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『転がる賽子のように』

 人間には運命を覆す加護があるという。
 それが本当なら、多分、僕はどこかでその使い所を間違えたんだろう。


 人生で一番楽しかった時期がいつかって言ったら、ティルスティアルの街の自警団に入ってから一年くらいの間のことになると思う。我ながら短い春だった。
 そんな楽しかった日々にしたって、思い出すのは銃声の響く光景ばかりだ。毎日のように銃撃訓練してたってことだけど。その割にあまり精度が上がった気がしないのは気のせいだろう。
 まあ、その日も、そんな日常の一日だった。
「これで十発。命中率……六割五分ってとこかな」
 訓練場に設置された的には、中心を外れて数発と、端をかすって一発分、穴が空いている。
「……お前って、何ていうかさ」
 隣にいたドゥエルが、ふとつぶやいた。
「……フツー。だよな」
「うるさい!」叫んで、僕は訓練用の銃の撃鉄を戻した。「しょうがないだろ。エルフと比べられたらやってられないよ!」
 ドゥエルはにやにや笑っている。その長い耳が横髪を分けて飛び出している。思いっきり内陸で、湖があるわけでもないこの街では割と珍しい。彼の家族も全員がエルフではないそうだ。
「ま、でも、最初に比べりゃマシになったぜ。それにお前……」
 彼は僕の左手をちらっと見た。
「両手使えるんだろ? それで撃てば、六割五分の二乗でちょっとはマシになるんじゃね?」
「なんだよその計算……。そう簡単に行くわけないだろ。だいたい、しっかり狙ってもこの始末なんだから」
「数撃ちゃ当たるって言うじゃねーか。撃ってみろって」
「面白がってるだけだろ、お前……」
 と、言いつつも、僕はドゥエルの分の銃を借りて、二丁の銃をそれぞれ片手に持った。狙いを付けて、撃鉄を起こし、二つの弾にマナを込め、両手の銃で同時に撃ち出す。
 一、二、三。ずきゅん。
「……ほら見ろ当たらない!」
「イバって言うことじゃねーだろ」
「あー、弾丸ムダにしたじゃないか。教官に怒られ……」
 言いかけて、思わず固まった。
「ん? 教官来た?」
 ドゥエルは小声で言って振り返った。だが、そこにいたのは射撃の教官ではない。
 ――当然ながら僕よりは年上だが、まだ少女と言っても怒られない歳だと思う。が、この人に限っては、どうにもそういう言葉が似合わない。ふわりとした明るい色の髪に、紫に煙る瞳。顔立ちはそっくりだとよく言われる。性格は全く違うのに。
「……どうしてここにいるんですか!?」
「あら、弟の様子を見に来てはいけないの?」
 ファーレンディア・ルールシェンク――不肖の姉は、そう言って、わざとらしくにっこりと笑った。
「……っていうか」僕は恐ろしいことに気がついた。「どこから見てました?」
 姉の笑顔がますます明るくなる。
「中々、恰好よかったわよ。……当たれば」
「うわあああああ!」
 思わず頭を押さえてうずくまった僕と、くすくす笑う姉を見て、ドゥエルは怪訝な顔をした。そういえば、二人は初対面だったはずだ。
「あー……悪い。えーと、この人は僕の姉で……」
「ファーレンディア・ルールシェンクと申します。ファールド様の一番弟子ですわ。いつも弟がお世話になっております」
 姉はそう言うと、ローブの裾をつまんで優雅っぽく礼をした。まあ、さりげなく一番弟子とか言ってる所を除けば、社会的には多分間違ってない態度だ。不幸にもこの人の本性を知っている僕から見ると、あまりにわざとらしくて背筋がぞわぞわするが。
「あ、はあ。ご丁寧に」
 ドゥエルはなんか恐縮してた。しなくていい。
「あのですね、姉上……」
 呆れる思いが、思わず口をつく。
「……あねうえ?」ドゥエルのきょとんとした顔。
「……ああっ!?」
 つい言ってしまった。外で言うと笑われるから気をつけてたのに。再びうずくまる僕を見ると、ドゥエルはにやりと笑って、姉に挨拶を返した。
「あー、オレ、ドゥエル・パリアーっていいます。こいつの同僚です。ファールド様のお弟子さんなんすね、姉上さん」
「もういいだろっ!」
 ああ、またこいつにからかわれる材料が増えた。というか明日には同期全員に広まってる気がする。だからといって口止めするのも、それはそれで恥の上塗りだ。恥ずかしさに任せて、僕は姉に怒鳴り付けた。
「帰って下さい、姉上!」
「あら、言われなくても帰るわよ、もうすぐ。物のついでに来ただけだから」
 そう言いつつ、姉は訓練場を見回した。「それにしても……」その顔が少し真面目になる。
「……二丁拳銃はともかく。随分、派手に演習していますのね。弾代もタダではないでしょうに」
「あー、何か、もーすぐ何かあるかも、らしいっスよ。蛮族でも出るんじゃねーかな」
 ドゥエルが答えた。実際、そういう噂が流れていた。守りの剣のないこの街では、蛮族の侵攻なんて噂はいくらでも出ては消えるものだが、この時期の自警団について言えば、噂まで含めてコントロールされてたんじゃないかと思う。
「ふぅん……」
 姉は、どこか納得していない様子だ。……今思えば、この時この人がこういう態度を見せたのは、単に陰謀のニオイ的な物に対する嗅覚が働いたからだったのだろうが、ドゥエルはこれを違う方に解釈したようだった。
「ま、安心してくださいよ。コイツはオレが守ってやるんで!」
 僕の肩を引きよせて、そう請け合った。
「あのなあ、ドゥエル……」
「……うふふ。よろしくお願いしますわ」
 姉は優雅に(と、姉なら修辞するだろう)踵を返して去っていった。隣のドゥエルがどんな顔をしているかは、ちらりと見る気にもなれなかった。「素敵なお姉さんじゃねーか。いや、姉上さんだっけ?」
「もういいだろ! 訓練に戻るぞ、本当に教官が来る」
「お前が二丁拳銃なんかやるから、弾がもうねーよ?」
「やらせたのはそっちだろ!」
 ドゥエルは間違いなく一番の友人だったが、それなりに人格には問題のある奴だった。普通の悪ガキといえばそれまでだが。意地の悪いマネはするが、底意地は悪くない。その点、姉上とは違う。僕の周りには性格の悪い奴ばっかり集まってくるわけじゃない、多分。ごく近しい人間に地上トップクラスにねじ曲がったのが二人いるだけだ。
 そうそう。その、もう一人のほうはと言えば。
「……ん? あれ」
 そう言って、ドゥエルが指したのは、自警団長の執務室から出てくる、一つの人影だった。
「確か……ファールド様んとこの息子さん、だよな?」
「……ああ」
 そこにいたのは確かに彼。魔術師ファールドの実の息子、リード・シルフェル。
 この時期、こちらは彼のことを知っていても、あちらは僕を知らなかったと思う。知っていれば多分、この後起こった事件で、僕は完全に蚊帳の外に置かれていただろう。
「姉上さんと一緒に来たのかね」
「……さあ」
 そう言えば姉上が『もののついでに来た』とか言っていた。実際何の用だか知らないけれど、用にかこつけてデートしに来たようなものだったんだろう。と、この時は思っていた。
 この時期に二人の仲に気付いていたのは僕ぐらいだと思う。だからって何も言わなかったけど。まあ、普通、姉の恋愛なんて、弟が口を出すようなものでもないだろう。この場合は二人とも普通じゃなかったから何か言っておくべきだったかもしれないが、僕は普通だから仕方がない。
「しっかし、こうして見ると」
 ドゥエルが言う。
「お母さんそっくりだよな、あの人。さすが美人の血っていうか、こう、オーラが」
「気のせいだろ。大体、エルフのお前が言うなよ」
 とは言ったけど、まあ、確かに容姿は悪くないと思う。とりあえず、姉と並んで姉の方が見劣りする程度には。母親似というだけあって多分に女性的ではあるが、その点僕も人の事は言えない。ドゥエルの台詞じゃないが、オーラの少しは出ているかもしれない。ただ、それも母親同様、確信犯だけが持つ黒いオーラの類だと思う。
「あーゆーのがモテるんだろうなー。世の中不公平だぜ。アーニー君だっていい奴なのに」
「……何で僕を引き合いに出すんだよ」
「安心しろよアーニティ。どんなにモテなくても、お前は俺の親友だぜ!」
「はいはい、有難いよ、馬鹿!」
 ……まあ、つまり。こんな感じで結局、いつも通りバカ話をしながら、僕とドゥエルは姉とリードを見送ったわけだ。
 ――今思えば、僕はこの時、既にいくつか見逃していたことになる。もうちょっと頭か勘が働いていれば、ひょっとしたら気付けていたのかもしれないことを。



