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ルイズと無重力巫女さん-81





 世の中、自分が決めた物事や予定通りに事が進むことは早々無い。
 スケジュール帳に書いている数十個もの予定を全てこなせる確率は、予定の数が多い程困難になっていく。
 特に旅行や帰郷のような現地に行くまで詳細が分からない様な行事なら、急な予定変更など頻繁に起こってしまう。
 単に都合が合わなかっただけなのか、はたまた始祖ブリミルがうっかり昼寝でもしていただけなのか…。
 とにかく、運が悪ければほぼすべての予定が駄目になることもあるし、その逆もある。 

 そして、カトレアを探すために霊夢達を連れて故郷へ帰ろうとしていたルイズは、急な用事でその帰郷を取りやめている。
 折角チャーターした馬車もキャンセルし、わざわざ確保してくれた駅舎の人たちに頭を下げつつ彼女は不満を垂れる仲間たちを連れて駅舎を後にした。
 町を後にしようとした彼女たちの足を止めたのは、アンリエッタ直筆の証拠である花押が押された一通の手紙。
 だがその手紙が、今のルイズにとってむしろプラスの方向へと働いた事を、二人と一本は知らなかった。

「一体全体どういう事なんだルイズ、何で今になって帰郷をとりやめたんだよ?」
 ブルドンネ街の熱気に中てられ、頭にかぶっている帽子を顔を扇ぐ魔理沙はいかにも文句があると言いたげな顔で前を歩くルイズに質問する。
 彼女たちは今、駅舎で預かってもらっていた荷物を全て持っている状態で、それぞれ旅行かばんを片手に大通りから少し離れた場所へと来ていた。
 ルイズはまだ片手に空きがあるものの、魔理沙は右手に箒を持っており、霊夢は背中に喧しいデルフを担いでいる。
 駅舎を出てからは空気を呼んでか黙ってくれているが、そうでなくとも何処かで休まなければ暑さでバテしまうだろう。
 思っていた以上にキツイトリスタニアの夏を肌で感じつつ、霊夢もまた黙って歩くルイズへと声を掛けた。
「っていうか、あの貴族は何だったのよ?何か私達が見てないうちに消えてたりしたけど…」
「それは私も知らない。ただ、姫さまがよこした使いの者だって事ぐらいしか分からないわ」
 霊夢からの質問にはすぐにそう答えたルイズは、自分に帰郷を中止させた手紙を渡したあの青年貴族の事を思い出す。

 いざラ・ヴァリエールへ…という気持ちで一番ステーションへと入ってすぐに、声を掛けてきた年上の彼。
 軽い雰囲気でこちらに接してきて、アンリエッタからの手紙を渡してきたと思ったら…いつの間にか姿を消していた。
 王宮の関係者なのはまず間違いないであろうが、魔法衛士隊や騎士とは思えなかった。
 まるで家に巣食うネズミの様に突然現れ、やれ大変だと騒ぐ頃には穴の中へと隠れて息を潜めてしまう。
 礼を言う前に消えた彼の素早い身のこなしは、素直に賞賛するすべきなのか…それとも怪しむべきなのか。
 そんな事を考えつつも、ルイズは手紙の最後に書かれていたカトレアの行方についての報告を思い出す。
 あの手紙の最後の数行に書かれていた報告文には、この街には既にいないと思っていた大切な家族の一員の事が書かれていた。
 もしもあの手紙が渡されずに、一足先にラ・ヴァリエールへと帰っていたら…当分会えることは無かったのかもしれない。
(この手紙に書かれている事が本当ならば、ちぃ姉様は今どこに…?)
 未だ再開できぬ姉に思いを馳せつつ、ルイズは大通りの反対側にある路地の日陰部分でその足を止めた。

 大通りとは違い燦々と街を照りつける太陽の光は、ここと大通りの間に建っている建物に阻まれている。
 そこで住んでいる者たちは悲惨であろうが、そのおかげで王都にはここのような日陰場がいくつも存在してた。
「ここで一旦休みましょう。後…ついでに色々と教えたい事があるから」
「そうか。じゃあ遠慮なく…ふぅ~」
 ルイズからの許しを得て、手に持っていた箒と旅行鞄を置いた魔理沙は目の前の壁に背を任せる。
 ほんの少し、ひんやりとした壁の冷たさが汗ばむ魔理沙の服とショーツを通り抜けて、肌へと伝わっていく。
 それが彼女の口から落ち着いたため息を出させ、同時に暑さで参りかけていた心に余裕を作っている。
 一方の霊夢も背中のデルフを壁に立てかけ、左手に持っていた鞄を放るようにして地面を置くと、同じく鞄を置いたルイズへと詰め寄った。

「で、一体アイツの渡した手紙に何が書かれてたの?素直に言いなさい」
「言われなくてもそうするつもりよ。……ホラ」
 睨みを利かせた霊夢に寄られつつも、ルイズは涼しい顔で懐に仕舞っていた手紙を取り出して二人に見せつけた。
 封筒に入っていたその一枚で、彼女に姉を探すための帰郷を中止させる程の文章が書かれているのだろう。
 しかし霊夢と魔理沙は相変わらずハルケギニアの文字が読めない為に、とりあえずは困った表情をルイズに向ける他なかった。
「…ワタシ、ここの文字全然読めないんだけど」
「右に同じくだぜ」
「まぁ大体予想がついてたわ。…デルフ、出番よ」
 二人の反応をあらかじめ分かっていた彼女は、霊夢の背中にいる…インテリジェンスソードに声を掛ける。
 ルイズからの呼びかけにデルフは『あいよー』と間延びした返事と共に鞘から刀身の一部を出して、カチャカチャと金具部分を鳴らし始めた。
 恐らく霊夢の肩越しに手紙を読んでいるのだろう、時折彼の刀身から『ふむふむ…』というつぶやきが漏れてくる。
『なるほどなぁ~、初っ端から御大層な仕事と情報を貰ってるじゃないか、娘っ子よ』
「お、何だ何だ。何だか面白そうな展開になってきたじゃないか」
『まぁ待てよマリサ。今からこのオレっちが親切丁寧に手紙の内容を教えてやるからな』
 そして一分も経たぬうちに読み終えたデルフは、急かす魔理沙を宥めつつも手紙の内容を説明し出した。

 彼が言うには、まず最初の一文から書かれていたのはトリステインの時となったアルビオンの今後の動きについてであった。
 艦隊の主力を失い、満身創痍状態のアルビオンはこの国に対し不正規な戦闘を仕掛けてくると予想しているらしい。
 つまり、正攻法を諦めて自分たちの仲間を密かにこの国へと送り込み、内部から破壊工作を仕掛けてくる可能性があるというのだ。
 それを恐れたトリステイン政府と軍部はトリステインの各都市部と地方の治安強化、及び検問の強化などを実地する予定なのだとか。
 当然王都であるトリスタニアの治安維持強化は最大規模となり、アンリエッタ直属のルイズもその作戦に協力するようにと書かれているのだという。

 本当に親切かつ丁寧だったデルフからの説明を聞き終え、ようやく理解できた霊夢はルイズへと話しかける。
「なるほど、大体分かったわ。それで、アンタはどこで何をしろって具体的に書かれてるの?」
「書かれてたわ、…身分を隠して王都での情報収集って。何か不穏な活動が行われてないか、平民たちの間でどんな噂が流れてるとか…」
 夕食に必要な食材を市場のど真ん中で思い出すかのように呟くルイズの話を聞いて、魔理沙も納得したようにパン!と手を軽く叩いた。
「おぉ!中々悪くない仕事じゃないか。何だかんだ言って、情報ってのは大切だしな」
 魔理沙からの言葉にしかし、ルイズはあまり嬉しくなさそうな表情をその顔に浮かべながら彼女へ話しかける。
「そうかしら?こういう仕事は間諜って聞いたことがあるけど…何だか凄く地味な気がするのよね」
「…そうか?私はそういうの好きだぜ。…意外と街中で暮らしてる人間ほど、ヤバい情報を持ってるって相場が決まってもんさ」 
 慰めとも取れるような魔理沙の言葉にルイズは肩をすくめつつ、これからこなすべぎ地味な仕事゙を想像してため息をつきたくなった。 
 てっきり『虚無』の担い手となった自分や霊夢達が、派手に使われるのではないかと…手紙の最初の一文を読み始めた時に思っていたというのに。

 そんな彼女を見かねてか、説明を終えて黙っていたデルフがまたもや鞘から刀身を出してカチャカチャと喋りかけた。
『まぁそう落ち込むなよ娘っ子。その代わり、お前のお姉さんがこの街にいるって分かったんだからよ』
「…あぁそういやそんな事も言ってたわね。じゃあ、そっちの方もちゃんと教えなさいよデルフ」
 彼の言葉に現在行方知れずとなっているルイズの姉、カトレアの行方も書かれていたという事を思い出した霊夢がそちらの説明も促してくる。
 彼女からの要求にデルフは一回だけ刀身を揺らしてから、手紙の後半に書かれていた内容を彼女と魔理沙に教えていく。

 ゴンドアから出て行方知れずとなっていたカトレアは、王宮が出した調査の結果まだこの王都にいる事が発覚したという。
 彼女の容姿を元に何人かの間諜が人探しを装って聞いた所、複数の場所で容姿が一致する女性が目撃されている事が分かったらしい。

 しかし一定の場所で相次いで目撃されているならまだしも、全く接点の無い所からの報告の為にすぐの特定は難しい状況なのだとか。
 だが、もう少し時間を要すればその特定も可能であり、仮に彼女が王都を出るとなればそこで引きとめる事が可能と書かれていた。
 今の所彼女の身辺にレコン・キスタの者と思われる人物の存在はおらず、王都には観光目的で滞在している可能性が高いのだという。

『まぁ療養の可能性もあり…って追記で書かれてるな、ここは』
 手紙の最後に書かれていた一文もキッチリ読み終えた所で、今度はルイズが口を開く。
「とりあえず…まぁ、ちぃ姉様が無事なようで何よりだったわ」
「そりゃまぁアンタは良かったけど、そこまで分かっててまだ見つからないのって可笑しくないか?」
 魔理沙が最もな事をいうと、ルイズも「まぁ普通はそう思うわよね」と彼女の言い分を肯定しつつもちょっとした説明を始めた。
「でもハルケギニアの王都とか都市部って意外に大きいうえに人の出入りも激しいから、普通の人探しだけでも大変だって聞くわよ」
「そりゃそうよね。こんだけ広い街だと、よっぽどの大人数でもない限り端からは端まで探すなんて事できやしないだろうし」
「ふ~ん…そういうもんなのかねぇ?」
 ルイズの説明に霊夢が同意するかのように相槌を打ち、二人の言葉に魔理沙も何となくだが納得していた。
 実際カトレアの捜索に当たっている間諜はルイズに手紙を渡した貴族を含め数人であり、尚且つ彼らには別件の仕事もある。
 その仕事をこなしつつの人探しである為に、今日に至るまで有力な目撃情報を発見できなかったのだ。

「とりあえず、ちぃ姉様の方は彼らに任せるとして…私達も間諜として王都で情報収集するんだけれども…」
 ルイズは自分の大切な二番目の姉を探してくれる貴族たちに心の中で感謝しつつ、
 アンリエッタが自分にくれた仕事をこなせるよう、封筒に同封してくれていた長方形の小さな紙を懐から取り出した。
 その紙に気付いた魔理沙が、手紙とはまた違うそれを不思議そうな目で見つめつつルイズ質問してみる。
「…?ルイズ、それは一体何なんだ?」 
「これは手形よ。私達が任務をこなすうえで使うお金を、王都の財務庁で下ろすことができるのよ」
 魔理沙の質問に答えながら、ルイズは手に持っていた手形を二人にサッと見せてみた。
 形としては、先ほど駅舎で馬車に乗る人たちが持っていた切符や劇場などで使われるチケットとよく似ている。
 しかし記入されている文字や数字とバックに描かれたトリステイン王国の紋章を見るに、ただのチケットとは違うようだ。

「お金まで用意してくれるなんて、中々太っ腹じゃないの」
「流石にそこは経費として出してくれるわよ。…まぁ額はそんなに無いのだけれど」
「どれくらい出せるんだ?」
 何故か渋い表情を見せるルイズに、魔理沙はその手形にどれ程の額が出るのか聞いてみた。
「四百エキュー。金貨にしてざっと六百枚ぐらい…ってところかしら」
「……それって貰いすぎなんじゃないの?わざわざ情報収集ぐらいで…」
 渋い顔のルイズの口から出たその額と金貨の枚数に、霊夢はそう言ってみせる。
 しかしそれでも、彼女の表情は晴れないでいた。

