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ルイズと夜闇の魔法使い-26



 ニューカッスル城に滞在していた柊達にウェールズ王子帰還の報がもたらされたのは、陽が赤みがかった夕刻前の事だった。
 しかしながらその報を受けた柊達に浮かんだ感情は喜びや安堵などではなく、疑念である。
 というのも、ウェールズの帰還に先立って貴族派――レコン・キスタから王政府宛に書状が届いたのだ。
 曰く、明日正午までに降伏を受け入れられぬ場合、攻城を開始する。
 王党派の人間達からすれば『ついに』といった所だろうが、柊達からすれば正に文字通りの『計ったような』タイミングだ。
 ここまで絶妙すぎると、自分達の動向の一部始終を完全に把握されている気さえもしてくる。
 ともあれ、ウェールズ帰還の報を受けた柊達はとりあえず任務達成を優先すべく彼を出迎えに港へと向かおうとしたのだが、それを侍従たるパリーに止められてしまった。
 他国より赴いてきた大使に帰還を迎えられるなどという事態は、国や王子の面子に関わるのだそうだ。
 これに関してはタバサも口にはしないまでも同調の意を示したため、柊はそれに従うことにした。
 改めて身分だの何だのいう肩書きに辟易した思いを募らせながら自室で待つことしばし。
 部屋を訪れたパリーの案内によって柊はようやく目的の人物であるウェールズ王子と面会を果たすことになった。

「殿下、お連れ致しました」
 柊達に充てられた部屋のそれとそう変わらない扉の前でパリーが言うと、部屋の中から澄んだ青年の声音が返る。
「通してくれ」
 恭しく頭を垂れてパリーが扉を開き、柊達を促す。
 部屋に足を踏み入れた柊は、ぎょっと目を剥いた。
 彼の眼に真っ先に飛び込んできたのは部屋の主たるウェールズではなく、脇にいるピンクブロンドの髪の少女――ルイズだったのだ。
「な、なんっ……!?」
 二の句が継げずに愕然と立ち尽くす柊を見やり、ルイズは傍目にそれとわかるような怒気を孕ませながら、しかし耐えるように歯を食いしばったまま口を噤み彼を睨みつける。
 そんなルイズの隣には申し訳なさそうに佇んでこちらを見やる紫髪の少女――エリスまでいた。
 その二人の後ろには見たことのない、口ひげを生やした長髪の青年。
 彼が件のウェールズ王子かと思った直後、別の方向から声が上がった。
「よく来てくれた――いや、お待たせして申し訳ないと謝罪すべきだろうな」
 そちらに眼を向けて、ようやく柊は自分が部屋の主を一番後回しにしてしまった事に思い至る。
 艶やかな金色の髪を携えた精悍な顔つきの青年。
 容姿や服装がどう、という事ではなく、一目見て彼がそうとわかってしまう、そんな雰囲気を纏っている。
 即ち、彼こそがアルビオン国王の第一子たるウェールズ・テューダーなのだ。
「トリステインの大使殿が訪ねて来られたというのに席を外してしまうとは――この期に及んで思わぬ恥を晒してしまった」
「あ、いえ。連絡もなしに来たのはこっちですから」
 するとウェールズは愉快そうに笑みを零すと、
「畏まる必要はない、普段通りにしてくれていい。そちらの方が私も気が楽だ」
「はあ……それじゃ、そういう事で……」
 隣で柊を睨みつけていた誰かの視線が一層激しさを増したが、彼はあえてそれを無視した。
 ウェールズ自身の言であるからして、流石の彼女も口を挟む事はできないのだろう。
「改めて名乗ろう。ウェールズ・テューダーだ」
「俺は柊 蓮司」
「……ふむ」
 ウェールズは柊の紹介を受けた後、どこか観察するように柊に眼をやった。
 訝しげに首を傾げる柊をよそに、彼は何か納得げに一つ頷いた。
「なるほど、佇まいからしてどう見ても平民だな。よもや貴族派の連中も君が親書を持っているとは思うまい」
「……そりゃまあ」
 こちらの分類で言えば柊は正真正銘の平民である。
 柊は思わず生返事を返してしまったが、ウェールズは気にする風もなく苦笑を漏らすと、継いで表情を引き締めて柊を見据えた。
「では、親書を拝見しよう」
「ああ、わかった」
 言って柊は懐から親書を取り出してウェールズへと手渡した。
 それを黙って見やっていたルイズが不意に声を荒らげる。
「ちょ、ちょっと! なんで花押が切れてるの!? あんたまさか――」
「いや、ミス・ヴァリエール。彼はそのような事はしていないよ」
 詰め寄りかけたルイズを手で制したのはウェールズだった。
「パリーから話は聞いている。父が要らぬ気遣いをしてしまったようだね」
 苦笑交じりに漏らしたウェールズの言葉に柊はどこか気疲れしたように頭を掻いた。
 おそらくその辺りの事情を聞いていないのだろう、ルイズ達はどこか怪訝そうな表情を浮かべたのだが、ウェールズは委細構わずに親書に眼を通し始めた。
 しばしの沈黙の後、ウェールズは僅かに眼を細めて囁くように漏らした。
「……そうか、結婚するのか。アンリエッタ……僕の可愛い従妹は」
