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ルイズと無重力巫女さん-94-b





 その後、霊夢達はアーソンとアニエスに連れられて生殺し状態となっている被害者ことカーマンの前に立っていた。
 全身のほぼ氷に覆われ、まるで芋虫のような状態となってしまった貴族を見て、流石のゼッサールは息を呑んでしまう。
 彼も最初にそれを見たアニエス同様死んでいるかと思ったが、ぎこちない動作で顔を上げたソレと目が合ってしまったのである。
 予想外の見つめ合いに視線を逸らす事も出来ない彼は、そのまま背後にいるアニエスへと質問を投げかけた。
「これが…被害者の貴族殿かね?」
「はい、既に死んでいられるようにも見受けられますが…まだ辛うじて生きてはおります」
「生きてはいるって…しかし、これでは…」
 自身の質問に答えたアニエスの言葉に、彼は信じられないと言いたげな表情を浮かべてようやく視線を逸らした。
 職業上悲惨な状態となった死体は幾つも見てきたつもりだが、この様な状態になってまで生きている者など初めてみたのである。
 無理も無い、何せここ数十年のトリステインではこの様な状態になる者が出来るほどの戦争などなかったのだ。
 幸い吐き気を堪える事はできたが、もはや安楽死させるしかない者からの直視というものは中々辛いモノがある。
 一方の霊夢はというと、その視線をジッと足元に転がる老貴族…ではなく、一番奥に見える大きな扉に目を向けていた。
 自分を取り押さえた警備員たちが下水道がどうこうと言っていたので、恐らくあの扉の向こうは外に通じているのだろう。
 正直な所、今の霊夢は自分が最初に見つけた初老の貴族の事よりもそのドアの向こう側が気になって仕方が無かった。

(彼にこんな仕打ちをしたであろうヤツは気配からしてここにはいないだろうし…やっぱり、あの扉から外へ出たんでしょうね)
 最初にここへきた時にもとりあえずその扉を開けようとしたのだが、駆けつけた警備員たちに止められてしまっていた。
 それでも無視して開けようとして、ドアノブを捻った所で更にやってきた警備の者達に取り押さえられてしまったのである。
 その後はデルフを取り上げられて頭を押さえつけられながら、警備室に連行されそうになったのは今思い出してもハラワタが煮えくり返ってしまう。
(まぁあの後すぐに追いかけてきてくれたルイズのお蔭で助かったけど…結局ドアの向こうには行けずじまいだったのよね…)
 今からでもドアの前にいる警備員を押し退けていけないものかと、そんな無茶を考えていた彼女の肩を、何者かが掴んできた。
 ドアの方へと注目し続けていた彼女は「ひゃっ!?」と驚いてしまい、慌てて振り返ってみるとそこには怪訝な表情を見せるアニエスがいた。

「…ど、どうした?そんな急に、驚いて…」
 どうやら急に驚いたのは彼女も同じだったのか、ほんの少し身を竦ませている。
 驚かされた霊夢は溜め息をつきつつも、ジト目でアニエスを睨みつけた。
「そりゃーアンタ、人が考え事してる時に肩なんか叩かれたら誰だって驚くわよ?」
「む、そうだったのかそれはスマン。…それよりも、先にお前を連れて来いと言ってきた貴族様の顔を見てやれ」
「貴族さま?…って、あぁ」
 アニエスの言葉に視線を床へと向けた彼女は、あの初老の貴族が自分の方へ顔を向けているのにようやく気がついた。
 今にも砕け散ってしまいそうな程魔法で生み出された氷に包まれた彼の顔は、醜くもどことなく儚さが垣間見える。
 恐らく彼自身も気づいているのだろう。自分はもう長くは生きられない事と、死が間近に迫っているという事も。
 そして彼は最初にここへ来た霊夢を呼びつけたのだ。その少女の姿に反して、鋭い目つきを見せていた彼女を。
 死にかけの状態に瀕したカーマンは、自分を見下ろす少女へ向けてその口をパクパクと微かに動かしていく。
 凍り付いていく顎の筋肉を懸命にかつ慎重に動かし、ひたすら霊夢に向かって口を動かし続けている。
 まるで望遠鏡越しにしか見えない程遠くにいる人間が覗いている者に向けて行うジェスチャーの様に、その動きには必死な気配があった。

「……よっと」
 そして彼の視線と口の開閉から何かを感じ取ったのか、彼女は突然その場にしゃがみ込んだのである。
 床に転がる彼とできるだけ視線を合わせた後、自身の左耳を彼の口元へと傾けていく。
 突然の行動にアーソンは一瞬止めようかどうか迷い、結局はそのまま見守る事にした。
 アニエスやゼッサールも同じなようで、周りにいる他の衛士達同様これから彼女が何をするのか気になってはいた。
 耳を傾け、自らの話を聞いてくれようとする霊夢へ向けてカーマンは蚊の羽音並のか細い声で喋り出したのである。
「―――、――――…?」
「……私は単なる通りすがりの巫女さんよ。…まぁ今はワケあってこの国にいるけど」
 カーマンが一言二言分の小さな言葉を出した後、その数倍大きい声で霊夢が返事をする。
 アニエス達には彼が何を言っているのかまでは聞き取れないが、ここへ彼女を呼び出したからには何かワケがあるのだろう。
 そう思ったアニエスは霊夢に続いてしゃがみ込み、彼女の隣で話を聞こうとソット耳を傾けたのである。

「―――――、―――――」
「いや、見てないわ。私が駆け付けた時にはもう誰もいなかったし…」
 続けられる問いに霊夢は首を横に振るのを見た後、彼は更に質問を続けていく。
「――――、――――――――」
「…成程。確かに、ここから逃げようとって思うならそこしかないわよね?」
 風前の灯の様な彼の小さな言葉に彼女は納得したようにうなずき、下水道へと続く扉を注視する。
 そして数秒ほどで視線を元に戻したところで、再び彼女に話しかけた。
「―――――、―――――――――」
「…?ズボンの右ポケット…?ここかしら…」
「あっ…おい、勝手に被害者に触るんじゃない」
 何かお願いごとでもされたのか、急に彼のズボンの方へと手を伸ばしそうとた霊夢をアニエスが咄嗟に制止する。
 すんでの所で停止した所で彼女は後ろにゼッサールへと顔を向けて、「どうします?」と指示を仰いだ。
 ゼッサールはほんの数秒悩んだ後、先にズボンへと手を伸ばした霊夢に何を言われたのか聞いてみた。
「スマン、彼は今何と…?」
 ゼッサールからの問い霊夢は彼を無言で睨み付けたものの、あっさりと話してくれた。
「…自分はもう長くない。だから死ぬ前に頼みたい事があるから、ポケットを探ってくれ…って言ってたのよ」
「そうか…頼む」
 霊夢を通して初老貴族の要求を聞いた彼は、アニエスの肩を軽く叩いて許しを出す。
 これをOKサインだと判断した彼女はコクリを頷いてから、霊夢に代わってズボンの右ポケットを探り始める。

 薄い氷に包まれたズボンはとても冷たく、今にも自分の手までも凍ってしまいそうな程だ。
 夏であるにも関わらずその体はゆっくりと温度が下がり、薄らと肌に滲んでいた汗すらもひいていく。
 このまま探し続けていたら本当に凍ってしまうのではないかと思った矢先であった、アニエスが「…あった」という言葉と共に何かをポケットから取り出したのは。
 それは霜の点いた革袋で、袋越しにも分かる出っ張りから中身が何なのかは容易に想像できた。
 霊夢に代わって袋を取り出したアニエスが念のため口を縛っていた紐を解くと、中から金貨が数枚程零れ落ちた。
 慌ててそれを拾うと掌の上に置いて、様子を見ていた他の三人にもその金貨を見せてみる。
「…これって金貨?袋の中にもまだ結構な量が入ってるけど」
 霊夢が袋の中にある残りの金貨を見つめていると、再び初老貴族が何かを言おうとしているのに気が付く。
 少し慌てて耳を傾けると、彼はか細い声で彼女に何かを伝え始めたのである。

 先ほどとは違い、それは少しだけ長く感じられた。
 頭の中に残された理性を総動員させたかのように、彼は霊夢の耳に遺言とも言える頼みごとを伝えていく。
 正直なところ、それを聞くのが霊夢でなくとも良かったかもしれない。
 しかし霊夢自身はそれを聞き捨てる事無く耳を傾け、彼が残りの命を消費して喋る事を一字一句受け止めている。
 その表情に決してふざけたものなどなく、ただ真剣かつ静かに聞き届けていた。

