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ルイズと無重力巫女さん-67





 血生臭い匂いと肉片、そしてコボルドの死体が散乱する深夜の川辺に幾つもの小さな影―――生きているコボルド達がうろついていた。
 先程まで地上を照らしていた双月が黒雲に覆われた今は、人に原初の恐怖をもたらす闇が支川辺を支配している。
 その中で蠢く彼らは焦げたバターの様な色の目玉を光らせ、ギョロリと動かしながら゛何か゛を捜していた。
 地面に横たわる同族の死体を避けて動く足には配慮というものがあり、死者に対する敬意があるようにも見える。
 もっとも彼らにそれを理解できる程賢く無いかもしれないが、自分たちの仲間゛だった゛モノを踏んではいけないという事は理解しているらしい。
 水が流れる清らかな音風で揺れる木々の騒音が合わさり、自然が奏でる音楽にはあまりにも不釣り合いな血祭りが行われた川辺。
 その周辺をうろつき回るコボルド達の中でたった一゛匹゛だけ、幾つもある内の一つである゛仲間゛の死体を見つめ続けている者がいた。
 死体の損壊は周囲のと比べればかなり酷く、右の手足がないうえに過剰としか言いようがない程に頭まで潰されている。
 あまりの惨たらしさに普通なら目を背けるようなものだが、そのコボルドだけはじっと見据え続けていた。

 まるでこの死体の無残さを記憶に残そうとしているかのように凝視するその姿から、明確な知性を感じ取れる。
 右手には彼らコボルドだけではなく、人間と敵対する亜人たちにとって天敵である人間たちが持つ棒状の゛武器゛と酷似した長い棍棒を握りしめてる。
 だが何よりも怖ろしいのは、この場にいる生きているモノ達の中で最も怒っているのが彼だという事だ。
 武器を持つ手の力を一切緩める事無く死体を見つめる彼の瞳には、静かな怒りが蓄積されている。
 彼の事をよく知る仲間たちは知っていた。怒り狂う彼を怒らせれば、文字通り八つ裂きにされることを。
 だからこそ他のコボルド達は声を掛けようともせず、彼の好きなようにさせていた。
 何よりもその仲間の死体は彼自身にとって、゛仲間゛という関係では済まない間柄なのだから。

 彼が死体を凝視し始めてから何分か経った時、その手に槍を持ったコボルドが二匹ほど森から飛び出してきた。
 既に匂いで察知していた川辺のコボルド達は驚くことなく、やってきた二匹に落ち着いて目を向ける。
 そんな時であった、今まで死体を見続けていたあのコボルドが顔を上げたのは。
「……斥候たちよ、私がいま欲しい情報を見つけてきたのだろうか?」
 親切な喋り方とは裏腹な殺意を含ませた彼の口から出てきた言葉は、驚くことに人間たちの言葉であった。
 ややトリステイン訛りの強いガリアの公用語を喋っており、失聴していなければすぐに分かるだろう。
 発音もハッキリとしておりうまく姿を隠して喋れば、天敵の人間すら騙すこともできる程だ。
 他のコボルドたちは彼の事を知ってか人間の言葉を聞いても驚かず、ジッと彼の姿を凝視している。
 斥候である二匹の内一匹がその言葉に応えてか、犬と似たような構造を持つ口に相応しい声を上げた。
 ガフガフと肉に食らいつく野犬の様な節操というものが見えぬコボルドの声が、辺りに響き渡る。
 彼は彼で仲間の声に耳を傾けていて、時折頷く動作などを見せている。

 やがて報告し終えたのか、喋っていたコボルドは口を閉じて一歩前へと下がっる。
 彼と一緒に聞いていた他のコボルドたちが、やや騒がしいと思えるくらいにざわつき始めた。
 それは決して狼狽えたり動揺しているというポーズではない。むしろその雰囲気から喜ばしい何かさえ感じられる。
 まるでこれから食べ放題飲み放題のパーティーへ行けるかのような嬉しさを、コボルドたちは感じていたのだ。
 何匹化が嬉しそうに鼻を鳴らし、喜びに打ち震えて犬の鳴き声を口から出す者もいた。
 斥候たちも同様で、自分たちの行いが皆の役に立ったと確信して互いに顔を見合わせている。
 その中でただ一匹だけ、喜びの感情を見せることなく口を閉ざしている者がいた。