 返事を期待したものではないのだろう、ウェールズは再び親書を始めから読み始める。
 声を出す事はおろか動く事すら憚られるような静寂の中、再読を終えたウェールズは瞑目し長く息を吐いた。
 そして彼は柊達に背を向けると、部屋にたった一つ置かれた机に歩み寄りその引き出しから宝石箱を取り出す。
 開かれた宝石箱の内蓋には女性の肖像画が貼られていた。
 それは小さいものではあったが、その女性が誰であるかはこの部屋にいる全員がすぐに理解した。
 彼が宝石箱から取り出したのは古ぼけた手紙。
 何度も読み返したのだろう、擦り切れてぼろぼろになったそれを彼は硝子細工を扱うように繊細な手付きで開いた。
 書かれた文面の一字一句を刻み込むようにして彼はその手紙を読み直した後、彼はいとおしげに手紙に口付けてから封筒に戻し、待ち受ける柊達に歩み寄った。
「これがアンリエッタ……王女殿下が所望している手紙だ。確かに返却する」
「……確かに受け取った。間違いなく姫さん――王女様に渡すよ」
「頼む」
 ウェールズの言葉に柊は強く頷くと、手紙を懐――月衣にしまい込む。
 それを見計らうように……おそらくはそれまでは我慢してしたのだろう、ルイズがたまらず声を上げた。
「殿下……王軍にはもはや勝ち目はないのでしょうか」
 するとウェールズは少し驚いたようにルイズを見やったあと、むしろ清々しいとさえ思えるような表情で答えた。
「ないな。敵軍五万に対して我が軍は三百、兵法からしても論外というべき戦力差だ。これを覆すには万に一つでも到底足りはしないだろう。それこそ――」
 言って彼は不意に言葉を切った。
 四人が見やる中、ウェールズはどこか皮肉気に口元を緩めて続ける。
「……それこそ『奇跡』でも起こらねばな」
「……」
 その言葉に返す言があろうはずもない。
 そんなモノを持ち出さねばどうにもならない状況だという事なのだ。
 しかし、その沈黙の中で一人だけ声をかける者がいた。
「『奇跡』とは例えば……『虚無』ですかな?」
「ワルド?」
 それまでずっとルイズの後ろに控え沈黙を保っていたワルドだった。
 唐突に出てきたその単語にルイズと柊、エリスは驚きを浮かべる。
 そしてウェールズは――
「ほう?」
 興味深そうにワルドに眼を向けた。
 この場の視線を集めたワルドは、ウェールズに一礼した後彼を真正面から見据えて口を開いた。
「レコン・キスタとの戦いは我がトリステインにとってももはや他人事ではございませぬ。それゆえ軍部ではかねてより情報を収集しておりました」
 その集めた情報の中の一つにこんなものがあった。
 曰く、レコン・キスタの首魁たるオリヴァー・クロムウェルは伝説の虚無を操る。
「虚無を……!?」
 思わず呻いてしまったルイズに応えるようにワルドは頷き、そして改めてウェールズに目を向けた。
「軍部では四方山話として一笑に伏されてしまったのですが。……事実なのですか?」
 ワルドの視線につられるように周囲の視線がウェールズに集まる。
 すると彼は深く嘆息すると、静かに答えた。
「……さて。私は一度も見た事がないので判断はしかねる。もっとも、見ていた所で虚無は伝説の代物ゆえ、真偽の判別もできないがね」
 ただ、と彼は言って拳を握った。
「真偽はともかく、こうして始祖の血統たる現王家に叛し、打倒するだけの戦力――貴族達を糾合しうる『何か』があるのは間違いないのだろうな」
「……なるほど」
 当代のアルビオン王ジェームズ一世は決して名君ではなかったが、さりとて暴君や暗君の類でもなかった。
 無論だからといって失政や内乱が一切なかった訳ではないが、歴史的に見てもそれらの数や規模は控えめと言ってもいいだろう。
 彼の代に限って追い落とされる理由がないのだ。
「大した情報も渡せずに申し訳ない」
「いいえ。虚無か否かは置くとしても、その『何か』が噂の類ではなく実際に"ある"とわかっただけでも十分です」
「そうか。それならば我々も今まで生き延びてきた甲斐があったというものだな」
 口の端を歪めて言ったウェールズにワルドは話の終わりを示すように深く頭を垂れる。
 それを見届けてからウェールズは改めて部屋にいる一同を見渡した。
 もはや特に語る事もないのだろう――いや、話を切り出したルイズだけは一人何かを堪えるように口を固く結んでいた。
 ウェールズは彼女が何を言いたいのかをおおよそ理解していたが、あえてそれに気付かない風を装い全員に語りかける。
「さて。明日の決戦に際して今宵ささやかながら祝宴を催す手はずになっている。
 やや礼を失しているが、君達大使の歓迎も兼ねたいと思っているので是非とも出席をお願いしたい」
 また窮屈な思いをさせてしまうがね、とウェールズが含み笑いを漏らして柊に眼を向けると、彼は嘆息して肩を落とした。
 そんな柊の姿を見届けてからウェールズは部屋を辞そうと歩を進めかけ、
「殿下!」
 予想通り、ともいうべきルイズの声で足を止められた。
 そして当然、そこから続けられる彼女の言葉もウェールズには予想できていた。
 ゆえに彼はルイズが言葉を継ぐよりも先に彼女へ声を投げかける。
「それは聞けない話だ、ミス・ヴァリエール」
「――!」
 機先を制されて言葉に詰まってしまったルイズを正面から見据えて、ウェールズは宣言する。
「私は王家としてのつとめを果たさねばならぬ。私はウェールズ・テューダーという個人である前に、このアルビオン国の王子なのだ。
 たとえ"誰"に"何"を言われようとも、私はこの城から脱する事はしない」
「~~~っ」
 ルイズは表情を歪めながらも、しかし一切の言葉を返す事ができなかった。
 アンリエッタが親書をしたためた時の物憂げな表情、そしてそれを読み、そして目的の手紙を読んだ時の表情で二人の関係はほぼ類推できる。
 だからアンリエッタが本当は何を望んでいるのかも、わかる。きっと親書にもそれを――亡命を薦める旨を書いていたはずだ。
 だがウェールズはそれを一切口には乗せず、そしてルイズはその単語すら切り出す事さえ赦されなかった。
 おそらく彼は彼自身が語ったように、ルイズに何を言われても決して聞き入れはしないだろう。
 そしてこの城に留まって生き延びる可能性は、軍略にさほど明るくはないルイズから見ても皆無と断言できる。
 そう、それこそ『奇跡』でも――


「――虚無」
「……何?」
 僅かに眉を潜めたウェールズに、しかしルイズはどこか熱に浮かされたように問いかけた。
「奇跡が起きれば……虚無があれば、勝てるのですね? 王子も生き延びられるのですね?」
「ミス・ヴァリエール……それはただの例え話だ。虚無などもはや伝説の中に消え、現実には存在しない。叛徒共のそれも別の類だろう」
 ウェールズは宥めるようにルイズの肩に手を置こうとしたが、しかし彼女はそれを跳ね除けた。
 驚きに眼を見開くウェールズに、彼女は自らの胸に手を当てて、叫ぶ。
「『虚無』はあります! ここにいます! わたしがその『虚無の担い手』です!」
「な……」
 彼女の叫びにウェールズは絶句するしかなかった。
 冗談としか言いようがない台詞ではあるが、冗談を言うべき場でも冗談を言うような少女でもない。
 何より、激情を露にして宣言する彼女の表情は冗談ではありえない。
 ルイズは呆気にとられたウェールズに詰め寄ると、更に声を荒らげた。
「殿下! 王家には始祖の名を冠するルビーと秘宝があると聞き及んでいます! それをお貸しください!
 さすればわたしが虚無を以って奇跡を起こしてみせます! この戦に勝利をもたらしてみせます! ですからどうか!」
「ルイズ、やめろ!」
 流石に見かねて柊が割って入ろうとしたが、それを制するようにワルドが行く手を遮る。
「分をわきまえよ。従僕が主の口上を遮るとは何事だ」
「てめえ……っ」
 僅かな殺気すら伴わせてそう言い捨てると、ワルドは腰に差した軍杖に手をかけてルイズと柊の間に立ちはだかった。
「ルイズさん、やめてください!」
 今まで一言も口を挟めなかったエリスがただ一人ルイズの腕を取り制止しようと試みた。
 だが、一度堰を切ったルイズの感情は自らでも止める術を知らなかった。
「邪魔しないで!」
 ルイズは乱暴にエリスの手を振り払おうとしたが、普段の控えめな態度とは裏腹に掴まれた腕は強く振りほどけなかった。
 それが返って苛立たしく、ルイズはエリスを睨みつける。
「どうして邪魔するのよ! わたしはただウェールズ様を助けたいだけよ!」
「それ、は……」
 そこでエリスは口ごもってしまった。
 実の所彼女が動いたのは柊が反対していたので反射的に追随してしまったにすぎない。
 なのでルイズからそう言われてしまってはそれに反駁する事ができないのだ。
「わたしの力はきっとこのためにあるんだわ。ウェールズ様を危地からお救い差し上げ、そして姫殿下の御心を安らがせる……神と始祖はこの時のためにわたしに虚無を授けて下さったのよ」
 自分に虚無の事を教えてくれた異界の神も、いずれ始祖の遺産に辿り着くと語っていた。
 そして今、この手には始祖のルビーの一つがあり、始祖の秘宝も手の届く場所にある。
 『運命』と言うのならば今この時が正にそうなのだ。
「……殿下!」
 解かないエリスの手を無視してルイズはウェールズに眼を向け、訴える。
 ウェールズは瞑目して静かに一つ息を吐くと、口を開いた。
「ミス・ヴァリエール、落ち着きたまえ。ミス・シホウにワルド子爵も。ヒイラギ、君もだ」
 それは穏やかな口調ではあったが、有無を言わせぬ迫力を含んでいた。
 俄かに慌しかった空気がどうにか静まり、部屋に静寂が下りる。
 ウェールズはしばし間を置くように沈黙を続けた後、呟くように漏らした。
「……事実、なのであろうな」
 部屋にいた人間の反応を見ればそれが芝居の類でないことは見て取れた。
 その上でウェールズは改めてルイズに目を移し、語りかける。
「ミス・ヴァリエール。そなたはまことに虚無の系統を操る事ができるのか?」
