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ルイズと無重力巫女さん-72





 子供の頃の彼女にとっての゛世界゛は、あの村の中にしかなかった。
 トリステインの沿岸部に沿うようにして作られたあの小さな土地の中が、彼女が唯一知る゛世界゛だった。
 かつてアルビオンから渡ってきた人々が長き苦労の末に開拓した歴史ある土地。
 特産物は海で採れるカキぐらいしか無かったが、食卓には大小関係なく新鮮な海の幸が出てくる事が多かった。
 海が荒れて漁に出れない時期も村の大人たちが作ってくれた干し肉や干し魚が、お腹を満たしてくれる。
 先祖代々耕してきた土のおかげで農作物も程々に作ることができ、領主から不満が出たことも無い。
 時折村の外からやってくる行商が売ってくれるお菓子は、彼女を含めた子供たちを大いに喜ばせた。 

 どこまでも続く青い水平線と白い砂浜に照りつける太陽。そして村を一望できる大きな山々。
 まだ子供であった彼女にとって世界はあまりにも小さかったが、不満というモノを抱くことは無かった。


 …しかし。そんな彼女の人生は、唐突な急転直下の道へと誘う出来事に襲われる事となった。
 夕日が沈み、闇の中に消えていく水平線をぼんやりと見つめていた彼女の背後に、゛ソレ゛は姿を現したのである。
 夜の帳が訪れようとしている村をその全体で照らし、そして無慈悲に焼き尽くし呑み込んでいく。
 皆が皆顔見知りだった村人たちは逃げ惑い、あるいはその場で膝をついて涙を流しながら誰かに許しを乞う。
 死の間際に様々な姿を見せる村の人たちも皆、平等に燃え盛る゛ソレ゛に呑まれて消し炭となっていった。
 砂浜にいた彼女は゛ソレ゛に怯え、踵を返して走り出した。皆が平等に死んでいく村へと背を向けて。

 死にたくない…アレに呑まれたくない…!

 まだ幼い頭の中で必死にその言葉を反芻させ、砂のせいで思うように動かない両足で必死に走る。
 そうして四メイル程走った所で、砂に足を取られて転んだ彼女は、反射的に後ろを振り向いた。
 彼女の中の唯一の世界であり、生まれ育った村が燃え盛る炎の中へと消えていく。
 人も家畜も、土も農作物も…そして思い出さえも、その炎が容赦なく平等に焼き尽くしている。
 そしてその炎の中で…村の皆を飲み込んだソレ゛が、新たな獲物を探して焼けた地面を這いずっている。

 彼女の眼には、゛ソレ゛の姿が一匹の巨大な゛蛇゛として見えていた。
 燃え盛る炎から生まれ、呑み込んだモノ全てを平等に焼き尽くしていく巨大な゛炎蛇゛。
 その眼は灼熱の体からは想像もつかない程、ひどく冷めていた。



「――――ッンゥ…」
 冷たい空気に頬を撫でられたアニエスが、下がっていた瞼をゆっくりと上げていく。
 今まで寝ていた事と、もう少しだけ眠りたいという僅かな睡魔のおかげで重たい気がする。
 それでも彼女は自力で瞼を上げてからパチリと瞬きをし、目を覚ました。

 今のアニエスがいる場所は、トリスタニアの詰所にある自宅を兼ねた自室の中ではない。
 もう何年も使っているオンボロベッドは無く、今の彼女が背中を預けているのは地面から生えている樹齢の分からぬ木だ。
 大木というにはやや小さいそれから背中を離した彼女は、右手で目を擦りながらゆっくりと立ち上がった。
 体に掛けていた薄い毛布を左手で拾い上げようとした時、少し両足の太ももや腰に微かな違和感があるのに気付く。
 無理もない、何せ昨夜は体育座りに近い姿勢のまま寝てしまったのだから。
(まぁ…陽が昇る時間帯には治ってるだろ)
 だからといって歩くのには支障は無いため、アニエスは左腕で抱える様に毛布を持ち上げる。
 そして軽い欠伸をした後、ふと先ほどの自分と同じような姿勢で寝ている゛同僚゛たちを見回した。

 暗く冷たい空気が木々の間を通り、未だ鳥の囀りさえ聞こえることのない未明の森の中。
 その中でアニエスを含む多数の衛士…否、トリステイン国軍の兵士たちが目を閉じて軽い眠りについていた。
 見張り役の何人かが彼女よりも先に起きて早い朝食を乾燥食品で済ませているが、寝ている者達の方が遥かに目につく。
 全員が街中の衛士とは違う軍用の装備を身に纏い、その頭には新しく支給されたヘルメットを被っている。
 ガリア式を模したソレは従来の兜とは違い丸みがありつつも、余計な装飾が一切ないシンプルで無骨な造りをしている。
 無論彼女を含めた彼らが一兵卒だからというのもあるが、その分兜と比べると遥かに軽い。
 将校が被るような魔法の兜とは違って敵の矢ぐらいならば申し分なく防げる程度か、あるいは防げないのか。
 実際のところこの目で確かめてみなければ分からないが、そのチャンスが来る事を祈るようなマネはしたくない。



「しかし、こんなに軽くて本当に大丈夫なのか…?」
 不安のあまり思わず一人呟いてしまったアニエスであったが、それも致し方ない。
 何せ今のトリステイン軍は近年先鋭化しつつあるガリア軍やゲルマニア軍、そしてロマリア軍の後を追うような形で装備の更新を行っているのだ。
 それは歩兵の装備一式の近代化や砲兵隊の強化を含む、陸上戦力の強化である。

 十年前、ハルケギニア各国の地方で広がりつつある゛実践教義゛の信者たちが扇動する一揆や反乱が頻発するようになった。
 トリステインやアルビオンではそんなに目立ってはいないが、先に述べた三国の他諸侯国では正規軍や貴族に対しての襲撃などが起こっている。
 活動拠点を地方と都市、または地方と地方の間の山間部や洞窟に作り上げて、勝てる相手と見込めば奇襲を仕掛けてくる。
 そして報せを受けた王軍が駆け付けた頃には、もう敵は踵を返して姿を消しているという始末。
 更には周辺に住む山賊たちと協力、または壊滅に追いやるなどして更なる戦力の拡大を図ろうとしていた。

 無論ただやられているだけの正規軍でないのだが、いかんせん相手は非正規。まるで地面から顔を出すモグラの様に何処からともなく現れるのだ。
 従来の空海戦力中心の空海軍や王軍では山野や洞窟に隠れる敵を発見するのが難しく、陸軍主体の国軍では戦力と士気が問題であった。
 その為、これまで日陰者扱いされていた国軍を王軍とも肩を並べられる陸軍に仕立て上げる必要があったのである。
 そうした防衛思想のもと、ガリアやゲルマニアの二国が先頭を走るようにして自国の陸軍を一気に先鋭化させ始めている。
 代表的な例としては、傭兵で陸上戦力を賄っていた王軍を国軍と組み込んで、大規模な陸軍として再編成していることだろう。
 ロマリアもまた聖堂騎士を中心に、山間部に住む集落の者たちや実践教義に反対する山賊あがりから成る山狩り専門の部隊が編成されている。
 そしてトリステインも、それ等の後追いで国軍の強化をしているのだ。しているのだが…

(にしたって、このボディプレートはどう考えても軽すぎるぞ?)
 アニエスは心の中でボヤキながら、胸と背中を覆っている青銅色のボディプレートを見やる。
 身に着けているソレはヘルメットと同じで軽量化と生産性を意識したモノになっており、変に軽いのがが不安であった。
 幸いにも鎧の下に着こんでいる服はトリステイン国軍で制式採用されている制服で、衛士の時に身に着けているのと比べると着心地が良い。
 色もやや暗めのダークブラウンで、制服だけでも自分たちが軍隊だと認識できるようトリステイン王国の紋章の刺繍が胸に施されている。
 そして自分の命を預ける相棒の剣は言わずもがな。衛士になった頃から愛用し続けている一振りである。
 他にも軍から支給された槍も一本。これもトリステイン国軍で古くから使われている信頼のある槍だ。