 それは斥候が来るまで、見るも無残な死体と化したあの一匹見つめ続けていた人の言葉を喋る彼であった。 
 仲間たちに知られず棒を持つ右手に更なる力を入れていく彼は、もう一度足元の死体を見やる。
 物言わぬ骸と化し、地面に散らばる肉片の一つなった仲間の死体から得られる情報は少ない。
 ここで起こったであろう事を知らなければ、ただここで『ひどい虐殺があった』としかわからないのだ。
 他の死体も同様に惨く、同族のコボルドでなくとも他の亜人や普通の人間でも絶対に見たくないとその目を硬く閉じてしまうだろう。
 そしてこんな危険な場所に長居はできないと、すぐにでもここを離れる準備に取り掛かるに違いない。
 自分たちの命を一方的に脅かす道の天敵から、姿をくらますために。

 だが、ここにいるコボルド達は違う。
 否、正確にいえば彼らを率いるリーダー格には勇気があった。
 無法者たちの群れを率いる身として体力と知性を備えており、仲間たちを惹き入れる一種の゛才能゛も持っている。
 彼はその゛才能゛を用いて幾つもの戦いを勝利してきた、時に敗北したことはあったがそれは戦い方を学ぶ機会にもなった。
 森での暮らしに適し、メイジで無い人間を圧倒する亜人としての凶暴性、そして人並みの知性と人間には真似できない゛才能゛という名の力。
 それを駆使して多くの仲間たちと生きてきた彼にとって、今回の惨劇は到底許せるものではなかった。
 例えれば必死に考えて練り上げ、長い試行錯誤と挫折を経験した末に描きあげた絵画を遠慮なく切り刻まれた事と同じだ。

 だからこそ彼は決意していた。今回の屈辱は、決して安い代償で済ませるつもりはないと。
 取り返しのつかない事を起こし、無念を晴らそうと考えている。あの世へと旅立った仲間と――――唯一無二の『家族』の為に。

「明日の昼にその村へ奇襲を掛ける。メイジといえども人間共はそんな時間に来ると警戒していない筈だ」 
 それまで全員休め、明日はお楽しみだぞ。パーティーの招待状にも近い言葉を人の言葉で呟き、彼は踵を返した。
 彼の言葉を聞いたコボルド達は更に喜ぶ様子とは裏腹に、森は静かである。
 まるで明日の事を知っ動物たち逃げ出したかのように、息苦しい静寂が周囲一帯を包み込んでいた。


――――人間共め。弟と仲間の仇として全員血祭りに上げてくれるわ

 背後から感じられる楽しげな気配をその身に受けて彼は…、
 この群れのリーダーである゛コボルド・シャーマン゛は心の中でそう呟き、二度目の決意を誓った。




 赤い服越しに触れる雑草の鬱陶しさと、斬り落とされた左手首から伝わる猛烈な激痛。
 痛い、痛いと心の中で叫びながらも必死になって足を動かし、猪の様に森を掻き分けて疾走する。
 何処とも知れぬ暗い森の中を走る彼女が感じているのはただそれだけ。
 それ故に他の事が一切理解できず、今自分がどこにいるのかさえ知ら ない有様である。
 月明かりの届かぬ暗い場所を駆けずり回るが、彼女自身どこへ行こうか、何をしようかという事まで考えていなかった。
 ただただ走っているだけで一向にゴールが見えぬランニングを、黒髪の彼女はたった一人で行っていたのだ。
 そんな彼女であったが、たった一つだけ頭の片隅に浮かび上がる゛自分の後ろ姿゛だけは、忘れていなかった。

 黒い髪に紅白の服。それと別離している白い袖と、生暖かい風に揺れる真っ赤なリボン。
 これまで幾度となく鏡の前で見てきた姿が、こんな状況とは関係ないのにも変わらず頭から離れようとしない。
 何故?どうして?と考える余裕なと無論無く、彼女は左手から伝わる激痛にただただ泣いていた。
 赤みがかった黒目から涙が流れ、こぼれ落ちる無数の滴は彼女が踏みしめ土や掻き分けた雑草に飛び散り誰にも見られぬ染みとなる。
 しかし、彼女のランニングは思わぬ形で―――否、いずれはそうなっていたかもしれない終わりを迎える事となった。