 その後、いつまでもここにいたって仕方ないということで三人はお金を下ろしに財務庁へ向かう事にした。
 銀行とは違い手形は財務庁のみ使えるもので、ハルケギニアの手形は国から直にお金を下ろす為の許可証でもある。
 受付窓口でルイズが手形を見せると、ものの十分もしないうちに金庫から大量の金貨が運ばれてきた。
 思わず魔理沙の顔が明るくなり、霊夢もおぉ…と唸る中ルイズはしっかりと枚数確認をし、その手で金貨を全て袋に入れた。
 ズシリとした存在感、しかし決して苦しくは無い金貨の重みをその手で感じながらルイズは金貨の入った袋をカバンの中に入れる。
 さて出ようか…というところでルイズの傍にいた霊夢と魔理沙へお待ちください、と受付にいた職員が声を掛けてきた。
 何かと思いそちらの方へ三人が振り向くと、ルイズのそれより小さいながらも金貨の入った袋が二つ、そっとカウンターへと置かれた。


「これは?」
「この番号の手形を持ってきたお客様のお連れ様二人に、それぞれ二百七十エキュー渡すようにと上から申し付けられておりまして…」
 霊夢からの質問に職員がそう答えると、カウンターの上へ置かれた一つを魔理沙が手に取り、中を改めてみる。
「うぉっ…!これはまた…随分と太っ腹だなぁ…」
「えぇっと…どれどれ………!確かにすごいわね」
 魔理沙の反応を見て自分も残った一つを確認してみると、開けた直後に新金貨が霊夢の視界に入ってくる。
 ハルケギニア大陸の全体図が中央にレリーフされている新金貨はエキュー金貨同様、ハルケギニア全土で使用できる通貨だ。
 新金貨二百七十エキューは、枚数にして丁度四百枚。王都在住の独身平民ならば一月は裕福に暮らせる額である。

 魔理沙が財務庁で貰えた金貨に喜ぶなかで霊夢は誰が自分たちに…と疑問に思った瞬間、ふとアンリエッタの顔が浮かんできた。
 そういえばアルビオンからルイズを連れ帰った時にもお礼を渡そうとして、結局茶葉の入った瓶一つだけで済ませていた。
 更にはタルブへ行ったときも、何やかんやあってルイズとこの国を結果的に助けたのだから…その二つを合わせたお礼なのだろうか?
(あのお姫様も後義な物よねぇ~…?まぁもらえる物なら、貰っておくにこした事はないけど)
 王族と言うには少し気弱一面もあるアンリエッタの事を思い出しながら、霊夢は仕方なくその金貨を貰う事にした。
 アルビオンの時まではそんなにこの世界へ長居するつもりはなかったし、幻想郷へ帰ればそれで終わりだと思っていた。
 しかし幻想郷で起こっている異変と今回の事が関わっている所為で、しばらくはこの異世界で過ごす事になったのである。
 となれば…ここで使える通貨を持っていても、便利になる事はあれ不便になる事はまずないだろう。

「こんな事になるって分かってたんなら、素直に金品でも要求してればよかったわね…」
「…?」
 アルビオンから帰ってきたときの事を思い出して一人呟く霊夢に、魔理沙は首を傾げるほかなかった。
 ともあれ、大きなお小遣いを貰う事の出来た二人はルイズと一緒に財務庁を後にした。

「さてと、とりあえず貰うもんは貰ったし…」
「早速始めるとしましょうか。色々と問題はあるけれど…」
「…って、おいおい!待てよ二人とも」
 財務庁のある中央通りへと乗り出したルイズと霊夢が早速任務開始…と言わんばかりに人ごみの中へ入ろうとした時。
 金貨入りの袋を懐へしまった魔理沙が、慌てて二人を制止する。
「?…どうしたのよ魔理沙」
 一歩前に出そうとした左足を止めた霊夢が、怪訝な表情で自分とルイズを止めた黒白へと視線を向けた。
 ルイズもルイズで、今回の情報収集を遂行するのに大切な事を忘れているのか、不思議そうに首を傾げている。

 そして魔理沙は、こんな二人にアンリエッタがくれた仕事をこなせるのかどうかという不安を感じつつ、
 少し呆れた様な表情を見せながら、出来の悪い生徒を諭す教師の様に喋り出した。
「いや、まさか二人とも…その格好で街の人たちから情報収集をするのかと思って…」
「―――…!…あぁ~そうだったわねぇ…」
 魔理沙がそれを言ってくれたおかげて、ルイズはこの任務を始める前に゙やるべき事゙を思い出す。
 一方の霊夢はまだ気づいていないのか、先ほどと変わらぬ怪訝な顔つきで「何なの…?」と首を傾げていた。
 そんな彼女に思い出せるようにして、今度はルイズが説明をした。
「失念してたけど、手紙にも書いてたでしょう?平民の中に混じって、情報収集をするようにって」
「…!そういえば、そうだったわねぇ」
 先ほどのルイズと同じく失念していた霊夢もまた、その゙やるべき事゙を思い出すことができた。
 今回アンリエッタから与えられた情報収集の仕事は、『平民の中に混じっての情報収集』なのである。
 だからルイズが今着ている黒マントに五芒星のバッジに、いかにも安くは無いプリッツスカートにブラウス姿で情報収集なんかすれば、
 自分は「貴族ですよー!」と春告精のように大声で叫びながら飛び回っているのと同じようなものであった。

 更に霊夢の場合髪の色も珍しいというのに、服装何て道化師レベルに目立つ巫女服なのである。
 魔理沙はともかく、この二人は何処かで別の服を調達でもしない限り、まともに任務はこなせないだろう。
 デルフから聞いた手紙の内容をよく覚えていた魔理沙がいなければ、最初の段階で二人は躓いていたに違いない。

「―――…って、この服でも大丈夫なんじゃないの?」
 しかし、ルイズはともかく最も着替えるべき霊夢本人は然程おかしいとは思っていなかったらしい。
 覚えていた魔理沙や、思い出したルイズも本気でそんな事を言っている巫女にガクリと肩を落としそうになってしまう。

「…これって、まず最初にする事はコイツの意識改善なんじゃないの?」
「まぁ、霊夢も霊夢であまり人の多い所へは行かないし…仕方ないと言えば、そうなるかもなぁ~」
「何よ?人を田舎者みたいに扱ってくれちゃって…」
 呆れを通り越して早速疲れたような表情を浮かべるルイズが、ポツリと呟いた。
 それに同意するかのような魔理沙に霊夢が腰に手を当てて拗ねていると、すぐ背後からカチャカチャと喧しい金属が聞こえてくる。
 ハッとした表情で霊夢が後ろを見遣ると、勝手鞘から刀身を出したデルフが喋り出そうとしていた。
『それは言えてるな。いかにもレイムって田舎者……イテッ!』
「アンタはわざわざ相槌打つために、喧しい音鳴らして刀身出してくるんじゃないわよ!」
 妙に冷静なルイズの言葉に同意しているデルフを、霊夢は容赦なく背後の街路樹に押しつけながら言った。
 まるでクマが木で背中を掻くような動作に、思わず通りを行き交う人々は彼女を一瞥しながら通り過ぎていく。

 その後、怒る霊夢を宥めてから魔理沙は二人の為に適当な服を見繕う事にしてあげた。
 幸い中央通から少し歩いた先に平民向けの服屋が幾つか建ち並んでおり、ルイズ程の歳頃の子が好きそうな店もある。
 しかし何が気に入らないのか、ルイズは魔理沙や店員が持ってくる服を暫し見つめては首を横に振り続ける動作を続けた。
「何が気に入らないのよ?どれもこれも良さそうに見えるんだけど」
「だって全部安っぽいじゃない。こんなの着て知り合いに見つかったら、恥かしくて死んじゃうじゃない」
 いい加減痺れを切らした霊夢がそう言うと、ルイズはあまりにも場違いな言葉を返してくる。
 これから平民の中に紛れるというのに、安っぽい服を着ずして何を着るというのだろうか?
 ルイズの服選びだけでも既に二十分が経過している事に、霊夢はそろそろ苛立ちが限界まで到達しかけていた。
 彼女としてはたかが服の一着や二着で何を悩むのか、それが全く分からなかいのである。
 そんな彼女の気持ちなど露知らず、ここぞとばかりに貴族アピールをするルイズは更に我が侭を見せつけてくる。

「第一、こんな店じゃあ私の気に入る服なんてあるワケないじゃないの。もっとグレードの高い店にしなきゃ…」
「アンタねぇ…良いから早く選んで買っちゃいなさいよ、ただでさえ店の中もジワジワ暑いっていうのに」
「何よ?アタシのお金で買うアタシの服に文句付けようっていうの?」
 いよいよルイズも堪忍袋の緒が千切れかけているのか、巫女の売り言葉に対し買い言葉で返している。
 ルイズの言動と、霊夢の表情から読み取れる彼女の今の心境を察知した魔理沙が「あっやべ…!」と小さく呟く。
 それから服を持ってきてくれていた店主に向き直ると、四十代半ばの彼に向ってこう言った。

「店主!もう少しグレードあげても良いから、今より良い服とか無いかな?」
 初めて会った客だというのにやけに馴れ馴れしく接してくる少女に、店主は一瞬たじろぎながらも返事をした。
「え…?い、いやまぁ…あるにはあるけれど…出荷したばかりの品だからまだ出してなくて…」
「ならそれの荷ほどきしてすぐに持ってきてくれ。じゃないとこの店が潰れちまうぜ?…物理的に」
「……それマジ?――あぁ、多分マジだなこりゃあ、ちょっと待ってろ」
 彼女の口から出たとんでもない発言に一瞬彼女の正気を疑いかけた店主は、
 その後ろであからさまな気配を出している霊夢とこれまた苛立ちを募らせているルイズを見てすぐさま店の奥へと走っていった。

 どうやら、この夏の暑さが二人の怒りのボルテージを上げているのは確からしい。
 ハルケギニアの暑さに慣れてない霊夢は相当苛立ってるが、それ以上の苛立ちをルイズは何とか隠していたらしい。
 ルイズは杖こそ握ってないし霊夢はその両手に何も持ってないが、二人していつ素手で喧嘩を始めてもおかしくない状況であった。
「おいおい落ち着けよ二人とも。こんな所で喧嘩したって余計に暑くなるだけだろ?」
「うるさいわねぇ、一番暑そうな格好してるアンタに言われたくないわよ」
「そうよ。こんなクソ暑い王都の中でそんな黒白の服着てるなんて…アンタ頭おかしいんじゃないの?」
 珍しくこの場を宥めようとする魔理沙に対し、二人はまるでこの時だけ一致団結したかのように罵ってきた。
『…だとよ?どうするよマリサ、このままこいつらの罵りを受け入れるお前さんじゃないだろ?』
 二人の容赦ない言葉とこの状況を半ば楽しんでいるデルフの挑発に、流石の魔理沙も大人しくしているのにも限界が来ていた。

「……あのなぁ~お前らさぁ…いい加減にしとかないと私だって…!」
 嫌悪感を顔に出した彼女が店内でも被っていたトンガリ帽子を脱いで、懐からミニ八卦炉を取り出そうとした直前、
 店の奥に引っ込んでいた店主が大きく平たい袋を抱えながら、血相変えて飛び出してきた。

「ちょ…!ちょっと待って下さい!貴族の女の子も着ているような服がありましたから…待って、お願いします!」
 祖父の代から継いで来た小さな店が理不尽な暴力で潰される前に、何とか客が要求していた服を持ってきたようである。
 今にも死にそうな顔で戻ってきた店主を見て、キレかけていた魔理沙は慌てて咳払いしつつ帽子をかぶり直した。
「あ~ゴホン!……悪いな、わざわざ迷惑かけて…それで、どんな一着なんだ?」
 何とか冷静さを取り戻した普通の魔法使いは気を取り直して、店長に聞いてみる。
「えぇと、生産地はロマリアで…こんな感じの、貴族でも平民でも気軽に着られるようなお洒落なものなんですが…」
 魔理沙からの質問に店長は軽い説明を入れながら、その一着が入っているであろう袋を破いて中身を取り出して見せた。

「…あっ」
 瞬間、隣の巫女さんと同じく暑さで苛立っていたルイズは店主が袋から取り出した服を見て、その顔がパッと輝いた。
 実際には輝いていないのだろうが、すぐ近くにいた霊夢とデルフの目にはそう見えたのである。
 店主が店の奥から出したるそれは、今まで彼や魔理沙が出してきた服とは格が違うレベルのものであった。
 今来ている学院のものとは違う白い可愛らしい感じの半袖ブラウスに、短い紺色のシックなスカートという買ってすぐに着飾れる一式。
 文字通りの新品であり、更にこの店のレベルとはあまりにも不釣り合いなそれに、ルイズの目は一瞬で喜色に満ちる。

 態度を一変させて怒りの感情が隠れてしまったルイズを見て、霊夢は疲れたと言いたげなため息をついてから店主へ話しかけた。
「へぇ…中々綺麗じゃないの。っていうか、あるんなら出しなさいよね、全く…」
「いやぁ~すいません。何せ今日の朝届いたもんでしたので。店に飾るのは夕方からにしようと思ってまして」
 店主も店主で何の罪もない先祖代々の店を壊されずに済んだと確信したのか、営業スマイルを彼女に見せつけて言い訳を口にする。
 それから彼は、不可視の輝きを体から放ちながらブラウスを触っているルイズにこの服とスカートの説明を始めていく。
 ロマリアの地方に本拠地を構えるブティックが発売したこの一セットは、貴族でも平民でも気軽に着れるというコンセプトでデザインされているのだという。
 先行販売しているロマリアでは割と人気になっているらしく、今年の冬に早くも同じコンセプトで第二弾が出るとか出ないとか…。


「一応貴族様向けに袖本に付ける赤いタイリボンがありまして、この平民向けにはそれが無いだけなのでデザインに差異はないかと…」
「なるほどなぁ、確かに良く見てみるともうちょっと彩が欲しいというか…赤色が恋しくなってくるなぁ」
 店主の説明に魔理沙が相槌を打ちつつ、すっかり気分を良くしたルイズを見て内心ホッと一息ついていた。
 一時は彼女と霊夢の怒りと面白がっていたデルフの挑発に流されてしまいそうだったものの、何とか堪える事が出来た。
 実際には怒りかけていたのだが、今のルイズを見ているとそれすらどうでも良くなってしまうのである。
(いやはや…喉元過ぎればなんとやらというか、ちょっと気が変わるのが早いというか…)
 聞かれてしまうとまた怒りそうな事を心の中で呟きながら、魔理沙はチラリと横にいる霊夢の方を見遣る。

 ルイズはあのブラウスとスカートで良いとして、次は巫女服以外まともな服を着た事の無い彼女の番なのだ。
 多分散々待たされた霊夢の事だから、適当な服を見繕ってやれば素直にそれを着てくれるだろう。 
 しかし困ったことに、魔理沙の目ではこの巫女さんにどんな服を着せてやればいいのか全く分からなかった。
 そもそも彼女に紅白の巫女服以外の服を着せたとしても似合うのだろうか?多分…というかきっと似合わないだろう。
 知らず知らずの内に、自分の中で霊夢は巫女服しか似合わない…という固定概念ができてしまっているのだろうか?
 そんな事を考えている内に、自然と怪訝な顔つきになっているのに気が兎つかなかった魔理沙に、霊夢が声を掛けてきた。

「どうしたのよ、まるで私を人殺しを見るようなような目つきで睨んでくるなんて…?」
「えぇ?何でそんな例えが物騒なんだよ?…いやなに、お前さんにどんな服を用意したらいいかと思って―――」
「その必要なんか無いわよ。替えの服ならもうとっくの昔に用意してくれてるじゃない」
 ルイズの奴がね。最後にそう付け加えた霊夢は、足元に置いてあった自分の旅行鞄をチョンと足で小突いて見せた。
 彼女の言葉で、それまで゙あの事゙を忘れていた魔理沙も思い出したのか、つい口から「あっ…そうかぁ」と間抜けそうな声が漏れてしまう。
 それは、まだタルブでアルビオンが裏切る前に王都で買ってもらっていたのだ、アンリエッタの結婚式に着ていく為の服を。

「あの時散々ルイズと一緒になって笑ってたくせに、よくもまぁ忘れられるわね。こっちは今でも覚えるわよ?」
「…鶴は千年、亀は万年。そして巫女さんの恨みは寿命を知らず…ってか。いやぁ~、怖いもんだねぇ」
 あの時指さして笑ってた黒白を思い出して頬を膨らます霊夢を前に、魔理沙は苦笑いするしかなかった。 




 それから一時間後―――――魔理沙を除く二人はどうにかして平民(?)の姿になる事が出来た。
 ルイズは店の佇まいに良い意味で相応しくなかったロマリアから輸入されてきたブラウスとスカートを身にまとっており、
 霊夢は以前アンリエッタの結婚式があるからという事でルイズに買ってもらった服とロングスカートに着替えている。
 とはいっても本人は不満があるらしく、左手で握っている御幣で自分の肩を叩きながら愚痴を漏らしていた。

「それでまぁ、結局これを着る羽目になっちゃったけど…」
「別に良いじゃないの。似合ってるわよそれ?魔理沙と色が被っちゃってる以外は」
 そんな霊夢とは逆に思わぬ場所でお宝見つけたルイズは上機嫌であり、今にもスキップしながら人ごみの中へ消えてしまいそうだ。
 彼女の言葉を聞いてブラウス姿の霊夢が背中に担いでいるデルフが、またもや鞘から刀身を出して喋り出す。
『あぁ~、そういやそうだな。よく見れば黒白が二人もいるなぁ』
「そいつは良くないなぁ、私のアイデンティティーが損なわれてしまうじゃないか」
「いや、アンタのアイデンティティーがそれだけとか貧相過ぎない?」
 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街の境目にあるY字路。貴族と平民でごったがえしている人通り盛んな繁華街の一角。
 その中にある旅行者向けの荷物預かり屋『ドラゴンが守る金庫』の横で、三人と一本はそんなやり取りをしていた。

 服屋でお気に入りの一セットを手に入れたルイズは上機嫌で店を出た後、持ってきていた鞄を何処かへ預けるつもりでいた。
 ハルケギニアの各王都や首都には旅行者や国外、地方から来た貴族や旅行者がホテルや宿に置くのを躊躇うような貴重品を預ける為の店が幾つかある。
 無論国内の貴族であるルイズも利用することは出来る。しかし、これから平民に扮するルイズはブルドンネ街にあるような貴族専用の店などはまず利用できない。
 その為チクトンネ街かに比較的近い所にある旅行者向けの店を幾つかあたり、ようやく空き金庫のある店を見つけた。
 幸いトリステイン政府が要求している防犯水準を満たしている店であった為、変装を兼ねてこの店の戸を叩いたのである。

 荷物を預け、服装も変えたルイズは二人を伴って店を出たのはそれからちょうど一時間後の事であった。
 何枚にも渡る書類の手続きと料金の説明、そして荷物の中に危険物が入っていないかの最終確認。
 チクトンネ街の近くにあるというのに徹底した検査を通って、三人の荷物は無事金庫へと預けられることとなった。
 ルイズは旅行かばんの中に入れていた肩掛けバッグの中に始祖の祈祷書と水のルビーと、当然ながら杖を隠し入れていた。
 霊夢も念のためにとデルフと御幣、それにお札十枚と針三十本、それにスペルカード数枚を鞄から懐の中に移している。
 魔理沙は手に持った箒と帽子の中のミニ八卦炉だけと意外に少ない。ちなみに、三人が貰ったお金は三人ともしっかり袋に入れて持ち歩いていた。

 店の横で一通りのやり取りを終えてから、ふと何かにか気付いたのか魔理沙がすぐ左の霊夢へと声を掛けた。
「…それにしても、このY字路人が多いなぁ。それによく見てみると、ブルドンネ街にいた平民たちと違っていかにも労働者っぽいのが…」
「えぇ?あぁ本当ね」
 別段気にしてはいなかったが魔理沙にそんな事を言われて目を凝らしてみると、確かにいた。
 いかにも肉体系の労働についてますとアピールしているような、平民らしき屈強な労働者達が通りを歩いている。

「あぁ、アレ?さっきの店の中で地下水道を工事するって張り紙が貼ってあったから、その関係者なんじゃないの?」
「おっ、そうなのか。悪いなわざわざ……ん?」
 通りを歩く人たちより一回り大きい彼らが歩いて去っていく姿を見つめていると、ルイズが丁寧に説明を入れてくれた。
 わざわざそんな事を教えてくれた彼女に、魔理沙は何か一言と思って顔を向けたが…何やら彼女は忙しいご様子である。
 間諜の仕事を務める為の経費が入った袋を睨みながら、何やら考え事をしていた。
「どうしたんだよ、そんな深刻そうな顔してお金と睨めっこしてるなんてさぁ」
「あぁこれ?実はちょっとね、姫さまから貰った経費の事でちょっと問題があるなーって思ってたの」
「ちょっと、ここにきてそれを言うのは無いんじゃないの?っていうか、どういう問題があるのよ」
 魔理沙の問いにそう答えたルイズへ、着なれぬ服に違和感を感じていた霊夢も混ざってくる。
 黒白とは違い少し睨みを利かせてくる紅白に少したじろぎながらも、彼女は今抱えている問題を素直にいう事にした。


「経費が足りないのよ。四百エキュー程度じゃあ良い馬を買っただけで三分の二が消えちゃうわ」
 ルイズの放ったその言葉に、二人は暫し顔を見合わせてから霊夢がまず「馬がいるの?」とルイズに聞いてみた。
 巫女からの尋ねにルイズは何を言っているのかと言いたげな表情で頷くと、今度は魔理沙が口を開く。
「いや、馬は必要ないだろ?平民の中に紛れて情報収集するんだし、何かあったら飛べば良いじゃないか」
「何言ってるのよマリサ。馬が無かったら街中なんて移動できないし、第一空を気軽に飛べるのはアンタ達だけでしょうが」
『そいつぁ言えてるな。息を吸って吐くように飛んでるからなコイツラは…ってアイテテ!』
 魔理沙の言葉を的確かつ素早くルイズが論破すると、デルフがすかさず相槌を打ってくる。
 鞘から出ている刀身を御幣で軽く小突きつつ、良い馬が変えないとごねるルイズに妥協案を持ちかけてみることにした。
 ルイズの言うとおり、確かにこの街は広いしあちこちで情報収集するんら自分用の移動手段が必要なのだろう。
「だったら安い馬でも借りなさいよ。買うならともかく、借りるならそれほど値段は掛からないでしょうに」
 巫女の提案にしかし、ルイズはまたもや首を横に振る。

「それは余計に駄目よ。安い馬だともしもの時に限って役に立たないわ。それに安いと馬具も酷いモノばかりだし…」
 どうやら周りの道具を含め、馬には相当強いこだわりがあるらしい。
 半ば自分たちを放って一人喋っているルイズを少し置いて、霊夢は魔理沙と相談する事にした。
「どう思うのアンタは?移動手段はともかく、これから身分を隠しての情報収集だってのに…」
「いやぁどうって…私は改めてルイズが貴族なんだな~って思ってるが、まぁ別に良いんじゃないか?」 
「別に良いですって?多分アイツがいつもやってるような感じで散財したら、今日中にあの金貨が無くなるわよ!」
 自分と比べて、あまり今の状況を不味いと感じていない魔理沙に軽く怒鳴り声を上げる。
 一方のルイズも、二人があまり聞いていないという事を知らずどんどん自分の要求をサラサラと口に出していく。
 四百エキュー程度では到底叶わない様な、いかにも貴族と言いたくなる要求を。


「…それに、宿も変な所に泊まれないわ。このお金じゃあ、夏季休暇が終わる前に使い切っちゃうじゃない!」
 ルイズの口から出てその言葉に、彼女を置いて話し合っていた二人も目を丸くしてしまう。
 金貨が六百枚も吹き飛んでしまうという宿とは、一体どんなところなのだろうか…。
「そ、そこは安い宿で良いんじゃないか…?」
 流石の魔理沙もこれから平民に紛れようとするルイズの高望みに軽く呆れつつ、一つ提案してみる。
 しかしそれでもルイズは頑なに首を縦に振らず、ブンブンと横に振りながら言った。
「ダメよ!安物のベッドで寝られるワケないじゃない。それに…―――」
「それに?」
 何か言いたげなところで口を止めたルイズに、霊夢が思わず聞いてみると……―――。
 突如ビシッ!と彼女を指さしつつ、鬼気迫る表情でこう言ったのである。

「ゴキブリやムカデなんかが部屋の中を這いまわってて、ベッドの下にキノコが群生してる様な部屋を割り当てられたらどうするのよ?」

 その言葉に暫しの沈黙を入れてから、霊夢もまたルイズの気持ちが手に取るように分かった。
 もしも彼女が異性で、尚且つ安宿だから仕方ないと割り切れればルイズの我儘に同意する事は無かっただろう。
 しかし彼女もまた少女なのである。虫が壁や床を這いまわり、キノコが隅に生えているような場所で寝られるわけが無いのである。 
 暫しの沈黙の後、霊夢は無駄に決意で満ち溢れた表情でコクリと頷いて見せた。
「成程。馬はともかく、宿選びは大切よね。…うん、アンタの言う事にも一理あるじゃないの」
 納得した表情で頷いてくれた霊夢にルイズの表情がパッと明るくなり、思わず彼女の手を取って喜んだ。
「そうよねレイム!貴族であってもなくてもそんな場所で寝られないわよね!?」
『心変わりはぇーなぁ、オイ!』
 まさか彼女が陥落するとは思っていなかったデルフが、すかさず突っ込みを入れる程すんなりとルイズの味方になった霊夢。
 もはやこのコンビを止める者は、この国の王女か境界を操る程度の大妖怪ぐらいなものであろう。


「いやぁ~、虫はともかくキノコがあるんなら別にそっちでも良いんだけどなぁ~…」
 何となく意気投合してしまった二人を見つめつつ、魔理沙はひとり静かに自分の意見を呟いていた。
 しかし哀しきかな、彼女の小さな呟きは二人の耳に入らなかった。 



 ―――…とはいっても、ルイズが財務庁で貰った資金ではチクトンネ街の安宿しか長期間泊まれる場所は無い。
 逆に言うと情報収集を行う活動の中心拠点としてなら、この町は正にうってつけの場所とも言えるだろう。
 国内外の御尋ね者やワケありの者たちも出入りするここチクトンネ街は、昼よりも夜の方が賑わっている。
 酒場の数も多く、それに伴い宿の数も多いため安くていいのなら止まる場所に困ることは絶対にない。
 アドバイスはあっただろうが、アンリエッタもそれを誰かに言われて安心して四百エキューをルイズに託したのだろう。
 唯一の失敗と言えば、ルイズとその傍にいる霊夢がそれを受け入れられたか考えなかった事に違いない。  

「くっそ~…一体どこまで歩くつもりだよ」
 あと二時間ほどで日が暮れはじめるという午後の時間帯。
 霊夢に渡されていたデルフを背中に担いでいる魔理沙は、右手の箒を半ば引きずりながらブルドンネ街を歩いていた。 
 最初こそいつものように右手で持っていたのだが、この姿で持ってたら怪しいという事で霊夢からあの剣を託されてからずっとこの調子である。
 穂の部分が路面の土を掃きとり、綺麗にしていく姿に何人かの通行人が思わず振り返り、彼女が引きずる箒と地面を見比べていく。
 本人が無意識のうちに行っているボランティア行為の最中、魔理沙は思わず愚痴が出てしまうものである。

「っていうか、高い宿の値段設定おかしいだろ。一泊食事風呂付で、20エキューって…」
『まぁあぁいう所は金持ちの貴族向けだからなぁ、着飾った平民でもあの敷居を跨ぐのは相当勇気がいるぜ?』
 そんな彼女の独り言に対し、律儀か面白がってか知らないがデルフが頼みもしない相槌を背中から打ってくる。
 霊夢なら鬱陶しいとか言ってデルフを叩くかもしれないが、魔理沙からしてみれば自分の愚痴を聞いてくれる相手がいるようなものだ。
 喋る時になる金属音や喧しいダミ声はともかくとして、身動き一つ出来ぬ話し相手に彼女は以外にも救われていた。

 はてさて、ルイズと霊夢は自分たちの理想に合った宿を探していくも一向に見つからず、通りを歩き続けていた。
 あれもダメ、これはイマイチと宿の人間に難癖をつけてはまた別の宿を…という行為を繰り返して既に一時間半が経過している。
 魔理沙の目から見てみれば、多少ボロくともルイズの言う「虫とキノコに塗れた部屋」とは程遠い部屋もあったし、霊夢もここなら…と頷く事もあった。
 しかしそういう所に限って立ちはだかるのが値段である。しっかり人を雇って掃除も欠かしていない様な所は平民向けでも相当に値が張ってしまう。
 情報収集の仕事は夏季休暇の終わりまでこなさねばならず、今の持ち金だけではチクトンネ街にあるようなボロ宿にしか止まれない。
 そしてそういうボロ宿は正に、廃墟まで十歩手前とかいう酷いものしかない為に、三人と一本はこうして王都の中をぐるぐると歩き回っているのである。

 これは流石に声を掛けてやらないと駄目かな?そう思った魔理沙は、二人へ今日で何度目かになる妥協案を出してみることにした。
「なぁ二人ともぉ…!もういいだろ~…そろそろ適当に安い宿取って休もうぜ?」
「何言ってるのよマリサ。西と南の方は粗方調べ尽くしたけど、まだ北と東の方が残ってるからそっとも見てみないと」
「だからってこう、暑い街中を歩き回ってたらいい加減バテちまうよ…!」
 自分の提案にしかし、尚も自分の理想に適った宿を探そうとするルイズに少し声を荒げてしまう魔理沙。
 そして言った後で気づいて、慌てて「あぁ、悪い」と平謝りしたが、以外にもルイズは怒らなかった。
 むしろ魔理沙の言葉でようやく気付いたのか、額の汗をハンカチで拭いながら頷いて見せた。
「まぁそうよね…、ちょっと休憩でも入れないと流石に倒れちゃうわよね」
 買ったばかりのブラウスもやや透けてしまう程汗まみれになっていた彼女は、今まで暑さの事を忘れていたのだろう。
 その分を取り戻すかのように「暑い、暑い」と呟きながら、周囲に休める場所があるのか辺りを見回し始めた。

 ウェーブの掛かったピンクのブロンドヘアーが左右に動くのを見つめつつ、今度は霊夢が魔理沙へ話しかける。
「あら、アンタも偶には気の利いたことを言うじゃないの。もう少ししたら私が言うつもりだったけど」
 いつもの巫女服とは違うショートブラウスに黒のロングスカートという自分と似たような見た目に違和感を覚えつつ、魔理沙は言葉を返す。



「そうか?私は結構こういう事に気が回る性格だと自負してたんだがなぁ」
「いつもは先に突っ走るようなアンタのどこにそんな部分があるのよ?私見たことが無いんだけど」
 ルイズが休むことを了解してくれたことでも幾分か余裕を取り戻せた黒白に、同じく汗だくの霊夢がすかさず突っ込みを入れた。
 帽子の下の顔はルイス背に負けず劣らず汗に濡れており、彼女もハンカチで自分の顔を拭っている。
 どうやら彼女も相当我慢していたらしいようで、ブラウスの胸元のボタンを一つ外しつつ王都の気温に愚痴を漏らし始めた。
「にしたって、何でこんなに暑いのよ?幻想郷でも夏は暑いけど、ここと比べてたら無性に恋しくなっちゃうわ」
『そりゃ多分、建物が密集してるせいなのはあるかもな。後は人口の多さだな』
 丁寧にご教授してくれたデルフの言葉に霊夢はふと周りを見てみる。確かに、彼の言うとおりである。
 煉瓦造りの建物がまるで列に並ぶ巨人の様に街の至る所に建っており、避暑地や涼む場所が限られているのだ。
 それに加えて、狭い大通りを明らかに多すぎる通行人たちが通るせいで通りそのものもちょっとしたサウナと化している。

「何でこうも人と建物が多いのよ、もうちょっと皆離れた場所で暮らしたいとは思わないの?」
 霊夢はわざわざこんなクソ暑いところですし詰めになって暮らしているような人たちの気持ちを理解できず、ついそんな事を言ってしまう。
 幻想郷の人里はこれ程の活気はないものの、その分夏はここと比べれば涼しいし夜は夜風が気持ち良い。
 ましてやそこから離れた場所の博麗神社に住んでる彼女にとって、王都の暑さと人口に納得ができないのである。
 こんな所で暮らしていては頭と体が熱で茹で巫女になってしまうと、半ば冗談ではあるが思っていた。
「私ならこんな所で暮らすくらいなら、多少物騒でも街の外に一軒家でも建てさせてそこで暮らしてやるのに…」
『そこは自分で建てるんじゃなくて、建てさせるのかよ…どこまでいっても厚かましいな』
「まぁそっちの方が霊夢らしいと言えば、霊夢らしいしな」
 どんなに夏の太陽に悩まされようとも、決して忘れないその厚かましさにデルフが呆れて魔理沙も笑う。
 そんな二人と一本へ、ルイズの「あそこに休める所があったわよー」という声が聞こえてきたのはそれからすぐの事であった。

 ルイズが休憩場所として選んだのは、下級貴族や平民向けの居酒屋であった。
 建物の外見と内装共にルイズの太鼓判を得ている分、かなり綺麗でお洒落な造りの場所である。
 お洒落と言ってもいかにも子供向けではなく、酒を嗜み始めた若者でも気軽に入れるような軽くもしっかりとした子洒落た内装。
 天井から回る氷入りの大きなシーリングファンが店内を涼し、外の熱気に中てられた客をもてなしてくれる。
 入って店の右奥にはルーレットギャンブルが行われており、そこから漏れてくるパイプの紫煙が妖しげな雰囲気を放っていた。

 外の暑さから一時的に逃れる為店へと入ったルイズ達であったが、宿探しを一旦中断したワケではなかった。
 涼しい店内に体を癒され、冷たいドリンクと軽食で落ち着いた三人はどこがいーだのあそこにしろだのと話し合っている。
 しかしどんなにルイズか高い宿が良いと言っても、そこへは必ず゙手持ちの金゙という問題が立ちはだかっていた。
 貴族が宿泊するような良い宿ならその分値段も張り、今持っている四百エキューでは夏季休暇の終わりまで宿で過ごせないのだと言い張る。
 一体金貨六百枚が吹き飛ぶような宿とはどんな所なのだろうか。そんな疑問を抱きつつ霊夢と魔理沙は別に安い宿でも良いんじゃないかと妥協案を出す。
 それでも尚首を縦に振らぬ霊夢と魔理沙はここへ来て、改めてルイズが貴族のお嬢様なんだなーと再認識する。
 平民に混じっての情報収集だというのに、高級な宿に泊まるつもりでいる彼女に何を考えているのかと、霊夢は思っていた。

 そんな時であった。頼んでいたアイスチュロスを齧っていた魔理沙が、ルイズの肩越しに見える賭博場を発見したのは。
 店に入った時は気付かなかったものの、ふと鼻腔をくすぐる紫煙の臭いに気が付くと同時に目に入ってきたのである。
 そこでは昼間から酔っぱらった男や、水仕事であろう女が卓を囲ってチップを取ったり取られたりの戦いを繰り広げている。
 彼女の視線が自分を見ていないのに気付いたルイズも思わずそちらの方を見た所で、魔理沙が話しかけてきた。


「なぁルイズ、手持ちの金じゃあ休暇が終わるまで高い宿に泊まれないんだよな?」
「え?そうだけど」
 突然そんな質問をしてきた黒白に少し困惑しつつも答えると、魔理沙は意味ありげな笑みを見せてきた。
 まるで我に必勝の策ありとでも言わんばかりの笑みを見て、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。
 一体何が言いたいのかまだ分からないのだろう、そう察した普通の魔法使いは言葉を続けていく。
「安い宿はダメで、手持ちの金で高い宿に泊まりたい…。そして、あそこには賭博場がある」
 そこまで言ったところで、彼女が何をしようとしているのか気づいたルイズよりも先に、霊夢が声を上げた。

「アンタ、まさかアレ使って荒稼ぎしようっての?」
「正解!」
 丁度自分が言おうとしていた所で先を取られたルイズがハッとした表情で巫女を見ると同時に、
 魔理沙が意味ありげな笑みが得意気なものへと変わり、勢いよく指を鳴らした。
「いやぁ~、これは中々良いアイデアだろうって思ってな、どうかな?」
「う~ん…違うわねェ、バカじゃないのって素直に思ってるわ」
 霊夢のジト目に睨まれ、更に容赦ない言葉を受けつつも魔理沙は尚も笑みを崩さない。
 本人はあれで稼げると思っているのだろうが、世の中それくらい上手ければ賭博で人生潰した人間なぞ存在しない筈である。
 それを理解しているのかいないのか、少なくともその半々であろう魔理沙に流石のルイズも待ったを掛けてきた。

「呆れるわねぇ!賭博っていう勝てる確率が限られてる勝負に、この大事なお金を渡せるワケないじゃない!」
「大丈夫だって。まず最初に使うのは私の金だし、それでうまいこと行き始めたら是非ともこの霧雨魔理沙に投資してくれよな!」
 ルイズの苦言にも一切表情を曇らせる事無くそう言った彼女は席を立つと、金貨の入った袋を手に賭博場へと足を踏み入れた。
 それを止めようかと思ったルイズであったものの、席を立つ直前に言っていた事を思い出して席を立てずにいた。
 確かにあの魔法使いの言うとおりだろう。今の所持金で自分の希望する宿へ泊まるのなら、お金そのものを増やすしかない。
 そしてお金を増やせる一番手っ取り早い方法と言えば、正にあのルーレットギャンブルがある賭博場にしかないだろう。
 頭が回る分魔理沙と同じ考えに至ったルイズは、魔理沙の後ろを姿を苦々しく見つめつつもその体を動かせなかった。


『あれまぁ!ちょっと一休みしてた間に、随分面白い事になってるじゃねーか』 
「デルフ!アンタねぇ、本当こういう厄介な時に出てくるんだから!」
 そんな時であった、霊夢の座る席の横に立てかけていたデルフが二人に向かって話しかけてきたのは。
 店のアルヴィー達が奏でやや明るめの音楽と混じり合うダミ声に顔を顰めつつ、ルイズは一応年長である彼を手に取った。
「話は聞いてたでしょう、アンタもあの黒白に何か一言声を掛けて止めて頂戴よ!」
『えぇ?…そりゃあ俺っちもアイツがバカなことしようとしてるのは何となく分かるがよぉ、元はと言えばお前さんの所為だろう?』
 頼ろうとした矢先でいきなり剣に図星と言う名の心臓を刺されたルイズは思わずウッ…!と呻いてしまう。

 いつもは霊夢や魔理沙に負けず劣らずという正確なのに、ここぞという時で真面目な言葉を返してきてくれる。
 それで何度かお世話になった事があったものの、こうも正面から図星を指摘されると何も言えなくなってしまうのだ。
「まぁそれはそうよね、アンタがタダこねてなきゃあアイツだって乗り気にはならなかっただろうし」
「うむむ…!アンタまでそれを言わないでくれる…っていうか仕方ないじゃない、なんたって私は……ッ」
 公爵家なんだし…と、最後まで言おうとした直前に今自分が言おうとした事を思い出し、慌てて口を止めた。 
 こんな公の場でうっかり自分の正体をばらしてしまうと、平民に紛れての情報収集何て不可能になってしまう。