「おぉ粉挽き屋。もう起きてたのか?」
 そんな風にしてアニエスが支給された装備を確認していると、背後から声を掛けられる。
 誰かと思い振り向くと、自分と同じ装備を身に着けた兵士達が二人、こちらにやって来る所だった。
 そして彼らの後ろには七人もの兵士たちが付いてきている。先頭の二人の内ガタイの良い兵士が手を軽く振ってきた。
 もう交代の時間か…。心の中で呟きながら、アニエスも手を軽く上げて挨拶を返してから、男たちに向けて口を開く。
「どうだ様子は?何か変わった動きとか…上からのお言葉とかはないのか?」
「いんや何も。…強いて言えばいつでも動けるようにはしとけと王軍の将軍様たちが煩く言ってたけどな」
 見るからに日々の鍛錬を心掛けているといったガタイの良い男が、気さくな笑みを浮かべて彼女に言う。
 ガタイの良い彼は遥々シュルピスから国軍の一員として派遣された者たちの内一人で、今はアニエスと同じ隊に振り分けられていた。
 アニエスを含め、今ここで寝ている兵士たちの内何人かは同じ部隊の同僚であり、三時間毎の休憩を取っている最中だ。
 彼の言葉にアニエスはそうか…。と頷いた後、ふと視線をやや下へ向けてすぐ傍でまだ眠っている一人の同僚を足で小突いた。
「おい、起きろヘンケン。…交代の時間だぞ?」
「ん…、うわっ!」
 ヘンケンと呼ばれた、彼女よりまだ年下であろう青年兵士は蹴られたショックか小さな悲鳴を上げて飛び起きる。
 慌ててた起きた若過ぎる兵士は眠り目を擦りながらも、急いで足元に置いていた槍を手に取るとアニエス達三人に向かってなぜか敬礼をした。
 突然の敬礼に三人が思わず身を竦めると、ヘンケンは大声で喋り出した。

「な、何でありましょうか!貴族さ…ま………――――って、アレ?アニエスさん…それに先輩たちも…」
 恐らく夢の中で上官である貴族にドヤされていたのだろうか?
 体が動いた後にようやく覚醒した彼は、目の前にいるのが顔見知りになったばかりの仲間たちだと気づく。
 アニエスたちの目から見れば相当な間抜け面を浮かべて突っ立っている新兵に、ただただ呆れるしかなかった。
「全く、国軍の精鋭化とは上も大層な事を言うもんだよなぁ?」
 ガタイの良い兵士の隣にいる、いかにも古参兵と言うべき壮年の兵士がアニエスにそう言う。
 それに対し彼女は何も言わずただヘルメット越しの頭を抱えて、呆れたと言いたそうなため息をつくばかりであった。

「…交代の時間だ。他の皆を起こしてくれ」
「あっ…は、ハイッ!分かりましたッ…!!」
 ため息交じりのアニエスの言葉に、若い兵士は再度敬礼し直して元気の良い返事をした。


 その日、トリスタニアからラ・ロシェールまでの地域は近年稀に見るほどの濃霧に包まれていた。
 アルビオン大陸から流れてくる雲がトリステイン国内で雨となり、そしてこの霧を生み出している。
 まるでトリステインの地図の上にミルクを垂らしてしまったかのように、ほぼ直線状の霧が立ち込めていた。
 霧はラ・ロシェール郊外にある森林地帯にまで及んでおり、鬱蒼と生える木々の間を縫って湿気と冷気が流れている。

 そう、今のアニエスが国軍兵士の一員として歩いているのはラ・ロシェールの郊外にある大きな森の中。
 観光スポットとしての価値のない、無駄に大きな自然の集合体の中にいる人間たちの中の一人として彼女は混じっていた。
 簡易の地図と非常食の干し肉と雑穀パンが入った腰のサイドパックと水の入った革袋が、歩く度に揺れて微かな重みを感じさせる。
 目覚めたばかりであるが既に眠り目を擦りながら歩く者は殆どおらず、この先にある砲兵陣地へ黙々と前進する。
 その数は丁度十人。先ほど三時間の休憩が終わった兵士たちである。
 最前列を行くアニエスは時折背後を確認して異常が無いか確認しようとするが、霧のせいで後ろから六人目までくらいしか表情が伺えない。
 目を凝らせば後の四人も見えるのだろうか?そんな事を考えている最中に、隣にいるヘンケンが声を掛けてきた。
「それにしても、この演習はいつになったら終わるんでしょうね?アニエスさん…」
 先ほど間抜けな事をしでかしたヘンケンが、隣で歩く彼女にポツリとぼやく。
 それを聞いていたのかいないのか、アニエスは霧に隠れて見えない未明の空を見上げて呟く。
 彼女はそんな隣の新兵に対し、突き放すかのような言葉を贈ってやった。
「お前がそうやって弱音を言ってる限り続くかもしれんぞ?そんなことよりも、さっさと足を動かせ足を」
 アニエスの言葉にヘンケンは多少たじろぎながらも「はっ、はい…」と返事をして歩くのに集中しようとする。

 互いに同じ装備、同じ槍を担いで歩く姿は正に戦場でのポーン。遠く離れた王宮の地図の上では、数字として変換される消耗品。
 しかしヘンケンの顔は実戦を知らぬ新兵の如き柔らかい表情を浮かべており、どこかノホホンとしている。
 自分が戦場では消耗品として扱われている事など、きっと微塵にも思っていないのであろう。
 彼と同じような表情を浮かべている者たちも後ろの列には何人かおり、明らかに新兵だと分かる様相だ。
 アニエスは彼らの表情を見て、頬に一発キツイ平手を喰らわせるような檄を飛ばす。


「気を抜くなよ。いくら演習と言っても本物の武器を扱ってるんだ!」
 女と言えどここ二週間でアニエスの恐怖を知った彼らは、隣にいるヘンケンを含めて勢いよく返事をする。
 それに対しアニエスは軽く頷いてから、これから向かう先にある第二砲兵陣地へと急ぎ始めた。


 事の始まりは丁度二週間前…いよいよ本格的な夏が迫ろうとしている時の事であった。

 詰所本部を尋ねてきた王宮の使いと馬車に、ルイズたちを乗せた日から翌日…
 アニエスを含む何人かの衛士達宛てに、トリステイン国軍から召集令状が届いたのである。
 最初は何か性質の悪い冗談の類かと思っていたのだが、令状に押されていたトリステイン王国と国軍の印がそれを本物だと裏付けていた。
 彼女の令状にはこう書かれていた。

「アニエス衛士。本日ヒトヒトサンマルマデニトリスタニア国軍拠点へ出頭シ、装備一式ノ受領及ビブリーフィングヲ受ケヨ」

 ワケが分からない。ミシェルや隊長たちの前で手紙を読んだ彼女は反射的に呟いてしまった。
 手紙を受け取った他の仲間たちも、似たような事が書かれているようだった。
 国軍拠点?装備一式の受領?ブリーフィング…?…戦争でもおっぱじめようとでも言うのか!?
 口に出して叫びたかったが何とか心のうちに留めた彼女は、渋々郊外にある国軍拠点へ足を運ぶこととなった。
 王宮からの正式な命令である以上従わなければいけないし、衛士如きが召集令状に抗っても上は取り合ってくれないであろう。
 そんな風にして渋々拠点へと出頭して装備を受領した後、広間で聞かされたブリーフィングの内容は単なる゛大規模演習゛の事であった。
 ラ・ロシェールの郊外において、国軍強化と砲兵戦の練習を兼ねた長期かつ大規模な演習が行われるとのことらしい。
「今ここに呼ばれている諸君らにはその第一陣として演習地へと赴き、準備兼後から来る国軍兵士達と演習を受けて貰う」
 その様な説明を拠点に赴いた王軍の貴族将校から聞かされたアニエスを含む何人かは、安堵できる肩透かしを喰らってしまった。

