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 リード・シルフェルが思い出を振り返る時、真っ先に思い浮かぶのは、暗がりを照らすランタンの光と、灯りに照らし出される彼女の姿である。

 その頃、魔術師ファールドの屋敷には、幾人もの生徒が住み込んでいた。
 種族も年齢も千差万別。角を隠しもしない忌み子の姿が見られたのは、屋敷の主が広く知られたナイトメアであったからだろうか。
 ファールド・シルフェルがこの街に居を定めてから、百年近くが経っている。守りの剣のないこの街で、幾度か蛮族の撃退に関わっているうちに、彼女がナイトメアであることも、操霊系統を始めとした妙な研究をしていることも、忌むべき事として受け止める者は少なくなっていた。
 むしろ、その実力と知識の深さは、魔術と関わりのない一般市民からの尊敬すら集めている。
(……おかげで、理不尽な苦労はしないけどさ)
 ファールドの実の息子であるリードは、人間として生を受けた。父親は不明。ファールド自身も知っているかどうか。
(まぁ、別に、誰でもいいけど)
 リードにとって、ファールドは、自らの保護者であり、学問の師であった――親と言うには、あまりにも遠い存在だった。まして、誰かもわからない父親のことなど。
 ただ、彼が、家族というものと縁の薄い子供時代を過ごすことを余儀なくされた事だけは、確かだった。

 ファールドの屋敷の離れにある書庫には、多くの書物が収められている。魔術師ギルドの書庫にも存在しないような、貴重な本も、危険な書も。
 リードが夜間に書庫の見回りをするようになったのは、母の指示があったからではない。
 書斎には、夜間、多くの生徒たちがランタンを持ち込んで勉強をしている。
 一応、書庫を使っていいのは昼間だけ、ランタンを使っていいのは自室だけということになっているので、リードが見周りに来ると、皆急いで灯りを消して姿を隠す。
「別に、勉強するなって言ってるわけじゃないけど」
 リードは彼らに言う。
「でも、勉強するなら陽のあるうちに写本にして、後で読み返すとかにしてくれないかな。原本にススがつくの許せないんだよ」
 リードは本を愛していた。書を残した誰かに思いを馳せることを楽しんでいた。本によって伝えられてきたあらゆる知識を愛していた。
(結局、僕は、魔術師というよりも)
 ――知識の管理者。
 少し悩んだ末に、リードは自分の才能の方向性を、そう結論付けた。
(定命の存在である以上、知識は得るだけではなく、残して伝えなければならない)
 あるいは、母親への反抗心もあったのかもしれない。

 その日、月が空を照らすころ。いつもと同じように書庫の見回りをして、残っていた生徒たちを追い払い、自室に戻ろうとした時。
 リードは、中庭の隅、書庫のある離れの建物の影に、ひとつの人影を見つけた。
「……?」
 持っていた灯りを掲げると、人影は眩しそうに目を細め、持っていた本で顔を覆った。
 少女だ。どうやら、人間の。
(確か、母の弟子の一人。最近来た……)
「どうしたの? こんなところで」
 リードは尋ねたが、少女は黙っている。
「灯りつけないと、目が悪くなるよ?」
 少女は、持っていた本をリードにぐいと押しつけると、そのまま何も言わずに走り去っていった。
(……『操霊術の基礎』。それも、写本)
 特に貴重な本ではない。なにも盗もうとしたわけではないだろう。だが、なぜ、こんな隅で、月明かりだけを頼りに読んでいたのだろう。
(……何て言ったかな、あの子の名前)

