 美 羽「美優!」 美 優「なにもいってませーん」  美羽がドンッと机を叩き、美優は身をすくめながら笑った。 ユリア「とてもおいしいです。ねっ?」 レ ン「ええ」 美 羽「……フン」  頬を赤く染めて目をそらす。  ぶっきらぼうな態度をとっていても、美羽なりに気を使ってくれているみたいだった。    大 翔「ところでさ」  トーストをかじりながら気になっていることを一つ。 大 翔「なんでユリアさん、うちの制服きてるの?」  はしゃいでいたユリアさんの表情が曇った。 ユリア「……似合いませんか?」  その瞬間、レンが般若のごとき形相で俺をにらんだ。 大 翔「いや、そうじゃなくて……似合ってるよ。似合ってます」 ユリア「よかった」  再びにこやかになるユリアさん。  ひっこむ般若。  お……おっかねぇ。 美 優「ユリアさん、着替え持って無いみたいだったから私の服着てもらおうと思ったんだけど、これがいいって」 大 翔「ああ、なるほど」 美 優「制服二着あるから、着てもらってるの」  普段見慣れた制服を、金髪の美少女が。  うーむ、これはなかなか。  シチュエーションが変わるだけでこうも新鮮に見えるものなのか。 レ ン「貴様、その目はなんだ」  般若再び。 大 翔「なんでもありません……」     慌てて視線をそらしてトーストを口に押し込む。  ほんとおっかねぇ……。   美 羽「ごちそうさま」  美羽が立ち上がる。 美 羽「兄貴、アタシ先に行くからね」 大 翔「おう」 美 優「あ、美羽ちゃん待って。私も行く」  慌てて美優はスープを流しこむ。  ちょっとむせた。 大 翔「そんなに急がなくても、まだ余裕あるぞ」 美 優「一時間目に小テストあること忘れてて。学校で勉強しなきゃ」 大 翔「そっか。気をつけろよ」 美 優「うん。いってきます」 美 羽「いってきまーす」  二人が出て行った。  ……。  なにを喋っていいものか。  下手なことを言うと怒り出すやつがいるし。  ちょっとだけ気まずい。 ユリア「お二人はどこにいかれたのですか?」  沈黙を破ったのはユリアさんだった。 大 翔「ああ、学校だよ。俺もこれからいくんだ」 ユリア「学校……ですか?」 大 翔「学校、そっちの世界にはなかった?」 ユリア「いえ、ありますよ。毎日いかれるんですか?」 大 翔「ほぼ毎日かな。土曜と日曜は休み」 ユリア「そうなんですか」 大 翔「うん」 ユリア「……」 大 翔「……」  会話終了。  俺は元々自分から話すタイプじゃないんだよ。 ユリア「あのぉ」 大 翔「ん?」  トーストの耳をかじりながら何か話題をひねり出そうと奮闘していると、ユリアさんから声をかけられた。  もっと自分からリードできる話術を身につけるべきだと思った。  切に。 ユリア「学校には、私達も行くことはできますか?」  学校に強い関心を持ったらしい。 大 翔「うーん」  思案する。  編入手続きの書類。  これはなんとかごまかせると仮定する。  次に編入試験。  魔法を使って勉強の知識を美羽や美優あたりからもらえばパスできるだろう。  でもまだ問題がある。 大 翔「ごめん……ちょっと難しいかも」    できるだけ希望は叶えてあげたい。  ユリアさん達をこんな状況にしてしまったのは俺だ。  だからできる限りのことをする義務がある。  でも、金銭的な問題はいかんともしがたい。  うちには二人を学校に通わせてあげられるだけの余裕はなかった。 大 翔「ほんとに、ごめん」 ユリア「いえ、いいのです。お気になさらないでください」  笑ってはいるものの、ユリアさんはひどく落ち込んでいるようだった。  ズキリと胸が痛んだ。  レンと視線がぶつかる。  そんな目で見ないでくれ。 大 翔「あー、じゃあさ」  空気に耐えられず、妥協案を提出する。  どれだけ気が紛れるかはわからないけど、これが俺の精一杯だ。 大 翔「学校見学ってのはどうだろう。先生に話は通すからさ。好きなだけ見てまわるといい」  ユリアさんの顔に花が咲く。 ユリア「よろしいんですか?」 大 翔「うん。それくらいはさせてもらわないとね」 ユリア「ありがとうございます」  本当にうれしそうだ。  なんとしても学校に通わせてあげたくなってくる。  なにか金のかからない裏技はないものか。 大 翔「それじゃあいこうか」  二人が食べ終わるのを待って立ち上がる。 ユリア「はい」 レ ン「わかった」 大 翔「……ちょっとまった」  気付く。  気付いてしまった。 レ ン「なんだ?」 大 翔「それ、もってくつもりか?」  レンの腰には、昨日俺にとてつもない恐怖を与えた刀がぶら下がっていた。 レ ン「当然だ」  何を言っているんだこの馬鹿は。  そんな顔をしている。 大 翔「駄目だ」 レ ン「なに?」 大 翔「日本には武器を持ち歩いちゃいけませんっていう法律があるんだよ。置いていってくれ」 レ ン「しかし剣は騎士の魂だ。肌身から離すわけにはいかん。なにより姫様を守れなくなる」 大 翔「でも駄目」 レ ン「な!?」  レンがたじろぐ。  ユリアさんは俺とレンをおろおろしながら交互に見ていた。 大 翔「駄目」 レ ン「魂だぞ!!」 大 翔「それ持ってたら学校に連れてかない」 レ ン「くっ……!」  レンの肩がわなわなと震えている。  初めてレンよりも優位な立場にたった。  ……ちょっとうれしい。   大 翔「例え持っていっても、学校には入れないぞ」 レ ン「なんという……屈辱ッ!」  レンはしぶしぶ腰から刀を外し、わが子を手放すような表情で食卓の上においた。  俺をキッとにらみつける。 レ ン「この……独裁者めッ!」  それは微妙に違う気がする。 ----  青空。  快晴。  いつもはいくら晴れていようが学校に行くと考えるだけで心が曇る。  だけど隣にいる人がこんなにもうれしそうに笑っていると、俺の気分まで良くなってくる。  ……さらにその隣にいる人は険しい顔をしているけれど。  こんな風に毎日登校できるなら、ちょっとは学校のことを好きになれるかもしれない。  ふむん。  裏技か。 大 翔「あのさ」 ユリア「はい?」 大 翔「お金を作る魔法とかってないの?」 ユリア「……流石にそれは」  苦笑が返ってくる。  どっかの錬金術師じゃないし、やっぱり無理か。 レ ン「愚か者め」 大 翔「ぐっ!」  レンがフフンと鼻で笑う。  根に持ってるなこの野郎。    ? 「ひっろきゅーーーーん!!」  微妙に重い空気を、底抜けに能天気な声が吹き飛ばした。  振り向くと――― 貴 俊「いよう!」  馬鹿がいた。 貴 俊「あれ?」    無視して歩く。 ユリア「あの……お友達では?」 大 翔「いいんだ」  構わず歩く。 貴 俊「もーひろきゅんってばーいけずぅー」  まとわりついてきた。  長めの髪が俺の鼻にかかる。  いい香りがするのが不快だ。 貴 俊「アジアンビューーーーティーーーー」 大 翔「離れろ!」  突き飛ばす。 貴 俊「ああん」  なぜ女座りになる。 ユリア「あのぉ……」 レ ン「……」  ユリアさんとレンは完全に引いていた。 貴 俊「これは失礼」  埃を払って立ち上がる。 貴 俊「僕は黒須川 貴俊と申します。お初にお目にかかります綺麗なお嬢さん方」 ユリア「はぁ……」 貴 俊「大翔くんとは長い付き合いなのですが……まさかこのような美しい女性と知り合いだったとは」 ユリア「えっと……」 貴 俊「いやぁそれにしてもお美しい。まさに地上に舞い降りた天女の如し。このような完璧な女性がいるとは……この目に実際にうつそうとも信じがたうっ!」  ユリアさんの手を取ろうとした貴俊の喉下にナイフが突きつけられた。 レ ン「それ以上姫様に近づくな」  こいつ、まだ刃物隠し持ってたのかよ……。 貴 俊「ふふ……姫様か。ということはさしずめ君は姫様を守る女騎士。いいじゃないか。恋は障害があるほど燃えるもの。男、黒須川貴俊! この程度では引き下がらん!」 レ ン「なに!?」 貴 俊「傷つくことを恐れていては本当に欲しい物は得られない。どうした? 斬らないのか?」 レ ン「くっ……」  おお、なんかレンが圧されてる。 貴 俊「むしろ痛いのは大好きだ! さぁズバッといけ!! さぁさぁ!!」 レ ン「ひ……大翔!」  おお、レンがうろたえている。 レ ン「なんだこいつは!」 貴 俊「さぁこい!! ハァハァ感じちゃう!! ビクンビクン!!」  もうちょっと見ていたい気もするが、そろそろ助けてやるか。 大 翔「おい、いい加減にしろよ貴俊」 貴 俊「む」 大 翔「ちょっとは空気をよめ」 貴 俊「そうだな。ちょっとふざけすぎた。美女と刃物を目の前にしてテンション急上昇」  どんな性癖もってるんだこいつは。  ユリアさんにいたっては完全に固まってしまっている。 貴 俊「邪魔しちゃ悪いし俺は先にいくぜ。じゃあな大翔、それにお嬢さん方」  やりたい放題やって貴俊は走り去っていった。  邪魔しちゃ悪いと思うなら最初から出てくるなよ。 ユリア「……かわったお友達ですね」 大 翔「人に迷惑をかけるタイプの馬鹿だ。あまり関わらないほうがいいよ」 ユリア「……そうします」 レ ン「う……む」  黒須川貴俊。  クラスメイト。  たぶん親友。  別に悪いやつじゃない。  外見だってカッコイイと言われる部類に入る。  実際そこそこ人気もあるようだ。  ただし、あいつをよく知らない子限定で、だけど。  あんな性格をしているせいでこうやって自らフラグをへし折る。  本人はそれを気にしていない。  俺も馬鹿やってるあいつといることを楽しいと思っている。  だからあいつとの付き合いは苦痛じゃない。  ただ―――   ユリア「……」 レ ン「……」  この空気どうしてくれるんだあの馬鹿。 ----  職員室には、無条件で生徒を緊張させる、そんな空気があると思う。  生徒の数が圧倒的に多い学校内で唯一、大人と子供の比率が逆転する場所。  学校内の異空間。  俺がここに来るのは決まって呼び出しをくらった時だから余計にそう思うのかもしれないが、それを抜きにしてもやはり居心地がいいものじゃない。  しかし、今日はやましいことなど何一つ無い。  堂々と入ってやろうじゃないか。 大 翔「失礼しまーす……」  職員室の引き戸を開けると、コーヒーとタバコのにおいが鼻腔に押し寄せてきた。  よくこんな場所にいられるなと思う。  ユリアさんとレンを連れて中へと入る。  先生達はこちらに目を向けることなく各々の作業に没頭していた。  少し冷たい感じもするが、変に絡まれても困ってしまうからこれでいい。  あたりを見渡して話しやすい先生を探す。  真っ赤なジャージが目に入った。  熱血体育教師の後藤先生だ。  非常に話しやすい人だけど……あの人に話しかけたら俺はたぶんホームルームに間に合わない。  パス。  その奥に小太りのメガネがいた。  国語教師の村井。  嫌味っぽいヤツだ。  あいつに話しかけたら気分が悪くなって俺はこのまま早退する羽目になる。  パス。  そのまま視線を左にずらす。  ああ、いた。 大 翔「ノア先生」 ノ ア「んんー?」  俺が声をかけるとノア先生は気だるそうに上半身をこちらへ捻った。 ノ ア「結城くんじゃないの。テストの解答ならあげないわよ」 大 翔「……いりませんよ」  俺達の担任、ノア……えーっと、苗字は忘れた。  やたら発音しにくい苗字で何回聞いても覚えられない。  そのせいかほとんどの生徒からノア先生と下の名前で呼ばれている。  俺が生まれて初めて接した外国人なんだが、日本語ベラベラのせいで最近そんな印象は薄れてきた。  しかしながらその日本人離れした容姿と色香は先生達の中で、というかこの学校内で一際異彩を放っている。  おかげでちょっとした仕草にドキッとしてしまうことがたまにある。  この人と話すときは気をしっかりと持たねばならない。 ノ ア「んー?」  先生の視線が俺の背後に注がれる。 ノ ア「制服着てるけど……うちの生徒じゃないわよねぇ?」  ユリアさんとレンが軽く会釈をした。  ノア先生と同じくユリアさんも注目を引く外見をしている。  いくら制服をきていようと、流石に生徒かそうでないかは見分けがつくだろう。  レンにいたっては制服ではなく詰襟姿だ。   強引に押し通せないかとも思ったが、やはり無理があるな。 大 翔「えっと、彼女達は外国からきた留学生で、今うちにホームステイしてるんですよ」 ノ ア「へぇ、初耳ね」  ノア先生が関心したように眉を動かした。  本当のことを話すと頭の心配をされるから、嘘をつく。  ちょっと罪悪感。 大 翔「それで二人に日本の学校を見学させてあげたいんですけど、そういうのって有りですか?」 ノ ア「んー」  頭をかく。  これは……駄目か? ノ ア「いいんじゃない?」  あっさり。  非常に喜ばしいことだが、こうも軽いと逆に不安になる。 大 翔「ほんとに?」 ノ ア「今すぐご自由にどうぞってわけにはいかないけど、後で許可とってあげる。見学くらい大丈夫だと思うわ。それほど校長もケツの穴ちっちゃくないでしょ」    周囲の視線がノア先生に集まる。  この人はたまに日本語がよく理解できていないフリをしてとんでもないことを口走る。  それでも聖職者か。 大 翔「二人とも、見学オッケーだって」 ユリア「ありがとうございます」 レ ン「恩に着る」  心なしかレンもうれしそうに見える。  初めて、二人の役に立てたかな。 ノ ア「結城くんは教室いっていいわよ。二人はしばらくここにいてくれるかしら。私もホームルームの準備しなくちゃいけないし」 ユリア「はい」 レ ン「承知しました」 ノ ア「ホームルーム終わったら、校長に話しにいってあげる」  ノア先生はテキパキと机の上のプリント類を一つにまとめていく。 ノ ア「あら、日直日誌どこにやったのかしら」  ガサガサと机の上をひっかきまわす。  さっきまとめたプリントがまた散らかった。 大 翔「日誌なら、一番上の引き出しですよ」  先生が引き出しをあける。 ノ ア「ほんと、あったわ。ありがとう。でも」  ジト目で先生が俺を見つめる。 大 翔「はい?」 ノ ア「何で知ってたの?」 大 翔「なんで……って言われても」  確かに、なんでだろうか。  説明しろと言われたら困ってしまうが、俺は日誌がそこにあることを知っていた。  理由はわからないけど、とにかく確信があった。  そうとしか言えない。 ノ ア「もしかして、結城くん……私がいない時に私の机の中、漁ってる?」 大 翔「してませんよそんなこと!!」  とんでもない疑惑を全力で否定する。 ユリア「……」 レ ン「……」  い、いかん……気のせいか二人の目が冷たい。 大 翔「勘ですよ! 勘ッ!」 ノ ア「先生のことが気になるのなら……言ってくれればよかったのに」  ノア先生が妖しく微笑んだ。  わざとだ。  この先生はわざとやっている。 大 翔「ほんとに、ほんとにやってませんから。俺って勘がすごいんですよ。いやほんと」 ノ ア「ふぅん……」    体を正面に向けてノア先生は俺から視線を外した。 ノ ア「そういえば昨日……食べかけのサンドイッチがなくなったのよねぇ……ツナサンド」    横目でちらりと俺を見る。  な、なにを言い出すんだこの人は……。 ノ ア「飲みかけのペットボトルのお茶の量が妙に減ってたこともあったわねぇ……」  ちらり。   ノ ア「残しておいたはずのコーヒーが全部なくなってたこともあったかしら……」  ちらりちらり。 大 翔「ちらちら見るのやめてくれませんか……」 ノ ア「まさか結城くんが……!」  大 翔「だから違う!!」 ノ ア「綺麗なお姉さんは好きですか?」 大 翔「なにいってんだあんた!」 ノ ア「照れなくていいのに」 大 翔「人の話を聞いてくれ!!」  ユリア「……」 レ ン「……」  俺を見る二人の目には、全く感情が篭っていなかった。  レンはともかく、ユリアさんまで……。   大 翔「こ、この先生いっつもこんな調子なんだよ。あ、あんまり間に受けないほうが、いいよ」  必死に弁明をする。  すると、レンがぽつりと口を開いた。 