 追討対象が魔女ファールドだと知った時、僕はそれほど驚かなかった。回りに比べれば、程度のことだけれど。彼女にはもともとあまり良い印象を持っていなかった。姉が道を間違えた元凶のようなものだし。
 まあ、追討を計画した側も、僕たちがあまり動揺しないように工夫はしていたんだろう。最初に暴かれたのは、悪事だった。人族の尊厳を傷つけるような、酷い悪事。人を守りたいという意思を持って自警団に入った者なら、決して許せないような。その犯人を知らされた時には、それが誰であろうと、許せる気持ちなんてなくなっていた。
「でも……お前、大丈夫か?」
 出動に備えて準備をしている時、ドゥエルがそう聞いてきた。
「何が」銃身の手入れをしながら、答える。
「……姉上さんはこの事、知らないんだよな?」
「ちょうど、家に戻ってるみたいだ。現場で鉢合わせたりはしないよ」
 この時姉は里帰りしていた。といっても、同じ街の中だけど。この時は有難い偶然だと思っていたが、理由をつけて彼女を家に帰したのは……言うまでもない。
「そういうことじゃなくてさ」
 ドゥエルは心底心配そうな様子だった。こういう所、いい奴だったと思う。
「……後で説明するよ。それしかしょうがない」僕は、支給された蛇紋式銃に、三発の弾丸を装填して、ホルスターに下げた。
 今思えば、出動前に、姉上の心配なんかしてる時点で、二人とも能天気もいいところだったと思う。



