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『この右手と左手は』」(2010/06/28 (月) 04:40:08) の最新版変更点

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『この右手と左手は』  僕の義兄、というか、甥っ子の父親、というか、なんというか……ともかく、義兄。は、恐ろしく性格の悪い人間だ。  人当たりは悪くない。うちの両親なんかとはごく普通に接している。どういうわけだか普通に仲がいい。父とか怒るべき立場なんじゃないかと思うのだが、そのへんは親世代からの力関係とかまあ色々。そういう所につけ込むのが寒気がするくらい上手い。  そんな彼だが、ごく稀に本性のほうで接する人間がいる。姉はもちろんそうだが、どうして僕まで含まれることになったんだか。初期にいろいろ弱みを見せすぎたのが悪かった。 「アーニー君は、さぁ」  アーニー君とか呼ばないでほしい。 「多分、君自身が思ってるより、レンデのこと好きなんだと思うよ」  何の脈絡もなくこれだ。死んで欲しい。 「はあ……また、どういうお話ですか」  僕が実家の庭掃除をしてる傍で、義兄はリヴァを膝に乗せて、ガーデンテーブルについて優雅にお茶なんか飲んでいる。椅子にススでも塗っておいてやればよかった。 「羨ましい、って話だよ」  そうは言うけど、彼の表情はいつものにやにや笑いだ。 「あなたに羨ましがられるほど幸せになった憶えは生まれてこのかたありませんよ。だいたい、その理屈なら嫉妬に燃えるのは僕のほうになるんじゃないですか」  と、思わず話に乗ってしまうから、つけ込まれるんだと思う。 「だって。僕たちの関係なんて、羨ましがれるほど理解してないだろ、アーニー君」 「説明してもらったことありませんからね。あ、しなくていいです」  ああ苛々する。箒の振りがつい荒くなる。 「君は、そうやって、レンデのことになると、閉じるよね」 「姉上のことに限らず、あなたに心を開いた憶えなんてないですよ」  実際、姉上のことは関係ない。……他の経緯も関係ない。ただ単純に、人間的に苦手と言うしか。 「まぁ、そうだろうけど。僕は別に君のこと嫌いじゃないけどね?」 「羨ましいんじゃなかったですか」 「それは両立するよ。君の中でレンデへの反発と愛情が両立するように」  どうして顔色も変えずにこんなことが言えるのか、この男は。 「勝手に人の感情を決めつけないで下さい。どっちもそんなにないですよ。関わりたくないだけです」 「関わり過ぎると自分が傷つく。君はそれを知っているもんね」  どうしてここまで言われなきゃならないのか。いや、問題は言われてる内容じゃない。このレベルの会話を振られるのが日常的だってことだ。 「もう、そういうことでも、どういうことでもいいですけど、僕に構わないでもらえませんか。掃きますよ」  そう言って箒を振り上げたら、彼はリヴァを右肩の上に抱き上げて、椅子から腰を上げると、実に楽しそうに笑って、片足を引き、空いている左手を握りこぶしの形にして見せた。 「いやぁ、楽しいなあ、兄弟喧嘩」  向かってこいとばかりにウィンクする。これだ。もう、相手にしたくないんだけど。 「はあ……」  結局、僕は箒を下ろして、深く溜め息をついた。 「……で、何でしたっけ。僕が姉を?」  彼は笑いながら、再び椅子に腰を下ろす。 「アーニー君、僕とレンデが一緒にいるの見るの、嫌いだろ?」 「そりゃ嫌ですよ。姉上、明らかに態度が不自然になりますから。……いえ、そっちが自然なのかもしれませんけど。どっちにしろ、身内のそういうとこって見たくないでしょう。まともな家族がいなかったあなたにはわからないでしょうけど」 「あぁ、それは確かにわからないね。母の恋人なんて何人もいたけど、誰に対しても態度が変わるわけじゃなかったし」 「ごく簡単に言えば、いたたまれないんですよ」 「自分の恋愛とか思い出すかい?」  ……姉上が僕の日記を読むくらいはもう諦めてる。でもそれを人に話すのは頼むからやめて欲しい。特にこいつにだけは。 「ご存知でしょうけど、僕のなんて恋愛とも言えませんよ。きれいさっぱりふられましたし。ちょっとした憧れ、だけでした」  彼女はライフォスの信徒で、世の中には愛と正義と平和が溢れているものだと信じている人だった。まあ、世の中のごく一部には、そういう奇跡がないこともないのかもしれない。でも、それを世界全体に広げるのは無理だと僕は思う。結局、相入れない人だった。と、ふられた後で言っても負け惜しみにしか聞こえないが。 「君がシェリカに惹かれたのはさ」  義兄と彼女――シェリカさんは幼馴染に当たる。狭い街ってこれだから嫌だ。 「彼女がレンデに、全くかけらも似てないからだろう?」 「そりゃ。姉上みたいな人とこれ以上交友関係を広げるつもりは毛頭ありませんし」  実際、あの姉上と家族やってくだけでいっぱいいっぱいだ。その上この義兄まで加わってしまったから困る。長生きできる気がしない。別にしたくもないが。 