「『Das alte Lied für die Tote』」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

『Das alte Lied für die Tote』」(2010/06/29 (火) 01:43:27) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

『Das alte Lied für die Tote』     「憶えていてくれ、あの子がこの世に生きたことを」 「憶えていてくれ、人よりも長いその命が尽きるまで」 「私がお前に望むのは、それだけだ―――」      養父が亡くなると、彼が使役していたブラウニーも姿を消し、抜けがらになった家だけが残った。  遺された僅かな金から、いくらかの油を求めると、それを家中に撒いていった。廊下に、居間に、玄関に、台所に、両親の部屋に、リータの部屋に。  一通り油を撒き終わると、勝手口の前に薪を積み、残りの油をそれに空けた。松明に火を点し、右手に掲げて呼びかける。 「……炎の精霊よ」  松明から飛び出したサラマンダーは、喜々として薪に飛び移る。燃え上がる火は、やがて壁へ、屋根へと広がる。  立ち昇る灰色の煙は、私の目を突き、鼻を突き、肌を煤けさせながら、空に吸い込まれていく。  こうして、私は、赤ん坊の時から19年を過ごした場所を立ち去った。  何の宛てがあったわけでもない。ただ、家族のいなくなった家に、留まる理由も見つからなかった。    今際の際の、養父の言葉―― 『憶えていてくれ』  おそらく、そのために全ては見過ごされてきたのだ。  おそらく、そのために私はあの家にいたのだ。  ……養父の望みに、関わりなく。もとより、忘れることなどあり得ない。  私は、記憶し続けるだろう。人よりも長い、この命が尽きるまで。  ―――だが、それまでの時間、何をして過ごせばいいのだろう?     「お面みたいな顔してるなあ。キミは、膨らまない蕾みたいだね」  酒場の隅で陽気な演奏をしていたグラスランナーが、私を呼びとめて、そんなことを言った。 「硬く強張って、生きているのか死んでいるのかもわからない」 「……実際、わからないからな」  私の応えを聞くと、彼はけたけたと笑った。 「キミ自身にわからないんじゃ、ボクにわかるはずもないなあ。でもね、ボクらの種族はとても好奇心旺盛なんだ。誰にもわからない答えこそ知りたがる」 「知りようもないさ、中身のない器の中身など」 「さて、どうかなあ?」  にやっと口の端を上げて笑う。顔に皺が寄る。子供のような顔が、突如、歳を経た老人に変わったように見えた。 「もし、キミが今ちょっとヒマで、ちょっとだけ付き合ってくれる気があるなら、歌を教えてあげたいな」 「歌?」 「うん、歌」  彼は、傍らに置いていたリュートを取り上げ、その弦を一度に弾いた。じゃん、という音が、笑い声のように響く。 「もしかしたら、その蕾が開く手助けになるかもよ?」    興味があったわけでもない。だが、他にすることもないのだから、旅芸人の気紛れに付き合ってみるのも悪くはないと思った。  客観的に見て、私は、真面目な弟子だったと思う。  調弦はこまめに、呼吸の訓練も怠らず、反復練習も欠かさない。  だが、辻でおひねりを投げられる程度にはなっても、何かが物足りない感は否めなかった。 「……やはり、向いていないのだと思う」  折に触れてそう言ったが、小さな師匠は、その度に私の言葉を笑い飛ばした。 「歌うのに向いてないヤツなんて、この世にいないのさ」   「呪歌?」 「うん、呪歌」  その日、彼が教えてくれた新しい歌は、特別な効果を持つ魔法の歌だった。 「たとえば、これからキミが冒険者になるならさ、覚えておいてソンはないよ」 「……冒険者」 「うん。ボクは随分前にやめちゃったけどね。なかなか楽しいよ?」 「……ふむ」  それも、いいかもしれないと思った。