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Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia-61


招来されたヴロックとタバサとが、雑然としたカジノ場の中で、若干の距離を置いて対峙した。

最初に放った氷の槍を避けられたタバサは、すぐさま次の呪文の詠唱にかかろうとする。
今度は、比較的詠唱が短くて済み、かつほとんど不可視で回避の困難な空気の鎚、『エア・ハンマー』を放つつもりだった。
それで魔物の体勢を崩させて、更なる追撃に繋げようというのだ。

だが、タバサが連続で攻撃をかけるよりも、ヴロックが内なる“力”を呼び起こす方が早かった。

奈落の魔物が内在する魔力を高め、解き放つと同時に、その姿が何重にもぶれる。
僅か一瞬のうちに、ヴロックはその数を7体にも増やしていた。

「……!!」

それを見たタバサは、驚愕に目を見開いた。

離れた場所に身を潜めていたメイジの一人もまた、その光景を見て、悲鳴のような声を上げる。

「へっ、遍在!? ……し、しかも、6体も同時に!」

『ユビキタス(遍在)』の呪文は、『風』系統のスクウェア・スペルだ。
ひとつひとつが意思と力とを持つ、自身の分身体を作り出す。

その強力さゆえに、風のメイジが己の系統こそ最強であると主張する際にしばしば引き合いに出す、奥義とも呼ぶべき呪文である。
だが、強力であるぶん負担も大きく、長時間・長距離の維持や、多数の同時使用は難度も消耗も飛躍的に増す。
通常はごく近距離で一度に1~2体、余程腕の立つ術者が数ヵ月かけて蓄えた精神力を放出しても、せいぜい4~5体が関の山だ。

それを、こともあろうに、一度に7体とは……。
自分たちの扱う系統魔法を遥かに超えた所業を見て、メイジが悲鳴を上げるのも無理からぬことだといえよう。
悪名高いエルフでさえ、果たしてそれほどの真似ができるものかどうか。

(気圧されては、駄目)

相手の強さがどうであろうと、自分は戦うしかないのだ。
心を乱したままでは、それこそ勝てない。

タバサは内心の動揺を努めて押さえると、完成した『エア・ハンマー』をその中の一体に向けて放った。

「ラナ・デル・ウィンデ」

杖から放たれた不可視の空気の鎚は、狙い違わず目標を捕える。

だが、その途端にエア・ハンマーに打たれた魔物の姿は、ふっと掻き消えてしまった。
どうやら本体ではなかったらしい。

「「「「「「キシシシシ……、シャアアァァ!!」」」」」」

残る6体の魔物たちは一斉に身を震わせ、タバサに向けて嘲笑うような鳴き声を上げる。

しかし、優秀な風のメイジとしての鋭い知覚力と観察力とを備えたタバサは、それを見て妙なことに気が付いた。

(動きが、まったく同じ……?)

遍在は、それぞれが個別の意志を持ち、独立して動ける分身体のはずだ。
しかるに6体の魔物はすべてがまったく同一の動きをしており、声までもがまったく同じように重なっていた。

それに注意深く風の動きを探ってみると、巨体の魔物が6体も近くに寄り集まっているにしては、空気の動きの乱れが妙に少ない。

エア・ハンマーを受けただけであっけなく消滅してしまったのも、妙だ。
たしかに遍在も、概ね風によって構成されているために、見た目よりも実体は希薄である。
ある意味では風船のようなもので、本体に比べればかなり脆い。
だが、それにしても、殺傷力のほとんどないエア・ハンマーを一回受けただけで消え去ってしまうほどに脆くはないはず。

(あの分身は、遍在とは性質がまるで違うということ?)

そんな疑念を抱いていたところに、ヴロックからの反撃が飛んできた。
《念動力(テレキネシス)》の能力によって、カジノ内の食器や酒瓶、テーブルなどが、四方八方からタバサ目がけて襲いかかる。

「デル・ハガラース」

タバサは襲い来る攻撃に備えて素早く『ライトネス(軽量)』の呪文を唱え、身を軽くした。
そうして縦横無尽に動き回って攻撃を回避し、避けきれないものはさっと物陰へ滑り込んで、遮蔽物を盾にしてかわしていく。

ある時はまるでバネ仕掛けの人形のように跳ね、ある時は綿埃のようにふわりふわりと舞う。
それでも避けきれないと見れば素早く杖を振り、突風で攻撃の軌道を逸らせる。
体術と魔法との、見事な組み合わせであった。