 やがて言いたい事は終わったのかカーマンが口を動かすのをやめると、霊夢はスッとアニエスの方へと顔を向ける。
 彼の言葉が気になったアニエスは「どうした?」と霊夢に尋ねると、彼女は彼が言っていた事を口にした。
「そのお金でブルドンネ街三番通りの裏手にピエモンっていう男がやっている店があって、そこで三番の秘薬を買ってほしいと言っていたわ…」
「秘薬?その袋の中の金貨でか?」
「一応店自体は存在しています。…あの男、違法かつ高値を吹っかけてきますが秘薬生成の腕は本物です」
 霊夢を通じて語られるカーマンからの言葉に、ゼッサールは袋の中身を一瞥しながら怪訝な表情を浮かべる。
 そこへすかさず街の地理に精通したアーソンが補足を入れた事で、ゼッサールはある程度納得することができた。
 確かに彼…もとい少女の言うとおりブルドンネ街の三番通り裏手には、そういう名前の男がやっている秘薬店は存在する。
 非合法なうえにバカみたいな値段で秘薬を売っているが、表通りで売っているポーション屋よりも効果があるというのは結構な数の人が知っていた。
 最も、その秘薬を調合するのにサハラ産の麻薬を使っている…という黒い噂もあるにはあるのだが。

 今は多忙で無理だが、いずれは徹底的に調べてやると改めて意気込むアーソンを余所に、
 アニエスはそれだけではないと、霊夢にカーマンの言っていた事は他にはないかと尋ねていた。
「…それで、そこで秘薬を買ったらどうすると言っていた?」
 その問いに霊夢はコクリ頷いて「もちろんあったわ」と答えた後、少し言葉を選びつつもしゃべり始めた。

「あぁ~、確か…しぇる…じゃなかった、シュル…ピス…だったかしら?ここから少し離れた場所にある街にあるアパルトメントまで届けて欲しいって…。
 名前は―――…そう、『イオス』だったわ。そこの三階の一室に住んでる自分の奥さん…アーニャっていう人に、届けてくれないか…って私に言ってきたわ」

 慣れない発音に戸惑いつつも、最後まで言い終えた霊夢にアニエスは「そうか」とだけ返す。
 彼女にはカーマン氏の身元は話しておらず、本来なら自分たちしか知らない情報の筈であった。
 という事は、今話してくれた事は全て彼から伝え聞いたことであるのは間違いないだろう。
 霊夢をとおしたカーマンの遺言を聞き終えたアニエスは、スッとアーソンとゼッサールの二人へと視線を向ける。
 どうしますか?―――視線を通して伝わる彼女の言葉に答えたのは、同じ衛士隊のアーソンではなく、魔法衛士隊のゼッサールであった。
「彼もまた私と同じくトリステインの貴族。ならばその願いを応えてやるのが死にゆく者への弔いとなりましょう」
「…でしたら、秘薬の方は?」
「えぇ、住所さえ教えていただけたら私が秘薬を買い、そして彼の奥方へ届けます」
 我が家名と、貴族の誇りにかけて。最後にそう付け加えると、彼は人の良さそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。

「…とは言いましても、一貴族がそんな酔狂な事をするかと疑われればそまでですがね」
「いいえ、貴方なら信用できます。確証はないですが、信頼できる人だ」
 軽い自虐とも取れるゼッサールの言葉にアニエスは首を横に振ると、彼に金貨の入った革袋を差し出してみせる。
 一衛士からの賞賛に彼はただ「そうか、ありがとう」とだけ返し、数秒の間を置いてその革袋を受け取った。
 掌の上にズシリとした微かな重みを感じつつ、渡されたソレを開けて再度中身の確認を行う。
 ちなみに、最初にアニエスが紐解いた際にこぼれ出た分は受け渡す直前に戻している。
 それでも念のためにと彼女の方へと視線を向けるが、それは相手も察しているのか大丈夫と言いたげに頷いて見せた。

 受け取るモノをしっかりと受け取った後で、ゼッサールは自分を見上げる初老の貴族へと視線を向ける。
 いつ息を引き取ってもおかしくない彼は、呆けた様な表情を浮かべていた。

 一体彼が今何を考えているのか分からぬが、それでもゼッサールは死にゆく同胞に対しての礼儀を欠かさなかった。
 軍靴鳴らしてつま先を揃え、腰から抜いたレイピア型の杖を胸元で小さく掲げた彼は落ち着き払った声で彼に別れを告げる。
「では少し時間は掛かるかもしれませぬが…貴方の遺言、しっかり叶えてみせましょうぞ。カーマン殿
 自分と比べれば家は低く、決して裕福な生活では無かったものの、貴族として大先輩である彼への告別の言葉。
 その言葉と顔を見て本気だと理解できたのか、呆けた表情から一変して穏やかな笑みを氷の張りつく顔に浮かべた彼は必死に口を動かし―――

 ――…あ・り・が・と・う…。

 声無き言葉を彼に送った直後、その顔に穏やかな微笑みを浮かべたまま―――カーマンはその頭をガクンと項垂れさせた。
 直後、氷に大きな罅が入った時のような耳障りな音と共に彼の後頭部に、大きな一筋の亀裂が入る。
 それを見た霊夢は思わす「あっ…!」声を上げた彼の傍に寄ろうとするが、寸前にその足が止まってしまう。
 彼女だけではない、アニエスやアーソン…ゼッサールを除くその場にいた衛士達も息を呑んでカーマンの遺体を見つめている。
 正確には亀裂の入った彼の後頭部の隙間から夥しく溢れ出てくる、おぞましくも明るい赤色の血を。
 まるで切込みを入れた果実から溢れ出る果汁の様にそれは彼の耳を伝い、赤い絨毯を鮮やかな赤で染めていく。

 一切の動きを止めた彼に代わるかのように流れ出る鮮血が、薄暗い赤の上を伝って小さな血だまりを作る。
 それを黙って見降ろす霊夢達の背後、突如として陰惨な光景には似つかわしくない活発な声が聞こえてきた。
「通るわよ…って、いたわ!こっちよマリサ!」
「おぉそっちか…やれやれ、ちょっと遠回りした気分だぜ」
『気分も何も、実際遠回りしてたとおもうぜ』
 目の前に広がる光景とは剥離した少女達の声とそれに混じる男の濁声に、アニエスたちは思わず背後を振り返ってしまう.。
 それに一歩遅れる形で霊夢も振り返ると、そこには案の定聞きなれた声の主たちがいた。
 見慣れぬ書類一枚を片手に握った彼女は息を荒く吐きながら、じっと自分を睨んでいる。
 その彼女の背後、廊下の曲がり角からはいつものトンガリ帽子を被った魔理沙がヒョコッと顔を出している。
 直接目にしていないが、先ほどの濁声からして彼女の手には鞘に収まったデルフが握られているのが様に想像できた。
「ルイズ…それにマリサも?」
「おぉこれはミス・ヴァリエール…って、どうしてこんな所へ?」
 二階のラウンジに閉じ込められていたルイズと魔理沙の姿を見て霊夢は怪訝な表情を浮かべ、
 前もって事件の報告を聞いていたゼッサールも、目を丸くして驚いている。

「ミス・ヴァリエール!一体どうして…!?」
「おいっ!どこのどいつだ、彼女らを二階から出した馬鹿はッ!」
 そんな二人に対して、現場を任されていた衛士の二人は目の端を吊り上げて怒鳴り声を上げた。
 アニエスは怒りよりも先に困惑の色を浮かべて、ここまでやってきたルイズ達を見つめている。
 一方でアーソンは曲がり角の向こう側にいるであろう部下たちに聞こえる程の怒号を上げた。
 その怒声に部下である一人の衛士が慌てて彼の前に駆けつけ、敬礼の後に事の詳細を彼に教えよとする。
「は、はっ!実はミス・ヴァリエールはアンリエッタ王女殿下から特別な書類を貰っている事が判明しまして…」
「特別な書類?王女殿下から…?」
 若干体を震わせる彼の報告にアーソンではなくゼッサールが驚くと、タイミングよくルイズがその書類を見せようとした。


「はい。実は私、姫殿下から女官として行動できる為の特別な許可……を……?」
 手に持っていた書類を掲げてゼッサール達に見せようとしたルイズはしかし、途中でその言葉を止めてしまう。
 その鳶色の瞳はただ真っ直ぐとアニエスたちの後ろ、霊夢のすぐ背後にある死体を見据えていた。
 途中で言葉が止まったルイズを見て訝しんだ魔理沙もすぐにその死体に気付き、息を呑んでいるようだ。
 「マジかよ…」と彼女にしては珍しい反応を見せて、視界の先で床に転がる白く赤いソレを見つめている。

「ルイズ」
 言葉を失い、ただただ死体を見つめているルイズを見て流石に心配してしまったのか、
 真剣な表情を浮かべたままの霊夢が彼女の名を呼ぶと、それに呼応するかのようにルイズは口を開く。
「ね、ねぇレイム?…もしかしてそこに転がってるのは――――」
「そうね。確かにお昼頃にぶつかった初老の貴族その人…だったわ」
 最後まで言い切る前に、やや残酷とも思える淡々とした感じで言葉を返した瞬間、
 ルイズの手から滑り落ちた書類が廊下の絨毯へと落ちる静かな音が、静かくて暗い天井に吸い込まれていった。


 王都の中心部に位置するトリステインの王宮は、日が暮れても暫くは多くの人が外へと続くゲートをくぐっていく。
 ゲートの前は厳重に警備されており、王宮所属の平民衛士や貴族出身の騎士たちが通る者の持ち物チェックなどを行っている。
 やや過剰とも思えるセキュリティであったが、場所が場所だけにそれを大っぴらに批判出来る者はいなかった。
 今日もまた多くの貴族たちが従者に鞄を持たせつつ持ち物を受けて、呼んでいた馬車に乗って自宅に帰っていく。
 彼らの大半は王宮内で書類仕事を行っており、街の近郊に建てられた豪邸を買ってそこで暮らしている。
 領地の運営等は代理任命した他の貴族に一任しており、彼らはもっぱら王宮で書類と睨めっこの日々を続けていた。

 そしてその貴族たちの列とはまた別の列には、いかにも平民と一目でわかる者達が書類片手に並んでいる。
 書類は往復可能な当日限定の通行手形であり、それを手にしている彼らは王宮の警護を一人された衛士達であった。 
 朝から働き、つい一時間前に夜間警備の者達と交代した彼らはこれから街で安い飯と酒で乾杯しに行く所なのである。
「ホイ、通行許可証。今から二時間、目的は夕食だ」
「あいよ。……それじゃあ、この前お前らが美味い美味いって絶賛してた屋台飯買って来てくれよ」
「おう、分かったよ」
 顔見知りである夜間警備の同僚の手で書類に印を押してもらい、ついでそれを折りたたんで懐へとしまう。
 次に持ち物検査をし、持ち出し厳禁の物を所持していない事を確認してからようやく外へと出られるのである。
 これで暫しの間自由となった彼らは一人、あるいは数人のグループを組んで次々と繁華街の方へと歩いていく。
 彼らの足が向かう先は唯一つ、美味い飯と安い酒に綺麗な女の子他達が大勢いるチクトンネ街だ。

 トリスタニアが昼と夜で二つの表情を持つのと同じように、王宮もまた夜の顔を見せていく。
 昼と比べて警備員の数が三割増しとなり、一部のエリアは固く施錠されて出入りを禁止される。
 庭園や渡り廊下にはかがり火が灯され、衛士や騎士達が槍や杖を片手に警備を行っていた。
 王宮内部の警備人員も増えて、槍型の杖を装備する騎士達が隊列を組んで絨毯の敷かれた廊下を歩いていく。
 鉢合わせてしまった侍女たちは慌てて廊下の隅に下がって道を譲り、通り過ぎる騎士達に頭を下げた。

 その光景を上階の廊下から眺めていたのは…この王宮に住まう若く麗しき姫君、アンリエッタであった。
 ほんの少し手すりから身を乗り出して廊下を歩いていく騎士達を眺めていると、後ろからマザリーニ枢機卿の声が聞こえてくる。
「殿下、騎士団長殿から夜間警備の準備が完了したとの事です」
「…そうですか。でも報告しなくて大丈夫ですよ枢機卿?私はしっかり見ていましたから」
 マザリーニからの報告にアンリエッタはそう返すと手すりから身を放しと、彼を後ろに付けて自らの寝室へ向けて歩き始める。

 距離にすればそれ程遠くはない所にアンリエッタの新しい執務室があるのだが、そこへ至る過程が大変であった。
「…!一同、アンリエッタ王女殿下に向けて敬礼!」
「「「はっ!」」」
「…夜間警備、ご苦労様です。その調子で頑張ってくださいね」 
 途中すれ違った衛士達は立ち止まると勢いよく敬礼し、
「貴女は先週入ったばかりの新入りさんでしたね。どうですか、ここでの仕事は?」
「え?…えっと、大丈夫ですけど…」
「そうですか。…もし分からない事があれば、遠慮なく先輩方に質問してもよろしいですからね」
「いえ、そんな…こうして姫殿下に心配して頂けるだけでも、お気持ちを十分に感じられますから…」
 顔を合わせた侍女が新入りの者だと気づけば、ちゃんとやれているかどうか聞いてあげている。
 聞いてあげる…とはいっても単に一言二言程度であったが、それでも王族の者に話しかけられる事は滅多に無い事なのだ。
 衛士達はもとより、侍女は不可思議な申し訳なさとしっかりとした嬉しさを感じていた。

 そんな風に通りがかる者達に一々声を掛けていくと、自然と時間がかかってしまう。
 本当なら歩いて十分で辿り着くはずの執務室の前に辿り着くのに、十五分も掛かってしまった。
「ふぅ…少し前なら然程時間も掛からなかったけど。…けれども、不思議と不快とは思わないわね」
「臣下に気を配るのも王女の定めというものですが、流石に衛士や侍女にまで一々声を掛けるのは」
「あら?少なくともあの人たちは政や会議の大好きな方々よりもずっと私に役だっていますのに?」
 ドアの前でそんな会話を一言二言交えた後に、アンリエッタはドアの前にいる騎士に向かって軽く右手を上げた。
 それを合図に騎士はビシッと敬礼した後にドアの鍵を上げるとノブを捻り、なるべく音を立てぬようにドアを開けた。

 ドアを開けてくれた騎士にアンリエッタはニッコリと微笑みを向け、そのまま執務室へと入っていく。
 それに続いてマザリーニも主に倣って頭を下げて入室すると、騎士はソッとドアを閉めた。

 今後女王となる彼女が書類仕事をする際に使われる執務室は、歴代の王たちが仕事をしてきた場所である。
 立派な暖炉に書類一式とティーセットを置いても尚スペースが余る執拗机に、着替えを入れる為の大きなクローゼット。
 入り口から右を向けば壁に沿って大きな本棚が設置されており、収まっている本には埃一つついていない。
 そして執務の合間にやってきた客をもてなす為の応接間は勿論、今は閉じられているもののバルコニーにはロッキングチェアまで置かれている。
 極めつけは部屋の隅に設置された天蓋付きのダブルベッドであった。シングルではなく、ダブルである。
 執務室…にしてはあまりにも豪華過ぎる執務室を見回してみたアンリエッタは、少し呆れたと言いたげなため息をついてしまう。

「今日で五回目のため息ですな。何か執務室にご不満でも?」
「いえ、不満…というワケではないのだけれど…正直執務室にあのような大きなベッドは必要ないのではなくて?」
 相も変わらず今日一日のため息を数えている枢機卿にも呆れつつ、彼女は部屋の隅に置かれたダブルベッドを指さす。
「シングルならまだ分かりますよ。でもダブルで天蓋付きだなんて…あからさま過ぎて破廉恥ではありませんか?」
「…私も詳しくは知りませぬが、歴代の王の中には名家の女性と親密になる必要もありました故…」
 隠すつもりの無いマザリーニからの言葉に、アンリエッタ思わず顔を赤くしてしまう。
 そして何を思いついたのか、ハッとした表情を浮かべると恐る恐る彼に質問をしてみた。
「歴代…とは、私の父も?」
「いえ。もし入っていたとしたら、先王の死因が病死ではなく王妃様との揉め事になっておりますよ」
「それを聞いて安心しました。…あぁいえ、あまり安心はできませんが」
 アンリエッタは父である先王があのベッドの上で゙極めて高度な交渉゙を行っていない事に安堵しつつも、
 これから自分があのベッドの置いてある部屋で執務をするという事に、多少の抵抗を感じていた。

 ひとまずマザリーニには明日にでもベッドをシングルかつシンプルな物に変えるよう頼んでいると…ふとドアがノックされた。
 アンリエッタがどうぞと入室を許可すると、ドアを開けて入口に立っていた騎士が失礼しますと言って入ってきた。
 怪訝な表情を浮かべた彼は敬礼をした後で気を付けの姿勢をして、アンリエッタに入室者が来ている事を報告する。
「殿下、お取込み中すいません。ただ今姫様に報告があるという事で貴族が一名来ておりますが如何いたしましょう?」
「それなら問題ありません。彼を通して上げてください」
「え…あ、ハッ!了解しました!」
 思いの外早かったアンリエッタからの許可に騎士は慌てて敬礼する。
 そして再び廊下へと出ると、彼と交代するかのように痩身の中年貴族が身を縮みこませて入ってきた。
 黒いマントに黒めの服装と言う闇夜にでも紛れ込むのかと言わんばかりの出で立ちをしている。

