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ルイズと無重力巫女さん-83






 それは、少年の放ったエア・ハンマーで魔理沙とルイズが吹き飛ばされる五分前の事。
 彼女たちと同じくしてカトレアから貰ったお小遣いを見知らぬ少女に全額盗まれたハクレイは、その子を追っていた。
 広場で偶然にも出会った女の子に盗られたソレを取り返すために、彼女はあれから王都を走り回っていたのである。
 最初に盗まれたと気づいた時には、追いかけようにも人ごみに足を阻まれて思うように進むことが出来なかった。
 少女の方もそれを意識してか、体の大きい彼女には容易に通り抜けられない人ごみに混じって追ってくる彼女を何度も撒こうとした。
 幸い運だけはある程度良かったのか、 ハクレイは必死に足を動かしたり通りの端を歩くなどして少女を追いかけ続けていた。
 二人して終わらぬ鬼ごっこのような追いかけっこを延々と、されど走ってないが故に大した疲労もせずに続けていた。

「こらぁ~…はぁ、はぁ…!ちょっと、待って、待ちなさい!」 
 そして追いかけ続けてから早数時間。大地を照らす太陽が傾き、昇ってくる双月がハッキリ見えるようになってきた時間帯。
 人ごみと言う人ごみを逆走し、体力的にも精神的にもそろそろ疲れ始めてきたハクレイはまたも人ごみを押しのけていた。
 一分前に再び女の子の姿を見つけた彼女は、いい加減うんざりしてきた人ごみを押しのけながら歩いていく。
 幸い周りの通行人たちと比べて身長もよく、女性にしては程々に体格が良いせいか容易に流れに逆らう事ができる。
 しかし少女も頭を使うもので、ようやっとハクレイが人ごみを抜けるという所でUターンして、もう一度人ごみに紛れる事もあった。
 だがハクレイもハクレイで背が高い分すぐに周囲を見回して、逃げようとする少女を見つけてしまう。

 正にいたちごっことしか言いようの無い追いかけっこを、陽が暮れても続けていた。
 周りの通行人たちの内何人かが何だ何だと二人を一瞥する事はあったが、深入りするようなことはしてこない。
 少女とって幸いなのは、そのおかげでこの街では最も厄介な衛士に追われずに済んでいた。
 彼女にとって衛士とは恐ろしく足が速く、犯罪者には子供であってもあまり容赦しない畏怖すべき存在。
 だから追いかけてくる女性の声で気づかれぬよう、雑音と人が多い通りばかりを使って彼女は逃げ続けていた。
 しかし彼女も相当しぶとく、今に至るまであと一歩で撒けるという瞬間に見つかって今なお追いかけ続けられている。

 一体どれほどの体力を有しているのだろうか、そろそろ棒になりかけている自分の足へと負荷を掛けながら少女は思った。
 両手に抱えたサイドパック。あの女性が持っていたこのパックには大量の金貨が入っていた。
 これだけあれば美味しいパンやお肉、野菜や魚が沢山買えて、美味しい料理を沢山作れる。
 いつも硬くなって値段が落ちたパンに、干し肉や干し魚ばかり食べているじ唯一の家族゙にそういうものを食べさせてあげたい。
 毎日毎日、何処かからお金を持ってきてそれを必死に溜めている゙唯一の家族゙と一緒に、ご飯を食べたい。

 だから彼女は今日、その家族と同じ方法でお金を手に入れたのだ。
 自分たちの幸せを得る為に『マヌケ』な人が持っているお金を手に入れ、自分たちのモノにする。
 少女は知らなかった。世間一般ではその行為が『窃盗』や『スリ』という犯罪行為だという事が。

「待っててね、お兄ちゃん…!『マヌケ』な女の人から貰ったお金で、美味しい手料理を作ってあげるからね!」
 自らの犯した罪を知らずに少女は微笑みながら走る、逃げ切った先にある唯一の家族である兄との夕食を夢見て。


「あぁ~もぉ!あの子とニナはいい勝負するんじゃないかしら…!」
 その一方で、ハクレイは延々と続いている追いかけっこをどうやって終わらせられるのか考えようとしていた。
 追えども追えどもあと一歩の所で手が届かず、かといって見逃す何てもってのほかで追い続けて早数時間。
 いい加減あの子を捕まえて財布を取り戻した後で、軽く叱るかどうかしてやりたいのが彼女の願いであった。
 しかし少女は自分よりもこの街の事に詳しいのだろう、迷う素振りを見せる事無くあぁして逃げ続けている。
 本当ならすぐにでも追いつけられる。しかしここトリスタニアの狭い通りと明らかにそれと不釣り合いな人ごみがそれを邪魔していた。
 しかも日が落ちていく度に通りはどんどん狭くなっていき、その都度少女の姿を見失う時間も増えている。

(普通に走って追いつくのが駄目なら、何か別の方法でも見つけないと……ん!)
 心の中ではそう思っていても、それがすぐに思いつくわけでもない。
 一体このイタチごっこがいつまで続くのかと考えていたハクレイは、ふと前を走る少女が横道にそれたのを確認した。
 恐らく他の通行人たちで狭くなり続けている通りを抜けて、人のいない路地から一気に逃げようとしているのだろうか?
(…ひょっとすると、今ならスグにでも捕まえられるかも?)
「ちょっと、御免なさい!道を空けて貰うわよ」
「ん?あぁ、おい…イテテ、乱暴に押すなよテメェ!」
 咄嗟にこれを好機とみた彼女は前を邪魔する通行人たちを押しのけて、少女が入っていった路地の入口を目指す。
 途中自分のペースで自由気ままに歩いていた一人の若者が文句を上げてきたが、それを無視して彼女は少女の後を追おうとする。
「コラ!いい加減観ね――――ング…ッ!!」
 しかし。いざそこへ入らんとした彼女の顔に、子供でも両手に抱えられる程の小さな樽がぶつかり、
 情けない悲鳴とも呻きにも聞こえる声を上げて、そのまま勢いよく地面へ仰向けに倒れてしまう。

「うぉ…っな、何だよ…何で樽が?」
 先ほど彼女に押しのけられ、怒鳴っていた若者はその女性の顔にぶつかった樽を見て驚いていた。
 幸い樽の方は空であったものの、それでも目の前の黒髪の女性――ーハクレイには大分大きなダメージを与えたらしい。
 目を回して仰向けになっている彼女にどう接すればいいのか分からず、他者を含めた何人かの通行人が足を止めてしまう。
 その時、樽を投げた張本人である少女が路地から顔を出し、ハクレイが気絶しているのを確認してから再び通りへと躍り出る。
 最初こそハクレイの読み通り、路地から逃げようとした少女であったが、道の端に置かれていた小さな樽を見て即座に思いついたのだ。 
 ここで不意の一撃を与えて気絶させるなりすれば、上手く逃げ切れるのではないのかと。

 そして彼女の予想通り、投げられた樽で地面に倒れたハクレイが起き上がる気配はない。
(ちょっとやりすぎだったかも…ごめんね)
 樽は流石にまずかったのか?そんな罪悪感を抱きつつも少女は何とかこの場から離れとようとしていた。
 ハクレイとの距離はどんどん伸びていく。四メイル、五メイル、六メイル…。
 倒れたハクレイを気遣う者達とそうではない通行人たちの間を縫うように歩き、距離を盗ろうとする。
 しかし少女は知らなかった。ハクレイは決して気絶していたワケではないという事を。



(うぅ~ちくしょぉ~!中々やるじゃないの、あの子供ぉ…) 
 思いっきり樽をぶつけられた彼女は、あまりの痛さとこれまで蓄積していた疲労で立とうにも立てずにいた。
 重苦しい気だるさが全身を襲い、下手に気を緩めてしまえば今にも気絶してしまう程である。
 それでもカトレアが渡してくれたお金を取り戻すのと、それを盗んだ女の子を止めなければいけないという使命感で、
 辛うじて気絶するのは避けられたものの、そこから後の行動ができずにいるという状態であった。

 そういうワケで身動きが取れないでいる彼女は、ふと自分の耳に大勢の人たちがざわめく声が入って来るのに気が付く。
(でも、何だか騒がしいわね?野次馬が周りにいるのかしら)
 目を瞑っているせいで周りの状況が良く分からないが、そのざわめきから多くの人が囲んでいるのだろうと推測する。
 無理もない、何せ街中で幼女に樽を投げつけられて気絶した女はきっと自分が初めてなのだろうから。
 きっとここから目を開けて、何とか立ち上がって追いかけようとしても恐らく間に合いはしないだろう。
 あの意外にも頭が回る少女の事だ。今が好機と見て残った力で逃げ切ろうとしているに違いない。
 彼女にとって、それはあまりにも歯痒かった。カトレアの行為を無駄にし、あまつさえ見知らぬ少女の手を前科で汚させてしまう。
 もっと自分がしっかりしていれば、きっとこんな事にはならなかった筈だというのに…。

(せめて、せめて一気に距離を詰めれる魔法みたいな゙何か゛があれば…――――ん?)
―――――めね、全然だめよ。貴女ってはいつもそうね
 無力感と悔しさの二重苦に直面したハクレイはこの時、野次馬たちのそれとは全く別の『声』耳にした。
 それは外から耳が広う野次馬たちのざわめきとは違い、彼女の頭の中で直接響くようにして聞こえている。
(何、何なのこの声は?)
――――――昨日も言ったでしょう?霊力はそうやってただぶつける為の凶器じゃないの
 性別は一瞬訊いただけでもすぐに分かる程女性の声であり、声色から何かに呆れている様子が想像できてしまう。
 そして、ハクレイはこの声に『聞き覚えがあった』。カトレアでもニナのものでもない女性の声を、彼女は知っていたのである。
(何が何だか分からないけど…知ってる!私はこの声を何時か…どこかで聞いたことが…)
――――霊力にも様々な形があるけど、貴女の場合それは攻撃にも防御にも、そして移動にも利用できるのよ。俗に言う器用貧乏ってヤツよ?
 声の主はまるで覚えの悪い生徒へ指導する教師の様に、同じ単語を話の中に何度も混ぜながら何かを説明している。
 そして奇遇にもその単語―――『霊力』がどういう風に書き、用いる言葉なのかも。彼女は知っていたのだ。

(一体、これはどういう……――――!)
 突如自分の身に起き始めた異変に困惑しようとした直前、ハクレイの頭の中を何かが奔り抜けた。
 まるで電撃の様に目にも止まらぬ速さで、そして忘れられない程の衝撃が彼女の脳内を一瞬の間で刺激する。
 それは彼女の脳を刺激し、思い出させようとしていた。―――今の彼女が忘却してしまったであろう知識の一つを。
(何…これ…!頭の中で、何かが…゙設計図のような何か゛が完成していくわ…!)
 突然の事に身動き一つできず、ただ耐える事しかできないハクレイの脳内に、再び女性の声が響き渡る。

――――貴女の霊力の質なら、きっと地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなんて事は造作ないと思うわ。
 ――――ただ大事なのはやり方よ?足が着いている場所に霊力を流し込むイメージをするの。そう…思い浮かべてみるのよ?

 その長ったらしい説明の直後、気を失いかけた彼女は永らく忘れていた知識の一つを取り戻す事が出来た。
 先ほど自分が欲しいと願っていた、一気に距離を詰められる魔法の様な知識を。


「ん―――んぅ…」
「お、うぉわ!」
 集まってきた野次馬に混じってハクレイを間近で見ていた若者は、彼女が急に目を覚ました事に驚いてしまう。
 それで急ぎ後ずさった彼を合図に彼女がムクリと上半身を起こすと、他の者達も一様にざわめき始めた。
 何せてっきり気を失ったと思っていた女性が急に目を開けて、何事も無かったかのように体を起こしたからである。
 そんな思いでざわめく群衆を無視しつつ、ブルブルと頭を横に振るハクレイはあの少女が何処へいったのか確認しようとした。
 当然ながら近くに姿は見えない。恐らく自分を囲んでいる群衆に紛れて逃げようとしているのか、あるいは既に…

「ま、どっちにしろ手ぶらじゃあ帰れないわよね」
 一人呟いた後で腰に力を入れて、スクッと先ほどまで倒れていたのが嘘の様に立ち上がることができた。
 さっきまであんなに疲れていたというのに、その疲労の半分が体から消え去っていたのである。
 何故なのかは彼女にも分からない。何か見えない力でも働いたのか、それともあの謎の声が関係しているのか…
 色々と考えるべきことはあったが、今からするべき事を思えば横に置いてもいい事であった。
 周りにいる人々が何だ何だとざわつく中、彼女に肩をぶつけられて怒っていた若者が困惑気味に話しかけてくる。

「あ、アンタ大丈夫か…?さっき女の子にアンタの顔ぐらいの大きさがある樽をぶつけられてたが…」
「ん…心配してくれてるの?まぁそっちはそっちで痛いけど大丈夫よ。それよりも、私の近くに女の子が一人いなかった?」
「え…えっと?あぁ、そういや確か…アンタに樽ぶつけた後にあっちの通りへ走っていったが」
 てっきり怒って来るのかと思っていた彼女は少しだけ目を丸くしつつも、自分のすぐ近くにいた彼へ女の子を見なかったかと聞いてみる。
 その質問に最初は数回瞬きした若者は困惑しつつも、ハクレイの背後を指さしてそう言った。
 やはり自分が気を失っている間に逃げる算段だったようだ、彼女はため息をつきつつも若者が指さす方向へと身体を向ける。
 案の定少女が通って行ったであろう通りは人で溢れてしまっており、今から走っても見つけるのは無理に近いだろう。

「あちゃぁ~…やっぱり逃げられたかぁ。…ていうか、今からでも追いつけるかしら?」
「追いつけるって、さっきの女の子をか?」
「他に誰がいるのよ。…ともかく、どこまで逃げたのかは知らないけれど…」
 まずは一気に詰めなきゃね。そう言ってハクレイはその場で軽く身構え、体の中で霊力を練り始めた。 
 周囲の喧騒をよそ丹田から脚へと流れていく力を、地面と同化させるように足の指先にまで流し込んでしまう。
 やがて下半身を中心に彼女の霊力が全身に行きわたり、その体に常人以上の活力で満たされていく。
 彼女は段々と『思い出し』ていく。それが何時だったかはまだ忘れたままだが、かつて今と同じように事をしていたという事を。

(不思議な感じたけど、こうやって身構えて…霊力を溜めるのって懐かしい感じがするわね)
 まだ見覚えの無い懐かしさに疑問を抱きながらも、ハクレイの全身に霊力が回りきる。
 そして…さぁこれからという所で彼女は背後の若者へと顔を向け、話しかけた。
「あ、そうだ…そこのアンタ。ちょっと後ろへ下がっといたほうが良いかもよ?」
「は?後ろに下がれって…なんでだよ」
「何でって…そりゃ、アンタ――――――」

 ――――今から軽く『跳ぶ』為よ。
 そう言って彼女は若者へ涼しげな表情を向けながら言った。


「―――…った、やった!逃げ切れた…!」
 サイドパックを両手で抱えて走る少女は、人ごみの中を走りながら自らの勝利を確信していた。
 あの路地に逃げようとした矢先に見つけた樽が、思いの外この状況を切り抜けるカギになったらしい。
 現に投げ飛ばしたアレが顔に直撃し、道のド真ん中で倒れた黒髪の女性は追いかけて来ない。
 それが幼い少女に勝利を確信させ、疲れ切った両足に兄の元へ帰れるだけの活力となった。
「待っててお兄ちゃん…!すぐにアタシも帰るからね…」
 はにかんだ笑顔で息せき切りながら、少女はトリスタニアに作った『今の家』までの帰路を走る。
 柔らかいそうな顔を汗まみれにして、必死に足を動かす彼女を見て何人かが思わず見遣ってしまう。