命の遣り取りなどしたことはないが、多少は精霊の使役もできる。何より、どんな種族でも受け入れられやすい職業だ。  私の生きる目的の、唯一にして最大のものが、生き延びることそのものであることを考えると、あまり良い選択とは言えないのかもしれないが。 「そうだなあ……。キミなら、この歌はどうかな?」  ぽろん、と、師匠のリュートが、涙のような音を奏でる。耳慣れない言葉が、彼の喉から溢れ出す。  歌を続けながら、師匠は私に目配せをした。 (さあ、一緒に)  聞き真似で自分のリュートの音を合わせ、歌を真似る。不協和音の合唱が、だんだん調和に向かっていく。  いつも師匠が奏でるような、陽気で騒がしい曲ではない。ゆっくりと、静かな、深い曲だ。 (らしくないな) (まあね。そんなにいつも歌いたい歌じゃない。でも、キミならきっと、上手く歌えるよ)  感覚を閉じて、音に意識を集中する。意味のわからない言葉を追う。心が無へと向かっていく。  初めて弾く曲なのに、不思議なくらいに、上手く音を追うことができる。  やがて、二つの旋律は一つになり、完璧な合奏となって――    唐突に、遠い記憶が蘇った。      薬の匂いが漂う、病人の部屋のあの暗闇。耳に残る、荒い息遣い。 『リータ、もうやめよう。こんな事をして何になる?』 『何にもならないわ。だからいいんじゃない』 『この間も、酷く弱って寝込んだだろう。身体を労わって――』 『そんなこと、何の意味もないわ。どうせ……』 『リータ』 『……今、私に出来ることで、意味があるのは、たった一つのことだけよ。私はね……』   『あなたを、傷つけたいの。深く、深く。あなたの一生に、消えない傷を。私に出来る限りの方法で―――』      君は、二つ、間違っている。  一つ。そんなことをしなくたって、この心には、永遠に残るんだ。  もう一つ。君が私に遺したものは、傷などではなく         ふと、頬に温かいものが伝っていることに気がついた。 「ほら」  小さな師匠は、歌を終えると、私を見上げて、顔に皺を寄せて笑った。 「キミは、からっぽの器じゃないんだ」     das Ende    
『Das alte Lied für die Tote』     「憶えていてくれ、あの子がこの世に生きたことを」 「憶えていてくれ、人よりも長いその命が尽きるまで」 「私がお前に望むのは、それだけだ―――」      養父が亡くなると、彼が使役していたブラウニーも姿を消し、抜けがらになった家だけが残った。  遺された僅かな金から、いくらかの油を求めると、それを家中に撒いていった。廊下に、居間に、玄関に、台所に、両親の部屋に、リータの部屋に。  一通り油を撒き終わると、勝手口の前に薪を積み、残りの油をそれに空けた。松明に火を点し、右手に掲げて呼びかける。 「……炎の精霊よ」  松明から飛び出したサラマンダーは、喜々として薪に飛び移る。燃え上がる火は、やがて壁へ、屋根へと広がる。  立ち昇る灰色の煙は、私の目を突き、鼻を突き、肌を煤けさせながら、空に吸い込まれていく。  こうして、私は、赤ん坊の時から19年を過ごした場所を立ち去った。  何の宛てがあったわけでもない。ただ、家族のいなくなった家に、留まる理由も見つからなかった。    今際の際の、養父の言葉―― 『憶えていてくれ』  おそらく、そのために全ては見過ごされてきたのだ。  おそらく、そのために私はあの家にいたのだ。  ……養父の望みに、関わりなく。もとより、忘れることなどあり得ない。  私は、記憶し続けるだろう。人よりも長い、この命が尽きるまで。  ―――だが、それまでの時間、何をして過ごせばいいのだろう?     「お面みたいな顔してるなあ。キミは、膨らまない蕾みたいだね」  酒場の隅で陽気な演奏をしていたグラスランナーが、私を呼びとめて、そんなことを言った。 「硬く強張って、生きているのか死んでいるのかもわからない」 「……実際、わからないからな」  私の応えを聞くと、彼はけたけたと笑った。 