 そんなルイズを余所に、霊夢はチラッと賭博場のディーラーへ話しかけている魔理沙の背中を一瞥して言葉を続けた。
 相変わらずどこに行っても馴れ馴れしい態度は変わらないが、こういう場所ではむしろ役に立つスキルなのだろう。
 ディーラーの許可を得て次のゲームから参加するであろう普通の魔法使いは、周囲の視線と注目をこれでもかと集めていた。
 本は盗むは箒で空を飛ぶわ性格は厚かましいという三連で、碌な奴ではないと霊夢は常々思っている。
 しかし、霧雨魔理沙唯一の長所は厚かましい性格から来る馴れ馴れしさもあり、時折自分も羨ましいと思う事さえある。
 あれがあるからこそ、霧雨魔理沙と言う人間は自分を含めた多くの人妖と関係を築けたのだから。

 ちゃっかり卓を囲む大人たちと仲良くなろうとしている魔理沙を見つめつつ、霊夢はポツリと呟く
「………まぁでも、アイツなら何とかしてくれるんじゃない?」
「へ?どういう事よそれ」
 唐突な霊夢の言葉にルイズが首を傾げると、巫女は「そのまんまの意味よ」と言ってすかさず言葉を続けた。
「アイツ、幻想郷じゃあ偶に半丁賭博の予想とかやってるから…結構な場数踏んでると思うわよ」
 彼女の言葉にルイズが魔理沙のいる方へ顔を向けたと同時に、ルーレットが再び回り始めた。

 魔理沙はまず自分が持っていた金貨三十枚…二十エキューばかりをチップに換えて貰う。
 金貨とは違い木製の使い古されたチップを手に、空いていた席に腰かけた魔理沙はひとまずは十エキュー分のチップを使ってみる事にした。
 ルーレットには計三十七個の赤と黒のポケットがあり、彼女と同じように他の男女がチップを張っている。
 ひとまずは運試し…という事で、魔理沙も一番勝っているであろう客と同じポケットに自分のチップを張ってみる。
 張ったのは黒いポケット。奇遇にも自分のパーソナルカラーのポケットに、魔理沙は少しうれしい気分になる。
「ん?おいおい何だ、没落貴族みたいな格好したお嬢ちゃんまで参加すんのかい?」
 先に黒の十七へチップを張っていた五十代の男は、新しく入ってきた彼女を見ながらそんな事を言ってきた。
 良く見れば魔理沙だけではなく、何人かの客――勝っている男に次いでチップの多い者たちは皆黒の方へとチップを張っている。

「へへッ!ちょいとした用事で金が必要になってな、まぁ程々に稼がせて貰うよ」
 この賭博場に相応しくない眩しい笑顔を見せる魔理沙がそう答えると、他の所へ入れていた客も黒のポケットへ張り始める。
 とはいってもチップの一枚二枚程度であり、自分が本命だと思っている赤のポケットや数字にもしっかりとチップを入れていた。
「困るなぁ!みんな俺の後ろについてきたら、シューターがボールを変えちまうじゃないか」
 悪びれぬ魔理沙と追随する他の客達に男が肩をすくめた直後、白い小さな木製の玉を手にしたシューターがルーレットを回し始めた。 
 瞬間、周りにいた客たちは皆そとらの方を凝視し、一足遅れて魔理沙もそちらへ目を向けた所で、いよいよボールが入れられる。
 一周…二周…とボールがカラカラ音を立ててルーレットのホイールを走り、いよいよ三週目…というところでポケットの中へと転がり込んだ。

 ほんの数秒沈黙が支配した直後、男女の歓声と溜め息を交互に賭博場から響き渡ってくる。
 思わずルイズと霊夢も腰をほんの少し上げてそちらの方を見てみるが、どこのポケットにボールが入ったかまでは分からない。
 魔理沙の賭博を呆れたと一蹴していたルイズも流石に気になり、頭を左右に動かしながら魔理沙の様子を見ようとしていた。
「こっちは上手く見えないわね……って、あ!あのピースしてるのってもしかして…」
「もしかしてもなくてアイツね。まぁあんなに嬉しそうにしてるんだから結果は言わずともって奴ね」
 しかし、我に勝機ありと自分のお金で賭博に挑んだ魔理沙が嬉しそうに自分たちへピースを向けている分、一応は勝ったらしい。
 少し背中を後ろへ傾けるような形で身をのり出し、自分たちへピースしている彼女は「してやったり!」と言いたげである。

 シューターのボールが入ったのは、黒いポケットの十四番。
 魔理沙と黒に本命を張っていた客たちには、賭けていたチップの二倍が手元へ帰ってくる。
 十エキュー分だけ出していた魔理沙の元へ、二十エキュー分のチップが返ってきた。

「おぉ~おぉ~…お帰り私のチップちゃん、私が見ぬ間に随分と増えたじゃないか!」
「ぶっ!我が子って…」
 まるでおつかいから帰ってきた我が子の頭を撫でる母親の様にチップを出迎える魔理沙に、勝ち馬の男は思わず吹き出してしまう。
 この賭場のある店へ通い続けて数年、ここで破産する奴や大金を手にする者たちをこの目で何人も見てきている。
 しかし、突然入ってきた没落貴族の様な姿をした彼女もみたいな客は初めて目にするタイプの人間であった。
 見ればここに他の客たちも何人かクスクスと笑っており、堅物で有名なシューターも苦笑いしている。
「まぁ大事なチップってのは俺たちも同じだが、次は別のポケットを狙った方がいいぞ。ここのシューターは厳しいぜ?」
「言われなくてもそうするぜ」
 笑いを堪える男からの忠告に魔理沙も笑顔で返すと、チップを数枚赤のポケットへと置いてみる。
 それを合図に他の客たちも黒と赤のポケット、そして三十七もある数字の中から好きなのを選んでチップを置き始めた。


 魔理沙が賭博場に入ってから二十分間は、正にチップを奪い奪われの攻防戦が続いた。
 客たちも皆負けてたまるかとチップを出し惜しみ、慣れていない者たちは早々に大負けしてテーブルから離れていく。
 一発で大勝利を掴んでやると言う愚か者は大抵数回で敗退し、大分前からテーブルを囲んでいた客たちはちびちびとチップを張っている。
 魔理沙もその一人であり、すっかりここでのルールを把握した彼女も今は勝負に打って出ず慎重にチップを稼いでいた。
 シューターも客たちのチップがどのポケットに集中的に置かれているのか把握し、時折替えのボールに変えて挑戦者たちを惑わそうとする。
 ボールが変われば安定して入るポケットも変わり、その都度客たちは他の客のチップを使わせて入りやすいポケットを探っていた。

 そんなこんなで一進一退の攻防を続けていくうちに、魔理沙のチップは七十五エキュー分にまで増えている。
 周りの客たちも、一見すればまだ子供にも見えなくない彼女の活躍に目を見張り、警戒していた。
 彼らの視線を浴びつつも、黒の十六へと三十エキュー分のチップを置いた黒白の背中へルイズの歓声がぶつかってくる。
「す、すごいじゃないのアンタ!まさかここまで勝ってるなんて…!」
「だから言ったじゃない、コイツはこういうのに慣れてるのよ」
 最初こそテーブル席から大人しく見ていたものの、やがて魔理沙が順調にチップを増やしている事に気が付いたのか、
 今は彼女のそばについて手元に山の様に置かれたチップへと鳶色の輝く視線を向けていた。
 ついでに言えば、霊夢も興味が湧いてきて仕方なしにデルフを片手にルイズの傍で魔理沙の賭けっぷりを眺めている。
「へへ…だから言ったろ?大丈夫だって。こう見えても、伊達に賭博の世界に足を突っ込んでないからな」
 彼女からの褒め言葉に魔理沙は右腕だけで小さなガッツポーズをすると、あまり自慢できない様な事を自慢して見せた。

 客たちが次々とチップを色んなポケットへと置いていくのを見つめつつ、ふと魔理沙はルイズに声を掛けた。
「あ、そうだ…何ならルイズもやってみるか?」
「え?――――あ、アタシが…?」
 一瞬何を言ったのかわからなかったルイズは数秒置いてから、突然の招待に目を丸くして驚いた。
 思わず呆然としているルイズに魔理沙は「あぁいいぜ!」と頷いて空いていた隣の席をバッと指さして見せる。
 さっきまでそこに座っていた男は持ってきていた貯金を全て失い、途方にくれつつ店を後にしていた。
 そんな負け組の一人が座っていた椅子へ恐る恐る腰掛けたルイズは、シューターからチップはどれくらいにするかといきなり聞かれる。
 座って数秒もせぬうちにそんな事を聞かれて戸惑ってしまうが、よく見ると既に他の客たちはチップを置き終えていた。


「おいおい!今度はまた随分と可愛らしい挑戦者じゃないか。お前さんの知り合いかい?」
「まぁな、ちょいとここへ足を運んできたときに知り合って今は一緒にいるんだ。ちなみに、そいつの後ろにいるのも私の知り合いだ」
 勝ち馬男は頼んでいたクラッカーを片手に魔理沙と親しげに話しており、彼女も笑顔を浮かべて付き合っている。
 ついさっき知り合ったばかりだというのに、彼女は既に周囲の空気に馴染みつつあった。
 その様子を不思議そうに見つめているとふと周りの客たちが自分をじっと見つめている事に気が付く。

 どうやら魔理沙を含め、いまテーブルを囲っている人たちは急に参加してきた自分を待っているようだ。
 これはいけない。謎の焦燥感に駆られたルイズはとりあえず手持ちの現金の内三十エキュー分を、チップに変えて貰う事にした。
 どっしりと幸せな重量感を持つハルケギニアの共通通貨として名高いエキュー金貨が、シューターの手に渡る。
 そして息をつくひまもなく、そのエキュー金貨が全て木製の古いチップとなって自分の手元へ帰ってきた。
 金貨とはまた別の重みを感じるそのチップを貰ったのはいいが、次にどのポケットへ置くか悩んでしまう。
 何せ計三十七個の番号を含め黒と赤のポケットまであるのだ、ギャンブルに慣れていない彼女はどこへ置けばいいのか迷うのは必然と言えた。


「ひ、ひとまずさっき魔理沙がいれてたポケットへ…」
 周りからの視線に若干慌てつつも、ルイズは手持ちのチップをごっそり黒色のポケットへ置こうとした直後――――
 いつの間にか賭博場へと足を運んでいた霊夢が彼女の肩を掴んで、制止してきたのである。
「ちょい待ち、アンタ一回目にして盛大に自爆するつもり?」
 突然自分を止めてきた彼女に若干驚きつつ、一体何用かと聞こうとするよりも先に彼女がそんな事を言ってきた。
 ルイズはいきなりそんな事を言われて怒るよりも先に、霊夢が矢継ぎ早に話を続けていく。
「あんたねぇ…折角あれだけの金貨を払ったっていうのに、それ全部黒に入れて外れたらパーになってたわよ」
「えぇ?そんな事はないでしょうに、だって番号はともかく…黒と赤なら確率は二分の一だし、それに当たったら―――ムギュ…ッ!」
 彼女の言葉に言い訳をしようとしたルイズであったが、何時ぞやのキュルケの時みたいに人差し指で鼻を押されて黙らされてしまう。
 霊夢はそんなルイズの顔を睨み付けながら、宿題を忘れた生徒を叱り付ける教師の様に彼女へキツイ一言を送った。

「そんなんで楽に勝てるのなら、世の中大富豪だらけになってても可笑しくないわよ。ったく…」
 指一本で黙った彼女に向かってそう言うと空いていたルイズの左隣の席に腰かけ、右手に持っていたデルフをテーブルへと立てかけた。
 清楚な身なりの少女には似合わないその剣を見て、何人かの客が興味深そうにデルフを見つめている。
 しかしここでインテリジェンスソードという自分の正体バラしたら厄介と知ってるのか、それともただ単に寝ているだけなのか、
 先ほどまで結構賑やかであったデルフは、まるで爆睡しているかのように無口であった。
 ひとまず人差し指の圧迫から解放された鼻頭を摩りながら、ルイズは自分の横に座った霊夢に怪訝な表情を向けた。
「…レイムまでなにしてんのよ」
「もうすぐ日暮れよ?魔理沙みたいにチマチマ張ってたら真夜中まで続いちゃうじゃないの」
 彼女の言葉にルイズは懐に入れていた懐中時計を確認すると時刻は15時40分。確かに彼女の言うとおり、もうすぐ日が傾き始める時間だ。
 夏のトリステインは16時には太陽が西へと沈み始め、18時半には双月が空へと上って夜になってしまう。
 その時間帯にもなればどの宿も満室になってしまうし、そうなればお金を稼いでも野宿は免れない事になる。