 永遠に続くかと思われた人ごみであったが、終わりは急に訪れる。
 大人たちのの間を縫って通りを走っていた少女は、街の広場へと入った。
 王都に幾つか点在する内一つである広場は、すぐ後ろにある通りと比べればあまりにも人が少ない。
 日中ならまだしも、この時間帯と時期は男や若者たちは皆酒場に行くものである。
 現に夜風で涼もうとやってきている老人や、中央にある噴水の傍でお喋りをしている平民の女性たちしか目立つ人影はない。
 確かに、こう人の少ないところは涼むだけにはもってこいの場所だろう。女や酒を期待しなければ。

「あ、通り…そうか。抜けれたんだ…」
 まるで樹海の中から脱出してきたかのような言葉を呟きながら、少女は肩で息をしながら近くのベンチへと腰かける。
 このまま『今の家』に帰る予定であったが、追っ手がいなくなったのと落ち着いて休める場所があったという事に体が安心してしまっていた。
 先ほどまでは何時あの女性が追いかけてくるかと言う緊張感に苛まれて逃げていた為に、幼い体に鞭打っていたのである。
 けれども、今は誰も追ってこないし、落ち着ける場所もある。それが彼女の緊張感をほぐしてしまったのだ。
「ちょっと、ちょっとだけ…ちょっとだけ休んだら、お家に戻ろうかな…ふぅ?」
 ベンチの背もたれに背中を預けながら、少女は暗くなる空へ向かって独り言をつぶやく。
 肩で呼吸をつづけながら肺の中に溜まった空気を入れ替えて、夜風で多少は冷えた夏の空気を取り込んでいく。

 薄らと見え始めている双月を見上げながら、彼女は今になってある種の達成感を得ていた。
 各地を転々と旅しつつも、お金が無くなった時は兄がいつも新しいお金を取ってきてくれる。
 自分も手伝いたいと伝えても、兄は「お前には無理だ、関わらなくても良い!」といつも口を酸っぱくして言っていた。
 でも、これで兄も認めてくれるに違いない。自分にも兄のお手伝いができるという事を。
 未だ両手の中にある金貨入りのサイドパックを愛おしげに撫でて、兄に褒められる所を想像しようとした―――その時であった。
 つい先ほど彼女が走ってきた通りから、物凄い音とそれに続くようにして人々の驚く声が聞こえてきたのは。
 まるで硬い岩の様な何かを思い切り殴りつけた様な音に、少女がハッとして後ろを振り返った瞬間、彼女は見た。

 通りを行き交う人々の頭上を飛び越えてくる、あの黒髪の女性―――ハクレイの姿を。
 ロングブーツを履いた両足が青白く光り、あの黒みがかった赤い瞳で自分を睨みつけながら迫ってくる。
 自分たちの頭上を飛び越えていくその女性の姿に人々は皆驚嘆し、とっさに大声を上げてしまう者もチラホラといる。
 少女は驚きのあまり目を見開き、咄嗟に大声を上げようとした口を両手で押さえてしまう。
「ちょ、何アレ!?」
「こっちに跳んでくるわ!」

 噴水の近くにいた女たちが飛んでくるハクレイに黄色い叫び声を上げて広場から逃げていく。
 お年寄りたちも同じような反応を見せたものがいたが、何人かはそれでも逃げようとはしなかった。
 三者三様の反応を見せる中で、勢いよく跳んできたハクレイは少女のいる広場へと降り立った。
 青く妖しく光るブーツの底と地面から火花が飛び散り、そのまま一メイルほど滑っていく。
 これには跳んだハクレイ自信も想定していなかったのか、何とか倒れまいとバランスを取るのに四苦八苦する。
「おっ…わわわ…っと!」
 まるで喜劇の様に両腕を振り回した彼女は無様に倒れる事無く、無事に着地を終えた。
 周囲と通りからその光景を見ていた人々が何だ何だとざわめきながら、何人かが広場へと入ってくる。
 彼らの目には、きっと彼女の今の行為が大道芸か何かに見えているに違いない。

「…すげー、今の見た?あっこからここまで五メイルくらいあったぞ」
「魔法?にしては、杖もマントも無いし…マジックアイテムで飛んだとか?」
「さっきまで光ってたあのブーツがそうかな?だとしたら、俺も一足欲しいかも…」
「っていうかあの姉ちゃん、スゲー美人じゃね?」
 暇を持て余している若者たち数人がやんややんやと騒いでいるのを背中で聞きつつ、少女は逃げようとしていた。
 今、自分が息せき切って走ってきた距離を一っ跳びで超えてきたハクレイは、自分に背中を向けている。
 だとすれば逃げるチャンスは今しかない。急いで踵を返して、もう一度人ごみに紛れればチャンスは…。
 そんな事を考えつつも、若者たちが騒いでいる後ろへ後ずさろうとした少女であったが―――幸運は二度も続かなかった。

「ふぅ~…こんな感じだったかしらねぇ?何かまだ違和感があるけど――――さて、お嬢ちゃん」
「…ッ!」
 一人呟きながら自分の足を触っていたハクレイはスッと後ろを振り返り、逃げようとしていた少女へ話しかける。
 突然の振り返りと呼びかけに少女は足を止めてしまい、騒いでいた若者達や周囲の人々も彼女を見遣ってしまう。
 相手の動きが止まったのを確認したハクレイは、キッと少女を睨みつけながらも優しい口調で喋りかける。
「お互い、もう終わりにしましょう。貴女だって疲れてるでしょう?私も結構疲れてるし…ね?」
「で、でも…」
 相手からの降伏勧告に少女は首を横に振り、ハクレイはため息をつきながらも彼女の傍まで歩いていく。
 そして少女の傍で足を止めるとそこで片膝をつき、相手と同等の目線になって喋り続ける。
「私は単に、貴女が私から盗んだモノを返してくれればいいの。それだけよ、他には何もしない」
「…他にも?」
「そうよ。貴女がやったことは…まぁ『犯罪』なんだけど、私は貴女を付き出したりしないわ」
 本当よ?そう言ってハクレイは唖然とする少女の前に右手を差し出して見せる。
 周囲にいて話を聞いていた人々の何人かが、何となくこの二人が今どういった状況にいるのか察する事ができた。 

 大方、この女性から財布か何かを盗んだであろう少女を諭して、盗られたモノを取り返そうとしているのだろう。
 王都は比較的治安が良いが、だからといって犯罪が一つも起こらないなんて事は無い。
 大抵は盗賊崩れや生活に困窮している平民、珍しいときは身寄りのいない子供や貴族崩れのメイジまで、
 様々な人間が大小の犯罪に手を染めて、その殆どが街の衛士隊によってしょっぴかれてきた。
 中には目の前にいる少女の様な子供まで衛士隊に連れて行かれる光景を目にした者も、この中には何人かいる。
 残酷だと思われるが、犯罪で手を汚ししてしまった以上はたとえ子供であっても小さい内から大目玉を喰らわせなければいけない。
 痛い目を見ずに注意だけで済ましてしまえば、十年後にはその子供が凶悪な犯罪者になっている可能性もあるのだから。

 そう親兄弟から教えられてきた人たちは、どこかもどかしい気持ちでハクレイと少女のやりとりを見つめていた。
「なぁ…あの女の人、衛士呼ばないのかねぇ?物盗りなんだろ?」
「物盗りといってもまだまだ幼いじゃないか、ここでちゃんと諭してやれば手を洗うだろうさ」
「甘いなぁお前さん、そんなに甘い性格してる月の出ない夜に財布をスラれちまうぜ!」
「でもいくら犯罪者だとしても、あんな小さい子を衛士に突き出すってのは少し気が引けちゃうよ…」
 少女に詰めよるハクレイを少し離れた位置から眺める人々は、勝手に話し合いを始めていた。
 幾ら犯罪者には厳しくしろと教わられても、流石にあの少女ほどの子供を牢屋に閉じ込めるのはどうかと思う者達もいる。
 そういう考えの者達と犯罪者には鉄槌を、という者達との間で論争が起こるのは必然的とも言えた。
 さて、そんな彼らを余所に少女はハクレイの口から出た、ある一つの単語に首を傾げていた。

「犯…罪?何それ…」 
 まるで他人のお金を取る事を悪い事だとは思っていないその様子に、ハクレイは苦笑いしながら彼女に説明していく。
「う~ん…何て言うかな、そう…私の財布ごと何処かへ持っていこうとした事が…その犯罪っていう行為なのよ?」
「え?でも…お兄ちゃんが言ってたよ。僕たちが生きるためには金を持ってる奴から取っていかないと――って…」
「お兄ちゃん…。貴女、他にも家族がいるの?」
 思いも寄らぬ兄の存在を知ったハクレイがそう聞いてみると、少女はもう一度コクリと頷く。
 彼女が口にした言葉にハクレイはやれやれと首を横に振り、何ゆえに少女が窃盗を悪と思っていないのか理解する。
 恐らく彼女の兄…とやらは何らかの理由で窃盗を稼業としていだろう。この娘がそれを、普通の事だと認識してしまうくらいに。
 あくまで推測でしかないがもしそうなら自分の財布を返してもらい、見逃したとしても根本的な解決にはならない。
 日を改めた後に、また何処かで盗みを働いてしまうに違いない。そして行く行くは、別の誰かの手によって……

 そこまで想像したところでハクレイはその想像を脳内から振り払い、少女の顔をじっと見つめる。
 自分を見つめるその顔には罪悪感など微塵も浮かんでおらず、まるで磨かれたばかりの真珠のように純粋で綺麗な眼。
 ここで財布を取り返して逃がしたとしても、罪悪感を感じていなければまたどこかで同じ過ちを繰り返してしまうだろう。
 きっとカトレアなら、ここでこの娘とお別れする事はない筈だと…そんな思い抱きながら、ハクレイは少女に話しかける。
「ねぇ貴女、もし良かったら私をお兄さんのいる所へ案内してくれないかしら?」
「え…お兄ちゃんの…私達が『今いる』ところへ?」
 何故か目を丸くして驚く少女に、ハクレイはえぇと頷いて彼女の返事を待った。
 もしここにカトレアがいたのなら、少女が何の罪悪感も無しに罪を犯すきっかけとなった兄を諭していたかもしれない。
 例えそれがエゴだとしても…いつかは破綻する生活から助け出すために、きっと説得をしに行くに違いないだろう。

 半ばカトレアを美化(?)していたハクレイは、ふと少女が丸くなった目で自分を凝視しているのに気が付いた。
 一体どうしたのかと訝しもうとした直前、少女はその体を震わせながらハクレイへと話しかける。
「わ、私達をどうするの?お兄ちゃんと私を、どうしようっていうの…?」
「…?別にどうもしない。ただ、ちょっとだけアナタのお兄さんと話がしたいだけよ」
 急な質問の意図がイマイチ分からぬままハクレイはそう答えると、突き出していた右手をスッと下ろす。
 しかし、それを聞いた少女の表情は次第に強張っていき、一歩二歩…と僅かに後ろへ後ずさり始める。
 それを見たハクレイはやはり警戒されているのかと思いながらも、尚も諦める事無く彼女へ語りかけた。

「逃げなくてもいいのよ?本当に、私は『何もしない』わ…ただ、アナタのお兄さんに盗みをやめるよう説得したいだけなの」
「…!」
 何がいけなかったのか、彼女の説得に今度は身を小さく竦ませた少女が大きく後ずさる。
 その様子を見て若干流石のハクレイでも理解し始める。彼女が自分におびえているという事に。
 下がった先にいた一人の野次馬がおっと…!と声を上げて横へどき、急に様子が変わった少女を大人たちが不思議そうな目で見つめる。

 少女を見つめる者たちの何人かがこう思っていた。一体この少女は、何を怯えているのかと。
 彼女の前にいる黒髪の女性は酷く優しく、その様子と喋り方だけでも衛士に突き出す気は端から無いと分かる。
 しかし少女は怯えていた。まるで女性の背後に、幽霊が佇んでいるのに気が付いているかの様に。
 ただの通りすがりであり、少女との接点が無い周りの大人たちは少女が何に怯えているのかまでは知らなかった。
 そして少女に財布を盗られ、ここまで追いかけて来たハクレイも彼女が何故自分を怖れているのかまでは理解できずにいる。
 ―――しかし、ハクレイを含めだ大人゙たちには、決してその怯えの根源が何なのかを知ることは出来ないであろう。
 何故なら、少女が何よりも怖れていたのは…『何もしない』と言い張る大人なのであるから。

 かつて少女は兄に教わった、自分たちの天敵が大人であるという事を。
 自分たちが生きていくうえで最も警戒すべき存在であり、出し抜いていかなければいけない相手なのだと。
―――良いか?大人を信用するなよ。アイツらは意地汚くて狡猾で、俺たちを子供だからっていつも下に見てるんだ!
――――俺とお前だけで生きているのがバレたら、大人たちは必ず俺たちを離れ離れにしようとするに違いない。
―――――特に、俺たちが孤児だと勘づいて親切にしてくる大人には絶対気を許すな!
――――――そういう奴こそ「大丈夫、『何もしない』よ」と言いながら、俺とお前を適当な孤児院にぶちこもうとするんだ!

――――もしそういう大人に出会ったら、お前も腰にさした『ソレ』を引き抜いて戦うんだ!
―――――俺たちは決して弱者なんかじゃない!舐めるなよっ!…という意思を込めて、呪文を唱えろ!

