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『孤独の中の神の祝福』」(2010/09/25 (土) 01:21:19) の最新版変更点

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 その光景を、今も鮮明に憶えている。  赤く染まるシーツ。産婦の上げる、悲鳴のような唸り声。出産を手伝う我が母の、厳しい顔。  14歳の私は、碌な手伝いもできず、ただおろおろとその光景を眺めていた。  絶え間なく繰り返される、祈りの言葉。神の癒しを以って、産婦は辛うじて息を保っている。  生死の間の緊張は、丸一日近くも続き……  やがて、新しい命の上げる産声が、救いの鐘のように鳴り響いた。      『孤独の中の神の祝福』      その娘は、あらゆるものから距離を置いていた。湖から、里の者たちから、家族からすらも。  ただ、妖精たちだけが、娘の遊び相手だった。  娘が妖精と話しているのを、見かけたことがある。誰にも見せたこともないような、生き生きした表情を見て、安堵を覚えるとともに、心が痛んだ。    娘は、誰の手も必要としてはいなかった。  何度も、外に誘った。私は、娘が里に溶け込んでいくことを望んでいた。けれど、その手はいつも拒まれた。 「うっとーしーのよ、あんたは」  こちらに背中を向けたまま、そう言った。  迎えに行く私、拒む娘。毎日のように、そんなことを繰り返した。    この娘を、守らなければならないと思っていた。  娘を、救わなければならないと思っていた。  忌み子として生まれて来たこの娘が、神の道を踏み外すことのないように。    娘が里を出たと知った時には、ことが起こってから、もう数週が過ぎていた。  それは家出というようなものではなく、街に出たいと言う娘を、娘の両親も敢えて止めなかった、そういうことであったらしい。  娘にとって、この里は居心地のよい場所ではなかっただろう。当然の選択であったのかもしれない。  だが、私は、少なからず衝撃を受けていた。  "この子を、守らなければならない"  血の床に生まれ落ちた、角の生えた赤子を見た時から、ずっとそう思っていた。  それは、神が私に与えた試練であり、使命なのだと思っていた。  やがて、娘の母から私の母を通じて、娘が盗みを犯して捕らえられたと聞いた。  私は……その時、あるいは、喜んだのかもしれない。"それ見たことか"と。  私の手を拒んだ娘が、神の手を拒んだ娘が、闇に堕ちるのは当然のことだと。  結局――  私が、自らの思い上がりに気付いたのは、数年経って、娘と再会した時だった。  娘は、何も変わってはいなかった。罪を償い、自由を得、やがて名声を得、力を得ても、何も変わってはいなかった。(酒量が増えたぐらいのものか)  顔を見せた私に、娘は開口一番、こう言った。 「うわ、何あんた、何しに来たのよ」  昔と変わらず、差し出した手を拒まれる。  娘は、今も、私の知っている、あの娘のままだった。  過ちを犯そうと、その心は汚れることなく。  私がいようと、いまいと、道を踏み外すことなどなく。  娘は、神を信じていない。  人に甘えながらも、依存することはない。  妖精と遊びながらも、世界のこちら側から足を踏み外すことはない。  忌み子として生まれながらも、堕ちることもなく挫けることもない。  まあ、酒には溺れるが……    それでいながら、おそらく――   「愛されておるよ、貴様は」 「げほっ」  そう言うと、娘は瓶から口を離し、しばし咳き込んだ。 「あんたねえ……昔っからそーだけど、そーゆーことよく口に出すわねー……」 「思うておることを言うたまでよ」  娘は、妖精に愛されている。  娘は、父母に愛されている。  私は、娘を愛している。  そして、娘は、神に祝福されている。    湖の里の孤独な忌み子は、私が手を差し伸べるまでもなく、神の愛し子であるのだ。 --End.  
 その光景を、今も鮮明に憶えている。  赤く染まるシーツ。産婦の上げる、悲鳴のような唸り声。出産を手伝う我が母の、厳しい顔。  14歳の私は、碌な手伝いもできず、ただおろおろとその光景を眺めていた。  絶え間なく繰り返される、祈りの言葉。神の癒しを以って、産婦は辛うじて息を保っている。  生死の間の緊張は、丸一日近くも続き……  やがて、新しい命の上げる産声が、救いの鐘のように鳴り響いた。      『孤独の中の神の祝福』      その娘は、あらゆるものから距離を置いていた。湖から、里の者たちから、家族からすらも。  ただ、妖精たちだけが、娘の遊び相手だった。  娘が妖精と話しているのを、見かけたことがある。誰にも見せたこともないような、生き生きした表情を見て、安堵を覚えるとともに、心が痛んだ。    娘は、誰の手も必要としてはいなかった。  何度も、外に誘った。私は、娘が里に溶け込んでいくことを望んでいた。けれど、その手はいつも拒まれた。 「うっとーしーのよ、あんたは」  こちらに背中を向けたまま、そう言った。  迎えに行く私、拒む娘。毎日のように、そんなことを繰り返した。    この娘を、守らなければならないと思っていた。  娘を、救わなければならないと思っていた。  忌み子として生まれて来たこの娘が、神の道を踏み外すことのないように。    娘が里を出たと知った時には、ことが起こってから、もう数週が過ぎていた。  それは家出というようなものではなく、街に出たいと言う娘を、娘の両親も敢えて止めなかった、そういうことであったらしい。  娘にとって、この里は居心地のよい場所ではなかっただろう。当然の選択であったのかもしれない。  だが、私は、少なからず衝撃を受けていた。  "この子を、守らなければならない"  血の床に生まれ落ちた、角の生えた赤子を見た時から、ずっとそう思っていた。  それは、神が私に与えた試練であり、使命なのだと思っていた。  やがて、娘の母から私の母を通じて、娘が盗みを犯して捕らえられたと聞いた。  私は……その時、あるいは、喜んだのかもしれない。"それ見たことか"と。  私の手を拒んだ娘が、神の手を拒んだ娘が、闇に堕ちるのは当然のことだと。  結局――  私が、自らの思い上がりに気付いたのは、数年経って、娘と再会した時だった。  娘は、何も変わってはいなかった。罪を償い、自由を得、やがて名声を得、力を得ても、何も変わってはいなかった。(酒量が増えたぐらいのものか)  顔を見せた私に、娘は開口一番、こう言った。 「うわ、何あんた、何しに来たのよ」  昔と変わらず、差し出した手を拒まれる。  娘は、今も、私の知っている、あの娘のままだった。  過ちを犯そうと、その心は汚れることなく。  私がいようと、いまいと、道を踏み外すことなどなく。  娘は、神を信じていない。  人に甘えながらも、依存することはない。  妖精と遊びながらも、世界のこちら側から足を踏み外すことはない。  忌み子として生まれながらも、堕ちることもなく挫けることもない。  まあ、酒には溺れるが……    それでいながら、おそらく――   「愛されておるよ、貴様は」 「げほっ」  そう言うと、娘は瓶から口を離し、しばし咳き込んだ。 「あんたねえ……昔っからそーだけど、そーゆーことよく口に出すわねー……」 「思うておることを言うたまでよ」  娘は、妖精に愛されている。  娘は、父母に愛されている。  私は、娘を愛している。  そして、娘は、神に祝福されている。    湖の里の孤独な忌み子は、私が手を差し伸べるまでもなく、神の愛し子であるのだ。 __End.  

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