「うそ…こんなに過ぎてるなんて…」
「だから私が手っ取り早く稼いで、早く良い宿でも取りに行きましょう。お腹も減ったし、そろそろお茶も飲みたくなってきたわ」
 時刻を確認し、もうこんなに経っていたのかと焦るルイズを余所に霊夢は腰の袋から金貨を取り出した。
 出した額は五十エキュー。少女の小さな両手に乗っかる金貨の量に、客たちは皆自然と目を奪われてしまう。
 シューターもシューターで、まるで地面の雑草を引っこ抜くかのように差し出してきた金貨に、思わず手が止まっている。
「何してるのよ?早く全部チップに換えてちょうだい。こっちは早いとこ終わらせたいんだから」
「え?あ、あぁこれはどうも…失礼を…」
 ジッと睨み付けてくる霊夢からの最速にシューターは慌てて我に返ると、その金貨を受け取った。
 五十エキュー分の金貨はとても重く、これだけで自分の家族が一週間裕福に暮らせる金貨がある。
 思わず顔が綻んでしまうのを抑えつつ、受け取った金貨を専用の金庫に入れてから、その金額分のチップを霊夢に渡した。

 年季の入った五十エキュー分のソレを受け取り自分の手元に置いた霊夢へ、今度は魔理沙が話しかける。
「おーおー、散々人の事バカとか言っておいてお前さんまでそのバカの仲間に加わるとはな」
「言い忘れてたけど、バカってのは真っ先に賭博場へ突っ込んでいったアンタの事よ?私とルイズはその中に入らないわ。…さ、回して頂戴」
 得意気な顔を見せる黒白をスッパリと斬り捨てつつ、霊夢はチップを張らぬままシューターへギャンブルの再開を促した。
 勝手に仕切ろうとする霊夢に周りの客たちは怒るよりも先に困惑し、シューターは彼女からの促しに答えてルーレットを回し始める。
「あっ…ちょっ…もう!」
 霊夢に止められ、チップを張る機会を無くしてしまったルイズが彼女を睨みつけようとした直前―――――気付いた。
 ホイールを走る白いボールを見つめる霊夢の目は、魔理沙や他の客たちとは違ゔ何か゛を見つめている事に。
 客達や魔理沙は皆ポケットとボールを交互に見つめて、どの色と数字のポケットへ入るか見守っている。
 だが霊夢の目はホイールを走る白いボールだけを見つめており、ポケットや数字など全く眼中にない。
 まるで海中を泳ぐアザラシに狙いを定めた鯱の如く、彼女の赤みがかった黒い瞳はボールだけを追っていた。

 表情も変わっている。見た目こそは変わっていないが、何かが変わっているのにも気が付いた。
 一見すればそれはこの賭博へ参加する前の気だるげな表情だが、その外面に隠している気配は全く違う。
 ルイズにはまだそれが何なのか分からなかったが、ボールを追う目の色からして何かを考えているのは明らかである。
「レイ…」
 参加した途端に空気を変えた彼女へ声を掛けようとしたとき、大きな歓声が耳に入ってきた。
 何だと思って振り向いてみると、どうやら赤の三十五番ポケットへボールが入ったらしい。
 番号へ本命を張っていた者はいないようだが、魔理沙を含め赤に張っていた者達が嬉しそうな声を上げている。
 シューターが彼女の張っていた三十エキューの二倍…六十エキュー分のチップを配った所で、魔理沙はすっと右手を上げた。
「ストップ、ここで上がらせて貰うよ。チップを換金してくれ」
「おぉ、何だ嬢ちゃんもう上がるのか。勝負はこれらだっていうのに、もしかしてビビったのかい?」
「私の知り合いが言ってたように今夜は宿を取らないといけないしな。何事も程々が肝心だぜ」
 彼女と同じ赤へ張っていて、チップを待っている勝ち馬男が一足先に抜けようとする魔理沙へ挑発の様な言葉を投げかける。
 しかし、賭博の経験がある魔理沙はそれに軽い返事をしつつ近づいてきたウエイトレスに今まで稼いだチップ――約105エキュー分を渡す。
 どうやら換金は彼女の担当らしい。その両手には小さくも重そうな錠前付きの鉄箱を持っており、脇には金貨を乗せるためのトレイを抱えている。
 彼女はチップを手早く数えると持ってきていた鉄箱を開けて、これまで見事な手つきで中に入っていた金貨をトレイの上に乗せていく。
「アンタもう抜けちゃうの?あんだけ勝ってたのに」 
 そんな魔理沙へ次に声を掛けたのは、彼女と交代するように入ってきたルイズであった。
 思わぬ稼ぎ手となっていた黒白が一抜けたことを意外だと思っているのか、すこし信じられないと言いたげな表情を浮かべている。


「まぁもうちょい張ればと言われればそうするがな、何せ霊夢のヤツが出てきたらなぁ…」
 換金を待つ魔理沙のその言葉に、ルイズを含め周囲の客たちがチラリとモノクロな乱入者を一瞥する。
 一見すれば黒のロングスカートに白いブラウスという、そこそこ良い暮らしをしている平民の出で立ちという今の霊夢。
 髪と肌の色、そして聞き慣れぬ名前を除けばそこまで珍しくない姿であったが、あまりギャンブルとは縁が無さそうに見えてしまう。
 しかし…ギャンブルのギの字も知らずにいきなり大損しかけたルイズを制止したり、かと思いきや参加するや否や場の主導権をあっという間に奪ってしまっている。
 何よりも、その眼光から漂う雰囲気はある程度娯楽として楽しんでいた魔理沙とは全く違う真剣な意気込みが感じられた。
 まるで獲物に狙いを定めた狩人の様に、誰よりも真剣にこのギャンブルを挑むつもりでいるのだ。

「何よ、私の顔に何かついてるの?」
 周囲から浴びせかけられる視線に霊夢が鬱陶しそうに言うと、さっと皆が目を逸らす。
 彼女に慣れているルイズだけは「アンタは相変わらずね…」と苦笑いし、魔理沙はカラカラと笑って見せた。
 そうこうしている内に換金が済んだのか、魔理沙の横にいたウエイトレスが「お待たせしました」と声を掛けて彼女の前にトレイを差し出す。
 手元にあった全チップ。百五エキュー分の金貨がぎっしり積まれた純銀のトレイを前に、客たちは皆喜色の唸り声を上げる。
 無論この金貨が自分たちのものではないという事は知っていたが、どうしてもその顔に笑みが浮かんでしまうのだ。
 次こそは自分たちが、あのトレイの上に盛られた金貨を献上される番になると想像して。

 ルイズと霊夢はその中に入っていなかったものの、二人ともそれぞれ違う反応を見せていた。
 一足先に降りた魔理沙に誘われたルイズは、こんな通りの店ではお目に掛かれない様な金貨の山を見て目を丸くしている。
「うわっ、あの二十エキューが一こんなに…」
「これも上手な引き際を心得ていたからこその結果さ。下手なヤツはここでもう一勝負して瓦解するんだぜ?」
 素直に驚いてくれている彼女へ一丁前な事を言いつつ、魔理沙はトレイの上の金貨を袋の中へ入れていく。
 金貨同士が擦れ合う音、手の中に山盛りの金貨と膨らんでいくと同時に重くなっていく袋。
 そのどれもが幸せだと思えてくるほど、今の魔理沙はとっても清々しい気分でギャンブルと言う戦場から離脱した。
 後に残っているのは他の客たちと、素人同然のルイズと油断ならぬ雰囲気を周囲へと霊夢に――実質的な敵であるシューター。

 客たちの視線がまだ魔理沙の腰の袋を向いているのに気づき、シューターが気を取り直すかのように軽い咳払いをする。
 それで我に返る事ができた者たちの中には、今度は自分が第二の彼女となる為に大勝負に打って出ようとするもの。
 敢えて場の雰囲気に流されず赤と黒どちらかに少数のチップを張る者、そしてそろそろ退くべきかと思案する者達がいた。
 数字と二色のポケットにチップが置かれていく中、ルイズもまた数枚のチップを右手に何処へ置くべきかと考えている。
 ポケットは三十七までの番号と黒と赤の計三十九。色へ張れば二倍、数字へ張って当たりさえすれば三十五倍のチップが返ってくる。
 魔理沙の様に慎重かつ大胆に責めるのなら断然赤と黒どちらかだろうが、一気に勝負を決めるのなら数字を狙うべきだろう。
 ただし確率は三十七分の一。他の客たちも大当たりには期待していないのか数字には一、二枚程度しか置いていない。

(大丈夫、大丈夫よルイズ…魔理沙のようにチョビチョビ張っていけば…大負けすることは無い…筈)
 魔理沙の勝負を見ていたルイズもここは敢えて勝負には打って出ず、二色のどちらかに賭けようとしていた。
 宿を取る為に時間は限られているが、他の客たち…特に勝っている者たちと同じ色に張っていけば負ける事は無いはずである。
 ついさっきまでギャンブルを「呆れた事」と斬り捨てていたルイズは、今や完全に賭博で勝つ為に集中していた。
 ――――だからであろうか、ポケットを見るのに夢中で霊夢に一切注意を払い忘れていた事に気が付かなかったのは。

「何迷ってるのよ?時間が無いって言ってるでしょうに」

 ポケットと睨めっこするルイズに呆れるかのような言葉を投げかけて来た直後、左隣からチップの山が目の前を通過していくのに気が付いた。
 それは彼女が手元に置いていた残り二十五エキュー分のチップの山をも巻き込み、数字のポケットがある場所へと進んでいく。
「は…?」
 ルイズは目の前の光景が現実と受け入れるのに数秒の時間を要し、そしてそれが致命傷となってしまう。
 周りの客達やシューターもただただ唖然とした表情で、夥しい数のチップを見て絶句する他なかった。
 自分のチップの山ごと、ルイズのチップを数字のポケットへと置いた霊夢はふぅっ…と一息ついてから、シューターへ話しかけた
「ホラ、さっさと回して頂戴。時間が無いんだから」
「え?――――…あ、あ…はい!」
 彼女からの催促にシューターはルイズと同様数秒反応が遅れ、次いで慌ててルーレットを回し始める。
 霊夢へ視線を向けていた客たちも慌てて回り出すルーレットへと戻した直後、ルイズの口から悲鳴が迸った。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ッ!!あ、あああああああああんた何をぉッ!?」
 その悲鳴は正に地獄へと落ちる魔女の断末魔の如き、自らの終わりを確信してしまった時のような叫び。
 頭を抱えながら真横で叫んだルイズに霊夢は耳を塞ぎながらも「うるさいわねぇ」と愚痴を漏らしている。
「すぐ近くで叫ばないで欲しいわね。こっちの鼓膜がどうにかなっちゃいそうだわ」
「アンタの鼓膜なんかどうでもいいわよッ!…っていうか、一体なにしてくれるのよ?コレ!」
 元凶であるにも関わらず自分よりも暢気でいる彼女を睨み付けつつ、ルーレットを指さしながらルイズは尚も叫んだ。
 魔理沙がついさっき丁寧にやり方を見せてくれたというのに、この巫女さんはそれを無視して無謀な勝負に出たのである。
 それに、まだ赤と黒のどちらかで大勝負していたなら分かるが、よりにもよって数字のポケットへと全力投球したのだ。

 当たる確率は三十七分の一。それ以上も以下も無い、大枚張るには無謀なポケット達。
 魔理沙の勝っていく様子を後ろから見て、やらかした霊夢の制止を無駄にせぬよう慎重に勝とうとした矢先にこれである。
 彼女と自分のチップ、合わせて七十五エキュー分のチップはもはやシューターの手によって回収されるのは、火を見るより明らかであった。
 ボールは既にホイールを回るのをやめ、数あるポケットのどれか一つに入ろうとしている音がルイズの耳に否応なく入ってくる。
「なっんてことしてくれるのよアンタはぁ!?私の大切な三十エキューが丸ごとなく無くなっちゃったじゃないの!」
 今にも目をひん剥かんばかりの勢いで耳をふさぎ続ける霊夢へ詰め寄るルイズの耳へ、あの白いボールがポケットへ入る音が聞こえてくる。
 もはや後戻りすることは出来ず、何も出来ぬまま一気に七十五エキューも失ってしまったのだ。
 一体この怒りはどこへぶつけるべきか、目の前の巫女さんへぶつけてみるか?そう思った彼女の肩を右隣から掴んできた者がいた。

 誰なのかとそちらへ顔を向ける前に、肩を掴んできた魔理沙が霊夢へと詰め寄るルイズを何とか宥めようとする。
「まぁまぁ落着けってルイズ、何はともあれ勝ったんだから一件落着だろ?」
「な、なな何ががッ!一件落着です…―――――……って?……あれ?」
 この黒白まで自分の敵か、そう思ったルイズは軽く激昂しつつ彼女へ掴みかかろうとした直前――――周囲の異変に気が付く。
 静かだ、静かすぎる。まるで周りの時間が止まってしまったかのように、ルーレットの周囲にいる者達が微動だにしていない。
 客達やシューターは皆信じられないと今にも叫びそうな表情を浮かべて、先ほどまで回っていたルーレットを凝視していた。
 ふと魔理沙の方を見てみると、彼女はまるでこうなる事を予想していたかのような笑みを浮かべており、右手の人差し指がルーレットの方へと向けられている。
「ボールがどのポケットに入ったか見てみな?霊夢の奴が私以上の化け物だって事がわかるぜ」
 彼女の言葉にルイズは思わず口の中に溜まっていた唾を飲み込んでから、ゆっくりと後ろを振り返った。