そうして避けながらも、タバサはヴロックの作った分身の性質を、冷静に分析していく。

(攻撃の数は、増えていない)

先ほどトーマスに仕掛けた攻撃と、飛来してくる物の数はほとんど変わらなかった。
6体も存在しているのだから、もしも遍在と同様にそれぞれが攻撃を仕掛けられるのなら、到底かわしきれない数になっているはずだ。

と、いうことは……。
あれらの分身体は、風の動きを乱すこともないほどに非常に希薄で脆く、攻撃もできないということだろうか?
もしもそうであるのならば、そこまで恐れることはないだろう。

とはいっても、敵の本体がどれかを見極められないために、攻撃を無駄打ちさせられてしまうのは厄介だ。
風の動きだけを頼りにしてタバサに分かるのは、ある程度離れている敵の大まかな位置程度である。
ごく近くに寄り集まっている6体の魔物のうち一体どれが本物なのかを、戦いながら正確に断定する、などということはできないのだ。

であるならば、まとめて始末すればよいのだが……。
しかし、複数の攻撃を同時に放つタイプの呪文は総じて比較的高レベルであり、相応に長めの詠唱時間を必要とする。
敵の攻撃を回避するためにも呪文を必要としている現状では、そのための余裕がない。

そうなると、一体一体始末していくしかないことになるが……。
果たして敵の分身体をすべて始末するまで、自分は持ちこたえられるのだろうか。
一度でもまともに攻撃を喰らってしまったら、それまでだ。
体力と体格に劣る自分では、些細なミスでも容易に致命傷を受けてしまう。

自分の置かれている状況が依然としてかなり不利であることに、タバサは内心焦りを覚えていた。
ただディーキンが戻ってくるまで持ちこたえればいい、それが自分の役目だ、という考えは彼女の頭にはなかった。
一人で戦うことに慣れているゆえに失念しているのか、あるいは彼に頼らず自分で何とかしてみせたいという、無意識の対抗心からか……。

タバサは剥き出しの左脚をナイフに掠められながらも、反撃に氷の矢を一本飛ばして、またひとつ分身体を消した。



一方でヴロックのヘルマスも、内心苛立ちを募らせつつあった。

(小娘が……!)

あの小娘は、小癪にもこちらの《念動力》による再三の攻撃を凌いでいる。
しかも、《鏡像(ミラー・イメージ)》の守りも何体か消された。

まったくもって、腹立たしい限りだった。
この扉を封鎖することなどもう止めて、すぐにでも飛びかかっていって引き裂いてやろうかという誘惑にかられる。

実際のところ、ヴロックは何度でも、それも何らの消耗もなく、《念動力》や《鏡像》の疑似呪文能力を使うことができる。
だから、一方的に体力や精神力を消耗しているタバサのほうが明らかに不利な立場であり、状況は別段悪くはない。
焦らずにこのまま持久戦に持ち込んでも、じきにタバサが疲れ切ってミスを犯し、打ち倒されるだろう。

しかし、殺害欲を満たしたくてうずうずしている今のヘルマスにとっては、たかが数十秒であれ、おあずけを食らうのは我慢ならなかった。

この場を離れずに、さっさとあの餓鬼を片付ける方法はないものか。
そう思案を巡らせるヘルマスは、ふと、タバサの持っている杖に着目した。

あの小娘は、自分の知らぬ奇妙な呪文を使うようだが……。
見たところではどうもあの杖が、焦点具として必須なのではないか。
少なくとも、これまで呪文を使う際には、常にあれを振るっていた。

《念動力》で物を投げつけても呪文で対応されてしまい、なかなか直撃させられないが、その呪文が使えなければ……?