 平静さを幾分取り戻したルイズは恭しく頭を垂れ答える。
「今はまだ扱う事はできませぬ。しかし先程申しました通り、始祖の秘宝をお貸し頂ければ扱う事はできましょう」
「そうか……」
 言ってウェールズは再び吐息し、何事かを考えるように瞑目した。
 ルイズは頭を下げたまま彼の反応を待ち続け……そして、
「であれば、あのオルゴールをそなたに渡す事はできぬ」

「な!」
 予想――というよりは期待――していた言葉とは反対の反応にルイズは思わず顔を上げてウェールズを見やった。
「何故ですか! 虚無さえあればこの戦いに勝つ事だってできるはずです! 偉大なる始祖の扱った、伝説の系統です!」
 伝承だけにしか遺されていないので多少の誇張はあるのかもしれないが、それでも通常の魔法とは一線を画しているはずだ。
 もはや常識的に勝ちの目が存在しない以上それに賭けて当然であるのに、それを試そうともしない。
 彼女にはウェールズの意図が全くわからなかった。
「この戦いに勝つ、か。ならば問おう、ミス・ヴァリエール」
 ウェールズはその顔にやや厳しさを乗せてルイズを見据えた。
「『戦いに勝つ』とはどういうことか、君は理解しているか?」
「そ――」
「戦いに勝つとはつまり、敵勢力を駆逐する事だ。この場合叛徒達の勢力約五万。その全てとは言わぬまでも、半数以上は打ち倒さねばならぬ。
 すなわち少なくとも二万五千……それらを『打ち倒す』とはどういうことか、君は理解しているか?」
「……」
 畳み掛けられるウェールズの言葉にルイズは顔色を失くし、絶句する事しかできなかった。
 青ざめた彼女に向かって、彼は容赦なく宣告する。
「――私を含めた五百にも満たぬ者達のために、二万五千の人間を"殺す"事が、君にはできるのか?」
 はっきりと口に出されたその言葉に貫かれ、ルイズは身体を大きく震わせた。
 先程までの勢い込んだ表情はもはや見る影もなく、彼女は視線を彷徨わせ、何事かを言おうと口を開きかけ、しかし言葉にする事ができずに口を噤む。
 噤んだ口の中で歯の根が合わず、カチリと鈍い音がルイズの頭の中に響く。
「……これは我々アルビオンの問題だ。トリステインの人間である君にそのような事をさせる訳にはいかぬ。ましてそれが一時の感情に任せた行動ならばなおさらだ」
 諭すように語り掛けたウェールズの言葉にルイズは震える自らの手を握り締めたが、しかしやはり何も声を発する事ができず、ただできたのは顔を俯かせる事だけだった。
 ウェールズはそんな彼女の小さな肩を優しく叩いた。
「君の力は我々などのような敗残者に使うべきではない。後に戦いを控えた君の故国、トリステインのためにこそ使うべきものなのだ。
 始祖より受け継いだその虚無で、アンリエッタを助けてやってくれ」
 そして彼はルイズの返答を待たずに歩き出した。
 立ち並ぶ一同の前を通り過ぎて部屋の扉まで歩を進めると、彼等を振り返らないまま告げる。
「諸君等の部屋を用意するゆえ、晩の祝宴まで休んでおいてくれ」
 誰からの返答もなかった。ルイズもまた、声を上げるどころかウェールズに背を向けたまま振り向く事さえできない。
 ウェールズは扉を押し開き、部屋から出て行った。
 扉がゆっくりと閉まり彼の姿が見えなくなる。
 誰一人としてそれを止める事はできなかった。


 ※ ※ ※


 主が退出した部屋の中には、重苦しい沈黙だけが残った。
 人数だけは四人もいて、それぞれ相応に話すべき事があったはずなのだが、どう切り出すかを見出せずにいる。
 最初に行動を起こしたのは、ルイズだった。
 彼女は何かを堪えるように唇を噛み締め、俯いたまま誰にも目を向けずに部屋の外へと歩き出す。
 僅かに覗く彼女の顔色は今だ元に戻ったとは言えず、その歩みもどこかおぼつかなかった。
 それを支えようとエリスと柊が動きかけたが、真っ先に彼女の肩を抱いたのはワルドだった。
 彼は拒絶を示すかのように柊に目をやると、ルイズの身体を支えながら部屋を後にした。
 二人の退出を見届けてから、柊は大きく息を吐き出して肩を落とした。
「……柊先輩」
 囁くような声に柊が振り向くと、そこには泣きそうな顔のエリスがいた。
 彼女は柊よりも更に落ち込んだ表情で歩み寄ると、僅かに顔を傾かせる。
「私……また何もできませんでした」
「……しゃあねえよ。人間同士の戦争なんてエリスには無縁の事なんだしな」
「……先輩は?」
「戦争に参加した事はねえけど、ラース=フェリアで少しばかりな」
 言って柊は宥めるようにエリスの肩を軽く叩いた。
 落ち着きを取り戻したとは言わないが、ようやく顔を上げて見つめてきた彼女に、柊は気を取り直すように口を開いた。
「それより、何でエリス達がここにいるんだよ。なんか知らねえ奴もいるし」
「あ、それは……」
 二人でウェールズの部屋を退出し、外で控えていた給仕に部屋を聞いた後廊下を歩きながらエリスは柊に事情を説明しはじめる。