 計画は――僕は今もって全体像を把握してるわけじゃないが――いよいよ実行段階に差し掛かっていた。
 実行部隊は、僕たちが所属していた自警団と、キルヒア神殿所属の神官戦士たち。後から知ったのだが、ミラボア正規軍の一部隊も参加していたらしい。よくもまあ手を回したものだ。
 手順としては、まず自警団が、ファールドが近辺の各所に置いていた秘密研究所の捜査に入り、追討の理由になる証拠をできるだけ集める。そして、できるだけ間を置かずに、正規軍の部隊がファールドの自宅を封鎖し、神官戦士団が踏み込み、身柄を確保する――筋を通そうとすればギリギリのラインだったが、今考えても、二重の意味で無茶すぎると思う。一つには道理的な手順として。もう一つには、ファールドの戦闘力から考えて。
 まあ、始めから、計画の中心人物の中で、本気でファールドを倒すつもりでいたのは、キルヒア神殿の神官長くらいだったんじゃないかとは思う。正義感でもなければ、追放するだけで充分なのだ。
 この時期、この街に渦巻いていたのは――結局のところ、嫉妬という言葉に集約されると思う。街の誰もが魔女ファールドに憧れながら、畏れ、妬み、憎んでいた。彼女が持つ無限の才能と、時間……。
 ナイトメアの魔女ファールドは、大破壊の頃から生き延びているという噂だった。百年ほど前からこの街に居を定め、怪しい研究を続けながらも、時にその魔法でもって蛮族を退けたりして、次第に街の中枢に食い込んで行ったという。街は彼女を始めとする魔術師たちによって護られ、やがて守りの剣を必要としないまでになった……というより、職業柄邪魔だったから取り払ったんだろうけど。結果、このちょっと歪んだ街には、穢れをあまり忌避しない風潮が生まれ、操霊術師とナイトメアの小さな楽園として、割と繁栄してきたってわけだ。
 でも、歪みはどこかで必ず反発を起こす。彼女が永遠に変わらなくたって、周りは変わる。穢れは気にならなくても、目の前にいる不変の存在は、どうしたって気になる。
 エルフだって数百年は生きる。でも、彼らは総じてのんびり屋が多い。ドゥエルを見ていても思ったけど、人間より賢く寿命が長いと言ったって、そこまで違う存在だとは思えないところがある。魔女ファールドを目にした時の、息が詰まるような感じは、他に類がない。
 ファールドは、おそらく、人間と同じ時間間隔を持ちながら、人間には決して届かない長い歳月を重ねている。そして、その外見はいつまでも若く美しいまま……
 ……魔術師なんて、特に研究肌のタイプは、競争相手には強い敵意を持つものだ。寿命の短い人間やタビットと、ファールドを始めとするナイトメアたちが、互いに勢力を保って共存していたこの街では、ことに水面下でのそれが激しかったのかもしれない。多少偏見が入ってるのは認める。
 まあ、つまり。とっくに下地は出来ていたんだ。誰かが火種を投じれば、簡単に燃えあがるほどに。でも、そんな不穏な空気に、当時の僕は全く気付いていなかった。
 結局、幸せだったんだと思う。



 ティルスティアル郊外、丘の中腹に置かれていた、ファールドの研究所の一つ。
 踏み込もうとする僕たちの応対に出たのは、なんとリードだった。
「ティルスティアル市民自警団の者です。こちらの研究所を、調査させて頂きます」
 僕たちの一隊の隊長が、リードに来意を告げる。
「また、突然だね。何かあったのかい?」
「匿名の通報がありました、としかお答えできません。団長からの捜査指令書がこちらに。キルヒア神殿から発行された調査委任状も受け取っております」
 書類をつきつけられると、リードはそれを眇めに見て、肩をすくめた。
「……ふぅん。まぁ、見たいなら見ていったらいいさ。面白いものはないと思うけどね」
 今思えば単なる茶番だ。でも、僕は結構緊張していた。下手したら実戦があるかもと思ってたし。
「全体、四人一組。一人が探索、残り三人は見張りを!」
 隊長の指示の下、自警団は研究所内に突入した。探し物の苦手な僕は、当然見張り組だ。研究所の入口で、周囲を警戒する。
「やれやれ。ご苦労様だね?」
 言いながらリードは僕たちにちらりと視線を送り――僕は急いで顔を伏せたが、一瞬、目が合ってしまった。
「……あれ」
 姉上と容姿が似ていて、得をした試しがない。
「君は、もしかして」
 リードが近づいて来て、小声で僕に話しかけた。あんまり返事はしたくなかったが、そういう訳にもいかないだろう。
「……自警団員の、アーニティ・ルールシェンク、です」
 仕事中なんですけどという顔をして、微妙に目を合わせないようにしながら、ぼそぼそと名乗った。
「……ああ、やっぱり。話は聞いてるよ」
 どういう話をしてたかは、心から聞きたくない。
「でも……参ったな」
 リードは、苦笑した。
「レンデの弟がいるんだったら、もう少しやり方を変えたんだけどね……」
 ――すぐには意味がわからなかった。
「まぁ、今回はしょうがない。ここには、そんなに危険はないよ。……ちょっと、精神には来るかもしれないけど」
 無論、彼が、ファールドのやっていた事を、知らないはずはないとは思っていた。
 けれど、それにしても、彼の反応は少しおかしい。
 慌てるでもなく、怯えるでもなく。まるで――
「……少しだけ、頑張ってもらうよ。アーニティ君」
 ――戦慄が走った。
 姉がタイミング良くファールドの傍から離れたのは何故か。表に出せない研究を行っている場所に、自警団がこうも容易く立ち入れたのは何故か。
 さっきから、リードが何を言っているのか。
 ――僕は、この時初めて、気付いたのだ。
 この事件の裏に潜んでいた、確かな悪意、に。
「……リード、さん」
 リードは、母親そっくりのその顔を、ぐにゃりと歪めて、笑った。
「さぁ……始まりだ」
 長いローブを翻して、リード――ティルスティアルをひっくり返そうとしている張本人――は、眼下に広がる夜明けの街を、包み込むように腕を広げた。
「この街の、革命の、ね――」





