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 また冒険者に頼んで研究所跡を調査してもらった。毎度おなじみ、頭が痛くなるような惨状だったようだ。最近シェリカもいい顔しないし、そのうち受けてくれる冒険者もいなくなるかもしれない。そうなったら、レンデの弟にでも頼もうか。
 受け取った資料のうち、渡せるものは自警団に渡してあとは任せた。残りの資料を選別する。実験記録は細かい検証の繰り返しが多い。本来なら全ての実験の詳細記録を残しておくべきなのだろうが、同じ結果の出ているものについては、日時を記録する程度に留めておく。有益な情報であっても、衝動的に破棄してしまったものもいくつかある。資料の整理に個人的な判断を差し挟みたくはないのだが、記録者の特権ということにしておこう。
 羊皮紙の山を抱えて、書庫に入る。この種のものには特別な保管場所がある。幾重もの隠し扉をくぐり、地下へ地下へと潜っていくと、やがて扉の前まで辿りつく。傍らのマギスフィアに手をかざすと、魔動機文明語で"認証"と表示され、扉が開く。
 笑える話だが、この扉は『ファールド本人、あるいは、ファールドの血を引いている者』のみに開かれるようになっている。無論、母の設定だ。本人個人の設定にしなかったのは、どういう意図あっての事か。おかげでこの奥は僕にも開放されたわけで、有難い話だが。
 今では、ここを利用しているのは僕一人。ここに収められている知識は、間違っても外に出す事ができない類のものばかり。……少なくとも、現世の常識では。
 それでも、『全ての知識は保存されるべきである』。何が正しくて何が間違っているのか、一つの時代の人間が判断するべきではない。
 ……と、まぁ、建前だ。単純に、全てを闇に葬るのは勿体ないと思うだけで。

 扉の奥の部屋にはかなりの広さがある。迷うほどではないが、方向感覚が狂うのは、複雑に織り重ねられたマナの影響か、あるいは空間そのものが狂っているのか。
 書架の並びを抜けると、少し開けた場所に出る。やや大きな石碑型のマギスフィアが、宙空に固定されている。母の専門は一応操霊術であるはずだが、魔動機術の全盛時代に生まれたひとだ。この程度の仕組みは造作もなく作れるのだろう。
 上に羊皮紙の束を置くと、マギスフィアはほのかな光を帯び、かすかな起動音を立てて動き出す。見た限りでは何をやっているのかわからない。『文書を情報に変換して、記録を保存している』そうだけれど。
 個人的な好みを言えば、書物の形で残した方が落ち着くのだが、何せ一人の仕事だ、頭も手も足りない。編纂出来るものは編纂するが、技術に頼れるところは頼っておく。一方で、特に楽しげなものについては、力を入れて詳細な記録を残すこともある。紙の上の文書とマギスフィアへの記録を両方保存しておけば、物理的な消失と技術的な消失、双方から守ることができる。
 ついでのようなものだが、集めた記録から自分なりに推論を組み立てて、論文を書いたりもする。前提である実験記録を公表できない以上、公にすることはできない論文ではあるが、いつか誰かが――この部屋の開放条件が書き換えられることがなければ、それはリヴァや彼の子孫になるだろうが――ここからさらに論を進めてくれるかもしれない。
 未来に繋ぐことを考えるのはとても楽しい。その未来に自分はいないからだ。定命の者の特権といえるだろう。
 僕はいつか跡形もなく消滅して、母ですら手を出すことのできない無に還る。僕の生き方はそれでいい。後は消えるまでの間、側にレンデが居てくれさえすれば言うことはないのだが、そこまでは流石に我儘というものだろう。ファーレンディアは、まだ諦めていない――それも僕の救いの一つなのだから。
 マギスフィアの光が消えた。終わったようだ。手をかざして操作し、記録された情報を確認する。――間違いない。写本を作るのに要する時間と比べれば、全く便利なものだ。どちらが楽しいかと言われれば別だが。
 昔、よく写本を作っては、わずかな小遣いに替えて、レンデへの贈り物を買う資金に充てていた。元の本は母の蔵書なのだから、自分の稼ぎというには無理があるが、まぁ、お坊ちゃんのささやかな自立心とでも言ったところか。
 あんな時間が、今でも続いていたかもしれないと、自分のした事を振り返ることもある。それでも、あれ以上待つ事はできなかった。いつだって、彼女の目が覚めるまで待つ時間は、至上の幸福だったけれど。
 彼女の事を思うと、楽しいくらいに感傷的になる自分がいる。恋というのは良いものだ。