 その後、当日の内に出発と聞いたので一旦詰所に戻って隊長たちに事の詳細を伝えた後に軽い荷造りをした。
 やれやれ、お前を含めて何人か国軍に引き抜かれちまったよ。隊長は首を竦めながらそんな事を言っていた。
 そして、この演習に召集されなかったミシェルからは「アンタなら農民上がり共を、うまく統率できるさ」と自身たっぷりに言ってくれた。
 この時は一体何の根拠があって言ったのかと疑問に思ったが、それは演習開始後すぐに理解することとなった。

 男勝りで泣く子も黙る威圧感を持つアニエスは、たちまちの内に国軍兵士として召集されたばかりの新兵たちに恐れられ、尊敬されたのである。
 ある者からは故郷にいる兄を、またある者は男勝りだった母親を思い出させてくれたと言ってくれた。前者は思わず頭を軽く叩いてしまった。
 そして元々国軍にいた古参兵たちからも「衛士の癖に、胆の据わったヤツだな!」と感心されて、何故か頼られてしまっている。
 トリスタニアでも何故か一部の男達から友人の様に接され、挙句の果てには酒場のウエイトレス達にも尊敬されているアニエス。
 まさか演習と言えども、こんな泥臭い仮想の戦場でこんなにも頼りにされるとは彼女自身が思ってもいなかったのである。

 先ほどの仮眠場から五分ほど離れた所に、第二砲兵陣地が造られていた。
 木々生えていない広場の様な空き地に大きな穴を掘り、その穴の中に六つの大砲が設置されている。
 その周りは穴の外にはフル装備の国軍兵士たちが慌ただしく動いており、彼らの中にはマントを着けた貴族もいた。
 しかしメイジとしてはラインもしくはドットクラスの者たちが多く、トライアングルクラスは指数える程度でスクウェアクラスとなると一、二人しかいない。
 彼らの家柄もお世辞にも良いとは言えず、各都市の街中で暮らしているような下級貴族たちが国軍の大半を占めている。
「おい一等兵、砲弾の移動はもう済んだのか?」
「勿論ですよブルーノ隊長、これなら急に実戦になったとしても敵を砲撃で滅茶苦茶にできます!」
「そうか、でもこれは演習だ。撃ちこむところを間違えたら…文字の通り俺の首が飛ぶんだから、気をつけろよな?」
 貴族たちも地方や領地を持たぬ下級貴族からなる陸軍所属の者たちであり、同じ国軍の歩兵たちと交える会話も何処か軽い。
 若い世代が多く、また幼い頃から平民たちに混じって暮らしている下級貴族たちで構成されている為でもあった。

 その一方で、陣地から少し離れた場所に建てられた天幕の中から外を覗く貴族たちは、皆一様に顔を顰めている。
 国軍の貴族と比べ身だしなみを整え、胸に幾つもの勲章を付けている彼らは王軍の所属だ。
 天幕そのものも周囲の雰囲気からは明らかに浮いている程豪華で、良くも悪くも目立っているといった状態であった。
「全く…ラ・ラメー侯爵も酷な扱いを我らに為さる…よりにもよって、平民どもと下級貴族達国軍の監査などと…」
 派手に飾った杖を腰に差した小太りの貴族将校が、そとで動き回る国軍の者たちに向けて明らかに軽蔑するような言葉を呟く。
 それに続くかのように、中に置かれたベッドに腰掛けていた細身の貴族将校が、愛用している香水を体に吹きかけながら相槌を打った。

「そうですな!…それにしてもあんなに平民と親しくなろうなどと…トリステイン王国貴族としての誇りを忘れた貧乏人どもめが」
 天幕の中にいる彼らは、外にいる国軍の兵士や貴族たちを小声で好き放題言っている。
 今回は国軍の監査と視察の為にここを訪れているのだが、朝早くからすこぶる機嫌が悪かった。
 その原因は彼らの視線の先にある、穴の中に設置された大砲と関係している。 

 本来は地上からの対艦攻撃に使われるソレは、これまでトリステイン軍が使ってきたものとは違いゲルマニア製の大砲だった。
 新型ではないがトリステイン軍の大砲と比べて精度は格上であるこの地上兵器は、トリステイン国軍の新たな切り札として配備されている。
 詳しい事情は知らされていないものの、近々行われるアンリエッタ姫殿下の結婚式の礼としてゲルマニア側が無償で提供してくれたのだという。

 王軍と空海軍はこれに反対したが、純粋に戦力強化をしたい国軍にとっては喉から手が出るくらい欲しい代物であった。
 長い会議の末に財務卿とマザリーニ枢機卿からのお墨付きをもらい、何とかこの演習で配備することに成功したのだ。
 無論、他二軍にとってこの決定は面白くなかったためか、特に王軍は今回の演習で何か事が起こるたびに国軍に当たり散らしている。
「所詮ゲルマニアの大砲や平民の軍隊など、始祖ブリミルから授かりし魔法の前では無力でしかないというのに!」
「全く以て同意するよ。あの鳥の骨も国軍の強化などと無駄な事を提案するよりも、我々王軍や魔法衛士隊の拡張を行うべきだ!」
 かつてトリステインで行われた貴族至上主義教育の被害者とも言える彼らの言葉は、当然の如く護衛を務めている魔法衛士隊隊員の耳にも届いている。
 正直な所、護衛対象である将校たちの話が外で働いてくれている国軍連中の耳に入らない事を切に願っていた。


 国防を盤石にする為の演習の場で、国軍と王軍。それぞれの軍が対立しあうという二対一の状況…
 そんな事など露知らずに、アニエスの隊は第二砲兵陣地へとたどり着いていた。
「第二砲兵大隊所属、第三班アニエス他九名!ただいまから配置に就きます!」
 後ろに部隊の仲間たちを引き連れた彼女は、ここの指揮官であるアマディス伯に敬礼する。
 アニエスの報告に五十代後半に差しかかろうとしている初老の辺境貴族もまた敬礼でもって応え、その口を開く。
「御苦労!では、今日も陣地周辺の哨戒に当たってくれ。期待しているぞ!」
 国軍の兵士達とは付き合いの長い彼は、アニエスとその後ろにいる兵士たちへ励ましの言葉を贈った。
 その口調や言葉からは王軍の貴族たちとは違い、これからまた一日働こうとする仲間たちを応援しているぞという雰囲気が出ている。
 兵士たちがそれらを感じ取れたかはどうか知らないが、彼らもまた威勢の良い返事と共に敬礼でもって応えた。
 その敬礼を見てアマディス伯は満足そうに頷く、アニエスの班に配置につくよう命令した。

「あっ…ちょっと待て、アニエス!お前だけは少しここに残ってくれ」
 そんな時であった、背後を向けた彼女たちにアマディス伯の声が投げかけられたのは。
 一体どうしたのかと思ったアニエスは後ろを振り返り、先程と同じ場所で佇んでいる彼に向き直った。

 これまで苦労と共に生きてきた証拠である皺の目立つ彼の顔には、何か後ろめたい雰囲気がにじみ出ている。
 先ほどまではそんなモノは感じられなかったというのに…。アニエスは内心首を傾げつつもどうしたのですか?と訊ねた。
「少し話しておきたい事があるんだ。時間は取らないし、良いか?」
「…?…わかりました。悪いが、お前たちは先に行っててくれ」
 アマディス伯の話にアニエスはそう言いつつ、背後の仲間たちにも声を掛けた。
 同僚たちは彼女に軽い敬礼をしてから踵を返し、配置場所へと早足で歩いていく。
 それを横目で見ていたアニエスに、アマディス伯は羨ましそうな口調でこんな事を言ってきた。

「…ついこの前まではノロノロ歩いてた連中が、お前のおかげで随分と立派になったもんだな」
「いえ、アイツらなら私抜きでも上手くやれてましたよ」
 惜しみない賞賛とも取れる彼の言葉に、アニエスは率直な気持ちでそう返した。


 仲間たちと別れた後、アマディス伯に連れられたアニエスは国軍が設置した天幕の中にいた。
 王軍のソレと比べて正方形のテントの居住性はまずまずといった所で、並みの平民ならばそれなりに快適な環境であろう。
 そんなどうでもいい事を入り口の横で考えていた彼女は、先に入っていたアマディス伯に声を掛けられた。
「ホラ、立ち話も何だろう。座りなさい」
 そう言って彼は天幕の右端に置かれた椅子に指さしながら席に着くようアニエスに促した。
 アニエスは多少遠慮した風を装ってゆっくり座ってから、向かいの席に座った老貴族が後ろにいた給士に指示を出す。
「君、悪いが紅茶を二つ用意してくれ。……砂糖とミルクは?」
「ミルクだけで結構です」
 アニエスの言葉にアマディス伯は何も言わずに給士の顔を見やると、給士は一回だけ頷いて紅茶の用意を始めた。
 少なくとも、今のやりとりは王軍の天幕の中では決してお目に掛かれないだろう。

(まぁ、入れると言われても極力入りたくないのだがな)
 彼女はそんな事を内心呟きながら、ふと天幕の中を軽く見回した。
 国軍士官用の鎧等が天幕の左端にちゃんと整理整頓されて置かれており、天井から吊るされているカンテラで銀色に輝いている。
 真ん中に設置された大きなテーブルの上には地図が置かれている。記されている場所からしてここら一帯の地図なのだろう。
 丁度入り口から見て奥にベッドが置かれており、天幕に見合ったシンプルな造りのそれはあまり寝心地が良いとは思えない。
 そのベッドの隣に置かれた小さな箪笥の上には、彼が故郷から持ってきたであろう小さな私物が幾つか乗っている。
 老眼鏡に鈍く光る懐中時計、手袋に栞が挟まった本の隣には小さな小さな額縁があった。
 アニエスはその時、本の傍に置かれた額縁立てだけが妙に気になってしまった。
 それが生来の勘なのか、あるいはもっと別の何かを嗅ぎ取ったのかどうかは本人にさえ分からない。
 平民である自分を天幕の中に入れて茶まで御馳走してくれる老貴族の事を、少しだけ知りたかっただけなのかもしれない。
 しかし、ベッドの方へと視線を向けたまま目を細めたアニエスの顔はアマディス伯の注意を引くことになってしまった。

「…………もしかして、あの額縁が気になるのかね?」
「―――――…っ!」
 額縁の方を凝視していたアニエスは、…天幕の主に声を掛けられ思わず身を竦めてしまう。
 それを見てアマディス伯が軽く笑ったのを見て、彼女はコホンと軽く咳払いをしてから姿勢を正して口を開いた。
「えっ?…あ、イヤ…その…」
「ハハハ、別に誤魔化さなくてもいい。こちらも堂々と置いていたのだからね」
 何か言い訳をと思ったアニエスの言葉を遮ったアマディス伯は、ゆっくりとした動作で席を立った。
 そしてベッドの方へと歩いてその額縁を手に取って、また自分の席へと座り直した。
 彼の大きな左手に握られている額縁の中には、彼と思われる男性と初老の女性が左右に、そして二人の間に年端のいかぬ少女が描かれている。
 アマディス伯はその肖像画を愛おしそうな目で見つめながら右手の指で薄いガラス越しの肖像画を撫で始めた。
「…妻と娘だよ。五年前に娘が魔法学院を卒業した時、大枚はたいてトリスタニアで一番の絵描きに頼んで描いてもらったんだ」
 彼は昔を懐かしむような口調でそう言って、ふとアニエスにその額縁を優しく差し出した。
 家族との思い出であるその額縁をそっと手に取った彼女は、中に収められている肖像画を近くで見つめる。
 左右に掛かれているアマディス伯とその奥さんは優しく微笑んでおり、真ん中にいる娘さんはそばかすの目立つ顔に満面の笑みを浮かべていた。
「娘はトリステインの外の国々の事を知りたくてね。卒業したらハルケギニア大陸を歩き回りたいとよく口にしていたものだ」
「そうでしたか。…じゃあ、今は故郷で貴方の帰りを待って――――――」


「妻は二年前にこの世を去ったよ、体中に黒い腫瘍が出来てね。……その一年後に、娘も後を追うように…」
 自分の言葉を遮り、彼の口から出たその事実にアニエスは何も言えなくなってしまう。
 顔に浮かべていた微笑すら崩すことも出来ず、彼女の時間だけが止まったようにその体が静止した。
 ふいに喉から口の外へと出かかっていた言葉が詰まって、そのまま窒息死してしまえばいいのにと思ってしまう。
 そんなアニエスの気まずい雰囲気に気付いたのか、アマディス伯が寂しそうな笑みを浮かべて言った。


「おいおい!別に君が私の家族を殺したワケじゃないんだ。そんなに気まずくならないでくれ」
「……す、すいませんでした」
 逆に励ましの言葉をくれた老貴族に彼女が申し訳なさそうに謝った時、給士が程よく熱い紅茶を運んできてくれた。
 肖像画が描かれた当時の娘より一つか二つ年上の給士はカップを二人の前に置いて一礼すると、再びアマディス伯の後ろへと戻った。
 アニエスが手に持っていた額縁をアマディス伯に渡すと、彼は紅茶の入ったカップの取ってを掴んでから言った。
「さっ、紅茶が冷めぬ内に飲みたまえ。今日は一日中太陽が霧に隠れているらしいから少し冷えるぞ」
 彼に促されてアニエスも渋々紅茶を一口飲む。ミルクの入ったソレが鼻孔を優しくくすぐり、気持ちを穏やかにしてくれる。
 アマディス伯は自分の手元に置いた額縁を見つめながら、無糖ミルクなしのそれを優しく口の中に入れていく。


 霧に包まれた森の中で、兵士たちが泥だらけの陣地であくせくと動いている中…綺麗な天幕の中で暖かい紅茶を飲む。
 どこか申し訳ない贅沢な一口を飲んだところで、アニエスが思い出したかのようにアマディス伯に質問をした。
「そういえばアマディス伯。私に仰りたい事があると言っていましたが…」
「ん?…あぁ、そうだったな。…いかんいかん。私も随分、歳をとったものだ」
 アニエスの質問に彼女をここに呼んだ理由を忘れかけていたアマディス伯はそう言って顔に苦笑いを浮かべる。
 後ろにいる給士が口元を押さえて微笑んでいるが、その顔には彼を馬鹿にしているという意思は汲み取れない。
 まぁ別に言わなくても良いだろう。アニエスがそう思った後、アマディス伯がカップをソーサーの上に置いて喋り出した。

「実は二週間前から始まった今の大規模演習だが。何事も無ければ明日で終了とのことらしい。
 君も知ってのとおり、本演習は外国で過激な動きを見せつつある新教徒たちが国内に出現した際の訓練として立案された。
 山野に潜む敵を包囲し、砲撃で威嚇して炙り出すという戦法を、君たちは演習でありながら見事に見せてくれた。
 今後は君たちの何人かを国軍所属に移し、各地域に分かれて個別演習と山間行軍などの警戒に当たってもらう事となるだろう」

 彼はそこまで話し終えると湯気の立つ紅茶をゆっくりと口に入れ、飲み込んでホッと一息つく。
 アニエスはそこまで聞いてそうでしたか。と返した後に、ふと気になる箇所があったのを思い出しそれを聞いてみた。
「あの…先ほど私を含めた何人かを、国軍所属に移すと聞きましたが…」

「それはあくまで可能性の話だ。実際には演習結果の成績と、査定の評価から見て選出することになってる。
 無論、君以外の衛士の中には前々から国軍へ志願したい者が何人かいるからね。演習結果と合わせてそちらを優先する事になってる。
 だから君が国軍へ移る可能性は無いに等しいとは言えないにせよ、恐らくその前に志願者が枠を埋めてしまうだろう」

 私としては残念極まりないが、ね?アマディス伯はアニエスに軽いウインクを飛ばしてそう言った。
 先程死んだ家族の肖像画を愛おしそうに撫でていた老貴族とは思えぬ仕草を目にして、アニエスは別の意味で言葉を詰まらせてしまう。
 かろうじて「え、えぇ…」とだけ返す事はできたがはたしてそれが本当に最良の言葉だったのかどうかは、分からない。
 アマディス伯はアニエスの相槌を確認してからふと席を立つと、入り口から濃霧が立ち込める外の景色を見やる。
 零れた練乳の様に森を包む霧をかき分けるようにして走り回っている士官の貴族や歩兵の平民たち。
 部下である彼らの姿を天幕の中から一望しつつ、アマディス伯は一人呟く。

「これからの時代は正規軍同士のぶつかり合いと同時に、新教徒たちのような局地的な襲撃者の数も増えるだろう。
 山賊以上正規軍未満の敵を相手にする為には、国軍の戦力強化は絶対に達成しなければならない目標だ」

 彼の言葉にアニエスも「そうですね…」と軽い相槌を打って、手に持っていたカップをゆっくりと口元へ持っていく。
 未だ湯気が立ち上る熱い紅色の液体を慎重に啜ろうとした時、背後にいた老貴族が彼女の名を呼んだ。
 何かと思いカップを口元から離したアニエスは、席を立ってからクルリと後ろを振り返った。
 相変わらず外の方へと視線をむけている彼は振り返ることもせず、ただ目の前にある陣地を見つめながら喋り出す。
 その背中から漂う気配は彼と出会って二週間、初めて感じ取ったモノであった。
 まるでお芝居の中の騎士が、強大な相手へと挑むかのような、決意と覚悟に満ち足りた背中…とでも言えば良いのだろうか?
 とにかく、先ほどとは打って変わった気配を滲みだすアマディス伯の背を前に、アニエスは口を閉ざしてしまう。

「アニエス。先ほども話したように今日が長期演習の最終日だ。
 しかし…それは同時に、間に合わせの近代化を行ったに過ぎない国軍が、演習の次の段階へと移る日なのだ」

 そう、次の段階にな?最後に彼がそう付け加え、アニエスの方へと顔を向けようとした時――――
 天幕の外から複数の馬の嘶きが濃霧を貫いて陣地に響き渡った。
 陣地にいた者たちは貴族平民問わずそちらの方へと顔を向けた瞬間、濃霧を裂いて兵士を乗せた二頭の馬が陣地へと入ってきた。
 蹄を鳴らし、口の端から涎を飛ばして走ってくる二頭の奇蹄類に、進路上にいた者たちは素早く道を譲っていく。
 何人かが何事かと叫ぶ中、馬に乗った兵士たちの内一人は王軍の天幕へと、もう一人はアマディス伯のいる天幕の前で乗っていた馬を止めた。
 今度は間近に聞こえてくる嘶きに流石のアニエスも怯んでしまい、天幕の主である老貴族も顔を顰めてしまう。
 そんなことを気にも留めずに王軍の御旗を背中に差した兵士が馬を降りて、アマディス伯の前で膝立ちになるとその口を開いて叫んだ。

「御報告申し上げます!トリステイン空海軍旗艦『メルカトール』のラ・ラメー侯爵からの伝令!!
 『アルビオン艦隊接近!至急国軍ハ、全部隊ニ対艦砲ノ準備及ビ照準合ワセヲ求ム!攻撃ハ合図ヲ待テ』との事です!」



 その日のトリスタニアは、いつにも増して手で掴めそうな程の濃ゆい霧に包まれていた。
 人々はいつまで経っても顔を出さぬ朝日のせいで、今が何時何分なのか時計でも見ない限り分からない天気にしかめっ面を浮かべている。
 それでも市場には今日も多くの人が足を運び、屋台や定食屋で朝食を摂る者たちも少なくない。
 余程大雨や嵐でも来ない限り、この王都の活気がなくなってしまうという事が無いという事実の裏付けでもある。
 だからといって何も起こらないというワケではなく、濃霧が原因とする小さな事件が街中で幾つか発生していた。
 霧のせいで距離感がうまく掴めずにぶつかった貴族同士のイザコザや霧の中に紛れて消える窃盗犯、そして一時的な交通網の麻痺。
 前日に降った大雨の所為で街と地方を結ぶ一部の街道や山道で土砂崩れが発生しているのだ。
 濃霧もあって復旧には時間が掛かるという見方があり、今のところ地方への交通手段が大きく限られてしまっている。
 そしてそれが原因で、トリスタニアにある施設でちょっとした騒ぎが起こっていた。


 トリスタニアから他の街へ行ける駅馬車の駅前は、その日朝から相当な騒ぎで活気にあふれていた。
 街と外を隔てる壁に沿うように建てられた立派な造りのそこに貴族平民関わらず様々な人たちが集まり、腕を振りあげて何かを叫んでいる。
「おいどうなってんだよ!?濃霧のせいで馬車が出せないとかふざけてるだろ!」
「御袋が病気なんだ!二日までにこの薬を持っていかないと不味いんだって!!!」 
 何人かの平民が冷たく閉ざされている駅構内へと続く門を力強く叩きながら、中にいる駅員たちへ抗議している。
 彼が叩いた門の丁度真ん中には大きな張り紙が貼られており、そこにはデカデカとこう書かれていた。

『大変申し訳ありませんが、本日の運行は濃霧が晴れ次第開始致します  トリスタニア駅馬車運営委員会より』

 記録的濃霧のせいで馬車同士の衝突や、馬が道を踏み外して事故を起こすというケースを運営者は考えたのだろう。
 お客様の安全を第一に考えるのであれば、この濃霧を極力避けるという選択は随分と妥当である。
 しかし、だからといって客の中には急いでいる者や予約を入れていた者もおり…当然のごとく、彼らからしてみればとんでもない事だった。
 行先にもよるが比較的最新型で乗り心地の良い貴族専用馬車の予約だけでも、決して安くは無い金額を払う必要がある。
 上級階級の貴族ならば予約だけを取るのは簡単かもしれないが、辺境出身の下級貴族ともなれば当日券を買うだけでも大変なのだ。
 その為にそういった者たちは前々から予約を入れて、上流階級の貴族たちを出し抜く必要があった。
 何より、この日に予約を入れていた貴族たちの大半は運行を休止した駅の運営者達に怒ると同時に、かつてない焦燥感を胸に抱いていた。

 今から三日後に控えたアンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝のアルブレヒト三世の結婚式。
 ここにいる貴族たちは皆、ゲルマニアの首都ウィンドボナで盛大に行われる披露宴に参加するために集っていた。
「貴様!今日の朝から出してくれねば、我々はアンリエッタ姫殿下の結婚式におくれてしまうではないか!」
 駅の入口で平民煮たちに混じって抗議している下級貴族が、杖を持った手を振り回して叫んでいる。
 流石に魔法をぶっ放す程短気ではないのか、あくまで抗議の道具として用いていた。
「そうだ!折角の姫殿下の嫁入りだというのに…我々トリステイン貴族が式場に行けぬとあれば王国の恥であるぞ!」
 もう一人の貴族は窓からこちらの様子を見ている駅員達を指さしながら叫ぶと、周りの貴族仲間や平民たちがそうだそうだと続く。
 半ば暴徒化しつつある彼らに恐怖を感じたのか、一部の駅員たちは窓から離れて衛士隊を呼んだ方が良いのではと相談している。
 今はまだ下級貴族だけであるが、上級貴族の予約客まで来て騒ぎになれば駅員全員の首が社会的かつ物理的に飛んでもおかしくはない。

 使いの者を出して衛士隊に来てもらうよう頼んではいるが、彼らが出来るのはあくまで平民の鎮圧と逮捕だけだ。
 貴族となるといくら彼らでも平民と同じような仕打ちをするのには二の足を踏んでしまう事は間違いない。
 ならば王宮にこの事を報告して騎士隊も派遣してもらおうという事になり、至急使いを出す事となった。

 そんな局所的な騒ぎが起きているトリスタニアとは別に、王宮もまたちょっとした騒ぎが起こっていた。
 ここでも濃霧の影響はあり、外の警備をしている騎士たちはカンテラを手に持って辺りを照らしながら歩いている。
 普段なら専用の屋外でまとめて出している洗濯物も、陽が出ていないという事で専用の個室で山の様に積まれている。
 しかし一番影響を受けたのは、これからウィンドボナへと出発しようとして足止めを喰らっているアンリエッタ王女とマザリーニ枢機卿であった。

 王宮の内部。自分の私室へと続く赤絨毯が敷かれた廊下を、アンリエッタは軽やかな足取りで歩いていく。
 いつも身に着けているドレスと王家の紋章である白百合の刺繍が目立つ青いマントをはためかせながら、後ろにいるマザリーニ枢機卿に話しかけた。
「この濃霧だと、竜籠でも危険だというのですか?」
「はい。この記録的な濃霧だと、籠を引く竜が方向を見失って正確に飛ぶことができないようです」
 四十代とはとても思えぬ程老けた枢機卿は前を歩くアンリエッタの質問にそう返し、窓の外から見える景色を一瞥する。
 本来ならトリスタニアの町が一望できるこの窓から見えるのだが、霧のせいで今は街のシルエットすらボンヤリとしか見えない。
 まさか出発日にこの様な霧がでるとは…。天候までは読めなかったマザリーニは、皺だらけの顔をついつい顰めてしまう。
「陸路も、土砂崩れで相当ひどい事になっていると…」
「…左様で。今は例の『大規模演習』に参加しなかった国軍の一部隊と、王都から派遣した騎士隊で復旧作業を―――――姫殿下?」
 枢機卿の口から『大規模演習』という単語が出た瞬間、私室へ向かって歩き続けていたアンリエッタの足が止まった。
 何かと思った枢機卿も足を止めて彼女の横顔を見ようとした時、先に彼の方へと顔を向けたアンリエッタが厳しい口調でこう言った。

「―――゛演習゛?゛待ち伏せ゛の間違いでなくて?枢機卿」
「お言葉ですが、『演習』自体はしっかりと行われております」
 花も恥じらう程美しいアンリエッタからの非難がましい表情と視線を受けるマザリーニはしかし、落ち着いた様子で言葉を返した。
 感情を露わにする王女に対し、枢機卿はまるで教え子を諭すような教師の表情を浮かべている。
 この表情の違いだけを取ってみても、これまで踏んできた場数の差があまりにも有り過ぎている事を意味していた。

 足を止めた二人以外に今は誰もいない廊下は、耳に痛い程の静寂で包まれている。
 まるでこの廊下だけが空間から隔離されたような静けさの中で、マザリーニは淡々としゃべり出した。
「あくまで今回の『演習』における最後の展開は、゛軍部の日程ミスと正統的な防衛行為゛として片づけられる手筈です」
「それは我々側の詭弁です。アルビオンは、…いやレコン・キスタや他国にはどう説明をつける気なのです?」
「証拠は既に揃っております。それに、生き証人の方も先々週に魔法学院で捕えております」
「…魔法学院?…そういえば、確かにその様なご報告を頂きましたね」
 アンリエッタはそう言うと、二週間前に届いた報告を思い出した。
 それは今でも記憶に残っている。ルイズと霊夢、それに魔理沙の三人が中庭に集結したあの日から翌朝の事。
 朝食を済ませて、食後の紅茶を嗜んでいた時に学院の警備に当たっていた騎士隊から連絡が入ってきたのだ。

 聞くところによると、どうやら魔法学院の庭園で怪しい男を見つけ、捕縛したのだという。
 ボロボロでやつれていた男は庭園の奥にある、既に使われていない納屋の中で縮こまっていたらしい。
 発見した騎士が外へ出るよう勧告すると男はあっさりと出てきた挙句、嬉しそうに彼に抱きついて助けを求めたのだとか。
 困惑しながらも騎士が素性を明かすように言うと、男は自分がレコン・キスタからの使いでここへ来たのだとあっさり喋ったらしい。
 その内呼びかけに応じて他の騎士達も駆けつけると、矢継ぎ早に男へ三つの質問を投げかけた。
 内通者がいるなら名を教えろ?内通者は今どこにいる?お前はどうしてこんな所に隠れていた?
 その質問全てに答えるようにして、男は震える声で喋った。

 ――――な、内通者の貴族は…ころ、殺されたんだ…あの化け物に殺されたんだ!!だから俺は隠れてたんだ!
 思い出し、喋っていた時の彼の表情には見た者を凍りつかせる程の恐怖が滲み出ていたのだという。

「男を捕縛して二日後に魔法学院を閉鎖し、現在は騎士隊を派遣して他に何かないか調査をさせております」
「生徒や教師、それにあそこで働いている平民の方々は無事に送り出しましたのよね?」
「ご安心を。騎士が何人か護衛につかせた馬車…輸送用含めて計十台で、トリスタニアまで移動させていますので」
 淡々としたマザリーニの報告に、アンリエッタは安心するかのように溜め息を吐いて頷く。
 学院にいた者たちをひとまず街へと送ったという報告は聞いていたものの、その詳細までは知らなかったのである。
 今ではそういう詳しい報告を、マザリーニ枢機卿へと最優先するようになってしまっていた。
「そうですか…間諜だという男は今どちらへ?」
「今はチェルノボーグの一番厳重な場所におります。口封じの心配はないかと…」
 自分の質問にマザリーニがそう答えたのを聞いてから、アンリエッタはその視線をカーペットの方へと俯かせた。
 今のトリステインでは、政治や国の事に関する報せはまず最初に枢機卿の元へと届けられてから、ある程度内容を省略されて王女である自分へと知らされている。
 本来ならば亡き父である先王と、女王にならぬと宣言した母に代わって彼女がこの国の事をまとめ上げねばならないというのに。
 今はゲルマニアへの外交カードとしてお嫁に出され、果たすべき王家としての勤めを枢機卿や財務卿たち先王から仕えている家臣たちに任せきりの状態という始末。
 こんな様態ではレコン・キスタが内部工作を仕掛けてこなくとも、遠からず危うい状況に陥っていただろう。

(結局のところ…全ては自分への甘えがもたらした結果、ということなのね…)
 二週間前…ルイズ達と相談したあの夜以前から薄々考えていた一つの事実が、しっかりとした形を持って彼女の心の中を蝕んでいく。
 母親同様、王のいないトリステイン王国でお飾りの姫として生きてきた自分にいまさら何ができるというのだろうか?
 こんな事ならばいさぎよくゲルマニアへと嫁いで、マザリーニ枢機卿達にこの国を託した方が良いのかもしれない。 
 彼女が浮かべる表情から何かを察したのだろうか、横にいたマザリーニが声を掛けてきた。
「殿下。どういたしましたか?御気分が優れぬようですが…」
「…あ、いえ。何も―――何もありませんのよ枢機卿。ただ―――――」
 何もない風を装って取り繕うとしたアンリエッタは、隣に立つ枢機卿の表情を見て思わず言葉を詰まらせてしまう。
 皺が深く刻み込まれているその顔に浮かぶ表情からは、王家であるのに王家でない自分への侮蔑や嘲笑は全く含まれていない。
 今の自分を…これから望まぬ結婚の為に、ゲルマニアへと行こうとしている我が身をいたわってくれる枢機卿がそこにいる。
 彼は知っているのだろう。自分が亡きウェールズ皇太子と恋仲にあった事や、これから起こるであろうレコン・キスタとの戦いを自分が望んでいない事を。
 そして…望まぬと思っていながら心の中に残る復讐心を無理やりにでも抑え込んで、ゲルマニアへ嫁ごうとしている自分の事も。

 彼の表情からそれが読み取れそうなだけに、アンリエッタの心に更なる積み荷が乗っかってしまう。
 積まれていく荷物は不安定に揺れて、彼女の心という置き場から小さな荷物からポロポロと崩れ落ちていく。
 それは彼女の口から発せられる言葉となって、枢機卿の耳へ届けられようとしていた。
「ただ…ただ、今のままで本当に良いのかと悩んでしまっているのです」
「今のまま…ですか?」
 首を傾げたマザリーニ、対し、俯いたままのアンリエッタ小さく頷いてから喋り出す。
 それは枢機卿であるマザリーニへの、懺悔に近いものがあった。

