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 ノックもせずに家に立ち入ってきた人影に向けていた銃を下ろすと、アーニティ・ルールシェンクは苛立たしげに呟いた。「……義兄上ですか」
「その呼び方、どうにかならないかな?」肩をすくめてそう言ったのは、アーニティの姉の恋人、リード・シルフェル。背中には小さな男の子を背負っている。「大時代的っていうかさ」
「仕方ないじゃないですか。姉のことはずっと姉上って呼ばされてきましたし……もう、癖なんですよ。王族の血を引いているとか、母の与太話を信じているわけじゃないですが」両手に持った拳銃をホルスターに戻すと、アーニティは手の動きでソファを示した。リードは背負い紐を解き、背負っていた子を、ソファに座らせた。
「君がレンデをどう呼ぼうと、それは別にいいけどさ。僕とレンデは、正式に結婚しているわけじゃないんだし」
「それでも、あなたは、僕の甥っ子の……リヴァの父親ですから」――ソファに座らされた子供は、自分の名前を呼ばれて、きょとんと、まんまるい目でアーニティを見ている。リードをそのまま幼くしたような顔立ちに、アーニティによく似た巻き毛。頭には、小さな角が二本。
「なら、いっそ、お義兄ちゃんとかさ」リードがにやにや笑いながらそう言うと、アーニティは間髪を入れずに返事をした。「却下します」
 アーニティは、三人分のカップに紅茶のポット、それとは別にミルクのポットを用意して、ソファの間のテーブルに並べた。自分とリードのカップには紅茶を、リヴァのカップにはミルクを注ぐ。「で、今日はまたリヴァを預けに?」アーニティの言葉に、リードは頷いた。「うん、度々ありがとう」子供を一人で育てているリードは、どうしても多忙な時、恋人の両親に、その孫を預けに来る。
「研究が忙しいんですか?」そう聞かれると、リードは紅茶を一口啜って、微笑んだ。「まあね。しばらく続けていた研究が、そろそろ発表できる段階になって。その準備に追われているって所かな」リードの言葉に、アーニティはわざとらしく溜め息をついてみせた。「発表できる類の研究で安心しましたよ」――何しろ、最近のリードが主に調べていたのは、魔女ファールドが残した資料だったのだから。
「はは、よくよく信用がないね。僕はあんな非道な研究には手を出さないよ? 幸か不幸か、正義の心に目覚めてしまったからね」アーニティの姉の師でもある魔女ファールドは、リードその人によって、数々の違法研究を告発され、今は追放の身である。「よく言いますよ」アーニティがそう答えたのは、ファールドの追放が、ティルスティアルの街の中での権力争いの結果に過ぎなかったことを知っているからだ。
「……君はまだ、僕が気に入らないみたいだね?」そう言うリードは、悲しげな顔をして見せているが、明らかに目が笑っている。「気に入る要素がどこにあるっていうんですか」アーニティはぶっきらぼうに答えて、リードの含み笑いから目を逸らした。追い打ちをかけるように、リードのわざとらしい言葉が続く。「まぁ、そうだね。何せ、君の最愛の姉上の……」そう言われると、アーニティは持っていたカップを、がちゃりと、中身がこぼれそうなほど勢いよくソーサーに置いて、吐き捨てるように言った――「あなたのそういう所が嫌いなんです!」
 楽しげな笑顔を崩さないリードと、そんなリードと目を合わそうとしないアーニティ。微妙な沈黙が流れ――リヴァが、飲んでいたミルクのカップを倒した。アーニティはテーブルにこぼれたミルクを拭き、リードはリヴァを膝に抱き上げた。
片付けを終えて、再びソファに座ったアーニティが、ぽつんと言った。「……姉が、あなたを選んだ、その選択そのものは、必ずしも、間違っていなかったと思ってます」
「ふぅん?」アーニティの言葉に、リードはわざとらしく瞬いてみせた。そんな彼と目を合わさないまま、アーニティは続ける。「良くも悪くも、あなたは姉を理解している。多分、恋人としては、理解しない方がいい所まで。姉にとって、あなたは特別な人です。それは否定しようがない」アーニティは、リードの膝に座るリヴァをちらりと見た。「……それが、こういう形になったことも、きっと、無理のないことなんでしょう」
いかにも嬉しげに微笑みながら、リードが言う。「運命、って奴かな」軽く放たれた言葉に、アーニティは硬い表情のまま答える。「……かも、しれません」
リードは、膝の上の息子に、その小さな角の生えた頭に、目を落とした。「運命っていうよりは、呪いだと思ったけどね、僕は」