(試してみる価値はあろうて)

ヘルマスはにやりと嘴の端をゆがめると、次の《念動力》の狙いを決めた。



「……!?」

タバサは、突然自分の携える杖に、もぎ取るように横へ引っ張る力がかかったことに意表を突かれた。

相手の動向には常に注意を払っていたし、死角から急に物品が飛んで来ないかを警戒して、空気の流れの変化にも気を配っていた。
また、先ほど銃を発砲した客がされたように、自分自身の体を持ち上げてどこかに叩きつけられそうになったらどうするかも想定していた。
だが、迂闊にも杖の方を狙われる可能性は、考えから抜け落ちていたのである。

もっとも、考えていたところでどうにもならなかったかもしれない。

物品を飛ばしてこられたなら、避けるなり風で軌道をそらすなりして対処ができる。
自分の体をどこかに叩きつけられそうになっても、『念力』で止めるなり風のクッションを作るなりで対応はできるだろう。
しかし、呪文を使うために必要な肝心の杖そのものをもぎ取られそうになったら、どうすることもできない。
風の防御は不可視の力を遮る役には立たないし、念力で対抗しようにも、それに必要な杖自体を引っ張られていては難しい。
せいぜい意思力で呪文の効果をはねのけるか、自分の頼りない腕力で抵抗するくらいしかないだろう。
系統魔法の『念力』でも同じような事ができなくはないのだが……、射程距離や精度、即効性等の関係で、あまり実戦的ではないのだ。

(杖を取られたら、終わり……!)

杖が無ければ自分に勝ち目はない。父様の形見でもあるこの大切な杖を、あんな化物に奪われてなるものか。
タバサは自分にそう言い聞かせて必死に精神を集中し、杖を握る手に一層力を込めて、呪文の効果を振り払おうとした。

時間にすれば僅か一秒にも満たぬ攻防だったが、タバサにはひどく長く感じられた。

やがて、杖に絡み付いた不可視の力は急にほどけて離れていった。
どうやら耐え抜くことができたらしい。

タバサはほっとして息をつく暇もなく、直ちに反撃のための呪文を紡ぎ始めた。
今ならば、飛来物を逸らしたり身を軽くして攻撃を避けたりするための、防御用の呪文を紡ぐ必要はない。
絶好の攻撃の機会が訪れたのだ、逃すわけにはいかない。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ……!」

呪文の完成と共に多数の氷の矢が四方八方に散らばり、5体の魔物めがけて周囲から殺到する。
タバサお得意の、『ウィンディ・アイシクル』だった。

「「「「「……グオォオォォッ!?」」」」」

突然の反撃に、ヴロックは怒りと驚きとが入り混じったような唸り声を上げた。
無数の氷の矢が、僅かな間、水蒸気の煙幕を作り出す。

それが晴れた後には……。

元通り一体だけになった魔物が、目に怒りを湛えて佇んでいた。
《鏡像》の疑似呪文能力によって作り出された幻影の分身体は、今の攻撃によってすべて破壊されたのである。

「……」

しかし、それを見てもタバサの表情にはさしたる快哉の色もない。
確かに分身体を取り除くことには成功したものの、一緒に攻撃に巻き込まれた本体はまったくの無傷だったからだ。
気を緩めることなく、ぐっと杖を構え直す。

タバサはそうして相手の動向に注意を払いながらも、頭の中では次の手を検討していた。

どうやらあの魔物の外皮は、予想以上に頑強なようだ。
一本一本の矢の威力が低いウィンディ・アイシクルでは、急所にでも当てない限り効果は期待できないだろう。
しかし、急所を正確に狙うとなると遠距離からでは厳しいが、あの魔物はどうみても接近戦を仕掛けるには危険そうだ。

(次は、『ライトニング・クラウド』? それとも、『ジャベリン』?)

それらの呪文はウィンディ・アイシクルとは違って単発だが、急所を狙わずとも高い威力がある。
普段の自分は手数で押すことが多いが、現状では一撃の威力が重要だ。
分身体をすべて消滅させた今ならば、狙いをつける上での問題はないだろうが……。

問題は、はたしてあの魔物が今一度長い詠唱の機会を与えてくれるかということだ。



(糞餓鬼めが、ワシにどこまで楯突くか……!!)

ヘルマスは、胸中に怒りを煮え滾らせていた。

目の前の小娘は、生意気にも自分の術に抵抗してみせた上に、反撃まで浴びせてきたのだ。
たとえ害はなかったにせよ、許しがたい態度だった。

もう、我慢がならぬ。他の連中のことなど後回しだ。
今すぐあの小娘の腸を引き裂いて喰らい、その血で羽根を洗ってくれよう。
たかが人間の分際で、偉大なる魔族である自分に対して分を弁えぬ反抗をしたことを、奈落に堕ちてから後悔するがよい。