「キミ自身にわからないんじゃ、ボクにわかるはずもないなあ。でもね、ボクらの種族はとても好奇心旺盛なんだ。誰にもわからない答えこそ知りたがる」 「知りようもないさ、中身のない器の中身など」 「さて、どうかなあ?」  にやっと口の端を上げて笑う。顔に皺が寄る。子供のような顔が、突如、歳を経た老人に変わったように見えた。 「もし、キミが今ちょっとヒマで、ちょっとだけ付き合ってくれる気があるなら、歌を教えてあげたいな」 「歌?」 「うん、歌」  彼は、傍らに置いていたリュートを取り上げ、その弦を一度に弾いた。じゃん、という音が、笑い声のように響く。 「もしかしたら、その蕾が開く手助けになるかもよ?」    興味があったわけでもない。だが、他にすることもないのだから、旅芸人の気紛れに付き合ってみるのも悪くはないと思った。  客観的に見て、私は、真面目な弟子だったと思う。  調弦はこまめに、呼吸の訓練も怠らず、反復練習も欠かさない。  だが、辻でおひねりを投げられる程度にはなっても、何かが物足りない感は否めなかった。 「……やはり、向いていないのだと思う」  折に触れてそう言ったが、小さな師匠は、その度に私の言葉を笑い飛ばした。 「歌うのに向いてないヤツなんて、この世にいないのさ」   「呪歌?」 「うん、呪歌」  その日、彼が教えてくれた新しい歌は、特別な効果を持つ魔法の歌だった。 「たとえば、これからキミが冒険者になるならさ、覚えておいてソンはないよ」 「……冒険者」 「うん。ボクは随分前にやめちゃったけどね。なかなか楽しいよ?」 「……ふむ」  それも、いいかもしれないと思った。命の遣り取りなどしたことはないが、多少は精霊の使役もできる。何より、どんな種族でも受け入れられやすい職業だ。  私の生きる目的の、唯一にして最大のものが、生き延びることそのものであることを考えると、あまり良い選択とは言えないのかもしれないが。 「そうだなあ……。キミなら、この歌はどうかな?」  ぽろん、と、師匠のリュートが、涙のような音を奏でる。耳慣れない言葉が、彼の喉から溢れ出す。  歌を続けながら、師匠は私に目配せをした。 (さあ、一緒に)  聞き真似で自分のリュートの音を合わせ、歌を真似る。不協和音の合唱が、だんだん調和に向かっていく。  いつも師匠が奏でるような、陽気で騒がしい曲ではない。ゆっくりと、静かな、深い曲だ。 (らしくないな) (まあね。そんなにいつも歌いたい歌じゃない。でも、キミならきっと、上手く歌えるよ)  感覚を閉じて、音に意識を集中する。意味のわからない言葉を追う。心が無へと向かっていく。  初めて弾く曲なのに、不思議なくらいに、上手く音を追うことができる。  やがて、二つの旋律は一つになり、完璧な合奏となって――    唐突に、遠い記憶が蘇った。      薬の匂いが漂う、病人の部屋のあの暗闇。耳に残る、荒い息遣い。 『リータ、もうやめよう。こんな事をして何になる?』 『何にもならないわ。だからいいんじゃない』 『この間も、酷く弱って寝込んだだろう。身体を労わって――』 『そんなこと、何の意味もないわ。どうせ……』 『リータ』 『……今、私に出来ることで、意味があるのは、たった一つのことだけよ。私はね……』   『あなたを、傷つけたいの。深く、深く。あなたの一生に、消えない傷を。私に出来る限りの方法で―――』      君は、二つ、間違っている。  一つ。そんなことをしなくたって、この心には、永遠に残るんだ。  もう一つ。君が私に遺したものは、傷などではなく――         ふと、頬に温かいものが伝っていることに気がついた。 「ほら」  小さな師匠は、歌を終えると、私を見上げて、顔に皺を寄せて笑った。 「キミは、からっぽの器じゃないんだ」     das Ende    

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: