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『竜騎兵の凱旋』」(2010/11/16 (火) 09:42:28) の最新版変更点

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"アーニティさんは、とてもいい友達だけれど……"  思い出すだけで死にたくなるような思い出も、今思えば悪くない思い出だ。思い出すと死にたくなるけど。 「……三年ぶり、でしたっけ」 「そうですね。皆が亡くなってから、三年」 「すみません、ずっと顔を出せなくて。合わせる顔が、なかったものですから」 「そんな……。でも」  シェリカさんは、記憶より少し大人びた顔で、寂しげに笑った。 「また会えて、嬉しいわ」 『竜騎兵の凱旋』  当分戻るまいと思っていた故郷なのに、結局一年も経たずに、僕はまたこの街にいる。  気持ちの整理がついたから、というより、気持ちの整理をつけにきた、と言うべきか。  ま、整理なんてつくわけもないんだけど。  それでも、こうやって、思い出深い人に会いに来れる程度には強くなった……というより、強くならなきゃいけないと思った。 「それにしても、冒険者になっていたなんて。驚いた」  花瓶の水を替えながら、シェリカさんが言う。この店は今も昔も、花の香りに満ちている。 「自分でも驚きましたよ。もうちょっと堅実な人間のつもりだったんですけどね」  姉上が先にそうしなければ、思いつきもしなかったと思う。 「ふふ」  こちらに向けられる柔らかな笑顔は昔通りだけれど、どこか陰が差したように見える。  魔法の腕輪が、鎖に下げられて、彼女の胸にかかっている。聞かなくても、由来は知っている。 「セディも、聞いたらきっと、びっくりするわね」 「そうですね……」  セディ。シェリカさんの恋人、僕の友人の一人……ライバルと言うにはちょっと差がありすぎた。でも彼は命を落とし、僕はいまこうして生きている。皮肉な話だ。 「彼は、剣で身を立てようとしていたから。今のあなたを見たら、きっと……」  そこで、シェリカさんは言葉を止めた。 "きっと、羨ましがる"  そう、言おうとしたのだろうか。 「きっと……笑うでしょうね」  僕がそう言うと、彼女は、胸元の腕輪に手を当てて、柔らかに微笑んだ。 「そうね」  ……半身を失った痛みというのは、どれほどのものだろう。きっと、僕なんかには想像もつかないほどの。 「シェリカさん、まだ……」  言いかけて、後悔したけど、言葉は止まらなかった。 「辛い……ですか?」  彼女の目が、曇る。 「…………」  彼女は、俯きがちに振り向いて、カウンターの花瓶に近づく。 「……ええ。辛いわ。とても」  彼女の手が、花瓶の周りに落ちた花びらを拾い集める。 「幸せな夢を見て……朝、目が覚めたことを残念に思う」  集められた花びらは、まとめて籠に入れられる。彼女の手からひらひらと、くすんだ花びらが舞い落ちる。 「夜、眠れないまま、空が白くなっていくのを見る」  ……ああ、わかる。よくわかる。 「何をしていても、まるで実感のないまま時は過ぎていって……」  僕も、そうだった。 「……でも、ね」  シェリカさんが、顔を上げた。。 「それでも……良かったって思うの」 「え?」  振り向いた彼女の、その表情は、穏やかだ。 「彼と出会ったことも、私が今生きていることも。……そう思えるようになったのは、本当に最近だけれど」  彼女の手が、形見の腕輪を優しく撫でる。 「それに、もちろん……あなたが生き残ってくれたことも」 「…………」  無理のない笑顔が、かえって、胸に痛い。 「アーニティさんが、無事でよかった。元気で戻って来てくれて、よかった」  花瓶から、花が一本、シェリカさんの手に取られる。 「……今は、心からそう言える」  彼女が、僕に歩み寄る。 「だから……あなたも、もう、自分を責めないでください」  シェリカさんが、僕の顔を覗き込む。  瞳が、きれいだと思う。若葉のような翠。 「ライフォス様が、あなたの心に平穏をお届けになりますように」  彼女は、手にした花を、僕の胸ポケットに差し入れた。  花の香りが、じわりと喉の奥に沁みる。  僕の背負うものが、軽くなったわけじゃない。  でも、それでも、今、僕の中でまた一つ、糸のかたまりが、ほどけたような気がした。  中心街から周縁部に向かう道は、緩やかな坂。人通りはそう多くない。  見覚えのある人とすれ違ったが、話すのも面倒なので気付かないふりをした。  たまに、お使い中らしい人形を見かけたりする。以前は当たり前のように思っていたけど、久しぶりに見るとぎょっとする。  まぁ、この街は、変わっていないようだ。良くも悪くも。  自警団の詰め所に顔を出すかどうかは迷った。あまり親しい相手は残っていないが、団長にはちょっと会いたい気もする。でも忙しいだろうし、待つのもなんなので、今回は寄らないことにした。  住宅街を抜けて、郊外。林のそばにぽつんと建っているのが、僕の実家だ。ここも、変わらない。  ドアを開けると、母が顔を出して、驚いたように僕の顔を見て……。  覚悟してた通り。平手が飛んできた。  それ以上は何も言わずに、母はそのまま食事の支度を続ける。  自分の部屋に行ってみると、机はうっすら埃を被っていた。さすがに、居ない人間の部屋まで掃除はされてない。  抽斗を開けると、記憶通り、そこに勲章が収まっている。  そのまま戻して、自分のベッドに寝転ぶ。  天井の染みがなんだか懐かしくて、視界が歪んだ。  少し経って、父がギルドから帰って来た。顔を出すと、父はちょっと目を丸くしたが、すぐ、にやっと笑って、僕の頭をわしわしと撫でた。 「何も言わなくていい、わかってる」  この人はいつもこうだ。多分なにもわかってない。でも、まあ、これでいいんだと思う。  母の料理は相変わらず、素材そのままの味を生かした、要するに塩気の少ない料理だったが、これもまた懐かしくはある。  姉上の話を色々した。自分の話はあまりしなかった。ただ、一つだけ。 「友達が、できました」  両親は、顔を見合わせて、同時に笑った。  義兄の顔は見たくもないが、甥っ子のことは気になる。気は重いが、寄るだけ寄ることにした。  相変わらず、大きな家だ。  姉上がここで暮らしていた時期、何度か来たことはある。  あの頃の姉上は、まるで別人のように穏やかな顔をしていた。  過去のことなんて、全部、忘れてしまったんだろうと思ってた。本当はまったくそんなことなかったってことは、今の姉上を見れば明らかだが。  きっと、あのまま、本当に忘れていくことだって、できたんだろう……でも、それができないのが姉上だ。  ノックしようとして、ちょっと躊躇していたら、中から思い切り扉が開いて、僕にぶつかった。 「わあっ!?」 「あー」  扉を開けたのは、癖のある銀髪の、ナイトメアの子供。  リヴァだ。……大きくなった。  僕の姿を見ると、驚いたように中に駆け込んで行ってしまった。その奥から声がする。 「こら、リヴァ。廊下を走っちゃいけないって……あれ」  ……出た。 「アーニー君じゃないか。久しぶり」  彼にこう呼ばれるのもまぁ慣れた。友達が増えてから、僕をアーニーって呼ぶ人も増えたし。 「えぇ、お久しぶりです」儀礼的に頭を下げる。 「珍しいこともあるものだね。君が僕に会いに来るなんて」 「あなたに会いに来たわけじゃありませんよ」  義兄がリヴァを抱き上げた。慣れた動作だが、やっぱり以前より随分重そうだ。 「リヴァ、憶えてるかい? アーニー君」 「あーに?」 「そうそう」  子供の成長って早いな。一年も経たないのに、本当に大きくなった。感動したけど、義兄の前で態度には出さない。 「元気そうで、よかったです。リヴァ」  手を伸ばして頭を撫でてやると、リヴァはびっくりしたような顔をした。かわいい。この義兄と姉上の子だとは思えない。顔はどっちにも似てるけど。 「まぁ、上がっていきなよ。ついでに掃除してくれると嬉しい」 「客に頼むことですか、それ」  とは言ったものの、確かに散らかり方が気になる。姉上がいないとこれだから。 「ここの所、野暮用が嵩んで忙しいのと、リヴァが走り回るようになったからさ。さすがに、危険なものは片付けたけどね」 「それは何よりです」  野暮用とか危険なものの内容については、心から聞きたくない。 「あ、茶葉は上の棚の右のほう。ポットとカップは食器棚の一番下」 「……はい?」 「リヴァの分はミルクでね。朝の残りがまだあるから」 「…………」  もうなんか諦めた。厨房に行って、二人分のお茶とリヴァのミルクを用意する。厨房だけはやたら綺麗なので逆に心配になる。ちゃんとしたもの作ってるんだろうか。 「はい、どうぞ!」居間のテーブルに、お盆をがちゃりと置いた。 「乱暴だなぁ」そう言って、義兄はポットからカップにお茶を注ぐ。自分の分だけ。 「横暴な人に言われたくないです」  仕方ないので、自分の分は自分で注ぐ。やたら香りがいい葉なのがむしろ腹立たしい。  リヴァはコップを両手でしっかり持って、おいしそうにミルクを飲んでいる。その顔が、ちょっと姉上に似て見える。 「レンデは、どうしてる?」義兄が言った。 「気になるなら、会いに行ったらどうですか」 「行ったよ、夏に」  ……思わず椅子からずり落ちそうになった。聞いてない。いや、聞きたくもなかったが。 「……えぇ、まぁ、それからなら、そんなに変わってないと思いますよ」  一年前と比べるなら、姉上も結構変わったとは思うけど。 「つまり、可愛くて素敵な僕のファーレンディアのままだってことだね」 「はいはい」  こいつのありえない惚気には大概慣れている。慣れるまでが遠かったが。 「まぁ、レンデはいつだってレンデだけど」  茶を一口啜って、義兄が言う。 「君は、変わったかな」 「……そうですか?」 「良かったね。だいぶ立ち直ったみたいじゃないか」 「あなたと会ってませんでしたからね」あながち冗談でもない。 「随分、苦労した?」 「そうでもないですよ。一年前のほうが、ずっと辛かった」  冒険者になってからは……そりゃ、怪我もするし、死にかけたこともあるし、仲間が傷つくことだってよくあるけど。それでも、なんていうか楽だし、嬉しいこともある。逃避と言われれば、それまでだけど。  何より、友達が増えた。 「元気そうで何より。僕にとっても、君は大事な弟だし? 「……はっ」  思わず本気で鼻で笑ってしまった。 「あっはっは。まぁ、前向きに生きる気になってくれたなら嬉しいよ」  ……同じようなことはよく言われるけど、こいつに言われるとむしろ死にたくなる。 「ま、あなたより先に死ぬのも癪ですからね」  義兄は何がおかしいのか、肩を震わせてくつくつと笑っている。こういう所が心底苦手だ。 「うんうん。……もう、大丈夫そうだね」  何だか満足げなのが腹立たしい。 「えぇ、まぁ。ご心配おかけしました?」 「僕はともかく。ご両親、心配してたよ? あれでも」 「…………」  こいつに言われる筋合いはないが、心配をかけたのは事実だと思うので反論できない。 「しばらく居るんだろ? 親孝行して行けばいいさ」 「……あなたに言われなくても、多少の埋め合わせは出来るように頑張りますよ。そう、長くは居られませんけどね」 「なんだ。せっかくだから、ついでに色々頼もうと思ったのに」  冗談じゃない。 「あなたに使われる気はありませんよ。仕事としてならそりゃ別ですけど、それなら相応の報酬で……」 「心配しなくても、君にゴーレムを倒してこいだの、アンデッドを倒してこいだの頼まないさ」  ……殴りたい。 「……じゃあ、何をしろって言うんですか」 「ほら、リヴァの遊び相手とか」  ミルクを飲み干した後、ぬいぐるみを振り回して遊んでいたリヴァは、突然名前を呼ばれて、きょとんとした顔をした。 「それはもちろん、構いませんけど。というか、喜んでやりますけど」 「リヴァ、アーニー叔父ちゃんと遊びたい?」 「うー?」  リヴァは、なんだか、よくわからない、といったように、僕のほうをちらちら見ている。 「大丈夫。ちょっと心に余裕がないからトゲトゲしい態度になりがちだけど、ほんとはいい人なんだよ?」  リヴァの頭を撫でながら、義兄が言う。 「いーひと?」 「うんうん。アーニー君はいい人」 「あーに、いーひと?」  ……この行き場のない感情をどうすればいいんだ。 「はいはい、どうせいい人ですよ……」 「いーひと!」  なんだかわからないが、リヴァは機嫌が良いらしい。にこにこしながらぬいぐるみをぺしぺし叩いている。こういう仕種が、姉上によく似ている。  と、子供を見て多少和んでいたら、父親のほうに声をかけられた。 「あ、そこのいい人。ポットとカップ洗っておいて」 「…………」  ポットごと盆をひっくり返してやりたくなったが、それをやってもどうせ後片付けをするのは僕だろう。 「そういう態度、教育に悪いんじゃないですか?」机の上を片付けながら、そう言ってやる。 「大丈夫。僕がこんな対応するのは、君が相手の時くらいだから」 「何が大丈夫なんですか……」  やっぱり、こいつだけはどうにもならない。大概慣れた自分が嫌だ。  再び厨房へ向かうと、リヴァがついてきて、僕が食器を洗う手元をじっと見ている。この子には、出来た性格に育ってほしいものだ。できれば父親にも母親にも似ずに。  恐る恐る抱き上げてみる。以前に比べればすっかり重くなったけれど、やっぱりまだ小さくて柔らかくて、ちょっと怖い。リヴァのほうは慣れたもので、うまく安定するようにしがみついてくる。  子供の匂い。なんだか落ち付く。 「……い、いたた」  髪を引っ張られた。両手が塞がっているので抵抗もできない。  やっぱり、子供の相手って重労働だと思う。だからって義兄に同情もしないし尊敬もしないが。 「とりあえず、今日は家に戻ります」  居間に戻って、義兄にリヴァを受け渡す。リヴァは、するりと僕の腕から義兄の腕に乗り移る。 「うん。また明日?」 「……重ねて言いますけど、リヴァと遊ぶ以外のことはしませんからね?」 「まぁ、頼む時はシェリカを通して店から頼むから、大丈夫」  大丈夫じゃない。断れない。 「もう会った? 随分元気になっただろ、彼女」  逆に言えば、やっぱり、元気じゃない時もあったってことなんだろう。 「……まあ。三年、ですからね」  三年前。色んなことが起こった。姉上は師を失い、シェリカさんは恋人を失い、僕は友人を失った。 「まだ三年か。びっくりだな」  他人事のように言う。こいつが一番の当事者だったっていうのに。 「まぁ、傷は癒えなくても。痛みは消えるよ、そのうちにね」  そう言って、義兄はにこりと笑う。 「…………」  踵を返しかけて、振り返った。 「……僕は」 「ん?」 「痛みも、忘れたくありません」 「……へぇ」  義兄は、興味深そうに僕を見た。 「その生き方は、結構辛いと思うよ?」 「今さらですよ」  肩をすくめてみせると、義兄は、「そうだね」と笑った。 「まぁ、頑張ればいいさ」  義兄は、抱えていたリヴァを下ろして、僕の手を取った。 「アーニティ君に、ライフォスのご加護がありますように」  ……ちょっと本気で蹴りを入れそうになったが、下手に怒ってもこいつの思うつぼだ。 「あなたこそ、リルズのご加護がありますように」  手を振り払って、そう言ってやると、リードは、心底楽しそうに笑った。  そのために帰って来たのに、寄るか、どうするか、随分迷った。  まぁ、先に義兄に会ったおかげで、変に吹っ切れはした。  街の中心街の少し外れ、煉瓦の壁に囲まれた一角。……墓地。  木立が、ざわざわと騒いでいる。 「……久しぶり、ドゥエル」  ここに来るのは、実は初めてだ。  石の下には、友人が眠っている。恐らくは、僕が撃ち抜いた穴を頭に空けたまま。 「なんか……言わなきゃいけないことは、いっぱい、あるんだけど」  喉の奥が、痛い。  やっぱり、ここに来るのは、まだ早かったんだろうか。  ……でも。 「ごめん。……とりあえず、報告っていうか」  ここ一年にあった、色々なことが、頭を渦巻く。 「……って、言えるほど、まだ、まとまってないんだけど」  僕はまだ、渦の中でもがいている。 「でも、少しは、しっかりしたと思うから……じゃ、なくて」  後悔、罪悪感、自己嫌悪。 「……やっぱり僕は、まだ弱くて。何も、できないかもしれないけど」  でも、色んな人が背中を押してくれた。 「僕は……まだ、生きているから。生きているなら……」  やれることが、あるから。そう、口に出せなかった。 「……生きてるから、まだ、生きる。から……」  許して欲しい。そう、言えなかった。 「だから……」  見守って居て欲しい。そんなこと、言えるわけがない。 「だから……また、きっと、ここに、戻ってくるよ」  …………。  もちろん、石は、答えを返さない。 「……ごめん、なんだか、一方的に喋っちゃって」  懐を探る。ポケットに、シェリカさんから受け取った花が、入ったままになっている。  "ライフォス様が、あなたの心に、平穏をお届けになりますように" 「……神様に祈る趣味は、僕にはないから。だから、これは」  シェリカさんの、僕の。残された者の、心。 「……あぁ、もう。何だか、馬鹿みたいだ」  逃げ出したい。主に自分自身から。 「こんなだから、いつも姉上とか義兄上に馬鹿にされるのかな……」  ポケットから抜いた花を、ドゥエルの墓前に捧げる。 「…………」  言葉を探す。出てこない。 「……何て言っていいのか、わからないや」  まったく、馬鹿馬鹿しい。 「……それじゃ、また」  物言わぬ石を残して、僕はゆっくりと歩き始める。  こうして、僕のささやかな凱旋は終わった。  冒険に戻れば、きっとまた、たくさんの悪いことと、少しのいいことが待っている。 __End.  

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