レ ン「……下衆が」 大 翔「ち……」  後ずさる。 大 翔「違うのにぃぃぃ!!」  俺は職員室から逃げ出した。  ----  ひどい目にあった。  心を陵辱された。  人としての尊厳を奪われたんだ俺は。 陽 菜「大翔くんおはよう……って朝から暗いね」  机に顔をうずめていじけていた所に声をかけられて、顔を上げる。 大 翔「沢井か」  そしてまたうつむく。 陽 菜「どったの?」  顔を下に向けたまま答える。 大 翔「レイプされたんだ」 陽 菜「はい?」 大 翔「心を」 陽 菜「それは……大変だったね」   大 翔「俺はひどく傷ついている。できればそっとしておいてくれないか」 陽 菜「なんかよくわかんないけど……がんばって」  そう言って沢井は自分の席に戻っていった。 大 翔「ふぅ」  溜息をつく。  沢井とは未だにうまく喋れない。  幼馴染なのに。  以前は沢井のことをヒナと呼んでいた。  沢井も俺の事をヒロくんと呼んでいた。  沢井は今、俺の事を大翔くんと呼んでいるから一文字減っただけなんだが、その変化が俺と沢井の間にある溝だ。  数年前、喧嘩をした。  喧嘩と言っても俺が一方的に突っかかっただけで沢井は何も悪くない。  全面的に、俺が悪い。  すぐに謝ればよかったのに、変に意地を張っていた俺はそれからしばらく沢井と口をきかなかった。  もし過去に戻れるならば、その時の自分をぶん殴ってやりたい。  幼さゆえの過ちだった。  一応の仲直りはした。  さっきみたいに沢井はよく俺に話しかけてくれる。  俺も普通にそれに答えているつもりだ。  でも俺と沢井の関係は、どこかギクシャクしていた。   ノ ア「はいはーい。みんな席ついてねぇ」  始業の鐘がなる直前にノア先生が教室に入ってきた。  起立の号令がかけられて立ち上がる。  先生の顔は見ない。  礼の号令と共に俺は着席した。 ノ ア「今日は新しい友達がきていまーす」  教育番組のお姉さんのような口調でノア先生が喋りだす。  教室がざわめいた。  たぶんユリアさんとレンのことだろう。  教室で授業が受けられるように手配してくれたんだろうか。  なかなか粋なことをしてくれる。 ノ ア「入って入ってー」  廊下で待機していたユリアさんとレンが入ってきた。  その瞬間、教室中から歓声があがる。  ユリアさんは相変わらずニコニコと笑っているが、レンは少々照れているようだった。  頬にほんのりと朱がさしている。  ほぅ、あいつはあんな顔もするのか。 ノ ア「留学生のユリアちゃんとレンちゃんです」  先生が紹介すると二人は小さく会釈をした。  歓声はまだ鳴り止まない。  男の理想とも言える清楚な金髪美少女。  女の子受けしそうなボーイッシュな美少女。  この二大要素が一度にクラスにやってきてしまったのだ。  加えて二人とも基準値を大きく上回る容姿をしているいるとくれば、みんなのこの興奮も頷ける。 ノ ア「今日からみんなと一緒に勉強することになったから仲良くするのよー」  俺も二人と知り合いじゃなかったらこの歓声に混じって……ん?  今日からみんなと一緒に? ノ ア「こらこら、ちょっと静かにしなさい。編入生が来たからってみんな興奮しすぎよ」 大 翔「なにぃ!?」  思わず立ち上がる。  教室中がシーンと静まり返った。  へ……編入生? ノ ア「結城くんが一番興奮してたみたいね」  ドッと笑いがわきおこる。  そんな中、ユリアさんと目が合う。  ユリアさんは意味深な笑みを浮かべて、俺に小さく手を振った。  なんかやった。  あの人絶対なんかやった。 ----  ホームルームが終わった途端、案の定二人の周りには人の壁が出来ていた。  ユリアさんの周りには男子が、レンの周りには女子が。  その中に沢井もいた。 貴 俊「留学生だったのかよ。お前の彼女達」 大 翔「達ってなんだよ。彼女でもない」  貴俊が俺の隣の椅子に座り、ヘラヘラと笑っている。 貴 俊「じゃあどういう関係なんだ。お父さんにちゃんと説明しなさい」  腕を組んで、やけに低い声で喋る。 大 翔「うちにホームステイしてるんだよ。お前の想像してるような関係じゃない」 貴 俊「なんだ。つまんね」  俺から窓際の席へと視線をうつす。  どの国からきたの?  和食は好き?   血液型は?  そんな質問が飛び交っていた。 貴 俊「すごい人気じゃねぇか」  どうやって編入生として潜り込んだのか聞こうと思ったんだが、おかげでその隙がない。 貴 俊「お前はいかねぇの?」 大 翔「俺はいい」 貴 俊「じゃあ俺いっちゃおー」  貴俊が立ち上がって、人だかりに紛れていった。 貴 俊「ねぇ君達どこ中出身? 俺オリハルコン第二中!」  馬鹿だ。  とりあえずそれほど心配する必要も無いか。  たぶん魔法を使ったんだろう。  二人とも日本語は喋れるし、異世界云々の話はこっちの世界で理解を得られないことも承知してる。  俺から得たこの世界の知識も、完璧ではないがある。  質問責めにあってはいるが、見たところうまくごまかせているようだ。  助け舟の必要もなし。  昼休みくらいになったらこの騒ぎも落ち着くだろう。  その時にでもどんな魔法を使ったのか聞いてみようかな。 ----  昼休み。  俺は自分の甘さを痛感した。  お弁当組がユリアさんとレンの机の周りに陣取り、その周りを食堂組が二人を食事に誘おうとハイエナのようにうろついていた。  ……近づけん。  二人がこの学校で友達を作るのはいいことなんだけど、みんなの異常な熱気にユリアさんとレンは若干、面食らっているようだった。  助けたほうがいいかな。 大 翔「おーい」  遠くから手を振る。  レンが気付いた。  そのまま外に出て来いというジェスチャーをして廊下へ。  数十秒後、二人も廊下へ出てくる。 大 翔「大丈夫か?」 ユリア「ええ、みなさんすごいのね」 レ ン「あ、ああ……」  ユリアさんは楽しそうにしているが、 レンは幾分か憔悴してるように見えた。  ふと、教室内の異様な空気に気付く。  みんなが俺を睨んでいた。  こ、こわっ!  大 翔「ば、場所を変えよう」  二人を連れて屋上へ向かう。  あそこなら落ち着いて話せるだろう。  階段を昇って扉をあける。  目論見どおり、屋上に人はまばらだった。  大 翔「ええと、ユリアさんさ」 ユリア「ユリア」 大 翔「は?」  ユリアさんがうふふ、と口に手をあてて笑っている。 ユリア「同級生なんだもの。さんなんていりませんよ」 大 翔「う、うん」 ユリア「レンも姫様なんて呼んじゃ駄目よ?」 レ ン「は……しかし」 ユリア「だーめ」 レ ン「……承知しました」 ユリア「二人とも呼んでみて」 大 翔「へ?」 ユリア「ユリアって」  懇願するような目。   大 翔「ユ……ユリア」  俺には妹達と沢井以外の女の子を下の名前で呼んだ経験があまりない。  いささかどもる。 ユリア「きゃっ」  ユリアさ……ユリアは両頬に手を添えて体をくねらせている。 レ ン「ユ、ユ……ユリ……ア」  なんとか搾り出したといった感じでレンもユリアの名を呼ぶ。  レンにしてみれば勇気のいる行動だっただろう。 ユリア「いやん」  さらに体をくねらせる。 ユリア「私憧れだったの。お城でのお勉強はいつも先生と私の二人っきりだったから。学校にいって同年代の子達と楽しくお喋りしたいなってずっと思ってたんです。今朝だってあんな風に食事をとるの初めてで私うれしくってうれしくって」  そして喋る。 ユリア「こんな形で夢が叶うなんて。あぁ、うれしい。お城は堅苦しいのよね。ここはみんな親しげに接してくれて……なんていいところなんでしょう。姫様って呼ばれるのももううんざり。ユリア、なんて呼ばれて……私もヒロト、だなんて。キャー」  喋る喋る。 大 翔「……どうしたの? ……彼女」 レ ン「姫様は元々ああいう方だ」  レンが溜息をつく。  どうやら今まで理想的なお姫様、を演じていたらしい。  少しびっくりしたが、これが本来のユリアというわけか。  緊張を解くことができたという意味でも、学校に連れてきたのは正解だったな。 大 翔「ああ、そういえば」 レ ン「ん?」 大 翔「魔法使ったんだろ?」 レ ン「ああ」  ユリアは体をくねらせながらまだ独り言をいっていた。 大 翔「記憶でも変えたのか?」 レ ン「そんな大層なものではない。もっと簡単なものだ」 大 翔「どんな?」 レ ン「私も魔法の知識に精通しているわけではないから詳しくは説明できんが、姫様はただ思い込ませただけだ」 大 翔「思い込ませた?」 レ ン「ああ。姫様と私を編入生だと教師達に思い込ませた」 大 翔「ってことは編入手続きとか、試験とかは?」 レ ン「必要ない」 大 翔「授業料は?」 レ ン「その点もぬかりない」 大 翔「へぇ」  そんな裏技があったのか。  先生達を実質騙しているということには気が引けるけれど、今は魔法という偉大な力に感謝。 ユリア「あら?」  唐突に、ユリアがよろめいた。 レ ン「姫様!」  レンが駆け寄って、その体を支える。   ユリア「ごめ、なさい……」 大 翔「お、おい……」  俺も近寄って顔をのぞき込む。  目が虚ろ、顔面蒼白、呼吸も浅い。  どうみても普通じゃない。 大 翔「だ、大丈夫なのか?」 レ ン「どこか休める場所はあるか?」  嫌な汗をかく俺に対して、レンはとても落ち着いた表情でユリアを抱えあげた。  行動に迷いが無い。  おかげで俺も冷静さを取り戻す。 大 翔「ああ。ついてきてくれ」  屋上の出入り口の扉を開けてレンを先に通らせて、追い抜く。  レンが遅れないよう速過ぎない速度で走り、保健室まで案内した。 ----  保健室に入ると、二人の女子生徒が弁当を食べていた。  たぶん保健委員だろう。  保健の先生は留守のようでその姿は見えない。  俺はベッドの使用許可をとって、ユリアをそこに寝かせるようレンに指示した。  白いシーツの上にゆっくりと横たわらせる。  顔色は戻り、呼吸も落ち着いているようだった。   大 翔「なにか持病でもあるのか?」 レ ン「いや」 大 翔「じゃあ……ストレスかな?」  小さく首を振る。 レ ン「なにかひどいものでも見たのだろう」 大 翔「ひどいものを見たって、なにをだよ」 レ ン「……さあな」  口を閉ざす。  それ以上は答えてくれそうになかった。  ユリアに視線をおとす。  すやすやと心地よさそうに寝息をたてていた。 大 翔「とにかく心配ないんだな?」 レ ン「ああ、直に気付かれるだろう。大翔は戻っていいぞ。世話をかけた」 大 翔「なにいってるんだ」  レンの腕を掴み、ぐいっと引っ張る。 大 翔「お前も一緒に戻るんだ」 レ ン「おいっ! 離せ! 私は姫様を……」 大 翔「あの、この子のこと、よろしくお願いします」 レ ン「おい!」  保健委員に一言残して、レンを無理やり保健室の外へ連れ出す。 レ ン「どういうつもりだ!」  俺の腕を振りほどく。 レ ン「私は―――」 大 翔「生徒っていう集団に属したなら」  レンの言葉をさえぎって、口を開く。  そのうち言おうとは思っていたから、いい機会だ。 大 翔「ルールに従わなくちゃいけない。始業の鐘が鳴るまでには席についてなきゃいけないし、委員会とか、掃除当番とか、めんどくさいこともしなきゃいけない。レンとユリアがいつも二人で行動できるかっていったら、たぶんそうならないことの方が多い。姫だから、護衛だからって、ここでそれは通用しないんだ」  レンの瞳が揺らいだ。  そのまま続ける。 大 翔「席替えしたら席も離れる。なにか授業でペアを組むことがあっても、ユリアとレンが組めるかはわからない。今のうちにこういう状況になれておいたほうがいいよ」  レンはなにも喋らず、ひどく不安定な表情で俺を見ていた。  ふと、思う。  昨日の夜、俺の家にいる時からレンはユリアの側を片時も離れようとはしなかった。  それはたぶん、姫を守らねばならないという使命感からきているんだと思う。  だけど過保護とも思えるその行動は、寂しさからもきているんじゃないだろうか。  知らない土地で自分を知っている者の側から離れることが不安なんじゃないだろうか。  あくまでも、俺の推測だ。  でもそう考えると、今までのレンの必死も可愛く思えてくる。 大 翔「今俺達がすべきことは、腹ごしらえをして午後の授業にそなえることだ」  レンは弱々しく頷いた。 レ ン「……わかった」  並んで歩き出す。  俺に刀を突きつけたあの覇気も、今朝俺をにらみつけたあの気迫も、今のレンにはなかった。  背をピンと伸ばし、まっすぐ前を見て歩いていても、その瞳の奥はそわそわと落ち着かない様子だった。  俺にはそう見えた。  大 翔「なぁ、レン達の世界ってどんなところ?」  レンが視線だけ動かして俺を見た。 レ ン「急になんだ」 大 翔「なんとなく」 レ ン「……そうだな」  少し間をあけて、喋りだす。 レ ン「この世界とは随分違うな。建物はこの世界ほど多くないし、緑が豊かだ。動物も多い」 大 翔「へぇ、いいところだな。こっちより環境は良さそうだ」 レ ン「どうかな。私にはそれが当たり前だったし、こちらの文明には驚かされるばかりだ。どちらが良いかはよくわからん。ただ―――」  口をつむぎ、視線をおとす。 レ ン「私にはこちらの世界のほうが住みやすいのかもしれない」  どうして?  出かかった言葉を飲み込む。  必要以上の干渉を拒絶する、そんな空気があった。  お互いの柔らかい部分に触れ合うには、まだ俺達には距離がありすぎる。  知らない世界に放り出された経験のない俺には、彼女の気持ちを理解してあげることはできない。 大 翔「ああ、そうだ」  立ち止まってズボンのポケットをまさぐる。 レ ン「どうした?」  取り出したものをレンに放り投げる。  レンは両手でそれをキャッチした。 大 翔「家の鍵」  まじまじとレンは手元を見つめる。 大 翔「ユリアの側にいてあげた方がいいかもな」 レ ン「でも、さっきお前は」 大 翔「目を覚まして周りに知らない人ばっかりだったら不安だよな、やっぱり。ユリアが気がついたら早退しろ。家でゆっくり休ませてあげてくれ」 レ ン「あ、ああ」 大 翔「家までの道、覚えてるか?」 レ ン「大丈夫だ」 大 翔「先生には俺が言っておく」 レ ン「すまん」 大 翔「なんの」 レ ン「大翔」 大 翔「ん?」 レ ン「ありがとう」  踵を返し、軽やかにかけていく。 大 翔「おう」  小さくなっていく背中に返事をする。  このとき初めて、俺はレンの笑顔をみた。
 不思議な夢を見た。  崩れ落ちたビル。  ヒビが入り、ところどころ隆起したアスファルト。  世紀末な風景。  そんな場所に俺がぽつんと立っている。  他に誰もいない。  それだけの夢。  誰かがそこに来るわけでもなく、景色が変わることもなく。  俺が立ち尽くしている。  話のネタにもならないようなつまらない夢。  ただ夢の中の俺は、何かをひどく後悔していた。  ジリリリリリリリリリッッ!!  目覚まし時計の音。  目覚めは、最悪。 ---- 美 優「おはようお兄ちゃん」 ユリア「おはようございます」 美 羽「おはよ」 レ ン「……」  着替えを済ませて一階へおりると、すでに食卓では団欒が出来上がっていた。  ニコニコと笑っている美優とユリアさん。  仏頂面の美羽とレン。  まぁ……じきに馴染むだろう。 大 翔「おはよう」  いつもの席に座る。  正面にはユリアさんとレンがいる。  どうにも不思議な気分だ。 美 優「ユリアさんに、レンさん。紅茶飲みますか?」 ユリア「いただきます」 レ ン「美優殿、私も手伝おう」 美 優「ううん、座っていてください。私やりますから」  美優がパタパタと足音をたてて台所へと消えていく。  レンはなぜか美優にだけ『殿』をつける。  奇妙な信頼関係が既に出来上がっているらしい。  ちなみに俺は呼び捨て。  美羽にいたっては名前を呼ばれたところを俺はまだ見てない。 美 羽「はい、朝ご飯」 大 翔「ありがとう」  美羽が俺の分の朝食を持ってきてくれた。  今日のメニューはトーストとインスタントのコーンポタージュスープ。  全二品。  美優が食事当番のときはこれに目玉焼きとカリッカリにローストされたベーコンがつく。 美 羽「なに? なんか文句あるの?」 大 翔「……ありません」  後が怖いから文句なんて言えない。  多くは望むまい。  美優が飲み物を運んできた。  俺の前には牛乳が。  朝はやっぱりコレだろう。  みんなが席についたことを確認する。 大 翔「じゃあ……いただきます」 美 羽「いただきまーす」 美 優「いただきます」  手を合わせて食事開始の挨拶。  スープに口をつけた所で視線に気付く。  ユリアさんが不思議そうにこっちを見ていた。  手を合わせたまま小首をかしげている。  ああ、なるほど。 大 翔「日本ではさっきやったみたいに、手を合わせていただきますって言ってから食事を始めるんだ」  教えてあげる。 ユリア「そうなんですか……いただきます。うふふっ」  なにやらうれしそうだ。 ユリア「ほら、レンもいただきますって」 レ ン「……いただきます」  素直に手を合わせるレン。  その姿がなんだか微笑ましい。  ユリアさんは俺達の様子を見ながら、トーストにバターを塗って上品にそれを口へ運んだ。  美羽が食い入るようにその様子を見ている。 美 優「美羽ちゃんね」  美優がそっと耳打ちをしてきた。 美 優「お姫様ってトーストなんて食べるの? こんなもの出して大丈夫かな? って心配してたんだよ」 美 羽「美優!」 美 優「なにもいってませーん」  美羽がドンッと机を叩き、美優は身をすくめながら笑った。 ユリア「とてもおいしいです。ねっ?」 レ ン「ええ」 美 羽「……フン」  頬を赤く染めて目をそらす。  ぶっきらぼうな態度をとっていても、美羽なりに気を使ってくれているみたいだった。    大 翔「ところでさ」  トーストをかじりながら気になっていることを一つ。 大 翔「なんでユリアさん、うちの制服きてるの?」  はしゃいでいたユリアさんの表情が曇った。 ユリア「……似合いませんか?」  その瞬間、レンが般若のごとき形相で俺をにらんだ。 大 翔「いや、そうじゃなくて……似合ってるよ。似合ってます」 ユリア「よかった」  再びにこやかになるユリアさん。  ひっこむ般若。  お……おっかねぇ。 美 優「ユリアさん、着替え持って無いみたいだったから私の服着てもらおうと思ったんだけど、これがいいって」 大 翔「ああ、なるほど」 美 優「制服二着あるから、着てもらってるの」  普段見慣れた制服を、金髪の美少女が。  うーむ、これはなかなか。  シチュエーションが変わるだけでこうも新鮮に見えるものなのか。 レ ン「貴様、その目はなんだ」  般若再び。 大 翔「なんでもありません……」     慌てて視線をそらしてトーストを口に押し込む。  ほんとおっかねぇ……。   美 羽「ごちそうさま」  美羽が立ち上がる。 美 羽「兄貴、アタシ先に行くからね」 大 翔「おう」 美 優「あ、美羽ちゃん待って。私も行く」  慌てて美優はスープを流しこむ。  ちょっとむせた。 大 翔「そんなに急がなくても、まだ余裕あるぞ」 美 優「一時間目に小テストあること忘れてて。学校で勉強しなきゃ」 大 翔「そっか。気をつけろよ」 美 優「うん。いってきます」 美 羽「いってきまーす」  二人が出て行った。  ……。  なにを喋っていいものか。  下手なことを言うと怒り出すやつがいるし。  ちょっとだけ気まずい。 ユリア「お二人はどこにいかれたのですか?」  沈黙を破ったのはユリアさんだった。 大 翔「ああ、学校だよ。俺もこれからいくんだ」 ユリア「学校……ですか?」 大 翔「学校、そっちの世界にはなかった?」 ユリア「いえ、ありますよ。毎日いかれるんですか?」 大 翔「ほぼ毎日かな。土曜と日曜は休み」 ユリア「そうなんですか」 大 翔「うん」 ユリア「……」 大 翔「……」  会話終了。  俺は元々自分から話すタイプじゃないんだよ。 ユリア「あのぉ」 大 翔「ん?」  トーストの耳をかじりながら何か話題をひねり出そうと奮闘していると、ユリアさんから声をかけられた。  もっと自分からリードできる話術を身につけるべきだと思った。  切に。 ユリア「学校には、私達も行くことはできますか?」  学校に強い関心を持ったらしい。 大 翔「うーん」  思案する。  編入手続きの書類。  これはなんとかごまかせると仮定する。  次に編入試験。  魔法を使って勉強の知識を美羽や美優あたりからもらえばパスできるだろう。  でもまだ問題がある。 大 翔「ごめん……ちょっと難しいかも」    できるだけ希望は叶えてあげたい。  ユリアさん達をこんな状況にしてしまったのは俺だ。  だからできる限りのことをする義務がある。  でも、金銭的な問題はいかんともしがたい。  うちには二人を学校に通わせてあげられるだけの余裕はなかった。 大 翔「ほんとに、ごめん」 ユリア「いえ、いいのです。お気になさらないでください」  笑ってはいるものの、ユリアさんはひどく落ち込んでいるようだった。  ズキリと胸が痛んだ。  レンと視線がぶつかる。  そんな目で見ないでくれ。 大 翔「あー、じゃあさ」  空気に耐えられず、妥協案を提出する。  どれだけ気が紛れるかはわからないけど、これが俺の精一杯だ。 大 翔「学校見学ってのはどうだろう。先生に話は通すからさ。好きなだけ見てまわるといい」  ユリアさんの顔に花が咲く。 ユリア「よろしいんですか?」 大 翔「うん。それくらいはさせてもらわないとね」 ユリア「ありがとうございます」  本当にうれしそうだ。  なんとしても学校に通わせてあげたくなってくる。  なにか金のかからない裏技はないものか。 大 翔「それじゃあいこうか」  二人が食べ終わるのを待って立ち上がる。 ユリア「はい」 レ ン「わかった」 大 翔「……ちょっとまった」  気付く。  気付いてしまった。 レ ン「なんだ?」 大 翔「それ、もってくつもりか?」  レンの腰には、昨日俺にとてつもない恐怖を与えた刀がぶら下がっていた。 レ ン「当然だ」  何を言っているんだこの馬鹿は。  そんな顔をしている。 大 翔「駄目だ」 レ ン「なに?」 大 翔「日本には武器を持ち歩いちゃいけませんっていう法律があるんだよ。置いていってくれ」 レ ン「しかし剣は騎士の魂だ。肌身から離すわけにはいかん。なにより姫様を守れなくなる」 大 翔「でも駄目」 レ ン「な!?」  レンがたじろぐ。  ユリアさんは俺とレンをおろおろしながら交互に見ていた。 大 翔「駄目」 レ ン「魂だぞ!!」 大 翔「それ持ってたら学校に連れてかない」 レ ン「くっ……!」  レンの肩がわなわなと震えている。  初めてレンよりも優位な立場にたった。  ……ちょっとうれしい。   大 翔「例え持っていっても、学校には入れないぞ」 レ ン「なんという……屈辱ッ!」  レンはしぶしぶ腰から刀を外し、わが子を手放すような表情で食卓の上においた。  俺をキッとにらみつける。 レ ン「この……独裁者めッ!」  それは微妙に違う気がする。 ----  青空。  快晴。  いつもはいくら晴れていようが学校に行くと考えるだけで心が曇る。  だけど隣にいる人がこんなにもうれしそうに笑っていると、俺の気分まで良くなってくる。  ……さらにその隣にいる人は険しい顔をしているけれど。  こんな風に毎日登校できるなら、ちょっとは学校のことを好きになれるかもしれない。  ふむん。  裏技か。 大 翔「あのさ」 ユリア「はい?」 大 翔「お金を作る魔法とかってないの?」 ユリア「……流石にそれは」  苦笑が返ってくる。  どっかの錬金術師じゃないし、やっぱり無理か。 レ ン「愚か者め」 大 翔「ぐっ!」  レンがフフンと鼻で笑う。  根に持ってるなこの野郎。    ? 「ひっろきゅーーーーん!!」  微妙に重い空気を、底抜けに能天気な声が吹き飛ばした。  振り向くと―― 貴 俊「いよう!」  馬鹿がいた。 貴 俊「あれ?」    