 年齢は五十代後半といった所か、一見すれば四十代にして老人と化しているマザリーニと同年齢に見えてしまう。
 ややおっとりしと雰囲気を醸し出す顔には緩めの微笑みを浮かべて、アンリエッタ達に頭を下げて挨拶を述べた。
「夜分失礼いたします。姫殿下、それに枢機卿殿も…」
「そう過剰に頭を下げずともよろしいですわ『局長』殿。…わざわざ忙しい中呼びつけたのは私なのですし」
 薄くなってきた頭頂部を見つめつつ、アンリエッタは自らが『局長』と呼んだ痩身の男へもう少し態度を崩しても良いと遠回しに言ってみる。
 しかし痩身の男は頭を上げると「いえ、滅相もありません」と言って自らの謙遜をし続けてしまう。
「私の所属する部署を立ち上げてくれた貴方の御父上である先王殿の事を思えば、つい自然と言葉を選んでしまうものなのです」
「…そうですか。私の父の事を思っての事であれば、そう無下にはできませんね」
 自身の父であり、歴代の王の中でも若くして亡くなった先王が再び出てきた事に、アンリエッタは神妙な表情を浮かべてしまう。
 平民に対して比較的優しい政策を取っていた先代のトリステイン国王は、有能であれば例え下級貴族であっても重要な地位に就かせていた。
 今こうして夜分に部屋へと呼びつけた痩身の彼も、その時に創立された『特殊部署』の指揮担当として採用されたのである。

 その後、一言二言の言葉を交えた後で三人は応接間のソファに腰を下ろしていた。
 一番最初に入室したアンリエッタが指を鳴らして点灯させた小型のシャンデリアが、部屋を眩く照らしている。
「ふむ、この応接間に入るのも久々ですなぁ。長らく人が入っておらぬようですが、しっかり手入れが行き届いてる」
「そうですな…ところで殿下、あの剥製に何か気になる所でも?」
「あぁいえ。鷹や極楽鳥はともかくとして…風竜の仔なんて一体どこで手入れたのかと気になりまして…」
 マザリーニはふと、アンリエッタが応接間のの飾りとして置かれている剥製に視線が向いている事に気が付いた。
 彼女の趣味ではなかったが壁や部屋の隅には、鷹や仔風竜の剥製が躍動感あふれる姿勢で飾られている。
 良く見てみれば、隅に置かれている台座付きのイタチの剥製は毛皮の模様を良く見てみると幻獣として名高いエコーであった。
 注文したのか、はたまた歴代の王の誰かが直接狩ってきたのか…今となっては知る由も無い。

 ちょっとした見世物小屋みたいね…。あちこちに飾られた剥製に思わず目を奪われていると、
 それを見かねたであろうマザリーニが咳払い…とまではいかなくとも彼女に声を掛けた。
「あの、殿下…気になるのは分かりますが、今は局長殿の報告を聞くのが先かと」
「…あ、そう…でしたね。失礼いたしました」
「いえいえ。何、そう焦る必要はまだありませぬのでご安心を」
 枢機卿からの指摘でハッと我に返れた彼女は慌てて頭を下げてしまう。
 それに対して痩身の男――局長も頭を下げ返した後、ゴソゴソと自らの懐を探り始める。
 暫しの時間を要した後、彼がそこから取り出したのは幾つかの封筒であった。

 全部計三枚、どれも王都の雑貨店で売られている様な手製の代物である。
 星や貝殻のマークが散りばめられたそれらは、痩身かつ五十代の男には似つかわしくないものだ。
 それを懐から取り出し、テープ目の上に置いた局長は落ち着き払った声でアンリエッタに言った。
「ここ最近、タルブでの会戦終了直後から『虫』の動向を探った各種報告書です。どうぞ御検分を」
「…………わかりました」
 彼の言葉にアンリエッタは一、二秒ほどの時間を置いてからそれを手に取ってみる。
 糊付けされた部分を指で剥がして封筒を開けると、中には三、四回ほど折りたたまれた紙が入っていた。

 一見すれば手紙に見えるその一枚を、アンリエッタは丁寧に開いていく。
 やがてそれを開き終える頃には、彼女の手の中にはちゃんとした形式で書かれた報告書が完成していた。
 そこに書かれていたのは局長が『虫』というコードネームをつけている相手の、ここ最近の動向が書かれている。
 アンリエッタがそれを読み始めると同時に、局長は静かにかつ淡々と報告書の補足を入れ始めた。

「これまでの『虫』は自身に火の粉が及ばぬよう、細心の注意を払っておりましたが…ここ最近はそれに焦りが生じております。
 財務庁口座内にある預金の移動や分散などの額にその焦りが見られ、会戦後に引き出し額が右肩上りになっているのが分かりますか?」

 局長の説明にも耳を傾けつつ、報告書に書かれている事を目に入れながらもアンリエッタはコクリと頷く。
 報告書に書かれているのは『虫』が財務庁に預けている口座預金が、やや激しく減り続けている事に関して書かれている。
 不可解な口座からの引き出しに次いで、その金を国内外の各所にある銀行等に預けているのだ。
 正確な額こそは調査中であるが、すでに『虫』が国の口座内で暖めていた全預金内の五分の三以上はあるのだという。
 それだけの額を持っているとなると…王族を別にすればかのラ・ヴァリエール家の全財産に相当するとも言われていた。
 そしてこの国随一名家を引き合いに出せる程の大金が幾つかの手順を経て、国内外へと移動していく。
 今後軍の再編などで財政を盤石にしたいトリステインとしては、この悪事を見逃す事など到底できなかった。

「これまでは複雑な手順、そして幾つものルートを経て幾つかの外国へ送金しており、追跡が困難だったのですが…
 先週からはまるで開き直ったかのようにそれらを全て単一化させて、一つの外国の財務庁へとせっせと送金しております」

 そんな説明を後から付け加えつつ、局長は懐から一枚のメモ用紙を取り出しテーブルに置く。
 アンリエッタとは報告書から目を離し、マザリーニもそちらへと視線を向けてメモに何が書かれているのか確認する。
 用紙に書かれていたのは四つの時刻であり、一見すれば何を意味しているのか分かりにくい。
 しかしマザリーニはこの時刻に見覚えがあったのか、もしや…と言いたげな表情を浮かべて局長を見遣る。
 分からないままであったアンリエッタが「これは…」と尋ねると、局長はまず一言だけ「移動手段ですよ」とのべた後に説明していく。
「王都発ラ・ロシェール行きの駅馬車と、中間地点にある道の駅で馬を借りれる時刻、そしてラ・ロシェールから出る商船の出航時間…」
 そこまで聞いてようやくアンリエッタは気が付いた。このメモに書かれている時刻に、『何か』が運ばれていたという事を。
「…!運び出す者への指示…という事ですか?しかし、これを一体どこで…」
「それもつい先週です。『虫』の館から急いで出てきた不審人物を局員が追跡し、落としていったそれを拾い上げたのです」
「御手柄ですな。…それで、その不審人物はどうしたのですかな?」
 自分たちが知らぬ間に思わぬ情報を提供してくれた彼に礼を述べつつ、マザリーニはその後の事を聞いてみる。
 しかし、それを聞かれた局長は残念そうな表情を浮かべると、その首を横に振りながら言った。
「どうやら追跡されていたのを『虫』側も気づいたのでしょう。道の駅にいた仲間と思しき男に胸を刺され、即死でした」
 その言葉に二人が思わず顔を見合わせた後、局長は自分の考えと合わせて事の経過を報告した。

 今回の件で殺されたのは二年前に『虫』の小間使いとして働いていた平民で、最近金に悩んでいたらしい。
 恐らくそこを元主の『虫』にそそのかされたのだろう。早い話、こちらの動きを探る為の捨て駒にされたのである。
「『虫』は我々の存在を知っている側。自分のしている事が御法度だと自覚していれば確実に監視されているだろうと警戒する筈です」
「だから今回、その元小姓を利用して監視がついているかどうか確認しようと…?」
 信じられないと言いたげなアンリエッタの言葉に、局長はゆっくりと頷いた。
 その頷きを肯定と捉えた彼女は目を丸くすると、狼狽えるかのように右手で口を押さえてしまう。

 此度の件の機密上『虫』と呼称してはいるが、その『虫』と呼ばれる者に彼女は色々と助けられてきたのだ。
 先王の代から王宮勤めで功績を上げて、幼子だった自分を抱いてくれたという話も彼や母の口伝いで聞いている。
 普段の仕事も宮廷貴族としては至極真面目であり、今やこの国の法律を司る高等法院で重要な地位に就いている身だ。
 その地位も貧乏貴族であった若い頃から築き上げてきた業績があってこそであり、並大抵の金を積んでも手に入る物ではない。
 アルビオンとの戦争が本格的に決まった際には、色々と言い訳を述べて遠征を中止するよう提言してきたが、それも全て国の為を思っての事。
 歴史を振り返れば、遠征の際には莫大な出費が掛かるもの。事実今のトリステインには自腹で遠征をできる程の財力は無い。
 今は財務卿や同席している枢機卿がガリア王国に借金の申請をしており、これから数十…いや半世紀は借金の返済に追われる事だろう。

 下手をすれば自分の自分の子の代にも背負わせてしまうであろう借金の事を考えれば、彼が遠征に反対する理由も何となく分かってしまうというもの。
 だからアンリエッタも彼――『虫』の事を内通者として疑いつつも、心の中では違うと信じていた。信じていたのだ
 しかし、その儚い希望は局長の報告によって、いとも容易く打ち砕かれてしまったのである。

「……………。」
「殿下…」
 残念そうに項垂れるアンリエッタを見て、マザリーニは「そのお気持ち、分かります」と言いたげな表情を浮かべてしまう。
 流石の局長もこのまま話を続けていいのかと一瞬躊躇ったものの、心を鬼にしてなおも報告を続けていく。
「そ、それでは続きですが…その元小姓を殺した男は、逃げようとした所を駐在の衛士に取り押さえられましたが…目を離した隙に」
「…隠し持っていた毒を飲んで自殺、でよろしいですね」
 気を遣いつつも報告を続けていく局長はしかし、最後の一言を顔を上げたアンリエッタに奪われてしまう。
 直前まで項垂れていた彼女の顔は苦々しい色を浮かべてはいるが、疲れているという気配は感じない。

 前に進もう、という意思を感じさせる瞳に一瞬局長は唖然とした後、慌てつつも「あ、そうです」と思わず口走ってしまう。
 その言葉にアンリエッタは小さなため息と共に頷き、報告書の最後の行に目を通した。
「小姓を殺し、服毒自殺した男は身分証明できる物を持っておらず身柄不明。…これはプロとみて良いのでしょうか?」
「プロ…と言っても自殺できる度胸のあるプロの鉄砲玉と見てください。男については追々こちらで調べるとして…ここで二枚目に移りましょう」
 アンリエッタの質問にそう答えると、局長はテーブルに置いていた二枚の封筒の内もう二枚目を手に取って彼女に渡す。
 ドラゴンとグリフォンのイラストが描かれた男の子向けの封筒を開き、アンリエッタは中に入っている報告書を取り出した。
 そして一枚目と同じように開き、最初の数行を読んだところでギョッと驚いてしまう。
 封筒の中に入れられていた羊皮紙には、彼女が予想していなかった内容が書かれていたのだから。
 驚いた彼女を見てマザリーニもその羊皮紙の内容へと目を向け、次いで「これは…」と言葉を漏らしてしまう。
 ただ一人、この手紙を持ち込んだ局長だけは落ち着き払った態度で二人からの言葉を待っていた。

 それに気づいたのか、アンリエッタはスッと顔を上げると手に持った羊皮紙を指さしながら彼に聞いた。
「あの、局長これは…」
「明日の午後から明後日の夕方、殿下がシャン・ド・マルス練兵場の視察があると聞き、此度の『作戦』を提案致しました」
 局長からの返答にアンリエッタは何も返せず、もう一度羊皮紙へと目を戻すほか無かった。
 彼女が今手に持つその紙の上には、穏やかとはいえないその『作戦』の手引きが書かれている。
 どんな言葉を口にしたら良いか分からぬ彼女へ、局長は申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を続けていく。

「『虫』がある程度焦りを見せていると言っても、ヤツは未だにその化けの皮を脱ごうとする気配はありません。
 今回提案した『作戦』はいわば貴女を使った囮作戦。奴と、一時的に奴の配下になっている連中を炙り出す為のものです。
 殿下には視察を終えた後、道中休憩を取る予定である道の駅で私の部下と共に王都へいち早く戻って貰います。」

 文面にも書かれてはいたが、いざこうして書いた本人の口から言われるとまた違うショックを受けてしまう。
 大胆かつ急な作戦にアンリエッタが何も言えずにいると、それをフォローするかのようにマザリーニが局長に質問した。 
「しかし、それでは護衛を担当する魔法衛士隊や騎士隊のもの、ひいては王都警邏の者が騒ぎますぞ…」
「大いに結構。いなくなったときには王都中で殿下の大捜索『ごっこ』をしてもらいたい」
 ――――何せ、それがこの『作戦』の狙いなのですから。
 マザリーニからの質問で局長は最後に一言加えた後、この『作戦』の主旨を説明していく。


「今回提案した作戦において重要なのは、今も尚高みの見物をしている『虫』を表に引きずり出す事です。
 先ほども話したようにヤツは今焦りを見せておりますが、狡賢く知略に長けている故に今はまだ鳴りを潜めています。
 ですが奴といえども、王家である貴女が奴の知らぬ存じぬ所で消えれば、いくら『虫』といえどもそこから来るショックは相当なものでしょう
 そして今、『虫』の手元にいる配下の大半はこの国の出身ではなく、かの白の国――あのアルビオンからやってきた連中です。
 彼らは今現在『虫』の指示で動いていますが、それは本国からの指示だからであって、彼ら自身は『虫』に忠誠を誓ってはいません。
 その気になれば今は派手に動かない『虫』の意思を無視して大胆な行動に移れるでしょうが、『虫』はそれを望んでおれず絶らず彼らを牽制している。
 アルビオンの者たちも、一向に動かない『虫』に痺れを切らしかけている。……そんな現在の状況下で、殿下が失踪した!などという情報が流れれば…」

 局長が最後に口にした自分の失踪と言う言葉を聞いて、アンリエッタはようやく彼の言いたい事に気が付く。
 ハッとした表情を浮かべ、羊皮紙を握る手に自然と力が入り、その顔には微かだが怒りの色が滲み出てくる。
「つまりはこの私を釣り餌に見立てて、双頭の肉食魚を釣ろうという魂胆なのですね?」
「そういう事です。衛士隊や騎士隊の者達には、盛り上げ役として頑張ってもらいます」
 流石にこれは怒るだろうと思っていた局長は、微かな怒りを見せるアンリエッタに頭を下げつつ言った。
 黙って聞いていたマザリーニも流石に怒るのは無理も無いと思ってはいたが、同時に効果的だという評価も下していた。
 影武者を用意するという方法もあったであろうが、相手が『虫』ならばそれがバレてしまう可能性が高い。
 そうなればすぐに仕組まれた計画だと気づかれて、作戦が台無しになってしまう。

「……分かりました。多少…どころではない不安は多々残りますが、貴方の事を信用すると致しましょう」
「ありがとうございます殿下。我々も最善を尽くして此度の作戦を成功させてみせますゆえ」
 まだ怒っているものの、一応は納得してくれたアンリエッタに局長は深々と頭を下げる。
 確かに彼女の不安は仕方ない物だろう。作戦の概要を見たのならば尚更だ。
 そんな作戦に彼女は協力してくれるというのだ、失敗は絶対に許されない事となった。

 局長は作戦の人員配置をどうしようとかと考えを巡らせつつ、下げていた頭をスッと上げる。
「では詳しい事は明日の朝一番に…それでは最後となりましたが、その三枚目の封筒を…」
 彼はテーブルに置かれた最後の一枚…先の二枚よりも二回り大きい茶色の封筒を手に取り、アンリエッタへと手渡した。
 彼女はそれを受け取り封を切る、その前に気が付いた。封筒の中に入っているのは一枚の紙ではない事に。
 恐らく自分の指の感触が正しければ、最低でも十枚ぐらいだろうか?少なくとも数十枚の紙が入っている気がした。
「あの、局長。これは…?」
「先月殿下から許可を頂いた、当部署の人員を増加に関して、我々が在野から探し当てた者達のリストです」
 自分の質問にそう答えた局長の言葉に、アンリエッタは今度こそ封を切って中身を取り出してみる。