 翌日の夜。いつものように見回りを終えたリードは、中庭を隅から隅まで歩きまわってみた。
 庭に置かれた、ファールドを模った彫像の影に、人の気配。
「あ、今日もいた」
 リードがそう声をかけると、少女は急いで立ち上がり、その場を去ろうとした。
「逃げなくてもいいじゃないか、ファーレンディア」
「!」
 そう呼ばれて、少女はびくりとして振り返った。
「で、合ってるよね。母に似た名前だから、すぐ思い出した」
「……ファールド様に頂いた名前ですわ」
 少女――ファーレンディアは、リードに向き直ると、そう、誇らしげに言った。
 地味な麻のローブに、癖のある赤みがかった髪。垢抜けない雰囲気の、地味な容姿の少女だ。
「どうして、こんな時間に、こんなところで本を読んでるのさ。灯りもつけないで……。本にススがつくのも困るけど、暗い所で扱って破ったりされても困るんだけど」
 リードがそう言うと、ファーレンディアは不機嫌そうに答えた。
「そんな迂闊な真似はしませんわ。それに、これは写本の方ですから」
「なら別に、ランタン使ってもいいよ?」
「…………」
 ファーレンディアは、何故か答えない。
「自分のランタン、ない? 大部屋の生徒だと、一人に一つはないかな」
 少し考えて、リードは、自分のランタンを地面に置いた。
「なんなら、これ、置いて行くよ。僕の分はいくらでも持ってこれるし。油は係に言えばもらえるから」
 ファーレンディアは、逡巡した様子でランタンを見ている。
「目悪くすると、後が大変だよ。本を読むのも辛くなるし」
 ――わずかな間のあと。ファーレンディアは、ふぅ、と溜め息をつき、置かれたランタンを持ち上げた。
「……仕方ありませんわね。受け取って差し上げますわ」
 この子のこの高飛車な態度はどこから来るんだろう――リードは胸中で少し笑った。
「でも、大部屋にも、いくつか備え付けがあるはずだし、どうせ一晩中誰か使ってるだろ? 一緒に使わせてもらえばいいのに」
 そう聞かれると、ファーレンディアは、ぶっきらぼうに答えた。
「……あんな狭いところで、落ち着いて書物など読めませんわ」
「それでも、灯りがないよりはいいと思うけど」
「…………」
 しばらくの沈黙の後、ファーレンディアは、ぽつりと言った。
「……天才は努力なんてしないでしょう」
「は?」
 リードが聞き直すと、ファーレンディアは、今度は胸を張って答える。
「私は、天才ですから」
 一瞬、意味が取れずに、リードは少し考えた。
 ……天才だから、努力はしない?
 努力を見せては、いけない?
「……だから、こっそり?」
「…………」
 ファーレンディアは、むすっとした顔で、リードの困惑顔を見ている。
 ややあって、リードはファーレンディアの言葉を、その妙な意地の張り方を、理解した。
「君……」
 リードは、ファーレンディアに笑いかけた。
「面白いな」
「馬鹿にしないで!」
 叫んで、ファーレンディアは手にしていた本をリードに投げつけ、ランタンを持って去っていった。
(『やさしい魔法文明語』)
 本の表題を見て、リードは吹き出した。"天才"が読む本としては、あまりに基礎的な。
(……でも、あの自称天才の子は)
 ファーレンディアの瞳に宿っていた、確かな熱意。
(きっと、本当はすごく、努力家なんだな)
 彼女のことを思いながら、リードはどこか浮かれたような気持ちで、自室へ戻っていった。

 それは、今はまだ小さな出会い。




 ファーレンディアがファールドの下で修業を始めて、半年近くが経っていた。
 春はあっという間に過ぎ去り、短くも暑い夏が終わり、風も涼しくなってきた秋の夜。
 いつものように、物陰で一人、本を読んでいるファーレンディアを、呼ぶ声があった。
「やぁ、ファーレンディア」
 声の主は、リード。ファーレンディアが一人で読書をしていることを知っている、ただ一人の人物である。
「ほら、こっちこっち」
 そう言って、リードは、ファーレンディアを手招きする。
「……何?」
 一応、仏頂面をして見せてから、ファーレンディアは本を閉じて立ち上がり、リードの後について行く。
 リードは、中庭の倉庫や書庫の間を通り抜けて、隅にある小さな小屋にファーレンディアを導いた。
「この家さ、昔からずっと増改築を繰り返してて。でも、この辺りが一番古いところなんだ」
 小屋の戸が開かれると、古い本の匂いが漂う。物置に使われていたようだが、やや整頓されて、小さな机と椅子が置かれている。
「ここは、母が、最初に使っていた部屋、らしいよ」
「ファールド様が……」
 そう言われて、ファーレンディアは、改めて部屋を見回した。小さな小屋が、大聖堂のようにすら見える。
「もちろん、貴重なものなんかは持ち出しちゃったから、今残ってるのはその机と椅子だけだけど。でも、ここなら風も当たらないし、灯りも漏れないから、こっそり勉強するにはいいと思うよ」
 どうやら、リードはわざわざ、この部屋を片付けて、ファーレンディアに使わせることにしたらしい。
「……どうして」
 ファーレンディアが呟くと、リードは笑顔のまま首を傾げる。
「どうして、私に?」
「んー……」
 少し考えるような仕草。どことなく芝居気が漂っている。やがてリードは、ファーレンディアに向き直ると、ばっちりとウィンクしてみせた。
「かわいいから」
「……ッ!」
「本を投げるのは駄目だよ」
 持っていた本を振り上げようとしたファーレンディアの腕を、リードが掴む。掴まれた腕が、硬直する。
 腕を掴んだまま、リードはファーレンディアの顔を覗き込んで、笑みを見せる。
 ファーレンディアは、どうしようもなく火照る顔を、どう冷ましていいのかわからなかった。
「……ごめんね」
 体勢を変えないまま、笑顔を和らげて、リードはそう言った。
「な……何が」
「かわいい、って言ったこと」
 リードは、掴んだ腕を引き寄せながら、空いている左手をファーレンディアの頬に当てる。
「君は……きれいだ」
 ファーレンディアは、なすすべもなく硬直したまま、リードの顔から目を離せずにいる。
「きれいだよ」
 母親に良く似た整った顔に、再び満面の笑みが浮かんだ。