無視して歩く。 ユリア「あの……お友達では?」 大 翔「いいんだ」  構わず歩く。 貴 俊「もーひろきゅんってばーいけずぅー」  まとわりついてきた。  長めの髪が俺の鼻にかかる。  いい香りがするのが不快だ。 貴 俊「アジアンビューーーーティーーーー」 大 翔「離れろ!」  突き飛ばす。 貴 俊「ああん」  なぜ女座りになる。 ユリア「あのぉ……」 レ ン「……」  ユリアさんとレンは完全に引いていた。 貴 俊「これは失礼」  埃を払って立ち上がる。 貴 俊「僕は黒須川 貴俊と申します。お初にお目にかかります綺麗なお嬢さん方」 ユリア「はぁ……」 貴 俊「大翔くんとは長い付き合いなのですが……まさかこのような美しい女性と知り合いだったとは」 ユリア「えっと……」 貴 俊「いやぁそれにしてもお美しい。まさに地上に舞い降りた天女の如し。このような完璧な女性がいるとは……この目に実際にうつそうとも信じがたうっ!」  ユリアさんの手を取ろうとした貴俊の喉下にナイフが突きつけられた。 レ ン「それ以上姫様に近づくな」  こいつ、まだ刃物隠し持ってたのかよ……。 貴 俊「ふふ……姫様か。ということはさしずめ君は姫様を守る女騎士。いいじゃないか。恋は障害があるほど燃えるもの。男、黒須川貴俊! この程度では引き下がらん!」 レ ン「なに!?」 貴 俊「傷つくことを恐れていては本当に欲しい物は得られない。どうした? 斬らないのか?」 レ ン「くっ……」  おお、なんかレンが圧されてる。 貴 俊「むしろ痛いのは大好きだ! さぁズバッといけ!! さぁさぁ!!」 レ ン「ひ……大翔!」  おお、レンがうろたえている。 レ ン「なんだこいつは!」 貴 俊「さぁこい!! ハァハァ感じちゃう!! ビクンビクン!!」  もうちょっと見ていたい気もするが、そろそろ助けてやるか。 大 翔「おい、いい加減にしろよ貴俊」 貴 俊「む」 大 翔「ちょっとは空気をよめ」 貴 俊「そうだな。ちょっとふざけすぎた。美女と刃物を目の前にしてテンション急上昇」  どんな性癖もってるんだこいつは。  ユリアさんにいたっては完全に固まってしまっている。 貴 俊「邪魔しちゃ悪いし俺は先にいくぜ。じゃあな大翔、それにお嬢さん方」  やりたい放題やって貴俊は走り去っていった。  邪魔しちゃ悪いと思うなら最初から出てくるなよ。 ユリア「……かわったお友達ですね」 大 翔「人に迷惑をかけるタイプの馬鹿だ。あまり関わらないほうがいいよ」 ユリア「……そうします」 レ ン「う……む」  黒須川貴俊。  クラスメイト。  たぶん親友。  別に悪いやつじゃない。  外見だってカッコイイと言われる部類に入る。  実際そこそこ人気もあるようだ。  ただし、あいつをよく知らない子限定で、だけど。  あんな性格をしているせいでこうやって自らフラグをへし折る。  本人はそれを気にしていない。  俺も馬鹿やってるあいつといることを楽しいと思っている。  だからあいつとの付き合いは苦痛じゃない。  ただ――   ユリア「……」 レ ン「……」  この空気どうしてくれるんだあの馬鹿。 ----  職員室には、無条件で生徒を緊張させる、そんな空気があると思う。  生徒の数が圧倒的に多い学校内で唯一、大人と子供の比率が逆転する場所。  学校内の異空間。  俺がここに来るのは決まって呼び出しをくらった時だから余計にそう思うのかもしれないが、それを抜きにしてもやはり居心地がいいものじゃない。  しかし、今日はやましいことなど何一つ無い。  堂々と入ってやろうじゃないか。 大 翔「失礼しまーす……」  職員室の引き戸を開けると、コーヒーとタバコのにおいが鼻腔に押し寄せてきた。  よくこんな場所にいられるなと思う。  ユリアさんとレンを連れて中へと入る。  先生達はこちらに目を向けることなく各々の作業に没頭していた。  少し冷たい感じもするが、変に絡まれても困ってしまうからこれでいい。  あたりを見渡して話しやすい先生を探す。  真っ赤なジャージが目に入った。  熱血体育教師の後藤先生だ。  非常に話しやすい人だけど……あの人に話しかけたら俺はたぶんホームルームに間に合わない。  パス。  その奥に小太りのメガネがいた。  国語教師の村井。  嫌味っぽいヤツだ。  あいつに話しかけたら気分が悪くなって俺はこのまま早退する羽目になる。  パス。  そのまま視線を左にずらす。  ああ、いた。 大 翔「ノア先生」 ノ ア「んんー?」  俺が声をかけるとノア先生は気だるそうに上半身をこちらへ捻った。 ノ ア「結城くんじゃないの。テストの解答ならあげないわよ」 大 翔「……いりませんよ」  俺達の担任、ノア……えーっと、苗字は忘れた。  やたら発音しにくい苗字で何回聞いても覚えられない。  そのせいかほとんどの生徒からノア先生と下の名前で呼ばれている。  俺が生まれて初めて接した外国人なんだが、日本語ベラベラのせいで最近そんな印象は薄れてきた。  しかしながらその日本人離れした容姿と色香は先生達の中で、というかこの学校内で一際異彩を放っている。  おかげでちょっとした仕草にドキッとしてしまうことがたまにある。  この人と話すときは気をしっかりと持たねばならない。 ノ ア「んー?」  先生の視線が俺の背後に注がれる。 ノ ア「制服着てるけど……うちの生徒じゃないわよねぇ?」  ユリアさんとレンが軽く会釈をした。  ノア先生と同じくユリアさんも注目を引く外見をしている。  いくら制服をきていようと、流石に生徒かそうでないかは見分けがつくだろう。  レンにいたっては制服ではなく詰襟姿だ。   強引に押し通せないかとも思ったが、やはり無理があるな。 大 翔「えっと、彼女達は外国からきた留学生で、今うちにホームステイしてるんですよ」 ノ ア「へぇ、初耳ね」  ノア先生が関心したように眉を動かした。  本当のことを話すと頭の心配をされるから、嘘をつく。  ちょっと罪悪感。 大 翔「それで二人に日本の学校を見学させてあげたいんですけど、そういうのって有りですか?」 ノ ア「んー」  頭をかく。  これは……駄目か? ノ ア「いいんじゃない?」  あっさり。  非常に喜ばしいことだが、こうも軽いと逆に不安になる。 大 翔「ほんとに?」 ノ ア「今すぐご自由にどうぞってわけにはいかないけど、後で許可とってあげる。見学くらい大丈夫だと思うわ。それほど校長もケツの穴ちっちゃくないでしょ」    周囲の視線がノア先生に集まる。  この人はたまに日本語がよく理解できていないフリをしてとんでもないことを口走る。  それでも聖職者か。 大 翔「二人とも、見学オッケーだって」 ユリア「ありがとうございます」 レ ン「恩に着る」  心なしかレンもうれしそうに見える。  初めて、二人の役に立てたかな。 ノ ア「結城くんは教室いっていいわよ。二人はしばらくここにいてくれるかしら。私もホームルームの準備しなくちゃいけないし」 ユリア「はい」 レ ン「承知しました」 ノ ア「ホームルーム終わったら、校長に話しにいってあげる」  ノア先生はテキパキと机の上のプリント類を一つにまとめていく。 ノ ア「あら、日直日誌どこにやったのかしら」  ガサガサと机の上をひっかきまわす。  さっきまとめたプリントがまた散らかった。 大 翔「日誌なら、一番上の引き出しですよ」  先生が引き出しをあける。 ノ ア「ほんと、あったわ。ありがとう。でも」  ジト目で先生が俺を見つめる。 大 翔「はい?」 ノ ア「何で知ってたの?」 大 翔「なんで……って言われても」  確かに、なんでだろうか。  説明しろと言われたら困ってしまうが、俺は日誌がそこにあることを知っていた。  理由はわからないけど、とにかく確信があった。  そうとしか言えない。 ノ ア「もしかして、結城くん……私がいない時に私の机の中、漁ってる?」 大 翔「してませんよそんなこと!!」  とんでもない疑惑を全力で否定する。 ユリア「……」 レ ン「……」  い、いかん……気のせいか二人の目が冷たい。 