 一歩前へと踏み出した右足に感じたのは草と土を踏みしめる感触ではなく、不安を募らせる虚ろさ。
 まるで足場だと思っていたモノが単なる幻であったかのように、右足だけがその虚ろな何かを踏みつけて沈んでいく。
 痛い痛いと心の中で叫んでいた彼女だが、この時だけはあっ…という驚いた様な声が口から出てしまう。
 涙を流す両目がカッと見開き、自分が゛足を踏み外した゛という事に気づいた時には、全てが手遅れであった。


 暗い森の中を彷徨う左手の無い少女が、崖の下へと落ちていく。
 まるでその辺の石ころを拾って投げるように、結構な速度で下にある川の中へと、グルグル回って落ちている。
 視界に映る景色が目まぐるしく変わる中…その身が激流の中へと入る直前、彼女はある言葉を叫ぶ。
 何も考えられなかった頭の中に浮かんできたその一言を、彼女は思い出したかのように、彼女は叫んだのである。

 ただ一言――――――「レイム」と。
 その瞬間であった、今まで頭から離れなかった゛自分の後ろ姿゛が、スッと消え去ったのは。




 トリステイン、特にラ・ロシェール近辺の気温は朝限定だと言えば、初夏にも関わらず比較的涼しい地域だ。
 森林地帯は木々が木陰をうまく遮って涼風を運んでくるために、暑い地域から来る者はその快適さに驚くことは珍しくも無い。
 その為か避暑を目当てにここで休息を取る野生動物や野鳥は後を絶たず、周辺の村に住む人たちの糧となっている。
 時折熊や狼と言った猛獣や、オーク鬼にコボルド等の亜人たちも足を運ぶために、決して安全な場所とも言い切れない。
 人々が開拓する前から続いてきた食物連鎖の輪は、今もなお安定した形を保ち続けていた。
 そんな森の中にある一本の川。その近くに生えている大木の根元に腰を下ろす、一風変わった姿をした女性がいた。
 異国情緒漂う紅白の衣装に別離した白い袖、そしてその下には水着にも似た黒のアンダーウェアと白いサラシを巻いている。
 髪の色はハルケギニアでは珍しい艶のある黒で、腰まで届く長いソレを抱え込むようにして左腕に乗せている。
 顔はといえば明らかに美人と言われる形をしているが、この大陸ではお目にかからぬ顔立ちをしている。
 極少数だか知っている人間が近くにいたなら、間違いなく「東方の者」と言われていたに違いない。



 こんな西の国の端っこにいる謎の美女は、木陰にその身を休ませて一人静かに悩んでいた。
 おかしい。何度見たって…どう考えても、色々とおかしい。
 朝靄ただよう森の中で一人呟く彼女は改まった様子で、気難しそうに首を傾げる。
 もうすぐ昼食を食べたくなるような時間ではあるが、考えすぎでお腹が空いた事すら忘れてしまっている。
 一体そこまでして何を悩んでいるのか。それは他人から見れば極々単純であり、本人からしたら非常に重大な事であった。
 首をかしげていた女性が仕方ないと言いたげに「ふぅ…」という気の抜けるようなため息を突いた後、下ろしていた腰をゆっくりと上げる。
 シャランと揺れる黒髪が木漏れ日に照らされ、周囲で息をひそめる小動物たちにアピールしている。
 その髪を持つ本人はそんな事露知らず、近くにある川へ近づくと自分の姿を水面に映す。
 緩やかに流れる川が自分の姿を寸分違わずにはっきりと映したところで、彼女は改まったかのように呟いた。

「やっぱり…どう見てもあんなに幼くは無いわよね」
 水面に映る彼女の姿は前述した通り、腰まで伸びた黒髪に、紅白の衣装を身に纏う二十代後半の女性だ。
 男性を惑わす異性特有の魅力を十分に持ちながらも、狩人の様な相手を射殺してしまうかのような鋭い眼差しを持っている。
 スラリと伸びた体は素人目から見てもある程度鍛えられていると分かるが、それにも関わらず女性らしいスリムさも忘れてはいない。

 二十代後半は、結婚する時期が早いハルケギニアでは既に「行き遅れ」と判断される年齢だが、
それでも彼女の姿を一目見れば、並大抵の男ならばせめて一声かけようと思ってしまうに違いない。