 …確認してから数秒は、ルイズも他の者達同様何が起こったのか理解できずその体が停止してしまう。
 何故なら彼女の鳶色の瞳が見つめる先にあったのは、三十七分の一の奇跡が起こった事の動かぬ証拠そのものであったからだ。

 そんな彼女たちを観察しながらニヤニヤしている魔理沙は、勝負を終えて一息ついていた霊夢へ茶々を飛ばしている。
「それにしても、賭博での勘の冴えようは相も変わらずえげつないよなお前さんは?」
「アンタがちゃっちゃっと大金稼いでくれてたら、こんな事せずに済んだのよ」
 それに対し霊夢はさも面倒くさそうに返事をしつつ、ルーレットのボールが入ったポケットをじっと見つめていた。

 彼女の目が見つめているポケットは、先ほどのゲームでボールが入った赤の三十五番。
 三十五……巫女である霊夢を待っていたかのように、年季の入った白いボールが入っていた。
 これで七十五エキューの三十五倍――――二千六百二十五エキューが、ルイズと霊夢の手元へと一気に入ってきたのである。




 ――――――自分は一体、本当に何者なんだろうか?
 ここ最近は脳裏にそんな疑問が浮かんできては、毎度の如く私の心へ不安という名の陰りを落としてくる。
 何処で生まれ、育ったのか?どんな生き方をしてきたのか?記憶を失う前はどれだけの知り合いがいたのか?
 記憶喪失であるらしい私にはそれが思い出せず、私と言う人間を得体の知れない存在へと変えている。
 カトレアは言っていた。ゆっくり、時間を掛けていけば自ずと思い出せる筈よ…と。
 彼女は優しい人だ。私やニナの様な自分が誰なのか忘れてしまった人でも笑顔で手を差し伸べてくれる。
 周りにいる人たちも皆…多少の差異はあれど皆彼女に影響されていると思ってしまう程優しく、親切だ。
 そんな彼女の元にいれば、時間は掛かるだろうがきっと自分が誰なのか思い出すことも可能なのかもしれない。

 だけど、ひょっとすると…自分にはその゙時間゙すらないのではないか?
 何故かは知らないが、最近―――多くの人たちが暮らす大きな街、トリスタニアへ来てからはそう思うようになっていた。


 王都トリスタニアは、トリステイン王国の中でも随一の観光名所としても有名な街だ。
 街のど真ん中に建つ王宮や煌びやかな公園に、幾つもの名作が公開されたタニアリージュ座は国内外問わず多くの事が足を運ぶ。
 無論飲食方面においてもぬかりは無く、外国から観光に来る貴族の舌を唸らせる程の三ツ星レストランが幾つもある。
 店のシェフたちは日々己の腕を磨き、いつか王家お墨付きの店になる事を夢見て競い合っている。 
 平民向けのレストランも当たり外れはあれど他国と比べれば所謂「アタリ」が多く、外れの店はすぐに淘汰されてしまう。
 外国で売られているトリスタニアのガイドブックにも「王都で安くて美味しいモノを食べたければ、平民が多く出入りする店へ行け」と書かれている程だ。
 それ程までにトリステインでは貴族も平民も皆食通と呼ばれる程までに、舌が肥えているのだ。
 無論飲食だけではなく、ブルドンネ街の大通りにある市場では国中から集められた様々な品が売りに出されている。

 先の戦で当分は味わえないと言われてプレミア価格になったタルブ産のワイン、冷凍輸送されてきたドーヴィル産のお化け海老。
 シュルピスからは地元の農場から送られてきた林檎とモンモランシー領のポテトは箱単位で売っている店もある。
 他にもマジックアイテムやボーションなどの作成に必要な道具や素材なども売られ、貴族たちもこの市場へと足を運んでいた。
 他の国々でもこういう場所はあるのだが、トリスタニアほどの満ち溢れるほどの活気は見たことが無いのである。
 ガリアのリュティスやゲルマニアのヴィンドボナなどの市場は道が長く幅もある為に、ここの様な密集状態は中々起こらないのだ。
 だからここへ足を運ぶ観光客は怖いモノ見たさな感覚で、ちょっとしたカオスに満ちた市場へ足を運ぶ事が多い。

 そんな市場の中、丁度真ん中に差しかかった太陽が容赦なく地上を照りつけていても多くの人が出入りしていく。
 老若男女、国内外の貴族も平民も関係なく色んな人たちが活気ある市場を眺めながら歩き続け、時には気になった商品を売る屋台の前で止まる者もいる。
 その中にたった一人―――外見からして相当に目立っているハクレイも、人ごみに混じって市場の中へと入ろうとしていた。
 周りにいる人たちよりも頭一つ大きい彼女は、自分の間を縫うように歩く人々の数に驚いていた。
「凄いわね…。こんなに人がたくさんいるなんて」
 彼女は物珍しいモノを見るかのような目で貴族や平民、そして彼らが屯する屋台などを見ながら足を進めている。
 そして、ここでば物珍しい゙姿をした彼女もまた、すれ違う人々からの視線を浴びていた。

 市場では物珍しい品や日用品がズラリと並び、あちらこちらで客を呼ぶ威勢の良い掛け声が聞こえてくる。
 どこかの屋台で焼いているであろう肉や魚が火で炙られる音に、香ばしい食欲を誘う匂いが人ごみの中を通っていく。
 ふと右の方へ視線を向ければ、串に刺して焼いた牛肉を売っている屋台があり、下級貴族や平民たちがその横で美味しそうな肉に齧り付いている。
 屋台の持ち主であろう人生半ばと思える男性は、仲間から肉を刺した串を貰いそれを鉄板の上で丁寧に焼いているのが見えた。
「わぁ……――っと、とと!いけないけない…」
 油代わりに使っているであろうバターと塩コショウの匂いが鼻腔に入り込み、思わず口の端から涎が出そうになるのをなんとか堪える。
 こんな講習の面前で涎なんか垂らしてたら、頭が可笑しいと笑われていたに違いない。

 その時になってハクレイは思い出した。今日は朝食以降、何も口にしていなかったのを。
 懐中時計何て洒落たものは持っていないが、太陽の傾き具合で今が正午だという事は何となくだが理解していた。
 自分が誰なのかは忘れてしまったが、そんなどうでもいい事は忘れていなかった事に彼女はどう反応すればいいか分からない。
 ともあれ、今がお昼時ならばカトレアがいる場所へ戻った方がいいかと思った時…ハクレイはまた思い出す。
 それは自分の失った記憶ではなく今朝の事、ニナと遊んでいたカトレアが言っていた事であった。
「そういえば…お昼はニナの事を調べもらうとかで、役所っていう場所に行ってるんだっけか…?」
 周囲の通行人たちにぶつからないよう注意しつつ歩きながら、ハクレイは再確認するかのように一人呟く。
 空から大地を燦々と照りつける太陽の熱気をその肌で感じつつ、何処かに涼める場所を探す為に市場を後にした。



 ―――カトレア一行が一応戦争に巻き込まれたゴンドアから馬車で離れ、王都へ来てからもうすぐ一月が経とうとしている。
 タルブを旅行中にアルビオンとの戦いに巻き込まれ、地下へと隠れ、王軍に救出されてゴンドアまで運ばれたカトレア。
 しかし彼女としては誰かに迷惑を掛けたくなかったのか、程々に休んだあとで従者とニナを連れて馬車で町を後にしたのである。
 ハクレイは救出された時にはいなかったものの、何処で話を聞いてきたのかカトレアが休んでいた宿へフラリとやってきたのだ。

 謎の光によりアルビオンの艦隊が全滅して三日も経っていない頃の夜、あの日は雨が降っていた。
 艦隊を焼き尽くした火は粗方鎮火し終えていたものの、この天からの恵みによって完全に消し止める事ができた。
 そのおかげでタルブ村や村の名物であるブドウ畑が焼失せずに済んだというのは、トリスタニアへついてから聞く事となる。
 軍の接収した宿で御付の従者に見守られながらベッドで横になっていた彼女の元へ、ずぶ濡れの巫女さんが戻ってきてくれた。
 自分の為にあの恐ろしい怪物たちと真っ向から戦い、行方知れずとなっていたハクレイの帰還に彼女は無言の抱擁で迎えてあげた。
「おかえりなさい。今まで何処にいたのよ?こんなにも外が土砂降りだっていうのに…」
「ごめんなさい。このまま消えるかどうか迷った挙句…気づいたらアンタの事を探してたわ」
 こんなにも儚い自分の事を思って、助けてくれた事に感謝しているカトレアの言葉に彼女は素っ気なく答えた。

 その後、ニナからも熱い抱擁ついでのタックルを喰らいつつもハクレイは彼女の元へと戻ってきた。 
 御付の従者たちや自分と一緒にカトレアの薬を取に行って、無事に届けてくれた護衛の貴族達からは大層な褒め言葉さえもらった。
「お前さん無事だったのか?あんな化け物連中と戦ったっていうのに、大したモノだよ」
「百年一度の英雄ってのはお前さんの事か?とにかく、本当に助かったよ。ありがとな」
「カトレア様がこうして無事なのも、全てはお前さのお蔭だな。感謝する」
 十分な経験を積み、 護衛としてそこそこの実力を得た彼らからの感謝にハクレイは当初オロオロするしかなかった。
 何せ彼らの魔法もあの怪物達には十分効いていたし、実質的にカトレアを助けたのは彼らだと思っていたからである。

 なにはともあれ、思わぬ歓迎を受けてから暫くしてカトレアたちは前述のとおり静かにゴンドアの町を後にした。
 町にはアンリエッタ王女が自ら軍を率いてやって来てはいたが、業務の妨げになると思って挨拶はしないことにしていた。
 屋敷へ泊めてくれたアストン伯にお礼の手紙をしたためた後、足止めを喰らっていた王都行きの駅馬車を借りて彼女らは町を出た。
 本当なら直接顔を合わせて礼を言うべきなのだろうが、彼もまたアンリエッタと同じく戦の後の処理に追われていたため敢えて邪魔しないという事にしたのである。
 無論機会があればまたタルブへと赴いて、きちんとお礼をするつもりだとカトレアは言っていた。
 幸い町と外を隔てるゲートを見張っていた兵士たちも連日の仕事で慌ただしくなっていたのか、馬車の中を確認もせずに通してくれた。


 そうして騒がしい町から離れた一行は、ひとまずはもっと騒がしい王都で一時休憩する事となる。
 王都から次の目的地でありカトレアの実家があるラ・ヴァリエールと言う領地までは最低でも二日はかかるという距離。 
 カトレアの体調も考えて夏の暑さが引くまでは王都の宿泊できる施設で夏を過ごした後にヴァリエール領へと戻るという事になった。
 その間従者や護衛の者たちも一時の夏季休暇を味わい、カトレアはタルブ村へ行く途中に預かったニナの身元を調べて貰っている。
 そしてハクレイはというと、特にしたい事やりたい事が思い浮かばずこうして王都の中をふらふらと歩き回る日が続いていた。

「みんなは良いわよねぇ。私は自分の事が気になって気になって…何もできないっていうのに」
 大きな噴水がシンボルマークとなっている王都の中央広場。トリスタニアの中では最も有名に集合場所として知られている。
 その広場の周囲に設置されたベンチに座っているハクレイは、自分の内心を誰にも言えぬが故の自己嫌悪に陥っていた。
 ここ最近は、カトレアの従者が用意していだ別荘゙の中に引きこもっていたのを見かねたカトレアに外へ出るよう言われたのである。
 無論彼女は善意で勧めているのは分かってはいるが、それでも今は騒音の少ない場所でずっと考えたい気分であった。

「とはいえ、お小遣いとかなんやでお金まで貰っちゃったし…ちょっとでも使わないと失礼よね?」
 ハクレイはため息をつきつつも、腰にぶら下げている小さめのサイドパックを一瞥しつつ呟く。
 茶色い革のパックにはカトレアが「王都の美味しいモノを食べれば元気になるわ」と言って渡してくれたお金が入っている。
 枚数までは数えていないが、中に納まっている金貨の額は八十エキューだと彼女は渡す時に言っていた。
 その事を思い出しつつ改めてそのサイドパックを手に持つと、留め具であるボタンを外して蓋を開ける。
 パックの中には眩しい程に金色の輝きを放つ新金貨がずっしりと入っており、ハクレイは思わず目をそらしてしまう。
「このお金なら美味しいモノも沢山食べれるって言ってたけど、何だか無下に使うのはダメなような気が…」
 そう言いつつ、ハクレイはこれを湯水のごとく消費してしまうのに多少躊躇ってはいた。
 これは消費すべき通貨なのだと理解はしていたが、比較的製造されたばかりの新金貨は芸術品かと見紛うばかりに輝いている。