「元はと言えば、今のアルビオンとここまでこじれたのは私がウェールズ様を愛してしまったから…。
 あの人と出会い、一目惚れさえしなければ恋文も出来ずレコン・キスタとの妙な確執も生まれはしなかった。
 そして…今の様なイザコザも起こる事なく、不可侵条約を結んでゲルマニアとの軍事同盟も無事締結されてたかもしれない…。
 もしも…もしもそうなっていたのなら。私の抱いた恋心が、このトリステインを引っ掻き回してしまったのかと思うと―…思うと…!」

 そこまで喋ったところで言葉が途切れ、紫色の瞳から一筋の涙が頬を伝っていく。
 思わず両目を閉じてしまうが溜まっていた涙が一気に流れ落ち、自らの両手で顔を覆ってしまう。
 アンリエッタは自分を恨めしく思っていた。この期に及んで尚王族に成りきれぬ自分に、いつまでも泣く事しかできない自分を。
 自分がここまで場を引っ掻き回したというのに、いつまでもルイズや枢機卿の前で涙を流す事しかできない。
 その涙を堪えてこの国の為に何かをしようという気の強さを、いつまでも持てない自分を苛立たしく思っていた。

「私は…どうしたら…どうやって生きていけばいいのでしょうか…?
 多くの人に迷惑を掛けてッ…、あまつさえ、この国さえ…!捨てて、他国へ嫁ごうとしている私は…!」

 流れる涙を抑えることができぬアンリエッタは、泣きじゃくりながらマザリーニへと質問を投げかける。
 アンリエッタからの質問に暫しの沈黙が続き…、マザリーニがその口を開こうとした。
「陛下…。陛下は―――――――ん?」
 その時であった、彼らの背後から何者かが走り込んでくる音と共に叫ぶような声が聞こえてきたのは。
「報告ッ!御報告です!!」
 マザリーニがそちらの方へ顔を向けると、息せき切って走ってくる竜騎士の姿が見える。
 やや旧式の鎧をガシャガシャと鳴らして駆け込んできた彼は、二人の前で足を止めてその場で息を整えた。
 涙を流すアンリエッタに綺麗なハンカチを手渡してから、マザリーニは何事かと聞いた。
 恐らく外からここまで鎧を着たまま全速力で駆けつけたであろう騎士は、伝えるよう言われた事を慎重かつ素早く報告する。

「ご…御報告申し上げますッ!!…我が軍がッ、…アルビオンの艦隊と交戦を開始したとの事ですッッ!」
 その報告を聞いてマザリーニは無表情で頷き、涙を拭いていたアンリエッタは思わず顔を上げてしまった。



 ―――――それから三時間後。
 霊夢と魔理沙が寝泊まりしている王宮内の一室。
「…なぁ。やけに外が騒がしくないか?」
 ベッドの上で本を読んでいた魔理沙がそんな事を呟いた時、ルイズの耳に周囲の音がドッと入り込んできた。

 白紙のままである『始祖の祈祷書』と睨み合っていた彼女は、朝から座りっぱなしだった腰をゆっくりと上げる。
 部屋の右端に配置されたデスクから離れると、確かに黒白の言うとおり外が妙に騒がしい事に気付いた。
 上からも下からも、まるで沈む船から逃げ出すネズミ達の様に喧騒が王宮中を駆け回っている。
「確かに…何なのかしらね?」
 しかし朝起きて朝食を摂り、ゲルマニアへ行く為の準備を終えたルイズは霊夢と魔理沙のいる部屋にずっといた。
 理由としてはゲルマニアへ行く直前に二人が何かしでかさない為だったのだが、それが却って仇となったらしい。
 喧騒自体は聞こえてくるも誰が何を喋っているのか全く分からず、ルイズの心に余計な不安が募ってしまう。

「もしかしたら、もうゲルマニアへ行くのかしら?」
「だとしても外はまだ凄い霧だぜ?三時間前に聞いた時も部屋の前の騎士が竜でも飛べないって言ってたような…」
『あぁ。流石の火竜でもこの霧の中じゃあ迷子になって、とんでもない方向へ飛んじまうな』
 ルイズの言葉に魔理沙が最初に返し、その後を引き継ぐようにデルフも言った。
 ベッドに立てかけられたインテリジェンスソードは、ついでベッドに腰掛けたまま黙りこくっている霊夢に話しかけた。
『なぁレイムよ?お前さんも何かおかしいと思わないか―――…って、さっきから黙ったままだな?』
 柔らかいシーツの上に背中を預けて読書を堪能している魔理沙とは対照的に、霊夢は俯いたまま何も言わずに地面を見つめ続けている。
 その顔は特に何かを憂いているわけではなく、また目を開けたまま寝ているという器用な事もしていない。
 ただ何か考え込んでいるかのような表情を浮かべ、視線は地面に向けてひたすら黙っていた。

「…霊夢のヤツ、一体どうしちゃったのかしら?」
 今までこんなに無口な彼女を見なかったルイズが、首を傾げながら魔理沙に聞いてみた。
 尋ねられた魔理沙も理由が分からず、ただただ肩を竦めるしかない。黒白の反応を見て、ルイズはため息をつく。
 彼女の記憶が正しければ…朝食を頂いた後、身だしなみと整えて手荷物を従者に持たせて二人の部屋にやってきた頃には既にこの状態であった。
 その時には魔理沙も本を読むのに夢中で、デルフはそんな彼女に独り言を垂れ流していたので霊夢に何が起こったのか誰も知らないのである。

 幸い、トリスタニアで起きた騒ぎの様にガンダールヴのルーンは光っておらず独り言も呟いてはいない。
 そして時折彼女の口から「む~…」とか「う~ん…」と、何か悩んでいるかのような呻き声が漏れているので何か考え事をしているのであろう。
 現に何回か呼びかけた時は目だけを此方に向けた後、またすぐに視線を戻して考え事に耽っている。
 魔理沙程ではないが霊夢とそれなりに同居していたルイズから見れば、今の彼女はどことなくおかしかった。



「何か悩み事でもあるのかしらね?」
 思わず口から飛び出てしまった言葉に、魔理沙がコロコロと笑い出した。
「まさか!コイツが今みたいに深く悩んでた事なんて今まで一度も無かっ…――――ッイタ!?」
 最後まで言い切る直前に、後頭部に襲い掛かった来た軽い衝撃に魔理沙は思わず悲鳴を上げてしまう。
 突然の悲鳴にルイズは軽く驚き、ついで誰が彼女の後頭部を叩いたのかすぐに分かった。
 見ると彼女の横でずっとベッドに腰掛けていた霊夢が上半身を此方に向けて、魔理沙を叩いたであろう左手を軽く右手で摩っている。
 その顔には先ほどまで地面に向けていた表情とは違い、明らかな敵意を浮かばせていた。
 無論、その敵意の向かう先にいたのは後頭部を押さえて呻いている魔理沙である。

「誰が能天気ですって…?」
「い、イヤ…そこまで言ってないだろ?そこまでは…イテテ…」
「まぁアンタはともかくとして…一体どうしたのよレイム?いつものアンタらしくなかったわよ」 
 どうやらしっかり話だけでも聞いていたであろう霊夢に対し、相変わらず侮れないヤツだと思う魔理沙であった。
 そんな彼女をよそにルイズは霊夢の傍までやってくると、両手を腰に当てて聞いてみる。
 ルイズからの質問に答える前に、軽く背伸びしてから霊夢はその口を開いて言った。
「ん~…。何なのかしらね?実は私にも良く分かんないのよ、コレが」
「はぁ?どういう事よソレ?私の質問に答えてるようで全然答えてないじゃないの」
 曖昧すぎる返事にルイズはきつい反応を見せるが、見せられている霊夢はそれに別段腹を立てたりはしなかった。
 いや、腹を立てるよりも前に先程までその正体を探ろうとした゛何か゛が気になって、仕方がないのである。