「結局、君にとっては、さ」  義兄は、ぴっと僕を指した。 「全ての基準に、ファーレンディアがいるんだ」  なんてことを言い出すんだか。 「……まあ。一歳違いであの性格の姉と一緒に育ってみてください。成人する頃にはすっかり僕みたいになってますから」 「きょうだいってそういうものだよね。で、それはレンデにとっても同じ」 「はあ?」 「彼女は君に依存している。多分、君が思う以上にね」  口元は笑ったまま、真剣な目で、義兄は言った。 「……恐ろしいこと言いますね」  まあ、姉が、誰に対するより、僕に接する時に一番素でいるのは確かだと思う。でもそれは。 「あなたが悪いんでしょう。意地悪ばっかりするから、姉だって意地を張らずにいられないんですよ」 「僕たちはそれでいいんだよ。傷つけ合うのが楽しいんだからさ」  ああ聞きたくない。こういう話は心から聞きたくない。 「……じゃあ、それでいいでしょう。姉の精神の平衡を保つ手助けぐらいは身内の義理でやりますけど、あなた方の関係には死んでも立ち入りませんから、僕に構わないでください」  背を向けて、掃き掃除に戻る。ああ、死ぬほど無駄な時間を割いてしまった。 「僕は、さ」  背後から、義兄の言葉が続く。 「ファーレンディアの全てが欲しいんだ」  思わずつんのめる。何だこの拷問は。 「……その方法はご存知のはずですよ。やらないのはあなたの意地か何かでしょう」  義兄、と言うけれど、姉と彼は結婚していない。理由は姉にちらっと聞いて理解できなかったので聞くのをやめた。リヴァのためにもちゃんと家庭を作ってほしいとは思うのだが、それこそ僕に口出しできる話じゃない。  ただ、それでも、リードが姉にはっきり求婚すれば、姉は間違いなく受け入れると思う。 「うん、まあね。でも……」  義兄は、珍しく、やや言葉を選ぶように間を置いた。 「僕は、レンデを、ファールドの娘にしたくないんだ」  ……ファールド。義兄の母。姉の師匠。そして、僕にとっては、ある意味で仇。……といって、仇を討ちに行けるような存在でもない。  不世出の天才魔術師。無限の時を生きるナイトメア。善も悪も超越した、知識の探求者。  悪事を暴かれ、この街を追放されてから、彼女はある二つ名で呼ばれるようになった。"白日の悪夢"……直接対峙した時のことを思い出すのは、まったく白日の悪夢だ。 「じゃあ、あなたが、リード・ルールシェンクにでもなりますか?」 「はは、それも悪くないけど……」  義兄の声には珍しく元気がない。こういうスキにつけ込んでおけば、この力関係をちょっとはどうにかできるのかもしれないが、僕は基本的にお人よしで凡人だからそんな事はしない。  それを知っているからこそ、義兄は平気でこんな事を言うんだと思う。 「……僕は、レンデを愛しているのと同じくらい、母のことも愛しているんだ」  もう本当、この男撃ち殺したい。 「……もういいです。どうでもいいです。僕に構わないでください、頼むから」  わかっている。わかってしまっている。姉と義兄が惹かれあったのは、それがあったからこそだと。二人が等しく持っているのは、あの美しい悪夢に対する、慕情と反発。その渦巻く激しい感情は、僕にも、他の誰にも理解できない。  誰が悪かったわけでもない。運命的に二人は出会い、抱える闇は一つになった。そうして、この街はひっくり返り、二人の間にはリヴァが生まれた。ついでに、僕は色々なものを失った。  いや、過去のことはもうどうでもいい。今、二人がつまらない意地をお互いに捨てれば、ただの幸せな一家になれるはずだ。どんな傷も、きっと癒えていく。何の根拠もないが、そう思う。  でも、姉も義兄も、その意地にこそアイデンティティを持っている。だから、それは僕にどうこう言える問題じゃない。  ……だから、その意地とか揺れの割り切れない部分を、二人して僕にぶつけるのはやめて欲しい。弟って、本当に貧乏籤な商売だ。 「アーニー君は、本当」  義兄は、また、いつもの馬鹿にしたような声色に戻って、言った。 「苦労するよね」 「よりによってあなたが言いますか」  思わず笑いが漏れた。もう笑うしかない。 「……まぁ、僕が言いたいのはさ」  振り向くと、義兄はぎゅっとリヴァを抱きしめている。 「僕は、君より、ずっとずっとレンデを愛しているってことだよ」 「あーはいはい、そうですよね」  なんだか乾いた笑いが止まらない。 「ファーレンディアのためなら、世界中を敵に回したっていいさ」  こういう事を平気で言うから嫌だ。しかも、彼に限っては本当に本気だ。 「……それなら」  持っていた箒を、傍らの木に立てかけて、僕は彼の方に向き直った。 「僕は、あなた達と世界の、ちょうど中間に立ちますよ」 「ふぅん?」 「右手で姉上を撃って、左手であなたを撃って。そして、この身体でリヴァを守ります」  そう言って、人差指を突き出し、彼を撃つ真似をすると、リードは実に楽しそうに笑った。  それは、姉が家を出る、ほんの少し前の出来事。      

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