 その日、起こった事件について、僕が知っているのは断片だけだ。
 ……やばい研究の証拠は割と簡単に集まった。そうなるように用意してあったんだから当然。研究所で見た物については思い出したくない。
「驚いたな、母がこんなことをしていたなんて」
 リードは白々しくもそう言ってのけた。僕以外の現場の人間も、幾人かは彼の内応に気付いてたと思う。と言って、彼を責められるわけもない。ファールドがやっていたことは、常識で言って、間違いなく悪事だったのだから。
 後に公に発表されたところによれば、彼女が究極的に目指していたのは、"神殺し"――だそうだ。そのために、人族の力を限界まで引き出す……と言えばまだ聞こえはいいが、やっていたことは人体実験。不死を与えてみたり(つまるところアンデッド化だ)、ゴーレムと合成してみたり、他の生き物と合成してみたり。まあ、細かい内容についてはそれほど知らないし、知ってしまったこともできれば脳内から消去したい。
 残された実験成果を集めて研究所から出た時には、自警団のみんな一様に顔が青くなっていた。
「……なあ、アーニティ」
 呟くように、ドゥエルが言う。
「これで、後は神官戦士団がファールドを討伐して……それで終わると思うか?」
「……」
 僕には答えられなかった。
 それで終わるわけがない、なんて、言えるわけないじゃないか。




 ファールド本人との対決には、僕自身は関わってないが、部外者の立場から言えば、まあ、ましな結果だったと思う。
 神官戦士団に、二、三人死者が出た。正規軍の中にも、酷い怪我を負ったものがいたという。ファールド自身の魔法と、彼女の造ったゴーレム達は、あまりにも強力だった、らしい。ファールドは逃げ延び、姿を消した。命こそ保ったものの、もう二度とこの街には戻れないだろう。
 そして――後には、大きな傷跡が残された。
 それから数カ月の間のティルスティアルの混乱ぶりといったら酷かった。一般市民の僕ですら、色々ありすぎて記憶が曖昧になってるほどだ。なんせ、事実上のトップだった者が居なくなったわけだから。そして、このクーデターの性質の悪いところは、その首謀者に、上に取って変わる気が全くなかったところだ。
 リードは何度か、市長という形で起って欲しいと推されたらしいが、いつも固辞した。調停者を失った街は、大混乱に陥った。蛮族の侵攻の噂が大なり小なりしょっちゅう流れて、守りの剣を設置するかどうかで揉めて、神殿と魔術師ギルドの間に深刻な対立が起こったり。断言するけど、リードは絶対そんな混乱を面白がってたと思う。
 彼が結局のところ何をしたかったのか、今でもよくわからない。あれで姉については本気らしいから尚更。まあ、あっさり言えば、単なる親子ゲンカなんだとは思う。巻き込まれた方から言えば、はた迷惑もいいところだが。
 リードが一連の計画の言いだしっぺであったことは確かなようだ。彼は秘かに、街の有力者の中から、ファールドに反感を持つ者に接触し、協力を得ながら、口実を作り上げていった。いくら下地があったからって、街一つひっくり返したんだから、半端じゃない。死んでも尊敬はしないけど。
 まあ、リードに文句を言っても色々としょうがない。でも一言だけ言いたい。あんな大ごと起こすなら、せめて夏場は避けてほしかった。



「あー、きっつー」
 ドゥエルは、片手で鼻をつまみながら、もう片手をばたばたさせて、そうぼやいた。
「いいから探せよ、何か身元のわかるもの」
 この時期、僕たちがやっていたのは、主に残された研究所の調査。調査というか掃除というか。危険こそ少なかったが、手入れせずに放置されたアンデッドを倒した上で身元調査とかもう二度とやりたくない。
「うわ……何年経ってるよ、これ」
 言いながら、ドゥエルは動かなくなった死体の着ているシャツをつまみあげた。べりべりと嫌な音がする。
「そんなに経ってないだろ。骨になってないし」
 僕がそう言うと、ドゥエルは実に微妙な顔をした。
「お前、たまにドライだよな……」
「どうせ仕事はしなきゃいけないんだから、深く考えずにさっさと終わらせた方がいいだろ。……あ、こっちの奴、指輪してる」
 こういうのはいい手がかりになる。指から引きはがして、文字でも刻まれてないかと確認していたら、ドゥエルはうんざりした顔で立ち上がって、そっぽを向いた。
「あーあー。有能だよ、お前は」
「お世辞はいいから、そっちも探せって」
「別に褒めてねーよ」
「わかってるよ」
 ……しばらく、沈黙が流れた。
 酷い臭いのせいか、頭がぐらぐらしていた。
「……お前さ」
 やがて、ドゥエルが口を開いた。
「何か、悩んでるだろ」
 ……勘の鋭い奴って、これだから嫌だ。
「どーしてそんな話になるんだよ」
「……俺に言わなくてもいいけどさ」
 そう言って、ドゥエルは僕に背を向けたまま、腕を頭の後ろで組む。
 僕が黙ったままでいると、やがて、ドゥエルはちらりと振り返って言った。
「……姉上さんには、話しといた方が、いいんじゃねーの?」
 これだから嫌だ。
「……だって」
 僕は、指輪を床に置いて、立ち上がった。
「……言いようがないんだよ」
 姉のいない間に、大事件が起こって、僕は姉の師の追放に関与することになった。確かに、その辺り、一度姉に会ってきちんと話しておくのが筋だったかもしれない。ドゥエルの知らないこと――リードのことさえなければ。
 二人の関係に関して言えば、僕だって結局は部外者だ。何をどう言えばいいのか、わからなかった。姉が計画を事前に知っていたとしても、知らなかったとしても。
「うまく言えなくてもさ……なんか、あるだろ」
 ドゥエルの言いたいことはわかる。わかるけど。
「……人ごとだと思って」僕はドゥエルから顔を背けると、再び横たわる死体の荷物漁りを始めた。
「人ごとだけどさ。お前、しばらく家に帰ってもいねーだろ」
 元々、姉はファールドの私邸に住み込んでいたから、状況が変わってからは、実家に戻ったままでいるはずだ。
「仕方ないだろ、そんなヒマないし」嘘じゃないけど、言い訳だ。
「それってさ……」
 ドゥエルは、僕の前に回り込んで、顔を覗き込んできた。
「逃げてるんだろ、姉上さんから」
 ……どうして、こう、他人事に関わって、核心に突っ込んでくるんだろう。
 これだから、親友って嫌だ。
「……そうだよ」
 僕はそう、返事した。
「今は、あねう……姉には絶対に会いたくない」下を向いたまま、答える。
「どーしてさ?」ドゥエルは、呆れたように溜め息をついた。
「……。ドゥエルは姉の事知らないから」
「お前が話さないからだろ。何、仲悪いの?」
「別に悪いわけじゃない。あんまり関わりたくないだけだよ」
「それ、仲悪いって言わねえ?」
「嫌いなわけじゃない。苦手なだけだ」
 嘘じゃない。今でも、姉上のことは、ただ苦手なだけだ。義兄のことは、はっきり大嫌いだが。
「いや、まあ、わかるけどなー? 俺だって弟とか苦手だし」
 ドゥエルの弟は、ドゥエルと違って人間だと前に聞いた。家族で種族が違うと色々あるんだろう。うちもそれとあんまり変わらないと思う。
「……とにかく、いいんだよ、姉上のことは。どうせ、僕が何を言ったって……」
 なんだか泣けてきた。暑さと臭いのせいだったと思う。
 僕は急いでドゥエルから顔を背けると、再び作業に没頭した。ドゥエルも、それ以上何も言わなかった。



 姉のファールドに対する憧れは……何と言ったらいいんだろう。まあ、元を辿れば両親が悪いんだろうけど、両親はどちらも基本的に困った人だけど悪気はないので、あんまり責めるのも悪いと思う。
 まあ……聞いた限りで言えば、父が若い頃、世にも美しい人に出会って魔術師を目指した。母が若い頃、世にも知恵深い人に出会って魔動機術を磨いた。その人の縁で二人は出会って結婚し、ただその人への純粋な憧れと感謝を抱いたまま、娘にその名を渡した……だいたいこんな事情だったらしい。
 そんな経緯が姉にどういう影響を与えたのかは、想像するよりないのだが……多分、どこかで、姉の中の、ファールドへの憧れと、反発……というか姉自身の自意識が、折り合いをつけようとして、双方とも変な方向にかっ飛んだんだと思う。
 姉はファールドに憧れていた。ただ、同時にこうも言っていた。
『いつか私はあのひとになる。あのひとの全てを奪って、あのひとの代わりにあのひとになるの』
 正直、意味がわからない。
 姉上はそんな人だ。僕が姉上にできることなんてあまりないし、姉上だって僕に頼りはしない。ドゥエルに色々言われてからも、やっぱり実家には触れずにいた。……こればっかりは後で考えても正解だったと思う。この時期に姉の身に何が起こっていたか知らされていたら、多分こっちが許容量オーバーしていた。
 ……でも、それでも、会うべきだったのかもしれない、本当は。
 何もできなくても、何も言えなくても。



「あー、久しぶりだぜ、シャバの空気」
 アンデッドまみれの地下研究所から出ると、ドゥエルはそう言って大きく伸びをした。
「まだ終わってない。……行方不明者リストと照合して、一致したら遺族に説明しに行かないと」
「わーってるよ。明日でいいだろ明日で」
 ドゥエルが後ろ手をひらひらと振る。
 だいぶ陽が落ちてきていた。暑さも少しは和らいで、風の匂いが心地よい。
「……お、もう月が出てる」
 ドゥエルが空を指差した。爪の先のような月が出ている。
「暗くなる前に戻るぞ。僕はお前と違って、夜は見えないんだから」
「大丈夫大丈夫、手ェ引いてやるから」
「断る!」
 言って、僕は早足で歩き始めた。
「まあ、待てよ。もうちょっと、ゆっくり行こうぜ」
 こいつは基本的にのんびり屋でお調子者だ。僕とは正反対の性格だと思う。姉上とはまた違う意味で。
 それでも気が合ったのは……なんでだろう。
「お。……聞こえるか?」
 結局、ゆっくり歩きながら街へ戻っている途中、ドゥエルが言った。神殿の鐘楼の鐘が鳴り始めていた。
「いくら僕でも聞こえるよ」
 からんからんからん。一、二、三、四、五……
「あー……。なんか、こう、ホっとするよな、この時間」
「勤務時間が終わるから?」
「それもあるけどよ」
 ドゥエルは、その先は黙ってしまった。
 西の空にわずかに残る夕陽の光と、三日月と夕星のかすかな光が、街のシルエットを黒く浮かびあがらせていた。



 街を離れた今になって思う。僕は、あの街が好きだったんだろうか。
 自警団に入ったのは、ただ、姉上と正反対のことがしたかったからってだけで。もっと実力がついて、お金も貯まったら、もっと大きな街に行きたいと思っていた。
 街を守りたいとか、そういう立派な意思があったわけじゃない。そうだったはずだ。
 ――学術都市ティルスティアル。魔術師や学者たちが知識を競い合う中で発展していった街。穢れすら忌避しない自由の街。欲望と嫉妬の渦巻く陰謀の街。僕の故郷。
 僕の性には合わなかった。好きなんかじゃなかった。……でも、懐かしいとは思う。
 人生で一番楽しかった時期の、思い出と共に。




 姿を消した魔女ファールドの追跡は、しばらく続けられていたらしいが、それに直接関わっていたのは、神殿から依頼を受けた熟練の冒険者とか、そういう人たちだった。まあ、僕たち下っ端に言われても困るし。
 ファールドの居場所が掴めないので、一時は自警団もピリピリしていたが、三か月も経つと、もうさすがに諦めというか、安心というか、弛んだ空気が漂っていた。
 だから、その日の見回りも、全く形式的なもので――僕と、ドゥエルと、他に同僚が数人。今はリードが管理しているファールドの私邸と、隣接する研究施設の周りを、軽く偵察するだけの任務だった。
 さらさらと、細かい雨が降っていた。



「あー、めんどい。せめて雨さえ降らなきゃなあ」
 ドゥエルは、例によってぼやきながら、僕の前を歩いていた。
「エルフは水が好きなんじゃないか?」
 そう言ったのは僕じゃなく、ドゥエルの横にいた他の仲間だ。
「そりゃー、泳ぐのは得意だけどさ。雨の中歩くのは違うぜ」
 愚痴りながら、ドゥエルは、被っていたフードを、さらに目深に被った。
「だいたい、今さらなあ。忘れ物なんかあったとしても、もうとっくに取りに来てるだろ」
「わからないだろ、警備が緩くなった隙に、とか」
 僕がそう言うと、ドゥエルは肩をすくめて、振り返った。
「それを狙ってたとしたら、それこそ俺らレベルがここにいてもどうしようもなくね?」
「まあ……そうだけどさ。一応、リードさんの護衛ってこともあるし」
 リードは今もこの屋敷に住んでいる。いい根性してると思う。まあ、無人にするわけにもいかないし、何が残されてるか考えれば他人には任せられないんだろう。
 個人的にはリードがどうなろうと知った事じゃないのだが、市民を守る自警団員としてはそうも言えない。リードの術師としての腕前は姉とそう変わらない。悪だくみと嫌がらせの異常な才能を除けば、あれでも普通の人間だ。戦闘力でファールドに対抗できるわけもない。まあ、それは僕たちだって同じだが。
「最悪、逃げるくらいはさ」
「まーなー、一人で逃げるよか大勢で逃げたほうがいいよな」
「何か嫌だなそれ」
 まあ、そんな感じで、緊張感もなく。みんなで好き勝手言いながら、ぶらぶら歩いていた。
 何かが起こるなんて、誰も思っていなかった。



 ――最初に気付いたのは、ドゥエルだった。
「……なあ」
 突然立ち止まった彼の背中に、僕の鼻がぶつかった。
「何だよ、突然」
「いや……何か、変な臭いしねえ?」
 言われて臭いを嗅いではみたが、雨の匂いばかりが鼻をつく。
「別に、何も……」
 他の連中も何も感じなかったらしいが、ドゥエルの感覚が鋭いことはみんな知っている。
 やっと、緊張が走った。
「なあ、臭いって……」
 聞くと、ドゥエルは青い顔をして答えた。
「……ここんとこ、しょっちゅう嗅いでた臭いだよ」
「それは……」
 雨が、強くなる。ドゥエルの顔色は、さらに蒼白になって。
 ――僕たちの鼻にも、やっとそれが届き始めた。
「死臭――」
 雨に紛れて漂う、微かな死臭。実のところ、この街ではどこかの実験室から溢れだしてくる事も珍しくはないが、僕たちはなぜか確信していた。
 ――近くにいる。
 彼女の造ったアンデッドか、あるいは――彼女自身が。
「……ドゥエル、アーニティ、少し下がれ」
 仲間の一人――戦士の心得のあるセディが、号令をかけた。ドゥエルは僕の横に並ぶ。
 心臓が、早鐘のように鳴り始めた。
 いつでも抜けるよう、ホルスターの拳銃に手をかける。その握り手の感触が、今に限ってはあまりにも頼りなく感じた。
 全身の神経を張り詰める。雨の音が、耳を叩く。
 ――水煙の向こうで、ぱしゃ、と、一際大きく音が鳴った気がした。
「……来る!」
 ドゥエルが、叫んだ。その瞬間。
 僕たちは、魔法の雲に包まれた。
「……っ!」
 あっという間に、息ができなくなる。――なすすべもない。
 周りにいる仲間たちが、横に立っていたドゥエルが、倒れていく。
 なぜだろう、僕は倒れなかった。意識はぼやけていたけれど、確かに立っていた。周りで何が起こっているのか、何もわからなかったけれど。
 ただ、雨の向こうに、姿が見えた。世にも美しい、魔女の……。
 ちらりと、微笑みを見た気がする。――姉に容姿が似ていて、得をした試しがない。
 僕が引き金を引くのと、彼女が杖を振り上げるのと、ちょうど同時ぐらいだっただろうか。
 杖が赤く光るのが見えた。銃の音はしたかどうか憶えていない――僕の意識は、そこで途切れた。



 気が付いたら、施療院のベッドに寝かされていた。
 治療士さんの話では、僕を見つけたのはリードだったらしい――物音に気付いてか、屋敷の裏手に来てみたら、僕が一人で倒れているのを見つけて、ここまで運んできてくれたそうだ。
 なんて礼を言おうか、とか、礼なんて言いたくもないな、とか、ぼんやりと考えていた。もっと重要なことについては、頭が考えるのを拒否していた。
 『一人で倒れていた』
 言葉の意味が、だんだん頭に沁み通ってきた。
 あまりに突然で――
 信じたくなくて――
 でも、理解してしまった。



 みんな、死んでしまったんだ。



 一人ひとりの顔が――とりわけ、はっきりと、ドゥエルの顔が浮かんだ。
 でも、もう彼も、他のみんなも、目の前にいない。



 ……随分、泣いたと思う。はっきり憶えていない。
 こういう時に話をして、心情を整理できるような相手も、僕にはもういなかった。
 ドゥエルに会ってから今日まで、一年くらいの間の、色々な思い出が、頭の中をぐるぐる回っていた。



『君は、一人で倒れていた』



 本当は――
 僕は、まだ、何もわかっていなかった。




 あの時、ファールドが何をしに来ていたのかは、わからない。ほとぼりが冷めたところを狙って、何か貴重なアイテムでも取り戻しに来たんじゃないかとは思うが……まあ、僕にはどうでもいいことだ。
 自警団員たちの死は、街に渦巻く日々の混乱の中の、一つの事件として、あっという間に埋もれていった。
 僕が負った怪我は、すぐに治療を受けたこともあって、さほど長引きもしなかったが、団長や治療士さんにも勧められて、一度実家に戻って静養することになった。
 多分、傍目に見ても、結構僕の動揺が激しかったんだと思う。
 まあ、本当の所、姉上のいる場所で静養も何もあったもんじゃないけど、その方が気が紛れるかもしれないと……思っていたのだが。
 でも、ある意味、知るタイミングとしては一番よかったのかもしれない。
 ――正直、あんまり驚かなかったような憶えがある。驚くとか呆れるとか怒るとか、そういう次元を超えていた。
 こっちがそれどころじゃなかったのもあるが……実のところ、多少リードに対する引け目もあった。あの時、どうやら命を助けられたらしいというのもあったし、それに――僕は引き金を引いた。それが自分の身を守るためだとしても、強さに天と地以上の差があったとしても、そもそもファールドを追われる立場に陥れたのが彼だったとしても、僕が彼の母親を撃ったのは確かだった。当たったのかすら確認できていないけれど。(ちなみに、このこと後で義兄上にうっかり話したら、大笑いされた。ああ苦々しい)
 まあ、家族みんな、何となく遠慮があった。父なんて未だにリードに対して敬語で話す。何だかんだ言って、両親も姉も、彼の母親には恩がある。どう対応していいかこっちが迷ってるうちに、あっちが迷わず入り込んできたから、何だかんだでみんな受け入れてしまった。まあ、僕について言えば、姉上の問題なんだからどうでもいいって思ってたのもある。
 今でもそうだけど、二人の関係はよく理解できないというか、しようとも思わない。
 だから、何というか、怒りようがなかった。二人の問題なんだから、勝手にすればいいと思った。
 そういう意味では、やっぱり怒ってたのかもしれない。



 結局、ずいぶん休んでしまった。まあ、姉上のことできりきり舞いしてたから、まったく休養にならなかったが。
 リヴァが生まれた時のことは、今思い出しても、妙な冷や汗が出る。姉上が死にかけているのを見たのなんてあれが最初で最後だ。二度とないことを祈りたい。さすがに心臓に悪い。むしろ僕の寿命が削られた気がする。
 最初にリヴァを見た時は、なんだか……それが当然のように思った。ナイトメアに憧れた姉と、ナイトメアに反抗したリード。二人の冥い情熱が結びついて生まれた子がこの子なら、それも当然のことなんだと。
 でも、それもこれも、リヴァには関係のないことだ。親の因縁と関わりなく、あの子が幸せに生きてくれることを、心から望む。
 そのために、僕に何ができるのかは、わからないけれど。



 春も近くなった頃、やっと僕は自警団に復帰した。周りの顔ぶれも随分違ってしまって、あまり馴染めなくなってしまった。もともと僕は友人の多い方じゃない。ドゥエルがいたから、ドゥエルを通して他の団員たちとも付き合っていた。ドゥエルがいなくなった今、周りはみんな――元からの知り合いですら、全くの他人のように思えてならなかった。
 日々は味気なくなった。でも、仕事はしていた。長期に休んだからってそれほど仕事が溜まってなかったあたりが下っ端のいいところだ。それまでやっていたように、銃撃の訓練をしたり、街の見回りに出たり、怪しげな研究をしている魔術師がいれば監査に入ったり。
 街は随分落ち着きを取り戻しているようだった。国王の直轄領になるとか、色々噂は流れていたが、まあ無理だろう。この街は結局、自由であることを望む。国からも、神殿からも、倫理からも、そしてナイトメアからも。
 とはいえ、どういう綱引きがあったんだか、ファールド追討に関わった自警団員たちが、突然、国王から表彰されることになった。僕も含めて。
 ファールドと直接対峙した自警団員の唯一の生き残り――そんなこと言われたって、僕はただ襲われて、なすすべもなく倒れ、でもなぜか生き残った、それだけのことなのだが。
 まあ、もらって困るものでもないので、表彰は受けた。勲章をもらった。どういう意味の勲章なのかはよく知らない。今は、実家で僕が使っていた部屋の、机の引き出しにしまいっぱなしになっている。
 そんなことも、他の色々なことも、なんだか現実感のないまま、また数カ月が過ぎた。