大 翔「勘ですよ! 勘ッ!」 ノ ア「先生のことが気になるのなら……言ってくれればよかったのに」  ノア先生が妖しく微笑んだ。  わざとだ。  この先生はわざとやっている。 大 翔「ほんとに、ほんとにやってませんから。俺って勘がすごいんですよ。いやほんと」 ノ ア「ふぅん……」    体を正面に向けてノア先生は俺から視線を外した。 ノ ア「そういえば昨日……食べかけのサンドイッチがなくなったのよねぇ……ツナサンド」    横目でちらりと俺を見る。  な、なにを言い出すんだこの人は……。 ノ ア「飲みかけのペットボトルのお茶の量が妙に減ってたこともあったわねぇ……」  ちらり。   ノ ア「残しておいたはずのコーヒーが全部なくなってたこともあったかしら……」  ちらりちらり。 大 翔「ちらちら見るのやめてくれませんか……」 ノ ア「まさか結城くんが……!」  大 翔「だから違う!!」 ノ ア「綺麗なお姉さんは好きですか?」 大 翔「なにいってんだあんた!」 ノ ア「照れなくていいのに」 大 翔「人の話を聞いてくれ!!」  ユリア「……」 レ ン「……」  俺を見る二人の目には、全く感情が篭っていなかった。  レンはともかく、ユリアさんまで……。   大 翔「こ、この先生いっつもこんな調子なんだよ。あ、あんまり間に受けないほうが、いいよ」  必死に弁明をする。  すると、レンがぽつりと口を開いた。 レ ン「……下衆が」 大 翔「ち……」  後ずさる。 大 翔「違うのにぃぃぃ!!」  俺は職員室から逃げ出した。  ----  ひどい目にあった。  心を陵辱された。  人としての尊厳を奪われたんだ俺は。 陽 菜「大翔くんおはよう……って朝から暗いね」  机に顔をうずめていじけていた所に声をかけられて、顔を上げる。 大 翔「沢井か」  そしてまたうつむく。 陽 菜「どったの?」  顔を下に向けたまま答える。 大 翔「レイプされたんだ」 陽 菜「はい?」 大 翔「心を」 陽 菜「それは……大変だったね」   大 翔「俺はひどく傷ついている。できればそっとしておいてくれないか」 陽 菜「なんかよくわかんないけど……がんばって」  そう言って沢井は自分の席に戻っていった。 大 翔「ふぅ」  溜息をつく。  沢井とは未だにうまく喋れない。  幼馴染なのに。  以前は沢井のことをヒナと呼んでいた。  沢井も俺の事をヒロくんと呼んでいた。  沢井は今、俺の事を大翔くんと呼んでいるから一文字減っただけなんだが、その変化が俺と沢井の間にある溝だ。  数年前、喧嘩をした。  喧嘩と言っても俺が一方的に突っかかっただけで沢井は何も悪くない。  全面的に、俺が悪い。  すぐに謝ればよかったのに、変に意地を張っていた俺はそれからしばらく沢井と口をきかなかった。  もし過去に戻れるならば、その時の自分をぶん殴ってやりたい。  幼さゆえの過ちだった。  一応の仲直りはした。  さっきみたいに沢井はよく俺に話しかけてくれる。  俺も普通にそれに答えているつもりだ。  でも俺と沢井の関係は、どこかギクシャクしていた。   ノ ア「はいはーい。みんな席ついてねぇ」  始業の鐘がなる直前にノア先生が教室に入ってきた。  起立の号令がかけられて立ち上がる。  先生の顔は見ない。  礼の号令と共に俺は着席した。 ノ ア「今日は新しい友達がきていまーす」  教育番組のお姉さんのような口調でノア先生が喋りだす。  教室がざわめいた。  たぶんユリアさんとレンのことだろう。  教室で授業が受けられるように手配してくれたんだろうか。  なかなか粋なことをしてくれる。 ノ ア「入って入ってー」  廊下で待機していたユリアさんとレンが入ってきた。  その瞬間、教室中から歓声があがる。  ユリアさんは相変わらずニコニコと笑っているが、レンは少々照れているようだった。  頬にほんのりと朱がさしている。  ほぅ、あいつはあんな顔もするのか。 ノ ア「留学生のユリアちゃんとレンちゃんです」  先生が紹介すると二人は小さく会釈をした。  歓声はまだ鳴り止まない。  男の理想とも言える清楚な金髪美少女。  女の子受けしそうなボーイッシュな美少女。  この二大要素が一度にクラスにやってきてしまったのだ。  加えて二人とも基準値を大きく上回る容姿をしているいるとくれば、みんなのこの興奮も頷ける。 ノ ア「今日からみんなと一緒に勉強することになったから仲良くするのよー」  俺も二人と知り合いじゃなかったらこの歓声に混じって……ん?  今日からみんなと一緒に? ノ ア「こらこら、ちょっと静かにしなさい。編入生が来たからってみんな興奮しすぎよ」 大 翔「なにぃ!?」  思わず立ち上がる。  教室中がシーンと静まり返った。  へ……編入生? ノ ア「結城くんが一番興奮してたみたいね」  ドッと笑いがわきおこる。  そんな中、ユリアさんと目が合う。  ユリアさんは意味深な笑みを浮かべて、俺に小さく手を振った。  なんかやった。  あの人絶対なんかやった。 ----  ホームルームが終わった途端、案の定二人の周りには人の壁が出来ていた。  ユリアさんの周りには男子が、レンの周りには女子が。  その中に沢井もいた。 貴 俊「留学生だったのかよ。お前の彼女達」 大 翔「達ってなんだよ。彼女でもない」  貴俊が俺の隣の椅子に座り、ヘラヘラと笑っている。 貴 俊「じゃあどういう関係なんだ。お父さんにちゃんと説明しなさい」  腕を組んで、やけに低い声で喋る。 大 翔「うちにホームステイしてるんだよ。お前の想像してるような関係じゃない」 貴 俊「なんだ。つまんね」  俺から窓際の席へと視線をうつす。  どの国からきたの?  和食は好き?   血液型は?  そんな質問が飛び交っていた。 貴 俊「すごい人気じゃねぇか」  どうやって編入生として潜り込んだのか聞こうと思ったんだが、おかげでその隙がない。 貴 俊「お前はいかねぇの?」 大 翔「俺はいい」 貴 俊「じゃあ俺いっちゃおー」  貴俊が立ち上がって、人だかりに紛れていった。 貴 俊「ねぇ君達どこ中出身? 俺オリハルコン第二中!」  馬鹿だ。  とりあえずそれほど心配する必要も無いか。  たぶん魔法を使ったんだろう。  二人とも日本語は喋れるし、異世界云々の話はこっちの世界で理解を得られないことも承知してる。  俺から得たこの世界の知識も、完璧ではないがある。  質問責めにあってはいるが、見たところうまくごまかせているようだ。  助け舟の必要もなし。  昼休みくらいになったらこの騒ぎも落ち着くだろう。  その時にでもどんな魔法を使ったのか聞いてみようかな。 ----  昼休み。  俺は自分の甘さを痛感した。  お弁当組がユリアさんとレンの机の周りに陣取り、その周りを食堂組が二人を食事に誘おうとハイエナのようにうろついていた。  ……近づけん。  二人がこの学校で友達を作るのはいいことなんだけど、みんなの異常な熱気にユリアさんとレンは若干、面食らっているようだった。  助けたほうがいいかな。 大 翔「おーい」  遠くから手を振る。  レンが気付いた。  そのまま外に出て来いというジェスチャーをして廊下へ。  数十秒後、二人も廊下へ出てくる。 大 翔「大丈夫か?」 ユリア「ええ、みなさんすごいのね」 レ ン「あ、ああ……」  ユリアさんは楽しそうにしているが、 レンは幾分か憔悴してるように見えた。  ふと、教室内の異様な空気に気付く。  みんなが俺を睨んでいた。  こ、こわっ!  大 翔「ば、場所を変えよう」  二人を連れて屋上へ向かう。  あそこなら落ち着いて話せるだろう。  階段を昇って扉をあける。  目論見どおり、屋上に人はまばらだった。  大 翔「ええと、ユリアさんさ」 ユリア「ユリア」 大 翔「は?」  ユリアさんがうふふ、と口に手をあてて笑っている。 ユリア「同級生なんだもの。さんなんていりませんよ」 大 翔「う、うん」 ユリア「レンも姫様なんて呼んじゃ駄目よ?」 