 案の定、中に入っていたのはこの広い世界のどこかにいるであろう人間の個人情報が書かれた紙であった。
 最初に目に入ってきたのは、用紙の左上に描かれた褐色肌の男の似顔絵であり、顔立ちからして四~五十代のゲルマニア人であろうか?
 似顔絵の下には詳しい個人情報が記載されており、その一番上の行には彼の名前であろう『オトカル』という人名が書かれていた。
 個人情報もかなり詳細に書かれており、彼が元ゲルマニア陸軍の軍事教官で現在は早めの余生を過ごす為ドーヴィルで暮らしている様だ。
 それと同じような似顔絵と個人情報でびっしり覆われた紙が最初の彼を合わせて、十二枚も封筒の中に入っていたのである。
 アンリエッタは十秒ほど書類を見た後に次の一枚を捲り、もう十秒経てば捲り…
 それを繰り返して局長の持ってきた書類を確認していると、それを持ってきた本人が口を開いた。

「殿下も知ってはおられますが我が部署では貴族、平民の身分は必要ありませぬ。唯一求めているのはいかに゙有能゙か?それだけです。
 最初の一枚目の元教官は平民ですが、現在もゲルマニア南部の紛争地帯で活躍している幾つかの精鋭部隊を育て上げた有能な教官であります。
 そして今姫様が確認している女性貴族は元『アカデミー』の職員で、方針に反する『魔法を用いた対人兵器』を自作したとしてクビになり、現在は王都の一角にある玩具屋で働いてます」

 局長の説明を聞きつつもアンリエッタは書類と睨めっこし、マザリーニも「失礼」と言ってその中から一枚を抜き出して読み始める。
 確かに彼の言うとおり、この書類に名前が載っている人間の経歴は貴族や平民といった枠組みを超えていた。
 現在服役中である開錠の名人に思想的にはみ出し者となっているが総合的に優秀な成績を持つ魔法衛士隊の隊員に、平民にして貴族顔負けの薬学知識を持っている女性。
 一体どこをどう探せばこれだけのイロモノを集められるのかと聞きたくなるほど、多種多様な特技を持つ変わり者たちがピックアップされていた。
 今現在国内にいる無名の人材たちを眺めつつ、アンリエッタは思わず感心の言葉を口に出してしまう。
「それにしても良くこれだけ探せましたね。特に条件付けはしていませんでしたから、ある程度幅が広がったのもあるでしょうが…」
「情報を探る事は我々の十八番ですので。この時の事を想定して常に一癖も二癖もある人物にはマークをしておりましたので」
 成程、どうやら自分から許しを得る前にある程度人材探しをしていたのか、随分と用意周到な人だ。
 並の宮廷貴族より準備万端な局長に感心しつつ、アンリエッタは一旦書類から顔を上げて満足気のある表情で頷いた。

「分かりました。貴方の部署はこれまで日陰者でしたし、ここまで調べてくれていたのなら私から言う事はありません」
「では人材確保はこのまま進める方針で?」
「えぇ、お願いします。ただ、軍に属している者については少し上層部の将軍方とお話する必要はありますが」
 王女から直々の許しを得た局長ホッと安堵した後に、慌てて頭を下げると彼女に礼を述べた。
 アンリエッタはそれに笑顔で返してから、一足遅れて書類を見ているマザリーニはどうなのかと促してみる。
 老いかけている枢機卿も先ほどの彼女と同じく書類から一旦視線を外し、それから局長を見てコクリと頷いて見せた。
 それを肯定と受け取ったのか、局長は枢機卿にも礼を述べるとすぐさまこれからの方針を話していく。
「それでは軍属の者以外に関しては我々からアプローチをかけます故、軍部との説得は何卒朗報を期待いたします」
「分かりました。今の将軍方なら、今回の増員計画にも賛成してくれる事でしょう………って、あら?」

 アンリエッタもアンリエッタ局長とそんな約束を交えた後再び書類へと目を戻し、ラスト一枚の人物が女性である事に気が付いた。
 まるで収穫期の麦の様に金色に輝く髪をボブカットで纏め、鋭い目つきでこちらを睨んでいるかのような似顔絵が印象的である。
 経歴からして平民であるのはすぐに分かるが、王都にあるいちパン屋の粉ひき担当から王都衛士隊の隊員という経歴は変に独特であった。
 しかし衛士になってからの業績は中々であり、女だというのにも関わらず衛士としては非常に優秀という評価が書かれている。
 他の九人と比べればやや地味ではあるが、その経歴故に気になったのかアンリエッタは局長に彼女の事を聞いてみる事にした。
「あの局長殿?彼女は…」
「ん?あぁこの人ですか。実は彼女は私が見つけましてな、彼女には是非とも我々の元で『武装要員』」として働いて貰いたい思ってましてな…確か愛称は、ラ・ミランと言いましたかな?」
「ラ・ミラン(粉挽き女の意)…?」
 愛称と言うよりも蔑称に近いその呼び名を思わずアンリエッタが復唱すると、局長はコクリ頷きながら言葉をつづけた。
「ラ・ミランのアニエス。王都の平民や下級貴族達の間では下手な男性衛士よりも怖れられております」





――――貴女、少し長めの旅行をしてみる気はないかしら?
 あの八雲紫が夜遅く帰ってきた魔理沙の元に現れるなり、そんな事を聞いてきたのは午前一時を回った頃だろうか。
 何の前触れも無く人様の家の中、しかもベッドの上に腰かけていたのである。まぁ何の前触れも無く人の目の前に現れるのはいつもの事だが。
 パジャマに着替えて、歯も磨き終えて髪も梳き、眠たくなるまで読もうと思っていた本を片手にした彼女は最初何て言おうか迷ってしまった。
 何せこれから入ろうとしたベッドを事実上占拠されてしまったのだ、旅行とは何か?と質問すれば良いのか、それとも抗議すれば良いのか良く分からず、結局のところ…

「人がこれから寝ようって時に、何やら面白そうな話題を持ちかけてくるのは反則じゃないか?」
「あら失礼、今からの時間帯は私たちの時間帯だって事を忘れてないかしら」
 そんなありきたりな会話を皮切りにすることしかできず、しかし彼女が持ちかけてきた話をスムーズに聞く事が出来た。
 結果的にそれが功をなしたのか、晴れて霧雨魔理沙は霊夢と共にルイズのいるハルケギニアへと赴く事となったのである。





 朝のブルドンネ街は、昨晩の華やかさがまるで一時の夢だったかのように静まっていた。
 夕暮れと共に開き、夜明けと共に終わる店が多い故に今の時間帯のブルドンネ街と比べれば一目瞭然の差があった。
 それでも人の活気は多少なりとあり、繁華街に店を持つ雑貨屋やパン屋などはいつも通り商売をしている。
 通りの一角にあるアパルトメントの入り口では大家が玄関に水を撒き、たまたま通りかかった野良猫がそれを浴びて悲鳴を上げる。
 そこから少し離れた広場では主婦たちが朝一番の世間話に花を咲かせ、その後ろを小麦粉を満載した荷馬車が音を立てて通っていく。
 もしもこの国へ始めて来た観光客が見れば、この街が夜中どんなに騒がしくなるかなんて事、想像もつかないに違いないだろう。

 そんな極々ありふれたハルケギニアの街並みを見せる日中のブルドンネ街の一角にある店、『魅惑の妖精』亭。
 夜間営業の居酒屋であり、他の店と比べて可愛い女の子達が多い事で有名な名店も、今はひっそりとしている。
 ここだけではない。この一帯にある店は殆どがそうであり、まるで時間が止まったかのように活気というものがない。
 店で働く人々は皆家に帰ったか、もしくは店内にある部屋で軽い朝食を済ませてベッドで寝ている時間帯だ。
 『魅惑の妖精』亭もまた例に漏れず、住み込みの店員達は皆今夜の仕事に備えてグッスリと眠っている。
 その店の屋根裏部屋…長い事使っていなかったそこに置かれたベッドの上で、霧雨魔理沙は目を覚ました所であった。

「………九時四十五分。てっきり一、二時間ぐらい経ってるかと思ったが、あんがい寝れないもんなんだな」
 黒いトンガリ帽子をコートラック掛けている意外、いつもの服装をしている彼女は持っていた懐中時計を見ながら呟く。
 ルイズと霊夢の三人で朝食を済まし、そのすぐ後に用事があると言って出て行った二人と見送ってから丁度四十五分。
 特にする事が無かったのでベッド横になっていたら自然と眠っていたようで、今二度寝から目覚めたばかりなのである。
 しかし寝起き故にハッキリしない頭と妙に重たい瞼の所為で、ベッドから出たいという欲求が今一つ湧いてこない。
 いっその事このまま三度寝を敢行しようかとも思ったが、流石にそれは怠け過ぎだろうと自分に突っ込んでしまう。
(流石に三度寝となるとだらけ過ぎになるし、寝ている最中にどちらかが帰ってきたら何言われるか分からんしな)
 そういうワケで魔理沙は一旦軽く体の力を抜いて一息つくと、勢いをつけて上半身を起こした。