 ――この時起こったある出来事は、僕の一生の秘密だ。
 姉上にも、義兄上にも、誰にも触らせない、僕一人だけが背負う出来事だ。



 その夜、夜勤に当たった僕は、一人で街を見回っていた。
 本当は、こういうのは最低二人一組でやるのだが……ドゥエルたちの件があって以来、新規団員が少なくなっていたし、みんな忙しくしていて、人出不足は常だった。まあ、夜勤の場合、非番の友人に頼んで一緒に見回りに行ったりすることもあるのだが(ドゥエルがいた頃はこれでいつも僕まで夜勤に駆り出されていた)、この時期の僕にはそんな友人もいなかった。むしろ、僕の方から一人になりたがってた部分もある。
 夜の街。賑わう酒場の前を通り過ぎ、人気のない道を見て回る。事件なんてそうそう起こるものじゃない。見回りなんて、夜の散歩のようなものだ。風が心地よい。ランタンの油の匂いが、色々なことを思い起こさせる。いつかドゥエルと二人で歩いた道を、今は一人で歩いている。時々、泣きたくなったりして、こんなセンチメンタルなことをしている自分がおかしくなったりもする。
 遠くからバイクの音が聞こえた。誰が乗っているのか知らないけれど、こんな夜に走るのは、きっと気持ちがいいだろう。街中では迷惑だけど、深夜じゃないからまあ許す。
「バイクも、いいかもしれないな……」
 そんなことを呟いてみた。話相手がいないから、独り言になるのはしょうがない。
 最近、乗馬の練習は始めていた。そのうち、馬やバイクに乗って銃が撃てるようになったらかっこいいかもしれない。そんなことを、ドゥエルに言っても、姉上に言っても、笑われるんだろうけど。
 でも、ドゥエルは死に、姉上はリヴァにかかりきりだ。
 ……なんだか突然、わかった気がした。
 寂しいんだ、僕は。
 また目頭が熱くなってきた。馬鹿みたいだ。ドゥエルたちの事があってから、僕はどれくらい泣いただろう。
 ……背後で、足音が聞こえた気がした。
 僕は急いで涙を拭った。こんなところ、絶対人には見せられない。
 後ろの人が通り過ぎて行ってしまうのを待とうとしたが……なんだか突然、ひどく、嫌な感覚に襲われた。
 僕は、後ろを振り向いた。
 そこにいたのは――
「……おい」
 声をかけても、返事はない。
「おい……嘘だろ?」
 そこにいたのは――だんだん僕に近づいて来ている、その人影は――――
 生前と変わらない姿。生前と変わらない……いや、ドゥエルのこんな顔は見た事がない。生気を失った瞳。弛んだ口元の表情が、やけに悲しそうに見えた。
 それでいて、動きは止まらない。ふらつきながら、近づいてくる。
 振り上げたダガーは、確かに……彼が生前、投擲用に持っていたもので……
 ――ああ、そうか。ファールドは。
 ダガーが飛んできて、僕の右腕に刺さった。不思議なくらい、痛みを感じなかった。手にしていたランタンが、地面に落ちて割れた。
 また備品壊したから始末書書かなきゃ――怪我は治療してもらわないと――神官さんに癒してもらうにも、書面提出しないと費用が出ない、面倒だな――ぼんやり、そんなことを考えながら――左手は、ひとりでに動いて、ホルスターから拳銃を抜いていた。
 月の光に、ドゥエルの影が浮かび上がる。影は、二本目のダガーを振り上げようとしている。



 ――よく、狙って。
 しっかり、マナを込めて。
 撃つんだ。一、二、三――



 僕の一歩前で、彼は倒れた。
 彼を抱き起して、その顔をもう一度見る勇気は、僕にはなかった。





 全てを忘れ去ったように、時は進んでいく。
 僕の怪我はやっぱり大したことはなくて、結局自分で治癒の弾丸で治した。痕も残っていない。
 あの夜、あの後、自分がどうしたのか憶えていない。ドゥエルは翌朝、他の自警団員に発見された。自分が彼に遭ったことは、誰にも言わなかった。
 アンデッドの射殺体くらい、この街では珍しくもない。
 聞いた話では、この時期、ドゥエルの他にも、あの時ファールドに殺された仲間たちが、街中や外壁の周りを歩きまわっていたらしい。
 結局、一人ひとり、倒されていって……遺体と遺品は遺族に返却された。遺体の状態は、みんな、それほど悪くなかったそうだ。多少なりとも、救いだと思う。
 ファールドが何を目的にしていたのかは、やっぱりわからない。別に、どうでもいい。
 なんだか、全てがどうでもよくなっていた。
 自警団の仕事は相変わらず続けていたが、ここで僕がすることは、もう残っていないような気がしていた。



 リヴァはだんだん大きくなって、姉上は――
 幸せなんだと思っていた。いや、多分、本当に幸せだったんだろう。
 だから、姉上は、この日常に溺れるのを恐れた。かつての夢を忘れることを恐れた。
 だから、姉上は出て行った。
 義兄上は、いつも通り笑っているだけだった。そういう人だ。



 そして、僕は――



 数日前から用意しておいた、旅行用の背負い袋を肩から下げて。
 自分で買った蛇紋式銃を、ホルスターに収める。
 ガンベルトを身につけ、遠出用のブーツを履いて、マントを羽織る。
 家族が寝静まった夜中。こっそりとドアを開けて、家を出た。
 バイクでも造って走れたなら、もっと気分のいい出発だったかもしれない。
 ふと夜明けの空を見ると、薄れかけた細い月が、なんだかやたらと綺麗に見えた。




(終)