『ワシはお前を殺すぞ、小娘!
 殺して、その柔らかい腸を喰らい尽くしてくれる!』

ヘルマスはその恐ろしい宣言を、タバサの心の中に直接送り込んだ。
殺す前に、彼女をより怯えさせようとしてのことだった。

ヴロックには、サキュバスとは違い、どんな言語でも話すことができるような能力はない。
だがテレパシーの能力によって、何らかの言語を有するいかなるクリーチャーとでも、意志の疎通を図ることができるのだ。



タバサは突然自分の中に響いた不快な金切り声に、一瞬たじろぐ。

しかし、いつまでもそれについて考え込んでいるような余裕はなかった。
その次の瞬間には、翼を広げたヘルマスが自分の方に向かって猛然と突っ込んできたからだ。

とっさに杖を振るい、『エア・ハンマー』を叩きつけて魔物を迎撃しようとする。

だが、それは誤った選択だった。
風の鎚は魔物の体表に触れるや否や、何の衝撃も与えずに形を失って流れ去ってしまったのである。

「!?」

タバサはヴロックの持つ、生来の呪文抵抗力を克服するのに失敗したのだ。
しかし彼女は、目の前の魔物がそんな能力を持つことなど知らない。
そのため、風の鎚をかわすでもなく、受けて堪えるでもなく、まったく何の影響も受けずに突進してくるヴロックに驚愕した。

咄嗟に飛び退いて爪をかわそうとするが、『ライトネス』の呪文無しでは素早い一撃を避けきれない。

剣呑な鉤爪によって、腹部を掠められた。
魔物の宣言通りに腸を引き出されるまではいかなかったが、シュミーズが裂けて血が噴き出す。

「っ……!」

タバサは片腕で腹を押さえ、痛みに顔をしかめながらも、必死に杖を構えた。
どうにかして、体勢を立て直さなくては。
だが、眼前に迫ったこの恐るべき魔物から、今更逃れられるだろうか。

ヴロックの背後では、状況を見守っていた客たちが早速扉へ殺到して、逃げ出そうとしている。

タバサとしては、別に彼らを不人情だ不道徳だと責めようとは思わなかった。
居てくれたところで役に立つとも思わないし、むしろさっさと逃げてくれた方が守る負担が掛からないのでありがたい。

タバサは、このような窮地にあってさえも、他人を頼みにしてはいないのだった。

『終わりだ、小娘!
 お前の魂なぞ、永遠に奈落で苦しむがいいわ!』

勝ち誇ったような言葉をタバサに送りながら、ヘルマスは両腕を広げて彼女に躍り掛かろうとする。
その四肢すべての鉤爪と嘴とによる多重攻撃にかかれば、タバサのか細い体など、ものの数秒で完全に引き裂かれてしまうだろう。

だが、そうはならなかった。

突然横合いから皮袋のようなものが飛来し、ヘルマスの頭部に命中して弾ける。
真っ赤な液体が流れ出して、彼の目に鼻に降りかかった。

「ギィッ!?」

完全な目潰しにはならなかったものの、視覚と嗅覚とに唐突にノイズが混じり、不快な痛みが走る。
ヘルマスは呻き、手で顔を擦って液体を落としながら、皮袋の飛んできた方を睨んだ。

そこには、シルフィードに肩を支えられながら立つ、トーマスの姿があった。

「怪物め、お嬢様に手はかけさせん……!」

「そうなのね、お姉さまから離れるのね!」

タバサは、ヴロックの注意が一瞬自分から逸れた、その好機を的確にとらえた。

今のうちに逃げる? いや、それでは事態は何も変わらない。
反撃をして、この怪物を倒さなくては。

(ありがとう、トーマス、シルフィード……)

自分に思いがけない救いの手を差し伸べてくれた2人に、心の中で感謝しながら。
タバサは、速やかに身を捻って呪文を唱えた。

「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」

唱えた呪文は、先程と同じ『ウィンディ・アイシクル』だった。
だが、今度は空気中の水蒸気を凝固させるのではない。

呪文が完成すると同時に、ヘルマスの顔にこびり付いた手品用の血糊の水分が瞬時に氷結して、複数の氷の矢に姿を変えた。
何本もの真っ赤な矢が至近距離から魔物の顔に襲い掛かり、目や鼻孔の周囲をずたずたに裂いていく。