レ ン「は……しかし」 ユリア「だーめ」 レ ン「……承知しました」 ユリア「二人とも呼んでみて」 大 翔「へ?」 ユリア「ユリアって」  懇願するような目。   大 翔「ユ……ユリア」  俺には妹達と沢井以外の女の子を下の名前で呼んだ経験があまりない。  いささかどもる。 ユリア「きゃっ」  ユリアさ……ユリアは両頬に手を添えて体をくねらせている。 レ ン「ユ、ユ……ユリ……ア」  なんとか搾り出したといった感じでレンもユリアの名を呼ぶ。  レンにしてみれば勇気のいる行動だっただろう。 ユリア「いやん」  さらに体をくねらせる。 ユリア「私憧れだったの。お城でのお勉強はいつも先生と私の二人っきりだったから。学校にいって同年代の子達と楽しくお喋りしたいなってずっと思ってたんです。今朝だってあんな風に食事をとるの初めてで私うれしくってうれしくって」  そして喋る。 ユリア「こんな形で夢が叶うなんて。あぁ、うれしい。お城は堅苦しいのよね。ここはみんな親しげに接してくれて……なんていいところなんでしょう。姫様って呼ばれるのももううんざり。ユリア、なんて呼ばれて……私もヒロト、だなんて。キャー」  喋る喋る。 大 翔「……どうしたの? ……彼女」 レ ン「姫様は元々ああいう方だ」  レンが溜息をつく。  どうやら今まで理想的なお姫様、を演じていたらしい。  少しびっくりしたが、これが本来のユリアというわけか。  緊張を解くことができたという意味でも、学校に連れてきたのは正解だったな。 大 翔「ああ、そういえば」 レ ン「ん?」 大 翔「魔法使ったんだろ?」 レ ン「ああ」  ユリアは体をくねらせながらまだ独り言をいっていた。 大 翔「記憶でも変えたのか?」 レ ン「そんな大層なものではない。もっと簡単なものだ」 大 翔「どんな?」 レ ン「私も魔法の知識に精通しているわけではないから詳しくは説明できんが、姫様はただ思い込ませただけだ」 大 翔「思い込ませた?」 レ ン「ああ。姫様と私を編入生だと教師達に思い込ませた」 大 翔「ってことは編入手続きとか、試験とかは?」 レ ン「必要ない」 大 翔「授業料は?」 レ ン「その点もぬかりない」 大 翔「へぇ」  そんな裏技があったのか。  先生達を実質騙しているということには気が引けるけれど、今は魔法という偉大な力に感謝。 ユリア「あら?」  唐突に、ユリアがよろめいた。 レ ン「姫様!」  レンが駆け寄って、その体を支える。   ユリア「ごめ、なさい……」 大 翔「お、おい……」  俺も近寄って顔をのぞき込む。  目が虚ろ、顔面蒼白、呼吸も浅い。  どうみても普通じゃない。 大 翔「だ、大丈夫なのか?」 レ ン「どこか休める場所はあるか?」  嫌な汗をかく俺に対して、レンはとても落ち着いた表情でユリアを抱えあげた。  行動に迷いが無い。  おかげで俺も冷静さを取り戻す。 大 翔「ああ。ついてきてくれ」  屋上の出入り口の扉を開けてレンを先に通らせて、追い抜く。  レンが遅れないよう速過ぎない速度で走り、保健室まで案内した。 ----  保健室に入ると、二人の女子生徒が弁当を食べていた。  たぶん保健委員だろう。  保健の先生は留守のようでその姿は見えない。  俺はベッドの使用許可をとって、ユリアをそこに寝かせるようレンに指示した。  白いシーツの上にゆっくりと横たわらせる。  顔色は戻り、呼吸も落ち着いているようだった。   大 翔「なにか持病でもあるのか?」 レ ン「いや」 大 翔「じゃあ……ストレスかな?」  小さく首を振る。 レ ン「なにかひどいものでも見たのだろう」 大 翔「ひどいものを見たって、なにをだよ」 レ ン「……さあな」  口を閉ざす。  それ以上は答えてくれそうになかった。  ユリアに視線をおとす。  すやすやと心地よさそうに寝息をたてていた。 大 翔「とにかく心配ないんだな?」 レ ン「ああ、直に気付かれるだろう。大翔は戻っていいぞ。世話をかけた」 大 翔「なにいってるんだ」  レンの腕を掴み、ぐいっと引っ張る。 大 翔「お前も一緒に戻るんだ」 レ ン「おいっ! 離せ! 私は姫様を……」 大 翔「あの、この子のこと、よろしくお願いします」 レ ン「おい!」  保健委員に一言残して、レンを無理やり保健室の外へ連れ出す。 レ ン「どういうつもりだ!」  俺の腕を振りほどく。 レ ン「私は――」 大 翔「生徒っていう集団に属したなら」  レンの言葉をさえぎって、口を開く。  そのうち言おうとは思っていたから、いい機会だ。 大 翔「ルールに従わなくちゃいけない。始業の鐘が鳴るまでには席についてなきゃいけないし、委員会とか、掃除当番とか、めんどくさいこともしなきゃいけない。レンとユリアがいつも二人で行動できるかっていったら、たぶんそうならないことの方が多い。姫だから、護衛だからって、ここでそれは通用しないんだ」  レンの瞳が揺らいだ。  そのまま続ける。 大 翔「席替えしたら席も離れる。なにか授業でペアを組むことがあっても、ユリアとレンが組めるかはわからない。今のうちにこういう状況になれておいたほうがいいよ」  レンはなにも喋らず、ひどく不安定な表情で俺を見ていた。  ふと、思う。  昨日の夜、俺の家にいる時からレンはユリアの側を片時も離れようとはしなかった。  それはたぶん、姫を守らねばならないという使命感からきているんだと思う。  だけど過保護とも思えるその行動は、寂しさからもきているんじゃないだろうか。  知らない土地で自分を知っている者の側から離れることが不安なんじゃないだろうか。  あくまでも、俺の推測だ。  でもそう考えると、今までのレンの必死も可愛く思えてくる。 大 翔「今俺達がすべきことは、腹ごしらえをして午後の授業にそなえることだ」  レンは弱々しく頷いた。 レ ン「……わかった」  並んで歩き出す。  俺に刀を突きつけたあの覇気も、今朝俺をにらみつけたあの気迫も、今のレンにはなかった。  背をピンと伸ばし、まっすぐ前を見て歩いていても、その瞳の奥はそわそわと落ち着かない様子だった。  俺にはそう見えた。  大 翔「なぁ、レン達の世界ってどんなところ?」  レンが視線だけ動かして俺を見た。 レ ン「急になんだ」 大 翔「なんとなく」 レ ン「……そうだな」  少し間をあけて、喋りだす。 レ ン「この世界とは随分違うな。建物はこの世界ほど多くないし、緑が豊かだ。動物も多い」 大 翔「へぇ、いいところだな。こっちより環境は良さそうだ」 レ ン「どうかな。私にはそれが当たり前だったし、こちらの文明には驚かされるばかりだ。どちらが良いかはよくわからん。ただ――」  口をつむぎ、視線をおとす。 レ ン「私にはこちらの世界のほうが住みやすいのかもしれない」  どうして?  出かかった言葉を飲み込む。  必要以上の干渉を拒絶する、そんな空気があった。  お互いの柔らかい部分に触れ合うには、まだ俺達には距離がありすぎる。  知らない世界に放り出された経験のない俺には、彼女の気持ちを理解してあげることはできない。 大 翔「ああ、そうだ」  立ち止まってズボンのポケットをまさぐる。 レ ン「どうした?」  取り出したものをレンに放り投げる。  レンは両手でそれをキャッチした。 大 翔「家の鍵」  まじまじとレンは手元を見つめる。 大 翔「ユリアの側にいてあげた方がいいかもな」 レ ン「でも、さっきお前は」 大 翔「目を覚まして周りに知らない人ばっかりだったら不安だよな、やっぱり。ユリアが気がついたら早退しろ。家でゆっくり休ませてあげてくれ」 レ ン「あ、ああ」 大 翔「家までの道、覚えてるか?」 レ ン「大丈夫だ」 大 翔「先生には俺が言っておく」 レ ン「すまん」 大 翔「なんの」 レ ン「大翔」 大 翔「ん?」 レ ン「ありがとう」  踵を返し、軽やかにかけていく。 大 翔「おう」  小さくなっていく背中に返事をする。  このとき初めて、俺はレンの笑顔をみた。

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