 マギスフィアに内容を記録した後の羊皮紙の束は、外に出てからカマドにでも放りこんでしまうつもりだ。内容が内容だけに、完全に廃棄してしまった方がいい。よくもまぁ、次から次へと酷い実験を行っていたものだと思う。
 こう言ってはなんだが、母は必ずしも悪人ではない。力を求める過程で手段を選ばないだけだ。母の原動力は、際限のない知識欲。他のものについては全く省みない。それこそ母の天才性の一部であるのだろうが、そういうひとの子供として生まれたことは、それなりに不幸な事だったと言わせてもらう。
 母の事を愛している。同時に憎んでもいる。想いは覚めない悪夢のように、僕を苛み続ける。それならせめて、引っかき傷の一つでも付けてやりたかった。僕がやったのは、その程度のことだ。一矢報いた満足感と、これ以上は何も出来ないという諦めを以って、どうにか僕は母の呪縛から抜け出した。同じようにファールドに囚われているレンデには、別の方法を探してもらうしかない。多少は期待していないでもない。彼女なら、果てのない悪夢から目覚める術を探し出してくれるかもしれないと。
 姿を消した母は、今どこで何をしているのか。何をしでかしていようと、僕にはもう関係ない話ではあるが。
 最後に会ったのは――そう、レンデの弟を助けた時だ。
 雨の中、銃声に気付いて、屋敷の裏手に駆け付けた。そこにいたのは、母と、死んだばかりの……いや、生まれたばかりの、母の軍団。
 一人倒れている、恋人によく似た恋人の弟。
 水煙の向こうで、白日の悪夢がくすりと笑う。
「その子は、ファーレンディアの弟ね?」
 二度と聞くこともあるまいと思っていた声が、耳に届く。
「はなむけに、置いていくわ」
 踵を返す母を、追いそうになった足。遠くなる姿を、見つめ続けた目。ただの一声も、発することのできなかった喉。何もかも自分の思い通りにはならないと、改めて思い知らされた瞬間。
 ただ、倒れた彼を助け起こした手だけが、正しい仕事をしていたと、思う。

 狂った空間で、ぼんやりと物思いにふける。様々なものと引き換えに、僕が得た特権の一つ。
 この場所で、たった一人で、自分の傷を抉るのが、今の僕に許された最大の快楽――

 ――ふと。
 気配を感じた。
 誰も立ち入ることのできない、この場所で。

 ……まさか?

 心臓の鼓動が、近づいてくる足音を追い越して早まっていく。
 ゆっくりと細やかに、雲を踏むようなこの足音。
 僕はまた、白日の悪夢を見ているのか?
 書棚の陰から、現れた人影は――

「……ぱぱ!」

 ――全身から力が抜ける。
 そうだ、彼なら、ここに入る事ができて当然だ。彼もまた、ファールドの血を引いているのだから。
「駄目じゃないか、リヴァ。勝手に入ってきたら」
 そう言って抱き上げようとしたが、彼は僕の手から抜けようと逃げ回る。どうも最近、反抗期らしい。
 浮かぶマギスフィアに興味を引かれたらしく、手に持ったぬいぐるみでぺしぺしと叩いている。あの程度で壊れはしないが、「こら」と、叱ってはおく。大して意にも介さずに、リヴァは秘密の部屋を走り回る。
 彼にとって、この書庫は格好の遊び場だ。かつて、僕にとってそうであったように。

 リヴァが生まれるまで、ここに入ることができるのは、母の他には僕だけだった。
 裏切ることが出来る程度には、信頼されていた。そう思うことにしている。


__End.