「ギャアァアァァ!?」

奈落の強大な魔物は、紛れもない苦痛の叫びを上げた。
怪物自身のおぞましいほどにどす黒い血液が噴き出して、その顔を再び濡らしていく。

魔物は悶えながらも、盲滅法に腕を振り回した。
タバサは魔物から飛び退いて、距離を取るようにしながらその腕を掻い潜る。
だが、鋭い鉤爪が一度、右肩を掠めた。

シュミーズの肩紐が切れ、激痛が走って血が溢れ出す。
タバサはそれを庇う様子も見せなかった。
自分のことに構っていては、反撃の好機を逃してしまうことになる。

タバサは気力を振り絞ってもう一度杖を振り、更なる追撃をかけた。
絶叫する怪物の嘴の奥にある、汚らしい唾液らしき液体を鋭い氷の矢に変えて、喉の奥へと飛び込ませる。

氷の矢が喉を貫くか、内臓をずたずたに切り裂くかすれば、いかな怪物とて生きてはいられまい。
ヴロックは痙攣するように身を震わせ、その嘴の奥からどす黒い血がごぼごぼと溢れだしてきた。

(勝った……)

タバサはそう確信すると、ようやく張り詰めていた気を緩め、床にへたり込んだ。

同時に、それまでは戦いの高揚で半ば麻痺していた痛覚が悲鳴を上げ始めて、一瞬気が遠くなりかける。
魔法の助けを借りたとはいえ激しく動き回った肉体的な疲労、そして精神的な消耗。
脚、肩、そして腹に受けた傷も決して浅いものではなく、無残に裂けた薄手の衣服に血が滲んでいた。

しかし、直後にそんな彼女の目を一瞬で覚まさせる凄まじい怒号が、心の中に響き渡った。

『ヴオォォオオオオオォオオオ!!!!!』

それはヴロックからのテレパシーだったが、もはや声ですらない。
タバサでさえ思わず身を竦ませ、全身の血が凍りつくような思いを味わう、純然たる怒りと憎悪の雄叫びだった。

「そ、んな……」

一旦安堵して気を緩めてしまったタバサは、即座に反撃の気力を奮い起こすことができなかった。
彼女らしからぬ呆然とした呟きを漏らして、目の前の魔物を見上げる。

ヴロックの目は半ば潰れかかり、怒りに歪んだ顔はあちこちずたずたに裂けて、どす黒い血がこびりついている。
砕けた氷の矢の破片を吐き捨てる嘴は憎々しげに歪み、その奥からはごぼごぼと黒い血を溢れさせている。
だが、それほど傷つきながらも、巨体に漲る生命力は依然として衰えた様子もなく、煮え滾る怒りに身を震わせていた。

オーク鬼やミノタウロスのような、彼女の常識の範囲内にある頑強な生物であれば、先程の攻撃で仕留められていただろう。
だが、異界の生物の超常的なまでの生命力とダメージ減少能力との前には、今一歩及ばなかったのだ。



ヘルマスは怒りに身を震わせながら、タバサの方にじりじりと歩み寄っていく。

八つ裂きにしても飽き足らぬ小娘だったが、その涼しげな顔に初めて浮かんだ明らかな恐怖の感情を味わうのは心地よかった。
それが幾許かは受けた苦痛を和らげてくれたが、こいつが自分に対して犯した、万死に値する罪の償いにはならない。

こいつは嬲り苛み、喉が潰れるまで命乞いの悲鳴を上げさせてから叩き殺してやろうと既に決めている。
それからゆっくりと柔らかい肉と腸を喰らい、血を飲んでこの傷の痛みを癒すのだ。

そんなおぞましくも甘美な計画を思い描いてタバサににじり寄るヘルマスの前に、突然邪魔者が飛び込んできた。

タバサよりもずっと小柄な人間の少年のようで、一見ひどく頼りなく見えるそれは、もちろんディーキンだった。
《次元扉(ディメンジョン・ドア)》の呪文を使って帰還すると、即座に駆け出して、ヴロックとタバサの間に割って入ったのだ。

「遅くなってごめんなの、タバサ。みんな。
 ……やいこら、あんたの相手は今からディーキンがするの!」

「ふうむ、異界の来訪者ですか。なかなか斬り裂き甲斐がありそうな相手で。
 しっかりと握って振り回してくださいよ、コボルド君」

ディーキンが携えたエンセリック(今は長剣の姿をしている)が、暢気そうにそんな注文をつけた。
《清浄なる鞘(セイクリッド・スキャバード)》による祝福の効果で、今は漆黒の刀身から仄かに清浄な白い輝きを放っている。

(先程の小僧か……、どいつもこいつも、愚か者どもが!)