 柊達の後を追う事を諦めかけた時に現れたワルドの事からこの城に至るまでのおおよその経緯を話すと、柊は僅かに眉を寄せて考え込むような仕草を見せた。
「俺達……というか、ルイズの護衛か。姫さんはそんな事一言も言ってなかったけどな」
「そうですね。ルイズさんの部屋で解散した後に護衛の任を受けたそうですけど。先輩達だけじゃ不安だったそうで」
「……あのワルドってのがそう言ったのか?」
「え? はい」
「……。ふぅん」
「その、ごめんなさい。結局ルイズさんを止められなくって」
「気にすんな。そういう事なら仕方ねえよ」
 強いて苦言を呈するなら何もエリスまで付いて行く必要はなかったという事だが、彼女の性情からしてルイズ達を放っておくことなどできはしないだろう。
 柊が軽く頭に手を乗せると、彼女は少し恥じ入った表情になって顔を俯かせる。
「あ、あの。ところで柊先輩たちはどうやってここに来たんですか? 港にシルフィードがいましたけど、あの港って確か秘密の港だったはず……」
「ああ、ロングビル先生に教えてもらったんだよ。こっちでも色々あってな」
 そう言って柊は自分達が辿ってきた道筋をかいつまんでエリスに伝える。
 シティオブサウスゴータにてロングビル――マチルダと再開した事。
 そして彼女の案内で同じファージアースから来た平賀 才人と出逢った事。
 それを聞くと流石にエリスは目を大きく見開いて驚きを露にした。
「私達以外にもこの世界に召喚された人がいるんですね……」
「そうだな。どうやら虚無がこっちとあっちを繋いでる鍵らしい。帰る方法もその辺りにあるかもしれねえ」
「虚無が……じゃあ」
 言いかけてエリスは何かに気付いたように声を止め、僅かに暗い表情を浮かべた。
 ルイズが虚無の系統を使えるようになればファー・ジ・アースに帰る方法もわかるかもしれない。
 加えて虚無がそれほどの――次元を超えて作用するほどの力であれば、使いようによってはこの絶望的な戦いでもあるいは覆せるのかもしれないのだ。
 しかしそれは――

「これで相手が魔王やら冥魔だってんなら無理に止めやしねえし、協力もすんだけどな……」
 柊はエリスの思い至った事に応えるように呟き、はあと溜息を出した。
「流石にこうなると俺がどうこう言える問題じゃねえよ。どうするかはアイツが決める事だ」
 柊があの時ルイズを静止したのは、正にウェールズが彼女に語ったとおりその場の勢いで決めるような事ではないからだ。
 彼女がきちんとそれを考えた上で結論を出すのなら、それはもう自分がつべこべ口を出す事ではない。
「……じゃあ、柊先輩は」
 ふとそんな声が背後から響いた。
 柊がいつの間にか足を止めていたエリスを振り返ると、彼女は物憂げな表情を浮かべて彼を見やる。
「もしもこの後、ルイズさんがちゃんとそういうのを受け止めた上でウェールズ王子に協力するって言ったら……どうしますか?」
「……」
 エリスの問いに柊は僅かに沈黙した。
 そして彼は何かを期待するような視線を向けてくる彼女を見据えて、口を開く。
「……エリスはどうするんだ?」
 逆に問われ、エリスは明らかに動揺した表情を浮かべた。
 しかしこれは言っておかなければならないだろう。
「『この世界』はこういう事が起こりうる世界だってことだ。日本……『ファー・ジ・アース』とは違う世界なんだよ」
 ファー・ジ・アース――とりわけ現代日本で生きている限りまず関わる事はないだろう問題だ。
 これは一般人としての意味だけではなく、ウィザードとしての意味でも近しい。
 何故ならウィザードにとっての倒すべき敵は世界の滅びを望む侵魔や冥魔であり、それらに従属あるいは賛同する者達だからである。
 単純な善悪で判別しがたい状況というのはほとんど起こりはしない。
 その点において柊はこのハルケギニアと似たような異世界である『ラース=フェリア』や『ミッドガルド』を経験していた。
 そう考えればエリスにそれを言えただけ異世界経験が豊富なのも悪い事ではない――いや悪い事だが。
「お前はアイツの使い魔になって一緒にいるって決めたんだろ? だったら俺に聞く前に、まずお前が決めないとな。
 今回だけじゃなく、また似たような事もあるかもしれねえし……その時にも俺がいるとは限らねえ」
「……!」
 柊の言葉にエリスは雷に撃たれたように身を震わせる。
 しかし柊は彼女の内情などを察する事もなく、肩を軽く叩いて語りかけた。
「お前が決めた上で相談するってんならいくらでも乗るし、協力だってするよ。……俺はお前の先輩だからな」
「……せんぱい」
 再び歩き出した柊の背を見やって、エリスは改めてハルケギニアに来てから自分が柊に頼ってばかりだった事を思い知った。
 だが、彼の言った通りルイズの使い魔になるのを決めたのは他ならぬ自分なのだ。
 そして彼女とお互いに認められるような関係になろうとも誓った。
 だから、ルイズがこれからどういう選択をするにせよ――この後どういう問題に直面するにせよ、まずは自分で決めておかなければならない。