 それ程までに良い容姿を持つ彼女であったが、その顔には苦悩の色が滲み出ている。 
 このままでいいのか、何か違わないか?そう言いたげな様子は自分の姿を見た時から浮かべていた。
 別に自分が美しい事に罪を抱くナルシストでもなく、ましてやもっともっと綺麗に…というような強欲者じゃあない。
 では何に悩んでいるのか?それは他の人間には決して理解できず、彼女だけにしか分からぬ゛違和感゛が原因であった。
「でも…そう言っても…私ってこんなに大人っぽかったかしら?」
 先程呟いていた「あんなに幼くは無い…」という言葉に、その゛違和感゛を感じている。
 確かにこの姿は自分自身だ。しかしそれが本当かどうかと言われれば―――今なら迷ってしまう。
 並みの人生を生きる常人ならばまず思わない事だろうが、彼女の場合は違った。
 それは、彼女が目を覚ます前にほんの少しだけ見ていた夢の中に原因がある。

 その内容はというと、自分が暗い森の中を闇雲に走り回る姿を見ているというモノ。
 体中傷だらけで左手は手首から下が無いという、凄惨な姿をしたもう一人の゛自分゛。
 そんな゛自分゛と背後から追いかけるようにしてそれを見つめていた彼女の姿は、あまりにも似ていなかった。
 体は一回りか二回りも少し小さく、着ている服は違うし履いているのはブーツではなくかなり高めのローファー。
 唯一服と別離した白い袖だけが共通部分であったが、それ以外――少なくとも背中から見れば―全く別人だと思ってしまう。
 それでも彼女は瞬時に理解したのだ。あぁ、この少女は自分なのだ…と。
 しかし目が覚めて一番に目の前の川で自分の姿を見てみれば、いい年をした女の姿が映っていた。
 どう見直しても、あんな大きめのリボンが似合う少女ではなかったのである。
「結局…あれは夢だったのかしら?」
 川辺から離れた彼女はそう言いつつも、昨日がアレだったからね…と一人呟く。

 それはこことは別の川辺。少し時間をかけて歩いた先にある場所での事だ。
 記憶を忘れた彼女がそこで目を覚ました時、予期せぬ襲撃者たちが襲い掛かり、見事返り討ちにしたのである。
 自分が人間だからという理由で襲い掛かってきた犬頭の妖怪を退治したのは良いものの、その後が大変だった。
 何せ自分よりも倍くらいの身長を持つ大女が突如現れたのだから。
 しかも情けない事に『あっという間』 に『気を失ってしまった』のか、気づいたら朝になっていて大女の姿は消えていた。
 せめて近くにいるならばと思い捜してみようとある気はしたが何処にもおらず、泣き寝入りするしかないという困った状況。
 そんな時にふとここで足を休める事にして、今に至っていた。


「あんなおっかないモノ見て気絶したせいで、そんな夢を見ちゃったのかしら?」
「そんな夢って…どんな夢かしら?」
 彼女がまたも呟いた瞬間、背後から柔らかい女性の声が聞こえてきた。
 まるで綿菓子の様に優しい甘さと、儚さと脆い弱さに包まれた声を聞いたことなどこれまでの彼女には無かった。
 一瞬何なのか分からず目を見開いた彼女であったが、ついで背後から土をしっかりと踏みしめる足音が耳に入ってくる。
 誰かは知らないが、とりあえずこちらへ近づいてくる。理解したと同時に彼女は立ち上がり、勢いよく振り返った。

 まず目に入ってきたのは、自然の要素が密集した土地に不相応過ぎる゛桃色の長髪゛であった。
 熟れた桃の様に綺麗で甘い匂いすら漂ってくるようなウェーブのピンクブロンドが、彼女の気を逸らさせようとする。
 それには負けず、次に体全体を見回してみると相手が自分と同じ女性なのだと知った。
 個人的な水準よりもやや上だと即時に判断できる大きさの胸と、髪以上に不相応で綺麗な…俗に言う貴族らしい身なり。
 身体的特徴は置いておくとして、服装からしてこの近辺に住み土地を把握している人間でないのは一目瞭然だ。
 あるいはこの近くに別荘を持っている大金持ちなのか?考えようとした彼女はすぐさま首を横に振って目の前の相手に集中しなおす。
 だが、貴族らしき女性はその行動に疑問を感じたのか首を傾げてこんな事を言ってきた。
「あら?何か気に障るような事でもしてまったのかしら?」
 そうならば謝りますけど…目の前の女性はそう言って、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。
 まるで絵本の中のお姫様が浮かべている純粋な表情には、悪意や゛裏゛といった要素が何一つ入っていない。 
 どうやら心の底からそう思っているらしい。そう思った直後に、自然と身構えていた彼女の体から力が抜けてしまう。 
 無意識に上がっていた肩が下がり、その顔が自然と苦笑いになっていくのを自覚しながら、彼女は言った。