 脳裏によぎる兄から聞かされたその言葉が少女に恐怖を芽生えさせ、右手が懐へと伸びていく。
 そうだね大人は敵なんだ。こうやって優しい言葉で自分たちを騙して、離れ離れにさせようとする。
 決めつけとも、大人を知らぬ子供のエゴとも取れるその考えに支配された彼女には、これから起こす事を自分では止められない。
 ただ、守りたいがゆえに…この一年間兄に守られ共に暮らしてきた少女にとって、唯一の家族であり頼れる存在でもあった。
 それを何の気なしに奪おうとする大人たちとは戦わなければいけない。例えそれが、見た事ない力を使う女の人であっても。

「ちょっと、どうしたのよ?そんなに怯えた顔して…」
 そんな少女の決意がイマイチ分からぬまま、ハクレイは怪訝な表情を浮かべて少女に話しかける。
 少女の背後にいる群衆も互いの顔を見合わせながら、少女が何をしようとしているのか気になってはいた。
 そして…この場に居る大人たちが彼女が何をしようととしているのか分からぬまま、少女はついに動き出す。
 大事な家族を守る為、これからも続けていきたい二人の生活を明日へ繋ぐためにも、彼女は一本の『ソレ』を懐から取り出し、天に掲げる。
 『ソレ』はこのハルケギニアにおいて最も目にするであろう道具であり、今日までの世界を築き上げてきた力の象徴。
 同時に、平民たちにとっては最強の力であり、畏怖するべき貴族たちが命よりも大事と豪語する―――…一振りの杖である。

 後ろにいた観衆に混ざり込んだ誰かが、少女が天に掲げた杖を見た小さな悲鳴を上げる。
 誰かが「あのガキ、メイジだ!」と怒鳴ると、少女を囲んでいた平民たちは慌てて距離を取り始めた。
 正に「美しい花には棘がある」という諺そのものだ、あんな小さな子がメイジだったとは誰もが思っていなかったのだろう。
 例えどんなに小さくとも、杖を持っていて魔法を唱えられるのなら大の大人であっても簡単にねじ伏せてしまう。
 魔法の恐ろしさを十分に知っている彼らだからこそ、杖を見たとたんに後ろへ下がれたのだろう。

 一方で、少女から最も近いところにいるハクレイは周囲の反応と杖を見てすぐに少女がメイジなのだと理解していた。
 まさかこんなに小さくてかわいい子がカトレアと同じメイジだったのだと思いもしなかったのである。
 そして新たな疑問も沸き起こる。何故彼女は魔法が使えるというのに、こんな犯罪に身をやつしているのか?
 アストン伯やカトレア、そして彼女の取り巻き達の様な貴族たちとの付き合いしか無かったハクレイはまだ知らないのである。
 世の中には、マントを奪われあまつさえ家と領土すら奪われだ元゙貴族達も相当数がいる事に。

 少女は自分を見て硬直している相手と平民たちを交互に凝視つつ、もう数歩後ろへと下がっていく。
 逃げる気天!?そう思ってかハクレイは、慌てて少女の足を止めようと立ち上がろうとした。
「……ッ!アナタ…ッー――!」
「来ないで、私に近づいちゃダメ!」
 立ち上がった瞬間を狙ってか、少女はこちらに向けて手を伸ばそうとするハクレイへ杖の先端を向けた。
 幼年向けであろう、普通のよりもやや短い杖の鋭そうな先が彼女の額へ向いている。
 ここから魔法が飛んでくるのを想像して怯えているのか、はたまた相手を刺激せぬようにしているのか、
 ハクレイはその場でピタリと足を止めつつ、されど視線はしっかりと少女の方へと向いていた。

 彼女にはワケが分からなかった。少女が杖を隠し持っていたメイジであった事と、このような事に手を潜めている事。
 そして、何故急に怯え出した彼女に杖を向けられているのかも…ハクレイには分からなかった。
 だがそれで少女を説得する事を彼女は諦めてはおらず、むしろ何が何でも止めなければと改めて決意する。
 周囲の平民たちと同じように、ハクレイもまた魔法が日常生活や攻撃としても十分使えるという事は知っていた。
 だからこそ、少女が下手に魔法を使わぬよう穏便に説得しようとしのである。
「ちょっと待ってよ?どうしたのよ一体…」
「だ、だから近づかないでって言ってるでしょ!?」
 しかし、少女の内情を知らない彼女の説得など初めから効くはずもなかった。
 より一層冷静になるよう心掛けてにじり寄ろうとしたハクレイに気づいて、少女はそう言いながら杖を振り上げる。

 周りにいた平民たちは皆一様に悲鳴を上げて、更に後ろへと下がっていく。
 メイジが杖を振り上げる事は即ち、これから魔法を放ちますよと声高々に宣言するのと同じ行為である。
 何人かの平民がまだ少女の傍にいるハクレイへ「何してる逃げろ!」や「杖を取り上げろ!」と叫ぶ。
 今のハクレイには、逃げる暇や杖を取り上げる時間も無い。あるのはただ放とうとされる魔法を受け入れるしかない現実だ。
 だが…タダで喰らう彼女でもなく、すぐさま体を身構えさせて少しでも目の前で発動される呪文を防ごうとした。
 それと同時に、少女は杖を振り下ろした。口から放ったたった一言の呪文と共に。

「イル・ウインデ!」
「え?…うわぁッ!」
 口から出た短いスペルと共に、ハクレイの足元で突如小さな竜巻が発生したのである。
 唱えた魔法は『ストーム』という風系統の魔法。文字通り指定した場所に竜巻を発生させるだけの呪文だ。
 詠唱したメイジの力量と精神力によって威力に差は出てくる。そして少女に力量は無かったが、精神力だけは豊富にある。
 その為、彼女が発生させた竜巻は大の大人一人ぐらいなら簡単に飲み込み、吹っ飛ばす程の力は有していた。

 まさか足元から来るとは予測していなかったハクレイは呆気なく竜巻に巻き込まれてしまう。
 何の抵抗も出来ずに透明な竜巻の中で回るしかない彼女は、さながらルーレットの上を走るボールの様だ。
「わ・わ・わ・わわわ…ワァーッ!」
 グルグルと竜巻の中をひとしきり回った彼女は、勢いよく竜巻の外へと吹き飛ばされる。 
 地上で見守っていた人々とほぼ同時に悲鳴を上げたハクレイが飛んでいく先には、広場に面した共同住宅があった。
 丁度窓越しに食事や酒、読書を嗜んでいた人々がこっちへ向かってくる彼女に気が付き、慌てて窓から離れていく。
 後数秒もあれば、吹き飛ばされたハクレイは哀れにも勢いよく共同住宅の壁に叩きつけられてしまうだろう。

(不味いわね…!流石にこれは―――でも、今ならイケるかも?)
 ここまでされてから初めて危機感を抱いたハクレイはしかし、たった一つの解決策を持っていた。
 このまま勢いよく今日住宅に突っ込んでも、決してダメージを受けずにいられる方法を。
 激突まで後二メイルで時間にすればほんの僅かだが、それだけあれば充分であった。
 既に手足の方へと霊力は行きわたっている。ただ一つ気にすることは、背中からぶつからないように気を付ける。
(全ては神のみぞ知る…ってヤツかしら!)
 心の中でうまい事成功しなければという決意を抱いて、真正面から共同住宅へと突っ込み…―――そして。

「おっ!―――よっと!」
 瞬時に青白く発光した手足でもって、共同住宅の壁へと『貼り付いた』のである。
 てっきりぶつかるかと思っていた群衆は彼女が見せてくれた大道芸じみたワザに、驚愕の声を上げた。
 その声に思わず顔を背けていた人々に、共同住宅の住人達も窓越しに壁へ貼り付くハクレイの姿を見て驚いている。
 暫しの間広場で彼女を見つめている人々はざわめいていたが、何故かその外野から幾つもの拍手が聞こえてきた。
 恐らく何かの催しだと勘違いした通りすがりの者なのだろうが、最初から最後まで見ていた者達には酷く場違いな拍手に聞こえてしまう。
 そしてハクレイ自身は何で拍手が聞こえてくるのか分からず、そしてこうも『上手く行った』事に内心ホッと安堵していた。

「いやぁ~…できるって気はしてたけど、まさか本当にできるとは思ってもみなかったわ」
 右手と両足を霊力で壁に張り付けたまま、左腕の袖で顔の冷や汗を拭う彼女の胸は興奮で高鳴っていた。
 実際、彼女がこのワザに『気が付いた』のは先ほどここまで跳んでくる前に聞こえたあの謎の声のお蔭である。
 あの女性の声は言っていたのだ、自分の霊力なら、地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなど造作ないと。
 だからあの時、目を覚ましてすぐにジャンプできたりこうして壁に貼り付いて激突を回避したのである。
 最初こそ一体何なのかと訝しんでいたが、今となってはあの声の主に感謝したいくらいであった。
 もしもあのアドバイスがなければ、今頃この三階建ての建物に叩きつけられていたに違いない。

「とはいえ…流石にあの勢いだと。イテテテ…手がヒリヒリするわね」
 そう言ってハクレイは、赤くなっている左の掌を見つめながら一人呟く。
 実際のところ成功する確率は五分五分であり、彼女自身失敗するかもという思いは抱いていた。
 まぁ結局のところ上手くいったのだが勢いだけは殺しきる事ができず、結果的に両手がヒリヒリと痛む事となったが。
 彼女は気休め程度にと左の掌にフゥフゥと息を吹きかけようと思った時、後ろから自分を吹き飛ばした張本人の叫び声が聞こえてきた。
「ど、どいてぇ!どいてよー!」
 恐怖と悲痛さが入り混じったその叫びと共に、群衆の動揺が伺えるどよめきも耳に入ってくる。
 何かと思いそちらの方へ視線を向けてみると、あの少女が手に持った杖を振りかざしながら人ごみの中へと消えようとしていた。
 右手には杖、そして左手には自分から盗んでいったカトレアからのお金が入ったサイドパック。
 恐らく魔法による攻撃が失敗に終わったから、せめて必死に逃げようとしているのだろうか。

「まずいわね…何とかして止めないと」
 このまま放っておけばカトレアから貰ったお金を全て無くしてしまううえに、あの少女を説得する事もできない。
 何としてもあの少女を止めて、もう二度とこんな事をしないようにしてやらなければ、いつかは捕まってしまうだろう。
 その時には彼女のいう兄も…だから今ここで捕まえて、何とかしてあげなければいけない。
 何をどうしてあげればいいのか、どう説得すれば良いのか分からないが放置するなんて事はできない。 
 改めて決意したハクレイは群衆をかき分けて逃げる少女を確認した後、自分の右隣にある建物へと視線を移す。
 恐らくここと同じ共同であろう四階建てのそこからも、窓越しに自分を見つめる人々がチラホラと見えている。
 マントを着けている事から貴族なのだろうが、皆いかにも人生これからという若者たちばかりだ。

「あそこまでなら、届くかしらね?」
 そう呟いてた後、彼女は両足と右手の霊力にほんの少しアクセントを加え始める。
 今この建物の壁に貼り付いている霊力を変異させて、正反対の『弾く』エネルギーへと変換していく。
 それも『今の』彼女にとって初めての試みであり、そして何故かいとも簡単に行えることができる
 何故そんな事がでるきのかは彼女にも分からないし、生憎ながら考える暇すら今は無い。
 今できる事はただ一つ。自分が忘れていた自分の力を使って、あの娘を止める事だと。

(距離はここから二、三メイル…まぁいけるかしら)
 目測で大体の距離を測りつつ、彼女は両足と右手へと霊力をより一層込めていく。
 少なすぎても駄目だし、多すぎれば最悪向こうの建物の壁にぶち当たるかもれしない。
 必要な分の霊力だけをストックして、一気に解放させなければあの建物の壁に貼り付く事など不可能なのである。
 向こうの共同住宅に済む若い貴族たちが窓越しに自分を見つめて指さし、何事かを話し合っているのが見えた。
 一体何を話しているのかは知らないが、間違いなく自分に関して話しているという事は分かっていた。
「とりあえず、窓から顔を出さなければそれに越した事はないけど…」
 跳び移るのは良いが、最悪窓を割るかもしれないが故にハクレイは内心でかなり緊張している。

 時間にすればほんの十秒足らず。その間に手足へ一定の霊力を込められたハクレイは、いよいよ準備に移った。
 壁に貼り付けている右手をグッと押し付け、青白い霊力を掌へと流し込んでいくさせていく。
 両足も同様に、際どい姿勢で張り付けているブーツ越しの足裏へ掌と同じように霊力を集中させる。
 これで準備は整った。後は彼女の意思次第で、壁に『貼り付く』力は『弾く』力へと変化する。
 目測も済ませ、覚悟も決めた。後残っているのは、成功できるかどうかの力量があるかどうか、だ。

 短い深呼吸をした後、ほんの一瞬脱力させた彼女はグッと手足に力を込めて、跳んだ。
 それは外野から人々の目から見れば、空中で横っ飛びをしてみせたも同然の危険な行為であった。
 群衆はまたもや驚愕の叫び声を一斉に上げ、彼女が飛び移る先にある建物の住人達は急いで窓から離れ始める。
 何せ隣の建物に張り付いていた正体不明の女がこちらへ跳んでくるのだ、誰だって逃げ出すに違いないであろう。
 まさか、窓を破って侵入してくるのでは?そんな恐怖を抱いた人々とは裏腹に、ハクレイの試みは思いの外上手くいったのである。
「ふ…よっ…―――――――ットォ!!」
 まるで壁に『弾かれた』かの様に横っ飛びをしてみせた彼女は、無事に下級貴族たちの住むワンランク上の共同住宅の壁へと見事貼り付く。
 てっきり今度こそぶつかるかと思っていた地上の人々は、壁に貼り付いた彼女の姿を見て再び驚きの声を上げた。

 その声に窓から離れていた住人の下級貴族達も何だ何だと窓へ近づき、そして驚く。
 何せ隣の建物から跳んできた女が壁に手と足だけで貼り付いているのだから、驚くなという方が無理である。
 途端若い貴族たちは争うようにして窓から身をのり出し、その内の何人かがハクレイへと声を掛けた。
「おいおいおい!こいつは驚いたな、まさか珍しい黒髪の女性がこの辛気臭い共同住宅に貼り付くだなんて!」
「そこの麗しいお姉さん。良かったらこのまま僕の部屋に入ってきて、質素なディナーでもどうですか?」
 得体が知れないとはいえ、そこは美女に飢えた青春真っ盛りの下級貴族たち。
 見たことも聞いたことも無い方法で壁に貼り付くハクレイに向かってあろうことか、必死にアプローチを仕掛けてきた。
 そんな彼らに思わずどう対応してよいか分からず、困った表情を浮かべつつ彼女は通りの方へと視線を向ける。

 少女は既に人ごみの中に入ってしまったものの、目印と言わんばかりに人ごみが大きく動くのが見えた。
 それは遠くから見つめるハクレイへ知らせるように移動し、この広場から離れようとしている。
「あそこか。でも流石にここからだと届かないし、ようし…!」
 少女の大体の一を確認した彼女は一人呟いてから、今自分が貼り付いている共同住宅を見上げた。
 四階建てのソレには屋上が設けられているらしく、手すり越しに自分を見下ろす下級貴族たちが数人見える。
 恐らく夕涼みに屋上へ足を運んでいたのだろう、何人かはその手に飲みかけのワイン入りグラスを握っていた。
 今彼女がいる場所からは丁度三メイル程であろうか、゙少し頑張れ゙ばすぐにたどり着ける距離である。

「んぅ~…ほっ!よっ!」
 もう一度手足に力を込めたハクレイは、霊力を纏わせたままのソレで器用に共同住宅の壁を登り始めた。
 まるでヤモリのようにスイスイと壁に手足を貼り付かせて登る女性の姿と言うのは、何とも奇妙な姿である。
 窓や屋上からそれを見ていた下級貴族達や広場で見守っている平民たちも、皆おぉ!とざわめいた。
 一体全体、何をどうしたらあんな風に壁を登れるのか分からず多くの者たちが首を傾げている。
 その一方で、下級とはいえ魔法に詳しい下級貴族たちの驚きはかなりのもので、部屋にいた者たちの殆どが顔を出し始めていた。
「おいおい!見ろよアレ?」
「スゲェ、まるでヤモリみてぇにスイスイと登っていきやがる…」
 それ程勉強ができたというワケでも無かった者達でも、あんなワザは魔法ではない事を知っている。
 じゃああれは何なのだと言われてそれに答えられる者はおらず、彼女が壁を登っていく様は黙って見るほかなかった。

「は…っと!…ふぅ、大分慣れてきたわね」
「わっ、ホントに来ちゃったよこの人!」
 時間にすればほんの十秒程度であっただろうか、ハクレイは無事屋上へ辿り着く。
 やはり夕涼みに来ていたらしく、ほんの少しのつまみ安いワインで宴を楽しんでいた若い貴族達は皆彼女に驚いている。
 無理もないだろう。女が手と足だけで壁に貼り付いて登ってやってきたのならば、誰だって驚くに違いない。
 そんな事を思いながら驚く貴族たちを余所に屋上へ足を着けたハクレイは、意外な程この『力』を使える事に内心驚いていた。
 最初にエア・ストームで吹き飛ばされ、貼りついた時と比べれば彼女は格段に『慣れ』始めている。
 まるで水を得た魚のように物凄い勢いで『忘れていたであろう』知識を取り戻し、活用していた。

(まぁ今は便利っちゃあ便利だけど…うぅん、今はこの事を考えるのは後回しよ)
 そこまで思ったところで首を横に振り、彼女は屋上から周囲の光景を見下ろしてみる。
 既に陽が落ちようとしている時間帯の王都の通りは人でごったがえし、繁華街としての顔を見せかけている最中だ。
 眼下の喧騒が彼女の耳にこれでもかと入り込んでくる中、ハクレイは必死に逃げる少女の姿を捉える。

 屋上からの距離はおおよそ五~六メイルぐらいだろうか、屋上から見下ろす通りの人々か若干小さく見えてしまう。
 ここから先ほどのように壁に貼り付きながら降りることも可能だろうが、その間に逃げられてしまう可能性がある。
 最悪壁に貼り付いている所を狙われて魔法を叩きつけられたら、それこそ良い的だ。
 一気に少女の近くまで飛び降りてみるのも手だが上手くいく保証は無く、そんな事をすれば他の人たちにも迷惑を被ってしまう。
 彼女の理想としてはこのまま一気にあの娘の傍に近づいて杖を取り上げてから捕まえたいのだが、現実はそう上手く行かない。
 次の一手はどう打てばいいのか悩むハクレイを余所に、少女は彼女が屋上にいる事に気付かず必死に通りを走っている。
 今はまだ視認できものの、進行方向にある曲がり角や路地裏に入られてしまうとまたもや見失ってしまうだろう。

「さてと…とりあえずどうしたらいいのかしらねぇ?」
 策は思いつかず、時間も無い。そんな二つの問題を突き付けられたハクレイは頭を悩ませる。
 屋上の先客である下級貴族たちは何となくワインやつまみを口にしながらも、そんな彼女を困惑気味な表情で眺めていた。
 彼らの中に突然壁を登ってきた彼女に対して、無礼者!とか何奴!と言える度胸を持っている者はおらず、
 床に敷いていたシートに腰を下ろしたまま、持ち寄ってきていた料理や酒をただただ黙って嗜む他なかった。
 まぁ暇を持て余している身なので、これは丁度良い余興だと余裕を見せる者も何人かはいたのだが。

 さて、そんな彼らを余所に次にどう動くべきか考えていたハクレイであったが、そんな彼女の目に『あるモノ』が写った。
 その『あるモノ』とは、今彼女がいる屋上の向こう側に建てられている二階建ての建物である。
 少し離れた場所からでも立てられてからかなりの年月が経っていると一目で分かるそこは居酒屋らしい。
 彼女には読めなかったものの、『蛙の隠れ家亭』と書かれた大きな看板が入口の上に掲げられている。
 どうやらまだオープンしてないらしく、ドアの前では常連らしい何人かの平民たちが入口の前で屯っていた。
 そしてハクレイが目に付けたのは、その居酒屋であった。

「あそこなら、うん…さっきのを応用してみればうまい事通りへ降りられるかも?」
 一人呟きながらハクレイは手すりへと身を寄せると、スッと何の躊躇いもなく手すりの向こう側へと飛び越えていく。
 彼女を肴に仕方なく酒を飲んでいた者たちの何人かは突然の行動に驚き、思わず咽てしまう者も出る。
 手すりの向こう側は安全を考慮して人一人が立てるスペースは作ってあるが、それでも足場としては心もとない。
 彼女が何を決心して向こう側へ行ったかは全く以て知らなかったが、かといって放置するほど冷たい者はいなかった。

「おいおい、何をしてるんだ君は?危ないぞ!」
「え…?え?それ私に言ってるの?」
「君しかいないだろ!?いまこの場で危険な場所に突っ立っているのは」
 見かねた一人がシートから腰を上げると、後ろ手で手すりを掴んでいるハクレイに声を掛ける。
 大方飛び降り自殺でもするのかと思われたのだろうか、慌てて自分の方へ顔を向けたハクレイに若い貴族は彼女を指さしながら言う。
 思わぬところで心配を掛けられたハクレイは慌てながら「だ、大丈夫よ大丈夫!」と首を横に振りながら平気だという事をアピールする。

「別にここから飛び降りるってワケじゃないから、本当よ?」
「…?じゃあ何でそんな所に立ってるんだ、他にする事でもあるっていうのかね?」
 その言動からとても自殺するとは思えぬ彼女に、若い貴族は肩を竦めつつも質問をしてみる。
 彼女としてはその質問に答えるヒマはあまり無かったものの、答えなければ止められてしまうかもしれない。
 そんな不安が脳裏を過った為、ハクレイは両足に霊力を貯めながらも貴族の質問に答える事にした。

「まぁ何といえば良いか。『飛び降りる』ってワケではないのよ。ただ…―――」
「ただ?」
「―――――『跳ぶ』だけよ」
 首を傾げる貴族に一言述べた後に、彼女は右足で勢いよく屋上の縁を蹴り飛ばした。
 彼女が足に穿いている立派なロングブーツが勢いよく縁を蹴りあげ、纏わせていた霊力が爆発的なキック力を生む。
 その二つの動作を同時にこなす事によって、彼女の体は驚異的なジャンプ力によって屋上から飛び上がったのである。
 彼女の傍にいた若い下級貴族は突然の衝撃と共に飛び上がったかのように見えるハクレイを見て、思わず腰を抜かしてしまいそうになった。
 他の貴族たちもこれには腰を上げると仲間に続くようにして驚き、屋上からジャンプしていった彼女の後姿を呆然と見つめている。
「な、な、な…なななんだアレ?なぁ、おい…」
「お…俺が知るかよ!あんなの系統魔法でも見たことが無いぞ…!」
 後ろの方で様子を見ていた二人の貴族がそんなやり取りをしている中、その場にいた何人かがハクレイの後姿を追いかける。
 ここから約二メイル程ジャンプしていった彼女は、微かな弧を描いて向こう側の居酒屋の方へと落ちていく。
 誰かがハクレイを指さしながら「あのままじゃあ看板にぶつかるぞ!」と叫び、それにつられてハッとした表情を浮かべてしまう。
 しかし幸運にも、彼の予想はものの見事に外れる事となった。

 屋上からジャンプしたハクレイは青白く光るブーツを、人で満ち溢れた通りに向けて飛び越えていく。
 地上にいる人々は気づいていないのか、何も知らずに通りを行き交う人々の姿というものは中々にシュールな光景だ。
  そして、思っていた以上に即行だった行動が上手くいった事に内心驚きつつも、着地の準備を整えようとしていた。
 次に目指すはあの共同住宅と向かい合っていた居酒屋―――の入口の上に掲げられた看板。
 入り口からでも見上げられるように少し地上に向けて傾けられているソレ目がけて、彼女は落ちていく。
 角度、霊力、スピード…共に良好。…だが何より一番大切なのは、勢いよく顔から激突しないよう気を付けることだ。
 しかし、それは今の彼女にとっては単なる杞憂にしかならなかった。

「よ…ッ!…っと!わわ…ッ」
 丁度看板と建物の間に出来たスペースへ綺麗に降り立った彼女は、着地と同時に驚いた声を上げる。
 原因は今彼女が着地したばしょ、傾けて設置されている看板がほんの少し揺れたからであった。
 流石に人一人分の体重までは支えきれないのか、看板と建物を繋ぐロープがギシギシとイヤな音を立てる。
 ついでその音が入り口付近で開店を待つ客たちにも聞こえたのか、下の方からざわめきも聞こえてきた。
「流石に長居はできないか…っと!」
 このままだと看板を落としかねないと判断したハクレイは独り言を呟き、急ぎこの上から離れる事を決める。
 しかし、その前に確認する事があった彼女は何かを探るように周囲を見回すと、追いかけている少女の姿をすぐに見つけた。

 それは前方、それまでの通りと比べてかなり人通りが少ないそこを必死で走る彼女の後姿。
 どうやら杖はしまっているらしく、何か小さなモノを大事にそうに抱きかかえて走っているのが見える。
 ――――…追いついた!彼女の魔法攻撃で大分距離を離されていた彼女は、ようやくここまで近づけることが出来た。
 まだ少女の方は気が付いておらず、もう大丈夫だろうと思ってやや走る速度も心なしか落ちているように見える。
 距離は大体にして約十一、二メイルといったところだろうか、ここから先ほどのように跳んだ後にダッシュすれば良い。
 幸い人の通りはまばらであり、着地地点が良ければ誰も怪我させずに跳ぶことだって可能だ。

 そうなれば善は急げ、再び足に霊力を溜めようとしたハクレイであったが…―――そこへ思わぬ妨害が入った。
 妨害は地上で何事かと訝しんでいた客でも、ましてや先ほどまで彼女がいた共同住宅の屋上からではない。
 今の彼女が立っている場所、ちょうど建物の二階にある窓を開けた中年男からの怒声であった。
「あぁオイコラァッ!てめぇ、ウチん店の看板を踏んでなにしてやがる!」
「…え!?…わ、わわッ!」
 突然背後から浴びせられた怒鳴り声にハクレイは身を竦ませると同時にその場で倒れそうになってしまう。
 元から人が立つには不自由な場所だった故なのだが、それでも辛うじて転倒することだけは阻止できた。
 倒れそうになった直前で、辛うじて掴めたロープを頼りに立ち上がると慌てて後ろを振り返る。
 そこには案の定、店の人間であろう男が開けた窓から上半身を乗り出しながら自分を睨み付けていた。

「テメェ!そこはウチの看板だぞ!さっさとそこから降りやがれ、潰れちまうだろうが!?」
「い、いや…ごめんなさい。でも、すぐにどくつもりで…あ!」
 上半身と一緒に出している左腕をブンブンと空中で振り回しながら怒鳴る男の形相には鬼気迫るモノがあった。
 怒りっぷりからして恐らくは店長なのだろう、そう察してすぐに謝ろうとしたハクレイはハッとした表情を浮かべる。
 そしてまたもや慌てながらもう一度振り返ると、通りを歩いていた人々が後ろからの怒声に何だ何だと視線を向けていた。
 酒場へ行くであろう平民の労働者や若い下級貴族に、いかにも水商売をやっていますといいたげな恰好をした女たち。
 そして案の定『あの娘』も振り返ってこちらを見つめていた、金貨入りのサイドパックを大事に抱えたあの少女が。

 自分の魔法で蹴散らしたと思っていた女の人がすぐ近くにまで来ている事に気づき、目を見開いて凝視している。
 気のせいだろうか、ハクレイの目にはその瞳にある種の感情が宿っているように見えた。
 距離がありすぎてそれが何なのかは分からなかったが、少なくとも好意的な感情ではないだろう。
 そう思ってしまう程、少女の見開いた瞳が自分に向けて刺々しい視線を向けていた。 

 少女とハクレイ。暫しの間互いの瞳を数秒ほど見つめ合った後、先に体が動いたのは少女の方であった。
「―――…ッ!」 
 口を開けて何かを叫んだ少女は急いで踵を返し、全力で走り出したのである。
 近くにいた通行人の何人かが突然走り出した少女へと思わず視線を向けてしまうが、止めようとはしなかった。
「あ……――ま、待って…待ちなさいッ!」
 少女が走り出した事で同じく我に返ったハクレイは、左足で勢いよく看板を蹴り付ける。
 貯めてはいたものの、練りきれなかった霊力が彼女の足にジャンプ力と破壊力を与えてしまう。
 結果、薄い材木で造られた看板は彼女の刺々しい霊力に耐えきれる筈もなく…窓から身を乗り出していた店主の目の前で、惨事は起こった。

「お、オレが五年間溜めたお金でデザインしてもらった店の看板がぁああぁぁああああぁぁ!!」 
 程々に厚い木の板が割れるド派手で乾いた音が周囲に響き渡ると同時に、男の悲痛な叫び声が混じった。
 呆気なく砕け散った五年分の売り上げが注がれた看板゙だっだ木片は、バラバラと地上へと落ちていく。
 何が起こったのかイマイチ分からない入口の客たちももこれには流石に慌てて店の周りから一斉に逃げ出してしまう。
 周りにいた通行人たちは派手に割れた看板へと注目してしまうが、それを踏み台にしたハクレイにはより多くの視線が注がれていた。
 その場にいた大半の者たちは皆頭上を仰ぎ見ていた、地上よりほんの少し上まで上がってしまったのである。

「うわ…ヤバ!跳びすぎちゃったかしら?」
 そう、あの看板を思わず踏み砕いてしまうほどの力で跳んだ彼女は、看板の上から五メイル程まで跳んでしまっていた。
 逃げる少女を見て、咄嗟に霊力を調節せずに跳んでしまった事がこうなってしまった原因かもしれいな。
 でなければやや垂直ながらもここまで高くは跳べなかっただろうし、蹴り付ける際に看板まで壊してしまう事はなかっただろうから。
 咄嗟にやってしまった事とはいえ、人が大切にしていたモノを壊してしまった事に彼女は妙な罪悪感を抱いてしまう。
「流石にあれは弁償しないとダメよね?…とにかく、この状態から早くあの娘を捕まえないと」
 しかし、だからといって今はそれに浸り続ける事は許されず、彼女は急いで通りの方へと視線を向ける。

 幸い必死に走る少女の姿はすぐに確認する事が出来、先程よりも更に人通りが少なくなった通りを全力疾走していた。
 後方では足を止めて自分を見上げている人が多かったが、少女がいる場所は何が起こったのかまだ知らないのだろう。
 それと同時に、十メイル以上まで跳んだハクレイの体はそこから三メイル程上がった所で一旦止まり、そこから一気に地上へと落ち始める。
 すぐさま視線を地上へと向ける。幸いにも自分の事を上空で見守ってくれていた人々は彼女が落ちてくると瞬時に察してくれたのだろう。
 丁度自分が落ちるであろう場所にいた人々が急いでそこからどく事で空きスペースという名の着地地点ができる。

 人々がそこから下がってすぐに、十メイル以上もジャンプしたハクレイは地上へと戻ってこれた。
 ブーツに纏っていたやや過剰気味な霊力のおかげで怪我をすることも無く、硬いブーツと地面がぶつかりあう音が周囲に響き渡る。
 それでも完全に相殺する事はできなかったのか、ブーツを通して彼女の足に痺れるような痛覚がブワ…ッと足の指から伝わってくる。
「……ッ痛ゥ!流石に十メイルは無理があったかしらぁ…?」
 痛む右足へと一瞬だけ視線を向けた後、すぐさま少女を捕まえる為の準備を始めた。
 先ほど看板を蹴った時の様な間違いは許されない、下手をすればあの少女を傷つけかねないからだ。