 試しに一枚取り出しじーっと見つめてみるが、その輝きっぷりはまるで小さな太陽が目の前にあるかのようだ。
 再び目を背けながら手に持っていた一枚をパックの中に戻してから、ハクレイはこれからどうするか悩んではいた。

 時間は既に昼食時へと入っており中央広場にいても周囲の民家や飲食店、それから屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。
 それらは全て彼女の鳴りを潜めていた食欲に火をつけて、瞬く間に脳の中にまで入っていく。
 八十エキューもあれば、ちゃんと節制すれば平民のカップルは三日間遊んで暮らせるほどである。
 そんな大金を腰のパックに入れたハクレイは、何か食べないと…と思いつつ本当にこの金貨を使って良いモノかとまだ思っていた。

「そりゃあカトレアの言うとおり何処かで食べてくれば良いんだけど、一体どこを選べばいいのやら………ん?」
 一人呟きながらどこかに自分の興味を惹くような店は無いかと探している最中、ふと広場の中央に造られた噴水へと視線が向く。 
 百合の花が植えられた花園の真ん中にある大きな水かめから水が噴き出し、それが花園の周りに小さな池を作っている。
 ハクレイはその噴水から造られた池に映っている自分の顔を見て、自分の頭の中に残っている悩みの種が首をもたげてきた。
 腰まで届く長い黒髪に、やや黄色みがある白い肌。そして黒みがかった赤い目はハルケギニアでき相当珍しいのだという。
 カトレアとの生活で彼女の従者からそんな事を言われていた彼女は、改めて自分が何者なのか余計に知りたくなってしまう。
 けれどもそれを知っている筈の自分は全ての記憶を失い、自分は得体の知れない存在と化している。

 それを思いだしてしまい難しい表情を浮かべようとしたハクレイは…次の瞬間、ハッとした表情を見せた。
 まるで家の何処かに置いて忘れてしまった眼鏡の場所を思い出したかのような、ついさっきまでの事を思い出した時の様な顔。
 そんな表情を浮かべた彼女は慌てて首を横に振ってから、水面越しに見る自分の顔を睨みつけながら呟く。
「でも…あのタルブで出会ったシェフィールドっていう女なら、何か知っているかもしれない…」
 彼女はタルブの騒動の際、あの化け物たちを操っていたという女の事を思い出していた。
 シェフィールド…。不気味なほど白い肌にそれとは対照的に黒過ぎる長髪と服装は今でも忘れられない。
 彼女が操っていたという化け物たちのせいで多くの人たちが犠牲になり、カトレア達までその手に掛けさせようとしていた。
 良くは知らないがそれでも次に会ったらタダでは済まさない程の事をしたあの女と彼女は戦ったのである。

 その時はカトレアを探しに来ていたという彼女の妹とその仲間たちを自称する少女達と共闘した。
 周りが暗くて容姿は良く分からなかったものの、声と身長差ら十分に相手が少女であると分かっていた。
 しかし途中で乱入してきた謎の貴族にその妹が攫われ、ハレクイ自身が囮となって仲間たちに後を合わせた後、捕まってしまった。
 キメラの攻撃で地面に縫い付けられ、運悪く手も足も出ない状況にに陥った時…あの女は自分へ向けてこう言ったのである。

 ―――――そんなバカな事…あり得ないわ。……――――には、そんな能力なんて無い筈なのに――――
 ――――――一体、お前の身体に何があったというんだい?――――゙見本゛

 何故か額を光らせ、信じられないモノを見る様な目つきと顔でそんな事を言ってきたのである。
 言われた方としては何が起こったのか全く分からないし、当然しる筈も無い。但し、その逆の立場であるあるあの女は何かを知っていたのだろう。
 でなければあんな…有り得ないと本気で叫んでいた表情など浮かべられる筈が無いのだから。
「本当ならば、その時に詳しく聞く事ができたら良かったけど…」

 ――――――あの後の事は、正直あまり覚えていなかった。
 あの女が自分の事を゙見本゙と呼んだ後の出来事だけが、ポッカリと穴が出来たかのように忘れてしまっているのだ。
 忘れてしまった時の間に何が起こり、どの様な事になったのか彼女自身が知らないでいる。
 ただ、気づいた時には疲労のせいか随分と重たくなってしまった体は木漏れ日の届かぬ森の奥で横たわっていた。

 目が覚めた時にはあの女はおろか、自分がどこにいるのかも分からず…思い出そうにもその記憶そのものが抜け落ちている始末。
 暫し傍にあった大木に背を預けて思い出そうとしても、単に頭を痛めるだけで何の進展も無かった。
 そして彼女にはそれが恐ろしかった。呆気なく自分の頭から記憶が抜け落ちて行ってしまったという事実が。
 自分ではどうしようもできない゙不可視の力゙が自分の記憶を操っている――――そんな恐ろしい考えすら思い浮かべていたのである。

 その後はほんの少しの間、自分でもどうすれば良いのか分からない日々を過ごした。
 森を捜索していた兵士たちの話から、カトレアを含めタルブ村の人たちが何処へ避難したかを知った時も真っ先に行こうとは思わなかった。
 自分の頭から忘れてはいけない事が抜け落ちた事にショックし続けて、まるでを座して死を待つ野生動物の様に彼女は森の中で休んでいたのである。
 けれども、それから暫くして落ち着いてきたころにカトレアやニナ達の事が気になってきて、ようやく避難先の町へ行くことができた。
 最初はただ様子だけを遠くから見るだけと決めていたのに、結局彼女を頼ってしまい今の様な状況に至ってしまっている。
 カトレアは屋敷の傍で起こった騒ぎの事は知らなかったようで、ハクレイ自身もまだその事を―――その時の事を忘れたのも含め――話す覚悟は無かった。
 はぐらかす様子を見て離したくないと察してくれたのだろうか、出会った時以来カトレアもタルブでの事を話さなくなった。
 ニナはしつこく何があったのだと話をせがんでくるが、カトレアやその従者たちがうまいことごまかしてくれる。


「…けれども、いつかは話さないと駄目…なのかしらね?」
 水面に映る自分の顔を見つめながらもハクレイが一人呟いた時、ふとこんな状況に似つかわしくない音が鳴った。
 ―――……ぐぅ~!きゅるるるぅ~
 思わず脱力してしまいそうな間抜けな音が耳に入った直後、ハクレイは軽く驚きつつも自分のお腹へと視線を向ける。
 アレは明らかに腹から鳴る音だと理解していた為、まさか自分のお腹から…?と思ったのだ。
 恥かしさからかその顔を若干赤くさせつつも自分のお腹を確認したハクレイであったが、音を出した張本人は彼女ではなかったらしい。
「あ…あぅう~…」
「ん?………女の子?」
 今度は背後から幼く情けない声が聞こえ、後ろへと振り返ってみると…そこには一人の女の子がいた。
 年はニナより三つか四つ上といったところか、茶髪のおさげを揺らしながらじっと佇んでいる。
 まだ幼さがほんの少し残っている顔はじっとハクレイを見上げながらも、翡翠色の瞳を丸くしていた。
 服は白いブラウスに地味なロングスカートで、マントを身に着けていないからこの近所に住んでいる子供なのだろうか?
 そんな疑問を抱きつつ、自分を凝視して動かない少女を不思議に思いながらもハクレイはそっと声を掛けた。
「どうしたの?私がそんなに珍しいのかしら?」
「え…!あの…その…」
 見知らぬ、そして見たことない格好をした大人突然声を掛けられて驚いたのだろうか、
 女の子はビクッと身を竦ませつつも、何を話したら良いのか悩んでいると…再びあの音が聞こえてきた、女の子のお腹から。
 ―――――ぐぅ~…!
 先ほどと比べて大分可愛らしくなったその音に女の子はハクレイの前で顔を赤面させると、彼女へ背を向ける。
 てっきり自分の腹の虫化と思っていたハクレイはその顔に微かな笑みを浮かばせると、もう一度女の子へ話しかけてみた。

「貴女?もしかしお腹が空いてるの?」
 彼女の質問に対し女の子は無言であったものの…十秒ほど経ってからコクリと一回だけ、小さく頷いて見せた。
 首を縦に振ったのを確認した後、彼女は女の子の身なりが少し汚れているのに気が付く。
 ブラウスやスカートは土や泥といった汚れが少し目立ち、茶色い髪も心なしか油っ気が多い気がする。
 ここに来るまで見た子供たちは平民であったが、この女の子の様に目で分かる汚れていなかった。
 更によく見てみると体も少し痩せており、まだ食べ盛りと言う年頃なのにそれほど食べている様には見えない。
(家が貧乏か何かなのかしら…?だからといって何もできるワケじゃあないけれど…あっ、そうだ)
 女の子の素性を少し気にしつつも、その子供を見てハクレイはある事を思いついた。

 彼女はこちらへ背中を向け続けている女の子傍まで来ると、落ち着いた声色で話しかけた。
「ねぇ貴女。良かったら…だけどね?私と一緒に何か美味しいモノでも食べない?」
「……え?」
 見知らぬ初対面の女性にそんな事を言われた女の子は、怪訝な表情を浮かべて振り返る。
 いかにも「何を言っているのかこの人は?」と言いたそうな顔であり、ハクレイ自身もそう思っていた。
「ま、まぁ確かに怪しいと思われても仕方ないわよね?お互い初対面で、私がこんな格好だし…」
 言った後で湧いてくる気恥ずかしさに女の子から顔を背けつつも、彼女は尚も話を続けていく。

「でも…そんな私を助けてくれたヤツがいて、ソイツが結構なお人よしで…私だけじゃなくて女の子をもう一人…、
 たがらってワケじゃないし、偽善とか情けとか言われても仕方ないけど…何だかそんな身なりでお腹を空かしてる貴女が放っておけないのよ」

 自分でも良く、こんなに長々と喋るのかと内心で驚きつつ、女の子から顔をそむけながら喋り続ける。
 もしもカトレアがこの場にいたのなら、間違いなくこの女の子に施しを与えていたに違いないだろう。
 どんな時でも優しさを捨てず、体が弱いのにも関わらず非力な人々にその手を差し伸べる彼女ならば絶対に。
 そんな彼女に助けられたハクレイもそんな彼女に倣うつもりで、お腹を空かせたあの子に何かしてやれないだろうかと思ったのだ。

 しかし、現実は意外と非情だという事を彼女は忘れていた。
「だから…さ、自己満足とか言われても良いから…――――…って、ありゃ?」
 逸らしていた視線を戻しつつ、もう一度食事に誘おうとしたハクレイの前に、あの女の子はいなかった。
 まるで最初からいなかったかのように消え失せており、咄嗟に周囲を見回してみる。
 幸い、女の子はすぐに見つかった。…見つかったのだが、こちらに背中を向けて中央広場から走って出ていこうとしていた。
 恐らく周囲の雑踏と目を逸らしていて気付かなかったのだろう、もう女の子との距離が五メイルも空いてしまっている。
「……ま、こんなもんよね?現実ってのは…」
 何だか自分だけ盛り上がっていたような気がして、気を取り直すようにハクレイは一人呟く。
 ニナもそうなのだが、子供が相手だとこうも上手くいかないのはどうしてなのだろうか?
 自分と同じく彼女に保護されている少女の顔を思い出したハクレイは、ふとある事を思い出した。
「そういえば、カトレアは「お姉ちゃん」って呼んでべったりと甘えてるのに…私は呼び捨てのうえに扱いが雑な気もするわ」
 子供に嫌われる素質でもあるのかしらねぇ?最後にそう付け加えた呟きを口から出した後、腰に付けたサイドパックへ手を伸ばす。
(仕方がない。無理に追いかけるのもアレだし…何処か屋台で美味しいモノ食べ――――あれ?)
 気を取り直してカトレアから貰ったお小遣いで昼食でも頂こうと思ったハクレイの手は、金貨の入ったパックを掴めなかった。
 軽い溜め息を一つついてから、パックをぶら下げている場所へ目が向いた瞬間――――思わず彼女の思考が停止する。



 無い、無かった。カトレアから貰った八十エキュー分の金貨が満載したサイドパックが消えていた。
 パックと赤い行灯袴を繋ぐ紐だけがプラプラと風に揺られ、さっきまでそこに何かがぶら下げられでいだと教えてくれている。
 まさか紐が切れて何処かに落とした?慌てて足元を見ようとしたとき、通行人の大きな声が聞こえてきた。
「おーい、そこの小さなお嬢ちゃん!手に持ったパックから金貨が一枚落ちたよ~!」
「――――…は?」
 小さなお嬢ちゃん?パック?金貨?耳に入ってきた三つの単語にハクレイはすぐさま顔を上げると、
 自分の背後でお腹を鳴らし、逃げるように走り去ろうとしていた女の子が地面に落ちた金貨をスッと拾い上げようとしている最中であった。

 両手には、やや大きすぎる長方形の高そうな革のサイドパックを抱えるように持っているのが見える。
 それは間違いなく、カトレアからお小遣いと一緒に貰った茶色い革のサイドパックであった。 

「ちょっ……―――!それ私の財布なんだけど…ッ!?」
 驚愕のあまり思わず大声で怒鳴った瞬間、女の子は踵を返して全速力で走り出した。





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