「いや…何かもう、別に良いわよ」
 疑ってた私が馬鹿だったわ。心の中でひとり呟きながら、彼女はため息をついた。
 変になってた自分に呆れるかのようなため息を聞きながらも、ピンクブロンドの女性が唐突に名乗る。
「私、カトレアっていうの。本名はあるけど、長いから教えてあげない」
「あぁ、そうなの…よろしくね。私は、わたしは…私―――アレ?」
 茶目っ気のある微笑を浮かべるカトレアの自己紹介を聞いた彼女は、とりあえず返事をする。
 しかし最後の一言に、自分の名を名乗ろうとしたところで今になって思い出した事があった。
 それは一番最初に気にするべきだったことかもしれないが、何故か今の今まで忘れていた事に、遅くも気づいたのである。


「私の名前…何て言うんだっけ?」
 怪訝な表情を浮かべる彼女の呟きに、カトレアは言葉を返さない。
 しかしその顔に微笑を浮かべつつも首を傾げているので、気にはなっているようだ。


 ◆


 今カトレアたちがいる場所から三十分ほど歩いた先に、それなりの村があった。
 山間部の集落とは違いしっかりと整備された道と家を見れば、旅人たちはここを町だと思い込むだろう。
 しかし規模の大きさから言えばそこは村であり、ここで目立つ建物と言えば教会に村長の家、そして旅人を泊める大きな宿屋だ。
 元はここら一帯の土地を収める領主様の別荘だったのだが、近隣にあるタルブ村に新しいのを建てたのである。
 結果この館に足を運ばなくなったが、村人たちの相談を受けて宿泊用の施設として再利用する事となった。
 二階建ての部屋は客室合わせて二十程度、平民や行商人に旅の貴族までと客層もかなり幅広い。

 そんな建物の入り口で、それなりに逞しい体を持つ老人が一人の侍女たちと話をしていた。
「そうかぁ。つまり、貴族様は朝早くに散歩へ行かれたのかぁ」
「申し訳ありません。私たちがもっと一生懸命に止めていれば…」
 少し残念そうな口調の老人に、ややふくよかな侍女が頭を下げて謝っている。
 彼女の部下であろう後ろの侍女たちも皆不安そうな表情を浮かべてつつも、何故か周囲を忙しなく見回している。
 まるでしきりに動く゛何か゛を目だけではなく頭全体を動かしているの様は、何処か挙動不審とも言えた。
 彼女たちだけではない。周囲を見渡せば、今日は村全体が何処か落ち着かない雰囲気を醸し出している。
 いつもならゆったりとした一日を過ごす村の人々は忙しなく動き回り、侍女たちの様に゛何かを捜して゛いた。
 そんな人々をよそに、一人落ち着いている老人は頭を下げる侍女に対し申し訳ないなと思ってしまう。
「いやいや、別に今日中に出るわけじゃあ無いんだろう?それならまた後でもええよ」
 だから頭を上げなさい。慰めるような彼の言葉に、先頭の侍女は申し訳なさそうに従う。
「今は村の人たちだけではなく護衛の方々が捜しに行ってますので、もう少しすれば何か報せが入るかと」
「まぁワシもこれから捜しに出かける。何、体の悪い御方だと聞いているからそう遠くには…」
 そんな時であった、教会のある方からおじちゃん!と元気そうな女の子の声が二人の耳に入ってきたのは。
 侍女たちが何事かと思いそちらへ顔を向けると、声の主である女の子が老人目がけて走ってくるのが見えた。