 慎重かつできるだけ素早く霊力を練っていくハクレイは、先ほど上空からみた光景を思い出す。
 少女との距離は十メイル以上は無く、周りにも巻き添えになってしまうような人はあまりいなかった。
 それならばここから直接跳んで、上から抱きかかえるようにして捕まえる事も可能かもしれない。
 捕まえた後は自分が怪我をしても良いので何とか受け身を取って、まずは財布を取り返す。
 その後はまだ曖昧であったものの、ひとまずはこんな事を二度としないように説得しようと考えていた。
 誰かに大人のエゴだとしても、例えメイジであったとしてもニナと同い年の子供が犯罪に手を染めてはいけないのだから。

(待ってなさい、今すぐそっちへ行くわよ)
 心の中で呟き、改めて捕まえて見せると決意した彼女は霊力の調節を終えた右足で地面を勢いよく蹴る。
 それと同時に彼女の体は宙へ浮いたかと思うと、そのまま一気に少女がいるであろう方向へ跳びかかった。 
 得体の知れぬ自分を助けてくれたカトレアの意思を尊重し、そして彼女が渡してくれたお金を取り戻すために。


 しかし、この時彼女は『ミス』をしていた。至極単純で、確認すべき大事な事を忘れていたのである。
 それさえやっていれば恐らくあんな事故は起こらなかったであろうし、少女を捕まえて無事お金も取り戻せていたに違いない。
 この時は早く捕まえなければという焦燥を抱いてしまったが故に、慌てて跳びかかってしまったのである。
 だが…正直に言えば、誰であろうとまさかこんな事故が起こる等と思っても見なかったであろう。

 何せ、偶然にも少女は自分と同じように財布を盗って追われていた兄と遭遇し、
 ついでその兄も、服装こそまともだが空を飛んで追ってくるという霊夢の姿を目にしたうえで、
 その霊夢が杖の様な棒で兄の頭を叩こうとしたが故に、押し倒すようにして二人揃ってその場で倒れた瞬間…。
 丁度跳びかかってきたハクレイと霊夢が仲良く空中衝突したのだから。

 霊夢も霊夢で兄を追いかけるのに夢中になって反応が遅れてしまったことで、事故は起こってしまったのである。
 結果的に、仲良くぶつかった二人はそれぞれ明後日の方角へと墜落してしまう羽目となった。
 無論双方共にかなりのスピードでぶつかったのだ、当然の様に気を失って、互いに追っていた者達を見失ってしまう。

 運勢は正に神の気まぐれとしか言いようの無い程の変則ぶりを見せてくれる。
 幸運続きかと思えば突然不幸のどん底に落ちたり、不幸の連続から急な幸運に恵まれる事もあるのだ。
 そして今回、この追いかけっこで勝利を制したのは小さな小さな兄妹。
 彼らは無事(?)に、自分たちを追いかけてくる鬼を撒いて暫くは幸せに暮らせるだけのお金を手に入れたのだから。




 ざぁ…ざぁ…!ざぁ…ざぁ…!という木々のざわめく音が頭の中で木霊する。
 まるで大自然から起きろとがなり立てられている様な気がした霊夢は、嫌々ながらに目を覚ました。
 渋々といった感じに瞼を上げて、妙な違和感が残る目を袖でゴシゴシとこすった後、ほんの少しの間ボーっと寝転がり続ける。
 それから十秒、二十秒と経つうちに自分が今どこで寝転がっているのか気づき、ムクリと上半身を起こして一言…

「――――――…ん、んぅ…?何処よ、ここ?」

 頭の中で想像していたものとはまったく違っていた辺りの風景に、彼女は目を丸くして呟く。
 予期しきれなかった思わぬ衝突で気を失った彼女が目を覚ました場所は、何故か闇に覆われた針葉樹の中であった。
 流石の霊夢も目を覚ませば王都で倒れていただろうと思っていただけに、思わぬ展開に面喰っている。
 それでも博麗の巫女としての性だろうか、何とか冷静さを取り戻そうとひとまず周囲の様子を確認しようとしていた。
「えーと、確か私は何故か街にいた巫女モドキと空中でぶつかって…それで気絶、したのよね?」
 気絶する直前の事を口に出して確認しながらも、彼女は周囲を見回してここがどこなのか知ろうとする。

 やや高低差のきつい地形と、そこを埋めるようにしてそびえたつ細身の巨人の様な樹齢に何百年も経つであろう樹木たち。
 辺りが暗すぎる為にここが何処かだか詳しく分からなかったが、これまでの経験から少なくとも山中であろう事は理解できる。
 それに闇夜の中でも薄らと分かる地形からして、少なくとも人の手がそれ程入ってないであろう事は何となく分かった。
「まさか、ぶつかったショックで意識を無くしたまま飛んでって山奥まで…って事はないわよね?」
 そうだとしたら自分が夢遊病だというレベルを疑う程の事を呟きながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。
 遥か頭上の闇夜で揺れる針葉たちの擦れる音は、不思議と耳にする者の心に妙なざわめきを生んでしまうものだ。
 風で絶え間なく揺れ続け、喧しい音を立てる葉っぱは人をじわりじわりと追い詰めていく。
 止むことを知らないざわめきはいつしか、それを聞く者に対しているはずの無い存在を想起させる一因と化す。

 今こうして木々がざわめいているのは、天狗や狐狸の悪戯だと考えてしまい冷静な判断ができなくなってしまうのである。
 実際には単なる風で揺れているのだとしても、焦燥と見えない恐怖でそうとしか考えられなくなってしまう。
(まぁ外の世界ならともかく、幻想郷だと本当に狐狸や天狗の悪戯だったりするけど…)
 彼女自身何度も経験したことのある妖怪たちの悪戯を思い出しつつ、ひとまずここがどこなのか探り続ける。
 妖怪退治を生業とする彼女にとって闇夜など毛ほどに怖くもない。むしろそこに妖怪が潜んでいるのなら退治にしにいくほどだ。
 だからこそまともに視界が効かぬ中、ひっきりなしに木々のざわめきが聞こえていても動じる事などしていないのである。

 とはいえ、このまま気の赴くまま動いてしまっては迷ってしまうのは必須であろう。
 足元もしっかりと見回しつつ、霊夢は何か目印になるようなものがないか闇の中をじっと睨みつけていた。
 まるで闇の中に潜んでいる不可視の怪物と対峙するかのようにじっと凝視しながら、あたりを見回していく。
 しかし、彼女の赤みがかった黒い瞳に映るのは闇の中に佇む針葉樹や凸凹の山道だけである。
 何処なのかも知れぬ山中で立ち往生となった霊夢は一瞬だけ困った様な表情を浮かべたものの、すぐにその顔が頭上を見上げる。
 まるで空を突き刺さんばかりに伸びる針葉樹の隙間からは、森の中よりもやや薄い夜空が広がっている。
 幸いにも彼女が空へ上がるには十分な隙間は幾つもあり、ここよりかは幾分マシなのには違いない。
「んぅ~…面倒くさいけど、誰かが待ち伏せしてるって気配は無いし…しゃーない、飛びますか!」
 寝起きという事もあってか気だるげであった霊夢は仕方ないと言いたげなため息をつくと、その場で軽く地面を蹴りあげた。
 するとどうだろう。彼女の体はそのまま宙へと浮きあがり、ふわふわ…という感じで上空目指して飛び上がっていく。

 そして三十秒も経たぬうちに、空を飛ぶ霊夢は無事濃ゆい闇が支配する森の中から脱出する事が出来た。
 地上と比べて風の強い空へ浮かんでいる彼女は、容赦なく肌を撫でていく冷たい風に思わずその身を震わせる。
「ふぅ~…やっばり夏とはいえ、こう風がキツイと肌寒い…ってあれ?」
 針葉樹の枝を揺らす程の強い風におもわずブラウス越しの肩を撫でようとした霊夢は、ある違和感に気づく。
 感触がおかしい。ルイズに買ってもらったブラウスの感触にしては妙に生々しかったのである。
 思わず自分の両肩へと視線を向けた直後、霊夢は今の自分がルイズから貰った服を身に着けていない事に気が付く。
 無論、一糸纏わぬ生まれたまま…ではない。今の彼女が身に着けている服、それはいつもの巫女服であった。
 紅白の上下に服と別離した白い袖、後頭部の赤いリボンと髪飾り。そしていつもの履きなれた茶色のローファー。

 いつもの着なれた巫女服を身に纏っていたという事実に今更になって気が付いた彼女は、目を丸くして驚いている。
 何せついさっきまで大分前にルイズが買ってくれた洋服一式を着ていたというのだ、おかしいと思わない筈がない。
「…ホントにどういう事なの?だって私は気絶する直前まで……う~ん?」
 流石の彼女も理解が追いつかず、思わず頭を抱えそうになったとき―――ふと、ある考えが頭の中を過った。
 こうして落着ける場所まで来て、良く良く考えてみればこの意味不明の状況を全てそれに押し付ける事ができる。


「――――まさか…ここは夢の中ってオチじゃないわよね?」
 首を傾げた霊夢は一人呟いた後で、ここでは自分の疑問に付き合ってくれる者がいない事にも気が付いた。
 あの巫女もどきとぶつかった後、呆気なく気を失ってしまったのは理解していたので、きっと現実の自分は今も意識を失っているのだろう。
 それならば今自分が体験している出来事は、全て自分の夢の中という事で納得がいく。
 闇夜の森の中で目を覚ましたのも、いつの間にか巫女服になっていたのも全て夢だというのなら説明する必要もない。
「な~んだ、それなら慌てる必要も無かったじゃないの。馬鹿馬鹿しい」
 ひとまず今の自分が夢を見ているという事で納得した霊夢は、安堵の色が混じる溜め息をつきながら空中で仰向けになった。

 空を飛ぶことに長けた霊夢らしい特技の一つであり、何かしらする事がなければ幻想郷でもこうして寝転がる事が多い。
 今が日中で快晴ならば風で流れゆく雲を間近で見れるのだが、当然ながら今は夜である。
 しかも月すら雲で隠れているせいで、眺めて見れれるものは闇夜だけと言う情緒もへったくれもない天気。
 だが今の霊夢は綺麗な夜空は見たかったワケではなく、今の自分が夢を見ているだけという事に安心しているのだ。
「最初は何処ここ?とか思ってたけど、夢ならまぁ…特にそれを考える必要はないわねぇ」
 上空よりも暗い闇に包まれた地上に背を向けながら、彼女は気楽そうに言った。
 ここが夢の中ならば何もしなくても目を覚ますだろうし、変に動き回れば夢がおかしくなって悪夢に変わる事もある。
 だからこうして空中で横になって、そのまま夢が覚めるまで目でもつぶって見ようかな?…と思った所で、

「……そういえば、私とルイズたちの財布を盗んでいったあのガキはどうしてるのかしら?」
 ふと、自分が気を失って夢を見る原因の一つとなったあのメイジの少年の事を思い出した。
 ルイズと魔理沙は魔法で吹き飛ばれさていたし、自分はあの巫女モドキとぶつかってしまっている。
 となれば誰もあの少年を追う事などできず、アイツはまんまと三千エキュー以上の大金を盗まれてしまったことになる。
 そんな事を想像してしまうとついつい悔しくなってしまい、その気持ちが表情となって顔に浮かんでしまう。
 まぁここなら誰にも見られることは無いのだが、それでも悔しい事に代わりは無い。
 あの時、もっと前方に警戒していれば何故かは知らないが自分に突っ込んできた巫女モドキもよけられた筈なのだから。

「うむむ…まぁ所詮は過ぎた事だし、どんな言い訳しても結局は負け犬の遠吠えね」
 心の内に留めきれない程の悔しさを説得するかのような独り言をぼやきながら、それでも霊夢は未だあのお金を諦めきれないでいた。
 あれだけの大金があるならばまともな宿にだって長期宿泊できたし、何より美味しい食べ物やお酒にもありつけた筈なのだから。
 それをまんまと盗んでいったあの子供は、今頃自分たちの事を嘲笑いながら豪遊している事だろう。
 街で買ってきた安物ワインとお惣菜で乾杯し、実在していた自分の妹へ今日の追いかけっこをさも自分の武勇伝として語っているに違いない。
 無論、それは霊夢の勝手な妄想であったのだが、考えれば考える程彼女の苛立ちは余計に溜まっていった。
「……何か考えただけでもムカついてきたわね?私としても、このままやられっ放しってのも癪に障るし…」
 そう言いながら空中で仰向けに寝ころばせていた上半身を起こした後、グッと左手で握り拳を作る。

 お金の事を考えていると、ついついあの少年が自分に向かってほくそ笑んでいると思ったからであった
 さらに言えば、霊夢自身このまま世の中舐めきったあの子供に黒星を付けられている事も気に入らなかったのである。 
「まず夢から覚めたら捜索ね。あのガキをとっ捕まえてからお金を取り返して、余の中そうそう甘くないって事を教えてやらなくちゃ」
 器用にも夢の中で夢から覚めた後の事を考える彼女の脳内からは、アンリエッタから依頼された仕事の事は一時的に忘れ去られていた。

「ん?…何かしら、あのひ―――って、キャア!」
 そんな風にして、やや私怨臭い決意を空中で誓って見せた彼女であったが…、
 突如として視界の隅で眩い閃光のような光が瞬いたかと思った瞬間―――耳をつんざく程の爆発音で大いに驚いてしまった。
 ビックリし過ぎたあまり、そのまま落ちてしまうかと思ったが何とかそれを回避した彼女は、音が聞こえた方へと視線を向ける。
「…ちょっと、いくら何でも夢だからって過激すぎやしないかしら?」
 爆発音の聞こえてきた方向を見た彼女は一言、ジト目で眺めながら一人呟いた。
 それは丁度彼女がいま立っている場所から前方五十メイル程であろうか、針葉樹から爆炎の柱が小さく立ち上っている。
 爆炎に伴い周囲の光景が暴力的な灯りにより照らされ、火柱よりも高い針葉樹が不気味にライトアップされていた。

「一体何のかしら?あの派手な爆発音からして何かよろしくないものが爆発したような雰囲気だったけど…」
 すぐさま空中での姿勢を元に戻した霊夢は、乱暴な焚火がある場所へと目を向けて分析しようとする。
 火の手が立ち上っているという事は人が係わっている可能性は高いが、それにしては勢いが強すぎだ。
 恐らく何かしらの事情があってあんな火柱とは呼べないレベルのものができたのだろうが、きっと余程の事があったに違いない。
「――むぅ…ここは夢の中だと思うんだけれど、何でかしら?体が言うとこを聞かない様な…」
 博麗の巫女としての性なのだろう、何かしら異常事態を目にしてしまうとつい無性に気になってしまうのだ。
 例えこれが夢の中だとしても、面倒くさいと思ってしまっても、それでも気にせず現場へ赴きたくなってしまう。

「…うぅ~!どうせ夢の中だから何もないだろうけど…まぁ念の為を考慮して…行ってみようかしら?」



 地上であるならば、灯りひとつない山道を歩くだけでも相当な時間を要する。
 それに対し、霊夢の様にスーッと空から飛んでいく事が出来れば時間も然程かかることは無い。
 距離にもよるが、今回の場合ならばたったの二、三分程度ヒューッと飛んで行けばすぐにでも辿り着く程度だ。

「…!あれは?」
 火が立ち上っている場所のすぐ近くまで飛んできた彼女は、眼下で何かが盛大に燃えているのを知った。
 全体的なシルエットはやや四角形っぽいものの、その四隅には車輪が取り付けられている。
 それが山中の少し開けた場所で盛大に横転しており、ついで勢いよく燃え盛っていたのである
 一瞬馬車の類なのかと思ったものの、それを引いていたであろう馬は見当たらない。
 逃げてしまったのか、それとも馬車みたいな何かを襲った存在の喰われてしまったのか…
 そこまでは彼女の知るところではなかったし、今の彼女には別に考えるべき事があった。
 夢の中の出来事とはいえ、こんな光景を目にしてしまっては無視したり見なかったことにするのは彼女的に難しかった。
 それにもしかすると、まさかとは思うが…これが夢ではなく現実に起こっている事なのだとすれば、

 そこまで考えた所で、霊夢は面倒くさそうなため息を盛大についてみせた。
 結局のところ、夢の中だとしても自分は博麗の巫女なのだという現実を改めて思い知った彼女なのである。
「夢の中とはいえ…流石に見過ごすのは良くないわよ…ねぇ?」
 一人呟いた彼女はやれやれと肩を竦めながら、そのままゆっくりと燃え盛る馬車モドキの傍へと降り立つ。
 着地まで後数メートルという所から馬車モドキを燃やす炎の熱気は凄まじくなり、彼女の肌に汗が薄らと滲み出てくる。
 服で隠れている肌にもはっきりと伝わってくる熱気が、目の前で燃え盛ってる炎がどれだけ凄まじいモノなのかを証明している。

「うっ…これはひどいわ。中に人がいたとしても、これじゃあ流石に…」
 顔に掛かる熱気を服と別離している左腕の袖で塞ぎながら、彼女は周囲に何か落ちていないか見回してみる。 
 もしもこの馬車モドキに人が乗っていたとするならば、何かしら証拠の一つはある筈だ。
 そう思って辺りを見回してみたのだが、周囲の地面には何も散らばっておらず、粘土交じりの土だけしか見えない。
「まぁ特に期待はしてないけど…それにしたって、誰がこんな事をしでかしてくれたのかしら?」
 彼女自身それ程真面目に探していなかった為、今度は馬車モドキを燃やしたであろう犯人を捜し始める。
 どういう方法でここまで燃やしたかは知らないが、少なくとも生半可なやり方ではここまでの惨事にはならなかっただろう。

 先ほどと同じように周囲と頭上へ視線を向けて探ってみるが、当然の様に怪しい者や人影は見つからない。
 まぁこれも予測の範囲内であった霊夢は一息ついた後、目を閉じて周囲の気配を探るのに集中し始める。
 相手が何であれ、まだ近くにいるというのなら何かしらの気配を感じられる筈である。
 それは霊夢が本来持つ勘の良さから来るモノなのか、それとも先天的なハクレイの巫女としての才能の一つなのかまでは分からない。
 だが、異変以外の妖怪退治の仕事があった際にはこの能力を使って、隠れていたり物や人に化けた妖怪を見破ってきた。
 今回もまた、何処かで馬車モドキが燃えているのを眺めているであろう『何か』を探ろうとした彼女であったが、
 意外にも早く、というか呆気ない位に…馬車モドキをここまで酷い状態にしたであろう『モノ達』を見つけたのである。

「………ん?―――――!これって…もしかして妖怪?」
 彼女は今立っている方向、十一時の方向に良くない気配―――少なくとも人ではないモノを感じ取った。
 気配の先にあるのはモノへと続く鬱蒼とした茂みであり、時折ガサゴソと揺れている。
 気配と共に滲み出ている霊力の質と量からして、相手が下級程度の妖怪だと判断する。
(夢の中とはいえ、まさか久しぶりに妖怪と戦うだなんて…働き過ぎなのかしら?)
 そんな事を考えながら彼女は目を開けると、気配を感じ取った方向へと視線を向けつつスッと懐へ手を伸ばす。
 懐へ忍ばした右手が暫く服の中を物色した後、目当てのモノを掴んでそれを取り出した。
 彼女が取り出したモノ―――それは霊夢直筆のありがたい祝詞がびっしりと書かれたお札数枚であった。
 右手が掴んできたお札をチラリと一瞥した霊夢はホッと一息ついた後、左手に持ち替えて軽く身構えて見せる。

「てっきり夢の中だから無かったと思ってわ、…まぁ無くても何とかなりそうだけどね」
 経験上今感じ取れてる霊力の持ち主程度ならば、そこら辺の木の棒ではたいたり直に触れるだけでいい相手だ。
 御幣程とまではいかないがただの棒きれでも霊力は伝わるし、直接タッチできれば直に霊力を送り込んで痛めつけられる。
 とはいえ、お札があると無いとでは安心感が違う。遠くから攻撃できるのであればそれに越したことは無い。
 お札を左手に持ち、戦闘態勢を整えた霊夢は先手必勝と言わんばかりにお札を一枚、茂みへと放った。
 彼女の霊力が入ったお札は、一枚の紙切れから霊力を纏った妖怪退治の道具へと変わり、一直線に突っ込んでいく。

 このまま真っ直ぐ行けば、茂みの中に隠れているであろうモノは霊夢からの先制攻撃を喰らう事になる。
 そうなれば、妖怪を殺す為だけに作られたと言えるお札の力で、呆気なく倒されてしまうだろう。
 投げた霊夢自身もすぐに片が付くと思っていた。何だかんだ言っても、やはり戦いは手短に済ませた方が良い。
 しかし…予想にも反して相手は寸でのところで茂みから飛び出し、彼女の一撃をギリギリで避けたのである。
 彼女がこれまでの妖怪退治で聞いたことの無いような、鳴き声とは思えぬ奇声を発しながら。
「オチャカナ!オチャカナ!」
「…!」
 まさか、あの距離で攻撃を避けられるとは思っていなかった霊夢は思わずその目を丸くしてしまう。
 そしてすぐに、飛び出してきたモノの姿を燃え盛る火で目にし、奇声を耳にして相手が人語を解す存在だと理解する。

 茂みから飛び出してきた妖怪は、全身が黒い毛皮に身を包んだ猿…とでも言えばよいのだろうか。
 全体的な姿は幻想郷でも良く目にするニホンザルと似ているものの体格は一回り大きく、そして毛深い。
 手足の指は五本。しかしそれが猿のものかと言われれば妙に違和感があり、どちらかと言えば人間のものに近い。
 何よりも特徴なのは、ソイツの顔はどう見ても猿ではなく、人間…しかも、乳幼児程度だという事だろう。
 まだ生まれて一年も経っていない、乳飲み子の様なふっくらとした優しげな顔。
 しかし、人外としか言いようの無い毛深く大きな猿の体にはあまりにも不釣り合いな顔である。
 そんなアンバランスな、しかし見る者を確実に恐怖させる姿は正に妖怪の鑑といっても良い。
 最も、妖怪は妖怪でも紫やレミリアと比べれば遥か格下の低級妖怪…としてだが。

 茂みから姿を現したソイツの姿を目にした後、霊夢はやれやれと言いたげな様子でため息をつく。
 あの馬車モドキを炎上しているから、てっきり下級は下級でも一癖も二癖もある様なヤツかと思っていたが、
 何でことは無い、大方長生きし過ぎた猿がうっかり妖怪化してしまった程度の存在だったのだ。
「何が出てくるかと思いきや、まさか妖獣の類だなんてハッタリも良いところね」
 そんな軽口を叩きつつも、少し離れた場所でダラダラと両手を振ってこちらを凝視する妖獣相手に身構える。
 相手が妖怪としては大したことはないにせよ、相手が妖怪ならば退治するに越したことは無い。
 幸い人語は解するにしてもこちらと会話できる程の知能を持ち合わせているようには見えなかった。

「夢の中とはいえ、妖怪退治をする羽目になるとはね…」
 そんな事を呟きながらも、いざ目の前の猿モドキへ向けて再度お札を投げようとした――――その時である。
 妖獣が出てきた茂みの方、先ほどのお札が通り過ぎて行った場所から再び奇怪な鳴き声が聞こえてきた。
 しかもそれは一つではなく、明らかに数匹が纏まって鳴いているかのような、耳に来る程の声量である。
 一体なんだと霊夢が攻撃の手を止めた瞬間、あの茂みの中から似たような個体が二、三匹飛び出してきた。
 顔立ちや毛並みに僅かな違いがあるが、全体的な特徴としては最初に出てきたのと酷似している。
 突然数を増やした妖獣に攻撃の手を止めてしまった霊夢はその顔に嫌悪感を滲ませながら妖獣を見つめていた。
「うわ…何よイキナリ?人がこれから退治しようって時にワラワラ出てくるなん……て?……――――ッ!」
 そんな愚痴をぼやきながらも、まぁ出てきたのなら探す手間が省けたと攻撃し直そうとした直前――――感じた。
 先程妖獣たちが出てきた茂みの向こう――墨で塗りつぶされたかのような黒い闇に包まれた森。
 彼女はそこから感じたのである。恐らくこの妖獣たちがここへ来たであろう原因となった、怖ろしい程に『凶暴』な霊力を。
 恐らく妖獣たちに対してであろう殺意と共に流れ出てくるソレを察知している霊夢は、思わずそちらの方へと視線を向ける。
 まだこの霊力の持ち主は姿を見せていないのだが、その気配を霊夢より一足遅く感じ取ったであろう妖獣たちは、皆そちらの方へ体を向けていた。
(…何なのこの霊力の濃度、紫程じゃないにしても…コレって私より…いや、それとはまた別ね)
 一方で、攻撃の手を止め続けている霊夢は感じ取れている霊力とその持ち主が気になって仕方が無かった。
 その霊力はまるで相手の肉を骨ごと噛み砕く狼の牙の様に鋭く、そして生かして返す気は無いと断言しているかのような殺意。
 人外に対する絶対的な殺意をこれでもかと詰め込んだ霊力に、霊夢は知らず知らずの内に一層身構えてしまう。


 そして…霊夢が無意識の内に身構え、妖獣たちが茂みの向こうへと叫び声を上げた瞬間―――『彼女』は現れた。
 霊夢の動体視力でしか捉えられない様な速さで森から飛び出した『彼女』が、一番前にいた妖獣へ殴り掛かる。
 殺意が込もった凶暴な霊力で包まれた右の拳が、赤子そっくりな妖獣の顔を粘土細工の様に潰してしまう。
 一瞬遅れて、炎で照らされた空間に血の華が咲き誇り、それを合図に『彼女』は周りにいる妖獣たちへ襲い掛かった。
 妖獣たちも負けじと叫び、意味の分からぬ人語を喋って『彼女』へ飛びかかり―――そして殴られ、潰されていく。
 分厚い毛皮に包まれた体に大穴が空き、拳と同じく霊力に包まれた左足の鋭い蹴りで手足が吹き飛ぶ。
 正に有無を言わさぬ大虐殺、圧倒的強者による妖怪退治とは正にこの事だ。 

 そんな血祭りを、少し離れた所で眺めていた霊夢は思った。――――どちらが本当の妖怪なのだと。
 『彼女』は確かに人間だ。霊力の質と量からして妖怪ではないのだすぐに分かる。
 しかし、あぁまで残酷かつ野獣のような戦い方をしているのを見ると、どちらが化け物なのか一瞬戸惑ってしまうのだ。

「アイツ、本当に何者なのよ?」
 一人呆然と眺め続ける霊夢は、妖獣を殺していく『彼女』へ向かった懐疑心を込めながら言った。
 最初に会った時は手助けしてくれて、その次は何の恨みがあるのか人様にぶつかってきて…。
 そして今自分の目の前…夢の中で猿の妖獣たちを、まるで獲物に食らいつく野獣の様に引き裂いていく―――あの巫女モドキへと。




 暗く、熱く、そして血に塗れてしまった自分が夢から覚めたと気づいたのはどれぐらいの時間を要したか。
 ついさっきまで夢の中にまでいたかと思って起きた時には、既に霊夢の体は慣れぬベッドの上で横になっていた。
 目を開けて、これまた見慣れぬ天井をボーッと見つめ続けて数分程して、ようやくあの夢が覚めたのだと気が付く。
 首元まですっぽりと覆いかぶさる安物勘が否めないカバーをどけて、霊夢はゆっくりと上半身を起こして自分の体を確認する。
 今身に着けているのは気絶する直前まで来ていた洋服ではなく、その下に巻いていたサラシとドロワーズだけのようだ。
 そして、今自分が妙に安っぽくてそれでいてあまり埃っぽくない部屋の中にいるという事を理解して、一言述べた。

「…どこよここ?」
 夢の舞台も妖怪が出てくる変な森の中であったが、起きたら起きたで見た事の無い部屋で寝かされている。
 まぁあのまま街中で気絶したままというのも嫌ではあるが、だからといってこうも見た事の無い場所でいるというのも不安なのだ。
 そんな事を思いながら、部屋を見回していた霊夢はふとその薄暗さに気が付いて窓の方へと視線を移す。
 しっかりと磨かれた窓ガラスから見えるのは、すっかり見慣れてしまったトリステインの首都トリスタニアの街並み。
 今自分がいる部屋の向こう側で窓を開けて欠伸をしている男が見えるので、恐らく二階か三階にいるのだろう。

 そこから少し視線を上へ向けると、並び立つ建物の屋根越しに空へ昇ろうとしている太陽が見えた。
 幻想郷でも見られるそれと大差ない太陽の向きからして、恐らく今は夜が明け始めてある程度経っているのだろう。
(そっかぁ~、つまりは…あれから一夜が経っちゃったて事よね?)
 まんまと自分やルイズたちのお金を盗んでいったあの子供の事を思い浮かべていた、ふと窓から聞き慣れぬ音が聞こえてくるのに気が付く。
 窓ガラス越しに聞こえる街の生活音はまだまだ静かで、しかし陽が昇るにつれどんどん賑やかになろうとしている雰囲気は感じられる。
 通りを掃除する清掃業者と牛乳配達員の若者同士の他愛ない会話に、軒先に水を撒いている音。
 普段人里離れた神社に住む霊夢にとっては、夜明けの街の生活音というのはあまり聞き慣れぬ音であった。
「まぁ、嫌いってワケじゃあないんだけど……ん?」
 そんな事を呟きながら何となく窓のある方とは反対方向へ顔を向けた時、
 出入り口のドアがある方向に置かれた丸いテーブル。その上に、自分がいつも着ている巫女服が置かれているのに気が付いた。
 ご丁寧に御幣まで傍らに置かれているところを見るに、きっと自分をここまで連れてきてくれたのは親切な人間なのだろう。
 しかし疑問が一つだけある、どうして自分の巫女服一式がこんな見知らぬ部屋の中に置かれているのか。
 そして気絶する直前まで着ていた洋服が消えている事に霊夢つい警戒してしまうものの、身を震わせて小さなくしゃみをしてしまう。
 恐らく昨晩は下着姿で過ごしたのだろう、いくら夏とはいえいつも寝巻姿で寝る彼女の体は慣れることができなかったらしい。
(まぁ、別段おかしなところは感じられないし…着ちゃっても大丈夫よね?)
 霊夢はそんな事を思いながらゆっくりと体を動かし、ベッドから降りて巫女服を手に取った。


「うん…良し!あの洋服も悪くは無かったけど、やっぱりこっちの方が安心するわね」
 手早く巫女服に着替え、頭のリボンを結び終えた彼女はトントンとローファーのつま先で床を叩いてみる。
 トントンと軽い音といつもの履き心地にホッとしつつ、最後に御幣を手にした彼女はひとまずどうしようかと思案した。
 御幣はあったもののデルフがこの部屋に無いという事は、恐らく魔理沙はすぐ近くにいないという可能性がある。
 それにルイズの安否もだ。彼女がいなければ幻想郷で起きた異変を解決するのが困難になる。
 最後に目にした時は、無事に藁束に落ちた所であったが、少なくともあれからどうなったのかはまでは分からない。
 もしかしたらこの家?のどこか、別室で寝かされているかもしれない。そんな事を考えながら霊夢は窓から外の景色を眺めていた。
 通りを行き交う人の数は昨夜と比べれば酷く少なく、本当に同じ街なのか疑ってしまう程である。

「とりあえずここの家主…?にお礼でも言った後、ルイズたちを探しに行った方がいいわよね」
 ひとしきり身支度を整え、何となく外の景色を眺めていた彼女がぽつりとつぶやいた直後であった。
 まだドアノブにも触れていないドアから軽いノックの音が聞こえた後、「失礼します」と丁寧な少女の声が聞こえてくる。
 何処かお偉いさんのいる場所で御奉公でもしていたのだろう、何処か言い慣れた雰囲気が感じられた。
(ん、この声って…まさか)
 何処がで聞き覚えのある声だと思った時にはドアノブが回り、ガチャリと音を立てて扉が開かれる。
 ドアを開けて入ってきたのは、霊夢と同じ黒髪のボブカットが特徴の、彼女とほぼ同い年であろう少女であった。
 そして奇遇にも、霊夢と少女は知っていた。互いの名前を。 
「もしかして、シエスタ?」
「あっ!レイムさん、もう起きてたんですか!」
 ドアを開けて入ってきた彼女の顔を見た霊夢がシエスタの名を呟き、ついでシエスタも彼女の名を呼ぶ。
 いつもの見慣れたメイド服ではなく、そこら辺の町娘が着ているような大人しめの服を着ている。


 ドアを開けて入ってきたシエスタは静かにそれを閉めると、既に着替え終えていた霊夢へと話しかけた。
「レイムさん、怪我の方は大丈夫なんですか?ミス・ヴァリエールが言うには頭を打ったとか何かで…」
「え?…あぁ、それはもう大丈夫だけど、ここは…」
 シエスタが話してくれた内容でひとまずルイズかいるのを確認しつつ、ここがどこなのかを聞いてみる。゛
「ここですか?ここは『魅惑の妖精亭』の二階にある寝泊まり用のスペースですよ」
「魅惑の、妖精………あぁ、あのオカマの…」
 彼女が口にした店の名前で、霊夢は寝起き早々にシエスタの叔父にあたるこの店の店主、スカロンの事を思い出してしまった。
 以前、魔理沙が街中でシエスタを助けた時にこの店を訪れた時に出会って以来、記憶の片隅にあの男の姿が染み付いてしまっている。
 その気持ちが顔に出てしまっていたのか、再び窓の方へ視線を向けた霊夢に苦笑いしつつ、
「はは…まぁでも、あんな見た…―変わってても性格は本当に良い人なんですけどね…」
 少し言い直しながらも、シエスタは見た目も性格も一風変わった叔父の良い所の一つを上げていた時であった。

「シエスタ―いる~?入るよぉ~」
 先程とは違いやや早めのノックの後、声からして快活だと分かる少女がドアを開けて入ってくる。
 シエスタと同じ黒髪を腰まで伸ばして、彼女と比べればやや肌の露出が多めの服を着ている。
 遠慮も無く入ってきた彼女は既に起きてシエスタと会話していた霊夢を見て、「おぉ~!」とどこか感心しているかのような声を上げて喋り出す。
「あんなにぐったりしてたから、まだ寝てるかと思いきや…いやはや丈夫だねぇ~!」
「ジェシカ、アンタか…」
 頭に巻いた白いナプキンを揺らして入ってきた少女の名前も、当然霊夢は覚えていた。
 スカロンの娘でシエスタの従姉妹に当たる少女で、確かここ『魅惑の妖精亭』でウェイトレスとして働いている。
 彼女のやや大仰な言い方に、霊夢は怪訝な表情を浮かべつつもその時の事を聞いてみる事にした。
「何よ、気絶してた時の私ってそんなにひどかったの?」 
「そりゃぁ~もう!ルイズちゃんと今ウチで働いてる旅人さんが連れてきた時は、死んでるかと思ったよ」
「ジェシカ、いくら何でも死んでるなんて例え方しちゃダメよ…それにルイズちゃんって…」
 両手を横に広げてクスクス笑いながら昨日の事を話すジェシカを、シエスタが窘める。
 ジェシカそれに対してにへらにへらと笑い続けながらも、「いやぁ~ゴメンゴメン」と頭を下げた。

 そのやり取りを見ていた霊夢は、本当に二人の血がつながってるとは思えないわね~…と感じつつ、
 ふと彼女の言っていだ旅人さん゙とやらと一緒に自分を連れてきてくれたルイズの事が気になってきた。
 ルイズがここにいるのならば、成程この『魅惑の妖精亭』に巫女服が置かれていたのも納得できる。
 実は彼女が持っていた肩掛け鞄の中に、もしもの時のためにと巫女服を入れてもらっていたのだ。
 巫女服の謎を解明できた霊夢は一人納得しつつも、ジェシカに話しかける。
「そういえば…ルイズと後一人が私を運んできてくれたそうだけど…ルイズはここに?」
「うん、そーだよ。今はウチの店の一階で一足先に朝ごはん食べてると思うから…で、アンタも食べる?」
 霊夢の質問にジェシカはあっさり答えると、親指で廊下の方をさしてみせる。
 その指さしに「もう大丈夫か?」という意味も含まれているのだろうと思いつつ、霊夢はコクリと頷く。

 不思議な事に、あの巫女もどきと結構な速度で衝突したというのに頭はそれほど痛まない。
 まぁ痛まないのならそれに越したことは無いのだが、残念な事に今の彼女には考えるべき事が大量にあった。
 自分たちの金を盗んでいった子供の行方やら、魔理沙とデルフの事…そして、さっきまで見ていたあの悪夢の事も。
 解決すればする程自分の許へ舞い込んでくる悩みに霊夢は辟易しつつも、まずはすぐ目の前にある問題を片付ける事にした。
 そう、ここにいるであろうルイズから昨夜の事を聞きながら、朝食で空腹を満たすという問題を。
「そうね、それじゃあ遠慮なく頂こうかしら」
「それキタ。んじゃあ案内するよ、シエスタは部屋の片づけよろしくね」
「お願いね、それじゃあレイムさんは、ジェシカと一緒に一階へ行っててくださいね」
 ジェシカが満面の笑みを浮かべながらそう言うと、シエスタに片づけを任せて霊夢と共に部屋を後にした。
 最も、この部屋の中で直すべき場所と言えばベットぐらいなものだろうから然程時間は掛からないだろう。

 『魅惑の妖精亭』の二階の廊下はあまり広いとは言えないが、その分しっかりと掃除が行き届いているように見える。
 ジェシカ曰く二階の半分は店で働く女の子や従業員の部屋で、街で部屋や家を借りれなかった人たちに貸しているのだという。
 もう半分は酔いつぶれた客を寝させる為の部屋らしいが、今年からは宿泊業も始めてみようかとスカロンと相談しているらしい。
「それに関してはパパも結構乗り気だよ?何せウチのライバルである゙カッフェ゙に差をつけれるかもしれないしね」
「う~ん、どうかしらねぇ?部屋はそれなりに良かったけど、肝心の店長があんなだと…」
「ぶー!酷い事言うなぁ。あれでも私の父親なんだよ、性格はあんなで…いつの間にか男好きにもなっちゃったけど」
 霊夢の一口批判にジェシカが口を尖らせて反論した後、二人そろって軽く苦笑いしてしまう。
 シエスタを置いて部屋を出た霊夢は、二階の狭い廊下を歩きながら先頭を行くジェシカに質問してみた。
「そういえば、何でシエスタがここで働いてるの?まぁ間柄上、別におかしい事は無いと思うけどさぁ」
「…あぁーそれね?まぁ…何て言うか、シエスタの故郷の方でちょっと色々あってね」
 先程とは打って変わって、ほんの少し言葉を濁しつつもジェシカが説明しようとした時、
 すぐ目の前にある一階へと続く階段から、聞きなれた男女の声が二人の耳に入ってきた。

「さぁ~到着したわよぉ~!ようこそ私達のお店、『魅惑の妖精亭』へ!」
 最初に聞こえてきたのは、男らしい野太い声を無理やり高くしてオネェ口調で喋っている男の声。
 その声に酷く聞き覚えのあった霊夢は、すぐさま脳内で激しく体をくねらせる筋肉ムキムキの大男の姿が浮かび上がってくる。
 朝っぱらからイヤなものを想像してしまった霊夢の顔色が悪くなりそうな所で、今度は少女の声が聞こえてきた。
「おぉー!…相変わらずお客さんがいなくて閑古鳥が鳴きまくってるような店だぜ」
『突っ込み待ちか?ここは夕方からの店だろうから今は閑古鳥もクソもないと思うぞ』
 あまりにも聞き慣れ過ぎてもう誰だか分かってしまった少女の言葉に続いて、これまた聞きなれた濁声が耳に入る。
 その三つの声を聞いた霊夢は、先頭にいたジェシカの横を通って一足先に階段を降りはじめた。
 見た目よりもずっとしっかりとしたソレを少し軋ませながらも、軽やかな足取りで一階にある酒場を目指す。

 思っていたよりも微妙に長かった階段を降りた先には、想像していた通りの二人と一本がいた。
「魔理沙!…あとついでにデルフとスカロンも」
「ん?おぉ、誰かと思えば私を見捨てて言った霊夢さんじゃあないか!」
「……それぐらいの軽口叩ける余裕があるなら、最初から気にする必要は無かったわね」
 階段を降りてすぐ近くにある店の出入り口に立っていた魔理沙は、階段を降りてきた彼女を見て開口一番そんな事を言ってくる。
 まぁ実際吹き飛んだ彼女を見捨てたのは事実であったが、別に霊夢はそれに対して罪悪感は感じていなかった。

「おいおい…酷い事言うなぁ、そうは言っても私かあの後ぞうなったか気にはなっただろ?」
「別に?ルイズはともかく、アンタならあの風程度でくたばる様なタマじゃないしね」
 今にも体を擦りつけてきそうな態度の魔理沙にきっぱり言い切ってやると、次に彼女が手に持っていたデルフを一瞥する。
 インテリジェンスソードは鞘だけを見ても傷が付いているようには見えず、これも心配する必要は無かったらしい。
 そんな事を思っていると、考えている事がバレたのか鞘から刀身を出したデルフが霊夢に喋りかけてくる。
『おぅレイム、大方「なんだ、全然無事じゃん」とか思ってそうな目を向けるのはやめろや』
「ん、そこまで言えるのなら元から心配する必要は無かったようね。気苦労かけなくて済んだわ」
『…なんてこった、それ以前の問題かよ』
 魔理沙ともども、最初から信頼…もとい心配されていなかった事にデルフがショックを受けていると、
 霊夢に続いて階段を降りてきたジェシカが「へぇー!珍しいねェ」と嬉しそうな声を上げて、デルフに近づいてきた。

「インテリジェンスソードなんて名前は聞いたことあったけど、実物を見るのは始めてだよ」
『お?初めて見る顔だな。オレっちはデルフリンガーっていうんだ、よろしくな』
「あたしはジェシカ、アンタとマリサをここへ連れてきてくれたスカロン店長の娘よ」
『はぁ?スカロンの娘だって?コイツはおでれーた!』
 流石に数千年単位も生きてきて、ボケが来ているデルフでもあのオカマの実の子だとは分からなかったらしい。
 信じられないという思いを表しているかのような驚きっぷりを見せると、そのジェシカの父親がいよいよ口を開いた。
「いやぁ~ん!酷い事言うわねェー!ジェシカは私のれっきとした娘よぉ~!」
 朝方だというのにボディービルダー並の逞しい体を激しくくねらせながら、『魅惑の妖精亭』の店長スカロンが抗議の声を上げる。
 そのくねりっぷりを見てか、刀身を出していたデルフはすぐさま鞘に収まり、スッと沈黙してしまう。
 いくらインテリジェンスソードと言えども、スカロンの激しい動きを見ればそりゃ何も言えなくなってしまうに違いない。
 デルフにちょっとした同情を抱きつつも、ひとまず霊夢はスカロンに挨拶でもしようかと思った。

「おはようスカロン、まだあまり状況が分からないけれど…昨日は色々と借りを作っちゃったらしいわね」
「あぁ~ら、レイムちゃん!ミ・マドモワゼル、昨日は心配しちゃったけど…その分だともう大丈夫そうねぇ~!」
 尚も体をくねらせながらもすっかり元気を取り戻した霊夢を見やってて、スカロンはうっとりとした笑みを浮かべて見せる。
 相変わらず一挙一動は気持ち悪いが、シエスタの言うとおり性格に関しては本当にマトモな人だ。
 何故かくねくねするのをやめないスカロンに苦笑いを浮かべつつ、霊夢は「ど、どうも…」と返して彼に話しかける。
「そういえばスカロン、ルイズもここにいるってジェシカから聞いたんだけど一体どこに―――」
「ここにいるわよ。…っていうか、一階に降りてきた時点で気づきなさいよ」
 彼女の言葉を遮るようにして、店の出入り口とは正反対の方向からややキツいルイズの言葉が聞こえてくる。
 霊夢と魔理沙がそちらの方へと視線を向けると、厨房に近い席で一足先に朝食を食べているルイズがこちらを睨み付けていた。

「おぉルイズ、無事だったんだな」
「くっさい藁束の上に落ちて事なきを得たわ。その代償があまりにも大きすぎたけど」
 霊夢よりも先に魔理沙が左手を上げてルイズに声を掛けると、彼女も同じように左手を顔の所まで上げて応える。
 その表情は沈んでいるとしか言いようがない程であり、右手に持っている食いかけのサンドイッチも心なしかまずそうに見えてしまう。
 彼女の表情から察して、結局アンリエッタから貰った分すら取り返せなかった事を意味していた。
 結局一文無しとなってしまった事実に、霊夢はどうしようもない事実に溜め息をつきながらルイズの方へと近づいていく。
「その様子だと、アンタもあのガキどもを捕まえられなかったようね」
「…言わないでよ。私だって追いかけようとしたけど、結局藁束から抜け出すので一苦労だったわ」
 自分の傍まで来ながら昨日の事を聞いてくる巫女さんに、ルイズはやや自棄的に言ってからサンドイッチの欠片を口の中に放り込む。
 魔理沙もルイズの様子を見て何となく察したのか、参ったな~と言いたげな表情をして頬を掻いている。

