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 名前を名乗ったら、当たり前のように一番いい部屋に通された。それだけ私の名前が広まったということなのだと、ごく当然に思った。
 不覚だった。
「やぁ」
 部屋に入って、ドアを閉めた途端に、信じられない声が、部屋の奥から現れた。
 聞き慣れた声。ずっと聞いていなかった声。ここで聞く筈もない声。
「……どうしてッ!」
 記憶のままの顔が、目の前で微笑んでいた。



 そもそも、この街には先程着いたばかりだ。目的地もない旅の途中、何故彼が先回りしていられたのか。
「詳しい方法については、職業上の秘密ってことで」
 そう言う以上、絶対に口を割らないだろう。次から警戒するしかない。
「……リヴァは、どうしたのよ」
「君のご両親に預けてきたよ。連れてきた方が良かった?」
「馬鹿言わないで」
 この男の冗談は冗談にもならない事が多い。無論、本人もそのつもりなのだろうけれど。
「まぁ、たまには水入らずもいいじゃないか。あんまり会えないんだし」
 あんまりどころか、二度と会えないかもしれない覚悟で出てきたつもりだったが、この男のことだ。こちらの気持ちなど判っていても斟酌するわけがない。
「……それで、一体何をしに来たの?」
 予想はつくのだが、一応聞いてやる。
「もちろん」
 当然、この質問を待っていたのだろう。リードは、舞台に上がった役者のように、最高の顔を見せて、私の手を取り、台詞を言った。
「君に、会いに来たんだよ」
 手の甲に口づけが落ちる。そうして私も、容易に彼の舞台に墜ちる。
「色々、用意はしてきたから。好きなのを選んでくれればいい」
 そう言って、彼はいくつかの衣装をベッドの上に広げた。町娘らしい地味な服や、キルヒアのものらしい神官服、屋敷の使用人のような服など。
「……何、これは」
「君、そろそろ有名人みたいだから。いつもの恰好で二人で歩くと、色々不都合あるんじゃない? だから、変装用。サイズは合う筈だよ」
「先に目的を説明なさい」
「デート」
 彼はそう、当たり前のように言った。
「……誘われた憶えはないけれど」
「このまま二人で部屋で過ごしたいなら、それでもいいよ?」
「馬鹿」
 全く、噛みあわない。救い様がないのは、恐らく、こんな会話すらも彼の台本通りであるということだ。
 地味なりに可愛らしい服があったので、それを着ることにした。適当に揃えてきたように見えて、流石にこちらの趣味を押さえている辺りが腹立たしいけれど。
 印象が変わるように、化粧をし直す。髪を上げてシニヨンを作る。
「……こんな事をしなくても、変装なら魔法でどうにかなるのだけれど」
「君の顔じゃなきゃ、意味がないよ」
 彼は私の支度を待ちながら、何やら荷物の整理をしている。ティルスティアルからここまで、徒歩なら半月はかかっておかしくないはずだが、そう長い旅をして来た様子はない。
「いつ出発したの?」
「今日に間に合うように」
 詳しい事を答える気はないらしい。ただ……今日?
 私は秘かにほくそ笑んだ。完璧に見える彼の台本にも、一つ前提の間違いがあるようだ。
「そちらは、支度は良いの?」
「このままで充分。学生にでも見えるでしょ?」
「町娘にコナをかけた、不真面目な学生ね」
「そう。そして君は、彼に何を買ってもらえるか楽しみにしてる、計算高くて可愛い小娘」
 言い合って、私たちは笑いあった。
「さぁ、開演だ」
 私の腕を取って、彼が扉を開く。茶番劇の幕は上がった。