 突然走ってきた女の子に老人は不快とも思わず、その顔に微笑さえ浮かべて少女の頭突きを快く受け入れる。
 その顔に満面の笑みを浮かべた女の子は、クッションを殴ったような音とともに老人の体に勢いよく抱き着く。
「おーニナか、もうお医者さんと神父様のお話は済んだかぁ?」
「うん!まだ何にも思い出せないけど、今日は優しい貴族様にニナの事゛こうほー゛してくれるんだよね?」
 ニナと呼ばれた少女の言葉に先頭の侍女が首を傾げる。思い出せない?どういうこと?
 少女の口から出た言葉に疑問に覚えた直後、ニナが走ってきた方角から初老の男と若い神父が歩いてきた。
「おはようございます。どうやら、朝からかなり大変な事になってるいようですね」
 まだここへ派遣されてから間もない新参者という雰囲気を纏わせている神父が、暢気そうに言った。
 その一方で何処か無愛想な気配を体から発している初老の男が、肩を竦めながら口を開く。
「持病をお持ちと連れの者から聞いてはいたが、それにしては随分とお騒がしい方だ」
「申し訳ありません。まさかこのような事になってしまうとは…本当に面目ないです!」
「ん?あぁイヤ、別にアンタらの事を馬鹿にしてるワケじゃあないんだよ」
 またもや頭を下げた侍女に、初老の男は少し慌てた様子で言葉をつづける。


「最近ここら辺は物騒だと、旅人たちから聞くようになったからなぁ。もし怪我でもして動けないのなら…事は一大事だ」
「あぁ、あの繊細な身体にお怪我など!あの御方にとっては猛毒の花を直接食べるようなものだわ!」
 どうしましょうどうしましょう!他の侍女達も慌てふためくのを見て、初老の男は不味い事を行ってしまったと自覚する。
 医者としてここへ来てくれた貴族様への心配を兼ねて言ったが、どうやら火に油を注いだようだ…。
 この村で唯一の医者である男はやってしまったと思いつつ、バツの悪そうな表情を浮かべた。
「全く、お前さんは若いころから余計な一言が多いんだと何回言えばわかるんだい」
 神父やニナと共に男のやり取りを見ていた老人は一人呟き、傍らのニナを連れて何処かへ行こうとする。
 ほれ、行くぞニナ。少女を呼ぶ声に神父が気づくと、首を傾げつつ歩き去ろうとする老人に声を掛けた。

「おや、もう家に帰るんですか?これから捜索なされるのならニナちゃんは教会の方に預けたら…」
「気遣いすまんな若い神父さん。ただ、俺としてはこういう場所に慣れてないんだよ。
 それに、家に帰る道中で道に迷った貴族様を見つけられるかも知れねぇしな?それなら一石二鳥ってもんだよ」

 老人はその言葉と共に再び歩き出し、その後を追うようにしてニナも足を動かして村の外へ向かっていく。
 自分たちの方へ快活な笑顔を浮かべ、手を振って去っていくニナの姿を見つめながら神父に、一人の侍女が質問してきた。
「あのぉ、聞きたいことがあるのですが…あの女の子はあのご老人のお孫さんか何かで…?」
 唐突な質問に、少し慌てた様子の神父に代わって医者である初老の男が答えた。
「いんや。…あの娘はちょいと特殊な病気に掛かっててな、今はアイツの家で暮らさせてるんだよ。
 なぜかは知らんがあの娘あの偏屈者の事を気に入っとるらしくてな。傍から見りゃあ、本当に親子みたいだろ?」

 お前さん達が勘違いするのも無理もない。最後に一言述べて、初老の医者は口を閉じた。
 最後まで聞いていた侍女たちの内右端にいた地味な印象の子が、恐る恐る次の質問を言う。
「あのぉ~、さっき特殊な病気がどうとか言っていましたが、それは一体…」
「記憶喪失――――心に強いショックを受けて、覚えていた事を忘れてしまう大変な病気」
 質問に答えたのは医者ではなく、医学との距離が近いようで遠い若い神父であった。
 顔に暗い影を落とし、何とも言えぬ表情を浮かべた彼は、質問をした侍女が唖然とする間にも喋り続ける。 

「大分前に…あの老人が森の中で一人倒れている彼女を見つけた時、あの子は名前以外を忘れていました。
 自分が何処で生まれ、両親が誰なのか、何故人気のない森で倒れていたのか…それを全く知らぬまま、今も生きています。
 それでもあの子は笑顔を浮かべ続けているのです。まるで人に微笑む事が仕事であるかのように…」

 そこまで喋って口を閉じた神父は、始祖に祈りを捧げるかのように目を閉じる。
 身体から重たい雰囲気を放つその姿に、侍女たちは何も言う事が出来なかった。
 ただただため息が口から漏れ出し、周囲の雰囲気に重く冷たい空気を作り出していた。





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