「ずっと遠い所から何かの気配を感じるんだけど…何ていうか、離れすぎてて正体が掴めないのよね」
「気配…?離れすぎてる…?」
 気難しい表情を浮かべて呟いた霊夢の言葉に、ルイズもまた彼女が感じた゛何か゛に興味を引いてしまう。
 普段からのんびりとしていて、それでいて何かが起こった時には平常時の暢気さを見せない動きを見せる霊夢。
 そんな彼女が朝から気難しい顔をして正体を探ろうとしている゛何か゛が何なのか、ふと知りたくなってしまった。
 けれども今日は…あのアンリエッタと共に結婚式の為にゲルマニアへと行く日でもある。余計な事に首を突っ込んでゴタゴタを起こしたくない。
 そう思った時だ。ルイズの脳裏に一瞬だけ、嫌な考えが過ったのは。
(こいつがこんな顔をして探ってるのは気になるけど…、まさかその道中で何かが起こるんじゃないでしょうね?)
 心の中でそう言った後、頭を横に振って脳に貼り付いたその考えを払いのけようとする。
 まさか!…と心の中で叫んで一蹴したい気持ちはあったが、これまでの出来事を振り返ってみれば決して無いとは言い切れない。
 現にこれまで…というより二年生に進級してからというモノ何か変わった事が起こる度に厄介事が降りかかってきたのである。

 そこまで思ってルイズは気が付いた。霊夢を召喚してからというものの、一生分かもしれない奇妙な体験をしている事に。
 それ以前はゼロという不名誉な二つ名を持った魔法を使えないメイジとして、学院で馬鹿にされてきたルイズ。
 けれど魔法が使えないだけで座学や乗馬などの授業は平均点より上で、テーブルマナーに関しては流石公爵家の娘と褒められた事もある。
 教師たちは魔法に関して彼女の魔法に苦言を呈し、生徒たちからは少しいじめられた事もあったが何とか自身で対処できる範囲で済んでいた。
 魔法が使えないのに魔法学院の生徒だというそんな彼女の生活はこの年の春、使い魔召喚の儀で大きく変わってしまったことになる。
 何せ爆発と共に現れたのは異世界で大事な役割を担った人間だったうえに、おまけと言わんばかりに始祖の使い魔であるガンダールヴときた。


(………いくら使い魔が選べないからって、なんでそんな奴を召喚しちゃったのかしら?)
 せめて人間を召喚してくれるならもう少し無難な相手の方が良かったと、ルイズは始祖ブリミル相手にぼやきたかった。
 けれども現実は非情で、そんな事を考えても始祖は降臨してくれないし、詔は完成してないしそれどころかゲルマニアへ行けるかどうかも分からない。
 更に言えば、その結婚式が終わった後も霊夢と魔理沙が来た幻想郷の異変解決の手伝いをしなくてはいけないのである。
 おまけに霊夢の様子と外の騒ぎが関係あるのかは知らないが、近いうちに何か良くない事が起こりそうだという予感さえ目の前に迫ってきていた。
 なまじ頭の回転が速いルイズは、山積みとなっている自分達の問題に頭を抱えたい気持ちを抑えて、物憂げなため息をついた。
『お?どうした娘っ子。やけに元気が無くなったじゃねぇかよ?』
「…えぇ?あぁ、アンタねデルフ。…ていうか、アンタぐらいじゃないの?今の私を気にしてくれるのって」
 そんな時であった。ベッドに立てかけられていたデルフが今にも項垂れてしまいそうな表情を浮かべるルイズに声を掛けてきたのは。
 ルイズは向こう側に置かれているデルフの方へと視線を向けて、ついで今この部屋にいる他の二人に対して軽く呆れてしまった。
 魔理沙は帽子を脱いで痛む頭を押さえており、霊夢はぼんやりと濃霧しか見えない窓の外を見つめてまた゛何か゛の気配を察知しようとしている。
 今は違うが、この前までは学院で二人が寝泊まりしている部屋の主であった彼女を心配する素振りは、一つも見られない。

 ルイズは思った。偶には私の事をもっと大切に扱ってくれても、良いんじゃないのかと?
 そりゃ二人の性格がどういうものなのかこれまで一緒に暮らしてきて大体分かったし、それを無理に矯正するつもりはない。
 ただ何というか…もう少し自分を、学院で住まわせてもらってるという事を自覚して接してもらいたいのだ。
「…アンタたちがそういう性格なのは知ってるけど、たまには気を使ってよね…」
 そんな気持ちが無意識に喉元からせり上がり、言葉として小声で発してしまった。
 呟いてしまってから気づいたルイズがハッとした表情を浮かべたと同時に、魔理沙が話しかけてきた。
「ん、何か言ったか?」
 ようやく痛みが引いてきたのか、また帽子をかぶり直した魔理沙がキョトンとした顔でルイズに聞く。
 ここで頷くと何か恥ずかしい…。そんな思いに駆られたルイズは冷静さを装って「う、うん?何か?」と言い返すしかなかった。

「…。――…。――…。―――…!」
 そんな時であった。魔理沙とルイズのすぐ傍…ベッドに腰掛けていた霊夢が物凄い速さで立ち上がったのは。
 まるで誰かに引っ張られたかのように腰を上げたせいでベッドが揺れて、魔理沙が少し驚いたような声を上げた。
「おっ…と!…何だよイキナリ?吃驚するじゃないか」
 横になっていたベッドを揺らされた魔理沙の軽い抗議にしかし、霊夢は何も喋らなかった。
 抗議に対する冷たくて理不尽とも言えるような言葉すら、一言も発さず彼女はただじっと窓の外を見つめている。
 濃霧が垂れこめる外の景色を、まるで透視でもすると言わんばかりに睨みつけていた。


「ちょっとレイム。一体何が――――――…レイム?」
 さすがに何かがおかしい感じたルイズが彼女の顔を見た瞬間、確実に゛何かが起こった゛のだと悟る。
 先程までぼんやりと何かを考えている様な表情であった霊夢の目が、獲物を見つけた猛禽類の如く鋭くなっていた。
 赤みがかった黒い瞳を持つ目を細めて、彼女はただじっと窓の外を見つめている。
 これまで色んな霊夢の顔色を見てきたルイズにとっても、絶対に見過ごすことのできない゛何か゛があったのだと知らせてくれる。

 それを表情から察して、何も言えなくなってしまったルイズを余所に、立ち上がった彼女は窓の方へと向かって歩き出した。
 二人と一本のどちらかが静止するよりも前に窓の前に辿り着くと、その両手で閉じられていた窓を思いっきり開いて見せた。
「あ、ちょ…どこへ行くのよ!?」
 この前トリスタニアで起こった事を思い出したルイズはそう言って霊夢の傍へと寄る。
 それに対し霊夢は開けた窓から吹きすさぶ湿っぽい風をその身に受けながら、ルイズの方へと顔を向けた。
 心配そうな表情を浮かべて自分の傍にいる彼女を一瞥した後、再び窓の外へと視線を向ける。

 一体どうしたのだろうか?ルイズだけではなく魔理沙とデルフもそう思った直後だった。
 三人と一本がいま居る部屋の下―――丁度霊夢が明けた窓の下から王宮警備の騎士と思われる男たちの声が聞こえてきた。
 何を言っているのかはまだ詳しく分からないが、その喋り方と声の張り上げ方から見るにどこか慌てているのだと想像してしまう。
 霊夢はそれを聞きたかったのか窓のすぐ下にいるであろう騎士たちの会話を、真剣な眼差しで見つめながら聞いているのだろうか?
 それを聞いて、一体何を喋っているのかと思ったルイズも霊夢の横に並び、下の様子を見て聞こうとした時である。
 右の方から「大変だッ!」という叫びと共に右の方からガッシャガッシャという御と共に鎧を着こんだ騎士が走ってきたのは。
 それから走ってきた騎士にどうした?という声が掛けられた後、荒い呼吸をする騎士が息も絶え絶えに言った。

「ぶっ、部隊が……ッラ・ロシェールに展開した、アルビオン艦隊への…迎撃部隊が――――か、怪物達にやられているらしいぞ…ッ!!」





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