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『Das alte Lied für die Tote』


「憶えていてくれ、あの子がこの世に生きたことを」
「憶えていてくれ、人よりも長いその命が尽きるまで」
「私がお前に望むのは、それだけだ―――」


 養父が亡くなると、彼が使役していたブラウニーも姿を消し、抜けがらになった家だけが残った。
 遺された僅かな金から、いくらかの油を求めると、それを家中に撒いていった。廊下に、居間に、玄関に、台所に、両親の部屋に、リータの部屋に。
 一通り油を撒き終わると、勝手口の前に薪を積み、残りの油をそれに空けた。松明に火を点し、右手に掲げて呼びかける。
「……炎の精霊よ」
 松明から飛び出したサラマンダーは、喜々として薪に飛び移る。燃え上がる火は、やがて壁へ、屋根へと広がる。
 立ち昇る灰色の煙は、私の目を突き、鼻を突き、肌を煤けさせながら、空に吸い込まれていく。
 こうして、私は、赤ん坊の時から19年を過ごした場所を立ち去った。
 何の宛てがあったわけでもない。ただ、家族のいなくなった家に、留まる理由も見つからなかった。

 今際の際の、養父の言葉――
『憶えていてくれ』
 おそらく、そのために全ては見過ごされてきたのだ。
 おそらく、そのために私はあの家にいたのだ。
 ……養父の望みに、関わりなく。もとより、忘れることなどあり得ない。
 私は、記憶し続けるだろう。人よりも長い、この命が尽きるまで。
 ―――だが、それまでの時間、何をして過ごせばいいのだろう?


「お面みたいな顔してるなあ。キミは、膨らまない蕾みたいだね」
 酒場の隅で陽気な演奏をしていたグラスランナーが、私を呼びとめて、そんなことを言った。
「硬く強張って、生きているのか死んでいるのかもわからない」
「……実際、わからないからな」
 私の応えを聞くと、彼はけたけたと笑った。
「キミ自身にわからないんじゃ、ボクにわかるはずもないなあ。でもね、ボクらの種族はとても好奇心旺盛なんだ。誰にもわからない答えこそ知りたがる」
「知りようもないさ、中身のない器の中身など」
「さて、どうかなあ?」
 にやっと口の端を上げて笑う。顔に皺が寄る。子供のような顔が、突如、歳を経た老人に変わったように見えた。
「もし、キミが今ちょっとヒマで、ちょっとだけ付き合ってくれる気があるなら、歌を教えてあげたいな」
「歌?」
「うん、歌」
 彼は、傍らに置いていたリュートを取り上げ、その弦を一度に弾いた。じゃん、という音が、笑い声のように響く。
「もしかしたら、その蕾が開く手助けになるかもよ?」

 興味があったわけでもない。だが、他にすることもないのだから、旅芸人の気紛れに付き合ってみるのも悪くはないと思った。
 客観的に見て、私は、真面目な弟子だったと思う。
 調弦はこまめに、呼吸の訓練も怠らず、反復練習も欠かさない。
 だが、辻でおひねりを投げられる程度にはなっても、何かが物足りない感は否めなかった。
「……やはり、向いていないのだと思う」
 折に触れてそう言ったが、小さな師匠は、その度に私の言葉を笑い飛ばした。
「歌うのに向いてないヤツなんて、この世にいないのさ」

「呪歌?」
「うん、呪歌」
 その日、彼が教えてくれた新しい歌は、特別な効果を持つ魔法の歌だった。
「たとえば、これからキミが冒険者になるならさ、覚えておいてソンはないよ」
「……冒険者」
「うん。ボクは随分前にやめちゃったけどね。なかなか楽しいよ?」
「……ふむ」
 それも、いいかもしれないと思った。命の遣り取りなどしたことはないが、多少は精霊の使役もできる。何より、どんな種族でも受け入れられやすい職業だ。
 私の生きる目的の、唯一にして最大のものが、生き延びることそのものであることを考えると、あまり良い選択とは言えないのかもしれないが。
「そうだなあ……。キミなら、この歌はどうかな?」
 ぽろん、と、師匠のリュートが、涙のような音を奏でる。耳慣れない言葉が、彼の喉から溢れ出す。
 歌を続けながら、師匠は私に目配せをした。
(さあ、一緒に)
 聞き真似で自分のリュートの音を合わせ、歌を真似る。不協和音の合唱が、だんだん調和に向かっていく。
 いつも師匠が奏でるような、陽気で騒がしい曲ではない。ゆっくりと、静かな、深い曲だ。
(らしくないな)
(まあね。そんなにいつも歌いたい歌じゃない。でも、キミならきっと、上手く歌えるよ)
 感覚を閉じて、音に意識を集中する。意味のわからない言葉を追う。心が無へと向かっていく。
 初めて弾く曲なのに、不思議なくらいに、上手く音を追うことができる。
 やがて、二つの旋律は一つになり、完璧な合奏となって――

 唐突に、遠い記憶が蘇った。


 薬の匂いが漂う、病人の部屋のあの暗闇。耳に残る、荒い息遣い。
『リータ、もうやめよう。こんな事をして何になる?』
『何にもならないわ。だからいいんじゃない』
『この間も、酷く弱って寝込んだだろう。身体を労わって――』
『そんなこと、何の意味もないわ。どうせ……』
『リータ』
『……今、私に出来ることで、意味があるのは、たった一つのことだけよ。私はね……』

『あなたを、傷つけたいの。深く、深く。あなたの一生に、消えない傷を。私に出来る限りの方法で―――』


 君は、二つ、間違っている。
 一つ。そんなことをしなくたって、この心には、永遠に残るんだ。
 もう一つ。君が私に遺したものは、傷などではなく――   


 ふと、頬に温かいものが伝っていることに気がついた。
「ほら」
 小さな師匠は、歌を終えると、私を見上げて、顔に皺を寄せて笑った。
「キミは、からっぽの器じゃないんだ」


das Ende