(私は……)
「行こうぜ、エリス」
「……はい」
 肩越しに振り向いて語りかけてきた柊を見やって、エリスは頷いて足を踏み出した。


 ※ ※ ※


 その夜、ニューカッスル城における最後の晩餐が盛大に催された。
 恐らくはかつて彼等が行なっていた祝宴とは比べ物にならないほど質素な出来なのであろうが、
それでもそういったものとは縁がない柊やエリスにとっては盛大と言っても差し支えのない規模のものだった。
 しかし柊にとっては同時に、これ以上ないほどの苦行の時間でもあった。
 何しろトリステインの大使として壇上に上がり大々的に祭り上げられてしまったからである。
 代わる代わる押し寄せてくる貴族や兵士達の挨拶を辟易しながらやり過ごし、ようやくお役御免となったのは一時間も経った後の事だった。
 そして現在、柊は壁に背を預けて場内で繰り広げられる饗宴を見つめている。
 先頃ウェールズに言われた事もあるだろうが、明日に潰える命と割り切って今を楽しむ彼等を見ていたたまれなくなったのだろう、ルイズは早々にこの場を後にし、エリスもそれを追って部屋へと戻っていった。
 タバサは普段の影の薄さを利用でもしたのか、あまり誰からも相手をされず、そのくせちゃっかりと食うものだけ食ってさっさと姿を消してしまっていた。
 そうして残ったのは柊と――
「挨拶がすっかり遅くなってしまったな」
 いっそ優雅と言ってもいいくらい軽やかな足取りで歩み寄ってきたワルドだった。
「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドだ。明日までの付き合いになるだろうが、よろしくな」
「俺は柊 蓮司」
 差し出された手を軽く握ると、少し力を込めて握り返された。
 エリスからの話を聞く限り、こちらに対してはあまり良い印象を持っていないだろうことは予想できてきた。
「姫さんから護衛を頼まれたんだって?」
「ああ、王女殿下が寝所にお戻りになられる際に任を賜った。やはり護衛が平民一人とトライアングルとはいえ学生二人では心許ないと思われたのだろうな」
「……随分凄えタイミングだな」
 あの時の密談が終わって部屋に戻る時に"たまたま"ワルドと出会い、そして任務を与えた。
 いくらなんでもできすぎた話だろう。
 しかしワルドは僅かに目を細め、不服と言わんばかりに柊を睨みすえた。
「そうでもなかろう。もしや君は、我々衛士隊が守るべき王女殿下が寝所より抜け出すのに気付かない、無能の集団だと思っているのか?」
「あ」
 言われてみれば、と柊は思わず声を漏らしてしまった。
 恐らくは箱庭育ちのアンリエッタが、護衛の兵士達を出し抜いて人知れずルイズの部屋まで辿り着くのは難しいだろう。
「敷地の外に出るようならお止めもしたが、寮ならばと見逃した。立場上同年代の少女達と話す機会など滅多になかろうからな。
 とはいえ、やはり立場は立場。お戻りになられる時にお諌め申し上げたのだが、その時にな」
「……。すまねえ」
「構わんよ。任務が任務だけに、疑ってかかって然るべきだ。私が先に任を受けていれば当然君を疑ったし、連れて行きもしなかった」
 やはり君は優秀な傭兵だな、と言い添えた上で、ワルドは声を低めて柊に言う。
「しかし、ルイズを置き去りにした点だけは看過はできない。効率の上では正しいのだろうが、王女殿下からの依頼である以上、傭兵の理屈だけで動く事は許されん。
 先程の王子殿下の部屋でのやり取りもそうだ」
「……覚悟もしねえで勢いだけで戦争やらせろってのか?」
「彼女はラ・ヴァリエールなのだ、受け入れる度量はある。時期尚早ならば支えてやればよいだけの話……それが騎士たるものの役目だ。君は彼女の騎士にはなれん」
「騎士なんかなる気はねえよ」
 射抜くようなワルドの視線に内心で辟易しながら柊が言うと、ワルドは眉を潜めてふんと鼻を鳴らした。
 そして彼は柊に向かって手を差し出し、言う。
「ルビーと手紙を返してもらおう。アレはルイズが持つべきものだ」
「あ? 何言ってんだ、渡せるわけないだろ」
 柊が嘆息しながら返すと、ワルドは僅かな怒気に顔を歪め、語気を強めて語る。
「ルイズに手ぶらで帰れというのか? 貴様は彼女の誇りを傷つけ、ヴァリエールの名に泥を塗るつもりか?」
「……ち」
 思わず柊は顔を顰めて舌打ちしてしまった。
 何かと言えば貴族だ家名だ誇りだと喧しくてしょうがない。
 これに比べれば魔法学院にいる生徒達の方が遥かに可愛げがあった。
 いい加減億劫になって柊は懐から水のルビーを取り出し、ワルドに放るように手渡した。
「これでいいだろ。姫さん……王女殿下から賜った証なんだからよ」
「……手紙はどうした」
「お前もあの時あそこにいたろ。王子さんは俺に手紙を渡して『頼む』と言った。お前だろうとルイズだろうと、この国の王様だろうと手紙は渡さねえよ」
「……不愉快な男だ。貴様はルイズの傍にいる事すらおこがましい」