「ふぅ…ふわぁ~…」
 ウェーブとはまた違う寝癖が一つ二つ出ている髪を弄りながら、彼女は口を大きくあけて欠伸をする。
 次いでゴシゴシの目を擦るとベッドから降りて、朝の陽光が差す窓を開けてそこから通りを見下ろした。
 霊夢が綺麗にしてくれた窓際に右肘を置いて顔だけを窓から出すようにして、外の空気を口の中に入れていく。
 横になっていた時と比べて瞼は随分と軽くなった気はするが、頭の方はまだまだ重いという物を感じを否めない。
「うぅ~ん、まぁ一時間もすりゃ直ってるだろうし…なぁデルフ、って…あいつは霊夢が持っていっちゃったか」
 二度寝から目覚めたついでにデルフと下らない世間話をしようかと思った所で、今はここにはない事を思い出す。
 ただ一人取り残された普通の魔法使いはため息をつくと、顔を上げて王都の青空を仰ぎ見て呟いた。
「あれから二日経ったが…街が広いせいかあんな事があったっていうのに平和なもんだぜ」
 澄んだ青空に白い雲、その下にある平和な街並みを交互に見比べながら、彼女は思い出す。
 二日前にこの街最大の劇場で起きた、異様かつ奇怪な殺人事件が起こったという事を。

 …二日前、ここ王都最大の劇場タニアリージュ・ロワイヤル座でその事件は起こった。
 男性の下級貴族が一人、劇場内で奇怪的な惨殺死体となって発見されたのである。
 被害者は無残にも手足をもがれ、更に夏だというのにも関わらず全身をほぼ氷で覆われているという状態で。
 当然警備員たちが発見したその直後に劇場は緊急封鎖、公演予定だった劇は全て中止となってしまった。
 最初こそ責任者と駆けつけた衛士隊の指示で全員が外に出れなかったが、一部の貴族が開放を強請してきた為に止むを得ず開放。
 結果的に残ったのは、第一発見者とその関係者だけであった。
 そしてその第一発見者こそが博麗霊夢であり、関係者は魔理沙とルイズ達である。

 一昨日の騒動を振り返りつつ、その時がいかに大変だったのか思い出した魔理沙は溜め息をついてしまう。
「全く、もう二度と無いかと思ってたが…まさか一度ならず二度までも取り調べを受けるなんて…」
 現場検証が終わり、被害者の遺体を最寄りの詰所に搬送した後霊夢達一同は当然の様に取り調べを受けるハメになってしまった。
 ルイズやその姉であるというカトレアという名の女性は普通に聞き込みだけで済んだが、全員が衛士達の思うように進むワケがない。
 魔理沙は先に取り調べのキツさを知っていたので、答えられる事に関しては素直に答えてスムーズに事を済ませることができた。
 折角の休日を台無しにしてしまったシエスタは常に半泣き状態だったらしく、逆に心配されたというのは後で聞いた。
 カトレアと一緒にいたニナという女の子の取り調べはしても意味が無いと衛士は判断したのか、別の部屋で迷子担当の女性衛士と一緒にいたらしい。
 そして魔理沙自身も気になっていたあの霊夢と何処か似ている巫女服の女も、答えられる分の質問にはあっさり答えてすぐに終わった様である。
 しかしその一方で霊夢は強面の衛士達に囲まれても尚我を失わず、強気な態度でもって彼らと論争したのだという。
 一緒にいたデルフ曰く、最初こそ大人しくしてたらしいのだが、取り調べ担当者の威圧的な態度が気に入らなかったらしい。
 まぁ霊夢らしいといえば霊夢らしい。お蔭で一時間で終わる筈だった取り調べは三時間近くまで延長される事になってしまった。

 結果的にその日は二十二時辺りに解放され、カトレア一行とはその場で別れる事となった。
 ルイズはカトレアから今現在の所在地を聞き、ついで姉もまた妹に所在地を聞いて目を丸くしていたのは今でも覚えている。
「…珍しいわねルイズ?貴女がそんな所に泊まっているだなんて」
「え?えーと、まぁその…これには色々とワケがありまして…」
「ふふ、別に怪しがってるワケじゃないのよ。若いうちは色んな場所へ行っておけば良いと思っただけ」
 そんなやり取りをした後で劇場前の詰所で解散、ルイズ一行は絶賛営業中だった『魅惑の妖精』亭へと帰ってこれる事が出来た。
 店の方でも今日起こった事件の事が話題になっていたのか、帰って来るなり店長のスカロンと娘のジェシカが詰め寄ってきたのである。
 ジェシカはともかくスカロンは奇怪な叫び声を上げて自分たちを抱擁しようとしてきたので、入って早々慌てて避ける羽目になってしまった。
 ルイズはおろかシエスタまで一緒になって避けた後で、「あぁん、酷い!」と嘆きつつも彼は無事に帰ってきてくれた事を喜んでくれた。

「もぉお~心配したのよ貴方たちィ!…でも、その様子だと取調べだけで済んだ様でミ・マドモワゼルも安心したわぁ~!」
「結構大事だったらしいけれど…、まぁアンタ達ならシエスタも含めて無事だろうとは思ってたよ」
 スカロンのオーバーすぎる喜びの舞いと、それに対して落ち着きを見せているジェシカを見て本当に親子かどうか疑ってしまう。
 何はともあれ無事に帰ってきたその日は夕食を摂る元気も無く、四人とも死んだように眠るほかなかった。
 …それから二日が経った今日、朝のブルドンネ街はいつも通りの静けさを取り戻している。

「何もかもいつも通りならそれはそれで良いんだろうが、霊夢はともかくルイズはどうなんだろうなぁ~…」
 頭上の空から眼下道路へと視線を変えた魔理沙は、朝早くから外出しているルイズの事が気になってしまう。
 昨日はあんな事件があったという事で凹んでいたのか、一日外に出ず屋根裏部屋で考え事をしながら過ごしていたのを思い出す。

 流石に死体を間近で見てしまったという事もあって食欲も無かったが、それは仕方ない事だろう。
 仕事柄そういうのを見慣れている霊夢はともかくとして、あれだけ損壊した死体を見たのだ。
 むしろそれを見た翌日からガツガツと平気な顔して飯食ってる姿を見たら、逆に心配してしまうものである。
 しかし今日の朝食に限っては、少し無理をしてでも口の中に食べ物を突っ込んでいたような気がしていた。
 ジェシカが用意してくれていたサンドウィッチを一口食べてはミルクで半ば飲み込むようなルイズの姿は記憶に新しい。
 今朝見たばかりの出来事を思い出した魔理沙は、ふと彼女が何処へ行くために外出したのか何となく分かってしまった。

「もしかしてアイツ、一昨日教えてもらったお姉さんのいる所へ行ったのかねぇ?」
 劇場で出会ったルイズの姉カトレア。ウェーブの掛かった桃色の髪以外は、ルイズとは正反対の姿をしていた女性。
 衛士隊の詰所で別れる直前に互いの居場所を教え合っていた事を、魔理沙は思い出す。
 魔理沙と霊夢はその場所について聞き覚えは無かったものの、どうやらルイズはその場所を知っているらしい。
 姉からその場所を聞いたルイズは、納得と安堵の表情を浮かべていたのである。
 それが何処にあるのか魔理沙には皆目見当がつかなかったものの、恐らくはこの王都内にいる事は間違いないだろう。
 でなければ学院のマントをバッグに詰めた以外、軽い服装で街の外なんかに出るワケはないのだから。
 一体何の用があってそこへ赴くのかは良く知らないが、きっと久方ぶりの姉妹二人きりの時間としゃれ込みたいのだろう。

 今の自分には全く無縁なそれを想像してしまい、それを取り払うかのように慌てて首を横に振る。
「はぁ…全く、縋れるお姉さんがいるヤツってのは羨ましいねぇ。………って、お姉さん?あれ?」
 自分の口から出た『お姉さん』という単語を耳にして、魔理沙はふと思い出した。
 カトレアとは別に出会ったことのある、ルイズのもう一人の姉―――エレオノールの事を。
 ルイズよりもややキツイ釣り目と、彼女以上の平らな胸と顔を除けばカトレア以上に似てない箇所が多かったルイズのもう一人の姉。
 王宮でルイズの頬を抓っていた光景を思い出した魔理沙はカトレア比較してしまい、思わずその顔に苦笑いを浮かべてしまう。
「あぁ~…何というか、アレだな。ルイズのヤツって優しい姉と厳しい姉の両方がいて色々と恵まれてるんだなぁ~…」
 改めて自分とは全く正反対なルイズの家庭環境に、普通の魔法使いは何ともいえない表情を浮かべてしまう。
 これまで聞いた話から察するに両親は健康だろうし、飴と鞭の役割を担ってくれるお姉さんたちもいる。
 家がお金持ちというのは共通しているのだろうが、正直魔理沙本人としてはそれはあまり口にしたくない事であった。