貴様らはただ我ら魔族に弄ばれ、殺されるだけが運命の家畜でしかないというのに。
それが身の程も弁えず、偉大なる自分の邪魔立てをするから、なおさら苦しんで死んでゆくことになるのだ。

ヘルマスは激情にまかせて、邪魔者に踊り掛かった。
ディーキンもまた両手でエンセリックを構え、ヴロックに飛び掛かるようにして迎え撃つ。

そうして両者が交錯する瞬間、ヘルマスは初めて、間近でディーキンの目を見た。

(……!?)

それまでは何も知らぬ、無邪気で無力な小僧としか見えなかった少年の目。
その瞳の中に燃える怒りの光。魔族のそれとはまったく違う、他人のために燃え上がった炎の輝き。
それが、まるで自分への確実な破滅の宣告であるかのように思われた。

ヘルマスの中に沸き上がっていた憎悪と怒りが、瞬時に凍りつくような恐怖と困惑にとって代わる。

(馬鹿な……!)

千数百年もの間奈落の闇に潜み、脆弱な種族の血肉を存分に喰らってきた、このヘルマスが。
こんな幾十年も生きておらぬような、物質界の下等な種族の、ちっぽけな餓鬼から。
まるで死王魔族(バロール)や赤死鬼王(モリデウス)に対峙した時の如き、威圧感を感じるなどとは……。



「ディーキン……」

杖にすがりつくようにしてどうにか立ち上がろうとしていたタバサは、彼の姿を認めるとか細い声を漏らした。

胸中では、安堵と不安の入り混じったような、複雑な思いが渦巻いていた。
彼の強さは理解しているが、はたしてあの常軌を逸した魔物と戦って、無事でいられるのだろうか。

(あの人を、手伝わなくては)

そう思って杖を構え直すタバサは、その時ディーキンと魔物とがお互いに飛び掛かり合い、交錯したのを見た。

ほぼ同時に繰り出された魔物の両脚の鉤爪を掻い潜り、右脚を蹴るようにして懐へ飛び込む。
その勢いのまま胸板に剣を深く埋め、そこに振るわれた両腕の鉤爪を剣を軸に回転するようにして避ける。
そうして虚しく交差した腕を、胸板から引き抜いた剣を目にもとまらぬ速さで振るって叩き斬った。
最後の反撃として繰り出された嘴も足で蹴り上げて軌道を逸らし、逆にその小さな口を大きく開いて、剥き出しになった喉笛に食らいつく。

タバサにかろうじて追えたのは魔物とディーキンの身のこなしだけで、素早く振るわれた剣閃は見切れなかった。

呆然と見守る彼女の目の前で、両腕を失った魔物はひゅうひゅうと喉を鳴らし、嘴からごぼりと血を溢れさせて、仰向けに倒れる。
自分に起きた運命が信じられないと、その驚愕にゆがんだ顔が物語っていた。

ヴロックの屍はそのまま、霞のように薄れて消えていった。
物質界へ送り込まれた活動体がすべての生命力を失ったことで、招来の効力が切れたのである。
奈落にあるヘルマスの本体は何の害も受けてはいないが、少なくとも敗北感や恐怖を味わわせることはできたであろう。

「なんだ、もう終わりですか。思ったより斬り応えのない輩でした」

そう言ってぼやくエンセリックを鞘に納めると、ディーキンはタバサに向かって頭を下げる。
それから、すぐに残る負傷者の手当てに向かっていった。

「……すごい……」

タバサはぽつりと呟いて、そんなディーキンの姿をただじっと見つめていた。
自分が、自分たちがあれだけ手こずった怪物を、彼はただの数秒で仕留めてしまったのだ。

少し前までの自分なら、劣等感や悔しさで心をかき乱されていただろう。
今でも、そんな気持ちがまるで無いわけではない。
それでも、タバサがディーキンを見る目は、この短期間の間に随分と変わっていた。

まるで、彼自身が語る、物語の中の英雄のように。
あの『イーヴァルディの勇者』のように。
彼はあの恐ろしい魔物をこともなげに倒して、自分を助けてくれたのだった。


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