 明らかに敵意を滲ませてワルドはそう吐き捨て、水のルビーを握り締めて踵を返した。
 一顧だにせず遠ざかっていく彼の背中を見送りながら、柊はもう一度舌打ちをして背を預けた壁にもたれかかる。
 アレが一般的な貴族というものだとしたら、正直上手くやっていけそうもない。
 ワルドの言ではないが、ルイズの傍にいると『そういう世界』に関わる事になりそうなので甚だ不安になってくる。

 そんな暗澹とした未来予想図を垣間見て柊が気落ちしていると、不意に肩を軽く叩かれた。
「随分と疲れているようだね」
 どこか楽しげに語りかけてくる青年――ウェールズの姿を見止めると、柊は肩を落として答える。
「……まあ色々とな」
「まあ普通平民がこのような場に出る事などまずないし、大使として壇上に上がるなどという事もないだろうからな」
 それだけが理由という訳でもないが、別に説明する意味もないので柊は沈黙を保った。
 するとウェールズにそれを肯定と受け取ったのだろう、破顔して持ってきていたワイングラスを柊に差し出した。 
「しかし、流石に父と謁見までしては壇上に上がらせざるを得ないよ。この城に辿り着くまでに運を使い果たしてしまったようだね」
「……そうかもな」
 愉快そうに笑うウェールズからグラスを受け取り、杯を合わせて半ば自棄気味にそれを飲み干す。
 普段からあまり運の良い方ではないの思っていたが、今回に限って城の隠し港の存在を知りそしてここまで無難に辿り着けてしまったのだからウェールズの言葉を否定できなかった。
「しかし、よくもあの港の存在を突き止めたものだ。よほど王家に近くなければ知りえないはずなのだが……案内したミス・ロングビルとやら、一体何者なのだ?」
「……さあ。詳しくは俺も知らねえけど」
 マチルダは今この場にはいない。どころか、パーティに参加してすらいなかった。
 王との謁見の際も、ウェールズとの会見の際も、単なる案内人だからなどといって執拗に接触を拒んでいた。
 王家に近しい者しか知らない港の存在を知っており、そして最近まで"土くれ"のフーケという盗賊に身をやつしていた経緯を考えれば、彼女にはかなりの事情があるのだろう。
 そうなるとむしろ気になるのは、何故この場についてきたのか、だ。
 単なる義理でついてきたとは到底思えなかった。
「元々あの人は魔法学院で教員やってたんだが、色々あって退職してな。んで、サウスゴータでばったり出くわしたんだよ」
「……サウスゴータ」
 当たり障りのないように説明したつもりだったが、しかしウェールズの反応は違った。
 彼は眉根をひそめ、顎に手を添えて何事かを考えるように頭を傾ける。
「……心当たりでもあったか?」
「……いや」
 僅かな沈黙の後ウェールズは答えたが、その時見せた表情は言葉とは裏腹のものだった。
 柊は思わずウェールズを覗き込んだが、彼はすぐにその表情を消して場内へと視線を巡らせた。
「それはそうと、やはりミス・ヴァリエールは退席してしまったようだな」
 どうやらマチルダの事に関してはもう話すつもりはないらしい。
「……まあ、あんだけショック受けてりゃな」
 柊がとりあえずそう答えると、
「彼女には酷な事を言ってしまったか」
 ウェールズは物憂げな表情を浮かべて視線を落とし、空になったワイングラスを見つめた。
「だが彼女がまことに虚無を継いでいるのなら、いずれ否応なくそういう類の問題に直面する事になるだろう。乗り越えてくれるといいのだが」
 言ってウェールズは口を閉ざした。
 二人して喧騒に満ちた場内をしばし眺めた後、ふと柊は視線をウェールズに向けないまま尋ねた。
「王子さん。一つ聞いてもいいか?」
「ん? なんだ?」
「……もしルイズが"あの時"ちゃんと全部わかった上で協力を申し出ていたら、どうしてた?」
 するとウェールズは僅かに目を細め、やはり柊には目を向けないまま答える。
「その時は助力を請うていただろう」
 実際に参加させるかは置くとして、少なくとも実際の虚無がどれほどのものなのか確認はしていた。
 しかし――
「あのような顔をされてはな。おそらく彼女は人はおろか、動物の類さえ手にかけたことはあるまい」
「いいトコのお嬢さんみてえだしな……」
 イーグル号において大使と名乗ってみたり、アンリエッタのために亡命を薦めようとしてみたり、彼女が正直すぎる事は容易に見て取れていた。
 先んじて始祖の秘宝の貸与を拒否して見せたのも、彼女の『正直』な反応を見るためでもあった。
 もしあの時に形だけでも取り繕い、受け入れる旨を告げられていれば話は違ったのだろうが――
「もはや手遅れだ。実際"そうなった"時に出る被害の規模を考えれば、半日足らずの覚悟で担えるものではない。
 "この後"彼女が協力を申し入れたとしても、私は聞き入れるつもりはない」
 断言したウェールズに柊は何もいう事ができず、黙り込む事しかできなかった。
 すると今度はウェールズが柊に向かって問いかける。