 実家の事を思い出しそうになった魔理沙はハッとした表情を浮かべると、急に自分の頬を軽く叩いたのである。 
 パン!と気味の音を立てて気合を入れなおした彼女は、考えていた事を忘れる様にもう一度首を横に振る。
「あぁヤメだヤメ!家の事を思い出してたらあのクソ親父の事まで思い出すからもうヤメヤメ!」
 自分に言い聞かせるかのように叫びつつ、二度三度と頬を軽く叩き、何とか忘れようとする。
 その叫び声に気づいてか通りを歩く人々の何人かが顔を上げて、一人頬を叩く魔理沙を見て怪訝な表情を浮かべて通り過ぎていく。

 その後、魔理沙が落ち着けるようになったのは数分が経ってからであった。 
 やや赤くなった頬を摩りつつ、ベッドに腰を下ろした彼女は溜め息をついて項垂れていた。
「はぁ…何だかんだで私も相当疲れてるっぽいな。…ルイズはともかく、霊夢があんなにいつも通りだっていうのに」
 まだまだ一日はこれからだというのに疲れた気がして仕方がない彼女は、ふとここにはいないもう一人の知り合いの事を思う。
 多少落ち込んでいた所を見せていたルイズ違い、流石妖怪退治を専業とする博麗の巫女と言うべきだろうか。
 彼女や自分よりも被害者を間近で見ていたにも関わらず、昨日は朝から夜までずっと外で飛び回っていたというのだ。
 恐らく被害者を無残な目に遭わせたヤツの正体を何となく察したのであろう、そうでなければ彼女がここまで積極的になるワケがない。
 しかも大抵は部屋に置きっぱなしで合ったデルフも持って行っている辺り、結構本腰を入れて探しているのだろう。

 魔理沙自身も、被害者の損壊具合を聞いて相手は人間ではないのだろうと何となく考えてはいた。
 こういう時は彼女に負けず劣らず自分も探しにいくべきなのだろうが、生憎な事に肝心の『アテ』がここにはない。
 幻想郷ならばある程度土地勘も聞くので何かが起こった時には何処を捜すべきか何となくわかるものの、ここはハルケギニアだ。
 まだ王都の広さになれない魔理沙にとっては、何処をどう探していいか分からないのである。
 霊夢ならばそこらへん、持ち前の勘の良さと先天的才能でどうにもなるのだろうが、自分はそこまで勘が良くないという事は知っている。
 無論、並みの人よかあるとは思うのだが…霊夢のソレと比べれば文字通り月とスッポン並みの格差があるのだ。
「…まぁ、そういう考えはアイツからしてみれば単なる言い訳に聞こえるんだろうなぁ~」
 そう言いながら魔理沙は窓から離れ、そのまま階段を使って一階にある手洗い場へと下りていく。
 このまま屋根裏部屋に居ても、仕方がないと思ったが故に。

 少しして用を済まし、手洗い場から出てきた彼女はハンカチで手を拭きながら備え付けの鏡で髪型を整えていく。 
「全く気楽なモンだよ。ま、それを含めて全部博麗霊夢の強みの一つってヤツなんだがね」
 目立っていた寝癖を手早く直すと再び屋根裏部屋へと戻り、新しい服を用意してソレに着替えて始める。
 それを手早く終えるとそこら辺の木箱の上に置いていた帽子とミニ八卦炉を手に取り帽子の中に仕舞う。
 ミニ八卦炉を中に収めたトンガリ帽子は妙に重みが増すものの、それを被る本人にとっては既に慣れた重さであった。
「今の所アイツが何を捜してるのかまでは、良く知らんが…知らんから私も無性に気になってくるぜ」
 そして壁に立てかけていた箒を手に取ると、先ほどまで寝起き姿であった魔理沙がしっかりとした身だしなみをして佇んでいた。
「まぁ特にすることは無いが…無いからこそいつも通りアイツの後を追ったってバチは当たらんだろうさ」
 最後に持ち運んでいた鞄の中から幾つか『魔法』入りの小瓶を取り出しポケットに詰め込んでから、再び一階へ戻っていく。
「鬼が出るか蛇が出るか?…いや、この世界なら竜も出たっておかしくはないぜ」
 先ほどまで沈みかけていた自分の気持ちを、水底から引き上げる様な独り言を呟きながら。

 軽快な足取りで静かな一階へ辿り着いた彼女は、ふと厨房の方にある裏口を通ってみようかなと思った。
 いつも出入りに使っている表の羽根扉は目の前にあり、そのまま五、六歩進めば通りに出られるというのにも関わらず。
 所謂というモノなのだろう。それとも今日だけは普段と違う場所から店の外に出たいと考えたのだろうか。
「…まぁこの店の裏手には入った事ないからな、一目見ておくのも一興ってヤツかな」
 自分を納得させるかのように呟きながら羽根扉の方へと背を向けて、彼女は厨房の方へ入っていく。
 綺麗に掃除されたタイル張りの床を歩き、フックに掛けられた調理器具などを避けつつ裏口へ向かって進む。
 やがて二分と経たない内に厨房は終わり、魔理沙は店の裏側へと入った。
 どうやら裏口だけではなく、ちょっとした物を置くための廊下も作ってあるらしい。
 表の二階と比べてやや埃っぽさが残る廊下の左右を見渡してみると、左の方に外へと続くドアがある。
「…ふーん、成程。食材とかは全部あそこの裏側から運び入れてるってコトかねぇ?」
 そんな事を一人呟きながら少し広めの廊下を進み、裏口の前でピタリと足を止めた。
 丁度扉の真ん中にはガラス窓が嵌め込まれており、そこから店の裏にある路地裏を覗き見る事が出来る。
 やや大きめに造られている道からして、やはりここからその日の食材を搬入しているのだろう。
 道の端で丸くなっている野良猫以外特に目立つモノが無いのを確認してから、彼女は普通のドアを開けた。
 途端、朝早くだというのにすっかり熱せられた外の空気が入り込み、廊下の中へと入り込んでくる。
 一瞬出るかどうか躊躇ったものの、すぐにそんな考えを頭の中から追い出して彼女は外へと出ようとした。

 今も尚微かに残る頭の中のもやもやを忘れようと、いざ王都の真っただ中へと踏み込もうとした彼女は、
「キャッ…!」
「うぉッ!?…っと、ととッ」
 ドアを開けた途端、突如横から走ってきた何者かと接触してしまい、最初の一歩が台無しになってしまった。

 走ってきた何者かは小さな悲鳴をあげて後ろに倒れ、魔理沙は手に持っていたデアノブのお蔭で倒れずに済んだ。
 それでも崩してしまった態勢を直しきれずそのまま地面にへたり込むと、一体何なのかとぶつかってきた者へと視線を向ける。
 夏真っ盛りだというのに頭から鼠色のフードを被っており、先程の悲鳴からして女性だというのは間違いないだろう。
 しかし顔までは分からないので、もしかすれば少女の美声を持った少年…という可能性もあるにはあるだろう。
「イッテテテ…どこの誰かは知らんが、走る時ぐらいはしっかり前を見てもらわないと困るぜ」
 苦言を漏らしながら立ち上がった魔理沙はローブ姿の何者の元へと近づき、そっと手を差し伸べる。
「す、すいません…急いでいたモノで………あっ」
「お………え?」
 自分からぶつかってしまったのにも関わらず親切な魔理沙に礼を言おうと顔を上げた瞬間、頭に被っていたフードがずり落ち、素顔が露わになる。
 手を差し伸べられるほど近くにいた魔理沙はその下にあった素顔を見て、思わず目を丸くしてしまう。

 ルイズだけではないが、まさかこんな場所で再開するとは思っていなかった魔理沙は思わずその者の名を口に出してしまう。 
「アンタもしかして…っていうか、もしかしなくても…アンリエッタのお姫様?」
「……お久しぶりですね、マリサさん」
 魔理沙からの呼びかけにその何者―――アンリエッタはコクリと頷きながら魔理沙の名を呼び返す。
 しかしその表情は緊張と不安に満ちていた。これから起こる事が決して良い事ではないと、普通の魔法使いに教えるかのように。




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