 アーニティは、顔を上げると、はっきりリードを睨みつけた。「……それは、あなたが言っていい言葉じゃない」責める口調に、リードはふぅ、と溜め息をつく。「自分の業を思い知らされた。それだけのことだよ。それも含めて、僕はこの子を愛している。それくらいは、信じてくれないかな」言葉を紡ぎながら、口の端を上げて、再び笑みの形を作る。膝の上のリヴァは、会話の意味こそ理解できないながら、叔父の怒りを感じ取ったのか、怯えた様子でリードの胸にしがみついている。そんなリヴァを見て、アーニティは少し表情を弛めた。真剣さはそのまま、やや和らいだ口調で、リードに語りかける。「……あなたが正直なのは、嘘を吐く必要がないからだ。それは知っています。でも、あなたのしたことと、リヴァを結びつけるのだけは、やめてください」
「もともと、全く関係のないことだよ。でも……」口元を皮肉な笑いに歪めたまま、リードが言う。「君が言うには、運命、なんだろう?」
「それは……」アーニティは、戸惑うような表情を見せたが、ふと、目を細めて、遠くを見るような眼差しをした。
 やや間を置いて、言う。「義兄上。姉に初めて会った時のことを、憶えていますか?」
 唐突な質問に、リードは目を瞬かせた。「初めて会った時? レンデが母の生徒に入った時かな。あの頃のレンデは、全く地味な子で……」リードの言葉を、アーニティが遮った。「その時じゃありません。その前です」
「その前?」リードは、彼にしては珍しく、焦ったような表情を見せる。「……おかしいな。彼女のことは、大抵憶えているはずなんだけど」苦笑いするリードに、アーニティが語り出す。「……あなたは、憶えていないかもしれない。それより前に、姉はあなたと会っているんです。初めてあのひとに会った時に」あのひと、といえば、彼らの間では、リードの母ファールドのことである。「……父が、珍しく遠出して、あのひとのところに挨拶に行った。姉と、僕を連れてね。姉は、その時初めてあのひとを見て――その場には、あなたもいましたよ。あなたは憶えていないだろうけど」リードも幼い頃である。母のところに訪ねてきていた、数多くの者たちの顔など、いちいち憶えてはいなかった。
「……その時から、姉の運命は、変わってしまった。帰りの馬車の中で、しきりに言っていました。『私は、あのひとになる。絶対、あのひとになるんだわ』――そう、ずっと言っていた。よく、憶えています。それからの姉は、異様なくらい勉学に打ち込んで……。あの頃、姉はよく言っていました。『私はいつかあのひとみたいになる。あのひとの子供と結婚して、あのひとの娘になって、それからあのひとの全てを奪って、私があのひとになるの』」
「…………」リードは、黙って、アーニティの言葉を聞いている。
「姉は、あなたに『全てを奪われた』と言っていた。それは……」
「……あーあ」突然、リードは大きく伸びをした。リヴァが、きょとんとした顔で父親を見る。話を遮られたアーニティも、同じ顔でリードを見ている。「あーあ!」リードはにっこり笑うと、リヴァをもう一度抱きしめて、その背中を愛おしげに叩く。「参ったなぁ。僕はつくづく、凡人だね」きゃっきゃっ、と喜ぶリヴァを、高く抱き上げたり下ろしたりしながら、リードはふと、そう言った。「え?」困惑顔のアーニティに、リードは、本物の笑顔を向ける。「嬉しいんだよ、その話を聞いて。すごく、嬉しいんだ。踊り出したいくらい、嬉しいよ」そう言って、リードは立ちあがると、リヴァを高く掲げて、くるくる回ってみせた。きゃははは、と笑うリヴァと、息子に満面の笑みを見せるリードを見て、アーニティは、呆れたように溜め息をついた。
「リードさん」アーニティは、リードをそう呼んだ。「僕は、あなたが嫌いです」
「あはは、知ってるよ。残念だけどね」リードは、笑顔のまま、リヴァを肩に乗せて、もう一度ソファに座った。
「でも……」アーニティの表情が真剣なものに戻る。「あなたが姉を愛していることも、あなたがリヴァを愛していることも、姉があなたを愛していることも知っている。だから……」アーニティは、一呼吸置くと、かすかに微笑んだ。「認めますよ、義兄上。あなたは……僕の兄です」
 言われたリードは、一瞬、きょとんとした顔を見せたが、すぐに笑顔に戻る。「……嬉しいなあ。欲しかったんだよ、弟」
「なら、リヴァに弟でも作ってあげたらどうですか? 姉の居場所くらい掴んでるんでしょう?」意地の悪い言い方は、アーニティの板につかない。「十年ぐらい待ったら、そんなこともあるかもね」リードは軽くそう返した。「十年で納得しますか? 姉が」そう言うアーニティに、リードは、わざとらしいほど真剣な表情を見せた。
「一生だって、待ち続けるさ」
 リードが、恐ろしく性格は悪いが、嘘だけはつかない人間であることを、アーニティは知っている。
「……やっぱり、あなたとは、仲良くはなれませんね」
 苦い表情で言うアーニティと、笑顔を返すリード。小さなリヴァの大きな瞳が、仲の悪い二人をじっと見つめていた。