 二人で腕を組みながら、石畳の上を、かつかつと、歩調を揃えて歩いてゆく。
 彼も私も、こういう歩き方には慣れていない。ただ歩いているだけで、妙に緊張する。今更気を遣うような相手でもないのに。
 腕にかかる重さが、柔らかさが、温度が、集まる視線が、心臓を弾ませる。
 私達が、普通の恋人のように、こんな時間を持つ事が遂になかったのは、横に居るこの男の所為なのだから、馬鹿馬鹿しい話ではあるけれど。
 広い通りを歩いていくと、やがて中央広場に辿り着く。大きな噴水の周りには、私達と同じような恋人同士や、家族連れ、老人と、多くの人々が集まっている。旅人や露店商人もいるようだ。
「賑やかだね」
 そう大きな街でもないが、私達の故郷よりはずっと活気がある。ティルスティアルの外に出る事も滅多にないリードにとっては、これだけの人が目的もなく集まっているだけでも新鮮な光景だろう。私も、旅に出たばかりの頃はそうだったから、よくわかる。
 いつになく隙を見せた彼を見て、突然、悪戯心が芽生えた。噴水の水を手で掬い、広場の風景を眺めているリードを狙う。
「えいっ」
 ぱしゃっ、と水を浴びせる。この男のびっくりした顔は、そうそう見れるものではない。
 そして、その顔はすぐに笑顔に変わる。
「やったな!」
 二人で笑いながら水を掛け合う。飛沫が輝いて虹を作る。
 周囲の人々は、呆れたように、あるいは微笑ましげに、私達を見つめていた。



「あはは……少し、はしゃぎ過ぎたね」
 せっかく着替えた服が、ずぶ濡れになってしまった。露店で買ったタオルで水気は拭き取ったものの、夏場とはいえ、このままでは風邪も引くだろう。
「まぁ、ちょうどいいか。服、買っていこう?」
 広場から繋がる大通りに並んだ服屋に入る。そう高級な店ではないが、それなりに仕立ても良い服が揃っている。
 リードは早々と自分の服を選んだ。これまで着ていたものと同じく、学生や魔術師が着るようなゆったりとしたローブだが、少し変わったデザインだ。何枚かの布が重ねられ、面白いシルエットになっている。この地方で流行っているものらしい。
「似合う?」
「まぁ、普段と変わりませんわね」
 とは言ったものの、腹が立つくらいに似合っている。元々、絵になる男だけれど。
 私の方は、と言えば。どうせ彼の払いなのだからと、店の中でも高価なものから選んだ。今の私の『役柄』からしても、こんなものだろう。
 シャーリングとフリルで飾り立てられた白いドレスに、薄く透けるラベンダー色のケープ。ケープを留めるブローチは銀製で、木の葉の形をしている。なかなか、悪くない。
 着替えて再び幕を出ると、リードは私の手を取って、頬にキスをした。
「綺麗だよ、ファーレンディア」
 耳元をくすぐるように囁かれる。この程度で動揺する自分が情けない。しばらく離れているうちに、すっかり免疫が落ちてしまった。
 反射的に身を離すと、リードは意を得たというようににこにこ笑う。……悔しい。
 銀貨袋をざらっと開けて、リードは二人分の服の代金を払った。三人で暮らしていた時も、金銭の管理は彼に任せていたので、彼が実際どんな方法でどれだけ稼いでいるのかはよく知らない。あのひとの遺した財産だけでも、随分な額にはなるはずだが、リードのことだから、こういう時に払うお金は、自分で稼いだものだろう。
 彼の本業、学者としての、それなりの名声すら、あのひとの研究を引き継いだからこそ得られているものである事を思えば、全く、ずるいのだけれど。