「逆に問うが、もしミス・ヴァリエールがあの時に協力を申し入れていたら、君はどうしていた?」
「そりゃ、手を貸したさ」
 間をおかない返答にウェールズは驚きに目を見開き、そして口の端を歪めた。
「即答か。パリーも言っていたが、君は本当に忠義心に溢れているのだな。このような時でなければ是非親衛隊に名を連ねたい所だった」
「だから、そう言うんじゃなくってなぁ……」
 先程のワルドとは全く違う方向性ではあるが、またしても出てきたその手の言葉に柊は辟易した風に嘆息し、頭を掻いた。
「忠誠だとか、貴族とか王家の何だとかそういうんじゃねえんだよ」
 言って柊は腕を組み、やや不本意といった表情を浮かべて言葉を続ける。
「なんだかんだ言って俺もエリスもアイツの世話になってっから、手助けくらいはするってだけだよ」
「……」
 するとウェールズは目を丸め、呆気に取られたように柊をまじまじと見つめた。
 やがて彼は――唐突に大きな声を上げて笑い始める。
 隣にいた柊は勿論、会話に立ち入る事を憚ってあえて見ぬ振りをしていた周囲の者達も思わず目を向けてしまうような、そんな大笑いだった。
「な、なんだよ……!」
「は、はははっ! いや、まさか……くくっ、『世話になった』と、そんな理由で五万の軍勢に立ち向かうというのか! 恐ろしい男だな君は!」
 おかしなことを言ったつもりはないのに爆笑されて、柊は憮然となって顔を逸らしてしまった。
 そんな柊をよそにウェールズは少しの間苦しそうに笑い続け、ややあってようやく笑いを収めると呼吸を整えるように幾度か深呼吸した。
 そして最後に大きく息をつくと、気の晴れた表情で柊を見据えた。
「できるなら、もう少し早くに出逢いたかったな。親衛隊のような主従ではなく……そう、貴族や王家の何だとかではなく、一人の人間として友誼を交わしてみたかった」
「……そんなの、今からでも遅くねえだろ?」
 嘆息して言った柊の言葉に、ウェールズははっと息を呑み、そして眩しそうに目を細める。
「……本当に、恐ろしい男だ」
 言って彼は自らの指にはめた風のルビーを抜き取り、柊に差し出す。
 振り向いた柊がそれを受け取ると、ウェールズは静かに告げた。
「ならば友人として、君に頼もう。それをアンリエッタに渡してくれ。『ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいった』と」
「……ああ」
「ミス・ヴァリエールを頼む。そしてできるなら……彼女と共に、アンリエッタを助けてやって欲しい」
「……。余裕があったらな」
 ウェールズを見据えたまま柊は僅かに沈黙し、そう答えた。
 それを聞いてウェールズは満足そうに笑みを浮かべる。
 その返答は、彼が受け取った柊の印象からすればこの上なく十分なものだった。


 ※ ※ ※


 パーティの喧騒が細波のように響く中、城内の通路を一人の男が歩いていた。
 その道中に兵士や避難民の幾人かとすれ違ったが、いくらか酒が入っている事もあって男の事を気にする風もない。
 やがて男は人気が完全に途絶えた、とある部屋までやってきた。
 頑丈な錠がかけられているが、見張りの兵士はいない。
 男は思わず苦笑を浮かべてしまった。
 この部屋は王党派が王都を追われた際に持ち出した宝物が収められた、臨時の宝物庫なのである。
 錠はともかくとして見張りがいないなど言語道断というべきだろう。
 とはいえ、わからない話ではない。
 何しろ明日には滅んでしまうのだ、この期に及んで後生大事に宝物を抱える意味などもはやない。
 そして艦艇に乗って脱出する非戦闘員は百人近くに及び、非常用の食料や物資も載せれば舟が二隻あっても宝物を載せる余裕はない。
 つまり彼等にとってこの部屋と、その中にあるものは無用の長物なのだ。
 ――宝物より避難民達を優先させたという点において、アルビオン王家は尊敬に値すると言ってもいいだろう。
 もっとも、男にとってそんな事はどうでもいいことなのだが。
 男が手にした杖を軽く振ると、錠は土に変貌しあっさりと崩れ去った。
 仮にも王家の宝物庫の錠である以上、それには強力な『固定化』がかけられていたのだが、男にとっては何ら障害にもなりはしない。
 通路に人影がないのを確認してから、男は宝物庫の中に足を踏み入れる。
 既に半分ほどは物資として持ち出してしまったのだろう、宝物庫の中は王家のそれとは思えないほど閑散としていた。
 男はそれらを一つづつ見やりながら部屋の中を巡る。
 やがて男は棚にあった30セント程の大きさの箱へと辿り着いた。
 それを手に取り、音を立てぬよう静かに開く。
 中には絹に包まれたオルゴールが入っていた。
 いっそ収められていた箱の方が高価と思えるくらいに、何の変哲もないオルゴールだった。
 男はそれを恭しく手に取ると、歪に口の端を歪めた。




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