「そういえば貴方たち、昨日お金をメイジの子供に盗まれたのよねぇ~そりゃ落ち込みもするわよぉ」
「あーそいやそうだったねぇー。まぁここら辺では盗み自体は珍しくないけど…まぁツイテないというべきか…」
 そんな三人の事情を昨夜ルイズに聞いていたスカロンとジェシカも、彼女たちの傍へと来て同情してくれた。
 ルイズとしては本当に同情してくれてるスカロンはともかく、「ツイテない」は余計なジェシカにムッとしたいものの、
 それをする気力も出ない程に落ち込んでいたので、コップの水を飲みながら悔しさのあまりう~う~唸るほかなかった。
「そう唸っても仕方がないわよ。それでお金が戻って来るならワケないし」
「じゃあ何?アンタは悔しくなんか…無いワケないわよね?」
「当り前じゃない。とりあえずあの脳天に拳骨でも喰らわたくてうずうずしてるわ」
 霊夢も霊夢で決して諦めているワケではなく、むしろ今にも探しに行きたいほどである。
 しかし、一泊させてくれたスカロンたちに礼を言わずにここを出ていくのは気が引けるし、何よりお腹が空いていた。
 人探しには自信がある霊夢だが、自分の空腹が限界を感じるまでにあの子供を探せるという保証はないのである。
 それにタダ…かもしれない朝食を食わせてくれるのだ、それを頂かないというというのは勿体ない。

「んじゃ、私は厨房でアンタ達の朝メシ用意してくるから」
「ワザワザお邪魔しといて朝ごはんまで用意してくれるとは、嬉しいけどその後が怖いな~」
 一通りの挨拶を済ましてから厨房へと向かうジェシカに礼を述べる魔理沙。
 そんな彼女がここに来るまで…というよりも昨夜は何をしていたのか気になった霊夢はその事を聞いてみる事にした。
「魔理沙、アンタ吹っ飛ばされた後はどこで何してたのよ?さっきスカロンに連れて来られてたけど…」
「それは気になるわね。私は藁束から出た後で道端で気絶してた霊夢を見つけてたけど、アンタの姿は見てないわ」
「あぁ、あの後不覚にも風で飛ばされて…まぁ情けない話だが気絶してしまってな…」
 黙々と食べていたルイズもそれが気になり、魔理沙の話に耳を傾けつつサンドイッチを口の中ら運んでいく。
 彼女が説明するには、ルイズが箒から落ちた後で少し離れた空き地に不時着してしまった殿だという。
 その時に頭を何処かで打ったのか、靴裏が地面を激しく擦った直後に気を失い、デルフの声で気が付いた時には既に夜明けだったらしい。
 慌てて箒とデルフを手に吹き飛ばされる前の場所へ戻ったが案の定霊夢たちの姿は付近に無く、当初はどうすればいいか困惑したのだとか。
 何せ気を失って数時間も経っているのだ、あの後何が起こったのか知らない魔理沙からしてみればどこを探せば良いのか分からない。

『いやぁー、あれは流石のオレっちでもちょっとは慌てたね』 
「だよな?…それでデルフととりあえず何処へ行こうかって相談してた時に、用事で外に出てたスカロンとばったり出会って…」
「で、私達が『魅惑の妖精亭』で寝かされているのを知ってついてきたってワケね」
 デルフと魔理沙から話を聞いて、偶然ってのは身近なものだと思いつつルイズはミニトマトを口の中にパクリと入れた。
 トマトの甘味部分を濃くしたような味を堪能しながら咀嚼するのを横目に、霊夢も「なるほどねぇ」と頷いている。
 しかしその表情は決して穏やかではなく、むしろこれから自分はどう動こうかと
 ひとまずは魔理沙が王都を徘徊せずに済んだものの、今の彼女たちの状況が改善できたワケではない。
 ルイズがアンリエッタから頼まれた任務をこなす為に必要なお金と、ついで二人のお小遣いは盗まれたままなのだ。
 しかも賭博場で荒稼ぎして増やした金額分もそっくり盗られているときた。これは到底許せるものではない。
 だが探し出して捕まえようにも、こうも探す場所が広すぎてはローラー作戦のような虱潰しは不可能だ。

 そんな事を考えているのを表情で読み取られたのか、魔理沙が霊夢の顔を覗き込みながら話しかけてくる。
「…で、お前さんのその顔を見るに昨日の借りを是非とも返したいらしいな」
「ん、まぁね。とはいえ…ここの土地は広すぎでどこ調べたら良いかまだ分からないし、正直今の状態じゃあお手上げね」
「でも…お手上げだろうが何だろうが、盗ませたままにさせておくのは私としては許しがたいわ!」
 肩を竦めながらも、如何ともし難いと言いたげな表情の霊夢にミニトマトの蔕を皿に置いたルイズが反応する。
 盗まれた時の事を思い出したのだろうか、それまで落ち込んでいたにも関わらず腰を上げた彼女の表情は静かな怒りが垣間見えていた。
 席から立つ際に大きな音を立ててしまったのか、厨房にいたジェシカやスカロンが何事かと三人の方を思わず見遣ってしまう。
 自分の言葉で眠っていたルイズの怒りの目を覚まさせてしまった事に、彼女はため息をつきつつもルイズに話しかける。
「まぁアンタのご立腹っぷりも納得できるけど、とはいえ情報が少なすぎるわ」
「スカロンも言ってたな…最近子供が容疑者のスリが相次いで発生してるらしいが、まだ身元と居場所が分かってないって…」
 思い出したように魔理沙も話に加わると、その二人とルイズは自然にこれからどうしようかという相談になっていく。
 やれ衛士隊に通報しようだの、お金の出所が出所だけに通報は出来ない。じゃあ自分たちで探すにしても調べようがない等…
 金を奪われた持たざる者達が再び持っている者達となる為の話し合いを、ジェシカは面白いモノを見る様な目で見つめている。

 彼女自身は幼い頃からこの店で色々な人を見てきたせいで、人を見る目というモノがある程度備わっていた。
 その人の仕草や酒の飲み方、店の女の子に対する扱いを見ただけでその人の性格というモノがある程度分かってしまうのである。
 特に相手が元貴族という肩書をもっているなら、例え平民に扮していたとしてもすぐに見分ける事が出来る。
 父親であるスカロンもまた同じであり、だからこそこの『魅惑の妖精亭』を末永く続けていられるのだ。
「いやぁー、あんなにちっこい貴族様や見かけない身なりしてても…同じ人間なんだなーって思い知らされるねぇ」
「そうよねぇ。ルイズちゃんは詳しい事情までは教えてくれなかったけど、お金ってのは大切な物だから気持ちは分かるわ」
「そーそー!お金は人の助けにもなり、そして時には最も恐ろしい怪物と化す……ってのをどこぞのお客さんが言ってたっけ」
 そんな他愛もない会話をしつつもジェシカはテキパキと二人分のサンドイッチを作り、皿に盛っていく。
 スカロンはスカロンで厨房の隅に置かれた箱などを動かして、今日の昼ごろには運ばれてくる食材の置き場所を確保している。
 その時であった、厨房と店の裏手にある路地を繋ぐドアが音を立てて開かれたのは。

 扉の近くに立っていたジェシカが誰かと思って訝しみつつ顔を上げると、パッとその表情が明るくなる。
 店に入ってきたのは色々とワケあってここで働いている短い金髪が眩しい女性であった。
 昨夜、ルイズと共に霊夢をこの店を運んできだ旅人さん゙とは、彼女の事である。
「おぉ、おかえり!店閉めてからの間、ドコで何してたのさ?みんな心配してたよー」
「ただいま。いやぁ何、ちょっとしたヤボ用でね?…それより、向こうの様子を見るに三人とも揃ってる様だな」
 ジェシカの出迎えに右手を小さく上げながら応えると、厨房のカウンター越しに見える三人の少女へと視線を向ける。
 相変わらず三人は盗まれたお金の事でやいのやいのと騒いでおり、聞こえてくる内容はどれも歳不相応だ。
 もう少し近くで聞いてみようかな…そう思った時、いつの間にかすぐ横にいたスカロンが不意打ちの如く話しかけてきた。
「あらぁー、お帰りなさい!もぉー今までどこほっつき歩いてたのよ!流石のミ・マドモワゼルも心配しちゃうじゃないのぉ~!」
「うわ…っと!あ、あぁスカロン店長もただいま。…すいません、もう少し早めに帰れると思ってたんですが…」
 体をくねらせながら迫るスカロンに流石の彼女のたじろぎつつ、両手を前に出して彼が迫りくるのを何とか防いでいる。
 その光景がおかしいのかジェシカはクスクスと小さく笑った後で、ヒマさえできればしょっちゅう姿を消すに女性に話しかけた。

「まぁ私達もあんまり詮索はしないけどさぁ、あんなに小さい娘もいるんだからヒマな時ぐらいは一緒にいてあげなって」
「そうよねぇ。あの娘も貴女の事随分と慕ってるし尊敬もしてるから、偶には可愛がってあげないとだめよ?」
「…はは、そうですよね。昔から大丈夫とは言ってますが、偶には一緒にあげなきゃダメ…ですよね」
 ジェシカだけではなく、くねるのをやめたスカロンもそれに加わると流石の女性も頷くほかなかった。

 彼女の付き人であるという年下の少女は、女性が店を離れていても何も言わずにいつも帰ってくるのを待っている。
 時には五日間も店を休んで何処かへ行っていた時もあったが、それでも尚少女は怒らずに待っていた。
 少女も少女でこの店の手伝いをしてくれてるし、女性はこの店のシェフとして貴重な戦力の一人となってくれている。
 休みを取る時もあらかじめ事前に教えてくれているし、この店の掟で余計な詮索はしない事になっていた。
 それでも、どうしても気になってしまうのだ。この女性は何者で、あの少女と共に一体どこから来たのだろかと。
 本人たちは東のロバ・アル・カリイエの生まれだと自称しているが、それが真実かどうかは分からない。

(…とはいえ、別に怪しい事をしてるってワケじゃないから詮索しようも無いけれど)
 心の中でそんな事を呟きつつ、肩をすくめて見せたジェシカが出来上がった二人分のサンドイッチを運ぼうとしたとき、
「あぁ、待ってくれ。…そのサンドイッチ、あの二人に渡すんだろ?なら私が持っていくよ」
 と、突然呼びとめてきた女性にジェシカは思わず足を止めてしまい顔だけを女性の方へと振り向かせる。
 突然の事にキョトンとした表情がハッキリと浮かび上がっており、目も若干丸くなっていた。
「え?いいの?別にコレ持ってくだけだからすぐに終わるんだけど…」
「いや何、あの一風変わった二人と話がしてみたくなってね。別に良いだろ?」
「う~ん?まぁ…別にそれぐらいなら」
 女性が打ち明けてくれた理由にジェシカは数秒ほど考え込む素振りを見せた後、コクリと頷いて見せた。
 直後、女性の表情を灯りを点けたかのようにパッと明るい物になり、軽く両手を叩き長良彼女に礼を述べる。

「ありがとう。それじゃあ、あの三人が食べ終えたお皿も片付けておくからな?」
「ん!ありがとね。私とパパは今やってる仕事が終わったら先に寝るから、アンタも今夜に備えて寝なさいよね」
 ジェシカからサンドイッチを乗せた皿を受け取った女性は、彼女の言葉にあぁ!と爽やかな返事をしつつ厨房を出て行こうとする。
 霊夢達へ向かって歩いていく女性の後姿を見つめていたジェシカも、視線をサッと手元に戻して止まっていた仕事を再開させた。
 彼女よりも前に仕事に戻っていたスカロンの視線からも見えなくなった直後、霊夢達へ向かって歩く女性はポツリ…と一言つぶやいた。

「全く…あれ程バカ騒ぎするなと紫様に釘を刺されていたというのに。…何やっているんだ博麗霊夢、それに霧雨魔理沙」
 先程までジェシカたちと気さくな会話をしていた女性とは思えぬ程にその声は冷たく、静かな怒りに満ち溢れている。
 そしてその表情も、先ほどまで彼女たちに向けていた笑顔とは全く違う、人間味があまり感じられないものへと変貌していた。 
 まるで獲物を見つけた獣が、林の中でジッと息をひそめているかのような、そんな雰囲気が。


「…?―――――…ッ!これは…」
 最初にその気配に気が付いたのは、他でもない霊夢であった。
 魔理沙やルイズ達とこれからの事をあーだこーだと話している最中、ふと懐かしい気配が背後からドッと押し寄せてきたのである。
「んぅ?…あ…これってまさか…か?」
『……ッ!?』
 ある種の不意を突かれた彼女が口を噤んだことに気が付いた魔理沙も、霊夢の感じた気配に気づいて驚いた表情を見せた。
 テーブルの下に置かれてそれまで楽しげに三人の会話を聞いていたデルフの態度も一変し、驚きのあまりかガチャリと鞘越しの刀身を揺らす。
 唯一その気配を感じられなかったルイズであったが、この時三人の急な反応で何かが起こったのだと理解した。


「ちょ…ちょっと、どうしたのよアンタ達?一体何が起こったのよ」
 朝食を食べ終えて水で一服していたところで不意を突かれた彼女からの言葉に、魔理沙が首を傾げなからも応える
「いや、゙起こっだというよりかは…゙感じだと言えばいいのかな」
『あぁ…感じたな。それも物凄く近いところからだ』
 彼女の言葉にデルフも続いてそう言うと、丁度厨房に背を向けていた霊夢もコクリと頷いて口を開いた。
「近いなんてモンじゃないわよ……多分これ、私達のすぐ後ろにまで来てるわよ」
 切羽詰まった様な表情を浮かべている霊夢の言葉にギョッとしたルイズが、咄嗟に後ろを振り向こうとしたとき……゙彼女゙は口を開いた。


「やぁ、見ない間に随分と彼女との仲が良くなったじゃあないか。…博麗霊夢」
 冷たく鋭い刃物のようなその声色に覚えがあったルイズが、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り返る。
 そこに立っていたのは、黒いロングスカートに白いブラウスと言う昨日の霊夢と似たような出で立ちをした金髪の女性が立っていた。
 厨房へと続く入口の傍に立ち、こちらを睨み付けている彼女は、昨日気絶して路上に倒れていた霊夢を一緒にここまで運んできてくれた人である。
 気を失って倒れていた彼女をどうしようかと悩んでいた時に、突如助けてくれてこの店で一晩過ごせるようにとスカロン店長に頼み込んでくれたのだ。
 そんな優しい人…というイメージを持ちかけていたルイズには、彼女が自分たちを睨んでくるという事に困惑せざるを得なかった。

 ここは、どう対応すればいいのか?鋭い眼光に口を開けずにいたルイズを制するように最初に彼女へ話しかけたのは霊夢であった。
「何処にいるかと思ったら、案外身近なところで潜伏していたようね」
「まぁな。お前たちが散々ここで大騒ぎしなければ私だって静かに自分の仕事だけをこなせてたんだがな」
「…え?え?」
 初対面の筈だと言うのに、女性と霊夢はまるで知り合いの様な会話をしている。
 これには流石の霊夢も理解が追いつかず、素っ頓狂な声を上げて霊夢と女性の双方を交互に見比べてしまう。
 そんなルイズを見て女性は彼女の内心を察したのか、二人分のサンドイッチを乗せた皿をテーブルの置いてから、サッと自己紹介をしてみせた。


「お初にお目にかかかります、私の名前は八雲藍。幻想郷の大妖怪八雲紫の式にして九尾の狐でございます」
 右手を胸に当てて名乗った女性―――藍は、眩しい程の金髪からピョコリ!と獣耳を出して見せる。
 ルイズの記憶が正しければ、それは間違いなく狐の耳であった。





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