 服屋を出ると、再び腕を組んで、通りを歩く。
「他に欲しいものはない? 何でも買ってあげるよ」
 通りに並ぶ商店には、宝石店もあった。心惹かれるものもあったが、あまり高価なものをねだるのも癪な気がした。
「そうね……ぬいぐるみで良いわ」
 実用も兼ねて、そんなものだろう。精々、使い潰してやればいい。
 大通りから一本逸れた細い通りに、小さなぬいぐるみ店を見つけた。操霊術師御用達、というようなものではなく、子供に与えるような素朴なぬいぐるみが並んでいる。
 しなやかな尻尾の狐や、可愛らしくデザインされた熊の顔を眺めて物色していると、リードが、つんつん私の腕を突っついてきた。
「ねぇ。可愛いと思わない? これ」
 そう言って彼が指差したのは……よりによって、三体セットの、黒犬の親子のぬいぐるみだった。
 父親犬はきりっとした顔をして、前を見据えている。母親の慈しむような顔は、斜めに傾いで、傍らの子犬を見つめている。子犬は、母親に寄り添うようにしながら、小さな鼻をつんっと得意げに突き出している。
「……可愛い……わね」
 確かに目を惹く1セットだ。目が離せなくなってしまった。……でも。
「これで良いよね?」
 リードは躊躇わずに銀貨袋を開いて代金を支払う。結局、止める言葉も見つからず、犬の一家のぬいぐるみを受け取ることになってしまった。
「……使えないわね、これは」
 ぬいぐるみ達の入った買い物袋は、リードがその手に持ったけれど、その重みはずっと私にのしかかるような気がした。



 買い物を終えたら、丁度午後のお茶にぴったりの時間になった。広場近くのカフェに入って、窓際の席に座る。私は紅茶とケーキを、彼は珈琲を注文した。
 ミルクティーに蜂蜜、クリームの乗ったケーキ。舌の上に広がる甘さに、遠くに飛んだ心が、戻ってきたような気がする。
「あ、レンデ。口についてる」
 向かいの席からリードが身を乗り出して、私の口元のクリームを舐め取った。
 ……傍から、これだ。
「昔から好きだね、甘いもの」
 学生時代、屋敷の端の小さな部屋で、本を読みながら過ごしていた時、蜂蜜入りのホットミルクや、クリームを浮かべた甘いカフェラテを、リードがよく差し入れに来て、二人で飲んでいた。
「疲れが取れる気がするもの。貴方だって好きでしょう」
「甘いものは君の味なんだよ、僕にとっては」
「私はそんなに甘くないわ」
 つい、と顔を背けてみる。くすくす笑いの声がした。
「君は、甘いよ?」
「……っ。どこが」
「全部」
「……貴方の味覚がおかしいのよ」
 上手く答えが返せない。私は、こんなにこの男が苦手だっただろうか。
 ずっと、敵わない相手ではあった。けれど、リヴァが生まれてから、三人で家族のように暮らしていた時は、何かが繋がってしまったようで、彼のどんな言葉も行動も、当たり前のように受け止められるようになっていたのだが。
 『家族』から『恋人』に戻ってみたら、二人で過ごした時間の記憶が、次々と蘇ってきた。そわそわして、どうにもしようがなくなる。フォークを持つ手元が、ぶれる。
「あぁ、また」
 彼の舌が、再び私の口元を這った。思わず、つられるように唇を突き出してしまう。
「……ほらね? やっぱり、甘い」
 聞こえないふりをして、目を閉じた。珈琲の、苦い味がする。



「……それで、次は何処に連れて行ってくれるのかしら?」
 カフェを出て、再び二人でぶらぶらと歩き始める。
「んー……」
 少し考えるような素振りを見せた後、リードは思いがけないことを言い出した。
「リルズ神殿なんてどうかな」
「……まぁ、デートスポットとしては、正しい……のかしら」
 神など信じていないし、祈るようなこともない。それは彼も同じはずなのだが。
「縁結び、縁結び。ね?」
 まぁ、いい。取り敢えず乗ってやることにする。今日の私達は、そういう『普通の』恋人同士なのだから。
 リルズ神殿は、街の中心からは少し離れた場所にあった。神殿と言う程の物でもない、小さな礼拝堂だ。元々、比較的新しい小神であることだし、この程度だろう。
「確か、大破壊の際に生まれたのだったわね?」
「そう。母が生まれた頃には、まだ居なかった神だね」
「……あぁ」
 そう考えれば、神などと言っても若いものだ。重ねた時間や力であるより、どれだけ世界に必要とされているか、という事なのだろう。あのひとが神を越えようとしているのも、神になることを終着点と見なしていないからだと思う。
 けれど、私には必要だ。力が、立場が。何よりも、知恵と力を積むことのできる時間が。覚めない悪夢を突き破るだけの、次元を越えた力が。
 頭に浮かぶ、あのひとのイメージを振り払って、礼拝堂の中を眺める。天窓の小さなステンドグラスが目に入る。手を繋いだ二人。リルズのシンボルだ。
 ふと、横のリードを見る。目を閉じて、何やら真剣な顔をしている。
「……何を、祈っているの?」
 小声でそう聞くと、やはり小声で答えが返ってきた。
「決まってるじゃないか」
 ……この上なく正直なのに、あまりにも理解し難いこの男は、時々、本当に、何を考えているのかわからなくなることがある。
 ただ、これはきっと、祈りであるというよりは、確認なのだろう。
 祈る必要も、誓う必要もない。半身を断ち切られて、生きてはいられないのだから。絆とは、きっとそれ位、どうしようもないものだ。
 目を閉じて、祈るようなふりをして、彼に寄り添う。実際の形はどうあれ、まぁ……わかりやすく夫婦のふりをするのもいいだろう。年に一度くらいは。



 神殿を出ると、そろそろ日が傾きかけていた。
「ディナーの店は、予約してあるんだ。その服なら問題ないはずだよ」
 リルズ神殿のある新市街からは少し離れた、旧市街のこじんまりとした古い店。純白のテーブルクロスの上で、蝋燭の灯りが揺らめいている。
 白いパン、生ハムと生野菜を並べた前菜、ポタージュのスープ、川魚のソテー。どれも美味しい。
「中々のものね」
 ワインを一口。これも酸味と渋味のバランスが良い。
「うん、美味しい。でも、出来れば」
 メインディッシュのステーキを切り分けながら、リードが言う。
「また、君の料理が食べたいな」
「…………」
 リードはともかく。リヴァに大人向けの食事を作ってあげられなかったことは、ちょっとした心残りになってはいる。
「……ちゃんと、食べているの? 普段」
 リードも一通り家事はできるはずだが、読書や書き物に集中すると、寝食を忘れて没頭する癖がある。
「まぁ、それなりにね。リヴァがいるから、毎食作らなきゃいけないし」
「きちんと食べさせているの?」
「大丈夫だよ、本当に忙しい時は、君のご両親にリヴァは任せてるし……あぁ、アーニー君が旅に出る前は、彼に頼んだこともあったよ」
「アーニーに?」
「食材は買って渡したけど」
 それなら、まぁ、大丈夫だっただろう。あのお馬鹿は、料理が出来ない訳ではないのだが、とにかく安く済ませることを第一に考える傾向がある。一人で食べるのならまだしも、リヴァに古くなった野菜や怪しげな安い肉を食べさせて欲しくはない。
「色々食べるようになったよ、リヴァ。好き嫌いは多いけどね」
「あまり、我儘にさせないでよ?」
 私の言葉に、リードは肩をすくめて見せた。
 デザートの皿が運ばれて来る。冷やして固めた果汁に、果実酒のソースをかけたものだ。案外アルコールが強いが、これも美味しい。口の中がすっきりとする。
「……さて、と」
 かちゃり、と、スプーンを置いて、口元を拭くと、リードは鞄を漁った。
「色々買ったけど、一応、これが本命」
 リボンのかけられた小さな箱が、テーブルの上に置かれる。
「開けてみて?」
 包装を解き、箱を開けると、中に入っていたのは、硝子製のペーパーウェイトだった。
 紺から赤に変わる透明なグラデーションの中に、白い鳥が閉じ込められて浮かんでいる。夕焼け空を切り取ったような、美しい世界。
「……これは?」
「誕生日プレゼント」
 にっこりと、微笑む。この瞬間を待っていた。
「……珍しく、間違えたわね?」
「ん?」
「私の誕生日は、明日よ?」
 そう、それが彼の唯一の間違い……
「あぁ、勿論。いいんだよ、今日で」
 返ってきた答えは、意外なものだった。
「……どういう事?」
 それこそ、待ち構えていたように。今日一番の笑顔で、彼が言う。
「二十歳の君を、誰より先に見たいと思ったから」



 ……これだから。
 本当に、手に負えない。



__End.